あなたはマルチアンプに向くか向かないか

瀬川冬樹

HIGH-TECHNIC SERIES-1 マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ(ステレオサウンド別冊・1977年秋発行)
「マルチスピーカー マルチアンプのすすめ」より

 少なくともここまでお読みくださった根気のある方なら、マルチアンプにも積極的な情熱を傾けられる方にちがいないと思う。が、かつて昭和四〇年代前半のいわゆる第一次マルチアンプ・ブーム(こういう言い方は不適当かもしれないが)のころ、雑誌の記事や販売店のすすめでマルチアンプにとりくんでみたものの、手ひどく失敗し、無駄をし、道草を食わされた愛好家をおおぜいみてきているだけに、このひどく手間とお金のかかる方式を、そう楽天的に無条件に誰にでもおすすめする気持になれないのだ。少なくとも、以下の設問のすべてにイエスと答えて頂ける方以外には。

■あなたは、音質のわずかな向上にも手間と費用を惜しまないタイプか…
 マルチスピーカー/マルチアンプを仕上げるには、大きなエンクロージュアの置き方を変え、各帯域のユニットの位置を変え、ときにはユニットのとりつけ方を変えたりバッフルを改造したり、あるいはコードを何度もつなぎかえ、アンプとスピーカーのあいだを何回も往復し、音を聴き分け、こまかく調整をくりかえし……というように、かなりの重労働から、小まめな手先の仕事までを、毎日のように、いとわず、飽かず、くりかえして続ける努力が要求される。そういう労力をあなたは惜しまずに、むしろそのことを大きな楽しみとすることのできるタイプか。そんなことは本質的には自分の好みではない、できれば避けたい、というタイプなら、マルチアンプ方式にとりくんでも成功しないどころか、おそらくたいへんな無駄をしてしまったあとで口惜しむことになる。
 また、すでに何度も書いたように、同じような音をLCネットワークでも鳴らせるものを、ほんの僅かな音質の向上(の可能性)だけのために、少なくとも一台以上のパワーアンプと、エレクトロニック・クロスオーバー・アンプへの出費が必要となる。要するに、マルチアンプは本質的に〝高くつく〟。コストパフォーマンス、などという考え方の全然逆のところでの楽しみだ。芸術に高い安いはない、という人がある。わたくしはオーディオ機器を購入すること自体は芸術とは思っていないが少なくとも、投資金額あたりうんぬん……というような発想をするのだったら、はじめからマルチアンプなどに手を出さない方がいい。
 楽しみのための出費は惜しまない。あるいはそのためにアルバイトをすること自体をさえ、楽しみにできる。そして装置のセッティングからどんな細かな調整までも含めて、音質のほんの僅かの向上にでも、アクティヴに働きまわる情熱を持ち続けることのできる人。これが、マルチアンプへの第一の適性といえる。

■あなたは音を記憶できるか。音質の良否の判断に自信を持っているか。
時間を置いて鳴った二つの音のちがいを、適確に区別できるか

 前項でも書いたように、マルチアンプの調整には、アンプとスピーカーのあいだを何度も往復したり、トゥイーターの向きをほんの少し変えてみたり、スクォーカーの位置をずらしてみたり、ウーファーの重いエンクロージュアの下に台を入れたりインシュレーターを挿入したり外したり、接続コードの±を逆にしてみたり……というような、細かな調整が、際限なく反復される。どの一ヶ所をいじっても音は変る。その変化がたとえどれほど微妙であっても、どこか一ヶ所の状況が変れば、必ず音は変る。その微妙な変化は、それ自体とるにたらない差かもしれないが、そのわずかな差を生じる部分が何十、何百ヵ所と積み重なったときに、そのトータルの差は相当に大きくなる。これは何もマルチアンプに限ったことではなく、オーディオ装置を「調整する」とか「鳴らし込む」とか「自分の音に仕上げる」というのは、常に、そうした微妙な音の変化を聴き分け、よりよい方向に軌道を修正してゆくことの積み重ねにほかならない。
 むろん人間のことだから、その日の身体のコンディションによっては、細かな音の差の少しもわからないこともある。音を聴き分ける訓練を積んだ我々にもそんなことはよくある。が、調子の良いときであれば、音の細かな差を聴き分けるだけでなく、さっきの音とこんどの音と、どちらがより良いか、少なくとも自分にとってどちらがより好ましいか、の適確な判断が下せなくては、調整の次のステップに進んでいけない。このプロセスでは、たとえばコンピューターがONかOFFかの判断のつみ重ねで複雑な計算を仕上げるのに似て、仮に一ヵ所でも、自分にとって好ましくない方向を選んでしまえば、トータルの完成度はそれだけ低くなる。どんなわずかの音の差でも、その差の中から常に自分の思いの方向を正確に選んでつみ重ねていったときに、やがてそれが大きな音の差となって完成する。これこそ、オーディオシステムの調整のおもしろさ、なのだ。
 いま何気なく「おもしろさ」と書いてしまったが、つまりわたくし自身は、右のような作業そのものが「おもしろく」てたまらないという人間だ。それをもし、めんどうだと思うなら、マルチアンプをやらない方がいい。マルチアンプの調整は、ことにこの面が大切だからだ。調整不良のマルチアンプシステムは、全く何の手を加えずにセットしたごくあたりまえのシステムの鳴らす音にも及ばない。
 こうした調整のために音を記憶しておく訓練、それも、さっきといま、というような短時間での差ばかりでなく、きのうときょう、さらに、このあいだときょう、去年と今日……という長い時間を置いた音のちがいをさえ、記憶するばかりでなく判断できるような訓練を積む。
 こんなことを書くと、それは途方もなく大変なことのように思えるかもしれない。が、人間の感覚は、ちょっとしたいたずらで判断が逆転してしまうような不確かな部分のある反面、たとえば街角でふと嗅いだ匂いから数年前のある日の食事の場面を想い起こすことがあるように、感覚の記憶を蘇らせることができる。もっと専門的な例をあげれば、将棋や碁の名人になると、何年も昔の棋譜を正確に記憶しているし、音楽家がある特定のピッチの音をいつでも再現できるというように、人間の感覚は、日常の経験の積み重ねの中で、驚くほどの能力を発揮できるようになる。香水の名門シャネルのブレンダーが500種類を越える香りを正確に嗅ぎ分ける、などという話を聞くと、匂いオンチのわたくしなど途方もない人間がいるものだとあきれてしまうが、たぶんそれは、わたくしたちオーディオ人間が、スピーカーの音の違いを聴き分けるのと同じことなのだろう。さて次の設問……。

■思いがけない小遣いが入った。あなたはそれで、演奏会の切符を買うか、
レコード店に入るか、それともオーディオ装置の改良にそれを使うか……

 実は、この設問には答えていただく必要は少しもないのだが、仮にもしあなたが、「むろん装置の改良に使う」とためらいなく答えたすれば、もしかするとあなたは、マルチアンプはやらない方がいいタイプかもしれない。
 ……などというのは半分は冗談で、ほんとうに言いたいのは、実は次のようなことがらだ。
 前項で、音を聴き分ける……と書いたが、現実の問題として、スピーカーから出る「音」は、多くの場合「音楽」だ。その音楽の鳴り方の変化を聴き分ける、ということは、屁理屈を言うようだが「音」そのものの鳴り方の聴き分けではなく、その音で構成されている「音楽」の鳴り方がどう変化したか、を聴き分けることだ。
 もう何年も前の話になるが、ある大きなメーカーの研究所を訪問したときの話をさせて頂く。そこの所長から、音質の判断の方法についての説明を我々は聞いていた。専門の学術用語で「官能評価法」というが、ヒアリングテストの方法として、訓練された耳を持つ何人かの音質評価のクルーを養成して、その耳で機器のテストをくり返し、音質の向上と物理データとの関連を掴もうという話であった。その中で、彼(所長)がおどろくべき発言をした。
「いま、たとえばベートーヴェンの『運命』を鳴らしているとします。曲を突然とめて、クルーの一人に、いまの曲は何か? と質問する。彼がもし曲名を答えられたらそれは失格です。なぜかといえば、音質の変化を判断している最中には、音楽そのものを聴いてはいけない。音そのものを聴き分けているあいだは、それが何の曲かなど気づかないのが本ものです。曲を突然とめて、いまの曲は? と質問されてキョトンとする、そういうクルーが本ものなんですナ」
 なるほど、と感心する人もあったが、私はあまりのショックでしばしぼう然としていた。音を判断するということは、その音楽がどういう鳴り方をするかを判断することだ。その音楽が、心にどう響き、どう訴えかけてくるかを判断することだ、と信じているわたくしにとっては、その話はまるで宇宙人の言葉のように遠く冷たく響いた。
 たしかに、ひとつの研究機関としての組織的な研究の目的によっては、人間の耳を一種の測定器のように──というより測定装置の一部のように──使うことも必要かもしれない。いま紹介した某研究所長の発言は、そういう条件での話、であるのだろう。あるいはまた、もしかするとあれはひどく強烈な逆説あるいは皮肉だったのかもしれないと今にして思うが、ともかく研究者は別として私たちアマチュアは、せめて自分の装置の音の判断ぐらいは、血の通った人間として、音楽に心を躍らせながら、胸をときめかしながら、調整してゆきたいものだ。
 そのためには、いま音質判定の対象としている音楽の内容を、よく理解していることが必要になる。少なくともテストに使っている音楽のその部分が、どういう音で、どう鳴り、どう響き、どう聴こえるか、についてひとつの確信を持っていることが必要だ。
 その音楽は、その人自身にとって何でもいい。オーディオ装置の調整……などというと、たいていクラシックかジャズが持ち出される。むろん自身は、クラシックでそだった人間で、自分の装置の調整は、やはりクラシックを使わないとよくわからない。だがそうであるなら、それと全く同じ意味で、ロックでなくては、フォークでなくては、あるいは歌謡曲、あるいは邦楽でなくては、自分の装置の音の判断も調整もできない、というように、人それぞれに音楽は違ってとうぜんだ。自分にとって最も確かに訴えかけてくる音楽でなくて、どうして自分の装置の調整ができるか。
 EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
 はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
 この一例が示すように、音楽ジャンルを問わず、音楽の心を掴んで調整し込まれた再生装置なら、必ずその音は万人を説得できるほどの普遍性を帯びるに至る。そのためには、機械一辺倒でなく、再生音一辺倒でもなく、しかしナマの音一辺倒でもない、いずれにもバランスのとれた柔軟な態度が要求される。ナマの演奏会に行こうか、新譜レコードを買おうか、それとも装置の改良の費用にあてようか……と迷うくらいの人の方が、音質を向上できる資質にめぐまれている筈だ。そしてなお──

■あなたの中に神経質と楽天家が同居しているか。
あるときはどんな細かな変化をも聴き分け調整する神経の細かさと冷静な判断力、
またあるときはすこしくらいの歪みなど気にしない大胆さと、そのままでも音楽に聴き惚れる熱っぽさが同居しているか

 いくら手のかかるマルチアンプでも、何ヵ月かの調整ののちのある一時期は、自分でも相当に満足のゆく音が鳴ってくる。またそういう風に調整できなくては悲劇だ。一応の調整ができたと思ったら、それからしばらくのあいだは、機械をコントロールしたり音の細かな変化を聴き分ける、などという態度をすっかり忘れて、再生装置の存在さえ忘れて、鳴ってくる音楽におぼれこむ。また、そうしようと決めたときには、仮に針先にゴミがついていようが、スクラッチノイズが多少出ていようが、どこかで少し歪んだ音がしようが、そんなことを気にしないで、音楽におぼれこむ。そういう聴き方ができないと、マルチアンプシステムは重荷になってくる。歪んだ音を気にしない、というよりもって正確に言えば、鳴り止んだあと、もしも傍で誰か一緒に音楽をきいていたとして、彼が「よくあんな歪みをがまんしていられるな」と言ったとき、あなた自身が、え? そんなに歪んでいたか、知らなかった! と言えるぐらい、音楽そのものに聴き惚れていたというような聴き方ができれば、もうしめたものだ。そういう太い神経と、その反面で、一旦調整をはじめたらこんどは、他人の気づかない細かな音の変化を鋭敏に聴き分け、判断して、適確に調整の手を加えてゆく、という細心の調整もできる人に、あなたはなれるか?
     *
 ずいぶん言いたい放題を書いているみたいだが、この項の半分は冗談、そしてあとの半分は、せめて自分でもそうなりたいというような願望をまじえての馬鹿話だから、あんまり本気で受けとって頂かない方がありがたい。が、ともかくマルチアンプを理想的に仕上げるためには、少なくともメカニズムまたは音だけへの興味一辺倒ではうまくいかないし、常にくよくよ思い悩むタイプの人でも困るし、音を聴き分ける前に理論や数値で先入観を与えて耳の純真な判断力を失ってしまう人もダメだ。いつでも、止まるところなしにどこかいじっていないと気の済まない人も困るし、めんどうくさいと動かずに聴く一方の人でもダメ……、という具合に、硬軟自在の使い分けのできる人であって、はじめてマルチアンプ/マルチスピーカーの自在な調整が可能になる。さて、あなたはマルチアンプに適性を持っているタイプかどうか──。
 無駄話はここまでにして、最後に、多少の具体例をあげながらマルチアンプの実際の応用例、ことに前項で三つの方向に分類したその最後の方向である、長期計画の中でのマルチアンプの生かし方について考えることにしよう。

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