菅野沖彦
スイングジャーナル 12月号(1969年11月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より
ジャズのレコードに限ったことではないが、モノーラル時代の名演奏の再発売ものには見逃せない名盤がたくさんある。レコードというものの本質からいっても、記録性ということは大変重要なもので、特にジャズのような瞬間性の大切な、二度と再び同じ音楽がこの世に存在し得ないものについては、きわめて貴重なものだ。資料としてはもとより、かけがえない音楽体験として、モノーラルのレコードを、ただ局面的なオーディオ観で、ステレオ録音ではないからというだけで、遠ざけてしまうとしたら、その音楽的損失は計りしれないほど大きい。しかもモノーラルにも、ステレオ顔負けの素晴しい録音のものさえあるのだから、なおさらのことである。特にジャズ・サウンドは、空間サウンド以上に楽器音そのもののリアルな再現が好まれるという美的観念があるから、モノーラル録音はクラシックの場合ほどの制約にはならないともいえる。クラシックとジャズとの間には、音楽的な音そのものについての美学の差があることは否めない。ジャズのステレオ録音に、マルチ・モノ的な音が多いものもそうした理由による。荒々しいタッチ、生々しい触感、激しい圧迫感をもった音を明確に把握しながら、しかもステレオフォニックなプレゼンスを2チャンネルの再生から得ようとすることは容易ではないし、これは、ジャズ録音にたずさわる私たちの抱える大きな課題なのである。
ところで、モノーラルのレコードが現時点で再発売される時に、いわゆる擬似ステレオ化されているというケースがあるが、これについては、クラシックもジャズも、心ある人々が大反対しているようだ。しかし、先に述べたようなジャズ・サウンドの美的観念からして、ジャズの疑似ステ化についての反対はクラシックとは比較にならないほど強烈で、ついに、近頃では、ほとんどのレコード会社がモノーラルのまま再発するようになった。
こうなってくると、もう一つ問題となるのが再生のシステムであって、ステレオ・カートリッジで、モノーラル・レコードを演奏することには一考する必要が生じるというものだ。つまり、ステレオ・レコードとモノーラル・レコードとでは、溝を切刻するカッター針の曲率半径が異り、溝の形はちがう。また本来、モノーラル・レコードには縦振動の成分は含まれていないし、それを再生するカートリッジも縦の振動成分に対しては感度をもたないように設計されている。ステレオ・カートリッジでも、左右チャンネルの出力をシリーズ結合して縦成分をキャンセルして使えばまだよいが、そのままの状態で使ったのではかならず不都合が生じる。一般にいわれることは、モノのカートリッジでステレオ・レコードはかけられないがステレオ・カートリッジでモノーラル・レコードをかけても差支えない……というのだが、それはレコードに対する保護の面からであって、そのレコードを理想的に再生することに関しては問題がある。モノ・レコードはモノ・カートリッジでかけるのが本来である。そこで、このAT3Mは貴重な存在である。ステレオになってカートリッジの振動系は大幅な進歩を遂げているが、このAT3Mもモノ当時のカートリッジとは格段の性能をもつ。欲をいえば、現時点でカートリッジ・メーカーの技術をもってすれば、さらに理想に近いモノ・カートリッジが出現するはずだが、モノ・レコードを聞く人には、広くこの製品を推薦したい。ステレオ・カートリッジで聞くよりも、はるかに腰の入った、がっしりとした音の再生ができるのである。今さらモノ・カートリッジをと思われる人もいるかもしれないが、ジャズ・ファンならばぜったいに聞き逃せないモノーラルの名盤のよりよい再生のために、このカートリッジを今月のベスト・バイ商品として選んでみた。
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