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ソニー TA-3650

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 これは良くできたアンプだ。いろいろなプログラムソースを通して聴いて、違ったタイプのスピーカーを組合せてみて、どの場合にも破綻をみせないし、それが単に平均点的優等生であるところを越えて、もっと音楽を充実して聴かせる密度の濃い音を持っている。この製品が6万円そこそこの価格であることを忘れさせるまでには至らないにしても、あ、いい音がするな、とつい聴き込んでしまう程度の良さがある。ただ、音の力と緻密さを大切にしたことはわかるにしても、弦の高域や声楽で、いくらか芯を太く、多少強引に、音を硬めに鳴らす傾向はあるが、音の基本的な質が良いせいか、それが弱点とは感じられず、むしろパーカッションなどで、腰のくだけないクリアーな鳴り方を印象に残す。しかしトーンコントロールをONにすると、右の特徴が失われて、曇り空のような冴えのない音になってしまう。この部分の磨きあげがもう一歩、という感じだった。

私のサンスイ観

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・サンスイ」
「私のサンスイ観」より

 サンスイ、といえばブラックフェイスのアンプのパネルと組格子のスピーカーグリル、ということになるのだろうが、私にとってのサンスイはもうひと世代古くブルーの鋳物のカヴァーのついたあの特徴あるトランスから始まる。「トリパイサンスイ」とか「御三家」などという業界のことばが使われる以前の話で、トリオは〝高周波屋さん〟としてコイルやIFTや通信機用パーツのメーカーで、パイオニアはスピーカー屋さんで、山水(いま「サンスイ」と片カナ書きするがその昔は漢字で読んでいた)は低周波トランスのメーカーだった。ラジオやアンプの組み立てに夢中だった昭和20年代後半……古い話だなアと言わずに、まあガマンしてつきあってください。
 学生の身ではアンプを組み立てる小遣いも十分ではない。その資金をかせぐ手っとり早い方法は、親せきや知人の家を廻っては、ラジオの注文をとって組み立てるアルバイトだった。日本が敗戦の痛手からようやく立直った頃で、家庭にラジオ一台、満足なのがなかった時代だから、秋葉原でパーツを買い集めてきて、当時流行の〝5球スーパー〟(それにマジック・アイを加えて〝6球スーパー〟と詐称するやつがいたようなころのこと)を組み上げると、材料費が2~3千円で、うまくゆくとそれは同じくらいの組立手間賃がもらえて、それが研究費の足しにもなれば、ラジオ一台組むたびに腕の方も少しずつ上達するという一挙両得で、手あたり次第に注文をとっては、5球スーパーを組み立てた。
 同じものを何台も作るのはつまらないから、一台ごとに回路をくふうもするし、外観も、キャビネットやダイアルをそのたびに変えてみる。キクスイのダイアルが、ことに証明が美しくて見栄えがいい。ダイアルの穴のないキャビネットを売っていて、廻し挽きの鋸でエスカッション用の孔を抜く。そのうちにクライスラー電気が、KAK(編注=デザイン事務所名)のデザインで外観のモダーンな、シャーシつきの便利なキットを発売して、のちには専らこれのお世話になった。クライスラーがスピーカーでヒットしたのはもっとずっと後の話だ。
 で、かんじんの中味だが、注文主の予算に応じて、パーツのグレイドをきめる。安くあげるには二流メーカーのパーツを使うが、豪華版に使うパーツの相場はだいたいきまっていて、バリコンがアルプス、コイルとIFTはトリオかQQQ(スリーキュー)、真空管は東芝でスピーカーがオンキョーの黒塗りフレームのノンプレスコーン(これを書くと〝別冊オンキョー号で書くネタが無くなりそうだが)〟そして電源トランスに例の特徴あるブルーの山水を使う、というのが定石のようになっていた。その他抵抗・コンデンサーやソケット、ボリュームやスイッチ類まで、好きなメーカーがきまっていたが、さすがに今になると、小物パーツのメーカー名は、すぐにはなかなか思い出せない。しかしこの本はサンスイ号なのだから、トランスの話が出たところで山水の路線に乗ることにしよう。
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 物資不足の折、あやしげなメーカーのトランスを使うと、レアショートしたり焼き切れたりするのがある中で、山水の作るトランスは、ラックスのようなスマートさは無くてどこか武骨であったけれど、質実剛健というか、バカ正直といいたいくらいきちんと作られていた。とうぜん、作ってあげたラジオも故障知らずで、結局製作者の信用もつくことになる。そんなわけで山水のトランスには、ずいぶん研究費を助けてもらったことになる。
 それでいながら、そうしてかせいだ小遣いでいざ自分用のアンプを組もうという段になると、どういうわけか山水のトランスをあまり使った記憶がない。というのも、いまも書いたようにこの会社の製品は良心的であっても外観がいまひとつ洗練されているとはいいがたく、その当時の競合メーカーの中では、ラックスやマリックのどこか日本ばなれしたスマートな仕上げや、タムラのプロ用やサウンドマスターの出力トランス等の無用の飾りのない渋い外観の方に魅力を感じていたからだ。つまり私は昔からメンクイだったわけで、山水の山の字とSの字がトランスのコアとコイルを象徴したマークが太く浮き彫りされた、あの個性の強いブルーの鋳物のカヴァーが、自分のデザインしたアンプのシャーシの上に乗るのを、どうも許せなかったのだ。
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 ステレオ時代に入って、サンスイはブラック・パネルのアンプと組格子のスピーカーで大ヒットを飛ばし、一時は日本じゅうのアンプとスピカーのデザインの流れを、大きく変えさせた。が私個人の感覚でいえば、これらの意匠の強い個性には、ちょっとついてゆきにくかった。むしろそれより少し前に作られた、SM-30やSM-10などの一連のレシーヴァーのデザインの方が、洗練されていてとても好きだった。しかし長い流れの中でふりかえってみると、昔のトランスと同じように、頑丈で武骨で実質本位で、その結果アクの強い外観をそなえた製品が、サンスイの主流をなしていたという印象が残る。このことは、製品の実質を理会する少数の人たちに支持されるとしてもいまの世の中で商売をしてゆくには損をしやすい体質だといえる。損得というような言い方がよくないとすれば、国際的に一流として通用する製品は、武骨ではいけないということになる。良い内容を、国際的な感覚でスマートに表現しなくては、どんなに実質が優れていても多くの人に理解されない。
 実質本位──と書いたが、しかしここ数年来のサンスイの製品が、本当に実質も優れていたかどうか。差し出がましいかもしれないが、お世辞ぬきで言わせて頂くなら、かつてSP-100やAU-777で大ヒットしたころの製品にくらべると、その後のアンプやスピーカーが決して順調に発展してきたとは思えないし、そのことはサンスイ自身がよく知っている筈だ。しかし、それなら、なぜ、なのだろうか。社内の事情は知らないからこれは外側からの勝手な憶測にすぎないので、間違っていたらお許し頂きたいが、ひと頃のサンスイは、あのAU-777とSP-100のヒットで、少しばかり良い気持になっていた時期が長すぎたのではあるまいか。たしかにAU-777は、当時のアンプの中でズバ抜けて良い音がした。しかしその後の4桁ナンバーの一連のアンプに至るまで、ステレオサウンド誌20号(内外53機種のプリメインアンプ・テスト)あたりからあとの最近号までのアンプ特集号を読み返してみても、競合他社の同格品とくらべてみても、もうひと息、という感じで、一時期のあの意欲や技術力や勢いが感じとりにくかった。
 が、先日来、最新作のAU-607、AU-707等の一連の新シリーズを試聴してハッとした。おや? サンスイが久々に意欲的な音を鳴らしはじめたな、と思ったのだ。音がとてもみずみずしく新鮮だ。この感じは、AU-777以来久しく耳にしえなかった音だ。これなら、現代の最新の水準に照らしてもひけをとらないどころか立派に第一線に伍してゆける。デザインにもスマートさが出てきた。そのことはプレーヤーの最新作SR-929についてもいえる。スピーカーのSP-G300は、まだ本格的な試聴をしていないが、少なくともその機構からしても今までのものと全然違っている。サンスイの体質が大きく変りはじめたように思われる。そしてそれは期待のできる方向であることが感じとれる。
 さんざん悪態をついて申し訳ないが、終りにひとつだけ、AU-777以来、アンプ・パネルのブラックフェイスを貫き通した意地を高く評価したい。最近になって、マーク・レビンソンなどの影響で再び各社がブラックフェイスを復活させはじめた。サンスイにとってはそれは復活でなく、昔からのサンスイの〝顔〟なのだから、大手をふってブラックパネルをいっそう完成度の高い、洗練された製品に仕上げて欲しい。

サンスイ SP-G300

菅野沖彦

スイングジャーナル 2月号(1977年1月発行)
「SJ選定新製品」より

 ジャズをリアルにきいて、音楽的実体験をするのが私の理想である。音楽的実体験とは自分が、音楽する行為であって〝今、レコードを聴いている〟などというさめた、なまぬるいものではない。自分の頭の中、心の中、身体中にみなぎる音の表現が、スピーカーから出てくるそれと完全に同化し一体化することといっていいかもしれない。コルトレーンのレコードをかける時はコルトレーンになりきり、ロリンズではロリンズになりきるのだ。八城一夫が弾くピアノは自分が弾いているのである。こうなりきれるには、その演奏表現が自分と同化できるものでなくては駄目で、異質な表現、異なる呼吸、くい違うリズムが演奏されるとこの行為は破壊され、私は音楽から完全にはずれ、おいてけぼりを喰い、しらける。趣味のあわないセンスも決定的に、この行為を不可能にする。好きなアーティストや好きなレコードとは、この行為を可能にしてくれるものだと思っている。音楽の理解とは、こういうことなのではないかと思うのだ。嫌いだ、合わないという断を下す前には、自分自身が、その音楽の次元に至っていないことをも謙虚に内省すべきであるし、努力してその音楽と一体になるべく自分を磨くぺきだとも思う。しかし、どうしても自分に合わないものは必らず存在するものだろう。
 レコードは反復演奏が可能なために、こうした一体行為への努力をするには都合がいい。もちろん、一度も聴いたことのないアーティストの演奏会で、初めての出合いで一体化し得ることもまれにあるし、そんな時の喜びは、もう筆舌に尽し難い。
 レコードをかけて、この一体化の行為を営む時に、私にとって再生装置のクォリティや録音制作の質と性格は大変に重要なのである。それがジャズである場合、私は、どうしても、高い音圧レベル、大きな耐入力をもった余祐あるスピーカー・システムが必要なのだ。ちょっとパワーを入れると歪んだり、危っかしくなるようなスピーカーは、せっかく、好きなアーティストと素晴しい録音であるにもかかわらず、私のしたい一体化の行為、つまり、音楽的実体験に水が注がれてしまう。私が使うリアルとか、リアリティとかいう言葉は、この音楽的実体験という意味であって、決して、生と似ているという狭い範囲の意味ではない。生と似ていることそのものは結構であるがたとえ、生と比較して違いがあっても、この実体験が出来れば、私はレコードと再生装置に100%満足する。むろん、この実体験の基本的な感覚は生の音楽を聴くことにより、下手ながら楽器を弾くことにより育ったものであるが……。
 このサンスイの新しいスピーカー・システムは、私に、この実体験をさせてくれた。抜群の許容入力と堂々たる音圧レベル。まず、この最低条件をよく満たしてくれた。いくら、この条件が満たされたからといって、アンバランスな帯域特性や、耳障りな音色の癖がひどくてはやはり白けるが、この点も、まず、私の感覚に大きな異和感を生じさせない。小レベルのリニアリティーもよく、敏感にピアニッシモに反応するしスタガーに使われているという2つのウーハーとツイーターのつながりもスムースで快い。難をいえば、低音に、もう一つ、柔軟さと軽やかさがほしい。ツイーターとのつながりからも感じられるのだが、このウーハーの中音から高音へかけての質と、ネットワークによるコントロールは見事であって、それだけに、低音に欲が出るのである。実体験をしている最中に、いい意味で一体化からはぐらかされることがある。それは、あまりにも素晴しい音がスピーカーから出る時だ。聴きほれるというのだろう。このサンスイSP−G300には、そこまでの魅力はない。幸か不幸か、私の音感覚のほうが、このスピーカーよりちょっぴり洗練されているらしいと思いながら、しかし、全く白けることなくジャズを体験することが出来たのである。

サンスイ AU-607, AU-707

岩崎千明

音楽専科 1月号(1976年12月発行)
「YOUNG AUDIO 新製品テスト」より

 サンスイのアンプが、この秋大きく変った。変ったといってもその特長たるブラック・パネルはそのまま踏襲され重量級の風格は変ることがない。しかしよくみると、その仕上げは、艶消しのソフトな感触に変り、今までの鋭どさがぐっとやわらいだ。つまみも角を丸くおとしてまろやかなタッチで、つまみの数も、いままでにくらべてずっと抑えて、全体にシンプルだ。こうした一段とソフトな感じがこの新シリーズ、607、707の大きな特長であることは、その音を聴くと、一層はっきりすることになる。従来、サンスイのアンプは「中音が充実し、やや華麗な中に、鮮明な迫力一ぱい」として受けとられて来た。
 人気絶頂の米国JBL・スピーカーの総代理店たるサンスイの特典が、アンプにいかんなく発揮されている、ともいえそうな鮮度の高い迫力ある音がブラックパネルのサンスイのアンプの共通的な特長であり、さらに中音から中高音にかけてのクリアーな力強さが感じられてきた。
 ところが、今度の新シリーズは今までのこうした特長からははっきりと変化を知らされる。路線が変ったというよりも、今までのすべてを突き破ったといえる。鮮明さは少しも失わずに、しかも、全体に受ける印象は、まろやかな音だ。どぎつさが全然なく、すべてに落ち着きとゆとりを感じさせる、高い水準の完成度が見事なほどだ。
 外観のイメージから受けることのできる、大人っぽい高級感は、音の方にもはっきりと感じることができるのが、今度の新シリーズ、607、707なのである。
 サンスイのアンプは今までもハイクラスのマニアの愛用者が多い。逆にいえば、高価格のアンプがよく売れる。1年前のAU7700といい、2年前のAU9500といい価格的には一般的平均よりもずっと高い高級品であった。こうした高価なアンプであれば、内容的には当然優れているわけで、それを十分使いきり、生かせることのできるファンが、サンスイの愛用者に多いといえる。
 新シリーズはこうした点をもっとはっきりと意識して、製品の企画に反映した、といえるだろう。初心者やレベルの低いファンにとっては今までのサンスイのアンプにくらべ物足りないと思われるほど、おとなしい音、おとなしいデザインにまとめられているのは、実はこいうした、大人のファンのための高級品だからであろう。
 607は65/65Wの、家庭用としては十分にして無駄のないパワーをもち、機能面でも、余り使うことのないものを整理し、しかも、若いファンのための必要なアクセサリーともいうべきテープ録音再生の端子は2台分を用意してあり、その使いやすい切換つまみでまとめたパネルつまみは、新製品にふさわしく、便利で有効だ。
 707は出力を一段と上げて80/80Wと強力でしかも機能面はマニア、音楽ファンの愛用者のあらゆる望みをかなえてくれるに違いないほどいっぱいだ。
 最近のアンプはかなり技術志向が強くて、「DCアンプ」「電源左右独立」といったアンプの内部を理解していないとつかみにくい面が強調されることが多い。サンスイの新シリーズもむ論、この面で同様の新技術を採用しているが、要はそうした技術が、サウンドにいかに生かせるか、である。サンスイの707、607、デビュー早々若い音楽ファンが熱いまなざしをもって迎えられているというのも本当の理由は、こうした実質的な、真の良さのためだろう。

ソニー SS-G7

菅野沖彦

スイングジャーナル 1月号(1976年12月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ソニーが私の感覚のアンテナにひっかかるスピーカーを出してくれた。長年にわたって同社は、スピーカー・システムに力を入れてはきたが、不幸にして、これはいけるという感じを率直に持てたものがなかった。
それも大型システムほど不満があって、スピーカー・システム作りの困難さを推察していたのである。もっとも、同社が、ユニット作りから本腰を入れ始めたのは、比較的最近のことであるらしい。しかしながら、このソニーSS−G7のようなシステムを作ることが出来たのは、明らかに開発者の熱意と、オーディオの実体への認識が支えになったことを思わせるのである。変換器としての物理理論とデータの確認だけでは、良いスピーカーが出来ないという過去の事実を謙虚に受けとめ、より緻密な科学的分析と、録音再生のメカニズムのプロセスへの一層の理解と実体験を積み重ねた結果の、一つの成果が結実したことは同慶にたえない。
 SS−G7は、38cm口径をベースにした3ウェイ・システムで、ミッド・レンジが10cm口径のバランス・ドライブ型と同社が呼称するコーン・スピーカーだが形状は、ドームとコーンの中間的なもの、ツイーターは3・5cmのドーム型である。ウーハーのコーンはカーボコーンと称する同社のオリジナルで、炭素繊維とパルプの混合による振動系にアルニコ系鋳造マグネットによる効率のよい磁気回路、駆動ボイス・コイルは100φの強力型で、優れた耐入力特性と高いリニアリティを得ている。スコーカーはコーンだが、実効的にはドームに近く、ツイーターは、20μ(ミクロン)厚のチタン箔の振動板だ。これらのユニットは、バッフル上にプラムインラインという方式で取付けられているが、これは、各ユニットの取付位置をただバッフル平面上につけるのではなく、振動板の放射位相関係を調整し、音源の等価的位置をそろえるという考え方のものだ。エンクロージャーは位相反転型だが、造りのしっかりしたもので、バッフル面は、これまた同社らしい特別な呼称がつけられている。AG(アコースティカル・グルーヴド)ボードというそうで碁盤の目のように表面がカットされていて、これによって、指向性の改善が得られているという。 たしかに、このスピーカー・システムの音は、豊かな放射効果を感じさせるもので、プレゼンスに富み、音像の定位も明解だし、豊潤なソノリティが、楽音をのびのびと奏でるものだ。ユニット配置の工夫や、AGボードが生きているとしたら、これ1つをとっても、従来の無響室における軸上特性の測定などが、いかに微視的な氷山の一角を把えていたに等しいかが評明されるだろう。ユニットやネットワークにもやるべきことを真面目にやって、さらに、それを音響的に多角的な検討をしてシステムとしてのアッセンブルに移すというオーソドックスなスピーカー作りの基本を守りながら、聴感を重視して試行錯誤をくり返した努力の跡がはっきりわかるのである。とにかく、このスピーカー・システムは、音楽が楽しめる音であり、楽器らしい音が再現される点で、ソニーのスピーカー・システム中、飛び抜けた傑作であると同時に、現在の広く多数のスピーカー・システムの水準の中で評価しても、まず間違いなくAクラスにランクにされる優れたものだと思う。
 この、SS−G7の試聴感を率直にいえば、やはりウーハ一に大口径特有の重さと鈍な雰囲気がつきまとうのが惜しい。しかし、これは、この製品、SS−G7に限ったことではなく38cmクラスのウーハーのほとんどが持っている音色傾向であるといえよう。
今後の課題として、この中高域の質に調和した、より明るく軽く弾む低音も出せる大口径ウーハーが出現すれば文句なしに第一級のシステムといえる。しかし、この価格とのバランスを考慮して、商品として評価をすれば、これは賞讃に価いする。今後の同社のスピーカーにさらに大きな期待を抱かざるを得ない傑作だと思う。

デンオン POA-1001

岩崎千明

スイングジャーナル 1月号(1976年12月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 76年秋、デンオンはトランジスタ・アンプらしからざるマイルドな音色のソリッドステート型高級アンプとして、コントロール・アンプPRA1001、パワーアンプPOA1001を発表した。ちょうど1年前の秋には、同じデンオンが真空管アンプらしからざる透明感あふれる音色の、管球式高級アンプ1000シリーズを発表しているが、外観的にはこの1年前の管球式1000シリーズとはっきりした共通点が認められる。今回の1001シリーズは、こうした外観的な特長からも、またこの型番からも、1000シリーズのアンプの技術を土台にして、その上に結実した結果ということができよう。
 ところで、オーディオ界におけるデンオン・コロムビアのブランドは、ビクターと並んで、最も古くからその中核をなしその企業組織内にレコードを主とした音楽産業を併せ持つ、音楽的色彩の強いオーディオ・メーカーであることはよく知られているだから、デンオン・ブランドのオーディオ機器は、一般に他社とははっきりとした違いを持ち、受け手の側が音楽との関わりを深めていくにつれて、「デンオン」の製品のこうした音楽的特長に気付いてくるに違いない。
 ひとくちに言って、デンオンの製品は、スピーカーにしろアンプにしろ、あるいは、プロフェショナルに永く問わりを持ち、業務用という言い方で誰をも納得させてしまうデッキやプレイヤー関係の機器に至るまでのすべてにおいて、他とは違うサウンド上の特質ともいうべき「いきいきとした生命感ある音」を大変はっきりと示してくれている。
 このため、デンオンのプリメイン・アンプは数あるライバル製品の中にあって、どちらかというと割高の傾向をみせながらもなおその愛用者が少なくない。プロ用機器の技術を土台としたデッキやプレイヤーに比べて、サウンド感覚そのものが大きく判断を支配してしまうスピーカーやアンプにおいての成功は、デンオンのオーディオ機器の優れた本質を示してくれる裏付けであると言ってよいだろう。
 だから、デンオン・ブランドのプリメイン・アンプは、最近ますます音にうるさい愛用者の用うべき高級品だと評判も高い。
 当然のことながら、こうしたプリメイン型アンプのより高級なる地位を占めるべきセパレート型に対しての期待が大きかったわけだ。しかし、一般に、期待の大きい場合にはその大き過ぎたがゆえに、期待外れの失望感を味わいやすいものだ。
 ところが、今回発表された1001シリーズは、こうした危倶をまったく感じさせない。すっきりとした外観は、見るからに高級品然とした高い品位の風格を示し、プリメイン・アンプの高級品とも格段の相違をはっきりと示す。確かに、プリアンプ、パワーアンプあわせて30万を上まわるのだから、これは当然の配慮というべきだが、それが、一見して感じられるところも商品作りのうまい点だ。こうしたことは、最近のようにデザイン重視の傾向が進めば進むほど、意外にも見逃されがちのようである。例えばほとんど同じ系列の製品群に対して同一デザインを踏襲してしまい、仕上げまでも同一程度のため、安いものほど高級感が出てきて、高価なものではその逆にその高級感が物足りなくなってくることがままある。パワーアンプのような実質本位な製品は、デザインが軽視されがちだ。
 デンオンPOA1001は、ごくあっさりとした外観ながら、実はきわめて緻密な配慮のもとにデザインされていて、サブ・パネルの下に使用頻度の少ないツマミを収め、扱いやすさと風格とをあわせ持つ。スイッチを入れると、そのスピーカー保護回路が働くのも、高級アンプにふさわしいタイム・ラグを感じさせる。
 あくまで澄みきったサウンドのうえに、切れこみの良さと、耳になじんだ快さは、マイルドで芳醇なコーヒーの味にも似て、じっくりと味わうにつれ、その深みを増していくようである。

マランツ Model 1150MKII

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 従来の♯1150を基本に、細部の改良が加えられた新製品である。外観、機能などからは、従来のモデルとさして変化はなくいわばMKIIらしいMKIIといえる。
 音質的には、全体に従来のモデルに比較して、音が一段と鮮明になり、とくに、低域の安定度が増して、むしろ、上級機♯1250に近づいた感じが強い。また、一般にドライブし難い、静電型やダイナミックタイプ平板型スピーカーに表示パワー以上のパワーが送り込めるのも、ひとつの特長である。パルシブな音の再生は見事であり、反応が早い音を聴かせるのは、この♯1150IIの魅力であろう。

ラックス CL30

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 マランツのモデル7(セブン)が名器と呼ばれるのは単に音の良さばかりでなく、そのデザインと仕上げの素晴らしさが大いに預っていることはいうまでもない。そしてそのデザインや回路構成の全体あるいは部分が、国産のアンプに相当に大きな影響を及ばしたことは、たとえばラックスのPL45(CL35およびII型の原形)などにも顕われている。
 高級プリアンプとしての性能で、CL35などは相当に優れていたことは従来までの評価の高かったことで知られているものの、デザインを含めてラックスが完全にオリジナリティを表現しはじめたのは、このCL30以降だといってよいだろう。高級プリアンプに要求される各種のファンクションを、扱いやすく見た目にも美しく整理することが容易でないことは、国の内外を問わずこの種の製品に成功例のきわめて少ないことを見ても明らかだ。願わくは回路構成等にもう一段の磨きをかけて、いっそう完成度の高いプリアンプに成長させて欲しいものだ。

ヤマハ TC-800GL

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 カセットテープの実験的な限界を極めるというような目的には、大形で大仕掛けのデッキも必要かもしれない。カセットにオープンなみの特性を要求する人なら、デッキの大きさや費用も気にならないかもしれない。が私自身は、カセットはあくまでも日常音楽を楽しむ生活の中で、気軽に扱えて実用上十分な音質で満足できればいいと思う。
 そうした目的でデッキを探してみても、市販の製品のほとんどが画一的で、しかも店頭効果のみをねらったギラギラと自己主張の強い、あるいはヤング好みのメタリックなアクの強いデザインで、とうてい手元に置く気になれない。
 ヤマハTC800GLは、その意味で毎日眺め触れ使う気になれるほとんど唯一の製品だ。その形があまりにも個性的なために、性能が犠牲になっているかのようにいわれているがそれは正しくない。実際に音楽を録・再してみれば、内容もまた手がたく練り上げられた一級品であることが理解できる。

マークレビンソン LNP-2, JC-2, LNC-2

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 設計者兼社長のマーク・レビンソンは、まだ30才前の若いエンジニアだが、ジャズのベイシストとして名前の載ったレコードも出ている。非常に個性の強い、しかし極めて繊細で神経質なパーフェクショニストだ。たとえば測定器で最高のデータまで追いつめた段階から、自分の装置で音を聴きながらディテールの修整に少なくとも一年から二年の時間をかけて一台のプロトモデルを完成する。また彼はマルチアンプで聴いているので、とうぜんパワーアンプの試作もしているが、まだ満足のゆく性能が得られないので市販しないという。完璧主義者ぶりがよくあらわれている話だ。
 こうして作られたプリアンプLNP2は、いかにも新世代のエレクトロニクスの成果を思わせる。緻密でクリアーで、どんな微細な音をも忠実に増幅してくるような、そして歪みっぽい音や雑音をあくまでも注意深くとり除いた音質に、マーク・レビンソンの繊細な神経が通っているようだ。これを聴いたあとで聴くほかのプリアンプでは、何か大切な信号を増幅し損ねているような気さえする。
 増幅素子をはじめあらゆるパーツ類には、現在望みうる最高クラスが採用され、それがこのアンプを高価にしている大きな理由だが、たとえば最近の可変抵抗器に新型が採用されたLNP2やJC2では、従来の製品よりもいっそう歪みが減少し解像力が向上し、音がよりニュートラルになっていることが明らかに聴きとれ、パーツ一個といえども音質に大きな影響を及ぼすことがわかる。レベルコントロールのツマミの向う側に何もついてないかのようにきわめて軽く廻ることで見分けがつく。
 JC2はLNPからトーンコントロールやメーター回路および常用しないコントロールを除いて、最少限必要な増幅素子だけを内蔵した簡潔なアンプで、測定データはLNPより良いぐらいだというマークの言い分だが、音楽の表現力の幅と深さでLNPはやはり価格が倍だけのことはあると思う。しかもJC2の怖ろしいほどの解像力の良さに大半のプリアンプが遠く及ばないことからも、LNPがいっそうただものでないことがわかる。
 LNC2は、マルチアンプを愛好するレビンソンらしい新型のチャンネルデバイダー。チャンネル・レベルコントロールに0・1dB刻みの目盛りのついた精密級が使われているあたりにも、マークのパーフェクショニストぶりが読みとれるが、デバイダーだけでプリアンプと同じ価格という点でも、回路にいかに凝っているか、その音質追求の執念のすごさが伺い知れる。やがておそらく、ものすごいパワーアンプが発表されるにちがいない。
 レビンソンのアンプは、本体と電源ユニットは別のケースになっている。それはSN比を最良に保つためであることはいうまでもないが、そのどれも電源スイッチを持っていない。マークに言わせれば、LNPもJCも消費電力がきわめて僅かだし、電源は常時入れっぱなしにしておく方が働作も安定するから、スイッチを切る必要がない、というのである。

テクニクス SP-10MK2 + EPA-100 + SH-10B3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 モーターが回転すればメカニカルな振動を発生する。それがターンテーブルに伝われば、ピックアップがそれを拾ってスピーカーからゴロゴロと雑音が出る……。古いフォノモーターではそれが常識だったから、駆動モーターのシャフトとターンテーブルのあいだにゴムタイヤのような緩衝材を介していわゆるリムドライブにしたり、弾力のあるベルトによってベルトドライブしたりして、モーターの振動がターンテーブルに伝わらないような工夫をした。松下電器が、駆動モーターをターンテーブルに直結させるダイレクトドライブの構想を発表したころは、まだそういう古いフォノモーターの概念が支配していた時代だった。
 しかし実際に市販されたSP10は、そんな心配を吹き飛ばしたばかりでなく、回転を正確に保ち回転ムラを極減させることが、いかに音質を向上させるかを教えてくれた。それ以後、日本の発明になるDDターンテーブルが世界のプレーヤー界を席巻していったいきさつは周知のとおり。
 SP10は、たしかに性能は優れていたが、デザインや仕上げや操作性という面からは、必ずしも良い点をつけられなかった。アルミニウムダイキャストを研磨したフレームは、非常に手間のかかる工作をしているにもかかわらず製品の品位にブレーキをかけている。ON−OFFのスイッチの形状や感触がよくない。速度微調ツマミの形状や位置やフリクションが不適当で知らないうちに動いていしまう。ゴムシートのパターンがよくない……。
 改良型のSP10MkIIで、クォーツロックのおかげで微調ツマミは姿を消した。ON−OFFのスイッチの形は変らないが感触や信頼性が向上した。ターンテーブルやゴムシートの形がよくなった。性能については問題ないし、トルクが強く、スタート、ストップの歯切れの良い点もうれしい。少なくとも特性面では一流品の名を冠するのに少しも危げがない。
 ただ、MKIIになってもダイキャストフレームの形をそのまま受け継いだことは、個人的には賛成しかねる。レコードというオーガニックな感じのする素材と、この角ばってメタリックなフレームの形状にも質感にも、心理的に、いや実際に手のひらで触れてみても、馴染みにくい。
 この点は、あとから発売された専用のキャビネットSH10B3の、やわらかな肌ざわりのおかげでいくらかは救われた。このケースは素材も仕上げもなかなかのものだ。
 新型アームEPA100。制動量を可変型にしたアイデア、軸受部分の精度と各部の素材の選び方などすべてユニークだが、それにも増して仕上げの良さと、むろん性能の良さを評価したい。部分的にはデザインの未消化なところがないとはいえないが、ユニバーサルタイプの精密アームとして、SMEの影響から脱して独自の構想をみごとに有機的にまとめあげた優れたアームといえる。このアームがMKIIになり、SP10がMKIIIになるころには、どこからも文句のつけようのない真の一流品に成長するのではないだろうか。

テクニクス EPC-100C

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 振動系のミクロ化と高精度化、発電系の再検討とローインピーダンス化、交換針ブロックを単純な差し込みでなくネジ止めすること、そしてカートリッジとヘッドシェルの一体化……。テクニクス100Cが製品化したこれらは、はからずも私自身の数年来の主張でもあった。MMもここまで鳴るのか、と驚きを新たにせずにいられない磨き抜かれた美しい音。いくぶん薄味ながら素直な音質でトレーシングもすばらしく安定している。200C以来の永年の積み重ねの上に見事に花が開いたという実感が湧く。

タンノイ Arden, Eaton

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 ARDENを、レクタンギュラー・ヨークとくらべてタンノイの堕落と見る人があるが、私はその説をとらない。エンクロージュアの木質や仕上げが劣るというのなら、初期のオートグラフからIIILZに至る一連の製品のあの艶のある飴色のニスの光沢──その色と艶は使い込むにつれて深みを増したあの仕上げ──にくらべれば、チークをオイル仕上げして日本で広く普及しはじめてからのレクタンギュラー・ヨークの時代から、堕落はすでに始まっていた。そういう見方をするなら、JBLも〝ハーツフィールド〟以前の高級機では、木部のフィニッシュに四通りないし五通りの種類と、それに合わせてグリルクロスが指定できた。いまはそういう時代ではない。残念なことには違いないが、しかしそれはスピーカーに限った話ではなく、もっと大局的にものを眺めなくては本質を見あやまる。
 すでにヨークの後期から、タンノイはユニットの改良に手をつけている。最大の変化はウーファーのコーン背面の補強リブの新設。それにともなって全体が少しずつ改良され、呼び方も〝デュアル・コンセントリック・モニター〟から、単にHPD385A……というように変ってきている。が、そこに流れる音の本質──あくまでも品位を失わない、繊密でしっとりした味わい──には、むしろいっそうの磨きがかけられ、現代のワイドレインジ・スピーカーの中に混っても少しも聴き劣りしないどころか、ブックシェルフのお手軽スピーカーから聴くことのできない音の密度の高い、味わいの濃い、求心的な音楽の表現で我々に改めてタンノイの良さを再認識させる。
 新シリーズはニックネームの頭文字をAからEまで揃えたことに現れるように、明確なひとつの個性で統一されて、旧作のような出来不出来が少ない。そのことは結局、このシリーズを企画しプロデュースした人間の耳と腕の確かさを思わせる。媚のないすっきりした、しかし手応えのある味わいは、本ものの辛口の酒の口あたりに似ている。

スチューダー A68

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 ヨーロッパのオーディオ機器の中で、アンプだけはアメリカや日本より一歩遅れている、と感じていたが、スチューダーA68の出現で、ヨーロッパ製のアンプもついに世界の水準を越えた、と実感した。このアンプの音質は、アメリカの最新機のような一聴していかにもハイパワーだとかワイドレインジだというような凄みは感じられない。けれどじっくり聴き込んでゆくにつれて、どこにもあいまいさのない解像力の良さ、ひ弱さのない腰の坐った上質で安定な音が、聴き手をじわりと包んで満足感に浸らせてくれる。トランジスターアンプでは概して、弦楽器の胴の木質の感じに、ほんのわずかとはいえ金属質の感じがまじりがちで、それを嫌って管球アンプを愛好するファンが多いのだが、A68はその意味で、管球アンプの良い面を内包しながら、管球では表現不可能な繊細な切れこみをも聴かせてくれる優秀なトランジスターアンプといえる。100V電源で使える点はレギュレーションの点で有利だ。

オンキョー Integra A-722nII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 優秀なセパレートアンプの音を聴き馴れた後でいきなりプリメインアンプを聴くと、同じレコードの音が何か欠落したような物足りなさを感じるのはしかたがない。が、そういう方法でプリメインアンプのテストを毎日のように繰り返していると、聴いていて永続きするアンプと、じきに脱落してゆくアンプとに分かれてくる。A722/nIIは、そうして私の家で最も永続きのしているプリメインアンプである。
 この音質はいくらか線が細くウェットだが、何よりも優れているのは音楽のフィーリングを細やかに伝えてくれること。たとえば唱い手の感情をしっとりと情感豊かに、生き生きと蘇えらせるところを、私は高く評価している。ファンクション類も、ラウドネスの利き方を除けば実用的によく整理されていて申し分ない。デザインや仕上げもていねいだが、わずかに陰気で野暮な感じが残念。基本をくずさないことを条件にマークIIIの出現を希望したい製品。

オーディオクラフト AC-300C

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 オイルダンプ型のアームはこれ一種類ではないが、現在のカートリッジの特性とにらみあわせて、アーム可動部分のスタティックな質量とその配分、そして実効質量、およびダンピングオイルの分量や制動量などのバランスのよく考えられた製品として、AC300Cを第一に推したい。オーディオクラフトというメーカー自体は新顔だが、アームの設計者はすでに有名な製品を設計したキャリアを持つこの道のベテランで、そのために第一作AC300から、細部までよく検討された製品に仕上がっていた。それにインサイドフォースキャンセラーを加えたAC300Cが現在の標準品だ。さらにスタティックの質量を増したAC300MCというのが試作され、この方がMC型のようなコンプライアンスの低い製品にはいっそう適しているが、汎用アームとしてはAC300Cが使いやすい。共振がよく抑えられ、トレーシングも良好。調整のコツをのみこめば非常に安心して使える。

パイオニア Exclusive C3, Exclusive M4

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 EXCLUSIVEのシリーズには、このほかにパワーアンプのM3と、チューナーのF3があるが、M3はハイパワーのアンプとしては他の製品と比較してデザインと仕上げの良さを除いてはとりたてて優れているとはいい難い。チューナーの方は、性能は第一級品だと思う。が、デザインがC3、M3、M4の域に達していない。結局、性能と仕上げの両面のバランスのとれているものはC3とM4、ということになる。
 C3とM4の組合せの良さは第一に、その音質にある。滑らかで質が高い。音楽的な表現力が優れている。家庭でふつうにレコードを鑑賞するときのパワーはせいぜい1ワット近辺あるいはそれ以下だが、C3、M4の組合せはそういう常識的な音量レベル、あるいはさらに音量を絞り込んだときの弱音がいっそう見事である。弦楽器やヴォーカルの柔らかさを、単に歪みが少ないという感じで鳴らすアンプならいまや珍しくない。が、C3、M4はそこに息の通った暖かさ、声の湿りを感じさせるほどの身近さで、しかし決して音をむき出しに荒々しくすることなく、あくまでも品の良さを失わずに聴かせる。
 そうした柔らかさ、滑らかさは当然半面の弱点を内包している。たとえばパーカッションの音離れの良さ、中でもスネアドラムのスキンのピンと張って乾いた音、のような感じがやや出にくい。ほんらい荒々しい音をも、どこか上品にヴェールをかけて聴かせる。大胆さや迫力よりも、優しさを大切にした音、といえる。最新の、ことにアメリカの一流アンプの隅々までクリアーに見通しのよい音とは違って、それが国産アンプに共通のある特色であるにしてもいくぶんウェットな表現をするアンプだ。そういう特色を知って使いこなすかぎり、この上品で繊細な音は得がたい魅力である。
 ただM4の換気ファンの音は、よくおさえられているとはいうものの、深夜、音量を落して聴きたいときには少々耳障りで、アンプの置き場所には少々くふうが必要だろう。

テクニクス EPC-100C

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 アクティブに振動系の軽量化と新素材の導入に取り組んでいるテクニクスからカートリッジの原器をめざした高級MM型の製品が発売された。EPC100Cは、カートリッジとヘッドシェルが一体化した、いわばピックアップヘッドといった構造を採用している。振動系は、チタンと元素中もっとも非弾性係数が大きいボロンを高周波スパッタリングにより反応させたチタニウム・ボライドのテーパードカンチレバーを採用し、マグネットは円板状のサマリュウムコバルトである。なお、針先は0.1mm角ブロックダイヤチップである。
 磁気回路は、超高域までフラットな特性を得るために、初めてオールフェライト化され、さらにコイル配列は左右チャンネル完全分離対称配列である。また、このEPC100Cで際立った特長となっているは、コイルのインピーダンスとインダクタンスが驚異的に小さいことだ。発表値としては、それぞれ210Ω・33mHでMC型カートリッジと同等といってもよく、接続する負荷抵抗、負荷容量の影響をほとんど受けない。ちなみに、テクニクス205CIISは、3600Ω・560mH、同じく205CIILが250Ω・40mHである。ヘッドコネクター部分にオーバーハング調整と傾斜調整があり、大型プロテクターは、ワンタッチで上に跳ね上がるタイプである。

ロジャース LS3/5A

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 英国のスピーカーシステムには、モニターの名称をつけた製品が多いが、英国放送BBCで採用している正式なモニターシステムとしては、KEFのLS5/1Aがよく知られている。ロジャースのLS3/5AもBBCモニターとして採用されている超小型のシステムである。
 LS3/5Aは、低域はさほど伸びていないが腰が強くクリアーな低音であるために、聴盛上の不足はあまり感じない。また、2ウェイシステムであるがウーファー口径が小さく、トゥイーターとのクロスオーバーが低いために、中域がしっかりとしているのが特長である。ステレオフォニックな音場の拡がりは、英国の近代型システムの独得の魅力だが、このシステムも音像定位がクリアーでピシッと焦点を結んだように立上がり、まるで、音を聴くというよりは音像が見えるようにクッキリとしている。クォリティは大変に高く、アンプ、カートリッジのキャラクターをストレートに見せるあたりはやはりモニターである。

SME 3009 S/2 Improved

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 SMEの設計者で創設者のA・ロバートソン・エイクマンは、精密模型を作る工場の経営者だった。SMEの名は当時の Scale Model Engineering 社の頭文字をとったものだ。模型といってもたとえば、メーカーが製品を作る以前の試作を請負ったり、博物館に展ホする原寸あるいは縮尺の模型などを作る工場である。大英博物館の展示品の中には、当時の作品がいくつもあるという。したがって、各種の工作機械や成型機械ないしはメッキや塗装の設備まで、精度の高い工作をする下地は揃っていた。
 メカニズムに強いエイクマンは、オーディオファンのひとりとして、当時のアームの構造や工作の精度や仕上げなどに、強い不満を抱いて、自分なりにアームを勉強し動作を解明しながら、理想のアームの設計と試作をくりかえしていた。そして一九五九年に、最初の製品であるSME3012の市販をはじめた。
 たまたま当時のエイクマンが、オルトフォンのSPU−GT/E型を愛用していたことから、オルトフォンと同じプラグイン・ロックナット締つけのスピゴット方式で、オルトフォンG型ヘッドシェルを交換できるように作った。これがのちにオルトフォンよりも有名になって、〝SME型のコネクター〟と通称されるようになり、現在ではわが国で作られるアームのおそらく九割以上が、このコネクターを踏襲し、カートリッジの互換性を容易にしている。
 SMEの特徴は、第一に垂直動の軸受けにナイフエッジを採用したのをはじめ、動作部分の各部に良質の素材を精密加工してアームの動作を鋭敏かつ軽快に保っていること。第二はスタティックバランス型アームを基本から解明した結果、ラテラルバランサーやオーバーハング調整、インサイドフォースキャンセラーなどの独創的なメカニズムを加えたこと。第三に軽針圧型の精密アームの操作を容易にするため、オイルダンプ式のアームリフターを設けたこと、であろう。今日では常識のようになっているこれらの考案のほとんどがエイクマンの独創であった。
 クローム梨地メッキを主体とした各部の加工と仕上げは、高級カメラを凌ぐ手のこんだ工作で、見事なデザイン(英国工業デザイン協議会= CoID をはじめ各種の賞を受賞している)もSMEの魅力のひとつだろう。アームの構造や動作原理を知らない人が見ても、それはいかにも精密で美しく、しかもこのアームはあたかも生きもののようにやわらかな感じでレコードを優しくトレースしてゆく。見ているだけでも信頼感に満たされる。
 何度もこまかな改良が加えられたが、3年前に Improved 型で大改良をして、最近の軽針圧/ハイコンプライアンス型のカートリッジ専用として、最大針圧1.5g以下の設計に徹してしまった。かつての広範囲なユニバーサリティを捨ててしまったことは、ちょっぴり残念な気分だが、世界的にはますます評価が高く、現在では毎月約3000本前後が生産されているそうだ。この種の製品としては異例なほど量が多い。

ラウザー TPI Type D

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 スピーカーシステムが、ブックシェルフ型全盛になり、ウーファー、スコーカー、トゥイーターなどの専用ユニットを組合せるマルチウェイ方式が大勢を占めようが、LP時代から一貫して中口径のフルレンジユニットのみを作り続けている英国・ラウザー社は、現在では貴重な存在といえよう。
 数ある同社のスピーカーシステムのなかで、長い伝統を誇る機種は、独得なデザインをもったTP−Iであろう。このデザインは、TP−Iが珍しいエンクロージュア形式を採用しているためで、ドライブユニットの前面には比較的短かいフロントホーン、背面は折たたみ型で全長が長いバックローディングホーンをもつ、いわば複合型ホーンエンクロージュアを、さらにコーナー型とし、部屋のコーナーに設置したときに両側の壁面と床の三面を積極的に低音用のバックローディングホーンの延長として使うタイプだ。
 使用ユニットは、振動系にラウザー独得のサブコーンつきの白いコーン紙を使う数あるユニットのなかでは強力型のPM−3である。このユニットは、あたかもSP時代の英国・フェランティ社のユニットを思わせるような超大型磁気回路にスピーカーフレームがとまっているような珍しい製品で、同社のPM−6ユニットなどにくらべると、ひとまわり大きなディフューザーつきである。このシステムの独得な音は、まさしく他のシステムでは得られぬ、かけがえのないもので、いわば麻薬的な魅力といったらよいだろう。

SAE Mark 2500

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 高級アンプのメーカーには、大別してプリアンプのうまいメーカーと、パワーアンプの方にいっそうの能力を発揮するメーカーとがある。たとえぱかつてのマランツはプリアンプ型のメーカーだし、マッキントッシュはパワーアンプの方がうまいメーカーだった。ロサンジェルスに本拠を置くSAEは、パワーアンプ型のメーカーといえる。パネルをプラックフェイスに統一しはじめてからのこの社の一連の製品は、一段とグレイドが上がったが、中でも300W×2のMARK2500は、動作の安定なことはもちろんだが、その音質がすばらしく、出力の大小を問わず現代の第一級のパワーアンプである。重量感と深みのある悠揚迫らぬ音質は他に類がない。しかもこのアンプは繊細な表現力も見事で、どんなにハイパワーで鳴っているときでも音のディテールを失わず、また音量をぐんと絞り込んだときのローレベルでも少しもよごれのない歪みの少ない音を聴かせる。ただしこういう特長は、プリアンプにマーク・レビンソンLNP2を組み合わせたときに最もよく発揮される。そして良いカートリッジやスピーカーを組み合わせると、LNP2+MARK2500というアンプは、鳴らしはじめて2〜3時間後に本当の調子が出てきて、音の艶と滑らかさを一段と増して、トロリと豊潤に仕上がってくるこ上が聴き分けられる。高容量でレギュレーションの良い117V電源の用意が必要だ。難をいえば換気ファンの音が非常にうるさいこと。置き場所にくふうが要ると思う。

マランツ Model 1250

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 最近の多様化したセパレート型アンプの登場によって、プリメインアンプはその本来の意味を問われることになり、とくに高級プリメインアンプにともすればプリメインアンプとセパレート型の境界線に位置するだけに、かなり苦しい立場に立たされているように感じられる。マランツ#1250は、基本型をコントロールアンプ#3600とパワーアンプ#250Mにとり、一段とリフアインされた内容をもっているために、質的にも量的にも、はるかに価格が高いセパレート型アンプに匹敵するものがある。機能面は、とくにテープ関係が#3600より一段と実戦的なものに発展し、使いやすく、大型フロアースピーカーを充分にドライブするプリメインアンプの本格派である。

ピカリング XUV/4500Q

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 エンパイア 4000D/IIIと双璧をなす米国系のトップランクの製品である。聴感上の帯域は、いかにもワイドレンジ型らしく伸び切っており、粒立ちが細かく、鋭角的に切れ込みのよい音を聴かせる。とくに低音が力強く、ソリッドな点では抜群である。音質上で、エンパイア 4000D/IIIと好対照を示す一流晶中の一流品である。

ピカリング XSV/3000

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 ピカリング最新の2チャンネルカートリッジのトップモデルである。音質はXUV/4500Qよりも伝統的なピカリングらしさがある。音のコントラストをクッキリとつけ、力強く、エネルギー感のあふれた男性的な魅力があり、質的にも充分に磨かれているために、音の重心が低く、安定感がある。反応は、かなり早く、いかにも新しいカートリッジらしさがある。