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マランツ Model 1150MKII

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 しっかりした構築のくずれない骨太の音で、高域には輝きと肉がのっていて、華麗だがヒステリックにはならない。柔らかいニュアンス、繊細な品位の高さを要求されるクラシックの室内楽などより、実感溢れた人間表現を積極的に訴えるジャズなどに、この充実したサウンドはよりぴたりとくる。たくましく華麗な音というのが、このアンプの印象だ。こういう音の質感は、好みもあろうが、音楽の大きな表現力を生き生きと伝えてくれるので私は好きである。明らかに水彩ではなく、油のタッチに近い。パネルレイアウトはかなり個性的で中域のトーンコントロールもできるトリプル・トーンコントローラーを表に出したイメージからしても、能動的にマイ・サウンドを楽しもうという人に向くアンプだという感じがする。これで弦楽器のしっとりした柔軟な味わいや、コーラスでさわやかな透明感がよく再現されれば文句はないが、そういう点では中の出来。

サンスイ AU-607

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音質は、音が空間に浮遊する様を感じさせる点では出色のものだ。空間感とか、プレゼンスとかいう表現に近いことになるのだが、それら音場を連想させるイメージに加えて、ここで感じられるのは、音像(音源でもよい)そのものの実在感に空芯のイメージがあるとでもいいたいのである。これは、決して数多くのアンプが可能にしてくれるものではないし、スピーカーでも、このイメージが出るものとそうではないものとがあると私は思っている。概して、この感覚が得られるオーディオ・コンポーネントは、かなり練りに練られた高級品にしか見当らないものなのだ。BCIIが、空気を一杯にはらんで鳴り響いているような素晴らしいソノリティが楽しめたし、4343による、ピアノやベース、そして、ドラムスの実感も相当なものであったが、欲をいえば、この空芯感と、さらに充実したソリッドな実感が調和すれば、理想的といえる。一線を超えたアンプだ。

ヤマハ CA-1000III

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音質の印象を書くのは難しい。どこといって悪いところがないと同時に、常に欲求不満を覚えるなにかがある。というより、なにかがなくて不満なのかもしれない。美しい音だし、解像力や立上りにも不満はない。つまり、試聴の際にはとっかかりとするファクターは全部合格してしまうのに、どうしてもどこかで音楽からはぐれてしまう冷たさ、質感の違和感がつきまとうのである。強いて私流に表現すると、音にエロティシズムがない。音に把まえどころのない、生命感の不足、とでもいおうか。高音域の細身の肉薄のキャラクターは弦楽器で明瞭に現われる。淡彩という感じが、CA1000以来ずっと続いていたが、たしかにMKIIIになって、弱々しいところはなくなった。しかし、音の平板な弾みのないところが、もう一つ物足りない。それ以外は客観的にいってアンプとして完璧に近い。機能、SN比、A級動作とMCヘッドアンプ、万事水準を越える性能だ。

ソニー TA-3650

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音はいい。さわやかな高音域が、プレゼンスのよい、のびのびとした音場を再現してくれる。中低域も充実していて聴きごたえがある。スペンドールBCIIの個性的魅力もよく生かし、艶ののった瑞々しい音が生きる。きちんとした音像の輪郭、大オーケストラのfffにおける乱れのない迫力、ピアニシモにおける空間感も見事であった。どんなアンプでも、音質のコントロールは作為と偶然性が相半ばするものだと思うが、このアンプのコントロールは、スピーカーを鳴らして音楽を生き生きと聴くという実体に根ざした当を得たものだと思う。目的のために技術が駆使されるべきオーディオの本質を心得て作られたアンプだという印象を強くした。フィッシャー=ディスカウの声の柔らかさと厚味、アン・バートンの舌打ちの自然な水気? なえなかリアリティがある。ピシッとガラスがわれるようなピアノのハーモニクスも手にとるように聴こえる。

パイオニア SA-8800II

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 よく出来すぎているアンプというと最高の賛辞に聴こえるだろう。実際、商品として、価格のバランスで見れば、最高の賛辞を呈してもよいと思うのだ、このアンプには……。パイオニアのアンプというのは、この点で世界一といっても過言ではないだろう。本当はこれで終り、これ以上は書く必要はないのだろうが、音や音楽というものは面白いもので、実は、ここから先が楽しいところであり苦しいところなのではないか。このアンプは、スペンドールを鳴らしても、JBLを鳴らしても、不思議に同じような音と響きで鳴らしてしまう。それは決して嫌な音でも響きでもない。いや、むしろ、快い音といえるだろう。しかし、ある種の組合せで、この二つのスピーカーが最高に魅力をたたえて鳴るような鳴り方とはちがうのである。どこも欠点はない。また、どこといってふるいつきたくなるほどはの魅力もない。このクラスの商品としてはやはり最高の商品なのだろうが……。

オンキョー Integra A-722nII

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 A5やA7の新シリーズのグラマラスな中低音、少々野放図に感じられる音より、このアンプの音は品位では勝っている。やや細身の音と感じられる部分もあるし、中音の肉付きがもう少したっぷりしていいように感じるが、このぐらいコントロールされていたほうが、端正な音楽のバランスが得られる。帯域の広さとしてはむろん、なんの不満があるわけではなく、むしろA5、A7のほうがコントロール不足のように思えるのである。弦楽四重奏に聴かれる品のよいアンサンブルのまとまりと対照的なジャズやロックの迫力と締った音の充実感は、プリメインアンプとして第一級の実力を認めてもよいだろう。不満としては、もう少々潤沢な柔らかい艶の肌ざわりを持った弦の内声部とピアノのフェルトハンマーによる打弦感がリアルに出るといいと思われるが、このアンプについては、むしろこの気位の高い端然とした響きの姿を高く評価したと思う。

トリオ KA-7700D

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 きわめてワイドレンジを感じさせる音でありながら、音楽の表現に重要な中域の充実した聴きごたえのある音。高域に独特の色彩感と触感があってリアリティを効果づけているが、プログラムソースによっては、それが気になることがある。特に弦楽器のハーモニックが味つけ過多の印象でもう少し素直に、しなやかに響くべきではないかと思う。反面、こうした特質は、管やピアノにはプラスと働くようで、艶と輝きのある音色効果は演奏表現を魅力あるもにする。余裕のあるパワーはさすがに力強く、数Wの範囲で鳴っている時でも音が締って力強い。どちらかというとソリッドな音で、空間を漂う繊細なニュアンスの再現より、実在感のある楽器の直接音の再現に力を発揮するアンプのようである。トーン回路による音の変化は少ないほうだが、やや甘く、音がひっこむ感じになる。SN比は大変よく、特性の優秀な高性能アンプの名に恥じないものだ。

ソニー TA-5650

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 価格に比してパワーは小さいが、その分中味の充実さを買ってもらおうという意図は充分達成されたアンプだと思う。実際のパワー以上の余裕ある音質感は、音楽を豊かに再生し、神経質な線の細さを感じさせない。音の立体感があって弾力性に富み、血の通った、たくましさと暖かさをもっている。空間の再現がよく、ステレオフォニックな音場がふわっと両スピーカーの間にたちこめる様は見事である。こうした豊潤な音は、私が従来のソニーのアンプに持っていた印象とは別物であり、最近の同社のスピーカーの示した変身ぶりとも相通じるものがある。無機的な響きがどうしても気になっていたソニーのオーディオ機器が、これほど人間的な値の通いを感じさせるようになったのは同慶にたえない。音楽のように人間表現そのものが生命といってよいものにあっては、こうした血の通いや心の躍動をニュアンス豊かに再現してくれるものでなければなるまい。

マランツ Model 1250

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 大づかみな音色でいえば♯1150のところで書いたことと同じ傾向だが、基本的な音のクォリティに格段の差があるとみえて、♯1150のような目鼻立ちのくっきりしすぎという感じがなく、この明るい輝かしい音色をマランツの性格として受け入れさえすれば、この音はさすがにゴージャスな気持にひたしてくれるようなぜいたく感があって、聴いていて楽しくなってくる。陰気さとかウェットという印象が全然ない。本質的に楽天的な音といえる。したがって、フィッシャー=ディスカウの声が若がえったようにきこえたり、ウィーン・フィルの音など少し明るく輝きすぎるようなところもある。が、ローコストのその手の音にありがちの上すべりするような欠点とはならず、それがこのアンプの明らかな個性といえるところまで仕上っている。グレイドの高い製品でなくては、こうは聴かせないだろう。聴き終って満足感の残る音だ。

パイオニア SA-9900

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 音のバランスの過不足なさ、というパイオニアのアンプの性格は9900も同様で、それはなにも低・中・高各音域のバランスという意味にとどまらず、音の質感、密度、力感、解像力……といったあらゆる評価項目を並べてみても、すべて中庸精神が破綻なく平衡を保っている。しかもこのクラスになれば音の質感もローコスト機とは明らかに違って、滑らかさや豊かさが自然に出てくるし、中低域での力も充実していることが、音量を上げるにつれてよくわかる。しかしふつうに聴くかぎりは、その力はあからさまにそれと感じられない程度に、十分に抑制も利いていて、どこかおっとりとかまえた音がする。そこが好感の持てるところでもある反面、このアンプでなくては聴けないというほどの魅力にもなりにくい点だ。パネルに ADVANCED MODEL というシールが貼ってあったが、初期のモデルよりも安定感のある音に仕上っていると思った。

ソニー TA-F7B

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 音の輪郭にことさらコントラストをつけて鳴らす感じ。つまりクッキリ型なのだが、その輪郭がいささか筆太で、タッチが大づかみだ。音のバランスの点では問題なくいい。ハイコントラスト型の音で音楽のディテールをはっきりくまどるのだが、黒田恭一氏流にいうと、音をあきからにするというよりもあからさまにする、という感じに近い。鳴っている音が、我もわれもと互いにかき分けて出しゃばってくるような感じで、一例をあげれば、F=ディスカウのベルベットのような声を、どちらかといえばむき出しの、やや品位の欠けた声にする傾向で聴きとれるいうように、抑えて聴きたい音もすべてさらけ出してしまうようなところが、永い時間聴いてゆくと次第にやり切れなくさせてしまう。TA5650や3650にもそういう性格はなかったわけではないが、それと目立たないくらいまでコントロールされていたので好ましかったのだろう。

ラックス SQ38FD/II

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 F=ディスカウのびろうどのようなバリトンが、いかにも血の通った暖かい声帯の湿りけを感じさせる。イタリア弦楽四重奏団のヴァイオリンやチェロが、軽やかに、そして木の胴の柔らかな共鳴音を豊かに響かせる。ハインリヒ・シュッツ合唱団のバッハの、声の溶け合いの美しさ。ラックスがこのプリメインでほとんど唯一といえる管球アンプを残している理由がはっきりしてくる。むろん、最新のTRアンプの、あの隅々まで見渡すような音のひろがりや解像力は望むべくもない。低音域では音像を甘くぼかしてしまう。旋律の動きと重なりを、一つひとつ明らかにするのではなくマッスとして、そしてどこか古めかしい、あるいは懐かしいといいたいような音で聴かせる。ただし、ポップスやジャズになると、どうひいきめにみても、平面的でつまらない音で鳴らしてしまう。クラシックを、ほどほどの音量で楽しもうというとき、いまだに貴重な存在といえそうだ。

ローテル RA-1412

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 ローテル・ブランドのアンプも、もう何年も前から本誌でたびたびテストしているが、これまではいつも水準すれすれの出来であっても、とりたてて傑出しているということはなかった。そういう印象が頭にあったせいか、このアンプから出てきた音を、一曲一曲聴き進むにつれてただびっくりして聴いてしまった。これは出来のいいアンプだ。
 まず第一に音のバランスのコントロールが絶妙だ。難しいベートーヴェン「18−4」のクヮルテット第三楽章の、トリオのハイポジションで馬脚をあらわすアンプが多いのに、ローテルはほどよく潤いを持ってしかも弦のみずみずしさを十分に保ってしっとりと響かせる。シンフォニーのトゥッティでもバランスや分解能に破綻をみせないし、菅野録音のベーゼンドルファーの打鍵音が、ほかの高級機も顔負けの美しい響きと艶を持って鳴る。ダイレクトカッティングのパーカッションも、力も密度もありよく弾む。

ヤマハ CA-2000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 1000IIIと公称出力で2割しか差がないから、理くつの上からはそんなに違いがない筈だが、たとえばダイレクトカッティングのパーカッションで最大出力まで上げてみると、1000IIIの出力計が瞬間のピークでも百二〜三十ワットで頭打ちになってしまうのに、2000の方は優に200W以上まで振り切る。聴感上からも音の伸びは格段に良い。音量を絞ったときでも、1000IIIにくらべるとひとつひとつの音がよく弾み、表情にしなやかさ、繊細さあるいは優しさがあって、総体に1000IIIよりも音楽をはるかに楽しく聴かせる。1000IIIよりも音に軽やかさがあって品位が高い。Aクラスに切替えたときの差は1000IIIよりもはっきりと出る。音の艶、ことに個人的には女声の色気がもう少し欲しい気がするものの、良い音を聴いた、という満足感に満たされるということは、たいへんなものだ。1000IIIの兄弟には違いないが、こちらの方がだいぶ出来がいいと思う。

「最新プリメインアンプ35機種の試聴テストを終えて」

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 プリメインアンプ35機種のヒアリングテストを終えた。5万円台から10万円台まで17社の製品であった。おそらくオーディオ・コンポーネントシステムの構成に、このクラスのアンプは、最も多く使われるものだろうし、メーカーにとってもユーザーにとっても、一番重要な主力製品といえるだろう。本誌がまとめた本年の1月10日現在のプリメインアンプ価格分布表を見てもその機種数は、3万円台に次いで、5、8、6万円台がそれぞれ多い。3万円台はいわゆるシスコン風のプリメインアンプとみてもよいだろうから、本格的なコンポーネントとしてのプリメインアンプは5万円台から10万円台に分布していると見てよいだろう。ごく少数、20万円台以上の製品もあるが、そのぐらいの値段になると、セパレートアンプとオーバーラップして、むしろセパレートの価格帯域と考えてよい領域に入るであろう。したがって、今回の本誌のプリメインアンプのテストは、文字通りプリメインアンプのすべてといってもよいものだし、それだけにテストに加わった一員として、その任の重さを感ぜずにはいられなかった。
 そもそも、アンプによる音質の変化というものは、その表現が大変に難しい。私の役目は、その音質の試聴感にのみ限られていて、アンプとしての操作性や、動作、総合的なデザインや完成度などといった視点からの判断は除外されているのであるが、だからといって、そうした要素を全く切り離してアンプの音だけが純粋に評価し得たとも思わない。できるだけ、そうするように努力はしたが、人間の総合感覚として、どうしても視覚的、触覚的要素を完全に切り離すことは困難であるし、また、そうすることは不自然である。ブラインド・テストという方法は、目に見える部分を無視するか、共通・同一の条件と仮定してなら意味があっても、きわめて非現実的であって、特に私個人のオーディオ感からは全く無意味である。これについて詳しく書いているスペースはないが、要は、人間を基本に考えた、生きた評価が重要で、それ以外の定量、定性的評価は測定に頼る他はない。そして、その測定の満たせない部分を、人間的に判断する意味があるからこそ、こうしたテストがおこなわれるものだと思うのである。
そんなわけで、私のテスト記は、決して機械的正確さはないことを、はっきりお断りしておきたいのである。したがって、少々極端な表現が出て支障があるかもしれないが、それは私の性質であり、癖であるとお考え願えれば幸せである。思ったことを率直に述べるのが、私の性分なので、何とぞ御寛容のほどをお願いする次第である。この種のテスト記は、筆者が、いかなる人間であるかという理解が前提になってこそ、意味があると私は思っている。狭くは、その音と音楽への思考や思想であろうけれど、本当は、人となりすべてが大きく影響するはずだ。また、それが重要だからこそ、本誌でも一人のテスターではなく、数人のテスターにやらせているだと思う。だから、テスターによって評価が異なることは至極当然であろう。ただし、大筋において、評価が一致することも当然であろう。このことに感心をもたれ、各テスターの評価を、読者諸兄なりに総合して判断されれば、参考になるではないかと思う。よくAという人とBという人の評価が全く違うから、この種のテストは信用できない、でたらめだという批判を聞くが、それはあまりにも単純だし、音や音楽と人間との関係を無視しすぎる考えだと思う。そういう考え方では、オーディオのすべてが不信の対象になってしまうだろう。本誌の愛読者ならば、そんな考えをもっておられるはずはないとは思うが、どうしても、今一度お断りしておきたい問題なのである。
 私のテストは、瀬川冬樹氏と同時におこなわれた。二人で、同時にレコードを機器、一台一台、その場で試聴記を書いて編集部に渡すという方法であった。このほうが印象が新鮮だし、あとで現行をまとめるより、率直でいろいろな思惑に悩まされることがなく、私には好ましい方法だと考えたからだ。それも、先に述べたような考えが私にはあるからであって、もっと、総合的に、それぞれのアンプに対する評価を述べるとなったら、とてもこの方法では無理であったと思われる。他の専門家による測定その他の客観的な評価と合わせて、一つの完成した評価が、それそれの読者のイメージとして把んでいただけるのではないだろう。
 次に、35機種のプリメインアンプを試聴した全体的な印象について、個々の試聴記で述べられなかったこと幾つかを、ここに記すことにしよう。
 まず強く印象に残ったことは、アンプがよくなったということである。データを見てもわかるように、諸歪率は、ほとんどのアンプが、コンマ・ゼロ何%以下という値であり、SN比も最低70dBを越えている。こうしたデータと音質の関係は、ほとんど耳で聴いて判断は不可能であるから、これをもって、アンプがよくなったと断じるのは早計かもしれないが、計測し得るデータはよいほどよいというのが私の持論だし、音質や音色の魅力は、その上でのことだと思っている。事実、ほとんどテータに変わりのない二つのアンプが、音では全く異なった印象をもつものが珍しくないのであった。アンプの音質の差というものは、たとえていうなら、人間の体質のようなもので、スピーカーやカートリッジが、人間の顔を中心とした、体形などの造形的違いとすれば、アンプのほうは、肌のキメの違い、肉のしまり具合の違い、体温の違いとでもいった印象の差として現われる場合が多い。したがって
、こうした細かい点に注意しなければ、どんなアンプでも、美人ぞろいであって、プログラムソースや、スピーカーの造形を変えてしまうようなひどいものは、今や見当らなくなったのである。そのわかり、ひと度、そうした質に感じる感性を養った人にとっては、きわめて重要な本質的な品位と性格を決定するのがアンプの音だといってもよかろう。データが一様に向上した現在も、こうした質的な違いは、すべてのアンプに残されていたのである。今や、回路図とデータを見ても、そのアンプを知ることはできない。アンプに関するそれらの資料は、見合いの相手に関する履歴書と、慰藉の診断書みたいなものだ。高調波歪0・01%とか、周波数帯域DC〜500kHzなどというデータは、見合い写真に、胃袋のレントゲン写真を見せられたようなものだ。会ってみなければわからない。聴いてみなければわからないのである。いいアンプづくりのノウハウは「優れた回路設計と同様に、部品の選び方や、シャーシを含めたコンストラクションなどの現実の工法にウェイトがある」と語った、あるアメリカの私の友人の言葉が思い出される。設計だけでは、いいアンプは出来ないというのは当り前のようであるが、従来のアンプ製造は、どちらかといえば設計に80%以上のウェイトがおかれていたのではあるまいか。建築設計というものは、工事の現場からのフィードバックが重要なプログラムであるらしい。アンプづくりと家づくりはちょうど逆の性格をもっているのではないか。設計図なしで、立派な家を建てたのが昔の大工である。現場を知らずに精密な設計図を書くのが今の建築師である。アンプでは、今までは設計図重視であった。そして、その結果の確認は、測定データであって音ではなかった。今、現場の工事が、唯一の目的である音に大きく影響を与えることが認識されはじめたのであろう。これだけ多くの大同小異のデータをもったアンプが、それぞれ異なったニュアンスで音楽を鳴らすのを聴くにつけ、アンプがよくなったという実感とともに、面白くなった、難しくなったという感慨を持ったのである。
 もうひとつ、書き落としてならないことは、新しいものが必ずしも古いものより優れていなかったということである。もちろん、なんらかの点で、より優れたものが出来たからこそ、新シリーズとして誕生するのであろうが、実際に音楽を聴いてみて、明らかに旧シリーズのほうが勝っていたと思われるものが少なくなかったのである。データ上では、新しいものは必ず改良されているのを見るとき、何か見落としてはならない大切な問題の存在を感じるのである。
 音というものは、本当に難しい。しかし、味なものである。エレクトロニクスの粋であるアンプが、こんなに音のニュアンスに噛み合ってくる事実を知るとき、電子の存在に、一段と親しみを感じるのを覚えた次第である。

トリオ KA-9300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 前の三菱DA−U850と同じく、15万円の線を越すとさすがに音のクォリティがぐんと上がる。ただし鳴ってくる音の傾向は対照的といえるほど違う。たとえば「悲愴」のフォルティシモの部分で、左右のスピーカーのあいだに最も音のよく広がるタイプのアンプであった。楽器のパートごとに空間的な距離や広がりや奥行が感じとれる。そして音の消えてゆくときの余韻が美しい。DA−U850のあとにこれを聴くと、そうか、850の鳴り方はいわば音そのものという感じで、この響きの部分が不足していたんだな、と思えてくる。9300の方は、弦の高域のしなやかな表情や、女声の艶々しさを、かなりいい感じで聴ける。ただ、弦楽器の木質の響きにもう少し自然な感じが欲しい、というように、中音域の質感にもう少し自然さと密度が加われば一層いいと思える。それにしても、音楽を聴く楽しさを味わうことのできる良いアンプのひとつだと思った。

ダイヤトーン DA-U850

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 充実感のある音だ。しかも音の質が非常に高い。変な言い方だが、金のかかったぜいたくな音、つまりローコストのアンプでは絶対に鳴らしえない立派な音のすることが、聴いていてはっきりとわかる。たっぷりと密度のある豊かで安定な音が一貫している。低音域から高音域まで、音に力と重量感を感じさせる。つまり軽々しさがない。その意味では、プリメイン型としては望みうる最高の水準の音だと思う。しかしそこで多少の好みを言わせてもらえれば、音の密度あるいは力が、すべての音をやや線を太くする傾向が、そして、音と音とのあいだに空間的なさわやかなひろがりの感じられにくい点が、私には少し重荷に感じられる。楽器の音が鳴ってホールの隅々までひろがって消えてゆく、その空間のひろがりと消えてゆく余韻の部分が、私の聴き方では少し不足しすぎるように思える。ふわっと漂う感じの音、細やかに繊細にしなやかにゆらめく音、が出にくいタイプだ。

サンスイ AU-10000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 外観はひと世代まえのシリーズの系統だが、内容は607や707の新シリーズのグレイドアップモデルだそうで、そのことは音の上にもはっきりとあらわれている。607が中高域に独特の艶と張りをもたせて表情をくっきりさせ、707はそこに密度が加わって安定感のある音を聴かせる。607ではやや目立った中高域が、ここでは逆に中低域の厚みにすっぽりくるみこまれた感じで、音に浮わついたところの全くない、坐りのよい音で聴き手をくつろがせる。プログラムソースの中でも、アン・バートンのしっとりした色気や、八城/ベーゼンドルファーの打鍵の音の芯のしっかりした、しかもえもいわれない艶を、かなりのところまで聴かせてくれた。ただ、クラシック系で、ことにスペンドール系のソフトなスピーカーを鳴らしてみると、中低域の厚みがやや鈍重すれすれという感じに近くなる。トーン及びフィルターのONでの音質の曇り方が相当に目立つのはうれしくない。

ラックス L-309V

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 ラックスというメーカーが体質的に持っている上品さ、押しつけがましさのない控えめな印象が素直に音になっている。これみよがしな、あるいは大上段に振りかぶるようなところが少しもなく、上品に磨かれた、聴き手に安らぎを与えるような渋く美しい音。粗野なところがなく、低域から高域までの全帯域を、同じひとつの質感で鳴らすので、いつまで聴いていてもどこかおかしいというような感じを抱かないで安心して楽しめる。以前の製品でともすると不足しがちだった中低域の力や音の密度も、309Vでは過不足なく具えている。こういう上品な音は、クラシックにはむろん悪いわけがなく、弦やヴォーカルを滑らかに気持よくハモらせるがピアノの打鍵やポップスのパーカッションのハイパワーでも、腰くだけにならず十分に聴きごたえのある質の高い音で聴ける。素晴らしいとまではいえないかもしれないが、飽きのこない上等の音質といえるだろう。

オーレックス SB-820

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 古い東芝時代、その後オーレックス・ブランドに改めて以来、アンプ作りはけっこう永いメーカーだが以前の製品では概して音のバランス面で注文の多かったのに対して、今回の製品では音域のバランスの点ではあまり問題はなく、聴感上のレインジの広い、力のある音を聴かせる。少なくとも大掴みな印象からは、破綻のない製品だと思う。
 ただ、これが14万円近い価格であることを前提にして、価格的に競合する他社製品を並べて聴くと、残念乍ら音の基本的なクォリティ(品位)あるいは緻密さという面で、もうひと息の磨きが足りないのか、質感に滑らかさあるいはしっとりした美しさを感じさせにくいし、いくらかきめの粗い、音と音とのあいだに何か隙間があるような、そこを潤滑油で満たしたいような、何とももどかしい感じになってくる。コンストラクションやデザインも意欲的で良心的なのだから、いまひとつ練り上がれば良いアンプになると思う。

マランツ Model 1150MKII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 ボリュウムを思い切り上げてみても、表示パワーから想像するよりも力のある音が鳴る。カチッと引締って、やや輝きが強いがファンダメンタルの音域での密度の力のたっぷりした音は一種爽快でもある。彫りの深い感じの音、あるいは目鼻立ちをことさらくっきりと際立たせるような音、といえる。ただ、それは音の基本的な性質がやや華やかであり、しかもコントラストが強い、いわば明暗の比をややきつい方向で鳴らす傾向を持っているためと思われ、ポップスのパーカッションなどは非常に輪郭の鮮明な、いかにも鮮度の高いという感じの音で鳴らす反面、クラシックのオーケストラや合唱曲で、音に一種の抑制を必要とする部分でも、そこをからっとてらいなく鳴らしすぎるようなところがある。大型スピーカーを組合せるよりも、ブックシェルフタイプの中型以下の音のややソフトなスピーカーの場合に、ほどよく音を引締めて新鮮に鳴らすという傾向のアンプだ。

ヤマハ CA-1000III

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 音の明るいこと、上品な清潔感を感じさせること、がヤマハの各機種の特徴だが、さすがに1000番のクラスになると、CA−R1で感じたような音のいささか軽すぎる不満が解消されて、密度の濃く、力もある聴きごたえのある音に仕上がってくる。ポップスのパーカッションで、一瞬のピークだが公称出力の100Wをしばしば振り切るぐらいまで音量を上げてみたが、いささかの危なげのないどっしりした音で鳴った。トーン回路やフィルターをON・OFFしても音質の変化はきわめて僅か。MCヘッドアンプの出来栄えも一応立派だ。Aクラスオペレーションの音は、瞬間切替ではほとんど差が聴きとれなかったが、長時間聴きこむときに多少の差になるのだろう。ともかく良くできたアンプといいたいのだが、2000とくらべると、どこか音に伸びきらないところがあって、音楽の微妙な表情を、やや一本調子にしてしまうような感じがあり、十分満足とはいいにくい。

オンキョー Integra A-722nII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 たとえば弦楽器の高音域から高次倍音にかけての広い音域で、いくぶん線が細くウェットだが、しなやかで艶のある音質が特徴といえる。女性ヴォーカルなど、一種なまめかしいと言いたいような艶のある声を聴かせるし、たくさんの楽器がつみ重なって強奏しているときでも、音と音のあいだに適度の空間と距離感を感じることができて、いかにも強奏している場のひろがりと奥行きがよく出る。こういう鳴り方はこのアンプ独特の魅力だと思う。反面、音楽のメロディーの音域、つまり中低音域あたりで、音の土台あるいは力として感じとれるべき音の密度が、最近の新しい製品の中に混じるとやや不足して聴こえる。ことにポップス系のパーカッションやピアノや、ウッドベースのピツィカートやエレキベースなどで、緻密な力強さや迫力が出にくい。得がたい良さを生かしてぜひともマークIIIとしていっそう磨きをかけて欲しい製品だ。

パイオニア SA-8800II

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 仮にも6万円以下で、このアンプよりも鮮度の高い音クリアーな音を、とたずねられればデンオンの501を推すだろう。いくらか線が弱くても柔らかい押しつけがましさのない音をときかれればオンキョーのA5と答える。音の輪郭の目鼻立ちのはっきりしたのが欲しい、となればトリオ7100Dが浮かぶ。
 しかし、そうしてあえて口に出すような特徴よりも、すべてのプログラムソースを、そしてどんなタイプのスピーカーやカートリッジを接いでも、一応のバランスの整った,硬すぎず柔らかすぎず、線の細くなくしかも強引でない、ウェットすぎもせずドライすぎもしない、つまり平均点で過不足のない音が欲しいというような、たとえばこれからコンポーネント用のアンプが欲しいというような人に対しては、第一に推薦できる。要するに最も中庸を得た、ある意味では絶妙なバランスポイントにまとめられた、というのがこのアンプの性格だ。

トリオ KA-7700D

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 基本的には7100Dの音とよく似ている。というよりも、この7700Dの持ち味を、半分の価格でも鳴らそうといろいろ味の素を利かせたのが7100Dの音だったのか、ということが、こちらを聴くうちに理解できた。さすがにこのクラスになると、小細工あるいは手加減で聴感上の音を整えるということはせずに、正攻法で水準以上の音を鳴らすことが可能になるために、プログラムソースを替えスピーカーを替えて聴いていっても、ソースやスピーカーによる適不適のようなものは少なく、音の輪郭のくっきりした鮮度の高い音が一貫して聴きとれる。とても生き生きと音楽の表情を生かすところがこのアンプの特徴だが、弦のユニゾンや合唱曲などで、響きをもう少し柔らかに聴かせて欲しいという気もする。ボリュウムを上げたときも絞ったときでも、ノイズの非常に少ないこと、そしてトーンをオン・オフしても音質の劣化の少ない点はさすがに高価格帯のアンプだ。