Tag Archives: PX1

ヤマハ PX-1

瀬川冬樹

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」より

●音質/おとなしい音、耳を刺すような刺激性の音はよく押さえ込まれて、行儀よく整理されきれいに刈り込まれた、という印象で、その意味で全くヤマハ的なサウンドと言ってさしつかえない。ただしPX1も、こんにち的な意味で本当にプレーヤーの音質の問題提起とその分析の行われる直前の製品であるために、これ以後に出現した音質本位の機種と比較すると、むしろ、リニアトラッキングアームとフルオートマッチックという点が主テーマとなっているらしく思われるので、音質という面では多少割引いて評価する必要はあると思う。それはそれとして、他機種と同レベルでの比較をとりあえずしてみれば、たとえば「ザ・ダイアローグ」のパーカッションの粒立ちがいま一息、どことなくのめり込みがちで、ベースの低音やバスドラムのローエンドは少しゆるみがち。そして、音楽が生き生きと湧き上ってくるというようないわゆる自発性が感じとりにくい。あくまでも穏やかでおとなしい。弦楽器とくにヴァイオリンの高弦の音は、L07Dのあのきつい音よりははるかに好ましい。反面、胴鳴りの豊かさや厚み、そこから生れる実体感あるいは立体感にどこか乏しい。なお、アームのバランスウェイトの制約からEMTはとりつけ不可能だった。
●デザイン・操作性/いかにもヤマハ独特の端正でよく整った意匠。そしてフルオートとマニュアルとを使い分ける数多くのボタンやツマミ類。しかし人間工学的には、ボタンの操作に二〜三の矛盾点がある。AUTOのスタートは、17、25、30と並んだ中からレコード一枚ごとに必要なボタンを選択する手間が要り、うっかりすると押しまちがえる。これは一例で、ボタン類の配列とその機能的整理は、考えすぎてひとりよがりに陥ってしまっている。レコードを乗せずにAUTOをスタートさせると、針がターンテーブル上に降りてしまい、針先をいためる恐れ甚大。

ヤマハ PX-1

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 音像を肥大させないところにこのプレーヤーシステムのよさがあるというべきだが、総奏でのひびきの力の提示にもう一歩ふみこんでの積極性がほしい。ひかえめなところはこのましいのだが。

●デンオンDL103Sで聴く
 さわやかだし、すっきりとしているが、ひびきのこくといった点で、多少ものたりない。声など、もう少し、声ならではの湿りけが感じられた方がいいだろう。細部の鮮明な提示はいいが。

●シュアーV15/IVで聴く
 示すべきものをすっきり示して、しかし決しておしつけがましくならないよさとでもいうべきか。もう少し力感がほしいと思わなくもないが、リズムの切れに鋭く反応するあたりはいい。

ヤマハ PX-1

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か クォーツロック・DDターンテーブル18機種をテストする」より

 力強いひびきをぐっと前におしだすというタイプのプレーヤーシステムではなさそうだ。しかし、ここできけるさわやかな、よごれをすっかり洗いおとしたようなひびきは、実にチャーミングだ。ここできけるひびきは、ついにぼてっとしたり、ふやけたり、重くひきずったり、あるいはかげったりしない。きいての印象がさわやかなのは、おそらく、そのためと思える。
 その方向で徹底させようというなら、デンオンDL103Sということになるだろう。木管楽器がかさっているところでの、個々の楽器のひびきを、ききてがその気になりさえすれば、充分にききふけることができる。このプレーヤーシステムの音にも、一種独特の品位が感じられる。よごれた音を、まちがってもきかせることはなさそうだ。
 ただそのために、用心深くなりすぎた音になってしまっているということはいえるだろう。これでさらに、一歩ふみこんで力強いひびきをきかせる積極性を身につければ、プレーヤーシステムとしての魅力を倍加させることになるのではないか。

ヤマハ PX-1

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

超重量級のベースとリニアアームを採用した超高級オート機の本格派。