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ソニー TA-3650

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 これは良くできたアンプだ。いろいろなプログラムソースを通して聴いて、違ったタイプのスピーカーを組合せてみて、どの場合にも破綻をみせないし、それが単に平均点的優等生であるところを越えて、もっと音楽を充実して聴かせる密度の濃い音を持っている。この製品が6万円そこそこの価格であることを忘れさせるまでには至らないにしても、あ、いい音がするな、とつい聴き込んでしまう程度の良さがある。ただ、音の力と緻密さを大切にしたことはわかるにしても、弦の高域や声楽で、いくらか芯を太く、多少強引に、音を硬めに鳴らす傾向はあるが、音の基本的な質が良いせいか、それが弱点とは感じられず、むしろパーカッションなどで、腰のくだけないクリアーな鳴り方を印象に残す。しかしトーンコントロールをONにすると、右の特徴が失われて、曇り空のような冴えのない音になってしまう。この部分の磨きあげがもう一歩、という感じだった。

私のサンスイ観

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・サンスイ」
「私のサンスイ観」より

 サンスイ、といえばブラックフェイスのアンプのパネルと組格子のスピーカーグリル、ということになるのだろうが、私にとってのサンスイはもうひと世代古くブルーの鋳物のカヴァーのついたあの特徴あるトランスから始まる。「トリパイサンスイ」とか「御三家」などという業界のことばが使われる以前の話で、トリオは〝高周波屋さん〟としてコイルやIFTや通信機用パーツのメーカーで、パイオニアはスピーカー屋さんで、山水(いま「サンスイ」と片カナ書きするがその昔は漢字で読んでいた)は低周波トランスのメーカーだった。ラジオやアンプの組み立てに夢中だった昭和20年代後半……古い話だなアと言わずに、まあガマンしてつきあってください。
 学生の身ではアンプを組み立てる小遣いも十分ではない。その資金をかせぐ手っとり早い方法は、親せきや知人の家を廻っては、ラジオの注文をとって組み立てるアルバイトだった。日本が敗戦の痛手からようやく立直った頃で、家庭にラジオ一台、満足なのがなかった時代だから、秋葉原でパーツを買い集めてきて、当時流行の〝5球スーパー〟(それにマジック・アイを加えて〝6球スーパー〟と詐称するやつがいたようなころのこと)を組み上げると、材料費が2~3千円で、うまくゆくとそれは同じくらいの組立手間賃がもらえて、それが研究費の足しにもなれば、ラジオ一台組むたびに腕の方も少しずつ上達するという一挙両得で、手あたり次第に注文をとっては、5球スーパーを組み立てた。
 同じものを何台も作るのはつまらないから、一台ごとに回路をくふうもするし、外観も、キャビネットやダイアルをそのたびに変えてみる。キクスイのダイアルが、ことに証明が美しくて見栄えがいい。ダイアルの穴のないキャビネットを売っていて、廻し挽きの鋸でエスカッション用の孔を抜く。そのうちにクライスラー電気が、KAK(編注=デザイン事務所名)のデザインで外観のモダーンな、シャーシつきの便利なキットを発売して、のちには専らこれのお世話になった。クライスラーがスピーカーでヒットしたのはもっとずっと後の話だ。
 で、かんじんの中味だが、注文主の予算に応じて、パーツのグレイドをきめる。安くあげるには二流メーカーのパーツを使うが、豪華版に使うパーツの相場はだいたいきまっていて、バリコンがアルプス、コイルとIFTはトリオかQQQ(スリーキュー)、真空管は東芝でスピーカーがオンキョーの黒塗りフレームのノンプレスコーン(これを書くと〝別冊オンキョー号で書くネタが無くなりそうだが)〟そして電源トランスに例の特徴あるブルーの山水を使う、というのが定石のようになっていた。その他抵抗・コンデンサーやソケット、ボリュームやスイッチ類まで、好きなメーカーがきまっていたが、さすがに今になると、小物パーツのメーカー名は、すぐにはなかなか思い出せない。しかしこの本はサンスイ号なのだから、トランスの話が出たところで山水の路線に乗ることにしよう。
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 物資不足の折、あやしげなメーカーのトランスを使うと、レアショートしたり焼き切れたりするのがある中で、山水の作るトランスは、ラックスのようなスマートさは無くてどこか武骨であったけれど、質実剛健というか、バカ正直といいたいくらいきちんと作られていた。とうぜん、作ってあげたラジオも故障知らずで、結局製作者の信用もつくことになる。そんなわけで山水のトランスには、ずいぶん研究費を助けてもらったことになる。
 それでいながら、そうしてかせいだ小遣いでいざ自分用のアンプを組もうという段になると、どういうわけか山水のトランスをあまり使った記憶がない。というのも、いまも書いたようにこの会社の製品は良心的であっても外観がいまひとつ洗練されているとはいいがたく、その当時の競合メーカーの中では、ラックスやマリックのどこか日本ばなれしたスマートな仕上げや、タムラのプロ用やサウンドマスターの出力トランス等の無用の飾りのない渋い外観の方に魅力を感じていたからだ。つまり私は昔からメンクイだったわけで、山水の山の字とSの字がトランスのコアとコイルを象徴したマークが太く浮き彫りされた、あの個性の強いブルーの鋳物のカヴァーが、自分のデザインしたアンプのシャーシの上に乗るのを、どうも許せなかったのだ。
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 ステレオ時代に入って、サンスイはブラック・パネルのアンプと組格子のスピーカーで大ヒットを飛ばし、一時は日本じゅうのアンプとスピカーのデザインの流れを、大きく変えさせた。が私個人の感覚でいえば、これらの意匠の強い個性には、ちょっとついてゆきにくかった。むしろそれより少し前に作られた、SM-30やSM-10などの一連のレシーヴァーのデザインの方が、洗練されていてとても好きだった。しかし長い流れの中でふりかえってみると、昔のトランスと同じように、頑丈で武骨で実質本位で、その結果アクの強い外観をそなえた製品が、サンスイの主流をなしていたという印象が残る。このことは、製品の実質を理会する少数の人たちに支持されるとしてもいまの世の中で商売をしてゆくには損をしやすい体質だといえる。損得というような言い方がよくないとすれば、国際的に一流として通用する製品は、武骨ではいけないということになる。良い内容を、国際的な感覚でスマートに表現しなくては、どんなに実質が優れていても多くの人に理解されない。
 実質本位──と書いたが、しかしここ数年来のサンスイの製品が、本当に実質も優れていたかどうか。差し出がましいかもしれないが、お世辞ぬきで言わせて頂くなら、かつてSP-100やAU-777で大ヒットしたころの製品にくらべると、その後のアンプやスピーカーが決して順調に発展してきたとは思えないし、そのことはサンスイ自身がよく知っている筈だ。しかし、それなら、なぜ、なのだろうか。社内の事情は知らないからこれは外側からの勝手な憶測にすぎないので、間違っていたらお許し頂きたいが、ひと頃のサンスイは、あのAU-777とSP-100のヒットで、少しばかり良い気持になっていた時期が長すぎたのではあるまいか。たしかにAU-777は、当時のアンプの中でズバ抜けて良い音がした。しかしその後の4桁ナンバーの一連のアンプに至るまで、ステレオサウンド誌20号(内外53機種のプリメインアンプ・テスト)あたりからあとの最近号までのアンプ特集号を読み返してみても、競合他社の同格品とくらべてみても、もうひと息、という感じで、一時期のあの意欲や技術力や勢いが感じとりにくかった。
 が、先日来、最新作のAU-607、AU-707等の一連の新シリーズを試聴してハッとした。おや? サンスイが久々に意欲的な音を鳴らしはじめたな、と思ったのだ。音がとてもみずみずしく新鮮だ。この感じは、AU-777以来久しく耳にしえなかった音だ。これなら、現代の最新の水準に照らしてもひけをとらないどころか立派に第一線に伍してゆける。デザインにもスマートさが出てきた。そのことはプレーヤーの最新作SR-929についてもいえる。スピーカーのSP-G300は、まだ本格的な試聴をしていないが、少なくともその機構からしても今までのものと全然違っている。サンスイの体質が大きく変りはじめたように思われる。そしてそれは期待のできる方向であることが感じとれる。
 さんざん悪態をついて申し訳ないが、終りにひとつだけ、AU-777以来、アンプ・パネルのブラックフェイスを貫き通した意地を高く評価したい。最近になって、マーク・レビンソンなどの影響で再び各社がブラックフェイスを復活させはじめた。サンスイにとってはそれは復活でなく、昔からのサンスイの〝顔〟なのだから、大手をふってブラックパネルをいっそう完成度の高い、洗練された製品に仕上げて欲しい。

ラックス CL30

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 マランツのモデル7(セブン)が名器と呼ばれるのは単に音の良さばかりでなく、そのデザインと仕上げの素晴らしさが大いに預っていることはいうまでもない。そしてそのデザインや回路構成の全体あるいは部分が、国産のアンプに相当に大きな影響を及ばしたことは、たとえばラックスのPL45(CL35およびII型の原形)などにも顕われている。
 高級プリアンプとしての性能で、CL35などは相当に優れていたことは従来までの評価の高かったことで知られているものの、デザインを含めてラックスが完全にオリジナリティを表現しはじめたのは、このCL30以降だといってよいだろう。高級プリアンプに要求される各種のファンクションを、扱いやすく見た目にも美しく整理することが容易でないことは、国の内外を問わずこの種の製品に成功例のきわめて少ないことを見ても明らかだ。願わくは回路構成等にもう一段の磨きをかけて、いっそう完成度の高いプリアンプに成長させて欲しいものだ。

ヤマハ TC-800GL

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 カセットテープの実験的な限界を極めるというような目的には、大形で大仕掛けのデッキも必要かもしれない。カセットにオープンなみの特性を要求する人なら、デッキの大きさや費用も気にならないかもしれない。が私自身は、カセットはあくまでも日常音楽を楽しむ生活の中で、気軽に扱えて実用上十分な音質で満足できればいいと思う。
 そうした目的でデッキを探してみても、市販の製品のほとんどが画一的で、しかも店頭効果のみをねらったギラギラと自己主張の強い、あるいはヤング好みのメタリックなアクの強いデザインで、とうてい手元に置く気になれない。
 ヤマハTC800GLは、その意味で毎日眺め触れ使う気になれるほとんど唯一の製品だ。その形があまりにも個性的なために、性能が犠牲になっているかのようにいわれているがそれは正しくない。実際に音楽を録・再してみれば、内容もまた手がたく練り上げられた一級品であることが理解できる。

マークレビンソン LNP-2, JC-2, LNC-2

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 設計者兼社長のマーク・レビンソンは、まだ30才前の若いエンジニアだが、ジャズのベイシストとして名前の載ったレコードも出ている。非常に個性の強い、しかし極めて繊細で神経質なパーフェクショニストだ。たとえば測定器で最高のデータまで追いつめた段階から、自分の装置で音を聴きながらディテールの修整に少なくとも一年から二年の時間をかけて一台のプロトモデルを完成する。また彼はマルチアンプで聴いているので、とうぜんパワーアンプの試作もしているが、まだ満足のゆく性能が得られないので市販しないという。完璧主義者ぶりがよくあらわれている話だ。
 こうして作られたプリアンプLNP2は、いかにも新世代のエレクトロニクスの成果を思わせる。緻密でクリアーで、どんな微細な音をも忠実に増幅してくるような、そして歪みっぽい音や雑音をあくまでも注意深くとり除いた音質に、マーク・レビンソンの繊細な神経が通っているようだ。これを聴いたあとで聴くほかのプリアンプでは、何か大切な信号を増幅し損ねているような気さえする。
 増幅素子をはじめあらゆるパーツ類には、現在望みうる最高クラスが採用され、それがこのアンプを高価にしている大きな理由だが、たとえば最近の可変抵抗器に新型が採用されたLNP2やJC2では、従来の製品よりもいっそう歪みが減少し解像力が向上し、音がよりニュートラルになっていることが明らかに聴きとれ、パーツ一個といえども音質に大きな影響を及ぼすことがわかる。レベルコントロールのツマミの向う側に何もついてないかのようにきわめて軽く廻ることで見分けがつく。
 JC2はLNPからトーンコントロールやメーター回路および常用しないコントロールを除いて、最少限必要な増幅素子だけを内蔵した簡潔なアンプで、測定データはLNPより良いぐらいだというマークの言い分だが、音楽の表現力の幅と深さでLNPはやはり価格が倍だけのことはあると思う。しかもJC2の怖ろしいほどの解像力の良さに大半のプリアンプが遠く及ばないことからも、LNPがいっそうただものでないことがわかる。
 LNC2は、マルチアンプを愛好するレビンソンらしい新型のチャンネルデバイダー。チャンネル・レベルコントロールに0・1dB刻みの目盛りのついた精密級が使われているあたりにも、マークのパーフェクショニストぶりが読みとれるが、デバイダーだけでプリアンプと同じ価格という点でも、回路にいかに凝っているか、その音質追求の執念のすごさが伺い知れる。やがておそらく、ものすごいパワーアンプが発表されるにちがいない。
 レビンソンのアンプは、本体と電源ユニットは別のケースになっている。それはSN比を最良に保つためであることはいうまでもないが、そのどれも電源スイッチを持っていない。マークに言わせれば、LNPもJCも消費電力がきわめて僅かだし、電源は常時入れっぱなしにしておく方が働作も安定するから、スイッチを切る必要がない、というのである。

テクニクス SP-10MK2 + EPA-100 + SH-10B3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 モーターが回転すればメカニカルな振動を発生する。それがターンテーブルに伝われば、ピックアップがそれを拾ってスピーカーからゴロゴロと雑音が出る……。古いフォノモーターではそれが常識だったから、駆動モーターのシャフトとターンテーブルのあいだにゴムタイヤのような緩衝材を介していわゆるリムドライブにしたり、弾力のあるベルトによってベルトドライブしたりして、モーターの振動がターンテーブルに伝わらないような工夫をした。松下電器が、駆動モーターをターンテーブルに直結させるダイレクトドライブの構想を発表したころは、まだそういう古いフォノモーターの概念が支配していた時代だった。
 しかし実際に市販されたSP10は、そんな心配を吹き飛ばしたばかりでなく、回転を正確に保ち回転ムラを極減させることが、いかに音質を向上させるかを教えてくれた。それ以後、日本の発明になるDDターンテーブルが世界のプレーヤー界を席巻していったいきさつは周知のとおり。
 SP10は、たしかに性能は優れていたが、デザインや仕上げや操作性という面からは、必ずしも良い点をつけられなかった。アルミニウムダイキャストを研磨したフレームは、非常に手間のかかる工作をしているにもかかわらず製品の品位にブレーキをかけている。ON−OFFのスイッチの形状や感触がよくない。速度微調ツマミの形状や位置やフリクションが不適当で知らないうちに動いていしまう。ゴムシートのパターンがよくない……。
 改良型のSP10MkIIで、クォーツロックのおかげで微調ツマミは姿を消した。ON−OFFのスイッチの形は変らないが感触や信頼性が向上した。ターンテーブルやゴムシートの形がよくなった。性能については問題ないし、トルクが強く、スタート、ストップの歯切れの良い点もうれしい。少なくとも特性面では一流品の名を冠するのに少しも危げがない。
 ただ、MKIIになってもダイキャストフレームの形をそのまま受け継いだことは、個人的には賛成しかねる。レコードというオーガニックな感じのする素材と、この角ばってメタリックなフレームの形状にも質感にも、心理的に、いや実際に手のひらで触れてみても、馴染みにくい。
 この点は、あとから発売された専用のキャビネットSH10B3の、やわらかな肌ざわりのおかげでいくらかは救われた。このケースは素材も仕上げもなかなかのものだ。
 新型アームEPA100。制動量を可変型にしたアイデア、軸受部分の精度と各部の素材の選び方などすべてユニークだが、それにも増して仕上げの良さと、むろん性能の良さを評価したい。部分的にはデザインの未消化なところがないとはいえないが、ユニバーサルタイプの精密アームとして、SMEの影響から脱して独自の構想をみごとに有機的にまとめあげた優れたアームといえる。このアームがMKIIになり、SP10がMKIIIになるころには、どこからも文句のつけようのない真の一流品に成長するのではないだろうか。

テクニクス EPC-100C

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 振動系のミクロ化と高精度化、発電系の再検討とローインピーダンス化、交換針ブロックを単純な差し込みでなくネジ止めすること、そしてカートリッジとヘッドシェルの一体化……。テクニクス100Cが製品化したこれらは、はからずも私自身の数年来の主張でもあった。MMもここまで鳴るのか、と驚きを新たにせずにいられない磨き抜かれた美しい音。いくぶん薄味ながら素直な音質でトレーシングもすばらしく安定している。200C以来の永年の積み重ねの上に見事に花が開いたという実感が湧く。

タンノイ Arden, Eaton

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 ARDENを、レクタンギュラー・ヨークとくらべてタンノイの堕落と見る人があるが、私はその説をとらない。エンクロージュアの木質や仕上げが劣るというのなら、初期のオートグラフからIIILZに至る一連の製品のあの艶のある飴色のニスの光沢──その色と艶は使い込むにつれて深みを増したあの仕上げ──にくらべれば、チークをオイル仕上げして日本で広く普及しはじめてからのレクタンギュラー・ヨークの時代から、堕落はすでに始まっていた。そういう見方をするなら、JBLも〝ハーツフィールド〟以前の高級機では、木部のフィニッシュに四通りないし五通りの種類と、それに合わせてグリルクロスが指定できた。いまはそういう時代ではない。残念なことには違いないが、しかしそれはスピーカーに限った話ではなく、もっと大局的にものを眺めなくては本質を見あやまる。
 すでにヨークの後期から、タンノイはユニットの改良に手をつけている。最大の変化はウーファーのコーン背面の補強リブの新設。それにともなって全体が少しずつ改良され、呼び方も〝デュアル・コンセントリック・モニター〟から、単にHPD385A……というように変ってきている。が、そこに流れる音の本質──あくまでも品位を失わない、繊密でしっとりした味わい──には、むしろいっそうの磨きがかけられ、現代のワイドレインジ・スピーカーの中に混っても少しも聴き劣りしないどころか、ブックシェルフのお手軽スピーカーから聴くことのできない音の密度の高い、味わいの濃い、求心的な音楽の表現で我々に改めてタンノイの良さを再認識させる。
 新シリーズはニックネームの頭文字をAからEまで揃えたことに現れるように、明確なひとつの個性で統一されて、旧作のような出来不出来が少ない。そのことは結局、このシリーズを企画しプロデュースした人間の耳と腕の確かさを思わせる。媚のないすっきりした、しかし手応えのある味わいは、本ものの辛口の酒の口あたりに似ている。

スチューダー A68

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 ヨーロッパのオーディオ機器の中で、アンプだけはアメリカや日本より一歩遅れている、と感じていたが、スチューダーA68の出現で、ヨーロッパ製のアンプもついに世界の水準を越えた、と実感した。このアンプの音質は、アメリカの最新機のような一聴していかにもハイパワーだとかワイドレインジだというような凄みは感じられない。けれどじっくり聴き込んでゆくにつれて、どこにもあいまいさのない解像力の良さ、ひ弱さのない腰の坐った上質で安定な音が、聴き手をじわりと包んで満足感に浸らせてくれる。トランジスターアンプでは概して、弦楽器の胴の木質の感じに、ほんのわずかとはいえ金属質の感じがまじりがちで、それを嫌って管球アンプを愛好するファンが多いのだが、A68はその意味で、管球アンプの良い面を内包しながら、管球では表現不可能な繊細な切れこみをも聴かせてくれる優秀なトランジスターアンプといえる。100V電源で使える点はレギュレーションの点で有利だ。

オンキョー Integra A-722nII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 優秀なセパレートアンプの音を聴き馴れた後でいきなりプリメインアンプを聴くと、同じレコードの音が何か欠落したような物足りなさを感じるのはしかたがない。が、そういう方法でプリメインアンプのテストを毎日のように繰り返していると、聴いていて永続きするアンプと、じきに脱落してゆくアンプとに分かれてくる。A722/nIIは、そうして私の家で最も永続きのしているプリメインアンプである。
 この音質はいくらか線が細くウェットだが、何よりも優れているのは音楽のフィーリングを細やかに伝えてくれること。たとえば唱い手の感情をしっとりと情感豊かに、生き生きと蘇えらせるところを、私は高く評価している。ファンクション類も、ラウドネスの利き方を除けば実用的によく整理されていて申し分ない。デザインや仕上げもていねいだが、わずかに陰気で野暮な感じが残念。基本をくずさないことを条件にマークIIIの出現を希望したい製品。

オーディオクラフト AC-300C

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 オイルダンプ型のアームはこれ一種類ではないが、現在のカートリッジの特性とにらみあわせて、アーム可動部分のスタティックな質量とその配分、そして実効質量、およびダンピングオイルの分量や制動量などのバランスのよく考えられた製品として、AC300Cを第一に推したい。オーディオクラフトというメーカー自体は新顔だが、アームの設計者はすでに有名な製品を設計したキャリアを持つこの道のベテランで、そのために第一作AC300から、細部までよく検討された製品に仕上がっていた。それにインサイドフォースキャンセラーを加えたAC300Cが現在の標準品だ。さらにスタティックの質量を増したAC300MCというのが試作され、この方がMC型のようなコンプライアンスの低い製品にはいっそう適しているが、汎用アームとしてはAC300Cが使いやすい。共振がよく抑えられ、トレーシングも良好。調整のコツをのみこめば非常に安心して使える。

パイオニア Exclusive C3, Exclusive M4

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 EXCLUSIVEのシリーズには、このほかにパワーアンプのM3と、チューナーのF3があるが、M3はハイパワーのアンプとしては他の製品と比較してデザインと仕上げの良さを除いてはとりたてて優れているとはいい難い。チューナーの方は、性能は第一級品だと思う。が、デザインがC3、M3、M4の域に達していない。結局、性能と仕上げの両面のバランスのとれているものはC3とM4、ということになる。
 C3とM4の組合せの良さは第一に、その音質にある。滑らかで質が高い。音楽的な表現力が優れている。家庭でふつうにレコードを鑑賞するときのパワーはせいぜい1ワット近辺あるいはそれ以下だが、C3、M4の組合せはそういう常識的な音量レベル、あるいはさらに音量を絞り込んだときの弱音がいっそう見事である。弦楽器やヴォーカルの柔らかさを、単に歪みが少ないという感じで鳴らすアンプならいまや珍しくない。が、C3、M4はそこに息の通った暖かさ、声の湿りを感じさせるほどの身近さで、しかし決して音をむき出しに荒々しくすることなく、あくまでも品の良さを失わずに聴かせる。
 そうした柔らかさ、滑らかさは当然半面の弱点を内包している。たとえばパーカッションの音離れの良さ、中でもスネアドラムのスキンのピンと張って乾いた音、のような感じがやや出にくい。ほんらい荒々しい音をも、どこか上品にヴェールをかけて聴かせる。大胆さや迫力よりも、優しさを大切にした音、といえる。最新の、ことにアメリカの一流アンプの隅々までクリアーに見通しのよい音とは違って、それが国産アンプに共通のある特色であるにしてもいくぶんウェットな表現をするアンプだ。そういう特色を知って使いこなすかぎり、この上品で繊細な音は得がたい魅力である。
 ただM4の換気ファンの音は、よくおさえられているとはいうものの、深夜、音量を落して聴きたいときには少々耳障りで、アンプの置き場所には少々くふうが必要だろう。

SME 3009 S/2 Improved

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 SMEの設計者で創設者のA・ロバートソン・エイクマンは、精密模型を作る工場の経営者だった。SMEの名は当時の Scale Model Engineering 社の頭文字をとったものだ。模型といってもたとえば、メーカーが製品を作る以前の試作を請負ったり、博物館に展ホする原寸あるいは縮尺の模型などを作る工場である。大英博物館の展示品の中には、当時の作品がいくつもあるという。したがって、各種の工作機械や成型機械ないしはメッキや塗装の設備まで、精度の高い工作をする下地は揃っていた。
 メカニズムに強いエイクマンは、オーディオファンのひとりとして、当時のアームの構造や工作の精度や仕上げなどに、強い不満を抱いて、自分なりにアームを勉強し動作を解明しながら、理想のアームの設計と試作をくりかえしていた。そして一九五九年に、最初の製品であるSME3012の市販をはじめた。
 たまたま当時のエイクマンが、オルトフォンのSPU−GT/E型を愛用していたことから、オルトフォンと同じプラグイン・ロックナット締つけのスピゴット方式で、オルトフォンG型ヘッドシェルを交換できるように作った。これがのちにオルトフォンよりも有名になって、〝SME型のコネクター〟と通称されるようになり、現在ではわが国で作られるアームのおそらく九割以上が、このコネクターを踏襲し、カートリッジの互換性を容易にしている。
 SMEの特徴は、第一に垂直動の軸受けにナイフエッジを採用したのをはじめ、動作部分の各部に良質の素材を精密加工してアームの動作を鋭敏かつ軽快に保っていること。第二はスタティックバランス型アームを基本から解明した結果、ラテラルバランサーやオーバーハング調整、インサイドフォースキャンセラーなどの独創的なメカニズムを加えたこと。第三に軽針圧型の精密アームの操作を容易にするため、オイルダンプ式のアームリフターを設けたこと、であろう。今日では常識のようになっているこれらの考案のほとんどがエイクマンの独創であった。
 クローム梨地メッキを主体とした各部の加工と仕上げは、高級カメラを凌ぐ手のこんだ工作で、見事なデザイン(英国工業デザイン協議会= CoID をはじめ各種の賞を受賞している)もSMEの魅力のひとつだろう。アームの構造や動作原理を知らない人が見ても、それはいかにも精密で美しく、しかもこのアームはあたかも生きもののようにやわらかな感じでレコードを優しくトレースしてゆく。見ているだけでも信頼感に満たされる。
 何度もこまかな改良が加えられたが、3年前に Improved 型で大改良をして、最近の軽針圧/ハイコンプライアンス型のカートリッジ専用として、最大針圧1.5g以下の設計に徹してしまった。かつての広範囲なユニバーサリティを捨ててしまったことは、ちょっぴり残念な気分だが、世界的にはますます評価が高く、現在では毎月約3000本前後が生産されているそうだ。この種の製品としては異例なほど量が多い。

SAE Mark 2500

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 高級アンプのメーカーには、大別してプリアンプのうまいメーカーと、パワーアンプの方にいっそうの能力を発揮するメーカーとがある。たとえぱかつてのマランツはプリアンプ型のメーカーだし、マッキントッシュはパワーアンプの方がうまいメーカーだった。ロサンジェルスに本拠を置くSAEは、パワーアンプ型のメーカーといえる。パネルをプラックフェイスに統一しはじめてからのこの社の一連の製品は、一段とグレイドが上がったが、中でも300W×2のMARK2500は、動作の安定なことはもちろんだが、その音質がすばらしく、出力の大小を問わず現代の第一級のパワーアンプである。重量感と深みのある悠揚迫らぬ音質は他に類がない。しかもこのアンプは繊細な表現力も見事で、どんなにハイパワーで鳴っているときでも音のディテールを失わず、また音量をぐんと絞り込んだときのローレベルでも少しもよごれのない歪みの少ない音を聴かせる。ただしこういう特長は、プリアンプにマーク・レビンソンLNP2を組み合わせたときに最もよく発揮される。そして良いカートリッジやスピーカーを組み合わせると、LNP2+MARK2500というアンプは、鳴らしはじめて2〜3時間後に本当の調子が出てきて、音の艶と滑らかさを一段と増して、トロリと豊潤に仕上がってくるこ上が聴き分けられる。高容量でレギュレーションの良い117V電源の用意が必要だ。難をいえば換気ファンの音が非常にうるさいこと。置き場所にくふうが要ると思う。

QUAD 33, 303, 405, FM3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 創設者のP・ウォーカーは英国のオーディオ界でも最も古い世代の穏厚な紳士で、かつて著名なフェランティの協力を得てオーディオの開拓期から優秀な製品を世に送り出していた。ロンドンから一時間ほど車で走った郊外にあるアコースティカル社は、現在でもほんとうに小さなメーカーで、QUADブランドのアンプ、チューナーとコンデンサースピーカーだけを作り続けている。
 QUADは、なぜ、もっと大がかりでハイグレイドのアンプを作らないのか、という質問に対してP・ウォーカーは次のように答えている。
「もちろん当社にそれを作る技術はあります。しかし家庭で良質のレコード音楽を楽しむとき、これ以上のアンプを要求すればコストは急激にかさむし、形態も大きくなりすぎる。いまのこの一連の製品は、一般のレコード鑑賞には必要かつ十分すぎるくらいだと私は思っています。音だけを追求するマニアは別ですが……」
 こうした姿勢がQUADの製品の性格を物語っている。
 管球アンプ時代から、QUADはアンプをできるかぎり小型に作る努力をしている。ステレオプリアンプの#22は、それ以前のモノーラル・プリアンプと全く同じ外形のままステレオ用2チャンネルを組み込むという離れわざで我々をびっくりさせた。必要かつ十分な性能を、可能なかぎりコンパクトに組み上げるというのがQUADのアンプのポリシーといえる。
 この小さなアンプたちはデザインもじつにエレガントだ。ブラウン系の渋いメタリック塗装を中心にして、暖いオレンジイエローがアクセントにあしらわれる、というしゃれた感覚は、QUAD以外の製品には見当らない。このデザインは、どんなインテリアの部屋にも溶け込んでしまう。ことに、プリアンプとFMチューナーを一緒に収容するウッドキャビネットは楽しいアイデアだと思う。
 必要にして十分、と言っていたQUADも、一年前にパワーアンプの新型#405を発表した。100W×2というパワーをこれほど小さくまとめたアンプはほかにないし、そのユニークなコンストラクションは実に魅力的でしかも機能美に溢れている。
 アメリカや日本のアンプのような贅を尽した凄みはQUADの世界にはないが、33、303のシリーズの音質は、どこか箱庭的な、魅力的だがいかにも小づくりな音であった。405はその意味でいままでのQUADの枠を一歩ひろげた音といえる。この小柄なシャーシから想像できないような、力のある新鮮な音が鳴ってくる。クリアーで、いくらか冷たい肌ざわりの現代ふうの音質だ。アメリカのハイパワーアンプと比較すると、ぜい肉を除いた感じのやややせぎすの音に聴こえる。そして、405の音を聴くと、QUADはおそらく33よりも一段階グレイドの高いプリアンプと、やがてはチューナーも用意するのではないかと想像する。しかしそれはあくまでも良識の枠をはみ出すことのない、QUADらしいコンパクトな製品になるにちがいない。

KEF Model 5/1AC, 104AB, 103

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 #5/1ACは、デュアル・チャンネルのパワーアンプとデバイダーを内蔵したモニタースピーカーだが、その原形は1950年代までさかのぼり、英国BBC放送局の研究スタッフと、KEFの社長レイモンド・クックとの長期に亙る共同研究の結果完成したモニタースピーカーLS5/1Aが基本になっている。
 LSというモデル名は、BBC放送局で正式に採用されるモニタースピーカーだけに与えられる。中でもLS5/1Aは、NHKでのAS−3001(市販名は2S−305。現在は改良型のAS−3002が主力)に相当するマスターモニターの主力機としてBBCで長期間活躍している。これをもとに、いっそうの耐ハイパワー化と、解像力に優れた現代のモニターに成長させた製品がKEF#5/1ACで、これを機にKEFでは、一般市販用の〝C〟シリーズに加えて、新たに〝リファレンス〟シリーズを作りはじめた。その名のとおり音質比較の基準としても使えるだけの優れた特性のシリーズとして、まず#104が発表され、小型であるにもかかわらずフラットでワイドな周波数特性で世界の注目を集めた。またKEFはこれらのシリーズ開発のプロセスで、コンピューターによる全く新しいスピーカーの測定・解析法を考案し、今ではこの方法が、日本でも多くのメーカーによってとり入れられて成果が上がっている。
 104に続いて発表された103は、指向性改善のためにスピーカーバッフルの向きを変えられること、そしてより一層にハイパワーに耐えることに特徴がある。最近になって、さらに進んだ解析の結果ネットワークを改良した104ABを発表したが、低音ユニットと高音ユニットり音のつながりが明らかに改善されて、見事に洗練された繊細で自然な音を聴かせる。イギリスのスピーカーの概してハイパワーに弱い性格はKEFも同様だが、家庭用として常識的な音量で鳴らすかぎり、このこまやかで上品な音質は、音を聴き込んだファンには理解されるにちがいない。

JBL 4343, 4350

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 その音を耳にした瞬間から、価格や大きさのことなど忘れてただもう聴き惚れてしまう。いい音だなあ、凄いなあ、と感嘆し、やがて音の良し悪しなど忘れて音楽の美しさに陶酔し茫然とし、鳴り止んで我に返って改めてああ、こういうのを本当に良い音というのだろうな、と思う……。スピーカーの鳴らす音の理想を書けば、まあこんなことになるのではないか。それは夢のような話であるかもしれないが、少なくともJBL#4350や#4343を、最良のコンディションで鳴らしたときには、それに近い満足感をおぼえる。
 JBLの創始者ジェイムズ・B・ランシングは、アルテックのエンジニアとしてスピーカーの設計に優れた手腕を発揮していたが、シアター用を中心として実質本位に、鋳物の溶接のあともそのままのアルテックの加工法に対して、もっと精密かつ緻密な工作で自分の設計をいっそう生かすべく、J・B・ランシング会社を設立した。その最初の作品である175DLHは、ショートホーンに音響レンズという新理論も目新しかったが、それにもまして鋳型からとり出したホーンの内壁をさらに旋盤で精密に仕上げるという加工法、また、アルニコVと最上級のコバルト鉄による漏洩の極度に少ない高能率の磁気回路の設計や、油圧によるホーン・ダイアフラムの理想的な整形法に成功したことなどにあらわれるように、考えられる限りの高度で最新の設計理論と、材料と手間を惜しまない製造技術によって、1950年代の初期にすでに、世界で最も優れたスピーカーユニットを作りあげていた。続いて設計された375ドライバーユニットは、直径4インチという大型のチタンのダイアフラムと、24000ガウスにおよぶ超弩級の磁気回路で、今に至るまでこれを凌駕する製品は世界じゅうにその類をみない。375のプロ・ヴァージョンの#2440は、#4350の高域ユニットとして使われているし、175の強力型であるLE85のプロ用#2420が、#4343の高域用ユニット、という具合に、こんにちの基礎はすでに1950年代に完成しているのである。驚異的なことといえよう。
 JBLのユニット群は、エンクロージュアに収めてしまうのがもったいないほどのメカニックな美しさに魅了される。1950年代はむろん飛び抜けて斬新で現代的な意匠に思えたが、四半世紀を経た今日でも相変らず新しいということは、不思議でさえある。が、その外形は単に意匠上のくふうだけから生れたのではなく、理想的な磁気設計や振動板の材質や形状、それらを支えて少しの振動も許さないダイキャストの頑強なフレーム構造……など、高度な性能を得るための必然から生まれた形であり、その性能が今日なお最高のものであるなら、そこから生まれた外観がいまなお新しいのも当然といえるだろう。
 JBLのエンクロージュア技術も、ユニットに劣らず優れている。最大の特長は、裏蓋をはじめとしてどこ一ヵ所も蓋をとれる箇所がなく、ひとつの「箱」として強固に固められていること。そしてユニットのネットワーク類はすべて、表からはめ込む形でとりつけられる。現在では多くのメーカーがこれに習っているが、長いあいだこの手法はJBLの独創であった。それはエンクロージュアが絶対に共振や振動を生じてはならないものだ、というJBLの信念が生んだ考案である。その考案を生かすべくJBLのエンクロージュアは板と板の接ぎ合わせの部分が、接着ではなく「溶接」されている。JBLではこれをウッドウェルド(木の溶接)と呼ぶ。パーティクルボードまたはチップボードは、木を叩解したチップ(小片)を接着剤で練り固めたものだ。その一端を互いに突き合わせ高周波加熱すると、接触部の接着剤が溶解して、突き合わせた部分は最初から一枚だった板のように溶接されてしまう。だからJBLのエンクロージュアは、輸送や積み下ろしの途中で誤って落下した場合つき合わせた角がはがれるよりも板の広い部分が割れて破壊する。ふつうのエンクロージュアなら、接着した角の部分がはがれる。そのくらいJBLのエンクロージュアは、堅固に作られている。
 ユニットやエンクロージュアへのそうした姿勢からわかるように、JBLのスピーカーシステムは、今日考えられる限りぜいたくに材料と手間をかけて作ったスピーカーだ。多くのメーカーには商品として売るための何らかの妥協がある。JBLにもJBLなりの妥協がないとはいえないが、しかし商品という枠の中でも最大限の手間をかけた製品は、そうザラにあるわけではない。JBLが高価なのは、有名料でもなければ暴利でもなく、実質それだけの材料も手間もかかっているのだ。JBLだからと、ユニットだけを購入してキャビネットを国産で調達しようとする人に私は言おう。ロールスロイスが優れているのは、エンジンだけではないのだ、と。あなたはエンジンだけ買ってシャーシやボディを自作して名車を得ようというのか。材質も加工法も全然違うエンクロージュアに、ユニットだけを収めてもそれはJBLの音とは全然別ものだ。
 JBLの栄光に一層の輝きを加えた作品が、新しいプロ用モニタースピーカー#4350であり#4343である。どちらも、低・中・高の3ウェイにさらにMID・BASSを加えた4ウェイ。#4350は低音用の38センチを2本パラレルにした5スピーカー。こういう構成は従来までのスピーカーシステムにあまり例をみない。その理由について解説するスペースがないが、JBLは必要なことしかしない、と言えば十分だろう。こんにちのモニタースピーカーに要求される性能は、広く平坦な周波数特性。ひずみの少ない色づけ(カラーレイション)の少ない、しかも囁くような微細な音から耳を聾せんばかりのハイパワーまで、鋭敏に正確に反応するフィデリティ、そして音像定位のシャープさ……。そうした高度な要求に加えてモニタースピーカーは、比較的近接して聴かれるという条件を負っている。こういう目的で作られた優れたスピーカーが、過程での高度なレコード観賞にもまた最上の満足感をもたらすことはいうまでもない。
 #4350も#4343も、外観仕上にグレイ塗装にブラック・クロスのスタジオ仕様と、ウォルナット貼りにダークブルーのグリルがある。どちらのデザインも見事で、インテリアや好みに応じていずれを選んでも悔いは残らない。

JBL 4333A, L300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 JBLのスタジオモニター・シリーズの中で最初に評価されたのが#4320であることはよく知られているが、さかのぼればその原形は、プロフェッショナル部分を設立するよりはるか以前のC50SM型モニタースピーカーにはじまっている。C50SMにはS7(LE15A+LE85の2ウェイ)とS8(LE15A、375、075の3ウェイ)の二つの型があった。エンクロージュアのデザイン(外観および外形寸法)は#4320も全く同じだがC50SMの構造は密閉箱だったため、低音の伸びが悪く寸詰まりの感じで、良いスピーカーだという印象があまり残っていない。そのC50SM−S7を位相反転型に改良し、クロスオーバー周波数を800Hzに変更(S7は500Hz)したものが#4320だと思えばいい。こまかいことをいえばユニットその他相異はあるが大づかみにはそういう次第で、したがって#4320はプロ部門設立と同時にある日突然生まれたモニターではなく、C50SM−S7以来の十数年のつみ重ねがあったわけだ。
 #4320は、低域およびウーファーとトゥイーターのクロスオーバー附近での音質の問題点が指摘された結果、#4330および31に改良された。さらに高域のレインジを拡げるためにスーパー・トゥイーター#2405を加えた3ウェイモデルの#4332、#4333が作られた。しかしこのシリーズは、聴感上、低域で箱鳴りが耳につくことや、トゥイーターのホーン長が増してカットオフ附近でのやかましさがおさえられた反面、音が奥に引っこむ感じがあって、必ずしも成功した製品とは思えなかった。
 #4333を基本にして、エンクロージュアの板厚を、それまでの3/4インチ(約19mm)から、1インチ(25mm強)に増し、補強を加えて作ったコンシュマーモデルのL300は、家庭用スピーカーとしては大きさも手頃だし、見た目にもしゃれていて、音質はいかにも現代のスピーカーらしく、繊細な解像力と徴密でパワフルな底力を聴かせる。音のぜい肉を極力おさえた作り方で、ダブついたような鳴り方を全くせず、やや線の細い鋭敏でシャープな音がする。
 こうしてL300が完成してみると、#4333の問題点、ことにエンクロージュアの弱体がかえっていっそう目立ちはじめた。そのことにJBLもとうぜん気付いたのだろう。#4333のエンクロージュアの板厚と強度を増すと同時に、位相反転のチューニングを変更し、タテ位置にもヨコ位置にも自由に使えるよう、ユニットの取付け方にくふうを凝らすなど、こまかな改良を加えた#4333Aを発売した、という次第である。#4333よりはL300が格段に良かったのに、そのL300とくらべても#4333Aはむしろ優れている。従来、内蔵ネットワーク型とマルチアンプドライブ専用型とに分かれていた#4332と33とが、#4333Aでは兼用型となったのも便利だ。

EMT TSD15, XSD15

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 オルトフォンSPUの音の渋い豊かさに加えて、レコードの溝のすみずみまで拾い起こすようなシャープな解像力の良さ、音の艶と立体感の表現力の幅の広さ、これ以上のカートリッジは他にない。TSDはEMTのプレーヤー専用で、日本で広く普及しているSME型コネクターつきのアームにとりつけられるようにしたものがXSDだが、そのことでEMTの真価を誤解する人もまた増えてしまった。このカートリッジは昨今の一般的水準の製品よりもコンプライアンスが低いため、アームを極度に選ぶし、高域にかけて上昇気味の特性は、下手に使うと手ひどい音を聴かせる。トランスやプリアンプを選ばないと、その表現力の深さが全く聴きとれない。難しい製品だ。

EMT 930st, 928

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 EMTは Elektromesstechnik の頭文字をとったもので(最近の同社発行の資料には Elektronik, Mess-& Tonstudiotechnik となっているが)、1940年にウィルヘルム・フランツが創立した。プロフェッショナルのスタジオ用機器と測定器が主要製品で、日本のプロの間ではターンテープルよりもむしろエコーマシン(EMT140、240。鉄板共振型のリヴァブレイションユニット)の方がよく知られているほどだ。
 ドイツの有名な Schwarzwald(黒い森)に本拠を置き、スイスにも工場を持っている。スチューダーやルポックス、トーレンス等とも親戚の関係にある。
 EMT930スタジオターンテーブルの原形は25年以前に作られているが、ステレオ用の#930stになってからでもすでに10年以上を経過している。この製品の特長を列挙すると—-
(1)きわめてトルクの強く、ダイナミックバランスの完璧で振動皆無といえる大型のシンクロナスモーターによって、超重量級のアルミ鋳造のターンテーブルをリムドライブで回転させている(78、45、33の3スピード)。周辺にストロボスコープを目盛ったプレクシグラス(硬質プラスチック)のサブターンテーブルと電磁ブレーキによって、クイックスタート(スイッチONから500ミリセコンド)とクイックストップの働作は明快。スタートとストップはリモートコントロールが可能で、そのためのスイッチと連動したリニアスライド型のアッテネーターが用意され、このアッテネーターをミクシングコンソールに組み込める。
(2)専用のカートリッジTSD15と、ダイナミックバランス型のアーム#929を標準装備し(アメリカ向きにカートリッジ/アームレスのUSAモデルもある)、さらに、イコライザーカープの切替えと遮断周波数を2〜20kHzまで変化できる高域フィルター(10dB/oct)を内蔵したイコライザーアンプ#155stが組み込まれ、200Ωまたは600Ωのラインアウトプットで、+17・5dB(約6V)までの出力が得られる。
(3)全体が強化プラスチックの堅固なシャーシに高い精度でマウントされている。針先を照明する強力なランプがついているが、ランプハウジングの凸レンズの巧妙な設計によって、アーム先端の可動範囲をきわめて明るく有効に照明する(専用カートリッジ・シェル先端のレンズは、このランプによって針先と音溝の観察を容易にするためのもの)。
(4)カートリッジは、モノーラルLP用のTMD25、SP用のTND65を追加できる。旧型のOFD、OFSシリーズもある。また最近になって新型のイコライザーアンプ#153stが発表され、交換が可能である。
 #928型はトーレンスの125を強力型に改造し、イコライザーアンプ、ブレーキ装置、照明ランプなどを加えた簡易型だが、操作感はトーレンスとは別もので、コンシュマー用とは明らかに一線を画している。

「私の考える世界の一流品」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 すぐれて独創的であり、しかも熟成度の高いこと。──これが一流品の条件といえるだろう。
 独創はとうぜん個性的である。がそれがもしもひとりよがりや勝手な思い込みであるなら、他人から高く評価されもしなければ、万人に説得力を持つはずもない。独創が一人合点でなく普遍の域まで高められなくては本物といえない。このことは、芸術であると大量に生産される工業製品であるとを問わない。たとえば音楽でも絵画・彫刻でも、芸術はほんらい個性のエキスのようなものだが、それが真に高い域に到達するとそれは年月を超越して広く世界じゅうの人に理解され支持され熱愛されるに至る。
 工業製品の場合、そして中でもオーディオやカメラや自動車のように、趣味としての要素の強い道具の中で一流品と認められるものの場合には、その成立までによく似たプロセスを経ることが多い。それは、最初の設計のきっかけが、商品を作るよりもむしろ原設計者自身の高い要求あるいは理想を満たすために作られる、というケースである。
 たとえばソウル・B・マランツが創り上げた初期の(モデル16までの)マランツのアンプやチューナーやレコード・プレーヤー。たとえばSMEのアーム。たとえばマーク・レビンソンのコントロールアンプ……。これらははじめ売ることを全く念頭に置かず、彼らがそれぞれにオーディオの熱烈な愛好家として最高のものを求めていって、市販品にその望みを満たす製品が見当らなかったところから、マランツが、エイクマン(SME)が、レビンソンが、彼ら自身で使うに値する最高の製品を作ろう、と研究にはげんだ結果のいわば〝作品〟なのだ。
          ※
 ここまでなら何も彼らの例にかぎらず、日本にも個人でこつこつ努力して自分自身のための機器を製作する人たちが、少数ながらいる。しかしひとつだけ大きく異なるのは、いま例にあげた製品が、設計者自らのひとりよがりにとどまらず、同じ道を歩む愛好者であれば誰でも理解できる普遍性と、そして高い理想を抱く人をも満足させる性能の良さと、鋭い審美眼を持つ人をも納得させる洗練された美しさとを兼ね備えている、という点である。
 残念ながら私の知るかぎりで、日本人の作る製品の中に、優れた性能とデザイン、良い素材を精密に入念に仕上げた質感がもたらす信頼感や精密感、とうぜんのことながら眺め、触れた感触のよさ、しかもそれが永い年月に亙って持続するような、要するに重厚な魅力を持った本ものを、くり返すが残念ながら、日本人が作りえた例をきわめて少数しか知らない。はじめは良いと思っても、身銭を切って手許に置いて毎日眺め、触れ、聴いているうちに、どこかで馬脚を現わすようなのは本ものではない。
 そのことが、はじめに書いた一流品の条件の後半の、熟成度の高い、という意味になる。
 元来ある製品が生み出されたばかりの状態からすでに熟成しているということは少ない。ある思想あるいは理念がおぼろげながら形をとってくる。それを生んだ人間自身が、やっと生み出したという直接の感激が薄れるまでじっと温める。やがてそれをできるかぎりの冷静で客観的な目で批判しながら、欠点に改善を加え、少しずつ少しずつ、永い時間をかけて仕上げてゆく……。こういうプロセスを経ないで、いきなり完熟した製品が生まれるというようなことは、例外的にしか起りえないと断言してよい。天才はそうざらにいるわけではないのである。絵画や音楽や文学でも、ひとつの作品に作者が少しずつ手を加え完成してゆく。まして作者の直接の手を離れてある部分は鋳造されある部分は機械加工されある部分は塗装されメッキされ……、何十人もの人手によって組み立てられる工業製品に設計者(性能・意匠を含め)の個性が、反映されるまでには、たいへんな手間と時間が必要である。
 そうするとこれも再び残念のくり返しになるが、今日の日本の商品の作られ方、売られ方を前提とするかぎり、優れた素質を侍って生まれた製品でも、その後の熟成期間を持つことのできるといった理想的な例はやはり極めて少数といえそうだ。
 今日のように技術革新の激しい時代に、ひとつの製品を何年も温めていては新製品の開発などできない、という理屈がある。一見もっともだが、それなら、いま我々の使っているオーディオ機器のたとえばターンテーブルでもアンブでもスピーカーでも、ひとつのプロトモデルをすっかり水に流してからやり直さなくてはだめなほどの根本的な開発というのが、二年や三年で完成したかどうか。過去の例をふりかえってみれば明らかだろう。たとえばアンブのコントロールパネル面など、全面的にデザインを新しくしなければならないほどのことは生じていない。
 熟成──とは、別のことばでいえば、完成度の高いこと。それは隙のなさであり、バランスの見事さであり、密度の高さでもある。それには小改良の積み重ねが必要で、とうぜん年月が必要だ。それは即席(インスタント)とか、平均化とか、中庸とか没個性とか多数決などという態度から正反村のところにしか生まれない。ひとつの製品にどんどん手を加えながら、設計者のいわば理念を反映させてゆくような、そんな作り方のつみ重ねがなくて、一流品など決して生まれてくるはずがない。
          ※
 優れた設計者(あるいは設計者たちでもよいが)が、永い年月をかけてひとつの製品と対話しながら手を加えたような製品なら、そこに自ずから一種の気持のゆとりが込められる。それがいわゆる風格になり、見るものにどこか洗練された感覚と質の高さを伝える。それはとうぜん所有欲を刺激する。
 こういう製品になると、それを所有することによって所有者は何か心の高まりをおぼえる。優れた製品はそれを所有する者の精神を刺激し精神活動を活発にする。それはいわば設計・製作者と所有者との対話ともいえる。それを持つ者の考え方や感受性に影響をおよぼすほどの製品こそ、真の一流品ではないか。
 製作者がひとつの製品に込める時間が長ければ、それを所有する人間がその製品をほんとうに理解するのにもある程度の年月はかかるのが当然だ。ある製品を購入する。それが長期に亙る比較検討の結果でも、あるいは直観的な衝動買いでも、むろんその良さが理解できたから身銭を切るのだが、本ものの一流品はそこから先がまだ深い。いわゆる汲めども尽きぬ魅力を永い年月に亙って持続させる。毎日それを使い、眺め、触れ、聴き、いじりまわしたり磨いたりして少しも飽きないという製品が、数少ないながら確実に存在する。とすると、本ものの魅力が永続きする、というのが結果論としての一流品の定義ともいえそうだ。
          ※
 魅力、という話になるとそこにもうひとつ、これはいままでの話と直接の関係はないがエキゾチシズムの魅力、という要素を無視はできないように思える。我々日本人がいわゆる舶来ものに国産品と一味違う魅力とあこがれを多少なりとも抱くと同じに、欧米人たちがH本の製品を、我々が驚くような羨望の目で見つめることが多い。これは国を問わずおよそ人類に共通の感覚なのだろう。
 それだから国産品に魅力がないなどと短絡的な結論を出すつもりは毛頭ないので、再びはじめの定義に戻っていえば、すぐれて個性的で熟成度の高い、そして本ものの魅力の永続きするような本当の意味での一流品となると、十も二十もあげられるような性質のものでなく、厳密にいえばおそらく五指に満つか満たないか、ということになってしまいそうだ。
 実際の話、最初に一流品選出のテーマをもらったとき絞っていった結果は、せいぜい数機種の製品に止まってしまった。今回最終的にあげた数十機極は、それよりもう一段階枠をひろげて、いわば一流品としてこうあって欲しいというような願望までを含めてリストアップしたので、名をあげたもののすべてが無条件で一流品というわけではないことをお断わりしておきたい。

モニター・オーディオ MA3 SeriesII, MA4, MA5 SeriesII, MA7

瀬川冬樹

ステレオのすべて ’77(1976年11月発行)
「海外スピーカーをシリーズで聴く」より

 なじみの薄い新ブランドだが、フランスやカナダで評価がよいことを以前から耳にしていた。MA7、5、4、3と、いずれの機種にも共通した一種独特の中〜高域のツヤを持っていて、シリーズ製品としての一貫性を持たせてあることはわかる。MA3のシリーズIIでない方の製品を一年前に聴いたときは、もう少しキリッと引締った好ましい音と感じたが、今日のは外観からもトゥイーターが変わっていて、前の製品より音をゆるめてあると感じた。

エレクトロボイス Interface:A, Interface:B

瀬川冬樹

ステレオのすべて ’77(1976年11月発行)
「海外スピーカーをシリーズで聴く」より

 インターフェイスAは背面にも高音の一部を放射する構造のため、置き方にちょっとしたくふうがいるが、うまく使いこなすと音のバランスのなかなか見事なスピーカーだ。パワーも気持よく入る。ただし音の質は乾いていて、音に透明感があまり感じられず、艶消しの音、という印象を受ける。インターフェイスBは、Aをコストダウンしたということが露骨に感じられる音。原の音に奇妙なくせがつくし、中域がいささかきつい。

JBL 4331A, 4333A, 4343

瀬川冬樹

ステレオのすべて ’77(1976年11月発行)
「海外スピーカーをシリーズで聴く」より

 4320以降のJBLのスタジオ・モニターシリーズの充実ぶりは目を見張るものがあるが,最新型の3機種を聴いて、このシリーズが一段と高い完成度を示しはじめたことを感じた。シリーズとしては4333Aからあえてスーパー・トゥイーターを除いた4331Aの必然性には少し疑問を感じる。新型の4343は単に4341の改良型であることを越えて、すばらしく密度の高い現実感に溢れる音で我々を魅了し尽くす。

「私のマッキントッシュ観」

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・マッキントッシュ」(1976年発行)
「私のマッキントッシュ観」より

 私のマッキントッシュ観に影響を与えた二冊の雑誌を思い浮かべる。その一は月刊『ラジオ技術』昭和31年4月号。もうひとつは季刊『ステレオサウンド』第三号(昭和42年夏号)である。
 昭和31年の2月、フランク・H・マッキントッシュは日本を訪問している。マッキントッシュ・アンプの設計者でありマッキントッシュ社の社長として日本でもよく知られていたミスター・マッキントッシュが、何の前ぶれもなしに突然日本にやって来たというので、『ラジオ技術』誌のレギュラー筆者たちが急遽彼にインタビューを申し込み、そのリポートが「マッキントッシュ氏との305分!」という記事にまとめられている。こんな古い記事のことをなんで私が憶えているのかといえば、ちょうど同じこの号が、おそらく日本で最初にマルチアンプ・システムを大々的にとりあげた特集号でもあって、「マルチスピーカーかマルチアンプか」という総合特集記事の中には、私もまた執筆者のはしくれとして名を連ねていたからでもあるが、しかしこのころの私はまた『ラジオ技術』誌のかなり熱心な愛読者でもあって、加藤秀夫、乙部融郎、中村久次、高橋三郎氏らこの道の先輩達によるマッキントッシュ氏へのインタビュウを、相当の興味を抱いて読んだこともまた確かだった。
 しかしその当時、マッキントッシュ・アンプの実物にはお目にかかる機会はほとんどなかった。というよりも日本という国全体が、高級な海外製品を輸入などできないほど貧しい時代だった。オーディオのマーケットもまだきわめて小さかった。安月給とりのアマチュアが、いくらかでもマシなアンプを手に入れようと思えば、こつこつとパーツを買い集めて図面をひいて、シャーシの設計からはじめてすべてを自作するという時代だった。回路の研究のために海外の著名なアンプの回路を調べたり分析して、マランツやマッキントッシュのアンプのこともむろん知ってはいたが、少なくとも回路設計の面からは、それら高級アンプの本当の姿を読みとることが(当時の私の知識では)できなくて、ことにマッキントッシュのパワーアップに至っては、その特殊なアウトプットトランスを製作することは不可能だったし、輸入することも思いつかなかったから、製作してみようなどと、とても考えてもみなかった。そうしてまで音を聴いてみるだけの価値のあるアンプであることなど全く知らなかった。これはマッキントッシュに限った話ではない。私ばかりでなく、当時のオーディオ・アマチュアの多くは、欧米の高級オーディオ機器の真価をほとんど知らずにいた、といえる。実物はめったに入ってこなかったし、まれに目にすることはあっても、本当の音で鳴っているのを聴く機会などなかったし、仮に音を聴いたとしても、その本当の良さが私の耳で理解できたかどうか──。
 イソップの物語に、狐と酸っぱい葡萄の話がある。おいしそうな葡萄が垂れ下がっている。狐は何度も飛びつこうとするが、どうしても葡萄の房にとどかない。やがて狐は「なんだい、あんな酸っぱい葡萄なんぞ、誰が喰ってやるものか!」と悪態をついて去る、という話だ。
 雑誌の記事や広告の写真でしか見ることのできない海外の、しかも高価なオーディオパーツは、私たち貧しいアマチュアにとって「すっぱいぶどう」であった。少なくとも私など、アメリカのアンプなんぞ回路図を調べてみれば、マランツだってマッキントッシュだってたいしたもんじゃないさ、みたいな気持を持っていた。私ばかりではない。前記の『ラジオ技術』誌あたりも、長いこと、海外のパーツについて正しい認識でとりあげていたとは思えない。そういう記事を読んでますます、なに、アメリカのオーディオ機器なんざ……という気持で固まってしまっていた。
 昭和30年代のなかばを過ぎたころから、自分のそういう感じ方が偏見以外の何ものでもなかったことを、少しずつではあったが知らされはじめた。たいしたもんじゃない、と思いこんでいたオーディオ・パーツが、少しずつ日本にも紹介されはじめ、それを実際に見、聴きしてみると、むろんそれらすべてがとはいえないまでも、海外でも一流と定評のあるオーディオ機器は、我々日本人の感覚で眺め、触れ、聴いてみてもまた、立派な製品であることが十分に理解できた。そうして私は、マランツの#7を購入し、JBLのスピーカーを、次いでアンプを購入し、シュアーのカートリッジに驚かされ、それまでの反動のように海外の高級パーツにのめり込んで行った。昭和30年代の終りごろから、私にもそれらのパーツが、やっとの思いではあってもともかく買えるだけの身分になっていた。しかしそれでもまだ、マッキントッシュのアンプについては、私はその真価を知らなかった。
 昭和41年の終りごろ、季刊『ステレオサウンド』誌が発刊になり、本誌編集長とのつきあいが始まった。そしてその第三号、《内外アンプ65機種—総試聴》の特集号のヒアリング・テスターのひとりとして、恥ずかしながら、はじめてマッキントッシュ(C—22、MC—275)の音を聴いたのだった。
 テストは私の家で行った。六畳と四畳半をつないだ小さいなリスニングルームで、岡俊雄、山中敬三の両氏と私の三人が、おもなテストを担当した。65機種のアンプの置き場所が無く、庭に新聞紙をいっぱいに敷いて、編集部の若い人たちが交替で部屋に運び込み、接続替えをした。テストの数日間、雨が降らなかったのが本当に不思議な幸運だったと、今でも私たちの間で懐かしい語り草になっている。
すでにマランツ(モデル7)とJBL(SA600、SG520、SE400S)の音は知っていた。しかしテストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。音がどうだったのかは第三号に書いた通り。テスター三人は揃って兜を脱いだ。しかもそれから約二年後、トランジスターの最高級機MC—2105を聴いて再びマッキントッシュのすごさを知らされた。
 マッキントッシュの音やデザインの魅力については、いまさら私が、ましてこの特集号で改めて書くことはあるまい。要するにそれほど感心したマッキントッシュを、しかし私は一度も自家用にしようと思ったことがない。私は、欲しいと思ったら待つことのできない人間だ。そして、かつてはマランツやJBLのアンプを、今ではマーク・レヴィンソンとSAEを、借金しながら買ってしまった。それなのにマッキントッシュだけは、自分で買わない。それでいて、実物を眺めるたびに、なんて美しい製品だろうと感心し、その音の豊潤で深い味わいに感心させられる。でも買わない。なぜなのだろう。おそらく、マッキントッシュの製品のどこかに、自分と体質の合わない何か、を感じているからだ。どうも私自身の中に、豊かさとかゴージャスな感じを、素直に受け入れにくい体質があるかららしい。この贅を尽した、物量を惜しまず最上のものを作るアメリカの製品の中に、私はどこか成金趣味的な要素を臭ぎとってしまうのだ。そしてもうひとつ、新しもの好きの私は、マッキントッシュの音の中に、ひとつの完成された世界、もうこれ以上発展の余地のない保守の世界を聴きとってしまうのだ。これから十年、二十年を経ても、この音はおそらく、ある時期に完結したもの凄い世界ということで立派に評価されるにちがいない。時の経過に負けることのない完結した世界が、マッキントッシュの音だと思う。