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ヤマハ NS-690, NS-690II, NS-690II

黒田恭一

ステレオサウンド別冊「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」(1982年6月発行)
「三代のNS690の音を聴く」より

 時の経過のしかたがいつでもどこでも同じというわけではない。はたしてここにも時間の流れがあるのであろうかと思えるような場所があれば、光陰矢の如しというがまさに矢の如くに時が過ぎるところもある。
 あれっ、これがこのあいだ産まれた子?──と、すでによちよち歩きをはじめた友人の子供を目のあたりにして目を白黒してしまうことがある。産まれるの産まれないのと騒いでいたのはついせんだってことのように思われるが、産まれた子はいくぶんおぼつかなげな足どりながらすでに歩いている。おそらくこっちはその分だけ老けこんでいるのであろうが、ありがたいことに自分のことはわからない。
 はやいはなしが、よちよち歩きをはじめたばかりの子供にとっての時間と四十男にとっての時間では、同じ時間でもそのもつ意味がまるでちがう。この次に会うときにはきっとあの子供も「おじちゃん!」などというのであろうが、その間にぼく自身にそれほどの変化が起るとも思えない。しかしながらぼくにおいても時間が止まっているわけではない。
 オーディオは時間に対しての変化の著しさで、どちらに近いかといえば、四十男よりよちよち歩きをはじめたばかりの子供に近い。昨日はいえなかった「おじちゃん!」という呼びかけの言葉を今日はいえたりする。つまり長足の進歩を日々とげつつある。まるでこの季節の朝顔の蔦のごとくである。
 三つのヤマハのNS690をきいて、あらためてそのことを思った。初代のNS690は一九七三年五月に発売されている。価格は6万円であった。二代目のNS690IIは一九七六年四月に発売され、6万9千円であった。三代目のNS690IIIは一九八〇年十月に発売されて、これは現役である。価格は7万9千円であるから初代NS690に較べて1万9千円高くなっていることになる。
 三代目のNS690IIIの音をきいて、なにはともあれ、あれっ、これがこのあいだ産まれた子?──といいたくなった。初代のNS690でのきこえ方と較べたときに三代目のそれでのきこえ方があまりにちがっていたからである。初代のNS690が発売されたのはいまから九年前である。わずか九年といっていいかどうかはともかく、NS690からNS690IIIへの変化は長足の進歩としかいいようがない。だまってきかされたらとても同じモデルのスピーカーとは思えないほどちがっている。
 初代から二代目、そして二代目から三代目への変化をききとるために、ここでもアバドがシカゴ交響楽団を指揮して録音したマーラーの第一交響曲のレコードをつかった。そのレコードの中でも特に第一楽章の序奏の部分にこだわってきいた。
 NS690でのきこえ方はそのレコードできける音楽的な特徴をごくあいまいにしか提示しなかった。いかなる管楽器がそこでなっているかはわかった。しかしながら、その管楽器のふかれ方までもききとれたかというと、そうとはいいがたかった。全体的に音色が暗いために、ひびきそのものの特徴があきらかになりにくいということがいえそうであった。
 音の遠近感の提示という点でもまことにものたなかった。遠い音は遠さを示す以前に弱々しくしぼみがちであった。当然のことにマーラーの第一交響曲の第一楽章の序奏でいとも効果的につかわれている遠くからきこえるトランペットの序奏などは、一応はきこえはするものの、それが本来あきらかにすべきものをあきらかにしきれていなかった。
 しがって、やはりこのスピーカーではこの種のレコードをきくのはむずかしいと、思わないでいられなかった。とりわけそのレコードの第一楽章の序奏ではさまざまな楽器が弱音であたかも点描法的にひびくが、そのひびきのひとつひとつの特徴が鮮明にならないと、そこで音楽的意味もあきらかになりにくいことがある。しかもアバドのレコードはきわだってダイナミックレンジがひろい。再生にあたってはいろいろむずかしいところがある。
 初代のNS690ではそのアバドの指揮したマーラーのレコードのよさがほとんど感じとりにくかったが、二代目のNS690IIではかろうじて感じられるようになる。それに聴感上の能率の点で二代目の方がはるかにいいように思えた。ところが、発表されているデータ上の出力音圧レベルは、初代も二代目も三代目も、90dB/W/mと同じである。もっとも同じなのは出力音圧レベルだけでなく、いずれの構成も3ウェイ・3スピーカーで、エンクロージュアも密閉・ブックシェルフ型である。再生周波数帯域(35〜20,000Hz)もインピーダンス(8Ω)もクロスオーバー周波数(800Hz、6kHz)も同じである。
 三つのNS690で微妙にちがっているのは使用ユニットと最大入力(初代が60Wで二代目と三代目が80W)、それに外形寸法(初代:W35×H63×D29・1、二代目:W35×H63×D31・2、三代目:W35×H63×D31.5)と重量(初代:22kg、二代目:27kg、三代目:27kg)である。
 しかしながら初代と二代目、さらに二代目と三代目のきかせる音のちがいは、とてもここで示されている数字のちがいどころではない。たとえばアバドがシカゴ交響楽団を指揮してのマーラーの第一交響曲のレコードに即していえば、初代と二代目ではそのレコードをきくのはいかにもつらい。それなりにそこでの音楽がわからなくはないとしても、演奏の特徴を感じとるのはむずかしい。レコードに入っている音がスピーカーの能力をこえているというそこでの印象である。音楽をたのしめるとはいいがたい二代目までのきこえ方である。
 三代目のNS690IIIになると、きいての印象ががらりと変る。むろん大編成のオーケストラの迫力を十分に示すというわけではない。もともとがブックシェルフ型のスピーカーであるから、それなりの限界はある。しかしながらフラジォレットを奏するチェロやコントラバスのひびきの特徴は十全に伝えるし、遠くからきこえるトランペットも充分にそれらしくきこえる。ききての方できこえてくる音に用心深く接しさえすれば、この三代目のNS690IIIでなら、特にダイナミックレンジのひろいマーラーのレコードもそれなりにたのしめる。
 三代目のNS690IIIをきいて、あれっ、これがこのあいだ産まれた子?──といいたくなったのは、そのためである。NS690IIIを他社の同じ価格帯の現役のスピーカーと比較すれば、またそのときであれこれい
たらぬところが気になったりするのであろうが、NS690の初代や二代目と比較したかぎりでは、この三代目の能力には驚嘆しないではいられない。
 一皮づつむいていったといういい方が適当かどうか、ともかくNS690よりNS690IIの方が、さらにNS690IIよりNS690IIIの方が音の鮮度が高くなっている。その分だけひびきの輪郭の示し方にあいまいさがなくなっている。初代のNS690のきかせる音について総じて暗いと書いたが、その暗さも二代目三代目となるにしたがって、どんどんとれていく。その変りようは劇的な変化といえなくもない。
 しかしながらNS690が発売されてからNS690IIIが発売されるまではわずか七年五ヶ月しかたっていない。オーディオをまだ育ちざかりの子供と思うのはそのためである。たったの(といっていいであろう)七年五ヶ月でこんなによくなるのかとびっくりしてしまう。
 そうはいっても値段が高くなっているではないかとお考えかもしれない。ところが一九七〇年を一〇〇とした場合の消費者物価指数は、一九七三年が一二四で、一九七六年が一八八、そして一九八〇年の三月が二三〇・九であるから、6万円から6万9千円、さらに6万9千円から7万9千円へのNS690の価格の推移は一応納得できる。
 したがってNS690からNS690IIIへの変化に認められる長足の進歩は、いわゆるお金をかけたがゆえに可能になったものというより、技術力によるものと考えるべきである。そのためにここでの変化を劇的変化と思える。すばらしいことである。一九七三年にも一九七六年にもできなかったことが一九八〇年にはできている。しばらくぶりで会った友人の子供に「おじちゃん!」といわれて感動するのと、NS690IIIのきかせる音に耳をすましてびっくりするのとではどこかで似ている。
 さらにNS690IVが登場して、NS690III以上の音をいつの日かきかせるのかどうか、それはわからない。しかしともかくわずか七年五ヶ月でこれだけのこたとを成就した技術力はすばらしいと思う。
 それにこのNS690の場合には同一モデルの改善である。そこがいい。そのときそのときでの思いつきでその場かぎりの新製品にぼくらはもううんざりである。NS690からNS690IIまでがほぼ三年,そしてNS690IIからNS690IIIまでがほぼ四年とちょっと間がある。この期間も納得できる。
 いずれにしろ成長の跡を確認するのはうれしいことである。初代のNS690の柱のキズといまのNS690IIIの背丈を較べて、いい勉強になった。

ヤマハ NS-690III, MUSIC, MUSIC ex, STUDIO ex, METAL

ヤマハのスピーカーシステムNS690III、カセットテープMUSIC、MUSIC ex、STUDIO ex、METALの広告
(別冊FM fan 33号掲載)

NS690III

ヤマハ NS-690III

井上卓也

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 ヤマハ最初の本格的3ウェイ・ブックシェルフ型として一躍脚光を浴びた、ソフトドーム型ユニット採用の完全密閉型NS690の、2度目のフレッシュアップモデルだ。ピアノ響板材料をパルプに使った新ウーファー、再設計を加えられたソフトドーム型ユニットの構成は、カラレイションがなくスムーズなレスポンスをもち、しっとりと滑らかでプレゼンスが優れる。現代の高性能アンプで駆動するソフトドーム型は新鮮な魅力だ。

Speaker System (Bookshelf type)

瀬川冬樹

続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第30項・市販品をタイプ別に分類しながら(3) ブックシェルフタイプ──日本編」より

 日本のスピーカーは、ブックシェルフタイプに限らず、ほんの数年前までは、海外での評価はきわめて低かった。というよりも、まるで問題にされなかった。アンプやチューナーや、テープデッキ等を中心に、国産のオーディオパーツは欧米で十分に認められ、むしろその価格に対する性能の良さが怖れられてさえいる中で、残念乍スピーカーだけは、高音がひどくカン高い、とか、低音が話にならない、などと酷評されていた。
 けれど、日本のメーカーの努力が少しずつ実を結びはじめて、こんにちでは、ブックシェルフ型と次の31項の超小型に関するかぎり、欧米の有名品と互角に勝負ができるまでに、性能が向上してきた。
 アメリカのスピーカーが、カラッと明るい力強さを特徴とし、イギリスのスピーカーが繊細な艶やかさと上品な味わいを特徴とする中に日本のスピーカーを混ぜて聴くと、そこにやはり日本のスピーカーだけの鳴らす音の特徴を聴きとることができる。それは、アメリカやイギリス(を含めたヨーロッパ)の音にくらべて、総体に薄味に感じられる、という点である。
 欧米のオーディオ用語の中に「カラーレイション」という表現がある。音の色づけ、とでもいった意味で、音楽の録音から再生までのプロセスで、できるかぎり機器固有のクセによる音の色づけを排除しよう、というとき、カラーレイションのない(または少ない)……といった形で使われる。この考え方は日本の専売特許のように思い込んでいる人があるがそれは違う。カラーレイションを排除すべきだ、という考え方は、欧米の文献にも一九五〇年代以前からすでにあらわれている。
 ところが、日本の一部のオーディオ関係者や愛好家の中には、欧米の音は色づけが濃くて、日本の製品こそ、真のハイファイ、真のアキュレイトサウンドだ、とかたくなに信じている人がある。しかし自分自身の匂いは自分には感じとれないと同じ理由で、日本の音を聴き馴れてしまった人には、日本の音こそ無色に感じとれてしまうだけの話だ。フランスの国内専用の旅客機に乗ったとたんに、チーズの匂いに似た強い香りにへきえきしたことがあったが、たぶんフランス人にはそんな匂いは感じとれないだろう。そして、少し長い海外の旅をして日本に降りたったとたんに、日本という国独特の、まるでタクワンのような実に奇妙な匂いが感じる一瞬がある。
 それと同じことで、欧米のオーディオ専門家に日本のスピーカーを聴かせると、いろいろな表現で、日本のスピーカーがいかに独特の個性を持っているか、を彼等は語る。つまた日本のスピーカーもまた、決して無色ではないのである。
 しかしそういう前提をした上で、少なくとも無色を目指して、メーカーが真剣に作った製品の中に、国際的に通用する立派な製品が出てきたことはたしかだ。その代表が、たとえば18項でもとりあげたヤマハNS1000Mだが、そのヤマハではむしろ、NS690IIのほうが、いっそう日本らしいスピーカーといえそうだ。これを目ざしたライバルのビクターSX7IIとオンキョーMX7は、ヤマハよりやや味が濃いがそれぞれに完成度の高い中堅スピーカーといえる。ビクターのSX3/IIIはその弟分としてローコストの代表機。そのライバルのデンオンSC104II、そして新製品のラックスMS10、トリオのLS202がこれからの注目製品だろう。

ヤマハ NS-690II

菅野沖彦

ステレオサウンド 51号(1979年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」より

 いい意味での日本的な良さをもった数少ないものの中の一つだと思う。淡泊な美しさの中に透明な味わいがあり、品のいい音を再生してくれる製品だ。

ヤマハ NS-690II

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

ソフトドームのしなやかで密度が濃い音をもちバランスの高さが魅力。

ヤマハ NS-690II

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 日本の音、と表現してきたNS690の改良型で、一段の芯の強さ、張りが加わった。特有の美しさは、さらっとして暖かく、穏やかなサウンドを特長としている。どちらかといえば、淡彩で,油のようなこくはない。バランスはじつによくとれていて、3ウェイのコントロールは見事である。

ヤマハ NS-690II

瀬川冬樹

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 名作とか名器といった表現をやたらに使うのは嫌いだが、NS690IIにはこの賛辞を呈するに少しもためらう必要がない。マークIIでない方には、優しく繊細な良さがあったが、II型ではいっそう逞しさを加え、音楽のジャンルに選り好みの少ない、バランスのとれたスピーカーシステムに成長したと思う。

ヤマハ NS-690II

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このシステムは、6万円台のスピーカーシステムとして代表的な存在であった、NS−690をベースとして改良が加えられた第2世代のスピーカーシステムである。
 外見上では、レベルコントロールの下にヤマハのバッジが付いた以外には、あまり変化はないが、各ユニットは、全面的に変更してあり、結果としては、モデルナンバーこそ、NS−690を受継いではいるがまったくの新製品といってもよいシステムである。
 ウーファーは、NS−1000系のマルチコルゲーション付コーンが採用してあるのが変った点である。サスペンションではエッジがウレタンロールエッジとなり、ダンパーの材質と含浸材が新タイプになった。また、ボイスコイルボビンは、220度の耐熱性をもつ米デュポン社製ノーメックスとなり、磁気回路では、低歪対策として、センターポールに銅キャップが付いた。
 スコーカーは、トゥイーターともども、新しい振動板塗布剤が採用され、ボイスコイル接着剤の耐熱性が改善されている。トゥイーターでは、ボイスコイルに熱処理が施され、スコーカー同様に耐熱性が高くなっている。
 エンクロージュアも、全面に高密度針葉樹系パーティクルボードを採用し、ウーファー背面にNS−10000同様の補強板を付けてあり、重量が単体で、NS−690にくらべ、36%重い、18・5kgになっている。
 NS−690IIの音は、基本的には、NS−690を受継いでいるが、低域が充実して、安定感を増したために、全体に、音の密度が濃くなり、ユニットの改善で、音伸びがよくなったために、トータルのグレイドは、かなり向上している。

ヤマハ NS-690(組合せ)

岩崎千明

コンポーネントステレオの世界(ステレオサウンド別冊・1976年1月発行)
「スピーカーシステム中心の特選コンポーネント集〈131選〉」より

 ヤマハのスピーカーの名声を決定的にしたのがこのNS690だ。あとからのNS1000Mが比類ないクォリティで登場してきたので、この690、やや影が薄れたかの感がなきにしもだが、やや耳あたりのソフトな感じがこのシステム特長となって、それなりの存在価値となっていよう。30cm口径の特有の大型ウーファーは、品の良さと超低域の見事さで数多い市販品の中にあって、最も品位の高いサウンドの大きな底力となっている。ドームの中音、高音の指向性の卓越せる再生ぶりは、クラシックにおいて理想的システムのひとつといえる。このヤマハのシステムの手綱をぐっと引きしめたサウンドの特長が大へん明確で組合せるべきアンプでも、こうした良さを秘めたものが好ましいようだ。
 ヤマハのアンプが最もよく合うというのはこうした利点をよく知れば当然の結論といえ、CA1000IIはこうした点から、至極まっとうなひとつの正解となるが、あまりにもまとも過ぎるといえる。その場合、ヤマハのレシーバーがもうひとつの面からの、つまり張りつめた期待感と逆に気楽に音楽と接せられる、ラフな再現をやってのける。

スピーカーシステム:ヤマハ NS-690 ¥60,000×2
プリメインアンプ:ヤマハ CA-1000II ¥125,000
チューナー:ヤマハ CT-800 ¥75,000
プレーヤーシステム:ヤマハ YP-800 ¥98,000
カートリッジ:(プレーヤー付属)
計¥418,000

ヤマハ NS-690

井上卓也

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 スッキリと適度の緊張感を伴った音をもっている。低域の伸びも、よいタイプで、ある程度以上のパワーのあるアンプと組み合わせたい。プログラムソースの幅も比較的広い。

ヤマハ NS-690

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 日本の生んだ中級ブックシェルフの中でも、注目に値する力作。やや生真面目なところはあるが、ひかえめでバランスのいい、繊細な音は、永く聴いてその良さのわかる本物。

ヤマハ NS-690

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLのL26〝ディケード〟とほとんど前後して発表されて、どちらが先なのかよくわからないが、むしろこの系統のデザインの原型はパイオニアCS3000にまでさかのぼるとみる方が正しいだろう。最近ではビクターSX5や7もこの傾向で作られ、これが今後のブックシェルフのひとつのフォームとして定着しそうだ。NS690はそうしたけいこうをいち早くとらえ悪心つも含めて成功させた一例としてあげた。

ヤマハ NS-690

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 総体に冷たい肌ざわりの音だがバランスが実に良い。ことに、国産スピーカーの大半の弱点である中低音域、言いかえれば音楽の最も大切な支えとなる音域の濁りがなく、抑えた鳴り方ながらシンフォニーの内声部もきちんと出てくるしチェロの唸りなどなかなか快く、ピアノのタッチ、ことに左手の強靭な響きもよく再現され、広い音域全体に品位の高い引き締った音質であらゆる音楽をクリアーに美しく聴かせる。能率の比較にしばしば参考としたスキャンダイナA25MkIIが、音質の点でもかなり高額の国産品より優れて聴こえていたのに、NS690と並ぶとさすがに、レインジの広さやスケール感や、緻密さ・芯の強さなどの点では劣って聴こえはじめる。ただ、ロー・エンドとハイ・エンドとにやや抑えの効かない部分があって、それが引き締めすぎとも感じられる生真面目な鳴り方に適度の味つけをしているとも言えるが、反面、低音楽器やややふくらませすぎたり高域のハーモニクスにトゲが立ったように聴こえる部分もあって、無条件で特選に推すにはもう一息の練り上げを望みたい。しかし2号にわたるテストを通じて綜合評価に4点を入れたのは国産ではこれ一機種である。パワーにも強い。

周波数レンジ:☆☆☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆☆
解像力:☆☆☆☆
余韻:☆☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆☆

ヤマハ NS-690

菅野沖彦

スイングジャーナル 10月号(1973年9月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ヤマハがコンポーネントに本腰を入れてから開発したスピーカーは、どれもがヤマハらしい、ソフト・ウェアーとハード・ウェアーのバランスのよさを感じさせるものが多い。このバランスがもっとも強く要求されるスピーカーの世界で、同社が優れた製品を生みだしているのは同社のそうした体質の反映と受け取ることができるだろう。
 かつて好評を得たNS650を頂点とする三機種のシリーズ、つまり、NS630、NS620に続いて、そのアッパー・クラスのシリ−ズとして開発されたのが、NS670、NS690という新しい製品である。前のシリーズとはユニットから全く新しい設計によるものであって、今回の2機種は、いずれも、高域、中域にソフト・ドームのユニットをもつ3ウェイ・システムである。エンクロージュアーは完全密閉のブックシェルフ型であって当然、アコースティック、エア・サスペンジョン・タイプのハイ・コンプライアンス・ウーファーをベースとしている。
 今月号の選定新製品として取上げることになったNS690は、もうすでに市販されていると思うから、読者の中には持っておられる方もあるかも知れないが、ごく控え目にいっても、国産スピーカー・システムの最高水準をいくものであり、世界的水準で見ても、充分このタイプとクラスの外国製スピーカーに比肩し得るものだと思うのである。
 世界的にブックシェルフが全盛で、しかもソフト・ドームが脚光を浴びているという傾向はご承知の通りであるが、このNS690も、よくいえば、そうしたスピーカー技術の脈流に乗ったもので最新のテクノロジーの産物であるといえる。しかし、悪くいえば、オリジナリティにおいては特に見るべきものはない。ヤマハはかつて、きわめてオリジナリティに溢れた平板スピーカーなるものを出してオーディオ界に賑やかな話題を提供したメーカーであり、独自の音響変換理論をアッピールし、しかも、これをNS、つまりナチュラル・サウンドとうたって、同社の音の主張を強く打出したメーカーであることは記憶に新しい。その考え方には私も共感したのだが、残念ながら、その思想は充分な成果として製品に現われたとはいえなかった。しかし、欧米の筋の通った一流メーカーというものは、自分の主張を頑固なまでに一貫し、これに固執して自社のオリジナリティーというものを長い時間をかけて育て上げていくと、いう姿勢があるのだが、この点で、ヤマハがあっさりと世界的な技術傾向に妥協したことは、精神面において私の不満とするところではある。だからといって平板を続けるべきだというのではないが……。もっとも、これはヤマハに限らず、全ての日本のメーカーの姿勢であって、輸入文化と輸入技術の王国、日本の体質が、そのまま反映していることであって、同じ、日本人の一人としては残念なことなのであるがしかたがあるまい。無理矢理なオリジナリティに固執して、横車を押すことの愚かさをもつには日本人は利巧すぎるのである。したがって、このN690も、これを公平に判断するには日本の製品という概念をすてて、よりコスモポリタンとしての見方をもってしなければならないだろう。そしてまた、世界的な見地に立って見るということは、専門技術的に細部を見ることと同時に、より重要なことは、結果としての音を純粋に感覚的に評価することになるのである。
 このスピーカーの基本的な音としての帯域バランス、歪の少ない透明度、指向性の優れていることによるプレゼンスの豊かさと音像の立体的感触のよさなどは、まさに、世界の一流品としてのそれであると同時に、その緻密なデリカシーと、一種柔軟な質感は、日本的よささえ感じられるという点で、音にオリジナリティが感じられる。これは大変なことであって、多くの日本製スピ−カーが到達することのできない音の質感と、それとマッチした音楽の優しさという面での細やかな心のひだの再現を実現させた努力は高く評価できるものだ。反面、音楽のもつ力感、鋼鉄や石のような強靭さとエネルギッシュで油っこいパッショネイトな情感という面で物足りなさの出ることも否めないのである。私の推量に過ぎないが、これは中、高域にソフト・ドームを使ったシステムの全てがもつ傾向であるようで、これが今流行のヨーロッパ・トーンとやらであるのかもしれないが……?