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JBL L100 Century, L200

JBLのスピーカーシステムL100 Century、L200の広告(輸入元:山水電気)
(スイングジャーナル 1972年7月号掲載)

JBL

JBL L100 Century

岩崎千明

スイングジャーナル 1月号(1971年12月発行)
「SJ推選ベスト・バイ・ステレオ」より

 ここで今さら、JBLセンチュリーのよさをうんぬんするまでもなく、すでにオーディオ誌やレコード雑誌において、多くの評論家諸氏の圧倒的な賛辞を一身にあつめたこのスピーカー・システムは、JBLの傑作である。
 JBLのシステムを大別するとランサー・シリーズと呼ばれる系統の製品と、従来からのユニットを主力とした組合せシステムの2系統がある。
 ランサー・シリーズは、いわゆるLEシリーズのユニットを中心として組み合わせたものをもってスタートしたが、ジム・ランシングという創始者の名をもじったランサーというこの名称からも分る通り、JBLの家庭用システムの主力を形成している。これに対して従来からの高能率型ユニットを組み合わせたシステムは業務用および高級マニア向けともいえよう。ランサー・シリーズによってJBLはメーカーの姿勢とその狙う需要層とを大きくかえたともいえる。
 つまり業務用にも準じる超高級システムを少量生産するメーカーから、大きく基模を拡大して、家庭用音楽システムのメーカーと変革をとげたのであった。その尖兵として、いみじくも槍騎兵ランサーと名付けたシステムが登場したわけである。
 このランサー・シリーズには、すでに傑作中の傑作といわれたランサー77を始め、ローコスト型44、さらに現在の米国の市場で驚異的な売行きをみせているランサー99があり、その最高ランクが例の101である。ランサー・シリーズの成功が、JBLをしてこの延長上の製品をつぎつぎと発売させるきっかけとなったのはいうまでもない。
 このセンチュリーも、新時代のスピーカー・システムとして、指向性の一段の改善ということを加えた新型のランサー系のシステムである。センチュリーを含めランサー系のシステムのもっとも大きな特長は、このシリーズ独特ともいい得る、まるでそよ風を思わせる超低音の豊かな息づかいである。この超低音は、ブックシェルフ型といわれる寸法的な極端な制限を受ける現代の家庭用システムとしては、まったく信じられぬくらいの低域に達する低音限界レンジのためである。このfレンジは、さすがのARのオリジナル・システムさえもしのぐほどで、これがJBLランサー・シリーズの華麗なサウンドの大きな根底ともなっているわけだ。
 もっともこの超低音とよくバランスする高音のすばらしい伸び、ずばぬけた指向特性は、豊かな低音エネルギーをよりひきたたせているし、さらにJBLの従来からの音楽に対する良識の現われともいうべき中音部の豊かさも失われることなく、ランサーの大きな魅力となっているのはいうまでもない。このように豊かな音響エネルギーに加えて広いfレンジとがJBLの現代的志向であるのは当然で、その成果のひとつの頂点として、ここにあげるセンチュリーの存在の意義とそれに対する賛辞の集中とがあるのである。
 指向性の改善に登場したフォーム・ラバー・ネットは、このセンチュリーの外観的な最大の特長で、カラーがチョコレート、オレンジ、ライト・ブルーとあり、サウンドともどもその風格に現代性をガッチリと植えつけて、モダンなスタイルを作る。
 最近、私はこのセンチュリーを愛用のエレクトロボイス社エアリーズと並べ、比較使用したがJBLセンチュリーの一段と解像力を上まわるのを知らされ豊かさにおいてひけをとらぬエアリーズより、現代的サウンドをJBLセンチュリーから感じとった。
 このJBLシステムをより以上生かすのには、手元にあった8万円台の国産アンプが好適であった。それはラックス507Xでありトリオ7002で、これに準じた高出力のトランジスター・アンプが欲しい。ただ、案に相違して手元の管球アンプよりこれらの石のアンプが優れていたのが興味ぶかかった。

サンスイ SP-LE8T, JBL L44, L77, L88 Nova, L100 Century, Lancer 101, Aquarius4, S99 Athena, Olympus S8R

サンスイのスピーカーシステムSP-LE8T、JBLのスピーカーシステムL44、L77、L88 Nova、L100 Century、Lancer 101、Aquarius4、S99 Athena、Olympus S8Rの広告(輸入元:山水電気)
(スイングジャーナル 1971年11月号掲載)

JBL

JBL L100 Century, S99 Athena

JBLのスピーカーシステムL100 Century、S99 Athenaの広告(輸入元:山水電気)
(スイングジャーナル 1971年6月号掲載)

JBL

JBL L100 Century

菅野沖彦

スイングジャーナル 4月号(1971年3月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 JBLの3文字は音の名門のステイタス・シンボルである。その3文字が彷ふつとさせる高い品位と信頼感は長年の技術的先進性に裏づけられた商品としての高度な完成度によって培われたものだ。日本では、音響製品に対する見方が二通りあって、一つは純粋に科学製品として無機的に眺め、物理特性をもって尺度の全てとする冷徹なもの。他は、いうまでもなく、これに対する眺め方で、音響機器に個性的感覚を見出して、科学製品として物理的特性の重要性を充分認めながら、人のつくったものとして人文的なバックグラウンドまでも含めてこれを眺める生きた暖かい立場である。私の見方はもちろん後者であって、JBLやアルテックの製品の魅力を表現するのに、アメリカのウエスト・コーストの特質をジャズやその風土に結びつけて反対派の槍玉にあげられたことがある。音響製品を大げさにいえば疑人化したような事をいってもったいぶるのは本質をはずれた見方であるということらしい。しかし、なんといわれようとも、私は人間の関与したものから人間を無視することは出来ないし、すべては人間が人間自身のためへの努力の賜物と思うから、人間中心に考えずして、ものの本質にふれることは出来ないと信じている。そして人間は自然に、自然は神に(仮にこうしておく)はぐくまれたものであることは無宗教の私の現状でも認めぎるを得ない現実である。人間自身はずい分、高度な科学や文明を築きあげてきたけれど、それは、人の叡知のなせる業であり、叡知とは深遠な道理を知ることのできるすぐれた知恵である。今かりに、音響機器を論ずるのに、物理特性だけをもってするという人がいるとすれば、その人は、人間のもつ叡知が、ようやく現段階で具象化することのできた尺度だけで、叡知そのもののすべてを計ろうとするようなもので、思い上りやトンチンカンも甚しい。私たちの勘や感覚というような私たち自身がもっている自然に与えられた鋭く、無気味なほどに力強い能力をもってつくられたものが銘器であって、それを、そこらの生半可な物理や電気の優等生に決めつけられてたまるものか! というのが私の本心だ。洋の東西、今昔を問わず、優れた機器というものはそうしたずっしりとした重味と犯し難い品位をもっているものであって、その立派さや恐ろしさを、その魅力の本質のわからない人ほど不幸な人はないようにさえ思えるのである。
 JBLは、創設者のJ・B・ランシングの天才的な能力の生みだしたスピーカーを発展の軸として、パラゴンやハーツフィールドの卓抜なアイディアと周倒な作品構築力と感覚を加え、数々の銘器を生みだした輝やかしい歴史をもつメーカーである。近年アメリカのこういう専業メーカーも独立自営が難しく、より大きい資本の傘下に入るのが珍しくないがJBLも、ジャーヴィス・カンパニーのディヴィジョンということになっている。しかし、専業メーカーとしての緻密な製品づくりの特質はよく生かきれるのがアメリカ社会のいいところで、アルテックと同様、そのメーカーとしての個性はそのまま現在まで受けつがれているといってよい。というものの、最近のアメリカ社会全般の変化や動きには巻き込まれぎるを得ず、JBL往年の風格を壊しむ気持がないといってはうそになる。JBLが近年発表したアクエリアス・シリーズは、たしかに時代の要求を反影し、しかも憎らしいほど巧みな商品づくりの腕前えは認めるが、さらば、それが飛びつき、抱きつきたくなるほどの魅力に溢れているとはいえない。間接放射、異位相成分によるプレゼンスの創造、指向性の改善など数々の積極的手段が使われているが、どれ一つとっても、それは決して全く新しい音響技術ではなく従来にもあった類である。JBLとしては本質的なクオリティの進歩と見ることが、私には出来ない。しかし、先にも述べたように、その商品化の腕の冴えは流石にJBLであって、そのスマートさは他製品のおよぶところではない。ここに取り上げたL100〝センチュリー〟は前面にユニークな材料(スカルプチャード・カドレックス)のグリルを使って指向性の改善を計っていて、その独特の魅力的な立体感が冴える。システム自体は30cmウーハー、10cmスコーカーにツィーターというオール・ダイレクト・ラジエーションのシステムで、抜群のリアリティと高品位の音質をもっている。実にオーソドックスな製品で、JBL健在なりという感が深い銘器とみた。アメリカでも圧倒的好評ときくが、私も好きだ。かなり高価だが、値打ちがある。いぶし銀のような重厚さと底力のある力感、前面に放出される豊かな表現力、JBLならではの緻密さ、鋭角な音像再現であった。