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アドコム GFA-1

菅野沖彦

’81世界の最新セパレートアンプ総テスト(ステレオサウンド特別増刊・1981年夏発行)
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」より

 見るからに、アメリカのヤンガー・ジェネレーションを感じさせられる雰囲気をもっている。ビスは丸出しで、フレームに鉄板をただ当てつけたというスタイルだ。それに黒塗装、スクリーン・プロセスのモダンなロゴのプリントといった様子は、まるで、倉庫かガレージといった感じである。信頼性のほうはどうなのだろうという気にさせられる。200W+200Wの高効率アンプで、冷却ファンつきだ。

音質の絶対評価:8

マッキントッシュ MC2500

菅野沖彦

ステレオサウンド 58号(1981年3月発行)
特集・「第3回《THE STATE OF THE ART 至上のコンポーネント》賞選定」より

 マッキントッシュのMC2500は、同社の最新・最高の製品として、昨年(一九八〇年)発売された、超弩級アンプである。このアンプのパワーは、片チャンネル500Wという公称値で、実測では600Wオーバーという強力さである。しかもそれが、単にパワーの大きさにとどまらず、ローレベルからのリニアリティや、音の緻密さ、繊細感が瑞々しい雰囲気の再現とともに第一級の品位をもっているのである。
 MC2500は、今から約13年前に、マッキントッシュのパワーアンプの最高峰として君臨した、MC3500のピュア・ディグリーである。管球式のモノーラルアンプで350Wのパワーを誇ったこのアンプは一九六八年の発売で、20Hz〜20kHzのバンドウィズス、0・15%の歪みをフルパワーまで保証された、まさに当時の王者各のアンプであった。もちろん、同社の伝家の宝刀であるアウトプット・トランスフォーマーの特別に巨大なものが使われ、1Ω〜64Ωまでものインピーダンス・マッチングが得られる代物に目を見はったものだ。これとほぼ同形のシャーシにトランジスター式ステレオアンプとして構成された製品が、MC2300であって、この製品の登場とともに、MC3500は、その位置をトランジスター式ハイパワーアンプに譲り渡すことになった。
 MC2300は、300W+300Wのパワーで、トランジスター式ながら、依然としてアウトプット・トランスをもち、信頼性と安定性に充分な配慮がなされている点は、他のマッキントッシュアンプ同様である。このアンプの登場によって、マッキントッシュの全製品が、トランジスター化されたわけだが、一九七三年というこの時期は、大変遅い転換であり、同社の信頼性を第一に考える慎重な姿勢が現われているといえるだろう。
 以来、7年目に登場したが、このMC2500であって、80年代の幕開けに、MC3500の孫に当るMC2500が、マッキントッシュ艦隊の旗艦となったわけだ。3代にわたって、共通のデザイン・イメージをもつ、こトップモデルは、内容もまた、脈々と流れるマッキントッシュのアンプ作りの一貫した技術個セプトとノウハウの上に実現したものであって、この姿一つとっても、マッキントッシュが、いかに信頼性の高い筋金入りのメーカーであるかが理解できるであろう。創立以来35年、同社は、現在アメリカで、真の意味での独立企業として、最も古い伝統と、新しいテクノロジーをもち、積極的に開発とマーケティングに取り組んでいるメーカーの数少ない一つである。多くのアメリカのオーディオメーカーが、経済的に独立できず、古いメーカーは、ただ伝統の上にあぐらをかき、まるで老人のような体質になってしまったり、あるいは経験不足の新しいメーカーが、やたらに新しいテクノロジーだけを振りかざし、信頼性のない素人づくりのような製品を馬鹿げた高い値段で売ってみたりする中で、マッキントッシュ社は、確かな手応えの高級機器を、プロの名に恥じない完成度をもってわれわれに提示してくれるメーカーとして、今や貴重な存在なのだ。
 MC2500は、そうした同社の代表製品にふさわしい充実したもので、500Wオーバーのパワー、モーラルでは1kWを超える大出力を、高効率で得、しかも20Hz〜20kHzにわたって0・02%の歪みを保証している。118万円という価格は決して安くはないが、因みに、他の同級アンプの内容、価格と比較してみるならば、これが破格といってよい安さであることもわかるだろう。ましてや、一度このアンプを目前にして、使ってみるならば、もうお金にかえられない喜びと、充実の気持に満たされるはずだ。MC3500、MC2300と、常にその時代の最高のパワーアンプの後継にふさわしく、あらゆる点で、現代最高のパワーアンプの風格に満ちている。

エレクトロボイス Sentry100

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 このシステムは、エレクトロボイス社が放送局及びスタジオモニターシステムとして小型、高能率それに周波数特性が軸上で3dBダウンのポイントが低域で45Hz、高域で18kHzを目標に開発した新製品。
 ユニット構成は、20cm口径ウーファーとスーパードーム型と名付けられたトゥイーターの2ウェイ型で、クロスオーバー周波数は2kHzにとられている。ユニット関係では、放送局用コンソールのあまりハイパワーでないパワーアンプでも、例えばロックンロールのディスクジョッキーが要求するパワーを得るために高能率が要求され、300〜2000Hzで91dBが得られているが、この値は米国では高能率の部類に入るようすである。また、テープデッキの早送り、巻戻し時のキューイングでトゥイーターを破損しないように、ドーム型トゥイーターの許容入力は、通常のタイプの約5倍の25Wに耐える設計である。
 システムとしての許容入力は、長時間の使用では30W、10ミリセコンドの短時間なら300Wと発表されている。インピーダンスは6Ωとあるから、全般に能率を上げるためにインピーダンスをかなり下げる設計が広く採用されている昨今では、むしろ平均的な値といえよう。ちなみに、5万円以下の国内製品ブックシェルフ型では公称インピーダンスが8Ωで、実際の最低インピーダンスが4Ω以下というシステムも存在している。最低インピーダンスを知らぬユーザーが8Ωと信じて比較試聴をすれば、このようなシステムは見掛け上で高能率と思いやすいことに注意すべきである。
 このセントリー100で注目したいのは、場所的にモニタースピーカーを任意の位置にセットし難い放送局などのスタジオ使用状態に合わせるために、別売のSRB7ラックマウント兼ウォールマウントキットがある。これを使えば、19サイズのラックに前面から取付け可能だということだ。
 エンクロージュアも業務用を考慮して外装はマットブラックのビニール仕上げだ。
 セントリー100の豊かでやや制動の効いた低域をベースに、少し薄い中域、スムーズな高域という典型的2ウェイバランスの音だ。音色は低域が重く粘りがあり、高域は適度に明るい。モニターとしては穏やかな音で長時間の試聴でも疲れないタイプ。

タンノイ Autograph

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 デュアル・コンセントリックK3808ユニットは別名スーパーレッドモニターと呼ばれる38cm口径の同軸型2ウェイである。これを、複雑な折り曲げホーンの大型エンクロージュアに収めたもので、オリジナルは、タンノイの創設者、G・R・ファウンテン氏のサイン(オートグラフ)を刻印してモデル名とした名器。これを日本の優れた木工技術で復元したものが、現在のオートグラフ。高次元の楽器的魅力に溢れた風格あるサウンド。

マッキントッシュ XRT20

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 24個のトゥイーター・アレイをもつ、3ウェイ27ユニット構成というユニークなシステム。緻密な計算と周到な測定技術によって開発された抜群の指向特性によるステレオフォニックな音場再現、驚異的なリニアリティによるDレンジの大きなハイパワードライブ、広帯域の平坦な周波数特性など、物理特性でも最高水準のものだが、その音の品位の高さ、自然な楽器の質感や色彩感の再生は群を抜く、実に高貴な音だ。

マッキントッシュ C32

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 アメリカのマッキントッシュ社のプリアンプ中の最高機種である。多機能なコントロールマスターであり、5分割のイクォライザー、エキスパンダー、ヘッドフォン用パワーアンプなどをもつ。デザイン、仕上げの美しさ、高級感は最高峰で、オーディオファンの夢を実現したといえるだろう。そしてまた、音の素晴らしさ、操作類のプロ機器なみの配慮による円滑さなど、目に見えないところにこそ周到な作りがなされている。

スレッショルド STASIS 1

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 比較的新しいメーカーながら、スレッショルド社は堅実な製品づくりで信頼性が高い。技術的な内容とデザイン、創りの入念さなどがよくバランスしている最高級品である。中でも、このステイシス1は、同社のパワーアンプ中で最高の製品で、世界的レベルでみても堂々たる存在。200Wのモノーラルアンプで、実に大胆に物量を投入して最新のテクノロジーと合体させている。密度の高い、こくのある音は音楽の品位をきちんと出す。

EMT 930st

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 プロ用のプレーヤーシステムとして特殊な存在だが、EMTとしては927Dstに比べて、コンベンショナルな放送局用である。TSD15カートリッジ専用で、トーンアームは同社の929を使っている。アイドラードライブの3スピードというオーソドックスなターンテーブルの信頼性と性能、音質の品位は高い。イクォライザーアンプを内蔵し、出力はラインレベル/インピーダンスで取出せるようになっている。

JBL 4333B

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 C50SM、4320、4333と続くJBLスタジオモニターの正統派のラインを受継ぐ最新作。低音は独自の構造のフェライト磁気回路の採用で、従来の4333Aと較べ、エネルギーバランスが格段に優れ、システムとしての性質も大人っぽく完成度を高めた。使用するアンプ系は、並の製品では低域に破綻を生じやすく、本来の性能を引出せない。システムとしてのまとまりの良さは4343B以上で、さすがにプロ用モニターだ。

BOSE 901 SeriesIV

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 コンサートホールのプレゼンスをリスニングルームに運び込む目的で、背面に8個、正面に1個の小口径フルレンジユニットを配置した特殊構造のエンクロージュア方式と、専用イコライザーを使う、901の最新モデル。充分な間接音成分とシャープな直接音のエネルギーバランスは絶妙で、ソリッドでパワフルな低域は外形からは驚異的でさえある。必要に応じて2段、4段と積重ねるのも効果的で、ひと味ちがった使用法だ。

マークレビンソン ML-7L

黒田恭一

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
「いま私のいちばん気になるコンポーネント ML7についてのM君への手紙」より

 M君、先日は、雨の中を、ありがとう。おかげで、まことに刺激的な時間を、すごすことができました。
 いくつかいいコントロールアンプがあるのできいてみますか?──というきみの声を、ローレライの声をきく舟人のような気持で、ききました。大変に誘惑的な、抵抗したくともできない、きみの申し出でした。きかせてくれるというのなら、ご親切に甘えてきかせてもらってもいいであろうと、ぼくはぼくなりに納得し、でも、きみのいう「いいコントロールアンプ」がいかなるものか並々ならぬ興味を感じ準備万端おこたりなく、きみの到着を待ちました。
 しかし、まさかきみがきかせてくれるコントロールアンプの中に、マーク・レヴィンソンのML7が入っていようとは、考えてもみませんでした。ぼくは、きみも知っての通り、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプに対して、批判的などとおこがましいことはいいませんが、肌があわないとでもいいましょうか、値段のことは別にしても、これはぼくのつかうコントロールアンプではないなと思っていました。ひとに音の点で、そのきわだった美しさはわかっても、ぼくにはなじみにくいところがあったからにほかなりません。
 なんといったらいいのでしょう。すくなくともぼくがきいた範囲でいうと、これまでマーク・レヴィンソンのコントロールアンプのきかせた音は、適度にナルシスト的に感じられました。自分がいい声だとわかっていて、そのことを意識しているアナウンサーの声に感じる嫌味のような藻が、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプのきかせる音にはあるように思われました。針小棒大ないい方をしたらそういうことになるということでしかないのですが。
 アメリカの歴史学者クリストファー・ラッシュによれば、現代はナルシシズムの時代だそうですから、そうなると、マーク・レヴィンソンのアンプは、まさに時代の産物ということになるのかもしれません。
 それはともかく、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプをぼくがよそよそしく感じていたことは、きみもしっての通りです。にもかかわらず、きみは、雨の中をわざわざもってきてくれたいくつかのコントロールアンプの中に、ML7Lをまぜていた。なぜですか? きみには読心術の心得があるとはしりませんでした。なぜきみが、ぼくのML7Lに対する興味を察知したのか、いまもってわかりません。そのことについてそれまでに誰にもいっていないのですから、理解に苦しみます。
 たしかに、ぼくは、君のご推察の通り、ML7Lに対して、並々ならぬ興味を抱いていました。ぼくがML7Lのことを気になりだしたのは、例によって、いたって単純な理由によります。本56号の三九八ページから次のページにかけて山中さんが欠いておられた文章を読んだからです。
 山中さんは、このように書いていました──「新しいML7は、そうした従来のモジュールシステムにいっさいとらわれず、モジュール基板からまったく新しい発想で開発された点が最大の特長であり、現在のMLASのチーフ・エンジニアであるT・コランジェロのオリジナルな設計に基づいている。したがって配線レイアウトが新しいポリシーで統一され、現在のMLASスタッフの目指す理念が具体化した意味で、第二世代の……という表現がもっともふさわしいと思うのである。」
 この文章の中でもっともしびれたのは、「第二世代の……」というところです。それを読んで、そうかこれはあのマーク・レヴィンソンではないんだなと思いました。そして、山中さんのその文章でのしめくくりの言葉、「恐るべきコントロールアンプの登場といえよう」で、ぼくの好奇心は炎と化したようでした。
 さらにもうひとつ、山中さんの文章には、気になることがありました。「T・コランジェロ」という、MLASのチーフエンジニアの名前です。コランジェロというのは、どう考えても、イタリア系の名前です。ぼくには悪い癖があって、ジュゼッペ・ヴェルディの国の人間、あるいはその国の血をひく人間は、ことごとくすぐれていると思いたがるところがあります。そのために失敗することもありますが、「T・コランジェロ」という名前を目にして、これはあのヴェルディの国の人間のつくったものかと、炎と化した好奇心に油をそそぐ結果になりました。
 そうこうしているうちに、本誌58号では、このML7Lが、いちはやくというべきでしょうか、「ザ・ステート・オブ・ジ・アート」にえらばれました。その時点では、まだML7Lの音をきいていなかったのですが、自分でも理解できないことながら、さもありなんと思ったりしました。
 そのような経過があって、ML7Lに対する好奇心がまさに頂点に達したところに、きみがぼくにきかせるためにそのコントロールアンプを持ってきてくれたことになります。これはちょうど、かねて噂をきいて一度は会ってみたいと思っていた美女に、思いもかけぬところで紹介されたようなものでした。「ほう、あなたが噂にきこえたML7Lさんでしたか。はじめまして……」などと、どぎまぎしてしまいました。
 ML7Lは、写真から想像していたより、はるかに小さく感じられました。幅は、48・3センチですから、LNP2Lなどと同じなのに、とても小さく感じられました。なにぶんにもコントロールアンプですから、大きい必要はないわけで、ML7Lが小さく感じられたということは、ぼくにとってこのましいことでした。
 人間には、大きさに憧れるタイプと、小ささに憧れるタイプのふたつがあるようです。ぼくはどちらかというと、後者のタイプのようです。ぼくの一応の愛用カメラは、技術不足のためにこれまでに一度としてまともにとれたことがないのですが、ミノックスです。そして、SLの走るのを写真でとったり録音したりするより、メルクリンを走らさせる方をこのみます。実用的価値などあるはずもないと思いながら、あいかわらず、宝クジにでもあたったら(もっとも、宝クジは、買わなければ、あたりっこないのだけれど)、まっさきに怪体と思いつづけているのがあの手のひらにのるオープンリールデッキ、ナグラのSNNです。
 そういうことがありますので、ML7Lを小さく感じたということは、ぼくにはよろこばしいことでした。いかにも頭脳明晰という印象でした。ぼく自身が大男とはいいがたい身体つきなために、大男総身に知恵が回りかねという俗説を、どうやら胸の底で信じているようです。そういえば、好きな音楽家も、どちらかといえば小柄な人が多いようです。とはいっても、その人が小柄だからその人の音楽が好きになったというわけではいないのですが。
 しかし、むろん、コントロールアンプですから、みため、あるいはスタイルは、二の次です。やはり肝腎なのは音です。
 あれでかれこれ二時間近くもML7Lをきかせていただいたことでしょうか。なんともいいがたい、ひとことでいうとすれば、まさに満足すべき音でした。うっとりとききほれました。M君は「色っぽい音」と表現されましたが、なるほどと思いました。そのとき、実際に音をきかせてもらって、それまで晴れた空でときおり太陽をかくす雲のように気になっていたかすかな不安が、消しとびました。そのかすかな不安というのは、本誌58号一七六〜七ページで瀬川さんがお書きになった文章によって、ぼくの胸のうちに芽ばえたものでした。
 瀬川さんは、このように書いていらっしゃいました──「ML7を、同じ氏レビンソンのML2L(モノーラル・パワーアンプ)と組合せると、まったく見事な音が鳴ってくるが、パワーアンプ単体としては、これまた現代の最尖端をゆくひとつと思われるスレッショルドの『ステイシス1』と組合せると(少なくとも私個人の聴き方によれば)何となく互いに個性を殺し合うように聴こえる。」
 ぼくのところのパワーアンプは、ごぞんじの通り、いまではもう『現代の最尖端をゆく」とはいいがたい、しかしステイシス1と同じメーカーの、4000Aです。これは置き場所にも困るまさしく大男ですが、総身に知恵がまわりかねているとは思えません。勝手なものですね。結局は、自分がいいと思えれば、どっちでもいいということなのかもしれません。なんとも節操のないことです。
 ぼくのパワーアンプは、スレッショルドでも、ステイシス1ではなくて4000Aであるからと思いながらも、瀬川さんの言葉は気になっていました。しかし、音をきいて、そかすかな不安は、消しとびました。なにぶんにもぼくはML7LをML2Lとつないだ音をきいていませんから、それとこれとの比較はできませんが、ML7L+スレッショルド4000Aの音に、ぼくは満足しました。
 ぼくがどのように満足したか、それを、あのときも、いたらぬ言葉で、あれこれおはなししましたが、ここにもう一度、整理して書いておくことにしましょう。
 満足というのは、おそらく、きき方にかかわります。そして、きき方とは、音楽への、,ひいては音へのこだわり方であろうと、ぼくは考えます。なにゆえにこだわるかとんいえば、対象、つまり音楽、あるいは音への、ひとことでいうと愛があるからでしょう。このところは、こうではなく、もう少し美しくきこえるはずであるがと思ったときに、いま現在きこえている音に対しての不満が生れます。ドン・ジョヴァンニの栄光も不幸も、女性を愛しすぎたことに起因していると考えるべきでしょう。音楽を、ないしは音を愛していなければ、まあこんなものさといってすましていられるでしょう。
 こうではなく──と思うのは、困ったことに、新しくていいレコードをきいたときに多いようです。一方ではいいレコードだなと思い、もう一方で、こうではなく、もっとよくきこえるはずであるがと思うと、胸の中の不満の種がすっくりと芽をだします。あの、きみがML7Lをもってきてくれた雨の日に、ぼくは胸の中の不満の種をなだめるのに手をやいていました。
 きっとおぼえていてくれていると思いますが、あの日、ぼくは、「パルシファル」の新しいレコードを、かけさせてもらいました。カラヤンの指揮したレコードです。かけさせてもらったのは、ディジタル録音のドイツ・グラモフォン盤でしたが、あのレコードに、ぼくは、このところしばらく、こだわりつづけていました。あのレコードできける演奏は、最近のカラヤンのレコードできける演奏の中でも、とびぬけてすばらしいものだと思います。一九〇八年生れのカラヤンがいまになってやっと可能な演奏ということもできるでしょうが、ともかく演奏録音の両面でとびぬけたレコードだと思います。
 つまり、そのレコードにすくなからぬこだわりを感じていたものですから、いわゆる一種のテストレコードとして、あのときにかけさせてもらったというわけです。そのほかにもいくつかのレコードをかけさせてもらいましたが、実はほかのレコードはどうでもよかった。なにぶんにも、カートリッジからスピーカーまでのラインで、そのときちがっていたのは、コントロールアンプだけでしたから、「パルシファル」のきこえ方のちがいで、あれはああであろう、これはこうであろうと、ほかのレコードに対しても一応の推測が可能で、その確認をしただけでしたから。はたせるかな、ほかのレコードでも考えた通りの音でした。
 そして、肝腎の「パルシファル」ですが、きかせていただいたのは、前奏曲の部分でした。「パルシファル」の前奏曲というのは、なんともはやすばらしい音楽で、静けさそのものが音楽になったとでもいうより表現のしようのない音楽です。
 かつてぼくは、ノイシュヴァンシュタインという城をみるために、フュッセンという小さな村に泊ったことがあります。朝、目をさましてみたら、丘の中腹にあった宿の庭から雲海がひろがっていて、雲海のむこうにノイシュヴァンシュタインの城がみえました。まことに感動的なながめでしたが、「パルシファル」の前奏曲をきくと、いつでも、そのときみた雲海を思いだします。太陽が昇るにしたがって、雲海は、微妙に色調を変化させました。むろん、ノイシュヴァンシュタインの城を建てたのがワーグナーとゆかりのあるあのバイエルンの狂王であったということもイメージとしてつながっているのでしょうが、「パルシファル」の前奏曲には、そのときの雲海の色調の変化を思いださせる、まさに微妙きわまりないひき兆の変化があります。
 カラヤンは、ベルリン・フィルハーモニーを指揮して、そういうところを、みごとにあきらかにしています。こだわったのは、そこです。ほんのちょっとでもぎすぎすしたら、せっかくのカラヤンのとびきりの演奏を充分にあじわえないことになる。そして、いまつかっているコントロールアンプできいているかぎり、どうしても、こうではなくと思ってしまうわけです。こうではなくと思うのは、音楽にこだわり、音にこだわるかぎり、不幸なことです。
 ML7Lをきかせてもらっていたときのぼくは、傷の痛みに悩んでいるアムフォルタスが麻酔薬をうたれたようなものでした。束の間、痛みを忘れ、そうなんだ、こうでなくては、とつぶやきつづけていました。
 ML7Lの音には、ぼくが「マーク・レヴィンソンの音」と思いこんでいた、あの、自分の姿を姿見にうつしてうっとりみとれている男の気配が、まるで感じられません。ひとことでいえば、すっきりしていて、さっぱりしていて、俗にいわれる男性的な音でした。それでいて、ひびきの微妙な色調の変化に対応できるしなやかさがありました。そのために、こだわりが解消され、満足を味ったということになります。
 しかし、たとえそのとき満足しても、それでよかったよかったということではありません。アムフォルタスに麻酔薬がきいていたのは、なんといってもほんの二時間です。後をどうしてくれるんだと、きみにからんでもはじまりません。あのフュッセンの雲海をみつづけるためには、ぼくにとって少額とはいいかねる出費を覚悟しなければなりません。それにしてもML7Lの値段は、お金持にとってはなんでもないのかもしれないけれど、ぼくのような、金持でもなく、ほしいものばかりやたらにある人間にとっては、感動的です。涙がでます。
「どうしますか?」と、きみは、にやにや笑ってたずねました。どうするもこうするもない、ぼくはいま、一ヵ月ほどのヨーロッパ旅行を前にして、それでなくとも金がないのだから、買いたくとも買えるはずがないわけです。
そして、あの日、きみには、ひとまずML7Lを持って帰ってもらいました。そのあとのぼくがいかにもんもんとしたかは、ご想像にまかせます。そして、あれから一週間ほどして、きみは電話をくれました。この電話が決定的でした。きみとしてはジャブのつもりでだした一打だったのでしょうが、そのジャブがぼくの顎の下をみごとにとらえました。ぼくとひとたまりもなくひっくりかえってしまいました。「やっぱり買うよ、俺、ML7Lを」と、電話口で、ぼそぼそといってしまったのです。
 もしかするときみは、ぼくになにをいったのか、おぼえてさえいないのかもしれません。念のために、ここに、書いておきます。きみは、こういったんです──「田中一光先生がML7Lをお買いになるんだそうですよ」。このひとことはききました。そうか、田中一光氏がかうのか──と思いました。
 ぼくは、光栄なことにぼくの本の装幀を田中一光氏にしていただいて、仲間たちから、なかみはどうということもないけれど装幀がすばらしいといわれて、それでもなおうれしくなるほどの田中一光ファンですが、まだ一度もお目にかかったことがありません。でも、直接お目にかかっているかどうかは、さしあたって関係のないことで、その作品やお書きになったものから、ぼくの中には、厳然と田中一光像があって、その田中一光氏がML7Lを使うとなれば、よし、ぼくもがんばってということになります。このとののぼくの気持は、アラン・ドロンが着ているからという理由で、その洋服を着てみようとするできそこないのプレイボーイの気持に似ていなくもありませんでした。
 いずれにしろ、決心のきっかけなんて、他愛のないものです。よし、ぼくもML7Lを買おうと決心した、つまり、清水の舞台からぼくをつき落としたのは、きみのひとこと「田中一光先生がML7Lをお買いになにんだそうですよ」だったということになります。
 そのあとで、きみは、さらに追いうちをかけました。「MCカートリッジ用のL3ハイゲイン・フォノアンプはどうしますか?」と、心優しいきみはいいました。ごぞんじの通り、ぼくはまだ、MCカートリッジ用のL3ハイゲイン・フォノアンプの音をきいていません。それをつけることによって、それでなくとも高価なML7Lがさらに高価になることはわかっていますが、最近は、MCカートリッジしか使わないので、L3ハイゲイン・フォノアンプをつけてもらおうと思いました。ひとたび清水の舞台からつきおとされたのであるから、どこまでだってとびおりてやる──というのは上段で、コントロールアンプの音があのようであるのなら、一種の信頼が、未聴であるにもかかわらず、L3ハイゲイン・フォノアンプをくみこんだかたちでつかおうと、ぼくに思わせたにちがいありません。
 人に対しても、ものに対しても、疑うというのは、ぼくのこのむところではありません。それに、ML7Lの音があまりにも見事であったので、L3ハイゲイン・フォノアンプに対しても、未聴であるにもかかわらず、信用したということのようです。もし期待通りの音でなかったら、自分の不覚を恥じるよりありませんが、まさかそんなことはないであろうと、いまは思っています。
 明後日、ぼくは、ヨーロッパにでかけます。おかげで、すっからかんの財布をポケットに出かけなければなりませんが、やむをえません。一ヵ月後に帰ったころには、ハイゲイン・L3フォノアンプのくみこまれたML7Lがとどいていることでしょう。おちおちヨーロッパを歩きまわってもいられない気持ですが、予定したことなので、でかけます。
 帰ったら、一度、ML7Lの音をききにきて下さい。したたかなきみに、これぞ世界一の音といわせるような音をきかせますから。

BOSE 301 Music Monitor

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 小口径フルレンジ型ユニットを複数個使ってシステムアップするボーズの特殊技術の成果は、小型ポータブルPA用スピーカー802の凄くパワフルなサウンドに代表されるが、301はミュージックモニターと名付けられたように小型モニターを目標として開発された製品。聴取位置正確な音像定位をコントロールするフォーカシング機構はユニークで効果は抜群だ。ガッツがあり、パワーハンドリングの優れた音は、さすがにモニター。

EMT STX20

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 EMTのTSD/XSD15専用の昇圧トランスであり、今回は当然、TSD15を組み合わせて使う。適度に伸びた重厚で力強い低域をベースに、厚みが充分にある中域と、ハイエンドを抑えた高域が、安定感のある帯域バランスを形成している。
 全体に音の芯がクッキリとし、やや硬質で線の太さが感じられる音だが、楽器それぞれに固有の振動を見事に聴かせるのはさすがだ。プログラムソースに対しては適度に反応を示し、ソリッドな魅力があるが、カシオペアのようなジャンルは不得手である。
 試みにMC20IIを使ってみる。バランス的に低域を抑えたクリアーで小柄な音になり、低域が豊かすぎてカブリ気味のスピーカーには効果的に使えそうだ。

マッキントッシュ XRT20

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 マッキントッシュといえばアンプメーカーの名門として知られ、その製品の高性能と信頼性、そして美しい仕上げ、デザインの風格はファンの憧れの的である。しかし、同社がもう8年も前からスピーカーシステムを製造し、発売していることはあまり知られていない。ここに御紹介するXRT20という製品は、同社の最新最高のシステムであるが、すでに昨1980年1月には商品として発売さていたものなのだ。したがって、いまさら新製品というには1年以上経た旧聞に属することになるのだが、不思議なことに日本には今まで紹介されていなかったのである。1年以上も日本の輸入元で寝かされていたというのだから驚き呆れる。
 私は、このXRT20のプロトタイプを、一昨年──1979年の秋──ニューヨークへ録音の仕事で行った時、同州・ビンガムトンのマッキントッシュ本社で聴くことができた。その時の音の素晴らしさは、ちょっと信じられないほどだったが、続いて今年の1月、同社の社長であるゴードン・J・ガウ氏の自宅で、じっくり聴く機会を得て再度確認。今は我家に設置して日夜、狂ったようにレコードコレクションの聴き直しに没頭している状態である。私の長年のオーディオ生活で、こんなに興奮し、改めてオーディオへの情熱を喚起され、レコードを聴く幸せを今さらながら味わいなおしたのは初めての経験である。
 このスピーカーシステムは、今までのシステムが決して出せなかった音を出す。その音には自然の音、生の楽器のみに聴き得た感触がある。音場のプレゼンスの豊かさはこのシステムの一大特長で、オーケストラがまさに眼前に展開するようだ。拡がり、奥行き、細部のディフィニションと全体の調和の見事さは、解きとして我耳を疑うほどで、スピーカーから音楽を聴いているという意識が失なわれてしまうことがある。
 マッキントッシュというメーカーは、常にその時代における最大パワーを誇るアンプを、最高のクォリティで提供してきたメーカーであることは御承知の通りである。したがって、マッキントッシュのスピーカー・ラインアップの最高の位置にあるこのXRT20は、それにマッチした強力なものであるはずだし、事実、ジャズやロック系の音楽を鳴らしてみると、こことがはっきり証明される。底力のあるベースを土台に圧倒的なハイレベルで轟くのだ。
 しかし、このようなヘヴィ・デューティのタフなスピーカーシステムというものは、ガンガン鳴らすと圧倒的な迫力は得られても、小入力で繊細なニュアンスを大切にする音楽には向かないというのが、我々の常識であった。そして、反対に、そうした繊細なニュアンスをキメ細かく再現するスピーカーシステムというものは、まず、大音量でパルシヴな波形を主体とするジャズやロックは無理というのが普通である。たとえば、エレクトロスタティック・スピーカーがそうだ。並のスピーカーでは絶対出せない透明繊細な弦楽器などのニュアンスは出してくれるのだが、大振幅がとれないために、打楽器の迫力などは到底望めないのである。
 このXRT20は、私が初めて出会った、その両面を高い次元で満たすことのできるスピーカーシステムであった。小音量で弦やチェンバロを聴いている時には、その透明繊細な、しなやかな音からは、とてもジャズやロックなどの大音量再生が可能とは想像できない音である。ところが、一度、ボリュウムを上げ出すと、パワーアンプに余裕さえあれば、どこまで上げても音くずれがなく、力感に溢れたエキサイティングな再生音を楽しむことができる。しかも、この時でさえ持ち前の音透明度、繊細感を失わないのは不思議とも感じられるほどで、そのリニアリティの高さは信じられないほどだ。20Hz〜20kHzに及ぶ帯域を均等なエネルギー分布でカバーしながら、決してワイドレンジを感じさせる誇張的鳴り方はしない。いわば物理特性が裸で感じられるような鳴り方ではないのである。
 一般に、物理特性だけを追求し、技術的な能書きの多いスピーカーほど優れた測定データは示しても、感覚的、情緒的に満されないものが多いものだ。つまり、音楽的魅力が感じられないのである。ただ物理特性だけを追求して、即、聴いてよいスピーカーができるとは限らないことは、今さらいうまでもないことだろう。現時点で解っている技術的問題点はあくまで追求すべきであるが、全体の姿を見誤ると、必ずどこかにアンバランスをきたし、音が無機的になるものだ。
 このXRT20の音は決してそのような無味乾燥な、つまらないものではないのは、大きな喜びであり驚きでもある。ある人がこの音を聴いて、〝本物です!! これは本物の弦楽器です!!〟と飛び上ったし、また、ある人は〝この音は、生の音を識り、ありとあらゆるスピーカー遍歴をした人ほど正しく評価するでしょう〟ともいった。つまり、強烈な毒性や、人工的な色彩感のない音でありながら、決して非情緒的な音ではないのだ。レコーディングされた楽器の音の個性的質感や味わいをちゃんと出すからである。
 優れた録音と演奏のオーケストラを聴くと、従来のスピーカーが鳴らすことのできなかったあの弦の合奏のヴェルヴェットのようなテクスチュアが、輝くばかりのブラスの色彩感が、そして、腹にこたえるようなグラン・カッサの響きが、実にリアルに美しく再現されるのだ。楽器の音色の忠実な再現だけにとどまらず、その音楽表現のこまかなニュアンスまで、他のスピーカーでは聴き得なかった微妙さと豊かさで鳴らし分けるのには感嘆せざるを得ない。弦のプルトが、ふうっとテンダーに、ソットヴォーチェするところなど、その気配さえ感じられる。フィリップス・レーベルの最近とみに快調な優秀録音によるネヴィル・マリナーやコーリン・デイヴィスのハイドンの交響曲シリーズ、そしてまた、同じくデイヴィスのディジタルレコーディングによる?展覧会の絵?など、あるいは、小沢征爾の?春の祭典?等々……があたかも録音時のモニターの向う側へ行ったように自然で美しく響く。その瑞々しい音体験、音楽体験に身体中がゾクゾクするほど至福の思いをさせられる。転じて、SJの最優秀録音賞に選出されたアリスタ・レーベルのスコット・ジャレットの?ウィズアウト・ライム・オア・リーズン?や、私の録音したトリオ・レーベルの?マイ・リトル・スウェード・シューズ?など一連のジャズを聴くと、とても同じスピーカーとは思えぬ表情で圧倒的大音量のパルシヴな再生を身体中で浴びることも出来るのだった。このスピーカーシステムは、明らかにレコード音楽の表現の忠実度と可能性を、一歩も二歩も前へ進めてくれるものといえるであろう。
 具体的な例を書き連ねていたらきりがないから、この辺で止めるが、これらの劇的ともいえる音の体験と、素敵な演奏をありのまま所有し得る実感は、私自身を夢中にさせずにおかないのだ。そして、この一月余りの間に我家を訪れた私のオーディオ仲間やメーカーの人達、ジャーナリスト達のすべてからも異口同音に感動の言葉が聞かれた。中でも、オーディオ体験が豊かで真摯な人ほど、感動の度合いが大きく感じられたのも興味深いことであった。解る人には解る音なのだ。
 XRT20は、写真で見られるように、実にユニークな形態をもったシステムで、ウーファーとスコーカーを収めたエンクロージュアと、トゥイーターを収めたアレイに分れている。30cmウーファーが2基に20cmスコーカーが1基、そして2・5cmトゥイーターが実に24基という構成の3ウェイシステムだ。ウーファー、スコーカーセクションは、約1mの高さ、65cmの幅、32cmの奥行きのエンクロージュアで、バッフルボードの両サイドが斜めにカットされディフラクションフリーのシェイプをとる。トゥイーターセクションは約2m(195・9cm)の高さ、27cmの幅、4・6cmの厚さのフラットなアレイで、これは、壁へ取付ける方式と、オプションのステーによりウーファーのエンクロージュアに取り付ける一体式との両方が選べるようになっている。壁取付がベストだと思うが、壁面の形状で不可能な場合や、壁にネジを切り込むのが嫌な人は一体式で十分な効果が得られる。ウーファー、スコーカーはコーン型、トゥイーターはドーム型である。
 このXRT20の発想は、今から20年以上も前にゴードン・ガウ氏の頭にあった。当時から氏はハーバード大学の研究室との共同研究で、現在のXRT20の原形ともいえる2m長のリボントゥイーター・アレイの試作をしているのである。リスニングルーム内に高域のエネルギーを最小の歪で均等に分布させること、音質に癖のない振動系を使い、かつ大パワー入力に耐えさせること、これが彼の、トゥイーター設計の目標であったという。そして、低域は20Hzまでを理想とし、少なくとも25Hzは保証すること。適正なレベル差と位相差を保つため、ユニット構成に加えてレスポンス・タイム・ネットワークを設計することによって多々しい立体音場の再生を可能にすることなどの設計ポイントが定められ、同社のスピーカーエンジニア、ロジャー・ラッセル氏の献身的協力を得て完成されたのがこのXRT20なのだ。音の波状と位相特性の研究に関する一大成果である一方、このシステムのパワーハンドリングは、RMSサインウェイヴで300Wという強力さである。クロスオーバーは250Hzと1・5kHzとなっているから、このトゥイーター・コラムは1・5kHz以上の連続信号を300W入力しても大丈夫ということだ。事実、私は同社の500W+500Wアンプをフルパワーで鳴らしてみたがビクともしない。付属のパワーインディケーターが2つあり、黄色が全帯域、赤が高域なのだが、ごくたまに黄色が点灯する程度だった。ミュージックパワーならMC2500の実質パワー、650Wオーバーのフルドライヴに充分耐えることだろう。もちろん入力オーバーに対してはヒューズで守られている。これは、マッキントッシュ社が最も大切にしている製品の信頼性に基づくものであり、充分な許容入力をもたせ、かつオーバードライヴによりスピーカーが破損することに万全の対策を施したものだろう。スピーカーを破損させるようなアンプは絶対に作らないという同社の体質がここにも形を変えて現われている。
 24個のドームトゥイーターによるアレイは視覚的にも内容的にも、個のシステムの一大特徴といえる。これは、すでに述べたように高域のハイパワードライヴと低歪を達成する意味と同時に、もう一つ重要な意味がかくされているとマッキントッシュはいう。それが、真のステレオフォニック、つまり、3ディメンション・サウンドスペースを伝送することなのだ。選択され、特性のそろったユニットを、このように配置することと適切な位相補整回路を組み合わせ、タイムアライメントをとることにより、システムから放射される音の波状は、きれいに位相のそろった円筒状の波となり、きわめて良好な指向特性と平均したエネルギー分布が得られる。20Hz〜20kHzまでの帯域エネルギーが床から天井まで均等に拡散されることの効果は大きい。したがって、このスピーカーシステムのエネルギー密度は、距離の自乗に反比例して減少するのではなく、ただ距離に反比例するようになっている。こういうスピーカーは、それほど音量を上げなくても充分な音量感が得られることになるわけで、事実、正しいステレオフォニック録音のプログラムソースでは、馬鹿でかい音量にして聴かなくとも、豊かな空間感で満足させられるものなのだ。特にこのシステムの場合、1・5kHzという低いクロスオーバーを採用していることが注目に価する。2・5cm口径のドームトゥイーターに1・5kHz以上を受け持たせたところが(マルチユニットでこそ可能)ユニークである。マルチユニットというは、大抵の場合位相を乱し、定位の悪いシステムになりがちなのだが、これは例外的成功例といえるだろう。同一平面、同一垂直軸上に並べたところが成功の鍵といえそうだし、さらにこのトゥイーター・アレイに対するウーファーセクションの構成とタイムアライメントが実にうまくいっているようだ。また、IM歪の少なさは、まるでマルチ・アンプ駆動のようでこれだけ重厚な低音域でかぶり感がまったくないのが不思議なぐらいである。
 このようなシステムであるから、これは、販売店の店頭などで手軽に聴けるはずもない。その手のスピーカーとは生れも育ちも違う。価格もそれなりに高価だし、これこそ質の高い技術サービスの受けられる専門店の存在を必要とするし、質の高い愛好家によって真価を発揮するスピーカーシステムだといえるだろう。
 XRT20を完全に調整するのはそう簡単ではない。まず、設置は背面に壁がほしい。そして、コーナーにぴったり置かないことだ。幅が充分あれば、トゥイーター・アレイ2本を、それぞれ横幅の1/3の所にくるように設置し、その外側にウーファー・エンクロージュアを置く。こうすることにより、トゥイーター・アレイで3分割された壁面にステレオフォニックな空間が左の面、中央の面、右の面と拡がり、かつ、奥行きをもって再現されることになる。オペラのステージの立体感の再現など、まさに劇的といって誇張ではない素晴らしいものだ。もし横幅が充分でなければ、トゥイーター・アレイを外側にウーファー・エンクロージュアを内側に置いてもよい。別売りのMQ104というイクォライザーにより、部屋とその設置場所によるピーク・ディップを調整することは是非必要であり、おすすめしたい。この仕事は、1/3オクターヴバンドのピンクノイズ・ジェネレーターとキャリブレイトされたマイクロフォンとメーターで測定しながら行なうもので、専門家のサービスを要する。もちろん、自信のある方は御自分で試みられるのも面白かろうが、この仕事はかなりの経験と才能を要するだろう。下手に調整を行なうと台無しにする恐れもあり、そんな事なら、何もしないほうがよい場合もある。
 久々に素晴らしいスピーカーに接することができた。仕上げその他にマッキントッシュのアンプの次元と比較すると不満の残る点も少なくないが、この音を聴けば我慢しようという気にもなってくるから不思議なものだ。マッキントッシュの実力に脱帽である。

コッター Mark2/TypeL

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 低インピーダンス専用で、同社の他のモデルとはトランスが異なった仕様だ。
 聴感上では、トランスとしてはワイドレンジ型で、豊かな低域をベースに、適度に緻密で安定したトランス独特の魅力がある。全体に従来より幾らか穏やかになった印象のタイプP/PP/Sに比較して、クォリティの高さは格段に優れる。
 MC20IIは、暖色系の柔らかく豊かな低域をベースとした美しい音を聴かせる。この音は、ハイファイというよりは音楽を長時間聴くに相応しいタイプで、独特の抑えた光沢はコッターならではの魅力だろう。
 FR7fにすると帯域も一段と広く、力強く伸びやかな分解能が優れた音になる。音源は少し遠いが、カートリッジの性能差をかなり明瞭に聴かせるのは見事。

コッター Mark2/TypeP, Mark2/TypePP, Mark2/TypeS

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 タイプPがオルトフォンなどの低インピーダンス用、タイプPPがEMT用、それにタイプSがデンオンなどの高インピーダンス用となっている。基本トランスは完全に同じもので、トランスの多重巻線の接続を変更して使用を変えているために、3タイプ間の変換は後からでも可能である。
 タイプPにはMC20IIを使う。聴感上のf特は高域と低域をわずかに抑えた、トランスとしては標準的なタイプだ。柔らかに低域は安定感があり、中高域に独特のわずかのキラメキがある。音の分離は優れるが、ソーによれば今一歩の印象もある。音色はほぼニュートラルで、各プログラムを平均してそれなりのクォリティで聴かせる。
 タイプPPにはTSD15を使う。スケールが大きく、暖色系の豊かな音で、適度にスムーズさをもつが、TSDの本来の音を少し滑らかに角をとって聴かせるタイプである。
 タイプSにはDL305を組み合わせる。ナチュラルに伸びたf特と、耳あたりがよく抑えた光沢を感じさせる音は、大変にキレイであるが、峰純子は少しマイルドになりすぎ、カシオペアもムード音楽的になる。試みにMC20IIを使ったが、総合的にこれがベストである。

トーレンス Reference

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 EMTの927Dstと、偶然のように殆ど同じ価格だが、EMTは、同社のTSDシリーズのカートリッジ専用であるのに対して、こちらは、好みのアームやカートリッジをとりつけられるユニバーサル・ターンテーブルシステム。レコードの音溝を針先でたどるという、メカ的なプリミティヴな方式を守るかぎり、メカニズムに十二分の手を尽したプレーヤーシステムは、それ相応の素晴らしい音質を抽き出してくれるという証明。

EMT 927Dst

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 いまは消えてしまった16インチ(40cm)ディスクを再生するための大型プレーヤーデッキだが、標準の30センチLPをプレイバックしてみても、他に類のない緻密でおそろしく安定感のある音質の良さが注目されて、生き残っている。大型のダイキャストターンテーブルの上にガラス製サブターンテーブルを乗せたのが927Dst。プラスチック製はただの927st。しかし音質面では、ガラス製のDstにこそ、存在価値がある。

マークレビンソン LNP-2L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 1973年に、レヴィンソンが、テープに録音するためのミニ・ミクシングコンソールのような目的で作ったのがLNP−2で、その後何回も小改良が加えられて、こんにちに至っている。別にML−6ALやML−7Lのような、機能を最小限に抑えて極限まで性能を追求した製品もあるが、大幅なゲイン切換やトーンコントロールその他、レコード観賞に必要な機能を備えたコントロールアンプとして、今日これ以上の音を聴かせる製品は他にない。

JBL D44000 Paragon

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。

パートリッジ TH7834

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 この製品もTH7559同様に、キットとトランス単体が用意されている。本機は入力対出力の位相は同相で、一般の製品と等しい。
 MC20IIでは豊かで柔らかく、力強さのある低音をベースに、適度にコントラストをつける中高域がバランスをとった押し出しのよい華麗な音を聴かせる。ロッシーニ、ドボルザークを容易にこなし、カシオペアの強力なパンチも見事だ。これならSPUを使ってみたいところである。
 DL305では全体に線が太くなり、MC20IIとの本来のキャラクターの差が縮むようだが、音としては全体に力強くなったDL305、といった印象で、低域ベースで少し高域を抑えた安定感のある堂々としたタイプだ。
 TSD15では、ややオーバーゲインで使い難い。

パートリッジ TH7559

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 英国パートリッジ社のトランスを使った製品で、別に配線材で有名なベルデン社のコード付オールキット、および単体トランスも用意されている。
 このTH7559は,一次側入力に対して二次側出力が位相反転する、反転トランスであるのが特徴。
 聴感上の帯域バランスはナチュラルに伸びたタイプで、音の芯がクッキリと再現される少し硬質なリアリティのある音が目立つ点だ。MC20II、DL305ともに低域が安定し、ソリッドに引締まり、音に躍動感がある。この音は大変気持よく、ダイレクトディスクの峰純子のリアリティは試聴製品中でベスト3に入る見事さだ。
 TSD15はスケールは大きいが音の輪郭が甘く、少しソフトに過ぎる。これは位相関係が原因であろう。

JBL 4343B

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 発売後五年あまりを経過し、途中でBタイプ(フェライト磁石)に変更のあったりしたものの、こんにち世界じゅうで聴かれるあらゆる種類の音楽を、音色、音楽的バランス、音量の大小の幅、など含めてただ一本で(完璧ということはありえないながら)再生できるスピーカーは、決して多くはない。すでに#4345が発表されてはいるが、4343のキャビネットの大きさやプロポーションのよさ、あ、改めて認識させられる。

オーディオインターフェイス CST-80E40

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 40Ω程度の高インピーダンスMC用トランスで、二次側の負荷条件は47kΩ/50pFが標準である。
E03と比較して、滑らかでキメ細かい音とナチュラルに伸びたスムーズなf特がこのE40の特徴である。プレゼンスを感じさせる中低域の残響成分を充分に聴かせるのが、このブランド共通の特徴だろう。
 DL305では、各プログラムソースを平均的にこなすが、音を美しくキレイに聴かせる特徴はE03と同じで、TSD15は全体に音が鋭角的で力強い特徴を少し抑えた誇張感の少ない音になる。試みにMC20IIを使ってみるとf特バランスが大変に優れたクッキリとコントラストのついた適度にシャープで安定した音で、これがベストだ。

オーディオインターフェイス CST-80E03

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」より

 米国オーディオインターフェイス社の3Ωの低インピーダンスMC用昇圧トランスである。したがって、MC20IIとFR7fを使ったが、結果としては少しFR7fのほうがトータルバランスの優れた音であった。
 このトランスは、ゆったりとした余裕の低域から中低域をベースとした暖色系の豊かで滑らかな音が特徴である。音の表情は穏やかなタイプであるため、ロッシーニやドボルザークのようなプログラムソースをゆったり楽しむのに好適なタイプである。
 このトランスの豊かな中低域の残響成分はコンサートホールのプレゼンスを美しく再現し、音像は少し距離をおいてナチュラルに拡がる。しかし、カシオペアのようなプログラムソースは不得手なタイプである。