菅野沖彦
ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より
Q:予算50万円で、アナログプレーヤーのグレードアップを考えるべきか、それともCDプレーヤーを新規に購入すべきか迷っています。ただ、CDプレイヤーにはこの価格帯のものはありません。正直なところCDの音はアナログのそれを越えているのでしょうか。
A:この質問は解釈が難しい。簡単に受け取ることも出来るが、難しく考えると、アナログVSデジタル論にならざるを得ないのである。質問のポイントも曖昧だ。50万円で、プレーヤーのグレードアップというが、今まで使っていたプレーヤーがなんなのか、どの程度のものだったのかは不明である。こんな質問に答えろというのだから無茶な話である。この質問の意味するところは50万円ぐらいのプレーヤーで鳴らしたアナログディスクの音と、CDプレーヤーによるコンパクトディスクの音を比較して答えてほしいようにもとれる。CDプレーヤーの場合、50万円ぐらいの価格のものがないことは質問者はよく御存知だから、どの辺のもので比較論を述べよといわれるのか? 何から何まで意味の不明確な質問である。
仕方がないから、ここは、この質問を一つのヒント・テーマとして考えてみることにしよう。
CDが発売されて一年半ほどになるが、タイトル数も2000を越えたといわれ、CDプレーヤーも、すでに各メーカー共に、第三世代の製品も市場に送り出すところである。私の手許にも、もう200枚を越える数のCDが集まっているし、自分でも、CDを制作してみた。CD制作を通しては特に数々の興味深い体験をして、デジタル録音の理解を深めることが出来たし、音というものの複雑微妙な性格を改めて思い知らされた気もする。そして、今の私は、CDや、デジタル録音には何の嫌悪感もアレルギーも、偏見も持っていない。それどころか、むしろ、この新しいテクロジーに対して畏敬の念までもっているものだ。しかし、だからといって、デジタル一般やCDが、音の点で、アナログのそれを越えているなどとも思っていない。強いて、現時点でのCDとアナログディスクとの音を比較して述べるならば、部分的には一長一短、総合的には甲乙つけ難しというのが私の感想だ。部分的、総合的というのは少々説明を要するかもしれないが、簡単にいうことにしよう。つまり、部分的といったのは、ノイズがあるかないか、解像力の優劣、微弱音、間接音などのローレベル再生の雰囲気、弦の質感、打楽器の、あるいは管楽器のそれといった、音色の個性への適応性などを微視的に分析して聴き、比較した話であり、総合は、それらの部分的な優劣のプラス・マイナス、さらに扱い易さ、機能、価格などを加えて、全体としての商品の魅力としての評価を意味したつもりである。とするならば総合的には、甲乙つけ難しというCDは、誕生して、わずか二年足らずの商品だということを考える時、その技術の先進性が可能にする将来の発展性の大きさへの期待がふくらんでくるのである。また、アナログディスクについては、技術的に決して現段階が最終的なものではないわけで、まだまだ、将来への発展の可能性があるにもかかわらず、デジタルの出現により、急速に、デジタルとのドッキング方向に向ってしまっている事実を認識しなければなるまい。現に、すでに現在、アナログディスクの新譜の多くはオリジナルがデジタル録音である。今後、アナログディスクが消えてなくなることはないとしても、純血のアナログディスクは生れにくい。おそらく、80年代をもって、純アナログディスクの制作は終焉を迎えることになるだろう。そして、今までに制作された厖大なアナログディスクはゆるやかに下降をたどり、中で優れたものはCD化される方向へ行くのではないだろうか。ただ、ヒットソングのような、いわゆるシングル盤に対するCDの対応が遅れているから、事はそう単純にはいかないと思うが……。ポピュラー分野でのアナログ技術は、まだまだ根強いと思われる。レコーダーのデジタル化が端緒についたばかりであって、その他、録音制作に必要な関連機器のデジタル化はまだまだ先のことである。
こうした現実の中で、私自身は、録音再生のオーディオ技術へのデジタルテクノロジーの参入は尊ぶべきことであって、アナログ技術と対立させて優劣を云々すべきものではないと考えている。ただ、強調しておきたいことは、新しいテクノロジーなるが故に、何が何でもデジタルが優勢であると考えてしまう誤った感覚、そして、同じことだが、アナログ技術を過去のものとして、前向きに捉えての研究開発を怠る姿勢の危険についてである。アナログにはまだまだ大きな可能性が秘められているはずだ。そして、デジタル技術も、その録音再生に関与してみると、まだまだ未完成な技術であることが判る。
さて、そこで、質問者の迷いに答えることにしよう。結論的にいって、今現在使用中のアナログプレーヤーに大きな不満がなければ、予算50万円のうち、15万円ほど、CDプレーヤーにお使いなさい。そして残りの35万円のうち、とりあえず、10万円ほどはCDを買ってみる。25〜30タイトルのCDが買えるはず。これは、全発売タイトルの1%にも満たないわけで、結構、選択の楽しさ、難しさを味わえるはず。そこで、残りの25万円については、気が乗れば、さらに大量のCDを買い込むもよし、アナログディスクを買い足すのもよいだろう。あるいは、25万円あれば、現在のアナログプレーヤーのグレードアップも、かなりのレベルで出来るのではないだろうか。アナログディスクに、オープンリールテープ、カセットテープ、FM/AMチューナー、そして、新たにコンパクトディスクが加わったというように考えて、この新しいメディアのもつ数々の特徴を楽しんだらいかがなものだろう。もし、質問者が、徹底的にアナログだけの追求をやりたいというのなら、それもまた素晴らしい。しかし、50万円では徹底的追求にはほど遠いグレードのプレーヤーに留まるともいえるだろう。
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