瀬川冬樹
続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第2項・スピーカーの鳴らす音、二つの分類 アキュレイト・サウンドとクリエイティヴサウンド」より
ここではデザインや価格の問題を抜きにして、スピーカーの「音」だけについて考えてみる。
「良いスピーカー」とは、必ずしも原音を再生するスピーカーばかりでないことに前項で触れたが、その意味をくわしく説明するためには、いま現実に市販されているスピーカーが鳴らそうとしている音がどういうものか、どんな考え方があるのか、を知るとともに、スピーカーを通じて音楽を楽しもうとしている聴き手の側が、どんなふうに聴き、どういう音を求めているのか、を対比させて考えてみるとわかりやすい。
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まずスピーカーの鳴らす音(あるいはメーカーがスピーカーを作るとき、どういう音を鳴らしたいと考えているか)という面から、ごく大づかみに、二つのグループに分類してみる。それは、アキュレイトサウンド(正確な再現・註1)に対してクリエイティヴサウンド(創られた音)とでもいうべき両極の音、ということになる。
レコードに録音された音。それがピックアップで拾い出され、アンプで増幅されて、スピーカーに送り込まれる。その送り込まれた電流(音声電流、とか入力信号などという)を、できるかぎり正確にもとの音波に変換しようという目的で作られたスピーカー。それが、いわゆるハイフィデリティ High Fidelity(高忠実度。ハイファイと省略されることが多い。忠実度がいかに高いか。言いかえれば入力信号にいかに忠実かという意味)のスピーカーだ。そして、市販されるスピーカーの大半は、このいわばオーディオの〝王道〟を目ざして作られている。
これに対して、スピーカーを通してしか聴くことのできない音、言いかえれば、ナマの楽器では出せない音、を意識して、ナマとは違う音、スピーカーだけが作りうる音の魅力を、ことさら強調して作るスピーカーが、一方にある。ただ、はっきりさせておかなくてはならないのは、それが、ナマの(あるいはもとの)音楽の鳴らす音から、全然かけ離れた音であっては困るということだ。
大づかみには、もとの音楽の鳴らす音にはちがいないが、それを、もとの楽器の出せないような大きな音量、逆に小さな音量で鳴らす、というのも、スピーカーにしか(というより録音・再生というプロセスを通じてしか)できないことだ。また、食事や歓談の妨げにならないよう、刺激的な音を一切おさえて、どこまでもまろやかに、ソフトに、耳ざわりの良い音で鳴らす、というのも、スピーカーだけにできることだ。あるいはまた、スペクタクルサウンドとでも言いたい壮大な、さらにはショッキングサウンドとでも言う迫力を聴かせることも、スピーカーなら可能である。
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音楽の聴き方、受けとめかたに、一方で、シリアスな鑑賞の態度があり、他方に、おおぜいで歓談したりくつろいだりしながら楽しむ聴き方がある。スピーカーと一対一で、いわば読書するような形で音楽を鑑賞するには、前者の、いわゆるアキュレイトサウンドが向いているし、歓談やくつろぎのためには、後者のクリエイティヴサウンドを選ぶほうが楽しい。
註1
アキュレイトサウンドというのは、最近のアメリカの若い世代の使いはじめた表現で、これは、第2項でふれたように、かつてのハイフィデリティに相当する。しかし、それが「Hi−Fi(ハイファイ)」という一種のスラングに近い言葉に堕落したことをおそらく嫌った結果だと思うし、また、以下に少しずつ解説するように、正確な意味での「原音再生」という考え方が、いまでは訂正されつつあって、この入力信号に対して正確な(アキュレイト)、という考え方のほうが好まれるのだと思う。たとえばアメリカのマーク・レビンソンも「私はモースト・アキュレイト・サウンドを常に心がけている」というような言い方をする。
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