ケンウッド L-02A

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 よくぞこのスピーカーからこれだけ艶があってみずみずしい音をきかせてくれたと思わないではいられなかった。rrd きけた音はなによりもまず鮮度の高さで魅力があった。Aのレコードできけるホルンの音は力をもってひろびろとひびいた。きめこまかさにも不足していなかった。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 刺激的な音をださないところはこのましいが、音像はいずれのレコードにおいても大きめであった。ただついに音の輪郭をぼけさせないところにこのアンプのよさがあるというべきであろう。しかもそれぞれの音の提示のしかたが積極的であいまいにならい。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 Bのレコードでのきこえ方はこれまでの中でもっともすぐれていた。三つの楽器のひびきのバランスもよく、力強い音の提示にもすぐれていた。ただCのレコードでは、たとえばヴァイオリンの音がいくぶんきつくなり、Aのレコードでも声が硬めに感じられなくもなかった。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

サンスイ AU-X11

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 すっきりときかせるところがよさというべきか。Aのレコードでのオーケストラの各パートのきこえ方などにしても大変に鮮明であった。ただ、Bのレコードではもう少し力強さが示されてもいいように思った。Cのレコードでは三つの楽器のひびきのとけあった感じがききとりにくかった。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 Aのレコードのきこえ方がもっともこのましかった。オーケストラのひびきのひろがりをよく示し、声はなまなましかった。Bのレコードでのきこえ方はこのスピーカーの弱点を拡大して示した。Cのレコードでの三つの楽器のひびきとけあいは1000Mよりこのましく示した。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 総じてひびきが浅いときいた。したがって力強い音への反応はかならずしもすぐれているとはいいがたかった。ただそれぞれの音の特徴を鮮明に示した。レコードでいうとA−C−Bの順でこのましかった。このスピーカーでBのレコードのベースの音が適度にふくれたのは意外であった

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

オーレックス SY-Λ88II + SC-Λ99

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 大変にクォリティの高い音である。音ばなれがいいためか、独特のなまなましさがある。力のある音への対応はすぐれている。問題はやわらかい音である。⑤のレコードでのフラウト・トラヴェルソの音がまるでモダーン・フルートの音のような感じであった。音場的にはある程度のひろがりを示した。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 ①のレコードでのきこえ方が思いのほか平面的であった。とるべきは④、ないしは⑤のレコードでのきこえ方であった。ひびきのきめこまかさがそこではいきていた。③のレコードではベースの音がふくらみ、総じて浅いひびきになっていた。ダイナミックな音には不向きな組合せというべきであろう。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 もう少しパワフルであってもいいようにも思うが、ここにはモデラートの美徳があるといえなくもない。ただ、④と⑤のレコードではひびきが硬くなりすぎる。⑤のレコードでのチェロなどは太くひびく。③のレコードでのひびきのバランスはこのましい。①のレコードでは画期の音色が鮮明に示される。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

ラックス L-550

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 きめこまかさがあかるい音をきかせるところにこのましさが認められる。L530との差は決して小さくない。Aのレコードでのパヴァロッティの声のきこえ方などは大変にこのましかった。Cのレコードではチェロの音がいくぶんふくらみぎみであったが、問題にするほどではなかった。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 Aのレコードではオーケストラのひろがりは示すものの、パヴァロッティの声は硬く感じられる。もっともこのましくきこえたのがCのレコードであった。チェロがふくらみすぎることもなく、三つの楽器のバランスもよくとれていた。Bのレコードでは総じて鋭く、力感の提示も不充分であった。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 もっともこのましかったのがBのレコードであった。コードをひくピアノの力強さがよく示されていた。Aのレコードでもさまざまなひびきをバランスよく示した。もう一歩の積極性が望まれるものの、ここでの強調感のないきこえ方はこのましかった。Cのレコードもすっきりきかせた。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

ピカリング XSV/5000

井上卓也

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 米国のカートリッジメーカーとして、かつてのLP時代に高出力MI型カートリッジ、いわゆるピカリング型で一世を風靡した米ピカリング社から、同社のトップモデルに位置づけされるXSV/5000が新製品として発売されることになった。このモデルには二種類が用意され、XSV/5000がカートリッジ単体の製品、XSV/5000Sがヘッドシェル付の製品である。なお、このモデルと同時に従来の625Eに代表される音楽ファンのためのシリーズの新製品としてXEV/3001とXEV/3001Sが発売された。
 XSV/5000は、ピカリング製品を分類すると二シリーズあるうちの、いわばラボラトリー・リファレンス的な意味あいの強い高性能シリーズの新製品で、従来の3000や4000の性能を、PCM録音やダイレクトカッティングなどのプログラムソース側のハイレベルカッティングに対応するために、特にトレーシング能力を重点に性能を向上したモデルである。
 白とゴールドの対比がシャープな現代的なイメージを抱かせるボディと、特徴的なブラシが付属するボディの内側には、立上がり時間10μsecというトランジュント特性と、10〜50000Hzの広帯域レスポンスをもつ軽量振動系が組み込まれている。
 カンチレバー材料などの詳細は公表されていないが、振動系質量に直接関係があるスタイラスには従来のステレオヒドロン針をベースに、一段と軽質量かつ密着性を高めたヌード・ステレオヒドロン針が新採用され、音溝に対する機械的インピーダンスを低減し、ディスクからのエネルギー伝達効率を向上させているとのことだ。
 XSV/5000は、シャープで鋭角的に音をクッキリと浮き立たせる特徴と、洗練された雰囲気を備える、ピカリング独特のサウンドキャラクターを受け継ぎながら、一段とローレベルの分解能が向上した抜けのよい、ワイドレンジの音が際立つ製品だ。聴感上のSN比が高いため、ステレオフォニックな音場感は見通しよく拡がり、音像定位も非常にクリアーな新しい魅力が従来にない特長だ。表現力は豊かで、ソリッドで力のある低域をベースに華麗なサウンドを聴かせる。この質感の見事な低域がこのモデルの最大の美点で、柔らかなスピーカーやアンプをキリッと引き締めてくれる。

ビクター P-L10 + M-L10

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 暖色系の音である。ごりおしにならない積極性がこのましい。そのために①のレコードでは大編成のオーケストラならではの迫力があきらかになる。ただ、総じて音像がふくらみぎみで、④のレコードでは子音の提示が弱くなっていた。ひびきにぎすぎすしたところがないのはこのましい。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 アンプの性格がスピーカーのもちあじをおさえこんでいるというべきか。たっぷりしたひびきが特徴的である。①のレコードでのオーケストラの音がまるでフィラデルフィア管弦楽団のように感じられる。③のレコードでは腰の低い音がきわだち、独自のなまなましさを示した。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 ひびきをおしだす積極性はかなりのものである。①、②、③のレコードでは力強い音をこのましく示したが、④のレコードではNS1000Mの場合同様に子音が弱く、⑤のレコードではひびきのしなやかさに充分に対応しきれていたとはいいがたかった。音場的なひろがりでももう一歩と思わせた。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

アキュフェーズ E-301

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 やわらかくしなやか音に対して反応がすぐれている。したがってCのレコードでのきこえ方などは大変にこのましい。Aのレコードでのオーケストラのひびきのひろがり方などなかなかのものである。Bのレコードではいくぶんもったりした感じになりがちである。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 総じて音像は大きめである。しかしながら暖色系の音はこのましい。もっともこのましかったのがCのレコードで、フラウト・トラヴェルソの音は大変になまなましかった。ヴァイオリンの微妙な音色の変化もよく示していた。Bのレコードは水ぶくれした音のきこえ方で、疑問を感じた。
JBL・4343Bへの対応度:★
 どうやらこのスピーカーとは相性がよくないようであった。Aのレコードでは弦も声もきつくひびいて、しなやかさに欠けていた。Cのレコードでも本来はしなやかに感じられるはずの音が筋ばっていた。フラウト・トラヴェルソの音はいつになく太く力をもってきこえた。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

エスプリ TA-E901 + TA-N901

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 ひびきがいくぶん煮つまった感じになったのはいかなる理由によるのか。③のレコードでは熱くるしい音場感になっていた。②のレコードでは音のエネルギーを目一杯おしだしているという印象であった。①のレコードでの重量感のあるひびきはききごたえのあるものではあったが……。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 ともするとひびきが粗くなるようなこのスピーカーの弱点をうまくおさえてはいたものの、総じて音像が大きくなるのは気になった。④、ないしは⑤のレコードでの無理なくひろがるひびきはこのましかった。⑤のレコードではまた、やわらかいひびきの特徴も充分に示しえていた。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 重量感のある音への対応のよさからこのアンプの力量を判断すべきかもしれない。②、ないしは③のレコードで示された力強い音にはきくべきものがあった。しかしながらその一方で⑤のレコードではチェロが太くひびきすぎるきらいがなくもなかった。しなやかさより力強さの提示にすぐれていた。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

パイオニア S-922II

井上卓也

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 S922は、パイオニア独自の新素材であるカーボングラファイトをウーファー振動系に初採用したパッシヴラジェーター方式採用のフロアー型システムであるが、S955IIIと同様な手法により大幅な改良を受けて、S922IIとして新発売されることになった。
 パッシヴラジェーター方式は、ドロンコーンをもつバスレフ型として、1935年に有名な音響学者H・F・オルソンによってパテントがとられた方式である。この方式は、ウーファー振動板と同サイズの振動板を、ボイスコイルと磁気回路を省いてエンクロージュアに取り付けて低域レスポンスを向上させるタイプで、ウーファーのエンクロージュア内側の音圧により振動板が駆動されるためドロンコーン(怠けもののコーン)方式という別名がある。
 ユニット構成は、低域に26cm口径、中域に6・5cm口径のコーン型ユニットを使い、高域に新開発ベリリウムリボン型ユニットを採用した3ウェイに、38cm口径バッシヴラジェーターを加えた方式である。
 コーン材料は、中域、低域、パッシヴラジェーターともにパイオニア独自のカーボングラファイト振動板採用で、低域はS922より20%磁束密度を向上した磁気回路、ガラス繊維強化積層ポリイミド・ボイスコイルボビン新採用で、耐熱性と弾力性を高め、さらに新開発ダイナミックレスポンス・サスペンション採用でリニアリティを向上、高耐入力、過渡特性に優れ、解像度の高さが特長である。中域は低域同様のボイスコイルボビン材採用。高域はリボン材料の変更が主な改良点だ。
 バッシヴラジェーターは、低域ユニット口径より大きい38cm口径採用が特長で、同口径振動板を使うタイプに比べ重低音再生を狙った設計で、オルソンの方式を発展させた、近代スピーカーシステムによく使われるタイプである。ここでの改良は、コーン支持部のワイヤーサスペンション採用である。
 S922IIは、S922に比べシャープで引き締まったソリッドな音が目立つ。低域はパッシヴラジェータ一方式としてはタイトで、ローエンドでパッシヴラジェーターが効果的に働く。中域はクリアーでコントラストがクッキリとつき、高域は華やかでシャープだ。表情は少し硬いため、柔らかく伸びやかなアンプの併用が決め手だろう。

KEF Model 204

菅野沖彦

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 KEFから新発売された204は、同時発売のブックシェルフシステム203と共通のユニットを使い、これにバッシヴラジェーター、俗にドロンコーンと呼ばれる位相反転ユニットを追加したシステムである。KEFによれば、204は基本的にはフロアーシステムで、高域はソフトドームのT33、低域はベクストレンコーン使用のB120で、口径はそれぞれ2・5cmと20cmである。フロアー型としては決して大型ではないが、このシステムの場合、指向特性の中心軸がバッフル面に対して5度上向きになるように設計されている。したがって、このシステムは床にベタ置きにし、3m位離れた所で椅子に座って聴くことを想定しているといえるだろう。KEFのスピーカーに馴染みのある方なら、このシステムがかつての104シリーズの延長上にあることは一目瞭然だろう。そして、203が103・2の発展モデルであることも歴然である。
 この204が、104aBという104シリーズの最終モデルとどう違うかというところが興味のポイントになるところだが、従釆から伝統的にもっているKEFサウンドともいえる端正なバランスと緻密な質感に加えて、より一層タフネスでブライトな豊かさが加わったという印象を受けた。KEFのシステムは、明らかにイギリスのスピーカーだと感じさせる趣をもっているが、ともすると中域の張り出しに抑制が利きすぎて、ジャズやロック系の音楽のエモーショナルなノリに欠ける嫌いがあった。この204では、そうした傾向が払拭されており、全帯域にわたってヴィヴィッドな響きが楽しめる。しかも、クォリティは明らかにKEFのそれで、スピーカー・サウンドの第一級の品位をもっている。
 スピーカーに備わっているべき条件を、コンピューターを駆使した多角的な解析によって分析し、ユニットの設計からシステム設計・製造まで一貫した主張をもっているKEFに、私は技術的にも、センスの面においても大きな信頼感をもっているのだが、今回の新製品もそれが裏切られることはなかった。ちなみに、スピーカー・セッティングに関して、同社では必ず背面、側面に余裕をもって置き、壁面反射の害を避けるようにアドバイスしていることを申し添えておこう。

サンスイ AU-D907F EXTRA

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 いくぶん硬質な音ではあるが、生気にとんだひびきには魅力がある。Cのレコードでのきめのこまかいひびきなどはすばらしく、音像的な対応も自然である。ひびきの細部にもぼやけたところがない。Bのレコードでもベースの音像が過度にふくらむようなこともなく、このましい。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 このスピーカーとの相性はよくないようである。Aのレコーでは声もオーケストラの音も硬すぎる。Bのレコードでは音像がふぐれすぎるために、鮮明さがそこなわれている。Cのレコードではチェロが過度に大きくきこえる。総じてぼてっとして重い感じになっている。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 Aのレコードでのオーケストラのひびきには迫力が感じられるものの、ひびきの硬さが気になる。Bのレコードのきこえ方がきわだってすぐれている。ピアノによる強い音への対応などまことに見事である。Cのレコードでは積極的に音が前にでてくる分だけ音像が大きくなっている。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

クレル PAM-2 + KSA-100

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 生気にとんだ音をきかせてくれる。⑤のレコードでのフラウト・トラヴェルソのひびきの独自のかすれをこれほどなまなましく示した例は他にはなかった。また②のレコードでは音楽の流れのスピード感もよく示して見事であった。スレッショルドには感じとれなかったひびきのあたたかさがここにはあった。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★★
 ④のレコードでは6人の歌い手のそれぞれの顔がみえるようななまなましさを示した。③のレコードでのベースの音が過度にふくらむのをおさえていたのは、このアンプの性能によるとみるべきであろう。①のレコードでも大編成のオーケストラならではのひびきの多彩さをあじわえた。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 ひびきの量感の提示ということでいえば、この組合せできけたものが今回の試聴でのベストであった。その一方で、⑤のレコードでのフラウト・トラヴェルソのフォルテとピアノでの音色の微妙な変化にも、ほぼ完璧に対応していた。ほれぼれときいた。見事の一語につきる。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

オーレックス SB-Λ77C

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 Bのレコードのきこえ方がもっともこのましい。ピアノにしてもベースにしてもきりりとひきしまったひびきが特徴的である。輪郭の提示にすぐれ、ぼやけたところのないのがいい。Cのレコードにしてもひびきのにじみの提示はかならずしも十全とはいえないが、すっきりしたきこえ方はこのましい。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 Bのレコードで音像がふくらみすぎた。Aのレコードではパヴァロッティの声に硬さが感じられたものの、直進してくる声の力の提示はすぐれていた。Cのレコードではひびきのまろやかさによく対応できていた。ただ、チェロのひびきがいくぶん強調されぎみではあった。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 総じて力感にみちた音に特徴があった。Aのレコードでのひびきはスケール感にみちていて、奥行きも感じられたが、しなやかさの点でいくぶんものたりない。Bのレコードでの力にみたち音のきこえ方から、エネルギー感のある音の提示にすぐれたアンプといえるのかもしれない。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

ヤマハ C-70 + B-70

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 C50+B50のお姉さんとでもいうべきか。ひびきの直進力に対する反応ではC50+B50の方がまさっているが、ひびきのひろがりということではこっちの方が上である。総じてほっそりした寒色系のひびきをきかせた。①のレコードでの細部の音の動きに対しての反応にはきくべきものがあった。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 エネルギッシュな音の表現ではいかにもものたりない。であるからといってやわらかいひびきの提示できくべきものがあるかというと、かならずしもそうとはいいがたい。④のレコードなどでは妙にひっそりとして、ひびきとしての生気が感じとりにくかった。いかにも弱いという印象であった。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 ともするとひびきがきつくなりがちなこのスピーカーの弱点をうまくおさえているというべきであろう。②のレコードでパワフルになりきれないものたりなさは残るものの、低い方がふくらみすぎないところはこのましい。⑤のレコードであきらかにしたしなやかなひびきはこのましかった。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

JBL 4411

井上卓也

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底解剖する」より

 JBLの44シリーズは、その最初の製品4430、4435で示されたように、新時代のプロフェッショナルモニターに要求される条件を検討した結果から生まれたフレッシュな感覚のデザインと基本性能を備えたシステムである。今回、このシリーズ製品として、コンパクトタイプの4411が新発売された。続いて、より小型の4401が発表されることになろう。
 JBLコントロールモニターと名付けられた4411は、時代の変化に対応した最新デジタル録音や、高性能アナログ録音の大きな情報量をこなす目的で開発され、高サウンドプレッシャー、高耐入力、広いダイナミックレンジなどを備えた製品である。
 基本的に44シリーズは、43シリーズのマルチウェイ的発展、広い周波数帯域と高出力でクォリティの高い音を狙った開発とは対比的だ。シンプルなユニット構成ながら、JBLの新しいテーマであるエネルギーレスポンスの平坦化という条件から水平と垂直方向の指向性の差を少なくし、さらに、電気的、音響的なサウンドバランスの補整という新しい技術の導入に注目したいシリーズである。
 その最初の4430、4435が2ウェイ構成を採用していたために、44シリーズは2ウェイ構成と考えられていたわけだが、4411は予想に反して3ウェイ構成であるので、やや奇異な感じを受けるかもしれない。この点について、現時点ではJBL側から明解な回答を得られていないが、フラットなエネルギーレスポンスを得るための最小ユニット構成が44シリーズの設計目標と発展的に解釈すれば、小型システムでエネルギー量の少ないユニットを採用する場合、特に中域以上の周波数帯城においてはプレッシャー型ドライバーユニットを使わない限り、2ウェイ構成でエネルギーバランスをフラットにすることは至難の技である。このため、必然的に3ウェイ構成とするという、海外製品独特のフレキシブルな発想による結果ではないだろうか。
 4411は、44シリーズ中最初のブックシェルフ型で、ブックシェルフ型としては標準的な使用であるはずの横置き仕様のユニット配置をもつ特徴がある。ユニット配置は、現在の製品としては標準的な左右対称型で、フロントグリルを取り付けた状態でレベルコントロールを可能にした新レイアウトがデザイン的に目立つ点だ。
 使用ユニットは、低域が30cm口径の128H、中域が13cm口径コーン型のLE5−9、高域は25mm口径044ドーム型で、基本的にはコンシュマ一タイブで既発売のL112と同等と考えてよいだろう。
 ほぼ同じ外形寸法とエンクロージュア方式、使用ユニットをもつ、この2種類のJBLシステムは、一般的レベルの想像では近似したサウンドをもつものと考えられやすいが、現実の試聴ではL112がタイトで引き締まったサウンドを聴かせることと比較して、4411はスケール感の豊かな、ダイナミックで伸びのある音をもつという、いわば対照的なサウンドである点が、非常に興味深い。
 このあたりから、JBLのシステムアップの技術やノウハウを知るためには、エンクロージュアの内部をチェックする必要があるだろう。エンクロージュアは共にバスレフ型で、外形寸法を比べてみると、4411の方が幅が広く、奥行きが少ない。このようなプロポーション的な変化があるが、容積的には同等で、パイプダクトの寸法も同じものが使われている。外形寸法的には、一般に奥行きを縮めるとシステムとして反応の速い音にしやすい傾向があるのだが、ウーファーユニットとダクト取り付け位置の相関性も低域のキャラクターを変える大きな要素で、主にエンクロージュア内部の定在波の影響とバスレフ型の動作の違いが音に関係をもつ。また、4411では、音源を小さくするために、ユニットが集中配置になっていることも、モニターシステムらしいレイアウトである。
 エンクロ−ジュアは、海外のコンパクトなシステムに共通の特徴である内部に補強棧や隅木を使わないタイプで、両者共通である。板厚は、モニター仕様の4411のほうが、L112の約25mm厚から約17mm厚へと薄くされ、ウーファー取付部は座グリ構造で、ユニットを一段落してマウントするタイプとし、結果として機械的な強度を下げた設計としている。ここには、音の立ち上りを少し遅くして豊かな響きを狙い、反応の速さを奥行きをつめてカバーするという、非常に巧妙なチューニング技術が見受けられる。吸音材は共にグラスウールが使われている。ダクト位置が遠い4411では、少しダンプ気味とした低域レスポンスのコントロールがポイントになっている。また、ネットワークは、4411のほうがコア入りで、損失を抑え厚みのある低域を狙っているようだ。アッテネーターパネルには、軸上周波数特性フラットの位置と、エネルギーレスポンスがフラットになる位置とが明示されている。
 試聴では、横位置で大幅にセッティングを変えてチェックしたが、サウンドバランスとキャラクターは安定し、大幅な変化を示さないのは、4411の美点である。ダイナミックで鳴りっぶりのよさはJBL小型システムとして傑出した存在で、横位置標準使用が選択の鍵を握る。好製品だ。

オンキョー Integra P-306R + Integra M-506R

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 このスピーカーとしては異色のなり方をした。ひびきの湿度の高いのが特徴的であった。①のレコードでの各楽器のひびきの特徴の提示のしかたとか、④のレコードでの声のまろやかさの示しかたなどはこのましかったものの、力強いひびきへの反応にものたりなさを感じた。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 レコード③で示される音場がかなり狭く感じられた。⑤のレコードでのひびきのとけあい方はこのましかったが、ひびきが総じて暗くなるきらいがなくもない。②のレコードでのベース、ドラムスのひびきなどは本来の力を示しきれず、このアンプとスピーカーとの組合せの弱点をあきらかにした。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 ⑤のレコードでチェロが太くおしだしぎみにきこえたのが印象に残った。①や②のレコードでの力強い音への反応もまずまずといえるものであった。④のレコードでの提示がこのスピーカーのものとしてはめずらしくひかえめであった。⑤のレコードではひびきがきつくなりすぎるきらいがなくもなかった。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

ヤマハ A-8

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 音色があかるいので、鮮度の高い音をきくことができる。Cのレコードの音などにしてもいくぶん肌ざわりがつめたいが、それぞれのひびきの特徴を示している。Bのレコードでのきこえ方にしても、いくぶん迫力に不足するところがあるにしても、めりはりがきいているこのましさがある。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 Bのレコードのきこえ方がもっともこのましくない。ぼってりした感じになる。Aのレコードではオーケストラのひろがりのあるひびきをこのましく示している。Cのレコードでもひびきのまろやかさをあきらかにしていてこのましい。もうひとつきりりとひきしまったところがほしいが……。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 Aのレコードでは弦楽器がきつくきこえ、パヴァロッティのはった声が硬い。しかしながら音色があかるいために、さわやかさが感じられる。Bのレコードで迫力が感じられるものの、音像のふくらみが気にならなくもなかった。Cのレコードではひびきのあたたかさが感じとりにくい。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

ラックス L-530

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 やわらかい音のなまなましさには独自のものがある。しかしながらひびきが総じて浅く、迫力に欠けるきらいがある。Aのレコードでのパヴァロッティの声にしていくになくふっくらした感じになる。Bのレコードではハット・シンバルの音がもっと鮮明に輝いてほしい。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★
 たっぷりしたひびき方をよしとすべきかもしれないが、そのためにBのレコードのきこえ方などは音像も大きめでもったりした感じになる。Cのレコードのきこえ方がもっともこのましかった。ヴァイオリンの音のきめのこまかさなどはよく示されていた。音に勢いがあればさらにこのましいが。
JBL・4343Bへの対応度:★
 このスピーカーとはいかにも相性がよくない。Aのレコードでの弦楽器などいかにも硬くやせた感じになり、Bのレコードではベースの音がふくらみすぎている。Cのレコードでも音の肉づきがわるく、ぎすぎすした感じになっている。総じてとげとげしさがきわだつ。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

マークレビンソン ML-10L + ML-9L

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 直進する音の先端がいくぶん丸くなっているという印象である。アタックの鋭い音での反応ではスレッショルドでのものの方がすぐれている。⑤のレコードでのしなやかな音の提示はこのましいが、音像はいくぶん大きめである。④のレコードでの声の余韻は大変に美しい。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 ①のレコードでは個々の楽器のひびきの性格を鮮明に示すものの、トゥッティで濁りが感じられる。③のレコードではこのスピーカーの弱点をカヴァーしきれていない。ベースの音は大きくふくれてしまっている。⑤のレコードでのフラウト・トラヴェルソの音もモダン・フルートのごとくである。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 あたたかいひびきはそれなりに魅力ではあるが、切れこみの鋭いシャープさが求められる。②のレコードではその面でのものたりなさがきわだつ。逆に③のレコードでは三つの楽器のひびきのとけあいが美しく示されている。力感の提示よりしなやかさへの対応にすぐれた組合せというべきか。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

パイオニア S-955III

井上卓也

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底解剖する」より

 パイオニアのS955は、国内製品中で際立った、ユニークで高性能なユニット構成をもつ高級スピーカーシステムである。1977年に最初のモデルがCS955として発表されて以来、その改良モデルS955を経て、すでに5年間のロングセラーを誇る優れた製品であるが、今回、来るべきデジタル化されたプログラムソースによる高品質プログラムソース時代に対応した新製品S955IIIに発展して新発売されることになった。
 システムとしての基本構成は、36cmウーファーをベースとし、これにユニークな構造のドーム型スコーカーと特徴的なリボン型トゥイーターの3ウェイユニットをバスレフ型エンクロージュアに組み込んだタイプで、CS955以来変化は見られないが、それぞれのシステムが開発された時点での時代の要求するサウンドに対応して、システムとしての音の狙いにかなりの変化が見受けられる。
 ちなみに、パイオニアが目指した各システムの音の狙いを比較してみると、CS955では繊細さとスケール感の融合、S955は、これをベースとしたエネルギー感の強化が新テーマであった。今回のS955IIIでは、最新のプログラムソースに対応したタイトでパワフルなサウンド、と大幅に変更されている。
 基本的にスピーカーシステムは、ユニットの種類や構成、それにエンクロージュアの外形寸法などが同じであってもテーマとする音の狙いにより、最終的なサウンドキャラクターをかなり自由にコントロールできるユーテリティの広さをもっている。したがって、最適ユニットやネットワーク定数やタイプ、エンクロージュア材料とその構造などの選択には、常に音の狙いが重要な条件として行なわれ、その無限ともいえる組合せの結果から、最終的なそのシステムのサウンドが結果として創造されることになる。このシステムアップの技術や一般的には考えられない程度のミクロの次元でのノウハウ量が、各メーカーそれぞれの独自の世界であり、いわゆるメーカーのサウンドキャラクターができる理由で、新製品を眺める場合に大変に興味深いところである。つまり、逆にいうと、システムをチェックしてみれば、実際に試聴をする以前に大体どのような傾向のサウンドを聴かせるかは、ある経験をつめば自動的に類推することができることになる。
 S955IIIの構成ユニットからその変化を眺めると、ウーファーは、現在入手できるサイズとしては第2位にランクされる外径200mmの大型フェライト磁石と厚さ10mmのT型ポールを採用して磁気回路の飽和を利用した低歪磁気回路やコーン材料、形状はCS955以来同じだが、サスペンション関係は、いわゆるダンパーが従来の平織り布ダンパーから新開発の二重綾織り布ダンパー採用のダイナミックレスポンスサスペンションに改良され、低損失、ハイストローク化が図られた。また、ボイスコイルボビン材料は、CS955のプレスパン、S955のクラフト紙からガラス強化ポリイミド樹脂積層板に変り、耐入力、過渡特性を向上させ、分解能の高いダイナミックなベーシックトーン再生が狙われている。
 外側に独自のワイヤーサスペンションを採用した特徴のあるベリリウム振動板採用のドーム型スコーカーは、まず、ダイアフラム材料がCS955でのベリリウムとアルミの二重構造からS955でのベリリウムのみの軽量化を今回も受け継ぐ。ボイスコイルボビン材料は、ウーファー同様の新素材で耐入力を50%以上向上する設計だ。なお、磁気回路の外径156mm大型フェライト磁石は、S955時点で厚みを従来の22mmから25mmに増し、強化されている。
 リボン型トゥイーターは、CS955でのPT−R7相当、S955での磁気回路を強化したPT−R7A相当タイプから、今回は、振動板材料がアルミ系から新しくベリリウムに変更されたPT−R7III相当品が採用され、独特の繊細さに加えて芯のある反応の速い魅力が加わった。
 ネットワークは、想像以上に構成、部品、取付場所などが音質を大きく左右する重要なポイントであるが、意外に注目されない部分でもある。今回、S955IIIでは新しく並列・平衡型が採用されている。このタイプは600Ωラインに代表される伝送系には標準で、特に珍しいタイプではなく、スピーカーシステムへの応用も一部では早くから試みられ、特に音場感的情報量の多さやダイナミックな表現力などの魅力で、アマチュアレベルでは使われていたが、製品として採用されたのは今回が初めてである。
 エンクロージュア関係はバスレフ型のダクト形状の変更が主で、従来の折曲げ型から平らな矩形断面をもつ直線型に変っている。なお、新システムの定格上の特徴は、最大入力と高・中域間クロスオーバーの変更である。
 試聴システムはプリプロかそれ以前の実験室段階の製品で、詳細な試聴リポートは避けたい。基本的な音の狙いであるタイトでパワフルな方向への展開は明確で、従来とは印象を一変した大幅なサウンド傾向の変更が感じられた。潜在的能力は充分にあるシステムだけに、その完成された姿での結果を期待したい注目のシステムである。

マランツ Pm-6a

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 積極性のあるなり方とでもいうべきか。Aのレコードではパヴァロッティのフォルテの声が硬めになる傾向があり、奥行きの提示は必ずしも十全とはいいがたいが、オーケストラの音に力が感じられる。Bのレコードでのベースのひびきは迫力にとみ、ピアノの音にも豊かさが感じられる。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 たっぷり墨をふくませた筆で書いたような感じでひびく。細部の鮮明さでいま一歩というべきである。Cのレコードでの音色の微妙さはかならずしも充分にあきらかになっているとはいいがたい。AのレコードでもBのレコードでもバスの音の強調されすぎているのが気になった。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 総じて硬質である。Bのレコードではそのためのよさも示されているが、Aのレコードではパヴァロッティのはった声がきつめになる。Cのレコードでの結果がもっともこのましくない。ここでの楽器の音色の微妙さがあきらかになっていない。くっきりして力にみちた提示はすぐれているが……。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

オンキョー Integra A-820GT

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★
 全体的にふっくらとしたひびきが特徴的であった。音像は大きめであっても音に積極性がるので水ぶくれした感じにはならない。もっともこのましくなかったのがBのレコードであった。ひびきが暗いことも関係して、音の鋭さが充分に示されず、もったりした感じになった。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 Cのレコードでのひびきのまろやかさはこのましかったが、きこえ方のバランスということになると2本の弦がいくぶん強調されていたところに問題があった。Bのレコードでは和音をひくピアノの音が重く鈍くなっていた。Aのレコードでは弱音の声に独自のなまなましさがあった。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 C−A−Bの順でこのましくきこえた。フラウト・トラヴェルソの音色はきめこまかでこのましかった。Aのレコードでのオーケストラのひびきが充分にひろがっていた。とりわけそのうちのホルンの音はのびやかさがあってこのましかった。Bのレコードでは反応の鈍さが気になった。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

デンオン PMA-950

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 このスピーカーのきめのこまかさをいかしているAのレコードでのパヴァロッティの声がいくぶん細めに感じられ、Bのレコードでのピアノが充分な迫力を示しきれないきらいはあるものの、ごりおしにならない表現はこのましい。ひびきはあかるく一種の透明感がある。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 全体に音像がふくれぎみである。このスピーカーの弱い部分をカヴァーしきれているとはいえない。とりわけCのレコードでのチェロのひびきのふくれが気になった。Aのレコードではひろがりが感じられ、パヴァロッティの声がゆたかにきこえたのはこのましかったが……。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 総じてひびきが浅い。Aのレコードでのパヴァロッティの声はくっきりきこえるもののいくぶん硬質にすぎる。このスピーカーの反応としては意外なことにというべきであろうが、Bのレコードでのきこえ方がソフトであった。その辺にこのアンプの性格の一面をみるべきか。

試聴レコード
Ⓐ「パヴァロッティ/オペラ・アリア・リサイタル」
パヴァロッティ(T)、シャイー/ナショナルPO[ロンドンL25C8042]
Ⓑ「ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
B面1曲目「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を使用
Ⓒ「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア−アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

ヤマハ NS-690, NS-690II, NS-690II

黒田恭一

ステレオサウンド別冊「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」(1982年6月発行)
「三代のNS690の音を聴く」より

 時の経過のしかたがいつでもどこでも同じというわけではない。はたしてここにも時間の流れがあるのであろうかと思えるような場所があれば、光陰矢の如しというがまさに矢の如くに時が過ぎるところもある。
 あれっ、これがこのあいだ産まれた子?──と、すでによちよち歩きをはじめた友人の子供を目のあたりにして目を白黒してしまうことがある。産まれるの産まれないのと騒いでいたのはついせんだってことのように思われるが、産まれた子はいくぶんおぼつかなげな足どりながらすでに歩いている。おそらくこっちはその分だけ老けこんでいるのであろうが、ありがたいことに自分のことはわからない。
 はやいはなしが、よちよち歩きをはじめたばかりの子供にとっての時間と四十男にとっての時間では、同じ時間でもそのもつ意味がまるでちがう。この次に会うときにはきっとあの子供も「おじちゃん!」などというのであろうが、その間にぼく自身にそれほどの変化が起るとも思えない。しかしながらぼくにおいても時間が止まっているわけではない。
 オーディオは時間に対しての変化の著しさで、どちらに近いかといえば、四十男よりよちよち歩きをはじめたばかりの子供に近い。昨日はいえなかった「おじちゃん!」という呼びかけの言葉を今日はいえたりする。つまり長足の進歩を日々とげつつある。まるでこの季節の朝顔の蔦のごとくである。
 三つのヤマハのNS690をきいて、あらためてそのことを思った。初代のNS690は一九七三年五月に発売されている。価格は6万円であった。二代目のNS690IIは一九七六年四月に発売され、6万9千円であった。三代目のNS690IIIは一九八〇年十月に発売されて、これは現役である。価格は7万9千円であるから初代NS690に較べて1万9千円高くなっていることになる。
 三代目のNS690IIIの音をきいて、なにはともあれ、あれっ、これがこのあいだ産まれた子?──といいたくなった。初代のNS690でのきこえ方と較べたときに三代目のそれでのきこえ方があまりにちがっていたからである。初代のNS690が発売されたのはいまから九年前である。わずか九年といっていいかどうかはともかく、NS690からNS690IIIへの変化は長足の進歩としかいいようがない。だまってきかされたらとても同じモデルのスピーカーとは思えないほどちがっている。
 初代から二代目、そして二代目から三代目への変化をききとるために、ここでもアバドがシカゴ交響楽団を指揮して録音したマーラーの第一交響曲のレコードをつかった。そのレコードの中でも特に第一楽章の序奏の部分にこだわってきいた。
 NS690でのきこえ方はそのレコードできける音楽的な特徴をごくあいまいにしか提示しなかった。いかなる管楽器がそこでなっているかはわかった。しかしながら、その管楽器のふかれ方までもききとれたかというと、そうとはいいがたかった。全体的に音色が暗いために、ひびきそのものの特徴があきらかになりにくいということがいえそうであった。
 音の遠近感の提示という点でもまことにものたなかった。遠い音は遠さを示す以前に弱々しくしぼみがちであった。当然のことにマーラーの第一交響曲の第一楽章の序奏でいとも効果的につかわれている遠くからきこえるトランペットの序奏などは、一応はきこえはするものの、それが本来あきらかにすべきものをあきらかにしきれていなかった。
 しがって、やはりこのスピーカーではこの種のレコードをきくのはむずかしいと、思わないでいられなかった。とりわけそのレコードの第一楽章の序奏ではさまざまな楽器が弱音であたかも点描法的にひびくが、そのひびきのひとつひとつの特徴が鮮明にならないと、そこで音楽的意味もあきらかになりにくいことがある。しかもアバドのレコードはきわだってダイナミックレンジがひろい。再生にあたってはいろいろむずかしいところがある。
 初代のNS690ではそのアバドの指揮したマーラーのレコードのよさがほとんど感じとりにくかったが、二代目のNS690IIではかろうじて感じられるようになる。それに聴感上の能率の点で二代目の方がはるかにいいように思えた。ところが、発表されているデータ上の出力音圧レベルは、初代も二代目も三代目も、90dB/W/mと同じである。もっとも同じなのは出力音圧レベルだけでなく、いずれの構成も3ウェイ・3スピーカーで、エンクロージュアも密閉・ブックシェルフ型である。再生周波数帯域(35〜20,000Hz)もインピーダンス(8Ω)もクロスオーバー周波数(800Hz、6kHz)も同じである。
 三つのNS690で微妙にちがっているのは使用ユニットと最大入力(初代が60Wで二代目と三代目が80W)、それに外形寸法(初代:W35×H63×D29・1、二代目:W35×H63×D31・2、三代目:W35×H63×D31.5)と重量(初代:22kg、二代目:27kg、三代目:27kg)である。
 しかしながら初代と二代目、さらに二代目と三代目のきかせる音のちがいは、とてもここで示されている数字のちがいどころではない。たとえばアバドがシカゴ交響楽団を指揮してのマーラーの第一交響曲のレコードに即していえば、初代と二代目ではそのレコードをきくのはいかにもつらい。それなりにそこでの音楽がわからなくはないとしても、演奏の特徴を感じとるのはむずかしい。レコードに入っている音がスピーカーの能力をこえているというそこでの印象である。音楽をたのしめるとはいいがたい二代目までのきこえ方である。
 三代目のNS690IIIになると、きいての印象ががらりと変る。むろん大編成のオーケストラの迫力を十分に示すというわけではない。もともとがブックシェルフ型のスピーカーであるから、それなりの限界はある。しかしながらフラジォレットを奏するチェロやコントラバスのひびきの特徴は十全に伝えるし、遠くからきこえるトランペットも充分にそれらしくきこえる。ききての方できこえてくる音に用心深く接しさえすれば、この三代目のNS690IIIでなら、特にダイナミックレンジのひろいマーラーのレコードもそれなりにたのしめる。
 三代目のNS690IIIをきいて、あれっ、これがこのあいだ産まれた子?──といいたくなったのは、そのためである。NS690IIIを他社の同じ価格帯の現役のスピーカーと比較すれば、またそのときであれこれい
たらぬところが気になったりするのであろうが、NS690の初代や二代目と比較したかぎりでは、この三代目の能力には驚嘆しないではいられない。
 一皮づつむいていったといういい方が適当かどうか、ともかくNS690よりNS690IIの方が、さらにNS690IIよりNS690IIIの方が音の鮮度が高くなっている。その分だけひびきの輪郭の示し方にあいまいさがなくなっている。初代のNS690のきかせる音について総じて暗いと書いたが、その暗さも二代目三代目となるにしたがって、どんどんとれていく。その変りようは劇的な変化といえなくもない。
 しかしながらNS690が発売されてからNS690IIIが発売されるまではわずか七年五ヶ月しかたっていない。オーディオをまだ育ちざかりの子供と思うのはそのためである。たったの(といっていいであろう)七年五ヶ月でこんなによくなるのかとびっくりしてしまう。
 そうはいっても値段が高くなっているではないかとお考えかもしれない。ところが一九七〇年を一〇〇とした場合の消費者物価指数は、一九七三年が一二四で、一九七六年が一八八、そして一九八〇年の三月が二三〇・九であるから、6万円から6万9千円、さらに6万9千円から7万9千円へのNS690の価格の推移は一応納得できる。
 したがってNS690からNS690IIIへの変化に認められる長足の進歩は、いわゆるお金をかけたがゆえに可能になったものというより、技術力によるものと考えるべきである。そのためにここでの変化を劇的変化と思える。すばらしいことである。一九七三年にも一九七六年にもできなかったことが一九八〇年にはできている。しばらくぶりで会った友人の子供に「おじちゃん!」といわれて感動するのと、NS690IIIのきかせる音に耳をすましてびっくりするのとではどこかで似ている。
 さらにNS690IVが登場して、NS690III以上の音をいつの日かきかせるのかどうか、それはわからない。しかしともかくわずか七年五ヶ月でこれだけのこたとを成就した技術力はすばらしいと思う。
 それにこのNS690の場合には同一モデルの改善である。そこがいい。そのときそのときでの思いつきでその場かぎりの新製品にぼくらはもううんざりである。NS690からNS690IIまでがほぼ三年,そしてNS690IIからNS690IIIまでがほぼ四年とちょっと間がある。この期間も納得できる。
 いずれにしろ成長の跡を確認するのはうれしいことである。初代のNS690の柱のキズといまのNS690IIIの背丈を較べて、いい勉強になった。

アクースタット Model 3

黒田恭一

ステレオサウンド 63号(1982年6月発行)
「アコースタットIII(モデル・スリー)ついてのM君への手紙」より

 M君、きみのお世話になってML7Lを買ってからちょうど一年がたちました。あっという間に一年がすぎてしまったという感じです。この一年間ML7Lは期待以上の働きをしてくれましたので、ぼくとしてはML7Lを選んだことに満足しています。
 ML7L以後のぼくの再生装置での変化といえば、エクスクルーシヴのプレーヤーシステムP3のアームをオーディオクラフトのAC4000リミテッドにかえた程度です。ぼくのP三はそれまでのアームにちょっとした問題がありましたので、オーディオクラフトのAC4000リミテッドにかえることによって、音の安定感がずっとよくなりました。アームをとりかえた後の音はきみにもきいてもらたっことがあるので、ここであらためてくりかえすまでもないでしょう。
 そしてもうひとつ、最近になってリンのアサックというカートリッジをつかいはじめたということも、ひとことつけ加えておくべきかもしれません。リンのアサックはとてもいいカートリッジだと思います。すくなくともぼくのとこでつかったかぎりではすばらしい効果を発揮します。どのようなところがすばらしいかといえば、ひびきの芯がしっかりしていてそれでいてきこえ方がごり押しにならないところです。そのために最近はほとんどリンのアサックだけをつかっています。
 したがっていまは、リンのアサック、オーディオクラフトのAC4000リミテッド、マーク・レビンソンのML7L、スレッショルドの4000C、そしてJBLの4343という構成できいていることになります。さらにラスクのことも書いておくべきでしょうか。プレーヤーとスピーカーの下にラスクをおき、そしてスピーカーのまわりにラスクを立てているのはきみもご存知の通りです。そうそう、ラスクが運びこまれたときには、きみにも立会ってもらったので、ラスク使用前と使用後でどのようにちがったかは、きみの耳が確認済でしたね。
 そういう構成の再生装置できいていて、ぼくは結構満足していました。ところが今年もまたぼくにとってのこの鬼門に季節に、きみが周到に準備した落とし穴に落ちてしまいました。
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 落とし穴といってはきみの親切に対して失礼かもしれません。ぼくの意識としては落とし穴に落ちたという感じですが、落とし穴ではなくてカリキュラムといいなおすことにしましょう。きみがぼくのために考えてくれるカリキュラムにはいつもながらのことではありますが、感心しないではいられません。
 今回の場合も例外ではありません。周到な配慮のもとに組みたてられたカリキュラムは、そこで教育されている人間に教育されているということを意識させません。きみがぼくのために組みたててくれたカリキュラムがとうでした。もう随分長いつきあいだから、きっときみはぼくのことがよくわかっているにちがいなく、ここでこういう音をきかせたらきっとあの男は好反応するであろうと読めているのでしょう。
 しかも困ったことにぼくの方にもきみのつくった落とし穴にならよろこんで落ちようという気持があるものですから、太平の夢を破られることになります。なぜ太平の夢を破られるにもかかわらずきみのつくった落とし穴にならよろこんで落ちようかといえば、きみがぼくのために組んでくれたカリキュラム通りに行動してこれまでに一度も後悔したことがないからです。ML7Lの場合にもそうでした。
 しかしそれにしてもきみの落とし穴のつくり方、おっといけない、きみのカリキュラムの組み方はなんと巧妙なことでしょう。あっぱれだと思います。いつだってこれはM君のつくったカリキュラムだぞと意識する前に、きみが用心深く準備した線路の上を走らされてしまいます。そしていいかげん走った後に、そうか、これはM君のカリキュラムかと気づくことになります。今回もまた例外ではありませんでした。
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 いまにして思えば今回のきみの計画は、「ステレオサウンド」第62号の特集「日本の音・日本のスピーカー、その魅力を聴く」にぼくを参加させたところからはじまっていたようです。そこでぼくはパイオニアのS-F1カスタムに感激しました。S-F1カスタムに対してのきみの評価とぼくの評価はかならずしも一致しなかったわけですが、しかしそこでS-F1カスタムにゆさぶられたことによってぼくはきみの術中に陥ったようでした。S-F1カスタムはいい、すごくいいとぼそぼそつぶやいていたぼくをみて、きみはきっとグレートヒェンに心うばわれたファウストを目のあたりにしたメフィストフェレスのような気持でいたにちがいありません。
 そこできみはこう耳うちしました。「ちょっときかせたいスピーカーがあるんだけれど……」。そのときそばにいらした岡さんがぼくの方をちらっとごらんになって、「またM君になにかきかされるの?」とおっしゃいました。その岡さんの言葉には気の毒にといった表情がこめられていました。そこでこれもまたM君のカリキュラムだなと気づいていれば、こういうことにはならなかったのでしょうが、後悔先に立たずのたとえ通りで、いまさら四の五のいってみてもはじまりません。
 きみのいう「ちょっときかせたいスピーカー」はJBLの4344でした。自分の節操のなさが恥ずかしくなりますが、きみに4344をきかされて、そこでまたこれはすごいと感心してしまいました。4344については「ステレオサウンド」第62号に書いたので、ここでくりかえしません。ただそこで肝腎なのは、S-F1カスタムと4344によってぼくの尻尾に火がついてしまったということです。
 ML7Lを買ってから後一応はいい気分でいられたのですが、平穏な航海はわずか一年しかつづかず、またまたM君によって嵐の海につき落とされたことになります。なお余談になりますが、「ステレオサウンド」第62号にぼくが書いた4344についての文章をあるところでヴェルテル的悩みと書かれ、それを読んだときに恥しさで顔が赤くなりました。
 S-F1カスタムでゆさぶられ、4344で火をつけるところで終らないところがM君です。みごとなしつこさというべきでしょう。きみはほくそえみつつ次なるステップを準備していました。
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「ステレオサウンド」の別冊のための試聴でぼくははじめてアコースタットのモデル・スリーというスピーカーをききました。このスピーカーについては「ステレオサウンド」第62号の「話題の新製品を徹底解剖する」というページで紹介されていたので、一応のことはしっていました。ただそこでの「本機は、われぼざが従来抱いてきたセイデンがスピーカーの常識を超えたものであると同時に、これまで私が追い求めてきたサウンドが虚像だったと思わせてしまうほどの説得力を有していたのである」という小林貢氏の言葉を、不覚にもそのままは信じていませんでした。多少好奇心はそそられたものの自分にひきつけたところでそのスピーカーについて考えてみようとはしませんでした。
 ところがアコースタットのモデル・スリーを実際にきいた後でまた小林貢氏の書いておいでになる文章を読みなおすと、「芯のしっかりしたナチュラルな中高域は、ボーカルやソロ学期を際立たせ、バックとの距離さえ適確に捉えることができる。また、エコー処理やビブラートなどのディテールを明確に示す解像力も備えている。なかでも空間を飛翔するシンセサイザーやショットの瞬間に四散するシンバルの鮮烈な響きが印象的であった」というあたりで、そうだそうだその通りだとひとりうなづかないではいられませんでした。ここでもまた百読は一聴にしかずという、オーディオについてしばしばいわれることを思いださずにいられませんでした。小林貢氏の文章は充分にアコースタットのモデル・スリーのよさをあきらかにしたものであったのですが、やっぱりほんとうにすばらしいんだと思うためにはどうしてもその音を自分の耳できいてみなければならない──というあたりに、オーディオの、あるいはオーディオについて考える上でのむずかしさと微妙さとがありそうです。
「このブランド・ニューともいえるモデル・スリーと出会いが、これほど劇的なものになるとは試聴前には予想し得なかった。本機と過ごした数時間は、モニュメンタルな出来事として長く記憶に留まるだろう。事実、試聴後のかなりの期間は、本機のサウンドが頭から離れなかった」という小林貢氏の結びの言葉にぼくはまったく同感でした。
 もう少しこのスピーカーをきいてみたいものだと思ったぼくの気持をいちはやく察知して、きみはこういいました、「4344とききくらべをしてみましょうか?」なんともはやきみはできすぎたメフィストフェレスというべきです。その結果、ぼくはもう一度、4344とアコースタットのモデル・スリーをききくらべるために、ステレオサウンド社の試聴室に出かけました。
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 あのときは午後の四時からききはじめて夜の九時まで食事もしないでききつづけていたのですからまるまる五時間きいていたことになります、その五時間にわかったことがいくつかあります。そのことを、見事なカリキュラムを組んでくれたきみへの感謝の気持をこめて、書いてみようと思います。
 いや、ちがうんだと、カリキュラムを組んだ当のきみとしてはいうのかもしれません。ぼくはそんなことを教えようとしたんではないんだがとたとえきみがいったにしても、そんなことはぼくはしらない。ぼくとしてはぼくのききえた範囲でぼくにわかったことを書くよりほかに方法はありません。
 アコースタットのモデル・スリーをきいているときにもくりかえしつぶやいてしまったので、すでにきみも気づいているはずですが、ぼくはこのスピーカーのきかせる音を「気持がわるい」と思います。とても「気持がわるい」と思いながら、しかしこのスピーカーのきかせる音の魅力に抵抗できず、やはりアコースタットのモデル・スリーを買おうと決心しました。
「気持がわるい」のになんで買うんだときみは思うかもしれません。きみが不思議に思うのは当然です。ぼくにもそこのところをうまく説明できるかどうかわかりません。居直ったようないい方になりますが、「気持がわるい」からこそぼくはこのスピーカーをほしいと思います。
 むろんここでいう「気持がわるい」という言葉には含みがあります。ゲジゲジやナメクジをみたときに口にする「気持がわるい」とここでいう「気持がわるい」とでは微妙にちがいます。しかしながら「気持がわるい」ことにかわりはありません。ではどこがどのように「気持がわるい」かということになります。
 アコースタットのモデル・スリーのきかせる音はなまなましさで特にきわだっていると思います。なかでも声、それにヴァイオリンとかチェロといった弦楽器、さらにはフルートとかオーボエといった木管楽器でそのなまなましさがきわだちます。本物以上に本物らしいという言葉がアコースタットのモデル・スリーのきかせるなまなましい音にはいえるようです。
 このスピーカーの音を「気持がわるい」という理由のひとつにそのことが関係しているかもしれません。いくぶん誤解されそうないい方になりますが、アコースタットのモデル・スリーのきかせる音のなまなましさには、あの蝋人形の奇妙ななまなましさを思いださせるところがあります。どう考えてもこのスピーカーできく音には太陽がさんさんとふりそそぐところでひびいた音とは思えないところがあります。その意味でこの音は人工的といえばいえなくもないでしょう。まことにいわくいいがたい音です。
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 アコースタットのモデル・スリーでさまざまなレコードをきいているうちに考えたことがあります。そのうちのひとつは、もしぼくがいま二十代の若者であったらこのスピーカーを買おうとは思わないであろう──ということです。活力の欠如といっては多分いいすぎになるでしょうが、もしぼくがいま二十代の若者であったら、アコースタットのモデル・スリーの音を美しいとは思いながらも、その美しさをスタティックにすぎると感じるかもしれません。
 しかし幸か不幸かぼくはすでに二十代の若者ではありません。自分ではそうとは思っていなくとも、他人の目にうつるぼくは悲しむべきことに疲れた中年男のはずです。たしかに多少は疲れているようです。その意識せざる疲れがあるために、アコースタットのモデル・スリーのきかせるスタティックな美しさにみちた音に一種の安らぎを感じたりするのかもしれません。
 そのことをぼくは素直に認めたいと思います。ききての側にも充分な活力が必要であるという持論をひるがえすつもりはありませんが、アコースタットのモデル・スリーのきかせる音に心安らぐ思いをしたということをかくす気持になれません。
 そういうことでのこのスピーカーのぼくの感覚というより心情への歩みより方を「気持がわるい」と思いました。ぼく自身がことさら意識していたわけではない自分の疲れをスピーカーに感じられてしまったと考えたため、「気持がわるい」と思ったのかもしれません。いずれにしろアコースタットのモデル・スリーをきいていていわくいいがたい気持がしたのは、まぎれもない事実です。
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 もうひとつあります。こっちのことをぼくにわからせようとしてきみは今回のカリキュラムを組んだのではないだろうかと勝手に勘ぐっているのですが、どうでしょうか。
 今年は一九八二年です。あらためていうまでもありません。一九八二年にアコースタットのモデル・スリーの音をきいたということが、すくなくともぼくにとっては重要でした。かりにいまが一九六二年であったらどうだったろうなどと考えたりしました。つまりぼくがここでいいたいのは「時代の音」ということです。アコースタットのモデル・スリーの音は或る意味で徹底していまの音だと思います。無気味なほどいまを感じさせる音だといってもいいかもしれません。
 一九六〇年代にこのましく思えたものがいまもなおこのましく思えるかというとそうではありません。たとえばきかれる音楽などにしても時代の推移とともにまさに地滑り的に変化していることはきみも気づいているはずです。ここには単に個人個人の好みの変化といっただけでは不充分な、時代感覚の反映とでもいうべきものが微妙にからんでいると思います。
 S-F1カスタムから4344へ、そして433からアコースタットのモデル・スリーへの旅は、しなやかさをしなやかに表現するスピーカーを求めての旅であったような気がします。そのことに気づいたときにぼくは最近のぼくがかつてのようにはピアノのレコードをきかなくなっていることを思い出しました。むろん全然きかないということではありません。あいかわらずいいピアノのレコードが次々にでてきますので、ピアノのレコードをきかないですますことなどできません。
それでも仕事をはなれて、いわゆるアフター・アワーズにたのしみでレコードをきくときに、ピアノのレコードに手がのびる回数は、かつてとくらべると少なくなりました。理由はいろいろ考えられます。ぼくの年齢も関係しているでしょうし、自分では意識していない疲れも無関係とはいえないでしょう。ピアノのあのエネルギーにみちた音は疲れているときにはつらく感じることもあります。
 それがぼくの個人的な好みの変化というだけならどうということもないのですが、かならずしもそうとはいいきれないところがありそうです。かつて若くてすぐれたピアニストがつぎつぎとデビュウした一時期がありました。そのころのピアノは時代の寵児として脚光をあびました。いまだってピアノの音はあいかわらず多くの人にこのまれています。ぼくにしてもピアノが嫌いになったというわけではありません。ただかつてのようにはあのピアノならではの強い音に愛着を感じなくなったということはいえそうです。そして、このように感じているのはぼくだけであろうかと、思ったりします。
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 一九八二年といえばもう二十世紀も末です。二十世紀中葉にあったあの活力がさまざまな面で稀薄になりつつあるように感じます。強さより柔らかさを求める時代感覚があるとすれば、いまという時代の感覚がそうとはいえないでしょうか。
 たしかにぼくはアコースタットのモデル・スリーの音を「気持がわるい」といいました。それはその音が「気持がわるい」ほど「いま」を感じさせたことも関係しています。このスピーカーはエレクトロスタティック型であるがゆえに必然的にというべきでしょうか、強さより柔らかさで本領を発揮するわけですが、その柔らかさの表現に独自のものがあると思いました。
 ステレオサウンド社の試聴室でアコースタットのモデル・スリーをきいているぼくをそばでながめていたきみはぼくに対して、不思議なことに、ぼくがそのスピーカーの音に対してつかったのと同じ言葉をつかいました。おぼえていますか? きみはこういったんです、「気持がわるい」。レコードをきいている姿を第三者にみられて、その上「気持がわるい」といわれて、ぼくはむっとして尋ねました。「なにが気持がわるい?」そうしたらきみはこう答えた、「なんだかスピーカーと睦みあっているみたいで気持がわるい。」
 なるほどと思いました。きみのいうことが納得できました。さもありなんと思いました。おそらくぼくは惚けたような顔をしてきいていたでしょう。たしかにききてをそういう顔にしてしまうところがアコースタットのモデル・スリーにはあります。
 そのときもリンのアサックをつかわせてもらいました。そこでの印象をもとにいえば、リンのアサックはアコースタットのモデル・スリーにとてもよく合うと思います。もっともプレーヤーにしてもアンプにしても、さらにはアームまで、メフィストフェレスのきみはぼくが家でつかっているものとすべて同じにしてくれたので、ぼくとしては逃げ道をふさがれたかっこうになり、このスピーカーを買って自分の部屋におかざるをえなくなってしまいました。そしていまアコースタットのモデル・スリーのわが家への到着を待っているところです。
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 ただそのように決心したためにぼくやむをえず宗旨がえをしなければなりませんでした。宗旨がえというのはいくぶん大仰ないい方ですが、つまりこれまでずっと自分の部屋に大型スピーカーを二種類おくということをしないでやってきたぼくとしては、今回はじめてJBLの4343とアコースタットのモデル・スリーという二種類のスピーカーを(まだどのようにおくかはきめていませんが)おくことになったわけで、このことについてはまだいささかのこだわりをすてきれないでいます。
 二種類のスピーカーをつかっていくにはそれなりの煩雑さを覚悟しなければありません。ぼくはどちらかといえばスピーカーをつなぎかえたりカートリッジをとりかえたりすることですりへらす神経をも音楽をきくことにつかいたいと思うタイプの人間ですから、できることなら二種類のスピーカーを同時につかうということをしたくなかった。でも、こうなった以上、やむをえません。アコースタットのモデル・スリーの音をきいた以上、後にはひけないという気持です。
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 ぼくがそのようにせざるをえなくなった理由は簡単です。アコースタットのモデル・スリーのきかせる音がいかにも独自で、その音できかなければならないレコードがあると思うからです(いかなるレコードがアコースタットのモデル・スリーできかなければならないレコードかは、いずれ機会があったら書くことにしましょう)。
 そのように決心したいまでもなおアコースタットのモデル・スリーのきかせる音を「気持がわるい」と思っています。このスピーカーの音をききつづけていると、この時代の病気、つまり自閉症になってしまうのではないかと心配になったりします。そう思いながらも、抵抗しがたい魅力にひきずられていく自分が不思議です。
 もしかするときみのカリキュラムの目的はほくにこのスピーカーを買わせることではなかったのかもしれません。しかしながらS-F1カスタムと4344でゆさぶられたぼくは、(おそらく)きみの意図に反してアコースタットのモデル・スリーに走ってしまいました。もっともS-F1カスタムと4344でゆさぶられていなかったらぼくとしてもアコースタットのモデル・スリーに走ったかどうかわかりません。
 つまりきみのカリキュラムはこのところにきてピアノのレコードよりヴァイオリンのレコードに手がのびることが多くなりつつあったぼくに思いもかけぬ効果を発揮したようです。アコースタットのモデル・スリーに走ったことを自分でも驚いているところです。
 アコースタットのモデル・スリーは先刻ご承知のように安いスピーカーではありません。にもかかわらずそれを敢て買ったというのは、とりもなおさずいまある4343ではきけないサムシングをそこに期待したということです。
 そこに期待したものを声のなまなましさとかヴァイオリンの音のみずみずしさといっただけでは不充分です。スピーカーなりアンプなりカートリッジなりをあらたに買うのは、いい音楽をいい音でききたいからです。これは再生装置をつかって音楽をきくことが好きな人の気持に共通していることでしょう。このレコードはもっといい音できけるはずだと思えばこそ、わずかとはいえない出費をしてまでもスピーカーを買いかえたりアンプを買いかえたりします。
 むろんアコースタットのモデル・スリーのきかせてくれる音もいい音です。でもそれを4343の音とくらべてどっちがいい音かといったようなことはいいにくい。ただこういういい方はできます、つまり、ぼくはレコードをきくことを仕事にしていますので、アコースタットのモデル・スリーだけでは仕事をしていく上でいささかの不都合を生じかねないということです。スピーカーのきかせる音とききてとの関係がきみのいうように「気持がわるい」ものになったところでは、仕事としてレコードをききにくいということがいえそうです。
 それで4343も手ばせないわけです。もしできることなら4343をS-F1カスタムに、あるいは4344にとりかえてみたいとは思いますが、たとえそうしたところでアコースタットのモデル・スリーが不必要になるということではありません。
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 美術館で絵をみているときにこういう経験をしたことがありませんか。古い時代の絵をかざってある部屋にいたときのそこでの作品の「観賞」のしかたと、近代ないし現代の絵がかざってある部屋に足をふみ入れたときのそこでの作品とのふれあい方とでちがっていることを意識したことがしりませんか。絵の「観賞」者としての自分の作品との接し方が、古い時代の絵をみているときと現代の絵をみているときとではまったくちがっているように思われることがあります。
 アコースタットのモデル・スリーできいた一部のレコードはききてに強烈に「いま」を意識させます。4343ではそういうことはありません。その点でも4344の方が4343より上だと思いますが、アコースタットのモデル・スリーはさらに徹底しています。「気持がわるい」ほどなまなましいというのは、その辺のことも含んでのことと理解して下さい。
 美術館で古典にふれているときのぼくは平静さをたもてます。冷静に「観賞」することさえできなくはありません。現代の絵の前に立ったときのぼくは、あきらかに古典にふれているときのぼくとちがいます。もう少しゆれ動いているにちがいありません。アコースタットのモデル・スリーはききてにその種のゆれ動きを経験させます。そういうゆれ動きを自分が感じていると意識するものですから、アコースタットのモデル・スリーのきかせる音を「気持がわるい」といってみたくなります。
 スタティックな美しさを示すスピーカーはもともと懐古的な音をきかせますが、これはちがうと思います。ぼくは過去をふりかえるのが好きではありません。とりわけ音楽をノスタルジックにきくのが嫌いです。アコースタットのモデル・スリーのきかせる音は懐古的にきこうと思えばきけなくもないかもしれませんが、ぼくはこのスピーカーに「いま」をききました。
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 考えてみて下さい。この時代を「気持がわるい」とは思いませんか。いや、これはこの時代にかぎってのことではないでしょう。現代はいつだってその同時代の人間にとっては程度の差こそあれ「気持がわるい」ものです。しかもいまは世紀末です。時代そのものが翳りつつあります。ぼくらはいまや残光の中で音楽をきこうとしているのかもしれません。
 健康的であることが不健康に感じられるのがいまかもしれません。アコースタットのモデル・スリーはいまが「オー・ソレ・ミオ」をはればれとうたいにくい時代だということを、そのしなやかな音でさりげなく教えてくれているようです。
 メフィストフェレスのきみのカリキュラムの真の目的はスピーカーの音でぼくに「いま」を教えることにあったのでしょうか。そうなるとアコースタットのモデル・スリーの音以上に「気持がわるい」のはメフィストフェレスのきみということになります。きみがぼくよりはるかに若いからといって侮っていたわけではありません。むしろオーディオの世界での先輩として充分に尊敬してきました。しかしそれにしてもよくぞここまでふりまわしてくれたと、感心しつつも、小癪な野郎めと思います。
 近いうちにアコースタットのモデル・スリーがぼくの部屋にはこびこまれるはずですから、そうしたらその音をききながら、再生装置に「いま」をきくことの意味について、あれこれはなしあいたいと思います。
 太ったメフィストフェレスに、中年のファウストの感謝をこめて──。