JBL 4301

菅野沖彦

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 JBLのモニターシリーズ中、最も小型かつ低廉なモデルがこの4301で、20センチ・ウーファーと3・6センチ・トゥイーターの2ウェイシステムである。こういうモニターシステムは、たしかにプロフェッショナルのフィールドでの用途はあるが、決してメインモニターとはいえない。極端ないい方をすれば、キューイング・モニターといってよいかもしれないが、場合によっては、一般家庭用スピーカーの代表的なサンプルとして使われるケースも或る。つまり、スタジオのメインモニターは、ほとんど大型システムで平均的家庭用スピーカーとは差があり過ぎるから、このクラスのモニターで再チェックをするという方法だ。この説明から御理解いただけると思うが、これは大変優れた家庭用のブックシェルフとして、その明解、ウェルバランスの音が高く評価される。音像の輪郭はいかにもJBLの製品らしいシャープな再現であり、音の質は、プログラムソースのもつ特色を立派に生かしてくれる高品位。スケールは小さいが、全帯域バランスがよく整っているし、位相的な音場空間の細かい再現もよい。マスタリングモニターとしては、許容入力15Wは、あくまで特殊だが、録音対象によっては勿論、使えなくはない。他の大型モニターのもつ特質を小型化して、ちゃんと持たせた音の鮮度は立派である。

K+H O 92

瀬川冬樹

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 最初の簡単なテストで、あまり高い台に乗せない方がよいように思って、20cmほどの頑丈な台を使って、左右にかなり広げぎみにセッティングした。ますブラームスのP協(ギレリス)をかける。冒頭のオーケストラのトゥッティが、いかにもがっちりと構築されて、まさにドイツのオーケストラが鳴らすブラームスの、独特の厚みのあるハーモニィが鳴ってくる。そのことだけでもこれはかなり良いスピーカーらしいことがわかる。音像はやや奥に展開し、引締っているがやせるようなことがなく、高域が延びていないかのようにおだやかだがしかもそうではなく、細部が飛び出すようなことがなくオーケストラの響きの中にパートの動きも十全に聴き分けられる。低音にやや独特の響きがあって、音像が低音でやや奥まって聴こえるが、それほど不自然ではない。弦の鳴り方を聴くと、いくらか艶をおさえたマットな質感を感じさせる。総体に音の艶をくるみ込んで、そのことが弦の斉奏でも少しもやかましくなく、頭にくるようなうるさい音を決して鳴らさない。どちらかといえば渋い、いくらか薫(くす)んだ音色といえる。
 こういう傾向のためか、たとえばロス=アンヘレスのラヴェルのような、音の華やぎや色彩感を求める音楽の場合にも、声のなまめかしさや、弦や木管の低くうごめくような妖しい魅力という点になると、少しばかり不満を感じる。ただ、ロス=アンヘレスの声を含めて、ピアノやヴァイオリンの協奏曲や室内楽曲でも、音像の定位はおそろしくしっかりしていて、音がふらついたり不安定になったりすることがない。独奏ピアノの打音(アルゲリチ)も、中低音域の支えが非常にしっかりしているためか、どっしりと地についた鳴り方で少しも危なげがない。ただ、全音域に亘って打音の艶、ことに高音域でのきらめくような響きのほしい場合も、どちらかといえば音の艶をおさえる方向に鳴らすため、生のピアノの音の豊かな丸みのある響きにはいまひと息という印象だ。
 マルチアンプ内蔵なので他のアンプでのテストはできないため、附属のアンプにどの程度力量があるのかと、試みにシェフィールドのダイレクトカット・レコードでかなりの音量まで上げてみたが、全くバランスをくずさず実に安定感のあるしっかりした音で鳴った。反面、ブラームスのクラリネット五重奏のような音量をかなり絞り込んでも音像がぼけたりしない。
 ただ曲によっては、中低域がいくぶんふくらんで、音をダブつかせる傾向がほんのわずかにある。とくにアン・バートンの声がいくぶん老け気味に聴こえたり、クラリネットの低音が少々ふくらみすぎる傾向もあった。しかし総体にたいへん信頼できる正確な音を再現するモニタースピーカーだと感じられた。

K+H O 92

菅野沖彦

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 K+HのO92は、500Hzと4kHzにクロスオーバーをもつ3ウェイシステムで、それぞれをクロスポイントとして三台のアンプでドライヴするとライアンプ方式である。ウーファーは25センチ口径が2個である。トゥイーターはトー無型。クライン・アンド・フンメル社は西独のメーカーで、モニタースピーカーの製作には実績をもっているプロフェッショナル・エクィプメント専門メーカーである。比較的口径の小さいウーファーを採用して中域との音質バランスを重視し、パワフルな再生のために、ダブルウーファー方式にするというのは賢明な手段といえるだろう。
 大変バランスのよいシステムで、音色に品のいい魅力のあるシステムである。この点で、モニターシステムという言葉から受ける、無味乾燥なドライなイメージは全くない。むしろ、個性のある音といってよいだろう。この個性に共感しさえすれば、このシステムのもつ性能の高さをモニターとして縦横に生かし切れるだろうし、もし、この個性に反発を感じる場合はK+Hの門戸は閉ざされたままだ。このことは、いかなるモニターシステムについてもいえるだろう。ハイパワー再生にも安定と余裕があるし、楽器の質感、定位、位相感は明確である。響きが豊かでいて、抑制の利いた素晴らしいシステムだと思う。全帯域にわたって、充実した均質の音質をもっている。

アルテック 620A Monitor

瀬川冬樹

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 中高音域の密度が濃いために総体に音が張り出して近接した感じに聴こえる点は612Cと共通の性格だが、中味が同じユニット(604-8G)でもエンクロージュアがひとまわり大きくなると、低音域が豊かになると同時に腰の坐りのよい安定感のある音になるためか、かなり聴きごたえのある味わいの濃い音に仕上ってくる。
 612Cではトゥイーターレベルを1~2段落した方がバランスが良かったが、620Aになると一応そのままで低・高音のバランスは整っていて、たとえばアルゲリチのショパン(スケルツォ)などでも、いくらか「スピーカーの鳴らす音だ」という感じの、言いかえれば自然のピアノの音にくらべて人工的な味わいはあるものの、打鍵音が腰くだけにならず一音一音の打音の密度とそれに続く余韻の響きの良さには一種の実体感があって、音量を上げたり絞ったりしてやや長い時間聴きこんでみたが、弱音でも音のディテールを失わずバランスのくずれもなく、全音域に亙って欠けた音域を感じさせないので、手ごたえの確かな音が楽しめる。ただ、ラヴェルの「シェラザーデ」のように音の色彩感の豊かさや色あいの微妙さを、まだブラームスのクラリネット五重奏曲のように木管と弦の織りなす香気を、るいはクラヴサンやチェロのように一種なまめかしい倍音の繊細さを大切にしたいような、キメのこまかなニュアンスや味わいを深く求めてゆくにはいささか物足りない。
 620Aの鳴らす音は、たとえばラヴェルの場合でも音を空間に散りばめるよりは一点に凝縮させ塗り込めるような、ひろがってゆくよりはひとつの枠に閉じこめてゆくような傾向があって、それは高域の伸びが十分でないことと、高域の音自体がやや骨太であることによるのだろうが、新しいステレオ録音に対しては、もう少し高域のレインジの広さや、音のいっそうの細やかさが出てこないと不満を感じると思う。
 ただ、中低音域以下の鳴り方には、612Cと違っておっとりしたゆとりを感じさせるために、612Cのように張り出しすぎ、あるいはパワーを上げてゆるとやかましいというような感じにはならないし、620Aをしばらく聴き込んだあと、4343の中・高音域のかなり広い部分が、抑えたというよりは欠落したかのように一瞬錯覚するくらい、両者のこの音域のエネルギーの出かたは対極的だ。このため、ポップスやジャズの場合には、腰の強く輝かしい迫力、密度の高く能率の良いためにハイパワーを放り込んでも少しもつぶれた感じがなく音量がどこまでもよく伸びるという長所によって、相当に気持のよい楽しみ方ができる。仕事のための聴き分けようモニターという枠にとらわれず、家庭でのレコード鑑賞用としても、この音が好みに合いさえすれば、手もとにおく価値のあるスピーカーだ。

アルテック 620A Monitor

菅野沖彦

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 620Aは612Cと共通のユニットをもったモニタースピーカーである。つまり、コアキシャルのフルレンジスピーカー、604−8Gが内蔵されている。38センチ口径のウーファーに、ホーン・トゥイーターが同軸でカプリングされた有名なユニットだ。612Cと比較して、こちらのほうがエンクロージュアが、より理想に近い。同じユニットでも、エンクロージュアの違いによりシステムとして、かなりの差が出ている。612Cの時に感じられた、位相感の再現性がより優れ、左右のユニット間の音のうまりが、ずっと緻密になり、ステレオフォニックな音場感も、こちらのほうが豊かに再現されたのである。勿論、低域の再生も、こちらのほうがはるかに優れ、豊かな低音感であった。ただし、いたずらに低域がのびている音ではなく、むしろ聴感上の低音感としての感知領域以下の低い帯域は、十分な再現とはいえない。このシステムも、使い方で低音の再生に大きな変化をきたすはずで、通常、スタジオでは、宙釣りして使うケースが多い。あるいは、台の上に設置するといったケースも少なくないだろう。今回の試聴は床にフロアタイプとして置いたので低音感はより豊かになったと思われる。さすがに、プログラムソースの細部までよく判別の出きるシステムで、エコーの流れやバランスは、普通のスピーカーよりはっきり聴こえる。

アルテック 612C Monitor

瀬川冬樹

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 これの旧型である612A(604E入り)をかつて自家用に購入し、結局私の家ではどうにも使いこなせずに惜しくも手離してしまったといういきさつがあったので、改良型ともいえるこのモデルが、どんなふうに変っているか(あるいは変っていないか)という点に興味を持って試聴に臨んだ。中音域のよく張り出して相対的に高・低両音域がややおさえ気味に聴こえるバランスは大掴みには旧型と変らない。そういう性格のために総体に音がぐんと近接した感じに、そしてかなりハードに聴こえる。たとえば試聴盤中、バッハのヴァイオリン協奏曲では独奏ヴァイオリンがやや音マイク的にきつい音で録音されているが、そうした音源の場合とくに、キンキンした感じが強い。ヴァイオリンをすぐ近くで聴くとこういうきつい音のすることも事実で、その意味ではナマの楽器の鳴らす音の一面を確かに聴かせるのだが、耳の感度の最も高いこの音域がこれほど張って聴こえると、音量を上げたときなどことにやかましい感じで耐えがたくなる。試みに、トゥイーターレベル(連続可変)を-1から-3ぐらいまで絞ってみる。-1からせいぜい-1・5がバランスをくずさない限界のようで家庭での鑑賞にはこのあたりがよさそうだ。ハイエンドの伸びがかなり物足りないのでトーンコントロールのターンオーバーを高くとって補正してみたが、本質的にトゥイーターの高域の硬さがあるために、音の繊細さや爽やかさが増してくる感じにはなりにくい。同じ意味で、独奏ヴァイオリンのバックで鳴っている弦楽オーケストラの、肉声やチェムバロの繊細な倍音が鮮やかに浮かび上る感じがあまり出ない。
 ステレオの音像は広がるタイプでなく、左右のスピーカーのあいだに凝縮する傾向になる。したがって、独奏者の中央での定位はしっかりしている。低音はかなり引締め気味なので、これもアンプで+3から+6dBぐらいまで補整を加えてみる。量感としては整ってきて、中域の密度の高いこととあいまって充実感が増してくるが、反面、ピアノの音などで箱の共鳴音、といってオーバーなら音像がいかにもスピーカーという箱の中から鳴ってくることを意識させられるような鳴り方になりがちだ。ヴォーカル、それもクラシックの歌曲のようにマイクを使わないことが前提の場合でも、声がPA(拡声装置)を通したようにやや人工的に聴こえる。但しこれらはすべてクラシックのソースの場合の話で、ポップスに限定すれば、中域の張って明るい音、低域をひきしめた音、高域端の線の細くない音、は概してプラスに働いて音楽に積極的な表情をつけて楽しませる。能率はかなり高い方で、リファレンスのJBL4343よりもアンプのボリュウムを8ないし10dBほど絞って聴感上で同じようになった。アンプの音質の差にも敏感で、用意したパワーアンプの中ではマランツが一応合うタイプで、マーク・レビンソンにあると音を引締めすぎるのか硬さが目立った。

ホシデン DH-90-S

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 まず全体の感じでは、中音域──おそらく1kHz前後の音域──にエネルギーを集中させたバランスのように聴きとれる。その意味ではパイオニアのSE300と一脈通じる音色で、相対的に低音と高音はおさえ気味のところもよく似ている。したがって、ややハードな傾向の音質で、感度が割合に良い方であることとあいまって、ポップス系のパーカッシヴな音など、頭の芯まで叩き込まれるような力がある。しかし低音の量感や、高音の繊細な、あるいは柔らかな表情を求めるのは少々無理のようで、こころみにトーンコントロールで低・高両端を強調してみたが、本質的にレインジが広くないのだろう、高級機のようなひろがりを聴くのはむずかしい。価格的にやむをえないのだろうか。デザインはちょっと国産らしからぬ洒落た部分もあって、見た目には楽しい。スピーカー端子にダイレクトに接続した方が、音が引締って、クリアーになる。

エレガ DR-196C

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 ちょっと類型のないユニークなデザインだが、ヘッドバンドをユニットの結合部など、何となくブリキ細工のようだし、ユニットのカバーの仕上げもオモチャふうで、せっかくのおもしろいデザインを材質や仕上げが生かしていないように思える。しかしかけ心地は意外に良好で、手にとっていじっているときは、バンドの金具とユニットのすり合わせの部分などカチャカチャと安っぽい音を出すが、頭におさまってしまうと、本体の軽いこともあるのだろうが耳によくフィットして、不快感はほとんど無く、よく考えられていることがわかる。音質は、中低域にほどよいふくらみを持たせたソフトな印象。ヴォーカルなども歌い手の声にあたたかみが感じられる。オーケストラのトゥッティでは、高域の倍音領域にもうひと息のひろがりがあるとなおよいが、しかしレインジはよく伸びているらしく、適度に色合いや艶も聴きとれ、かなり楽しめる音だと思った。

アツデン DSR-7

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 いわゆる輪郭鮮明な、コントラストの強い派手やかな音で鳴る。レインジはせまくはないが中〜高域全体をかなり強調したバランスなので、たとえばパーカッションを多用したようなポップス系の曲を圧倒的にデモンストレーションするには一種鮮烈な印象を与えておもしろいのだろうが、音楽をじっくり聴き込もうとするにはこの音は少々騒々しすぎ、たとえば管弦楽の斉奏では音がやや金属質にきこえてしまう。レコードのサーフェイスノイズあるいはヒス性のノイズにかなり固有の音色が聴きとれるところから、おそらくユニットの中〜高域に強いキャラクターがあるのだろうと思う。デザイン面では、ヘッドバンドにスウェードふうの質感をもたせたりなかなか凝っていて、かけ心地そのものは悪くない方だ。ただ、ユニット部分は、キャビティ部分の開孔の意匠や材質の使い分けなど、多少おもちゃふうになってしまっているのが残念だ。

オーディオテクニカ ATH-3

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 高域のレインジをあまり伸ばさずに、ハイエンドにかけて丸めこんで耳当りの良い音に仕上げてある。その意味でナロウレインジには違いないが、たとえばパイオニアのSE300の場合には、中音域に一種の強調感──というよりは圧迫感──があったためにその両端のレインジのせまさがいっそう目立ったが、ATH3の場合には、中域から低域にかけては、わりあい過不足なくしっかりおさえてあるので、トーンコントロールで高音をやや強調してやれば、高音域の伸びも一応は聴きとれるようになって、ステレオの空間的なひろがりもなかなかよく出てくる。ということはユニットに基本的な特性のかなり良いものが使われている、ということになりそうだ。高域を増強していないためか、音量をかなり上げてもやかましくない点がメリットといえそうだ。かけ心地は非常に良い部類だが、一見した外観が(細部は違うにしても)ヤマハのデザインによく似ている点は一考をうながしたい。

オーディオテクニカ ATH-7

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 今回試聴した国産のコンデンサータイプに共通していえることは、ダイナミックタイプにくらべると音域が広く、フラットによくコントロールされているところが総体に優れた点だが、その範囲でやはり各メーカーに少しずつ音への姿勢の違いが感じられて、オーディオテクニカの音は、中〜高域にいくぶん強調感を持たせた、華やかさ、あるいは明るさを感じさせるところが特徴といえそうだ。上級機種のATH8とくらべると、こちらの方が感度がいくらか高めで、中〜高域の強調感が強く、よく張り出す音に仕上げてある。またそのためか最高音域のレインジ、あるいは繊細な感じにはいま一歩というところがあるが、これはおそらくポップス系に焦点を合わせた作り方のように思われる。クラシックのオーケストラなどでは、少々華やぎすぎのところがあるかけ心地の面では、重量の軽いせいばかりでなく、重さをあまり意識させない点がなかなかよかった。

ソニー ECR-400

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 全音域に亙って周到にコントロールされたという作り方は、いかにもソニーの他のオーディオ機器にも通じるこのメーカー特有の姿勢が聴きとれる。レインジの広いことではスタックスよりもやや上かもしれない。ただ、ECR400の場合には、ヒス性のノイズがやや強調されて一種の色あいを感じさせるところから、高域に意図的に個性を持たせているのではないかと感じる。そのためかスタックスよりも音に力を感じるが、反面、いくぶん重いというか、むしろや湿っぽい感じの音に聴きとれて、ナマの演奏で感じられる演奏者の心の弾みや、楽器の持つ明るい色彩感や音の艶が、一様にハーフトーンの暗い感じの色に塗りつぶされるように思った。パワーにはかなり強い。やや大ぶりなソフトなイヤパッドと頑丈なヘッドバンドは、プロ用のヘッドフォンのような感じで、ハード好みのヤングジェネレーション好みのデザインに思える。

スタックス SR-44

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 さすがにコンデンサーヘッドフォンでは最も歴史の長いメーカーの製品だと思った。この種のタイプ(アダプター外付けの本格的コンデンサータイプ)の中では最もローコストの部類であるにもかかわらず、レインジの十分に広い、くせのないバランスの良さが、聴いていて十分に納得させられる。ごく初期の製品には、パワーに弱い面があったが、SR44の場合には、常識的な音量の範囲でという条件つきながら、まず相当の音量でも音のくずれることがなく、コンデンサータイプ特有のキメのこまかい、解像力の良い、しかもやかましさのない美しい音が楽しめる。同価格帯のダイナミック型と比較して、アダプターをとりつける手間を別とすれば音質の上では十分にメリットがあると思う。ただ、たとえばゼンハイザーやベイヤーのような、個性も強い反面、いかにも生き生きした音の弾みや艶は鳴らさない。とても行儀がよく、いくらか平面的で、アクの抜けた音だ。

ソニー ECR-500

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 レインジの十分に広いこと、そして低音から高音に至るまできわめて周到にコントロールされて聴感上のバランスがよく、どの音域にも少しも強調感や欠落感のないところは、国産品中随一といっていいぼとで、ECR400がいくらかクセを感じさせたのに対して、これこそまさにソニーの音、と思わせるところはさすがだ。ただ、ECある400のところでも書いたように、音のひと粒ひと粒が、何となく湿り気を帯びたように、その湿った結果として重さを感じさせるように、どこか梅雨空を見上げるような印象があって、聴いているうちに、もっとスカッと晴れ上った、明るい艶のある音にあこがれたいという気持になってくる。言いかえれば音楽が積極的にこちらに働きかけてくるというのではなく、どこかよそよそしくつき放して分析しているような気分にさせられる。パワーには強いこと、創りのしっかりしていることはECR400について書いたと同じ良さだ。

アルファ HPE-777

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 アダプター独立型の本格的なコンデンサータイプとしては最もローコストだが、やはりアダプター内蔵よりは音の腰がしっかりしてきて、ことにパワーを上げていったときに、アダプター内蔵のエレクトレット型が概して飽和したような音になりがちなのにくらべると、はるかに安定感のある音量が楽しめるようになる。コンデンサー型としては、割合に骨太の音がするが、反面、高域に多少のクセが感じられ、ことにヴォーカルの場合に歯のスキ間から洩れるような発声になる傾向がある。もう少し自然な高音域が欲しい感じだ。低音はバランス上はトーンコントロール等で多少増強したいように思う。がこうすると、高域もややおとなしく聴こえるようになる。ヘッドバンドは多少硬めに作られていて、耳への圧迫はかなり強い。コードはスパイラル型だが、使用感の上ではストレートのやわらかいコードの方がいいのではないかと思う。

ナポレックス NSA-3

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 ヘッドフォンばかりでなくマイクロフォンや、さらにはスピーカー、ことにトゥイーターの場合でも、コンデンサータイプには、特に高音域に一種特有のコンデンサー・トーンとでもいいたい音色がつきやすい。ナポレックスNSA3は、ことにその音色がいかにもコンデンサー的で、この独特の軽い艶はダイナミックタイプでは絶対に聴けない特長だ。この個性は好みにもよるだろうが、私には必ずしも不快ではなく、やや人工的な色あいを感じさせはするものの、弦楽器のオーバートーンなどを爽やかに浮き上らせ、楽しませる。ロック系を含めたポップスでも、リズム楽器がよく浮き上って軽快に切れこむ。低域はやや不足ぎみだが、アンプで補正すれば量感は満足できるし、ことに国産にありがちの低音の反応の鈍さ、重さがない点は評価したい。かなり個性の強い音には違いないが、音楽が気持よく明るく軽くよく弾む鳴り方は、かなり良い特長だと思った。

ゼンハイザー HD-400

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 とりあげたとき、あっと驚くほど軽く、全く何気ない作りなのに、この音の良さはどうだろう。第一に、音楽の土台となる中域から低音域にかけて、音がとても豊かでみずみずしい弾力があって聴き手を楽しませる。中域以上高域にかけては、なだらかな下降特性のように聴こえるが、弦にも声にも独特の艶と張りがあって、しかも音量を上げても少しもやかましくない。ヘッドバンドとユニットの結合部分など、見たり触ったりしているかぎりは、まるで手抜きの作り方のように思えるのに、耳にかけてみると、当りは強すぎも弱すぎもせず、とても快く耳にフィットして、これなら長時間かけていても少しも疲れない。ヘッドフォンをかけた耳に外部から漏れてくる音も、少しも変形せずごく自然なのでいっそう快適だ。そして音楽が鳴りはじめると音が空間にひろがって消えてゆくその余韻までが何とも繊細に美しく展開される。これは良いヘッドフォンだ。

テクニクス EAH-320

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 テストソースの中から、ブラームスのピアノ協奏曲第一(ギレリス/ヨッフム)をまずかけてみて、冒頭のベルリン・フィルの斉奏が、まるで笛のような妙に鼻にかかった音色に変形してきこえてびっくりして、あわてて他のレコードをいろいろかけてみたが、そのどれもが、鼻をつまんだような或いは波の欠けたような音色になる。グラフィックイコライザーでいろいろ探ってゆくと、だいたい3kHzあたりを6dB以上も大幅にダウンさせると、この独特の音色の大半は除くことのできることがわかったが、これはどう考えても妙だ。ただ、テストソースを国内録音の歌謡曲やフォークなどにすると、右に書いたほどには異和感を感じさせなかったのは不思議だった。デザイン上では、ヘッドバンドの部分に耳への当りを細かく調整できる(そのわりには大げさでない)くふうがしてあって、かけ心地はなかなか良い。重量のある割には重さを意識させないのはその辺のうまさだと思う。

サンスイ SS-80

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 全域に亙って充実感あるいは重量感を感じさせる音だ。楽器の低音の支えがしっかりして、うわついたところのない安定な音を聴かせる。音色はどちらかといえばやや暗い感じだが、バランス的にはおそらく2kHz近辺をはさんで中〜高音域にやや固有の音色があって、音量を上げると少々圧迫感が出てくるので、おさえぎみで聴く方が好ましい。音量と音色(トーン)の調整がユニット部についているが、音量調整は便利としても音色調整(トーンコントロール)の方は、これを使うと低音は出ないし音に妙なくせがついてくるしで、どこがいいのか全くわからない。しかも音量調整の方にはクリックがついている(ただしちょっとした力で動いてしまう)が、トーンの方はいつのまにか動いてしまうので具合が悪い。かけ心地の点は、いささか重いことを別にすれば耳へのあたりは悪くないが、半密閉型のせいか、かすかに漏れて聴こえる外部の音が、なにか洞窟の中のような妙な響きに聴こえて気分が良くない。

オーレックス HR-810II

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 HR710からX1……と聴きくらべてくると、大型になったせいか中域以下の力感が増してきて、音の腰が坐ってくる。ただ、高域の繊細さの点ではX1の方が勝っているようで、X1とくらべると、音域が全体に下にズレたような印象だ。ヘッドフォン専用端子にそのまま接続できるが、スピーカー端子から直接とった方が、音がクリアーで音像が明瞭になる点は710やX1と同様である。ただ、同じメーカーの、同じような構造のヘッドフォンでありながら、それぞれが全く別のメーカーの製品のようにデザインに統一のないのはいささか奇異に思える。見た目の印象を別としても、かけ心地がそれぞれ全く異なるのはどういうわけだろうか。そしてかけ心地の点ではこの810/IIはあまり感心できない。ハウジングの部分を支えるステーに遊びがないために、ユニットの角度があまり自由にならなくて、耳への微妙な当りが調整できないのでスキ間ができてしまうのだ。

トリオ KH-800

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 エレクトレット型としては割合にローコストのグループに入るが、音質はなかなか良いと思った。強いていえば低音の量感をトーンコントロール等でわずかに補う方がいっそうバランスが良くなるが管弦楽、ヴォーカル、ジャズと何をかけても、ひととおり楽しめる程度に過不足のない音を聴かせる。音が耳もとに張りつくのでなく、適度に空間に浮ぶ点も圧迫感が少なく聴きやすい原因だろう。ヘッドフォン端子に接続するときもバランスは良いがスピーカー端子から直接とる方が、高域での音の艶や切れ込みが増して好ましく思った。ただ、こうすると潜在的に持っていた高域端の強調感がやや目立って聴きとれて、それが一種の固有の音色になるが、しかし決して不快なものではない。かなり音量を上げてもバランスのくずれることが少ない点も良い。耳への圧力は弱い方ではないが、耳たぶへのあたりの面積の広いせいか、長時間かけても不快感は少ない。

オーレックス HR-X1

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 エレクトレット型の新製品ということで、特徴は各パーツがバラバラに分解できる点にある。非常に軽快なデザインで、かけ心地の点はきわめて良好。公称上の重量がHR710と同じであるにもかかわらず、耳にかけた感じでは、2/3ぐらい軽くなったように思える。側圧が少ないこともあって、耳を圧迫する感じがほとんどなく、長時間の使用にも疲れが少ないだろうと思う。ただ、テストのために何度か分解しているうちに、各チャンネルのつけ根のところがこわれてしまった。あまりタフな作りでないところが少々気になる。HR710のようにスピーカー端子から直接とった方がクリアーな音になる点は同様だが、710よりも音の鮮度が高く、能率もかなり高いので音量を絞って聴いても音像が自然で解像力が良い。しかし音量を上げるにつれて中〜高域が張り出して、大音量での聴取は多少やかましく、やはり中程度以下での試聴に適しているようだ。

ナポレックス CTX-3

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 耳に密着しないために低音のエネルギーが逃げやすいことは構造からも想像がつくが、このままでは低音が全くといっていいほど不足だ。ただし中域以上の音の質やバランスはかなり優秀のように思えたので、アンプのトーンコントロールと、それにラウドネスまで動員して低音を増強してみると、なかなか質の高い緻密でクリアーな音が楽しめる。耳もとから離れて鳴る音場は独特でおもしろい。こうして低音を大幅に補強して聴く際には、出力をヘッドフォン端子からでなく、スピーカー端子から直接とる方が、歪の少ない美しい音が聴ける。なおレコード再生の際はサブソニックフィルターを必ずONにしておく。それとアンプのスピーカー出力端子で残留ノイズの少ないものを使うことが条件になる。本体がやや重いこともあって、耳たぶの周囲をおさえるリング状のパッドの圧力が大きめで、試聴が長時間に及ぶと装着感は必ずしも快適とはいいがたかった。

AKG K140

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 いかにも実質本位に作ったという感じの外観だが,鳴らしてみると低音が非常に豊かに聴こえるのでびっくりする。いわゆる物理データ上の特性は知らないが、実際にレコードを聴いているときの「低音感」がとても豊かだ(もうひとつ上のクラスのK240を聴くと、AKGがこの「低音感」を非常に重視していることがわかる)。相対的な音のバランスでは、たぶん3kHz近辺を中心とした中〜高域にやや強調感があって、音の自然さという点では前に出てきたゼンハイザーのHD400に及ばないが、中〜低域の充実感という点でK140にはまた別の味がある。低域の支えがしっかりしているせいか、中〜高域をここまで張り出させても、いわゆる圧迫感とかやかましさというような弱点にはならないところはさすがだ。かけ心地という点では、パッド部分がやや「耳をおさえている」という感じが強いのが、かけていて少し気になった。

イエクリン・フロート Model 1

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 かける、というより頭に乗せる、という感じで、発音体は耳たぶからわずかだか離れている完全なオープンタイプだ。頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す。しかしここから聴こえてくる音の良さにはすっかり参ってしまった。ことにクラシック全般に亙って、スピーカーからはおよそ聴くことのできない、コンサートをほうふつさせる音の自然さ、弦や木管の艶めいた倍音の妖しいまでの生々しさ。声帯の湿りを感じさせるような声のなめらかさ。そして、オーケストラのトゥッティで、ついこのあいだ聴いたカラヤン/ベルリン・フィルの演奏をありありと思い浮べさせるプレゼンスの見事なこと……。おもしろいことにこの基本的なバランスと音色は、ベイヤーDT440の延長線上にあるともいえる。ただ、パーカッションを多用するポップス系には、腰の弱さがやや不満。しかし欲しくなる音だ。