Category Archives: CDプレーヤー関係 - Page 4

ソニー CDP-X5000, TA-F5000

井上卓也

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオブランド172」(1996年11月発行)より

 CDプレーヤーCDP−X5000とプリメインアンプTA−F5000は、さりげなくグレードの高いオーディオを楽しみたいファンへのソニーの回答であろう。コンパクトなモデルながら、CDは光学固定方式、カレントパルスDAC、外部振動打消し偏心インシュレーター、アンプはツインモノ構成、MOS−FETパワー段、楕円断面コア・トロイダル電源トランス採用など、細部にこだわらず要所を押さえた、程よく息の抜けるサウンドは大人の味わいがあり、ソニー製品中ではひと味違った安心して音楽が楽しめる製品だ。

ソニー CDP-R10, DAS-R10

井上卓也

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオブランド172」(1996年11月発行)より

 CDP−R10+DAS−R10のセパレート型CDプレーヤーは、最もソニーならではの技術集団の成果が見事に表われた傑作であろう。
 ディスク型プレーヤーでは、古くはエジソンの蝋管蓄音機以来、信号を読み出す部分──アナログディスクではカートリッジ、CDでは光ピックアップ──を移動させることが伝統的に行なわれ、これが常識となっていた。ところがソニーは、CD開発メーカーであるだけに、初期の業務用CDプレーヤーCDP5000で、早くも光ピックアップを固定し、ディスクを移動させるコペルニクス的展開の、ソニーでいう光学固定方式を完成させている。これをベースにメカニズムを見直し、現代の最先端技術で開発されたのが、CDP−R10に採用された光学固定方式メカニズムである。
 超重量級アナログプレーヤーに相当する、表面がわずかに凹んだアルミ合金ターンテーブルに、ディスクをマグネットチャッキングプーリーで固定し、間歇的にディスクを移動させるノンサーボ・スレッド機構により、サーボを使わずディスクを移動させている。また、重量級のターンテーブル・モーターなどが載ったベースは、5点支持・磁気吸着の軸受けブロックで鏡面仕上げのレール上を移動するが、重量が大きく、磁気吸着されているため、外部振動に強いメリットも大きい。アナログディスクの超重量級ターンテーブルと同様に、CDP−R10の巨大なディスクを載せたこ移動ベースは、通常型に比べ圧倒的にメカニズムSN比がよく、ディスクに記録された情報を最も正確に読みとれることでは、類例のない究極の機構である。
 DAS−R10は、電圧で表現されたパルス例を電流パルスに変換するカレントD/Aコンバーターを採用している。これは、音楽信号を電流の揺らぎや演算ノイズからの直接妨害からガードする特徴がある。また、演算能力の高いDSPを8個並列使用で誤差の少ないFIRディジタルフィルターや、全アナログ信号系のディスクリート部品構成を採用するなど、CDP−R10とのペアにふさわしい現代のリファレンスモデルだ。

ラックス D-700s

井上卓也

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオブランド172」(1996年11月発行)より

 CDプレーヤーD700sは、国内製品としてはユニークなHDCD専用デコーダーを初採用したモデルだ。とレイブには外部光遮断構造と、ローディングされると自動的にトレイを固定し、振動発生を防止する機構を備える。モーターは漏洩磁束を遮断する構造のリーケージ・アイソレート型、電源部にはピックアップのサーボ回路の電流変動を遮断する2次5巻線の分割電源を採用している。
 DACは、音楽の躍動感と音場感の再現性にはマルチビット型に利点があるとの判断から、サイン・マグニチュード方式リアル20ビットD/Aコンバーターを採用している。この方式はゼロクロス歪がないメリットがあり、分解能の高いマルチビットの音は、低域の質的向上に寄与し、豊かで生き生きとした音楽を聴くことができるとされている。

ワディア Wadia 2000

黒田恭一

ステレオサウンド 118号(1996年3月発行)
「WADIA2000 バージョン96に魅せられて」より

 もともと知ろうとする気持をすて、感じとれるものだけをたよりにオーディオとつきあってきた。技術的なことを理解しようとする気持を、むしろ意識的にふりすてて、スピーカーやアンプのきかせてくれる音と裸でむきあってきた。中途半端にしこんだ知識で、それほど鋭敏とも思えず、それほど堅固とも考えがたい自分の感覚がおびやかされることをおそれての、それがぼくなりの防御策だったかもしれなかった。
 技術音痴をバネにして、いさぎよく素っ裸のままスピーカーからきこえてくる音とむきあいつづけていたかったからである。そういえば、音楽をきいているときにも、似たような気持になることがある。スピーカーにしても、ピアニストにしても、そこできかせてくれる音にすべてがある。そのピアニストの出身地を知ったからといって、彼の演奏をより深いところで理解できるようになるとは思えない。
 しかし、今回のことは技術的な理解を放棄してしまっている技術音痴をも戸惑わせるに充分なものだった。少なくともこれまでは、音が変われば、それ相応に、あるいはそれ以上に、具体的に目に見えるスピーカーという物やアンプという物が大きく変化していた。いつだって、耳の感じとった音の変化が、目に見える物の変化によって、ことばとしていくぶん妙ではあるが、保証されていた。そのために、音という限りなく抽象的なものの変化を自分に納得させられた、という場合もあったように思う。このアンプとあのアンプでは見た目もこんなにちがうのだから、きこえてくる音がこのようにちがって当然、と考えたりもした。
 今度ばかりは、大いにちがった。ちょっと拝借、といわれてもっていかれた赤いハンカチが、目の前で、一瞬の間に青く変わったのを見せられたときのような気持になり、仰天した。最初は、驚きばかりが大きくて、とても音がどのように変化したのかを理解できなかった。しかし、ぼくは、驚いてばかりもいられない。ここでは、ことの顚末をもう少し冷静に、順をおって書くことが義務づけられている。
 今回のM1の指令は、電話ではなく、ファックスだった。そのファックスで、彼は、さりげなく音に対する彼の最近の好みの変化などをしたためつつ、実にさりげない口調で、WADIA2000のアップグレードバージョンを試聴してみないか、と誘っていた。老獪なM1は、これと前のものではかなりちがうので、気にいらなかったら、それはそれでいいのだけれど、と書きそえることも忘れなかった。
 M1は、先刻ご承知のとおり、寝た子を起こす達人である。おまけに、つきあいが長いこともあって、こっちの泣きどころをしっかりおさえたうえに、頃あいをみはかるのが巧みときている。なるほど、このところしばらく、ぼくの部屋の音は、それなりに安定していたこともあって、さわらぬ神に祟りなしの教えにしたがっていたが、ときおり、ふと、これでいいのかな、と思う不安の影が胸をよぎるのを意識しなくもなかった。M1はそれをも感じとっていたのか、絶好のタイミングで、ローレライの歌をうたってくれた。
 かくして、ぼくはWADIA2000のアップグレードバージョンを自分の部屋できくことになった。いずれにしても、これまで長いこときいてきたデコーダーのアップグレードバージョンではないか、と思い、いくぶんたかをくくっていたところがなくもなかった。そのすきをつかれた。目の前で、さっきまで赤かったはずのハンカチが、一瞬の間に青く変わるのをみせられて、ぼくはことばを失った。
 しかし、それにしても、このような大きな変化をいかにしてことばにしたらいいのか。それが大問題だった。しばしば、針のように小さな変化をいかにして棒のように大きくいうかに腐心させられる。今度の場合は、むしろ逆だった。
 正直に書くが、もし、目隠しをされて、WADIA2000の前のものと今回のアップグレードバージョンとを比較してきかされたら、ぼくにはその両方の音がいずれもWADIA2000のものとはききわけられなかった、と思う。この両者の間には、音の質と性格の両面で、それほど大きなへだたりがあった。
 しかし、その両者のへだたりの大きさをきっちりことばにしようとすると、心情的なことで釈然としないことがおこってくる、という難しい問題もからんでくる。というのは、もし、かりに、WADIA2000の前のものと今回のアップグレードバージョンとを比較した後に、ついさっきまでは灰をかぶっていた薄汚れた女の子が魔女にしかるべき呪文をかけられて、一瞬の間にガラスの靴をといて王子のパーティに出かけるシンデレラに変身したようなものだ、といったりすれば、それは、昨日まで素晴らしい音で(少なくともぼくは、そう思っていた)きかせてくれていた旧WADIA2000に対して、あまりに失礼ないいぐさである。それでは、まるで、新しい恋人ができて別れた前の恋人を悪しざまにいっている情のない男のようなもので、なんとも気がすすまない。
 それでもなお、旧WADIA2000に対しての感謝の気持を胸におさめて、アップグレードバージョンに変えることに対して、ぼくにはいささかのためらいもなかった。いずれにしても、オーディオに魂をうばわれてしまえば、不実といわれようが、浮気者よばわりされようが、お世話になった機器に別れを告げつつ、あらたな出会いに心をときめかしていくよりないからである。
 それにしても、今回は特別で、WADIA2000の前のものからアップグレードバージョンにするのは、美人姉妹といわれまふたりのうちの妹とつきあった後に、さらに素敵な姉さんに鞍替えしたようなもので、後ろめたさをいつになく強く感じないではいられなかった。
 姉と妹では、なによりもまず、音のリアリティが決定的にちがっていた。もっとも、音といったって、日頃きくのが単なる音のはずもなく、音楽をきくわけだから、ここは、音楽における音のリアリティ、といいなおすべきかもしれない。音楽における音のリアリティがませば、必然的に、音楽がより深く、鋭く感じられるようになる。お姉さんのWADIA2000は、その点で断然すぐれていた。そこに、ぼくは魅せられた。
 音のきめ細かさがまして、さらにくいぶん音の重心がさがったようにも感じられた。そのために、個々のひびきそのものの輪郭と陰影がより一層鮮明になった。これは、いいオーディオ機器に出会ったときにいつも感じることで

デンオン DCD-S1, PMA-S1

デンオンのCDプレーヤーDCD-S1、プリメインアンプPMA-S1の広告
(サウンドステージ 26号掲載)

DCD-S1

ビクター SX-V1, AX-V1, XL-V1, TD-V1

ビクターのスピーカーシステムSX-V1、プリメインアンプAX-V1、CDプレーヤーXL-V1、カセットデッキTD-V1の広告
(サウンドステージ 26号掲載)

HMV

ゴールドムンド MIMESIS 39

ゴールドムンドのCDトランスポートMIMESIS 39の広告(輸入元:ステラヴォックス・ジャパン)
(サウンドステージ 26号掲載)

Goldmund

ケンウッド DP-1001G, KA-1001G

ケンウッドのCDプレーヤーDP1001G、プリメインアンプKA1001Gの広告
(サウンドレコパル 1994年夏号掲載)

Ks

ティアック CD-3, CD-5

ティアックのCDプレーヤーCD3、CD5の広告
(サウンドレコパル 1994年夏号掲載)

TEAC_CD5

アキコ AKIKO Series 0 (CA-00, PA-00, DA-00)

アキコのコントロールアンプCA00、パワーアンプPA00、D/AコンバーターDA00の広告
(サウンドレコパル 1994年夏号掲載)

AKIKO

ソニー CDP-777ESJ

ソニーのCDプレーヤーCDP777ESJの広告
(サウンドレコパル 1994年夏号掲載)

CDP777

パイオニア PD-T06

パイオニアのCDプレーヤーPD-T06の広告
(サウンドレコパル 1994年夏号掲載)

PD-T06

ビクター XL-Z1000A + XP-DA1000A

井上卓也

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 デジタルオーディオで最も問題視される、時間軸方向の揺らぎであるジッターをK2と呼び、この改善を図った回路が、ビクターが開発したK2インターフェイスである。ビクター音楽産業のスタジオエンジニアと共同で、録音現場での成果をもとに実用化したこの新技術は、本機の前作のD/AコンバーターXP−DA1000が、初採用モデルである。
 ’93年、従来のCDトランスポートXL−Z1000とD/AコンバーターXP−DA1000の基本設計の優れた内容を、最終の成果である音質に積極的に結びつけるために細部の見直しが行なわれた。このリフレッシュしたモデルが型番末尾にAが付く本機で、従来モデルも、Aタイプ同様の性能・音質となるヴァージョンアップ・サービスを有償で受けつけている。
 XL−Z1000Aは、ディスクの面振れによる影響が少なく、サーボ電流の変化が抑えられて読み取り精度が向上したメカニズムによって、聴感上のSN比が向上したことが最大の特徴。超大型クランパーも標準装備された。出力には、光STリンクと75ΩBNC端子が加わり、専用のインピーダンスマッチングのとれたケーブルが用意されている点が、一般的な50Ωケーブル仕様と異なるところだ。本機で魅力的な点は、トップローディング部のガラスカバーがほぼ無音状態を保って滑らかにスライドし、わずかにポップアップして定常状態に、なる動作の見事さで、これは他に類例のないフィーリングだ。
 XP−DA1000Aは、トランスポート同様、その潜在能力を引き出す改良が加えられ、一段と透明感の高いSN感の優れた音質となった。キャラクターの少なさでは稀有なモデルといえよう。プログラムソースの内容を精度高く再生し、正確に再現する能力は非常に高く、いわばCDプレーヤーの限界的なレベルに到達しており、リファレンス用CDプレーヤーとして信頼度は抜群である。

ヤマハ GT-CD2

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 一流メーカーの作るもの、必ずしも一流品ではないし、一流品が必ずしも一流メーカー製とも限らない。とくに日本のメーカーのように規模が大きく、作る商品のカテゴリーが多く、同じカテゴリーの商品の代表モデルから高級モデルまでを広く網羅するとなると、ますます、前述のことが強く考えられる。ヤマハは間違いなく一流メーカーであろう。楽器、オーディオに限らず、スポーツ用品からユニットバスや家具・住設に至る幅広い商品の全部が一流品なのかどうかは知らない。しかし、オーディオに限っていえば、そこにはたしかに一流品といえるクォリティと、製造者の意気込みが感じられるものを作り続けてきたと思う。
 本機は、本機の原機となったGT−CD1の妹分に当る製品である。普通、原機のヴァージョンアップ・モデルが残って妹分は消えるものだが、この場合、姉に当るGT−CD1が消えてしまった。妹分として、より低い価格ながら、音はむしろこのほうが好評であった結果であろう。
 木材を豊かに効果的に使い、アナログプレーヤーで培った響体のあり方へのノウハウを活かした独特な高剛性、重量構造を採用したもので、見た眼にも暖かい安定感を与えるCDプレーヤーである。グラス製の開閉リッドを持つトップローディングモデルで、ディスク・スタビライザーで回転の安定を得ている。
 外装関係でGT−CD1よりコストダウンをしているが性能的には同等だし、音質はこちらのほうが柔軟性があって暖かい。透明な音場の見透しがCD1で印象的であったが、このCD2でも、それは保たれている。
使いこなしのポイント
 低域のしなやかな厚味はこのCD2の方がよいと思われるが、これはインシュレーターや置き場所でかなり大幅に変化するので、ユーザーの使い方によるところが大きい。すべての回転機器に共通した性格だから、アナログプレーヤーと同じょうな感覚で使いこなしたい。

エソテリック D-3

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 エソテリックというブランドは、ティアックが作る高級オーディオコンポーネントに使われる商標である。同社は現社長の谷勝馬氏が、1953年に東京テレビ音響株式会社として発足した。その後、社名を東京電気音響、さらにTEACと変更して現在に至っている。谷氏の航空機エンジニアとしての技術が平和産業のオーディオに活かされ、アナログディスクプレーヤー、テープレコーダーなどの専門メーカーとして有名になった。メカニズムと同時にエレクトロニクスのテクノロジーの発展もティアックのもう一本の柱で、メカトロニクスの最先端をいくメーカーに発展したが、音楽好きの谷氏の情熱が同社のオーディオ製品を支えているといってよい。
 デジタル時代に入ってからも、CDプレーヤーやDATの開発を早くから進め、独創的なメカニズムや回路設計で独自の一貫生産の道を歩んでいる。CDプレーヤーのメカニズムはその高品位さが評価され高級トランスポートとして自社製品の評価を高めるだけでなく、他社への供給も行なっている。アメリカの高級CDプレーヤー、ワディア製品やマッキントッシュ製品にも同社のVRDSメカが使われるのは、その一例である。
 一方、本機に見られるように、単体のD/Aコンバーターも同社独自の回路技術と音質の洗練度が感じられる。D3はD2の上級モデルとして’93年秋に発表されたD/Aコンバーターであるが、デジタル・サーボレシオ・ロックドループ回路により、可聴帯域内のジッターの大幅な抑制のためか、すこぶる高品位な音質を得ることが可能となった。入出力まで20ビット処理能力を持ち、最新の特性を持つこともさることながら、この柔軟性と強靭性のバランスをあわせもつ音の質感の素晴らしさは、現在のところ疑いなく第一級のD/Aコンバーターである。エソテリック・ブランドにふさわしい、物へのこだわりを感じさせる作りの高さも一流品らしい。

ハイエンドCDプレーヤー4機種を聴いて

黒田恭一

ステレオサウンド 110号(1994年3月発行)
「絶世の美女との悦楽のひとときに、心がゆれた……」より

「お前、大丈夫か?」
 なんとも身勝手ないいぐさとは思われた。しかし、自分の部屋にもどって、スチューダーのA730のスイッチを入れながら、無意識のうちに、そう呟いていた。むろん、若干の後ろめたさを感じていなかったわけではない。
 なんといっても、こっちは、絶世の美女四人と、たとえしばしの時間とはいえ、悦楽の時を過ごしてきたのである。後ろめたさを感じて当然だった。そのあげくの、「お前、大丈夫か?」であった。ことをいそぎすぎて、A730に、いらぬ粗相をさそては気の毒である。スイッチを入れてから、一時間ちかくも待った。
 A730の準備のととのうを待つ間に、不実な主は、千コマで、かりそめの時をともにしていた美女たちのことをぼんやりと思いかえしていた。その時の気分は、さしずめ、ロロ、ドド、ジュジュ、マルゴとマキシムの女たちの名前を、ほんとうはもっとも愛しているハンナの前で口にする、オペレッタ「メリー・ウィドウ」の登場人物ダニロの気持に似ていなくもなかった。
 今回もまた、甘言をもって、ぼくを不実な行為に誘ったのはM1である。
「このところにきて、CDプレーヤーが新しい局面をむかえていましてね」
 受話器からきこえてくるM1の声は、夜陰にまぎれて好色親爺を巧みに誘うぽん引きのささやきに、どことなく似ていなくもなかった。M1は、さらに、「いい娘が四人ほどいるんですがね……」、ともいって、意味ありげにことばじりをにごした。いつもながらのこととはいえ、M1のタイミングのよさには感心させられた。M1の誘いに、結果として、ぼくは虚をつかれたかたちになった。
 ここしばらく、ぼくは、スチューダーA730+ワディア2000SH+チェロ・アンコール+アポジーDAX+チェロ・パフォーマンス×4+アポジー・ディーヴァといった我が愛機のきかせてくれる音と蜜月の日々を過ごしていた。ぼくは毎日を、かなりしあわせな気分でいた。この正月、ほぼ一年ぶりに訪ねてくれた友人は、何枚かのCDに黙って耳をすました後、「なにか装置を変えたの?」、といって、ぼくを大いに喜ばせてくれた。彼は鬼の耳の持主である。ぼくは、なにひとつ装置を変えていないと答えた。彼は怪訝な顔をして、「ずいぶんかわったね、去年の音とは」、といってから、彼がこれまで一度も口にしたことがないような言葉で、ほめてくれた。
 夫婦仲の悪い男が浮気にはしる、と考えるのは、たぶん、誤解である。夫婦仲がぎくしゃくしていれば、男はさしあたり、目の前の割れ蓋の修復に専念せざるをえない。そのような立場におかれた男に、余所にでかけ、それなりの所業にはげむ余裕があるとは考えにくい。もし、割れ蓋の修復をなおざりにしたあげく、余所に楽園を探すようなタイプの男であれば、哀れ、さらにもう一枚の割れ蓋をつくるだけである。
 ぼくも、うちのスチューダーたちと折りあいの悪い状態でM1に声をかけられたのであれば、それなりの覚悟をして、ステレオサウンドの試聴室にでかけたにちがいなかった。しかし、そのときのぼくは、なにがマークレビンソンだ、なにがソニーの新製品だ、うちの嫁はんが一番や、とたかをくくっていた。しかし、安心したぼくが悪かった。M1は読心術をも心得ているようで、巧みにぼくの虚をついた。
 まず、デンオンのDP-S1+DA-S1からきき始めた。このCDトランスポートとD/Aコンヴァーターについては、少し前に、長島達夫氏が、「ステレオサウンド」の誌上で、「ともかく、とのような音が来ても揺るがず、安定しきった再生ができるのである……最近これは感銘をうけた製品はない」、と書いていらしたのを、ぼくはおぼえていた。そのためもあって、かねてから、機会があったら一度きいてみたい、と思っていた。
 一聴して、なるほど、と長島達夫氏の言葉が納得できた。そして、同時に、電話口のM1が、「このところにきて、CDプレーヤーが新しい局面をむかえていましてね」、といった意味も理解できた。デンオンのDP-S1+DA-S1がきかせてくれる音の質的な、あるいは品位の高さには驚嘆すべきものがあった。きめ細かなひびきに、うっとりとききいった。
 デンオンのDP-S1+DA-S1のきかせてくれる音は、敢えてたとえれば、オードリー・ヘップバーン的な美人を、ぼくに思い出させた。その得意にするところは、かならずしも劇的な演技にはなく、抒情的な表現にあった。むろん、繊細な表現にのみひいでていて、力強さに不満が残るなどという、低次元のはなしではない。オーケストラがトゥッティで強奏する音に対しての力にみちた反応にも、充分な説得力があった。ただ、いかにドラマティックな表現を要求されようと、ついに裾う乱さない慎ましさが、DP-S1+DA-S1のきかせてくれる音には感じられた。そのようなDP-S1+DA-S1の持味を美徳と考えるか、それともいたらなさと感じるか、それともいたらなさと感じるか、それは、たぶん、使う人の音楽的な好み、ないしは音に対しての美意識によってちがってくる。
 カラヤンが一九七九年に録音した「アイーダ」の全曲盤で標題役をうたっているのはミレッラ・フレーニである。当時のフレーニはリリック・ソプラノからの脱出をはかりつつあって、アイーダのみならず、トスカのような劇的表現力を求められる役柄にも果敢に挑戦していた。DP-S1+DA-S1のきかせてくれた見事な音が、ぼくには、どことなく、一九七〇年代後半から一九八〇年代前半にかけてのフレーニの歌唱に似ているように感じられた。
 ミレッラ・フレーニは、先刻ご承知のように、もともとリリック・ソプラノとしてオペラ歌手のキャリアを始めた歌い手である。しかし、あの慧眼の持主であったカラヤンがアイーダをうたうソプラノとして白羽の矢をたてたことからもあきらかなように、一九七〇年代後半ともなると、フレーニは、すでにドラマティックな役柄をこなせるだけの声の力をそなえていた。しかし、そのようなフレーニによった絶妙な歌唱といえども、もともとの声がアイーダをうたうに適したソプラノ・リリコ・スピントによったものとは、微妙なちがいがあった。アイーダをうたってのフレーニの持味は、ドラマティックな表現を要求される音楽ではなく、抒情的な場面で発揮された。また、そのような既存のアイーダ像とはちがったアイーダを提示するのがカラヤンのねらいでもあった。
 蛇足ながら書きそえれば、アイーダをうたうフレーニを、背伸びしすぎたところでうたっているといって批判する人もいなくはないが、ぼくはアイーダをうたうフレーニの支持派である。いくぶんリリックな声のソプラノによって巧みにうたわれたアイーダは、ソプラノ・リリコ・スピントによって劇的に、スケール大きくうたわれて、過度に女丈夫的なイメージをきわだたせることもなく、恋する女の微妙な心のふるえを実感させてくれるからである。
 ついできいたのはソニーのCDP-R10+DAS-R10だった。このCDトランスポートとD/Aコンヴァーターのきかせる音にふれた途端、ぼくは、一瞬、ロミー・シュナイダー風美女にキッと見つめられたときのような気持になり、たじろいだ。ここできける音には、媚びがない。曖昧さがない。潤色が、まったく感じられない。劇的なひびきも、抒情的な音も、まっすぐ、いいたいことをいい切っていながら、しかも相手を冷たくつきはなすようなところがない。音楽のうちに脈々とながれる熱い血をききてに感じさせることに、いささかの手抜かりもない。
 蛇足ながら書きそえれば、ロミー・シュナイダーはほくにとっての理想の美女である。ソニーのCDP-R10+DAS-R10の音にふれたぼくは、出会いがしらに恋におちたような気分になった。「なんだって、CDを裏がえしてセットするんだって?」などと、なれない手順に不満をとなえながらきき始めたにもかかわらず、ものの一分とたたないうちに、「凄い、これは凄い!」と溜息をついていた。
 幸か不幸か、試聴後には予定があった。したがって、ロミー・シュナイダーとの心きとめく対面は、そこそこにすませなければならなかった。後の予定がなければ、ぼくは、編集部の面々に箒をたてられても気付かず、延々とききつづけ、家に帰るのを忘れていたかもしれなかった。
 おのれの不実を恥じつつも、ぼくは、家で待つ、うちの嫁はん、スチューダーのA730がきかせてくれる音と、今、出会ったばかりのロミー・シュナイダーのきかせてくれている音を耳の奥で比較しないではいられなかった。若干の救いは、その他の部分、つまりスピーカーやアンプが家のものとステレオサウンド試聴室のものとが同じでないことであった。しかし、いかに条件がちがっていても、ロミー・シュナイダーとうちの嫁はんの目鼻だちのわずかとはいいがたいちがいは充分にききわけられた。
 もっともちがっていたのは、言葉として適当かどうかはわからないが、情報の精度のように思われた。このソニーのCDP-R10+DAS-R10のきかせてくれる音は、それらしい音をそれらしくきかせるということをこえたところで、キリッと、まっすぐひびいていた。きっと、このような、しっかりした音は、思いつきや小手先のやりくりによってではなく、技術的に正攻法で攻められたところでのみ可能になるものであろう、と思ったりもした。
 CDのための、このような高度の性能をそなえた再生機器ともなれば、斯く斯くしかじかのソースではどうきこえたとか、こうきこえたとかいった感じで語ろうとしても、徒労に終るにちがいない。もし、かりに、ききてと音楽との間に介在することをいさぎよしとせず、まるで透明人間のように姿を消して、その機器へのききての意識を無にできることが再生装置の理想と考えれば、ソニーのCDP-R10+DAS-R10は、その理想に限りなく近づいている。
 そう考えると、CDP-R10+DAS-R10をロミー・シュナイダーとみなしたぼくのたとえは、見当はずれのものになる。ロミー・シュナイダーは、どんなつまらない映画にでても、強烈に自己の存在をアピールできた女優だった。したがって、ここでのロミー・シュナイダーのたとえは、ぼくの魅了されかたの度合を表明するだけのものと、ご理解いただきたい。ききてと音楽との間で自己主張しないということでは、むしろ、ソニーのCDP-R10+DAS-R10はロミー・シュナイダーの対極に位置していた。
 ちなみに、全四機種をきき終えた後、ぼくは、わがままをいって、編集部の若者たちの手をわずらわせ、ソニーのCDP-R10+DAS-R10を、もう一度きかせてもらわずにいられなかった。そのことからも、おわかりいただけると思うが、今回、きかせてもらった四機種のうちでぼくがもっとも心を動かされたのは、ソニーのCDP-R10+DAS-R10だった。
 ついできいたのはワディアのWADIA7+WADIA9だった。これにもまた、大いに驚かされた。ぼくの驚きを率直にいうとすれば、CDの再生機器は、すでにここまでいっているのか、と思ってのものだった。しかし、同時に、ぼくは、マ・ノン・トロッポ!(しかし、はなはだしくなくの意)と呟かないではいられなかった。
 情報の精度の高さということになれば、これもまた、かなりのところまでいっているのは、ぼくの耳にもわかった。ただ、ここできける音には、情報が整理されすぎたため、とみるべきか、整然としたひびきが若干冷たく感じられた。曖昧さをなくそうとするあまり、角を矯めて牛を殺してはいないかな、と思ったりもした。
 おそらく、このワディアのWADIA7+WADIA9のきかせる音についてのききての評価は大きくわかれるにちがいない。ぼく自身も、ここできける音を前に、冷静ではいられず、心がむれた。これが、もし、数年前だったら、と思ったからである。
 音に対して保守的になってはならないと、日頃、自分をいましめてはいる。音に対して保守的になったが最後、ききては歯止めを失い、懐古の沼に沈んだあげく、昔はよかった風の老いのくりごとをくりかえしはじめる。ひとたびサビついてしまった感覚は修復不能である。積極果敢に新しい音とふれあっていかないと、日に日に前進のエネルギーが不足していく。しかし、以前であれば、ぐらときて、そのまま突進していたかもしれない、このワディアのきかせる新時代の音を前に、今、ぼくは戸惑っている。お恥ずかしいことである。
 明晰さということでいえば、これは、ぼくがいまだかって耳にしたことのない明晰な音である。ここで耳にした音には、さしずめ、超人的な頭脳の持主が、消しゴムを使った痕跡さえ残さず、ものの見事に解いた方程式のような感じが或る。このような曖昧さを微塵も残さない音が、ぼくは、もともと嫌いではない。しかし、やはり、どうしても、マ・ノン・トロッポ! と呟かないではいられなかった。
 ただ、そのようなワディアのWADIA7+WADIA9のきかせる音についての感想は、あくまでもぼくのきわめて個人的なものでしかないので、ご興味のある方は、どこかで、なんとか機会をみつけられて、このユニークな音とふれあわれることをおすすめする。もしかすると、ご自身のオーディオ感の根底をゆさぶられるような思いをなさらないとも限らない。それだけの、独特の力をそなえている、このワディアの音である。
 マークレビンソンのNo.31L+No.30Lを最後にきいた。これは以前にもきいたことがある。したがって、「どうも、お久しぶり」、といった感じできき始めることができた。ここで耳にする音は、音の性格として、ワディアのWADIA7+WADIA9のきかせてくれる音の対極にある。
 もし、ワディアのWADIA7+WADIA9のきかせてくれる音がエゴン・シーレ描くところの痩せた美少女にたとえられるのであれば、マークレビンソンのNo.31L+No.30Lのきかせてくれるのはグスタフ・クリムトの描く豊潤な美女であろう。この、個々の音を、ぐっとおしだしてくる、たっぷりとしたひびきっぷりは見事の一語につきる。このマークレビンソンをしばらくきいた後に、ソニーをあらためてききなおしたら、けっして痩せすぎとはいいがたいロミー・シュナイダーがひどくスリムに感じられた。
 充分に繊細であり、鋭敏でもあって、そのうえ、腰のすわった、肉づきのいい音をきかせてくれるのが、このマークレビンソンである。粗衣身で、これは、いかに過酷なききての求めであろうと、十全にこたえられる機器というべきであろう。このような音を耳にすると、CDはどうも音が薄っぺらで、といったような、しばしば耳にする、表面的なところでのCD批判のよりどころが、どうしたって、ぼけてくる。
 いくぶん逆説的にきこえてしまうのかもしれないが、このCDの強みを最大限いかしきった機器できける音は、さまざまなCDプレーヤーのきかせてくれる音のなかで、もっとも非CD的な音である、といえなくもない。この力にみちた、弾力にとむ音は、たぶん、最高級のアナログディスクプレーヤーできける音と較べても、いささかの遜色もないはずである。まことに見事な、表現力にとんだ、恰幅のいい音である。
 ただ、畏敬しつつも、身近に感じることのできない音が或る。そのあたりが模範回答のないオーディオの、オーディオならではの面白いところというべきかもしれない。ぼくにとって、マークレビンソンのNo.31L+No.30Lのきかせてくれる音が、畏敬しながらも、自分からは離れたところにある音のようである。グスタフ・クリムトの描く豊満な美女に対する憧れは充分にあるが、そのタイプの音となると、かならずしもぼくのものではない、と思ってしまう。
 絶世の美女四人とのステレオサウンド試聴室での、しばしばの団欒は、スリリングでもあり、まことに楽しかった。ステレオサウンド試聴室につどったロロやドド、ジュジュやマルゴたちのチャーミングな容姿や物腰、それに体温を、ダニロよろしく思い出しているうちに、アンプもあたたまってきたようである。
 いささかの後ろめたさと不安を胸に、ぼくスチューダーのA730のスタートボタンをおした。あたりまえのことながら、日頃なじんでいた音がきこえてきた。ぼくは、なれない外国語に苦労しつつ一人であちこち旅してきて、やっとのことで帰りつき、「お疲れさま」、とやさしく声をかけられたときのような気持になり、なぜか、ほろっとした。そして、同時に、安堵の溜息をつかずにいられなかった。
 ステレオサウンド試聴室で出会ったロロやドド、ジュジュやマルゴたちは、たしかに、今、ぼくの使っているスチューダーA730+ワディア2000SHのいたらなさに気づかせた。最新のCD再生機器の性能が、ここのところにきて大きく向上したのは否定しようのない事実である。その意味で、M1の、「このところにきて、CDプレーヤーが新しい局面をむかえていましてね」、といった言葉は正しかった。
 以前であれば、このような状況を目のあたりにすれば、前後の見さかいもなく、飛石づたいに、あっちにふらふら、っこちにふらふらするような感じで放蕩をかさねられたのかもしれなかった。しかし、今は、よほどうちの嫁はんに惚れ込んでしまっているためかどうか、どうやら、ここしばらくは、ロミー・シュナイダーのことが原因の別れ話をしないでもすませそうに思え、ほっとしつつも、ちょっと寂しい気もしている。
 それにしても、「お前、第屏風か?」、と呟いたぼくに答えるかのように、A730が恥じらいつつうなずいたのは、あれは幻影だったのか?

マッキントッシュ MCD7007

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 オーディオメーカーの名門マッキントッシュはアンプの項で触れたように名実ともにこの世界の一流品を作り続けているが、最も古い歴史と伝統を重んじる頑固な姿勢の反面、きわめて新しいテクノロジーに積極的なメーカーでもある。その現われの一つが、アメリカにおいて最も早くCDプレーヤーを商品化したことである。このMCD7007はすでに3世代目の製品であり、原器MCD7000は1985年発売だ。その後MCD7005を経て’88年にこの製品が発売された。アンプの専門メーカーからスタートした同社は’50年代後半にはすでにスピーカーの研究開発に入っていたし、’60年代後半には商品化している。そして、’80年代にはアナログプレーヤーシステムがほとんど完成していたのだが、CDの登場によりそのプロジェクトは中止されたのである。凝りに凝ったトーンアームを当時社長のゴードン・ガウ氏自らが熱心に開発を進めていたのだが、CDの将来性を見てとったのであろう。ガウ氏は自宅で、ADとCDを熱心に試聴しADの音のよさを主張していたのだが、CDの可能性や技術的興味に強く惹かれたことも事実である。ある夜、突如私に国際電話をかけてきてCDプレーヤーをマッキントッシュ・ブランドで出すよ! といってきた。私のほうが戸惑ったほどである。来週オランダのフィリップスヘ行くというのである。あのADプレーヤーはどうするのだ? と聞くと、残念ながらビジネス的に無理だと判断したという返事であった。一流品のメーカーは、一流メーカーであり続けるためには先見性と勇気のある決断力が必要であることを教えられた。その2年後にMCD7000が発表されたのだが、マッキントッシュ・サウンドを実現したCDプレーヤーであったのに安心したものだ。MCD7007は、先述のようにこれをリファインしたもので、そのしなやかで自然な高域はCDの癖を感じさせないし、厚く暖かいサウンドだ。

ヤマハ GT-CD1

井上卓也

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 CD初期には、アナログプレーヤーとは異なり、スピーカーからの音圧や外部振動による音質劣化がないことがデジタルオーディオの特徴である、といわれたCDプレーヤーも、次第に状況が変化してきて、最近ではCDプレーヤーの振動対策こそが高音質を得るための必須条件、とされていることはまことに皮肉な事実であるようだ。
 GT−CD1は、一般的なCDプレーヤーがアンプやカセットデッキ的な筐体構造を採用しているのに対し、アナログプレーヤーと同様な構想に基づく独自の筐体構造を採用している点に注目したい。外部振動ばかりでなく、内部振動にもCDプレーヤーは弱いという現実に即し、筐体構造をアナログプレーヤーと同等としたことは、簡単なことのようではあるが、見事な発想の転換であり、このモデルの到達可能な音質の限界を飛躍的に伸ばすことが可能となっている。上部のウッドブロックは厚さ60mmで、内部にCDドライブユニットを収納してあり、このブロックの底板である2・3mm厚鉄板が本機のメカニカルグラウンドに当る。四隅には六角断面の鉄柱があり、下側に伸びて本機の脚部となる構造である。下側の金属筐体に納まるDAC部は、前記の底板部分に懸架され、ぶら下がる構造となっており、鉄製底板は空間的にも電気的にもCDドライブ部とDAC部を分離独立させるため、外観は一体型に見えるが内容的にはセパレート型CDプレーヤーに等しく、しかもリアパネルを介さず、上下に短いシグナルパスが可能となる特徴を併せもつ。
 試聴モデルはプロトタイプではあるが、筐体構造の違いは明らかに音の違いとなって現われている。プログラムソースに対するしなやかな対応性の幅の広さをはじめ、音楽が演奏されている環境条件を十分に聴か
せるだけの音場感情報の豊かさが印象的であり、発売時までの一段の成長が期待できる意欲作である。

ソニー CDP-R1a + DAS-R1a

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 ソニーというメーカーはブランドイメージの演出が大変うまい。このメーカーの売上げの大半は実用的で簡便な小型機器なのに、ブランドイメージは〝高級感〟を保っているのである。技術の先進性と国際感覚の調和が現代の象徴のようなメーカーだから、その〝良さ〟だけが受け入れられて〝悪さ〟が目立たないのであろう。誰に聞いても〝ソニー〟は一流なのである。しかし、ソニーがオーディオメーカーであることを納得させてくれる製品というと、決してCDラジカセやミニコンではないし、ましてやポータブルのウォークマン・シリーズなどは〝オーディオ〟のカテゴリーとはいえないものだ。自動車でいうならば、ウォークマンやCDラジカセは軽自動車ともいえないほどで、スクーターのようなものである。ミニミニコンあたりが軽自動車であって、コンポーネントシステムは特殊なスポーツカーにたとえられるものなのである。いわゆる5〜3ナンバーの乗用車に匹敵する本格的で、しかも一般的に使いやすいオーディオシステムというものはソニーに限らず、いまオーディオ産業界には存在しない。コンポーネントでその分野のすべてを埋めてきたというわけだが、ここへきてその無理が目立ってきている。
 趣味のオーディオとなると、当然軽自動車やスクーターではないわけであるが、このCDプレーヤーのような製品をつくるところに〝ソニー・ブランド〟の高級イメージの秘密があるのかもしれない。さすがにCDの開発者をフィリップスとともに自負するソニーだけあって、この分野での情熱は大変なものがある。早くからCDプレーヤーのセパレート方式を提案し、よりよい音の再現に努力してきたソニーの代表的製品がこれである。デジタルのハイテクは当然のこととして、オーディオの洗練が十分盛り込まれた気の入ったプレーヤーである。きわめて緻密で精緻な微粒子感のある音は美しい。無個性のようでいて強い個性だ。

アキュフェーズ DP-80L + DC-81L

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 アンプの専門メーカーとして高級アンプを中心にエレクトロニクスとアコースティックの接点を追求している同社の最高級CDプレーヤーが、このDP80L+DC81Lというセパレート型のシステムである。オリジナルモデルは86年に発売され、88年にLシリーズとなった。CDというプログラムソースとそのプレーヤーにアキュフェーズが大きな関心をもち、自社のオリジナリティで電子回路を組み、メカニズムは他社の優れたものを買ってアッセンブルするという作られ方である。トランスポートとD/Aコンバーターを含むプロセッサー部を分離したセパレート型を早期に採用し、互いのインターフェアランスを避けて、よりピュアな音を実現するというこのタイプは今でこそ珍しくもないし、D/Aコンバーター単体のコンポーネントも多数あるが、86年当時にこのセパレート型で完成商品とした同社の姿勢は、他メーカーへの大きな刺激となったものである。エレクトロニクスでの大きな特徴は、D/AコンバーターにICを使わずディスクリートで構成したことである。これにより、一台一台調整を施してわずかな誤差もなくし、音質の高品位化を実現する考え方である。初めに書いたようにエレクトロニクスとアコースティックの関連についての蓄積をもつ同社として、CDプレーヤーをだまって看過することができなかったのだと思われるが、そのポイントがD/Aコンバーターにあったといえるだろう。事実、その後D/Aコンバーターの変遷は各社ともにCDプレーヤーの改良のポイントとなったが、ディスクリートにこだわるのはここだけである。チップは経済性に優れる1ビット型が全盛となっているが、これは20ビットのディスクリートを特徴とするもので、明晰な全帯域にわたる質感の統一とリファレンス的な端正なバランスは、今のところ1ビット型では得られない精緻さがある。一流品は頑固さがつきものだし、挑戦的であってほしい。

エソテリック P-2 + D-2

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 ティアックのプレスティージモデルに冠せられるブランドがエソテリックである。アメリカでは〝エソテリック・オーディオ〟という言葉が盛んに使われるが、エンスージアスト向きのクォリティオーディオのことを指していう。エソテリックという言葉は辞書を引くと「秘教的な」「奥義の」「秘伝の」あるいは「内密の」といった訳を見出すだろう。したがって、これがオーディオに使われると若干、眉唾物のようなニュアンスが感じられないでもないが、それは違う。むしろ、趣味的な一品生産の銘品という解釈の方が当っている。音は抽象的で複雑微妙に人間の観念や心理的な影響を受け、そこにオーディオのような科学技術の論理が絡むと、とかくもっともらしい迷信が生まれやすいことから、エソテリックの秘の文字と結びつくのもわからないではない。CDプレーヤーと音の関係などには相当な未解析の問題がありそうだから、エソテリックといわれるとどうも曖昧な感じがする。しかし、ティアックのエソテリックは、CDの初期から独特の音質対策への配慮が見られ、オリジナリティのあるノウハウが盛り込まれていて、このブランドにふさわしい内容をもっている。その一つが、テーパードディスクにCDをマグネットの力で圧着して回転させるメカニズムである。二つ目は、ディザ方式という歪みを減らすテクニックだ。これは、D/Aコンバーターの変換誤差を分散させて歪みを低減するディストーション・シェイビングである。これによってデジタルが宿命的にもっているローレベル時の歪みをかなり改善するというもの。これらは、いってみればティアック秘伝の奥義なのかもしれない。事実、このP2+D2の音はきわめて滑らか〜微粒子感とでも表現したい甘美なニュアンスをもったハイエンド、深い奥行きを感じさせる立体感の再現に優れていて、低域は豊潤で力強い。オリジナリティをもった一流品といってよいCDプレーヤーである。

EMT 981

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 EMTはアナログのプレーヤーで馴染みの深いドイツのプロ機器メーカーである。もともとその社名〝エレクトロニック・メジャーメント・テクノロジー〟の頭文字EMTをとったところからして測定器メーカーとしてスタートしたらしい。アナログプレーヤーの927、930はクォリティにうるさい日本では一般用として多くが使われているが、元来はスタジオ用で放送機器として開発されたものである。また、録音スタジオで使われるエコーマシーンも有名で鉄板エコーの代表であった。このEMTを買収したのが、ビデオプロジェクターで有名なべルギーのバーコ社で、現在は社名も商標もB.A.RCO−EMTとなっている。このEMTがCDプレーヤーとして発表した2世代目の製品が981であるが、第1世代の980は少量生産で終ったらしい。
 981はプロポーションこそラックマウント式のインテグラルプレーヤーで平凡なものだが、その音質には素晴らしい陰影感と立体感があって、外観以上の魅力をもっている。高域はしなやかで滑らかだが明確なエッジと造形の確かなディテールが聴け、豊かで引き締った中〜低域とのバランスが整っていて安定感が美しい。プロ機というとどこかそっ気ないドライな印象を持たれるかもしれないが、この音はどうしてどうして、むしろ再生系のニュアンスを活かす正確さというべき端正さをもっていて魅力的である。内容としては、スチューダーのA730と同等と見てよいと思うが、アナログ出力はバランスだけである。デジタル出力、クロックシンクロ入力、ワードクロック出力などを備え、機能もヴァリアブルスピードコントロールやモニターSP、頭出しの正確なフレーム検索機能などはプロ機器として当然完備している。トレイ式のメカニズムはフィリップスのCDM1MKIIを使っているし、4fS16ビットD/Aコンバーターもフィリップスのシルバークラウンを搭載している。

スチューダー A730

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 フィリップスとスチューダーが協力して開発したプロフェッショナルユースの製品である。CDの開発者としてのフィリップスが、プロ用のレコーダー、回転機器の専門メーカーであるスチューダーのファクトリーで生産したものだ。ブランドとしてはCDプレーヤーのサラブレッドであることを疑う余地はあるまい。スチューダー&フィリップスCDシステムズAGという名称の新会社が生みの親である。メカニズムはフィリップス製CDM3を使ったトップローディング式を採用している。CD−ROM用に開発されたアルミダイキャストベースの信頼性の高いものだ。プロ用であるから、機能は豊富で一部一般用としては必要のないものもあるが、使いこなせば大変便利である。振作系はフレーム単位のキューイングが可能で大型のサーチダイアルを持つのが特徴。±10%のヴァリアブルスピード機能(ピッチコントロール)、曲の開始と終了をチェックするレビューキー、内蔵のモニターSP、ディスク識別をして三つのキューポイントを設定してメモリーできるという特殊機能をもっている。4fSオーバーサンプリング・デジタルフィルターとDACは厳選された高精度ICのみを使っている。出力系は、XLR端子によるフローティング・バランス出力、固定アンバランス出力、可変アンバランス出力の3系統がアナログである。デジタル出力はプロ規格のXLRフローティング・バランスのみである。この他、外部機器とのインターフェイスが可能な外部クロック端子、リモート用、SMPTE用EBU・BUS端子などと多彩である。これがW320×H131×D353mmというコンパクトなインテグラルユニットにまとめられ、重量はわずか6kgというのが驚異的である。その驚異をより現実のものにするのが、幅と厚みのある彫りの深い音の印象だ。重く大きく、二分割されたどこかのCDプレーヤー顔負けのクォリティを聴かせてしまうのである。

ケンブリッジオーディオ CD3

井上卓也

ステレオサウンド 99号(1991年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 英国ケンブリッジ社は昨年、スピーカーメーカーであるワーフデール社の傘下となり、この度ハイファイジャパンの手により再びわが国で輸入販売されることとなった。
 CD3はモデルナンバーからもわかるようにケンブリッジのCDプレーヤーの第3号機である。同社のCDプレーヤーの技術的特徴は、各チャンネルあたり4個の16ビットDACを使う合計8DACシステムと、16倍オーバーサンプリングの採用であり、本機も従来のCD2同様にこの方式を受け継いでいる。
 また、CD3の最も大きな変更点は、ディスクドライブ機構にある。前作CD2では、フィリップス製高級CDプレーヤーのスタンダードとなったCDM1が採用されていたが、本機ではCDM1MKIIを採用している。このディスクドライブ機構は、CDM1に比べ外形寸法上の高さがアップしているため、これを受けて、筐体関係は大幅に設計変更され、本体の高さは前作より約2cm高くなっている。
 電源部はトロイダルトランスの採用で、計6系統の定電圧電源を備えており、2系統はディスクドライブ系とデジタルプロセッサー、残りの4系統が8個のDAC部、オーディオアンプ系に分配されている。
 パネルフェイスは、国内製品と比べ、ディスプレイがシンプルなため、スッキリとしたデザインにまとめられており、必要にして十分なものではある。しかし、トレイの開閉の動き、各プッシュボタンのフィーリングなどではフィニッシュの甘さが若干見受けられる。
 本機は、ACプラグの極性(正相/逆相)による影響が激しい特徴をもっているようだ。平均的には音場感情報が豊かで、ナチュラルな音をもつほうがオーディオ的にはACボラリティが正相といわれているが、本機の場合では正相で、ハイファイ的な広帯域指向のない、穏やかで素直な音とスムーズに広がるプレゼンスを聴かせる。各種のプログラムソースに対しても、かなりフレキシブルに反応を示すタイプであり、これはいわば長時間聴いていても疲れない音の好例であろう。置き場所やACプラグの極性などの基本的な使いこなしの後、RCAピンコードによる音質、音色などのコントロールをすれば、一段と聴感上でS/Nの優れた、素直で見通しの良い音にチューニングすることは容易であり、その意味ではこの素直な音が本機の魅力であろう。
 次にACプラグを反転すると、音質、音色は一変し、かなり古い時代のアナログプレーヤー的な、情報量は少ないがコントラストがクッキリとしたモノトーンの抑えた音となり、このひっそりとした印象はかなり個性的な音の世界である。
 総合的に音場感情報は比較的少ないタイプだが、小型スピーカーの点音源的特徴を活かして使えば、ひと味違った音の世界を楽しむことができよう。

ソニー CDP-R1a + DAS-R1a

井上卓也

ステレオサウンド 94号(1990年3月発行)
特集・「最新CDプレーヤー14機種の徹底試聴」より

 温和で、しなやかな充分に磨き込まれた音を持った、雰囲気のよい音を聴かせるプレーヤーである。
 ロッシーニは、しなやかではあるが、スッキリとした音を指向した音を聴かせる。各楽器はひととおり分離するが、各パートの声は少し伸び切らない印象となる。音場感情報量、柔らかく定位する小さな音像など、平均を超すレベルだ。ピアノトリオは、ホールの響きをたっぷりと聴かせるサロン風なまとまりである。中高域には硬質な面があり、音の輪郭を聴かせる効果はあるが、ヴァイオリン、チェロの高域成分は少し硬い。ブルックナーは、一応のレベルの音だが全体にちぐはぐな面があり、再生系との相性の悪さが出た音だ。平衡出力では、コントラストが下がり、フレキシビリティは出るが、三万二してまとまらない。ジャズは集中力が不足し、力がいま一歩の印象でまとまらない。もう少し低域のリズム感が支えれば、一応の水準になる印象が強い。