Monthly Archives: 6月 1977 - Page 16

サンスイ AU-607

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 サンスイの新しいシリーズで、ブラックパネルは同社の一貫したデザインだが、レイアウトが一段と洗練され、魅力的になった。607、707はシリーズで、パワーの差だけだといいたいが、やはり音質はちがう。このシリーズの特長である、音の透明度、空気感の再現ではむしろ607のほうが光る。キメの細かい再生音の純度は高く評価したい製品なのである。機能はさすがにやや簡略化されているものの、優れた製品。

ヤマハ CA-2000

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 プリメインアンプの高級品として、機能的にも内容的にも、きわめて充実した製品である。そして、デザインも、現代的な明るいトーンは好みの分れるところだが、仕上げの高さと共に評価できる。MCヘッドアンプを含めた豊富な入力回路、パワー段は、お家芸のA級、B級の切替つきで、それぞれ30W+30W、120W+120Wと強力である。

パイオニア Exclusive F3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 自宅で数ヶ月モニターしたのち、返却して他のチューナーにかえたら、かえってF3の音質の良さを思い知らされて、しばらくFMを聴くのがイヤになったことがある。C3やM4と一脈通じる、繊細で、ややウェットではあるが、汚れのない澄明な品位の高い音質で、やはり高価なだけのことはあると納得させられる。

アルテック 620A Monitor

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 アルテックはアメリカの代表的なスピーカーメーカーであるが、その作品中、ながい伝統に輝く傑作が、38cm口径のコアキシャル同軸型ユニットである。604、605シリーズと呼ばれ、世界中の録音スタジオのモニターとして大きな信頼に支えられてきた。これは、そのユニットを最新のテクノロジーでリファインした604−8Gというユニットをバスレフのフロアー型エンクロージュアに収めたプレイバック・スタンダードである。

ソニー TA-N7B

井上卓也

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 TA−E7BとペアとなるDC構成の100W+100Wの出力をもつパワーアンプである。このモデルは、パワーアンプの機能を具現化した独得なスタイリングが特長であり、従来のソニー製品にないフレッシュな魅力がある。とくに、フロントパネル下側の空気取入れ口は、電力を扱うパワーアンプに応わしいデザインと思われる。
 回路面での特長は初段がデュアルFETを使ったカスコード接続の差動アンプで、カレントミラー回路によって出力を取り出し、2段目は定電流負荷のカスコードアンプによる2段構成である。このカスコード接続は、出力側からの帰還容量により生じるミラー効果がなく高域での伝送能力の向上と直線精を改善している。パワー段は、パルス応答性が優れたV−FETと高周波用トランジスターをカスコード接続し3組使うトリプル・プッシュプルのピュアコンプリメンタリーSEPP・OCL回路である。
 パワーアンプにとってはもっともベーシックな部分であり、性能に影響を与える電源部は、左右チャンネル感の干渉を避けるために左右チャンネル独立型であり、同じチャンネル内でも電圧増幅段用と電力増幅段用を独立させた4電源トランス方式で、電圧増幅段用にはFETを使った定電流バイアス供給式の定電圧回路により安定化が図られている。電力増幅段用電源トランスは新開発のトロイダル型、電源のコンデンサーは22、000μF×4である。

マランツ Model 150

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 かつて♯10Bという管球時代最高の名器を生んだマランツにしては物足りない印象はまぬがれないが、オシロスコープによるディスプレイで正確な同頂点を探し出せるという部分にもあらわれているように、内容的にはかなり凝ったチューナーだ。♯1250等のややハードで輝かしい音質が現代のマランツらしい。

タンノイ Arden

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 タンノイが、新しい経営体制に入って発表したシリーズの最上級モデルが、このアーデンである。38cmウーファーの同軸型コアキシャル・ユニットは、タンノイの歴史的、伝統的傑作ユニットをリファインしたもので、スピーカーのサラブレッドと呼ぶにふさわしい。往年のタンノイのようなクラシックな雰囲気は消えたが、これはこれで高く評価できる。癖はずっと少なく、おだやかでありながらタンノイの風格がある。

オンキョー Integra T-433nII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 デジタルシンセサイザーという思い切った機能を、オンキョーが最初に製品化したという点に意表をつかれた思いだ。意匠的には必ずしも完成度が高いとは言いきれないが音質はかなりのもので、722nIIと一脈通じる繊細でしなやかな音色は、他社の製品からは見出しにくい特徴で、もっと評価されてよい製品。

AKG P8ES

井上卓也

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 AKGのカートリッジは、最近になってから開発された現在のシリーズが第二世代の製品である。このモデルは、AKGの最高級製品であり、現代的な高い性能をもつが、とくにヴォーカルでの、ナチュラルで、エレクトロニクスの介在を感じさせないような、濡れた、みずみずしさはかけがえのない魅力である。

QUAD ESL

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 エレクトロ・スタティック型で、このシステムほど、実用的に、高く、長く評価され続けているものもあるまい。3ウェイ構成のコンデンサー・ユニットを、きわめてユニークで美しい仕上げのエンクロージュアにおさめ、見るからに音の繊細さが彷彿とするような魅力あるものだ。このシステムで聴く弦の美しさは無類であり、スタティックな控え目な嗜好を持つ趣味人には、これをもってベストとするといっても過言ではあるまい。

オルトフォン SPU-G/E

井上卓也

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 本来は業務用システムのプレイバック用に開発されたモデル。シェルと一体型で、AとGにわけられているのはこの背景を物語っている。本機がベースの改良モデルが常に存在しても未だ現役として充分の実力をもっているのは珍しい例で、今後いつまで残るかが、SPUファンとしては心配のたねである。

スペンドール BCII

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 スペンドールは、イギリスのスピーカー専門メーカーだが、このBCIIは、シリーズ中の中堅に位置するものだ。しかし、音の美しさでは、ベストといってよく、スペンドール社自身の意識外の自然発生的な傑作ともいえる。無論、同社のスピーカー技術は世界最高水準といえるが、それよりも、この美しい音を聴くと、その感覚の素晴らしさが強く感じられずにはおくまい。みずみずしい音である。3ウェイのバランスは完璧である。

ソニー TA-E7B

井上卓也

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 最近のソニーのプリメインアンプ、FMチューナー、カセットデッキなど一連のコンポーネントは新しいデザインに装いを変えているが、今回発売されたセパレート型アンプも、当然のことながらシリーズ製品らしい新しいデザインとなっている。
 機能目では、現在のコントロールアンプと呼ぶに応わしい標準的な装備だが、伝統的なレバーとロータリースイッチを組み合わせたクイックアクセス方式のファンクションセレクターをはじめ、32ステップのアッテネーター型ボリュウムコントロール、2dBステップでターンオーバー周波数が各2段に切替可能な高音・低音コントロールの他に、VU、ピーク、サンプリングホールドの3通りに切替可能なメーターがあり、これは感度調整もできる。また、フロントパネルの優先割り込み式のテープ2用ジャックはテープファンには好まれるだろう。
 回路面では、単体のヘッドアンプHA55と同様な構成をもつLEC低雑音トランジスター使用のMC型カートリッジ用ヘッドアンプ、DC帰還回路付NF型イコライザー、初段にFETを使ったDC構成のユニットアンプなどが採用され、フォノ入力は切替はリレーを使ったリモートコントロールである。また、電源部は、ヘッドアンプ部、主信号系およびヘッドフォンアンプ部、メーカー回路用の4系統を分離し、主信号系とヘッドアンプ用にはFET定電流電源を使用した定電圧回路を採用している。

ピカリング XSV/3000

井上卓也

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 モノーラル時代以来の古きカートリッジメーカーであるピカリングの製品は、CD−4方式対応型のXUV/4500Qで非常に高い評価を得たが、このXSV/3000は、レギュラーなステレオ用に開発されたトップモデルである。洗練され現代的になったとはいえ、腰が強くクッキリと粒立つピカリング伝統の音は、このモデルも充分に受け継いでおり、直線的に表現する独特の魅力は、他では求められない素晴らしさがある。

ヤマハ NS-1000M

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 新しいテクノロジーと、人の耳による聞き込みがヤマハの製品を支えるバランスド・サポートである。このシステムにも、それがはっきり出ていると思う。ベリリュームという新素材を使った積極的姿勢、それを実現するための高度な加工方法まで開発したのは高く評価されるべきだし、この製品にはっきり、音として現われている新鮮さでもある。Mはモニター仕様で、決して家庭的雰囲気ではないが、飾り気のない実質的製品。

テクニクス SB-7000

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 テクニクス7としてよく知られるこのシステムは、外観内容共に、全くユニークなオリジナリティを持ち、しかも、実質的に優れたスピーカーシステムとして実用性も高い。なんといっても、階段式のユニット配置と、それをデザインとして見せた思い切りのよさ、作りの念入りな、少々サーズ精神と感じられなくもないメカメカしいアピアランスはアトラクティヴだ。低域がやや豊かにすぎる傾向だが、素直で豊潤な再生音が快い。

B&W DM4/II

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 イギリスのB&W社の存在は地味だが、それは、その外観にも音にも滲み出している。つまり、渋味のある、じっくりと聴き込むほどに滋味の味わえるといった音である。DM70やDM6などの大型システムから、この4のようなコンパクトなものまで、一貫したポリシーをもっているが、他社製品との価格比較の上からすると、断然、生彩を放つのが、このシステムだ。クラシック・ファンにはとくに推めたい家庭用のさりげない優秀品。

「私はベストバイをこう考える」

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 ベスト・バイは、一般的な邦訳ではお買得ということになる。言葉の意味はその通りなのだが、ニュアンスとしては、ここでの、この言葉の使われ方とは違いがある。日本語のお買得という言葉には、どこかいじましさがあって気に入らない。これは私だけだろうか。そこで、ベスト・バイを直訳に近い形で言ってみることにした。〝最上の買物〟である。これだと、意味は意図を伝えるようだ。つまり、ここでいうベスト・バイとは、その金額よりも、価値に重きをおいている。
 価値というのは、きわめて複雑な観念であるから、ものの価値判断というものも、そう簡単に決めるわけにはいかないだろう。本当の意味での価値というものは、観念という精神的なものであるからだ。ものそのものの価値というのは、むしろ、値打というべきだと私は思っている。価値というものは、本来、形や数値で表わせるものではないのはいうまでもないことだ。言語学的には、価値という言葉も、もっと現実的な唯物論的な意味なのかもしれないが、甚だ独善的で申し訳ないが、私は、価値と値打を使い分けるように心がけている。ものの値打などというものは、値下りすればそれまでだ。ほとんどのものは、買った途端に中古になる。中古は新品より安くなる。値打の下落である。オーディオ・コンポーネントで、持っていて値上りするなどというものは滅多にない。オーディオ機器に限らず、本当に値打のあるものなどはそうあるものではない。だから、けちはものを買わないのである。けちが買うのは、儲かるものだけだ。
 しかし、価値は違う。どんなに高額でも、また、日々値上りしても、そのものが、ウィンドウの中に置かれていて価値を発揮することはない。ものの価値は、そのものが人と結びついたときに、その人によって発揮されるものなのだ。あるいは、その人の中に芽生えたものなのだ。価値は、人の価値観によって決まる。価値観は教養と情操の問題である。価値観は、よきにつけあしきにつけ、他人の侵すべからざる領域である。ものには値段がつきものだから、それに支払う代価の数値と、この価値との間の問題はきわめて複雑だ。ある人にとっては、100万円の代価を払っても価値あるものも、別の人にとっては無価値かもしれぬ。また、同じような価値観を持った人同志でも、もし、その二人の経済力に大きな差があれば、価値の評価がかわってくる。
 ここで、大変重要な問題について考えねばならない。お金持ちが、そのものが自分にとって価値ありと認め、100万円を高くないと感じて買ったとする。そして、それほど金持ちではない別の人が、その同じものに価値を見出し高い! と思いつつ、無理をして100万円を出したとする。つまり、同じものに価値を見出した二人だが、果して、この経済力の違う二人にとって、そのものの価値は同じであろうか。ごく単純に考えても、同じには思えない。金持ちにとっての100万円より、貧乏人にとっての100万円は、はるかに高い価値への代価であるはずだ。ポケットマネーと全財産のちがいが同じ重味であるはずはない。つまりこの話には無理がある。金持ちと貧乏人が、代価を払わなければ所有できないものについて、同じような価値観を持つことは不可能に近いことだ。そして、もう一つの無理は、ものの価値を代価という数値で表現していることである。値打は同じでも、価値は大違いたということだ。価値とはこういうものだろう。だから、価値を考えれば、同じものでも、金持ちからは100万円とっても貧乏人からは10万円しかとらないという理屈も成立つ。昔の職人や芸人には、こういう考え方を持っていて、実行したという話を聞くのである。一概に、それが美徳だとは思わないが、一理はある。
 しかし、大量生産、つまり、工業化時代の現代では、こういうことは起り得ないのだ。ベスト・バイの価値基準などないといっても過言ではない。1台のアンプを値段なしで市場へ出し、それぞれの人の価値判断と経済力で、100万円になったり10万円になったりすることはあり得ないのだ。かかったコストを基準に、諸経費・諸利益を上乗せして価格が決められる。考えてみれば公正なようでいて、決してそうとはいえない。材料費や労賃は大同小異にしても、それを生みだした人の英知や能力、そしてセンスはまちまちであるはずだ。量産では、生産量が価格を大きく変動させるが、同時に、製品の出来具合にも大きな影響がある。大量生産ならではのよさもあるし、小量、手造りならではのよさもある。これらを総合して考えてみると、価格の高低で、そのものの価格はもちろん、値打を判断することすら困難である。
 ベスト・バイ、最上の買物が、金額より価値に重きをおくと先に書いた。しかし、今まで述べた価値の難しさからいって、そんなベスト・バイ製品をどう選んだらよいのだろうか。コスト・パフォーマンスという言葉が一時流行ったが、あれは、リッター何キロ走るかという経済性だけで車のすべての値打や価値を判断するのとそっくりの、ドライで貧しい発想である。車なら、まだ、それも許されるとして、音楽を聴くオーディオ機器に──趣味の世界に──そんな発想を平気てするのは空恐しい。ベスト・バイというからにはむろん、値打を無視することはできない。つまり、経済的であるにこしたことはない。しかし、それだけで判断できるとすれば、オーディオなど、絶対に心の対象として存在し得るはずがないだろう。
 私が考えるベスト・バイの条件は、ただ、値段の高低による値打、性能の差という縦の線のみならず、要は、そのもののオリジナリティと存在理由の有無である。オーディオ機器は、性能の高い低いという縦のバリエーションも幅広くあると同時に、音がちがうという横のバリエーションが無限にある。それぞれの機器が、その値段の範囲で、水準以上の性能を発揮し、かつ、魅力ある製品であることが、私の考えるベスト・バイの条件である。その魅力とは、もちろん音の美しさ、仕上加工の水準、デザインなどの総合で、つまるところ、その製品に感じられる創った人間の中味の密度と次元の高さと誠実さである。100万円と10万円の同ジャンルの製品を縦割だけで考えることはナンセンスである。100Wのアンプより、はるかに音の美しい50Wのアンプだってある。数十万円の大型スピーカーがすべてではあるまい。数万円の小型スピーカーが、よりしっくりと、その時々
の音楽的欲求を満たしてくれることだってあるだろう。そして、逆に、どうしても大型スピーカーで大パワーアンプでなければ得られない、音の世界が存在するのである。
 いずれにしても、最終的な価値判断は、それぞれの人の問題だ。そして、価値の発見とその必要性と、それを得る可能性は、全くそれぞれに別問題であろう。この三つの結びつきのコントロールは読者に任せる他はない。ここにあげたベスト・バイ製品のそれぞれに、私は相応の価値を見出してはいるが、だからといって、そのすべてを必要とはしないし、また、それを所有する力もない。
 編集部から渡された、各コンポーネントの膨大なリストの中から、かなり客観的な思惑を交えながら、出来るだけ広範囲に選んだが、その結果、あまりに多くの製品になってしまい、正直のところ困り果てている。それぞれの製品について、短いコメントをつけるだけでも、気の遠くなるような仕事になってしまった。実に、トータルで190機種にも及ぶ。しかし、これだけの数の機器に、それなりの価値と、存在理由とオリジナリティを見出せるということは、たとえ、かなり客観性をもって選んだとしても、オーディオの楽しさを今さらながら感じさせられる。相互的に組合せて、システムを構成したとすると、うまくいかない組合せをのぞいても、かなりの数の優れたシステムが誕生することになるであろう。そして、それらは、一組として同じ音色やニュアンスで鳴るものはないのである……。

「私はベストバイをこう考える」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 前回35号でもベストバイパーツの選定をしたが、今回はそのときとは基準を少し変えた。その説明をする前に、35号のときの選定基準をもういちど簡単にくりかえしておく。
 前回は、あらかじめ編集部で部門別(機種別)に整理した市販全製品のパーツリストを渡された上で、その中から約百五十機種に絞るようにという課題があった。そこで、大まかな分類として、次の三つの基準を自分流に作った。
 ◎文句なく誰にでも奨めたい、或いは自分でも買って使いたい魅力のあるパーツ。
 ○自分としては必ずしも魅力を感じないが、客観的にみて、現時点で、この価格ランクの中では一応水準あるいは水準以上の性能を持っていると思われるパーツ。
 △必ずしも水準に達しているとは思えないが、捨てるには惜しい良さまたは魅力をどこかひとつでも持っているパーツ。
 この中で、◎と△を選ぶのは案外やさしい。
 例えば今回のリストアップの中でも、すでに自分で購入して、高価ではあったけれど心から満足して毎日楽しんでいるSAE2500(300W×2のパワーアンプ)などは、簡単に◎がつけられる。実際、私のすすめで同じアンプを購入した友人が三人ほどいるが、その中の誰も、65万円(現在69万円に値上げされているが)という代金を支払ったことを後悔するどころか、良い音で音楽を味わえる毎日毎日が楽しくて仕方がないと、心から喜んでいるのだから、その代価は少しも高価でなく、良いものを手に人れた満足感にひたりきっているわけだ。こういう買い物が、ほんとうの意味でのベスト・バイといえるわけだ。
 もうひとつ反対の例をあげるなら、例えばマッキントッシュのC26やMC2105、あるいはQUADの一連のアンプとチューナー。これらの製品は、進歩の激しいソリッドステートの技術の中でふりかえってみると、その物理特性も鳴らす音も、今日の水準とは必ずしも言い難い。けれど、マッキントッシュもQUADも、そのデザインや全体のまとまりの、チャーミングで美しいことにかけては、いまだにこの魅力を追い越す製品がないのだから、物理特性うんぬんだけで簡単に捨ててしまうのはどうも惜しい。というわけで先の分類の△に該当する。
 こういう具合に、◎と△はわりあい簡単に分類できる。けれど難しいのは○の場合だ。
 自分としてはひっかかる点があるが、客観的にみて良いと思う──。そういうリストアップのしかたが、ほんとうに可能だろうか、と考えてみる。ことばの上では可能であっても、自分が自分を捨てて客観的になるなどということは、本質的にはできっこない。せいぜい、できるかぎり主観や好みをおさえて、いろいろな角度から光をあててみて、できるかぎり客観的態度に近づくよう努力する、ぐらいがようやくのことだ。
 しかしそこでもう少し見方をかえてみる。今回もまた前回同様、編集部であらかじめ整理した何千機種かのパーツリストが目の前に置かれている。あまりの数の多さに一瞬絶望的な気持になるが、意を決して赤鉛筆など持って、はじめは薄く○か何かのシルシをつけてゆく。パーツ名を追う手が、あるところでふとためらい、○をつけ、消し、もういちどつける……などということをくりかえす。それは結果的にみると、選んでいる、ともいえるし、落している、ともいえる。結果は同じでも、選ぶ、というつもりで○をつけるのと、落す、という意識で○をつけないのとでは、こちらの気持はずいぶん違ってくる。そこで考えこんでしまった。
 というのは、これだけのメーカーが、一品一品時間と手間をかけて作ったものを、メーカー側でダメだとは、まさか思っていないだろう。それをこちら側からみると、意にかなうものとそうでないものとに分かれてしまう。それなら、このパーツはリストアップしない、これは落す、そういう明確な理由づけのできないパーツを落すのは変じゃないか、ということになってくる。上げない理由、が不明確であるのなら、落す理由にはならない。
          *
 こういう考え方をしてみたら、かなりの数のパーツに○をつける結果になってしまった。今回は、前回のような百五十機種、というような数の制約がなかったせいもある。しかしリストアップを編集部に渡したあとで、私の数が最も多かった、ときかされて、少し複雑な気持になっている。ほかの諸氏たちの選定の基準あるいは理由を、一日も早く読んで納得したい、という気持になっている。くりかえすが、私個人は、上げない理由、の明確でないパーツは落さなかった、というだけだ。
 それにしても、はじめの分類でも書いたように、リストアップしたパーツにも、大別すれば三つの理由があるわけで、そのちがいについては、リストアップしたパーツごとの説明を書く段になって、自分自身にもはっきりしてきた。◎や△のように積極的な意味を持って上げたパーツの原稿を書くときは、しぜん書き方に弾みがつくが、○印のパーツの場合は、どこかよそよそしい隙間風が吹くような気分に、書いていながらおそわれている。だとすると、思い切りよく◎と△以外は切り捨ててしまった方がよかったのかもしれない、という気持にもなるが、もしそうしたとしたら、逆に私のリストアップはいちばん少なくなってしまったに違いない。
 こういう具合で、リストアップするにも、その拠りどころとなる基準や理由のつけかたによって、パーツの数は相当大幅に変ってしまう。その点今回の私のリストアップは、あるいは迷いの結果であるかもしれないが、しかし、上げたパーツがもしどこか自分の考えと一致しない部分があれば、できるだけ正直に具体的に書くようにした。そのために、リストアップしておきながら、部分的に批判しているようなものがけっこう多いはずだが、右のような次第であることをご理解頂きたい。
          *
 ところで、私にはテープデッキ以外のすべてのパーツが与えられたが、パーツによってその選定の根拠に多少の違いがあるので補足しておく。
 第1にスピーカー。ここでは、音質に重きを置いた結果、どうしてもやや主観的な選定になっている。自分として賛成できない音のスピーカーは上げていない。
 また、スピーカーユニットは棄権させて頂いた。最近この部門については不勉強で、たまたま知っている数機種を上げれば、かえって不公平になることと、ユニットに関しては、使い手の技術や努力によって、得られる音のグレイドにも大幅の違いが生じるから、単にパーツをリストアップする意味に疑問を感じたためでもある。
 第2にアンプとカートリッジについては、スピーカーシステムほど徹底して主観を通すということをせずに、客観的データを参考にして、ある程度幅をひろげた選び方をした。またチューナーについては、単体として優れたものばかりでなく、プリメインまたはセパレートアンプとのペア性、という点をやや考慮した。チューナー単体としては水準スレスレの出来でも、ふつうの場合、プリメインアンプを選べばそれとペアのチューナーを並べた方が気分がいいと思うから。
 第3のプレーヤーおよびモーター単体については、もしほんとうに私の主観を強く出せば、ほとんどリストアップできなくなってしまう。というのは、プレーヤーやそのためのパーツについて、「レコード芸術」誌上でここ半年ほど論じたように、扱い手の心理まで含めた操作性の良さやデザインの洗練の度合、ということを条件にしてゆくと、これならというプレーヤーまたはパーツは、おそらく二〜三機種しかないからだ。したがって、ことにモーターについては回転機としての物理特性の良いものという前提で、デザインやフィーリングに不満があってもあえてそれを条件としてあげている。

ビクター SX-3III

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 国産スピーカーの中で、最も早く、オリジナリティに目覚めた製作者の手で作られたといってよいユニークなシステムがSX3だと思う。ソフトドーム・トゥイーターの採用は、欧米に習ったものとはいえ、それを完全に自家薬籠中のものとして消化し、念入りなエンクロージュア、フィニッシュの独自性などは、タイプIIIとしてリファインされた今日も、立派に存在の必然性をもっている。国産ブックシェルフの傑作として上げたい。

オーレックス ST-720

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 物理データや音質面で、この価格のチューナーとしてほんとうに他社と同格あるいは以上かといえばその点は注文もあるが、画一的な表現の国産チューナーの中にあって、ユニークな操作性を大胆な意匠で完成させたところに絶大な拍手を送りたい。こういう製品が、モデルチェンジなしに育つ土壌を大切にしよう。

ダイヤトーン DS-25B

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 中型ブックシェルフ・スピーカーとして完成の域に達したシステムであろうと思う。明るく解像力の高い再生音は、プログラム・ソースを生き生きと鳴らし、快い。中級システムとして一般家庭では十二分な能力をもった優秀な機械である。あえて機械であると表現した所が、多少の私の不満を現わしたところである。

セレッション UL6

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッションらしい傑作だ。スピーカー作りのキャリアのベテランが、家庭で音楽を聴くという目的を十二分に知りつくして作り上げたコンパクトながら、堂々とした音の再生も可能なシステム。品位の高い音の風格が感じられる。

QUAD FM3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 チューナー単体としての物理特性や音質で比較すれば、もはや国産各社が内容的にいっそう充実した製品を作り出しているが、プリの33、パワーの303や405の存在が貴重であるとすれば、それと組み合わせるのに、やはり見た目にも同じ兄弟のFM3を使いたくなるのは人情というものだろう。

トリオ KT-7700

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 ペアとなるべきKA7300は改良型の7300Dとなって一段と性能が向上した。KT7700の方は内容的にはそのままらしいが、いまの時点でみても、あえて新型にすべきほどの弱点は見当りそうもない。音質は9700には及ばないにしても、傾向的にはよく似ていて、クリアーな受信ができる。