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アカペラ Triolon MKII

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「アカペラ・オーディオ・アーツ 超弩級オールホーンスピーカーを聴く」より

 最近日本でも販売されるようになった、アカペラ・オーディオ・アーツのスピーカーは、僕がこれまでドイツのオーディオ製品に抱いていたイメージとはガラッと違う、とてもマイルドな音を聴かせてくれる、印象深いスピーカーであった。
 アカペラ・オーディオ・アーツの正式な社名は、AUDIO FORUM H・WINTERS KG。同社は1976年に、元、西ドイツのシーメンス社の技術者であったヘルマン・ヴィンテルスとアルフレッド・ルドルフの二人によって設立されたオーディオメーカーだ。
 そのアカペラに、オールホーン型の超弩級スピーカーシステムがあることは、以前から海外のオーディオ雑誌によって知ってはいた。どんな音がするんだろうと、あれこれ想像していたところ、なんと日本でも聴けるようになったとの電話を編集部よりもらい、早速、輸入元である中央電機のリスニングルームに出掛けていったわけだ。
 この巨大なオールホーンシステム、トリオロンMKIIは、1986年に発表されたトリオロンの改良モデルである。
 30畳はあろうかという、中央電機のリスニングルームに、ドーンといった感じで収まったトリオロンMKIIの姿は、今でも日本に根強いファンがいる、古くからのオールホーンシステムをちょっと思い出させるようなところもあるのだが、それよりもまず、中央にある壁面の突出が目をひいた。これは、実は、スーパーウーファーなのだ。この巨大なエンクロージュアには、42cm口径のユニットが二本内蔵され、150Hz以下の音域を受け持っており、さらに壁面をホーンの一部として利用しているのだ。トリオロンMKIIの価格には、この壁に設置すべきホーンの設計料、およびシステムの調整料も含まれている。中低域は30cm口径のポリマーコーンとエクスポーネンシャルホーンを組み合わせ、150Hzから600Hzをカバー、中域は54mm口径のソフトドーム型ユニットをドライバーとして用い、600Hzから4・8kHzをうけもたせている。さて、残るは高域ユニットだが、このユニット、どこかで見たことあるな、と思われた読者も多いとおもう。それもそのはず、これは以前から輸入販売され、評価の非常に高かったATRのイオントゥイーターそのものなのだ。1986年にATR社は、ブランド名をATRからアカペラに変更していたのだ。初めて実用的な製品として送り出された、振動板を全く持たないイオンスピーカーが、トリオロンMKIIに搭載されている。
 で、肝心の音であるが、設置して間もないということで調整不足の感もあったのだが、通常のホーンの音からは想像もつかない、エネルギー感を抑制した、耳を圧迫せず、部屋全体が震えるような不思議な音響空間が提示された。相当に特殊な世界ともいえるけれども、このすさまじい存在感は貴重なものだ。

アポジー Diva + DAX

黒田恭一

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「ヴァノーニとの陶酔のひとときのためならぼくはなんだってできる」より

「俺さあ……」
 Fのはなしは、いつも、このひとことからはじまる。
 しかし、問題なのは、その後につづくことばである。いつだって、その後につづくFのことばは、こっちの意表をつく。
「俺さあ……」
 しばらく間があった。
「今夜のミミ、よかったと思うんだよ」
 Fとぼくは、そのとき、ウィーンの国立歌劇場で「ボエーム」をきいた後であった。もともと、その夜のミミには、チェチーリア・ガスディアが予定されていた。しかし、ガスディアが急病ということで、ポーランド出身のソプラノ、ヨアンナ・ボロウスカがミミをうたった。
「そんなによかったかな、あのミミ?」
「うん。よかった。よかったと思う」
 そういいながら、Fは、しきりにうなずいていた。どうやら、Fは、ヨアンナ・ボロウスカの声や歌についてではなく、彼女の容姿についていっているようであった。そんなことがあって後、ぼくは、二日ほどウィーンを離れた。ウィーンに戻ったとき、Fは、こういった。
「俺さあ……、ヨアンナと食事したんだけれど……」
 Fは、ヨアンナを楽屋に訪ね、深紅のバラの花束をとどけた。大いに感激したヨアンナは、Fの招待に応じ、食事をともにした、ということのようであった。ところが、ヘビー・スモーカーであり、おまけにヘビー・ドリンカーでもあるFは、オペラ歌手であるヨアンナを前にして、タバコをすいつづけ、ワインをのみつづけたために、ヨアンナのひんしゅくをかった、ということを、別の筋からきいた。相手がオペラ歌手であるにもかかわらず、煙草をすいつづけるところがFのFならではのところであった。
 Fの「俺さあ……」の後には、どのようなことばがつづくか、予断をゆるさない。Fが「俺さあ……」といったときには、心して耳をすます必要がある。Fは、これはと思えば、ウィーン国立歌劇場の歌い手に花束をとどけ、食事に誘うぐらいのことは、すぐにもやってのけるのである。
 Fは、写真家で、普段は、ウィーンの、もともとは修道院として十六世紀に建てられたという、おそらく由緒があると思える建物に住んでいて、ときどき日本にもどってくる。Fが日本にもどってきたときには、ぼくの部屋で、Fとぼくとの共通の恋人であるオルネラ・ヴァノーニのCDなどをききながら、あれこれ、どうということもないことをはなしながらすごす。
 そのときである。また、「俺さあ……」であった。
「めったに東京にもどってこないしさあ、今の部屋はでかすぎるから、小さな部屋にかわろうと思うんだよ」
 そこまではよかった。そうか、そうか、それもいいだろう、といった感じできいていた。ウィーンで住んでいるところも大きいから、きっと東京のFの住処も馬鹿でかいのであろう、と想像しながら、なま返事をしていた。
「このアポジーさあ、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」
 Fのはなしには、いつでも、飛躍が或る。つまり、エフとしては、このようにいいたかったのである。小さな部屋にかわるにあたっては、チェロのパフォーマンスなどという非常識に大きいパワーアンプが邪魔であるから、お前がつかってみては、どうか。Fがチェロのパフォーマンスをつかっているのは、前にきいたことがあって、しっていた。
 冗談じゃない。あんな、ごろっとしたものを一セットおいておくだけでも、めざわりでしかたがないのに、もう一セットおくなどとんでもない、と思い、適当にうけながしておいた(ご参考までに書いておけば、チェロのパフォーマンスは、幅と奥行がそれぞれ47cm、高さが22cmの本体と電源部が、それぞれ二面ずつで一セットである)。そのとき、ヘビー・ドリンカーのFは、かなり酔ってもいたので、いい案配に、自分がいったことも忘れているであろうと、たかをくくっていた。
 数日して、電話があった。
「おぼえているかな?」
「なにを?」
「アンプのことなんだけれど……」
 そういわれれば、おぼえていない、とはいえなかった。
 そのようにして、ぼくは、自分が愚かなことをしているのを自覚しながら、乱気流のなかにつっこんでいた。
「マルチ」は、オーディオにとびきり熱心なひとがするべきものであって、ぼくのような中途半端なオーディオ・ファンが手をだせば火傷をするのがおちである、と自分にいいきかせていた。したがって、ぼくとしては、これまで、「マルチ」をやっている友だちのはなしをきかされても、ごく冷静にうけとめてきた。
 しかし、今や、「マルチ」を対岸の出来事と思っていることはできなかった。Fのところからチェロのパフォーマンスがもう一セットはこびこまれてくる、という現実を前に、ぼくはすくなからずうろたえ、とるものもとりあえずM1に電話した。このときのM1の電話の対応を、できることなら、おきかせしたいところである。あのとき、M1は、サディスティックな快感に酔っていたにちがいなかったが、けんもほろろに、こういってのけたのである。
「ただアンプを2台(4台か)にしても、さしてよくはなりませんよ。電源のこともあるから、かえって悪くなるかもしれないし……、いずれにしろチェロのパフォーマンスをもう一セットつかえるかどうかアンペア数をチェックしたほうがいいですね」、そういっておいて、憎きM1は、いかにも嬉しそうにクックックと笑った。
「どうすればいい?」
 こっちは、ほとんど、ザラストロの前にひきだされたパミーナのような心境になり、おずおずと尋ねないではいられなかった。
「DAXという、アポジーのためのエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークがあるから、それをつかうんですね」
 ぼくは、それまでの状態で充分に満足していたので、おそらく、「このアポジー、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」、といったのがFではなかったら、いささかのためらいもなく断わっていた。しかし、困ったことに、ぼくは、人間としてのFも、Fの仕事も好きであった。それに、それまで自分のつかっていたアンプをぼくにつかわせようと考えたFの気持も、うれしかった。
 これはやっかいなことになったかな、と思いながら、ぼくは、受話器のむこうのM1に、こういった、
「そのDAXという奴をつかうと、どうなるの?」
「音の透明度が格段によくなるんですよ」
 M1のことばは自信にみちていた。
「それでは、それにしてみようか」
「それしかないですね」
 そういって、M1は、また、クックックと笑った。
 その数日後、DAXがとどけられた。そして、ぼくは、ああ、こういう音のきこえ方もあるのか、と思った。そのとき、ぼくの味わった驚きは、それまでに味わったことのないものであった。そして、なるほど、オーディオに深入りしたひとたちの多くが「マルチ」をやるのもわからなくはない、と遅ればせながら、納得した。そうか、そうだったのか、と思いつつ、その日は、窓の外があかるくなるまで、とっかえひっかえ、さまざまなCDやLPをききつづけた。
 いわゆる音の質的な変化であれば、これまでも再三経験してきたから、あらためて驚くまでもなかった。「マルチ」にしたことでの変化は、ただの音の質的な変化にとどまらなかった。基本的なところでの音のきこえかたそのものが、「使用前」と「使用後」では大いにちがった。そのための、そうか、そうだったのか、であった。
「使用前」と「使用後」でちがったちがいのうちのいくつかについて書いてみると、以下のようになる。すでにオーディオに熱心にかかわっている諸兄にあっては先刻ご存じのことと思われるが、駆けだしの素朴な感想としてお読みいただくことにする。
 最初に気づいたのは、音の消えかたであった。
 コンサートなどで、演奏が終ったか終らないか、といったとき、間髪をいれずに、あわてて拍手をするひとがいる。あの類いの、音楽の余韻を楽しむことをしらないひとには関係がないと思われるが、CDなりLPなりをきいていて、もっとも気になることのひとつが、最後の音がひびいた、その後である。もし、そのとききいていたのがピアノのディスクであると、ピアニストがペダルから足を離して、ひびきが微妙にかわるところまできくことができる。
 その部分の微妙な変化が、より一層なまなましく、しかも鮮明になった。ぐーと息をつめてきいていって、最後の音の尻尾の先端を耳がおいかけるときのスリルというか、充実感というか、これは、いわくいいがたい独特の気分である。
 ぼくは、コンサートで音楽をきくのも好きであるが、それと同じように、あるいはそれ以上に、ひとりでCDやLPをきくのが好きである。その理由のひとつとして、CDやLPでは、望むだけ最後の音の尻尾の先端を耳でおいかけはられることがあげられる。コンサートでは、無法者に邪魔されることが多く、なかなか、そうはいかない。
 したがって、音の消えていくところのきこえかたは、ぼくにとって、まことに重要である。思わず、息をのむ、というのは、いかにもつかいふるされた表現で、いくぶん説得力に欠けるきらいがなくもないが、ぼくは、DAX「使用後」、まず、その点で、息をのんだ。
 そのこととどのように関係するのかわからないが、次に気づいたのは、大きな音のきこえかたであった。
 おそらく、心理的なことも影響してのことであろうが、大きな音は近くに感じる。しかし押し出されすぎる大きな音は゛音としての品位に欠けるように思え、どうしても好きになれない。わがままな望みであることは百も承知で、たとえ大きな音であっても、音と自分とのあいだに充分な距離を確保したい、と思う。むろん、そのために、大きな音が大きな音たりうるためにそなえているエネルギーが欠如してしまっては、それでは、角を矯めて牛を殺す愚行に似て、まったく意味がない。
 あらためてことわるまでもないことかもしれないが、このことは、いわゆる音場感といったこととは別のところでのことである。今ではもう、かなりシンプルな装置でさえ、大太鼓はオーケストラの奥のほうに定位してきこえるようになっている。しかし、多くの装置では、音量をあげるにしたがい、どうしても、楽器や歌い手が、全体的に前にせりだしてきてしまう。
 ぼくは、かならずしも特に大きい音で再生するほうではないが、その音楽の性格によっては、いくぶん大きめの音にすることもある。たとえば、最近発売されたディスクの例でいえば、プレヴィンがウィーン・フィルハーモニーを指揮して録音したリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」(日本フォノグラム/テラーク PHCT5010)などが、そうである。このディスクをききながらも、ひびきは、充分に壮大であってほしいが、押しつけがましく前にせりだしてきてほしくない、と思う。
 しかし、DAX「使用前」には、クライマックスで、どうしても、ひびきが手前のほうにきがちであった。「使用後」には、もうすこし静かに、というのも妙であるが、ひびきが整然としてしかもひとつひとつの音の輪郭がくっきりとした。
 しかし、この頃は、楽しみできくディスクといえば、「アルプス交響曲」のような大編成のシンフォニー・オーケストラによる演奏をおさめたディスクであることは稀で、せいぜいが室内管弦楽団の演奏をおさめたディスクであることが多くなった。俺も、年かな、と思ってみたりするが、大編成のシンフォニー・オーケストラによってもたらされる色彩的なひびきは、音響的にも、心理的にも、どうも家庭内の空間とうまくなじまないようにも感じられる。
 最近、好んできくCDのひとつに、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を指揮して録音したモーつ。るとのディヴェルティメントのディスクがある(ワーナー・パイオニア/エラート WPC3280)。このディスクには、あのK136のディヴェルティメントをはじめとして、四曲のディヴェルティメントがおさめられている。アムステルダム・バロック管弦楽団は、その名称からもあきらかなように、オリジナル楽器による団体である。
 当然、DAX「使用後」にも、このディスクをきいた。特にK136のディヴェルティメントなどは音楽のつくりの簡素な作品であり、また演奏が素晴らしいので、各パート間でのフレーズのうけわたしなども、まるで目にみえるように鮮明にききとれて、楽しさ一入である。しかし、このディスクにおいてもまた、「使用前」と「使用後」では、きこえかたがとてもちがっていた。
 ここでのちがいは、演奏者の数のわかりかたのちがい、とでもいうべきかもしれなかった。「使用前」でも、弦合奏の各パートのおおよその人数は判断できた。しかし、「使用後」になると、わざわざ数えなくても、自然にわかった。むろん、演奏者の顔までわかった、などとほらを吹くつもりはないが、あやうく、そういいたくなるようなきこえかたである、とはいえる。
 ただ、ここで、ひとつおことわりしておくべきことがある。
 今回もまた、前回同様、複合好感をおこなってしまったことである。今回は、アポジーDAXを導入しただけではなく、WADIA2000に若干手をいれてもらった。ぼくのところにあるWADIA2000は、いわゆる「フレンチカーブ」といわれる最初のバージョンのものであったが、それに手をくわえて最新の「ディジマスター/スレッジハンマー」仕様にしてもらった。「フレンチカーブ」と「ディジマスター/スレッジハンマー」では、特に音のなめらかさの点で、かなりのちがいがあるように思えた。ただ、「ディジマスター/スレッジハンマー」より「フレンチカーブ」のほうがいい、というひともいなくはないようであるが、ぼくは、「ディジマスター/スレッジハンマー」のなめらかさに軍配をあげる。
 つまり、ここでいっておきたいのは、これまで書いてきたことは、WADIA2000を「フレンチカーブ」から「ディジマスター/スレッジハンマー」にかえたことも微妙に関係していたかもしれない、ということである。
 これを、幸運というべきか、不幸というべきか、それはよくわからないが、ともかく、これまでずっと、ぼくには、M1に目隠しされたまま手をひかれてきたようなところがあって、いつも、なにがどうなったのか正確には把握できないまま歩いてきてしまった。それで、結果が思わしくなければ、M1を八裂きにしてやるのであるが、残念ながら、というべきか、喜ばしいことに、というべきか、いつも、M1に多大の冠者をしてしまうはめにおちいる。その点で、今回もまた、例外ではなかった。
 そして、もうひとつ、これは、恥をしのんで書いておかなければならないことがある。DAXには、当然のことながら、高音や低音を微妙に調整するためのつまみがついているが、ぼくは、まだ、それらのいずれにも手をふれていない。調整する必要をまったく感じないからである。
 むろん、つまみういろいろ動かせば、それなりに音が変化するであろう、とは思う。しかし、すくなくとも今のぼくは、なにをどう変化させたらいいのか、それがわからないのである。多分、ぼくは、今の段階で、現在の装置のきかせてくれる音を完全には掌握しきれていない、ということである。
 完全なものなどあるはずもないから、現在のぼくの装置にだって、あちこちに破綻もあれば、不足もあるにちがいない。しかし、それが、ぼくにはみえていないのである。このような惚けかたは、どことなく結婚したばかりの男と似ている。彼には、彼の妻となった女のシミやソバカスも、まだみえないのである。彼が奥さんのシミやソバカスがみえるようになるためには、多少の時間が必要かもしれない。シミやソバカスがみえてきたとき、ぼくはDAXのつまみを、あっちにまわしたり、こっちにまわしたりするのかもしれないが、できることなら、そういうことにならないことを祈らずにいられない。
 パフォーマンスのアンプをもう一セットふやし、DAXを導入したことで、今、一番困っているのは熱である。パフォーマンスのアンプにはファンがふたつついている。ということは、アンプのスイッチをいれると、合計八つのファンがまわりだす、ということである。八つのファンからはきだされる熱気は、これはなかなかのものである。普通の大きさのクーラーをかけたぐらいでは、ほとんどききめがない。おまけに、今年の夏はやけに暑い。はやく涼しくなってくれないか、と思いつづけている。
 DAXが設置された日、朝までききつづけていて、最後にきいたのは、「IL GIRO DELMIO MOND/ORNELLA VANONI」(VANI;IA CDS6125)であった。そのときのぼくの気持は、最後に食べるために大好きなご馳走をとっておく子供の気持とほとんどかわりなかった。このアルバムの一曲目である「TU MI RICORDI MILANO」が、まるで朝もやが消えていくかのように、静かにはじまった。音にミラノの香りがあった。「トゥ・ミ・リコルディ・ミラノ……」、ヴァノーニが軽くうたいだした。この五分間の陶酔のためなら、ぼくはなんだってできる、と思った。
 この音は、どうしてもFにきかせなければいけないな、と思い、翌日、電話をした。Fはすでにウィーンに戻ってしまった後で、電話はつながらなかった。

オーラの悲しみ

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「Music Consolette 偶然の結晶を求めて」より

 彼女の流暢な英語をFM放送で聴いている人はいっぱいいるはずだ。
 いわゆる、バイリン・ギャルの彼女は、超堅物のイギリス人のお父さんと、シックな大和撫子の間にうまれた。
 今は仕事の関係上、港区の一画にあるマンションで独り暮らし。それも初めての経験なのでとても淋しいという。
「大袈裟だけど、ホームシックになるのよ」と英語っぽい日本語で言う。
 まあ、そういうものなのかもしれない。
     ☆
 その夜、僕たちは五人のグループで、とあるカフェバーで飲んでいた。ちょっとしたカタカナ職業の飲み友達のグループである。僕がちょっとした事情からこのグループの一人と親しくなり、ときおり誘われて輪に加わっていたのだ。
 彼女は、FMでDJをやっているくらいだから、当然のこととして大変な音楽愛好家である。
「オーディオにも興味あるわ。パパがエンスーしてるし」
 そういう彼女は本誌の読者でもあるという。ありがとうございます。
「いろいろ考えて、やっと自分のセットが揃ったの」
 そういう彼女の話を、僕は黙って聞いていた。
「ハヤセさんはオーディオ・ジャーナリスト?」と彼女が訊いた。
 まあ、そんなところだと僕は答えておいた。僕は彼女がどんな装置を組み合わせたのかとても興味があった。けれど、その場で質問するのも、妙なものだったからどうしようかと思案していた。その時、彼女の友人の一人が、これからその新しいステレオを聴かせて貰いましょうよ、とちょっとばかり酔いのまわった黄色い声で言った。そのおかげで、僕は彼女のオーディオの音を聴くチャンスに恵まれたというわけだ。
 今年二十三歳になる彼女は童顔のせいでどう見ても十八、九にしか見えない。
「よく未成年だと思われて苦労するの」と言う。
 彼女の部屋は無駄な装飾のないこざっぱりしたインテリアでまとめられ、ある意味ではあまり女の子らしくない空間を作っていた。
 まっしろな壁にかけられた、ゴールドのプレーンな額縁。そこに嵌め込まれたグスタフ・クリムトの油彩、ユーディットII・サロメ、のポスターがひときわ目についた。
 そして、そこに、やけにストイックな顔をして佇むJBL4312XPの白いウーファーが音を出す前からあたりの空気をぐっと引き締めてるように見えた。
 彼女はオープンキッチンにたち、僕たちのために水割りを作ってくれている。
 スモークガラス製のサイドテーブルには英国のニューブランド、オーラデザインのシンプルなプリメインアンプがそのクロームのパネルのクールな輝きに、ひっそりとあたりの光景を写しこんでいる。
 そして、ケンウッドのコンパクトなCDプレーヤー。軽くさわやかな音のするプレーヤーだ。
「かわいいアンプだね」とメンバーの一人が言った。
「おしゃれよね」と女の子の友人が言う。そう言って、みんな僕の顔を一瞬みた。僕が肩をすくめると、みんなどっと笑った。
 僕は水割りを飲みながら、彼女がいったいどんな曲をかけるのだろうかと、会話に花をさかせながらも、そのことばかりが気になっていた。
 彼女が最初にかけたのは、ジョン・アバークロンビーの最新アルバム『アニマート』に入っているシングル・ムーンと言う曲だった。アニマート……、生命を吹き込むっていう意味だ、たしか。
 そして次にかかったのはアジタート。ファースト・ライト、フォー・ホープ・オブ・ホープと続いていった。リモコンで彼女が選曲したのだ。グループの面々は会話に花を咲かせていたし、彼女も適当にそれに対応してるようにみえた。
 僕は、ときおり飛んでくる質問に短く答えながら、その場の空気から隔絶したような、おそろしく澄んだ音を出しているBGMに耳をそばだてていた。彼らは皆とても紳士的だったし、僕にたいしてもとても親切に気を使ってくれていた。
 やがて、同じジョン・アバークロンビーが二年前に出したアルバム『ゲッティン・ゼア』から五曲目のタリアが鳴り始めた時、僕はふと思いついて彼女に訊いた。
「ねえ、ひょっとして、ヴィンス・メンドーサが好きなんじゃない?」と。
 彼女が選曲したのはすべて彼の曲だったのだ。
「そう。わかった?」
 そう言って彼女は淡く微笑む。
「クロンビーの曲の中だと何が好きなんですか?」と逆に訊ねられた。
「ゲッティン・ゼアなら、リメンバー・ヒムとチャンス。アニマートなら……」
 一瞬考えてから「ブライト・レイン」と言った。
「ふうん」と彼女は言ったきり黙った。
 なんとなくシリアスな沈黙がほんの一瞬あたりを支配した。
 でも、誰かが、もっと明るい曲をかけようよ、と提案し、同時に部屋の空気も明るくシンプルになった。
 僕は壁のクリムトを見た。一見華麗なのに、ひどく空虚で頽廃的な空気と、残酷に断裂するような官能といったものがまじりあっている画だ。性と死が装飾的な画風の中に浮き上がっている。
 4312XPとオーラデザインVA40の組合せが、こんなにも悲しげに澄んだ響きを出してくれたのは、けして偶然なんかじゃないだろう。おそらくはJBLのどこか醒めて遠のいていくような響きの情感と、オーラデザインの可憐で穏やかな透明感がうまくまじりあってくれたのだろう。ケンウッドP-D90の軽くて淡い音の質感だってうまく作用しているに違いないのだ。
 偶然の結晶、それはあまりにも美しい結晶だった。
     *
FMでDJをしているキュートな彼女が使用していたスピーカーはJBL4312XP。白いコーティング剤が塗布された30cmウーファーの2213Hは新しい、アクション・モールデッド・フォームと呼ばれる特殊な樹脂によるフロントバッフルを得て、全体のデザインの中で新鮮な印象を放っている。4311が原型になっているがロングセラーを更新し、地道な改良が加えられ、今回JBLの最近のフューチュアである前記リアクション・モールデッド・フォームだけでなく、バッフルの不要な反射を軽減するネオプレーン・フォーム等も採用されている。スコーカー、トゥイーターとも信頼性の高いユニットが配されている。アンプは英国のオーラデザイン社のデビュー作、VA40プリメインアンプだ。CDプレーヤーはケンウッド製、P-D90である。コンパクトな同社のシステムコンポーネントシリーズに含まれるCDプレーヤーだが、単売もされている。コンパクトに凝縮され、かつ無駄のないデザインは、下手な高級コンポ顔負けの雰囲気をもち、液晶表示のインデックスの色合いや照度も含め、全体に大人っぽいまとまりを見せている。筆者自身この組合せにはいたく感動、サブシステムとしてそっくりそのまま採用してしまった。

JBL 4344のバイアンプドライブ

早瀬文雄

ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より

 今やマルチアンプという言葉の意味をどれだけの人が理解しているだろう。淋しいけれど、その壮大なシステムは一部の超マニアを除き、おそらくはほとんど忘れられつつあるというのが実情だろう。ちなみに、本誌レギュラーライターである菅野沖彦、柳沢功力氏も、自宅のシステムをマルチアンプ化されている。
 さて、マルチアンプとは一体どういうシステムのことを指すのだろう?──3ウェイを例に簡単にいえば、高域のトゥイーター、中域のスコーカー、低域のウーファーといった各スピーカーユニットを個別のパワーアンプで直接ドライブする方式である、ということになる。
 それはいわばオーディオの究極、一歩間違えるとクレージーと紙一重のきわどい状態にもなり兼ねないものであることは、なんとなく想像がつくと思う。しかし、英国のスピーカーメーカーであるKFFが1975年に発表したBBCモニター/5/1ACは、高域、低域用の二つのアンプとチャンネルデバイダー(後述)を内蔵していたし、当時のJBLプロ用モニターである#4330、4332、4340、そして4350なども、完全にバイアンプ駆動専用モデルであったことからもわかるように、パワーハンドリングやモニタリングに必要なディティールの再現性の向上を期待しての手段であるだけに、我々オーディオファイルとしても、無視できなな方式なのだ。
 しかし、実際に使いこなすとなると、単に情熱だけではなく、センスと努力を必要とすることも事実だ。成功すればシングルアンプ駆動では絶対に到達的な異次元の音場空間に突入できる可能性を秘めてる以上、ここでその意義を再確認しておきたい。マルチアンプの技術的な詳細は追って述べるとして、今回はその入門編としてバイアンプドライブに挑戦する素材に、スピーカーを一切改造することなく、スイッチ一つで簡単にバイアンプドライブが可能なJBL4344を選択した。本誌の愛読書の中にも使用者が多いと思われるこのスピーカーを俎上に乗せ、いくつかのアンプでバイアンプトライブの効果のほどを確認してみた。
 本号以降、回を追って4344以外にもマルチアンプ化に対応可能なスピーカーシステム、例えばアポジー・ディーバーやダイヤトーンの4ウェイシステムなども使用し、さまざまなテストを試みていく予定だ。けしてイージーではないかもしれない、しかし、そこにはオーディオのエンスージアスティックな醍醐味があり、簡便なオーディオの対極的な存在として、マニアなら一度試してみたいと思うに違いない。そうした夢を現実にしたいという時、この企画がその一助となれば幸いである。
 ──バイアンプ、つまり、一組のステレオ用スピーカーを二組のアンプで駆動するという方式のことだ。
 普段ならその間に介在するスピーカーシステム内蔵のディバイディングネットワークをパスしてしまう。しかし、そのままではトゥイーターに低域の信号が入ってユニットが壊れてしまうから、当然各ユニットに適した周波数に分配した信号をパワーアンプに送り込まないといけない。
 こうしてパワーアンプにインプットされる信号を事前に処理するのがチャンネルディバイダー(エレクトロニッククロスオーバー)である。
 今回は4344の背面にある。切替えスイッチを使用し、38cmウーファーとその上の帯域を分割した。上三つのユニットはそのまま内蔵のネットワークを通してドライブされる。今回、チャンネルディバイダーとしては同じJBLブランドの5235を使用した。
 これはかつて僕自身も使ってみて、その価格を超えた可能性や使い勝手の良さから、バイアンプの入門期として最もふさわしいと思えたからだ。
 バイアンプのメリットに簡単にふれると、およそ次のようになると思う。
①高域をドライブするアンプに低域信号がインプットされない。
②高域をドライブするアンプには当然だが、ウーファーをドライブする必要がない。したがって、ウーファーからの逆電力がまったく戻ってこない。
 以上、①②の理由により、高域用アンプはきわめて動作が楽になり、ゆとりが出てくる。
③低域用アンプはウーファーに直結され、ネットワーク中の数十mにおよぶ高域をカットするための長いコイルの中を信号が通過しなくてすむ。
 以上のようなメリットのほかに、4344のバイアンプ駆動ならではのさらに別の要素も加わる。
 JBL4344は、ウーファーのクロスオーバーは、内蔵のネットワークでは320Hz、遮断特性は12dB/octになっている。遮断特性の12dB/octというのは、周波数が倍(または1/2)になるごとにレベルが1/4になるということを意味している(6dB/octでは1/2、18dB/octでは1/8)。
 クロスオーバーとは、ちなみに二つの帯域に分割する、その分岐点の周波数ポイントのことである。
 さて、4344では、スピーカー端子の下部にある切替えスイッチを『エクスターナル・クロスオーバー』側にすると、ウーファーが完全にネットワークから離脱される一方、ミッドバスに加わる320Hz以下の低域をカットするLC(コイルとコンデンサー)もパスされる。しかも、バイアンプ化するときのクロスオーバー周波数と遮断特性を、JBLでは290Hz、18dB/octと指定しているのだ。つまり、バイアンプ化でウーファーの高域成分をよりシャープにカットするとともに、クロスするポイントを下げ、ミッドバストのつながりをよりスムーズになるよう意図しているのだ。というわけで、ここではこの特性を持った5235の4344のフィルター基板、51-5145を用いることにしたが、250Hz、12dB/octの52-5121も入手できるから差し替えて、実際の音がどれだけ変化するのか、遊んでみても楽しいと思う。
 バイアンプに挑戦する第一回の今回、選んだパワーアンプは、スレッショルド、マークレビンソン、チェロ各ブランドの代表的なモデルである。同一ブランドの同一モデルを二機種使用することが原則だが、マークレビンソンではより高域に研ぎ澄まされた美しさのあるNo.27Lがふさわしいと判断し、あえて採用することにした。

エピキュア MODEL 1 SYSTEM

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 米国エピキュア社より最新シリーズが本邦に紹介される運びとなった。
 今回聴くことができたのは、同シリーズ中トップエンドにある4ウェイ5スピーカーという構成をもつシステムである。
 トゥイーターは2・5cmポリカーボネイトドーム、パラレル駆動されるスコーカーは、ウーハー同様、鉱物材を混入したミネラル・フィルド・ポリプロピレン(MFP)で口径は10cm。そしてダブル使用のウーファーは20cm口径だが、二つのユニットは異なる帯域で使用され、上のユニットはミッドバス的に用いられている。
 エンクロージュア下方のスリットはバスレフのベントである。
 ユニークなのは低域コントロール用のイコライザーを持つことで、プリとパワーの間に挿入し、スピーカーが置かれる状況の変化に対応しようとするものだ。
 低域は30Hzあたりを中心に最大15dBブーストでき、また、40Hzでプラス2dB、60Hzでマイナス3dBといったうなりを付けることも可能な点が、狭い日本の住宅での使用で威力発揮しそうだ。さらにミッドバスコントロールとの併用で使いこなしの幅を広げている。
 エンクロージュアはサイドパネルがテーパー状に絞りこまれ、背面にむけてコーナーはラウンド化されているので内部定在波が発生しにくく、かつ音場感の再現性の向上にも寄与している。
 箱そのものは、響きを抑えるリジットな構成ではなく、本機はむしろ積極的に鳴きを利用していく作りがなされているようだ。
 さて、注目のサウンドだが、見た目の現代的な雰囲気からすると、かたすかしをくらうほどオーソドックスで、やや古典的ともいえる響きで驚く。
 カラーのカタログ写真のように、ほのかにくすんだ色彩感の提示をし、ここには原色のまぶしさというものはまったくない。落ち着いて、安心して音楽が楽しめるチューニングだ。
 また、音場感の提示もわざとらしい透明感を強調するタイプではなく、落ち着いた光りで音像を浮かびあがらせていくような鳴り方だ。陰影感の表現に何かしらくすんだ気配のようなものがつく点がある種の音楽をよりいっそうリアルにし、くらがりに沈み込むような情緒的な響きを自然に捉えてくれる。
 ディティールを分析的に鳴らすほうではないが、かといって、ぼけた音ではなく、ヴァイオリンのきりっとしたテンションの高い響きや深みのある、抑制の効いた艶もいい。これを渋いといってしまうと何かしら全体を一色に塗りつぶしてしまうような印象を与えがちだが、モデル1は芯のしっかりした実在感や色彩感を失なうことがなかった点がとても印象深かった。

音の浮遊力

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「Music Consolette 偶然の結晶を求めて」より

 五年間、それは彼にとってもけして短くはない歳月だったはずだ。その重たい時間、彼はフランスとドイツの間を行き来しながらワインの勉強していた。プロのソムリエ(ワインの鑑定家)としての修行を重ねるためだ。
「日本の空気もずいぶん変ったね」
 帰国後、開口一番に言った彼の言葉だ。
それから一ヵ月たったとある午後、僕は彼のリスニングルームを訪ねた。
「来月で三十五歳になっちゃうんだ。三十五だよ、折り返し地点をとうとう過ぎたって感じだね」
 彼は、ターンテーブルにレコードを乗せながら、誰に向かって語るでもなく、小さなため息まじりにそう言った。
「でも、これからじゃない? 五年間じっくり修行してきたんだし」と僕は言ってみた。たしかに一面においてはその通りだ、と彼は言う。
 アンプのボリュウムを上げる前に、彼はテーブルの上に二種類のワイングラスを置くと、その二つのグラスに同じワインをほぼ等量だけ注いだ。
「グラスの形が違うと、同じワインでも香りや味が変化するんだ」と彼は言う。僕は恐る恐る、二つのグラスを交互に手にとり、その違いを確かめてみた。一つをワインテイスティングに用いる国際規格品。やや細長い形をしている。もう一つはブランデーグラスのようにふっくらしたものだ。
そして、僕はそこには予想以上の違いがあることに気づき驚かされる。やがて、そのことについての専門的な話がしばらく続いた。
「オーディオだってそういう変化をすることがあるでしょ?」と彼は言う。
 たしかにそうだ。同じスピーカーやアンプが別物のように鳴るという事実にはよく遭遇する。もう五年も前の話になるけれど、彼の部屋には国産の大型4ウェイスピーカーとセパレートアンプがセットされていた。
「まあ、ずっと放りっぱなしにしてあったんだから、いくら家族が時々鳴らしてたにしても、やっぱり駄目だよね。それに、ずっとヨーロッパの空気にひたっていたせいで僕自身も変化したし、求めてる音も変ってしまったんだ。久し振りに自分自身の過去の音を聴いてみると、なんだか大切なものが致命的に欠落してるような気がしたんだ。何かが欠けてるってね……」
「わかるような気もする……」と僕。
「それはひとことで言うと縦割りに食い込んでくるような精神的飢餓感のようなものかな」と彼は言った。
 それで装置をすべて入れ替えてしまったのだと彼は続けた。
「たしかに、そういう求心的な要素は希薄だったかもしれない。でも、あの、ちょっと蒸留水みたいな音にはそれなりの悲しみってものが浸透してたように思うな」と僕は言った。
「時間は確実に進んでいたんだ」
 彼はきっぱりとそう言った。
「ヨーロッパのオーディオ界の動向や空気というものに触れているうちに、いろいろと考えさせられたんだ。それまではドイツとフランスのアンプを組み合わせるなんて、悪い冗談みたいなことは思いつきもしない。そうだろ?」と彼は自嘲的な笑いを浮かべて言った。
「だけど、そういう一般論的偏見を一時的に放棄してみると、いろいろなことが見えてくるんだ」
 そういう彼の装置は、たしかにこれまでの常識からいえば、やや破天荒といえそうなラインナップだった。
 しかし、彼にはちょっとした予感があったのではないだろうか。つまり、ドイツとフランスの違いというものを包括的に捉え、二つの国の空気の違いというもので、彼の中にあった彼自身の枠を崩そうとしたのではないだろうか。
 日本という閉鎖社会にいる僕たちの常識では思いつかないような、意外性のあるマテリアルを融合してみると、そこにある種のリアリティが現れる。それをごく自然に彼には受け入れることができたのだろう。
「だけど、二つの国の間にはちょっとした共通点だってなくはないんだ」と彼は続ける。
「芸術的なものに対する日常的な感じ方とか、接し方とかね。僕はその部分に賭けてみたんだ。だから、ブルメスターとレクトロンが持っている音の立体感や、色彩感の深み、あるいは熟成度の高さ、複雑にいろいろな要素がまじりあい、それでいてバランスしているうま味、そういうものを生かしたかった」
 たしかに、そこで聴かせてもらった音には異質なものが複雑にからみあい、共振しあい、それがよい意味で新しい味を発酵させていたような気がする。
 プレーナータイプ特有の、音像に浮力がついたような漂いに立体感をつけ、しかも音色の変化をややくすんだ落着きのある表現で聴かせる。甘口のようでいて辛口、そういう二律背反するものをうまく溶かしこんでいるのだ。
 管球アンプとしては独特の辛口で引き締った音を持つレクトロンと、ブルメスターの律儀な職人気質を感じさせる真面目さがうまく反応した結果だろう。
「レクトロンは君が好きなジャディスとはずいぶん違うんじゃない? 確かジャディスはもっと艶っぽくて華麗で、かすかに仄暗い頽廃的な要素ももっている。違う?」
「そうだね」と僕は答えた。
 彼はゆっくりとディスクに針を落し、アンプのボリュうまみムを上げた。フランスで買ったというパトリシア・カースの二枚目のLP。なんだか、彼女の声に含まれる妖しげに屈折したような情感が、とても自然に解放されていくような鳴り方だった。そのことによって、彼自身がどこかに辿り着くことができたかどうかは、また別の問題だろう。でも、この音はたしかに前進する彼の意思の一つの表現なのだろうと、僕は密かに確信することができた。
 響きの色彩変化や浮遊する音像と前に向かってくる音の対比に、はっとさせるものがあった。
     *
ソムリエのS氏宅で使用されていたスピーカーは、マーチン・ローガンのシークウェルIIで、フルレンジの静電型ユニットと25cmスーパーウーファーを組み合わせたいわばハイブリッド型。透明なダイアフラムは、特殊な導電物質が表面から2ミクロンの深さに均一に埋め込まれ、従来の静電型のように導電物質(カーボンや微金属粉)をダイアフラムの表面にコーティングする方法を採っておらず、ダイアフラム表面の帯電ムラを起さない点が特徴とされている。入力はアナログのみで、カートリッジはMC型オルトフォンMC3000。トーンアームはオラクル仕様のSME・モデル345S。ターンテーブル同じく、オラクル社のトップモデルであるプレミアMKIVである。プリアンプとして、西ドイツ・ブルメスター社製フォノ(ここではMC専用)専用プリアンプ838MKIIにライン専用プリアンプ846MK IIを組み合わせている。どちらも独立電源を持つ。838単体でもフォノ入力のみなら使用できるが、他の機器(CDやテープ)の接続も考慮し、846と組み合わせたとのことだ。パワーアンプはジャン・ヒラガ設計によるフランスのレクトロンJH50。出力管は5極管であるEL34をプッシュプル動作させ、出力トランスは英国パートリッジ社製の特注品を採用している。

意識の曲率

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「Music Consolette 偶然の結晶を求めて」より

 それは、残暑がささやかに尾をひいていた夕方のことだ。
 僕と友人のKは堤防の上をだらだらと歩いていて、沖合にはゆっくりと航行する大型のクルーザーや可愛らしいヨットが見えた。
「夏も終りだね」と彼は淋しそうに言い、僕はただ黙って頷くだけだった。
 心なしか風もすこし乾き始め、時々すれちがう人も皆うつむきがちで、何かしら考えこんでいるような表情をしていた。
 人影もまばらな砂浜には無人のライフガードの塔がもの悲しくて取り残され、夏の盛りにはまるで朝の満員電車みたいに人々を繋ぎとめていた熱い季節は音もなくどこかに吸い込まれてるように消えていた。
 まあ、仕方のないことではある。
「そろそろ戻ろう」と彼は言った。
 彼は実に無口な男なのだ。いつだって無駄を削ぎ落とした、必要最小限の言葉のやりとりしかしない。そして、そのことになじめない人はたいていあからさな反発を示した。
     ☆
 そこが海の近くであるということを忘れてしまうような、シックな洋館の一部に部屋を借り、彼は作曲の仕事をしていた。
 仕事部屋には電子ピアノやシンセサイザーがあり、ミディ制御されるいくつかの電子機器もセットされていた。
 コンピューターを駆使して生み出される曲はおおむね優しい旋律をもち、透明な悲しみがクールに漂っていた。彼の作品は昔からそういうタイプの曲が多かった。
 出来上がった曲はテープからおたまじゃくしが踊る譜面に記号化され、ファックスで『受注先』に送られる。まあ、いってみればかなり量産される音楽、大量に消費される音楽が手際よく作られているわけだ。
「でもね、一つ一つに思い入れがないわけじゃない。売るための『商品』ばっかりじゃないんだ」
「知っている」と僕は言った。
 彼は肩をすくめると「ぼちぼちセットしてくれる?」と言った。
 僕は彼に頼まれて選んだアンプとスピーカーを車に積んで持参していた。
 仕事部屋の隣に十畳ほどの板の間があった。漆喰の白い壁高い天井、響きは悪くなさそうである。
 僕たちは手分けして、てきぱきと新しい装置をセットした。
「なんだか、新しくても古いというか、古くて新しいというか……」
 ビアードのアンプを見た彼はそう言って目を輝かせた。
「きっと気に入ってもらえるはずなんだ」彼は心身ともに疲れきっているはずだった。しかし、その時ばかりは期待にわくわくする単純な子供みたいにしか見えなかった。やがてセットが完了し、とりあえずアンプに火を入れる。
「ちょっと部屋の明かりを落としてみよう」と言って、彼はパチンと電気のスイッチを切った。
「いやぁ、暖かな、懐かしい光だ……」真空管がほんのりと赤熱したようすを見つめ、彼は嬉しそうに言った。実に無邪気な笑顔だった。
 ウォームアップが済む前に、乾杯しようということになって、キッチンに置いてあった旧式の丸っこい冷蔵庫から出してきた缶ビールを飲んだ。
「もう、音を出してもいいかな?」と彼が訊いた。僕は黙って頷く。
 彼はラックから一枚のCDを取り出して僕に手渡した。エマーソン・ストリング・カルテットのディスクだ。彼の指定でその中から、ボロディンの弦楽四重奏曲、第二番をかけた。
「ボリュームは自分で上げてくれよ」と僕は一応言ってみることにした。
「そうだな」
 そう言うと、彼は初めて恋人と手をつなぐシャイな男の子みたいな手つきで、ボリューウムのノブに触れた。
「いや、なんて柔らかな音なんだろう」茫然として、彼はそう言った。
「本当に温かい、人のぬくもりを感じる音だね……」
 僕は黙ったままビールを飲み、彼はしきりに独りごとを言っている。次々にディスクをかけ替え、そのたびに感嘆の声を上げた。
 温かく包みこむような音を彼は求めていたのだ。僕にはそのことがよくわかっていた。彼の曲を聴き、彼の愚痴を聞いていればたいていのことはわかる。よほど鈍感な人間じゃないかぎり、彼が消耗し、すっかり精神的に萎えていることは誰にだってわかるのだ。
 そんな時、研ぎ澄まされた緊張度の高い音はかえって彼に物事を分析的に考えさせてしまうに違いなかった。
 こういう風に、文句なく人の心をなごませてくれるおだやかで上品なテイストをもった響きに出会うと、ほんとうにほっとする。僕は装置によってこれほどまでに違った音を出すという事実を不思議さを改めて考え直していた。
「発生した次の瞬間から消退していく音、その音からなる音楽をデジタルと言う記号で複製し、無限に繰り返して聴けるCDの魔力、それはひょっとすると現実の中に隠された根深い不在感をさらに分厚いヴェールで覆い隠すのかもしれないね」と彼は言った。でも、そのことの意味は今は誰にもわからないのだ。
「こうしてみると、オーディオは音楽のたんなるシミュレーション、あるいは人工的な復元以上のものだってことがよくわかる」
 そういう彼の横顔に、僕は久し振りに彼らしさが回復されているのを確認した。
     *
作曲家のK氏が使用していたのは、スピーカーが英国ワーフデール社製コーリッジで、これは20cm口径のウーファーをベースに2.5cmドームトゥイーターを組み合わせたバスレフ型2ウェイシステムであり、ここでは別売の専用スタンドを使用。アンプはビル・ビアード設計になる英国B.B.A.P.社製の管球式プリメインアンプ、BB100だ。パワーアンプ部はE L84のトリプルプッシュプルで、35WまではA級動作、それ以上50WまではB級動作させている。各真空管にはLEDによる異常動作警告灯が配され、これが赤く点灯することによって真空管の寿命を知らせるという、英国の家庭用オーディオ機器らしい配慮がなされている。CDプレーヤーはエソテリックのP10が用いられているが、D/Aコンバーターにはあえてその音色やコンパクトなデザイン、トータルのコンセプトを評価して、英国DPA社製、1ビット・ビットストリーム方式採用のPDM1シリーズ2を組み合わせている。潜在的に柔らかな音を求める思考がここにも隠されているようで、興味深い選択である。

ジャモ Concert VII

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 これは同時に聴いたエピキュアと、あらゆる意味で異なる性格を持つ製品だった。
 デンマークに大規模なファクトリーを構えるジャモ社は20年の歴史を持ち、ヨーロッパでは高いシェアを誇る大メーカーだ。何しろ年間75万台ものスピーカーシステムを生産しているのだそうで、これには驚く。これまでわが国に本格的な紹介がされていなかったことが不思議なほどだ。
 今回、同社の製品中もっとも先端的な内容を持つコンサートVIIが先陣をきって発売されることになった。
 一見、なんの変哲もない2ウェイシステムに見える3ウェイ4スピーカー構成のシステムである。
 フロントバッフルは特許のNCCボードが採用されているが、これは特殊なプラスチックでフォーム材をサンドイッチした構造をもち、不要共振をダンプしている。
 正面から見ると、まず目を引くのが二重になったバスレフのダクトだ。それぞれに違ったチューニングが施され、内部には向かい合せにセットされた二本の20・5cmウーファーが隠されている。この二本のウーファーに位相を反転した信号を加えることにより、プッシュプル動作をさせている。
 2・5cmハードドームトゥイーターの上方にあるユニットはミッドレンジ用で16・7cm口径。
 システムトータルの音作りは、あくまでも雑共振を抑制し、S/Nを上げることを目指していることが各部の仕上げをみるとわかる。
 じっさいに音を出す。とても淡白でくせのない、穏やかな透明感のある響きだ。強調感のない上品な高域とリジットで弾力性があり、しかも十分な重量感を感じさせる低音が鋭いレスポンスで再現されるところが爽快だ。内部定在波をわざと立て、特定帯域を強調するといった小手先のテクニックを弄しておらず、したがってアコースティックなウッドベースやピアノの響きにも汚い付帯音がのらず、実にすっきりしている。
 いかにも現代的ハイテクスピーカーらしい音だが、これが時として、情緒感不足のそっけなさとして取られることもあろうが、これは無駄な共振を徹底して減らしたスピーカーに往々にして感じられる第一印象に共通したものだと思う。
 しかし、逆に言えば、この純度の高い音に耳が馴染んでくると、他の製品の雑共振が耳につくようにもなる。
 本機のパワーにも強く、相当な音量でも音が混濁せず、端正な音像、音場をキープするあたりなどは、あらためて価格を見て感心させられた。コストパフォーマンスという言葉はあまり好きじゃないけれど、これは不気味な価格であり、国際的戦略機種なのかな、とうがった見方をついしてしまう。

JBL4344をThreshold SA3.9e/SA/4でBi Amp Driveする

早瀬文雄

ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より

 JBL4344から、いかにもモニタースピーカーらしい分析的な響きを出すのではなく、もう少し穏やかで優しい表現にしたいのなら、とりあえずスレッショルドのSA3・9e一台で十分だろう。そう思わせる上品さをその個性としてもった製品だ。
先頃発売されたスレッショルドの新しいシリーズの中で、SA3・9eがパネルデザインの洗練された雰囲気にもっとも近いイメージを音としてもってるように思え、僕は一番好きである。当然のことながら、オーディオは音さえよければ、それでいいというものではなくて、システムトータルでの視覚的イメージというものも、再生音のニュアンスに少なくはない影を落とすものなのだ。
 たとえば、4344の木目の質感やブルーのバッフルに浮かぶようなユニット群、小さいけれど絶妙なポイントになっている赤いJBLのエンブレム、そういった要素の中で、SA3・9eの繊細で、品のよいお洒落感覚やデリケートな立体的フォルムはとてもよくマッチするように思う。
 SA3・9eはスピーカーを含む場の空気というものを爽やかなものにしてくれ、4344との視覚的な相性は抜群の部類に属すると思う。
 もし、そうした世界をさらに広げて、もう少し4344を積極的に鳴らしたいと思った時に、このバイアンプ化にメリットはあるのか? どんな結果になるのか? 音を鳴らす前から期待感は高まる。たとえば、もし音がパワフルな感じになるだけで、繊細な雰囲気が壊れてしまうのなら、僕はこのアンプを採用したくはない。
 担当編集者のTくんがバイアンプの結線を始めたのを眺めながら僕はふと、そんなことを考えていた。準備が整い、CDをセットすると、おそるおそるボリュウムを上げた。テストソースの一つであるウォーレス・ルーニーのディスクである。
 冒頭、ジャネット・モフェットのウッドベースがダイナミックな唸りを上げ始めた時、やっぱりこれはエネルギー感がつき過ぎたかな……と思えるほど、低域の実在感が高まった。
 ダイレクトにドライブされる輪郭のすっきりしたベースは、それでもけして強引で押しつけがましい感じにはなっていない。むしろとても重く引きずらない自然な弾力性がついた。それに、シンバルがしんしんとリズムを刻み始めた時、そのディスパージョンの、フワッと空気の中に飛散していく様子、その空間の広がり、透明感、演奏のディテールの克明さ、そんなものがいっきに向上していたのだ。これはいい。高域を受け持つホーン型トゥイーター2405のダイアフラムが軽くなったような鳴り方だ。なにしろ高域に使用しているSA3・9eには低域の信号が入っていないし、ウーファーからの逆起電力がまるっきり戻ってこないのだ。そのおかげで、高域のデリケートさに一段と純度が増し、おそろしく繊細になったのだろう。
 低域がしっかりしたせいで、高域のニュアンスにもダイナミックなコントラストがついた。これは、当然のことだけれど、低域に強い音が入っても高域がふられないメリットがあきらかに出ている結果だろう。したがって、4344に叩きつけるような強い音が加わっても、あっけなくさらりとかわしてしまう余裕がつき、全帯域にわたる響きの柔らかさを維持する。スピーカーそのものの反応が速くなったようだ。
 当然これはアンプが楽に動作してるといった裏付けがあるためで、高域、低域ともにアンプの動作が安定していることが、スピード感や音像定位の向上にまで寄与しているのだろう。
 ヘンデルの二つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタでは、弦楽合奏のディテールの表情がとても精緻でこまやかになる。顕微鏡を覗き込むような、ディテールをあばきたてるような感じではない。じっと目をこらすと自然に見えてくるような表現になる。低弦の動きが明瞭になり、高域へのかぶりがなくなるということが効いているのかもしれない。
 アンソニー・ニューマンのチェンバロはこの、ややオーディオ的ともいえる録音の特質、ディテールを拡大気味に集音したようなハイパーリアルな質感がかなり直截に提示される。しかし、SA3・9eのつつましさで、けして下品にオーバーシュートするようなはしたない響きにはならないところが印象的である。
 エンヤ『オリノコ・フロウ』の3曲目「ストームズ・イン・アフリカ」は冒頭に雷鳴の音が入っている。これが、いかにも雲の上を伝わって広がっていくイメージや、稲光まで見えてきそうなリアリティをつけてくる。バスドラムとエレキベースで分厚く低域を支える音作りの意図、各楽器の重なり具合が明らかになる。特に連続音と単音の分離の向上が爽快感に結びついている。
SA4eは片チャンネル13パラレル・プッシュプルのパワートランジスター(したがって両チャンネルで52個)を用いAクラスで100W/chの出力を確保しているアンプだ。チャーネット・モフェットのベースは一段と重心が下がって、重たい響きと軽い響きのコントラストがいっそうはっきりしてくる。ウーファーが2235Hの磁気回路がより強力になったようだ。ゆったりとした安定感やふわっと広がるような、全体に浮遊感を与えるような感じもついて、音場の裾野が拡大したように聴けた。高域は同じアンプをそのまま使用しているのに、不思議なことにずっと響きがマイルドになったように感じる。たぶん、ウーファーにたいするドライブ能力、制動力が高まったせいでミッドバスとの繋がりがよくなったのだろう。中低域の見通しが上がり、しかもハイエンドの透明感も増してくる。
 さて、こうなると、アンプのトータルコストはディバイダーの5235(15万円)まで含めると280万円(SA3・9e+SA4e)となり、後述のチェロ/アンコールパワーアンプの265万円(アンコール×2+5235)をやや上回るものの、ほぼ合格となる。どちらを選択するか、迷う余地も理由も十分にあって、個人的にも興味深い実験となった。

JBL4344をMark Levinson No.27/20.5でBi Amp Driveする

早瀬文雄

ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より

 さて、スレッショルドの組合せによるバイアンプドライブの直後に、マークレビンソンNo.20・5Lによるシングル駆動に戻してみた。
 率直にいってやや物足りなくなる部分と、逆にまとまりがよくなる部分が相半ばする結果だったと思う。たとえば、低域に強い音が連続して加わった時の高域の繊細感や解像力がやや希薄になる、あるいは低域のゆったりとした柔らかさ、ふくよかさが弱まる。音色変化のダイナミックレンジが狭くなるような面もわずかだが聴き取れる。しかし、それは量としてごくわずかなもので、シングルアンプとしてはトップレベルのスピーカー駆動能力を持っていることには変りない。
 陰影感に富む立体的な音像表現をとるものの、いわばリファレンス的で中立的だと言う印象が強い。それはソースの響きに一切の印象を加えない真面目さにもつながる。シングルで、バイアンプに優るとも劣らない音場感を再現できるのは、もちろんこのアンプのもつポテンシャルの高さによるものだろうが、モノーラル構成を取ってるということもその原因の一つになっているに違いない。右チャンネルと左チャンネルを別個のアンプでドライブできるということに起因するチャンネル間の干渉のない、すっきりとしたセパレーションが確保できるというメリットはやはり大きい。
 さて、ここでNo.20・5Lを低域に使い、No.27Lを高域に配したバイアンプドライブを試みる。
 No.27L単体の音は何度か本誌試聴室でも聴いているが、その高域の美しさ、透明感に関して言えば、マークレビンソンのパワーアンプの中でも最も高いものだと思っている。
 僕個人の不満は低域がやや軽くなって表情が単調になる点にあったが、その部分をここではNo.20・5Lがサポートするわけだから期待は大きい。
 チャンネルディバイダーJBL5235との音色面でのマッチングもマークレビンソンの方がスレショルドよりいいはずだ。結果は、想像以上にもの凄いものだった。
 No.27Lの繊細感の下に隠れていたすさまじい求心力が明らかになる。低域負荷を切り離され290Hz以上の信号だけを増幅し、しかもウーファーからの逆起電力が戻ってこないというのだから、この結果は当然といえば当然すぎるものなのかもしれない。それにしても、たとえばシンバルのアタックのエネルギー感は強烈だ。
 それも、下品な輝きがついてまわるような上っ面のエネルギーではなくて、トップシンバルにスティックがぶつかった瞬間の凝縮された音に続いて、シンバル全面に振動が拡散し空中にそのディスパージョンが爆発的に拡散する、そして間髪をいれず次のアタックが重なった時の、まさにシンバルの重畳爆撃みたいなエネルギー感をひねりだす。
 4344のホーンドライバー2425Jがその限界まで鳴りきっているといった印象すら受ける。それは、切れ込むなどというなまやさしい感じではなく、音像をえぐり出すとでもいいたくなるような、冷汗が背中に吹き出してくるような迫真のリアリティがつく。
 古楽器オーケストラの弦にもスムーズさ、倍音の豊かな艶のある響き、毅然とした澄んだ空気感、そういった要素がぐんと純度を高めていることがはっきりと聴き取れる。しかも、こういった透明感がボリュウムをしぼり込んでいっても、部屋全体にいつまでも残ろうとする。ぎりぎりまで浸透力を維持するところはすごい。
 No.27L単体でジャズ系のソースや編成の大きな演奏を大音量で再生した時に、やや硬質な感触が頭を覗かせるようなこともここではまったく見られなかった。
 アンソニー・ニューマンのチェンバロは不思議なことにオーディオ臭さがむしろ薄まり、オーバーシュート気味になりがちなパルシヴな響きも、アコースティックな楽器の複雑なニュアンスの変化を短調にせず、タッチの違いや音色の変化、演奏上の技巧的な解釈のディテールをたぶん、これ以上細分化できないレベルまで掘り下げて克明に提示する。
 エンヤでの雷鳴のリアリティは思わず首をすめたくなるほどだし、録音そのものの凝り具合やエンジニアの意図、あるいは完璧主義者といわれているエンヤ自身の音に対するこだわりが手にとるように見えてくる。
 音場の奥行き、音像のイメージングのよさに彼女が意図したいわば音像の浮遊感のようなものが実体感を失わずに再生される。これはもう文句のつけようがない空間描写力である。
 ふと気がついたことだが、シングルアンプでは気になっていた4344のやや箱鳴り的な付帯音がなぜかピタリとな 鳴り止んで、なんだかとても静かな鳴り方になっていたのだ。スピーカーそのもののS/Nがぐんと良くなったように聴こえる。これにより、エンクロージュアの響きがとても綺麗になったように聴こえ、音楽の再現力もいっそう優れたものになったのだ。
 どうしてだろう? 一つには電気的にウーファーのクロスオーバーポイントが320Hzから290Hzに下がり、遮断特性が12dB/octから18dB/octになっているということが効いているのだろう。
 しかし、No.20・5Lがネットワークを介さず、38cmウーファー2235Hをダイレクトにドライブしていることのメリットのほうが大きいのかもしれない。No.20・5Lはただでさえドライブ能力の高いアンプなのに、高域ユニットからの逆起電力も受けず完璧にウーファーそのものを制御している、そんな印象だ。
 コーン紙はピストンモーションを正確に行なうことで、不要な動きが抑制され、そのおかげでフレームからバッフル、バッフルからエンクロージュア全体と拡散していく複雑な共振を発生させないことにも繋がっていると思う。

ヤンキー FPR-72

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 アメリカ、カリフォルニア州ビスタから、実に陽気なネーミングを持った新しいスピーカーが登場した。ヤンキー・オーディオ社のFPR72がそれで、学生の頃からオーディオが趣味であったJ・タイラー氏が、自身の好む究極のサウンドを求めて、1985年に会社を設立し、スピーカーシステムの開発に着手して完成したものという。
 本機はプレーナータイプで、これはアポジー同様、リボン型スピーカーである。しかし、アポジーとは異なり、ヤンキーはシングルダイアフラムで正真正銘のフルレンジ。表面積はコーン型に換算すると、なんと45cm口径のユニットで4個分もある。このメーカーの主張は、そのシンプルな全体の構成や、音から、実にはっきりと感じとることができる。それはもう、気持ちがいいくらいに単純にして明快なのだ。何も小細工をしていないプレーンなダイアフラム。ネットワークなんて当然ない。音楽信号が通過する経路には、L成分もC成分もない、シンプルそのもの。
 そのせいかどうかわからないけれど、音にはアポジーのようなエネルギー感は望めない。でもいいのだ、これはこれで。
 なにしろスピーカーのインピーダンスは3Ωと公表しているのに、メーカーは必要なパワーアンプとして、アポジーのように大袈裟なものを要求していない。クレルやマークレビンソンは要らないのだ。50Wから75W。ソリッドステートでも真空管アンプでも可。これが公式見解である。驚きだ。
 つまり、そのくらいのパワーで十分な音量で聴きなさいと指定されていると解釈していいと思う。じっさい、試聴時もボリュウムをぐいぐい上げていっても音圧は実に遠慮しがちにしか上がっていかない。
 それに幅の広い平面振動板により純平面波が作られるせいで水平の指向性がやけに鋭く、頭をわずかに動かしただけで、音像はコロコロ移動する。
 さらに、聴感上の周波数特性も激変してしまう。ダイアフラムを垂直に貫通する軸をしっかりとリスナーの耳に向けておかないと、ぼんやりとした寝ぼけた音にもなってしまう。
 それでも、小音量で、ピシッとピントを合せ、頭を動かさないようにして聴くバロックやアコースティックギターの繊細感やヴォーカルの不気味なほど生々しい定位感は、傅信幸さんの言う『イメージがぽっと浮かぶ』をはるかに通りこして、もはやある種の形而上的な雰囲気さえ漂っている。
 音はすべからく浮遊し、蜃気楼のごとく宙で揺らめくのだ。もの凄い個性であるといえるだろう。
 これが気にいればもうほかの製品はいらないという人がいてもおかしくないだろう。

JBL XPL90

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 音場の温度がほんのりと低下したような、やや醒めた表情がつく。冷徹、あるいは冷酷なまでにすべてを分析していくような厳しさは、ここにはなく、ある種の穏やかさや丸さ、おとなしさ、と言った、これまでのJBLの音を語る時に出てこなかったような修辞が並ぶ。それでも、情緒過多になったり、軽薄さに近いあっけらかんとした明るさとは無縁の、知的響き、無駄をそぎ落としたようなある種のストイシズムというJBLの特質の一側面はあわせ持っている。JBLフリークには良い子になりすぎた存在で、個人的にもかつての鋭敏さがもう少し欲しいとも思う。しかし、一般的にはニュートラルになった個性、中和された鋭敏さはむしろメリットになろう。

BOSE Model 501SE

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 同社イルソーレでシステムのスピーカー部分を単売したようにも思えるが、音の傾向は微妙に違い、こちらの方がいわゆるこれまでのボーズ・カラーをよく持っているように聴けた。いわば洗練よりおおらかさを感じさせる。かといってピーキーなじゃじゃ馬的な要素はなく、むしろ家庭用のイージーハンドリングな製品として、実にうまい音作りがなされている。刺激的な音は出ず、サテライトスピーカーのサイズの小ささが、功を奏して音の広がりはなかなかだ。
 とりわけサックスの響きには形而上的な黒っぽい雰囲気がついて楽しめる。ディテールにこだわった聴き方をする製品ではないことを承知していれば、使いこなしも楽しめる。

ソナス・ファベール Minima

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 アコースティックな楽器がもつ音色感の変化に対する描きわけに、独特の緻密さがあり、しかもその色一つ一つにある種の強さが感じられる点が、総じて淡白な国産スピーカーにはない魅力である。濡れたような質感と艶は、クリアカラーの吹きつけ塗装をしたみたいな光沢をつけ、この点が好みの別れるところかもしれない。エンクロージュアの作りのよさが、響きのよさに正しく反映されており、弦やピアノをよく歌わせてくれる。低域の量感はミニマムだが、不思議によく歌う性格の明るさに助けられ、音楽を楽しく聴かせててくれる。ディティールの描写力もあり、あいまいな音楽性という言葉で、情報量という絶対的物理量を誤魔化さない真面目さも併せもっている。

インフィニティ Modulus

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 ローインピーダンスでハイパワーアンプでないと鳴らないという風評だったが、常識的な音量で聴くかぎり、とくに破綻をみせることはなかった。というより、僕はこのスピーカーはやや音量をしぼって、しんと静まりかえったプライベートな空間で楽しむべき存在だと聴けた。なにしろ麻薬的に音がやわらかであり、ハイエンドが繊細なのだ。これほど傷つきやすく損なわれやすい個性は昨今めずらしく貴重だ。うっかりすると寝ぼけた音と誤解されそうなほど、音の輪郭、エッジは淡くあやうい。けだるくアンニュイな、まるで陽炎のような音の漂いにそっと耳をそばだて、やわらかな空気に浮ぶような浮遊感に遊ぶのも、またひとつの行き方だと納得させられる。

プロアック Response 2

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 サイズやユニット構成からすると割高感もあるだろう。しかし近年の注目株だけに、かなり手なれた作り手の存在を感じさせる、したたかな製品だ。モニター的な分解能の高さと耳あたりの良さを両立させ、上品によくのびた高域と、類型他製品に散見する、ポリプロピレンくさい響きをよくコントロールした低域が、巧妙にバランスしている。各楽器の音像サイズが、音程で不自然に小さくなったり肥大したりもせず、演奏のデリケートな陰影感を端正に提示するあたり、価格を納得させるものがある。
 ソフトドーム型のトゥイーターは、一見、スペンドールそっくりだが、随分と鳴り方が違うものだ。

アカペラ Fidelio

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 専用スタンドの背が高く、音が上方から降りてくるような感じだが、それにしてもよくひろがる雰囲気の良い音だ。声のもつエネルギー感がやや薄くなるものの、これがむしろ僕にとってはよい方向に作用して、春の霞たなびく、といった独特のエコー感とあいまって、情緒的でしっとりしたニュアンスが堪能できる。ふっくらした低域の支えも充分で、うっすらと甘い弦の艶や、弾力性のあるピアノの質感は、素直な自然さが感じられ、わざとらしさがない。ドイツにもこんなにマイルドな音があるのだと、越境的に変化するオーディオの個性より、やはり作る人の個性の差の方が大きくなりつつある、昨今のオーディオ界を暗示する象徴的な作品。

サンスイ SP-1000

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 硬質でメタリックな光沢が、あらゆる楽器の音色に乗ってくるところが、よくもわるくも、この製品の個性になっている。ふっくらとしたやわらかさや、しっとりとしたうるおいという世界からは、遠く、かっちり、きっちり、剛性追及、物理量優先、といったある種の真面目さがある。ピアノのアタックは凄いがやや人工的。弦は僕の認識している弦の音とはかなり違う、独特の輝きが耳に眩しい。シンバルの炸裂するエネルギー感はたいしたものだが、何かしらガラスを叩き割ったような音になるのはどうしてだろう。ローエンドの伸びはこのサイズとしては見事。特に単音より、低く重く持続するシンセサイザーの音などそれらしさがたっぷり出る。

NHT Model 1

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 鈍いスピーカーでは、とってつけたように人工的なエコー感でべったりとおおわれたようになる録音でも、嫌味なく再生しうる透明感がある。
 音の輪郭は硬質だが線が細いために固いという印象にはならず、むしろ繊細でやわらかなイメージをつくっている。声には、淡白さともいえる微妙なニュアンスもでかかっていた。
 音像の実体感を強調するより、全体の響きの綺麗さをねらっているようで、たとえば、シンバルのアタック感は弱まるが、パッと水面に石を投げ込んだ時にひろがる波紋のように、ディスパーションをとても爽やかに表現していた。サックスの響きは、やや上品すぎるか。

アコースティックエナジー AE2

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 プロアック同様、イギリスの注目株。顔つきは正反対で、真っ黒けでそっけないが、音は見かけによらず無骨さは微塵もない。一見スタティックな面があるや、とおもわせるほど、響きに定着感のよさがあり、ブレたり浮き上ったりしない、安定した音像定位が得られる。情緒的な色艶をやや抑制するが、各楽器のまわりには曖昧なもやつきがなく、すっきりと広がる響きのディスパーションパターンが綺麗に再現された。やわらかい音はやわらかく、硬い音は硬く、きちんと描き分けることのできる数少ないスピーカーで、どちらかに偏る傾向もない。
 ニュートラルなモニターとして有用。家庭用としても見た目を気にしなければ特選。

スペンドール SP2/2

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 やや箱の響きが重いと感じる。特に中低域から低域にかけてややボンつくようなこもり感が、どうしても気になってしまう。たぶん試聴で使用した置き台との相性、あるいはアンプやCDプレーヤーとのマッチングが致命的に悪かったのかもしれない。弦も響きがドライで、ピアノも左手の低い音域がかぶり気味になる。アタックののびも頭打ちで平板なのだ。こんなはずはない。高域はトランジェントがやや穏やかに過ぎ、このクラスとしてはディティールの再現性がもう少しあってもいいのではないか、の不満ばかりだ。本機そのものが不調だったのかもしれず、不本意な結果だった。しかし、これは純粋に僕の嗜好と生理的にミスマッチだったのかもしれない。

エレクトロボイス Sentry30

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 低域を比較的たっぷり聴かせる英国系のスピーカーに比べると、この引き締った中低域からローエンドにかけてのニュアンスは、量的に不足感をいだきやすい。しかし、よく聴いてみると、張りのつよい明快な表現で音像の立体感をくっきりとマクロ的に押し出し、サックスの実体感はサイズを忘れさせる。シンバルのアタックにも凝縮されたエネルギー感が乗る。反面、弦の繊細感がややドライのタッチになるが、音楽そのものに求心力をつけてくれるために、ムードに流れず、のめり込んで聴く、といった聴き方には、ジャンルを超えた適応性を持つかもしれない。しなやかで柔らかな音や、透明感に富んだ洗練された音を求める人には、やや不向き。

メリオワ The Melior One

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 カナダのミュージアテックス・オーディオ社より、同社の〝マイトナー〟及び〝メリオア〟ブランドのCDプレーヤー、アンプにひき続き、メリオワ・ブランドから新たにスピーカーシステム/メリオアOneが登場した。
 一見エレクトロスタティック型のように見えるがこれは平面振動板を持った完全なるダイナミック型スピーカーである。
 平面振動板というと、かつての国産スピーカーで大流行したような、分割振動を抑制した剛性の高いダイアフラムに、ハイコンプライアンスエッジを組み合わせたユニットを思い出す。しかし、メリオアOneに採用されているユニットは全くその対極に位置するような構成をもっている。
 薄いダイアフラムの素材は、マーチン・ローガンの一連のスピーカーと似たようなマイラーフィルムの透明な膜で、パリッとしたある程度の硬さを持ったものだ。しかもエッジ部分はリジッドに固定されていて、一定のテンションで、ピンと張られ、膜の中心に貫通固定されたボイスコイルが前後にピストンモーションするようになっている。メーカー側はそのために自然な球面波が作られると説明してもいる。球面波になぜこだわるのかというと、平面波では、音像が遠のきがちになり、距離感がやや曖昧になる傾向があるからだ。
 正面から見て、ダイアフラムの反対側には、一辺が1cm程度の格子上に組んだスリットがあり、そのスリット上に薄いフェルトを貼付することで、ピーク性の音が出ないようにコントロールしている。
 どうやらメリオアOneは、ダイアフラムが分割振動することを積極的に音造りに活かしたアプローチがされているらしく、特に低域の音像が陽炎的な浮遊感をともない、オーケストラの再現に独特な広がりをつけてくれるのだ。
 事実は定かではないが、音の印象からすると、この水面のごとくフラットなマイラー膜は、分割共振を起こし、ユニット正面からも逆相成分の音を少なからず放射しているように聴ける。そのことが広がり感を演出しているらしいのだ。
 そうした、やや特殊な面もあるとはいえ、バロック系の古楽器オーケストラなどでも高弦群の定位は綺麗だし、音の漂いには、独特の浮遊感がついて楽しい。フルレンジユニットでネットワークを持たないが故の鮮度感もある。さらっとした軽やかな繊細感はないが、響きにある種の緊迫感がつく点もいいと思う。
 スピーカーのインピーダンスが過度に下がることがないから、大袈裟なパワーアンプを用意しなくても鳴ってくれる。ソースを選ぶ使いにくさはあるが、貴重な個性をもった製品であり、高価格ではあるが、一聴に値するスピーカーではないかと思った。

チャリオ HiperX

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 同じイタリアながらソナースファベルともずいぶんちがって、これは相当にアクの強い響きを持った製品。なにしろ、中高域におそろしくテンションの高い張出しのようなものがあって、かん高い感じの鳴り方をする。個人的にはもっとも苦手とする音だ。およそ繊細という表現からはほど遠い、不太くて硬質な線で音像をたくましく描き出す。エージングによってどれほどの変化があるか興味のあるところだ。はたしてこの音が、ひよわな音が嫌いな人にも好まれるのものなのかどうか、僕にはよくわからない。インフィニティの対極にある、押し出しの強さを持った好事家向きの超個性的サウンド。エンクロージュアとスタンドの仕上げは絶品だ。

ダイヤトーン DS-700

早瀬文雄

ステレオサウンド 95号(1990年6月発行)
特集・「最新スピーカーシステム50機種 魅力の世界を聴く 小型グループのヒアリングテストリポート」より

 先に聴いたビクターの優等生的な音にも、少し色がついていたことを教えてくれるような、蒸留水的な透明感がある。ヴォーカルの口元も小さくなり、音場の空間、とくに天井の高さがスッと増して、部屋全体の空気が軽くなったような気がする。高域にエネルギーが分布する楽器群の音像が引き締ってタイトだが、低域が時として脹らみ気味になるようだ。部屋との相性の問題か。弦はウェットで、やや人工的な艶や、光沢感が乗るが、ピアノのアタック感や、シンバルのエネルギー感には実体感がある。ウッドベースの質感が音程の上下でややニュアンスを変えてくるような感じがあり、この辺りが、スタガー駆動の難しさかもしれない。