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マランツ DAC-1

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 DAC1は、デジタル・オーディオ・コントロールアンプの頭文字をモデルナンバーにもつ、ユニークなコンセプトにより開発されたマランツの新製品だ。
 CD、DATに代表されるデジタル系のプログラムソースは、オーディオ信号とするためにD/Aコンバーターを使うことになるが、変換後のアナログ信号に、いわゆるデジタルノイズと呼ばれる、可聴帯域外におよぷ高い周波数成分をもつノイズが、程度の差こそあれ混入することが、重要な問題点のひとつである。
 一般的に、従来のコントロールアンプでは、広帯域型の設計が基本である。そのため、音にはならないが、高い周波数成分のノイズも、信号と一緒に増幅するために、混変調歪などが発生し、オーディオ信号を劣化させることになりやすい。
 DAC1の信号の流れは、入力切替スイッチ、テープ入出力スイッチ、バッファーアンプ、ボリュウムコントロール、14dBの利得をもつ出力アンプで増幅される。
 第一の特徴は、バッファーアンプには、裸特性が下降しはじめる700kHzに時定数をもつハイカットフィルターを設け、混変調歪の発生を防止したことである。
 第二の特徴は、出力アンプにフィリップスLHH2000で採用されている、定評の高いトランス結合マルチフィードバック回路を採用していることだ。出力トランスは、アンプ負荷用、フィードバックアンプ用の2系統の一次巻線と、同じ巻線比の、+位相と−位相の2系統の二次巻線を備えており、完全に同条件でアブソリュートフェイズの切替えができるほかに、2系続の出力を同時に使えば、BTL接続にも使用可能である。
 この回路の特徴は、二次導線が、基本的にフローティングされているために、アースや筐体に流れるノイズと信号が分離され、またバンドパスフィルターとして働くトランスの利点により、デジタルノイズに強い設計となつていることにある。
 8mm厚アルミ製シャーシ、シャンペンゴールドのフロントパネル、LHH1000系統の片側1・3kgのダイキャストサイドパネル、4mm厚トップパネルに見られるように、筐体は共振を抑えた剛体構造である。使用部品を含め、高密度に凝縮された構成は、オーディオ的な魅力を備えたものだ。
 DAC1は、中低域から中域の量感がたっぷりとあり、密度感を伴った安定度の高い音が特徴。オーケストラの空間の拡がりを感じさせるホールトーンの豊かな響き、素直なパースペクティブとディフィニションは、デジタル系プログラムソースの利点を充分に引き出したものである。しかも、無機的な冷たさにならないところが、本棟の魅力である。高密度設計だけに、置き場所の影響がダイレクトに現れる点は要注意だ。

怪盗M1の挑戦に負けた!

黒田恭一

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「怪盗M1の挑戦に負けた!」より

 午後一時二十分に成田到着予定のルフトハンザ・ドイツ航空の701便は、予定より早く一時〇二分に着いた。しかも、ありがたいことに、成田からの道も比較的すいていた。おかげで、家には四時前についた。買いこんだ本をつめこんだために手がちぎれそうに重いトランクを、とりあえず家の中までひきずりこんでおいて、そのまま、ともかくアンプのスイッチをいれておこうと、自分の部屋にいった。
 そのとき、ちょっと胸騒ぎがした。なにゆえの胸騒ぎか? 机の上を、みるともなしにみた。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」
 机の上におかれた紙片には、お世辞にも達筆とはいいかねる、しかしまぎれもなくM1のものとしれる字で、そのように書かれてあった。
 一週間ほど家を留守にしている間に、ぼくの部屋は怪盗M1の一味におそわれたようであった。まるで怪人二十面相が書き残したかのような、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」のひとことは、そのことをものがたっていた。しかし、それにしても、怪盗M1の一味は、ぼくの部屋でなにをしていったというのか?
 ぼくは、あわてて、ラスクのシステムラックにおさめられた機器に目をむけた。なんということだ。プリアンプが、マークレビンソンのML7Lからチェロのアンコールに、そしてCDプレーヤーが、ソニーのCDP557ESD+DAS703ESから同じソニーのCDP-R1+DAS-R1に、変わっていた。
 怪盗M1の奴、やりおったな! と思っても、奴が「どうですか、この音は?」、という音をきかずにいられるはずもなかった。しかし、ぼくは、そこですぐにコンパクトディスクをプレーヤーにセットして音をきくというような素人っぽいことはしなかった。なんといっても相手が怪盗M1である、ここは用心してかからないといけない。
 そのときのぼくは、延々と飛行機にむられてついたばかりであったから、体力的にも感覚的にも大いに疲れていた。そのような状態で微妙な音のちがいが判断できるはずもなかった。このことは、日本からヨーロッパについたときにもあてはまることで、飛行機でヨーロッパの町のいずれかについても、いきなりその晩になにかをきいても、まともにきけるはずがない。それで、ぼくは、いつでも、肝腎のコンサートなりオペラの公演をきくときは、すくなくともその前日には、その町に着いているようにする。そうしないと、せっかくのコンサートやオペラも、充分に味わえないからである。
 今日はやめておこう。ぼくは、はやる気持を懸命におさえて、ついさっきいれたばかりのパワーアンプのスイッチを切った。今夜よく眠って、明日きこう、と思ったからであった。
 おそらく、ぼくは、ここで、チェロのアンコールとソニーのCDP-R1+DAS-R1のきかせた音がどのようなものであったかをご報告する前に、怪盗M1がいかに悪辣非道かをおはなししておくべきであろう。そのためには、すこし時間をさかのぼる必要がある。
 さしあたって、ある時、とさせていただくが、ぼくは、さるレコード店にいた。そのときの目的は、発売されたばかりのCDビデオについて、解説というほどのこともない、集まって下さった方のために、ほんのちょっとおはなしをすることであった。予定の時間よりはやくその店についたので、レコード売場でレコードを買ったり、オーディオ売場で陳列してあるオーディオ機器をながめたりしていた。
 気がついたときに、ぼくは、オーディオ売場の椅子に腰掛けて、スピーカーからきこえてくる音にききいっていた。なんだ、この音は? まず、そう思った。その音は、これまでにどこでどこできいた音とも、ちがっていた。ほとんど薄気味悪いほどきめが細かく、しかもしなやかであった。
 まず、目は、スピーカーにいった。スピーカーは、これまでにもあちこちできいたことのある、したがって、ぼくなりにそのスピーカーのきかせる音の素性を把握しているものであった。それだけにかえって、このスピーカーのきかせるこの音か、と思わずにいられなかった。そうなれば、当然、スピーカーにつながれているコードの先に、目をやるよりなかった。
 スピーカーの背後におかれてあったのは、それまで雑誌にのった写真でしかみたことのない、チェロのパフォーマンスであった。なるほど、これがチェロのパフォーマンスか、といった感じで、いかにも武骨な四つのかたまりにみにいった。
 チェロのパフォーマンスのきかせた音に気持を動かされて、家にもどり、まっさきにぼくがしたのは、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、読むことであった。このパワーアンプのきかせる音に対して、三氏とも、絶賛されていたとはいいがたかった。
 にもかかわらず、チェロのパフォーマンスというパワーアンプへのぼくの好奇心は、いっこうにおとろえなかった。なぜなら、そこで三氏の書かれていることが、ぼくにはその通りだと思えたからであった。しかし、このことには、ほんのちょっと説明が必要であろう。
 幸い、ぼくはこれまでに、菅野さんや長嶋さん、それに山中さんと、ご一緒に仕事をさせていただいたことがあり、お三方のお宅の音をきかせていただいたこともある。そのようなことから、菅野、長島、山中の三氏が、どのような音を好まれるかを、ぼくなりに把握していた。したがって、ぼくは、そのようなお三方の音に対しての好みを頭のすみにおいて、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、熟読玩味した。その結果、ぼくは、レコード店のオーディオ売場という、アンプの音質を判断するための場所としてはかならずしも条件がととのっているとはいいがたいところできいたぼくのチェロのパフォーマンスに対しての印象が、あながちまちがっていないとわかった。そうか、やはり、そうであったか、というのが、そのときの思いであった。
 ぼくはアクースタットのモデル6というエレクトロスタティック型のユニットによったスピーカーシステムをつかっている。残る問題は、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの、俗にいわれる相性であった。ほんとうのところは、アクースタットのモデル6にチェロのパフォーマンスをつないでならしてみるよりないが、とりあえずは、推測してみるよりなかった。
 そのときのぼくにあったチェロのパフォーマンスについてのデータといえば、レコード店のオーディオ売場でほんの短時間きいたときの記憶と、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三の三氏が「ステレオサウンド」にお書きになった文章だけであった。そのふたつのデータをもとに、ぼくは、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性を推理した。その結果、この組合せがベストといえるかとうかはわからないとしても、そう見当はずれでもなさそうだ、という結論に達した。
 そこまで、考えたところで、ぼくは、電話器に手をのばし、M1にことの次第をはなした。
「わかりました。それはもう、きいてみるよりしかたがありませんね。」
 いつもの、愛嬌などというもののまるで感じられないぶっきらぼうな口調で、そうとだけいって、M1は電話を切った。それから、一週間もたたないうちに、ぼくのアクースタットのモデル6は、チェロのパフォーマンスにつながれていた。
 ぼくのアクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性の推理は、まんざらはずれてもいなかったようであった。一段ときめ細かくなった音に、ぼくは大いに満足した。そのとき、M1は、意味ありげな声で、こういった。
「高価なアンプですよ。これで、いいんですか? 他のアンプをきいてみなくて、いいんですか?」
 このところやけに仕事がたてこんでいたりして、別のアンプをきくための時間がとりにくかった、ということも多少はあったが、それ以上に、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのモデル6がきかせる、やけにきめが細かくて、しかもふっくらとした、それでいてぐっとおしだしてくるところもある響きに対する満足があまりに大きかったので、ぼくは、M1のことばを無視した。
「ちょっと、ひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」
 M1は、そんな捨てぜりふ風なことを呟きながら、そのときは帰っていった。なにをほざくか、M1めが、と思いつつ、けたたましい音をたてるM1ののった車が遠ざかっていくのを、ぼくは見送った。
 それから、数日して、M1から電話があった。
「久しぶりに、スピーカーの試聴など、どうですか? 箱鳴りのしないスピーカーを集めましたから。」
 きけば、菅野さんや傅さんとご一緒の、スピーカーの試聴ということであった。おふたりのおはなしをうかがえるのは楽しいな、と思った。それに、かねてから気になっていながら、まだきいたことのないアポジーのスピーカーもきかせてもらえるそうであった。そこで、うっかり、ぼくは、怪盗M1が巧妙に仕掛けた罠にひっかかった。むろん、そのときのぼくには、そのことに気づくはずもなかった。
 M1のいうように、このところ久しく、ぼくはオーディオ機器の試聴に参加していなかった。
 オーディオ機器の試聴をするためには、普段とはちょっとちがう耳にしておくことが、すくなくともぼくのようなタイプの人間には必要のようである。もし、日頃の自分の部屋での音のきき方を、いくぶん先の丸くなった2Bの鉛筆で字を書くことにたとえられるとすれば、さまざまな機種を比較試聴するときの音のきき方は、さしずめ先を尖らせた2Hの鉛筆で書くようなものである。つまり、感覚の尖らせ方という点で、試聴室でのきき方はちがってくる。
 そのような経験を、ぼくは、ここしばらくしていなかった。賢明にもM1は、ぼくのその弱点をついたのである。どうやら、彼は、このところ先の丸くなった2Bの鉛筆でしか音をきいていないようだ、そのために、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのもで6の音に、あのように安易に満足したにちがいない、この機会に彼の耳を先の尖った2Hにして、自分の部屋の音を判断させてやろう。M1は、そう考えたにちがいなかった。
 そのようなM1の深謀遠慮に気がつかなかったぼくは、のこのこスピーカー試聴のためにでかけていった。そこでの試聴結果は別項のとおりであるが、ぼくは、我がアクースタットが思いどおりの音をださず、噂のアポジーの素晴らしさに感心させられて、すこごすごと帰ってきた。アクースタットは、セッティング等々でいろいろ微妙だから、いきなりこういうところにはこびこんで音をだしても、いい結果がでるはずがないんだ、などといってはみても、それは、なんとなく出戻りの娘をかばう親父のような感じで、およそ説得力に欠けた。
 音の切れの鋭さとか、鮮明さ、あるいは透明感といった点において、アクースタットがアポジーに一歩ゆずっているのは、いかにアクースタット派を自認するぼくでさえ、認めざるをえなかった。たとえ試聴室のアクースタットのなり方に充分ではないところがあったにしても、やはり、アポジーはアクースタットに較べて一世代新しいスピーカーといわねばならないな、というのが、ぼくの偽らざる感想であった。
 そのときのスピーカーの試聴にのぞんだぼくは、先輩諸兄のほめる新参者のアポジーの正体をみてやろう、と考えていた。つまり、ぼくは、まだきいたことのないスピーカーをきく好奇心につきうごかされて、その場にのぞんだことになる。ところが、悪賢いM1の狙いは、ぼくの好奇心を餌にひきよせ、別のところにあったのである。
 あれこれさまざまなスピーカーの試聴を終えた後のぼくの耳は、かなり2Hよりになっていた。その耳で、ソニーのCDP557ESD+DAS703ES~マークレビンソンのML7L~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6という経路をたどってでてきた音を、きいた。なにか、違うな。まず、そう思った。静寂感とでもいうべきか、ともかくそういう感じのところで、いささかのものたりなさを感じて、ぼくはなんとなく不機嫌になった。
 そのときにきいたのは「夢のあとに~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」(オルフェオ 32CD10106)というディスクであった。このディスクは、このところ、なにかというときいている。オッフェンバックの「ジャクリーヌの涙」をはじめとした選曲が洒落ているうえに、あのクルト・トーマスの息子といわれるウェルナー・トーマスの真摯な演奏が気にいっているからである。録音もまた、わざとらしさのない、大変に趣味のいいものである。
 これまでなら、すーっと音楽にはいっていけたのであるが、そのときはそうはいかなかった。なにか、違うな。音楽をきこうとする気持が、音の段階でひっかかった。本来であれば、響きの薄い部分は、もっとひっそりとしていいのかもしれない。などとも、考えた。そのうちに、イライラしだし、不機嫌になっていった。
 理由の判然としないことで不機嫌になるほど不愉快なこともない。そのときがそうであった。先日までの上機嫌が、嘘のようであったし、自分でも信じられなかった。もんもんとするとは、多分、こういうことをいうにちがいない、とも思った。おそらく昨日まで美人だと思っていた恋人が、今日会ってみたらしわしわのお婆さんになっていても、これほど不機嫌にはならないであろう、と考えたりもした。
 しかし、その頃のぼくは、自分のイライラにつきあっている時間的な余裕がかった。一週間ほどパリにいって、ゴールデン・ウィークの後半を東京で仕事をして、さらにまた一週間ほどウィーンにいかなければならなかった。パリにもウィーンにも、それなりの楽しみが待っているはずではあったが、しわしわのお婆さんになってしまっている自分の部屋の音のことが気がかりであった。幸か不幸か、あたふたしているうちに、時間がすぎていった。
 そして、あれこれあって、ルフトハンザ・ドイツ航空の701便で成田につき、怪盗M1の挑戦状。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」を目にしたことになる。
「ちょっとひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」、と捨てぜりふ風なことを呟きながら一度は帰ったM1の、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」、であった。ここは、やはり、どうしたって、褌をしめなおし、耳を2Hにし、かくごしてきく必要があった。
 翌日、朝、起きると同時にパワーアンプのスイッチをいれ、それから、おもむろに朝食をとり、頃合をみはからって、自分の部屋におりていった。
 ぼくには、これといった特定の、いわゆるオーディオ・チェック用のコンパクトディスクがない。そのとき気にいっている、したがってきく頻度の高いディスクが、そのときそのときで音質判定用のディスクになる。したがって、そのときに最初にかけたのも、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」であった。
 ぼくは、絶句した。M1に負けた、と思った。
 スピーカーの試聴の後で、菅野さんや傅さんとお話ししていて、ぼくは自分で思っていた以上に、スピーカーからきこえる響きのきめ細かさにこだわっているのがわかった。もともとぼくの音に対する嗜好にそういう面があったのか、それとも、人並みに経験をつんで、そのような音にひかれるようになったのかはわかりかねるが、そのとき、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6で、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」をきいて、ぼくは、これが究極のコンポーネントだ、と思った。
 また、しばらくたてば、スピーカーは、アクースタットのモデル6より、アポジーの方がいいのではないか、と考えたりしないともかぎらないので、ことばのいきおいで、究極のコンポーネントなどといってしまうと、後で後悔するのはわかっていた。にもかかわらず、ぼくはソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」に、夢見心地になり、そのように考えないではいられなかった。
 ぼくのオーディオ経験はごくかぎられたものでしかないので、このようなことをいっても、ほとんどなんの意味もないのであるが、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた音は、ぼくがこれまでに再生装置できいた最高の音であった。響きは、かぎりなく透明であったにもかかわらず、充分に暖かく、非人間的な感じからは遠かった。
 静けさの表現がいい、などといういい方は、オーディオ機器のきかせる音をいうためのことばとして、いくぶんひとりよがりではあるが、そのときの音に感じたのは、そういうことであった。すべての音は、楽音が楽音たりうるための充分な力をそなえながら、しかし、静かに響いた。過度な強調も、暑苦しい押しつけがましさも、そこにはまったくなかった。
 ぼくは、気にいりのディスクをとっかえひっかえかけては、そのたびに驚嘆に声をあげないではいられなかった。そうか、ここではこういう音の動きがあったのか、と思い、この楽器はこんな表情でうたっていたのか、と考えながら、それまでそのディスクからききとれなかったもののあまりの多さに驚かないではいられなかった。誤解のないようにつけくわえておくが、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音にふれて、そこできけた楽器や人声の描写力に驚いたのではなく、そこで奏でられている音楽を表現する力に驚いたのである。
 したがって、そこでのぼくの驚きは、オーディオの、微妙で、しかも根源的な、だからこそ興味深い本質にかかわっていたかもしれなかった。オーディオ機器は、多分、自己の存在を希薄にすればするほど音楽を表現する力をましていくというところでなりたっている。スピーカーが、あるいはアンプが、どうだ、他の音をきいてみろ、と主張するかぎり、音楽はききてから遠のく。つまり、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音をきいて感動しながら、そこでオーディオ機器として機能していたプレーヤーやアンプやスピーカーのことを、ほとんど忘れられた。そこに、このコンポーネントの凄さがあった。
 こうなれば、もう、ひっこみがつかなかった。まんまと落とし穴に落ちたようで、癪にはさわったが、ここは、どうしたってM1に電話をかけずにいられなかった。目的は、あらためていうまでもないが、留守の間においていかれたソニーのCDP-R1+DAS-R1とチェロのアンコールを買いたい、というためであった。
「ソニーのCDP-R1+DAS-R1はともかく、チェロのアンコールはご注文には応じられませんね。」
 M1は、とりつく島もない口調で、そういった。
 M1の説明によると、チェロのアンコールの輸入元は、すでにかなりの注文をかかえていて、生産がまにあわないために、注文主に待ってもらっている状態だという。ぼくの部屋におかれてあったものは、輸入元の行為で短期間借りたものとのことであった。事実、ぼくがチェロのアンコールをきいたのは、ほんの一日だけであった。その翌日の朝、薄ら笑いをうかべたM1が現れ、いそいそとチェロのアンコールを持ち去った。
「いつ頃、手にはいるかな?」
 M1を玄関までおくってでたぼくは、心ならずも、嘆願口調になって、そう尋ねないではいられなかった。
「かなり先になるんじゃないですか。」
 必要最少限のことしかしゃべらないのがM1の流儀である。長いつきあいなので、その程度のことはわかっている。しかし、ここはやはり、なぐさめのことばのひとつもほしいところてあったが、M1は、余計なことはなにひとついわず、けたたましい騒音を発する車にのって帰っていった。
 しかし、ソニーのCDP-R1+DAS-R1は、残った。プリアンプをマークレビンソンにもどし、またいろいろなディスクをきいてみた。
 ソニーのCDP-R1+DAS-R1がどのようなよさをもっているのか、それを判断するのは、ちょっと難しかった。これは、束の間といえども大変化を経験した後で、小変化の幅を測定しようとするようなものであるから、耳の尺度が混乱しがちであった。一度は、M1の策略で、プリアンプとCDプレーヤーが一気にとりかえられ、その後、CDプレーヤーだけが残ったわけであるから、一歩ずつステップを踏んでの変化であれば容易にわかることでも、そういえば以前の音はこうだったから、といった感じで考えなければならなかった。
 しかし、それとても、できないことではなかった。これまでもしばしばきいてきたディスクをききかえしているうちに、ソニーのCDP-R1+DAS-R1の姿が次第にみえてきた。
 以前のCDプレーヤーとは、やはり、さまざまな面で大いにちがっていた。まず、音の力の提示のしかたで、以前のCDプレーヤーにはいくぶんひよわなところがあったが、CDP-R1+DAS-R1の音は、そこでの音楽が求める力を充分に示しえていた。そして、もうひとつ、高い方の音のなめらかさということでも、CDP-R1+DAS-R1のきかせかたは、以前のものと、ほとんど比較にならないほど素晴らしかった。しかし、もし、響きのコクというようなことがいえるのであれば、その点こそが、以前のCDプレーヤーできいた音とCDP-R1+DAS-R1できける音とでもっともちがうところといえるように思えた。
 なるほど、これなら、みんなが絶賛するはずだ、とCDP-R1+DAS-R1できける音に耳をすませながら、ぼくは、同時に、引き算の結果で、マークレビンソンのML7Lの限界にも気づきはじめていた。はたして、M1は、そこまで読んだ後に、ぼくを罠にかけたのかどうかはわかりかねるが、いずれにしろ、ぼくは、今、ほんの一瞬、可愛いパパゲーナに会わされただけで、すぐに引き離されたパパゲーノのような気持で、M1になぞってつくった少し太めの藁人形に、日夜、釘を打ちつづけている。

ジェルマックス model-65

井上卓也

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

「BEST PRODUCTS」より

『あなたの常識である《原音》の概念が、今、完全に変わります。オーディオ界最大のタブーが今、破られた』とのキャッチフレーズで登場した、管球タイプのコントロールアンプがジェルマックスmodel65である。
 詳細は不明であるが、その特徴を記すと、アンプの回路内の電解コンデンサーに、歪やSN比、位相ズレなどの音に与えるマイナスの要素があり、この原因が電解コンデンサーの物理的なイオン歪によるものであるとのことだ。長期間にわたりコンデンサーの問題に取り組み、劇的に物理的性質を改善した結果が『BLACK GATE』の名称のコンデンサーとして開発され、レコード会社のカッティングアンプに採用され、従来ではノイズにマスクされ切捨てなければならない信号帯を、すべて記録できるようになり、アナログディスクを革新するスーパーアナログ時代の到来を告げる出来事になったが、このコンデンサーを世界で初めて全面採用したのが、このコントロールアンプである、とのことだ。
 回路面では、この無歪コンデンサーの性能を完全に引き出すために、OTB(オクターブ・トリプル・バイパス)システムを採用し、全オーディオ帯域の歪を完全に取り除くことに成功しているという。
 主入力債号源をアナログディスクとし、管球タイプNFイコライザーを採用し、すべての電源には損失の異なる3種類のコンデンサーを採用(これがOTBシステムか?)。また、超ローレベルのSN比を実現するため、ヒーター点火回路には、独自設計の超安定化電源を採用している。
 さらに、信号系電源の『STLX』、方向性活性リッツ線、低損失ピンジャック、OFC電源コード、非磁性体の抵抗器とシャーシ採用など、すべてのパーツは無歪と完全動作を支えている。以上が、model65の説明書にあった内容の説明だ。
 定格からみれば、フォノイコライザー利得が32・4dB、フラットアンプ利得がmaxで24dBあり、使用真空管は、12AY7×3、12AX7×1、12AU7×1で、整流はダイオード使用である。
 なお、専用の接続コードとして古河電工と共同開発の柔軟性のあるリッツ線構造のオーディオケーブルが付属。50m以上の延長でも音質変化は皆無とのことだ。
 パワーアンプにPOA3000ZとエアータイトATM1を用意をし、アナログディスクとCDで音を聴く。基本的に、スムーズで、適度に抜けのよい音だが、やや中高域に輝やかしいキャラクターがあり、これが繊細さとして聴かせるために効果的に働いているようである。プログラムソースのメインをアナログディスクとするだけに、フォノイコライザーはよく調整してあるようで、ノイズの質は水準以上だ。キャラクターは付属ケーブルにあるが、適否は試聴用機器との兼ね合いであろう。

パイオニア C-90, M-90

井上卓也

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 本格的なデジタル&AV時代に、多機能にして音質を優先するという、二律背反な追求を実現させた新製品が、セパレート型アンプC90とM90である。
 コントロールアンプC90は、多様化とともに、ハイグレード化するオーディオとビデオ信号に対応するために、オーディオ入力6系統、ビデオ入力6系統などの入出力端子を備え、リモコン操作も可能だ。
 設計面での最大のポイントは、コントロールアンプという同じ筐体中で、ビデオ信号を入出力する機能を備えると、いかに努力をしたとしてもアースや電源からのリケージで、ビデオ信号がアナログ信号に影響を与え、音質を劣化し、多機能とハイクォリティの音質は両立しないのが当然のことであり『アンプにビデオ信号を入れると音が悪くなる』という定説がうまれることになるが、パイオニアでは独自の技術開発によるAVアイソレーションテクノロジー(特許出顔中)により、入力信号間の干渉を徹底して排除した点にある。
 その内容は、左右オーディオ系とビデオ系に専用電源トランスを使う電源トランスのアイソレーション、オーディオ回路とビデオ回路のアースラインを独立させ、なおかつビデオ系の最終シャーシアースをオーディオ系に対してフローティングし干渉を抑える電気的アイソレーション、映像系と音声系入出力端子の距離をとり配置するとともに、基板の独立使用、シールド板などによるメカニズム的な飛付きを遮断するアイソレーションと、アナログディスクやCD演奏中には使っていないビデオ系の電源を切るビデオ電源オート・オフ機能の四つのテクニックが使われている。
 機能面では、リモートコントロールを駆使できることが最大の魅力のポイントだ。アルミ削り出しムクのツマミは、クラッチ付モータードライブ機構を備えており、SR仕様(パイオニア統一システムリモコン)専用リモコンユニットを標準装備しており、入力切替、ボリュウム調整などの他に、パイオニア製品のCDプレーヤー、LDプレーヤー、VTR、チューナー、カセットデッキなどの他のコンポーネントの主な操作も可能である。
 また、映像関係の機能には録再出力系にシャープネス、ディテールとノイズキャンセル調整付きビデオエンハンサー装備だ。
 EXCLUSIVEを受継いだ音質重視設計は、筐体の銅メッキシャーンとビスの全面採用、基板防振パッドと70μ銅箔基板、無酸素銅線配線材、黄銅キャップ抵抗、無酸素銅線極性表示の電源コードや樹脂とアルミによる2重構造フロントパネル、ポリカーボネイト製脚部の採用などがある。
 回路面ではシンプル・イズ・ベストを基本に、高品位MC型力−トリッジ再生を目指したハイブリッドMCトランス方式、多電源方式を基盤としたモノコンストラクション化とロジック化による信号経路の最短化設計などが見受けられる。
 M90は単純なパワーアンプと思われる外観をもつが、内容的には2系統のボリュウムコントロール可能な入力と一般的な入力の3系統をもつ、ファンクション付パワーアンプというユニークな構成で、パワーアンプ単体で必要にして最低限の機能を備え、プリメインアンプ的に備える魅力は、一度発表されてしまえば簡単に判かることだが、セパレート型アンプの基盤をゆるがしかねない。多様化する現在のマルチプログラム化とシンプル化の両面を満足させる企画の勝利ともいえる成果だ。
 パワー段は、4個並列接続(片チャンネル8個)、200W+200W(8Ω)ダイナミックパワー310W(8Ω)810W(2Ω)のパワーを誇り、ノンスイッチング回路TypeII採用である。電源部は左右独立トランス採用、銅メッキのシャーシとビスなどはC90と共通である。ただし、重量級電源トランスを2個採用しているために、筐体はトランスを支えるH型構造と黄銅のムク材の柱を介したトランス専用脚を含む5個のポリカーボネイト製脚部に特徴がある。なお、フロントパネルはC90共通の2度のアルマイト処理、バフ研磨の漆調のエ芸晶的な仕上げである。
 C90とM90の組合せは、多機能型の印象の枠を超えた、予想以上に十分に磨き込まれた、細かく滑らかな音の粒状性をもつことにまず驚かされる。このクォリティは、オーディオ専用としても見事なものがあり、アナログディスクも、スクラッチノイズの質と量からみて、水準以上の音質と音場感を聴かせる。試みにM90単体にする。2系統の可変入力間の音の差も抑えられており、さすがにダイレクトな鮮度感は高くは、当然ながら自然な結果だ。

コントロールアンプのベストバイ

菅野沖彦

ステレオサウンド 77号(1985年12月発行)
特集・「ジャンル別価格別ベストバイ・362選コンポーネント」より

 プリアンプの価格帯は四つのゾーンに分かれていて、30方円未満から100万円以上にわたっている。
 30万円未満でのベストワンとしては、デンオンPRA2000Zを選んだが、このアンプのもつ、美しい仕上げに見合った精密感のある音の魅力が印象的である。組み合わせるパワーアンプやスピーカーによっては、やや肉付きが薄くなるかもしれないが、逆に豊かな量感のスピーカーに対してややパワーアンプをきりっと引き締めて毅然とした音にする効果も捨て難い。ヤマハC2xは、ごくオーソドックスな質感をもち、特に個性的ではないが、質の高い信頼感がある。メリディアンMLPは、フォノやCDそしてチューナーなどのライン入力アンプを、それぞれモジュールとして組み合わせられる自由度をもった独特なコンセプトによるもので、同じモジュールパワーアンプも用意されているから、本当はプリメインアンプとして扱うべき製品だと僕は思う。しかし、そのブリ部分だけを独立させて、他のパワーアンプを鳴らすことも可能なので、このジャンルの扱いになったと思われる。きわめてよくコントロールされた音で、質感には独確で魅力的な粒立ちがある。作者の感性のふるいを通した音だ。QUAD44は、いかにもQUADらしいコンセプトでまとめられ、これも個性が強い。
 30〜50万円の価格帯ではアキュフェーズのC200LとカウンターポイントSA3を選んだ。この2機種、単刀直入にいえば信頼性ではC200L、魅力ではSA3である。C200Lはアキュフェーズが創業時に発表したC200のロングランだが、中身は常に、その時点でのテクノロジーでリファインされ続け、現代の200Lは、最新プリアンプとして優れた特性に裏付けられ、かつ、よくコントロールされたバランスのよい音のアンプだ。しかし、僕が同じ日本人で同質文化への新鮮さが希薄なためか、音への新鮮で強烈な魅力という点で、カウンターポイントSA3をベストワンとしたのである。ソリッドステート電源をもつ管球式のプリアンプで、その柔軟にしてしなやかな強靭さをもった音の魅力は格別である。ただ、作りの点、信頼性の点では垂島最高点はつけ難い。ラックスマンのCL360は発売が来年に延びたのであげなかった。
 50〜100万円では、さすがに全て第一級の甲乙つけ難い製品が並んでいる。強いてベストワンとなれば僕は、その完成度の点でマッキントッシュにならざるを得ない。C33、C30の両者は価格差を考えると甲乙つけ難いが、C33の中域の魅力をとってこれを推す。アキュフェーズC280、サンスイC2301、それぞれ魅力的で、信頼性の高い上質のプリアンプである。

コントロールアンプのベストバイ

井上卓也

ステレオサウンド 77号(1985年12月発行)
特集・「ジャンル別価格別ベストバイ・362選コンポーネント」より

 従来からも、コントロールアンプには、傑出した製品が少ないのが通例であるが、この傾向は今年も大して変わりはない様子である。基本的にコントロールアンプはフォノイコライザー付コントロールアンプという形態で発展してきたが、昨今のCDブームが定着化してくると、この形態を保つ必然性はかなり大幅に減少してきたように思われる。
 現状では、まだアナログディスクとCD共存がベースではあるが、CDに対する依存度が高まってくると、現状のコントロールアンプの重要な部分であるフォノイコライザーアンプやMCカートリッジ用のヘッドアンプや昇圧トランスなどを使う頻度は低下し、それらの部分のコントロールアンプ中に占める価格が問題になってくることになる。簡単に考えれば、フォノイコライザーアンプは、アナログプレーヤー側に装備するか、ブラックボックス的に独立した存在であるべきである。
 その大きな理由を簡単に記しておこう。CDをメインに使う場合には、フォノ入力にプレーヤーがつながれていないことが往々にしてあるだろう。この状態でCDの音を聴き、次にフォノ入力にショートピンを差込んで再びCDを聴いてほしい。音の透明度や、抜けのよさ、音場感の拡がりに大きな差が聴き取れるだろう。簡単に考えれば、フォノイコライザーアンプのノイズがアンプの筐体内部でCD入力に干渉して、音を汚していることになる。
 フォノ入力の端子に、かつてショートタイプの構造をもつものを採用していたメーカーがあり、これも対応策だが、根本的には、フォノ入力使用時以外にフォノイコライザーアンプの電源を切る対策がベストである。この提案を採用したプリアンプが既に存在しているが、結果は非常に良好であり、各社各様の対応をうながしたい点だ。
●30万円未満の価格帯
 アナログディスクを重視する使い方では、内蔵昇圧トランスとヘッドアンプとMM用入力を使えば、外付の昇圧トランスやヘッドアンプも使えるPRA2000Zの基本構成は抜群の成果である。入力切替はリモートコントロールのリレー切替でミュート付でボップノイズは皆無の点が特徴。オーソドックスに置き方、ACの給電方法などで追込んで使えば、かなり高級機とも比較できる音の良さが魅力のポイントだ。C2xの薄型アンプとしての完成度の高さは歴代ヤマハのコントロールアンプ中でトップランクの存在。熟成のきいたP−L10の安心して使える音も好ましい。
●30〜50万円未満の価格帯
 高価格であるだけに信頼感の高さが特徴。C3aの潜在能力が予想以上に高いようだ。
●50〜100万円未満の価格帯
 強いて使うならばといった選択である。

ウエスギ U·BROS-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 きわめてニュートラルな音で、ソースの性格を素直に聴かせてくれる。いかにも端正な、中庸をいく音である。質感は、ふっくらとまろやかで自然なものだ。強烈な個性の主張はないが、暖かく滑らかなバランスのよい音は、多種多様な音のプリアンプ群の中では、これ自体が、一つの個性としても、主張としても目立つものだ。荒々しさとか、鮮烈さといった趣きとは対照的な音だから、使うほどに、飽きのこないアンプだろう。
[AD試聴]弦のアンサンブルはふっくらとしたしなやかな質感で、細部のディテールもよく描き出す。やや淡彩なマーラーだが、緻密で端正なオーケストラの響きと透明なライブネスの再現が快い。このプリアンプは存在感を主張しないから、効果的とか魅力的とかいう言葉は使いにくい。「蝙蝠」のステージの自然なリアリティは素晴らしく、人の声の〝らしさ〟は抜群であった。この点、ジャズのガッツやスイング感の強烈な毒性が少々おとなしいが、当然だ。
[CD試聴]CDに対する音の鮮度はきわめて高く、細かい音がよく出る。ショルティのワグナーにおける弦の質感や音の鮮度は第一級。トゥッティの迫力、安定度も素晴らしく、空間もよくぬけて気持ちがよい。このディスクの音としては、もう一つ情熱的で脂の乗った響きだと一層効果的なのだが、ここでも、このアンプの中庸性を知らされる。ベイシーのピアノの開始では、アクションの動きが、他のアンプでは聴けない実感で、この点はSA3と共通した印象。

ロバートソンオーディオ 2020

井上卓也

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 パワーリニアリティの卓越したパワーアンプとして、注目のうちに国内に登場した2モデルのパワーアンプ6010、4010に続く、シンガポールのロバートソンオーディオ社の新製品が、このコントロールアンプ、2020である。
 基本的な設計ポリシーは、伝統的なアナログディスクをハイクォリティで再生するために、機能面を必要最少限に簡潔化した、フォノ重視型プリアンプといった性格が、このモデルの特徴である。
 剛性感のあるコンストラクションをもつ筐体は、高性能コントロールアンプのひとつの典型ともいえる専用電源部をもつセパレート型で、視覚的にもその内容に相応しく、簡潔さが本機の個性だ。
 回路構成は、MC型カートリッジ用ヘッドアンプ、フォノイコライザーとトーンコントロールやフィルター類のないシンプルな23dBのゲインをもつフラットアンプの3ブロック型である。MC入力は、負荷抵抗が100?Ωと500Ωの2段切替、入力セレクターはCD、チューナー、AUX、AVと、独立した1系統のテープ入出力端子を備える。その他、出力端子の直前に、スタンバイスイッチと名付けられた送り出しスイッチがあり、プリアンプ出力をカットアウトすることができる。
 試聴には、本来のベアである、4010か6010パワーアンプが望まれるが、都合により用意されていなかったため、とりあえず、数種の国産パワーアンプと組み合わせてヒアリングをすることにした。
 基本的には、適度にレスポンスをコントロールした、安定感のある帯域バランスをもち、音色はやや明るく一種独得のエッジの効いた、硬質な魅力をもつ音が特徴である。そのため、とかく薄く表面的な音となりやすいCDもプログラムソースとしても、比較的に音の彫りが深く、アナログディスク的なイメージのサウンドになり、この音ならデジタル嫌いのファンでも安心して音楽が楽しめるだろう。
 フォノ入力系は、低インピーダンス型MCでも、聴感上でのSN比は充分にあり、比較的に生じやすい、フォノ系の信号のCDやAUXなどのハイレベル入力系へのクロストークが少ないのが特徴である。
 力−トリッジは、AKG・P100LE、デンオンDL304、オルトフォンSPUを用意したが、安定感のある低域をベースとしたSPUの、いかにもレコードを聴いている、という実感あふれた音が、このアンプには好適の組合せである。
 CD入力は、ソ二−CDP552を使ったが、アバド/シカゴの幻想のアナログ的なまとまり、パブロの’88ベイシー・ストリートのライブホール的なプレゼンスのある力強いサウンドなど、独特の硬質な魅力は、やはり国内製品にないものだ。

H&S EXACT + EXCELLENT

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 たしかに素晴らしい鮮度の音である。あまりにも超高価格なので、かなり差し引きして聴くことになるのだが、音は確かによい。曖昧さ、鈍さなどは一切拒絶した明晰な音だが、それでいてちゃんと、ソースの柔軟でしなやかな特徴は再現する。つまり、この締まりのあるたくましい音は、決して次元の低い音色ではなく、高度な品位に裏付けられたフィデリティのなせる業らしい。完成度の点で未消化な部分もあるが、水準を超えていることは確かである。
[AD試聴]楽器の頭のアタックが印象的である。立上りの呼吸、気迫のようなものが伝わってくる。しっかりとたくましい質感のオーケストラは、輝かしいブラスの音が豪放に響き、弦の厚味が充実していて深い響きとなる。めりはりの利いた、腰の坐った安定感のある音は得がたいものだ。人の声も生き生きとしてリアルだ。ロージーの声は艶麗で輝かしい。もう少しハスキーでなよなよしたニュアンスが本当だと思うが……。ベースは重めだがよく弾む。
[CD試聴]エクザクトはフォノイクオライザーだから、これをとばして、エクセレントのCD入力でCDを聴く。ややぷっきら棒で、男性的なたくましさを感じる堂々とした音はエクザクトを通したADと共通している。エクザクトはエクセレントを併用しないと生きないだろう。CDの音に関しては、物理的特性的に最高で、どのソースにも違和感がない。相当、鮮度が高いラインアンプだし、アッテネーターなどのパーツの品位も高いことに納得させられる音だ。

ディネセン JC-80

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このアンプの音はスケールが大きく、濃やかさもあって、聴き応えがある。どちらかというと華麗な響きだが、決して品が悪くならない。ややSN比の点で不満があり、最高級アンプとしては何とかしてもらいたいところだが、この音の魅力は強烈なものがある。艶っぼく、脂ののった、血の通った音で、演奏表現が生きてくる。フェイズの優れた特性のためだろう。よく空間感や、定位が明瞭に再現され、豊かな立体感の中に明確に音像が定位する。
[AD試聴]マーラーの第6交響曲の再生音は、正しい質感とバランスだと感じた。高音弦の音は滑らかで、しなやかさを失わず、それでいて丸くなったり、鈍くなったりしない。レーグナーの演奏に共通の流麗なタッチのマーラーである。シュトラウスの「蝙蝠」における、色気のあるヴァイオリン群はひときわ魅力的であった。声も自然で、ステージ感がリアルに再現される。ロージーの声は年頃もいい線いっているし、艶っぽさ、ハスキーさもほどよいところ。
[CD試聴]CDは、このアンプのSN比がやや悪いので、不満が目立つ。音はAD同様、大変好ましいのだが、せっかくのCDの据えぬ比のよさが、曲によっては生かされない。高能率のスピーカーでは特に問題があると思われるのである。試聴でも、B&Wでは実用上差し支えなかったが、JBLだと、pppで開始のワグナーなど、どうしてもノイズが気になってしまう。大変素晴らしい音のアンプであるだけに〝珠に疵〟である。

マークレビンソン ML-7L

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプの音の品位はきわめて高い。品位が高いというのは、物理特性によるところが大きい。パーツやコンストラクションを含めて、音の実体に則した特性の洗練が生んだ結果だろう。測定データ上の物理特性の次元では、今や、品位が高いという表現が使える音になるとは限らない。この透明度の高い空間再現性、滑らかでソリッドな実在感豊かな音の多彩な再現能力は、現在の高級プリアンプの中でも傑出していると思う。
[AD試聴]マーラーの第6交響曲を聴いて、定位、奥行きの再現などが、ちょっと、他のアンプとちがうことを感じさせられた。個性としては、やや粘りっこい女性的な色合いと質感の中間ぐらいの感触が感じられて気になるが。JBLだと、より実在感が高く、眼前に屹立するようで、いわゆるソリッドな音、マッシヴな音という表現をしたくなる。B&Wでも、このスピーカーのスケールが一廻り大きくなったような音像の立体感と実在感が聴ける。
[CD試聴]CDを聴いても、ADの項で述べたような、並のアンプとは一桁ちがう品位の高い音という印象は変らない。好き嫌いは別として脱帽せざるを得ないものだと思う。質感は表面は骨らかで、しなやかで、中味はかなりつまっている感じである。ショルティのワグナーの鮮かなオーケストラには圧倒される。ベイシーのピアノの輝かしい音色、ミュート・トランペットの複雑な音色の妙と冴え、リズムの抑揚が生き生きと弾んでスイングする。

クレル PAM-3

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このアンプの音は、ややスタティックな雰囲気で、音楽の動的な表現力に乏しい。繊細柔軟な感じのする高音域の質感は、耳当りのよいものだが、解像度が甘く、緻密ではない。品のよい滑らかな音なのだがリアリティに不足するようにも思われる。他のアンプでは聴こえて、このアンプでは聴こえないように感じられる音があるのは不思議だ。聴こえないというのは印象の問題で、その音が全く出ていないというわけではない。出方の問題である。
[AD試聴]しっとりとして、滑らかな高弦が耳当りがよいので一聴したところ魅力的であった。しかし、どうも冷たく、さらさらと流れて、演奏に熱っぽさが感じられないのが気になり始めた。音色の変化にも、常に中間色的な色合いが支配的で、鋭敏とはいえない。いわゆる冴えがないのJBLでも同じような傾向で、ロージーの声も艶っぽさが不十分で、少々ドライに響く。ベースも抑揚がフラットだ。
[CD試聴]ショルティのワーグナーは開始から中低域がもっこりとした響きで冴えがない。空間のプレゼンスも透明度が劣り、細かい音場の中での奏者の動きなどが、不思議に静かになる。どっしりとした低音をベースにバランスは整っていて、B&Wではトゥッティの響きは分厚くたくましい。しかし、JBLだと様子が変り、低弦の力が不足する印象となる。ジャズは、ベイシーのピアノが、滑らか過ぎて、つるつるした質感になるのも不思議であった。

マッキントッシュ C30

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 中域から中低域、つまり音楽の最も重要な帯域が充実しているのが印象的である。オーディオは、ついハイエンド、ローエンドに気をとられ、レンジの広さを聴いてしまうのだが、同時に、そういう音のバランスの製品も多いようだ。このアンプの音は、無意識に聴いても中域が充実しているし、意識的に最高域、最低域に注意をすると、十分ワイドレンジであることがわかる。とろっとした特有の中域の魅力が、好みの分れるところでもあろう。
[AD試聴]マーラーの第6交響曲は豊かな低域と、このアンプ特有の中域の充実により、きわめてスケールの大きな、表現の豊かな再生で、いかにも〝壷にはまった〟という印象の音だった。音像のエッジがもう少しシャープだったら、全ての人を魅了するだろう。JBLで聴いたローズマリー・クルーニーの声は、今回の試聴中のベストで、ハスキーさと艶っぽさのバランスが見事であった。ベースも、捻り出すような弾み感がリアルで、よくスイングする。
[CD試聴]ショルティのワーグナーはきわめて重厚な再現で、開始は暗めのムードがよく出た。トゥッティへの盛り上り、力感も立派。アメリンクの声が、やや明るさを一点ばりのきらいなのが惜しいが、美しいことでは絶品といってよい。ベイシーの出だしのピアノのアクション感が明確に聴かれる数少ないアンプの一つである。ベースの量感は豊かだが、重く鈍くなることはない。弾みもよく、音色感の識別も明瞭である。スピーカーへの対応の変化もないようだ。

パイオニア Exclusive C5

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 端正なバランスと、木目の細かい質感の美しい音のプリアンプだが、意外に神経質な線の細さもあって戸惑わされる。これは、このアンプの繊細で、解像力のよい高域のせいだと思われる。中高域が線が細く聴こえるのだが、案外、中低の厚味不足のせいかもしれない。音は締まりすぎるほど締まっていて、ぜい肉や曖昧さがない。組み合わせるスピーカーやプレーヤーとのバランスが微妙に利いてくるアンプだろう。今回は、JBLのほうがよかった。
[AD試聴]繊細さ、鋭敏な華麗さなどの面が強調され、ふくよかさや熱っぽさが物足りない音楽的雰囲気になった。マーラーの第6交響曲も、シュトラウスの「蝙蝠」も同じような点が不満として残った。したがって、マーラーでは濃艶さが、シュトラウスではしなやかさが不十分に感じられた。しかし、緻密なディテールの再現は素晴らしく、声の濃やかな音色の変化などの響き分けなどは第一級……というより特級といってよいアンプ。ジャズでもよくスイングする。
[CD試聴]ADの線の細さは、CDではそれほど感じられない。決して豊かな肥満した音ではないが、ふくらみやボディの実感がCDのほうがよりよいようだ。ショルティのワーグナーでは、細部のディテールは当然ながら、トゥッティのマスとしての力感もよく、力強い再生音だった。これでもう少し、音に脂がのって艶っぽさが出ると最高だと思った。概して日本製のアンプにはこの傾向があり、楽器も演奏もどこか共通したところがあるのが面白い。

アキュフェーズ C-280

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 きりっと締まったテンションのある音が魅力的である。特に、その高域の彫琢の深い陰影に富んだ再現力は特筆に値する。楽器の質感が肌で直接触れるようなリアリティのある音であり、かつ、独特の効果的な色合いをもっている。リニアリティ、ダイナミックレンジなどの物理的な要素によると思われる。音の面からは完璧に近いといってよいだろう。残るは、この特有の艶っぼさと、ややウェットな雰囲気がリスナーの嗜好に合うか合わないかであろう。
〔AD試聴]オーケストラの細部のディテールは鮮明に再現され、弾力性のある、テンションのかかった緊張したサウンドが魅力的だ。マーラーの第6交響曲の色彩感は完璧にまで描かれる。ステレオフォニツクなフェイズ差による空間の再現も確かで、ステージの実感が豊かな「蝙蝠」は効果的であった。JBLでは、やや冷たい音色感となり、暖かさと丸みのある質感が不足したが、B&Wでの再生音は不満がない。ジャズは両スピーカー共、音色感が最高。
[CD試聴]優れた特性が余裕のある再生音となっていて、全ての試聴CDに対して満足のいく対応を示してくれた。ADの場合にもいえることなのだが、あまりにも明解であるため、ややもすると音楽の細部に気をとられ過ぎる傾向のある音ともいえる。JBLで聴いたカウント・ベイシーなど、やや重心が高いバランスのように感じたが、総じて、もっと図太さとか、渾然とした響きの一体感などという点の魅力が希薄なのかもしれない。

カウンターポイント SA-5

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 質感の上でも、バランスの上でも、非常に高品位なプリアンプだと思う。弦楽器の質感は特に素晴らしく、ヴァイオリン群のリアリティと滑らかな音の美しさは大変魅力的である。中低域も深々と鳴って、音の立体感が充実している。欲をいえば、もう少しエッジの鋭いシャープなダイナミズムの面への対応であろう。音の勢いといったエネルギッシュな面がやや物足りない。また細かいところの完成度にもやや不満が残る。
[AD試聴]マーラーの第6交響曲は、明晰な解像力で各楽器を克明に聴かせながら、かつ、ふっくらとした自然な質感が気持ちよく、豊かな雰囲気で全体が統一される。B&Wで聴く弦の音は美しく、ヴァイオリンのプルトがひとかたまりにならず、ちゃんと分かれ、しかも整って聴こえる。人声の質も自然で、ドライになることがないし、ステージのライヴネスも繊細な間接音の陰影までよく再現してくれた。ジャズにもう一つ、強さ、輝き、艶っぽさが欲しい気もした。
[CD試聴]CDでは、ADより強靭な音の質感があって、音の実在感がより生きてくる。それでいて、このアンプ特有のふくよかな雰囲気はなくならない。ADより一段とクォリティの高い音が楽しめるアンプである。ショルティのワーグナーが、力強さに豊かで柔らかい響きの感触が加わって、一段、品位が上がった印象であった。しかもJBLでもギスギスしないのである。音にコクがあるという感じの味わいが何とも魅力的であった。

サンスイ C-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 サイテイションXIIとは対照的な音で、こちらは重厚で粘りのあるサウンドを特徴とする。どちらかといえばウェットなサウンドの傾向である。それだけに音楽が軽薄に響くことはないが、ともすると、やや濃厚になり過ぎ、さわやかさやデリカシーが十分生きない。しかし、このボディの厚いサウンドの魅力は大きく、血の通った人間表現としての演奏の説得力に通じるものがある。十分に腰の坐った安定したバランスと弾力性ある質感は魅力的。
[AD試聴]ロージーの年増の魅力が発揮され、艶麗な表現の魅力は大したものである。また、バリトン・バスのヴォーカルも生々しく、どうやら人の声には好結果が得られるアンプのようだ。空間感は豊かだし、音の立身体感やまるみのある実感も第一級。マーラーは相当濃厚な表現で、レーグナーの流れるような素直さが、この粘りのある音とは少々異質だ。また「蝙蝠」のワルツのヴァイオリンが洒落た軽妙さを過ぎて俗っぽくなるのも不思議であった。
[CD試聴]ジークフリートのマーチの厚く柔らかい管の響きは大変魅力的だし、弦の音も十分しなやか。ショルティの演奏に肉付きが加わって豊潤になるのが、効果的であった。CDの音をドライな響きにすることがなく、むしろ、このアンプ持前の熱っぽく弾力性のある音の質感で補う方向が好ましい。ベイシー・バンドの音は、B&Wでもまずまずの再現だったがJBLでは一段と冴えて、輝きのある音色を十分聴かせる。ベースの弾みもよかった。

スレッショルド FET two SeriesII

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプの音は独特である。質感としては無機的なものではなく、暖かい肌ざわりを感じさせる面もあるのだが、音に鮮度がなく、冴えがない。高域にはかなり鋭いキャラクターがあるのだが、かといって、荒れた華麗な響きという印象にもならない。聴感上、レンジが狭いような印象も受ける。俗にいう〝ぬけの悪い音〟という印象なのである。パワーアンプでは優れた成果を上げているスレッショルドだが、プリはいつも苦戦するようだ。
[AD試聴]マーラーの交響曲では、レンジ感に不満がある。この優れた録音のワイドレンジが十分発揮されない印象だ。グランカサの低音も、つまるような感じになるし、ヴァイオリン群の音色の艶が出ない。「蝙蝠」で感じられたのだが、他のアンプより、ライヴネスの減衰が速いようで、残響時間が短くなるような感じを受ける。ジャズのほうが不満は目立たず、ベースの弾みもよいほうで、よくスイングする。個々の音色の特徴が十全に再現されない傾向。
[CD試聴]ADに於ける印象と大きく変るところはない。それぞれのCDの特徴がよく生かされない。どこといって、大きな不満はないのだが……。音色の冴えがよくないのが問題なのだろう。Dレンジの点でも、Fレンジの点でも、CDのもつ物理特性を十分カバーしていると思うのだが、いずれの音楽にも、その魅力が生きてこないのである。B&WでもJBLでも、同じような印象に終始した。

ハーマンカードン Citation XII

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 きわめて明快なサウンドで、音像のエッジがシャープ。現代的で直截的な趣きである。したがって、その反面、音楽の豊潤な味わいや、暖かい情緒的表現が希薄である。ある種のシャープな感覚一点張りの音楽には、いかにも優秀なプリアンプという印象になるだろうし、強さ、迫力、解像力という側面でのみオーディオサウンドをとらえる向きには好まれるだろう。中低域の厚み、低域の抑揚の表現が物足らない。
[AD試聴]マーラーはこのアンプで聴くと弦のプルトが少なく感じられ、ヴァイオリンが薄っぺらになる。質感が冷たく硬くなる傾向。どこか、小骨っぼい印象の音が楽曲の情趣を損ねるようだ。人の声はどちらかといえば子音強調型で、うるおいに欠ける印象。パルシヴな音に対しては鋭敏な反応をもっているようで明快に響き、気持ちがいい。しかし、その中にも、楽器の固有の厚味があってほしい。造形的だが、それが直線的に過ぎる音という印象なのである。
[CD試聴]重厚な響きや、暖かいニュアンスに不足する点はADでの印象と同じだが、それがCDでは一層強調される傾向である。ワーグナーのジークフリートのマーチでは、曲想が正反対で、明るく、さっぱりした音の雰囲気になり、分厚く濃厚なオーケストラのテクスチェアーが生かされない。これはスピーカーを変えても、パワーアンプを変えても同じ傾向だから、このプリアンプの性格だと思う。明るいパーカッシヴな音楽に向くようだ。

DBシステムズ DBR-15B

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプの音は、高音域にやや色づきがあり、中域が平板ドヘ。やや中域の盛り上ったバランスでFレンジはそれほど広帯域を感じさせない。それだけに、新鮮な魅力は感じられないが、かといって、大きな難もない。コニサー好みの回路とコンストラクションをもったアンプだが、音だけでいうと、特にとりたてていうほどの魅力は感じられなかった。比較をしなければ、それなりにかなりの水準の音を聴かせてくれるのだが……。
[AD試聴]マーラーは可もなし不可もなしといった再生音でソツのない音だった。弦の瑞々しい音も、もう一歩だし、木管の清々しさも、このレコードの実力を十分発揮していないようだ。ジャズではピアノの高域のハーモニックスが強調され気味であるし、サックスの音色も少々硬さが気になった。ベースは量的な不満はないが、弦やフレットポジションによる音程に伴う音色の変化がいま一歩明瞭ではないのが残念だ。JBLのほうが好ましい。
[CD試聴]チューナーポジションで聴くCDの音の方がADより鮮度があって、ストレートなよさがある。ただ、音楽的情趣の点で不満が出るのはADと同じ傾向である。いろいろなCDを聴いてみると、明らかに、フォノイクォライザーよりクォリティが高く、ラインアンプ系の優れていることが判る。フォノのように中域の平板な感じはないが、ピアノでは、やはり丸味のない響きが気になった。全体に丸い立体的な響きが加われば……と欲が出る。

カウンターポイント SA-3

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 ソースの魅力を、あるがままに……という言葉を使いたくなるほどストレートに再生してくれる。だから、音楽がもつ、明るさや暗さ、硬さや柔軟さ、繊細さと力強さといった対照的な情緒のいずれにも偏ることがなく表現の複雑さや幅が生きるのである。それでいてこのアンプらしいアイデンティティともいえる質感はちゃんとあって、暖かく透明である。ソリッドな実体感もある。基本的には安定した優れた物理特性に裏付けられた高品位な音。
[AD試聴]粒立ちのよさと、透明な空間感、そしてマッシヴなハーモニーの融合で、オーケストラは大変効果的で、B&Wで聴いたマーラーの第6交響曲の響きは素晴らしかった。擦弦のリアリティが生き生き再現され、演奏の動きが生々しい。木管はまろやかで透明、金管は輝かしく力強い。人の声も暖かくボディがあって、唇のぬれている質感が濃やかに聴ける。ジャズでもよくスイング感が出てベースが快く弾む。JBLだとやや硬質になり、ドライに響く。
[CD試聴]CDではAD以上の魅力を発揮する。B&W、JBL共に、ショルティのワーグナーで、緻密かつ力強いパフォーマンスに圧倒的な印象を受ける。コントラバス群の弓の動きの実感は他のアンプとは一味も二味も違う。高弦のしなやかさと肉付きもよく、決して冷徹にならない。アメリンクのステージの空間にくっきりと浮彫りになる実在感と、艶と輝きに満ちて毅然とした歌唱の姿勢が手にとるようにわかる。ジャズでも音色の響き分けが見事だ。

アキュフェーズ C-200L

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 ワイドレンジでスケールが大きく、響きのたっぷりした音。肉付き豊かなグラマーな美人を見るようだ。それも、決して過度にはならない化粧をほどこした着飾った美人である。感覚的にはこんな感じだが、ひるがえって情緒的あるいはより官能的にいえば、暖かく弾力性に富む質感で、脂肪の適度に乗った濃厚さを感じる。細身の美人とさっばりしたお茶漬け好みの人には嫌われるかもしれないが、西欧音楽を鑑賞するにはこの質感は違和感がない。
[AD試聴]マーラーは大変豪華な響きで、B&Wが大きなスケールで鳴る。高弦が艶やかでいて、木管の清涼感もよく再現される。奥行きを含めたステレオ感が豊かで厚く、「蝙蝠」のステージの大きさがよく再現される。JBLでは、やや誇張のある鳴り方で、もう少し抑制が利いて自然な慎ましさが欲しい気もした。磨きのかかった輝かしい音色が、JBLだと、やや人工的に感じられなくもない。ロージーの声は艶っぽく濃厚な味わい。
[CD試聴]フォノの音とCDの音は共通していて、濃艶な表情がCDでも感じられる。明晰な分、CDにより好ましいアンプかもしれない。線の細くなるところがないために、CDの高域が神経質に聴こえることがない。ベイシーのCDで感じたのだが、ミュート・トランペットの音が輝きはあるが、一つ鋭さに欠ける……いいかえれば、高域にもう少し硬質な響きがあってもよいのかもしれない。また、CDの低音はフォノの時より、やや重苦しく弾みが悪かった。

マランツ Sc-11

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 明るく、めりはりの利いた快い音のプリアンプである。エネルギッシュで、熱っぼい響きだが、分解能がよいため、重苦しさや、押しつけがましさはなく、溌剌とした鳴り方だ。難をいえば、やや派手な傾向が強いが、荒々しくギラつくようなことがない。B&WでもJBLでも、よくスピーカーの特徴を生かしてくれたプリアンプであった。優れた物理特性に裏付けられた音でワイドレンジだが、そうした感じが表に出ない練られた音だと思う。
[AD試聴]マーラーの交響曲の色彩感を、細部まで行き届いた照明で明確に見るような鮮かな鳴り方である。打楽器の力感や、ブラスの輝きは得意とするところである。弦の質感も決してざらつかない。J・シュトラウスのワルツのリズムに乗ったしなやかな弦の歌も美しく響いた。ロージーの声も、中庸で、ハスキーな色っぽさがほどよいバランス。JBLだと彼女が10歳ほど若返った感じだが……。ベースは重厚で、しかもよく弾んでくれるのでスイングする。
[CD試聴]このアンプはADとCDの印象が違って聴こえた。ショルティのワーグナーでは、思ったより、ブラス音が明るくなく、少しもったりと響く。ジークフリート・マーチにはこのほうが適しているようにも思うのだが、他のアンプと違う鳴り方で戸惑った。B&Wの時にこの頃向が強く、JBLではこのアンプらしい透明な響きが聴けた。この辺がマッチングの微妙なところ。ベースを聴くと低域の締まりにもう一つ欲が出る。やや空虚な響きを感じるのだ。

ビクター P-L10

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプの音はコクがある。やや押しつけがましい感じがするほどである。繊細さや透明感といった面よりも、豊かさ、粘りのある質感といった印象の強い音である。だから、人によっては好みがはっきり分かれ、くどい印象として嫌われるかもしれない。開発時期が新しいものではないが、ウォームな質感は音楽の表現にとって、最新アンプにないよさもある。濃厚な質感で決して無機的な響きは出さないのだが、それだけに、やや重苦しい感触だ。
[AD試聴]それほどレンジの広さは感じないが、音がマッシヴなためオーケストラのスケールは大きく、迫力がある。これで、各音像にもう一つ輪郭の明確な彫琢のシャープさがあればよいのだが……。マーラーの再現には濃艶な味わいを聴かせる。「蝙蝠」のステージのライヴネスの透明感が不足するので、臨場感が不足する。余韻が抑えられる感じだ。ロージーの声は、いかにも年増の濃艶な色気たっぷり。ベースは重く豊かだが、弾みは悪くないのでスイングする。
[CD試聴]肉付きのたっぷりした、グラマラスな感じのする音はCDでも共通のオーケストラなどのマッシヴな厚味がよく出て、堂々と響くのはよいのだが、もう少し、透明感が欲しい。冴えとか、さわやかさといった情趣が苦手のようだ。反面、強い説得力がある音だ。B&Wより、JBLのほうが合うようで、量感のあるふくよかな音が、JBLのシャープなエッジと結びついて効果的だ。ジャズでは特にこの傾向が強くJBLは大変よく鳴った。

テクニクス SU-A4 MK2

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 淡白な味わいで、色に例えると、明るめのグレーといった感じの音である。温度でいうと20度Cぐらい。つまり、熱っぼい表現でもなければ、冷たいわけでもない。そして、音が軽目の印象でマッシヴな実体感は感じられない。高域に独特の木目の細かさがあって繊細感があるが、迫力は物足りない。絵に例えると水彩画の味わいで、決して油絵ではない。そんな印象の音である。特性のよさは感じられるのだがエネルギー感が不足しているのだろうか。
[AD試聴]ヴァイオリン群の高域に、独特のキャラククーがあって、ある種のリアリティを演出する効果があるが、少々線が細いようだ。音の出方が平板で、立体的な丸味が感じられない。空間のイメージは透明で、決してべたつかないのだが、音に実在感が不足する。いかにも日本的な、やや動物性蛋白質の不足した感じの音だ。だから、血がさわぐ情熱的な表現は苦手だが、趣味のよい端正さが特徴。ジャズよりもクラシックの静的な音楽に向く再生音である。
[CD試聴]CDらしいダイナミックレンジの広さと、がっしり安定した音の実在感が稀薄だが、反面、さわやかで押しつけがましくない音が楽しめる。物理的なダイナミックレンジは不足するわけではなく、音色から受ける印象である。ピアニッシモの透明な残響感などの再現は大変よく、SN比のよいCDの魅力を味わわせてくれる。B&WよりJBLのほうが、このアンプの特質を補って、より表現力の豊かな方にもっていってくれる。粗さのない滑らかな音だ。