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「最新プリメインアンプ35機種の試聴テストを終えて」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 前回のプリメイン総合テスト(33〜34号)のとき参加できなかったので、私にとっては27号以来約四年ぶりの集中テストであった。27号のテストで個人的に印象の強く残った製品は、デンオンPMA700、500、300Z、トリオKA8004、ヤマハCA1000、ラックスSQ38FD、などだった。あれから四年のあいだに、生き残っている製品はひとつもなくなってしまった。が、それならいまあげたアンプを、現在、という時点で聴き直してみたら、はたしてどう聴こえるだろうか。新製品あるいは改良型というものが、ほんとうに必然性を持って生まれてくるものなのだろうか。
 たとえば音楽的なバランスの良さ、とか、音の魅力、といった面では、右にあげた製品はいまでも立派に通用すると思う。しかし最近の良くできた製品からみれば、音の充実感あるいは緻密さ、音の鮮度の高さ、などの点で少しずつ劣る部分はある。製品によってはパワーが少々不足するものもある。ただ、そうした面が、それぞれのメーカーの改良型や新製品ですべて良くなっているか、となると、必ずしもそうではない。改良または新型になって弱点を改良した反面、以前の製品の持っていた音の独特の魅力の方を薄れさせ或いは失ってしまった製品もある。
 細かくいえば、いまの時点でも十分に魅力を聴かせるのはデンオンのPMA500と300Z、それにトリオのKA8002だ。言いかえれば、それらの改良型または新型が、軌道修正をはかった結果、プロトタイプの持っていた音の魅力を失ってしまったと私は思う。
 デンオンのPMA700はZになって、またヤマハCA1000とラックス38FDはともにマークIIになって、プロトタイプの良さを失わずに改良に成功し、た方の例だと思う。ところがヤマハはさらにマークIIIを出したが、これは必ずしも改良とは言いきれない。というよりその直後に出たCA2000の方が出来栄えが良いために、この方がむしろCA1000のマークIII的な性格を素直に受け次いでいて、かえってオリジナルのマークIIIのかげが薄くなってしまったように思える。製品の練り上げとは、ほんとうに微妙で難しいものだと思う。
 どんなに良い製品でも、完璧ということはありえないし、時の流れとともに変化する周囲の情勢の変化に応じて、少しずつであっても改良を加えなくては生き残ってゆくことはできない。しかしアンプに限っても、改良のサイクル(周期)が、少し短すぎるのではないか。新製品あるいはモデルチェンジが、頻繁におこなわれすぎるのではないか。アンプテストをふりかえってみると、いつもそう思う。研究し比較し、貯金して、買おうと思うアンプに焦点を絞ったところで、また新型が出る。やっと念願かなって一台のアンプを購入したと思った途端に新型が出て裏切られたような口惜しい思いをする。
 改良は必要なことだ。製品がより良くなるのは嬉しいことだ。けれど、いまのように、一年やそこいらで全面モデルチェンジなどという必然性があるとは、私にはとても思えない。たしかに素材や技術の進歩・改良のテンポは早い。だが、それをとり入れて十分に消化し熟成させて製品化するのに、半年や一年でできるわけがない。少なくとも、春と秋に各メーカーが一せいに歩調を合わせてニューモデルの発表をするというような現状は、少々狂っているとしか言いようがない。
 たしかにここ数年来、レコードプレーヤーやカートリッジや、テープデッキや、チューナー等、プログラムソース側の機材の進歩はいちじるしい。スピーカーもまた、急速に改良されはじめている。そうした周辺機器ばかりでなく、レコードの録音の技術的あるいは芸術的な変遷や、音画の作品や演奏や聴き手を含めての時代感覚の変容を、本質のところで深く鋭く掴え性格に敏速に反応してゆくことが、ンアプには要求されている。そうした本質を正しく掴えた改良であるか、それとも単にマーケットの表面的な動勢に振り回されての主体性を失ったモデル珍事であるか、が、新製品の存在理由を明らかにする、と私は思う。
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 今回のテストは、たまたま、昨年発売された本誌別冊「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」でのセパレートアンプ・テストから一年を経ていなかったため、セパレート型の上級機での素晴らしい音質が、どうしても頭の隅にこびりついていて困った。けれど、そのことは逆に、プリメインタイプのアンプのありかたについて、改めて考えさせてくれた。
 ほんらいセパレートにしてまで追求しなくては得られない音質を、プリメインの中級以下の機種に求めることがはじめから無理な相談であることは言うまでもないが、どうやらこの自明の理を、メーカーの中には少々誤解している向きもあるのではないか。その点、はじめにあげた、PMA500やKA8004やSQ38FDなどは、プリメインという枠の中で、ひとつの定着した世界を築き上げた名作だと私は思う。
 アンプの大きさや重さや、操作上必要なコントロールファンクションなどのあらゆる面から、もう少し機能に徹して、必要かつ十分のファンクションというものを洗い直して、そこにプリメインならではの音の魅力をあわせ持った、ピリッと小味の利いた名作を、どこかで作ってくれないものだろうか。そういう意味で、現代のプリメインのありかたというものを、製作者もユーザーもジャーナリズムも流通経路にたずさわる方々も、皆で改めて考え直してみる時期にさしかかっているではないだろうか。
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 テスト中にとくに操作面で気になったいくつかの事項を書き加えておきたい。
 国産のアンプのほとんどが、VOLUMEのつまみを大型にして他の機能と区別し扱いやすくしていることはよいが、半数以上の製品は、つまみを廻すにともなってシャーシ内部でコチコチとクリック音がする。これは、高級機で採用されたアッテネータータイプとその簡易型の変種であるディテント型(dB目盛りで音量を絞るタイプ)が、目盛りをはっきりさせるためにつけているクリックだが、このクリックストップは、そろそろやめにしてもらいたい。つまみが階段状に廻るのでこまかな音量調整がしにくいし、レコードの終ったところで手早く絞ろうとすると、コリコリコリ……と余分な機械音が、音楽を聴き終って良い気持になっている聴き手の気分のじゃまをする。この点、テクニクス80Aのボリュウムのつまみのしっとりした感触はとてもよかった。
 もうひとつ気になることは、これはずいぶん前から本誌のテストでたびたび指摘されていることだが、トーンコントロールのONによって音質の劣化するアンプがまだかなり多いこと。トーンディフィートの状態ではとても新鮮な良い音がするのに、ちょっと低音を補整したいと思ってトーンをONにすると、とたんに音が曇る、というのが多い。どうも製作者側が、トーンコントロールの活用を軽んじて、回路設計に手を抜く傾向があるようだ。フィルターのON−OFFでも音質の劣化する傾向のあるアンプがいくつかあった。
 レバースイッチ類の操作にともなうシャーシ内での機械音・共鳴音の大きいアンプも気分を害する。ボリュウムのクリックと同様にいえることだが、アンプとして必要なのは良い音を聴かせてくれることで、音楽の音以外の機械的な共鳴音は、できるかぎりおさえるべきだと思う。機械音ばかりでない。スイッチの操作にともなってスピーカーから出るノイズは、皆無にするべきだが、この点案外ルーズな製品がまだ意外にあった。残留雑音もしかり。スピーカーが一時よりも能率を高める傾向があるのだから、静かな住宅地で、深夜、ボリュウムを絞りきったときに聴取位置でノイズの聴こえるようなアンプは困る。
 もうひとつ、出力表示のためのメーターをつけたアンプの場合、ピーク指示またはVU指示のどちらでもなく、単に飾りとしか思えないような針のふれ方を示すものがあった。聴感と対応しないようなメーターはやめにしてもらいたい。この面では、ヤマハCA2000等のピーク指示計が非常に正確な反応を示したが、ラックス5L15のメーターのふれかたは、どうもよく理解できなかった。

ビクター JA-S75

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 はからずも? パイオニアの8900IIと同価格、同データのアンプが、このJA−S75である。音質は、このアンプのほうがオーソドックスだという気がするが、裏返せばパイオニアのほうが、あらゆるソースのアラをかくして、音楽をそれらしく効果的に鳴らす魔力では勝っている。音のクォリティは、こちらのほうが落着いていて、長い間に飽きはこないと思えるのであるが、弦楽四重奏やオーケストラのトゥッティでの高弦のフォルテにおいての乱れが、やや耳を刺す。これは、レコードやカートリッジの段階での問題かもしれないのだが、アンプによっては、その乱れを巧みに馴らして耳障りな響きをおさえこむものがあるので、聴感上、実態の把握は難しい。残留ノイズは抜群に低く、多分ツインボリュウムによるのだろうが、しぼりこんだ時のノイズは高能率のスピーカーでも皆無に近い。トーン回路挿入時の音色の変化は少なく、総合的に優秀なアンプであった。

パイオニア SA-8900II

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 パイオニアのアンプはどれを聴いても、大変にまとまりのいい心憎い巧みさを感じる。たとえていうなら、あたかも英デッカのレコードがヴァイオリンの高音に独特のシルキーハイとでもいいたい巧妙な音色コントロールのノウハウを会得しているのに似ている。一般的に、音響機器の一つの苦手な音色は、高い弦楽器のフォルテにあって、生に聴かれる柔らかさ、瑞々しい艶、しなやかな肉付きといった特色が消えて、キンキン、ピーピーといった音になりやすいことは、オーディオにこっている人なら体験ずみだと思える。これを巧みにコントロールすると、こちらの実は葉ごまかされる。というより快く聴ける。この辺のノウハウがパイオニアのアンプにはあるに違いないと感じられるような音なのだ。80Wという余裕のあるパワーと快い美音のコンビネーションが、実用価値の高いアンプを作りあげている。トーン回路を入れると少し音にくもりが出るが惜しいが、いいアンプだ。

オットー DCA-1201

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 インテグラルアンプとして真面目に作られたアンプだということは外観からもよくわかる。しかし、音は、レコードに入っているはずの最も大切な微妙なニュアンスがよく再現されないので興をそがれる。ピアノの音色の重要な支配者といえる高調波成分がよく再現されないため、音が坊主で表情が出ないのだ。もっと複雑な音色をもった大オーケストラのトゥッティでは、むしろよくコントロールされた音くずれの少なさが表へ出て、そうした音色のデリカシーの不満が感じられなかった。これは、こちらの耳の識別能力の問題だと思う。単純なソロ楽器での音色の特色のほうが、デリカシーはよくわかるものだからである。このアンプの音は、よくいえば端正で、よくコントロールされたもの、逆にいうと、音の魅力は、ニュアンスの再現までがコントロールされて楽しめないということになるだろう。もう一次元上の音の感触、色彩感などの味の問題が残る。

オンキョー Integra A-7

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 フィッシャー=ディスカウの声の品位、自然さがよく出るし、ピアノ伴奏のこまかいニュアンス再現もよい。ただ間接音の響きが、やや大ざっぱに強調される傾向があり、少々スケールが大きくなりすぎる嫌いがある。ライヴネスがよく出るのはいいのだが、極端にいうと鳴り過ぎるという感じがあって、もう少し節度があるべきだ。中低域がグラマラスで高域が派手に響くアンプだから、概して品位の高い音楽や演奏には耳につく色づけが感じられるようだ。よく弾むベース、透明なクリスタルを思わせるようなピアノ、腹にこたえるバスドラムの響きなど、ジャズやロックには、大変に効果的であるし、力強く聴きごたえがある。これで、弦楽四重奏やオーケストラの落着いたソノリティと重厚な雰囲気を、より克明に再現し得たらよいのだが、やや力不足のようだ。もう一つ音の締り、ダンピングがきいて、音に芯ができるとよい。

ヤマハ CA-R1

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 きれいな音のアンプである。キメが細かく、帯域が広く、繊細感が魅力。同時に、結構力強さもあって、現代的な音というイメージである。しかし、どうも冷たいという印象が常につきまとう。今や、歪感とか周波数特性などのキャラクターが音から感じられるというアンプの時代ではないし、どのアンプも高度な物理特性を持っていながら、一つ一つの音の違いが依然として存在するのだから不思議といえば不思議である。私なりに感じる音のちがいは、質感という表現があてはまろうかと思うが、このアンプの質感にはエロティシズムがない。日本流にいえば色気というべきかもしれないが、西欧の音楽、楽器の魅力に不可欠な、もっと肉筆の弾力性に富んだ音の分厚さが再現されてほしいのでる。油ののったベースの音が、やや乾いて聴こえるし、弦楽器の高域も美しいには美しいが、血が通わない。MC型がダイレクトに使えるヘッドアンプ内蔵はあがたい。

トリオ KA-7100D

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 細工はりゅうりゅうといった感じの気合いの入った力作である。本質的な音の素性はかなり品位が高いが、それに加えて、なかなか堂に入った味つけが巧みに施されている。充分にびきった低域にバランスさせるべくコントロールされた高音域の輝き、艶が、ソースによって、あるいは、スピーカーによっては、大変効果的に響くのだが、スペンドールでは効果として働き、JBLではその逆の傾向になった。ベーゼンドルファー・ピアノの音はしっとりした味わいと、品のよいソノリティが、少々ヒステリックになり、日々が安っぽい。弦楽四重奏では、内声部から低音にかけての厚みが豊かなソノリティをつくり効果的だが、高弦のハーモニクスがやや耳をさす。大オーケストラのfffでの音の締りと明晰さはこのクラスとしては秀でていて、音くずれが少ない。TC回路を入れると一枚ベールをかぶるのは問題だが、残留ノイズの少ないことは特筆に値する。

オンキョー Integra A-5

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 暖かさと、まろやかさが、適宜、明解な力強さとバランスした音だ。スペンドールBCIIで聴くフィッシャー=ディスカウの声のふっくらとした丸いふくらみと豊かな余韻、弦楽器のハーモニーと、個々の楽器の分離の明解さと整ったバランスは見事であった。45W×2というパワーは、現在水準からして決して大きいほうではないが、このアンプの持っている豊かな音質感が、パワー不足を感じさせない。降雨率のJBL4343をドライヴすると、相当な音圧レベルでも安定したプレイバックが楽しめる。大編成オーケストラのトゥッティのfffともなると、もう一つ、スピーカーを引き締めて、がっしりとした音の構築を感じさせて欲しい気もするし、鋭いピアノのアタックの一音一音には、重量感と力感がほしい。しかし、「サイド・バイ・サイドII」の八城一夫の−ベーゼンドルファーの気分の再現は上々で、個クラスでは優れた製品。

オーレックス SB-820

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 従来のオーレックスのアンプからは大きな躍進が感じられる。しかし、この価格の製品として歴戦錬磨の強豪の中で客観的に評価すると、中程度の出来といわざるを得ない。どんな音楽をかけても破綻なく、大きな違和感や、バランスをくずすことはない。しかし、よく聴きこむと、ずいぶん細かいニュアンスのとりこぼしがあることに気がつくのである。大きくは把んでいるが、魅力となる微妙なニュアンスまでは再現しきれないのだ。したがって、嫌な響きも出ない。ピアノの音色など、きわめてしっかりしたタッチで聴けるが、複雑な波形がどこかへ消え、まるでうぶ毛のないそしてドライな音になる。レコード自体限界に近い大編成のオーケストラのトゥッティなどは、よくコントロールされ、うるさい響きとならないので、かえってよく聴こえるようだ。デザイン意識過多で、パネルは、下絵のデッサンを書き過ぎたような必然性のないこり過ぎだ。

マランツ Model 1150MKII

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 しっかりした構築のくずれない骨太の音で、高域には輝きと肉がのっていて、華麗だがヒステリックにはならない。柔らかいニュアンス、繊細な品位の高さを要求されるクラシックの室内楽などより、実感溢れた人間表現を積極的に訴えるジャズなどに、この充実したサウンドはよりぴたりとくる。たくましく華麗な音というのが、このアンプの印象だ。こういう音の質感は、好みもあろうが、音楽の大きな表現力を生き生きと伝えてくれるので私は好きである。明らかに水彩ではなく、油のタッチに近い。パネルレイアウトはかなり個性的で中域のトーンコントロールもできるトリプル・トーンコントローラーを表に出したイメージからしても、能動的にマイ・サウンドを楽しもうという人に向くアンプだという感じがする。これで弦楽器のしっとりした柔軟な味わいや、コーラスでさわやかな透明感がよく再現されれば文句はないが、そういう点では中の出来。

サンスイ AU-607

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音質は、音が空間に浮遊する様を感じさせる点では出色のものだ。空間感とか、プレゼンスとかいう表現に近いことになるのだが、それら音場を連想させるイメージに加えて、ここで感じられるのは、音像(音源でもよい)そのものの実在感に空芯のイメージがあるとでもいいたいのである。これは、決して数多くのアンプが可能にしてくれるものではないし、スピーカーでも、このイメージが出るものとそうではないものとがあると私は思っている。概して、この感覚が得られるオーディオ・コンポーネントは、かなり練りに練られた高級品にしか見当らないものなのだ。BCIIが、空気を一杯にはらんで鳴り響いているような素晴らしいソノリティが楽しめたし、4343による、ピアノやベース、そして、ドラムスの実感も相当なものであったが、欲をいえば、この空芯感と、さらに充実したソリッドな実感が調和すれば、理想的といえる。一線を超えたアンプだ。

ヤマハ CA-1000III

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音質の印象を書くのは難しい。どこといって悪いところがないと同時に、常に欲求不満を覚えるなにかがある。というより、なにかがなくて不満なのかもしれない。美しい音だし、解像力や立上りにも不満はない。つまり、試聴の際にはとっかかりとするファクターは全部合格してしまうのに、どうしてもどこかで音楽からはぐれてしまう冷たさ、質感の違和感がつきまとうのである。強いて私流に表現すると、音にエロティシズムがない。音に把まえどころのない、生命感の不足、とでもいおうか。高音域の細身の肉薄のキャラクターは弦楽器で明瞭に現われる。淡彩という感じが、CA1000以来ずっと続いていたが、たしかにMKIIIになって、弱々しいところはなくなった。しかし、音の平板な弾みのないところが、もう一つ物足りない。それ以外は客観的にいってアンプとして完璧に近い。機能、SN比、A級動作とMCヘッドアンプ、万事水準を越える性能だ。

ソニー TA-3650

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音はいい。さわやかな高音域が、プレゼンスのよい、のびのびとした音場を再現してくれる。中低域も充実していて聴きごたえがある。スペンドールBCIIの個性的魅力もよく生かし、艶ののった瑞々しい音が生きる。きちんとした音像の輪郭、大オーケストラのfffにおける乱れのない迫力、ピアニシモにおける空間感も見事であった。どんなアンプでも、音質のコントロールは作為と偶然性が相半ばするものだと思うが、このアンプのコントロールは、スピーカーを鳴らして音楽を生き生きと聴くという実体に根ざした当を得たものだと思う。目的のために技術が駆使されるべきオーディオの本質を心得て作られたアンプだという印象を強くした。フィッシャー=ディスカウの声の柔らかさと厚味、アン・バートンの舌打ちの自然な水気? なえなかリアリティがある。ピシッとガラスがわれるようなピアノのハーモニクスも手にとるように聴こえる。

パイオニア SA-8800II

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 よく出来すぎているアンプというと最高の賛辞に聴こえるだろう。実際、商品として、価格のバランスで見れば、最高の賛辞を呈してもよいと思うのだ、このアンプには……。パイオニアのアンプというのは、この点で世界一といっても過言ではないだろう。本当はこれで終り、これ以上は書く必要はないのだろうが、音や音楽というものは面白いもので、実は、ここから先が楽しいところであり苦しいところなのではないか。このアンプは、スペンドールを鳴らしても、JBLを鳴らしても、不思議に同じような音と響きで鳴らしてしまう。それは決して嫌な音でも響きでもない。いや、むしろ、快い音といえるだろう。しかし、ある種の組合せで、この二つのスピーカーが最高に魅力をたたえて鳴るような鳴り方とはちがうのである。どこも欠点はない。また、どこといってふるいつきたくなるほどはの魅力もない。このクラスの商品としてはやはり最高の商品なのだろうが……。

オンキョー Integra A-722nII

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 A5やA7の新シリーズのグラマラスな中低音、少々野放図に感じられる音より、このアンプの音は品位では勝っている。やや細身の音と感じられる部分もあるし、中音の肉付きがもう少したっぷりしていいように感じるが、このぐらいコントロールされていたほうが、端正な音楽のバランスが得られる。帯域の広さとしてはむろん、なんの不満があるわけではなく、むしろA5、A7のほうがコントロール不足のように思えるのである。弦楽四重奏に聴かれる品のよいアンサンブルのまとまりと対照的なジャズやロックの迫力と締った音の充実感は、プリメインアンプとして第一級の実力を認めてもよいだろう。不満としては、もう少々潤沢な柔らかい艶の肌ざわりを持った弦の内声部とピアノのフェルトハンマーによる打弦感がリアルに出るといいと思われるが、このアンプについては、むしろこの気位の高い端然とした響きの姿を高く評価したと思う。

トリオ KA-7700D

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 きわめてワイドレンジを感じさせる音でありながら、音楽の表現に重要な中域の充実した聴きごたえのある音。高域に独特の色彩感と触感があってリアリティを効果づけているが、プログラムソースによっては、それが気になることがある。特に弦楽器のハーモニックが味つけ過多の印象でもう少し素直に、しなやかに響くべきではないかと思う。反面、こうした特質は、管やピアノにはプラスと働くようで、艶と輝きのある音色効果は演奏表現を魅力あるもにする。余裕のあるパワーはさすがに力強く、数Wの範囲で鳴っている時でも音が締って力強い。どちらかというとソリッドな音で、空間を漂う繊細なニュアンスの再現より、実在感のある楽器の直接音の再現に力を発揮するアンプのようである。トーン回路による音の変化は少ないほうだが、やや甘く、音がひっこむ感じになる。SN比は大変よく、特性の優秀な高性能アンプの名に恥じないものだ。

ソニー TA-5650

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 価格に比してパワーは小さいが、その分中味の充実さを買ってもらおうという意図は充分達成されたアンプだと思う。実際のパワー以上の余裕ある音質感は、音楽を豊かに再生し、神経質な線の細さを感じさせない。音の立体感があって弾力性に富み、血の通った、たくましさと暖かさをもっている。空間の再現がよく、ステレオフォニックな音場がふわっと両スピーカーの間にたちこめる様は見事である。こうした豊潤な音は、私が従来のソニーのアンプに持っていた印象とは別物であり、最近の同社のスピーカーの示した変身ぶりとも相通じるものがある。無機的な響きがどうしても気になっていたソニーのオーディオ機器が、これほど人間的な値の通いを感じさせるようになったのは同慶にたえない。音楽のように人間表現そのものが生命といってよいものにあっては、こうした血の通いや心の躍動をニュアンス豊かに再現してくれるものでなければなるまい。

マランツ Model 1250

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 大づかみな音色でいえば♯1150のところで書いたことと同じ傾向だが、基本的な音のクォリティに格段の差があるとみえて、♯1150のような目鼻立ちのくっきりしすぎという感じがなく、この明るい輝かしい音色をマランツの性格として受け入れさえすれば、この音はさすがにゴージャスな気持にひたしてくれるようなぜいたく感があって、聴いていて楽しくなってくる。陰気さとかウェットという印象が全然ない。本質的に楽天的な音といえる。したがって、フィッシャー=ディスカウの声が若がえったようにきこえたり、ウィーン・フィルの音など少し明るく輝きすぎるようなところもある。が、ローコストのその手の音にありがちの上すべりするような欠点とはならず、それがこのアンプの明らかな個性といえるところまで仕上っている。グレイドの高い製品でなくては、こうは聴かせないだろう。聴き終って満足感の残る音だ。

パイオニア SA-9900

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 音のバランスの過不足なさ、というパイオニアのアンプの性格は9900も同様で、それはなにも低・中・高各音域のバランスという意味にとどまらず、音の質感、密度、力感、解像力……といったあらゆる評価項目を並べてみても、すべて中庸精神が破綻なく平衡を保っている。しかもこのクラスになれば音の質感もローコスト機とは明らかに違って、滑らかさや豊かさが自然に出てくるし、中低域での力も充実していることが、音量を上げるにつれてよくわかる。しかしふつうに聴くかぎりは、その力はあからさまにそれと感じられない程度に、十分に抑制も利いていて、どこかおっとりとかまえた音がする。そこが好感の持てるところでもある反面、このアンプでなくては聴けないというほどの魅力にもなりにくい点だ。パネルに ADVANCED MODEL というシールが貼ってあったが、初期のモデルよりも安定感のある音に仕上っていると思った。

ソニー TA-F7B

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 音の輪郭にことさらコントラストをつけて鳴らす感じ。つまりクッキリ型なのだが、その輪郭がいささか筆太で、タッチが大づかみだ。音のバランスの点では問題なくいい。ハイコントラスト型の音で音楽のディテールをはっきりくまどるのだが、黒田恭一氏流にいうと、音をあきからにするというよりもあからさまにする、という感じに近い。鳴っている音が、我もわれもと互いにかき分けて出しゃばってくるような感じで、一例をあげれば、F=ディスカウのベルベットのような声を、どちらかといえばむき出しの、やや品位の欠けた声にする傾向で聴きとれるいうように、抑えて聴きたい音もすべてさらけ出してしまうようなところが、永い時間聴いてゆくと次第にやり切れなくさせてしまう。TA5650や3650にもそういう性格はなかったわけではないが、それと目立たないくらいまでコントロールされていたので好ましかったのだろう。

ラックス SQ38FD/II

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 F=ディスカウのびろうどのようなバリトンが、いかにも血の通った暖かい声帯の湿りけを感じさせる。イタリア弦楽四重奏団のヴァイオリンやチェロが、軽やかに、そして木の胴の柔らかな共鳴音を豊かに響かせる。ハインリヒ・シュッツ合唱団のバッハの、声の溶け合いの美しさ。ラックスがこのプリメインでほとんど唯一といえる管球アンプを残している理由がはっきりしてくる。むろん、最新のTRアンプの、あの隅々まで見渡すような音のひろがりや解像力は望むべくもない。低音域では音像を甘くぼかしてしまう。旋律の動きと重なりを、一つひとつ明らかにするのではなくマッスとして、そしてどこか古めかしい、あるいは懐かしいといいたいような音で聴かせる。ただし、ポップスやジャズになると、どうひいきめにみても、平面的でつまらない音で鳴らしてしまう。クラシックを、ほどほどの音量で楽しもうというとき、いまだに貴重な存在といえそうだ。

ローテル RA-1412

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 ローテル・ブランドのアンプも、もう何年も前から本誌でたびたびテストしているが、これまではいつも水準すれすれの出来であっても、とりたてて傑出しているということはなかった。そういう印象が頭にあったせいか、このアンプから出てきた音を、一曲一曲聴き進むにつれてただびっくりして聴いてしまった。これは出来のいいアンプだ。
 まず第一に音のバランスのコントロールが絶妙だ。難しいベートーヴェン「18−4」のクヮルテット第三楽章の、トリオのハイポジションで馬脚をあらわすアンプが多いのに、ローテルはほどよく潤いを持ってしかも弦のみずみずしさを十分に保ってしっとりと響かせる。シンフォニーのトゥッティでもバランスや分解能に破綻をみせないし、菅野録音のベーゼンドルファーの打鍵音が、ほかの高級機も顔負けの美しい響きと艶を持って鳴る。ダイレクトカッティングのパーカッションも、力も密度もありよく弾む。

ヤマハ CA-2000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 1000IIIと公称出力で2割しか差がないから、理くつの上からはそんなに違いがない筈だが、たとえばダイレクトカッティングのパーカッションで最大出力まで上げてみると、1000IIIの出力計が瞬間のピークでも百二〜三十ワットで頭打ちになってしまうのに、2000の方は優に200W以上まで振り切る。聴感上からも音の伸びは格段に良い。音量を絞ったときでも、1000IIIにくらべるとひとつひとつの音がよく弾み、表情にしなやかさ、繊細さあるいは優しさがあって、総体に1000IIIよりも音楽をはるかに楽しく聴かせる。1000IIIよりも音に軽やかさがあって品位が高い。Aクラスに切替えたときの差は1000IIIよりもはっきりと出る。音の艶、ことに個人的には女声の色気がもう少し欲しい気がするものの、良い音を聴いた、という満足感に満たされるということは、たいへんなものだ。1000IIIの兄弟には違いないが、こちらの方がだいぶ出来がいいと思う。

「最新プリメインアンプ35機種の試聴テストを終えて」

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 プリメインアンプ35機種のヒアリングテストを終えた。5万円台から10万円台まで17社の製品であった。おそらくオーディオ・コンポーネントシステムの構成に、このクラスのアンプは、最も多く使われるものだろうし、メーカーにとってもユーザーにとっても、一番重要な主力製品といえるだろう。本誌がまとめた本年の1月10日現在のプリメインアンプ価格分布表を見てもその機種数は、3万円台に次いで、5、8、6万円台がそれぞれ多い。3万円台はいわゆるシスコン風のプリメインアンプとみてもよいだろうから、本格的なコンポーネントとしてのプリメインアンプは5万円台から10万円台に分布していると見てよいだろう。ごく少数、20万円台以上の製品もあるが、そのぐらいの値段になると、セパレートアンプとオーバーラップして、むしろセパレートの価格帯域と考えてよい領域に入るであろう。したがって、今回の本誌のプリメインアンプのテストは、文字通りプリメインアンプのすべてといってもよいものだし、それだけにテストに加わった一員として、その任の重さを感ぜずにはいられなかった。
 そもそも、アンプによる音質の変化というものは、その表現が大変に難しい。私の役目は、その音質の試聴感にのみ限られていて、アンプとしての操作性や、動作、総合的なデザインや完成度などといった視点からの判断は除外されているのであるが、だからといって、そうした要素を全く切り離してアンプの音だけが純粋に評価し得たとも思わない。できるだけ、そうするように努力はしたが、人間の総合感覚として、どうしても視覚的、触覚的要素を完全に切り離すことは困難であるし、また、そうすることは不自然である。ブラインド・テストという方法は、目に見える部分を無視するか、共通・同一の条件と仮定してなら意味があっても、きわめて非現実的であって、特に私個人のオーディオ感からは全く無意味である。これについて詳しく書いているスペースはないが、要は、人間を基本に考えた、生きた評価が重要で、それ以外の定量、定性的評価は測定に頼る他はない。そして、その測定の満たせない部分を、人間的に判断する意味があるからこそ、こうしたテストがおこなわれるものだと思うのである。
そんなわけで、私のテスト記は、決して機械的正確さはないことを、はっきりお断りしておきたいのである。したがって、少々極端な表現が出て支障があるかもしれないが、それは私の性質であり、癖であるとお考え願えれば幸せである。思ったことを率直に述べるのが、私の性分なので、何とぞ御寛容のほどをお願いする次第である。この種のテスト記は、筆者が、いかなる人間であるかという理解が前提になってこそ、意味があると私は思っている。狭くは、その音と音楽への思考や思想であろうけれど、本当は、人となりすべてが大きく影響するはずだ。また、それが重要だからこそ、本誌でも一人のテスターではなく、数人のテスターにやらせているだと思う。だから、テスターによって評価が異なることは至極当然であろう。ただし、大筋において、評価が一致することも当然であろう。このことに感心をもたれ、各テスターの評価を、読者諸兄なりに総合して判断されれば、参考になるではないかと思う。よくAという人とBという人の評価が全く違うから、この種のテストは信用できない、でたらめだという批判を聞くが、それはあまりにも単純だし、音や音楽と人間との関係を無視しすぎる考えだと思う。そういう考え方では、オーディオのすべてが不信の対象になってしまうだろう。本誌の愛読者ならば、そんな考えをもっておられるはずはないとは思うが、どうしても、今一度お断りしておきたい問題なのである。
 私のテストは、瀬川冬樹氏と同時におこなわれた。二人で、同時にレコードを機器、一台一台、その場で試聴記を書いて編集部に渡すという方法であった。このほうが印象が新鮮だし、あとで現行をまとめるより、率直でいろいろな思惑に悩まされることがなく、私には好ましい方法だと考えたからだ。それも、先に述べたような考えが私にはあるからであって、もっと、総合的に、それぞれのアンプに対する評価を述べるとなったら、とてもこの方法では無理であったと思われる。他の専門家による測定その他の客観的な評価と合わせて、一つの完成した評価が、それそれの読者のイメージとして把んでいただけるのではないだろう。
 次に、35機種のプリメインアンプを試聴した全体的な印象について、個々の試聴記で述べられなかったこと幾つかを、ここに記すことにしよう。
 まず強く印象に残ったことは、アンプがよくなったということである。データを見てもわかるように、諸歪率は、ほとんどのアンプが、コンマ・ゼロ何%以下という値であり、SN比も最低70dBを越えている。こうしたデータと音質の関係は、ほとんど耳で聴いて判断は不可能であるから、これをもって、アンプがよくなったと断じるのは早計かもしれないが、計測し得るデータはよいほどよいというのが私の持論だし、音質や音色の魅力は、その上でのことだと思っている。事実、ほとんどテータに変わりのない二つのアンプが、音では全く異なった印象をもつものが珍しくないのであった。アンプの音質の差というものは、たとえていうなら、人間の体質のようなもので、スピーカーやカートリッジが、人間の顔を中心とした、体形などの造形的違いとすれば、アンプのほうは、肌のキメの違い、肉のしまり具合の違い、体温の違いとでもいった印象の差として現われる場合が多い。したがって
、こうした細かい点に注意しなければ、どんなアンプでも、美人ぞろいであって、プログラムソースや、スピーカーの造形を変えてしまうようなひどいものは、今や見当らなくなったのである。そのわかり、ひと度、そうした質に感じる感性を養った人にとっては、きわめて重要な本質的な品位と性格を決定するのがアンプの音だといってもよかろう。データが一様に向上した現在も、こうした質的な違いは、すべてのアンプに残されていたのである。今や、回路図とデータを見ても、そのアンプを知ることはできない。アンプに関するそれらの資料は、見合いの相手に関する履歴書と、慰藉の診断書みたいなものだ。高調波歪0・01%とか、周波数帯域DC〜500kHzなどというデータは、見合い写真に、胃袋のレントゲン写真を見せられたようなものだ。会ってみなければわからない。聴いてみなければわからないのである。いいアンプづくりのノウハウは「優れた回路設計と同様に、部品の選び方や、シャーシを含めたコンストラクションなどの現実の工法にウェイトがある」と語った、あるアメリカの私の友人の言葉が思い出される。設計だけでは、いいアンプは出来ないというのは当り前のようであるが、従来のアンプ製造は、どちらかといえば設計に80%以上のウェイトがおかれていたのではあるまいか。建築設計というものは、工事の現場からのフィードバックが重要なプログラムであるらしい。アンプづくりと家づくりはちょうど逆の性格をもっているのではないか。設計図なしで、立派な家を建てたのが昔の大工である。現場を知らずに精密な設計図を書くのが今の建築師である。アンプでは、今までは設計図重視であった。そして、その結果の確認は、測定データであって音ではなかった。今、現場の工事が、唯一の目的である音に大きく影響を与えることが認識されはじめたのであろう。これだけ多くの大同小異のデータをもったアンプが、それぞれ異なったニュアンスで音楽を鳴らすのを聴くにつけ、アンプがよくなったという実感とともに、面白くなった、難しくなったという感慨を持ったのである。
 もうひとつ、書き落としてならないことは、新しいものが必ずしも古いものより優れていなかったということである。もちろん、なんらかの点で、より優れたものが出来たからこそ、新シリーズとして誕生するのであろうが、実際に音楽を聴いてみて、明らかに旧シリーズのほうが勝っていたと思われるものが少なくなかったのである。データ上では、新しいものは必ず改良されているのを見るとき、何か見落としてはならない大切な問題の存在を感じるのである。
 音というものは、本当に難しい。しかし、味なものである。エレクトロニクスの粋であるアンプが、こんなに音のニュアンスに噛み合ってくる事実を知るとき、電子の存在に、一段と親しみを感じるのを覚えた次第である。

トリオ KA-9300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 前の三菱DA−U850と同じく、15万円の線を越すとさすがに音のクォリティがぐんと上がる。ただし鳴ってくる音の傾向は対照的といえるほど違う。たとえば「悲愴」のフォルティシモの部分で、左右のスピーカーのあいだに最も音のよく広がるタイプのアンプであった。楽器のパートごとに空間的な距離や広がりや奥行が感じとれる。そして音の消えてゆくときの余韻が美しい。DA−U850のあとにこれを聴くと、そうか、850の鳴り方はいわば音そのものという感じで、この響きの部分が不足していたんだな、と思えてくる。9300の方は、弦の高域のしなやかな表情や、女声の艶々しさを、かなりいい感じで聴ける。ただ、弦楽器の木質の響きにもう少し自然な感じが欲しい、というように、中音域の質感にもう少し自然さと密度が加われば一層いいと思える。それにしても、音楽を聴く楽しさを味わうことのできる良いアンプのひとつだと思った。