「私のマッキントッシュ観」

岩崎千明

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・マッキントッシュ」(1976年発行)
「私のマッキントッシュ観」より

 昭和三十年頃の僕は、毎日毎日、余暇をみつけては、ハンダごてを握らない日はなかった。この頃の六、七年間、数多くのアンプを作った。作っては壊し、作っては壊ししたそれらは当時のラジオ雑誌にほとんど紹介してきたものだが、もともと、そうした記事のために、目新しい回路をもととして、いままでとは、どこか違った、新しいアイディアを必ず盛り込んだものだった。もうはとんど手元にはなく、ただ昔の、古く色あせた雑誌の写真に姿をとどめているだけだ。つまり、製作記事のための試作アンプにすぎない、はかない存在だ。しかし、中には壊すのが惜しくて、そのまま実用に供し、そばに置いて使おうという気を起こさせたものもある。いまでも、そうしたアンブ、そのほとんどがモノーラルの高出力アンプだが、20数台もあろうか、物置の片隅を占領してしる。その多くが30Wないし50Wのパワーを擁する管球式で、外観は、共通し当時のマッキントッシュの主力アンプMC30に酷似する。
 なぜ、マッキントッシュに似たか。理由は唯ひとつ、僕の中にそれを強くあこがれる意識が熱かったからだろう。
 当時、日本には、海外製品として、英国製のスピーカー以外は入ってきていなかったし、海外製のアンプは、たまにこれらラジオ雑誌に簡単に技術紹介されるだけであって、その実力を知ることもなかった。まして現物になどお目にかかれるなどという幸運は一般のマニアにまったくなかった。だから、このマッキントッシュに対するあこがれの理由は、どこに端を発したのか、今ではしかと思いだせない。手元にある古い雑誌を見ても、マッキントッシュの広告は、まだほとんどなくて、その名前さえ知られることのない一九五〇年代の前半のことだ。でも不確かな記憶だが、マッキントッシュのMC30をたった一度だけ、見たのは、当時、駐留軍としての米国の高級将校の家で米ボーゲン製の小型アンプと置き換えたばかりの雄姿に触れた時だった。
 あまり大きくないクロームメッキのシャーシーに、ギリギリいっぱいの位置におかれた肩の丸い黒い角型ケースに収まった特徴あるトランスがふたつでんと収まった力強い姿だ。この時の印象があまりにも強かったので、他のアンプのイメージがすっかりうすれてしまったともいえる。少なくとも構造的にまったく違った構造配置のパワーアンプが、常識であった当時だ。たとえば、マランツのおなじみ8Bに代表されるようなシャーシーの半分に、出力トランス、電源トランスをすっぽりとケースで包んでしまった形は、業務用アンプの代表であって、映画館を初めとするプロ用ラックタイプのアンブはほとんどこれだった。細長いシャーシーの両端にふたつのトランスを配し、その間に真空管を並べるアクロサウンドの形式も多かった。しかし、こうしたアンプよりも、マッキントッシュに強く惹かれるのは、外観だけの問題ではなく、それを作ろうとする時、大きな利点を見いだせるからだ。つまり、出力管と、出力トランスを、至近距離においた上、パワーアンプ初段管のカソードヘの帰還回路の配線が、最短距離で達成され、さらに、出力トランスと、出力端子が極端に至近距離におけるという、理想的な配線は、マッキントッシュのMC30のシャーシー配置構造の利点なのである。
 これは、作ったものでないと判らないし、一度作れば、これ以上によい方法は、ちょっと思い浮かびあがらないほど、完璧だ。
 だから、今、手元にある20数台のアンプは、出力トランスと出力真空管と、むろんそれらの大きさと、最大出力の違いのため、そのシャーシーの大きさが、てんでんばらばらだが、構造的には、マッキントッシュのMC30によく似ているのである。もうひとつの共通点は、MC30よりも、出力が大きく、当時の水準からすれば、「大出力アンプ」といい得るものだ。念のために申し添えると昭和30年前後のその頃の技術雑誌の製作記事で、MC30をはっきりと意識したアンプは、たったひとつの例外を除いて、僕の作ったもの以外にはないと20年経った今でも自負している。
 そのたったひとつの例外というのは、某誌の表紙にまでカラー写真でのったY氏製作の30Wのアンブだ。
 これは、金のない僕の作るものとは違って、シャーシーまで本物のMC30のように、メッキされていたように記憶している。
 その時、「ははあ、彼氏もマッキントッシュの良さを知っているな」と秘かに同好の志のいるのを喜ぶとともに手強いライバルを意識した。しかし、Y氏は、それきり、アンプの記事は書かなかったように記憶する。最高を極めたからか。
 Y氏、実は山中敬三氏である。
 さて、今までの長い前置きでもわかる通り、僕にとっては、マッキントッシュのアンプといえば、MC30以外には、ない。一次捲線と二次捲線とを、二本並べて捲くという、いわゆるバイファイラー捲きの特許の出力トランスを用いた高出力アンプにこそ、マッキントッシュならではのオリジナル技術だが、それを、広く高級オーディオファンの手にわたる具体的な商品として、現実に製品化した一号機こそが、MC30なのであって、むろん、それ以前の製品もあるのだが、それが本来のMC30の、歴史的意義にもなっている。
 しかし、そうした背景は、一切目もくれないとしても、僕にとっては、アンブとしてのMC30そのものの印象も、価値も大きいのだ。
 いまや、ソリッドステートの時代となって、マッキントッシュも、MC2300を初め、最新のノン・クリッピング技術を盛り込んだMC2205、さらに、あまりにも有名な、良く知られているMC2105等、すべて、管球アンプではない。また、管球アンプとしての最後の製品となったMC3500の中をのぞくと、カラーテレビの水平出力用に使われる大型の高能率、高耐圧出力管が、ずらりと8本ならんでいて、その様は、どうみてもレギュレーター、ないしは定圧電源といった感じで、ハイファイアンプとしての楽しい夢のある容姿ではない。ステレオの最後の管球アンブ、MC275あたりが、オーディオファンにとっては、いかにもマッキントッシュ、ここにあり、といったイメージだが、いっそ、真空管なら、その原点にまで目を向けたくなってくる
 マッキントッシュと並ぶ、マランツのアンブをば語る時のように、プリアンプとパワーアンプのペアを、考えようとすると、マッキントッシュでは、C22管球ステレオプリや、C28、あるいはC26といったプリアンプの名前が出てくることになるが、本来、マッキントッシュの場合、その技術は、あくまで出力管回路、パワーアンプにある。プリアンプでは、時代とともに、型番も、むろん回路内容も改められてきた。つまり、パワーアンプほどに、明確なる決定打はなかったと、いってよい。パワーアンプが、いくつかあるのは、その出力の違いによるものだし、その原点は、6550をパワー管とした60WのMC60、さらには1614をパワー管とした30WのMC30に行き着いてしまうのである。
 だから、昨年、マッキントッシュ・クリニックのシールも新しいMC30を、当時のプリアンプC8とぺアで、ステレオ用として、2組入手したときに、僕のマッキントッシュにかかわる思い出と、永い散策とに、やっとピリオドを打ったような気がしたものだ。マッキントッシュMC30を、米軍将校の部屋で見染めてから、それは22年の長い道程でもあった。

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