黒田恭一
サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より
これもまたアメリカのスピーカーであるが、エレクトロボイスは、アメリカのミッド・イーストを代表するメーカーである。このスピーカーのだす音を、ほんの1分もきけば、そのことは、誰にでもわかるはずである。ひとことでいうと、都会の音──とでもいうことになるであろうか。辛口の音である。ウェストコーストを出身地とするスピーカーの、あのあかるく解放感にみちみちた音とは、ひとあじもふたあじもちがう音である。同じアメリカのスピーカーでも出身地がちがうのであるから、JBLやアルテックをきいたレコードとはちがうレコード、つまりビリー・ジョエルやトーキング・ヘッズのレコードを、かけてみた。
ビリー・ジョエルやトーキング・ヘッズのレコードをきいてみて、なるほどと納得のいくことが多々あった。トーキング・ヘッズの音楽のうちの棘というべきか、鋭くとがったサウンドを、このエレクトロボイスのスピーカーは、もののみごとに示した。もし、時代の影といえるようなものがあるとすれば、そのうちひとつがトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』できける音楽のうちにあるのかもしれない。そういうことを感じさせる、このエレクトロボイスのきこえか方であったということになる。
ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』は、音楽の質からいっても、性格からいっても、トーキング・ヘッズのレコードできけるものとずいぶんちがうが、きこえた音から、結果的にいえば、似たところがあるといえなくもない。つまり、リズムの示し方の、切れの鋭さである。いや、もう少し正確にいえば、リズムの切れが鋭く示されているというより、リズムの切れが鋭く示されているように感じられるということのようである。
そのように感じられるのは、おそらく、このスピーカーの音が、ウェストコースト出身のスピーカーのそれに較べて、いくぶん暗いからである。
しかし、音が暗いといっても、このスピーカーの示す音には湿り気は感じられない。音は充分な力に支えられて、しゃきっとしている。ひびきの輪郭がくっきり示されるは、そのためである。
ハーブ・アルバートの『マジック・マン』のきこえ方などは、まことに印象的であった。アルバートによるトランペットの音がいつになくパワフルに感じられた。トランペットの音の直進する性格も充分に示されていたし、リズムの切れもよかった。音場感的にもひろがりがあってこのましかった。ただ、ひびきが、からりと晴れあがった空のようとはいいがたく、いくぶんかげりぎみであった。そういうことがあるので、ウェストコースト出身のスピーカーできいたときの印象と、すくなからずちがったものになった。
こうやって考えてくると、このスピーカーの魅力を最大限ひきだしたのは、どうやら、トーキング・ヘッズのレコードといえそうである。そこで示された鋭さと影は、まことに見事なものであった。
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