Category Archives: スピーカーシステム - Page 70

JBL 4320

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 本来プロのモニター用として開発されたシステムだが、その充実した音の緻密さは、すべての音楽プログラムを一分のあいまいさもなく再生する。デザインだって、プロ用とはいいなから、家庭の部屋へ持ち込んで少しもおかしくない。むしろ、その直截な現代感覚はモダーンなインテリアとして生きる。シャープな写真が魅力的で、しかも、正直に対象を浮き彫りにして魅力的であるように、この明解で一点の曇りのない音は圧倒的だ。

タンノイ Autograph

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ガイ・R・ファウンテンのシグナチュアーで保証される英国タンノイの最高級システム。大型コーナーのフロント・バックロード・ホーンに同社が長年手塩にかけて磨き込んだ傑作ユニット、〝モニター15〟を収めたもの。音質は、まさに高雅と呼ぶにふさわしく、華麗さと渋さが絶妙のバランスをもって響く。ただし、このシステム、部屋と使い方によっては、悪癖まるだしで惨憺たるものにも変わり果てる。

ヤマハ NS-690

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLのL26〝ディケード〟とほとんど前後して発表されて、どちらが先なのかよくわからないが、むしろこの系統のデザインの原型はパイオニアCS3000にまでさかのぼるとみる方が正しいだろう。最近ではビクターSX5や7もこの傾向で作られ、これが今後のブックシェルフのひとつのフォームとして定着しそうだ。NS690はそうしたけいこうをいち早くとらえ悪心つも含めて成功させた一例としてあげた。

アルテック A5

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 アルテックの劇場用大型システム。とても家庭に持ち込めるような代物ではないという人も多いが、それは観念的に過ぎる。絶対安心して鳴らせるスピーカー、つまり、どんなに大きな音でびくともせず、よく使い込んでいくと小さな音にしぼり込んだ時にも、なかなか詩的な味わいを漂わせてセンシティヴなのである。形は機械道具そのもの。デザインなどというものではない。これがまた、独特の魅力。凄味があっていい。

フェログラフ S1

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ほかのスピーカーにちょっと類型のないほどのシャープ音像定位が、このスピーカーの第一の特徴である。左右に思い切り拡げて、二つのスピーカーの中心に坐り、正面が耳の方を向くように設置したとき、一眼レフのファインダーの中でピントが急に合った瞬間のように鮮鋭な音像が、拡げたスピーカーのあいだにぴたりと定位する。独特の現実感。いや現実以上の生々しさか。デザインのモダンさも大きな魅力。

タンノイ Autograph

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 コーナータイプという構造の制約から、十分に広い条件の良いリスニングルームで、左右に広く間隔をとって設置しなくてはその良さを発揮できず、最適聴取位置もかなり限定される。大型のくせにたった一人のためのスピーカーである。オートグラフのプレゼンスの魅力はこのスペースでは説明しにくい。初期のニス仕上げの製品は、時がたつにつれて深い飴色の渋い質感で次第に美しく変貌するが、最近はオイル仕上げでその楽しみがない。

QUAD ESL

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 コンデンサー・スピーカーという独特の構造を最高に生かしたデザイン。赤銅色のパンチング・メタルは金属の冷たさよりは逆に渋味のある暖かい感触とさえ言え、一度は部屋に持ち込んでみたい魅力がある。むろん音質も好きだ。夾雑物のないクリアーな、しかし外観と同じように冷たさのないしっとりとした雰囲気をかもし出すような、演奏者と対話するようなプレゼンスを再現する。黒い仕上げもあるようだが赤銅色の方が断然良い。

JBL 4320

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 同じJBLでもパラゴンと4320は別ものといえるくらい音質が違う。プロ用、家庭用という意味でなく、明らかに新しいジェネレーションの透徹したクールな鳴り方で、プロ用としての無駄のない構成、少しザラザラしたグレイの塗装と黒いネットのコントラスト、あらゆる面で現代のスピーカーである。アルテック612A、三菱の2S305、フィリップスのモニター等にも、機能に徹した美しさがみられるが、4320は抜群だ。

JBL D44000 Paragon

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 3ウェイのオールホーンを、しかもステレオでこれほど見事に造形化したスピーカーはほかにない。低音ホーンを形成する前面の大きな湾曲はステレオの音像定位の面でも理にかなっているが、音質そのものは、必ずしも現代風の高忠実度ではなくことに低音にホーン独特の共鳴もわずかに出る。がそうした評価より、この形の似合うインテリアというものを想定することから逆にパラゴンの風格と洗練と魅力を説明することができる。

ボザーク B310, B410

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ニューイングランドサウンドを代表する貴重な存在といえる大型システムである。ユニットは、すべてコーン型で会社創設以来、基本設計を変えないR・T・ボザークの作品である。システムは、すべて手づくりで丹念につくられた、いわば工芸品であって、工業製品でないところが魅力である。この音は深く緻密であり重厚である。音の隈どりの陰影が色濃くグラデーション豊かに再現されるのはボザークならではの絶妙さである。

JBL L25 Prima

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ブックシェルフ型というイメージを一掃し、カラフルなユニット風のシステムは実用性の高い未来志向を強く持ち合わせ大きな魅力。
 サウンドは定評のL26と同形で低域の自然さは一歩ゆずってもバランス良い聞きやすさは、プリマの大きなプラスだ。
 多くを語るより、「まあ使ってみて」といおう。良さは音だけでなく、オーディオとして以上のより多くを君に感じさせるに違いないから。

エレクトロリサーチ Model340

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 国産品めいたこけ驚かし的なマルチユニットのちっぽけなブックシェルフ型から、これほどの魅力的な華麗鮮烈なサウンドが出てこようとは。無類の「音の良さ」を秘めたシステムだ。一般のブックシェルフにありがちな重苦しい低音も、またそれを避ける結果しばしばみられるふぬけた超低域もこれにはない。レベルを上げてもくずれない低域は力強く冴え瑞々しいほどの中音から高音の迫力とよくバランスし、抜群の広帯域感が溢れる。

ダルクィスト DQ10

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 新しいオーディオ界を目指しつつある米国において、特にスピーカーの新興勢力はめざましいばかりだ。ESS、ヴェガと並んで好評の、新参ダルキストの風変りな容姿と、澄みきったサウンドは新進メーカー中の白眉だ。その提唱するところの新たなる基本理論よりも音楽的、音響的なセンスが無類にすばらしい。その滑らかな中高音をそのまま超低域まで拡張したサウンドが、新たなる時代に羽ばたく要素となった傑作といえる。

JBL Sovereign I

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

「ヴェロナ」がカタログから消えてしまって、今やJBLのフロア型もクラシックなスタイルで豪華なたたずまいの製品はこの「サブリン」だけになってしまった。だから「ヴェロナ」に対する愛着と願望とが「サブリン」に妥協した、といってもよい。フロア型に対する望みがブックシェルフ型と根本的に違うのは、室内調度品としての価値をもその中に見出したい点にあるが、それがサブリンに凝縮したともいえる。

タンノイ Autograph

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 英タンノイのスピーカーシステムは、すべて、デュアルコンセントリックと名付けられた同軸型ユニットを1個使用していることに特徴がある。このオートグラフはモニター15ゴールドをフロントショートホーン、リアをバックローディングホーンとした大型のコーナーエンクロージュアに入れたシステムでけっして近代的な音をもってはいない。けれどもアコースティックの蓄音器を想い出すような音質は、かけがえのない魅力だ。

ESS amt1

ESSのスピーカーシステムamt1の広告(輸入元:ティアック)
(スイングジャーナル 1974年4月号掲載)

ESS

良い音とは、良いスピーカーとは?(最終回)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)

スピーカーの新しい傾向
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 アメリカを例にとれば、一方をKLHに、他方をJBLに代表させると説明がしやすい。KLHのくすんだ色彩を感じさせる渋い鳴り方。細部(ディテール)をこまかく浮き彫りするよりもむしろ全体の調和を大切にして、美しく溶け合う重厚なハーモニィを響かせるあの鳴り方。おっとりした、暖かい、気持のいい、くつろぐことのできる、しかしやや反応の鈍い……などといった表現の似合う音に対してJBLの、第一にシャープさ、明快さ、細かな一音もゆるがせにしないきびしさ、余分な肉づきをおさえた清潔さ、鈍さの少しも無いクリアーな、反応の敏感な、明るい陽ざしを思わせるカラッと乾いた軽い響き。あらゆる点が正反対ともいえる鳴り方は、とても同じアメリカのスピーカーという分類の中には、とても収まりそうにない。それは、KLHを生んだボストンと、JBLの生まれたロサンジェルスという土地柄と切り離して考えることのできない性質のものだ。
 ボストン。アメリカよりむしろヨーロッパの街並を思わせる古い煉瓦作りの建物。夏などはじっとりと汗ばむほど湿度が高く、そして冬は身を刺すような寒風の吹きまくる、日本でいえば京都や神戸のように、ふるさと新しさが混然と一体になり、むしろ街が古いからこそ新しいものに憧れ、しかも新しさをとり入れることで古いものの良さを壊すようなことをしないで良識のある街。ヨーロッパの古い様式で作られた有名なシンフォニー・ホールで聴くボストン・シンフォニーの音に、わたくしはKLHの体質をそのまま感じる。ARの古いタイプにもそういう響きはあった。AR7あたりから後の新しいARの各モデルの音そして同じ流れを汲むアドヴェントの音は、KLHのような暖かさが薄れてきているとわたくしには聴こえる。それにしてもしかし、なぜ、AR、KLH、アドヴェントというスピーカーたちが、ボストンに生まれ育ったのか、これは興味のあることだ。そう、それにもうひとつBOSEを加えなくてはいけないが。
 ロサンジェルス・シンフォニーを、あの有名なパビリオンのホールで聴くと、同じようなシンフォニー・オーケストラがこれほどまでに軽やかな明るさ、おそろしく明晰でクールな肌ざわりで響くことにおどろかされる。そして聴いているうちに次第に、JBLのスピーカーの音が結局はこれと同質のものだということに気づきはじめる。ボストン・シンフォニーがKLHの音を思い起させるのと同じプロセスで、しかもその音はあらゆる点で正反対に。
 ロサンジェルスに住む友人の紹介で、その土地のオーディオ・マニアと友達になった。その彼がわたくしに、BOSEやARの音をどう思うか? と質問してくる。彼は言う。あの重苦しい音、もたもたした低音、切れ味の悪さ、あんなのがお前、音だと言えるか……。そうだそうだ、オレもそう思うよ、とわたくしは彼と握手してバーボンの水割りで乾杯するのだ。
 ところが東海岸側(イーストコースト)では事情は逆転する。「ハイ・フィデリティ」誌の編集者たちが、ニューヨーク郊外の古い館を改造したレストランで昼食をご馳走してくれたあと、外に出ると夕立が上って、向うの山腹で雷鳴がまるで大砲を撃つようにとどろいたとき、中の一人が、ほうら、JBLだ、ドカァン、ドオーンだ! と、さもおかしそうに揶揄するのである。つい今しがた、互いに使っている再生装置を紹介しあって、わたくしがJBLの3ウェイの名を上げたら彼らの顔に一様に不思議そうな表情の浮かんだ意味がそれで氷解した。彼らはJBLをちっとも良いと思っていない。
 ハイ・フィデリティ誌ばかりでなく、〝ステレオ・レビュウ〟誌でも〝オーディオ〟誌でも、あなたがたが最も良いと思うスピーカーは何か、と質問したのだが、答の中に一番に出てくるのが、決まってARのLSTだった。ステレオ・レビュウ誌の編集者の一人はなかなかの通らしく、LSTのレベル・コントロールのポジション1か2が良い、とまで言い切った。もちろんAR以外のスピーカーの名前も出たのだが、JBLの名はほとんど出てこない。そして重要なことは、これらの出版社の所在地が、全くニューヨーク地区──つまり東海岸のそれもほんの一ヶ所──に集中している、という点である。ニューヨークとボストンは東京と名古屋ぐらいの近い距離だが、そのボストン/ニューヨークの目の出は、ロサンジェルスより三時間も早い。北のボストンと、もう少し下ればメキシコという南の街ロサンジェルスとは、もう全く別の国といってもいいくらい、気候も人の感受性も違っている。ボストン・シンフォニーの音もLPOの音も、そういう音をつくろうとしてできたのではなく、彼らの血が、つまり彼らの耳が自然にそういう個性を作り育てた。その同じ血がスピーカーを作っている。日本人のような単一民族にはこのことは容易に理解できない不可解な、しかし歴然とした事実なのである。話をヨーロッパにひろげても日本に戻してもその点は全く同じことだろう。ただ、少なくともアメリカ国外でそれくらい評価の違うボストンの音(AR、KLH、アドヴェント)とロサンジェルスの音(JBL、アルテック)が、ヨーロッパでも日本でも確かに良い音だと評価され受け入れられているのに対して、日本のスピーカーの音が、海外では殆ど評価の対象になっていないというのも確かな事実である。さきにもあげたアメリカの代表的オーディオ誌三誌、それに、業界誌の〝ハイファイ・トレンド・ニュウズ〟誌を訪れてそのどこでもきまって出てくる質問が二つあった。ひとつは、日本の4チャンネルの現状がどうなっているのか、であり、もうひとつは、日本のエレクトロニクスがあれほど進んでいるのにスピーカーだけはどうしてあれほど悪いのか、お前たちはあの音を良いと思っているのか、であった。ステレオ・レビュウ誌の編集部では、読者調査のカードをみせてくれ、それにはパーツ別に分類したブランド名ごと普及率が整理してあり、アンプやテープデッキでは日本のメーカーが上位を占めているのに、スピーカーばかりはべすと10の銘柄(ブランド)のうち、日本のメーカーはわずかに一社。しかも、これだって音が良くて売れているんじゃない。アンプその他で強力な販売ルートを作り上げて、スピーカーは抱き合わせで無理に販売店に押しつけているんだ、品ものがいいからじゃないんだ、とくりかえして説明してくれる。いままで、日本のスピーカーが海外で認められない、と書くと、、日本のメーカーから、海外でもこんなに出ているという数字をみせられたことがあるが、必ずしも「良い」から売れているとは限らない、という例を、はからずもアメリカの雑誌の編集者たちが証明してくれたわけだ。くやしいかぎりだが仕方がない。風土がスピーカーの音作るとなれば、日本という国に、良いスピーカーを作るだけの土壌があるかどうか、という問題にまでさかぼらなくてはならなくなってくる。前途多難である。

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 スピーカーの音の違いというものを、しかし風土や土地柄からだけでは説明しきれない。たとえばARをみてもJBLやアルテックをみても、またイギリスやドイツのスピーカーをみても、この数年のあいだに音のバランスのとり方が明らかに変ってきている。それにはいろいろの原因が考えられるが、わたくしはいま三つの理由をあげる。
 第一はスピーカーの設計、製作の技術や材料の進歩。これによって、従来そうしたくてもできなかったことが可能になる。
 第二に、スピーカー以外のオーディオ機械類の進歩。たとえばテープを含む録音機会の進歩、それを再生するピックアップやテープデッキやFMチューナー、アンプリファイアーの進歩によって、同じスピーカーでさえ音が変り、ひいては新しいスピーカーの出現をうながす。
 第三。音楽の変遷、そして同じ音楽でも演奏様式の変遷。たとえばロックの台頭と普及によって、従来とは違う楽器、演奏法が誕生し、聴衆の音楽の聴き方が変わる。クラシック畑でもその影響を受ける。とうぜんそれが録音様式の変化をうながし、録音・再生機械の進歩をも促進させる。
 再生音の周波数レインジに関していえば、40から一万二、三千ヘルツまでがほぼ平坦に、歪少なく美しく再生できれば、音楽音色をほとんど損なうことなく実感を持って聴くことができる、という説は古く一九三〇年代にベル・ラボラトリーやE・スノウらによって唱えられ、それはごく近年まで訂正の必要が認められなかった。蛇足と知りつつあえてつけ加えるが、40から一万三千ヘルツをほとんど平坦に、というテーマは現在でも容易に達成できる目標とはいえない。カタログ・データはいざ知らず、現実に市販されているスピーカーの周波数特性だけを眺めても(たとえば本誌28、29号スピーカー特集の測定データを参照されたい)、右の条件がなま易しいものでないことはご理解頂けると思う。わたくし自身も、かつてハイカット・フィルターによって実験した際、少なくともクラシック及び通常のジャズ、ポピュラーのレコードに関するかぎり、13キロヘルツ以上の周波数を急峻にカットしても楽器自体の音色にはもはやほとんど変化の聴きとれないことを確認している。
 しかし──、ロックに代表される新しい音楽、それにともなう新しい奏法の出現によって、オーディオからみた音楽の音色は大きく転換した。低音限界の40ヘルツは一応よいとしても、シムバルそのほかの打楽器、雑音楽器(特定の音程を持たないリズム楽器や打楽器類を指していう)などの頻用とより激しいアタックを強調する奏法によって、音源自体の周波数レインジはより高い方に延びはじめた。打楽器はその奏法によって高域のハーモニクス成分の分布が大幅に異なり、アタックの鋭い音になるにつれて高域にいっそう強いスペクトラムが分布しはじめる。シムバルの強打では、20キロヘルツ以上にまで強い成分が分布することもすでに報告され、実際にも13キロヘルツぐらいでフィルターを入れると──もちろん録音・再生系の全体がそれより高い周波数まで正確に再生する能力をもっている場合にかぎっての話だが、明らかに音色が鈍くなることがわかる。昔とくらべて、はるかに刺激的な音を多用する新しい音楽の出現によって、録音も再生も、より広い高域のレインジが要求されはじめたのである。
 その明らかな現われのひとつに、たとえばJBLの新しいプロフェッショナル・シリーズのスピーカー・ユニットの中の、♯2405型スーパー・トゥイーターをあげることができる。本誌27号の本欄で書いたように( 80ページ)、劇場(シアター)用、ホール或いはスタジオ用のスピーカーには、いわゆる超高音域は不必要であった。古いプログラムソースには、10キロヘルツ以上の音はめったに録音されていなかったし、したがってそれ以上の高音域を平坦に延ばしてもかえって雑音(ノイズ)ばかりを強調するという弊害しか無かったのである。したがってシアター用スピーカー、或いは良質の拡声装置スピーカーに、スーパー・トゥイーターに類する高音ユニットを加えた例は従来ほとんど無く、大半が2ウェイどまりであることはご承知のとおり。わずかに家庭用の高級システムの場合に、エレクトロヴォイスのT350、JBLの075等の、3ウェイ用のトゥイーターが用意されていた。それでも、JBL/075の周波数特性は、10キロヘルツから上ですでに相当の勢いで下降をはしめる。E-Vだって日本のいわゆるスーパー・トゥイーターからみれば決してワイド・レインジとはいえない。むしろこの点では、日本やヨーロッパ、ことにイギリスの方が高域のレインジというかデリカシーを重んじていた。それは、アメリカのスピーカーのいわば中域にたっぷり密度を持たせて全体を構築するゆきかたに対して、より繊細な、音色のニュアンスの方を重視したからだろうと思う。
 しかし新しいJBL/2405の特性を初めて見たとき,わたくしは内心あっと驚いた。6キロヘルツあたりから20キロヘルツ以上に亘って、ホーン・トゥイーターとしてはめったにないほど、見事にフラットな特性が出ている。内外を通じてこれほど見事な高域特性のスーパー・トゥイーターはほんとうに少ない(ただし製品ムラが割合に多いといわれている。やはりこれだけの特性を出すのは、よほど難しいことにちがいない)。
 世界的にみても高域レインジを延ばすことには最も無関心にみえたアメリカで、こういうトゥイーターが作られなくてはならなかった必然的な理由を考えてゆくと、先に述べた音楽やその奏法の変遷に思い至る。なにもポピュラーの分野ばかりではない。クラシックでも、たとえばメータの率いるLPOの音色、あるいはパリ管弦楽団、いまではカラヤンが指揮するときのベルリン・フィルでさえもが、昔のオーケストラからみればはるかにアタックを強く、レガートよりもむしろスタッカートに近い奏法を多用し、いわゆるメリハリの利いた鋭い音色を瀕繁に出す。新しい録音は、そういう奏法から生まれる高域のハーモニクスをより鮮明にとらえる。あきらかに、オーケストラのスペクトラムは高域により多く分布しはじめている。この面からおそらくは、現在の音響学の入門書に出てくるオーケストラや楽器のスペクトラムの説明は書き改められなくてはならないだろうと思う。すでに現代の聴衆は、耳あたりの柔らかさよりは明晰な、歯切れのよい鮮やかな音を好みはじめている。カラヤンはそういう聴衆の好みを見事にとらえ、ことに演奏会では実に巧妙に聴衆を酔わせる。現在でいえば室内オーケストラほどの編成で演奏されたハイドンの94番のシンフォニーに聴衆が〝驚愕〟して飛び上ったのは、もはや遠い昔の物語になってしまった。
 むろん音楽全体がそうだとは決して言わない。わたくし自身の好みを別にしても、音楽が、またその奏法がそういう方向に変ってゆくことの意味、そのことの良し悪しはここでは論じない。少なくとも、音楽を演奏し録音し再生するプロセスで、大勢が右のような方向に動きつつあり、スピーカーの作り方の中で高域のレインジの拡張というたったひとつの事実をとりあげてみてもそのことを証明できるということを、ここでは言っておきたいだけだ。そして、高域のレインジをより拡げることが、単に楽器の音色のより忠実な再現という範囲にとどまらず、すでに28号の144ページその他にも書いたようなレコード音楽独特の世界が開けるという点の方を、ほんとうは強調したいのだが。(この点については、いまはもう残りの紙数も少なく今回はくわしくふれることができない。もし機会が与えられれば、レコード再生のプレゼンスについて、とでもいったテーマで書いてみたいと思う。)
 一方の低音に関していえば、モノーラル時代はいまよりはるかに低音の本格的な再生を重視していたことはだいぶ前に書いた。ステレオの出現によって、あまり低い音まで再生しなくても低音感が豊かに聴こえるという心理的な問題から、低音の再生がおろそかになりはじめ、ARのスピーカーの出現のあとブックシェルフ・スピーカーの安物が増加するにつれて低音の出ないスピーカーが大勢を占めはじめ、一方、フォノモーターの唸りを拾わないためにも、またそういうモーターの性能に寄りかかったレコード製作者側の甘さも加えて、いつのまにか、世の中から本ものの低音が消えてしまっていた。いまのオーディオ・ファンで、本当の40ヘルツの純音を聴いた人はごく僅かだろう。ブックシェルフ・スピーカーにテスト・レコードやオシレーターで40ヘルツを放り込んで、ブーッと鳴る低音はたいていの場合40ヘルツそのものでなく、第三次高調波歪みにほかならない。ほんものの40ヘルツは身体全体が空気で圧迫されるような感じであり風圧のようでもあって、もはや音というより一種の振動に近い。そんな低音を再生できるスピーカーがいかに少ないか、その点でも28~29号の測定データはおもしろい見ものである。
 しかしむしろいま急にそういう低域を確かに再生できるスピーカーが多数使われるようになったりすれば、殆どのレコード・プレーヤーは使いものにならなくなるだろうし、大半のレコード自体に超低域の振動が録音されていることがわかって、針が乗っているあいだじゅう妙な振動音に悩まされてしまう。すでにレコードもレコード・プレーヤーも、現在普及しているプアな特性のスピーカーでモニターされ作られている。むしろ大半のスピーカーが60ヘルツぐらいから下が切れていることが幸いしているとさえいえる。低音に関しては、基本波(ファンダメンタル)を正確に再現しなくても、倍音(ハーモニクス)を一応正しく再生できれば楽器のそれらしい音色は聴きとることができるという人間の耳のありがたい性質のおかげで、全体としては低音をそれほど再生できなくとも、あまり不都合を感じないで済んでいるというだけの話なのである。しかし、ほんとうにそれでよいのかどうか──。
 JBLのプロフェッショナル・モニター4320、4325などでは、従来のスタジオモニターSM50にくらべて低域の拡張が計られている。高域は必要に応じて2405を加えることができる。前号でふれたアルテックのモニター・スピーカーも、新型の9846-8Aでは従来の604E/612Aにくらべてより低域特性を重視し低域補正回路まで組み込まれた。
 そこで再びBBCモニター。KEFの新しい資料によれば、すでにふれたLS5/1Aに次いで model 5/1AC という新型が発表された。最も大きな改良点は、デュアル・チャンネルアンプリファイアー、いわゆる高・低2チャンネルのマルチアンプになったこと。これにともなって最大音圧レベル112dB/SPLとより強大な音圧が確保され、低域補償回路が組み込まれて低音再生をいっそう強力化している。これはLS5/1AとちがってBBCモニターの名で呼ばれていないので、放送モニターよりもむしろレコーディング・スタジオ用として改良されたものと考えることができる。また、前回のBBCモニターの新型としてLS5/5型をご紹介したが、その後の調査もこのモデルがBBCで現用されているという確証が現在のところ掴みきれない。ロジャースで製作されているとの情報によって同社の資料をとり寄せてみたところ、たしかにBBCモニターというのが載っていたが、モデル名をLS3/6といい、”medium size studio monitor” と書いてあって、ちょうど三菱の2S305に対する2S208のような位置にある中型モニターのように思える(外形寸法は25×12×12インチ。スタンド込みの全高は37インチ。20センチ型のウーファーをベースにした3ウェイ型)。
 JBLの新型モニターといい、アルテックのニュー・モデルといい、またKEFの5/1AC、ロジャースのLS3/6といい、また28~29号を通じて最も特性の優れていたKEFのモデル104といい、新しいこれら一群のスピーカーが、従来までのそれとくらべると段ちがいに優れた物理特性──、より広い再生レインジとより少ない歪み、あるいは広い指向性、あるいは再生音圧の拡大──をそれぞれに実現させはじめた。明らかに、スピーカーの設計に新しいゼネレーションの台頭が見えはじめている。この項を書きはじめた頃、わたくし自身にまだ右のようなスピーカーの出現は予測できなかった。けれど、わたくしは一貫して、まず本当の意味での高忠実度再生スピーカー、広く平坦な周波数特性と、それに見合う諸特性の向上を、スピーカーの目ざすべき第一の目標だと主張し続けてきたつもりである。現在問題にされているオーディオ再生のさまざまな論議は、過去の極めて不完全なスピーカーを前提になされてきた。それらを原点に戻すには、まず、スピーカー固有の色づけ(カラーレイション)を可能なかぎり少なくしてみること、いわばカメラのレンズ固有のくせ──ベリートやタンバールの独特の描写に寄りかかった制作態度を一旦捨ててみるところから、新たな問題提起が始まるべきだということを言いたかった。ほんとうのワイドレインジの音など聴いたこともない人が、ナロウレインジでも音楽は十分に伝わる、などとしたり顔で説明することが許せなかった。嬉しいことに、わたくしたちの廻りに右のような新しいワイドレインジ(決してまだ十分とはいえないまでも)のスピーカーが揃いはじめた。わたくし自身、ナロウレインジの、あるいは旧型の固有の性格の強いスピーカーから再生される音の独特の魅力にも惹かれるし、そのことを否定するものでは決してない。また、すべてのオーディオ機器がワイドレインジであるべきなどと乱暴な結論を出すつもりも少しもない。むしろ現在のオーディオ再生では、すでにふれたように再生音域の拡張はいま急にはむしろ弊害を生じる場合が多く、すでにKEF♯104を入手されたユーザーから、いままで聴こえなかったレコードや針の傷み、アンプの歪みなどがかえって気になりはじめ、アンプを交換してはじめて104の良さがわかった、という話も聞いている。わたくしのこの小論から、にわかにワイドレインジを目指すようなあやまちは避けて頂きたいとくれぐれもお願いするが、また一方、注意深く調整された広帯域の再生装置が、いかに多くの喜びをもたらしてくれるものか。ほんとうは、そこのところを声を大にしてくりかえしたいのである。
 アンプに限らずスピーカーもまた、物理データの本当の意味での向上が、聴感上でもやはりより良い音を聴かせてくれるということを、新しい優れたスピーカーたちが教えてくれている。BBCモニターLS5/1Aは、完成までには何度もスタジオでの原音との直接比較と精密な測定がくり返され、改良が加えられたという。こうして注意深く色づけ(カラーレイション)を取り除いたスピーカーが、一般市販のレコード再生しても本当にくつろぐことのできる楽しい音を聴かせてくれるという一事から、わたくしは多くのことを教えられた。

良い音とは、良いスピーカーとは?(6)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)

高忠実度スピーカーの流れ
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 BBCモニタースピーカーLS5/1Aの音は、はじめて耳にしたときから、それまでモニターの代表として知られていたアルテック604E/612Aや三菱ダイヤトーン2S305らの音とは全く違っていた。よく耳にするこれらのモニタースピーカーの音は──中でもアルテック604E/612Aはわたくし自身約二年あまり自宅で聴いていたことがあるが──、第一に冷徹でプログラムソースのアラをえぐり出すような鳴り方で、永く聴きこむにはあまりにも鋭く、こちらの気持が充実し精神が張りつめたようなときでないとその鮮烈さに耐え難いような強さがある。そういう音には一方で、パワーを上げると滝に打たれるような爽快感さえあって精神の健康なときには一種のスポーツ的な楽しさで対峙できる反面、疲れた心を癒してくれるというような優しい鳴り方は絶対に求めることができない。それはアルテックばかりでなく2S305にもそういう傾向が感じられ、たった一度だけ、あるレコードファンが、団地の四畳半で管球アンプで鳴らしている音質に意外に柔らかな表情を聴きとった経験があるが、一般にモニタースピーカーの音質とは緊張を強いる、分析的な、余剰を断ち切った無機的な鳴り方をするものだと、わたくし自身まあ信じていたと言ってよい。わたくしだけではあるまい。現にそのような解説が、オーディオ専門誌でもひとつの定説のように繰りかえされている。
 BBCモニターの音は違っていた。第一にいかにも自然で柔らかい。耳を刺激するような粗い音は少しも出さず、それでいてプログラムソースに激しい音が含まれていればそのまま激しく鳴らせるし、擦る音は擦るように、叩く音は叩くように、あたりまえの話だが、つまり全く当り前にそのままに鳴る。すべての音がそれぞれ所を得たように見事にバランスして安定に収まり、抑制を利かせすぎているようにさえ思えるほどおとなしい音なのに全く自然に弾み、よく唱う。この音に身をまかせておけばもう安心だという気持にさせてしまう。寛ぐことのできる、あるいは疲れた心を癒してくれる音なのである。陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音である。この点が、アメリカのスピーカーには殆ど望めないイギリス独特の鳴り方ともいえる。
 初めてこれを聴いたのはもう六年も前の話になる。古い読者なら本誌8号の「話題の海外製品」欄(384ページ)に、山中敬三氏の紹介があることを記憶しておられるかもしれない。その頃初めて入荷して、山中氏のお宅に紹介記事のためにしばらく置いてあった。お前の好きそうな音だから聴きにこないかと声がかかって、しかしそのときの印象は、ずいぶんすっきりと線の細いきれいな音だという程度のもので、今思い返せば残念ながらわたくしの耳も曇っていた。しかし右の紹介記事をいま読み返してみると、山中氏も「定位もすばらしく良く、音にあたたか味がやや不足する気もするが、この色付けの少ないひびきは、モニタースピーカーのひとつの典型……」と書いておられる。するとあの部屋で鳴った音は、この種の音にはどちらかといえば冷淡な彼の鳴らし方そのものだったのに違いないと、今になってそんなふうに思えてくる。
 LS5/1Aのもうひとつの大きな特徴は、山中氏も指摘している音像定位の良さである。いま、わたくしの家ではこのスピーカーを左右の壁面いっぱいに、約4メートルの間隔を開いて置いているが、二つのスピーカーの中央から外れた位置に坐っても、左右4メートルの幅に並ぶ音像の定位にあまり変化が内。そして完全な中央で聴けば、わたくしの最も望んでいるシャープな音像の定位──ソロイストが中央にぴたりと収まり、オーケストラはあくまで広く、そして楽器と楽器の距離感や音場の広がりや奥行きまでが感じられる──あのステレオのプレゼンスが、一見ソフトフォーカスのように柔らかでありながら正確なピントを結んで眼前に現出する。
 柔らかな音は解像力が甘く、ピントの良い音は耳当りが硬い……。それがふつうのスピーカーだが、LS5/1Aは、ドライブするアンプの音色の差、カートリッジの差、レコーディングのテクニックの差を、そのままさらけ出す。モニタースピーカーなのだからこれは全く当り前の話だが、そういう冷酷なほどの解像力を持ち、スピーカー自体カラーレイションの少ない素直でありながら、レコードの傷みや埃に起因するざらついたノイズや、ビリつきとかシリつきなどといわれる種類の汚れた音をほとんど出さず、むしろ音を磨いて美しく鳴らす。前回(27号)に載せた周波数特性図からもわかるように約14kHzから上が割合急にロールオフしてゆく傾向があることがその大きな理由かもしれないが、しかしこのスピーカーに関連して発表されているKEFのリポートなどを読んでみても、全音域に亘って過渡特性をできるだけ改善しようと努めていることがわかり、その点もまた、音を美しく聴かせる重要なファクターであるにちがいない。
 監視用(モニター)でも検聴用(ディテクター)でもありながら、一人のアマチュアの気ままな聴き方をも許してくれるこういう鳴り方のスピーカーは、モニター用でない一般市販品まで話を広げてもほかに思い浮かべることができない。こんな音を聴くに及んでは、わたくし自身のモニタースピーカーに対するイメージがすっかり変わって、しまったことは容易にお分り頂けるだろう。残念なことに、三ヵ月ほど前に引越をして新しい部屋に置いたところが、右のような音の良さが(今のところはまだ)十分に生かせなくなってしまった。以前の、ほとんどこわれかけた本木造(本などと断わらなくてはならないほど、昔ふうの良い木造建築をしてくれる職人も材料もなくなる一方だが)、畳敷きの8畳のあのおそろしくデッドな部屋でこそ、このスピーカーの音は全く素直に耳のところまで伝わってきて、右に書いた素晴らしく自然なプレゼンスを聴かせてくれたのに、今度の部屋はスピーカーと聴取位置のあいだに、まるでエア・カーテンでも介在しているみたいに、以前にくらべて音の透過が極端に悪くなってしまった。しかしここのところがLS5/1Aのひとつのウィークポイントかもしれないことは、以前の8畳のそのまた前に住んでいた部屋でも(ややこしくて申し訳ありません)今回と似たような現象があったごとから想像できる。だいたいこのスピーカーをBBC放送局で使っている写真をみると、ミクシングコンソールの両そでに置いて、おそらくミクサーの耳から1メートルと離れないような近距離で聴くことさえあるように、むろん印刷写真からの憶測だから違うかもしれないがそのように思える。ともかく、離れて聴くにつれて音像のぼけてゆく傾向が、ほかのいろいろなスピーカーよりも顕著のように思える。それだから、わたくしのような昔から広いリスニングルームに住んだことのない人間には向いているのかもしれない。
 LS5/1Aにはもともとラドフォード製の6CA7-PPの35Wのパワーアンプが附属している。これで鳴らす音は美しいが、その美しさはいわばゼリーを薄くかけたケーキのようにやや人工的に滑らかな質感で、わたくしの耳にはこれでは少しもの足りない。むしろJBLの400Sや460Sなどの傾向の、あくまでも解像力の優れた良質のTRアンプで鳴らす方が、このスピーカーの恐ろしいほどの解像力やプレゼンスを生かしてくれる。逆にいえば、放っておくと音像がぼけてゆく方向の音を、できるかぎり解像力を上げる傾向に修整して鳴らそうという意識が働いているのかもしれないが……。
 LS5/1Aの音には、たとえばJBLのモニターのような鮮烈な明晰さ、神経の張りつめたモダンな明るさがない。いくぶん暗く、渋く、柔らかく、そして必要な音をできるだけ自然な光沢で控え目に鳴らしてくれる所が良さで、だから反面の不満が生じないと言ったら嘘になる。BBCを鳴らしてJBLの良さに気がつき、JBLを聴いたあとでBBCの柔らかなハーモニーに心からくつろいでゆく自分に満足する。わたくしの中にこの両極を求める気持が入りまじっている。
 先日、JBLのプロフェッショナル・シリーズのモニタースピーカー♯4320を、わが家に運び込んで鳴らす機会を得た。わたくしのJBLは以前から愛用している3ウェイだが、マルチアンプ・ドライブでいろいろいじるうちにいつのまにかBBCに影響されすぎて、いわば角を矯めすぎていたようだと気がついた。それはそれとして、JBLのプロ・シリーズが従来とは違う新しい音を作りはじめ、その新しさの中から、再びわたくしを捉える麻薬を嗅いでしまった。JBLとKEF/BBCモニターの音が、いまのところわたくしの中に住む両極の代表なのかもしれない。
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 ありていに言えば、BBCモニターについてはいくら枚数を与えられても当分書き足らないのだが、これを書いた理由をいえば、前回(27号)のくりかえしになるが高忠実度スピーカーの流れを説明するために、シアター・スピーカーから発展した家庭用大型スピーカー、ARから発展した小型ブックシェルフ、その折衷型の中型フロアータイプなど従来知られていた流れのほかに、新しくヨーロッパに抬頭しつつある家庭用ハイファイ・スピーカーのひとつの源流として、ことにイギリスの新しい家庭用の小型スピーカーの作り方の中に、右のBBCのモニタースピーカーの影響を無視できないように思えるところから、やや詳細に紙数を費やした次第で、ここから再び話が本流に戻る。
 BBC放送局は衆知のようにイギリスの国営放送で、その性格上放送技術の向上のために研究したデータが民間のメーカーなどに広く公表されるらしい。また、右のモニタースピーカーの開発に際しては、民間のスピーカーメーカーにその業務を委託するではないかとも想像される。あるいはさらに、同じテーマによって競作させることさえあるのではないかとも想像できるような事実もあるが、想像での話をあまり広げるのは止そう。
 ひとつの例がスペンドールのBCIというブックシェルフスピーカーで(これにはモニタースピーカーと書いてあるが、この場合はあくまで一般的に言われるモニターのことだと思うが)、このスピーカーの背面には、型番や規格を記した銘板(ネームプレート)の下にもう一枚、BBCの発表したモニタースピーカーの資料に依って製作した旨の断り書きが入っている。
 ただしBBCのメイン・モニターは、現在では前記のLS5/1Aから発展した新型のLS5/5型に変わっているらしい。KEFのレイモンド・クック Raymond E. Cooke・(1969年発行のリポートによる)によれば──この新しいスピーカーは1969年中には供給に入るだろうし、1970年代を通じてリファレンス・スタンダードとなることが期待されている……とあり、最近の「放送技術」(VOL26No.10)にもこの新型の紹介が載っている(P89山本武夫氏)ところからもおそらく現用のモニターとして活躍していることと思うが、LS5/5はクロスオーバーが400Hz、3500Hzの3ウェイでLS5/1Aよりも小型に作られている。
 この400Hzと3500Hzというクロスオーバー周波数から、まっ先にフェログラフS1が思い浮かぶので、前記のクックのリポートから知ることのできるBBC・LS5/5とフェログラフS1とは、ネットワークの構成その他にもいくつか共通点を数えあげることができ、フェログラフのカタログにはBBCモニターとの関連など全く触れられていないにもかかわらず、おそらくこのS1も、BBCのモニタースピーカーの資料を何らかの形で参考にして作られているであろうことが伺い知れる。
 一方、LS5シリーズを開発したKEFは、新型のモデル104(本号テストリポート参照)で、これまでのKEFの一連の市販スピーカーとは別の、新しい音質を聴かせはじめた。わたくしたちの目に触れる範囲でさえ、これらの事実を照合してゆくにつれて最近のイギリスの家庭用スピーカーの開発の方法論の中に、BBC放送局がモニタースピーカーを作りあげてゆく過程で積み上げた厖大な研究の成果が、少しずつ実りはじめているのうみることができる。おそらくこの土台は、われわれが想像するよりもはるかに根が深く、そしてこれから先もイギリス以外の製品にまで、直接間接に影響を及ぼしてゆくだろうと、わたくしは予言してもいい。なぜか──。
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 モニタースピーカーの音は、きつい、とか疲れる、とかドライすぎる、などという説があって、それが必ずしもすべてではないことを証明したひとつの例がさきのBBCのモニターだが、外国製スピーカーの特性と音質の関連についての俗説も、そろそろ是正されなくてはならないと思う。
 たとえばこんな巷説がある。──外国製のスピーカーの音色は個性が強く、聴いて楽しくとも測定上の特性はそんなに良くない。一方、国産スピーカーは特性は外国製より良いが、聴いてひきつけられるような個性が少ないし、楽しめる音が出にくい……。
 たとえばアルテック604E/612Aの周波数特性を眺めてみる(図参照)。この個性的な特性をみれば、あの独特の鮮明な音色もなるほどと納得がゆく。こういう特性をみて音を聴いたあとで、国産のフラット型の特性を見せられ音を聴かされれば、たしかに右の巷説には説得力がある。しかしいまは違う。ことに新しく抬頭したヨーロッパの家庭用ブックシェルフスピーカーの中でも、聴いて音の良い製品の特性を測ってみると、驚くほど素直な、平坦な周波数特性を持っているという例が、ここ数年来目立って増えてきた。
 本誌の28、29号を通じて測定データを詳細に検討するなら、いくつかの例外はあるにしても、もはや海外スピーカーが、聴いて良くても特性は悪い、などと単純には片づかないどころか、ものよっては国産の平均水準よりも優れた特性を示し、しかも音の魅力も十分に具えた製品が数少ないとはいえ出現しつつあることが明白である。
 ヨーロッパの製品ばかりではない。アメリカのスピーカーにも右のような傾向が少しずつ現われはじめている。
 それなら、たとえば周波数特性が平らになってゆくと、音の個性──といって悪ければそのスピーカーだけがもっている何ともいえない音の魅力、鳴ってくる音楽の音色の美しさ──が薄れてゆくだろうか。そうはならない。少なくとも、周波数特性をいじることで表面的に変化する音のバランス、それによって感じられる表面的な音色は、周波数特性をコントロールすることでできるかもしれないが、そのスピーカーの本質的な音色、内からにじみ出てくる味わいは、周波数特性をいじってみても、大きな変化は示さない。というよりは、周波数特性とは直接関係ないような性質の音色の方が、わたくしにとって大切な問題になる。よく言われる国の違いや風土の違いから生じる根本的な音色のちがい、鳴り方響き方の違いというのがそこに厳として存在する。ここが解明されないかぎりは、見かけ上の周波数特性どんな具合にいじってみたところで、本質的な問題はたいして前進はしない。イギリスのスピーカーに共通のあの渋い光沢のある鳴り方、アメリカのウェストコーストでしか作れないあの明るい響きを、それとは別の風土では作れない。そうしたいわば血の違い、風土の違いに根ざした本質的な音色をふまえた上で、同じ国の音色が、時の流れに応じて次第に変わってゆく。それは音楽が、またその演奏のスタイルが時とともに少しずつ姿を変えてゆくことと無縁ではない。

試聴テストを終えて

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 28号と続けて合計120機種以上のブックシェルフスピーカーを聴いたことになる。もしも聴くことが強制的なノルマのようなものだったら、常人ならとうに発狂してしまうかもしれない。幸か不幸か当方はすでにマニアと呼ばれ自分でも音に関してはキチガイのつもりだから、つまりとうの昔に発狂済みだからこそ、この重労働に耐えられた。
 というのは、まあ半分は冗談だが、ほんとうに120もの音を聴き分けそれをまた記憶してノートして書き分けるというのは、こんな仕事には馴れたつもりの私にもいささか手に余った。本当に疲れた。そして正直に書けば、全部を聴き終えてしばらくのあいだは、オーディオが全く嫌になった。オーディオ雑誌、が目につくところに置いてあるのを見るのさえ、嫌になった。一種のノイローゼにちがいない。で、それから1ヵ月も経たないのに、もう、ニコニコしながらオーディオ仲間と話をしているのだから、やっぱり馬鹿か気狂いに違いないと再び確信している次第だが、そんな思いをしてまでスピーカーを聴くのは、ほんとうは、仕事という意識でなく私が一人のオーディオ・ファンとして、そして殊にスピーカーというパーツに最も興味を持っているマニアの一人として、どこかに、まだ私の知らない優秀なスピーカーがあるのではないか、どこかに、いま自宅で聴いている音よりももっと良い音があるのではないかという大きな期待を持って、新製品に接しているのである。そういうものを一度にならべて聴く機会があるのなら、頼み込んでも参加してみたいという、要するに物好きなアマチュアの一人として、ともかく聴いてみたい、という単純な発想から、試聴テストに加わっているにすぎない。
 だから本当を言えば、アンプでもスピーカーでも数多くをテストし試聴した後で、自分でもこれなら買って聴いてみたいと思える程度の製品が例え一つでも出てきて欲しい。そういう製品を発見することは、たいへん楽しいことで、その期待があるからこそ、テストに喜んで参加する。今回もまた、三つや四つのそういうスピーカーは見付かったが、ほとんど130あまり聴いた中でのそれだから、割合からいえば3パーセントにも満たない。だとすると、これだけの数を全部聴く機会のないユーザーだったら、自分の本当に欲しい音にめぐり会えるまでに、やっぱり何度か失敗せざるを得ないと思う。
 私は、失敗なしで自分にぴったり合う品物にめぐり会うことなどできないと信じているが、しかし反面、ぴったり来るも来ないもそれ以前の、言わば欠陥商品に近いものが堂々と売られて、そういう製品が数多くののさばってユーザーをいたずらに迷わせるとなると、また話は違ってくる。水準以上の性能を具えていてこそ、その次に好きか嫌いか、自分の理想に近いかどうか、などという話になってくるのが道理で、好き嫌いの言えるというのは実は相当に水準の高いところでの話なのである。
 ところが現状では、欠陥商品──もっとはっきり言えば音楽を鳴らすにはあまりにも音の悪いスピーカー──までが、好き嫌いという絶好の言い訳をタテにとってまかり通っている。そういうスピーカーを、仕事とはいえ聴いて、メモして、しかも製作者を傷つけない程度に表現を工夫しながら書かなくてはならないという、これぐらい腹の立つ仕事はない。そういうものを書いたあと、きまってオーディオが嫌になる。
     *
 私がずいぶん主観的な書き方をしているように思われるかもしれない。大体お前は主観的にものを評価しすぎると昔から言われる。この問題は、前からテーマに与えられている「オーディオ評論のあり方」という本紙の論壇でいずれくわしく書かせて頂くことになるが、オーディオに限らずあらゆる批評の分野で、自分という存在をとり除いた機械的な評価などというものは存在しえない。自分自身が、何十年かの失敗と模索の体験の中から肌で掴んできた確固たる尺度に照らし合わせて物や事に当る以外に、どんな確かな方法があるのか。自分がそうした体験の中から掴みとった考え方が、自分にとって正しいたったひとつの世界であり理想像であり、そのこと以外に自分の頼るものさしは作ることはできないものなのだ。
 いまオーディオ批評の分野で言われている主観とか客観などという言葉は、本来のこれらの言葉の正しい定義とは全く別もので、単に、私用に比較的熱しやすい性質(たち)人間の態度と、もっと突き放して冷静な距離を置いて物事に当ることのできる人との違いにすぎないと、私は考えている。いずれにしても自分の尺度でしか物を言えないという点に変りのあるわけがない。いったいどうやって、他人の考え方、他人の感じ方に従って発言できるというのか。
 だから私は自分の尺度、自分が確かに聴きとり掴みとり考え抜いた尺度に照らしてしか、物を判断しない。自分の尺度に照らして悪いものは悪いというしか、ない。その悪いものをどうしたらいいかというのはそれから後の話になる。
     *
 そこでもういちど120機種の試聴に話を戻すが、さっきから120だの130だのと書いて、実際に本紙に載ったのは28号の60機種と今回の56機種の合計116機種。ところが実際にはそれ以上のスピーカーを聴いている。載らない製品のいくつかは、あんまりひどいので掲載をとりやめたスピーカーなのである。しかし実際に市販されている内外の製品はこれよりはるかに多い二百数十機種だから、ここには載らなかったからといっても、まだ半分以上の製品を聴けなかったことになる。同じメーカーの同じシリーズの中にも出来不出来があって、たまたまテストした製品があまり良い評価でなかったとしても、むしろそれより安いランクで優秀な製品があったりすることが多いことを思うと、理想を言えば全部のスピーカーを聴かなくては物が言えないということになりかねない。が、現実にはどうやってみても、完璧なテストなどというものはありえないので、聴き洩らした中にもおそらくよい音があるにちがいないと、欲ばりの私はいつも残念な思いをする。
 もうひとつ残念なことは、できるだけ多くの機種を一度にとりあげ、複数のテスターで合同評価するという本誌の方針には違いないにしても、テストしそれを書く私の立場から言えば、一機種ごとに与えられるスペースがあまりにも僅かで、現在のように四百字詰め原稿用紙で一枚あまりという狭い枠の中では、私の文章力では聴きとり分析した内容の全部を言うことが殆ど不可
能なことで、この点だけは何度くりかえしても歯がゆく残念に思う。自分のメモにはもっと多くの内容を書きとっているつもりだし、できれば音質だけでなく他の要求──たとえばデザインや材質やそのメーカーのポリシーなど──にもくわしく言及できれば、一機種ごとの製品の性格をもっと立体的にお伝えできるのに、と、これはいくらか編集長に対してのうらみごとめくが、やはり狭いスペースに凝縮すると、どうしても公正を欠く強い表現をとる傾向が強くなる。

 今回は、テスト及び評価の立脚点についてほとんどふれなかったが、それらのことは前回(28号)の同じ欄に多少書いたし、また個人的にはさらに28号の解説(88ページより)と、もしできることなら27号の114ページも併せてご参照願えれば、私のテストの姿勢をご理解頂けると思う。短いスペースでは誤解を招くおそれがあるので、あえて右の記事をあげさせていただいた。

SAE Mark XII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 床に置くための台が無ければブックシェルフという変てこな定義から今回のテストにまぎれこんだ感じがするような、むしろこれはフロアータイプじゃないかと言いたいスピーカー。実際にいろいろと置き方を試みたが、ほとんど床の上そのままに、ごく低い(数センチの)台に乗せるだけのフロアータイプそのままの置き方で鳴らしたときが最も良いように思えた。かなり独特の音を聴かせるスピーカーで、アンプのパワーが最低60ワットは必要、最大入力の方は制限なし、と書いてあるのだから我々の感覚とはよほど違う。そこでクラウンの150W×2のアンプで思い切りパワーを放り込んでみた。気の弱い人なら耳をおさえて逃げ出しそうな音量にするとすばらしく引締ってクリアーな音質で鳴る。こんな音量になると切れこみとか繊細さとかいう表現は全く異質なものに思えてきて、もうなにしろ豪快に滝の水を浴びているという一種のスポーツのような痛快な感覚になる。しかしそういう音量で鳴らして、ヴォーカルもシンフォニーもピアノも、むろん大味ながらバランス良くキメも細かく、よく冴えて、確かに良い音で鳴る。四畳半的音量では全く曇ったおもしろみの無い音でしか鳴ってくれなかった。

周波数レンジ:☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆☆
解像力:☆☆☆☆
余韻:☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆

総合評価:☆☆☆

アメリカ・タンノイ Mallorcan

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 中域から高域にかけては、タンノイの製品に共通したシャープな艶、芯のしっかりした緻密で滑らかな独特の品位の高い音質を聴かせる。たとえばヴァイオリンの独奏などで一瞬ゾクッとくるような妖しい艶めいた響きなど、やっぱりタンノイだと確かに思わせる。蛇足かもしれないがこの種の中~高域の音質は、ユニットが新しいうちはすこし硬くて鋭いトゲが生えているが、鳴らしこむにつれて角のとれた滑らかさが出てきて、よく磨かれた光沢が生きてくる。音像をひきしめて細かく表現するタイプだから、サックスのふてぶてしさが少し出にくいし、スネアのスキンにもやや金属的な響きがつく傾向もあり、それらは聴きようによっては大きな欠点ともなるが、しかしスピーカーの音の魅力とは、多かれ少なかれ欠点と背中合わせに共存している。ただしマローカンの決定的な弱点は低音域で、第一に箱が小さすぎるので重低音が欠如しているし、それでいて中低域では多少こもり気味のところがあってことにピアノなどの低音の品位をやや悪くする。それでもIIILZよりはスケールの大きい余裕のある響きといえるが、いずれにしても部屋のコーナーや壁の助けを借りて低音の土台を補う使いこなしが必要だろう。

周波数レンジ:☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆
解像力:☆☆☆☆
余韻:☆☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆★

ヘコー P5001

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 だいたいがヘコーというスピーカーは総体に硬派の最右翼で、それがP4001の場合には実に快適なバランスに仕上っていた。言いかえれば辛口の酒を味わう快さ。音の固さが欠点であるよりも一種の爽快感あるいは説得力になっていた。ところがP5001になると、たしかに4001よりもグレードアップされた部分もありながら、反面、その音の硬さがマイナス面に働く場合もあって、総合的な完成度の高さを言えば4001の方が上のように、私には聴きとれる。そのマイナス面とは、大きなところからいえばいかにも勇壮すぎる。たとえばベートーヴェンの「第九」など、どこか軍楽隊めいて聴こえる傾向が出る。むろん音そのものに圧迫感だの耳を刺激するようなやかましさなど少しもない点は立派だが、ただ高音域の上の方に、レコードのわずかな傷みやゴミなどのアラをむしろ粗く目立たせるような鳴り方をする部分があって、それらの点が4001ではもっとうまくコントロールされていたというふうにおもえるのである。ウーファーの領域は実にクリアーで緻密。それだから全体の音をしっかり支えて、むろん総体にはかなり水準の高い音質であり、ヘコー以外には聴けない個性を持っている。

周波数レンジ:☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆☆
解像力:☆☆☆☆
余韻:☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆★

JBL L88P

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 L88NOVAとくらべるとかなり大幅に音質が改善されている。ノヴァを最初に聴いたのは本誌16号で、そのときは、ブックシェルフに珍しくのびのびと豊かに鳴るその響きの良さに私は最高点を入れた記憶がある。ことに中音以下──というよりウーファーの受け持ち範囲──の音質の良さは抜群で、緻密で充実して音楽をしっかり支えている。その良さはL88Pでも全く変らず受けつがれている。そしてノヴァの弱点であったトゥイーターが、全然別のモデルに変って、L26(本誌28号)で指摘したような、高域のやや冷たい鋭い鳴り方も抑えられて、よくこなれた滑らかな音を聴かせる。クラシックの弦合奏もこれなら十分にこなせる。むしろジャズの場合に、L26の弱点と背中合わせのシャープな鳴り方が魅力だという人があるかもしれないほどだ。ともかく安定なおとなしい音、それでいて力もあり緻密さ、充実感も十分持っているが、ヨーロッパ系の音とくらべると本質的には乾いた傾向があるから、かなり表情の豊かでクォリティの高いカートリッジやアンプを組み合わせたときに88Pの良さが発揮される。私見だが、このままスコーカーを加えずに鳴らす方がトータル・バランスが良いと思う。

周波数レンジ:☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆☆☆
解像力:☆☆☆☆
余韻:☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆☆

エレクトロリサーチ Model320

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 個人的な話から始めて恐縮だが、今年の初夏に訪米した折、ロサンジェルスの友人の紹介でこのメーカーの社長(設計者)に会うことができて、このスピーカーを知った。それが縁で今回輸入されることになった全くの新顔である。いろいろな意味で変りダネといえ、わずかのスペースではとても全部が書ききれないので詳細は別の機会に書くが、第一に4ウェイという海外には珍しい構成であり、第二にその音質も従来までのウェストコースト・サウンド(アメリカ西海岸の、JBLとアルテックに代表される独特の音)とは少しくニュアンスを異にする鳴り方をする。4ウェイという構成のため、レベルコントロールの位置指定もない連続可変型なので、コントロール次第で音色が大幅に変る。最適位置にセットするのに多少の時間を要するが、私の判断でセッティングを行なった音質は、中低音のしっかりした土台の上に、ヨーロッパ的な高音のデリケートな切れこみが加わって、シャープで解像力の良い、そして腰の強い力のある独特の迫力と、ニュアンスに富んだ味の濃い音を聴かせる。デリカシーがあってパワーにも強いという点は、いままでの製品に少ない特徴といえる。

周波数レンジ:☆☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆☆☆
解像力:☆☆☆☆☆
余韻:☆☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆☆★

セレッション Ditton 44

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 セレッションとしてはわりあいに新しい製品だが、デザインの共通性からみればディットン15や25などのロングセラー製品と一連の系列を整え直したという印象。というのも、この音はディットン25のところでも言ったように、いわゆる現代の高忠実度再生用のスピーカーというよりも、ヨーロッパの伝統的な電蓄のどこか古めかしい、しかし何とも息の通うソフトな響きを先ず聴かせるからで、そういうつもりで評価してそれを承知で買うのでないと期待外れという結果になる。たとえば、いわゆるハイファイ・スピーカー、或いはモニター・スピーカーのような音の切れこみや解像力はディットン44には無い。低音も多少ボンつくような鳴り方で、男声などふくらむ傾向がある。が、弦のアンサンブルもピアノのコードも、全く無理なく自然に溶け合いよくバランスして、安定で、ウォームで、それでいてよく唱う。つまり現代ふうのシャープな音とは正反対に、渋い、マットな質感で、目立たないが永く聴いて味わいの出てくるという音質だ。レベルコントロールが無いので置き方をくふうしてみたが、せいぜい30cm以下の、あまり高くない台に載せる方が良かった。

周波数レンジ:☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆
解像力:☆☆☆
余韻:☆☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆★