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「マッキントッシュ論 あるいは友人ゴードン・J・ガウを語る」

菅野沖彦

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・マッキントッシュ」(1976年発行)
「マッキントッシュ論」より

「マッキントッシュ論」という、本来きわめてかたい文章を引き受けたわけだが、私はどうもこれから、〝友人ガウを語る〟というにふさわしい文を書いてしまうような気がする。というのも、私がこれほどまで深くマッキントッシュを知り、また知ろうという気持になったのは、ゴードン・J・ガウという一人の男を知ったからであり、その男の魅力にひかれたからでもあるからなのだ。
 彼は現に、マッキントッシュ社の頭脳でもあり行動そのものでもある。すなわち、ガウを語ることは、そのままマッキントッシュ社を語ることであると、私には思えてならないのである。
 私がマッキントッシュ社をはじめておとずれたのは、1969年早々だった。ちょうど、同社のトランジスター・アンプが評価を得たころだったと思う。私はその製品の美しい魅力にひかれ、こういうものを作る会社は、一体どんな会社だろう、という期待に満ちて、マッキントッシュ社をたずねる気になったわけだ。
 マッキントッシュ社は、ニューヨークのマンハッタンから、当時はプロベラ機で40分ほど、やや西に飛び、有名なナイアガラ・フォールスとマンハッタンの中間ぐらいに位置する、ビンガムトンという小さな町にあった。
 小高い山の頂上を削って出来た飛行場からは、美しいビンガムトンの町全体が、見渡せるほどの感じだった。
 その空港で、一人の小柄な紳士が私を迎えてくれた。小柄とはいっても大変に精桿な印象で、しかも、体に似合わない非常に大きな声で、明るくあいさつをしてくれた。「おれはゴードン・ガウという者だ」
 もちろん私は、彼がどんな人物なのか全く知らなかった。そればかりか、彼がさしだした名刺を見ても、この人がマッキントッシュの中心人物であることを、知ることはできなかった。なぜなら、彼の名刺にはなにも書いてない。そこにはただ、ゴードン・J・ガウ、マッキントッシュ・ラボラトリー・インコーポレイテッドとだけしか書かれていない。これは後で知ったことなのだが、マッキントッシュ社の人々がもつ名刺には、どれも肩書きがないのだ。いや、肩書きがないというよりも、彼等は、肩書きとして書くべき地位をもっていないというべきだろう。ともに仕事をする人間関係に対する、マッキントッシュ社のユニークな考え方が、ここにあるのだが、その話はあとにゆずろう。
 そして、これも次第にわかってきたことなのだが、空港で私を迎えてくれたガウ氏が、これからお話をするマッキントッシュの中心人物で、マッキントッシュ製品のすべてを手がけ、創業以来、製品づくりから製品の売り方まで、すべてのことをやってきた人物だったわけである。
 そのときの私の印象では、彼は、それほどの年配でもなく、いわゆる大ボスという風格をもった人ではなかった。ただ、精桿な面構えで、現役バリバリの技術部長というふうな感じを私は受けた。
 彼の運転するクライスラー・インペリアルで、空港のある山頂から町へおりたわけだが、それは、緑の多い、すばらしい景色だ。彼はそのときこんなことをいった。「これはリンゴの木だ。これはマッキントッシュ・アップルというリンゴの木なのだ」と。もっとも、マッキントッシュ社と関係があるのではなく、偶然のことであるらしい。
 やがて、木の間がくれにサスケハナ川の両側に拡がる、ビンガムトンの小ぢんまりとした愛らしい町並みが見えはじめた。
 実のところ当時の私は、アメリカのアンプ工場で、文字どおりのクラフツマンシップを目にするとは、考えてもいなかった。アメリカに対する漠然たる認識は、マスプロダクションにほかならなかったからである。しかし、ビンガムトンのその工場では、まさにクラフツマンシップが展開されていたのである。どこを見まわしても、ベルトコンベアーらしきものは見当らない。当然そこでは、一人のワーカーが非常に多くの作業を受け持っている。一台のアンプは、せいぜい数ブロックに分けられる程度であり、多少オーバーな言い方をすれば、まさに、一人で作っているのだ。
 さらに、もう一つ驚かされたのは、日本のメーカーなら当然、専門の下請工場へ出すべき部分まで、すべて自社生産である。シャーシの板金、メッキ、塗装、そしてあのグラスパネルのシルクスクリーン・プロセスまで。もちろん、マッキントッシュ・アンプの心臓部であるユニティーカップルト・トランスフォーマーも、自社で巻いている。大変に年配の人が、せいぜい三人ぐらいで……。
 こういう一貫生産という姿、これは日本人の私達でさえ、すでに忘れかけていたものだった。さらにもう一つ、私が今でもはっきりと印象に残っている光景があった。それは、工程から工程へ移るとき──マッキントッシュの製品はご存知のように、ガラスパネルもメッキ部分も、すべてピカピカであり、その美しいフィニッシュを得意としている──必ずクロスですべての部分をピカピカに磨きあげて、次の人に渡す。当然、次の人はそれを受け取り、自分の手あかをつけるわけだが、自分の仕事が終った後、また、ピカピカにして次の人に渡す。
 私の「なぜだ」という質問に、ガウ氏は笑いながらこう答えた。「別にわれわれが強いてこうしろと言っているのではない。自分達が作っているものを大切にする気持が、自然にあらわれているんだ。ここで彼等がふくたびに、きっとマッキントッシュ・スピリットが入ってゆくんだろうな」と半分冗談まぎれに……。
 しかし、私にとってその光景は大変に印象的であり、なるほど、文字どおり手塩にかけて作ってゆく商品は、どこか違うはずだ、という感じをつくづく持ったのを覚えている。
 そして、その後、何回マッキントッシュの工場をたずねても、ごく最近では今年の6月におとずれた時でさえ、その物づくりの徴密さという点は、全く変っていなかったのである。
 マッキントッシュ社のクラフツマンシップが、いかに根強いものであるかを証明する一つの材料として、ガウ氏が話してくれた次のようなことが思い当る。
 それは、マッキントッシュ社の人間関係についてだが。
 アメりカという国はご承知のように、雇用関係がきわめてドライな国であり、昨日までGMの社長が、今日からフォードの社長になるといったことも、けっして珍しくない。こうした風土に生まれたマッキントッシュ社は誕生時10人のメンバーでスタートしている。
 誕生から30年近くを経た現在では、600人とかいう数になっているわけだが、スタート時の10人のうち8人が、今でも同社で働いているのである。これは恐らく、雇用関係が義理人情でしばられやすい日本でさえも、ちよっと珍しいことではないだろうか。
 何かでしっかりと結びついているに違いないこの人間関係が、私にはマッキントッシュ社のクラフツマンシップと、無関係に考えることのできない、重要な事実のように思えるのである。
 そしてさらに、前記した、名刺に肩書きがないということも、緊密な人間関係と、緻密なクラフツマンシップに深いかかわりを持つのではないだろうか。
 人間に肩書きをつけないという方針は、まさにガウ氏の考え方であり、彼はそのことについて次のような話をしてくれた。
「人間にタイトルをつけるということは、大変に人間を侮辱することなのだ。一体、誰が誰にタイトルを与える権利があるのだ。人間はタイトルによって働くものだと、今の会社組織は思っているようだが、とんでもない。タイトルを与えれば、タイトル以外のことはしなくなる。部長とか課長とかいうタイトルは、与えるものではなく、自分がつくるものである。リーダーは上の人が任命するのではなく、下の人が自然につくりだすものではないか。フォロワー、つまり、従う人間があってはじめて真のリーダーたり得るはずなのだ」
 この考え方を、マッキントッシュ社では現に実行している。だから、社長であるはずのマッキントッシュ氏をはじめ、ガウ氏、さらに現場の一技術者に至るまで、名刺だけに肩書きがないのではなく、定められた地位や仕事のわくにしばられていない。全く、彼等からもらった名刺からは、誰が何をしているのかわからないのである。
 人間同志の緊密なつながりを最も尊ぶこの考え方は、マッキントッシュの社内の人間関係だけにはとどまっていないようだ。これは、方針といったものではなく、マッキントッシュ社の体質なのである。 その具体的なあらわれを、私はいくつか知ることが出来たし、私自身も経験した。
 これは、前記したマッキントッシュ社がすべてを一貫生産する、ということにもかかわる話なのだが。マッキントッシュ社の中には印刷工場まであり、カタログや宣伝物まで、すべて自分達の手でつくっている。もちろんこれには、彼等なりの経済的な理由もあるのだが、それよりも、この機構が、ユーザー一人一人を直接マッキントッシュ社と緊密に結びつける上で、重要な働きをしている。
 というのも、マッキントッシュ社は、いわゆる雑誌広告とか、どこかへ広告を出すとかいったアドバタイジング活動は一切やらない。それに代えて、あくまでも厳選した販売店ごとの新製品の紹介も含めた販売店ニュース的なものや、自社製品のダイレクトメールなどを、この印刷工場で印刷し、販売店にかわって、全部ZIPコードをつけお客のところヘダイレクトで送る。ユーザーに直接コミュニケーションするための機構として、この印刷工場はフルに活動しているわけである。
 もちろん、ここでは自社製品の説明書やカタログなども印刷しているわけだが、そうしたものも、外部に依頼すると必ず種々のトラブルが生じ、結果的にサービスの低下につながる、という。そして「この方式が、ユーザーからも販売店からも、最も信頼され、かつ効果的な方式である」とガウ氏は言った。
 マッキントッシュ社が、自分の責任、自分のオリジナリティをきわめて大切に、しかも、緊密な人間関係を重視していることの、一つのあらわれではないだろうか。
 さらに、ユーザー一人一人とマッキントッシュ社を強く結びつけるものとして、クリニックカーによるマッキントッシュ・クリニックのシステムがある。
 マッキントッシュ社では、今、申し上げたようなシステムによって、どの地区にどれだけのユーザーがいるということを、はっきり掴んでいるわけである。したがって、それに応じ、クリニックカーが定期的に順回してくる。もちろんそこでは、マッキントッシュのすべての製品を、また、他社製品でさえ、フリーで測定し自社製品は無料で修理するという、きめの細かい活動が行なわれるのである。
 このことは、今申し上げている、ユーザーと直接、緊密なつながりを持つという事のほかに、もう一つ、マッキントッシュにとって重要な意味を持つ。それは、マッキントッシュの製品はすべて開発段階で、将来ともにフリー・オブ・チャージでサービス出来るという、条件をそなえていなくてはならないことになるわけである。製品開発の基本的な姿勢をここに置く、ということが条件づけられるわけなのだ。現にそれは守られている。
 マッキントッシュ社がこのように、社内の人間関係を大切に考え、かつユーザーとの緊密なつながりなど、あくまでも心のかよったあたたかさですべてを通している根底として、私は、マッキントッシュ氏とガウ氏、この二人の人柄と友情を無視することは出来ないと思う。
 とにかく二人とも、本当にいい人なのだ。だから、先ほども述べたように、この緊密な人間関係は、けっして方針ではなく体質に違いないと思うのである。ことに、この二人の仲の良さ、友情の深さは本当に驚くばかりだ。二人がマッキントッシュ社をはじめて、すでに30年を経過するわけだが、お互いに、本当に信頼し合っていなくては、こうした関係がこれほどの期間つづくものではない。
 会ってみると、二人とも実に頭のきれる人で、しかも人間的な魅力があって、明るく豪快。そして、そのホスピタリティのすばらしさには、ただ、驚くばかりである。とにかく彼等は、皆で飯を食い、飲むということが大好きである。それも、こちらがとまどうばかりに、実に綿密な計画と準備万端で客を迎える。私はその後、しばらくは毎年行ったのだが、こんなにしてもらっていいのだろうかと思ってしまうほどだった。ある時は私達のテーブルに、アメリカと日本の小さな国旗をかざり、ある時は、日本からのお客様だからといって、どこで探したのか、日本の菊の花をいっぱいにかざる。滞在中は二度と同じ所で食事をさせない。ある時など、ニューヨークへの定期便が時間的に都合悪くなると、「われわれの方でチャーターしてあげる」といって、チャーター機を用意してニューヨークまで送ってくれたりもする。
 そう、その時の話がいかにもガウ氏の人柄をしのばせるので紹介しよう。
 空港まで送ってくれたガウ氏は、そこで自分のしていた「マッキントッシュ」のネクタイピンをはずし、これをあげると言って私のネクタイにさした。しかし、私は以前にもらったことがあったものなので、機内に入ってから同行のN君に、「君にやるよ」と言ってネクタイにつけさせたわけだ。やがてニューヨークに着いた私達の前に、ショファー・スタイルの一人の男があらわれ、N君にこう問いかけたのである「あなたはミスター・スガノであるか」と。ネクタイピンは目印だったのだ。
 迎えのリムジンでホテルまで送られながら、私は何ともいえないあたたかいものを感じた。おそらくガウ氏は、私達を送り出すとすぐに、ニューヨークに電話をして迎えの手配をしたのだろう。そして今頃、空港の迎えに驚いている私を想像しながら、楽しんでいるに違いない。彼はそういう男なのだ。
 ガウ氏はよくこう言う。「われわれは高い広告費を払って広告はしない。その費用があったらそれは研究開発に回す。また、こうして話しながら食事をしたり飲んだりする方が、はるかにマッキントッシュを理解して考えられるではないか。一人一人のユーザーにまでそれは出来ないが、考え方は同じだよ」
 でも、この言葉は半分うそであろう。彼のホスピタリティは営業的政策以前のものである。それは彼の体質である。彼は客をもてなす事を、彼自身、真に楽しんでいるのである。彼はそういう男である。だから、そこで本当に心が通じ合うのではないだろうか。
 マッキントッシュ社は、正式には「マッキントッシュ・ラボラトリー・インコーポレイテッド」という。オーナーのフランク・H・マッキントッシュ氏は、以前、ワシントンで放送機器関係のコンサルタント業とともに、FM放送のサブキャリアを使った、バックグラウンド・ミュージックの仕事をしていた。ガウ氏は、そのときエンジニアとしてマッキントッシュ氏に雇われたのである。
 彼に与えられた仕事は、BGMの音質を改良することであった。彼はそこで、こつこつとアンプを設計したり、手づくりで製造していたという。
 彼が、より良い音のアンプを作るために、一番気になったことは、プッシュプル回路のノッチングひずみであった。それまでの標準的なプッシュプル回路では、どうしてもBクラスのノッチングひずみが出てくる。しかし、Aクラスではあまりにも効率が悪すぎてコマーシャルベースに乗りにくい。Bクラスのエフィシェンシーを持ち、かつ、何とかノッチングひずみをへらす方法を考えたいと、研究を重ねたわけである。
 このノッチングひずみについては、1936年にペン・タン・サーという人が、すでに問題を提起していたが、ガウ氏が非常に印象を受けて、自分の研究の刺激になったのは、フレッド・ターマンというオハイオ州立大学の教授が発表した論文であるとの事であった。彼がまず取り組んだ回路は、シングルエンディット・プッシュプル、すなわちSEPP回路によるひずみの低減であった。その結果ぶち当った問題が、今度はアウトプット・トランスフォーマーということになったわけである。それまでのトランスでは、どうしてもある程度以上にひずみを減らすことは出来なかったわけだ。
 とにかく彼は、入出力のリニアリティを上げるために、コア材と巻き線の両面で非常に苦労をした。とくにコア材に関しては、フラックス・デンシティとコイルの磁力がリニア関係をもつものが、全くなかったという。彼はいろいろなコア材の研究をした結果、グレイン・オリエンテッド・シリコン・スチールという鋼材が、きわめて良好な結果をもたらすことを発見した。これを具体的に採用したのが、ウエスティングハウスの開発に成るハイパーシル・コアというものであった。
 一方、ワインディングすなわち巻き線に対しても、彼は多くの研究を重ねている。その結果得たものが、現在のバイファイラー・バランスド・シンメトリックという、つまり、1次線と2次線をパラレルにして同時に巻いてゆく方法なのだが、これに至るまでに、実にあらゆる方法を実験したそうである。 たとえばその一つは、実に58ものタップが出るコイルであった。普通のトランスでは五つか六つのタップであるが、それが58もあったわけだ。彼は苦心して作ったハイパーシル・コアに、58ものタップをもつコイルを巻いた試作品を作り、マッキントッシュ氏に見せた。その時マッキントッシュ氏は「これは大変にすばらしい、しかし、一体いくらにつくのだ!」とさけんだという。
 ガウ氏はその時の事を私にこう話してくれた。「はっきり覚えちゃいないけど、とにかくとても商品になるような値段ではなかったよ」と。しかし、この回路を元に、その後二人でもっと実用性のある方向にアレンジを加え、そして出来上ったのが、1946年に出願したマッキントッシュ・サーキットなのであった。そして1949年に、この回路はパテントを得ている。
 マッキントッシュ社が会社として設立されたのは、前記した特許出願の年、1946年、場所はまだビンガムトンではなくワシントンDCであった。もちろん当時は、まだ、それまでのプロフェッショナル・ユースのアンプを一点づくりで納めていた、アメリカ流に言えばガレージ・メーカーである。その後、パテントを得た1949年に現在のビンガムトンに本拠を構え、アンプメーカーらしいアンプメーカーとしてスタートする。この時、前に申し上げた10人の社員になったわけである。
 その段階で、マッキントッシュのオリジナルサーキットが決まり、その後、チューブ・アンプリファイアーからトランジスター・アンプリファイアーになっても、この基本回路はずっと踏襲されてきている。
 現在のマッキントッシュ社は、社員が約600名。本社工場をはじめ、ビンガムトン内に七つのプラントを持っている。この七つのプラントで、アンプ、チューナー、スピーカーをはじめ、前記したようなシャーシ類の製造から例のガラスパネル、そして各種の印刷物まで、すべてを作っている。そして、会社の中心人物は、マッキントッシュ氏、ガウ氏のほかに、技術関係をコーダーマン氏、総務的な問題をペンショー氏、営業的な面をキャロル氏が担当しているらしい。らしいと言うのは、たびたび申し上げるように、彼等の名刺には何も肩書きが書かれていないからである。
 私とガウ氏の交友もすでに7年になり、その間、何度も顔を合わせて、いろいろな話をしているわけだが、マッキントッシュの製品に関して、私が以前から興味を持ちながら、しかもなぜか、一度もあらたまって質問したことのない部分があった。それはマッキントッシュ製品のデザインについてである。
 ご存知のようにマッキントッシュ製品は大変にすばらしいデザインを持ち、高級品にふさわしいオリジナリティと美しいフィニッシュを誇っている。
 マッキントッシュ社のデザイン部門をガウ氏がプロデュースしていることは、以前から私も知っていた。しかし、デザインに対するポリシーなど、その考え方については、これまで、とくに質問したことがなかったわけだ。マッキントッシュ社では、すべてを自社生産しているように、そのデザインもいわゆるデザイン事務所に外注したりはしていない。社内にデザイン・セクションがあり、彼の意見によって若いデザイナー連が仕事をしている。
 ガウ氏は驚くほどいろいろな事をやってきた人なのだ。アフリカにいたこともあるらしいし、サンフランシスコの大学で教鞭をとっていたり、それからアナウンサーをしていたこともあるという。そんな彼だから、恐らくいつのまにか、デザインについても意見を持つようになったのだろう。これは私の想像なのだが、先日ステレオサウンドで見たC−8のパネルに書いてある「BASS」とか「TREBLE」とかいったフリーハンドの文字が、どう見ても彼の筆跡に似ている。恐らくあれは、ガウ氏の字だろう。
 そう言えば、彼は以前、マッキントッシュの一連のパワーアンプにほどこされているシャーシのメッキについて、こんなことを言ったことがある。「あれは要するに、おれのアマチュアイズムなんだ。おれは自分で物を作ったら、それがバラックみたいなかっこうであることがいやなんだ。別にデザインというほどのものではないよ」とその時点では謙遜していた。しかし、「ガラスパネルを本格的に使うようになってからのものは、デザインらしいデザインと言えるかな」とも言っていたわけだ。そこで今回、この一連のガラスパネルによるアンプデザインについて、そのポリシーなどをたずねてみた。しばらく、ガウ氏の話に耳をかたむけてもらおう。
 おれはデザインについてこう思うんだ。デザインは思いつきや感覚だけで出来るものではないと。最も大切なのはリアリティだよ。君がおれのアンプをきれいだと言ってくれるのは大変うれしい。もちろん、きれいじゃなくては困るんだけど、一番必要なことは、絶対に必然性だ。機械としてのね。
 そこで、アンプの場合には何が最も必要かという事になるのだが、アンプは音楽を聴くためのものだ。音楽を聴く場合には、音楽を聴く人のエモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージック──音楽に対する情緒的反応──これが生命だと思う。だからアンプは、エモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージックというものを持つべきで、これを大切にしなくてはいけない。そのために何が最もふさわしいかなのだが、おれはそれに対し、イルミネーションが最もふさわしいものだと考えたわけだ。
 次に、それならイルミネーションの色はどうすべきか、という問題になる。
 そんな事を考えながら、ある時、飛行機に乗っていて、それが滑走路へおりて行く時に、おれはタクシーウェイのイルミネーションを見た。これだ、これは絶対にすばらしいと思った。しかも、これはだてや酔狂で、ネオンサインのつもりで色をつけているのではないはずだ。そう思うだろう? 相当リサーチされた結果に違いないんだよ。
 実の所、イルミネーションでいこうと決めた時、その色やデザインについて、おれはミシガン大学の研究室に協力をあおいでいたんだ。(ミシガン大学はデトロイトにある関係もあって、すぐれた自動車デザイン部門を持っている)おれは何をやるにも、まず基本的なスタディからはじめないと気がすまない性格だからね……。
 ガウ氏は、この空港で得たヒントを研究室に持ち帰り、徹底的なリサーチを行った。その結果決定されたのが、マッキントッシュのイルミネーションに使われている、ブルーでありグリーンであり、レッドなのである。
 彼の説明によると、ブルーという色は、人間に、少ない光量で視覚的に正確な認識を与えるものとして最も適している。光量が一番少なくていいわけである。要するに、イルミネーションで正確な認識を与えるためには、光量が多ければいい。しかし、それでは結果的にまぶしく、疲れてしまう。最低の光量で、最も正確に認識しうるものが、イルミネーションの基本のはずである。「現に、飛行場のイルミネーションも、この実験から生まれたものだったんだよ」と彼は言う。
 しかし、心理的に、このブルーという色は冷たい感じを与える。「視野の中に入ってきたブルーから冷たい感覚を得ないためには、それにグリーンとレッドを組み合わせること。こういうデータをミシガン大学の研究室で得たんだ」
 たとえばメーターは、最低の光量で見えるべきだ。見てまぶしいようなメーターでは困る。最低の光量で正確に見える色はブルーである。だが、これだけでは冷たい。そのためにグリーンを持ちレッドを持つ。「これが、あのイルミネーションの基本的な考え方なんだ」
 次に、なぜガラスを使ったかなのだが、これについてガウ氏は、「それは単純だよ」と言う。つまり、イルミネーションというアイデアが浮かべば透明なものを使わなくてはならない。考えられるのはアクリルなどのプラスチック類とガラスである。「三つの点でガラスがまさっている。第一に傷に強い。第二に最も純粋な透明度が得られる。第三にフィーリング・オブ・アキュラシー、つまり緻密な精度感を持つ。せっかくいいメカニズムを作っても、そのフィニッシュにアキュラシーなフィーリングがなくては……。それは中味を象徴することになるのだから」
 だが、材質をガラスに決定した事によってイルミネーションのプリントには大変な苦労をしたようである。ピンホールがちょっとでも出来ると、相手が光だからパッと出てしまう。しかもプリントの精度は、1万分の1インチ以上でなくてはフィーリング・オブ・アキュラシーが出ない、と彼は言う。
「とにかく、200種類のインクを分析して実験した。その結果、出来るようにはなったんだが、プリント時の温度は絶対に70度プラスマイナス5度。そして湿度は15%プラスマイナス5%。これを管理しなければならない。実際にこれは、途中で何回やめようと思ったかわからない。でも、思いついたことをやりとげるのが自分達の仕事の喜びなんだ」
 あまり飾らないガウ氏が熱をこめて語るこの言葉は、同時に、彼のマッキントッシュ製品に対する自信のほどを、裏づけるものとも、私には思えたのである。
 マッキントッシュ社の緊密な人間関係や、ユニークな一貫生産のシステム、そしてガウ氏のデザイン・ポリシーなどについて話してきたわけだが、次に、もう一歩ふみこんで、彼の、ということはすなわちマッキントッシュ社の、プロダクト・ポリシーといった面に話をすすめてみよう。
 ガウ氏がよく口にする言葉がある。「大切な事は、たゆまぬ研究開発である。しかし、研究開発というものは常に動的なプロセスであって、その段階で、それをすぐ製品化してしまうということは、大変に危険なことなのだ。自分達は断じて、お客様にリライアビリティ、すなわち信頼性を保証しなくてはならない。リライアビリティが保証できる自信のないものは製品化すべきでないんだ」これが彼の製品づくりの哲学と言ってもいいと私は思う。この点に対するガウ氏の神経の使い方は大変なもので、信頼性のない製品は必ずすべてをぶち壊してしまうと言う。客に迷惑を与え、販売店をぶち壊し、メーカーを駄目にする。もちろん機械に故障はつきものだが、だからこそ万全を期して、大きな故障が起きないようにしなくてはならない、と言うわけだ。
 このリライアビリティの重視は、すなわち製品のロングライフにつながる。「使っていて、短期間のうちに極端に初期性能が衰えてしまうようなものは、自分としては絶対に作りたくない。何年間でも、調整さえすれば常にオリジナルの状態に復元できるような機械でなくてはだめなんだ。これは機械の作り方だけの問題ではなく、基本設計の時点ですでに問題になることなんだ」そしてさらに「だから、まず良いオリジナルな設計を持つ事が大切だし、それを持ってスタートしたら、今度はとことんまで製造面を追求して行かなくてはならない」
 マッキントッシュ社にとってのオリジナルは、前に申し上げたバイファイラー・トランスフォーマーによるマッキントッシュ・サーキットであるわけだから、彼等はこれを、けっして捨てることはないわけである。「このオリジナルに、もうリサーチの余裕がないという事になればともかく、まだまだ、これを発展させ改良させることは可能だ。簡単に捨ててしまうようなものは、本当のオリジナリティではない」と彼は常に言っている。
 アンプがトランジスターになった時、それでもトランスをしょっていることについて、彼はいろいろな人から質問を受けたらしい。私が質問した時にも、またか、と言った感じだったが、その時にも彼が言ったことは「一番大きな理由はロングライフだ。これは絶対に壊れないんだ、トランスをしょっていれば」という事だった。現に彼は、その頃のハイパワー・アンプのライフテストを全部やって、その結果、マッキントッシュのアンプが最も過酷な使用に耐えるアンプであるというデータを自分で確認していたのである。
 ガウ氏はアンプの音質について、こんな考え方を持っている。もし、二つのアンプが同じひずみ率、現在はかり得るすべてのディストーションが同じグレードにあったとしたら、その二つのアンプのオーバーロードではない範囲の音質すなわち、静かにかけている場合には、二つの音質の違いは非常に聴き分けにくい。アンプの問題は、ほとんどの場合オーバーロードで働かされている事にある。
 たとえば彼の実験によると、スネア・ドラム1個のアコースティックパワーは5ワット出ると言う。ところが、能率の悪いエアーサスペンションのスピーカーだと、音響変換効率はせいぜい1%である。そうすると5ワットのエネルギーを出すためには500ワットのパワーを入れなくてはならない。だからアンプは、まず大きなパワーを持たなくてはならない、と言うわけである。たしかにマッキントッシュのアンプは、その時代、その時代で、いつも大きなパワー、大きなパワーという方向に行っているが、それは彼のこうした考え方によるものなのだろう。
 もっとも、ガウ氏は個人的には静かな音で音楽を聴くのが大好きなのである。「オーディオ機器のあらが一番出ない、静かな音で、イメージとして音楽を聴くのが、最もハッピーである」と言う。しかし、実際の使われ方はそうではない。多くの人はスピーカーからリアリティを求めている。「そうなると、きわめて大きなパワーがなければリアリティは求められない」という事になる。
 彼は言う。現に、現在のほとんどのアンプはオーバースイングの状態で使われている。そういう状態では、アンプはきわめて音質の差がはっきり出てくる。たとえばチューブアンプとトランジスターアンプの場合、いろいろな要素はあるけれど、一番ティピカルな音の違いはオーバーロードに対するものだ。この二つのクリッピング波形は、はっきりそれとわかる。これを何とかしなければ、いつまでたってもおまえのところのMC2105より275の方が、はるかにパワフルで、はるかにいい音だと言われてしまう。だから、現在アンプで最も問題にしなければならないのは、クリッピングしないほどのパワーを持たせるか、あるいはクリッピングしても、それをあまり強く感じさせないことだ。
 彼は、こんな実験をしたという。それは、最近よく問題にされるスルーレートに関するものである。「方形波を入れて、それがアウトプットでどういう形になるか。それがアンプの特性を示す一つの目安になることは確かだ」と彼も言う。しかし同時に「現在のような形でスルーレートを取り上げるジャーナリズムのあり方には、大きな問題がある」と言うわけだ。
 彼は、一般のユーザーを集め、方形波のかなり悪いシステムと、かなり良いシステムを比較させ、音楽を聴く上でそれがどれだけの影響を持つかを確めている。彼は言う「たとえばテープレコーダーは方形波がきわめて悪い。磁気ヘッドは本質的に位相特性が非常に悪いから、方形波はめちゃめちゃに崩れてしまう。でも、そういうテープレコーダーで、はたして音楽は音楽でなくなってしまうか。あの波形を見ると、確かにびっくりするほどの波形だが、音楽はちゃんと音楽らしく鳴っているではないか」
 もちろん彼は、エンジニアにとって方形波が非常に重要なものである事は認めている。ただ、現在のジャーナリズムの取り上げ方は本当にアンプの物理的なことを理解していないコンシューマーに対して、「方形波がこうなるということは、あたかも音楽がそういう形になるかのようなすりかえで、アピールしている」これは大変に危険なことだ、と言うのである。
 私はこの考え方を、オーディオの認識のトータルの姿として重要だと思う。これを、単なるガウ氏のデモンストレーションとして受け取ったら、それは浅い。彼自身の意図は、エンジニアリングの立場だけを、一般の人にアピールしたのでは、一般の人たちが神経質になってしまい、オーディオを楽しめなくなってしまう、という事なのだ。それは、ガウ氏が単なるエンジニアではなく、彼自身が音楽好きで、しかもオーディオマニアであるからだろう。もし単なるエンジニアだけだったら、方形波は悪くとも音楽は聴けるではないか、というような事はなかなか言えるものではないと思うのである。
 前記した、クリッピング時の波形がアンプの音質にとって重大な影響を持つというガウ氏の考え方は、マッキントッシュのアンプが、常にハイパワー化へ方向づけられていたゆえんでもあるわけだが、最近、もう一つの新しい方向が持ち出され、製品化されている。
 彼はチューブアンプとトランジスターアンプの音質の差という事に、本当に真剣に取り組んで、いろいろな研究をしてきたわけである。この結果、クリッピング波形の問題に着目した。たとえば彼が言うのは、10ワット程度の真空管アンプは、たしかに10ワット程度のパワーしか出ないからダイナミックレンジは狭い。しかし結構豊かな音で鳴る。ところが、トランジスターアンプは50ワットあっても豊かさに乏しい。その最大の理由が、クリッピング時の波形の違いであると言うわけだ。トランジスターアンプのクリップ波形はシャープで、サインウェーブが方形波のようになってしまうが、真空管アンプはクリップしても、なかなかそういう波形にはならない。現実には先ほども申し上げたように、ほとんどのアンプがひんぱんにクリップポイントにリーチしながら使われているからトランジスターアンプはひずんだ音が気になるケースが多い。
「トランジスターアンプがオーバードライブされても、ひずみとして耳に感じさせない事。これがわれわれの、一つの新しい方向なのだ」この回路が、新しいパワーアンプMC2205をはじめとする一連の製品に採用された、パワー・ガード・サーキットである。これは簡単に言うと、インプット波形とアウトプット波形を常に比較して、アウトプット波形が1%のひずみに達した時、インプットを制御する方式らしい。したがって、オーバーロードでもシャープなひずみが発生しないわけである。ダイナミックレンジはそこで狭まることはあっても、ひずみとして耳に聞こえる事はない。これは実際に聴いてみると非常に効果のあるものであった。
 だからと言って、もちろんマッキントッシュがハイパワーの方向を捨てたわけではない。と言うのも、近々、400ないし500ワット・パー・チャンネルのアンプを登場させるという。従来の200ワットクラスの大きさと目方で、それぐらいのパワーが取り出せるようになったと、ガウ氏は最新の情報として話してくれた。
 これまでお話し申し上げたように、私はマッキントッシュを大変にすばらしいメーカーだと思っている。と言うのも、これは私のオーディオ観でもあるのだが、私のオーディオに対する喜びの中の一つの大きな要素として、メカニズムそのものに対する魅力というものを無視することができない。もちろん、オーディオの大部分は、音楽を聴くための道具であるが、音楽を趣味とすると同時にオーディオそのものを趣味としている一つの理由が、メカニズムの魅力だと思う。そして、そのメカニズムの魅力とは何かと言うと、結局、帰するところは、メカニズムを作った人間との対話なのだ。結果的にあらわれた、すばらしいメカニズムだけを評価してすませてしまうか、あるいは、作った人間がどういう人間であろうかというふうなところまで、考えをめぐらすかどうか、と言う事だと思う。そして私の場合には、メカニズムを通してその人間を想像し、いろいろと楽しんでいる。私はそういうメカニズムとの接し方をしているのである。
 したがって、そのメカニズムから、どうしてもその裏側にあるべき人間が想像できないようなものは、きわめて気味が悪く、私にとってはあまり魅力がない。これはオーディオだけではない。カメラ好きの人はカメラからそれを感じるだろうし、車好きの私は、やっぱり車からもそれを感じる。どうしても、設計者や製造者に対する興味を禁じ得ないのである。
 そういう意味からマッキントッシュにも私はアプローチをし、その人達と親しくなったわけだ。その結果、マッキントッシュの製品から受けるものが、実際に会ったマッキントッシュの人々と、非常によく合致するということを明確に感じた。
 またガウ氏の話で恐縮だが、彼がよく行くレストランにベステル・ステーキハウスというのがあって、そこでは本当にびっくりするほどの、サイズ・イレブンと称せられる物すごいサイズのローストビーフを出す。誇張でなく、その隣にスカッチの水割りグラスを置くと、その高さとローストビーフの厚さが同じなのである。ガウ氏はそれをペロッと食ってしまう。私も懸命になって食べたが、まさに獅子奮迅の格闘をして食ったあとでも、その口ーストビーフは持ってきた時と大して形が変わっていなかった。でも彼は、本当にペロッと食べてしまう。
 それから、彼は絶対に大きい車が好きである。小さい車には全く興味を示さず、仕事に使うのはキャデラックの75リムジン、キャデラックでも一番大きい車である。ガウ氏自身もこう言っている「おれは小さいだろう、だから何でもデカイのが好きなんだ」と。
 そして私には、この彼の性質と、マッキントッシュの作る強力なアンプ、常に大パワー、大パワーを目指す方針が無関係とは思えないのだ。もちろんその方針は単なる感覚的な事ではなく、理屈の裏づけがあってのことなのだが、それでも、そこからは彼のスケールの大きさがそのままにじみ出ているのだ。
 私がガウ氏に会う前に、マッキントッシュの製品から想像していたイメージが、実際のガウ氏とほとんど食い違わなかった事に、私はひそかな喜びを感じたのである。やっぱりこれほどの製品になれば、メカニズムを通しての人間との対話ということが、本当にありうるものだと、しみじみ感じた次第である。
 こう書いてくると、私はまるでマッキントッシュ・クレージーのように思われるかもしれない。だから誤解がないようにつけ加えておかなくてはならないのだが、私自身は、マッキントッシュの音そのものはマイ・サウンドとは言えないのである。私は決して、マッキントッシュのアンプを自分の音として愛用しているものではない。C−28とMC−2105を以前に買って持っているが、常用ではない。マッキントッシュ・サウンドのあの大柄な、あのたくましい感じが、私のものとは違うという感じがするのである。それでも私は、マッキントッシュの製品に最大限の評価と賛辞を惜しまない。ここがオーディオのむずかしいところなのだろう。もっともこれは必ずしもオーディオだけに限らず、たとえば車でも同じ事が言える。
 いずれにしてもマッキントッシュは、すぐれた頭脳と堅実な思想、そして彼等の豊かな人間性によって、すばらしい製品を作り上げている。もちろんそれも、ある見方を変えれば、たとえば古いと言われる一面も持っているかもしれない。マッキントッシュ社は、けっして新しいテクノロジーをどんどん取り入れて行くタイプではない。いまだにアウトプットトランスをしょったアンプは、アウト・オブ・ファッションと言われるかもしれない。しかし、それを単なる古さ、おくれた考え方とだけ見るのは大きなあやまちである。私はむしろ、そこに彼等の、文化に対するどっしりとした精神的バックボーンを見るのである。
 私は常に、明治のハイカラ思想と第二次大戦後の欧米コンプレックスの二つが、日本のいいものをかなぐり捨てた、そして、いま日本はそれによってあえいでいると実感している。優秀なものが大量に出来るようになったが、ドーンと人を感動させる最高級なものを作ることが出来ないでいる、現在の日本の精神構造の弱さ。これほど高い文化の歴史を持つ国でありながら、現代人が作り出すものの中に文化というにおいがしない。これは工業製品だけではなく、すべての分野に言える事であろう。
 しかし、われわれオーディオの好きな人間ぐらいは、そういう精神文化というものを大切にしていきたいと思う。その点においても、私はマッキントッシュ製品を、高く評価しているし、この考え方は今後も変らないものと思っている。

「私のマッキントッシュ観」

岩崎千明

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・マッキントッシュ」(1976年発行)
「私のマッキントッシュ観」より

 昭和三十年頃の僕は、毎日毎日、余暇をみつけては、ハンダごてを握らない日はなかった。この頃の六、七年間、数多くのアンプを作った。作っては壊し、作っては壊ししたそれらは当時のラジオ雑誌にほとんど紹介してきたものだが、もともと、そうした記事のために、目新しい回路をもととして、いままでとは、どこか違った、新しいアイディアを必ず盛り込んだものだった。もうはとんど手元にはなく、ただ昔の、古く色あせた雑誌の写真に姿をとどめているだけだ。つまり、製作記事のための試作アンプにすぎない、はかない存在だ。しかし、中には壊すのが惜しくて、そのまま実用に供し、そばに置いて使おうという気を起こさせたものもある。いまでも、そうしたアンブ、そのほとんどがモノーラルの高出力アンプだが、20数台もあろうか、物置の片隅を占領してしる。その多くが30Wないし50Wのパワーを擁する管球式で、外観は、共通し当時のマッキントッシュの主力アンプMC30に酷似する。
 なぜ、マッキントッシュに似たか。理由は唯ひとつ、僕の中にそれを強くあこがれる意識が熱かったからだろう。
 当時、日本には、海外製品として、英国製のスピーカー以外は入ってきていなかったし、海外製のアンプは、たまにこれらラジオ雑誌に簡単に技術紹介されるだけであって、その実力を知ることもなかった。まして現物になどお目にかかれるなどという幸運は一般のマニアにまったくなかった。だから、このマッキントッシュに対するあこがれの理由は、どこに端を発したのか、今ではしかと思いだせない。手元にある古い雑誌を見ても、マッキントッシュの広告は、まだほとんどなくて、その名前さえ知られることのない一九五〇年代の前半のことだ。でも不確かな記憶だが、マッキントッシュのMC30をたった一度だけ、見たのは、当時、駐留軍としての米国の高級将校の家で米ボーゲン製の小型アンプと置き換えたばかりの雄姿に触れた時だった。
 あまり大きくないクロームメッキのシャーシーに、ギリギリいっぱいの位置におかれた肩の丸い黒い角型ケースに収まった特徴あるトランスがふたつでんと収まった力強い姿だ。この時の印象があまりにも強かったので、他のアンプのイメージがすっかりうすれてしまったともいえる。少なくとも構造的にまったく違った構造配置のパワーアンプが、常識であった当時だ。たとえば、マランツのおなじみ8Bに代表されるようなシャーシーの半分に、出力トランス、電源トランスをすっぽりとケースで包んでしまった形は、業務用アンプの代表であって、映画館を初めとするプロ用ラックタイプのアンブはほとんどこれだった。細長いシャーシーの両端にふたつのトランスを配し、その間に真空管を並べるアクロサウンドの形式も多かった。しかし、こうしたアンプよりも、マッキントッシュに強く惹かれるのは、外観だけの問題ではなく、それを作ろうとする時、大きな利点を見いだせるからだ。つまり、出力管と、出力トランスを、至近距離においた上、パワーアンプ初段管のカソードヘの帰還回路の配線が、最短距離で達成され、さらに、出力トランスと、出力端子が極端に至近距離におけるという、理想的な配線は、マッキントッシュのMC30のシャーシー配置構造の利点なのである。
 これは、作ったものでないと判らないし、一度作れば、これ以上によい方法は、ちょっと思い浮かびあがらないほど、完璧だ。
 だから、今、手元にある20数台のアンプは、出力トランスと出力真空管と、むろんそれらの大きさと、最大出力の違いのため、そのシャーシーの大きさが、てんでんばらばらだが、構造的には、マッキントッシュのMC30によく似ているのである。もうひとつの共通点は、MC30よりも、出力が大きく、当時の水準からすれば、「大出力アンプ」といい得るものだ。念のために申し添えると昭和30年前後のその頃の技術雑誌の製作記事で、MC30をはっきりと意識したアンプは、たったひとつの例外を除いて、僕の作ったもの以外にはないと20年経った今でも自負している。
 そのたったひとつの例外というのは、某誌の表紙にまでカラー写真でのったY氏製作の30Wのアンブだ。
 これは、金のない僕の作るものとは違って、シャーシーまで本物のMC30のように、メッキされていたように記憶している。
 その時、「ははあ、彼氏もマッキントッシュの良さを知っているな」と秘かに同好の志のいるのを喜ぶとともに手強いライバルを意識した。しかし、Y氏は、それきり、アンプの記事は書かなかったように記憶する。最高を極めたからか。
 Y氏、実は山中敬三氏である。
 さて、今までの長い前置きでもわかる通り、僕にとっては、マッキントッシュのアンプといえば、MC30以外には、ない。一次捲線と二次捲線とを、二本並べて捲くという、いわゆるバイファイラー捲きの特許の出力トランスを用いた高出力アンプにこそ、マッキントッシュならではのオリジナル技術だが、それを、広く高級オーディオファンの手にわたる具体的な商品として、現実に製品化した一号機こそが、MC30なのであって、むろん、それ以前の製品もあるのだが、それが本来のMC30の、歴史的意義にもなっている。
 しかし、そうした背景は、一切目もくれないとしても、僕にとっては、アンブとしてのMC30そのものの印象も、価値も大きいのだ。
 いまや、ソリッドステートの時代となって、マッキントッシュも、MC2300を初め、最新のノン・クリッピング技術を盛り込んだMC2205、さらに、あまりにも有名な、良く知られているMC2105等、すべて、管球アンプではない。また、管球アンプとしての最後の製品となったMC3500の中をのぞくと、カラーテレビの水平出力用に使われる大型の高能率、高耐圧出力管が、ずらりと8本ならんでいて、その様は、どうみてもレギュレーター、ないしは定圧電源といった感じで、ハイファイアンプとしての楽しい夢のある容姿ではない。ステレオの最後の管球アンブ、MC275あたりが、オーディオファンにとっては、いかにもマッキントッシュ、ここにあり、といったイメージだが、いっそ、真空管なら、その原点にまで目を向けたくなってくる
 マッキントッシュと並ぶ、マランツのアンブをば語る時のように、プリアンプとパワーアンプのペアを、考えようとすると、マッキントッシュでは、C22管球ステレオプリや、C28、あるいはC26といったプリアンプの名前が出てくることになるが、本来、マッキントッシュの場合、その技術は、あくまで出力管回路、パワーアンプにある。プリアンプでは、時代とともに、型番も、むろん回路内容も改められてきた。つまり、パワーアンプほどに、明確なる決定打はなかったと、いってよい。パワーアンプが、いくつかあるのは、その出力の違いによるものだし、その原点は、6550をパワー管とした60WのMC60、さらには1614をパワー管とした30WのMC30に行き着いてしまうのである。
 だから、昨年、マッキントッシュ・クリニックのシールも新しいMC30を、当時のプリアンプC8とぺアで、ステレオ用として、2組入手したときに、僕のマッキントッシュにかかわる思い出と、永い散策とに、やっとピリオドを打ったような気がしたものだ。マッキントッシュMC30を、米軍将校の部屋で見染めてから、それは22年の長い道程でもあった。

「私のマッキントッシュ観」

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・マッキントッシュ」(1976年発行)
「私のマッキントッシュ観」より

 私のマッキントッシュ観に影響を与えた二冊の雑誌を思い浮かべる。その一は月刊『ラジオ技術』昭和31年4月号。もうひとつは季刊『ステレオサウンド』第三号(昭和42年夏号)である。
 昭和31年の2月、フランク・H・マッキントッシュは日本を訪問している。マッキントッシュ・アンプの設計者でありマッキントッシュ社の社長として日本でもよく知られていたミスター・マッキントッシュが、何の前ぶれもなしに突然日本にやって来たというので、『ラジオ技術』誌のレギュラー筆者たちが急遽彼にインタビューを申し込み、そのリポートが「マッキントッシュ氏との305分!」という記事にまとめられている。こんな古い記事のことをなんで私が憶えているのかといえば、ちょうど同じこの号が、おそらく日本で最初にマルチアンプ・システムを大々的にとりあげた特集号でもあって、「マルチスピーカーかマルチアンプか」という総合特集記事の中には、私もまた執筆者のはしくれとして名を連ねていたからでもあるが、しかしこのころの私はまた『ラジオ技術』誌のかなり熱心な愛読者でもあって、加藤秀夫、乙部融郎、中村久次、高橋三郎氏らこの道の先輩達によるマッキントッシュ氏へのインタビュウを、相当の興味を抱いて読んだこともまた確かだった。
 しかしその当時、マッキントッシュ・アンプの実物にはお目にかかる機会はほとんどなかった。というよりも日本という国全体が、高級な海外製品を輸入などできないほど貧しい時代だった。オーディオのマーケットもまだきわめて小さかった。安月給とりのアマチュアが、いくらかでもマシなアンプを手に入れようと思えば、こつこつとパーツを買い集めて図面をひいて、シャーシの設計からはじめてすべてを自作するという時代だった。回路の研究のために海外の著名なアンプの回路を調べたり分析して、マランツやマッキントッシュのアンプのこともむろん知ってはいたが、少なくとも回路設計の面からは、それら高級アンプの本当の姿を読みとることが(当時の私の知識では)できなくて、ことにマッキントッシュのパワーアップに至っては、その特殊なアウトプットトランスを製作することは不可能だったし、輸入することも思いつかなかったから、製作してみようなどと、とても考えてもみなかった。そうしてまで音を聴いてみるだけの価値のあるアンプであることなど全く知らなかった。これはマッキントッシュに限った話ではない。私ばかりでなく、当時のオーディオ・アマチュアの多くは、欧米の高級オーディオ機器の真価をほとんど知らずにいた、といえる。実物はめったに入ってこなかったし、まれに目にすることはあっても、本当の音で鳴っているのを聴く機会などなかったし、仮に音を聴いたとしても、その本当の良さが私の耳で理解できたかどうか──。
 イソップの物語に、狐と酸っぱい葡萄の話がある。おいしそうな葡萄が垂れ下がっている。狐は何度も飛びつこうとするが、どうしても葡萄の房にとどかない。やがて狐は「なんだい、あんな酸っぱい葡萄なんぞ、誰が喰ってやるものか!」と悪態をついて去る、という話だ。
 雑誌の記事や広告の写真でしか見ることのできない海外の、しかも高価なオーディオパーツは、私たち貧しいアマチュアにとって「すっぱいぶどう」であった。少なくとも私など、アメリカのアンプなんぞ回路図を調べてみれば、マランツだってマッキントッシュだってたいしたもんじゃないさ、みたいな気持を持っていた。私ばかりではない。前記の『ラジオ技術』誌あたりも、長いこと、海外のパーツについて正しい認識でとりあげていたとは思えない。そういう記事を読んでますます、なに、アメリカのオーディオ機器なんざ……という気持で固まってしまっていた。
 昭和30年代のなかばを過ぎたころから、自分のそういう感じ方が偏見以外の何ものでもなかったことを、少しずつではあったが知らされはじめた。たいしたもんじゃない、と思いこんでいたオーディオ・パーツが、少しずつ日本にも紹介されはじめ、それを実際に見、聴きしてみると、むろんそれらすべてがとはいえないまでも、海外でも一流と定評のあるオーディオ機器は、我々日本人の感覚で眺め、触れ、聴いてみてもまた、立派な製品であることが十分に理解できた。そうして私は、マランツの#7を購入し、JBLのスピーカーを、次いでアンプを購入し、シュアーのカートリッジに驚かされ、それまでの反動のように海外の高級パーツにのめり込んで行った。昭和30年代の終りごろから、私にもそれらのパーツが、やっとの思いではあってもともかく買えるだけの身分になっていた。しかしそれでもまだ、マッキントッシュのアンプについては、私はその真価を知らなかった。
 昭和41年の終りごろ、季刊『ステレオサウンド』誌が発刊になり、本誌編集長とのつきあいが始まった。そしてその第三号、《内外アンプ65機種—総試聴》の特集号のヒアリング・テスターのひとりとして、恥ずかしながら、はじめてマッキントッシュ(C—22、MC—275)の音を聴いたのだった。
 テストは私の家で行った。六畳と四畳半をつないだ小さいなリスニングルームで、岡俊雄、山中敬三の両氏と私の三人が、おもなテストを担当した。65機種のアンプの置き場所が無く、庭に新聞紙をいっぱいに敷いて、編集部の若い人たちが交替で部屋に運び込み、接続替えをした。テストの数日間、雨が降らなかったのが本当に不思議な幸運だったと、今でも私たちの間で懐かしい語り草になっている。
すでにマランツ(モデル7)とJBL(SA600、SG520、SE400S)の音は知っていた。しかしテストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。音がどうだったのかは第三号に書いた通り。テスター三人は揃って兜を脱いだ。しかもそれから約二年後、トランジスターの最高級機MC—2105を聴いて再びマッキントッシュのすごさを知らされた。
 マッキントッシュの音やデザインの魅力については、いまさら私が、ましてこの特集号で改めて書くことはあるまい。要するにそれほど感心したマッキントッシュを、しかし私は一度も自家用にしようと思ったことがない。私は、欲しいと思ったら待つことのできない人間だ。そして、かつてはマランツやJBLのアンプを、今ではマーク・レヴィンソンとSAEを、借金しながら買ってしまった。それなのにマッキントッシュだけは、自分で買わない。それでいて、実物を眺めるたびに、なんて美しい製品だろうと感心し、その音の豊潤で深い味わいに感心させられる。でも買わない。なぜなのだろう。おそらく、マッキントッシュの製品のどこかに、自分と体質の合わない何か、を感じているからだ。どうも私自身の中に、豊かさとかゴージャスな感じを、素直に受け入れにくい体質があるかららしい。この贅を尽した、物量を惜しまず最上のものを作るアメリカの製品の中に、私はどこか成金趣味的な要素を臭ぎとってしまうのだ。そしてもうひとつ、新しもの好きの私は、マッキントッシュの音の中に、ひとつの完成された世界、もうこれ以上発展の余地のない保守の世界を聴きとってしまうのだ。これから十年、二十年を経ても、この音はおそらく、ある時期に完結したもの凄い世界ということで立派に評価されるにちがいない。時の経過に負けることのない完結した世界が、マッキントッシュの音だと思う。