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タンノイ Autograph

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 デュアル・コンセントリックK3808ユニットは別名スーパーレッドモニターと呼ばれる38cm口径の同軸型2ウェイである。これを、複雑な折り曲げホーンの大型エンクロージュアに収めたもので、オリジナルは、タンノイの創設者、G・R・ファウンテン氏のサイン(オートグラフ)を刻印してモデル名とした名器。これを日本の優れた木工技術で復元したものが、現在のオートグラフ。高次元の楽器的魅力に溢れた風格あるサウンド。

タンノイ Super Red Monitor, SRM15X

タンノイのスピーカーシステムSuper Red Monitor、SRM15Xの広告(輸入元:ティアック)
(スイングジャーナル 1980年7月号掲載)

SRM15x

タンノイ Super Red Monitor

菅野沖彦

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
特集・「’80ベストバイコンポ209選」より

 英国のタンノイ社の伝統の技術を最新技術でリファインし、入念の作りで仕上げた同軸型2ウェイのモニターシステムである。定位、臨場感の再生の優秀さは今さらいうまでもないし、がっちりとした安定感のある音像定位には伝統の風格がある。このシステムはマルチアンプ駆動もできる設計で、エレクトロニック・クロスオーバーアンプも別売されている。

タンノイ Autograph

菅野沖彦

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
「タンノイ研究(1) 名器オートグラフの復活」より

 タンノイと私のふれ合いは、不思議なことに、あの熱烈なタンノイ信奉者の故・五味康祐氏、そして、古くからのオーディオ仲間である瀬川冬樹氏のそれと一致する。本誌別冊の「タンノイ」号巻頭に、両氏のタンノイ論が掲載されているのをお読みになった読者もおいでになると思うが、両氏がはじめてタンノイの音に接して感激したのが、昭和27〜29年頃のS氏邸に於てであることが述べられている。私もその頃、同氏邸においてタンノイ・サウンドを初めて体験したのであった。両氏共に何故かS氏と書かれているが、新潮社の齋藤十一氏のことであると思う。もし違うS氏なら、私の思い違いということになるのだが……。当時、私が大変親しくしていて、後に、私の義弟となった菅原国隆という男が新潮社の編集者(現在も同社に勤務している)であったため、編集長であった齋藤十一氏邸に私を連れて行ってくれたのであった。明けても暮れても、音、また音の生活をしていた私であったが、その時、齋藤邸で聴かせていただいたタンノイの音の感動はいまだに忘れ得ないものである。正直いって、どんな音が鳴っていたかは覚えていないのであるが、受けた感動は忘れられるものではない。もう、27〜28年も前のことになる。以来、私の頭の中にはタンノイという名前は、まるで、雲の上の存在のような畏敬のイメージとして定着してしまった。五味氏によれば、当時タンノイのユニットは日本で17万円したそうだが、そんな金額は私にとって非現実的なもののはずだ。しかし、実をいうと、当時はタンノイがいくらするかなどということすら考えてもみなかったのである。それは初めて見たポルシェの365の値段を知ろうとしなかった経験と似ている。つまり、値段を聞くまでもなく、自分とは無縁の存在だということを嗅ぎわけていたから、そんな質問や調査をすることすら恐ろしかったのだと思う。なにしろ、神田の「レコード社」に注文して取り寄せた、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」(ペトレ・ムンテアーヌの歌で伴奏がフランツ・ホレチェック)を受け取りに行くのに5百円不足して四苦八苦したような頃だったから、推して知るべしである。おまけに、このレコードを受取りにいったレコード社で、ばったり、齋藤十一氏に会ったのはいいが、後日、先に書いた私の義弟を通して「美しき水車小屋の娘」を買うなんて彼は若いね……というような意味のことを齋藤氏がいっていたと聞き、えらく馬鹿にされたような気になった程度の青二才だったのだ。幸か不幸か、タンノイは、こうして私の頭の中に定着し、自分とは無縁の、しかし凄いスピーカーだということになってしまった。正直なところ、このコンプレックスめいた心理状態は、その後、私が、一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係を作ったように思うのである。若い頃の体験とは、まことに恐ろしいのである。
 その後、多くの機会にタンノイを聴いてきた。いい音もあったし、ひどい音で鳴っている場合もあった。自分でも勿論鳴らした経験は少なくない。よく鳴らすことが難しいスピカーだと思う。ひどく、エイジングで変るスピーカーだとも思う。血統の正しい、出来のいい、純度の高い、高性能な機器に特有のデリカシーを持っているのである。名器と呼ばれるものには、えてして、こういう気難しいものが多い。ここで断っておかなければならないが、気難しいといっても、その最低レベルは、並のもののそれより絶対に高い。ただ、使い手とぴったりよりそった時に聴かせる信じ難いほどの美しさや魅力が、おいそれとは聴けないという意味である。優秀な機械が、機械としての優秀性を超えたなにものかを垣間見せるということだ。オーディオ以外の私の道楽に車があるが、同じような体験をしている。ポルシェがそうだ。人馬一体の感覚が味わえる車だが、そう簡単にはいかないのである。昔持っていたキャデラックのエルドラードは、いつでも心地よく快適に乗せてくれたが、こちらの要求に、あるところまでしか応えてくれなかった。可能性に限界があって、それ以下では、いつも安定して黙々と忠実に動作するのである。ポルシェはちがう。まだまだ、こちら以上の可能性を感じさせ、逆に教えられるのである。タンノイは、これに似ている。オートグラフが見事なコンディションで、ある条件下で鳴らす、この世の機械から出た音とは信じられない美音を私は知っている。そんな時、つくづく私は、文字通り、そのオートグラフの主、G・R・ファウンテンという人間に触れ得たことを実感する。この瞬間こそが、機械を通して人と人とが心を通わせ合える時であり、オーディオや車などのメカニズムを愛する人間のみが知り得る幸せであろう。
 こうした高度の次元に存在する機械が少なくなりつつあることは、誠に淋しい限りであり、それを理解し、正しい価値観を持つ人間が減っていくことは嘆かわしい。特に芸術に関与するオーディオ機器の世界にとって、これは重大なことだ。
 今世紀初頭のヨークシャーに生れたガイ・R・ファウンテンが、47歳の時に発売した同軸型ユニットは、すでに30余年の歴史をもつ。また車を例に出すけれど、これは、ポルシェの歴史とほぼ一致する。この�動く精密機械�のプロト・タイプがオーストリーの寒村グミユントで産声を上げたのは1948年で、その市販モデルが、西ドイツのシュツットガルトで生産を開始したのが1950年である。さんかに車を持ち出すのは、実はガイ・R・ファウンテンも車に縁の深い人だったことによる。彼は、1920年代に自動車の技術に深い興味を抱いていたそうで、事実、友人数人と、ランカスター自動車会社というコーチビルダーの会社を経営、車の注文生産をおこなっていたほどだ。たゆまぬ技術改良をおこなったとはいえ、ポルシェが一貫して、現役の911までオリジナルの基本設計を貫いてきたのと同様、またタンノイも、デュアル・コンセントリックという同軸型2ウェイユニットを1947年に発売して以来、現在の最新モデル、スーパーレッド・モニターとクラシック・モニターに至るまで、その基本構造はまったく変更されていないのだ。そして、ポルシェ博士が、自ら設計製造した車のハンドルを自ら握ってラリーやレースに参加したように、ガイ・R・ファウンテンはレコード音楽を自らが満足のいく音で鑑賞するために、�オートグラフ�という、とてつもない複雑で巨大なホーンエンクロージュアを制作したのである。大のクラシック音楽愛好家であったファウンテン氏がなんとか自室をオーケストラの演奏会場のような音で満たしたいという執念と情熱が、この名作を生み出したのであった。タンタルム・アロイ(電解整流器の主成分としてタンノイ者が開発)の合成語タンノイの社名に加えて、ガイ・R・ファウンテンという自らのオートグラフをシステムに刻印し、それをそのまま、モデル名としたのであった。
 自らを信じ、自らの満足と納得のいくまで製品を練り上げ、世間におくり出す。それが、例え、世間の常識をはずれた価格であろうとも、必ずや、その価値のわかる共感者が現れてビジネスを支える。そういう時代はたしかに過ぎた。そしてすでにそうした背景から生れた数々の名器は姿を消した。タンノイやポルシェは数少ない現存の名作といってよいであろう。しかし、タンノイ・オートグラフのオリジナルは今やイギリスでは生産されていない。職人の高齢化によって創ることが出来なくなったからである。伝統工芸的な技術を要するこのエンクロージュアをつくる職人が絶えたのだ。たとえ、そうした職人が残っていたとしても、もはや、このようなビジネスが、世界のマーケットでビジネスを支え得るとは思えない。日本には幸い、読者諸兄のような価値観の持主がおられる。熱心なオーディオ愛好家にとって、たとえそれが日本製であっても、オリジナルにきわめて忠実な形でこの名器が継続して作られるということは喜ばしいことであろう。この日本製のオートグラフ・エンクロージュアはイギリスのタンノイ社が驚くほど精巧で、同社の公的な承認が得られ、その証明が示されている。
 そこで、混合から連載される「タンノイ研究」の第一回として、改めて、各種のオートグラフを比較試聴してみようということになった。新ユニット、K3808スーパーレッド・モニター入りのオートグラフが、今、市場で手に入れることの出来るオートグラフの代表機種であるわけだが、はたして、その音はどうだろうという興味は、試聴に出かける私のポルシェハンドルさばきを軽くした。
 オートグラフが発売されたのは1953年で、当初のものはかなりこった家具風の重厚なフィニッシュであったらしい。しかし、基本的なエンクロージュアの構造はすでに現在のものと大佐がないという。’57年に、マイナーチェンジを受け、内蔵ユニットがモニターシルバーからモニターレッドとなり外観デザインも現在のものになった。これは、’54年発売のヨーク(レクタンギュラーではない)、翌’55年発売のGRFのデザインと共通イメージである。
 さて、今回試聴したシステムは、4種類のオートグラフである。といってもエンクロージュアは’70年代初期と思われるオリジナル・オートグラフと、最新のレプリカの二種類で、ユニットとの組合せで4種類となる。
㈰オリジナル・エンクロージュア(モニターゴールド入り)
㈪オリジナル・エンクロージュア(HPD385入り)
㈫レプリカ・エンクロージュア(K3808スーパー・レッド・モニター入り)
㈬レプリカ・エンクロージュア(K3808スーパー・レッド・モニター長時間使用のユニット入り)
 右の4機種を比較試聴したわけだが、ユニットの入替えにあたり、スーパー・レッド・モニターは、HPD385、モニターゴールドと取付穴の寸法が異なるため、オリジナル・エンクロージュアには改造を施さねばならないということで、今回は試聴ができなかったことを、お断りしておく。オリジナル・エンクロージュアを持っていて、ユニットをスーパー・レッド・モニターあるいはクラシック・モニターという新しいものに交換したい方は、そのままでは取付不可能であるということだが、改造をいとわなければ可能であるということだ。そして、レプリカ・エンクロージュア(タンノイ社承認のティアック製)は取付寸法に二種類のものが市販されているわけで、HPD385内装のもは、オリジナル取付穴と同寸法で、新しいスーパー・レッド・モニター内蔵のものと異なるので、これも新ユニットに交換するには修整が必要となる。
 ところで、肝心の試聴記が最後になってしまったが、以下に、スペースの許す限りで、それを記すことにしよう。理解を容易にするために、モニターゴールド内蔵のオリジナルとの比較をベースに記すことにする。
 まず、新しいK3808スーパー・レッド・モニターと、かなり長時間使用のものとでは明らかに高域のしなやかさの点で違いがあり、エイジングのきいたユニットが絶対にベターなので、これにしぼる。また、オリジナルにHPD385を入れたものは、決して望ましいものとはいえないので、これも、モニターゴールド入りオリジナル一本にしぼってよいだろう。つまり、結局は2機種の比較試聴ということになり、他は、参考試聴ということになった。試聴レコードは、弦楽合奏、ソプラノとオーケストラのオペラのアリア、ピアノ独奏、打楽器主体のジャズという4種類とした。
 どちらにしても、ステージの空間が、そのまま再現される圧倒的な雰囲気であったが、低域はレプリカのほうがよ絞り、オリジナルは時として演出過多とも思える響きがある。オリジナル・エンクロージュアにスーパー・レッド・モニターを入れられなかったので、これはユニットの違いが大きいのか、エンクロージュアのそれかを現場で確認することは出来なかった。多分、私の推測では両者に要因があろうと思われる。ここの部分をどう受け取るかが難しいところでオートグラフを心情・感覚的に、一種のオーディオ楽器として受け取れば、オリジナルのもつ毒も薬としなければならないが、多少、その毒が気になる人にとってはレプリカのスーパー・レッド・モニター入りのほうが行儀よく、適度な味つけということになる。コーナー型として壁面と床をホーンの延長として使い、オーケストラの量感をなんとか出そうとしたG・R・ファウンテン氏の音への嗜好も、現代の録音とのバランスで考えると、むしろ、新型をよしとするかもしれないのである。つまり、彼が生きていたとしても、この新型には決して不満をいわないだろうと思える範囲での違いであった。
 これに伴い、ソロ・ヴォーカルの定位や、音像の明確さは明らかに新型がよく、オリジナルは、やや大きめの曖昧なものとなる。ただし、これは、弦楽器の夢のようなしなやかな再現をオリジナルが聴かせることと共通すると思われるのだが、シルヴィア・シャシュの声の妖艶な色気は、オリジナルの独壇場であった。ピアノについても、中音域の豊かさ、艶ではオリジナルにふるいつきたくなるような魅力があるが、低音域は悪くいえば団子状で量感の明解な響き分けがない。それに比して新型では、よく巻線領域の音色や質感を鳴らし分ける。
 両者にとって、もっとも不得手なのはジャズだ。バス・ドラムは曖昧だし、ベースのピツィカートは、アルコ奏法の瑞々しさとは裏腹に、なんとも不明瞭になってしまう。これは、スーパー・レッド・モニター・システム(スタジオモニターとして開発された新製品)では満足のいく再生を示すから、明らかにユニットのせいではなく、オートグラフ・エンクロージュアの特質と断言してもよいだろう。オートグラフには絶対に向かないプログラムソースであり、音楽性の不和としかいいようがない。ポルシェにロールスロイスの走行を期待しても無理であり、ロールスロイスには絶対、ポルシェの走りは出来ないようなものだ。それが不満なら、最新型のスポーティモダンとは呼ばれる中途半端で無個性のオールパーポンスの車を選ぶしかないということか?
 スーパー・レッド・モニター内蔵の日本製オートグラフをタンノイ社が承認したことが今回の試聴で納得できた。ガイ・R・ファウンテン時代のレコード音楽の環境は大きく変化している現実をふまえ、なお、彼の精神と感性が生かされた製品として立派な存在意義をもっている。そして、これを作れるクラフトマンがいることを日本人の一人として喜びたい。

タンノイ Super Red Monitor

黒田恭一

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
特集・「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」より

 声のまろやかさ、ホルンのひびきののびやかさ、あるいは弦楽器のなめらかなひびきといった点で、あじわいぶかいところがある。破綻のない、まとまりのいい音をきかせるスピーカーシステムといういい方も、多分、できるにちがいない。音像が適度にふくらむようなこともなく、くっきり定位するあたりも、このスピーカーのよさのひとつとしてあげられる。ただ、重量級のサウンドというべきか、重く、しかも力にみちた音の提示ということになると、かならずしも充分とはいいかたい。声でも、❸できける強いはった声などは、硬くなる。❷でのピアノの音にも、力にみちたものであってほしいと思う。しなやかな、あるいはつややかなひびきは、本当にすばらしいし、全体としてのまとまりもわるくないが、ダイナミックな表現力という点では、どうしてもものたりなさを感じないではいられない。

総合採点:8

試聴レコードとの対応
❶HERB ALPERT/RISE
(物足りない)
❷「グルダ・ワークス」より「ゴロヴィンの森の物語」
(ほどほど)
❸ヴェルディ/オペラ「ドン・カルロ」
 カラヤン指揮ベルリン・フィル、バルツァ、フレーニ他
(好ましい)

タンノイ Super Red Monitor

瀬川冬樹

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
特集・「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」より

 タンノイであれば、何よりも弦が美しく鳴ってくれなくては困る。そういう期待は、誰もが持つ。しかしなかなか気難しく、ヴァイオリンのキイキイ鳴く感じがうまくおさえにくい。もともと、エージングをていねいにしないとうまく鳴りにくいのがタンノイだから、たかだか試聴に与えられた時間の枠の中では無理は承知にしても、何かゾクッと身ぶるいするような音の片鱗でも聴きとりたいと、欲を出した。三つ並んだ中央のツマミはそのままにして、両わきを一段ずつ絞るのがまた妥当かと思った。しかし、何となくまだ音がチグハグで、弦と胴の響きとがもっと自然にブレンドしてくれないかと思う。エンクロージュア自体の音の質が、ユニットの鳴り方とうまく溶け合ってくれないようだ。もっと時間をかけて鳴らし込んだものを聴いてみないと、本当の評価は下せないと思った。ただ、総体的にさすがに素性のいい音がする。あとは惚れ込みかた、可愛がりかた次第なのかもしれない。

総合採点:8

●9項目採点表
音域の広さ:9
バランス:9
質感:8
スケール感:9
ステレオエフェクト:9
耐入力・ダイナミックレンジ:9
音の魅力度:8
組合せ:やや選ぶ
設置・調整:調整要

タンノイ Super Red Monitor

菅野沖彦

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
特集・「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」より

 タンノイがほぼ40年の長きに亙って作り続けてきたデュアル・コンセントリック・ユニットの最新製品を、非常に強固なエンクロージュアに収めたプロ用のスタジオモニター。内蔵ネットワークは高域の位相補正をも行なうが、バイアンプでマルチ駆動もできるようになっている。モニタスピーカーとしての性能の高さ、そして伝統の重厚な品位の高い音色は、すでに定評のあるところである。日本ではオートグラフなどの大型システムが神格化され、タンノイというと名器の代表というイメージがある。それだけに、その最新製品というと、古きよき時代を回顧する人たちのアレルギー反応を引き起こすこともある。しかし、このシステムの堂々たる風格は、現代のタンノイの面目躍如たるものがあるし、その骨格のがっしりとした毅然たる音は立派だ。ただ、高域はコアキシャル独特のウーファーコーンの影響で、やや暴れるのはやむを得ない。そのかわり、定位のよさ、ステレオ感の再現などは、抜群の確度でソースを精緻に再生する。

総合採点:9

タンノイ Super Red Monitor

井上卓也

コンポーネントステレオの世界──1980(ステレオサウンド別冊 1979年12月21日発行)
「’80特選コンポーネント・ショーウインドー」より

アーデンMKIIとは異なった新開発の高能率型デュアルコンセントリックユニットを採用し、タンノイ初のモニターの名称をつけた新製品。引締まり、反応が早くなった低域は大型エンクロージュア採用もあり業務用らしい風格だ。

タンノイ Arden MKII

井上卓也

コンポーネントステレオの世界──1980(ステレオサウンド別冊 1979年12月21日発行)
「’80特選コンポーネント・ショーウインドー」より

使用ユニットがHPD385Aから新開発のフェライト磁石採用の3828に代わった、あまりにも定評が高いアーデンのMKIIだ。低域は従来より引締まり、中域以上もキャラクターが抑えられスムーズな音に発展した。

タンノイ Super Red Monitor, Buckingham Monitor

タンノイのスピーカーシステムSuper Red Monitor、Buckingham Monitorの広告(輸入元:ティアック)
(モダン・ジャズ読本 ’80掲載)

Tannoy

タンノイ Arden

菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 38cmHPDユニットを使った大型フロアー型で、堂々としたスケールの大きな再生が可能。最近ユニットとレベル調整が改良され、MKIIとなった。

タンノイ Berkeley

菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 デュアルコンセントリックユニットを使ったシステムとしては中型に属するフロアー型で、がっちりとした低域をベースに明快なきりっと締った中域から高域がバランスよくハーモニーをつくっている。最近改良され、MKIIになった。

「私のタンノイ観」

井上卓也

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「私のタンノイ観」より

 スピーカーシステムは、アンブなどのエレクトロニクスを応用したコンポーネントに比べると、トランスデューサーとして動作をするための、それぞれ独特のメカニズムをもち、固有のキャラクターが音に強く出やすく、定評が高いメーカーの製品は、おしなべて伝説的な神話が語りつかれているが、そのなかで、もっとも、オーディオ的な神話やミステリアスな事実が多く語られるのは、タンノイをおいて他にはないといってもよいだろう。
 その前身は、畜電池メーカーであったらしく、タンタルアロイを短縮してタンノイの名称をつけたといわれるこのメーカーは、英国のスピーカーメーカーとしては、ヴァイタボックス社と双璧をなす存在であり、しかも、デュアル・コンセントリック方式というユニークな構造をもつ同軸型2ウェイユニットのバリエーションを基本として永くスピーカーシステムを作りあげてきた点に特長がある。
 過去から現在にいたるタンノイを象徴するデュアル・コンセントリックユニットは、同じ構造をもつ3種類の製品中で、38cm口径のユニットであろう。かつての、ボイスコイルインピーダンスが15Ωであった時代の38cm口径、モニター15は、高域ユニットのレベルコントロールは固定型であったが、このユニットを使って、現在でもエンクロージュアを国産化して残っている大型のコーナー型バックローディングホーンエンクロージュアや、同様なタイプのG.R.F.がつくられ、ヨーロッバを代表するフロアー型システムとして、高級なファンに愛用された。とくに、モニター15の初期のモデルは、ウーファーコーンの中央のダストキャップが麻をメッシュ織りとしたような材料でつくられており、ダーク・グレイのフレーム、同じくダーク・ローズに塗装された磁気回路のカバーと絶妙なバランスを示し、いかにも格調が高い、いぶし銀のような音が出そうな雰囲気をもち、多くのファンに嘆息をつかせたものである。
 ソリッドステートアンブの世代となるとモニター15は、改良が加えられて、モニター・ゴールドに発展する。まず、ボイスコイルインピーダンスが8Ωとなり、ネットワークに高域のレベルコントロールと、当時としては大変にユニークなハイエンドのレスポンスをコントロールするスナッブ型のロール・
オフコントロールが加わり、ウーファーのf0も、約10Hzほど低くなって、一段とバーサタイルな使いやすいユニットに変わった。
 この当時から、海外製が価格的にも比較的に求めやすい状態となっていたために、レクタンギュラー型のヨークや、コーナー型のヨークといったバスレフ型エンクロージュア採用のモデルを中心として急激に数多くのファンに愛用されるようになった。もちろん、トップモデルのオートグラフは、依然として夢のスピーカーシステムであったが……。
 巷にタンノイの音としてイメージアップされた独特のサウンドは、やはり、デュアル・コンセントリック方式というユニット構造から由来しているのだろう。高域のドライバーユニットの磁気回路は、ウーファーの磁気回路の背面を利用して共用し、いわゆるイコライザー部分は、JBLやアルテックが同心円状の構造を採用していることに比べ、多孔型ともいえる、数多くの穴を集合させた構造とし、ウーファーコーンの形状が朝顔状のエクスポネンシャルで高域ホーンとしても動作する設計である。
 したがって、38cm型ユニットでは、クロスオーバー周波数をホーンが長いために1kHzと異例に低くとれる長所があるが、反面においては、独特なウーファーコーンの形状からくる強度の不足から強力な磁気回路をもつ割合いに、低域が柔らかく分解能が不足しがちで、いわゆるブーミーな低域になりやすいといった短所をもつことになるわけだ。
 しかし、聴感上での周波数帯域的なバランスは、豊かだが軟調の低域と、多孔型イコライザーとダイアフラムの組み合わせからくる独特な硬質の中高域が巧みにバランスして、他のシステムでは得られないアコースティックな大型蓄音器の音をイメージアップさせるディスクならではの魅力の弦楽器の音を聴かせることになる。それか、あらぬか、タンノイファンには、アコースティック蓄音器時代から長くディスクを聴き込んだ人が多く、オーディオコンポーネントとしてのラインナップは、カートリッジにオルトフォン、SPUシリーズ、アンプは、マッキントッシュの管球式コントロールアンプC−22とパワーアンプMC−275が、いわば黄金のトリオであり、ソリッドステートアンプでも、C−26とMC−2105の組み合わせが多く使用されていた。
 モニター・、ゴールドの時代がしばらく続いた後に、不幸にして、タンノイのコーンアッセンブリー製造セクションが火災にあい焼失するというアクシデントが起き、ブックシェルフ型の全盛時代でもあってその再起が危ぶまれたが、この逆境を乗切るかのようにつくられたものが、ハイ・パフォーマンス・デュアルの頭文字を付けた新モデルのシリーズで、この時点からユニット口径をあらわす単位がインチからセンチメートルに変わり、38cm口径ユニットは、385HPDと呼ばれるようになったが、これが現在のHPD385Aの前身である。
 新しいHPDシリーズは、ウーファーのコーン紙のカーブが変更され、f0が現代型のユニットの動向にマッチさせるために15〜20Hz低くなり、ボイスコイル構造が巻幅がヨーク厚より広いロングトラベル型に変わった。また、ウーファーコーン紙の裏側には、コーンの剛性を高めるために補強用のリブが取付けられたことも、このユニットの特長であろう。
 このHPDのシリーズになってからは、タンノイのスピーカーシステムは、大幅に再編成され、長期間トップモデルの座にあったオートグラフと、そのジュニアモデルG.R.F.が姿を消し、アーデンを筆頭とし、バークレイからイートンにいたるモデルナンバーの頭文字がアルファベット順になった5モデルでシリーズを形成するようになった。しかし、昔日のトップモデルであったオートグラフとG.R.F.を要求するファンの声が高まり、輸入代理店が現在のTEACに移換されてから、タンノイの了承を得て、このオートグラフとG.R.F.は、レプリカとして復沽することになる。
 タンノイの歴史として想い出される他のシステムでは、タンノイがユニットを供給して、エンクロージュアのみを自社製とする英ロックウッドのプロ用モニタースピーカーシステムのシリーズのソリッドに引締まった低域に特長がある一連の製品や、アメリカ・タンノイがエンクロージュアをつくった数多
くのアメリカ・タンノイのシステムがある。一時期輸人されたアメリカ・タンノイのモニター・ゴールド12を収めたブックシェルフ型マローカンの独特の英米混血の魅力ともいえるサウンドや米西岸で聴いたアメリカ・タンノイのベルベデールのJBLサウンドとも感じられるカラッと乾いた、シャープでエネルギッシュな音などが思い出される。
 このアメリカ・タンノイのかつてのカタログに、写真なしにのっていたコーネッタの名称からきたイメージが発端となり、製作したものが、ステレオサウンド本誌、マイ・ハンディクラフト欄に3回にわたり連載した幻のコーネッタのレプリカである。ちなみに、コーネッタのレプリカが完成した頃に、アメリカ・タンノイのコーネッタの写真を人手したわけだが、これが、あるか、あらぬか、ただのブックシェルフ型システムであったというのが、この幻のコーネッタ物語の終止符である。
 つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを置いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。暫くの間、貸出し中のコーナー・ヨークや、仕事部犀でコードもつないでないIIILZのオリジナルシステムも、いずれは、その本来の音を聴かしてくれるだろうと考えるこの頃である。

「私のタンノイ観」

菅野沖彦

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「私のタンノイ観」より

「タンノイ」という名まえは、オーディオに関心がある方で知らない人はいないだろう。特に、日本では、タンノイ・ファンは昔からたいへんに多く、英国の伝統あるスピーカーメーカーにふさわしいイメージが定着している。
 私なども、タンノイのスピーカーは聴く前から名器で必ず、いい音がするはずだという気持をもっていた。
     ※
 タンノイという会社は、非常にはっきりしたコンセプトを持っている。終始一貫、デュアル・コンセントリックと称する同軸型ユニットを使い、ユニットの種類はごく少数、そしてエンクロージュアにはさまざまなバラエティーをもたせて、システムとして完成させるという考え方だ。
 ユニットというのは、ボイスコイルとコーンと、磁気回路からなるハードウェアだが、エンクロージュアというのはスピーカーの世界の中でも独特な神秘性を持っていて、ソフトウェア的な要素が強い。たしかに、エンクロージュアは音響理論的には明確な設計方式の存在するものではあるが、それを現実化する製造段階や調整には、かなり神秘性がひそんでいる。その辺が電気理論とはまったく違うところでそういうバックグラウンドから生れるエンクロージュアが音と結びついて、スピーカーの魅力をつくりだしている要素が強い。そこで、シンプルなユニットを使って、いろいろなエンクロージュアでシステムをまとめていくというタンノイの体質や行き方が、いかにもスピーカーメーカーらしい、音の探求者らしい行き方として受け取られたことは事実だろう。
 また、創始者ガイ・R・ファウンテンの名前を表に打ち出して、〝オートグラフ〟であるとか、〝G・R・F〟といったネイミングを持つシステムを発表してきたことにも、スピーカーの持つ神秘性と共に、その陰にある、人間の能力と精神を感じさせ、ここにもタンノイらしい行き方を強く感じる事が出来た。このような同社の方針が、総合的にタンノイに対する一つのレピュテーションを作り上げてきたのではないだろうか。
     ※
 音というものは必ずしも、人間の聴覚だけに訴えるのではなく、視覚的な面の影響も少くない。これを先入観というと悪く聞こえるかもしれないが、見た目の美しさや風格を含めた総合的な観念でトータルな音の印象が聴き手の中に生れるものだ。例えば、どんなにすばらしい音響効果のホールでも、ドタ靴を履いて菜っ葉服を着た人達の集りのオーケストラだったら、たとえ演奏が良くてもあまり気分のいいものではないだろう。また、食べ物でもそうだ。どんなに美味な刺身でも、発泡スチロールのペラペラの皿の上に盛って出されたらどうだろう。それと同じで、オーディオというものもトータル・レセプションだからこそ、最初からそういう受け取り方をしなくては、楽しさ、おもしろさはずいぶん少なくなってしまうと思うのだ。それだからといって、ハードウェアとしての理論をないがしろにしたり、エンジニアリングを無視してもいいということではない。そういうものは、あくまでも肝心の芯として重要なのだが、それだけですまされたり、それで十分という粗雑な感性の人達が音を本当にエンジョイするとは思えないのである。また、音楽を聴く道具がそんなに寒々しいものばかりでは人間が一生、命をかけての趣味としても淋しい限りである。
 そういう意味でトータルなオーディオというのは、人間の総合的な感覚と知性の対象として価値高きものでなければならないだろう。したがって、タンノイのように一つの信念を持った人間が本当に自分たちの信じるものを理想的なかたちにまとめあげて、少量であっても丹念につくって売っていくという姿勢のメーカーの製品が、名器として受け取られた事は当然だと思う。
    ※
 歴代のタンノイ製品というものは、アピアランスもたいへんクラシックでレコードを聴くムードにぴったりのものだ。また、スピーカーの出来具合や、ハードウェアとしての側面からつっこんでも、当時の技術水準で考えれば、これだけの同軸型ユニットというものは他に得難い高水準のものだったわけである。このようにタンノイの製品というものは、技術レベルで見ても最高級であり、スピーカーシステムとしての一つのまとまったトータルな作品としての完成度も、たいへんに品位の高いものであった。
 もともと英国は音楽のマーケット、〝リスナーズ・マーケット〟として世界の中心地だった。英国は音楽を鑑賞する国というイメージがたいへん強く、クラシック音楽の歴史を知る人にとっては、作曲家は不毛であっても、多くの作曲家や演奏家のデビューの地としての英国のイメージは強い。そういう歴史的性格をもつ国であるだけに、昔から音楽再生、すなわちレコード音楽もたいへん盛んであった。レコード・レーベルの名門も英国にはたいへん多い。そういう事情からも、レコード音楽とオーディオ機器という点でも、他のヨーロッパ諸国と比べても少し違う、一際、レコード好き、オーディオ好きといういわば、エンスージアスティックなイメージをつくってきたと思う。そういう英国に生れた最高級スピーカー、タンノイが日本で絶大な信頼ばかりでなく、むしろ神格化された存在にまでなっていったことは理解できるような気がするのである。
 これは推察だが、エンジニアとしてガイ・R・ファウンテンがスピーカーを開発した当時、実際にスピーカーから聴くことができたのは、ほとんどがレコードの音だったのではないだろうか。また、音楽好きのエンジニアの彼自身は生の演奏会と共にアコースティックのころからレコードを聴いて育ってきたのに違いない。
 英国には、たくさんの素晴らしい生の音楽に接する機会があるから、生の音楽とアコースティックのレコードのサウンドとの間に、レコード好きの彼の、頭の中には相互的にバランスをとる回路が出来上りその耳で自分の作るスピーカーを聴いて、自然な音感覚にまとめるという経過をたどってできあがったタンノイのスピーカーだから、昔からレコードを聴き続けてきているレコードファンの耳になじみのいい質感を持って響いたとも考えられるだろう。
 これはタンノイ社自身、今も盛んに言っていることなのだが、コンサートのような音を家庭で響かせようということだ。しかし、これは原音再生という意味とは少し違う。あくまで、コンサートを聴いているというイメージに近い響きだと思う。レコードの世界に変換した原音なのである。そういうまとめ方の音は、レコード音楽愛好家が好みそうな音であるし、実際われわれがいま聴くと、悪くいえば古くさいなという感じもあるが、しかし、懐かしい、郷愁を感じるような、あるいは居心地のいい響きを持っている。
 タンノイは確かに、一種独特のキャラクターを持っているのだが、それはレコード音楽の歴史とともに歩み続けてきたキャラクターであり、昨日、今日、突如として生まれた妙に無機的なキャラクターとか、何か頼りない、風が吹き抜けるようなキャラクターではない。それは機械的ななかにもどこかなじみのいいキャラクターといえるものを持っている。それは純粋に変換器としての物理特性を表に出してくるものではなく、いかにもラウド・スピーカーという語感にふさわしい実在感のある音を出してくる。
 しかし、タンノイのような行き方が通用する時代と通用しない時代という、時代の流れがタンノイにも大きな影響を及ぼしていることは事実である。一方では自分たちの信じる理想的なものを、少数ではあるが丹念につくり上げていくという基本精神は、現在のタンノイにも脈々と流れているはずだが、時代の要求に応じる量産的体質に転換しつつあるのを見る事は、我々、古きタンノイを知る人間にとっては一抹の淋しさを禁じ得ない。現代のジョンブルが、いかなる方向を模索して活路を見出すか、これからのタンノイに姿を見守ろう。

「私とタンノイ」

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「タンノイ論 私とタンノイ」より

 日本酒やウイスキィの味が、何となく「わかる」ような気に、ようやく近頃なってきた。そう、ある友人に話をしたら、それが齢をとったということさ、と一言で片づけられた。なるほど、若い頃はただもう、飲むという行為に没入しているだけで、酒の量が次第に減ってくるにつれて、ようやく、その微妙な味わいの違いを楽しむ余裕ができる――といえば聞こえはいいがその実、もはや量を過ごすほどの体力が失われかけているからこそ、仕方なしに味そのものに注意が向けられるようになる――のだそうだ。実をいえばこれはもう三年ほど前の話なのだが、つい先夜のこと、連れて行かれた小さな、しかしとても気持の良い小料理屋で、品書に出ている四つの銘柄とも初めて目にする酒だったので、試みに銚子の代るたびに酒を変えてもらったところ、酒の違いが何とも微妙によくわかった気がして、ふと、先の友人の話が頭に浮かんで、そうか、俺はまた齢をとったのか、と、変に淋しいような妙な気分に襲われた。それにしても、あの晩の、「窓の梅」という名の佐賀の酒は、さっぱりした口あたりで、なかなかのものだった。
     *
 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。
     *
 おまえにとってのタンノイを書け、と言われて、右のようなことをまず思い浮かべた。私自身、いくつものタンノイを聴いてきた。デュアル・コンセントリック・ユニットやレクタンギュラーG・R・Fに身銭を切りもした。だが、ほんとうにタンノイの音を知っているのだろうか――。ふりかえってみると、さまざまなタンノイの音が思い起こされてくる。

タンノイ初体験
 はじめてタンノイの音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだか、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     *
 古い記憶は、いつしか美化される。S家の音を聴かせて頂いたのは、後にも先にもそれ一度きりだから、かえってその音のイメージが神格化されている――のかもしれない。だが反面、数えきれないほどの音を聴いた中で、いまでもはっきり印象に残っている音というものは、やはり只者ではないと言える。こうして記憶をたどりながら書いているたった今、S家に匹敵する音としてすぐに思い浮かぶ音といったら、画家の岡鹿之介氏の広いアトリエで鳴ったフォーレのレクイエムだけといえる。少しばかり分析的な言い方をするなら、S氏邸の音はタンノイそのものに、そして岡邸の場合は部屋の響きに、それぞれびっくりしたと言えようか。
 そう思い返してみて、たしかに私のレコード体験はタンノイから本当の意味ではじまった、と言えそうだ。とはいうものの、S氏のタンノイの充実した響きの美しさには及ばないにしても、あのピラミッド型のバランスのよい音を、私はどうもまだ物心つく以前に、いつも耳にしていたような気がしてならない。そのことは、S氏邸で音を聴いている最中にも、もやもやとはっきりした形をとらなかったものの何か漠然と心の隅で感じていて、どこか懐かしさの混じった気持にとらわれていたように思う。そしていまとなって考えてみると、やはりあれは、まだ幼い頃、母の実家であった深川・木場のあの大きな陽当りの良い二階の部屋で、叔父たちが鳴らしていた電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない。だとすると、結局のところタンノイは、私の記憶の底に眠っていた幼い日の感覚を呼び覚ましたということになるのか。

モニター・レッド
 S氏邸のタンノイからそれほどの感銘を受けたにかかわらず、それから永いあいだ、タンノイは私にとって無縁の存在だった。なにしろ高価だった。「西方の音」によれば当時神田で17万円で売っていたらしいが、給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4~5千円。それでも私の若さでは悪いほうではなかったが、その金で母と妹を食べさせなくてはならなかったから、17万円というのは、殆ど別の宇宙の出来事に等しかった。そんなものを、ウインドウで探そうとも思わなかった。グッドマンのAXIOM―80が2万5千円で、それか欲しくてたまらずに、二年間の貯金をしたと憶えている。このグッドマンは、私のオーディオの歴史の中で最も大きな部分なのだが、それは飛ばして私にとってタンノイが身近な存在になったのは、昭和三十年代の終り近くになってからの話だ。その頃は、工業デザインを職として、あるメーカーの嘱託をしていたので、少しは暮しが楽になっていた。デザインが一生の仕事になりそうに思えて、もうこの辺で、アンプの自作から足を洗おうと考えた。部屋は畳のすり切れた古い六畳和室だったが、当分のあいだ装置に手を加える気を起さないためには、ある程度以上のセットが必要だと考え、マランツ・セブンと、QUADのII型(管球式モノーラル・パワーアンプ)を二台という組合せに決めた。プレーヤーはガラードの301にSMEを持っていた。そこでスピーカーだが、これは迷うことなくタンノイのDC15にきめた。その頃、秋葉原で7万5千円になっていた。青みを帯びたメタリックのハンマートーン塗装のフレームに、磁極のカヴァーがワインレッドの同じくメタリック・ハンマートーン塗装。いわゆる「モニター・レッド」の時代であった。ただ、エンクロージュアまではとうてい手が出せない。G・R・Fやオートグラフは、まだほとんど知られていなかった。まして、怪しげなエンクロージュアに収めればせっかくのタンノイがどんなにひどい音で鳴るか、こんにちほど知られていない。グッドマンのAXIOM―80で、エンクロージュアの重要性を思い知らされていた筈なのに、タンノイの場合にそのことにまだ思い至っていなかったという点が、我ながらどうにも妙だが、要するところそこまででもう貯金をはたき尽くしたというのが真相だ。そして、このタンノイが、ごく貧弱ながらもエンクロージュアと名のつくものに収まるのは、もっとずっと後のことになる。

デュアル・コンセントリック・モニター15
 イギリス人は概して節倹の精神に富んでいると云われる。悪くいえばケチ。ツイードの服も靴も、ひどく長持ちするように出来ている。それか機械作りにもあらわれて、彼らは常に、必要最小限のことしかしない。たとえばクォードのアンプ。その設計者ピーター・ウォーカーは言う。「我々にはもっと大がかりなアンプを作る技術は十分にある。が、一般の家庭で、ごくふつうの常識的な愛好家がレコードやFMを楽しもうとするかぎり、いまのアンプやチューナー以上に大規模なものがなぜ必要だろうか。むしろ我々はいまの製品でさえ必要以上のクォリティをもっているとさえ思っている」と。
 タンノイのDC15――正確に書けばデュアル・コンセントリック・モニター15 Dual-Concentric Monitor 15 (同軸型15インチ2ウェイユニット)――は、よく知られているように、15インチのウーファーの中央、ウーファーの磁極の中心部を高音用のホーンが突き抜けて、磁極の背面にホーン・ドライヴァーユニットのダイアフラムとイクォライザーを持っている。そのことだけをみれば、アルテックの604シリーズと全く同じで、その基本は遠く1930年代に、ウエスターン・エレクトリックの設計にさかのぼる。
 だがそこから先が違っている。アルテック604は、トゥイーター用にウーファーと別の全く独立した磁極を持っていて、トゥイーターの開口部にはこれもまたウーファーとは全く切離された6セルのマルチセラーホーンがついている。つまり604では、ウーファーとホーントゥイーターは、材料も構造も完全に別個に独立していて、それを同軸型に収めるために、まるでやむをえずと言いたい程度に、ウーファーの磁極(センターポール)の中を、トゥイーターのホーンが貫通しているだけだ。
 ところがタンノイは違う。第一にトゥイーターのマグネットとウーファーのそれとが、完全に共通で、ただ一個の磁石で兼用させている。第二に、トゥイーターのホーンの先端の半分は、ウーファーのダイアフラムのカーヴにそのまま兼用させている。この設計は、おそろしく絶妙といえる反面、見方をかえればひどくしみったれた、まさにジョンブル精神丸出しの構造、にほかならない。クォードII型パワーアンプのネームプレートを止めている4本のビスが、シャーシの裏をかえすとそのまま、電解コンデンサーの足を止めるネジを兼ねていることがわかるが、このあたりの発想こそ、イギリスのメカニズムに共通の、おそるべき合理精神のあらわれだといえそうだ。
 しかもタンノイは、この同じ構造のまま、サイズを12インチ、10インチと増やしはしたものの、アメリカ・ハーマンの資本下に入る以前までは、ほとんど20年間以上、この3種類のユニットだけで、あとはエンクロージュアのヴァリエイションによって、製品の種類を保っていた。
 そう考えてみれば、タンノイの名声は、その半分以上はエンクロージュアの、つまり木工の技術に負うところが多いと、いまにして気がつく道理だ。
 オートグラフやG・R・Fの例を上げるまでもなく、中味のユニットよりもエンクロージュアのほうが高価、というスピーカーシステムは、タンノイ以外にも、またアメリカでもイギリスでも、モノーラル時代にはそれほど珍しいことではなかった。たとえばJBLハーツフィールド、EVのパトリシアン、ヴァイタヴォックスCN191クリプシュホーン……。だがしかし、ユニットの価格とエンクロージュアの価格との比率という点で、オートグラフ以上のスピーカーシステムは、かつて誰もが作り得なかった。イギリスで入手できるオーディオ製品のカタログ集ともいえるハイファイ・イヤーブック(HiFi year book)によれば、オートグラフはかなり永いこと英貨165ポンドだが、その中でDC15の占める価格はわずかに38ポンド。ユニットの3・3倍の価格がエンクロージュアだ。しかも図体がおそろしく大きいから、日本に輸入されたときにはこの比率はもっと大きくなる。ユニットが7万5千円の当時、オートグラフは45万円近かった筈だ。
 いまでこそ、エンクロージュアは単にスピーカーの容れ物ではなく、スピーカーシステム全体の音色を大きく支配していることを、たいていの人が知っている。その違いの大きさについて、心底驚いた体験をしたことのない人でも、少なくとも知識として知っている。
 けれど、昭和30年代から40年代にかけて、まだ日本全体が本当に豊かといえない時代に、スピーカーユニットにペアで15万円は支出できても、それを収めるエンクロージュアにあと80万円近く(オートグラフでないG・R・Fでさえ、ユニットごとのペアだとざっと60万円)を追加するというのは、よほどの人でなくては苦しい。そして、エンクロージュアは容れ物、という観念がどこかに残っているし、そうでなくとも、図面を入手して家具屋にでも作らせれば、ひとかどの音は出る筈だと、殆どの人が信じこんでいる。タンノイの真価の知られるのが、ことに日本でひどく遅れたのも仕方なかったことだろう。そのタンノイの真価を本当に一般の人に説得したのは、オーディオやレコードの専門誌ではなく、五味康祐氏が《芸術新潮》に連載していた「西方の音」であったのは、何と皮肉なことだったろう。そうしてやがて、西方……を孫引きするような形で、わけ知り顔のタンノイ評論が、オーディオ専門誌にも載るようになってくる……などと書くと、これはどうも薮蛇になりそうだが。

レクタンギュラーG・R・F
 あれはたぶん、昭和43年だったか。当時、音楽之友社が、我々オーディオ関係の執筆者たちに、お前たちも一度、アメリカやヨーロッパのオーディオや音楽事情を目のあたりにみてくる必要がある、といって、渡航資金に原稿料をプールしていてくれたことがあった。それは一応の額に達していた。
 ところで、前述の私のDC15は、その後、内容積が約100リッター足らずという、ごく小さな(ただし材質だけはやや吟味した)位相反転型のエンクロージュアに収まっていたが、これではどうにも音がまとまらない。かといって、レクタンギュラー・ヨークのクラスでは、わざわざ購入するのはおもしろくない。私の部屋は六畳のひと間に机から来客用のイスまでつめこんで、足のふみ場もない狭さだったが、それでもオーディオにはかなり狂っていて、JBLのユニットを自分流にまとめた3ウェイをメインとして、数機種のスピーカーシステムがひしめいていた。その頃、オートグラフの素晴らしさはすでによく知っていたが、どうやりくりしても私の部屋におさまる大きさではない。G・R・Fでもまだむずかしい。ところが、大きさはレクタンギュラーヨークと殆ど同じの、レクタンギュラーG・R・Fというのがあることを知って私の虫が突然頭をもたげて、矢も楯もたまらずに、前記の音楽之友社の積立金を無理矢理下ろしてもらって、あの飴色の美しいG・R・Fを、狭い六畳に押し込んでしまった。おかげでアメリカ・ヨーロッパゆきは私だけおジャンになったが、さてあのとき、どちらがよかったのかは、いまでもよくわからない。
 しかし皮肉なことに、このころを境にして次第に、自分の求めている音が自分自身に明確になってくるにつれて、ホーンバッフルの音は私の求めている音ではない、という確信に支配されるようになった。良いホーンロードの音は、たしかに、昔の良質の蓄音器から脈々と受け次がれてきたレコードの世界をみごとに構築する説得力はあったが、私自身はむしろ、そういう世界から少しでも遠いところに脱皮したかった。ホーンロード特有の、中~低音域がかたまりのように鳴りがちの傾向――それはことに部屋の条件の整わない場合に耳ざわりになりやすい――が、私の求める方向と違っていたし、高音域もまた、へたに鳴らしたタンノイ特有の、ときとして耳を刺すような金属室の音が、それがときたまであってもレコードを聴いていて酔わせてくれない。
 お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。
 だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。
 そんなわけで、タンノイはついに私の家に落ちつくことなしに、レクタンギュラーG・R・Fは、いま、愛好家I氏の手に渡って二年あまりを経た。ほんの数日まえの夜、久しぶりにI氏の来訪を受けた。二年に及ぶI氏の愛情込めた調整で、レクタンギュラーG・R・Fは、いま、とても良い音色を奏ではじめたそうだ。私の家の音を久しぶりに聴いて頂いたI氏の表情に、少しの翳りも浮かばなかったところをみると、タンノイはほんとうに良い音で鳴っているのだろうと、私も安心して、うれしい気持になった。

タンノイ Berkeley

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

アーデンほど豊かさはないが、適度に辛口の音の造形力の確かさ。

タンノイ Devon

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

タンノイ5機種の中で、ブックシェルフとしては最もバランスがよい。

タンノイ Eaton

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

小型でタンノイの魅力を味わえる製品。落着いて音楽が聴ける。

タンノイ Arden

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

オリジナル・タンノイの魅力を最も多く受け継いだ事実上の最高級機。

タンノイ Arden

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

ふくらみがちの低音をうまく抑えて使いこなせば表現力の深さは抜群。

タンノイ Arden

黒田恭一

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(下)」より
スピーカー泣かせのレコード10枚のチェックポイント50の試聴メモ

カラヤン/ヴェルディ 序曲・前奏曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
❶薄いひびきのピッチカート。演奏者の数が少ないように感じられる。
❷ひびきのくまどりがもう少しくっきりついてもいいだろう。音に力が不足。
❸音色の特徴はよく示すが、ひびきは消極的だ。
❹低音弦のピッチカートが過度にふくらむ。
❺もりあげ方がひよわで、クライマックス本来の迫力がない。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番
ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管弦楽団
❶ピアノのひびきに力が不足している。音像もふくらみぎみだ。
❷木管楽器のキメ駒かなひびきには、よく対応できている。
❸「室内オーケストラ」のひびきの軽やかさをよく示す。
❹第1ヴァイオリンによるさわやかなひびきを示す。
❺誇張感なく、さわやかに、しなやかに示す。

J・シュトラウス:こうもり
クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団
❶近づいてくるアデーレの声に余分なひびきがつきまとっている。
❷声のまろやかさに対応し、言葉のたちあがりもいい。
❸うたいはじめたヴァラディの声は硬調だ。クラリネットのひびきはいい。
❹はった声は、硬くなる。ニュアンスのとぼしい声になる。
❺特にオーケストラのひびきに対しての対応がいい。

「珠玉のマドリガル集」
キングス・シンガーズ
❶横一列にすっきり並んでいるとはいいがたい。
❷もともとの言葉のたちあがり方に多少の問題があるが、より不鮮明になる。
❸残響をひきずっているために、すっきりしない。
❹ソット・ヴォーチェでの各声部の明瞭さが充分でない。
❺さらに鋭敏にひびきに対して反応してほしい。

浪漫(ロマン)
タンジェリン・ドリーム
❶きわめて個性的に音色的な差を明らかにする。
❷かなり奥の方からシンセサイザーのひびきがきこえる。
❸軽みに欠けるところがあるので、浮遊感は充分でない。
❹前後のへだたりはとれているが、ひびきは湿りがちだ。
❺ひびきには力が不足しているので、ピークで迫力が充分でない。

アフター・ザ・レイン
テリエ・リビダル
❶ひびきは暖色系だ。横へのひろがりは充分にとれている。
❷ギターのせりだしは消極的だ。❶との対比はかならずしも充分ではない。
❸ひびきのくまどりは、もうひとつ鮮明であってもいい。
❹ここで求められるひびきの輝きがくぐもりがちだ。
❺うめこまれはしないが、きわだちもしない。

ホテル・カリフォルニア
イーグルス
❶低い音がきわだって、ひびきに新鮮さがとぼしい。
❷ひびきはむしろ横にひろがり、厚みを提示することにはならない。
❸ひびきが乾ききれていないので、さわやかさが稀薄だ。
❹ドラムスひびきが重くひきずりがちなので、切れは鈍い。
❺言葉は、さらにすっきり、思いきりよくたちあがってもいいだろう。

ダブル・ベース
ニールス・ペデルセン&サム・ジョーンズ
❶音像はかなり大きい。ひびきはより筋肉質でもいい。
❷オンでとったが故のひびきの性格は示すが、なまなましくはない。
❸消える音の尻尾をかなり拡大して示す。
❹細かい音の動きに対しては十全に反応しきれていない。
❺とりわけ音像的な対比で差がありすぎる。

タワーリング・トッカータ
ラロ・シフリン
❶アタックが甘い。よりシャープに切りこんでほしい。
❷ブラスの力強い切りこみに対しての反応が充分とはいえない。
❸フルートのひびきは、むしろ横にひろがりがちだ。
❹一応のへだたりはとれているものの、見通しはよくない。
❺リズムをきざむ楽器の音像が大きめなために、めりはりがつきにくい。

座鬼太鼓座
❶尺八の位置はかなり近くに感じられる。
❷尺八特有のひびきへの対応は、みごとだ。
❸ききとれないことはないが、輪郭はいくぶんあいまいだ。
❹大太鼓のスケールゆたかなひびきに充分対応できているとはいえない。
❺硬質なひびきの特徴をよく示している。

タンノイ Arden

瀬川冬樹

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(下)」より

 タンノイの新シリーズが、アルファベットのABCDEでそれぞれ始まるニックネームでランク分けしてあることはよく知られているが、ARDENはその中の最高クラスだけのことはあって、音のスケールの大きなこと、響きの豊かなこと、とうぜん表現力の大きいこと、やはりさすがといえる。この上のGRFやオートグラフがオリジナル製品でなくなってしまったので、不満はいくらかあってもアーデンがタンノイの代表機種ということになるが、以前からの音像の芯のしっかりした、鮮度の高いしかしやかましさのない独特の味わいのあるタンノイ・トーンは相変らず残っていて、そこにいっそうのバランスの良さとレンジの広さが加わっている。たとえばKEFの105のあとでこれを鳴らすと、全域での音の自然さで105に一歩譲る反面、中低域の腰の強い、音像のしっかりした表現は、タンノイの音を「実」とすればkEFは「虚」とでも口走りたくなるような味の濃さで満足させる。いわゆる誇張のない自然さでなく、作られた自然さ、とでもいうべきなのだろうが、その完成度の高さゆえに音に説得力が生じる。ブロック程度の台に乗せた方が、そして背面を壁からやや離した方が、低域の解像力がよくなる。かなりグレイドの高いしっとりした音のアンプと、ヨーロッパ系の優秀なカートリッジが必要だ。

タンノイ Berkeley

黒田恭一

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より
スピーカー泣かせのレコード10枚のチェックポイントの試聴メモ

カラヤン/ヴェルディ 序曲・前奏曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
❶ピッチカートのひびきがうす味で、木管は軽くひびく。
❷低音弦のスタッカートに、もう少し力がほしい。
❸各ひびきをさわやかに、こだわりなく示すのはいい。
❹ここでのピッチカートは、幾分ふくれぎみだ。
❺クライマックスでのもりあがりは、一応の成果をおさめる。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番
ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管弦楽団
❶ピアノは中くらいの音像で、軽いひびきできこえる。
❷音色的な対比を、うす味ではあるが示す。
❸室内オーケストラのひびきの軽やかさがある。
❹第1ヴァイオリンのフレーズには、さわやかさが感じられる。
❺とりわけ木管楽器の音色の特徴をよく示す。

J・シュトラウス:こうもり
クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団
❶ほどほどの音像で、セリフの声もしなやかさを示す。
❷残響をひっぱりつつも、接近感をきわだたせる。
❸声とオーケストラのバランスは、無理がなく、素直でいい。
❹はった声はかたくならず、しなやかにのびる。
❺すっきりと、迫力はないが、さわやかにきける。

「珠玉のマドリガル集」
キングス・シンガーズ
❶左端のカウンターテナーから右端のバスが一列に並んでいる。
❷声量をおとしても言葉は不鮮明にならない。
❸残響はたっぷりきけるが、言葉の細部も一応きかせる。
❹とりわけ明瞭とはいえないが、ことさらの不満もない。
❺ひびきののびに自然さのあるのがいい。

浪漫(ロマン)
タンジェリン・ドリーム
❶音色的、音場的対比が、すっきりと示されている。
❷後方へのひきが自然にとれていて、好ましい。
❸ひびきにもう少し生気がほしいが、浮遊感は示す。
❹ひびきがひろがりを感じさせて、好ましい。
❺ピークでの、迫力ということでは、ものたりない。

アフター・ザ・レイン
テリエ・リビダル
❶暖色系のひびきながら、透明感はある。
❷ギターも、音像が小さく、奥からきこえる。
❸他のひびきの中にうめこまれ、本来の力を発揮していない。
❹きこえることはきこえるが、輝きがもうひとつだ。
❺他のひびきの中にまぎれこんでいる。

ホテル・カリフォルニア
イーグルス
❶かたくひきしまったひびきを伝えない。
❷サウンドの厚みが、もうひとつすっきりと示されない。
❸ハットシンバルのひびきは、少し湿りがちだ。
❹ドラムスの音像が小さいのはいいが、力感が不足している。
❺声と他の楽器とのひびきのバランスがいい。

ダブル・ベース
ニールス・ペデルセン&サム・ジョーンズ
❶音像はかなり大きいが、力感はさほどでもない。
❷きこえるが、部分拡大になっていない。
❸消え方を、一応示すものの、充分とはいえない。
❹力が不足ぎみなので、こまかい音の動きが幾分不鮮明だ。
❺音像的な面で、少なからず不自然なところがある。

タワーリング・トッカータ
ラロ・シフリン
❶ドラムスは、力を感じさせず、かなりふくらむ。
❷ブラスのつっこみに、鋭さがない。
❸クローズアップの感じは示すが、スタティックだ。
❹見通しがよくないので、はえない。
❺リズムに力がたりないので、めりはりがつきにくい。

座鬼太鼓座
❶尺八が、かなり大きく、前の方できこえる。
❷尺八の特徴的な音色は充分に、伝わる。
❸くっきりととはいえないがききとれる。
❹大きくひびくものの、本来の迫力は感じとりにくい。
❺大太鼓の消えていく音がないので、きこえても、はえない。

タンノイ Berkeley

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 同じ英国製で、価格的にもセレッションの66との比較に興味のある製品だ。ひと口でいえば、ディットン66があくまでも肌ざわりの暖かさ、柔らかさでまとめているのに対して、タンノイは総体に辛口で、やや硬質に音の輪郭をくまどって聴かせる。たとえばベートーヴェンのセプテットでは、ヴァイオリンなど弦の音が、セレッション66よりも金属室の感じが増してやや硬くなるが、それは必ずしも悪い意味ではない。その証拠に、クラリネットなど木管の音も決して不自然さがないし、ただその存在を66よりもきわ立たせるように聴かせる。ブラームスのP協で、ピアノの高弦の打鍵音が、小気味よくビインと響く。弦合奏のトゥッティではやや硬さが目立つが、この辺になると、ホーントゥイーターのエイジングを待たなくては正当な評価が下しにくい。バルバラの歌は、66よりも硬めの艶があってよく張り出すが奥行きも十分に聴かせるので空間のひろがりもよく再現される。66の方がどこかほんのりした感じで聴かせるのに対し、バークレイの方がもっと直接的で音源に肉迫した印象だ。その点はシェフィールドで66よりも尖鋭で鋭角的な表現になることからもわかる。総じてカートリッジは455EよりもMC20の密度の重さがよく合うし、むろんSPUの充実した渋さも良い。アンプは38FD/IIの柔らかさも悪くないが、TR(トランジスター)のグレイドの高い製品の方がいっそう密度の高い音を聴かせる。

タンノイ Arden

菅野沖彦

ステレオ別冊「あなたのステレオ設計 ’77」(1977年夏発行)
「’77優良コンポーネントカタログ」より

 名門タンノイが生れ変ったニュー・シリーズ中の最高機種が、このアーデンである。
 伝統的のコアキシャル同軸ユニットHPD385Aは38.5cmウーファーとトゥイーターのカップリングである。この優れたユニットを、フロアー・タイプの大型バスレフ・エンクロージュアに入れたアーデンは、往年のタンノイの伝統が生きた優れた新鋭機といえるだろう。豊かな音は、格調高いタンノイのそれであり、堂々たる再生音を満喫できるもの。