Daily Archives: 1974年6月15日

オルトフォン SL15

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 個性的な魅力と欠点が交錯して存在した忘れがたいカートリッジであるS15に続いて発表されたこのSL15は、しばらくの間はSPUの存在があまりにも大きいために忘れていたのだが、折にふれて使ってみるとオルトフォンの音を受継ぎながら現代化された魅力が次第に感じられてきた。私にとって、いわば大器晩成型のカートリッジである。ストレートな表現ながら適度の情趣性がある。やはり、オルトフォンはオルトフォンなのだ。

マッキントッシュ MC2105

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 C28プリアンプをはるかに上回るパネルデザイン。片チャンネル150ワットの大出力と、重厚な音のイメージは、このアンプの大きさ、重さ、デザインと完全に一体になっていて、どこにも無峻や違和感がない。ブルーにイルミネイトされる出力レベル・メーターの色のギリギリの線で嫌らしく青くなるのを押えた明度と色調。まさにアクアブルーの自然の神秘さを再現する。これを真似た国産のアンプのすべては嫌らしい失敗作である。

オルトフォン SPU

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 数多くの海外製品、国内製品が発表され消えていく中にあってステレオ初期以来MCカートリッジの王座を維持している実力は大変なものである。豊かな低音をベースにして明快で適度の響きをもった中域から高域のソノリティはレコードファンの誰しもが感じるあの魅力をもっている。感覚的に古さを感じてはいながら使うたびに一種の安心感と新しい喜びを感じさせるのは何なのだろうか。現在、消えてしほくない製品の筆頭である。

シュアー V15 TypeIII

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 エラックとクロスライセンスをもつシュアーはMM型のオリジネーターであり製品の豊富さでも屈指の存在である。V15タイプの第3世代として登場したV15/IIIは、シュアーサウンドと呼ばれたV15/IIを音質面、物理特性面ともに一段とリファインして完成したシュアーの傑作である。フラットに延びきった周波数レスポンスとトラッキング能力は抜群で、V15/IIIを聴いてみて髄15/IIの色づけの濃さが確認できるようだ。

デッカ Mark V

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 独特な垂直系のカンチレバーを採用したダイレクトカップリング方式とマトリクス内蔵の構造を一貫して通しているのは異例な存在である。従来から音色上でも異色といわれ、ある範囲のソースに対しては抜群の表現力をもつ、いわば単能カートリッジといわれていたが、このMKVは伝統を保ちながらよりバーサタイルな性格をもっている点がよい。明るく輝かしい音ながら緻密であり、ニュアンスの表現でも見事である。

エンパイア 1000ZE/X

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 このカートリッジほど使用する人によって評価が変わる例はあるまい。けっして表面的に個性の強さを感じるような性格ではないだけに大変に興味深いものがある。ヨーロッパ系のカートリッジがもつ明快さや輝きといった美点こそないが、都会的に洗練された陰影の深い音はソフィスティケートされた、このカートリッジならではの魅力であり、欠かすことのできない存在である。内面的な個性の豊かさでは、右にでるものはない。

B&O Beogram 4000

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いわゆるヨーロッパ調デザインのオリジネーター的存在であるB&Oのオーディオ製品はオーディオに限らず世界のインダストリアルデザインに影響力をもつといわれている。ベオグラム4000は超薄型のシステムながら完全にフールプルーフな純電子的コントロールによるフルオートプレーヤー機構を備えている。メカニカルなフルオートにくらべレコードサイズの自動識別、自動変速などの新機能を備えた未来志向型の典型だ。

エンパイア 598 New Troubadour

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 すべてを濃いゴールド系の色調で統一したニュートラバドール598は、旧タイプほどのアクの強さは、薄らいでいるがアメリカならではつくりだしえない雄大なスケール感をもっているのは見事というほかない。システムのトータルなバランスは、完全なハウリング対策をベースとしているだけに優れたものがある。機構的には実用上で不便に感じる面ももつが、却って自己主張の強い魅力と受取れるところがオーディオである。

トーレンス TD125MKII

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 かつてのTD124の面影こそないが数少ないヨーロッパ系のマニュアルプレーヤーシステムの最右翼に位置する製品である。薄型でキュービックなデザインであるが完全なハウリング防止対策、交換可能なアームボード、クラッチ機構付のサーボベルトドライブなどプレーヤーシステムに要求される基本を確実に把握したトータルバランスの良さでは、DD方式を武器とした数多い国産プレーヤーシステムの遠く及ばざるものがある。

ダイヤトーン DA-A100

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 パワーアンプが自己の存在を主張し、フロントパネルをメーターなどで装う傾向が強いなかにあって、このアンプのように機能に徹したデザインはオールドファッションではあるが不思議に心をひかれる魅力がある。音の隈どりがナチュラルでローレベルの音の消え方が美しい。現在ではアンティーク化したと感じた往年の名器マランツ♯7に精気をよみがらせ、新しい原題の音の魅力として私に教えてくれたのは、このアンプなのだ。

マッキントッシュ MC2300

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 超弩級ハイパワーアンプ。片チャンネル300ワットのモンスター・アンプ。その次元の違う再生音のスケールの大きさは、鳴らしてみれば納得するだろう。少々ちゃちなスピーカーでもガッシリと鳴る。ただし、いい気になってパワーを入れるとヴォイス・コイルが焼けてすっ飛ぶ。8ℓFFキャディラック・エルドラードを思わせるアンプだ。重さに匹敵する価値を感じる事だろう。こういうアンプを他に先がけて商品化する底力が凄い。

ラックス SQ38FD

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ソリッドステートアンプがパワーFETの開発で新時代を迎えようとする昨今、管球式アンプに意欲を燃やすLUXの存在は貴重である。SQ38FDはプリメインアンプとして異例な管球式であり、プアンプとパワーアンプを独立して使うと、さほどとは思わないがプリメインアンプとして使えば独特の魅力があるインテグレートアンプの特徴をもつのは好ましい。管球式アンプの音は豊かで柔らかいという誤れる伝説の作者でもある。

ヤマハ CA-1000

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 シンプルで、かつ精巧な印象を受けるヤマハのアンプデザインは強いポリシーの表現であり個性的である。CA1000は連続可変型ラウドネスコントロール、話題を集めたA級B級切替などの特別機能を備え、音質面ではスッキリとした格調の高さが感じられる。独特なデリケートさを70Wというパワーが巧みにカバーするが、魅力をひきだすためにはカートリッジ、スピーカーを選ぶ必要がある。ナイーブな感受性が魅力である。

デンオン PMA-700

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 シリーズ製品ながらPMA700は、PMA500とは性質が異なっている。ちょっと聴くと誰しもPMA500のサウンドに魅力を感じるだろうが、内面的な表現力の大きさでは比較にならぬ格差があることが、聴き込むにしたがって判るはずである。いわば体質的に異なった大陸的な稽古をもつためにオーディオ道楽をかなりしないと魅力はつかみ切れない音である。これがボザークと共通なPMA700の魅力だ。

デンオン PMA-500

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 プリメインアンプが現在ほどの完成度をもたなかった二年半ほど以前、初めて聴いたPMA500の音は鮮烈な印象そのものであった。アンプとしての基本的性能を抑えたうえで、音楽をいきいきと躍動感に富んで聴かせるパフォーマンスは見事である。スッキリとした音ながら色あいは濃いタイプで、ステレオフォニックなプレゼンスの再現に優れる。いまだに、このクラスの新製品でこのアンプを上回る機種がないのは何故か。

フェログラフ S1

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いわゆる英国の音がもつ伝統を守りながら新しい英国系モニタースピーカーは大幅なグレイドアップをなしとげたようだ。比較的小型で奥行きが深いプロポーションをもち、拾い周波数レンジと能率が極めて低いことが共通な特長といえよう。S1システムは、バランス上、やや高域と低域の周波数レスポンスが少々する傾向をもつが、ステレオフォニックな拡がりと、定位の鮮明さに優れる。格調が高く緻密な音は素晴らしい。

JBL 4320

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLプロフェッショナルシリーズのモニタースピーカーは現在4機種あるが近日中に、さらに充実したシステムがシリーズに加わると予測されている。4320は旧D50SMモニターをベースとしてモディファイしたプロフェッショナルモニターの中心機種である。とかくモニターといえばドライ一方の音になりやすいが、表現力が豊かであり強烈なサウンドも、細やかなニュアンスも自由に再現できるのは近代モニターの魅力だ。

JBL L26 Decade

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLの新世代を象徴する新しい魅力をもったシステムである。米国では約130ドルで現在ではJBLのもっともローコストなシステムであるが、このディケードの音は、まさしくJBLの、それもニュージェネレーションを感じさせる、バイタリティのあるフレッシュで、かつ知的なサウンドである。米国内でも爆発的な人気らしく、JBLのラインのほとんどがこのシステムでしめられていたのを見ても裏付けられるようだ。

アメリカ・タンノイ Mallorcan

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 マローカンは、英タンノイのユニットでは比較的なじみの薄いモニター12ゴールドを米タンノイがブックシェルフ型エンクロージュアに収納したシステムである。英国の音のティピカルな存在である。タンノイの音から想像すると驚かされるほど、このマローカンの音はボザーク、KLHと共通性をもった米東岸の音をもっている。まさにニューイングランドの音といってよいだろう。小型ながら適度のスケール感と高品位な音が魅力。

ジョーダン・ワッツ Module Unit

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いまはなき、ローサーと並ぶフルレンジユニット、グッドマンAXIOM80の設計者であるEJジョーダンが自らの名を冠したユニークなフルレンジユニットである。10cm口径の一体成型軽合金コーンにベリリュウムカッパー線を3本使ったダンパーなど構造上でも異色の存在である。明るく滑らかで反応の早い音は小口径フルレンジユニットのファンの琴線に触れる魅力であろう。現在数少ない個性豊かなユニットの典型である。

マランツ Model 500

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 マッキントッシュも一目おく優れたアンプ。いかにもアメリカを感じさせる力量アンプである。伝統のゴールド・アルマイト・フィニッシュのパネルにシンプルな、それでいて美しいツマミ。メーター周りは、特に、よきにつけ、あしきにつけアメリカ的だ。音も凄い。すっきりした透明感で、しかし力に溢れた量感。ほかのアメリカ製ハイパワーアンプより一桁上のクォリティ。品位の高さではMC2300に匹敵する両雄だ。

マッキントッシュ C28

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 シンメトリックなツマミ配置が完成の域に達したコントロール・アンプ・デザイン。なんといっても、イルミネーションのグラス・パネルが創り出す、ファンタジックな効果が印象的。絶対に指紋をつけっぱなしにしておけないという代物だ。もし、これを指紋だらけで平気で使っていられるとしたら、そんな無神経な奴は死んでしまえ! である。重厚な落着いたサウンドは、やや陰りを感じさせる渋さで黒光りといったイメージだ。

トリオ Supreme 700C

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 トリオの新しい高級アンプである。特にこのプリアンプの音の魅力は大変に個性的で、オリジナリティがある。中高域の明るく透明で、量感のある魅力は強烈だ。嫌いな人もあろう。しかし、世界の数多くの高級アンプの中で、これくらい個性が強く、しかも、絶対感覚的に美しく、快い、と感じさせる音をもった日本製のアンプも貴重である。デザインはマランツをお手本にしてトリオナイズしたものでオリジナリティはない。

外観と内容にごまかしのない嘘のない製品には魅力がある

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 オーディオ機器はレコードやテープやFMから音楽をより美しい音で抽き出し鳴らす道具だ、という点を第一に明確にしておく必要がある。万年筆は文字を書く道具、カメラは写真を撮る道具、釣竿は魚を釣る、かんなは木を削る、ゴルフのクラブは球を打つ道具だというのと全く同じ意味でオーディオ機器は音楽を鳴らす道具である。あらゆる道具というものを頭に浮かべてみれば、良い仕事をするには良い道具が必要で、その何かをするという目的に厳しい態度で臨む人ほど道具に凝る。しかしまた、良い道具を手に入れればそれで道具が勝手に仕事をしてくれるわけではなく、道具の善し悪しと関係なく道具は使いこなさなくては能力を発揮しない。この、使いこなす、という一点で道具がそれ自体独立した存在でなく人間と一体になって仕事をする、まさに「道具」なのだということはが明らかになる。そのことから道具は手段であると言いかえることもできるが、それだから目的をなし遂げさえできれば道具はどんなものでも構わないということにはならないので、大工が鋸やかんなに凝るというのが専門職だけのことだというなら、素人にも毎日の食事をとる箸や茶碗にさえ気に入りの道具というのがあって使い馴れない箸ではものの味さえ変るという例をあげればよい。するとそこには使い馴れるという問題も出てくることになる。しかしそれではまだ、使い馴れさえすれば道具に凝る必要は無かろうという疑問に答えたことにはならない。古くから「能書筆を選ばず」の諺があって、腕の良い人間に良い道具は不必要であるかのように誤解されているが、それは道具の能力に頼って技を磨く努力を怠る人へのいましめであって、弘法が良い筆を持てばいっそう優れた字を書くだろうことに疑いを抱く人はあるまい。しかしここでさらにつけ加えれば、穂先のチビた筆よたも良質の毛の揃った筆の方が良いという単純な問題でなく、書きたい文字によっては穂先を散切りに断ち切って筆を作りかえ或いは意識的に使い古しの筆を選ぶ場合もあるように、すべて道具は目的に応じて作られ選ばれ或いは作りかえられ使いこなされる。そこで道具とその使い手が一体になる。使い手が変れば、つまり使い手の意図が変れば別の道具が選ばれ、だから反面、同じ道具でも使い手が変ればそこから別の能力が抽き出される。そうした能力を思いきり抽き出す人を達人と呼び、そのことに十分応えるばかりでなくそういう人の能力をよりいっそう高めるような道具を名器という。名器は達人の使いこなしに耐えられるばかりでなく人間の潜在能力を触発する。道具もそこまでに至ると、手段としての役割を離れて一個の「もの」の良さとして、それ自体が鑑賞の対象にさえなる。刀剣の美しさ、茶碗や皿の、釣竿の、さらに鋸やかんなでさえ、永い年月に磨き上げられ洗練の極みに達した道具は、まさに一個の美術品になる。カメラや時計やオーディオ機器のような機械(メカニズム)もこの例外でない。しかしこれもまた誤解を招きやすい言い方なので、単に見栄や投資や利殖から、或いは中には金の使い途が無いからなどという馬鹿げた理由から、むやみに高価なものを買い漁り価値の分かりしないのに丸抱えするような書画骨董への接し方は、わたくしの最も嫌うところである。そうではなしに、写真を撮ることが好きで写った写真の結果をさらに良くしたいからとより良いカメラを求め、もっと良い音質で聴きたいとより良いスピーカーやアンプを求める全く素朴な欲求が人間にはあり、そうして入手したカメラやアンプが、本来の写真を撮る或いは音を鳴らすという目的とは別にメカニズムそのものの美しさで人を魅了し、だからそれを愛玩するという、人間の心の自然な流れを批判したりするのは見当外れの話なので、人を斬らずに刀剣を蒐(あつ)め、茶を飲まずに茶碗や壺の美しさを愛で、郵送する目的でなく切手を蒐集する趣味を誰も不思議に思わないのに、なぜ、写真を撮らないカメラの蒐集、音を聴かないオーディオパーツの蒐集を誹るのだろうか。
 あらゆる品物、あらゆる道具は、その目的に沿って磨き上げられれば自らにじみ出る美しさを具えはじめる。本来の目的から離れ一個の「もの」として眺めてなお十分に美しく魅力的であるほどの道具なら、本来の目的のために使われればそれぞれに最高の能力を発揮するはずのものであり、オーディオパーツの能力とは、言うまでもなく音楽を素晴らしいバランスで鳴らし、良い音質が人の心をもゆり動かす、ということに尽きる。それがもし刀剣であれば本当に「斬れる」刀と、単に取引や利殖の対象の美術品であることを目的とした似非刀剣との大きな違いになる。
 曇りのない直観で眺めた目には、ものはそのあるべき能力がそのまま形になって見える。身近な例をあげても、マッキントッシュ275のあの外観は全く出てくる音そのままだ。目に写ったとおりの音、音そのままの外観。マランツ7型プリアンプ、9型パワーアンプ、JBLのスピーカー群、アンペックスのプロ用デッキ……例はいくらでもあげられる。高価な外国製品ばかりをあげる必要は少しもなく、たとえばフォスターのFE103屋テクニクスの20PW09(旧8PW1)やダイヤトーンのP610Aなど、性能を追いつめて行って自然に生まれた美しい形、優れた製品がある。ローコストにはローコストの、無駄の無い美しさがある。ここまで来てやっとひとつの結論を言えば、外観と内容にごまかしの無い、嘘の無い製品には見陸がある。魅力ある製品、優れた製品というものは、どこまでが外観の魅力なのかどこからが内容の魅力なのか、そのけじめが渾然と一体になでいるものなので、現在の多くの市販製品のように、内容は技術課が設計し外観は内容を知らない意匠課のデザイナーが担当する、といった企業体質からは、本ものの魅力を生むことは不可能でないにしても極めて困難である。
 そのことからソウル・B・マランツとA・ロバートソン=エイクマンの名をあげてみたい。前者はかつてのマランツの、後者はSMEの創始者である。マランツは工業デザイナーであり自身チェロを弾くアマチュア音楽家であり、エイクマンは精密機械工場の経営者であり機械エンジニアで、ともに熱烈なオーディオ愛好家であった。マランツはそれまで市販されていたアンプに、エイクマンは同じくトーンアームに、自身満足できるような理想像を見出すことができず、自らの理想を実現するために努力して、永い年月をかけけてあの優れた製品(マランツ・モデル1からSLT1
2に至るアンプとプレーヤー、そしてSMEのアーム)たちを世に送った。彼らはそれを商品としてでなく、自身の高い理想を満たす、自分で使うために作ったのであり、その妥協を排したごまかしのない作り方が、同じ理想を理解する多数の愛好家の心を動かし、製品が支持され、一つの企業として成立さえするに至ったのである。右の二人のような会社の創始者ではないが現在のJBL社長であり、マランツと同じく優れたデザイナーとして、JBLの一連のデザインポリシーを確立したアーノルド・ウォルフの名もぜひあげておきたい。こういう形はオーディオの世界ばかりでなく、たとえばヴィクター・ハッセルブラッドや、古くはオスカー・バルナックにもみられる例である。言うまでもなくハッセルブラッドとライカの創始者であり、どちらも自分が使うために作ったカメラが現在の製品のプロトタイプとなり、ことにハッセルブラッドが1948年以来その原型を基本的に変えていない点がSMEのアームに良く似ている。
 右のような姿勢──それまで市販された製品に理想像を見出すことができない故に、いわばやむにやまれぬ衝動が優れた「もの」を生む動機になった──例は古今に限り無くあったのだろう。しかしその動機は同じでも、結局、洗練された感性と自身に対して厳しい態度で臨むことのできる優れた人間の作ったものだけが、永く世に残って多く人たちの支持を受けることになる。理想と現実とのあいだに立って、クールな眼で自分の生み育てた作品を批判できる人だからこそ、一歩一歩改良を加え永い年月をかけて立派な作品二仕上げることができる。そういう製品が、本ものの魅力を具える。価格が安かろうが大量生産品だろうが、洗練された感性に磨かれれば自然に魅力ある製品に仕上ってくる。そういう魅力は、現在の日本の工業製品の大多数がそうしているような多数決方式からは生まれにくい。また、頻繁なモデルチェンジ──それも原型(プロトタイプ)を簡単に水に流していつでもスタートし直しのような──態度からも、製品の魅力は育たない。人間のこころの機能を無視して、人間の機能を単に生理的・物理的な動物のようにとらえる誤った態度からは、魅力どころかまともなオーディオ製品すら生まれない。ことにオーディオ機器は、芸術と科学と人間との完璧な融合がなくては、魅力ある製品に仕上りにくい。データには表わしにくい人間の感性にもっと目を開かなくては、立派な製品は作れても魅力ある商品(それに見合った金額を払うに値する製品)は生まれない。

ウーヘル Compact Report Stereo124

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 手帳一冊よりも小さなカセットテープに録音するのに現在のようなアンプ一台ほどの大きなデッキが必要だということを誰も疑問に思わないらしいことが逆にわたくしは不思議でならない。たしかにメカと電気回路で中味はいっぱいだが、それはメーカーの都合で既製の大型パーツを流用しているからで、本質から考え直して練り直してみればこんなに小さなメカニズムで往復再生さえできることを、ウーヘル124が教えてくれる。