瀬川冬樹
続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第15項・KEF105 イギリスを代表するアキュレイトサウンド」より
前項、前々項で例にあげたスペンドールのBCIIよりは、もっと厳格にアキュレイトサウンドを目指したイギリスのスピーカーとして、KEFの105をあげることができる。KEFのこのシリーズは、ほかにもっと小型、ローコストの103、ブックシェルフ型の標準的サイズの104aBの二機種があり、105とあわせて〝リファレンスシリーズ〟と名付けられている。リファレンス(引き合いに出すというような意味、つまりこんにちの水準の中でのひとつの尺度として使えるほどの性能、ということをあらわしている)と名づけるほどの自信作で、実際、このシリーズは、こんにち最尖端の精度の高い測定技術によって、スピーカーとしては最も高い水準の特性データを示す。そういう客観的な手段で分析しても、このスピーカーは最もアキュレイトな(正確な)再生をすると、KEFは自慢する。事実、KEF105をベストコンディションで鳴らしたとき、レコードの録音のとりかたのディテールまで明らかに聴きとれるし、したがって、ソロ・ヴォーカルの録音の良いレコードをかけると、前後左右にひろげて置いたスピーカーのちょうど中央──つまり何もない壁のところ──に、独唱者がこちらを向いて立っているかのような現実感をさえ、このスピーカーは聴き手に感じさせる。
だがそれでいて、たとえば前述のJBL4343がときとして聴かせるショッキングなまでの生々しい、ときには鋭くさえ思える音、あるいは後述のウーレイ(UREI)の朗々をとどこまでも伸びていく輝かしい響き、などのアメリカの音にくらべると、どんなに生々しくリアルな音を鳴らしてみてもやはりどこかイギリス流の、音をむき出しにしない、そしてどこかほんのわずかな翳りを感じさせるような、いわゆる渋い肌ざわりの音で鳴る。同じように音の正確(アキュレイト)な再現を目ざしてさえ、聴けば聴くほど、アメリカとイギリスの違いが、どんなスピーカーの音にもあらわれていることが少しずつわかってくると、その点がまたとてもおもしろくなってくる。そして、自分の求める音の方向とそういうニュアンスが、完全に合わなくては結局満足がゆかないことに気づいてくる。もっともそういう私自身、自分の好みをいまだにどちらともきめかねて、つねに身近に、アメリカ型とイギリス型の、二つのタイプの音を置いて楽しんでいるのだけれど……。
ともかくKEF105はそういうスピーカーだ。そしてもうひとつ、たとえばBCIIと比較すると、こちらのほうが、音の厳格な分析者(アナリスト)という印象になる。BCIIの音が全体にたっぷりした響きをともなうのに対して、KEF105は、むしろそうした余分の音をスピーカー自体でつけ加えるようなことがなく、あくまで客観的に、冷静に、レコードに録音された音は、ほら、こうなんだよ、と言っている感じで鳴る。
このスピーカーは、ネットをはずすと、中〜高音のユニットが、聴き手に対して最適の方向に角度を調整できるようになっている。スイッチを切り替えて、赤いインジケーターをみながら調整する。言いかえればこのスピーカーは、ステレオ音像が焦点を結ぶ一点に、聴き手が正しく坐って聴くことを要求する。その意味でも、とても厳格な音の分析者だろう。
0 Comments.