クライスラー PERFECT-1MKII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 このメーカーの音はモデルチェンジをするたびに振子の両極を行ったりきたりしているようなところがある。一時期ベストセラーで人気のあったCE1a、CE5aは柔らかく独特の繊細感があって、当時としては音楽のハーモニーを実に美しく鳴らした(中でもCE5aが最も優れていると今でも思う)。それがII型になると、中音域に妙な固有音をともなった硬い音に変わってしまった。次に出たパーフェクトI、IIは再び繊細で、やや弱さがあったもののふわっとひろがる耳あたりの良い音質を持っていた(CE1a、5aに次いでこの時期も良かったと思う)。そして再びMkII。CE1aが II型になったときのように、また中~高域に妙な硬さが出てきた。音量を絞った状態での静かなソロ・ヴォーカルや編成の小さな曲はいちおうソフトな耳あたりの良い音に聴こえるが、音量が上がるにつれて音のバランスが中~高域に片よって硬質の圧迫感が現われ、さらにハイパワーではウーファーの耐入力がともなわないらしく飽和したような濁りが出る。パワーには弱くとも旧型の方がウーファーとトゥイーターの違和感がずっと少なかったと思う。

周波数レンジ:☆☆☆
質感:☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆
解像力:☆☆☆
余韻:☆☆
プレゼンス:☆☆
魅力:☆☆☆

総合評価:☆☆★

ダイヤトーン DS-22BR

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 ダイヤトーン製品に共通の中音域のよく張った特徴を持っているにしても、その中では音のバランスに関するかぎり最もくせの少ない製品と聴きとれた。たとえば前号げてふれたDS26Bあたりの中域の張り出した音質は私には少々やりきれないほどやかましく感じられる場合があったが、22BRではそういうこともなく、すべてのプログラムを通じてあまり過不足を感じさせないうまいバランスを保っていた。ただしこれもダイヤトーン製品に共通の、高音域をある点からスパッと切る作り方は22BRでも同じらしく、少なくとも聴感上はハイがスッと延びているようには聴こえず、ステレオの音場の漂うような繊細感が感じられない。音の表情のしなやかさを出すというタイプでなく、生真面目に音をきちんと鳴らすという感じである。ことに弦の独奏や合奏では、音の芯の硬さがいまひと息とれてほしいように思う。パワーにはわりあい強いタイプで、ジャズの実況録音(”Live at Junk”)をかなりの音量で鳴らした場合も音がくずれたり濁ったりせずによく延びて、快適な音を聴かせてくれた。国産のローコスト型としては水準以上の立派な出来だと思う。

周波数レンジ:☆☆☆
質感:☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆
解像力:☆☆☆
余韻:☆☆
プレゼンス:☆☆☆
魅力:☆☆☆

総合評価:☆☆☆

KEF Cantor

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 後述の♯104と共に、KEFが従来作りあげてきた音質を、新しい魅力に磨きあげはじめたことの聴きとれる新製品である。清楚な美しい響きをすっきりと聴かせる点ではいままでの製品から受ついだ良さだが、以前の製品がややもすれば中域の引っこんだドンシャリ的な鳴り方すれすれに作られていたのにくらべると、中域もたっぷり鳴るし高域の強調感も以前ほどではない。音がこもったりことさらふくらんだりするようなことがなく、控えめでひっそりと鳴る。音の芯がやや柔らかすぎるようにも思われるし、ハイパワーに弱いのは欧州系のスピーカーに共通の弱点といえるが、あまり大きな音量出さずに音楽を楽しむ人にとっては、その余韻の美しさ,滑らかな艶の或る圧迫感のない響きの良さは一聴に値する。置き方の工夫で低音の量感を補った方がよいのはこの種の小型スピーカーに共通の使いこなしだが、それにトーンコントロールの補整をわずかに加えると、低音の土台も意外にしっかりする。音のスケール感の出にくいこと、総体にやや音離れのよくないところなど弱点のあるものの、この価格の製品ではスキャンダイナのA10と共に注目すべき新製品といえる。

周波数レンジ:☆☆☆
質感:☆☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆☆
解像力:☆☆☆
余韻:☆☆☆☆
プレゼンス:☆☆☆☆
魅力:☆☆☆☆

総合評価:☆☆☆☆

テクニクス SB-201

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 音の基本的な性格は前号(28号)でもとりあげたSB301、501とほとんど共通である。ひとつのポリシーを貫くという意味ではこれぐらい基本的な性質を統一できるという製造管理の技術を評価すべきかもしれないが、残念なカラこの共通の性格は前号にも書いたようにあまり好ましく思えない。そういう点をくりかえすのは心苦しいのでむしろ細かな話になるが、音域ごとに言えば、低音のおそらくあまり低くないf0(共振点)あたりに一ヵ所やや抑えの利かないブーミングが聴きとれ、中低音域では箱鳴り的な共鳴、中~高域では金属的な硬さがことに音量を上げると、やかましい圧迫感になり、またどのレコードでもヒス性のノイズを他のスピーカーよりも強調するところから中~高域のどこかに固有共振のあることが聴きとれる。以上の言い方は、価格を考えるとやや欠点を拡大しすぎたかもしれない。音量を絞りかげんにして、トゥイーター・レベルをマイナス2まで絞り、置き場所をくふうすると一見クリアーな鳴り方をするものの、本来の硬い無機的な鳴り方が音楽のしなやかな表情までをこわばらせてしまうように思える。

周波数レンジ:☆☆
質感:☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆
解像力:☆☆
余韻:☆
プレゼンス:☆
魅力:☆

総合評価:☆★

コーラル FLAT-8SD

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 明るい白木とまっ黒のネットのコントラストがすばらしく印象的で、国産品の中でも垢抜けたデザインが抜群といえる。そういう感じが音質にも現われてくれれば言うことはないのだが、長所の方から先に言えば、ステレオの音像定位が素晴らしく良い。たとえば、ソロ・ヴォーカルが中央にぴたりと定位し、音像が決して大きくならず、バックの伴奏の広がりとよく分離する。こういう定位の良さは、シングル・スピーカー独特の長所で、2ウェイ、3ウェイの製品にはなかなか少ない。しかしその長所をあげるには音質の上でのマイナス点がやや多すぎる。本来FLAT8のようなタイプのフルレインジ型のユニットを、こんな小さなキャビネット(といってもブックシェルフ型ではごく標準的だが)に収めれば低音がまるで出ないのが当然で、従って全体に音の表情が硬く厚みや豊かさのない、金属的で薄手の音になりやすい。背面に High Adjust というジョイントがあって高音を抑えてあるが、むしろそれは取り除いてアンプのトーンでハイを抑える方がまだ良かった。低音を増強したり、置き場所をいろいろ変えてみたりしたが、ほとんど床の上に直接置くぐらいでどうやらバランスがとれた。

周波数レンジ:☆☆
質感:☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆
解像力:☆☆
余韻:☆
プレゼンス:☆☆
魅力:☆☆

総合評価:☆☆

ビクター JS-6

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 こせこせしない陽性の鳴り方。弦合奏のオーヴァートーンなどことににぎやかに聴こえ、総体に高音域の派手さが目立つ。トゥイーターのレベルを絞ってみると、ウーファーとの音のつながりがかえって悪くなるので、レベルセットは〝ノーマル〟(3時の位置)またはそれ以上に上げておいて、アンプのトーンコントロールでハイをおさえた方が結果がよかった。こういう小型・ローコストには低音の豊かさなど望むのが無理だから、背面を固い壁にぴったりつけたり、さらに、トーンコントロールのバスを補強するなど、低音の量感を補う使いこなしが必要だ。ローコストにしてはキャビネットの共振がよく抑えてあり、トーンコントロールで補整しても音がこもったりせずに低音増強が気持よく利くのは良い点だ。ウーファーとトゥイーターそれぞれの音色に違和感の少ないところも良い。価格を考えに入れなければあまり上質のクォリティとは言いにくいし、明けひろげの饒舌さが永く聴き込める音質とは言いにくいが、一万六千五百円の国産品の中では、という前提をつければ、なかなか良くできたスピーカである。

周波数レンジ:☆☆☆
質感:☆☆☆
ダイナミックレンジ:☆☆
解像力:☆☆
余韻:☆☆
プレゼンス:☆☆
魅力:☆☆

総合評価:☆☆☆

マイクロ MR-622

菅野沖彦

スイングジャーナル 12月号(1973年11月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 プレイヤー・システムというものはレコードをかける事を喜びとするものにとって、もっとも身近な親しみをもって接する機械であり、手で触れる事の多いものである事はいうまでもない。例えていうならば、車のステアリングでありトランスミッションのチェンジ・レバーであり、インストゥルメント・パネル(ダッシュボード)である。事好きにとって、ステアリングやインストゥルメント・パネルの感覚は無視できない重要なポイントであり、これらのデザインに夢を求め、そのメカニズムの確度に喜びを感じる人が少なくない。したがって、プレイヤー・システムというものは、レコードを演奏するという心情にぴったりしたデザインと感触をもったものであることが望ましいし、この意味では、まだ、現在の全てのプレイヤー・システムが夢を満たしてくれるものとはいい難いのである。私など、もう数十年もレコードをかけ続け、プレイヤーに親しんできているのだが、こういう意味から大きな満足を与えてくれたものは、どういうわけだか、SP時代の78回転のターンテーブルと数10グラムもあるようなピックアップのついたもの以外にはないのである。LP時代になってからは、どうも心情的にぴったりきたものにお目にかかったことがない。私が小、中学生の頃使っていた父の電蓄のプレイヤーは、きわめて仕上げのいい板に針箱やパイロット・ランプが美しくはめ込まれ、ターンテーブルには、いかにも曖かい高級感に溢れたラシャが張ってあり、その堂々としたピックアップのトーンアームは重厚性をもち美しく仕上げられた魅力溢れるものだった。もっとも、今の塩化ビニールのLPではラシャのようにゴミをすいつけるものは全く不適当だし、感度のよい軽量アームということになれば、見た目にも冷い軽々しいものにならざるを得ないのだろう。技術の進歩はどうして、こうも、機械から暖かさを奪ってしまう事になるのであろうか? 淋しい限りである。また車の話しになるが、昔の自動車の内装の暖かさと重厚さは今の車に求む得べくもないし、国鉄の車輛でも同じような傾向だ。昔の客車の趣きは、今のペラペラ・ムードの特急車輛とは比較にならないほどの味わいを持っていた。こういう車輛はヨーロッパにいけば現在でも見ることが出来るが、日本ではもう夢だ。
 話しがそれてしまったが、プレイヤー・システムというものが、その基本的な動作性能に加えて、そうした味わいを持つべきことは、今さら私が強調するまでもないと思う。しかし、正直なところ、日本の高級優秀プレイヤー・システムのどれが、そうした夢を叶えてくれるだろうか? 日本製に限らない。外国製でも、そういうものがどんどん少くなってきている。アルミとグレーとホワイトに代表される現代感覚とやらにはもう食傷気味だ。冷いオフィス調のタッチを家庭にまでもち込むのはごめんこうむりたい。
 ところで、マイクロの製品は、従来から、マイクロのセンスの悪さが幸いして、そうしたモダニズムに走る危険から逃れていた貴重なる存在である。MR411、MR611など堅実な機構と性能をもった手堅い製品がプレイヤーとして実用的価値が高く、好ましいものであったが、そのデザインは凡庸であった。しかし、中庸をいく、嫌味のなさは浅薄なモダニズムよりはるかにましだと思っていたし、MR411、611シリーズは私の好きなプレイヤーだった。MR711というDDモーターを使った製品はまったく未消化のもので、お世辞にもほめられたものではなかった。デザイン的にも田舎者が急に洒落れこんだギコチなさ丸出しであった。せっかくアイデアを使いながら、繁雑で完成度の低いシステムに止まっていたのである。しかし、このMR622はちがう。優れた性能を温厚なデザインで包み込んだ、さりげない高級品として高く買いたい。DDモーターの性能も健秀でDCサーボも安定している。ワウ・フラ、S/N共、広帯域大出力装置に充分使える優れたものだし、トーンアームの感度も大変よく、しかも実用的で広い自重範囲のカートリッジをカバーする。ただしカートリッジはいただきかねる。トレースはいいが音像がへばりつき、音楽の生命が躍動しない。当然よりよいカートリッジを併せ持って発しむ事になるだろう。仕上げもまずまず。推薦品だ。

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年11月号掲載)

Micro

ビクター JA-S5

岩崎千明

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ステレオ・コンポーネントに対するビクターの熱の入れ方は昨年頃より猛烈というべきほどの気迫と闘志をもってなされ、すでに市場に空前の人気と好評をもって迎えられたブックシェルフ型SX3を始め、数多くのプレイヤーがある。さらに「標準機なみ」と識者間でささやかれた高級アンプS9と、この一年間に矢つぎ早やに驚くほどの成果をあげて「さすが音のビクター」という声もこのところ当り前にさえなってきた。
 そしてS9のあとをうけて、兄貴分S7なみの高性能と認められたS5が市場に出てはや、3カ月を経た。
 S5は5万円台のいうなればもっとも需要層の厚い分野の商品だ。
 逆にいえば、この5万円台はよく売れるということになり、このクラスの市販商品は目白押しに数も多くあらゆるアンプのメーカーの狙う層なのだ。
 ライバル商品のもっとも群がるこのクラスにビクターのアンプ・セクションはふたたび全力投球で、S5を送ったのである。
「出力の大きさ自体はともかく、あらゆる性能に関してS9と同等。やや以前に出たこの上のS7をも、しのぐ」というのがビクターの開発部O氏のことばだ。
 このことばの裏にはS5の性能に対する自信とともにS7を捨ててもS5を売りつくして商品としても成功させなければという決意がはっきりと受け取られるのである。
 このことばが決してハッタリやコマーシャル・メッセージでないことはアンプを持っただけでも納得できよう。5万円台としてはもっとも重い重量はそのまま電源の強力なことを意味しトランジスタ・アンプにおいての電源の重要度はそれは技術を徹底的に極めたもののみが確め得るところであった。事実S5は近頃がらばかり大きくなるアンプの中にあって割に小さい方であるにもかかわらず、重くそのケースを開けるとあふれんばかりに部品がぎっしりつまっている。
 しかもそれは手際の悪いためではなくこの上なく合理化され、十分に検討し尽されている上に、なおやっと収まったというほどに中味が濃い。
 例えば、ビクターのアンプの特長でもある例のSEAコントロールと呼ばれる5または7ポジションのトーン・コントロールもS5では5ポジションながら丸型つまみでスペースは小さくともれっきとした本格派のものがついている。プリアンプはガッチリしたシールド・ケースによってプリント基板ごとすっぽりと遮へいされているが、驚ろいたことに入力切換スイッチがこのケースの内側のプリント基板に取付けられていて、長い延長シャフトによって前面パネルに出ているのだ。こうすることにより入力切換スイッチにいたる配線は、あらゆる入力端子からもわずか数センチですむことになりアンプ高性能のために重要な高域特性が格段と優れることになるわけだ。こうした高価な処置は、長いリード配線をやらなくてすむための工程の節約によってまかなったと開発者はいうが、これこそビクターの経験ある大規模な生産体制でなくては出来得ないだろう。
 しかし、この処置は結果としてその利益につながるが決して生産性を向上させるための処置ではない。いままでなおざりにせざるを得なかったプリアンプにおける高域位相特性の改善を目的としたものである点にS5の良さのよってきたるところを知るのである。
 イコライザー回路は厳選に厳選を重ねたつぶよりの素子を組合せ実にフラットな特性を得ている。さらに最大許容入力はピーク時で驚くなかれ700mV。このクラスのアンプのなかではまさに秀一。ガッと飛び出して来るジャズ・サウンドには、広大なダイナミック・レンジが必要だがこのアンプは・その要求を心にくいまでに満足させてくれる。そして4チャンネルはビクターのお家芸。このアンプには将来4チャンネルにシステム・アップした時マスター・ボリュームとして使えるよう超連動の4連ボリュームが装備されている。
 S5は間違いなく今後もベストセラーを続けるであろう。それは日本のオーディオ界の良識と高品質とを代表する製品として。

アキュフェーズ C-200 + P-300

菅野沖彦

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 アンプのハイ・パワー化の時代といわれる中で、質量共にバランスした本格的な100ワット以上(片チャンネル)のアンプとなると外国製品に頼らざるを得なかった。今月の選定新製品としで選んだケンソニックの新しい製品、プリ・アンプ C200、パワー・アンプ P300は、国産ハイ・パワー・アンプの夜明けを告げるに充分なクォリティとパワーをもった第一級のセパレート・アンプである。C200はコントロール・アンプとしての機能を豊かに備えているし、その音質の透明な美しさは特筆すべきなのだが、こっちのほうは後で再びふれるとして、まず、そのパワー・アンプP300のほうから述べることにしよう。このパワー・アンプは片チャンネル150ワット(8?)の連続実効出力をもつもので、現時点では国産のモースト・パワフルなアンプである。ピュア・コン直結という最新回路を採用しているが、特に注目すべきは出力段にトリプル・プッシュプル方式を使っていること、全段は2電源方式プッシュプル駆動となっていることである。広いダイナミック・レンジや優れた位相特性を得ることができ、しかも安定した動作の得られるという理由をメーカーはあげている。ハイ・パワー・アンプのエネルギー供給源ともいえる肝心の電源部もさすがに余裕のある設計で、大きなパワー・トランスと4000μF×2の大容量コンデンサーが使われ、瞬間的なピークやハイ・パワー連続動作にも充分な安定を計っている。
 大型メーターをアクセントとしたパネル・フェイスをみても、いかにも、このアンプの実力を象徴しているようで、多くの国産アンプ中で、この雰囲気は一次元高いところにあるように感じる。決してオリジナリティやひらめきのあるセンサブルなデザインとはいえないが、デザインの姿勢、使われているマテリアルや仕上げの高級性が、誠実に高級品のイメージを横溢させていて好ましい。
 パワー・メーターは0dB、−10dB、−20dBの感度切換をもち、適度なダンピングで動く指針は、VUとピーク・メーターの中間ぐらいの動きを見せ、実用上アンプのピーク動作を読みとるには好適なもの。いたずらに華美なメーター・デザインの流行からすると、この地味な照明色や、フレームのデザインはいかにも高級品にふさわしい飽きのこない落着きをもっていて好ましい。
 附属回路として、50%、25%のパワーに制限出来る切換式のパワー・リミッター、17Hz以下、24KHz以上を18dB/octでカットすることによって聴感に大きな影響を与えることなく可聴帯以外ノイズを防ぐバンドパス・フィルター、4組のスピーカー接続可能の切換式のスピーカー・セレクターなどを備え、このクラスのアンプの使用者の便を充分考えてつくられている。
 実際に使ってみたこのアンプの実力は予想以上のものであった。アルテックのA7やJBLの4320などの大型システムを力感と繊細で緻密な解像力、そして柔かく透明感をもった魅力的な音で鳴らしたし、また、小型のブックシェルフにも低能率を補ってハイ・パワーの実力を発揮、朗々と鳴らしてくれた。音の品位の高さは近来のアンプにないもので、特にハイ・パワー・アンプにあり勝ちなキメの荒さ、高音域のヒステリックなとげとげしさといったものはよく制御され、美しいソノリティをもっている。
 C200はデザイン的にはP300にやや劣り、少々寄せ集めのデザインの散漫さが気になるし、すっきりとしたまとまりに欠ける。しかし、やはり、使ってあるマテリアルや仕上げからくる高級感は滲み出ている。全段直結で、しかも完全プッシュプル動作をもつイコライザー回路はユニークな高級回路として注目されるだろう。コントロール・アンプにふさわしい豊富な機能、そしてP300との組合わせにおける質の高い再生音は、世界の一級品に勝るとも劣らない。これだけのパワフルなアンプでありながら、残留ノイズの少なさ、綜合的なS/Nの大きさは抜群で、まさに静寂の中から大音響が立上がる音離れの気持よさを味わうことが出来る。このアンプのロー・レベルでの音のキメの細かさや透明感の魅力は、このノイズの少なさが、少なからず役立っていそうだ。国際商品としての視野でみてこのアンプ(特にパワー・アンプ)の値打ちは高い。あとはどれだけの酷使に耐えるタフネスと安定性をもっているかを時間をかけて確めるだけである。

トーレンス TD125MKIIAB

岩崎千明

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 我家にはなぜかトーレンスのプレーヤーが4台ある。
 そしてもう1台はもっともふるくからわがリスニング・ルームの主役として活躍していたTD124IIだ。
 アイドラとベルトの2重ドライヴによる4kgのターンテーブルにアルミの2重ターンテーブル機構で、この軽量アルミのテーブルを浮かすことによりクイック・ストップのできるいかにもプロ用らしいメカニズムが気に入っていつも手元から手離せない。駆動源であるモーターの力をベルトによりアイードラーに伝え、それを介して重量級ターンテーブルを駆動するというメカニズムは類の少ないというよりトーレンスにあって始められた優れた機構であり、これにより、モーターの振動をおさえ高いSN比を得ることができ、高いトルクを保ったままでその高性能を得られる点、いかにも業務用機器を作って来たトーレンスならではのターンテーブルであり、TD124が全世界の高級マニアに常に愛用されトーレンス・ブランドを高級ファンの間に確固として固定した業績は誰も否定できまい。
 シンクロナス・モーターを用い電源周波数によって回転数の決る特有の性能を利用して、これに電燈線電源を接続するのではなく、新たに正確な電圧の周波数を保つ電源電圧をつくり出し、これによってシンクロナス・モーターを廻すという新しい理論にのっとったターンテーブル。それがTD125であった。
 この125のただひとつのウィーク・ポイントがモーターの回転数を変えるための、この電源の周波数切換えと速度徴調整の複雑さ等にある。これをより改良する目的でマークIIが誕生したとも言えよう。
 ターンテーブルはめったに買い換えがきかない点、誰しも同じで、一応気に入ったこの124はこの9年間主役を演じ、125が出たときも、それに置きかえることを拒んできた。
 新型125がいくらプロ用とはいえその構造が本来家庭用であるべき150と同じメカニズム、つまり2重ターンテーブルのベルト・ドライヴ機構である点とクイック・ストップのないことに不満が残ったからであった。しかし、今春のヨーロッパ紀行の経験はこうした単純な考え方を変えてしまった。
 ヨーロッパを歩きその各国のメーカーをまわり、スタジオを見、そしてディーラーのサーヴィス・セクションをのぞいた折、そのひとつとしてトーレンスTD125以外を使用しているところはないことを確かめたからである。
 もっとも信頼性の高い確実な高性能動作を常に保ってくれるというのがこのTD125に対する評価のすべてであった。
 しかし技術の進歩はターンテーブルのSNをさらに要求した。2年来、国産DDモーターがわが国のオーディオ・マニアの聞で急速にアピールしたのもその端的な表われであるし、DDモーターは国産にとどまらずデュアルからもオート・プレイヤーに着装されて商品化され日本にも入ってきた。
 世界最高と自他共に認めてきたトーレンスのターンテーブルはDD流行の波を受けてマークIIとしてマイナー・チェンジされ新たなるディーラー山水電気の手によって日本の市場に姿を呪わした。マークIlとなって電子制御回路を改め従来の複雑な回転速度調整を取り除くことにより一層の安定度と信頼性を獲得して確かさを一歩進め得たといえよう。
 ターンテーブルとアームを乗せた7kgのダイキャスト・ベースはモーターと電子制御回路を取りつけたメイン・シャーシーつまりプレイヤー・ケースからスプリングにより浮かせてモーターや外部からの振動・ショックに対して、またハウリングに強いトーレンスの特長をさらに高めより完全なものにし得たのである。
 こうした超重量級ターンテーブルにみられる立上りのおそい欠点もクラッチ機構により補い、このクラスではプロ仕様に指定されるに足るレベルにまで達し加えてベルトの僅かな伸びなども吸収してしまう工夫もなされている。さらに新たに設計されたアームは軽量針圧ながらダイナミック・バランス(スプリング加圧式)という理想的なものでオルトフォンなきあとの現在世界最高の軽針圧アームと断定してよかろう。

サンスイ SP-707J, SP-505J

岩崎千明

スイングジャーナル別冊「モダン・ジャズ読本 ’74」(1973年10月発行)
「SP707J/SP505J SYSTEM-UP教室」より

 ジェイムス・B・ランシングが1947年米国でハイファイ・スピーカーの専門メーカーとして独立し、いわゆるJBLジェイムス・B・ランシング・サウンド会社としてスタートした時、その主力製品としてデビューしたのが38センチ・フルレンジスピーカーの最高傑作といわれるD130です。
 さらに、D130を基に低音専用(ウーファー)としたのが130Aで、これと組合せるべく作った高音専用ユニットがLE175DLHです。
 つまり、D130こそJBLのスピーカーの基本となった、いうなればオリジナル中のオリジナル製品なのです。
 こうして20有余年経った今日でも、なおこのD130のけたはずれの優れた性能は多くのスピーカーの中でひときわ光に輝いて、ますます高い評価を得ています。今日のように電子技術が音楽演奏にまで参加することが定着してきて、その範囲が純音楽からジャズ、ポピュラーの広い領域にまたがるほどになりました。マイクや電子信号の組合せで創られる波形が音に変換されるとき、必ず、といってよいほどこのJBLのスピーカー、とくにD130が指定されます。つまり、他の楽器に互して演奏する時のスピーカーとしてこのD130を中心としたJBLスピーカーに優るものはないのです。
 それというのは、JBLのあらゆるスピーカーが、音楽を創り出す楽器のサウンドを、よく知り抜いて作られているからにほかなりません。JBLのクラフトマンシップは、長い年月の音響技術の積み重ねから生み出され、「音」を追究するために決して妥協を許さないのです。それは、非能率といわれるかもしれませんし、ぜいたく過ぎるのも確かです。しかし、本当に優れた「音」で音楽を再現するために、さらに優れた品質を得るためには、良いと確信したことを頑固に守り続ける現れでしよう。
 5.4kgのマグネット回路、アルミリボンによる10.2cm径のボイスコイルなど、その端的なあらわれがD130だといえます。
 あらゆるスピーカーユニットがそうですが、このD130もその優秀な真価を発揮するには十分に検討された箱、エンクロージャーが必要です。とくに重低音を、それも歯切れよく鳴らそうというとホーン・ロードのものが最高です。(72年まではJBLに、こうした38cmスピーカーのためのバックロード・ホーン型の箱が、非常に高価でしたが用意されていました。)
 そこで、JBL日本総代理店である山水がJBLに代ってバックロード・ホーンの箱を作り、D130を組込んでSP707Jが出来上ったのです。
 つまり、SP707JはD130の優れた力強い低音を、より以上の迫力で歯切れよく再生するための理想のシステムと断言できるのです。
 あらゆる音楽の、豊かな低域の厚さに加えて、中域音のこの上なく充実した再生ぶりが魅力です。
 刺激のない高音域はおとなしく、打楽器などの生々しい迫力を求めるときはアンプで高音を補うのがコツです。
 SP505JはJBLのスピーカー・ユニットとして、日本では有名なLE8T 20センチフルレンジ型の兄貴分であり先輩として存在するD123 30センチフルレンジを用いたシステムです。
 D123は30センチ型ですが、38センチ級に劣らぬ豊かな低音と、20センチ級にも優る高音の輝きがなによりも魅力です。つまり、D130よりもひとまわり小さいが、それにも負けないゆったりした低音、さらにD130以上に伸びた高域の優れたバランスで、単一スピーカーとして完成度の一段と高い製品なのです。
 D123のこうした優れた広帯域再生ぶりを十分生かして、家庭用高級スピーカー・システムとしてバスレフレックス型の箱に収め、完成したのがSP505Jです。
 ブックシェルフ型よりも大きいが、比較的小さなフロア型のこの箱はD123の最も優れた低音を十分に鳴らすように厳密に設計されて作られており、この大きさを信じられないぐらいにスケールの大きな低域を再生します。
 このSP505Jも、SP707Jも箱は北欧製樺桜材合板による手作りで、手を抜かない精密工作など、あらゆる意味で完全なエンクロージャーといえます。
 JBLスピーカー・ユニットの中で、フルレンジ用として最も優秀な性能と限りない音楽性とを併せ備えた名作がこのLE8T 20センチ・フルレンジ型です。
 この名作スピーカーを、理想的なブックシェルフ型の箱に収めたものがSP-LE8Tです。かって、米国においてJBLのオリジナルとして、ランサー33(現在廃止)という製品がありましたが、そのサランネットを組格子に変えた豪華型こそSP-LE8Tです。
 シングルスピーカーのためステレオの定位は他に類のないほど明確です。高級家庭用として、また小型モニター用として、これ以上手軽で優れたシステムはありません。

個性あるSP707J・505Jへのグレードアップ
より完璧なHi-Fiの世界を創るチャート例

075の追加
 D130と075の組合せはJBLの030システムとして指定されており、オリジナル2ウェイが出来上ります。ただオリジナルではN2400ネットワークにより、2500Hzをクロスオーバーとしますが、実際に試聴してみると、N7000による7000Hzクロスの方がバランスもよく、楽器の生々しいサウンドが得られます。シンバルの響きは、鮮明さを増すとともに、高域の指向性が抜群で、定位と音像の大きさも明確になります。さらに、高域の改善はそのまま中域から低域までも音の深みを加える好結果を生みます。

LE175DLHの追加
 D130と並びJBLの最高傑作であるこのLE175DLHの優秀性を組合せた2ウェイは、D130の中音から低音までをすっかり生き返らせて、現代的なパーカッシブ・サウンドをみなぎらせます。鮮烈、華麗にして、しかも品位の高い迫力をもって、あらゆる楽器のサウンドを再現します。
 オーケストラの楽器もガラスをちりばめたように、楽器のひとつひとつをくっきりと浮び出させるのです。空気のかすかなふるえから床の鳴りひびきまで、音楽の現場をそのまま再現する理想のシステムといえます。

LE85+HL91
 LE175DLHにくらべ、さらに音の緻密さが増し、音の粒のひとつひとつがよりくっきりと明確さを加えて浮んでくるようです。LE175DLHにくらべて価格の上で20%も上るのですがそれでも差は、音の上でも歴然です。
 もし、ゆとりさえあれば、ぜひこのLE85を狙うことを推めたいのです。LE175DLHでももはや理想に達するので、LE85となるとぜいたくの部類です。しかし、それでもなおこの高級な組合せのよさはオーディオの限りない可能性を知らされ、さらにそれを拡げたくなります。魅力の塊りです。

HL91
 D130単体のSP707Jはこのままではなく、最終的にぜひ以上のような高音ユニット3種のうちのどれかひとつを加えた2ウェイとして使うことを推めたいのです。2ウェイにグレードアップしてSP707Jの魅力の真価がわかる、といってよいでしよう。
 D130だけにくらべ、そのサウンドは一段と向上いたします。いや、一段とではなく、格段と、です。
 2ウェイになることによってSP707Jはまぎれもなく「世界最高のシステム」として完成するのです。

LE20を加える場合
 D123のみにくらべ俄然繊細感が加わり、クリアーな再生ぶりは2ウェイへの向上をはっきりと知らせてくれます。ソフトな品の良い迫力は、クラシックのチェンバロのタッチから弦のハーモニーまで、ニュアンス豊かに再現
します
 しかも、JBLサウンドの結集で、使う者の好みの音を自由に出して、ジャズの力強いソロも際立つ新鮮さで、みごとに再生します。全体によくバランスがとれ、改善された超高域の指向性特は音像の自然感をより生々しく伝えるのに大きくプラスしているのを知らされます。

075を加える場合
 LE20にくらべてはるかに高能率の075はネットワークのレベル調整を十分にしぼっておきませんと、高音だけ遊離して響き過ぎてしまいます。D123の深々とした低音にバランスするには高音は控え目に鳴らすべきです。
 ピアノとかシンバルなどの楽器のサウンドを真近かに聴くような再生は得意でも、弦のニュアンスに富んだ気品の高い響きは少々鳴りすぎるようです。

LE175DLHを加える
 LE175DLHも075も同じホーン型だが、指向性のより優れたLE175DLHの方がはるかに好ましい結果が得られ中音域の全てがくっきりと引き締って冴えた迫力を加えます。楽器のハーモニーの豊かさも一段と加わり、中音の厚さを増し、しかもさわやかに響きます。
 075のときよりもシンバルのプレゼンスはぐんと良くなって、余韻の響きまで、生々しさをプラスします。
 クロスオーバーが1500Hzだから、中音まで変るのは当り前だが、中音の立ち上りの良さとともにぐんと密度が充実して見違えるほどです。

D123をLE14Aに
 高音用を加えて2ウェイにしたあとさらに高級化を狙って、D123フルレンジを低音専用に換えるというのが、このシステムです。LE14Aはひとまわり大きく、低音の豊かな迫力は一段と増し、小型ながら数倍のパワーフルなシステムをて完成します。

プロ用の厳しい性能を居間に響かせる
新しい音響芸術の再生をめざすマニアへ

プロフェッショナル・シリーズについて
 いよいよJBLのプロ用シリーズが一般に山水から発売されます。プロ用は本来の業務用としてギャランティされる性能が厳しく定められており、コンシューマー用製品と相当製品を選んで使えば、超高級品として、とくに優れたシステムになります。
 例えばD130と2135、130Aと2220A、075と2405、LE175DLHと2410ユニット+2305ホーンで、それぞれ互換性があります。
 しかし、一般用としてではなくプロ用シリーズのみにあるユニットもありそれを用いることは、まさにプロ用製品の特長と優秀性を最大に発揮することになります。

高音用ラジアル・ホーン2345と2350
 ラジアル・ホーンは音響レンズや拡散器を使うことなしに、指向性の優れた高音輻射が得られるように設計され、ずばぬけた高能率を狙ったJBL最新の高音用です。
 ホーンとプレッシュア・ユニットとを組合せて高音用ユニットとして用います。プレッシュア・ユニットにはLE175相当の2410、LE85相当の2420があり、さらに加えて一般用として有名な中音ユニット375に相当するプロ用として2440が存在します。
 2410または2420をユニットとしラジアル・ホーン2345を組合せた高音用は、従来のいかなるものよりも強力な迫力が得られ、とくに大きい音響エネルギーを狙う場合、例えばジャズやロックなどを力いっぱい再現しようという時に、その優れた能力は驚異的ですらあります。
 ラジアル・ホーン2350は、2390と同様に500Hz以上の音域に使用すべきホーンで、音響レンズつきの2390に匹敵する優れた指向特性と、より以上の高能率を誇ります。
 本来、中音用ですが、2327、2328アダプターを付加すれば、高音用ホーンとして使えます。
 この場合は、LE85相当の2420と組合せてカットオフ500Hz以上に使えるのです。拡がりの良い、優れた中音域を充実したパワーフルな響きで再現でき、従来のJBLサウンドにも優る再生を2ウェイで実現できるのです。
 2350または2390+2327(2328)アダプター+2420ユニットというこの組合せの高音用はJBLプロ用システムの中に、小ホール用として実際に存在しています。
 この場合の低音用はSP707Jと全く同じ構造のバックロード・ホーンに130Aウーファー相当の2220Aが使用されネットワークはN500相当の3152です。

2205ウーファーに換える場合
 プロ用シリーズ特有のパワーフルな低音用ユニットが、この2205で、一般用にLE15Aの低音から中音域を改良したこのウーファーは150W入力と強力型です。
 プロ用ユニットを中高音用として用いた場合の低音専用ユニットとして2205は注目すべきです。SP707JのユニットD130を2205に換えたいという欲望はオーディオマニアなら誰しも持つのも無理ありません。
 2205によって低音はより深々とした豊かさを増し、中域の素直さは格別です。とくに気品のある再生は、現代JBLサウンドの結晶たる面目を十分に果しましよう

2220と2215ウーファー
 SP707JのD130はフルレンジですが、プロ用シリーズの38センチウーファーとして2220があり、130A相当です。100Wの入力に耐える強力型で、130Aに換えるのなら、ぜひこの2220を見逃すわけにはいきません。またLE15Aのプロ用として2215があります。
 以上2205と2220ウーファーは、末尾のAは8Ω、Bは16Ω、Cは32Ωのインピーやンスを表します。2215Aは8Ω、Bは16Ωです。
 プロ用の高音ユニットは全て16Ωなのでもし正確を期すのでしたら、ウーファーも16Ωを指定し、プロ用の16Ω用ネットワークを使うべきです。

マイクロ MR-422

マイクロのアナログプレーヤーMR422の広告
(スイングジャーナル 1973年10月号掲載)

Micro

オンキョー Integra A-722

岩崎千明

スイングジャーナル 10月号(1973年9月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 発表時点より、少し時間を経た新製品、オンキョーA722が、今月のSJ選定品として選ばれた。
 少々遅れての登場には理由がないわけではない。
 つまり、今月のSJ試聴室には2台のA722がある。1台は、当初のもので、もう1台はその後運び込まれた新製品だ。この2台の中身は、実はほんの少しだが違いがある。
 結論をいうならば、この2台は外観も、規格も、仕様の一切は変らないのだが、その音に少しの差がある。それも、低音から中低音にかけての音のふくらみという点で、ほんの少々だが新しい方が豊かなのだ。
 それはSJ試聴室のマッキントッシュMC2300の響きにも似た豊かさといえよう。このわずかながらの音の向上が、今月の選定品として登場するきっかけにもなったわけだ。
 というのは、A722は新製品として誕生した時に、選定品たり得るべきかどうかで検討を加えられたが、ピアノの左手の響きなどに不満を残すとして、紙一重の差で選考にもれ保留されたのであった。
 その後、この音質上の問題点があるステレオ雑誌において痛烈な形で指摘されるところとなった。
 オンキョーのアンプは、従来それと同価格の他社製品にくらべ、きめのこまかい設計技術とそれによって得られる質の高い再生に、コスト・パーフォーマンスが優れているというのが定評であった。それは市版アンプの中でも一段と好ましいサウンドを前提としていわれてきたのであるが、そのサウンドというのは、トランジスター・アンプらしからぬナチエラルな響きに対する評価をいう。
 初期のA722においては、オンキョーアンプの特長で
もあるクリアーな響きが、紙一重に強くでたためか、硬質といわざるを得ない冷やかさにつながる響きとなってしまっていたようだ。その点が特に低い音量レベルで再生したときに、より以上強くでてしまうのは確かだ。出力60ワット、60ワットという高出力アンプであるA722をメーカーの想定する平均使用レベルよりもおさえた再生状態では、上記のことがいえる。
 A722を当初より手元において使っていた私自身、A722のロー・カットをオンのうえ、トーンコントロールは低音を400Hzクロスオーバーで4dBステップの上昇の位置で使っていたことを申し添えておこう。
 ところで、こうした再生サウンドのあり方は、メーカー・サイドでもいち早く気付くところとなり、ここではっきりとした形の改良が加えられた。
 今月、加わったA722はこうしたメーカーの手による新型なのである。
 当初から、大出力アンプA722に対して、8万円を割る価格に高いコスト・パーフォーマンスを認めていた私も、A722の中低域の引締った響きに、豊かさをより欲しいと感じていたが、その期待を実現してくれた。
 トーンコントロールの低域上昇によっても、中低域の豊かさはとうてい解決できるものではない。トーンコントロールで有効なのは、低音においてであり、決して中低域ではないからだ。
 もっとも、響きが豊かになったからといって決して中低域が上昇しているわけではない、アンプ回路設計のひとつの定石である負帰還回路のテクニックに音色上の考慮を加えたということである。性能、仕様とも技術的な表示内容が変らないのはそのためだ。
 なにか長々と改良点にこだわり、多くを費してしまったようだが、それは下記の点を除いてA722がいかなる捉え方をしても、きわめて優れたアンプになりえたからだ。
 もうひとつの不満点というのは、そのデザインにある。8万円近いA722が5万円台のA755と、一見したところ大差ない印象しかユーザーに与えないという点だ。確かにコストパーフォーマンスという点で、並いる高級アンプの市販品群の中にあって、ひときわ高いオンキョーのアンプには違いないが、そうした良さを備えているだけにより以上高級アンプとしてのプラス・アルファのフィーリングが欲しいと思うのは私だけではあるまい。
 だがこれを求めるには、やはり価格的な上昇を余儀なくされる結果に終るかも知れない。
 商品としての限界とマニアの希望とは、いつも両立しないのだが、この点アンプ作りのうまいオンキョーの「高級アンプA722」の悩みでもあろう。
 この悩みを内含しつつも、A722はリー・ワイリーの20年ぶりの新アルバム「バックホーム・アゲイン」をひときわ生々しく、ゆったりと、きめこまやかにSJ試聴室に展開してくれたのであった。

ヤマハ NS-690

菅野沖彦

スイングジャーナル 10月号(1973年9月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ヤマハがコンポーネントに本腰を入れてから開発したスピーカーは、どれもがヤマハらしい、ソフト・ウェアーとハード・ウェアーのバランスのよさを感じさせるものが多い。このバランスがもっとも強く要求されるスピーカーの世界で、同社が優れた製品を生みだしているのは同社のそうした体質の反映と受け取ることができるだろう。
 かつて好評を得たNS650を頂点とする三機種のシリーズ、つまり、NS630、NS620に続いて、そのアッパー・クラスのシリ−ズとして開発されたのが、NS670、NS690という新しい製品である。前のシリーズとはユニットから全く新しい設計によるものであって、今回の2機種は、いずれも、高域、中域にソフト・ドームのユニットをもつ3ウェイ・システムである。エンクロージュアーは完全密閉のブックシェルフ型であって当然、アコースティック、エア・サスペンジョン・タイプのハイ・コンプライアンス・ウーファーをベースとしている。
 今月号の選定新製品として取上げることになったNS690は、もうすでに市販されていると思うから、読者の中には持っておられる方もあるかも知れないが、ごく控え目にいっても、国産スピーカー・システムの最高水準をいくものであり、世界的水準で見ても、充分このタイプとクラスの外国製スピーカーに比肩し得るものだと思うのである。
 世界的にブックシェルフが全盛で、しかもソフト・ドームが脚光を浴びているという傾向はご承知の通りであるが、このNS690も、よくいえば、そうしたスピーカー技術の脈流に乗ったもので最新のテクノロジーの産物であるといえる。しかし、悪くいえば、オリジナリティにおいては特に見るべきものはない。ヤマハはかつて、きわめてオリジナリティに溢れた平板スピーカーなるものを出してオーディオ界に賑やかな話題を提供したメーカーであり、独自の音響変換理論をアッピールし、しかも、これをNS、つまりナチュラル・サウンドとうたって、同社の音の主張を強く打出したメーカーであることは記憶に新しい。その考え方には私も共感したのだが、残念ながら、その思想は充分な成果として製品に現われたとはいえなかった。しかし、欧米の筋の通った一流メーカーというものは、自分の主張を頑固なまでに一貫し、これに固執して自社のオリジナリティーというものを長い時間をかけて育て上げていくと、いう姿勢があるのだが、この点で、ヤマハがあっさりと世界的な技術傾向に妥協したことは、精神面において私の不満とするところではある。だからといって平板を続けるべきだというのではないが……。もっとも、これはヤマハに限らず、全ての日本のメーカーの姿勢であって、輸入文化と輸入技術の王国、日本の体質が、そのまま反映していることであって、同じ、日本人の一人としては残念なことなのであるがしかたがあるまい。無理矢理なオリジナリティに固執して、横車を押すことの愚かさをもつには日本人は利巧すぎるのである。したがって、このN690も、これを公平に判断するには日本の製品という概念をすてて、よりコスモポリタンとしての見方をもってしなければならないだろう。そしてまた、世界的な見地に立って見るということは、専門技術的に細部を見ることと同時に、より重要なことは、結果としての音を純粋に感覚的に評価することになるのである。
 このスピーカーの基本的な音としての帯域バランス、歪の少ない透明度、指向性の優れていることによるプレゼンスの豊かさと音像の立体的感触のよさなどは、まさに、世界の一流品としてのそれであると同時に、その緻密なデリカシーと、一種柔軟な質感は、日本的よささえ感じられるという点で、音にオリジナリティが感じられる。これは大変なことであって、多くの日本製スピ−カーが到達することのできない音の質感と、それとマッチした音楽の優しさという面での細やかな心のひだの再現を実現させた努力は高く評価できるものだ。反面、音楽のもつ力感、鋼鉄や石のような強靭さとエネルギッシュで油っこいパッショネイトな情感という面で物足りなさの出ることも否めないのである。私の推量に過ぎないが、これは中、高域にソフト・ドームを使ったシステムの全てがもつ傾向であるようで、これが今流行のヨーロッパ・トーンとやらであるのかもしれないが……?

オーレックス

オーレックスの広告
(スイングジャーナル 1973年10月号掲載)

AUREX

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年9月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年7月号掲載)

Micro

オンキョー Integra A-755

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1973年6月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より

 オンキョーがステレオに本腰を入れてからまだ6、7年しかたっていない。今日のリーダー的ステレオ専門メーカーが、昭和20年代から20年以上のキャリアを誇っている中にあっては、まあ後発メーカーといわれても何の不思議もない。しかし、スピーカーというステレオ・パーツの中でも、もっとも音楽的な感覚を要求される部分を手がけるキャリアは20年を軽く越しているのだから、後発というのはメーカーからすれば不当なりともいえる。
 しかし、ここ数年の驚くべき努力とそのみごとな成果によるこうしたメーカーの体制の変化は、後から割り込んだこのメーカーの実力を、業界のあらゆる分野に驚きとおののきをともなって知らしめたことは、まごうことなき事実なのだ。
 あらゆるアンプ・メーカーが、オンキョーの放つ新製品、特にそのアンプに注目し、市場に出るや否や、その製品の解析がライバル・メーカーの開発技術者のひとつの課題として、もはや定着してしまっている風潮がみられるほどだ。
 オンキョーのアンプ設計技術は、他社の新型を模することからはじまる中級アンプの大方の傾向とはまったく違って、常に新たなる設計理論の裏付けを持ち、国産メーカーには珍しくはっきりした形をとって輝いているのである。それも、このクラスの製品によくみられる生産性に比重を置いた技術ではなく、性能向上をはっきりめざした技術としてである。
「回路供給電圧を高くしただけじゃないか」といったライバル・メーカーの技術者がいるが、それがもたらす向上、ダイナミック・レンジの大幅なアップ、パワー段ドライバーの歪率の絶滅化、加えてそれらに反する安定性への大きな配慮など……こうした技術は次の時期の各社の製品にわがもの顔ですばやくとり入れられてしまうのだが、それに気付いたのはオンキョーのアンプが皮切りになっているはずだ。
 701からはじまり、725、733と経て、現在オンキョーの主力製品は755と、そのジュニア版766だ。近くそのトップ・レベルとして722が出るが、この3種のアンプ技術こそ、国産アンプの格段の飛躍の引き金となっていることは、広くは知られていない。
 だが、オンキョーという他の専門メーカーよりはいくらか弱いイメージのこのブランドの製品が、この半年間、日本のあらゆる市場で売れまくっているのは業界内部の常識である。これはユーザーは決しておろかではなく、知らないわけではないということを物語る痛快な事実だ。
 オンキョーのアンプは、中を開けるまでもなく、パネル・デザインも派手さがなく、おとなしくて控え目である。性能表示も決して誇大にしてはいない。しかし、このつつましやかなアンプが、いったんボリュームを上げたとき、そのしとやかな、ためらいがちな外観からは想像できないパワーとエネルギーをもたらすのである。30Wというのは、こんなにも力強いものなのかという実感をひしひしと味あわせてくれるのだ。
 カタログに記載されている表示値になかなか達することの少ない国産車なみのオーディオ・パーツの中にあって「うそのないアンプ」、これがオンキョーのアンプだ。
 インディアンのたわごとと軽くみるのはまちがっている。倍以上もする価格のアンプの発表データさえ当てにならず、規格どうりの出力はスイッチ・オン以後20分間だけ、あとは規格の70%でクリップしてしまい「それが当り前だ」といってはばからない「高級エリート向けアンプ」が少しも疑われずに大手を振っている国産アンプ業界なのだ。
 よく、オンキョーのアンプは真空管的だなどといわれるが、そういういい方よりも、「あらゆるアンプが最終的に到達するであろうと思われるサウンド」というべきだろう。3極管OTLにも近いし、超低歪率を狙った多量NFのトランジスタ・アンプにも似ている。こうしたサウンドはまじめなアンプ回路の追求から生れ出る以外のなにものでもない。
 オンキョーのアンプは755に限らず次の製品も次の製品も、常に多くのユーザーに支持され、多くのメーカーの注目するアンプであるに違いないと思うのである。

ブラウン L810

菅野沖彦

スイングジャーナル 7月号(1973年6月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より

 L810はブラウンのスピーカー・システム群の中では高級機種である。ブラウンのスピーカーが日本へ輸入されてまだ日が浅いし、実際の商品の供給も軌道にのっていないようだ。生産能力のある会社だから日本でのサプライが早く順調になってほしいものである。選定新製品としてはマルチ・アンプの組込まれたL1020を取上げたのだが、代表的なものとなるとこのL810を選ぶのが妥当であろう。20cm(正確には21cm)ウーハーを2つベースにしてその上に5cm径のドーム・スコ−カーと2・5cm径のドーム・トゥイーターを組み合わせた3ウェイのユニット構成。内容積41ℓのブックシェルフ型密閉エンクロージュアーで別売のスティール脚を取付けて据置型としても使えるものにまとめた中型システムである。ブラウンではこのシステムをスタジオ用といっているところからみても、そのクォリティへの自信のほどが伺える。外装はウォールナットとホワイトの2つの仕上げが選べるが、どちらもフレッシュでシャープなデザイン感覚をもった美しいものだ。ユニットのクロスオーバーは550Hz、4kHzで12db/octの特性。9種類に及ぶスピーカー・システム群は共通のトーンとデザイン・ポリシーに貫ぬかれていて、6・4ℓ容積の2ウェイであるL420や7ℓ容積のL310といったコンパクト・タイプから、このL810に至るまでの様々なバリエーションは広くユーザーのニーズに合わせた製品構成である。これだけの種類の名システムが共通した音のイメージをもっていることは感心させられるし、メーカーの主張、性格が明確に表われているのはさすがである。ドーム・トゥイーターとドーム・スコーカーは共通のユニットを使い、2ウェイの場合はトゥイーターを1・8kHzから上で使うという方法をとっている。ウーハーはこの810に使われている21cm径のほか17cm、18cm、30cmの三種類を使いわけているが、いずれもコーンの材質、エッジやサスペンションなど振動系の設計は共通のものだ。一つのメーカーで、いろいろなスピーカーをつくり、これが同じメーカーの製品かと驚ろくような異質なものを発売しているメーカーが少くないが、それに対して、こういう行き方は、いかにもメーカーとしての自信、信念が感じられて好ましい。同じメーカーがソフト・ドーム、ハード・ドームやホーンなどといろいろなスピーカーを出すというのは、本来おかしい事で、日本のメーカーの多くに見られる例だが、マルチ化したユーザーへのサービスといえば聞えがいいが、本当は自信のなさと試行錯誤の中で、とにかく売ろうという考え方の現われとしか思えない。あまりにも無節操ではないか。
 それはとも角このL810はそうした共通のポリシーに貫ぬかれたいづれもそのサイズと価格内では最高のスピーカー・システムといってもよい製品群の中で、最高の位置づけにふさわしい優れたシステムである。周波数帯域はきわめて広く、素直にのびきった高音のさわやかさ、透明感は類がない。そして、豊かな低音は、楽器の低音域の充実した響きを鳴らし、全体の音楽的なまとまりほケチのつけようがないほどだ。今やオーディオは、スピーカーの音そのもので音楽的実体験が得られるといってもよいところまできていると思うが、このスピーカー・システムなどはまさにそれに価いするものだといってよかろう。録音のよいプログラム・ソースを優れたアンプを使って、このL810で再生すれば、その演奏から受ける感銘度は、生の演奏から受ける感銘度に匹敵するものだと思う。こう書くと、気のはやい人は生の音とそっくりという意味にとられるかもしれないが、そんな馬鹿げたことをいっているのではない。音楽体験としての質の高さ、次元の問題としての話しである。私は今、このL810をマッキントッシュのC28とMC2105のアンプで自宅で聞いているが、その再生音にはかなりの程度満足している。かなりの程度といったのは他にも勿論よいスピーカーがあり、それらはそれらの魅力をもっているからだ。111、000円という価格は、このシステムの質として、輸入品として決して高くない。
 すばらしいシステムだ。

良い音とは、良いスピーカーとは?(5)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 27号(1973年6月発行)

高忠実度スピーカーの流れ
 いまさらこんなことを言い出すのは気が引けるが、この連載の最初の予定はこれほど長びかせるつもりではなかった。本誌22号のフロアータイプ・スピーカーの特集号で、編集長から《良いスピーカーの条件》について書くようにとの依頼を受けて、さて考えはじめてみると、どうも容易なことではなさそうに思われてきて、良いスピーカーの定義をするにはその前にまず《良い音》とは何かを考え直してみたくなり、そう考えてゆくとさらに良い音とはいわゆる《原音の再生》なのだろうかという考えにつき当って、それなら原音再生とは何だろうというところまで遡って、そこでこの拙文を書きはじめた。22号では原音再生の歴史の流れを考え、23号では原音再生という言葉の原点に立ちかえって、24号でそれをわたくしは《写実》であるべきだと考え、その項の終りから25号にかけて原音やその再生の前に立ちはだかる人間の錯覚について、ひとつの極端な場合を考えた。書いているうちにわたくし自身の考えのあいまいだったところが自分でもわかってきて、人さまに説明する以前に自分自身をまず納得させるような、いわば考えながら書き進めるような形をとらざるをえなくなって回りくどい話のくり返しになった点を、不勉強のためとは言え、改めてお詫びしなくてはならない。26号は別のテーマで一回休みを頂いたので、今回の話は25号からの続きになるが、右に書いた話の中で、再び24号のテーマであった原音再生の原点ともいうべき《写実》の問題に帰ってみる。
 それをもういちど整理して言うと、音の録音・再生のプロセスには人間の錯覚が入りこむ余地が多いにしても、少なくともそのためのメカニズム自体はそうした錯覚に甘えることなく、できるかぎり正確に音を伝達する性能を具えているべきだとわたくしは思うで、話をスピーカーに絞っても、良いスピーカーの条件のまず第一に、送り込まれた信号の忠実な再現という項目をあげたいと思う。だからスピーカー自体の弱点や欠点から生じる固有の音色をできるたぎり排除したいと、わたくしはいま考えている。メカニズムの不備から生じる固有の音色(カラーレイション)を、原音再生のプロセスに悪用してはならないと考えている。そのことはアンプについてあてはめてみると割合容易だが(別項「アンプテストを終えて」を参照頂きたい)、スピーカーのような音響変換系には、口で言うほど簡単には片づかないむずかしい問題が山積している。そのことをどうしたらうまく説明できるだろうか……。
     1
 わたくし自身の耳が本質的にナロウレンジ(狭帯域=音域がせまい)の音質を受けつけないらしいことは、ずいぶん以前から薄々は感じていた。スピーカーに限らずアンプでもカートリッジでも、ことに高音域の伸びていない音を本質的に拒絶してしまう。スピーカーでいえばその典型がアルテックで、その点はやや解説が必要になると思うが、アルテックのハイクラスの製品は、ふつう一般に考えられているほどワイドレンジではない。本誌22号の228ページに一例として「ヴァレンシア」システムの周波数特性が載っている。低音は80ヘルツ以下でスパッと切れ、高音は6キロヘルツあたりからすでに下降しはじめる。とうてい現代のハイフィデリティ・スピーカーとは言えないが、それでいてこのスピーカーはすばらしく充実した豊かな迫力でもって鳴る。わたくし耳はこのレンジの狭さを拒絶するが、ヴァレンシアの音質を好む人たちは決して少数ではなく、事実このスピーカーは定評ある高級スピーカーの代表機種のひとつである。ただ、わたくしがその音を好まないというだけの話なら、なにもこのことをくわしく書く必要はないが、以上の話が、これから書こうとすることのひとつの前提になる。
 アルテックのスピーカーが、アメリカ・ウェスターン・エレクトリックの、さらに遡っていえばベル・サウンド・ラボラトリーの設計を受けついでいることはすでにご承知のとおりで、そことはわたくしよりも池田圭先生に解説をお願いする方がよいのだが、たとえば代表機種のA7は the voice of theater と名づけられ、劇場やオーディトリアム用のいわゆるシアター・サプライとして広く使われており、もうひとつの代表機種604Eは世界中のレコード会主や録音スタジオでマスター・モニターとして採用されている例をみても、 アルテックの音が本質的にはシアター・サウンドでありプロフェッショナル・サウンドとして高く評価されていることは容易に理解できる。しかもA7も604Eも、現代の音響機器の水準からみて絶対にワイドレンジ・スピーカーとは言えない。たとえば604Eのカタログには高域のレンジが22キロヘルツなどと書いてあるが、測定してみれば、決して22キロヘルツまでが平坦に延びているという特性でないことは一目瞭然である。
 誤解しないで頂きたいが、わたくしはこう書くことでアルテックのスピーカーとカタログを誹謗しようなどとしているのでは決してない。この後の話の前提として、ナロウレンジのスピーカーが一方に厳然と存在し評価されていることをまず知っておいて頂きたいので、しかしアルテックのA7や604Eが世界じゅうのプロフェッショナルに認められもし、またオーディオ愛好家からも好まれるだけの立派な音を再生していることが確かな事実であると同時に、好き嫌いはともかくその周波数特性が決してワイドレンジでないことも、いまはまず頭にとめておいて頂きたいのである。
     2
 スピーカー設計の変遷をたどってゆくとそれだけで一冊の厚い歴史ができ上ってしまうが、いまこ狭いスペースではそのディテールを探ることをしない(この点について興味のある方は本誌第5号から11号まで連載された池田圭先生の名著「スピーカー変遷史」によられることをおすすめしたい)。
 ここでは、わたくし自身のきわめて主観的な分類によって、高忠実度スピーカーとして現存している著名製品の源流を大きな三つの流れに分けて話を進めてゆく。
 その第一が、前項で触れたベル研究所に端を発するシアター・スピーカーの流れであり、その第二はカーR以降に急速に普及し発展した家庭用小型スピーカー(いわゆるブックシェルフタイプ)であって、ふつうオーディオファンの話題にのぼるスピーカーシステムの大半が、この両者のいずれか、或いは両者の長所をそれぞれとり入れて作られている。しかしここ数年来急速に抬頭してきたヨーロッパ系の家庭用スピーカーについて調べてゆくうちに思い当った第三の源流に、イギリスのBBC放送局が独自に開発を進めた広帯域モニタースピーカーがあげられる。そのことについては従来はほとんど書かれたことがないし、わたくし自身がその音質にも考え方にもいま最も傾倒し共感しているので、この点に相当の重点を置いて解説したいと考えているが、その前にまず、第一のシアタータイプと第二の家庭用小型スピーカーの流れと変遷についてごく簡単にふれておく必要があるだろう。
 シアター・スピーカーとはその呼び名のとおり、広大な劇場やホールで、すみずみまで音声を伝達(サービス)しなくてはならない。ハイパワーで、しかも明瞭度の高い音を伝えるには、本質的にワイドレンジであってはならない。いわゆる胴間声を避けるためにも適度のローカットが必要になるし、モーターの回転音やハムその他の低域の唸りや雑音が耳につかなくするためにもあまり低音を伸ばしてはいけない。高音域も楽器の音色を識別するに必要な最少限の帯域でカットしてしまう方が、ヒス性のノイズを出さずにきれいで明瞭な音が聴ける。人間のラウドネス(聴感特性)を考えても、ハイパワーでのサービスにワイドレンジはかならずしも必要とはいえなくて、そうした点をわきまえ、音楽を伝達するに十分な最少限の帯域──言いかえれば低音も高音もこれ以上カットしたら耳に不満を感じる一歩手前のところまで帯域を狭めて、明快でよく通る音を作りあげたのが、アルテックのシアター・システムの音質だと言ってよいのではないか。
 こういう狭帯域のトーンは、一般の家庭に持ち込んだ場合に往々にしてデリカーの欠如した印象を与えるが、アルテックの場合はその狭い帯域の中での音質が永年に亘ってみがき上げられ、完成度の高い説得力に富んだ音色になっていて、ことに手巻き時代から蓄音機を聴き馴染んだレコードファンの耳には、むしろその狭い音域とともに好まれる傾向が多いのだとわたくしは解釈している。
 家庭での良い音の再現には本質的にワイドレンジが必要だということを直観して、アルテック・ランシングを飛び出して家庭用高級スピーカーの製作をはじめたのが、J・B・ランシングであった。言いかえればJBLは設立の当初からナロウレンジを拒否してできるかぎり広い帯域で忠実度を高めるという方向から出発した。そしてもうひとつ、アルテック──というよりウェストレックス=ベル研究所の原設計の種をイギリスという土壌に蒔いて実らせたが、ひとつはヴァイタヴォックス、もうひとつはタンノイだといえる。ヴァイタヴォックスのユニットはほとんどウェストレックスの設計のままとも言えるが、タンノイは、創始者であるガイ・R・フォンティーン Guy R. Fountaine が、アルテック604を原型としてモディファイしたユニットだと言われている。しかしヴァイタヴォックスもタンノイも、原設計にくらべてずっと広帯域に作られていることも知られているが、おそらくイギリス人の耳のデリカシーが、ナロウレンジを拒否したのだろうとわたくしは想像する。むろん帯域ばかりでなくもっと本質的な鳴り方そのものの問題でもあるが、そしてそれは音と風土や歴史の問題でもあるが、そのことはもっと後になってからくわしく論じよう。
 こまかく言えばこれ以外にもアメリカには、GEやジェンセンやRCAから源を発したコーン型スピーカーの流れがあり、それはヨーロッパに渡ってローラーやワーフェデールやグッドマンによって発展させられ、またドイツにはクラングフィルム→シーメンスと発展したベル系とはまた別のシアターサウンドがあるが、スピーカーの歴史をこまかく眺めるスペースがないので細部を飛ばして言うと、それらいわゆる戦前型のスピーカーの流れを大きく転換させるきっかけを作ったのが、エドガー・ヴィルチュアのARスピーカーであった。この点については本誌10号に岡俊雄氏の詳細をきわめた解説があってこの方面に不勉強なわたくしはせいぜいその引用ぐらいしかてきないが、要約すると、いわゆるアコースティック・サスペンション方式により超小型に作られた(少なくともAR出現当時=1954年の一般の高級スピーカーからみると、内容積1・7立方フィート=約45リッター強というキャビネットは超の字のつく小型に見えた)密閉箱は、考案者E・M・ヴィルチュアによれば名にも小さく作ることが目的だったのでなく、できるだけ低い周波数までひずみなく再生するにはどうしたらよいかというアプローチから生まれたものだそうだが、1958年以降のステレオの普及にともなってスピーカーが二台必要になって、一般家庭では外形が小さいということも大きな長所になり、その後世界中メーカーがこのタイプからさまざまの展開を試みて、今日の標準型ともいえるブックシェルフ・スピーカーの全盛期を迎えたというのが真相のようだ。
     3
 広いサービス・エリアと強大なパワー前提として発展をとげたシアター・スピーカー。それを原形としてさまざまのアレンジが試みられた過去の大型家庭用スピーカーシステム。そこに抵抗を挑み成功した小型ブックシェルフ・スピーカー。そしてその折衷型ともいえる中型の家庭用フロアータイプスピーカー。これら従来わたくしたちの目にふれてきた大半のスピーカーとほとんど無関係に、イギリスのBBC放送局の研究所では、著名な音響学者D・E・L・ショーターらを中心として新しいモニタースピーカーの開発が進められていた。そことが表面にあらわれたのは少なくとも1946年以前のことで、1946年といかば昭和21年、日本が大戦に敗れ国中がずたずたに疲れ果てていた年である。この年、BBCのクォータリーに、スピーカーの新しい分析法として過渡特性 transient response(最近は過渡応答と書く人が多いが同じこと)の測定法を考案し発表したのがショーターで、おそらく彼の頭の中にはそのときすでに新しいスピーカーシステムの構想が芽生えていたに違いない。或いはすでにスピーカーユニットの一部が開発されてさえいたのかもしれない。あの戦争のさ中に、ドイツから無人ロケットが飛んでくるロンドンで、スピーカーの音を考えていたという人間はいったいどんな顔をした男なんだろう!
 ショーターの過渡特性測定法にヒントを得てアメリカRCA研究所のマリントンとウッドの二人が、トーン・バーストによるトランジェント・レスポンス測定法を考案したことはよく知られていて、これが現在でも過渡特性を測定する効果的な手段のひとつとしてよく使われていることも周知の事実である。
 ともかく、BBC放送局が新しいモニタースピーカーの開発に本格的に着手したのは1950年頃からで、それに次のような条件がついていたらしい。
 第一に、来るべきFM時代の広帯域放送を監視(モニター)するためには、それまでの市販スピーカーでは帯域も狭く特性もでこぼこでいわゆる音の色づけ(カラーレイション)が強く、良いプログラムソースを作るための正確なモニターができないため、できるかぎり広い帯域をフラットに色づけ(カラーレイション)少なく再生することのできるモニタースピーカーが必要であること。
 第二にプログラムソースのダイナミックレンジに十分対応できるパワーハンドリング・キャパシティ(耐入力)を持っていること。
 第三に、ミクシングルームの狭いスペースで近接して聴くという条件、しかもスタジオ内の壁面その他の影響をできるかぎり受けにくいという条件を満たす構造であること。
 第四はスタンダードのサンプルに対して一台ごとの特性及び音色の偏差ができるかぎり少ないこと。そういう条件にあてはまるような生産性を持っていること。
 これ以外にも数多くの細目があったらしいが、数年間の試作を経て1955年頃にはすでに実用の段階にいたり、1960年頃にはほぼ現在の形が決定し、スタンダード・サンプルに対してキャリブレイト(較正)されBBCが認可した製品に対しては一部市販が許可されるようになった。これがLS5/1Aモニタースピーカーで、それまでにプロフェッショナル関係で使われていたRCAのLC1Aやアルテック604シリーズまたはヴォイス・オブ・シアター、あるいはタンノイのDC15モニターなどにくらべると、はるかに帯域が広く自然で色づけの少ない素直な音質を持っている。その外観は写真を、構造は図を参照して頂きたい。発表されている周波数特性もあわせて示す。このLS5/1Aは、イギリスのスピーカーメーカーKEFで製作されているが、どういう理由かトゥイーターはセレッションの特製品が使われ、ウーファーはメーカーが不明だが、例のKEF独特の楕円形でなく、ごく普通の15インチ・コーン型がついている。

サンスイ AU-9500

岩崎千明

スイングジャーナル 6月号(1973年5月発行)
サンスイ広告「岩崎千明のマニアノートより ブラックストンの重いパイプ」より

 12月も押しつまったぎりぎりのある午後のSJ試聴室に、2月号のヒアリングに来ていたオレの前に、むくつけき、という形容がぴったりのニグロの大男が、児山編集長に伴われて、のっそりと入ってきた。
「ミスター、アンソニー・ブラックストン!」児山さんの紹介の言葉がまったく信じられなかったが、まちがいなく、写真で見知った顔と、眼前のひとなつこく輝く眼とが一致した。ずっしりと、重く、すっぽりと包まれてしまうほどの固い握手に、昔、エルビンとかわしたときの握手と似た熱い血を、笑顔とうらはらに皮膚をつらぬいて感じとった。
 ブラックストンは、このときもすごく大きなボールの、いかにも一見ハンドクラフトめいたパイプを右側に傾けて、まわり中、ひげだらけの口にくわえていた。
 あとで編集F君の話によると「あんなでかい、重いパイプをくわえていて、重くないかと聞いたら、パイプは重いほどいいのだ、いかにもパイプをくわえてるという気がするから、といってたよ」とか。
 一般の通説では、パイプは口にくわえても負担にならないほうがよい。だから軽ければ軽いほど良いパイプだ、というから、この通念とは逆なことをブラックストンはいったわけだ。
 最近、ジムニーやホンダ・ステップバンなど小さいくるまに乗って、都内に出かけることが多く、そのとき、ポケットの中がごちゃごちゃしない理由もあって、パイプはコノウイッチのカナディアンのサンドブラストを持って出ることが多い。手元にあるパイプのうちで、これが一番軽いことも、それに手をのばすことが多い理由である。パイプをくわえるという意識が自分自身に対してもっとも目立たないのが気に入るのだ。しかし、ブラックストンのように、「いかにもパイプをくわえているとういう気になれる」のもパイプのひとつの大きな存在価値であろう。ブラックストンのパイプは、何の銘柄であるかは知らないが黒く、大きく、いかにもずっしりと重そうで、彼の吹くアルトのサウンドをそのままに表わしていた。
 黒く、重くズッシリと、といえば、サンスイの作るアンプもすべて、この上なく黒く重くズッシリとしている。AU9500などは同価格の国産アンプにくらペて50%以上も重く、大きい。これを持つものは、おそらく、高性能アンプを手元に置いたという実感を、いや応なしにずっしりと味わえるだろう。パワー・ギャランティーも、ひずみ0・1%で全音声帯城をいっぱいにカバー、という国際水準でもトップレベルの厳格な規格仕様だ。
 トランスの重量だけでも8キロ余り。全体で23・3キロ。ヒート・シンカーはアルミの押出し成型で特注。ツマミはダイキャストのムク。シャーシーは、何かドイツの車を思わせる厚さ。すべてが凝り性向きだ。色んな意味で「重み」を感じさせるアンプである。

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年6月号掲載)

Micro

ビクター JA-S5

岩崎千明

スイングジャーナル 6月号(1973年5月発行)
「SJ選定新製品」より

 小さいテリア・ニッパーが耳を傾けたあの可愛い姿で、じっと聴き惚れるにふさわしい、秀れた音のアンプが日本ビクターの手により実用性高い形で、やっと実現した。JA−S5である。
 すでに6ヶ月前、ビクターの意欲作、高級大出力アンプJA−S9がSJ選定品としてこのページに登場するにふさわしい内容をもって、市場に出た。当時、オーディオ・フェアの直後という製品の最も多い時期であったのと、9万円という当時のレベルからして高価格製品ということも理由になって、惜しくも登場の期を逸したのであるが、その賀の高さは昨年後半から今年上四半期に至る数多いアンプ製品群の中でもベスト・スリーを下るまい。
 その密度高く、迫力をみなぎらせたハイパワー出力からたたき出されるサウンドは、楽器をむき出しにしたジャズ再生の要求上限をもかるくいなすほどに底力を感じさせ、それまでのビクター・トーンとはうって変って私を驚かし、喜こばせ、とりこにしてしまったほどであった。
 しかしそのJA−S9の9万円という価格はだれにでも勧められるというものではない。いくらビクターで自慢の7ポジション・トーン・コントロールSEAがついているからといっても、また音色判定を容易にするピンク・ノイズ発生回路を内蔵しているとしても、やはり9万円はアマチュアの懐には負担なのだ。
 前後して出たSX3の評判がその後、急激にエスカレートすると共に、JA−S9の方はメーカーの思惑とは逆にその影が薄くなってしまうほどであった。おそらくビクターにしてみれば、文字通り嬉しいやら、苦しいやらであったろう。しかしSX3の近来まれなほどの成功が、JA−S5の門出をうながす結果となったのは、不幸を華に転ずるの例えに似よう。
 SX3は大めしぐらい──ハイパワー・アンプでないとせっかくのサウンドが活きてこない──という多くの声が、ビクターの普及価格の高性能アンプの市場進出を大きく促すことになったわけである。申しそえるとJA−S9のもう一段下のランクにJA−S7があるが、これとて7万円だ。7万円というレベルは、市販アンプ群の最も密度の高いところで、競争製品は多く、それぞれ濃い内容を誇っており、JA−S7はそれにくらべて特筆するほど良いとはいい難い。つまりビクターはSX3が売れれば売れるほど、それをドライブすべきアンプに他社製品をいざなってしまうという矛盾をこの数ヶ月味わうことになってしまった。
 そしてやっと待ちに待ったJA−S5が登場したのである。ビクターのSX3をフルに活かすにふきわしく、むろんこのクラスの市場製品中でも最も高い品質を秘めて。
 JA−S5はひとつ上のランクのJA−S7ではなく、なんとそれを飛び越して、JA−S9のレベルにまで内容を高めんと、無謀ともいえる企画性が、その内容の基本となっている。
 だからメーカー側もいう通り、パワー・トランスはJA−S9のそれを源として設計されている。最大出力も2万円高JA−S7と肩を並べるほどだし、すべてのアクセサリー、その他パネル・デザインなどもJA−S7に準じている。いや、かえってJA−S5の内容が優れている点が多い。例えば入力切換スイッチは、リア・パネルに近いイコライザーのプリント板にスイッチを取りつけて長い延長シャフトを前面パネルに出すなど充分高い注意が払われている。2万円も安くてそんなばかなことができようはずがないと思うが、その意表外な企画を実現するところはやはり、日本の伝統的ステレオ・メーカー、日本ビクターならではなのだろう。
 つまりべらぼうな量産性と、そのための体制がガッチリとでき上っているからに違いないのだ。
 JA−S5を試聴室のマッキントッシュのハイパワー・アンプと切換えてみても、JA−S5においてかえって音の立上りなどきれいすぎるほどに感じられるのは私だけであろうか。
 ポール・ブレイの新しいソロ・アルバムにおける、タッチの「みずみずしさ」は、まさにぬれて輝くかのようで一瞬「ドキッ」としてしまうものがある。

サンスイ SP-95

菅野沖彦

スイングジャーナル 6月号(1973年5月発行)
「SJ選定新製品」より

 山水が久々に放ったヒット商品! というのが私の率直な感想である。このSP95、このところ数年間、ただの一度も、一機種も、私の耳にぴたりときたことのなかった山水のスピーカー・システム群とはちがって、一聴して肌合いのよい共感をもって音楽を聴かせてくれたのである。このところ、一段と音らしい音を聴かせてくれるようになった国産のスピーカー・システムの中にあって、これは一際光彩を放つものではないだろうか。私はスピーカーというオーディオ機器のパーツの中で最も厄介視されているこのパーツが大好きである。たしかに、純粋に技術的に見れば、これほど進歩の遅いものもないだろうし、生産性の悪いものもなかろう。しかし、逆にいえば、これほど素晴らしいものもない。第一、スピーカーというものは、それ自体、オーディオそのものであり、録音再生音楽の全ての性格を決定づけるものであり、それはあたかも、映画のスタリーンのごとく、それなくしては、すべては存在しないのである。スピーカーの存在が、つまりはオーディオであり、スピーカーの性格(個々のスピーカーのそれではない)に、全ての録音再生のプロセスは支配されているといっても過言ではないと思うのである。
 オーディオの世界、レコード音楽の世界はスピーカーの世界である。したがって、スピーカーというものが変換器として、いろいろ問題をもっていることをほじくり出してネガティプに見るという姿勢を私はあまり好まない。問題はあくまで解析して、よりよいスピーカーを作るべきだと思うけれど、一方、あのシンプルな振動板(一見そう見えるだけで実は極めて複雑怪奇だが……)から、あれだけ多彩でそれらしい音の出てくるスピーカーの素晴しさを認めて、スピーカー側からアンフやプレイヤーを見るという姿勢も大切であるように思うのだ。再び、映画のメカニズムに例えてみるならば、スピーカーの歪とかF持とかいったものは、映画のスクリーンのサイズや形、色、平面性といったようなものであって、スクリーンのサイズや形を無視して映画の撮影はできないし、スクリーンそのものが色がついていたら、フィルムの色は忠実に再現できないのと同じようなものではないか。スクリーンの色を真白にすべきなのと同じように、スピーカーの歪は取りのぞくべきであるし、フィルムの縦横の比率と異ったスクリーンで画面が切れるようなことがスピーカーにはあってはならない。つまり、プログラムソースに収録されている帯域のすべてが再生され得るF特を持つべきだ。映写された画面の色が光源によって大きく変るのと同じように、録音再生の系の中でスピーカー以外に起因するファクターも無視できない。しかし、そんなことよりもっと大切なことは、映画が、スクリーンという虚像の投影の場を明確に肯定しているということの認識である。スピーカーの歪を取りのぞくことはスクリーンを真白にすることより難しかろう。しかし、スクリーンの存在は、少くとも、本物か偽物かという感覚の対象としては、それがどんなに大きくワイドになろうとも、スピーカーに対するよりはるかな実感をもって偽物という認識がもたれている。いや、偽物という表現は適当ではない。ちがうもの、独自のもの、という認識というべきだろう。オーディオにおけるスピーカーへの認識も、そろそろ、そうした次元に立たなければならない。スピーカーとして要求されるものはなにかということをもっと考えてみる必要がある。それは、忠実な変換器という物理的ファクターの上に立ちながら、しかも、美しい音を聴かせてくれるいいスピーカーではなかろうか。SP95に、私はこの辺の成長した考え方を感じた。しかも、それを常に価格という制約の中でまとめなければならない商品としてのバランスのよさも納得のいくものだった。
 山水としては初めての密閉型エンクロージュアに納められた25cmウーハーとソフト・ドーム・トゥイーターの2ウェイが、このサイズとしては最高の豊かさと甘美な味わいをもって鳴る。プレゼンス、定位、音像の切れ込みも満足のいくもので、広いジャンルの音楽にバランスのよい再生音を聴かせてくれた。このクラスの密閉型ブックシェルフとしては能率も実用的に充分な高さで使いよい。