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マークレビンソン ML-6AL

菅野沖彦

’81世界の最新セパレートアンプ総テスト(ステレオサウンド特別増刊・1981年夏発行)
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」より

 左右独立、それも電源からボリュウムコントロールまでという徹底ぶりだ。その勇気と潔癖症には脱帽するし、こういう製品が一つぐらいはあってもよいと思う。しかし、これはもう一般商品とはいえないし、プロ機器としては、さらに悪い。本当は業務用こそ、誰が使っても間違いなく、容易に使えて、こわれないものであるべきなのだ。この製品の登場は業務用機器のメーカーではないことを立証したようだ。

音質の絶対評価:7.5

マークレビンソン LNP-2L

菅野沖彦

’81世界の最新セパレートアンプ総テスト(ステレオサウンド特別増刊・1981年夏発行)
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」より

 いかにもマニアックなクォリティに満ちた製品で、見てもさわっても、音を聴いても、他製品とは全くちがう肌ざわりを感じる。これは明らかに業務用機器のもつ質感である。その意味では、きわめて高い可能性をもった機器なのだ。しかし、ハイファイ製品(良い意味で)は、それが、さらにリファインされていなければならない。プロ機器が常に一般機器の上とは限らないのである。もう一つ大人になってほしい製品だ。

音質の絶対評価:9

マークレビンソン ML-7L

菅野沖彦

’81世界の最新セパレートアンプ総テスト(ステレオサウンド特別増刊・1981年夏発行)
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」より

 LNP2Lより、さらに生硬な印象をうけるが、音は別稿の通り立派なものだ。ただし、マーク・レビンソンの一連の製品についていえることだが、明らかに一般ハイファイ・マニアを相手にしながら、プロ機器仕様とデザインを決めこんでいるのはどうかと思う。車でいえば、トラックやブルトーザーのようなデザインばかりではないか。中ではLNP2Lが一番まともだが、決して使いやすくもない。

音質の絶対評価:9

マークレビンソン ML-7L

黒田恭一

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
「いま私のいちばん気になるコンポーネント ML7についてのM君への手紙」より

 M君、先日は、雨の中を、ありがとう。おかげで、まことに刺激的な時間を、すごすことができました。
 いくつかいいコントロールアンプがあるのできいてみますか?──というきみの声を、ローレライの声をきく舟人のような気持で、ききました。大変に誘惑的な、抵抗したくともできない、きみの申し出でした。きかせてくれるというのなら、ご親切に甘えてきかせてもらってもいいであろうと、ぼくはぼくなりに納得し、でも、きみのいう「いいコントロールアンプ」がいかなるものか並々ならぬ興味を感じ準備万端おこたりなく、きみの到着を待ちました。
 しかし、まさかきみがきかせてくれるコントロールアンプの中に、マーク・レヴィンソンのML7が入っていようとは、考えてもみませんでした。ぼくは、きみも知っての通り、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプに対して、批判的などとおこがましいことはいいませんが、肌があわないとでもいいましょうか、値段のことは別にしても、これはぼくのつかうコントロールアンプではないなと思っていました。ひとに音の点で、そのきわだった美しさはわかっても、ぼくにはなじみにくいところがあったからにほかなりません。
 なんといったらいいのでしょう。すくなくともぼくがきいた範囲でいうと、これまでマーク・レヴィンソンのコントロールアンプのきかせた音は、適度にナルシスト的に感じられました。自分がいい声だとわかっていて、そのことを意識しているアナウンサーの声に感じる嫌味のような藻が、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプのきかせる音にはあるように思われました。針小棒大ないい方をしたらそういうことになるということでしかないのですが。
 アメリカの歴史学者クリストファー・ラッシュによれば、現代はナルシシズムの時代だそうですから、そうなると、マーク・レヴィンソンのアンプは、まさに時代の産物ということになるのかもしれません。
 それはともかく、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプをぼくがよそよそしく感じていたことは、きみもしっての通りです。にもかかわらず、きみは、雨の中をわざわざもってきてくれたいくつかのコントロールアンプの中に、ML7Lをまぜていた。なぜですか? きみには読心術の心得があるとはしりませんでした。なぜきみが、ぼくのML7Lに対する興味を察知したのか、いまもってわかりません。そのことについてそれまでに誰にもいっていないのですから、理解に苦しみます。
 たしかに、ぼくは、君のご推察の通り、ML7Lに対して、並々ならぬ興味を抱いていました。ぼくがML7Lのことを気になりだしたのは、例によって、いたって単純な理由によります。本56号の三九八ページから次のページにかけて山中さんが欠いておられた文章を読んだからです。
 山中さんは、このように書いていました──「新しいML7は、そうした従来のモジュールシステムにいっさいとらわれず、モジュール基板からまったく新しい発想で開発された点が最大の特長であり、現在のMLASのチーフ・エンジニアであるT・コランジェロのオリジナルな設計に基づいている。したがって配線レイアウトが新しいポリシーで統一され、現在のMLASスタッフの目指す理念が具体化した意味で、第二世代の……という表現がもっともふさわしいと思うのである。」
 この文章の中でもっともしびれたのは、「第二世代の……」というところです。それを読んで、そうかこれはあのマーク・レヴィンソンではないんだなと思いました。そして、山中さんのその文章でのしめくくりの言葉、「恐るべきコントロールアンプの登場といえよう」で、ぼくの好奇心は炎と化したようでした。
 さらにもうひとつ、山中さんの文章には、気になることがありました。「T・コランジェロ」という、MLASのチーフエンジニアの名前です。コランジェロというのは、どう考えても、イタリア系の名前です。ぼくには悪い癖があって、ジュゼッペ・ヴェルディの国の人間、あるいはその国の血をひく人間は、ことごとくすぐれていると思いたがるところがあります。そのために失敗することもありますが、「T・コランジェロ」という名前を目にして、これはあのヴェルディの国の人間のつくったものかと、炎と化した好奇心に油をそそぐ結果になりました。
 そうこうしているうちに、本誌58号では、このML7Lが、いちはやくというべきでしょうか、「ザ・ステート・オブ・ジ・アート」にえらばれました。その時点では、まだML7Lの音をきいていなかったのですが、自分でも理解できないことながら、さもありなんと思ったりしました。
 そのような経過があって、ML7Lに対する好奇心がまさに頂点に達したところに、きみがぼくにきかせるためにそのコントロールアンプを持ってきてくれたことになります。これはちょうど、かねて噂をきいて一度は会ってみたいと思っていた美女に、思いもかけぬところで紹介されたようなものでした。「ほう、あなたが噂にきこえたML7Lさんでしたか。はじめまして……」などと、どぎまぎしてしまいました。
 ML7Lは、写真から想像していたより、はるかに小さく感じられました。幅は、48・3センチですから、LNP2Lなどと同じなのに、とても小さく感じられました。なにぶんにもコントロールアンプですから、大きい必要はないわけで、ML7Lが小さく感じられたということは、ぼくにとってこのましいことでした。
 人間には、大きさに憧れるタイプと、小ささに憧れるタイプのふたつがあるようです。ぼくはどちらかというと、後者のタイプのようです。ぼくの一応の愛用カメラは、技術不足のためにこれまでに一度としてまともにとれたことがないのですが、ミノックスです。そして、SLの走るのを写真でとったり録音したりするより、メルクリンを走らさせる方をこのみます。実用的価値などあるはずもないと思いながら、あいかわらず、宝クジにでもあたったら(もっとも、宝クジは、買わなければ、あたりっこないのだけれど)、まっさきに怪体と思いつづけているのがあの手のひらにのるオープンリールデッキ、ナグラのSNNです。
 そういうことがありますので、ML7Lを小さく感じたということは、ぼくにはよろこばしいことでした。いかにも頭脳明晰という印象でした。ぼく自身が大男とはいいがたい身体つきなために、大男総身に知恵が回りかねという俗説を、どうやら胸の底で信じているようです。そういえば、好きな音楽家も、どちらかといえば小柄な人が多いようです。とはいっても、その人が小柄だからその人の音楽が好きになったというわけではいないのですが。
 しかし、むろん、コントロールアンプですから、みため、あるいはスタイルは、二の次です。やはり肝腎なのは音です。
 あれでかれこれ二時間近くもML7Lをきかせていただいたことでしょうか。なんともいいがたい、ひとことでいうとすれば、まさに満足すべき音でした。うっとりとききほれました。M君は「色っぽい音」と表現されましたが、なるほどと思いました。そのとき、実際に音をきかせてもらって、それまで晴れた空でときおり太陽をかくす雲のように気になっていたかすかな不安が、消しとびました。そのかすかな不安というのは、本誌58号一七六〜七ページで瀬川さんがお書きになった文章によって、ぼくの胸のうちに芽ばえたものでした。
 瀬川さんは、このように書いていらっしゃいました──「ML7を、同じ氏レビンソンのML2L(モノーラル・パワーアンプ)と組合せると、まったく見事な音が鳴ってくるが、パワーアンプ単体としては、これまた現代の最尖端をゆくひとつと思われるスレッショルドの『ステイシス1』と組合せると(少なくとも私個人の聴き方によれば)何となく互いに個性を殺し合うように聴こえる。」
 ぼくのところのパワーアンプは、ごぞんじの通り、いまではもう『現代の最尖端をゆく」とはいいがたい、しかしステイシス1と同じメーカーの、4000Aです。これは置き場所にも困るまさしく大男ですが、総身に知恵がまわりかねているとは思えません。勝手なものですね。結局は、自分がいいと思えれば、どっちでもいいということなのかもしれません。なんとも節操のないことです。
 ぼくのパワーアンプは、スレッショルドでも、ステイシス1ではなくて4000Aであるからと思いながらも、瀬川さんの言葉は気になっていました。しかし、音をきいて、そかすかな不安は、消しとびました。なにぶんにもぼくはML7LをML2Lとつないだ音をきいていませんから、それとこれとの比較はできませんが、ML7L+スレッショルド4000Aの音に、ぼくは満足しました。
 ぼくがどのように満足したか、それを、あのときも、いたらぬ言葉で、あれこれおはなししましたが、ここにもう一度、整理して書いておくことにしましょう。
 満足というのは、おそらく、きき方にかかわります。そして、きき方とは、音楽への、,ひいては音へのこだわり方であろうと、ぼくは考えます。なにゆえにこだわるかとんいえば、対象、つまり音楽、あるいは音への、ひとことでいうと愛があるからでしょう。このところは、こうではなく、もう少し美しくきこえるはずであるがと思ったときに、いま現在きこえている音に対しての不満が生れます。ドン・ジョヴァンニの栄光も不幸も、女性を愛しすぎたことに起因していると考えるべきでしょう。音楽を、ないしは音を愛していなければ、まあこんなものさといってすましていられるでしょう。
 こうではなく──と思うのは、困ったことに、新しくていいレコードをきいたときに多いようです。一方ではいいレコードだなと思い、もう一方で、こうではなく、もっとよくきこえるはずであるがと思うと、胸の中の不満の種がすっくりと芽をだします。あの、きみがML7Lをもってきてくれた雨の日に、ぼくは胸の中の不満の種をなだめるのに手をやいていました。
 きっとおぼえていてくれていると思いますが、あの日、ぼくは、「パルシファル」の新しいレコードを、かけさせてもらいました。カラヤンの指揮したレコードです。かけさせてもらったのは、ディジタル録音のドイツ・グラモフォン盤でしたが、あのレコードに、ぼくは、このところしばらく、こだわりつづけていました。あのレコードできける演奏は、最近のカラヤンのレコードできける演奏の中でも、とびぬけてすばらしいものだと思います。一九〇八年生れのカラヤンがいまになってやっと可能な演奏ということもできるでしょうが、ともかく演奏録音の両面でとびぬけたレコードだと思います。
 つまり、そのレコードにすくなからぬこだわりを感じていたものですから、いわゆる一種のテストレコードとして、あのときにかけさせてもらったというわけです。そのほかにもいくつかのレコードをかけさせてもらいましたが、実はほかのレコードはどうでもよかった。なにぶんにも、カートリッジからスピーカーまでのラインで、そのときちがっていたのは、コントロールアンプだけでしたから、「パルシファル」のきこえ方のちがいで、あれはああであろう、これはこうであろうと、ほかのレコードに対しても一応の推測が可能で、その確認をしただけでしたから。はたせるかな、ほかのレコードでも考えた通りの音でした。
 そして、肝腎の「パルシファル」ですが、きかせていただいたのは、前奏曲の部分でした。「パルシファル」の前奏曲というのは、なんともはやすばらしい音楽で、静けさそのものが音楽になったとでもいうより表現のしようのない音楽です。
 かつてぼくは、ノイシュヴァンシュタインという城をみるために、フュッセンという小さな村に泊ったことがあります。朝、目をさましてみたら、丘の中腹にあった宿の庭から雲海がひろがっていて、雲海のむこうにノイシュヴァンシュタインの城がみえました。まことに感動的なながめでしたが、「パルシファル」の前奏曲をきくと、いつでも、そのときみた雲海を思いだします。太陽が昇るにしたがって、雲海は、微妙に色調を変化させました。むろん、ノイシュヴァンシュタインの城を建てたのがワーグナーとゆかりのあるあのバイエルンの狂王であったということもイメージとしてつながっているのでしょうが、「パルシファル」の前奏曲には、そのときの雲海の色調の変化を思いださせる、まさに微妙きわまりないひき兆の変化があります。
 カラヤンは、ベルリン・フィルハーモニーを指揮して、そういうところを、みごとにあきらかにしています。こだわったのは、そこです。ほんのちょっとでもぎすぎすしたら、せっかくのカラヤンのとびきりの演奏を充分にあじわえないことになる。そして、いまつかっているコントロールアンプできいているかぎり、どうしても、こうではなくと思ってしまうわけです。こうではなくと思うのは、音楽にこだわり、音にこだわるかぎり、不幸なことです。
 ML7Lをきかせてもらっていたときのぼくは、傷の痛みに悩んでいるアムフォルタスが麻酔薬をうたれたようなものでした。束の間、痛みを忘れ、そうなんだ、こうでなくては、とつぶやきつづけていました。
 ML7Lの音には、ぼくが「マーク・レヴィンソンの音」と思いこんでいた、あの、自分の姿を姿見にうつしてうっとりみとれている男の気配が、まるで感じられません。ひとことでいえば、すっきりしていて、さっぱりしていて、俗にいわれる男性的な音でした。それでいて、ひびきの微妙な色調の変化に対応できるしなやかさがありました。そのために、こだわりが解消され、満足を味ったということになります。
 しかし、たとえそのとき満足しても、それでよかったよかったということではありません。アムフォルタスに麻酔薬がきいていたのは、なんといってもほんの二時間です。後をどうしてくれるんだと、きみにからんでもはじまりません。あのフュッセンの雲海をみつづけるためには、ぼくにとって少額とはいいかねる出費を覚悟しなければなりません。それにしてもML7Lの値段は、お金持にとってはなんでもないのかもしれないけれど、ぼくのような、金持でもなく、ほしいものばかりやたらにある人間にとっては、感動的です。涙がでます。
「どうしますか?」と、きみは、にやにや笑ってたずねました。どうするもこうするもない、ぼくはいま、一ヵ月ほどのヨーロッパ旅行を前にして、それでなくとも金がないのだから、買いたくとも買えるはずがないわけです。
そして、あの日、きみには、ひとまずML7Lを持って帰ってもらいました。そのあとのぼくがいかにもんもんとしたかは、ご想像にまかせます。そして、あれから一週間ほどして、きみは電話をくれました。この電話が決定的でした。きみとしてはジャブのつもりでだした一打だったのでしょうが、そのジャブがぼくの顎の下をみごとにとらえました。ぼくとひとたまりもなくひっくりかえってしまいました。「やっぱり買うよ、俺、ML7Lを」と、電話口で、ぼそぼそといってしまったのです。
 もしかするときみは、ぼくになにをいったのか、おぼえてさえいないのかもしれません。念のために、ここに、書いておきます。きみは、こういったんです──「田中一光先生がML7Lをお買いになるんだそうですよ」。このひとことはききました。そうか、田中一光氏がかうのか──と思いました。
 ぼくは、光栄なことにぼくの本の装幀を田中一光氏にしていただいて、仲間たちから、なかみはどうということもないけれど装幀がすばらしいといわれて、それでもなおうれしくなるほどの田中一光ファンですが、まだ一度もお目にかかったことがありません。でも、直接お目にかかっているかどうかは、さしあたって関係のないことで、その作品やお書きになったものから、ぼくの中には、厳然と田中一光像があって、その田中一光氏がML7Lを使うとなれば、よし、ぼくもがんばってということになります。このとののぼくの気持は、アラン・ドロンが着ているからという理由で、その洋服を着てみようとするできそこないのプレイボーイの気持に似ていなくもありませんでした。
 いずれにしろ、決心のきっかけなんて、他愛のないものです。よし、ぼくもML7Lを買おうと決心した、つまり、清水の舞台からぼくをつき落としたのは、きみのひとこと「田中一光先生がML7Lをお買いになにんだそうですよ」だったということになります。
 そのあとで、きみは、さらに追いうちをかけました。「MCカートリッジ用のL3ハイゲイン・フォノアンプはどうしますか?」と、心優しいきみはいいました。ごぞんじの通り、ぼくはまだ、MCカートリッジ用のL3ハイゲイン・フォノアンプの音をきいていません。それをつけることによって、それでなくとも高価なML7Lがさらに高価になることはわかっていますが、最近は、MCカートリッジしか使わないので、L3ハイゲイン・フォノアンプをつけてもらおうと思いました。ひとたび清水の舞台からつきおとされたのであるから、どこまでだってとびおりてやる──というのは上段で、コントロールアンプの音があのようであるのなら、一種の信頼が、未聴であるにもかかわらず、L3ハイゲイン・フォノアンプをくみこんだかたちでつかおうと、ぼくに思わせたにちがいありません。
 人に対しても、ものに対しても、疑うというのは、ぼくのこのむところではありません。それに、ML7Lの音があまりにも見事であったので、L3ハイゲイン・フォノアンプに対しても、未聴であるにもかかわらず、信用したということのようです。もし期待通りの音でなかったら、自分の不覚を恥じるよりありませんが、まさかそんなことはないであろうと、いまは思っています。
 明後日、ぼくは、ヨーロッパにでかけます。おかげで、すっからかんの財布をポケットに出かけなければなりませんが、やむをえません。一ヵ月後に帰ったころには、ハイゲイン・L3フォノアンプのくみこまれたML7Lがとどいていることでしょう。おちおちヨーロッパを歩きまわってもいられない気持ですが、予定したことなので、でかけます。
 帰ったら、一度、ML7Lの音をききにきて下さい。したたかなきみに、これぞ世界一の音といわせるような音をきかせますから。

マークレビンソン LNP-2L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 1973年に、レヴィンソンが、テープに録音するためのミニ・ミクシングコンソールのような目的で作ったのがLNP−2で、その後何回も小改良が加えられて、こんにちに至っている。別にML−6ALやML−7Lのような、機能を最小限に抑えて極限まで性能を追求した製品もあるが、大幅なゲイン切換やトーンコントロールその他、レコード観賞に必要な機能を備えたコントロールアンプとして、今日これ以上の音を聴かせる製品は他にない。

マークレビンソン ML-7L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 58号(1981年3月発行)
特集・「第3回《THE STATE OF THE ART 至上のコンポーネント》賞選定」より

 マーク・レビンソンのアンプは、これ以前のML6に至るまでにも、型番こそ大きく変えはしなかったもののその内容は、ほとんど一年を経ずして何らかの改良が加えられていて、こまかく見るかぎり製造の時期によっては全く別もののような音質の違いを聴かせる。
 けれどML7は、そうしたこまかな音の変化ではなく、誰の耳にももう明らかに、大きな変りようを示した。それも当然で、ML6までの永いあいだ、レビンソンのプリアンプは、増幅回路にマッチ箱ほどの小さな密閉型モジュールアンプを一貫して採用し続けてきた。それがML7に至って、ついに、この永年のモジュールをやめて、露出型のプリント配線基板の上に、無理なく高級パーツを配置した大型モジュールに変更された。これは、最近になってチーフ・エンジニアとして迎えられたトム・コランジェロの主張によるものだといわれている。コランジェロの手はML6から加えられていたらしいが、ML7の新モジュールになって、はじめてその本来の意図が生かされたと考えられる。ML7によって、レビンソンが第2世代に入ったといわれるゆえんであろう。
          *
 ML7の音質は、従来のレビンソンの一連の製品とくらべて、はるかに充実感が増して力強い。とくにML6とは非常に対照的だ。ML6の音は、とても柔らかく、一聴して千歳であり、どこか女性的と言いたいような、しなやかな印象がある。ML7を聴くと、まるで正反対に、全音域に亘って音がみなぎり、よく埋まっていて、帯域上での欠落感がほとんどない。ML6には、本来力強く直截的に鳴るべき音でも、エネルギーをやや弱めて独特のニュアンスをつけ加える傾向があった。それは弦楽器の表現などにある種の雰囲気を持たせて、ときに麻薬のように利いてくる。私はその音にかなりしびれていた。が、その部分を嫌う人に言わせると、音の力が弱い、あるいは、なよなよしている、などのネガティヴな表現ともなったようだ。
 その点、ML7にはそういう評価が聞かれないだろうと思う。音のすべてが、スッと、何も力まず、といってことさら弱めたり味をつけたりもせず、まるでそのまま、といった自然さで出てくる印象だ。強い音は強く、直截的な音は直截的に、それでいてしなやかな味わいや雰囲気のある音はそういう味わいで。
 ……というと、ML7の音は、まるでアンプの理想像(加えられた電気信号を少しも歪めずに増幅する)を実現させてしまったかのように思われそうだが、その時点でいかに完全無欠のように思われる音でさえも、次にもっと優れたアンプが出現すると、そこで改めて、欠けていた部分に気づかされる、という形をとる。ここがアンプの難しくも面白いところだ。
 ML7を、同じレビンソンのML2L(モノーラル・パワーアンプ)と組合せると、まったく見事な音が鳴ってくるが、パワーアンプ単体としては、これもまた現代の最尖端をゆくひとつと思われるスレッショルドの「ステイシス1」と組合せる(少なくとも私個人の聴き方によれば)、何となく互いに個性を殺し合うように聴こえる。ということは、やはり、ML7にも相当の個性があるという証明になるだろう。
          *
 すでに発表されているように、イクォライザー(フォノアンプ)モジュールには、一般のMM型にゲインを合わせたL2と、ハイゲインのL3とが用意されていて、なおL2はゲイン切換えによって高出力MCがそのまま使える。しかし私のテストでは、どうもローゲインのままでの使用が最も音質が良いように感じられた。が、なおこの点についてはもう少し追試を重ねてから詳しくご報告したいと思う。

マークレビンソン LNP-2L, ML-1L, ML-2L, ML-3, ML-6, LNC-2L

マークレビンソンのコントロールアンプLNP2L、ML1L、ML6、パワーアンプML2L、ML3、エレクトロニッククロスオーバーネットワークLNC2Lの広告(輸入元:R.F.エンタープライゼス)
(スイングジャーナル 1980年7月号掲載)

MarkLevinson

マークレビンソン ML-6L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 53号(1979年12月発行)
特集・「第2回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント17機種の紹介」より

 マーク・レビンソンというアメリカ人の若いエンジニア──といっては正しくない。彼はまたミュージシャンでもあり、録音ミクサーとしても一流の腕を持っているのだから──の完璧主義ぶりについては、いろいろの機会にすでに紹介されている。そして、その彼の作ったコントロールアンプLNP2(L)と、それをいっそうシンプルにしたML1Lが、他に類のない透明な美しい音を聴かせることも、いまではよく知られている。
 LNP2は、1973年にはじめて発表された。彼はその発表に先立つ少なくとも2年以上まえにその原型をほとんど完成させていた。が、発売後も彼は持ちまえの完璧主義で、LNP2に随時改良の手を加えていた。マーク・レビンソンのしプが、発売後ほとんど同じモデルナンバーで売り続けられているために、レビンソンはモデルチェンジをしないメーカーだと一般には理解されているが、実際には彼のアンプは、もう全く別のアンプと言ってよいくらい、内部の回路も使用パーツも、とうぜんその音質も、変ってしまっている。最新型のLNP2Lと初期のLNP2を聴きくらべるとそのことがよくわかる。初期の製品を、最新型とくらべると、ずいぶん音が曇っているし硬い。反面、最新型にくらべて音の肌ざわりがどこか暖かいとかえって旧型を好む人もあるが。
 そういうアンプの作り方をするレビンソンの、現時点での最新作が、このML6で、シャーシから電源まで完全に独立したモノーラルのプリアンプだ。したがってステレオ用としては二台を重ねて使う。とうぜんのことながら、すべてのコントロールは、LR別だから、ボリュウムも二つを同時にまわす。といってもこれは実際には意外な難作業だ。というのは、このプリアンプでボリュウムを絞って聴きたいときのボリュウムコントロールの位置は、絞り切った点からほんのちょっと上げただけのあたりに最適位置があって、そういうポジションでステレオの二台の音量を正確に合わせるというのは、ひどく難しい。
 ただし、コントロールのツマミはこれ以外にはもう一ヵ所、入力切替スイッチしかついていないから、ボリュウム以外には操作のわずらわしさはない。とくに入力切替は、フォノとライン(AUX)の中間にOFFポジションがあるから、レコードのかけかえ等にいちいちボリュウムを絞る手間は省ける。とはいっても、レコード一枚ごとの音量を小まめにやりたい私のような人間には、このボリュウムの操作は気が狂いそうに難しい。
 だいたいこのML6というアンプは、音質を劣化させる要素をできるだけ取り除くという目的から、回路の簡素化を徹底させて、その結果、使いやすさをほとんど無視してまで、こんにちの技術水準の限界のところでの音質の追求をしている製品だけに、そういう事情を理解しない人にとっては、およそ使いにくい、全く偏屈きわまりないプリアンプだ。個人的なことを言えば、私はレコードを聴くとき、できればトーンコントロールが欲しいほうだから、本来、こんな何もないアンプなど、使う気になれないというのが本心だ。
 そうでありながら、このML6の鳴らす音を一度耳にした途端から、私はすっかり参ってしまった。なにしろおそろしく透明で、素直で、音の表情を素晴らしくナイーヴに、しなやかに、鳴らし分ける。どこか頼りないくらい柔らかな音のように初めのうちは感じられるが、聴いているうちに、じわっとその音のよさが理解されはじめ、ふわりと広がる音像の芯は本当にしっかりしていることがわかる。こういう音を鳴らすために、いまの時点でこういう使いにくさがあるとしても、こりゃもう仕方ないや、と、いまやもうあきらめの心境である。
 しかしレビンソンが菜食主義であるせいだろうか、彼の音には、こってりした、とか、たっぷりと豊かな、とか言う形容の音がない。そこが、レビンソンを嫌う人の少なくない点だろうか。

マークレビンソン ML-6L, ML-3L

菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポート」より

 優秀な特性による品位の高い音だとは思えるけれど、どうも、音楽の表現にゆとりがなくなる。大らかな歌い方、暖かく、やさしいニュアンスといった雰囲気が十分ではなく、どこか、ギスギスした、せせこましい印象の音であった。ダイナミックな力もいま一つ。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その12)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 ところで、ML6の音は良いと思い、ML2Lの音にまた感心し、両者を組合わせたときの音の素晴らしさに惚れ込みながら、しかしその音だけでは十全の満足が得られないように思われる。それは一体何だろうか。
 おそらく、音の豊かさ、それも、豊潤(あるいは芳醇)とか潤沢とか表現したいような、うるおいも艶もそして香りさえあるかのような豊かさ。光り輝くような、それも決してギラギラとまぶしい光でなく、入念に磨き込まれた上品な光沢、といった感じ。
 そんなリッチな感じが、レビンソンの音には欠けている。というよりもレビンソン自身、そういう音をアンプが持つことを望んでいない。彼と話してみてそれはわかるが、菜食主義者(ヴェジタリアン)で、完璧主義者(パーフェクショニスト)で、しかもこまかすぎるほど繊細な神経を持ったあの男に、すくなくとも何か人生上での一大転換の機会が訪れないかぎり、リッチネス、というような音は出てこないだろうと、これは確信をもっていえる。
 いわゆる豊かな音というものを、少し前までのわたくしなら、むしろ敬遠したはずだ。細身で潔癖でどこまでも切れ込んでゆく解像力の良さ、そして奥行きのある立体感、音の品位の高さと美しさ、加えて音の艶……そうした要素が揃っていれば、もうあとは豊かさや量感などむしろないほうが好ましい、などと口走っていたのが少し前までのわたくしだったのだから。たとえば菅野沖彦氏の鳴らすあのリッチな音の世界を、いいな、とは思いながらまるで他人事のように傍観していたのだから。
 それがどうしたのだろう。新しいリスニングルームの音はできるだけライヴに、そしてその中で鳴る音はできるだけ豊かにリッチに……などと思いはじめたのだから、これは年齢のせいなのだろうか。それとも、永いあいだそういう音を遠ざけてきた反動、なのだろうか。その詮索をしてみてもはじまらない。ともかく、そういう音を、いつのまにか欲しくなってしまったことは確かなのだし、そうなってみると、もちろんレビンソン抜きのオーディオなど、わたくしには考えられないのだが、それにしても、マーク・レビンソンだけでは、決して十全の満足が得られなくなってしまったこともまた確かなのだ。
 それならそういう音を鳴らすアンプが現実にあるのか──。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その11)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 さて、ここにこれも新型のML3(パワーアンプ)を持ってくるとおもしろい。いままでの話は、パワーアンプにML2Lまたはその他のメーカー製品を組合わせていたときのことだが、ML6とML3の組合せでは、どこか頼りないというあの感じがいっそう際立ってくる。全体に柔らかく甘い雰囲気が漂っていて、LNP2L+ML2Lのようないくぶん硬質のピシッと締った音とはかなり傾向を異にしている。したがって、ヴァイオリンのソロなど、それもやや硬めに録音されたレコードなどでも、高域がことさらきつくなるようなことがない。ただ、ジャズ等の場合でのドラムスやスネアの、打音の力感、あるいはスネアドラムの引締った乾いた音を求めて聴くときには、ML3ならむしろLNPでドライヴしたほうがピントが合ってくるし、逆にML6のどこまでもこまかく切れこんでゆく解像力を生かすのなら、パワーアンプはML2Lのほうが正解ではないかと思う。
 言うまでもなくML2Lは純Aクラス・モノーラル構成で公称25ワット、ML3はABクラスのステレオ構成で公称200ワット。この両者を比較すれば、ML3のほうがよほど力のあるアンプのように思えるが、現実に鳴ってくる音はどちらかといえばむしろ逆で、ML2Lの力感は音を聴いているかぎり25ワットの出力などとは(輸入元の話では最近のモデルは50ワット以上出ているそうだが、それにしても)とうてい信じ難い。引締った打音の迫力や、ぜい肉を少しもないしかし徹底的に鍛えた筋力をみるようなしなやかな力感は、さすがと思わせる。一方のML3は、200ワットという出力への期待の割には、低音域での力を露に感じさせない。その点ではML2Lのほうが、コリコリと硬質の低音を聴かせるのにML3の低音は、芯をほぐして量感をややおさえる感じだ。つまりレビンソンに関する限り、小出力のML2Lのほうが総体に硬めの音がして、大出力のML3のほうが柔らかく、弦やヴォーカルの滑らかな感じが一見よく出るかに思わせる。
 LNP以来レビンソンの音を気に入って愛用しているひとりとして、現時点でどれをとるかといわれれば、ML6+ML2L(×2)ということになりそうだ。この組合せが最も音の透明度が高く、そしてML6がML2Lの内包している音の硬さを適度にやわらげてくれる。ML6のコントロール・ファンクションの全くないこと、そしてボリュウムなどが連動しないモノーラル構成のためやや扱いにくいこと、はこの際言ってもはじまらない。わたくし個人はトーンコントロールのないプリアンプはレコードを聴く側として大いに不満なのだが、しかしML6の音の透明感は、そうしたコントロール・ファンクションを省略したからこそ得られたものにちがいないことが、音を聴いて納得させられてしまう。その点、従来からあったいくつかの内外のプリアンプが、トーンコントロール類を省略してもなおかつ、LNPの透明感にさえ容易に及ばなかったのにまさに雲泥の相違といえるだろう。それにしてもML6は、手もとに置いて永く使っていると、その音質にますます惚れ込んでゆきながら、それと反比例してコントロール類のいじりにくさ、少なさに、次第に欲求不満がこうじてきそうな気がするのはわたくしひとりだろうか。しかし音が良い。困ったものだ。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その10)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

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 レビンソンは、最初LNP2とJC2という二種類のプリアンプと、MCヘッドアンプしか発売しなかったから、せっかくのLNP2の透明な音質を生かすために、パワーアンプにはずいぶん迷った。エクスクルーシヴのM4をやや長いあいだ聴いているうちにSAEのMARK2500を聴く機会があった。このパワーアンプは、300W+300Wという大出力ながら、それ以前のアメリカの大出力アンプに共通の、弱音での音のにごりや汚れの感じられない点に好感を持ったが、それよりも、LNP2と組合わせたときに、MARK2500の、どちらかといえば手綱をゆるめた感じの低音、それゆえのふっくらした豊かな鳴り方、が、LNPの、というよりレビンソンの本質的に持っている線のやや細い、いくぶん冷たい音質をうまく補ってくれて、総合的にとても良い組合せだと感じた。MARK2500のごく初期のサンプルを知人がいち早く購入してその音の良さは知ってはいたが、決して安くはないので少々ためらっていたところ、本誌特別増刊のアンプ特集号(昭和51年/1976年)の試聴で、その当時気になっていたいくつかのアンプと比較しても、LNP+SAEの組合せに感じていた好ましい印象は全く変らなくて、少なくともわたくしにとっては最良の組合せに思えたので、MARK2500を購入。この組合せが、永らくわたくしの愛機でもあり比較のときの標準尺度ともなっていた。レビンソンからは、やがてML2Lが発表された。聴けば聴くほど、その音の透明でどこまでも見通しのよい感じの解像力の高さや、ひずみ感の全くない音の品位の高い美しさに惹きつけられた。反面、LNPと組合わせたときに、とうぜんのことながらレビンソンの体質そのものとでもいいたいような、いくぶんやせすぎの、そしてどこか少々強引なところも感じられる音を、果して自家用としたときに永く聴き込んでどうなのか、見きわめがつかないまま、購入を見送っていた。わたくし個人には、やはりSAEと組合わせたときの音の豊かな印象のほうが好ましかったからだ。
 昨年の暮に新しいリスニングルームが完成し、音を出しはじめてみると、こんどは残響を長く、部屋の音を豊かにと作ったせいか、SAEの鳴らす低音を、心もちひきしめたくなった。そこで試みにML2Lを借りてきてみると、以前よりは気にならないし、なにしろその解像力の良さはどうしても他のアンプでは及ばない。それでML2L×2も自家用のラインに加えて、ここしばらくは、組合せをときどき変えながら様子をみてきた。
 そこに今回の試聴である。
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
 ともかくML6の音は、いままで聴きえたどのプリアンプよりも自然な感じで、それだけに一聴したときの第一印象は、プログラムソースによってはどこか頼りないほど柔らかく聴こえることさえある。ML6からLNPに戻すと、LNPの音にはけっこう硬さのあったことがわかる。よく言えば輪郭鮮明。しかしそれだけに音の中味よりも輪郭のほうが目立ってしまうような傾向もいくらか持っている。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その9)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 先ほどもふれたアメリカのオーディオ機器の一時的な衰退あるいは不毛から脱出するきっかけを作ったのは、アンプの分野ではマーク・レビンソンの出現であったことに異論はあるまい。レビンソンは、1973年に、彼の最初の市販品LNP2型コントロールアンプを発売している。この製品が日本に広く知られるのは1976年以降のことになるが、永いあいだ、真の意味での優秀なオーディオアンプが誕生しなかったアメリカで、LNP2以後、続々と若い世代がアンプメーカーを興しはじめて、それらのほとんどが、スペック(規格)を発表する際に『レビンソンと比較して……』といった表現をとっていたことから、逆に、レビンソンの性能がいかに大きな影響を及ぼしたかが伺い知れる。
 LNPを最初に自宅で聴くことができたのは、1975年だった。この試聴はそして、マランツ、JBL、マッキントッシュ以来、絶えて久しくおぼえたことのなかった驚異をもたらしてくれた。JBL以後の新しいトランジスターアンプへの永いあいだの疑念を、LNP2は一挙に拭い去ってくれた。かつてあれほど、JBLの透明な解像力の良さに驚かされたはずなのに、LNP2を一度聴いたあとでは、JBLでさえすでに曇って聴こえた。電子工学の進歩を、ほんとうに思い知らされた。だが、SG520の発売が1963年。すると、マーク・レビンソンまでの10年ものあいだ、SG520は、トランジスター・プリアンプの王座を保ち続けたことになる。これもまた、たいした偉業と言ってよいだろう。
 さて久々に良いプリアンプにめぐり会って、わたくしの衝動買いの癖はたちまちLNP2を手に入れたが、実はこのコントロールアンプくらい、発売以後いろいろと手が加えられ、音質の改善されている製品も珍しい。LNP2がLNP2Lとなり、その後電源が新型のPLS153Lに改善された、という程度にしか、外観からの変化は見つけにくい。だが、実際には、増幅素子のオペアンプ・モジュールの変更、プリント基板やボリュウム・スイッチ類の改善、その他のこまかな改良等、LNP2の音質はずいぶん変化している。そして、改良のプロセスごとに、音質はいっそう透明度を増し、聴感上の音のひずみや濁りが減少して美しい音質にはいっそうの磨きがかけられてきた。我が家のLNP2も、やがてLNP2Lとなり、最近になって新電源つきの新製品にと、つごう三回、交換されている。もともとやすくないアンプだが、だからといって、一旦改良型の音を耳にしてしまうと、多少の無理をしてでも交換したくなるというのが口惜しいところだ。

マークレビンソン ML-1L

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

マークレビンソンのディスクの世界を聴かせるハイクォリティの音。

マークレビンソン LNP-2L

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

録音・再生アンプながらディスクにも最高の結果は全く見事である。

マークレビンソン ML-1L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

LNP2Lの音の深みと機能の豊富さには及ばないがやはり第一級。

マークレビンソン LNP-2L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

何度改良され、当分はこれ以上おそらく望めないだろう最高の性能。

マークレビンソン ML-2L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

こんにち聴くことのできる範囲で音も透明度の高い、最上級の音質。

マークレビンソン ML-2L

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

定格出力と聴感上のパワー感の常識をくつがえした超高級モデルだ。

マークレビンソン LNP-2L

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 LNP2が2Lと改称されたのは、新しく採用されたスイスLEMO社のコネクターの頭文字をとったのだそうだが、旧型とは別のアンプのように改良された音は、別にコネクターのせいではなく、まず別筐体の電源回路が強化されたことが第一。それに加えて2Lになる少し前から、増幅素子その他の回路素子、部分品類の小改良の積重ねが実って、最新型で聴くことのできるおそろしく透明で繊細で、緻密で優雅、そして音の奥行きとひろがりの素晴らしさを満喫させる音に仕上った。自宅でも常用しているが、できればオプション(別売)のバッファーアンプを回路に追加してもらう方が音質が向上する。本誌試聴機もそうなっている方を使っている。

マークレビンソン ML-1L

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 以前のJC2と基本的には同じ製品だが、型番がML1Lと変る以前から、内容にはかなり大幅の改修が加えられて、音質は旧型と一変している。旧JC2の一聴していわゆるハイ・ディフィニション(明瞭度が高い=高解像力)という印象の音よりも、大づかみにはLNP2Lのおだやかな音質に近づいた。というより、音の深味あるいは奥行きの深さと幅の広さではLNPにほんの一息及ばないが、基本的な性格はLNPと紙一重というところにせまって、あくまでも透明ですっきりと品位の高い音質は、両者を比較しないかぎりその差に気がつきにくいだろうと思わせるほど完成度が上っている。ゲインが高いためDL103Sクラスはトランスなしで実用になる。

マークレビンソン ML-2L

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

「オテロ」冒頭のトゥッティの持続の分厚いハーモニィのからみあいの中から、弱音の微妙な色あいの美しさがキラリと浮かぶ解像力の素晴らしさに思わずハッとさせられる。弦楽四重奏では四つの声部の、というより各楽器の四本の弦の表情の変化まで聴き分けさせ、アメリンクの声、その伴奏のピアノの心理表現まで感じとれる。ベーゼンドルファーの強靭な中にも丸みと艶のあるタッチも満足できるし、シェフィールドではかなりの音量まで上げても、表示出力の信じ難い凄い底力がある。キングズ・シンガーズなどまさにかくあるべき理想が鳴ったという印象。一見引締ったクールなやせ形の音。およそ極限まで磨き込まれた質感の高さ、緻密な力と滑らかさの絶妙なバランス。

マークレビンソン LNP-2L

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 リファレンス用コントロールアンプとして数多くのパワーアンプの試聴用に使用して、その役目をほぼ完全に果したこと自体だけでも、このLNP2Lの群を抜く優れた性能と音質を物語るに充分なものがある。
 スッキリと伸びた周波数レンジをもち、全帯域にわたり、音色が明るく適度の重さがあり、音の密度が濃く、格調の高い都会的に洗練された音である。バランス的には中高域が少し硬質であるが、これはこのモデルがユニークな発想のデッキ用録音・再生アンプとして開発されたという、コンセプトの違いが、独得の硬質さをもつディスクをプログラムソースとすると相乗的に働くためで、アンプとしての正確さを示していると思う。

マークレビンソン ML-1L

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 リファレンスコントロールアンプLNP2Lと比較をすると、全体に軽くやや薄い音であり、低域の緻密さ、厚みも少し不足する。しかし、中域が量的に充分あり、音の密度が薄くないのは大きな特長である。
 ゲイン切替をハイとすると音は全体に引き締り、シャープさが出てくる。また、左右チャンネル独立のバランスコントロールの位置によっても音が変化し、マキシマムの+5dBの位置がもっともクリアーに抜けた、緻密で爽やかな音になる。ゲイン切替をローとし、バランスを0dBとすると、もっともLNP2Lの音に近くなるが、低域はより柔らかく、軟調気味である。音場感的には空間がよく広がり、音像もクリアーに立つタイプだ。

マークレビンソン ML-2L

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 定格パワーからすると想像のできないパワー感があり、引き締った緻密な音をもつパワーアンプである。少なくとも、データ的なパワーと聴感上のパワーがこれほど大きく異なった例はなく、パワーとは何かをあらためて考えざるをえない。このモデルの特長は、スピーカーシステムに対して非常に強力な働きかけをすることであり、低出力アンプでは暗く、重く、鈍くなる4343の低域をキリッと締め上げて、タイトで反応のシャープな素晴らしい音に一変させてしまうには驚かされる。しかし、LNP2Lを一般的な仕様で使うと、中低域あたりの量感が抑えられ、反応が少し遅くなることだけが、唯一のパワー不足を感じさせる面である。