Daily Archives: 1976年3月20日

ヤマハ C-2, B-2

岩崎千明

スイングジャーナル 4月号(1976年3月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 市場の数ある高級セパレート・アンプの中で高い評価を得たひとつにヤマハCIとBIのペアを上げるのは妥当であろう。V−FETという現代的なデバイスを基にした技術がアピールされたパワー・アンプBI。至れりつくせりのフル機能の内側をそのままのパネル、デザインの豪華にして、ぜいたくなプリ・アンプCI。ともに「豪華型」において、ひとつのはっきりした特長をズバリと明確にし、ユーザーにポイントをはっきりと把握させることができた点がひときわぬき出た成功の源動力となったといえよう。それというのもこれだけ大きく取り上げて謳い上げ得る特長を持ち、それを外観的デザインに完成させた。
 ところで、こうしたBI、CIの初期段階での華麗なる成功があっただけに次なる豪華型アンプはひどくむつかしくならざるを得ない。大スターのあとに続くスターは、前者を乗り越えなければ成功につながらない、という宿命を内蔵し、それが思い通りに事の運ばぬ大きな理由ともなるものだ。
 ヤマハのC2、B2は、こうした点でCI、BIよりもはるかに試練を受けるべき立場にある。CI、BIの成功が大きければ大きいほど、こうした宿命ともいうべきものを背負ってしまうということになるのである。
 C2、B2はこうした背景のもとに早くから多くの関係者から強く期待され、その期待は時とともに高まった。
 そのヤマハのC2、B2がやっと姿をあらわした。
 ごく一部に片鱗が伝えられていた通りに、C2はCIとはすべての点で、まったく違っている。フル機能ともいい得るほど、考えられるすべての使用用途に応じられるスイッチ類や、コントロール類を盛り込んだCIに対して、C2はすべての点で簡略化されている。外観的にも、C2は高さ8センチにも満たない超薄型の形態にまとめられて、デザイン以上に構造上からもユニークだ。
 プレイヤーがそのまま乗りそうな大きな上面パネルは、側面と一体で全体の強度の中心となっていて、分厚いダイキャストの引きぬきだ。
 全体は上品な艶消しの黒で仕上げられでいるが、ともすると重い感じに陥りがちなこのイマージュを、ケースの縁との断ち落されたようなシャープなラインが外側を囲むように包んでいて、この鮮かなカットが現代的な感覚を強めているため、全体としてスッキリとした格調の高いイメージを強く訴えている。
 裏ぶたを取ると単純化された回路ブロックごとに整然とした配列が、大きなプリント基板の上に見られ、その細かなパーツは整然と並んで僅かの乱れもみせない。回路の部品点数こそ多くないが、そのひとつひとつが大変高い精度であることは、パーツの外観からも確かめられる。数少ないスイッチやコントロール・ボリュームも密閉式であったり、スイッチの接点の金属の輝きにも厳選された高級品としての格調がはっきりと認められるのも、ヤマハの超高級アンプらしい。
 こうした細かいひとつひとつの積重ね、集積がその全体のサウンドの上にも如実に表われているのは響きの澄んだ冴え方から判断できる。
 単純化イコール純粋というパターンの典型が、このC2のすべてでもある。アンプの電子回路的な見地からもパーツからの視点でも、さらにその創り出すサウンドの世界からもこのパターンをはっきりと聴くものに知らされるのだ。CIとの比較試聴がこの特長をひときわきわだたせる。つまり、CIが至れり尽せりの回路の完全性で、非のうちどころのないサウンドとして我々を驚かせるのに対して、C2は自然感そのもの、ナチュラルな響きと素っ気ないまでの素直なことこのうえないスッキリした再生ぶりだ。すっかり賛肉を取去ったこのC2こそ、まさに現代ハイファイが求める音の方向なのだ。
 C2に多くを語ったためB2へのスペースが少なくなってしまったが、そのV−FET出力回路の技術はBIからの直系のもので、特に中出力(といっても100W十100W)の実用的高出力でゆとりをもって鳴らすさまは、BIと置きかえても羞を感じさせないほどの再生クォリティーといってよかろう。
 願わくは、この日本の誇る豪華型アンプがより多くの方の耳にいっときも早く達することを。

トリオ KA-9300

菅野沖彦

スイングジャーナル 4月号(1976年3月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 トリオが昨年一年間にアンプに示した積極的な姿勢は目を見張らせるものであった。その初期に展開したCP戦略は、必らずしも私の好むところではなかったが、見方を変えれば、トリオの生産力の現われとして評価することもできるだろう。KA3300を皮切りに1W当り1000円という歌い文句は少々悪乗りが過ぎたし、オーディオ専門メーカーとしての真摯な態度とは私にはどうしても考えられなかったけれど、その後、KA7300、そして今日のこのKA9300に至って、矢張り本来のトリオであったことを実感させられて嬉しくなった。近視眼的に見れば安い製品の出現や、安売り販売店の横行は、ユーザ一に利をもたらすかのごとく見えるものだが、度を超すと、それが、いかに危険な悪循環の遭をたどるかが明確やある。オーディオを愛す専門のメーカーとして、ここまで、共にオーディオ界の発展向上に尽してきたメーカーならば、こんな事は百も承知のはずで、昨日今日、その場限りの儲け主義で、この世界に入りこんできた連中の無責任さと同じであっては困るのである。まあ、過ぎた小言はこのぐらいにしてKA9300について話しを進めよう。トリオが、アンプの特性と音質の関係について、恐らく業界でも一、二を競う熱心な実験開発の姿勢をとってきていることは読者もご存じかもしれない。いささかの微細なファクターも、音に影響を与えるという謙虚な態度で、回路、部品、構成の全てに細心の注意を払って製造にあたっていろ。その姿勢の反影が、このKA9300に極めて明確に現われているといってよいだろう。前作KA7300という65W十65Wのインテグレイテッド・アンプが左右独立のセパレート電源を採用して成果を上げ、本誌でも、その優秀性について御紹介した記憶があるが、KA9300も、この電源の基本的に優れた点を踏襲し、アンプの土台をがっしりと押えている。この左右独立方式は、パワー・アンプのみならず、プリ部にも採用されて、電源のスタビリティーの高さを図っているものだ。二個のトロイダル・トランスの効率の高さは熱上昇の点でも、インテグレイテッド・アンプには有利だし、それに18000μFの電解コンデンサーを4個使って万全の構えを見せてくれている。この電源への対策は、アンプの音の本質的なクォリティの改善に大きく役立つもので、建前でいえば、基礎工事にあたる重要なものだから、こうした姿勢からも、トリオがアンプに真面目な態度で臨んでいることがわかるだろう。出力は、120W+120Wと大きいが、このアンプの回路は、大変こったものであることも御報告しておかねばなるまい。それは、パワー・アンプにDCアンプ方式を採用していることである。DCアンプは今話題の技術であるが、これが、音質上いかなるメリットを持つものであるかは、まだ私の貧しい体験からは断言できない。しかし、世の常のように、ただDC動作をさせているから音がよいという短絡した単純な考え方はしないほうがよいだろう。DCアンプともいえども、それだけで、直に音質の改善につながると思い込むことは早計であり過ぎるのではないか。アンプの音は、部品の物性、配置、構成などのトータルで決るものだからである。しかし、ごく控え目にいって、このアンプのもつ音は素晴らしく、きわめて力強い、立体的な音が楽しめる。音の質が肉質なのだ。つまり有機的であって、音楽に脈打つ生命感、血のさわぎをよく伝えてくれるのである。DCアンプで心配される保護回路については、メーカーは特に気を配り、ユーザーにスピーカー破損などの迷惑は絶対にかけないという自信のほど示してくれているので信頼しておこう。低い歪率(0・005%定格出力時8?)、広いパワー・バンド・ウィガス、余裕ある出力と、よい音でスピーカーを鳴らす物理特性を備えていることも、マニア気質を満足させてくれるであろう。ベースの張り、輝やかしいシンバルのパルスの生命感、近頃聴いたアンプの中でも出色の存在であったことを御報告しておこう。そして特に、中音域の立体感と充実が、私好みのアンプであったことも……。

「アレグロ・エネルジーコ」

黒田恭一

ステレオサウンド 38号(1976年3月発行)
特集・「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」より

上杉佳郎様

 今日はまことに、痛快でした。まず、その痛快な時をすごさせていただいたことに、お礼を申しあげたいと思います。痛快さは、当然のことに、上杉さんのきかせてくださった音、ひいては上杉さんの人柄によっています。
 三十インチ・ウーファーが横に四本並んだところは、壮観でした。それを目のあたりにしてびっくりしたはずみに、ぼくは思わず、口ばしってしまいました、なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか。そのぼくの失礼な質問に対しての上杉さんのこたえがまた、なかなか痛快で、ぼくをひどくよろこばせました。上杉さんは、こうおっしゃいましたね──オーディオというのは趣味のものだから、こういう馬鹿げたことをする人間がひとりぐらいいてもいいと思ったんだ。
 おっしゃることに、ぼくも、まったく同感で、わが意をえたりと思ったりしました。オーディオについて、とってつけたようにもっともらしく、ことさらしかつめらしく、そして妙に精神主義的に考えることに、ぼくは,反撥を感じる方ですから、上杉さんが敢て「馬鹿げたこと」とおっしゃったことが、よくわかりました。そう敢ておっしゃりながら、しかし上杉さんが、いい音、つまり上杉さんの求める音を出すことに、大変に真剣であり、誰にもまけないぐらい真面目だということが、あきらかでした。いわずもがなのことをいうことになるかもしれませんが、上杉さんは、そういう「馬鹿げたこと」をするほど真剣だということになるでしょう。
 したがってぼくの感じた痛快さは、その真剣さ、一途さゆえのものといえるようです。実に、痛快でした。
 神戸っ子は、相手をせいいっぱいもてなす、つまりサーヴィス精神にとんでいると、よくいわれます。いかにも神戸っ子らしく、上杉さんは、あなたがたがせっかく東京からくるというもので、それに間にあわせようと思って、これをつくったんだと、巨大な、まさに巨大なスピーカーシステムを指さされておっしゃいました。当然、うかがった人間としても、その上杉さんの気持がわからぬではなく、食いしん坊が皿に山もりにつまれた饅頭を出されたようなもので、たらふくごちそうになりました。
 ただ、そのスピーカーを設置されてから充分な時間がなかったためでしょう、きかせていただいた音に、幾分まとまりのなさを感じたりもいたしましたが、上杉さんが求められたにちがいない、こせついたところのないひろびろとした音を、ぼくはこの耳でたしかめることができました。テレビの人気番組のタイトル風に申しあげれば、ドンとやってみようといった感じでならさた音で、そための気風のよさがあったように思われました。それしてそれは、神戸っ子としての上杉さんにふさわしいものといっていいものだったようです。
 ぼくにとってひとつだけ残念だったのは、この機会に、上杉さんのつくられた、いわゆるウエスギ・アンプがどんなものか、きかせていただきたいと思っていたのに、たしかにウエスギ・アンプでならしてはくださったのですが、スピーカーが、すくなくともぼくにとってあまりに異色のものだったので、その特徴を見さだめられなかったことです。またの機会に、あらためて、きかせていただきたく思います。
 ヴォルフのメーリケ歌曲集のレコードをかけて下さったのには、驚きました。それもまた、ぼくがヴォルフの歌曲が好きだと見ぬいての、神戸っ子ならではのもてなしだったでしょうか。そのレコードでの、ピアノの、どこにも無理のない、ふっくらした響きは、すてきでした。
 上杉さんは、お目にかかっての印象や、三十インチ・ウーファーを4本もつかってのスピーカーシステムをおつくりになることから、大きなもの、ダイナミックなものを求められていらっしゃるのかと、つい思ってしまいがちですが、一概にそうとはいえないようだということが、さまざまなレコードをきかせていただいているうちに、わかってきました。きかせていたたいた音は、まだ上杉さんのものになりきっていないという印象はのこりましたが、そこで上杉さんがならそうとしていらっしゃるものには、ある種のこまやかさもあったようでした。
 今日は、心からのおもてなし、本当にありがとうございました。ご自愛を祈ります。

一九七六年一月二十七日
黒田恭一