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ダイナコ Stereo 400

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ステレオ400を登場させるのは、そのサウンドが米国オーディオにおけるひとつの良識、良心を感じさせるからだ。コストパフォーマンスといういい方は気に喰わないがそうした観点からでも、400の優秀性は説明できるが、ダイナコというもっともポピュラーで評判の高い経験充分のメーカーのサウンドに対するセンス、しいてはアメリカの平均的オーディオ感の集約という点で特に注目すべき秀作だろう。

アキュフェーズ P-300

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 わが家において常用的に使い出した最初のハイパワー(一応100W以上)アンプがアキュフェーズだ。力強く明晰で曇りかげりのないサウンドが、あるいはあまりにもすべてをさらけ出しにしえぐり出してしまうといえるが、それを許せるのは生々しい暖かみさえある中声域の充実感だ。A級を全段に採用したプリの良さもあろうが、マランツ16と替え、2505と替えて、もっとも歪みの少なさを感じさせるのは最新技術の裏づけか。

アムクロン DC300

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 DC300は、アメリカ市場に登場した最初のハイパワーアンプでこのアンプの出現が今日の多くの製品のトリガーともなっている。そのデビュー時から、何をかくそう、ずっと私にとってあこがれであったのだ。粗いヘアラインのぎらぎらとしたパネルの仕上げが音にまで出て、乾いた感じの、つっぱなされるようなサウンドだが、この荒馬はきっと鳴らし甲斐があるに違いない。その本来の目的のラボラトリーユースを兼ねて鳴らしたい。

パイオニア PT-150

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ベリリューム・トゥイーターという形が商品としてどこまで成功するかは疑問だが、前人未到の技術に挑んだメーカーの心意気と、到達しあるいはしつつある質的な成果は讃えてよい。DDモーター、FETアンプに続く世界的最高級品がこのトゥイーターを土台として生まれることを期待しよう。これを単独な形で購入した場合を想定すると、ESSにおけるハイルドライバー同様、ウーファーの選択はむつかしいに違いない。

アルテック 605B

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 604Eではなく605Bを選ぶのは、音の違いというよりも、誰にも推められる扱いやすさにある。604は大型コアキシャルの原点として理解されるべきだが、その良さはステレオから4チャンネルへと音像の確かさがますます重要となるにつれて、真価をみせてくるといえる。755やLE8Tなどの、またP610の価値も実はこの点にこそあるが、それをとびきり高品質で実現せんとするとき、605Bはかけがえがない。

JBL LE85 + HL91

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLユニットで傑作中の傑作はホーン型ラジェターにあると思うが、そのオリジナル175の強力型が275でその現代版がLE85だ。ひとまわり大きく強力な中音専用375にくらべ、この組合せは2ウェイ用として存在する点に意義がある。175との対比をしばしば問われるが、圧倒的な差は高域になるほど強くなる最強エネルギーの違いであり、それがハイエンドの力と冴えとなり、その点こそLE85でなければならぬ理由だ。

JBL D130

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 またD130か、といわれてしまいそうだが、ジャズを愛するならその真髄を、そのソロを、このスピーカーほどリアルなエネルギーで輝かしく再生するユニットは、おそらく価格の制限を外してもそうざらにはない。たしかに今日の水準からは高域のレンジはかなり狭く、レベルも低いがそれはアンプのトーンコントロールでハイを上げて補えば、2ウェイにするまでもなくジャズは他のユニットにない生々しい再生をやってのける。

JBL L25 Prima

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ブックシェルフ型というイメージを一掃し、カラフルなユニット風のシステムは実用性の高い未来志向を強く持ち合わせ大きな魅力。
 サウンドは定評のL26と同形で低域の自然さは一歩ゆずってもバランス良い聞きやすさは、プリマの大きなプラスだ。
 多くを語るより、「まあ使ってみて」といおう。良さは音だけでなく、オーディオとして以上のより多くを君に感じさせるに違いないから。

エレクトロリサーチ Model340

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 国産品めいたこけ驚かし的なマルチユニットのちっぽけなブックシェルフ型から、これほどの魅力的な華麗鮮烈なサウンドが出てこようとは。無類の「音の良さ」を秘めたシステムだ。一般のブックシェルフにありがちな重苦しい低音も、またそれを避ける結果しばしばみられるふぬけた超低域もこれにはない。レベルを上げてもくずれない低域は力強く冴え瑞々しいほどの中音から高音の迫力とよくバランスし、抜群の広帯域感が溢れる。

ダルクィスト DQ10

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 新しいオーディオ界を目指しつつある米国において、特にスピーカーの新興勢力はめざましいばかりだ。ESS、ヴェガと並んで好評の、新参ダルキストの風変りな容姿と、澄みきったサウンドは新進メーカー中の白眉だ。その提唱するところの新たなる基本理論よりも音楽的、音響的なセンスが無類にすばらしい。その滑らかな中高音をそのまま超低域まで拡張したサウンドが、新たなる時代に羽ばたく要素となった傑作といえる。

JBL Sovereign I

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

「ヴェロナ」がカタログから消えてしまって、今やJBLのフロア型もクラシックなスタイルで豪華なたたずまいの製品はこの「サブリン」だけになってしまった。だから「ヴェロナ」に対する愛着と願望とが「サブリン」に妥協した、といってもよい。フロア型に対する望みがブックシェルフ型と根本的に違うのは、室内調度品としての価値をもその中に見出したい点にあるが、それがサブリンに凝縮したともいえる。

マイクロ SOLID-5

岩崎千明

スイングジャーナル 6月号(1974年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

「ソリッド・ファイブ」こう聞いただけでは、その名前からは到底レコード・プレイヤーの製品名とは思えまい。マイクロ精機のニュー・モデルがこの斬新な名前を冠してデビューしたのである。
 常日頃、堅実で手堅くオーソドックスな姿勢を崩すことないこのメーカーは製品のすべてが控え目なデザインと、着実な高品質ぶりに、ロング・セラーを重ね、プレイヤー部門ではトップの座を永く守り続けてきた。ありきたりながら、オーソドックスな機構は、見落されそうな内部メカニズムの細かい所にまで、良く行き届いて品質の安定した精密度の高いメカニズムが、この10年にも近い永い首位の座を支えてきたのは当然過ぎるといえよう。
 ところでこの数年のDDモーターの出現とそれに続く著しい進出普及ぶりは、プレイヤー界に新たな波となって革命といえるほどにすべてが変った。首位の座を崩されなかったマイクロ精機はプレイヤー専門メーカーとしての誇りからDDプレイヤーの製品化に当然積極的であったし、最も古くからプロフェ、シショナル・デザインの711を市場に送って時代の波に対応した。国内では充分に理解されることの少なかったこの1年間、ヨーロッパの各国で異常な程の人気を呼んで他のDDのはしりと目されている。
 さて「DDモーターは高性能」ということが常識化されると、DDモーターはあらゆる購売層にむけてあらゆる価格レベルのものが出回り、いつも繰り返されるように、今や氾濫気味でさえある。単にDDモーター付きというだけの品質を究めたとは言えない製品までもが大手を振って罷り通る。早くからDDプレイヤーを手がけてきたマイクロ精機の良心はこうした安物DDプレイヤーを商品とすることが出来なかったのだろう。そうした情況下でのマイクロ精機の回答が、この「ソリッド・ファイブ」に他ならない。名の示す通り、これは今までのこのメーカーの志向を大きく前進させて、強い意欲と決断とから培れた企画であり、それだけにオーソドックスなベルト・ドライブながら多くの点でまったく斬新なプレイヤーと言えよう。「ソリッド・ファイブ」という現代的な響きの名前。この名のいわれは、従来の観念からいうプレイヤーとそのケースとはまったく違った構造形態にあるのに違いあるまい。本来プレイヤーというものは、モーターにより駆動されるターン・テーブル、アーム、ケースの3点によって構成される。ところがこの「ソリッド・ファイブ」では、ターン・テーブルとケースはまったく一体化されていて、分離しては成りえない。もっと分り易く言うと、普通はターン・テーブルとそれを駆動するためのモーターが取り付けられている「モーター・ボード」といわれる部分は「ソリッド・ファイブ」には全く無くて、一見スマートで軽やかに見えるが中味の完全に詰まった厚さ40ミリの積層合板のケースそれ自体がモーター・ボードとなっている構造だ。この新たな構造はプレイヤー・メーカーだからこそ作り得られるメカで、完全に原点に立ち帰ってプレイヤーというものを考え直し、本来そうあるべき形態として生まれたものだ。基本的には直接サーボ・モーターによるベルト・ドライブというメカニズムで、これはマイクロのいつもながらの堅実で高い信頼性重視が採用させたものだ。同じメカながら今日のDDモーター時代に世に出る製品に相応しく、性能の上でDDモーターのそれに劣らぬデーターを示し、SN比、ワウフラッタ特性、安物DDモーターのウィーク・ポイントとされている実用時の高性能化、更に信頼性を大きく加えている。アームは優雅なほど素晴しく高級仕上げされ、高感度ながら、がっちりとして使い易いのも、いつものマイクロと同じだ。静止時のアーム・レストの高さ調整まで出来るといった細かいプラスαはここでは触れるまでもなかろう。
 名前通り現代的なフィーリングが構造にもデザインに.も、使用時にもはっきりと出ているのがこのプレイヤーの完成度の高さを示している。いつも「高品質だが商品としては80点、もう一歩完成度が欲しい」と言われ続けてきたマイクロが、初めて完成度100%のラインを一気に飛び越えた製品。それがこの現代的な高級プレイヤー、「ソリッド・ファイブ」といえるのではないだろうか。『DDを突き抜けたときの本物プレイヤー』ソリッド・ファイブ。

ハイパワー・アンプの魅力

岩崎千明

スイングジャーナル 5月号(1974年4月発行)
「AUDIO IN ACTION」より

●アンプはパワーが大きいほど立上り特性がよくなるのだ! だからジャズには……
 アンプの出力は大きいほど良いか? はたまた、必要性のないただただぜいたくなのか?
 そうした論争や、論説はいいたいやつにいわせておけ。オレは今日も午前中いっぱい200ワット出力のアンプをレベル計がピクンピクンといっぱいに振り切れるほどの、ドラムの響きに身をまかせ切っていた。
 一度でもいい。キミも、大出力論争をやっているひまに、ほんのひとときを100ワット級のアンプで鳴らす空間にその身をさらされてみろ。一度でもハイ・パワー・アンプの洗礼を受けたが最後、ジャズを愛し、断ち切れないほどのファンなら、だれだって必ずやその虜になるぞ。必要ない、なんてうそぶいていたのは、実は、望んでも達せられないための、やっかみ半分のやつ当りだっていのうを、ひそかに思い当るに違いない。
 ハイ・パワー・アンプから繰り出されるこの上なく衝撃的なパルスは、現代に息吹く若者にとってあるいは麻薬の世界にも例えられるのかも知れない。一度覚えたそのアタックの切れ込みのすざまじさは、絶対に忘れられっこない経験として耳を通してキミの大脳にガキッと刻み込まれてしまうのだ。もうそれを消そうと思ったって薄れることすらできやしない。それどころか、口でけなし、あんなのはだめな音と、どんなに思い込ませようと努力したところで、逆にますます強く求めたくなってくるあこがれにも近い感情を内側でたぎらせてしまうだけだろう。
 恋の対象を初めて見かけたとき、それは少しも変りやしない。だから、ジャズ喫茶でスピーカーの前には、すべての環境から遮断されたマニアックなファンが少なからず、首をうなだれてサウンドにひたり切っているのだ。
 スピーカーは、例え小さくても良い、そのすぐ前で座ろう。プレイヤーは今までのでもいい、カートリッジの質さえある水準以上なら。
 ステレオの心臓はアンプだ。電気信号に変えてエネルギー増幅する、それがアンプの真髄。だから、アンプはきのうのより大きくしてみよう。2倍じゃなまぬるい。4倍も6倍も、いや10倍の出力のアンプなら一層結構、大きければ大きいほどいいのだ。それがたとえ借り物であっても、仮の姿でも、いつかはキミの所有になるはずだ。
 大出力のよさを身をもって知ったならば、もう逃れられっこないのだから。良さが判ればキミのステレオの次の標的として、大出力アンプは、大きくキミの前にほかの目標を圧して立ちふさがるだろう。キミはそれに向かって猛進するだけだ。100ワット/100ワットのジャンボ・アンプに向かって。

ソニー TEA-8250
 後から鳴らしたFETアンプのおかげでソニーのハイパワー・アンプはスッカリ形が薄れてしまった。けれど、1120のデビューのときの音そのものの感激がこのハイパワー・アンプ8250でもう一度思い出された。「あくまで透明」なサウンド。それは非情といわれるほどで、アタックの鋭さは正宗の一光にも似る。以前より低域の豊かさが一段と加わっているのは、単なもハイパワーのなせる所だけではないかも。

ソニー TA-8650
 20種にあまもハイパワー・アンプを並べたこの夜のSJ試聴室。編集F氏Sくんを含め、むろんこのオレも一番期待したのがソニーのこのFETアンプだ。球の良さをそのまま石で実現したといういい方は、気に喰わないというより本当にして良いのかという半信半疑からだ。
 その不安も、まったくふっとんでしまつたのだ。なるほど確かにハイパワー管球アンプの音だ。このFETアンプ8650に最も近いのは、なんと米国オーディオリサーチ社管球アンプだったから。
 低域の迫力の力強い響き、プリアンプのような超低域までフラットだが力強さがもうちょっと、なんていうのがFETアンプではうそみたいに直ってしまう。中声域から高域の力に満ちた立ち上りの良さプラス華麗さも、石のアンプのソッ気なさとは全然違う。
 こうしてまたしてもソニーは、アンプにおいて1120以来の伝統よろしくオーディオ界のトップに出た、といい切ってよかろう。製品が出たら、まっさきにオレ買おう。

オンキョー Integra A-711
 711はなんと20万を越す名実ともに一番高価なインテグレイテッド・アンプだ。しかし、音を聴けばそれが当然だと納得もいこう。ローレベルでの繊細さと、ハイパワー・アンプ独特の限りない迫力とを見事に融合させて合わせ持っている数少ないアンプだ。音の特長は、……ないといってよい。ない、つまり無色、これこそアンプメーカーの最終目標だろう。オンキョーのアンプがずっと追いつづけた目標は、このアンプではっきりと捉えられていよう。

オーディオリサーチ SP-3 + Dual75
 かつてマランツ社で真空管アンプを設計してたっていう技術スタッフが集まって興したのがこのメーカー。だからトランジスタ・アンプ万能の今日、その栄光と誇りはますます燃えさかり、このどでかいアンプを作らなければならなくなったのだろうか。なにしろ75/75ワットという実効出力にも拘らず、200ワットクラスの石のアンプとくらべても一歩もひけをとらず、それどころかサウンドの密度の濃さは、どうやら石のアンプでは比すべくもない、と溜息をつかせる。

SAE Mark 1M + IV C
 ロス周辺の新興エレクトロニクス・メーカーと初め軽く受けとっていたが、どうしてどうしてこの4年の中に、オーディオ界ではもっとも成功を収めたアンプ・メーカーだ。それだけに製品の完成度の高さと漉さは、抜群だ。プリIMと接続した状態で端正で品のよいサウンド。数あるトランジスタ製品中ベストの音色をはっきりと知らせたあたり、実力のほどをもう一度思い知らされろ。個性的でスッキリしたデザインはサウンドにも感じられる。

Lo-D HMA-2000
 やっぱり日本産業界切っての大物「日立」、やることが違う。というのがこのアンプのすべてだ。果しなくパワーを上げていくと、遂に突如、ひどくなまってくるのに慣らされた耳に、このアンプは不思議なくらい底知れずのパワー感がある。つまり音が冴えなくなる、という限界がないのだ。それはテクニクスに似てもっと耳あたりのよいサウンドの質そのもののせいといえる。日立のオーディオ界における新らたる実力だ。

フェイズリニア 700B
 そっけないくらいの実用的ハイパワー・アンプ。350/350ワットで700ドル台、日本でも40万円台と類のないハイCPのスーパー・アンプだ。今度バネルレイアウトを一新して、マランツ500そっくりのレベルメーターを配し、左右の把手のゴージャスな巨大さは、700ワットという巨人ぶりを外観にのぞかせたグッドデザイン。音はそっけないはどさっぱり、すっきりしているが、底ぬけのハイパワーぶりは低音の迫力にいやおうなしに感じられる。

マランツ Model 500
 今日マランツ社には創始者のMr.ソウル・マランツはいない。しかし、マランツのソウルは今もなおマランツの全製品に息吹いている。それをはっきりしたサウンドだけで聴くものに説得してくれるのが、モデル500だ。250/250ワットのアンプながら、それはもっと底知れぬ力を感じさせるし、モデル15直系の、音楽的な中声域の充実された華麗なサウンドはちょっと例がない。しかも現代のアンプにふさわしい豪華さを具え、この上なく超広帯域だ。

ダイナコ Stereo400
 なにしろ安い。アチラで600ドル、日本でも30万円で200/200ワットのジャンボぶり。すでに普及価格の高級アンプで定評あるダイナコの製品だけに前評判も高く、それらの期待に充分応じてくれる性能とサウンド。高音域のおとなしい感じもいわゆるウォーム・トーン(暖かい音質)というダイナコ伝統のマニア好み。うるさいヒトほど惚れ込んでしまう、うまい音だ。ボリュームを上げて行くと、分厚い低音の確かさにも一度惚れ直す。

ダイヤトーン DA-P100 + DA-A100
 ダイヤトーンのプリアンプの端正なたたずまいは、なにかマランツをうんと品よくしたといいたくなるような優雅さをただよわす。管球アンプを思わすパワー・アンプのゴツイ形態は、いかにもパワー・アンプだ。それはひとつの目的、エネルギー増幅の実体をそのまま形に表わした、とでもいえようか。このコンビネーションのサウンドはまた実に品のよいサウンドで、いかなるスピーカーをもこの上なく朗々と鳴らす。まさに、アンプはスピーカーを鳴らすためにある、ということをもう一度教えてくれるアンプといえそうだ。
 100/100ワットと今や、やや小ぶりながらひとまわり上のパワーのアンプとくらべても聴き劣りしないのは充実した中声域にあるのか、あるいはその構成の無理なく単純化された回路にあるのか。あまりワイド・レンジを意識させないのに、深々と豊かな低域、すき透るように冴えた高域、なぜか手放せなくなるサウンドだ。

パイオニア Exclusive C3 + Exclusive M3
 ズラリ並んだ国産アンプ中、スッキリとした仕上げ、にじみ出てくる豪華な高級感、加えて優雅な品の良さ。やはりパイオニアの看板製品にふさわしく、もっとも優れたデザインといえる。
 このデザインは、サウンドにもはっきりと出て、品の良さと底知れぬ迫力とを同時に味わせてくれろ。やや繊細な音のひとつぷひとつぶながら全体にはゆったりとしたサウンドはこうした超高級アンプならではで、さらに加えて「パイオニア」らしいともいえようか。このM3にさらにAクラス動作50W+50WのアンプM4が加えられるという。A級アンプというところに期待と限りない魅力を感じさせる。待ち遠しい。

アムクロン DC-300A
 ギラギラした独特のヘアライン仕上げのパネルは、いかにも米国製高級趣味といえようか。でもこのアンプの実力は、その製品名の示す通り、ラボラトリ・ユースにあり、直流から数100万ヘルツという超広帯域ぶり。ガッチリと引き締って、この上なく冷徹なサウンドが、なまじっかの妥協を許さない性能を示していも。米国でのハイパワー化のトリガーともなったこのDC300、今日でもずばぬけた実力で、マニアならマニアほど欲しくなりそう。

マッキントッシュ MC2300
 ここでとやかくいうまい。SJ試聴室のスタンダード・アンプというより今やあらゆるアンプがハイパワー・アンプとしての最終目標とするのがこの2300なのだから。サウンドの管球的なのもつきつめれば、出力トランスにあり、このアンプのあらゆる特長となっているサウンドに対する賛否もここに集約されるが、誰もが説得させられてしまう性能とサウンドに正面切ってケチをつけるやつはいまい。

サンスイ AU-9500
 黒くてデッカクて、やけに重いアンプ。山水の9500は75・75ワットっていうけれど、どうしてどうして、100/100ワットのアンプと互角以上にその力強い馬力をいや応なしに確かめさせてくれる。,
 ECMのすざましいばかりのドラムは、このアンプの13万なんぼというのが信じられないはどに力いっぱい響いてくれる。SJオーディオ編集者のすべてが認めるこのジャズ向き実力はハイパワ一時代、まだまだ当分ゆるぎそうもない。

テクニクス SU-10000 + SE-10000
 以前、SJ試聴室での試聴では保護回路の敏感すぎから、実力を知るに到らなかった10000番シリーズ、今宵はガッチリとたんのうさせてもらった。さすが……である。
 なんとも高品質な迫力と、分解能の良さに改めて10000番の良さを確めた。一式95万と高価なのだからあたりまえといえなくもないが、金にあかして揃えられるマニアなら、やはり手元にぜひおきたくなるだろう。物足りないくらいの自然さは最終的なレベルといえるだろう。

スタックス
 A級150/150ワットというそのメリットよりもスタックスの製品というところにこのアンプの意義も意味も、また魅力も、すべてがある。世界でもっとも早くからスタテック・イクイプメントコンデンサー・カートリッジ、コンデンサー・・スピーカーをファンに提供し続けてきたスタックス。数々の幻の名器を生んできたメーカーの志向がアンプの特長の根底にずっしりとある。サウンドは、それこそまさにコンデンサースピーカーのそれだ。加えてローエンドの底なしの力強さに惹き込まれて時間の経つのも忘れさせるワンダフルな機器だ。(発売時期末定)

ラックス CL350 + M-150
 309のパワーアンプを独立させたのがM150。75/75ワットというパワーもそれを物語る。アンプの高級ファンをガッチリと把握している企画と音作りのうまさはM150でもっとも端的にはっきりと現われている。しぶいが落ちついた品のよいその外観と音。加えてソフトながらいかにも広帯域をと力強さにも感じさせるサウンド。物足りないといわれるかも知れないが、しかし飽きのこない親しさもまた大きな魅力なのだ。

ESS/BOSE
 日本にはこれから入ってくるだろうと予想される話題のスーパー・アンプ2種。ハイル・ドライバーで一躍注目されてるESSのモデル500。みるからどでかくゴツい力強さを外にまでみなぎらせて、早く聴きたいアンプだ。
 もうひとつはペンダゴン型ボックスのスピーカーで有名なボーズのアンプだ。これは品のよいスマートな個性で粧おいをされた豪華大型。インテグラル・システム100/100ワットで200ドルと安いのが早くも出てきおったぞ。

アキュフェーズ C-200 + P-300
 国内製品では実力ナンバーワンを目されているのが、ケンソニックのP300だ。このところ目白押しの国内ハイパワー・アンプ。なんてったって世界市場を意識して企画され、価格を設定されたというところにこのケンソニックのすべての製品の特長と意義がある。つまりケンソニックのアンプは実力を世界に問うた姿勢で作られているわけで、逆にいえば世界のマニアに誇れる高性能を内に秘めてもってことになる。
 事実、このアンプをマッキンと較べ、マランツと比べても、一長一短、ブラインドで聴かせれば、どちらに軍配が上がるか率は半々。透明度の高さ、中域の緻密さにおいて特にすぐれ、高域の明るさと、低域の豊かさにおいて聴く者を魅了してしまう。
 プリアンプC200のこの上なくナチュラルな音に、P300の良さはますます高められて国産ハイパワー・アンプの大いなる誇りを持つものにじっくりと味わしてくれる。
 かくいうこのオレも、P300、C200のスイッチを入れない日はなく、メイン・システム、ハークネスはP300のスピーカー端子にガッチリと固定され、ひんばんに変っていたアンプが変わる気配もない。

オルトフォン SL15E MKII

岩崎千明

スイングジャーナル 5月号(1974年4月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 CD4用のカートリッジとして、海外製品がこのところ続々と名乗りを上げている。いち早く製品を市場に送ったピッカリングを始め、ADCや西独のエラックなどもその製品の出るのは時間の問題だが、その中でも日本のオーディオ・ファンの間で、もっとも注目されたのはオルトフォンのCD4用のカートリッジSL15Qである。デンマークのオルトフォンというよりも、世界市場でもっとも高品質を誇るカートリッジ・メーカーとしてのオルトフォンであり、かつては業務用のディスク・カッターから再生機器の専門メーカーとして日本においてすら伝鋭的に語られている名門中の名門、それがオルトフォンであり、この方面では今日も全ヨーロッパに業務用機器を提供しつづける確固たる業績を誇る専門メーカーである。オルトフォンのCD4用カートリッジが、かくも注目され話題となったのは、それが他に例のないMC(ムービング・マグネット)型の故である。4チャンネルの前後分離のための前後差信号成分は、CD4方式において他の信号とまったく独立した形で、35、000ヘルツという超音波信号にFM変調の形で乗せられているのだ。デイスクの中からこの35、000ヘルツという気の遠くなるような超振動をとり出すために、カートリッジの針先は極端にミニチュアライズされなければならず、ダイヤ・チップをつけたカンチレバーは、従来よりひとまわりも、ふたまわりも小さくされなければならない。それをカンチレバー基部にコイルが着装されているMC型において実現することは、とうてい考えもよらぬことであったのに、さすがオルトフォン。SPU以来のコイル型カートリッジのクラフツマン・シップを発揮してSL15Qという形で製品化してしまったわけだ。CD4の開発者である日本ビクターの4チャンネル担当技術者さえ賞賛した傑作を、4チャンネル時代の擡頭期たる今日、いち早く完成してしまったわけである。他のあらゆるCD4用カートリッジがすべてMM型であるのに、オルトフォンはMC型として。
 以上は前置き。お話の本題はこれからだ。オールド・ファンにとって、スピーカーが変り、アンプが同じ真空管ながらよりハイパワ一に替えられたとしても、絶対に変わりないのがオルトフォンSPUカートリッジだ。ステレオ初期において決定的といえる勝利を収めたオルトフォンが、米国市場においてシュアに質的な意味でなく、たとえ量的な意味にしろ優位を奪われたのは、軽針圧動作という時代の要求によるものだったのだろう。歴史に残る傑作SPUを軽針圧したのがS15であり、さらにSL15に改良されて完璧といい得る軽針圧MC型は完成された。SPUのそれよりも半分の軽い針圧のもとではるかに広い再生帯域がSL15によって成し遂げられたのであった。しかし、SL15Q、4チャンネル・カートリッジの技術がSL15の姿をこのままですませて置くことにメーカーとしての責任をオルトフォンは意識したのに違いあるまい。
 SL15MKIIがSL15Qの発表された昨11月から半年目にデビューしたのである。SL15Qの出現を予想した時よりもごく当然のように、それはSL15Qのクオリティーをそのままステレオ用に移植したとでもいいたくなる成果をはっきりと示しながらのデビューだ。シュアv l15typeIIIになって中声域にMC型に匹敵する格段の充実をみせながらも、実は本質的にあのコアーとコイルの構造では量産上CD4への足がかりすら掴めないとも受けとれるのに対し、オルトフォンはCD4用を完成したあとで、その技術によりMKIIをものにしたのはさすが世界に冠たる名門ぶりといえてもよかろう。音色上SL15MKIIはSL15よりもさらに超ワイドレンジを感じさせる。果しなく高域のハイエンドが延び切ったという感じだ。しかも中域のピアニシモの繊細感は、多くの国産MM型カートリッジのそれに似て、より緻密で粒立ちの良いサウンドエレメントがビッシリと詰め込まれたといえようか。低域での豊かなひろがりに加えて、引き締った冴えたタッチは、従来のSPUの重厚な響きは薄れたとしても、それに優るローエンドの拡大を如実に示している。

アキュフェーズ C-200 + P-300

岩崎千明

スイングジャーナル 4月号(1974年3月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 ケンソニックP-300が我家で鳴り出してから、すでに数週間になるが、音といい、外観といい、その風格たるやそこに居並ぶ数多いアンプと隔然たる違いをみせて、いままでにないサウンド・スペースを創り出している。
 まず、従来の国産品のイメージを打破って、国際級のオーディオ製品を作り出したケンソニックに、なにはともあれ拍手を送ろう。この数年、国産オーディオ製品の質的向上が著しく進んで、誰しもが世界市場における日本製品の品質の高さは認めるこの頃である。しかし(ここに又しても「しかし」が入る)日本製品の高品質は、その価格にくらべてという前置きが必らず入るのである。「この価格ランクの製品においては」最高なのである。このクラスという前置なしの、最高級では決してなかった。高いレベルのオーディオ・マニアを十分満足するようなそういう真の意味での高級オーディオ製品は高品質の高級品の多い日本製にも残念ながらない。いや、いままではなかった。
 口惜しくも、また残念であったこの日本製オーディオ製品の現状を過去形にしてしまったのが、とりもなおさず今回のケンソニックの新製品なのである。
 ケンソニックの新製品、パワー・アンプP-300およびプリ・アンプC-200は、それ自体きわめて優れた製品であることは間違いないがその示す優秀さというよりも、この製品が市場に送り出されたことの真の意味、その価値は、日本製品の立場を世界のトップ・ランクに引き上げというただこのひとつの点にあるといえる。価格23万円なりのパワー・アンプP-300、C-200は16万5千円と、ともに従来の国産品の水準から見るとかなり高い。かなり高いこの価格以上のものが、かつてないわけではなく、テクニクスのプリ・アンプ、パワー・アンプの超高級製品10000番シリーズの45万円、50万円合せて95万円という製品がケンソニックに先立つこと1年余りで存在しているが、あまり私も含めマニアでも身近に接する機会が少くないような気もする。しかし、ケンソニックの場合は、企画段階から海外市場をも強く意識したプラニングがされ、諸仕様が作られた上、海外への前宣伝までもすでに手を打たれたと聞く。いまこうして実際に製品を手にしても、前宣伝のごとく商品として、価値の高さを、確かさをケンソニック新製品にみるのである。
 ケンソニックの優秀性は、まずなによりも単なる日本市場ということではなしに、こうした世界市場を意識した上での、つまり世界の超高級製品を相手とした上での高級アンプとして企画した製品という点にあるといえよう。これはとりもなおさず、世界の一流品と肩を並べることを意識した製品であり、こういう姿勢から作られたオーディオ製品は少なくとも日本ではケンソニック以前にはない。
 その自負とプライドとがまず製品のデザインにはっきりとうかがえる。なんのてらいもハッタリもないきわめてオーソドックなパネルながら、そのパネル表面とツマミの仕上の中に豪華さというにいわれる格調高さとが浸みでている。ハッタリがないだけに、それはとり立てる特長もないが、かたわらにおいて接すると、その良さ、持つことの満足感がしみじみと感じられる、という類いの風格だ。
 ハイ・パワーの高級アンプに求めるもの、それに対して期待するものはいかなるものにも増してこうした「満足感」であろう。今までの国産品では一流の海外高級品と肩を並べるだけのこの種の満足感、それをそばに置くだけで、それを自分のものにするだけでかもし出されるこうした満足感を備えている製品はかつてなかったのである。もう1つオーディオにおいて最も技術進歩が著しい分野がアンプであろう。トランジスタの開発、それに伴う回路技術が追いかけっこで日進月歩。新しい素子の開発によってきのうの新製品が数ヶ月を経ずして魅力が薄らぎ始める。それがアンプの持つ1つの宿命である。高級品においては、それだけ挑戦に耐える絶対的なものが備わっていなければならない。
「満足感」という言葉はケンソニックの大きな特長としてはじめから標榜している言葉だが、それはサウンドにおいてもっとも感じられるであろう。ゆったりと落ちついて力をみせずに、しかし、ここぞというとき底知れぬパワーを発揮する、という感じの響き方だ。なんの不安もなく、まったく信頼しきってスイッチを入れボリュームを上げられるアンプ、これがケンソニックのP-300でありC-200である。
 P-300の音は、ひと口でいうと静かなときは静かだが、いったん音が出はじめると、これはもう底知れずに力強いという感じだ。底知れぬといういい方のアンプはサンスイのAU-9500で味わって以来のものだが、ケンソニックの場合は、もっと素直なおとなしさを感じさせ、力のこもった芯の強さを知らされる。ちょっと聴くと明るい輝きと受けとれるが、実は、これは立上りのすばらしく良いことに起因するハイ・パワー独特のサウンドで、音色はどちらかというとマッキントッシュのトランジスタ・アンプと共通の、ずっしりと落ちついたサウンドだ。
 このパワー・アンプに配するプリ・アンプC-200は、これまたソフトなくらいに暖かみを感じさせるサウンドが最近のトランジスタ・アンプになれた耳には真空管プリ・アンプと共通の良さと知らされる。つまりそれはケンソニックのセパレート・アンプと同傾向の迫力と輝きとを兼ねそなえているので、これを生かすことが上手な使い方といえよう。となると、真にハイクオリティーの高級オーディオ製品ならなんでもよいといえよう。
 そこでまず第1に考えられるのは、過去の管球アンプ用として作られた最高のスピーカー・システムとカートリッジであろう。現実に我家でP-300を接いだことによってこの数年来のメイン・システムJBLハークネスは輝きと迫力とを格段と増したことを報告しよう。つまりP-300が我家の目下主力アンプとなって存在するわけだ。しかしまた優れたアンプが常にそうであるように、バスレフ構造のベロナに組入れたD130+075もいままでにない信じられないほどに朗々と鳴響いたし、なんと12年前に作られたAR2もいままでにないくらいに素直な張りをもった鳴り方でいまさらながらびっくりした。こうしたことを身をもって試したあとでスピーカーとして数多いなかから、ただ1つを選び出そうというのは所詮無理とは思いつつ厳しく選んだのが次のシステムだ。
 JBLはプロ・シリーズのバックロード・ホーンの4530、ユニットはいわずと知れたD130(又は130Aウーファーでもよいが)ネットワークはプロ用3115といわず一般用のルX5を用いてホーンは375ユニット・プラス509/500のホーン・プラス・デュフユーザー。つまり2ウェイのシステムだ。もしバックロード・ホーンがなければ自作でもよい。いや、平面バッフルだって、それなりのバックロード・ホーンにない低域から中域にかけて立上りの良さが抜群だ。
 もし、高域ののびにせっかくの市費-200+P-300の特長がうすれるというのなら1μFのコンデンサーを通してのみで075をつないだ3ウェイもよかろう。カートリッジにはオルトフォンSPU-GT。もしMM型がよいのならM15Eスーパーこそ絶対だ。

ガラード Zero100

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 トラッキング・エラー補正メカニズムという、理想に大きく近づいた形を、ほぼ完全な状態で取り入れたアームを着装している点で、ガラード・ZERO100は、単に画期的な、というありきたりの冠詞では言いつくせない、品質評価され得ない、真の高品質といい得る高級オートチェンジャーである。
 それは、かつてLP出現期からステレオ初期に至る10数年間、全世界を席巻した唯一無二のオートマチック・チェンジャーであったガラードの「誇りとのれん」に示したとっておきともいえるオートチェンジャー・メカニズムの具現化商品であり、それだけにこのZERO100に賭けた老舗・ガラードの意気ごみは熱くたくましい。
 しかし、である、残念なことに、これだけの理想形ともいえるほどのアームをそなえているにもかかわらず商品としてZERO100は成功をおさめたとはいい難いのではなかろうか。
 れそはなぜか。ZERO100を手許に引き寄せ、そのスタート・スイッチを入れてみれば、誰しも大よその判断を得よう。ガラード・ZERO100のオートマチックメカニズムは、まったく従来のガラードのオートチェンジャーのメカニズムを踏襲したものであることを知るだろう。
 今や、西ドイツからデュアルという強敵をむかえる現事態を、真向からむかい合うのではなく、その存在を外しかわして、自らの技術の伝統を少しも改めようとしない頑強な英国特有のブルドック魂ともいえる精神がそこにみられる。
 オートチェンジャーは、その内側をのぞけば判るように、こまかいパーツが精密に入り組んで、容易なことで変更、改良がきかいないのは、周知の事実であり、その為に商品サイクルがマニュアルプレーヤーよりも長くなる原因ともなっている訳だ。ガラードの場合、その自信あるメカニズムに自らの信頼をおき過ぎたのではないだろうか。10数年間、大きなメカニズムの変更なしに着実にチェンジャーを世に送り出した中で、ZERO100は作られた。外観はモダンにメカニズムの枠として生れ変っているが、内側は、かつてのベストセラーだった75、85さらに95とほとんど同じチェンジャーメカニズムをもっている。
 アームの上下、および、水平運動、レコードの落下などの動作がすばやく、不安を感じさせないだろうか。
 オートチェンジャーというパートに、マニアが求めるのは、やはりオートチェンジャーとしての不安を除いてくれるような完璧な動作なのではないだろうか。
 ZERO100に採用されたトーンアームは、冒頭に述べたようにトラッキングエラー、アンチスケーティングなどに対する補正が、理想的につきつめられている。スタティックバランス型の角型パイプアームに平行したリンクアームにより、ヘッドシェルのオフセット角を変化させ、トラッキングエラーを常時ゼロに保つその設計意図は充分うなずけるし、マグネットを使ったアンチスケーティング機構も効果は大きい。
 しかし、それはいくつかの理由によって過小評価をまぬがれない。
 例えばアーム基部のアクリル枠だ。アクリルという安っぽさは、あるいはデザインによって克服され得るかもしれないが、ZERO100のせっかくのトラッキングエラー・レスというその大きな特長をアクリルという材料によって一見した印象で安っぽくしてしまう。少なくとも日本のマニアは、そうみるに違いない。
 最後にZERO100の最大の難点はレコードのサポートメカニズムとレコード落下時のレコードの踊りである。
 わずかな、とタカをくくってはならぬ。ガラードのチェンジャーが西ドイツ製チェンジャーに押され、BSRにさえ追い越されようとする最大の原因は、このたったひとつの点にかかっているのだから。

デュアル 1229

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 デュアルのチェンジャーという呼び方をしなくても、独乙製というだけでそれが代名詞となるほどに、世界の高級ファンの間で親しまれてきた。12年前から急激にその地位を強めて、それまでの王座を誇っていたガラードの座にとって変って、全世界の市場で少なくとも独立したプレーヤーとして最強のシェアを培ってきたのは、その特有のメカニズムにある。それはガラードと違ってセンタースピンドルのみでレコードを受け、一枚ずつ落として演奏する、というメカニズムにある。今でこそ、それは当り前であるが、それまでのチェンジャーにはつきものであった、レコードを重ねのせた上におさえレバーをのせるという方式から脱却した、ただ一つの操作を最初になし遂げ、デュアルの地位を今日のものに築き上げる直接的なきっかけになっている。
 この6年来、デュアルは軽針圧カートリッジのためのチェンジャーメカニズムに力をそそぎ今や他社のごく少数のチェンジャーを除いて、デュアルのいかなる製品にも匹敵するものはない。
 昨年は同じ西ドイツの同業メーカーPE(パプチューム・エブナー)社を傘下に包含して、ますます量産体制を確立し全世界を市場にこの分野で限り知れぬ強みを発揮し、日本に続いてDDモーターを自社生産するなど、その実力はまさに世界にさきがけるチェンジャーメーカーといえよう。
 1229はデュアルの最高級機種であるが、ストロボがついた最新型1229の前身は1219であり、さらに30cm・ターンテーブルになる前の27cmの1019にさかのぼると、デュアルというより西独製プレーヤーとしての典型的パターンがここにある。
 視覚的デザイン的に、ターンテーブルギリギリのモーターボードに、やや太いストレートアームというその形は、ステレオディスクプレーヤーの原典たるノイマンのカッター付属を思わせるモニター用のディスクプレーヤーを思わせる。
 この一見武骨ながら比類ない確実さをもって、そっ気ないくらいに着実な的確さで操作をしてくれる点が、デュアルの人気は華々しくはないが、根強く着々と全世界に普及させた理由だ。
 こうしたデュアルのもうひとつの偉大な特長は、ハウリングに強いという点だ。
 かつてある雑誌の読者から、「スピーカーの上にプレーヤーを載せるとは何事ぞ」と掲載された写真を指摘されたことがあるが、私のDKには数年来、バックロードホーンのシステムの上にデュアルの古い1019が載せてあり、それは日本のファンの常識を超えて、フルボリュウムでもハウリングの気配すらない。
 アームが細く長くスマートになった1229では、1019ほどではないが、3点のスプリングによってサポートされた全体は、重量とスプリングの遮断共振点を選んであるためか、ハウリングには驚くほど強く、その点でデュアルのかくたる技術力をしらされる。
 ターンテーブルの重量はなんと3・1kgと、マニュアルプレーヤーとして世界一というトーレンスのそれに匹敵する。手もとのスウェーデンで発行されたカタログによれば(王立研究所の測定結果として)デュアルの701DDターンテーブルつきとほぼ同じSN、ワウフラッターの優秀な数字が掲げられ、それはトーレンス125に優るとはいえ、劣ることはない。
 演奏スタートから音溝に針が入るまでは、33回転のとき12秒と遅いほうではなく、それも無駄のない動きがなせるわざだろう。
 よくいわれるように、センタースピンドルからレコードが一枚ずつ落ちる場合に、レコード穴がひろがるとか、落ちるショックでお富み俗が傷むとかの説は、デュアルを使ったことがないためにでてくる言葉で、外径7mmストレートのスピンドルにそって落ちる速さはほどよく抑えられながら、きわめてスムーズでストッときまる感じだ。

BSR 810X

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 BSRはオートチェンジャーの専門メーカーとして、ガラードと並び、世界でもっとも長いキャリアを誇りしかも現在では象徴的存在たるガラードを抜き去って、世界一の生産台数を謳い、5万の人員を擁して大規模な形態を整え、英国バーミンガムきっての企業である。
 その業績内容の優れた発展ぶりは、全英企業中にあってここ数年三位とは下ることなく、昨年は米国の音響メーカーとして意欲的なADCをも傘下に収めるという躍進は、凋落著しい英国企業中にあってひときわ目立ち輝く存在といえよう。
 かつての強力なライバルたるガラードを抜き去った底力はといえば、それはやはりオートチェンジャーのメカニズムに対する意欲的な技術と開発力そのものにあったのである。
 その優れた技術と、ハイファイ製品特有の企画性のうまさを端的に示しているのが、製品中の最高機種たる810Xである。
 全体はメカニックな端正な直線と、黒の艶消しの品の良い豪華さを強調した仕上げでまとめられ、まったくいや味なく高級感を品良くかもし出して、しかも堂々たる風格すらにじむ完成度の高いデザインだ。
 全体にかなり大きい感じを受けるものは、その長くスラリと横たわるアームのせいだろう。ヘアラインの磨き仕上げのストレートな角パイプアームは、実効長21・5cmと見た目だけでなく、全長も29・9cmとチェンジャーとしては長いものだ。
 さらにこのアームを視覚的に長く仕立てているのは、カウンター・バランス・ウェイトのスライド範囲が前後に長いためで、これは国産のサテン、オルトフォンSPUなどの自重の重いカートリッジから最近の軽いものまでを、自由に組み合わせることを意味する。
 グレースのアームでおなじみのメカで、ジャイロ機構とも呼ばれる上下左右ボールベアリングのジンバル支持マウントは、針圧調整をも内蔵して、マイクロギアーによって0gから4gまでを直読式で加圧でき、目盛は大きくみやすく実用上の狂いが少ない。このメカニズムがチェンジャー中でも、特に優れたBSRのアームのもっとも大きな特長ともいえるだろう。
 アンチ・スケーティング機構も内蔵され、より大きな力を要する楕円針の場合と丸針の場合との二重目盛になっていて、アーム基部にツマミを配置している。
 この810Xで特筆できるのは、なんといってもオートプレイの動作自体が高級プレーヤーたるにふさわしく、正確かつ優雅といえるほどにゆったりとスマートな物腰にある。
 長いアームの動作は、ひとつから次に移るくぎりの停止がピタリと決まっていて、少しも機械とかロボット的な感じを残していないことだろう。これは日本舞踏とかバレーの動作を思わすほどだ。
 それは全体の動作がゆっくりしている点にあるが、特にアームの上下の動きは独特のオイルによるもので、息をつめて操作しているという感じだ。
 だから、演奏のスタートから音溝に針先のすべり込むまでの時間はやや長いほうで、実測で18秒かかる。この悠々と、しかし正確きまわりない動作こそ、かつてのガラードに変り、BSRの高級機種たる810Xがコンシューマーレポートの最上位のひとつにランクされる理由となったのであろう。
 申し遅れたが、810Xは710と共に英国製では数少ないセンタースピンドルのみでレコード6枚を受け止める構造で、落下システムは直線的な細い外径6・6mmというスピンドル内に収められている。
 ただ演奏が終ってレコードを外そうとする時、スピンドルを外して行なうというのは、スピンドルを再び通すよりは素早くできるかもしれないが、そうではないのがわかっていながら、何かこわれないかというイメージをもたれるのではないか気になる。

現代のマジックボックス オートチェンジャー

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 本来なら、ここでは現在市販されている「オートチェンジャー」がいかに優れているかということをページの許す限り述べ尽くし、それらの最新型に関しては、なまじっかのマニュアル(手動式)つまり普通のプレーヤーよりも正確で細かな動作をしてくれる、ということについて高級マニアにも納得させるべきなのであろうが、あえてそういうことは避ける。
 なぜか。それは、フルオートプレーヤーと呼称を変えたりしているチェンジャーをいかに述べても、動作の細部をことこまかに納納得できるまで説明したところで、いくらでもそれらを非難し、受け入れることを頑強に拒否するきっかけや言いがかりを見つけ出すにきまっている。だからといって、現在のオーソドックスなディスクプレーヤーがどのくらいまで完全であるか、ガラードの最新型チェンジャー、「ゼロ100」のそれにすら理屈の上では大方の市販品が劣るのである。
 レコードが傷むのではないか、という器具がオートチェンジャーを拒む最大の理由の最たるものだが、それではオートチェンジャーでなければレコードは決して傷つくことなく完全を保証されるか、というとこれまた必ずしもそうとは限らない。その点のみについていえば、レコード扱う者自体のテクニックとそれ以上に、「レコードそのものをいかに意識しているか」という点にこそかかってくる。レコード即ミュージシャンの心、と断じて、決しておろそかに扱えないという音楽ファンのあり方は、大いに賞賛されるべきだし、また、その域にまで達すればチェンジャーの価値をオーディオファンとしての立場を含めて、必ずや的確に判断してくれるに相違あるまい。つまりチェンジャーの説明は少しもいらない。
 けれど、世の中さまざま、あらゆるものがすべてヴァラエティに富む現代、再生音楽そのものも広範囲に拡大しつつあるし、またその聴き方もきわめて多様化している。しかし、だからといって聴き方それ自体がいい加減になるというわけでは決してない。それどころか、自らの生活環境が、ますます広げられるにしたがい、寸時も惜しんで音楽にどっぷりとつかっていたいと乞い願うのが、音楽をいささかたりとも傷つけ、軽んじ、強いては内的に遠ざけるということに果してなるであろうか。日常の寸暇も惜しんであらゆる生活タイムに音楽をはべらすという生活。これが果して、夜のしじまのありるのを見定め、あらゆる日常の煩雑を遮断して心身を改め清めて音楽に接するというのに劣り、音楽を冒瀆しその接し方そのものが軽率であるというであろうか、断じて否である。
 かくて、音楽を片時たりとも手離すのは忍びないという願う熱烈な、いや浸りきりたいという、おそらくもっとも正常なる音楽ファンにとって、レコードをまったくを手をわずらわすことなく的確に正確に演奏してくれるというプレーヤーは、再生音楽ファンに必要な、再生テクニックの点から理想的といってもよく、オーディオメカニズムに対する初心者もしくは未熟者にとって、あるいは日常を仕事雑事で忙殺される社会の多くの人びとにとって、それはまさに「福音」以外の何ものでもないと言いきってはばからない。
 つまり、再生音楽を純粋に「音楽」そのものの形で、日常生活の中に融けこませるべき現代のマジックボックス、それがオートチェンジャーなのである。
 マジックは、それを目の当りに接し、その不思議な魔的な力を体験したものでなければ納得もしないし、認めることもできまい。しかし、それが虚妄のものでなくて確かな存在として、ひとたびその先例を受けるや、魔力はその者の観念を根底からくつがえしてしまうに違いない。
 魔法の例えは話を無形のものに変えて、本筋を不確かなものとしてしまうと思われよう。
 だが、現実にオートチェンジャーの新型製品は、間違いなく同価格のオーソドックスなプレーヤーより、多くの若いファンにとって、より確実に正確にレコードの演奏をしてくれるマジックボックスとして存在するのだ。
 若いファン、という言葉がもし気になるならば、「新しい技術や商品を認めるのに否定的でない」と言い直してもよい。
 なぜなら、オートチェンジャーはレコードプレーヤーの革命だからであるし、それを革命として認めるか否か、この点こそがオートチェンジャーのすべてを認めることといえるからだ。

 私自身の話をするのは説得力の点で大いにマイナスなのだが、オートチェンジャーを以前から長く愛用している一ファンという形で話そう。
 米国市場において、デュアルが大成功を収めるきっかけを築いたのが1019だが、その製品を米国将校の家庭でスコットのアンプやAR2aと共にみかけて、手を尽くして入手したのは9年ほど前だ。「朝起きぬけに、寝ぼけまなこでLPを楽しめる」というその年老いた空軍准将は、まさにチェンジャーの扱いやすさをズバリ表現していた。次の一枚との合い間の12秒間は、違った演奏者の音楽を続けて聴くときに貴重だ、ともいった。眼鏡なしではレーベルを読むのに苦労するという初老の彼にとって、LPを傷めることなしに1・2gの針圧でADCポイント4を音溝に乗せるのにはデュアル1019以外ないのであった。
 当時すでにハイCPのARXというベストセラーがあり、もっと高級なプレーヤーがエンパイア、トーレンスなどであるのだが、オーディオキャリアも長い彼にとっては、今やデュアルに優るものはないのだろう。
 オートチェンジャーはこわれやすいのではないだろうか、という点を気にする方がいるが、こわれやすいというよりも扱い方、操作の上での誤りが理由で、その動作がずれ、たとえばスタート点が正しい点より、わずかに内側になってしまったとか、終り溝まで達しないうちにアームが離れるとかいう原因となることがある。
 そうした狂いのもとはといえば、捜査のミス、というより最初のスタートの数秒が待ちきれずに、つい、アームに指をかけて無理な力を加えてしまうことにある。カートリッジ針先が音溝に入るまでのチェンジャーは、オーソドックス・プレーヤーと違ってスイッチを入れるやいなや表面は動かないでいても、そのターンテーブルの下では、アームの動作のためのメカが説密動作を開始している。音溝に針先の降りる十数秒間、この間はじっと待つことが必要であるし、それがチェンジャーを正しく使うために必要な知識であり、かつテクニックのすべてだ。
 この演奏開始までの十数秒間、これは、またチェンジャーのみに与えられたレコードファンの黄金の寸暇という説は、冒頭にも述べたが、本誌別冊の475頁に、黒田氏も触れて、それをこの上なく讃えておられるではないか。
 9年目の私の1019は実は三日前にアイドラーの軸中心に初めてオイルをたらした。アームの帰り動作中、しばしばキリキリと音を出し始めたからだが、注油後それすらなくなって、ターンテーブルがいくらかスタートが遅くなったような気がするだけだ。実際に使っては変らないのだが。
 さて、オートチェンジャーがいかに便利か、それによって初めて日常生活の中でハイファイ再生が、ごく容易になって、つまり特定の部屋で、特定の時間のみレコード音楽に接することから脱却する術を知って、私はさらに8年前からトーレンス224といういささか大げさな、しかしプロ仕様にも準ずるチェンジャーを、メインのシステムに加えた。さらにこれは、5年前から3年半、私のささやかなジャズファンの溜り場で、オーディオテクニックに通じるべき一人の省力化に役立って働いた。
 扱い者の不始末からロタート点での入力ONのクリックがひどくなって、オーバーホールするまでの3年間、生半可な人手よりはるかに正確に働き、その正確さはマニュアル動作の期間のほうが、レコードを傷めること、数十倍だったことからもわかる。トーレンス224う使ってそのあまりの良さに、手を尽しもう一台を予備用として入手したのだが、それが今はJBLシステムで、ひとりレコードを楽しむときの良きパッセンジャーとなっているのは、いうまでもない。ただ残念なことに224は、今トーレンスでも作っていない。
 オーディオ歴の長く、そしてしたたかなキャリアを持つベテランほど、加えて音楽を自らの時間すべてから片時も離さない音楽ファンであれば、彼のシステムのいずれかに必ずやオートチェンジャーが存在する。レコードの価値を、「量産されたるミュージシャンの魂」と理解するファンであれば、チェンジャーの存在は限りない可能性を日常生活の中に拓いてくれることを知ろう。
 最後にひとことだけ加えるならば、いかなるチェンジャーなりとも、現存するすべては「アームが音溝にすべり込んで、最後の音溝に乗るまではアームにわずかの操作力も加わることがない。その時のアームの動作状態は、マニュアルプレーヤーのアームの状態と、なんら変るものではない」ということを、チェンジャーヒステリー達ははっきり知るべきであろう。

フィデリティ・リサーチ FR-6E

岩崎千明

スイングジャーナル 2月号(1974年1月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 今年の国内オーディオ市場の大きな特長として、海外パーツの著しい進出と、定着とが挙げられるが、とりわけブックシェルフ型システムシステムを中心としたスピーカーの積極的な売り込みとその成功が大きく目立つ。
 そうした目につきやすいスピーカーのかげにかくれて、しかし、スピーカー以上に確かな地位をきずき固めつつあるのは海外カートリッジだ。
 従来も、高級品に関しては、国産品に対して十分な満足を満たされぬことが理由で、海外製品の中から選ばれせるというのがマニアの常識ですらあった。いわく、シュアーV15、いわくオルトフォンM15スーパー、いわくエンパイア、いわくADC等々であり、それをそなえているかどうか、そのいずれをそなえるか、さらにいくつそなえるかが、オーディオ・マニアのレベルの高さ、あるいはその志向する目標の高さ、さらにはそのマニア自体の質から誇りの崇高さないしは権威の水準までを示すものとして本人にも、まわりからもひとつの必需品とまでなっている。
 もし、当事者のうちにそんなばかなことが、といって拒否する筋金があったとしても、まわりはそうはさせず、海外製カートリッジの、それも高級品のいくつかが揃っていることで、そのマニアの質やレベルを判断してしまうのは、いつわりない状況だろう。かくいう私自身にしても、出入りする周囲のそうしたまなざしを迷惑ながらも、かなり気にせざるを得なくなって心ならず気に入らぬ海外製カートリッジの5〜6個を常用オルトフォンM15スーパーの他に揃えてはいる。苦々しく、いまわしいことだがそれが実情だ。
 所で、73年の海外カートリッジの進出は、こうした高級品群から、やや下まわった製品、価格水準にして、国内メーカーの作る高級品のランクの製品が数多く出まわっている点に注目しなければならぬ点がある。シュアー91シリーズに続き、ADCのQシリーズと名づけられた新シリーズ、さらにオルトフォンのMFシリーズのあとFFシリーズ、ピカリングとその同系のスタントン。ごく最近ではかつてのベスト・クォリティーの栄光の巻き返しをはかるグラドの普及価格品。
 そうした多くの海外製品は、たしかにトレースの安定差とサウンドの確かさ、豊かさとでもいえるうるおいにおいて、特性上はるかに優れているはずの国産品を脚もとにも寄せつけず、国産高級カートリッジの細身の音を、感覚的に上まわると誰にも思わせてしまう。
 この傾向は今年後半に入って登場した海外製品が市場に出るごとに確かめられた形となった。72年までは、国産カートリッジの優秀性が海外高級品のそれに肉迫し、あるいは追いつき追い越さんとしたところ、まったをかけられこの海外製新型の登場が73年に爆発的ともいえる形で始まったのである。
 シュアーV15タイプIIIにおけるMM型の電気特性の格段の飛躍は、そのほんの一例にすぎず、海外カートリッジ攻勢の氷山の一角にすぎない。その製品群の層は厚く、強固で堅い。国内メーカーはこの大きく立ちはだかる壁を乗り越えるべく努力を始めた。それは、乗り越えなければならないオーディオ業界の国際化の、大きな波なのだから。
 そうした時期に国内メーカーの中堅、FRが新型を発表したのである。
 FRはグレースとともに国内の高品質カートリッジの専門メーカーとして高い誇りと、キャリアと実績を持つ地味ながら確かな企業だ。小さいとはいえその技術力と開発力は、カートリッジ業界にあって特に注目すべき能力を内在し、メーカー発足以来いつの時代にあっても最高級カートリッジの製品を市場に送り、多くの高級マニアの支持を受けてきた。
 今回発表したFR6は、このメーカー独特の技術であるトロイダルコアーによるMM型の高品質カートリッジである。従来同種製品に新型を加えることのなかったこのメーカーには珍らしく、FR5から発展したMM型の高級製品で飛躍的なワイド・レンジと、高域セパレーションを獲得した高性能ぶりが注目できる。
 サウンドの面においても、国産カートリッジに共通な中域の繊細さに力強い芯を豊かさで包んだともいえる再生ぶりは、従来の国産品らしからぬ良さが国産品にもそなわってきたという点に注目すると共に拍手を惜しまぬものがある。
 高級カートリッジは決して海外製品の独壇場ではないことを知った貴重なワンステップであり、その基礎たる製品がFR6であろう。

ビクター JA-S5

岩崎千明

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ステレオ・コンポーネントに対するビクターの熱の入れ方は昨年頃より猛烈というべきほどの気迫と闘志をもってなされ、すでに市場に空前の人気と好評をもって迎えられたブックシェルフ型SX3を始め、数多くのプレイヤーがある。さらに「標準機なみ」と識者間でささやかれた高級アンプS9と、この一年間に矢つぎ早やに驚くほどの成果をあげて「さすが音のビクター」という声もこのところ当り前にさえなってきた。
 そしてS9のあとをうけて、兄貴分S7なみの高性能と認められたS5が市場に出てはや、3カ月を経た。
 S5は5万円台のいうなればもっとも需要層の厚い分野の商品だ。
 逆にいえば、この5万円台はよく売れるということになり、このクラスの市販商品は目白押しに数も多くあらゆるアンプのメーカーの狙う層なのだ。
 ライバル商品のもっとも群がるこのクラスにビクターのアンプ・セクションはふたたび全力投球で、S5を送ったのである。
「出力の大きさ自体はともかく、あらゆる性能に関してS9と同等。やや以前に出たこの上のS7をも、しのぐ」というのがビクターの開発部O氏のことばだ。
 このことばの裏にはS5の性能に対する自信とともにS7を捨ててもS5を売りつくして商品としても成功させなければという決意がはっきりと受け取られるのである。
 このことばが決してハッタリやコマーシャル・メッセージでないことはアンプを持っただけでも納得できよう。5万円台としてはもっとも重い重量はそのまま電源の強力なことを意味しトランジスタ・アンプにおいての電源の重要度はそれは技術を徹底的に極めたもののみが確め得るところであった。事実S5は近頃がらばかり大きくなるアンプの中にあって割に小さい方であるにもかかわらず、重くそのケースを開けるとあふれんばかりに部品がぎっしりつまっている。
 しかもそれは手際の悪いためではなくこの上なく合理化され、十分に検討し尽されている上に、なおやっと収まったというほどに中味が濃い。
 例えば、ビクターのアンプの特長でもある例のSEAコントロールと呼ばれる5または7ポジションのトーン・コントロールもS5では5ポジションながら丸型つまみでスペースは小さくともれっきとした本格派のものがついている。プリアンプはガッチリしたシールド・ケースによってプリント基板ごとすっぽりと遮へいされているが、驚ろいたことに入力切換スイッチがこのケースの内側のプリント基板に取付けられていて、長い延長シャフトによって前面パネルに出ているのだ。こうすることにより入力切換スイッチにいたる配線は、あらゆる入力端子からもわずか数センチですむことになりアンプ高性能のために重要な高域特性が格段と優れることになるわけだ。こうした高価な処置は、長いリード配線をやらなくてすむための工程の節約によってまかなったと開発者はいうが、これこそビクターの経験ある大規模な生産体制でなくては出来得ないだろう。
 しかし、この処置は結果としてその利益につながるが決して生産性を向上させるための処置ではない。いままでなおざりにせざるを得なかったプリアンプにおける高域位相特性の改善を目的としたものである点にS5の良さのよってきたるところを知るのである。
 イコライザー回路は厳選に厳選を重ねたつぶよりの素子を組合せ実にフラットな特性を得ている。さらに最大許容入力はピーク時で驚くなかれ700mV。このクラスのアンプのなかではまさに秀一。ガッと飛び出して来るジャズ・サウンドには、広大なダイナミック・レンジが必要だがこのアンプは・その要求を心にくいまでに満足させてくれる。そして4チャンネルはビクターのお家芸。このアンプには将来4チャンネルにシステム・アップした時マスター・ボリュームとして使えるよう超連動の4連ボリュームが装備されている。
 S5は間違いなく今後もベストセラーを続けるであろう。それは日本のオーディオ界の良識と高品質とを代表する製品として。

トーレンス TD125MKIIAB

岩崎千明

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 我家にはなぜかトーレンスのプレーヤーが4台ある。
 そしてもう1台はもっともふるくからわがリスニング・ルームの主役として活躍していたTD124IIだ。
 アイドラとベルトの2重ドライヴによる4kgのターンテーブルにアルミの2重ターンテーブル機構で、この軽量アルミのテーブルを浮かすことによりクイック・ストップのできるいかにもプロ用らしいメカニズムが気に入っていつも手元から手離せない。駆動源であるモーターの力をベルトによりアイードラーに伝え、それを介して重量級ターンテーブルを駆動するというメカニズムは類の少ないというよりトーレンスにあって始められた優れた機構であり、これにより、モーターの振動をおさえ高いSN比を得ることができ、高いトルクを保ったままでその高性能を得られる点、いかにも業務用機器を作って来たトーレンスならではのターンテーブルであり、TD124が全世界の高級マニアに常に愛用されトーレンス・ブランドを高級ファンの間に確固として固定した業績は誰も否定できまい。
 シンクロナス・モーターを用い電源周波数によって回転数の決る特有の性能を利用して、これに電燈線電源を接続するのではなく、新たに正確な電圧の周波数を保つ電源電圧をつくり出し、これによってシンクロナス・モーターを廻すという新しい理論にのっとったターンテーブル。それがTD125であった。
 この125のただひとつのウィーク・ポイントがモーターの回転数を変えるための、この電源の周波数切換えと速度徴調整の複雑さ等にある。これをより改良する目的でマークIIが誕生したとも言えよう。
 ターンテーブルはめったに買い換えがきかない点、誰しも同じで、一応気に入ったこの124はこの9年間主役を演じ、125が出たときも、それに置きかえることを拒んできた。
 新型125がいくらプロ用とはいえその構造が本来家庭用であるべき150と同じメカニズム、つまり2重ターンテーブルのベルト・ドライヴ機構である点とクイック・ストップのないことに不満が残ったからであった。しかし、今春のヨーロッパ紀行の経験はこうした単純な考え方を変えてしまった。
 ヨーロッパを歩きその各国のメーカーをまわり、スタジオを見、そしてディーラーのサーヴィス・セクションをのぞいた折、そのひとつとしてトーレンスTD125以外を使用しているところはないことを確かめたからである。
 もっとも信頼性の高い確実な高性能動作を常に保ってくれるというのがこのTD125に対する評価のすべてであった。
 しかし技術の進歩はターンテーブルのSNをさらに要求した。2年来、国産DDモーターがわが国のオーディオ・マニアの聞で急速にアピールしたのもその端的な表われであるし、DDモーターは国産にとどまらずデュアルからもオート・プレイヤーに着装されて商品化され日本にも入ってきた。
 世界最高と自他共に認めてきたトーレンスのターンテーブルはDD流行の波を受けてマークIIとしてマイナー・チェンジされ新たなるディーラー山水電気の手によって日本の市場に姿を呪わした。マークIlとなって電子制御回路を改め従来の複雑な回転速度調整を取り除くことにより一層の安定度と信頼性を獲得して確かさを一歩進め得たといえよう。
 ターンテーブルとアームを乗せた7kgのダイキャスト・ベースはモーターと電子制御回路を取りつけたメイン・シャーシーつまりプレイヤー・ケースからスプリングにより浮かせてモーターや外部からの振動・ショックに対して、またハウリングに強いトーレンスの特長をさらに高めより完全なものにし得たのである。
 こうした超重量級ターンテーブルにみられる立上りのおそい欠点もクラッチ機構により補い、このクラスではプロ仕様に指定されるに足るレベルにまで達し加えてベルトの僅かな伸びなども吸収してしまう工夫もなされている。さらに新たに設計されたアームは軽量針圧ながらダイナミック・バランス(スプリング加圧式)という理想的なものでオルトフォンなきあとの現在世界最高の軽針圧アームと断定してよかろう。

サンスイ SP-707J, SP-505J

岩崎千明

スイングジャーナル別冊「モダン・ジャズ読本 ’74」(1973年10月発行)
「SP707J/SP505J SYSTEM-UP教室」より

 ジェイムス・B・ランシングが1947年米国でハイファイ・スピーカーの専門メーカーとして独立し、いわゆるJBLジェイムス・B・ランシング・サウンド会社としてスタートした時、その主力製品としてデビューしたのが38センチ・フルレンジスピーカーの最高傑作といわれるD130です。
 さらに、D130を基に低音専用(ウーファー)としたのが130Aで、これと組合せるべく作った高音専用ユニットがLE175DLHです。
 つまり、D130こそJBLのスピーカーの基本となった、いうなればオリジナル中のオリジナル製品なのです。
 こうして20有余年経った今日でも、なおこのD130のけたはずれの優れた性能は多くのスピーカーの中でひときわ光に輝いて、ますます高い評価を得ています。今日のように電子技術が音楽演奏にまで参加することが定着してきて、その範囲が純音楽からジャズ、ポピュラーの広い領域にまたがるほどになりました。マイクや電子信号の組合せで創られる波形が音に変換されるとき、必ず、といってよいほどこのJBLのスピーカー、とくにD130が指定されます。つまり、他の楽器に互して演奏する時のスピーカーとしてこのD130を中心としたJBLスピーカーに優るものはないのです。
 それというのは、JBLのあらゆるスピーカーが、音楽を創り出す楽器のサウンドを、よく知り抜いて作られているからにほかなりません。JBLのクラフトマンシップは、長い年月の音響技術の積み重ねから生み出され、「音」を追究するために決して妥協を許さないのです。それは、非能率といわれるかもしれませんし、ぜいたく過ぎるのも確かです。しかし、本当に優れた「音」で音楽を再現するために、さらに優れた品質を得るためには、良いと確信したことを頑固に守り続ける現れでしよう。
 5.4kgのマグネット回路、アルミリボンによる10.2cm径のボイスコイルなど、その端的なあらわれがD130だといえます。
 あらゆるスピーカーユニットがそうですが、このD130もその優秀な真価を発揮するには十分に検討された箱、エンクロージャーが必要です。とくに重低音を、それも歯切れよく鳴らそうというとホーン・ロードのものが最高です。(72年まではJBLに、こうした38cmスピーカーのためのバックロード・ホーン型の箱が、非常に高価でしたが用意されていました。)
 そこで、JBL日本総代理店である山水がJBLに代ってバックロード・ホーンの箱を作り、D130を組込んでSP707Jが出来上ったのです。
 つまり、SP707JはD130の優れた力強い低音を、より以上の迫力で歯切れよく再生するための理想のシステムと断言できるのです。
 あらゆる音楽の、豊かな低域の厚さに加えて、中域音のこの上なく充実した再生ぶりが魅力です。
 刺激のない高音域はおとなしく、打楽器などの生々しい迫力を求めるときはアンプで高音を補うのがコツです。
 SP505JはJBLのスピーカー・ユニットとして、日本では有名なLE8T 20センチフルレンジ型の兄貴分であり先輩として存在するD123 30センチフルレンジを用いたシステムです。
 D123は30センチ型ですが、38センチ級に劣らぬ豊かな低音と、20センチ級にも優る高音の輝きがなによりも魅力です。つまり、D130よりもひとまわり小さいが、それにも負けないゆったりした低音、さらにD130以上に伸びた高域の優れたバランスで、単一スピーカーとして完成度の一段と高い製品なのです。
 D123のこうした優れた広帯域再生ぶりを十分生かして、家庭用高級スピーカー・システムとしてバスレフレックス型の箱に収め、完成したのがSP505Jです。
 ブックシェルフ型よりも大きいが、比較的小さなフロア型のこの箱はD123の最も優れた低音を十分に鳴らすように厳密に設計されて作られており、この大きさを信じられないぐらいにスケールの大きな低域を再生します。
 このSP505Jも、SP707Jも箱は北欧製樺桜材合板による手作りで、手を抜かない精密工作など、あらゆる意味で完全なエンクロージャーといえます。
 JBLスピーカー・ユニットの中で、フルレンジ用として最も優秀な性能と限りない音楽性とを併せ備えた名作がこのLE8T 20センチ・フルレンジ型です。
 この名作スピーカーを、理想的なブックシェルフ型の箱に収めたものがSP-LE8Tです。かって、米国においてJBLのオリジナルとして、ランサー33(現在廃止)という製品がありましたが、そのサランネットを組格子に変えた豪華型こそSP-LE8Tです。
 シングルスピーカーのためステレオの定位は他に類のないほど明確です。高級家庭用として、また小型モニター用として、これ以上手軽で優れたシステムはありません。

個性あるSP707J・505Jへのグレードアップ
より完璧なHi-Fiの世界を創るチャート例

075の追加
 D130と075の組合せはJBLの030システムとして指定されており、オリジナル2ウェイが出来上ります。ただオリジナルではN2400ネットワークにより、2500Hzをクロスオーバーとしますが、実際に試聴してみると、N7000による7000Hzクロスの方がバランスもよく、楽器の生々しいサウンドが得られます。シンバルの響きは、鮮明さを増すとともに、高域の指向性が抜群で、定位と音像の大きさも明確になります。さらに、高域の改善はそのまま中域から低域までも音の深みを加える好結果を生みます。

LE175DLHの追加
 D130と並びJBLの最高傑作であるこのLE175DLHの優秀性を組合せた2ウェイは、D130の中音から低音までをすっかり生き返らせて、現代的なパーカッシブ・サウンドをみなぎらせます。鮮烈、華麗にして、しかも品位の高い迫力をもって、あらゆる楽器のサウンドを再現します。
 オーケストラの楽器もガラスをちりばめたように、楽器のひとつひとつをくっきりと浮び出させるのです。空気のかすかなふるえから床の鳴りひびきまで、音楽の現場をそのまま再現する理想のシステムといえます。

LE85+HL91
 LE175DLHにくらべ、さらに音の緻密さが増し、音の粒のひとつひとつがよりくっきりと明確さを加えて浮んでくるようです。LE175DLHにくらべて価格の上で20%も上るのですがそれでも差は、音の上でも歴然です。
 もし、ゆとりさえあれば、ぜひこのLE85を狙うことを推めたいのです。LE175DLHでももはや理想に達するので、LE85となるとぜいたくの部類です。しかし、それでもなおこの高級な組合せのよさはオーディオの限りない可能性を知らされ、さらにそれを拡げたくなります。魅力の塊りです。

HL91
 D130単体のSP707Jはこのままではなく、最終的にぜひ以上のような高音ユニット3種のうちのどれかひとつを加えた2ウェイとして使うことを推めたいのです。2ウェイにグレードアップしてSP707Jの魅力の真価がわかる、といってよいでしよう。
 D130だけにくらべ、そのサウンドは一段と向上いたします。いや、一段とではなく、格段と、です。
 2ウェイになることによってSP707Jはまぎれもなく「世界最高のシステム」として完成するのです。

LE20を加える場合
 D123のみにくらべ俄然繊細感が加わり、クリアーな再生ぶりは2ウェイへの向上をはっきりと知らせてくれます。ソフトな品の良い迫力は、クラシックのチェンバロのタッチから弦のハーモニーまで、ニュアンス豊かに再現
します
 しかも、JBLサウンドの結集で、使う者の好みの音を自由に出して、ジャズの力強いソロも際立つ新鮮さで、みごとに再生します。全体によくバランスがとれ、改善された超高域の指向性特は音像の自然感をより生々しく伝えるのに大きくプラスしているのを知らされます。

075を加える場合
 LE20にくらべてはるかに高能率の075はネットワークのレベル調整を十分にしぼっておきませんと、高音だけ遊離して響き過ぎてしまいます。D123の深々とした低音にバランスするには高音は控え目に鳴らすべきです。
 ピアノとかシンバルなどの楽器のサウンドを真近かに聴くような再生は得意でも、弦のニュアンスに富んだ気品の高い響きは少々鳴りすぎるようです。

LE175DLHを加える
 LE175DLHも075も同じホーン型だが、指向性のより優れたLE175DLHの方がはるかに好ましい結果が得られ中音域の全てがくっきりと引き締って冴えた迫力を加えます。楽器のハーモニーの豊かさも一段と加わり、中音の厚さを増し、しかもさわやかに響きます。
 075のときよりもシンバルのプレゼンスはぐんと良くなって、余韻の響きまで、生々しさをプラスします。
 クロスオーバーが1500Hzだから、中音まで変るのは当り前だが、中音の立ち上りの良さとともにぐんと密度が充実して見違えるほどです。

D123をLE14Aに
 高音用を加えて2ウェイにしたあとさらに高級化を狙って、D123フルレンジを低音専用に換えるというのが、このシステムです。LE14Aはひとまわり大きく、低音の豊かな迫力は一段と増し、小型ながら数倍のパワーフルなシステムをて完成します。

プロ用の厳しい性能を居間に響かせる
新しい音響芸術の再生をめざすマニアへ

プロフェッショナル・シリーズについて
 いよいよJBLのプロ用シリーズが一般に山水から発売されます。プロ用は本来の業務用としてギャランティされる性能が厳しく定められており、コンシューマー用製品と相当製品を選んで使えば、超高級品として、とくに優れたシステムになります。
 例えばD130と2135、130Aと2220A、075と2405、LE175DLHと2410ユニット+2305ホーンで、それぞれ互換性があります。
 しかし、一般用としてではなくプロ用シリーズのみにあるユニットもありそれを用いることは、まさにプロ用製品の特長と優秀性を最大に発揮することになります。

高音用ラジアル・ホーン2345と2350
 ラジアル・ホーンは音響レンズや拡散器を使うことなしに、指向性の優れた高音輻射が得られるように設計され、ずばぬけた高能率を狙ったJBL最新の高音用です。
 ホーンとプレッシュア・ユニットとを組合せて高音用ユニットとして用います。プレッシュア・ユニットにはLE175相当の2410、LE85相当の2420があり、さらに加えて一般用として有名な中音ユニット375に相当するプロ用として2440が存在します。
 2410または2420をユニットとしラジアル・ホーン2345を組合せた高音用は、従来のいかなるものよりも強力な迫力が得られ、とくに大きい音響エネルギーを狙う場合、例えばジャズやロックなどを力いっぱい再現しようという時に、その優れた能力は驚異的ですらあります。
 ラジアル・ホーン2350は、2390と同様に500Hz以上の音域に使用すべきホーンで、音響レンズつきの2390に匹敵する優れた指向特性と、より以上の高能率を誇ります。
 本来、中音用ですが、2327、2328アダプターを付加すれば、高音用ホーンとして使えます。
 この場合は、LE85相当の2420と組合せてカットオフ500Hz以上に使えるのです。拡がりの良い、優れた中音域を充実したパワーフルな響きで再現でき、従来のJBLサウンドにも優る再生を2ウェイで実現できるのです。
 2350または2390+2327(2328)アダプター+2420ユニットというこの組合せの高音用はJBLプロ用システムの中に、小ホール用として実際に存在しています。
 この場合の低音用はSP707Jと全く同じ構造のバックロード・ホーンに130Aウーファー相当の2220Aが使用されネットワークはN500相当の3152です。

2205ウーファーに換える場合
 プロ用シリーズ特有のパワーフルな低音用ユニットが、この2205で、一般用にLE15Aの低音から中音域を改良したこのウーファーは150W入力と強力型です。
 プロ用ユニットを中高音用として用いた場合の低音専用ユニットとして2205は注目すべきです。SP707JのユニットD130を2205に換えたいという欲望はオーディオマニアなら誰しも持つのも無理ありません。
 2205によって低音はより深々とした豊かさを増し、中域の素直さは格別です。とくに気品のある再生は、現代JBLサウンドの結晶たる面目を十分に果しましよう

2220と2215ウーファー
 SP707JのD130はフルレンジですが、プロ用シリーズの38センチウーファーとして2220があり、130A相当です。100Wの入力に耐える強力型で、130Aに換えるのなら、ぜひこの2220を見逃すわけにはいきません。またLE15Aのプロ用として2215があります。
 以上2205と2220ウーファーは、末尾のAは8Ω、Bは16Ω、Cは32Ωのインピーやンスを表します。2215Aは8Ω、Bは16Ωです。
 プロ用の高音ユニットは全て16Ωなのでもし正確を期すのでしたら、ウーファーも16Ωを指定し、プロ用の16Ω用ネットワークを使うべきです。

オンキョー Integra A-722

岩崎千明

スイングジャーナル 10月号(1973年9月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 発表時点より、少し時間を経た新製品、オンキョーA722が、今月のSJ選定品として選ばれた。
 少々遅れての登場には理由がないわけではない。
 つまり、今月のSJ試聴室には2台のA722がある。1台は、当初のもので、もう1台はその後運び込まれた新製品だ。この2台の中身は、実はほんの少しだが違いがある。
 結論をいうならば、この2台は外観も、規格も、仕様の一切は変らないのだが、その音に少しの差がある。それも、低音から中低音にかけての音のふくらみという点で、ほんの少々だが新しい方が豊かなのだ。
 それはSJ試聴室のマッキントッシュMC2300の響きにも似た豊かさといえよう。このわずかながらの音の向上が、今月の選定品として登場するきっかけにもなったわけだ。
 というのは、A722は新製品として誕生した時に、選定品たり得るべきかどうかで検討を加えられたが、ピアノの左手の響きなどに不満を残すとして、紙一重の差で選考にもれ保留されたのであった。
 その後、この音質上の問題点があるステレオ雑誌において痛烈な形で指摘されるところとなった。
 オンキョーのアンプは、従来それと同価格の他社製品にくらべ、きめのこまかい設計技術とそれによって得られる質の高い再生に、コスト・パーフォーマンスが優れているというのが定評であった。それは市版アンプの中でも一段と好ましいサウンドを前提としていわれてきたのであるが、そのサウンドというのは、トランジスター・アンプらしからぬナチエラルな響きに対する評価をいう。
 初期のA722においては、オンキョーアンプの特長で
もあるクリアーな響きが、紙一重に強くでたためか、硬質といわざるを得ない冷やかさにつながる響きとなってしまっていたようだ。その点が特に低い音量レベルで再生したときに、より以上強くでてしまうのは確かだ。出力60ワット、60ワットという高出力アンプであるA722をメーカーの想定する平均使用レベルよりもおさえた再生状態では、上記のことがいえる。
 A722を当初より手元において使っていた私自身、A722のロー・カットをオンのうえ、トーンコントロールは低音を400Hzクロスオーバーで4dBステップの上昇の位置で使っていたことを申し添えておこう。
 ところで、こうした再生サウンドのあり方は、メーカー・サイドでもいち早く気付くところとなり、ここではっきりとした形の改良が加えられた。
 今月、加わったA722はこうしたメーカーの手による新型なのである。
 当初から、大出力アンプA722に対して、8万円を割る価格に高いコスト・パーフォーマンスを認めていた私も、A722の中低域の引締った響きに、豊かさをより欲しいと感じていたが、その期待を実現してくれた。
 トーンコントロールの低域上昇によっても、中低域の豊かさはとうてい解決できるものではない。トーンコントロールで有効なのは、低音においてであり、決して中低域ではないからだ。
 もっとも、響きが豊かになったからといって決して中低域が上昇しているわけではない、アンプ回路設計のひとつの定石である負帰還回路のテクニックに音色上の考慮を加えたということである。性能、仕様とも技術的な表示内容が変らないのはそのためだ。
 なにか長々と改良点にこだわり、多くを費してしまったようだが、それは下記の点を除いてA722がいかなる捉え方をしても、きわめて優れたアンプになりえたからだ。
 もうひとつの不満点というのは、そのデザインにある。8万円近いA722が5万円台のA755と、一見したところ大差ない印象しかユーザーに与えないという点だ。確かにコストパーフォーマンスという点で、並いる高級アンプの市販品群の中にあって、ひときわ高いオンキョーのアンプには違いないが、そうした良さを備えているだけにより以上高級アンプとしてのプラス・アルファのフィーリングが欲しいと思うのは私だけではあるまい。
 だがこれを求めるには、やはり価格的な上昇を余儀なくされる結果に終るかも知れない。
 商品としての限界とマニアの希望とは、いつも両立しないのだが、この点アンプ作りのうまいオンキョーの「高級アンプA722」の悩みでもあろう。
 この悩みを内含しつつも、A722はリー・ワイリーの20年ぶりの新アルバム「バックホーム・アゲイン」をひときわ生々しく、ゆったりと、きめこまやかにSJ試聴室に展開してくれたのであった。

オンキョー Integra A-755

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1973年6月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より

 オンキョーがステレオに本腰を入れてからまだ6、7年しかたっていない。今日のリーダー的ステレオ専門メーカーが、昭和20年代から20年以上のキャリアを誇っている中にあっては、まあ後発メーカーといわれても何の不思議もない。しかし、スピーカーというステレオ・パーツの中でも、もっとも音楽的な感覚を要求される部分を手がけるキャリアは20年を軽く越しているのだから、後発というのはメーカーからすれば不当なりともいえる。
 しかし、ここ数年の驚くべき努力とそのみごとな成果によるこうしたメーカーの体制の変化は、後から割り込んだこのメーカーの実力を、業界のあらゆる分野に驚きとおののきをともなって知らしめたことは、まごうことなき事実なのだ。
 あらゆるアンプ・メーカーが、オンキョーの放つ新製品、特にそのアンプに注目し、市場に出るや否や、その製品の解析がライバル・メーカーの開発技術者のひとつの課題として、もはや定着してしまっている風潮がみられるほどだ。
 オンキョーのアンプ設計技術は、他社の新型を模することからはじまる中級アンプの大方の傾向とはまったく違って、常に新たなる設計理論の裏付けを持ち、国産メーカーには珍しくはっきりした形をとって輝いているのである。それも、このクラスの製品によくみられる生産性に比重を置いた技術ではなく、性能向上をはっきりめざした技術としてである。
「回路供給電圧を高くしただけじゃないか」といったライバル・メーカーの技術者がいるが、それがもたらす向上、ダイナミック・レンジの大幅なアップ、パワー段ドライバーの歪率の絶滅化、加えてそれらに反する安定性への大きな配慮など……こうした技術は次の時期の各社の製品にわがもの顔ですばやくとり入れられてしまうのだが、それに気付いたのはオンキョーのアンプが皮切りになっているはずだ。
 701からはじまり、725、733と経て、現在オンキョーの主力製品は755と、そのジュニア版766だ。近くそのトップ・レベルとして722が出るが、この3種のアンプ技術こそ、国産アンプの格段の飛躍の引き金となっていることは、広くは知られていない。
 だが、オンキョーという他の専門メーカーよりはいくらか弱いイメージのこのブランドの製品が、この半年間、日本のあらゆる市場で売れまくっているのは業界内部の常識である。これはユーザーは決しておろかではなく、知らないわけではないということを物語る痛快な事実だ。
 オンキョーのアンプは、中を開けるまでもなく、パネル・デザインも派手さがなく、おとなしくて控え目である。性能表示も決して誇大にしてはいない。しかし、このつつましやかなアンプが、いったんボリュームを上げたとき、そのしとやかな、ためらいがちな外観からは想像できないパワーとエネルギーをもたらすのである。30Wというのは、こんなにも力強いものなのかという実感をひしひしと味あわせてくれるのだ。
 カタログに記載されている表示値になかなか達することの少ない国産車なみのオーディオ・パーツの中にあって「うそのないアンプ」、これがオンキョーのアンプだ。
 インディアンのたわごとと軽くみるのはまちがっている。倍以上もする価格のアンプの発表データさえ当てにならず、規格どうりの出力はスイッチ・オン以後20分間だけ、あとは規格の70%でクリップしてしまい「それが当り前だ」といってはばからない「高級エリート向けアンプ」が少しも疑われずに大手を振っている国産アンプ業界なのだ。
 よく、オンキョーのアンプは真空管的だなどといわれるが、そういういい方よりも、「あらゆるアンプが最終的に到達するであろうと思われるサウンド」というべきだろう。3極管OTLにも近いし、超低歪率を狙った多量NFのトランジスタ・アンプにも似ている。こうしたサウンドはまじめなアンプ回路の追求から生れ出る以外のなにものでもない。
 オンキョーのアンプは755に限らず次の製品も次の製品も、常に多くのユーザーに支持され、多くのメーカーの注目するアンプであるに違いないと思うのである。