「上杉プリアンプ試聴記」

黒田恭一
ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
「マイ・ハンディクラフト 最新テクノロジーによる真空管式ディスク中心型プリアンプをつくる」より

 幾分ひかえめなところがあるとしても、いうべきことを正確に、しかもいささかもいいよどむことなくいう人をまのあたりにするというのは、きわめて心地よいことだ。このプリアンプをきいての印象を、もし言葉にするとすれば、そういう人に会った時の感じとでもいうべきかもしれない。
 決してでしゃばらない。決してあざとくおのれの存在を主張しない。どうです、このヴァイオリンの音、きれいでしょう(試聴したレコードのひとつに、ジュリーニがシカゴ交響楽団を指揮してのマーラーの第九交響曲の終楽章があったのだが)、きいてごらんなさいよ、こんなにつややかで──などと、おしつけがましくなったりしない。
 しかし、ここからが肝腎なところだが、このプリアンプの音は、決して消極的ではない。すべての音は、ついにねころんだり、すわりこんだりすることなく、すっきりと立って、ききての方向に、確実な歩みで、近づいてくる。そういう折目正しさは、このプリアンプの魅力といえよう。
 ただ、このプリアンプの、そういうこのましさを十全にいかそうとしたら、積極性を身上とする、つまり音のくまどりを充分につけてくれるパワーアンプを、相手にえらんだ方がいいということは、いえるにちがいない。しかし、この場合にも、スギタルハオヨバザルガゴトシという、正論があてはまる。
 さまざまなひびきに、実に素直に、無理をせず、しなやかに、対応する。それはもちろん、大変な魅力だ。無駄口をたたく軽薄さからは、遠くへだたったところにある。ただ、相手の選択をひとつまちがうと、そういう魅力は、優柔不断という欠点になってしまう危険もなくはない。すっきりと立ちあがった音を、手前に歩かせるのは、むしろ、パワーアンプの役割というべきだろう。だとすれば、音をすっきりと立ちあがらせるこのプリアンの特徴は、そのままにこのプリアンプの美点となる。

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