菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
デザインは高級な重厚感に欠けるが内容の充実した優秀機。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
デザインは高級な重厚感に欠けるが内容の充実した優秀機。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
レコード愛好家の心情を満たす重厚なデザインが魅力。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
独創的なコンセプションによる最新設計の注目機。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
機能性と基本性能がよく練られた実用性の高いプレーヤー。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
音楽重視の設計と地味ながら使いよいデザインの落着きをもつ中級機。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
プレーヤーデザインの常識を破る前衛的美しさに溢れた個性的製品。
菅野沖彦
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より
外観、内容ともに高品質、高性能の価値の高い中級機。
瀬川冬樹
世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より
クラシックからポップスまで、あるいは構成の複雑で大きな曲でも逆に小編成や独奏、独唱ものでも、音色の印象が一貫していて、オーソドックスに練り上げられたパワーアンプであることが聴きとれる。総体にはいくぶん華やかなコントラストの強い傾向の音色を持っているが、音のニュアンスを豊かに鳴らし分けるだけの素直さがあるし、プログラムソースやコントロールアンプの差を相当はっきりと出すことからも、ディテールの描写の優れた解像力の高さがわかる。意外に腰の坐りの良い音で、パワー感も十分。コントロールアンプはCA2000とくらべると、こちらの方が出来ばえとしては格段に上だろう。価格とのバランスを考えると、かなり水準の高い製品だと思う。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
アルテックの612Cは、当社が長い歴史をかけて完成させてきた2ウェイのコアキシャル・モニタースピーカー、604シリーズの最新製品8Gを比較的コンパクトなエンクロージュアに内蔵したシステムである。コアキシャル・スピーカーらしい、音像定位の明確さ、聴感上のバランスのよさが保証されるが、エンクロージュア容積の不足もあって、なんといっても低域の再生が十分でない。これが、このシステムの一番の泣き所といってよいだろう。しかし、中・高域のバランスは最高度に整っているし、各種音色の分離、音の質感の解像力は、さすがに、世界的に広く使われているモニタースピーカーとしての面目躍如たるものがある。音像の輪郭がきわめてシャープであり、あいまいさがない。ステレオフォニックな位相感の再現も、コアキシャルらしい自然さをもっているが、やや左右の拡がりが狭くモノ的音場感になるようだ。このスピーカーの持つ、メタリックな輝きは、決して、個性のない、いわゆるおとなしい音とはいえない。にもかかわらずこれが世界的に使われている理由は一に実績である。モニタースピーカーというものは、多くのスタジオで、多くのプロが使うという実績が、その価値を決定的なものにするといってよく、この点、アルテックの長い歴史に培われた技術水準とその実績の右に出るものは少ないといえるだろう。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
JBLの4333Aは、別記のベイシックモデル4331Aと同じエンクロージュアを使って、最高域(8kHz以上)に2405スーパートゥイーターを加えた3ウェイシステムである。4331Aの項でも述べたように、これが、JBLのモニターシリーズの代表的位置に存在する、もっとも標準的なプロフェッショナル・モニターである。3ウェイ構成をとっているために、当然レンジは拡がり、最高音の再生は、このほうが勝る。高域の繊細な音質、それによる細かな音色の判別には一段と威力を発揮する。しかし、4331Aのほうが、バランスとしてはよくとれている……というより、とりやすいという印象もある。このシステムの最高域を受けもつ2405は、優れたトゥイーターであるが、やや質的に異質な感触をもっていて、不思議なことに、低域の感じに影響を与え、2ウェイのほうが、低域がよく弾み、しまっているようである。3ウェイと2ウェイのメリット・デメリットは、こうして聴くと、ここのユーザーの考え方と嗜好で決める他ないように思われてくるのである。ただし、一般鑑賞用としての用途からいえば、4333Aの高域レンジののびは効果として評価されるのではないだろうか。弦楽器のハーモニックスや、シンバルの細やかな魅力は、スーパートゥイーターの有無では、その魅力の点で大きく異なってくるからである。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ダイヤトーン4S4002Pはモニター1と称され、一本100万円という高価なものだが、数々の新開発技術を生かして作られた新製品である。構成は、4ウェイ、4スピーカーシステムで、2S2503Pと同じく、パッシヴラジェーター方式が採用されている。ウーファー、スコーカーのコーンには、ハニカム構造のアルミをグラスファイバー計のシートでサンドウィッチ構造としたものが使用され、より理想的なピストンモーションにより低歪化が計られている。当然ながら、相当な大型システムで40センチ・ウーファーをベースに構成された4つのユニットが、見上げるばかりの大型エンクロージュアに収められ、総重量は実に135kgにも達するものだ。音質は、色づけが少ないといえるけれど、音楽の愉悦感には不足する。大音量で、かなりの聴取距離をおいて使うことを目的として設計されているので、一般家庭の至近距離で聴くと、音像定位には、やや問題が生じざるを得ない。中高域ユニットがかなり高い位置にくるので、低音と中高音が分離して聴こえてくるのである。しかし、これは使い方が間違っているので、広い場所で距離をとれば問題ではなかろう。さすがにDレンジとパワーハンドリングには余裕があり、大音量再生にもびくともしない。広い場所でのプレイバック用として効果的。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ダイヤトーンAS3002P、俗称モニター3は、同社のモニターシステムとして伝統的な2S305の発展型である。30センチ・ウーファーと5センチ・トゥイーターの2ウェイのオールコーン・タイプである。国産モニタースピーカーの傑作といえる2S305は、鑑賞用として家庭で使っている人も多いだろう。この3002Pは、このシステムをさらにリファインしてドライヴィングアンプを内蔵させたものだ。モノーラルアンプのMA100Pがそれで、出力は100Wである。一言にして、このシステムの音を表現すると、実に標準的な真面目な音といえるだろう。キメの細かい、やや細身の中高域は、繊細優美な質感だ。すっきりとした全体の音の印象が、いかにも日本的な精緻さを感じさせる。バランス、解像力など、難のつけようのない端正さであるが、裏返していえば、強い個性的魅力、それも西欧の音楽に感じる血の通った人間的な生命感、バタ臭い、油ののった艶というものに欠ける。だから、音楽によっては、やや淡泊になり過ぎる嫌いも或る。いかに高性能なモニターシステムといえども、音色を持たないスピーカーは皆無であるという現実からして、このシステムを鑑賞用として使うとなれば当然、この淡泊な色彩感を好むか好まないかというユーザーの嗜好にゆだねる他はあるまい。しかし現状で最も標準的なシステムといってよいだろう。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
単純ではないモニタースピーカーの定義
実際に世界中のプロの世界では、どんなモニタースピーカーが使われているのだろうか。オーディオに興味のある方はぜひ知りたいと思うことだろう。実際に、私が見てきた限りでもアルテックあり、JBLあり、あるいはそれらのユニットを使ったモディファイシステムあり、エレクトロボイスあり、というように多種多様である。時には、モニターというのは結果的に家庭用のプログラムソースを作るのだから、家庭で使われるであろうソースを作るのだから、家庭で使われるであろう標準的なシステムがいいということで、KLHなどのエアーサスペンションタイプのブックシェルフ型を使っているところもある。
昔のように、ある特性のメーカーがシュアをもっていた時代と違って、現在のように多くのメーカーがクォリティの高いスピーカーを数多く作り出している時代では、世界的にこれが最もスタンダードだといえる製品はないといってもよい。むしろ、日本におけるNHK規格のダイヤトーンのモニタースピーカーの存在は、いまや世界的にみて例外的といってよいほど、使用されているモニタースピーカーは千差万別である。
では、一体モニタースピーカーとはどういうスピーカーをいうのだろうか。現在では、〝モニター〟と冠されたスピーカーが続々と登場してきているので、ここで整理してみるのも意義があるだろう。
モニタースピーカーとは、訳せば検聴である。つまり、その音を聴いてもろもろのファクターを分析するものである。例を挙げれば、マイクロと楽器の距離は適当かどうか、マイク同士の距離は適当か、あるいは左チャンネルに入れるべき音がどの程度右チャンネルに漏れているか、SN比はどの程度か、歪みは起きていないかというような、アミ版の写真の粒子の一つ一つを見るがごとき聴き方を、ミキサーはするわけである。もちろん、そういう聴き方だけをしていたのでは、自分がいま何を録音しているのかという、一番大事なものを聴き失ってしまうので、同時に、一つのトータルの音楽作品としても聴かなければならないので或る。そのためのスピーカーがモニタースピーカーというものである。
しかし、一口にモニタースピーカーといっても、単純に定義することはできない。なぜならば、使用目的や用途別に分類しただけでも、かなりの種類があるからである。大別すれば、放送局用とディスクを制作するための録音スタジオ用に分けることができるが、その録音スタジオ用といわれるものをみても、またいくつかの種類に分けられるのである。
たとえば、まず録音をするときに、演奏者が演奏している音をミキサーがチェックする、マスターモニターと呼ばれるモニタースピーカーがある。この場合ミキサーは、マイクアレンジが適当かどうか、音色のバランスはどうか、雑音は入っていないかなど、細部に亘ってチェックしながら聴くわけである。当然のことながらクォリティの高いスピーカーが要求されてくるわけであるが、一般的にモニタースピーカーと呼ばれているのは、このときのスピーカーを指しているのである。
そして、その録音を終えたあとで、演奏者が自分の今の演奏はどうだったかを聴くための、プレイバックモニターがある。これには最初のマスターモニターと共通の場合と異なる場合とがある。つまり、調整室に置いてあるスピーカーと演奏場(スタジオ内)に置いてあるスピーカーが異なる場合は、すでに三種類のモニタースピーカーが存在することになるわけである。
それから、録音したテープを編集する作業のときに使われるモニタースピーカーがある。編集といっても非常に広い意味があり、一つには最近のマルチトラック録音のテープから2チャンネルにミックスダウンする──つまり、整音作業である。この場合は、全くモニタースピーカーに頼って、音色バランス、左右のバランス、定位位置などを決めていくという、音質重視の作業になり、ここでも相当クォリティの高いモニタースピーカーが要求される。この作業には、マスターモニターと同一のスピーカーを使う場合が一般的には多いようである。もう一つの編集作業としては、演奏の順序を決めたり、演奏者のミスのない最高の演奏部分を継ぐ、いわゆるエディティング、スプライシングすることでこの場合にはそれほど大がかりでなく、小規模なモニタースピーカーが使われるようである。
さらに、ラッカー盤にカッティングするときのモニター、テスト盤のモニターと数えあげればきりがないほど多くのモニタースピーカーが使われる。
放送局の場合は、録音スタジオの場合のカッティング工程以前まではほぼ同じと考えてよく、その後に、どういう音でオンエアされているかの確認用モニター、中継ラインの途中でのモニター、ロケハン用の野外モニターなどが加わってくる。
このように、一口にモニタースピーカーと呼ばれるものにも、かなり多くの種類があるということをまず認識しておいていただきたい。たとえば、読者の方々がよくご存知の例でいえば、JBLの4350は、JBLとしてはスタジオモニターとして作っているが、あの4350を録音用モニターとして使うことはまずないはずである。むしろ、スタジオにおけるプレイバックモニターシステムとして使われる場合の方が多いと思う。なぜかといえば、調整室は最近でこそ広くとれるようになってきたが、どうしてもスペースに限りがあり、ミキシングコンソールからスピーカーまでの距離をそれほど離せない。また、録音をしていてモニタースピーカーがあまり遠くなるのは、自動車の運転をするときにボンネットがかなり長いという感じに似ていて、非常にコントロールしにくいのである。やはりある程度の距離にスピーカーがないと、それに十分な信頼がおけなくなるという心理的な面もあって、あまり遠くでスピーカーを鳴らすことは録音用モニターの場合はないといってよい。そういう意味から、4350のように多くのユニットの付いた大型システムは、録音用モニターにはあまり向かないのである。
そういう点から、録音用モニターとして標準的なのは、アルテックの604シリーズのユニットを一発収めたいくつかのスピーカーであり、JBLでは4333Aクラスのスピーカーということになるわけである。それ以下の大きさ、たとえばブックシェルフ型スピーカーももちろんモニターとして使えなくはないが、生の音はダイナミックレンジが相当広く、許容入力の大きなスピーカーでないとすぐに使いものにならなくなってくる。そういう点から、604シリーズや4333Aのような、あらゆる意味でタフなスピーカーがモニターとして選ばれているわけである。
モニタースピーカーとしての条件
それでは、ここで録音用モニター(マスターモニター)に限定して、モニタースピーカーに要求される条件としてどのようなことが挙げられるのか、を考えてみたい。
最初に結論的なことをいうと、結局録音をする人にとって、かなり馴染んでいるスピーカーがベストだということである。しかし、実際にはもう一つ非常に重要なことで、それと矛盾することがあるのだ。それは、それぞれの人が自分で慣れているモニタースピーカーを使った場合には、それぞれが違うスピーカーを使うことになってしまうことである。なぜそれが問題なるのかというと、プロの仕事の場合、互換性ということが大変に重要になるからだ。この互換性というのは、つまりレコード会社の場合、そのレコード会社のサウンドを確保するため、いくつかある録音スタジオ共通の、特定の標準となるスピーカーが、モニタースピーカーとして選ばれなければならないということである。いわば、その会社のものさし的なスピーカーがモニタースピーカーであるといえる。モニタースピーカーとしての条件のむずかしさは、つまるところ、この二つの相反する問題が常にからみ合っているところにあるのである。
一般的には、モニタースピーカーの条件を挙げることは案外やさしい。たとえば、録音の現場で使われるスピーカーであるために、非常にラフな使い方をされるので、まず非常にタフでなければいけないということである。と同時に、そのタフさと相反する条件だが、少なくとも全帯域に亘ってきわめて明解なディフィニション、音色の分離性をもち、しかも全帯域のバランスが整っていて、ワイドレンジであってほしいということだ。つまり、タフネス・プラス・ハイクォリティがモニタースピーカーには要求されるわけである。
現在のモニタースピーカーの一部には、その条件を達成させるために、マルチアンプ駆動のスピーカーもあり、最近では任意のエレクトロニック・クロスオーバーとパワーアンプと使ってマルチアンプ駆動のしやすいように、専用端子を設けているスピーカーもふえてきている。
たた、そういう条件を満たすスピーカーというのは、ご承知のように、大体マルチウェイシステムになるわけである。このマルチウェイシステムで問題になることは、スピーカーから放射される全帯域の位相に関することである。録音の条件にはいろいろな事柄があるが、その中で現在の、特にステレオ時代になってから、録音のマイクアレンジメントをモニタースピーカーによって確認する場合に、非常に重要な要素の一つは、この位相の監視なのである。つまり、この位相というのは、音像の大きさをどうするか、あるいは直接音と間接音の配分をどうするか、全体の残響感や奥行き感をどうするか、ということの重要な要素になるわけである。その音場に置いたマイクの位相関係が、はたしてスピーカーから素直に伝わるかどうか。これが伝わらなくてはモニタースピーカーとしては落第になるわけで、その意味では、モニタースピーカーは全帯域に亘って位相特性が揃っていることが、条件として挙げられるわけである。ところが、マルチウェイスピーカーには、各ユニット、あるいはネットワークの介在により、一般的に位相特性が乱れやすいという宿命を背負っているのである。
したがって、多くのモニタースピーカーの中で、いまだに同軸型のユニット一発というシステムがモニターに向いていると言われ、事実、同軸型システムの方がマルチウェイシステムより定位や位相感を監視できる条件を備えているわけである。
それでは、同軸型システムならすべてよいかというと、私の考えでは必ずしもそうとはいえないように思う。つまり、同軸型は逆にいえば、低域を輻射するウーファーの前にトゥイーターが付けられているので、高域は相当低域による影響を受けるのではないかということである。確かにある部分の位相特性はマルチウェイシステムにより優れているが、実際に出てくる音は、どちらかといえば低域と中高域の相互干渉による歪みのある音を再生するスピーカーがあり、同軸型がベストとは必ずしも思えない。
以上のようなところが、理想的なモニタースピーカーの条件として挙げられるが、現実にはいままで述べた条件をすべて満たしているスピーカーは存在していない。そのため、レコード会社あるいは個人のミキサーは、現在あるスピーカーの中から自分の志向するサウンドと、どこかで一致点を見つけて、あるいは妥協点を見つけて選ばざるを得ないのである。
したがって、モニタースピーカーとしての条件を裏返してみれば、〝モニター〟として開発されただけでは不十分であり、実際にそれが、プロの世界でどの程度使われているかという、実績も非常に重要なポイントになるということである。ちなみに、モニタースピーカーのカタログや宣伝物をみていただいてもおわかりのように、どこのスタジオで使われているかが列記されているのは、単なる宣伝ではなく、そのスピーカーの、モニタースピーカーとしての客観性を示す一つのデータなのである。
モニタースピーカーはものさしである
私は、長年レコーディングミキサーとして仕事をしてきており、そのモニタースピーカーには、アルテックの605B一発入りのシステムを使用している。605Bを選んだ理由は、そのタフネスとともに能率が高いという点からである。私の場合は、録音するのにあちこち持ち運ぶ必要上、大出力アンプや大型エンクロージュアは適さず、限られた範囲内でできるだけワイドレンジで、位相差も明確にわかるという点からこれを選んだわけである。では、なぜ604Eではなく605Bかというと、ダンピングが甘い605Bの方が、同じ容積の小さいエンクロージュアに収めた場合、バランス的に低音感がいいと思えるからである。そして、それを一旦使い始めると、何度も録音を繰りかえしているうちに、モニターとしてどんどん私に慣れてきて、いまだに私の録音の標準装置になっており、今後も壊れない限り使い続けていくいつもりである。
私にとって、その605Bを使っている限り、そのスピーカーから出てくる音がいいか悪いかではなく、その間に聴いた多くのスピーカーやお得の部屋で接した総合的な体験によって、このスピーカーでこういう音が出ていれば、他のスピーカーではこういう音で再生されるだろうということが想像できるのである。つまり、完全に私の頭の中にそういう回路が出来上っているのである。ここで急に他のモニタースピーカーに替えたとしたら、そのスピーカーから出てきたその場での音しか頼りようがなくなってしまうことになる。もしそのスピーカーのその場の音だけを頼るとなれば、その部屋での音を基準に、改めてレコードになったときの音を考えなければならない。そういうことは、プロの世界では間違いを犯しやすく、非常に危険なことなのである。
そういう意味からいって、そこにある特定のスピーカーの、特定の音響下での音だけを頼りにしてということでは、録音の仕事はできないのである。そのためにも、モニタースピーカーはしょっちゅう替えるべきではないと私は思う。これが、私が終始一貫して605Bを長い間使っている理由である。もちろん、605Bそのものには、多くの不備もあり、このスピーカーでレコード音楽を楽しもうとは一切思っていない。
私の場合、そういう意味で、605B(モニタースピーカー)は、録音するための一つのものさしなのである。そのスピーカーで再生された音から、レコードになったときの音が想像できるということは、たとえていえば、1mが三尺三寸であるとすぐに頭の中に思い浮かべることができるということである。各レコード会社が、それぞれ共通のモニタースピーカーを使っているという理由は──先に互換性が重要だと述べたが──、それはとりもなおさず、音のものさしを規定したいがためである。
試聴テストの方法
レコード音楽の聴き方には、大きく分けて二通りあるように思う。一つは、いわゆる音楽愛好家的聴き方、もう一つはレコーディングミキサー的聴き方である。前者は、どちらかといえばあまりにも些細なことに気をとられないで、トータルな音楽として楽しもうという姿勢であり、後者は微に入り細に亘って、まるでアミ版の写真の粒子の一つ一つを見るかのごとき聴き方である。
同じことがスピーカー側にもいえるように思う。つまり、鑑賞用スピーカーとして、聴きやすい音の、音楽的ムードで包んでくれるような鳴り方をするスピーカーと、ほんのわずかなマイクロフォンの距離による音色の差まで出してくれるスピーカーとがあるようだ。
最近では、オーディオが盛んになってきたのにつれて、徐々に後者のような聴き方をするオーディオファンがふえ、また、そういう要求に応えるべきスピーカーも続々と登場してきている。〝モニター〟と銘打たれたスピーカーが、最近になって急速にふえてきているのも、そういう傾向を反映しているように思われる。
ところで、今回のモニタースピーカーのテストのポイントは、やはり録音状態がどこまで見通せるか、ということを優先させたことである。つまり、このスピーカーでどんな音楽の世界が再現されるのだろうかという、普段の音楽の聴き方でのテストとは違った方法でテストしたわけである。そのために、自分で録音したプログラムソースを主眼としている。これは、少なくとも自分でマイクアレンジをし、ミキシングもしたわけだから、こういう音が入っているはずだという、一番はっきりした尺度が自分の中にあるためである。それがいろいろいなモニタースピーカーでどう再現されるかを聴くには、私にとって一番理解しやすい方法だからである。
もちろん、モニタースピーカーといえども一般の鑑賞用システムとしても十分使えるので、そのために一般のレコードも試聴の際には併せて聴いている。
試聴に使用したレコードは、私か録音した「ノリオ・マエダ・ミーツ・5サキソフォンズ」(オーディオラボ ALJ1051dbx)、「サイド・バイ・サイド2」(オーディオラボ ALJ1042)の2枚と、ジョージ・セルの指揮したウィーン・フィルの演奏によるベートーヴェンの「エグモント」付帯音楽(ロンドン SLC1859)の合計3枚を主に使用した。これらのレコードのどこを中心に聴いたかというと、まず、二つのスピーカーから再生されるステレオフォニックな音場感と、音像の定位についてである。たとえば、ベートーヴェンのエグモントのレコードは、エコーが右に流れているのだが、忠実に右に流れているように聴こえてくるかどうか。この点で、今回のテスト機種の中には、右に流れているように聴こえないスピーカーが数機種あったわけだが、そう聴こえないのは、モニタースピーカーとしては具合が悪いことになってしまう(しかし、家庭で鑑賞用として聴くには、むしろその方が具合がいいかもしれないということもいえる)。
当然のことながら、各楽器の音量のバランスと距離感のバランス、奥行き、広がりという点にもかなり注意して聴いた。先ほども延べたことだが、スピーカーシステムの位相特性が優れていれば、それは非常に忠実に再現してくれるはずである。そういう音場感、プレゼンス、雰囲気が意図した通りに再現されるかどうかが、今回の試聴の重要なポイントになっている。
それから、モニタースピーカーのテストということなので、試聴には2トラック38cm/secのテープがもつエネルギーが、ディスクのもつエネルギーとは相当違い、単純にダイナミックレンジという表現では言いあらわしきれないような差があるためである。ディスクのように、ある程度ダイナミックレンジがコントロールされたものでだけ試聴したのでは、モニタースピーカーのもてる力のすべてを知るには不十分であると考えたからでもある。テープは、やはり私がdbxエンコードして録音したもので、八城一夫と川上修のデュエットと猪俣猛のドラムスを中心としたパーカッションを収録しており、まだ未発売のテープをデコーデッド再生したわけである。そのテープにより、スピーカーの許容入力やタフネスという、あくまで純然たるモニタースピーカーとしてのチェックを行っている。
再生装置は、まずテープレコーダーに、私が普段業務用として使っているスカリーの280B2トラック2チャンネル仕様のものを使用した。レコード再生については、やはりテストということもあり、スピーカー以外の他の部分はできるだけ自分でその性格をよく知っている装置を使用している。まずカートリッジには、エレクトロアクースティックのSTS455E、コントロールアンプは現在自宅でも使用しているマッキントッシュのC32、パワーアンプはアキュフェーズのm60(300W)である。台出慮のパワーアンプを使った理由には、再三述べていることだが、スピーカーシステムのタフネスを調べたいためでもある。なお、プレーヤーシステムには、ビクターのTT101システムを、それにdbx122を2トラック38cm/secテープのデコーデッド再生に使用している。
テストを終えて感じたことは、コンシュマー用スピーカーとの差がかなり近づいてきているということである。そして、今回聴いたスピーカーは、ほとんどすべての製品が、それなりのバランスできちんとまとめられていることである。もちろん、その中には低音感が不足したり、高音域がすごく透明なものがあったりしたが、それはコンシュマー用スピーカーでの変化に比べれば、きわめて少ない差だといえる。したがって、特別個性的なバランスのスピーカーは、今回テストした製品の中にはなかったといってもよいだろう。逆に言えば、スピーカーそのもののもっている音色ですべての音楽を鳴らしてしまうという要素よりも、やはり録音されている音をできるだけ忠実に出そうという結果が、スピーカーからきちんと現れていたように思う。
ところで、今回の試聴で一番印象に残ったスピーカーは、ユナイテッド・レコーディング・エレクトロニクス・インダストリーズ=UREIの813というスピーカーである。このスピーカーは、いわゆるアメリカらしいスピーカーともいえる製品で、モニターとしての能力もさることながら、鑑賞用としての素晴らしさも十分に併せもっている製品であった。
それから、K+Hのモニタースピーカーが2機種ノミネートされていたが、同じメーカーの製品でありながら、若干違った鳴り方をするところがおもしろい。私としてはO92の方に、より好ましいものを感じた。こちらの方が全帯域に亘って音のバランスがよく整っているように思われる。鑑賞用として聴いた場合には、OL10とO92は好みの問題でどちらともいえない。
意外に好ましく思ったのは、スペンドールのBCIIIである。いままで鑑賞用としてBCIIのもっている小味なニュアンスに惚れて、BCIIIを少し低く評価してきたが、モニタースピーカーとしてはなかなかよいスピーカーだという印象である。
アルテックのスピーカーは、612C、620Aともに604-8Gのユニットで構成されたシステムで、両者とも低域の再現がバランス上、少々不足しているが、私にとってはアルテックのスピーカーの音には非常に慣れているために、十分モニタースピーカーとして使用することができる。しかし、今回のテストで聴いた音からいうと、UREIやレッドボックス(今回のテストには登場していない)のように、同じ604-8Gを使い、さらにサブウーファーを付けたスピーカーが現われていることが裏書しているように、やはり低域のバランス上の問題が感じられる。
国内モニタースピーカーについては、検聴用としての音色やバランスの細部にわたってチェックするという目的には、どの製品も十分使用できるが、それと同時にトータルとしての音楽も聴きたいという要望までは、まだ十分には満たしてくれていないように思われた。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ヤマハのNS1000Mは、モニタースピーカーとして開発され、外国では放送局用として採用される実績をもっていると聴く。勿論、国内では、一般コンシュマー用として圧倒的にプロユースを上廻った使われ方をしている有名な製品だ。1000Mは外観がメカニックな仕上げで、ラボラトリー・イメージの濃いものだが、Mのつかない家庭用のフィッシュのものもある。30センチ・ウーファー・ベースの3ウェイ3スピーカーで、スコーカーとトゥイーターは、金属振動板のハードドーム型である。クロスオーバーは500Hzと6kHz。きわめて高いリニアリティをもったシステムで、小レベルからハイレベルまで、音色の変化の少ない点では、傑出していると思う。よくコントロールされたバランスのよさが、このシステムの多少の音色的不満を補ってあまりあるといえるであろう。やや、冷たく、鋭い音色感だが、その明るく緻密な面を多としたい。モニターとして、定位、音像の大きさなどの設定に明確な判別が可能。このサイズのシステムとして、きわめて高いSPLが可能だし、実際にスタジオなどのプロユースの実績をつけていけば、広く使われるモニターシステムとなり得るだろう。小、中程度の広さの調整室には好適なシステムだと思う。鑑賞用としてはすでに実績のあるシステムだが、明解で、バランスのよい音が好まれている。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ビクターのS3000は30センチ・ウーファーに同軸トゥイーターをカプリングしたコアキシャルスピーカーで、開発時よりモニターとしての意識で進められた。モニターに対する概念、コンセプションがどういうものであるか、開発者に聞いてみなければ解らぬが、もし、コンシュマーユースより高級、高性能という単純なものだとすれば、それは当っていないのではないか。どうもモニタースピーカーへのコンプレックスを、多くのメーカーもユーザーも持ちすぎている。モニターの資格検定があるわけでもないし、モニターといわれるスピーカーの全てが、コンシュマー用より優れているなどということも決してない。それはともかく、録音時に、製作者が意図を確認する目的や、生演奏直後の再生に大きな違和感を感じさせないためには、モニターは、高品位でタフなスピーカーが要求されることも事実である。コアキシャルは定位がよくて、モニター向きだというのは事実だが、マルチウェイでも定位の確認が出来なくない。このS3000は、いずれにしても、コアキシャルのよさと悪さを併せ持ったしすてむで、音がまとまる反面、おおらかな空気感の再現には同系のスピーカー共通の弱点が出る。しかし、このシステムは国産モニターとして世界の水準に劣らないハイクォリティの製品に仕上げられている。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ユーレイという名前は日本では奇異な感じを持たれるかもしれないが、このメーカーはアメリカ・カリフォルニア州サン・ヴァレイにあるプロ機器専門メーカーで、ユナイテッド、レコーディング・エレクトロニクス・インダストリーズという。そのイニシャルをとるとUREIとなる。社名が示す如く、主に録音の周辺機器を製造しているが、同社のスピーカーに接するのは、私もこれが初めてであった。このシステムは、今アメリカのスタジオで、一つの流行ともいえる様相を呈しているアルテックの604のモディファイである。604−8Gのセクトラルホーンとネットワークをはずし同社製の800Hというストレートホーンをつけ、これにもう一つ38センチのユニットを追加、これらにタイム・アラインド・ネットワークをつけ、大きなダンプドバスレフ・エンクロージュアに収めた大型モニターシステムである。モデル813と呼ばれるこのユニークなシステムは、正直なところ完全に私を魅了してしまった。その高域は、604−8Gとは似ても似つかぬ繊細かつ、明確、なめらかなハイエンドと化し、しなやかな弦の響きを再現するし、パルシヴな高域のハーモニックスも優美な音を響かせる。加えて、適度にダンピングをコントロールした低域の豊かさは素晴らしく、フェイズ感はナチュラルで、近来稀に聴く優れたスピーカーだった。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
スペンドールというイギリスのメーカーは、このBCIIIをBBCモニター仕様で作ったということになっている。同社のBCIIは、私の最も好きな中型システムの一つで、わが家でも愛用している。その瑞々しい艶のある、透明な音は、品位の高さで、ちょっと右に出るものがないと思うほど美しい。このBCIIIは、その上級クラスで、エンクロージュアの外形も大きいし、ユニット構成も、グレイドにおいては高い。全体の音としての魅力はBCIIに軍配を上げるけれど、このBCIIIも、こうして他社のスピーカーと比較試聴すると、実に清新な魅力をもったものである。滑らかな音の感触は、きわめて歪感の少ないもので、音楽の美しさが生き生きと再現される。そして、さすがにBCIIからみると、耐入力も大きく、ハイレベル再生も十分に可能であって、モニターとしての役目は十分果せるシステムだと思う。30センチ・ウーファーがベースとなった4ウェイ4スピーカーというマルチシステムでありながら、定位もよく判別出来るし、全帯域のバランス、位相特性もよくコントロールされている。中音域が、やや細身なのが、BCIIと比較した時、気になっていたのだが、欠点として指摘するようなものでは決してない。レコードのミクシングの細かい点までよく聴き分けられたし、オリジナルテープのもつDレンジやフレッシュネスも十分再現してくれた。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ロジャースのLS3/5Aは、モニタースピーカーとしては異例の小型なもので、ミニモニターと呼んでもいいだろう。こういう小型なモニターが、いかなるケースで必要とされるのかは、私も少々理解に苦しむのである。小型が場所をとらなくていいに決っているが、ここまで小型にしなくてはならない必然性はなんなのだろう。テープレコーダーのキューイングに、デット一体化して作りつける場合などを別にすれば、業務用としては、野外録音のポータブルでもない限り、必要性は思い当らない。しかし、それはそれとして、このスピーカーの音質は、キメの細かい、精緻なもので、品のいい魅力的なソノリティを聴かせてくれる。10センチ口径のウーファーと2センチ口径のトゥイーターの2ウェイシステムで、クロスオーバーは2kHzである。こういうシステムだから、大きなラウドネスは期待する方が無理で、小さな部屋でバランスのとれた音を楽しむという、むしろ、家庭用のシステムとしての用途のほうが強かろう。JBLの4301の項で述べたようにプログラムソースの制作のプロが、家庭用のスピーカーに近い状態でモニターとして、メインモニターと併用するというのが、本来の製作意図かとも思われるが、鑑賞用として優れた小型システムだと思う。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
タンノイのユニットを独自のエンクロージュアに入れてシステム化したロックウッドのメイジャーは、コアキシャルユニットの特徴からしても、当然、モニタースピーカーとしての用途を意識して作られたものであろう。しかし、今回の試聴では、期待したほどではなく、前回、他の場所で聴いた時より印象が悪かった。まず、中高域にかなりうるさいピーキーな響きがあって、中域から高域への音のスムーズさが害されてしまう。同じユニットでも、エンクロージュアがちがうと、低域の変化だけとしてではなく、全帯域にわたって音が変るものだが、これもその好例で、タンノイのアーデンとは大分異質の音であった。モニターとして使えるか使えないかといった問題ではないが、私の耳には、少々ピーク・ディップが多過ぎて、個性というよりは癖と感じられたのである。しかし、綜合的には、この豊かでよく弾む低音域に支えられた重厚なバランスは、さひがに高級システムらしい風格に溢れたもので、鑑賞用として、この音を好まれる向きには、所有しがいのある堂々たる製品だ。モニターとしては、細かい定位はよく判別出来るが、エコーの流れなどは比較的不明瞭で、よく響く低域にマスクされるような傾向であった。個性的な鑑賞用のシステムとしてのほうが高い評価が可能だ。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
ダイヤトーンの2S2503Pは同社のモニターシステムとしては小型なもので、構成は2ウェイ。25センチ・ウーファーと、5センチ・トゥイーターの二つのユニットが装着されている。公称最大入力は60Wと表示されているが、マスターレコーディングのメインモニターとしては、少々物足りないといわざるを得ない。スタジオにおけるメインモニターの再生レベルは、一般に想像されるそれより、はるかに高いのが普通だし、演奏直後のプレイバックには、ハイレベル再生が必要な場合が多いものだ。率直にいって、このシステムは、サブモニターとして使われる種類のものだろう。
音色は、ややボクシー、つまり箱鳴きの感じられるもので、腰が弱く頼りなさが残る。音像の輪郭もシャープとはいえないし、中低域の明解さが不十分で、少々濁り気味である。しかし、エコーの流れや、はランスなどは、さすがに一般用スピーカーより明確に判り、モニタースピーカーとしての設計意図が生きている。綜合的にいってこの音は、むしろ鑑賞用としてよいと思われるあらの目立たない音だが、長時間仕事に使うモニターシステムとして、こうした疲れないソフトタッチのお供、モニターとしての一つの思想の中にある。オリジナルマスターを聴いても、レコードのようなこなれた音になるシステムだ。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
キャバスのブリガンタンというシステムは完全なマルチウェイ・システムで、どちらかというとコンシュマーユースのフロアタイプとして評価できる性格のシステムである。フランス製だけあって、モニターとしての観念が、アメリカや日本のものとやや異なるようだ。モニタースピーカーについての定義は、あってなきに等しいことは別項でも述べている通りだが、このシステムも、メーカーがモニターとして使われる想定で設計し、実際にプロユースとして使われている実績があるから、モニタースピーカーといえるのであろう。再生周波数帯域は大変広く、そうした帯域バランスをチェックするにはいいスピーカーだ。マルチウェイだけあって、定位はコアキシャルやシングルコーンなどとはちがい、中央モノーラル定位が、やや定まりきらない。しかし、ステレオフォニックな音像定位の再現はよく、マルチウェイとしては位相特性と指向性に対しての考慮が行届いていることがわかる。音色的には、艶のある、しなやかなもので、モニターシステムにあり勝ちな味気のない、音楽的感興の湧きにくいものではない。この点でも、コンシュマーユースとしての魅力を持ったものといえる。また、マスターレコーディング用としては、とてつもないパワーが入るが、この点ではこのシステムはミニマムの条件。細部はやや美化される傾向がある。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
JBLの4331Aは、いわゆるスタジオモニターの標準的なモデルで、38センチ・ウーファーに、ホーン・トゥイーターを800Hz以上に使った、2ウェイシステムである。このエンクロージュアは、大きさの点からもモニターとして最も手頃なもので、JBLのモニターシリーズ中のベイシックモデルといってよい。同じエンクロージュアに、3ウェイのユニットを構成を持たせたものが、これの上級機種として存在することからも、このエンクロージュアの存在の重要性が理解できるであろう。さすがに、モニターとしての性能は優秀で、このシステムのもつ音色に抵抗がない限り、きわめて正確なモニタリングの可能なシステムだと思う。高い能率と十分なパワーハンドリングで、堂々とした大音量再生も可能だし、音の解像力はきわめて高い。定位もよく判別できるし、位相差の判別も容易である。バランスもよくとれていて、最高域はややだら下りだが、モニターとしても帯域の狭さは感じさせない。音楽的な表現がよく生きて、各楽器の持つ質感をよく伝えるので、鑑賞用としても全く問題ない。むしろ、この音の魅力に強く惹かれるファンも多勢いることだろう。レコードのミクシングの細かな点もよくわかるし、オリジナルテープの再生でも立派にその役目を果してくれた。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
モデルOL10は、O92より価格の高いシステムで、使用ユニットもエンクロージュアも別設計だが、両者の間には、K+Hのモニターへの思想が確実に共存している。ウーファーはO92と同じく25センチ口径を2個使い、こちらはトゥイーターがホーン型である。ドライヴィングアンプは、やはり3チャンネル独立タイプである。
全体にO92と共通の魅力ある音と、モニターとしての高度な解像力、品位の高いソノリティをもってはいるが、私には、このOL10のほうが、中域にややしまり過ぎの感じが気になった。中域が、少々貧弱なバランスに聴こえ、そのために高域にくせを感じるのである。そんなわけで、私にはO92のバランスのほうが好ましく思えるのだが、これは、二者の比較の話であって、無論、このシステムの品位の高さは十分評価に値するものだ。対象の音楽によっても、この両者の印象はいささか変ってくるようだ。オーケストラでは、むしろ、このOL10のほうが自然で、O92の中域の張り出しが、やや押しつけがましく聴こえないでもない。しかし、直接音のパーセンテージの大きいジャズのソースでは、O92の中域の充実が、圧倒的に前へ音が張り出してくる感じでリアリティをもつ。いずれにしても、このK+Hの二機種はモニターとして鑑賞用として優れたものなのだ。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
JBLのモニターシリーズ中、最も小型かつ低廉なモデルがこの4301で、20センチ・ウーファーと3・6センチ・トゥイーターの2ウェイシステムである。こういうモニターシステムは、たしかにプロフェッショナルのフィールドでの用途はあるが、決してメインモニターとはいえない。極端ないい方をすれば、キューイング・モニターといってよいかもしれないが、場合によっては、一般家庭用スピーカーの代表的なサンプルとして使われるケースも或る。つまり、スタジオのメインモニターは、ほとんど大型システムで平均的家庭用スピーカーとは差があり過ぎるから、このクラスのモニターで再チェックをするという方法だ。この説明から御理解いただけると思うが、これは大変優れた家庭用のブックシェルフとして、その明解、ウェルバランスの音が高く評価される。音像の輪郭はいかにもJBLの製品らしいシャープな再現であり、音の質は、プログラムソースのもつ特色を立派に生かしてくれる高品位。スケールは小さいが、全帯域バランスがよく整っているし、位相的な音場空間の細かい再現もよい。マスタリングモニターとしては、許容入力15Wは、あくまで特殊だが、録音対象によっては勿論、使えなくはない。他の大型モニターのもつ特質を小型化して、ちゃんと持たせた音の鮮度は立派である。
菅野沖彦
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
K+HのO92は、500Hzと4kHzにクロスオーバーをもつ3ウェイシステムで、それぞれをクロスポイントとして三台のアンプでドライヴするとライアンプ方式である。ウーファーは25センチ口径が2個である。トゥイーターはトー無型。クライン・アンド・フンメル社は西独のメーカーで、モニタースピーカーの製作には実績をもっているプロフェッショナル・エクィプメント専門メーカーである。比較的口径の小さいウーファーを採用して中域との音質バランスを重視し、パワフルな再生のために、ダブルウーファー方式にするというのは賢明な手段といえるだろう。
大変バランスのよいシステムで、音色に品のいい魅力のあるシステムである。この点で、モニターシステムという言葉から受ける、無味乾燥なドライなイメージは全くない。むしろ、個性のある音といってよいだろう。この個性に共感しさえすれば、このシステムのもつ性能の高さをモニターとして縦横に生かし切れるだろうし、もし、この個性に反発を感じる場合はK+Hの門戸は閉ざされたままだ。このことは、いかなるモニターシステムについてもいえるだろう。ハイパワー再生にも安定と余裕があるし、楽器の質感、定位、位相感は明確である。響きが豊かでいて、抑制の利いた素晴らしいシステムだと思う。全帯域にわたって、充実した均質の音質をもっている。
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