菅野沖彦
ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より
本誌100号記念の別冊(『オーディオ世界の一流品』、10月末発売)でも述べたことなのだが、ドイツという国について昔は誤った考え方が伝わっていたと思う。つまり、この国には音楽が溢れていて、どんなに小さな地方都市にもオペラハウスとコンサートホールがあって、生の音楽には事欠かないから、レコードやオーディオなんて馬鹿馬鹿しくて本気になって取り組む人はいない……というものである。これは、20〜30年前にドイツに留学したドイツ通の音楽家達が伝えた詰であるが、当時それを聞かされても私は信じなかった。ドイツに住んだことのない私としては反論するわけにはいかなかったが、生の音楽が溢れているのが事実だとしても、それ故にレコードやオーディオに関心が薄いという解釈には納得しかねた。むしろ、音楽が好きなら、かえって、レコード、オーディオに関心が強くて当然で、この解釈は、音楽の専門家によくあるレコード、オーディオへのコンプレックスによるものと感じられたのである。確かに当時のドイツでは、オーディオコンポーネントのメーカーはほとんど知られていない状態で、テレフンケンかグルンディッヒのセットものが一般用の再生装置として主流を占めていたようだ。テクノロジーにかけては世界有数のレベルをもつドイツが、そして道具好き、機械好きのドイツ人が、オーディオの趣味に無関心に見えたのは、ただ単に、ドイツがこの方面で後発であったに過ぎないのであって、それが証拠に、この10〜15年の間に、ドイツのオーディオ界は俄に活気づいていた。小規模な専門メーカーも急増しているようだ。
ドイツ人の好む音には独特の共通したキャラクターがあるようで、特に高音域の刺激感が、なかなか諸外国に受け入れられなかったようであるが(特にスピーカーシステムが)、ここ数年の製品は、すっかり洗練されてきたように思える。あの高音は、ドイツ的なクォリティを周波数特性に置き換えて表現したキャラクターであって、ドイツ人がハイ上がりの音を好むわけではないと私は考えている。クォリティが高ければハイ上がりである必要がないのだが、クォリティをキャラクターで補う時の便法としての周波数特性のコントロールであったらしい。その証に、ドイツの高級アンプにはそんなキャラクターはどこをさがしても見当たらない。その代りクォリティは独特のソリッドネスと輝きに満ちた質感をもっているのである。要するにドイツ人の嗜好は、曖昧さや脆弱さとは対極のところにあって、何事もびしっと決まっていなければ不満なのだ。私は、20年以上ポルシェに乗り、メルセデスに乗ってそれが理解できた。イギリス車やイタリア車に最近乗り始めて、ますます、その対比を明確に認識しているのである。音の印象を周波数特性だけで操ろうとすれば、当然ハィ上がりが明晰で強固である。ハイをまるめて、ソリッド感やシャープさを演出することは不可能であろう。
ブーメスターという会社はこうした背景をもつドイツのオーディオ界に10年以上も前に登場したが、当初から高級アンプだけを志向してきたメーカーである。プリアンプ877、パワーアンプ878が最新のセパレートアンプとして発表されているが、このシステム909は、それらのオーソドックス(?)なセパレート型とは異なる新しい発想のシステムアンプである。簡単にいってしまえば、デジタル時代に対応するDAC付プリメインアンプであり、DSPもシステム化できるトータルアンプシステムとして発展できるものだ。パワーアンプとしては8?で300W×2、2?で1、100W×2、ブリッジモノーラルとしても大出力アンプとして働くステレオ仕様の巨大な体軀のアンプであり、これにDAC、DSPとラインアンプをモジュールとしてシステム化できるものである。
試聴したのはDSPの搭載されていないDAC付プリメインアンプ仕様のものであったが、CDプレーヤーのデジタルアウトをこのアンプのデジタルインプットに入れた時と、CDプレーヤーのアナログアウトをラインインプットに入れた時の両方を聴いてみた。デジタル入力は同軸、光の両方が各々5系統用意されている。入力ファンクションとボリュウムコントロールはリモートコントロールユニットにより行なう方式で、本機には選択された各モードの表示がデジタルでディスプレイされる。
すでに述べたようにドイツ的なクォリティサウンドには違いないのだが、これは、その極地にあるともいえる鮮烈なもので、音にはダイアモンドの〝クラルテ〟のような輝きがある。
内蔵DACを使った時の音は見事であって、ブーメスターサウンドらしさが堪能できる。造形感の確立したサウンドの骨格の見事さには圧倒されてしまう。
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