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JBL D130

井上卓也

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 外観からは、かなりハイファイな音が出るように思われるが、予想外に、中低域ベースの、まろやかな音だ。JBLサウンドのベースとなった機種だが高域の補正が必要である。

JBL D130

岩崎千明

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 おつき合いはすでに20年に近く、私にとって切っても切れないのがこのユニット。さんざん苦労し、共に喜び共に鳴(?)いた気心を知った仲だ。誰にでも信頼される奴だ。

JBL D130

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 38cm大口径のフルレンジユニットだが当然、高域はのびない。しかし、その圧倒的な音圧感はJBLらしい明るさと力のみなぎったものだ。2ウェイとして使うとよい。

JBL D130

岩崎千明

ステレオ別冊「ステレオのすべて ’75」(1974年冬発行)
「オーディオ製品紹介 1975」より

 JBLスピーカーの優秀性を端的に代表するユニットが38cmフルレンジD130。比類ない高エネルギーと能率の高さが、今日ではおろそかにされがちな音響変換器の本来持たねばならぬ素質の良さを、強烈な形で使う者に知らせてくれる。8000Hz上の高域はかなり低減するが帯域内でのバランスの良さ、特に200ないし80Hzのいわゆる中音域の充実感はこれを知ると手放せなくなろう。このユニットが日本のファンに好評な理由は、まずフルレンジとして高音をやや強めた状態で愛用され、あとから高音用ユニットを追加することにより、JBLオリジナルに近い2ウェイ・システムに高められるという利点にある。

JBL D130

岩崎千明

ジャズ 8月号(1974年7月発行)
「コルトレーン、すなわちジャズを感じるにはJBLの何がよいか」より

 日本列島のほぼ中央に位置し、典型的な地方都市である静岡市の夜は早い。冬の土曜日の夜をオレは、泊るべき宿にあぶれてまだ九時だというのに暗く人通りの少ない街をさまよった。結局は、いつものようにオールナイトの場末の映画館の席に仮眠の場を求めることになってしまったが、それはそれで結構居心地がいいものだ。健さんのドスの血吹雪も二度目はうつらうつらとしかつき合ってはいられない。間もなくだらしなく眠りこけてしまったが、健さんの背中のほり物が、どこでどう混乱したのか、コルトレーンの 「アイ・ウォント・トウ・トーク・アバウト・ユー」が例の「セルフレスネス」のB面1曲目のあの曲が、頭の中いっぱいに、決して耳からではなく、脳の方から耳へ伝達して、頭蓋骨の内部にとめどもなくいつまでもあふれ流れていた。
「六時で閉館ですよ」という掃除夫にゆり起こされて、立上ろうとしても足もとがふらついて、立てそうにないのにコルトレーンのテナーだけは朗々とまだ響いていた。今までジャズが夢の中で鳴り響いたことがないわけではなかったけれど、この時ほど、永く、強く、自分の内部に我を忘れて続いたことはなかった。フレーズのひとつひとつが、これほどまで確かな形で。
 多分、その期間、ジャズオーディオという自分の溜り場で、毎日、JBLによってコルトレーンに酔いしれていたことが、この夜の夢となって、自ら気付かなかった内側のコルトレーンを導き出したのだろう。
 コルトレーンの常に自らの中に深く探究して止まないサウンドは、だからジャズを知るものにとって、ひとつの最終目標となるのだろうが、オレにとっても、それは例外ではなく、コルトレーンはジャズ・サウンドの典型として乃至は象徴として、考えるべきだし、そうなれば、コルトレーンの再現を求むるとき、それをいかなる形で具現化すべきかは、ジャズ・ファンにとってもっとも大きな課題といってよかろう。
「ジャズ向き」ということばで、まったくいやになってしまうほどイージーな受け止め方でJBLのサウンド・リプロデューサー(音響再生機)は判断されてしまう。
「ジャズ向き」なんていう判定とか別け方が、あってたまるか。ジャズ・ミュージシャンの、つまりジャズの心を再現し得るシステムなら、それこそ古典楽曲だって古今の偉大なマエストロやコンポーザーだって、その内側を露出でき得よう。なにもジャズ・ミュージシャンには限るまい。
 だが今や、いかに安っぽくJBLのシステムが選択されてしまうことか。いわく、ランサー101は名器!? いわく、オリンパスは最高!? いわく、スタジオ・モニター4320こそ最終システム!?
 すべてジャズ・サウンド風の完全なアプローチには役不足なのだ。なぜか。それはすべて広帯域を優先したため、ベースレフレックス方式かパッシブラジェタ一により最低音域でのレンジは確かに延ばしているものの、パルシブなアタックに対しては甘い。
 コルトレーンにはやはりエルビンのどぎつく強烈なドラミングでなければならないし、マッコイのとぎすまされたタッチがからむのでなければテナーの朗々たる響が活きない。サンダースのずぶとく鮮かなタンギングが、ねぼけた姿となって寄り添ったのでは、あの熱っぽくくりひろげられるコルトレーンのサウンド・スペースはヴィヴイッドな生命力を失うのだ。
 だから、オレは、誰がなんといおうとも、誰に高音が粗いといわれようと、D130に固執するのだ。15インチのフルレンジD130のスケールの大きな、それでいて緻密な中声域は、他に同じサウンドを求めようとしてあり得ない。僅かにスケール感を除けば20センチのLE8Tがあるのみだ。
 しかし、それとてエルビンの鮮烈で複雑きわまるシンバルワークは歯が立つまい。D130の唯一の弱点(ウィークポイント)は確かに音量感と力の激減するその高域にある。
 それだからといって、なにもあわてて、高音用を追加しなくてはとあせることはない。D130さえ手元におけば、その秘めたるパワーをまずフルに活かすことだ。
 高能率だからD130は確かに、ハイパワーアンプでなくたって十分に迫力をみせる。今日の平均的なブックシェルフでは到達せられっこない激しい中に強大なエネルギーを秘めて爆発寸前にまでふくれ上るジャズ・サウンドをストレートに感じさせてくれる。だからといってハイパワーアンプがいらないのではない、D130ただ一本を活かすのはやはり絶対的なハイパワーなのだ。今や50ワット/50ワットの出力は国産アンプの高級品の平均といってもよかろう。しかし、できればもっと欲しい。このところ、各社で力を入れる片側100ワット・クラスの強力なジャンボ・アンプの数々こそ、D130の偉力を、理想の形で発揮させられよう。なにも、決して大きい音量を出そうというのでなくとも、ジャズにおいて絶対的な条件といえる「眼前に間近かに位置するミュージシャンのソロのサウンド」は、録音の際に幸いなことに、今日のオンマイク録音によってレコードの音溝には間違いなく刻みこまれているのだから、それを再現する側の努力だけで、それがフルに活かされ得る。それはハイパワーアンプのもつパワーのゆとり以外にあり得ない。
 D130の良さについて、意外に気付かれていないのは最大音量の絶対的大きさ、つまり音量エネルギーの絶大なる大きさだが、それを一層、力強い形で発揮させるのが、ピークに対する比類ない応答ぶりだ。過大ドライブ入力つまり許容範囲を越える動作において、当然発生するべき歪は、それが聴き手の側でははっきりした形で意識されないのだ。マグネットの絶大な大きさによって生きるボイスコイルの大入力振幅時に対する強さがその根底にある。これと同じ条件を具えたスピーカーはD130系の、ウーファー130Aと、そのプロ級ユニットを除いては、日本の三菱の誇る放送局仕様のウーファーだけだがそのウーファーは価格的にもJBLのD130をはるかに上廻るはずだ。
 高能率という根本条件を失うことなくこうしたピーク入力に対する歪発生が極めて少ない特性は、それを得るために、絶対的巨大なマグネットを要求するから、価格的にも想像を越えたものとなってしまうわけなのだが、それはそのままもうひとつの大きな特長をもたらす。それが、過度特性つまり音の立上りの良さなのだ。よく立上りよい音と簡単にいうが、本当にそれをサウンドの上で、はっきりした形で意識でき得るのはジャズ・サウンドを理解するハードなジャズファンのみである。
 例えばマイルスのミュート・トランペットにおける強い音圧、コルトレーンの激しく断続するテナーのリードの振動。マッコイの一音一音区切られながら叩きつけるタッチ、こうしたファクターがすべて立上りの優れたスピーカーの再生を要求して止まない。それをはっきりとした形でこなし得るのがハイエネルギーのD130系のユニットであり、それを受け止め得るのはジャズ・リスナーだ。
 ジャズの持つ中域から高域の鮮かさを強めんと旧くはアンプの高音を強め、あるいは、相対的に同じ効果を得ようと、低音を減衰させることがよく行われたが、それはそのまま、高域上昇によるみかけの立上りの良さを追究したといってもよい。こうした立上りの良さを、アンプに求めるなら、それはハイパワー・アンプ以外にはあり得ないのだ。
 山水のAU9500がジャズにおいて強力ぶりをみせるのも、デンオンPMA700がジャズ・サウンドをみずみずしく生き返らせるのもすべて、ハイパワーなればこそであるし、オレがケンソニックのハイパワーアンプを常用するのも、テクニクスのSE9600にジャズを再発見したのも、それらがむろん超広帯域特性に加えて50〜150ワットと強力なためだ。
 同一時間内に、といってもそれは1/50秒とか1/100秒という瞬間的な時間経過だが、そうした瞬間にハイパワーアンプはそのパワーの許容し得る範囲までの最大値に達することが可能だ。同じ条件で、半分の出力しかないアンプでは立上りは半分の大きさでしかあり得ないし、その事実が実はそのまま立上り特性を示すわけだ。だからハイパワーアンプほど、さらにこれを音響出力として考えれば、最大エネルギーの大きいスピーカーほど立上りは良いといえるのである。
 さて、こうした事実を追究すればD130をハイパワーアンプでドライブすることこそ、立上りの良さを実現できるといい切ってよい。さらにいま一歩深くつっこんで考えれば立上りの良さをより向上するために、さらに音響出力の大きい高音用ユニットを加えることが、ジャズ・サウンドへのより情熱的なアプローチといえよう。
 LE85が、かくて浮上してくる。ここでは一般的な175DLHでなくて同一構造ながらマグネットのはるかに強力なるLE85ユニットでなければならない。そして、そのホーンも175DLHのように音響レンズでの減衰の大きなホーンではなく、エネルギーのストレートに得られるスラントプレート型の拡散器(デュフェーサー)のHL91でなければならない。
 375はここでは不要というよりも好ましくはない。なぜなら高域のなだらかな減衰は歴然で、そうなればさらに超高域ユニット075が必要となり、振動板が「低音」「中音」「高音」と分離しなければならないことによって、単一楽器のサウンドが聴き手において三つからバラバラにおそってくるというめんどうきわまりないことになってしまう。ドラマーのベースドラムと、スネアーと、タムタムと、シンバルとそれぞれが3つのユニットから出てくることによるドラマーの位置のボケルというマイナス以上に、テナーのような広音域楽器の音像のボヤける方が恐いと考えるのはジャズ・ファンとしては当然であろう。
 かくて、D130にLE85プラスHL91のこうしたシステムがハードなジャズ・ファンの考える最終日標となってくるのだ。
 国産スピーカーの中にD130系の以上のような特長を求めるならば、それはきわめてシビアな選別とならざるを得まい。
 しかし、その最右翼がコーラルBL20Dであるのは、それが最大エネルギーの点でJBL製品に匹敵するからに他ならない。
 三菱の新システムDS36BRもサウンドの特長とバランスがJBL的な点を買おう。
 国産システムでも特異な存在・日立HS1500はサウンドへのアプローチがJBL志向である点を注目しよう。
 使用プレーヤーはマイクロのSOLID5、DCサーボなのだが性能の上ではDD並で、アームの良さも国産製品はおろか海外製品にも匹敵する。
 カートリッジLM20は、外観上の薄さが非常に現代的デザインで内容においても現在トップクラスのものだ。

JBL D130

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 またD130か、といわれてしまいそうだが、ジャズを愛するならその真髄を、そのソロを、このスピーカーほどリアルなエネルギーで輝かしく再生するユニットは、おそらく価格の制限を外してもそうざらにはない。たしかに今日の水準からは高域のレンジはかなり狭く、レベルも低いがそれはアンプのトーンコントロールでハイを上げて補えば、2ウェイにするまでもなくジャズは他のユニットにない生々しい再生をやってのける。

JBL D130

岩崎千明

スイングジャーナル 2月号(1970年1月発行)
「私とジムラン」(サンスイ広告)より

 私はその部屋に入るなり思わず立ち尽くした。目もくらむような鮮かなフル・コンサートの音でその部屋は満たされていた。
 何分たったろうか、視線をめぐらしてスピーカーの存在を確かめるまで、それが再生された音であるとは信じられないぐらい鮮烈であった。
 私とJBLの最初の出合いは、その音と共に強烈な印象を脳裏に刻み込まれたのである。
 なんと幸運にも、その音を出していたJBL・D130はこの直後、私の部屋のメイン・スピーカーとなって、鮮かな音で再生音楽に息吹を与えることとなったのだ。13年も前のことである。

 JBLという名が米本国のハイファイ業界において大きく伸び、広い層に知られるようになったのは、前大統領リンドン・B・ジョンソンの時期であったといわれる。ジョンソンのイニシアルであるLBJにひっかけて、JBLという呼称で、最高級ハイファイ・スピーカーのイメージを広く一般層にアピールした作戦があたったためであろう。

 私がJBLを使い出した頃、米国マニアの一般の通例として、ランシング・スピーカーといういい方で知られていたが、すでに最高級マニアのみが使い得る最高価格のスピーカーとしての定評は、米本国内では確固たるものであった。
 ランシング・スピーカーと呼ばれる商品はJBLのほかにアルテックの製品があるが、アルテックが業務用ということで知られていることをはっきり狙った製品だ。業務用が信頼性と安定性をなによたも重要視するのにくらべて、ハイファイ用はまず、音楽の再生能力そのものを意識する。
 JBLが独立した戦後間もない初期の製品は、アルテックのそれと外観、機構ともよく似ている。しかし音自体はかなり差があって、JBLの方がより鮮明度が高い、ということができた。このことは現在でも少しも変らずにJBLの音に対する伝統となっている。

 D130が1本しかなかったため、私はステレオに踏み切るのがかなり遅かったが、他のスピーカーによるステレオ以上に、D130のモノーラルの方がずっと楽器そのものを再生した。よく、どぎつい音がするとか、派手な音がするとかいわれたが、装置の他の部分、例えばアンプとか、カートリッジとかがよくなればよくなるほど、私のD130はますます冴えて、本物の楽器のエネルギーを再現してくれた。
 私は最近、ジャズをよく聴くが、アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再生することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
 音色、バランス、クオリティー、パターン、いろいろ呼び方の音の再生能力の中で、ジャズでは音の変化の追随性というか、過度特性という点が、もっとも重要なファクターであるといえる。
 その点でJBLのスピーカーは、最も優れた能力を秘めていると思える。長い間、私はいろいろなスピーカーを使ったが、結局、最近はJBLを最も多く聴くようになってしまった。

 いま私の部屋にはレコード試聴用のSP-LE8Tとは別に、C40リアー・ホーン・ロード・バッフルに収められたD130が2本、それにオリジナル175DLHのクロスオーバーを下げた強力型のLE85が2ウェイを構成し、ステレオ用としてのメイン・システムとなっている。

 時代が変っても、社会の急速な進歩と共に、再生芸術の狙いも変ってくる。毎月聴いている新譜も、鮮かな音のもが増えているが、JBLのスピーカーはますます冴えて、その限りない真価を深めつつある。

JBL D130

JBLのスピーカーユニットD130の広告(輸入元:山水電気)
(スイングジャーナル 1970年2月号掲載)

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