フィデリティ・リサーチ FR-7f

菅野沖彦

ステレオサウンド 58号(1981年3月発行)
特集・「第3回《THE STATE OF THE ART 至上のコンポーネント》賞選定」より

 FR7fというカートリッジは、いうまでもなく、前作FR7の姉妹機で、いわばそのMKIIではないからこそ、fという別名を与えたというだろうが……FR7でもそうだったのだが、このカートリッジは、現在のカートリッジのコンセプトへの真向からの挑戦ととれるもので、構造的にも音的にも実にユニークなオリジナリティとフィロソフィの明確な作品であって、「そういってはなんだが、どんぐりの背比べよろしく、ムービング・マスや自重の軽量化や、軽針圧の限界競争などにうつつをぬかしている、そこらへんのありふれたカートリッジとはわけが違うぞ!!」とでもいいたげな内容と外観をもっている。たしかに、このカートリッジは、並のカートリッジとは一味も二味もちがった、コニサー好みの魅力的なものなのだ。推測だが、このカートリッジは、とても商品として量産のきくものとは思えず、一つ一つが丹念につくられた精密機器だけがもつ風格をもっている。血の通った名器と四分にふさわしい。7fの基本構造は、前作7と同じで、2マグネット4極構成の磁気回路によるプッシュプル発言方式。可動コイルは、カンチレバーに直接取り付けられ、鉄芯はもちろん、巻枠さえ持たない完全空芯タイプというユニークなものである。インピーダンスは2Ωという低いもので、出力電圧は0・15mV〜0・2mVである。その他数え上げれば、数々の特長を上げることができるが、いたずらに新素材を使ったり、スペックをよくすることを目的としたテクノロジーのスタンドプレイは、ここには見当らない。カートリッジとレコードを愛し、見つめ、いじり、考えに考えた一人の人間の眼と耳が、練達の技を通して具現化した執念の作品がこれなのだ。これほど主張の強いオーディオ製品はそうざらにはあるまい。特に、昨今のデータ競争によって平均化され、無個性化される傾向の強い環境の中では、一際目立った個性的な存在なのである。音を聴けばこのことがさらに、さらによく理解できるであろう。こんな音が? と驚くほど、かつて聴き得なかった音までを、レコード溝の奥深くから、さらって聴かせるといった雰囲気で、出てくる音の輪郭の明確さ、音像の実在感の確かさ、曖昧さのない張りのある質感は、少々圧迫感があり過ぎるほど、あくまで力強く、濃厚である。血の通った音という表現は私好みだが、まさにこのカートリッジにこそ、この表現はふさわしい。それも熱い血潮だ。かつてオルトフォンのSPU全盛の時代にあって、今はなくなった音を、レコード・オーディオ通の諸兄ならご記憶であろう。そう、同好の士なら解っていただけるであろう、あのレコード独特の聴き応えのたしかな音の質感である。あれが、このところスピーカーから聴こえてこなくなって久しいとは思われないだろうか? その代りに、繊細、透明、軟らかく、軽やかな、さわやかな音は豊富に聴けるようになったと思う。艶も輝きも聴こえないといったらうそになる。
 しかし、あの弾力性のある真の艶と輝きの実感、厚い音の温度は、今聴くことは難しい。それがあるのだ。それを聴かせてくれるのが、このカートリッジなのだ。前作7が出た時、私は、この音を聴き得て飛び上ったが、惜しむらくは、トレース能力に難があったことも確かである。7fはこれが向上し、たいていのレコードはOKとなった。自重30gの重量級カートリッジだからこそ、2〜3gの針圧だからこそといった音がする。これは、今の軽量級支持者がもっともっと考えるべき問題提起なのである。いいことばかりではない。こうした構造をとれば、よくもあしくも特長が現われ、それが個性となる。要は、この個性を好むか否かであろう。角度を変えて欠点をほじり出せばきりがない。勇気のある製品なのだ。だからこそ、ステート・オブ・ジ・アートに選ばれるにふさわしい。

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