ワディア Wadia 2000

黒田恭一

ステレオサウンド 118号(1996年3月発行)
「WADIA2000 バージョン96に魅せられて」より

 もともと知ろうとする気持をすて、感じとれるものだけをたよりにオーディオとつきあってきた。技術的なことを理解しようとする気持を、むしろ意識的にふりすてて、スピーカーやアンプのきかせてくれる音と裸でむきあってきた。中途半端にしこんだ知識で、それほど鋭敏とも思えず、それほど堅固とも考えがたい自分の感覚がおびやかされることをおそれての、それがぼくなりの防御策だったかもしれなかった。
 技術音痴をバネにして、いさぎよく素っ裸のままスピーカーからきこえてくる音とむきあいつづけていたかったからである。そういえば、音楽をきいているときにも、似たような気持になることがある。スピーカーにしても、ピアニストにしても、そこできかせてくれる音にすべてがある。そのピアニストの出身地を知ったからといって、彼の演奏をより深いところで理解できるようになるとは思えない。
 しかし、今回のことは技術的な理解を放棄してしまっている技術音痴をも戸惑わせるに充分なものだった。少なくともこれまでは、音が変われば、それ相応に、あるいはそれ以上に、具体的に目に見えるスピーカーという物やアンプという物が大きく変化していた。いつだって、耳の感じとった音の変化が、目に見える物の変化によって、ことばとしていくぶん妙ではあるが、保証されていた。そのために、音という限りなく抽象的なものの変化を自分に納得させられた、という場合もあったように思う。このアンプとあのアンプでは見た目もこんなにちがうのだから、きこえてくる音がこのようにちがって当然、と考えたりもした。
 今度ばかりは、大いにちがった。ちょっと拝借、といわれてもっていかれた赤いハンカチが、目の前で、一瞬の間に青く変わったのを見せられたときのような気持になり、仰天した。最初は、驚きばかりが大きくて、とても音がどのように変化したのかを理解できなかった。しかし、ぼくは、驚いてばかりもいられない。ここでは、ことの顚末をもう少し冷静に、順をおって書くことが義務づけられている。
 今回のM1の指令は、電話ではなく、ファックスだった。そのファックスで、彼は、さりげなく音に対する彼の最近の好みの変化などをしたためつつ、実にさりげない口調で、WADIA2000のアップグレードバージョンを試聴してみないか、と誘っていた。老獪なM1は、これと前のものではかなりちがうので、気にいらなかったら、それはそれでいいのだけれど、と書きそえることも忘れなかった。
 M1は、先刻ご承知のとおり、寝た子を起こす達人である。おまけに、つきあいが長いこともあって、こっちの泣きどころをしっかりおさえたうえに、頃あいをみはかるのが巧みときている。なるほど、このところしばらく、ぼくの部屋の音は、それなりに安定していたこともあって、さわらぬ神に祟りなしの教えにしたがっていたが、ときおり、ふと、これでいいのかな、と思う不安の影が胸をよぎるのを意識しなくもなかった。M1はそれをも感じとっていたのか、絶好のタイミングで、ローレライの歌をうたってくれた。
 かくして、ぼくはWADIA2000のアップグレードバージョンを自分の部屋できくことになった。いずれにしても、これまで長いこときいてきたデコーダーのアップグレードバージョンではないか、と思い、いくぶんたかをくくっていたところがなくもなかった。そのすきをつかれた。目の前で、さっきまで赤かったはずのハンカチが、一瞬の間に青く変わるのをみせられて、ぼくはことばを失った。
 しかし、それにしても、このような大きな変化をいかにしてことばにしたらいいのか。それが大問題だった。しばしば、針のように小さな変化をいかにして棒のように大きくいうかに腐心させられる。今度の場合は、むしろ逆だった。
 正直に書くが、もし、目隠しをされて、WADIA2000の前のものと今回のアップグレードバージョンとを比較してきかされたら、ぼくにはその両方の音がいずれもWADIA2000のものとはききわけられなかった、と思う。この両者の間には、音の質と性格の両面で、それほど大きなへだたりがあった。
 しかし、その両者のへだたりの大きさをきっちりことばにしようとすると、心情的なことで釈然としないことがおこってくる、という難しい問題もからんでくる。というのは、もし、かりに、WADIA2000の前のものと今回のアップグレードバージョンとを比較した後に、ついさっきまでは灰をかぶっていた薄汚れた女の子が魔女にしかるべき呪文をかけられて、一瞬の間にガラスの靴をといて王子のパーティに出かけるシンデレラに変身したようなものだ、といったりすれば、それは、昨日まで素晴らしい音で(少なくともぼくは、そう思っていた)きかせてくれていた旧WADIA2000に対して、あまりに失礼ないいぐさである。それでは、まるで、新しい恋人ができて別れた前の恋人を悪しざまにいっている情のない男のようなもので、なんとも気がすすまない。
 それでもなお、旧WADIA2000に対しての感謝の気持を胸におさめて、アップグレードバージョンに変えることに対して、ぼくにはいささかのためらいもなかった。いずれにしても、オーディオに魂をうばわれてしまえば、不実といわれようが、浮気者よばわりされようが、お世話になった機器に別れを告げつつ、あらたな出会いに心をときめかしていくよりないからである。
 それにしても、今回は特別で、WADIA2000の前のものからアップグレードバージョンにするのは、美人姉妹といわれまふたりのうちの妹とつきあった後に、さらに素敵な姉さんに鞍替えしたようなもので、後ろめたさをいつになく強く感じないではいられなかった。
 姉と妹では、なによりもまず、音のリアリティが決定的にちがっていた。もっとも、音といったって、日頃きくのが単なる音のはずもなく、音楽をきくわけだから、ここは、音楽における音のリアリティ、といいなおすべきかもしれない。音楽における音のリアリティがませば、必然的に、音楽がより深く、鋭く感じられるようになる。お姉さんのWADIA2000は、その点で断然すぐれていた。そこに、ぼくは魅せられた。
 音のきめ細かさがまして、さらにくいぶん音の重心がさがったようにも感じられた。そのために、個々のひびきそのものの輪郭と陰影がより一層鮮明になった。これは、いいオーディオ機器に出会ったときにいつも感じることで

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