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ビクター P-L10

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプの音はコクがある。やや押しつけがましい感じがするほどである。繊細さや透明感といった面よりも、豊かさ、粘りのある質感といった印象の強い音である。だから、人によっては好みがはっきり分かれ、くどい印象として嫌われるかもしれない。開発時期が新しいものではないが、ウォームな質感は音楽の表現にとって、最新アンプにないよさもある。濃厚な質感で決して無機的な響きは出さないのだが、それだけに、やや重苦しい感触だ。
[AD試聴]それほどレンジの広さは感じないが、音がマッシヴなためオーケストラのスケールは大きく、迫力がある。これで、各音像にもう一つ輪郭の明確な彫琢のシャープさがあればよいのだが……。マーラーの再現には濃艶な味わいを聴かせる。「蝙蝠」のステージのライヴネスの透明感が不足するので、臨場感が不足する。余韻が抑えられる感じだ。ロージーの声は、いかにも年増の濃艶な色気たっぷり。ベースは重く豊かだが、弾みは悪くないのでスイングする。
[CD試聴]肉付きのたっぷりした、グラマラスな感じのする音はCDでも共通のオーケストラなどのマッシヴな厚味がよく出て、堂々と響くのはよいのだが、もう少し、透明感が欲しい。冴えとか、さわやかさといった情趣が苦手のようだ。反面、強い説得力がある音だ。B&Wより、JBLのほうが合うようで、量感のあるふくよかな音が、JBLのシャープなエッジと結びついて効果的だ。ジャズでは特にこの傾向が強くJBLは大変よく鳴った。

テクニクス SU-A4 MK2

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 淡白な味わいで、色に例えると、明るめのグレーといった感じの音である。温度でいうと20度Cぐらい。つまり、熱っぼい表現でもなければ、冷たいわけでもない。そして、音が軽目の印象でマッシヴな実体感は感じられない。高域に独特の木目の細かさがあって繊細感があるが、迫力は物足りない。絵に例えると水彩画の味わいで、決して油絵ではない。そんな印象の音である。特性のよさは感じられるのだがエネルギー感が不足しているのだろうか。
[AD試聴]ヴァイオリン群の高域に、独特のキャラククーがあって、ある種のリアリティを演出する効果があるが、少々線が細いようだ。音の出方が平板で、立体的な丸味が感じられない。空間のイメージは透明で、決してべたつかないのだが、音に実在感が不足する。いかにも日本的な、やや動物性蛋白質の不足した感じの音だ。だから、血がさわぐ情熱的な表現は苦手だが、趣味のよい端正さが特徴。ジャズよりもクラシックの静的な音楽に向く再生音である。
[CD試聴]CDらしいダイナミックレンジの広さと、がっしり安定した音の実在感が稀薄だが、反面、さわやかで押しつけがましくない音が楽しめる。物理的なダイナミックレンジは不足するわけではなく、音色から受ける印象である。ピアニッシモの透明な残響感などの再現は大変よく、SN比のよいCDの魅力を味わわせてくれる。B&WよりJBLのほうが、このアンプの特質を補って、より表現力の豊かな方にもっていってくれる。粗さのない滑らかな音だ。

エスプリ TA-E901

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 精密機械を感じさせるような緻密で、しっかりした音の造形は独特のものだ。決して冷徹な音ではないが、常に人工的な美しさの感覚がつきまとう。輝かしく磨き抜かれた貴金属をイメージアップするような音である。自然な質感とは違うが、これは、オーディオ的な美の世界として魅力的である。組み合わせるパワーアンプやスピーカーは選ばないほうで、このアンプなりの個性をしっかり発揮する。立派な作りと精緻な音をもった優秀なプリである。
[AD試聴]総合欄で書いたこのアンプの傾向は、レンジの広いオーケストラで圧倒的な威力を発揮する。ただし今回試聴したADには、ぴたっとくるものがなく、いずれもメカニカルな質感が気になった。ロンドン系の録音や電気楽器系の音楽によりマッチした音だろう。暖かく、まろやかな中低域が欲しいマーラーや、酒落た柔軟さで響いて欲しいシュトラウスなどが、少々肩肘張って固苦しい。ジャズはベースが力強く、しかも粘りもあるのでスイングする。
[CD試聴]ショルティのジークフリートのマーチは、録音の性格と演奏がよくマッチして直裁的で精緻なものだが、それがこのアンプでは圧倒的な再現が得られたクレッシェンドしてフォルティッシモに至るたくましさと激しさ、その中での音色の分解能は大したものだ。全体にいわゆるCDらしい音を聴かせるのが興味深くもあった。曖昧さを拒絶した透徹な音が、CDの特質と合っているのだろう。JBL4344とSA4によりよいマッチングである。

デンオン PRA-2000Z

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 全体にやや痩身な感じの音だが、それだけに、繊細で、さわやかな美しさがある。中低域に厚味が不足するような印象を受けるアンプ。それだけに、パワーアンプやスピーカーとのマッチングが決め手となるだろう。試聴したパワーアンプもSA4のほうがよく合う。スピーカーは、JBLがいい。曖昧さや、鈍さのないアンプだが、かといって、神経質すぎることもないし、高域のしなやかさも不満のないものだ。品位の高いプリアンプである。
[AD試聴]レーグナーのマーラーは大変美しい高域が生きて一段と洗練された演奏に聴こえる。B&Wだとやや神経質になる傾向だが、JBLでは小骨っぽさは残るものの、細かい分解能のため、オーケストラのテクスチュアーが鮮かに再現される。ローズマリー・クルーニーのハスキーさと艶っぽさがほどよくバランスした声が魅力的だし、ベースも、抑制されてボンボン野放図にならない、締まった質感の音だ。リラックスした雰囲気には欠けるが端正な音。
[CD試聴]分解能力の高い音はADへの対応と同じ性格であるが、このアンプの質感はCDでより生かされるようだ。ジークフリートのマーチにおける木管と金管の重奏部での音色の鳴らし分けは、クリアーな点、他の追従を許さない。ただ、中域の厚味が少々不足気味のためffへの盛り上りの迫力に物足りなさはある。アメリンクの声が大変明るく美しかったが、ややニュアンスが若過ぎる傾向だ。ジャズは、明解なタッチ、音色の妙の濃やかな再現だが、力が不足。

ヤマハ C-2x

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプは、情緒的な面よりも、まず、その物理特性の優れた、ワイドレンジと粒立ちのよさが印象的だ。したがって、全ての音楽的特徴に対して平均的に堅実な再生音を聴かせてくれるのがよい。しかし、裏返しに、深い思い入れや、個性の魅力といった面では物足りなさを感じるかもしれない。オーディオは物理特性の優秀さが最重点だとは解ってはいても、感性や情緒はそれだけでは満たされぬところが面白くも難しい。優等性的なアンプ。
[AD試聴]Fレンジも広く、スケールも大きいオーケストラの再生音は力感に溢れている。やや賑やかなのが高域の特徴。しかし、これは録音のせいかもしれない。東独のオーケストラにしては渋い味のある音が、派手になる傾向だ。「蝙蝠」のステージ感の拡がりや空間の豊かさにも優れた再生を聴かせるし、過不足のない音だが、もう一つ魅力に欠ける。ジャズもヴォーカルも、やや太目の印象で、力感はあるが、ベースの響きが少々重く、弾みに欠ける嫌いがある。
[CD試聴]CDの再生音はやはり全てのプログラムソースをストレートに聴かせる傾向である。CD臭さを強調するわけでもないし、かといって、丸めて無難に聴かせるわけでもない。どちらかというとJBLの方が合っていて、説得力のある再生音を楽しむことが出来る。B&Wでは、あまりに中庸的で魅力に欠けるようだ。が、B&W801Fからシンバルの硬質な響きをちゃんと聴かせた数少ないプリの一つ。ミュート・トランペットも鋭く、かつボディがある。

QUAD 44

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 やや淡白な響きだが、それだけに品のいい音で、クラシック音楽の端正な響きに好ましい再生を聴かせてくれる。試聴した二種のスピーカーでは、JBLよりB&Wに断然優れたマッチングを示す。JBL4344では、レンジの狭さや、小じんまりとした、おとなしい音が不満として現われるが、B&Wだと、それが前記のような品位ある方向に変るのである。クレルとカウンターポイントのパワーアンプとのそれよりスピーカーとの相性であろう。
[AD試聴]マーラーの交響曲は大変品位のよい響きで、流麗な雰囲気。派手さや輝かしさ、あるいは熱っぽさといった興奮度の盛り上る音ではなく、どちらかというと冷静淡白な音のプリアンプ。ぜい肉のない、それでいて厚さを失わないオーケストラの質感は素晴らしい。JBLだと、ややスケールの小さい音になる。ジャズは801の限界で、スイングとは異質な冷静なサウンドとなるが、JBLでも、もう一つワイルドさの欲しい鳴りっぷりであった。
[CD試聴]ここでも、ADで聴いたプリアンプの印象とは大筋で変化はないように感じられた。ワーグナーのブラスの響きが美しく、音色の識別が明確に出来る。その分、ffでの重厚さはやや不足だが、そのまた反面、弦の濃やかさ、さわやかさは見事だった。アメリンクの声がきりっとしまっていて高貴な雰囲気で、ピアノも実に軽やかなリズムのきれだ。ジャズは、ADと同じく、随所にキラキラと光る音色の美しさが聴ける反面、情感は若干不足ぎみ。

メリディアン MLP

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 いかにも外観にふさわしい、よく整理された音のプリアンプである。特にワイドレンジとも感じられないし、ひときわ抜きんでた物理特性の冴えによる目を見張らされるような音でもないが、楽器の質感を自然なタッチで聴かせ、音色バランス・帯域バランスが実に巧みにまとめられている。だから何を聴いても、快く、美しく、安心して音楽に溶け込むことができるのだろう。解像力もほどほどによく、鋭過ぎることも、鈍くもない。好印象だ。
[AD試聴]オーケストラの各楽器の濃やかな質感の違いや動きが緻密に再生されて快い。特に弦と木管のニュアンスが、やさしく、しなやかで魅力的である。「蝙蝠」のステージを彷彿とさせる空間感も透明で、ライブネスの再現も豊かである。セリフの子音も極度に強調されることはなく、バリトンやバスの声域も、重くなり過ぎることなく幅が出る。ジャズのベースの弾みもよく、音程も明解に識別できた。スイングするアンプ。ロージーはやや若々し過ぎるが。
[CD試聴]CDモジュールを通してのCDの書はMLP流の整理がなされて大変聴きよい耳当りのよい音となる。ワーグナーのイントロでの管の音色の分離と溶け合いが程よくコントロールされ、低弦楽器の擦過音もちょっぴりスパイシーでリアリティを演出する。トゥッティにおける安定したバランスも音楽的に美しい。ヴォーカルも中庸をいく自然さで、毅然さと艶っぽさをどちらもよく出す。ジャズもよくスイングするし、個々の楽器の実感も生き生きと聴かせる。

オンキョー Integra P-306RS

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプは、オンキョー独特のサウンドで好き嫌いがはっきり分れる音だ。つまり、プリアンプとしてはかなり個性的だが、この価格で、これだけ明確な個性の主張をもっているというのは、見方をかえれば立派だ。ベイシックな物理特性は水準以上のものだからである。立体感に富んだ音で、決してドライな響きにはならないし、粗っぼい質感も出さない。むしろ、ぽってりと太り気味の音である。それだけに暖かいし、ウェットである。
[CD試聴]CDに対してADと異なった対応が感じられる面は特になく、やはり弾力性のある太目の音だ。しかし、比較的CDが出しやすい機械的な冷たさは中和して聴かせる効果がある。ジークフリートの葬送行進曲の開始の雰囲気は壮重であり、音は分厚い。ただ、細かい弦のトレモロなどがやや不透明で、大把みな感じがする。ベイシー・バンドはピアノの冴えた輝きのある音色が丸くなり過ぎる傾向だし、ミュート・トランペットの音色の輝きもやや鈍いほう。
[AD試聴]マーラーのシンフォニーは粘りのある表現で低音の量感が豊かだし、高域のヴァイオリン群も、ギスギスしたり、ざらつくことがない。レーグナーの流麗な演奏とはやや異質だが、ユダヤ系のマーラーの音楽のもつ、一種の粘着性は効果的に表現される面があった。透明感とかデリカシーといった面には不満が残る。ロージーの声は年なみの円熟した色気があって、脂ののった濃艶な歌唱が魅力的で、こうした曲想に最適のアンプである。

試聴テストを終えて

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 コントロールアンプ26機種を聴いた。我々は、音の試聴だけで、使い勝手や、作り、デザインなどは評価から全く除外したことになっている。とはいうものの、眼の前に置かれたアンプを見ながら聴いたわけだから、それらが持つ、音以外のイメージが、全く、なんらの影響をもたらしていないとはいいかねる。しかも、ほとんどの製品は、今までに、いろいろな機会に接したことのあるもので、すでに自分の内に総合的なイメージが出来上っているものが多いので、ブラインドテストのような性格ではない。しかし、それがかえって、個々のアンプの音を浮彫りにするにあたってプラスになっていると思うのだ。仮に、ブラインドで、試聴室で聴いた感じだけで判断をすると、限られた条件だけでの結果になるわけで、かえって危険があるだろう。いまさらいうまでもなく、コントロールアンプ単体は、ありとあらゆる条件での組合せで使われるものであり、特定のパワーアンプやスピーカーとの組合せで、そのアンプの音の傾向を断じ切ることは出来ない。この試聴でも、二つのパワーアンプとスピーカーを用意したわけだが、それは、現実の組合せの中でのごく限られた条件にすぎないのである。対照的な二台のパワーアンプとスピーカーを用意することによって、最低限の条件設定としたのである。少々、口はばったいいい方になるが、こうした条件の制約があっても、長い経験と、過去に同製品を聴いた印象の総合での今回の判断は、個々の製品の性格や傾向をかなりの確度をもって把握できたと思っている。極端なことをいえば、今回の試聴で、それまでもっていた印象と全くちがったアンプがあったわけではないので、改めて聴かなくても印象記は書けたといってもよい。私が聴いたことのないアンプについては、よく知っているアンプと同時に聴けたことで、いっそう明確に、その素性を知り得たと思うのである。ただし、表現上、この試聴の実際に即した書き方をしているので、マクロ的な印象記にはなっていない。これが、話者に、あまりにも特定の条件下だけの印象記として受け取られる危険があるようにも感じられ、心配されるのである。読者諸兄の御賢察をお願いする次第である。
 オーディオコンポーネントの中で、スピーカーなどの変換器のように、個体差があるものではないが、コントロールアンプも、こうして26機種も連続的に比較試聴すると、個々の音の違いには驚かされる。何故? こんなに違うのだろうと不思議に思うほどである。そして、単体のコントロールアンプとなると、いずれもが、ただ機能をはたすということ以上の、個性的魅力を価値観の中に入れてこなければならない。同時に、たとえ、音の美しさや魅力が感じられたとしても、特性・機能などのハードウエアーとして問題のあるものは、当然チェックしなければならないとも思う。高価な単体コントロールアンプにもかかわらず、数万円のプリメインアンプのプリ部にも劣るSN比の悪いものなどは、いかに音がよくても問題である。この辺は個人によって考え方が違うと思うが、ノイズレベルが、CDの登場によって大幅に低減した現在、単体コントロールアンプとしてのSN比の条件は、かつてより厳しくあるべきだと思うのである。安定性や信頼性も大事な問題だが、今回は私の判断の条件の中には入れていない。試聴時に正常に動作している以上、音だけの担当という立場で、それらは無視することにした。ノイズは耳に聴こえる音のうちであるから無視するわけにはいかなかった。
 こうして特選と推選を選んだ。
●特選
①ウェスギU・BROS1
②アキュフェーズC280
③マッキントッシュC30
④マーク・レヴィンソンML7L
●推選
①メリディアンMLP
②デンオンPRA2000Z
③マランツSc11
④アキエフエーズC200L
⑤カウンターポイントSA3
⑥サンスイC2301
⑦H&Sエクザクト十エクセレント
 私の個人的嗜好は、強く出していないつもりである。いずれも、現時点での高い水準にあるものばかりであり、いわば、コントロールアンプの頂点に位置するものがほとんどである。しかし、オーディオは、頂点はワンポイントではなく、その頂上には、いろいろな花が咲く。どの花を求めるかがオーディオの楽しみでもあり、意味でもある。裾野に咲く草花も結構だが、単体コントロールアンプを求める人は、いずれも、そこからスタートして、頂上を目指す人達であるはずだ。

コンラッド・ジョンソン Premier Three

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 いろいろな点で中庸をいくアンプ。この場合の中庸とは決して中途半端な意味ではなく、文字通りの中葉である。バランス・質感共に、びしっと、一つのクリティカルポイントを得ているのである。したがって、プログラムソース個々のもつ特質が、明瞭に再生され、それぞれの魅力をよく伝える。あえて不満な点を指摘すれば、高弦の質感が、スピーカーによってはやや鋭くなる傾向と、低域の力強さが、今一歩といったところである。
[AD試聴]マーラーの第6交響曲はバランスが素晴らしく、質感も誇張がない自然なものだった。弦の細部のディテールの表情がよく再生されるので、シュトラウスの「蝙蝠」のオーケストラのしなやかな魅力がよく生かされる。人の声も、ぬれていて、いかにもそこにいるかのようなリアルさだ。ロージーの声も、ハスキーさと艶っぽさがほどよく調和した彼女の魅力をよく聴かせたが、ペースの力感がやや弱く、生き生きとしたリズムにならないのが惜しい。
[CD試聴〕チューナー入力でCDを聴いたが、それほど、鮮度の高い音とは感じられなかった。ショルティのワーグナーなどはむしろおとなしく聴きよい音の傾向で、風格のある音に昇華していた。アメリンクの声が少々賑々しく気品に欠けるのが惜しい。ロンドンのCDとフィリップスのそれとで、反応が異なって出たようだ。ベイシーのピアノのアクション感はよく再現されリアルであったが、音色のほうは、艶がないので、戸惑ってしまった。

ボストンアクースティックス A40V(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「CDで聴く海外小型スピーカー中心の組合せに挑戦」より

 ボストン・アクースティックスのA40Vというのは、同社のシリーズの中で一番小型でローコストのA40に防磁対策を施したモデルです。
 このA40Vもそうですが、ボストン・アクースティックスのスピーカーは、どのモデルも、ナチュラルなバランスを持ち、音色的にも非常にニュートラルなんです。そういうと無個性のように感じられるかもしれないけれども、決してそんなことはない。非常に温かい、熟っぽさのある音です。
 このボストン・アクースティックスはARの系譜の中で発展してきたスピーカーですが、ARのスピーカーに感じられた、密閉型の音の重さはなく、密閉型のよさである、非常にきちっとした、ダンピングの効いた音が出て、それに、さわやかさと明るさが加わってきて、アメリカ的というよりもむしろヨーロッパ的な音と言えるのではないでしょうか。
 17cm口径のウーファーとソフトドームの2ウェイ構成の小型スピーカーですから、スケール感はそれほど期待できませんが、小型のよさを充分に生かしたバランスが感じられます。ウーファーの口径が小さいため、重低音は無理ですが、リニアリティもいい、無理のない鳴りかたをしてくれます。また、ウーファーの口径が小さく、エンクロージュアも小さいため、ディスパージョンが優れていて、A40Vの音場再現性は、価格を考慮すると、かなり高いレベルのものと言えます。
 A40Vの持っている魅力で際立っているのは、質感のよさですね。それもアコーステック楽器を再生したときに、それが強く感じられます。何か特定の色づきのある魅力は持っていませんが、楽器の持っている質感を非常にナチュラルに聴かせてくれます。
 最初の組合せは、プリメインアンプがサンスイのAUーD507Xと、CDプレーヤーがマランツCD34で、組合せトータルで20万円と、出てきた音を考えると、非常に安くまとまりました。
 外国製品、特にスピーカーは、国産のオーディオ機器では味わえない味を持っており、オーディオの、大事な楽しみとも言えますが、海外スピーカーを使って組合せをまとめますと、どうしても高い値段になってしまう。その異文化の薫りを、限られた予算の中で感じとれる音を出したいということが、今回組合せをつくる、すべてのスピーカーに対するねらいなんです。ぼくが担当する4つのスピーカーの中で、A40Vはペアで六万円台と、大変に安い。ですから、A40Vのよさを充分に生かしながら、どこまで予算を抑えることができるかということで、もっともローコストのアンプ、CDプレーヤーをいくつか聴いた中から、サンスイとマランツを選んだのです。
 AU−D507Xの音の性質は、A40Vの音と非常によく合うところがあるようです。A40Vのよさである、ナチュラルな質感をよく引き出してくれます。この価格帯のアンプは、妙に高城に癖があったり、力感は出すけれども少し音が粗っぽかったりするのが多い中で、AU−D507Xは真面目に音づくりされている。価格を考えると、思ってた以上に、質感、肌ざわりがよくて、高城にも癖がない。ヴァイオリンも、高域の音が非常に滑らかに出て、楽しめる味がある。フィルクスニーのピアノも、中域の温かな、トロッとした軽やかなタッチの味が出てきます。
 CD34の音も、A40Vの性格に似ているところがあります。CD34は、近視眼的に、CDのもっている能力を発揮させることだけにとらわれないで、音楽を楽しく、情緒的に聴かせていこうという方向でつくられたCDプレーヤーだと思います。
 CDプレーヤーとスピーカーの性格が非常によくマッチしている。そして、その間をつなぐアンプも、共通した音のよさをもっている。しかも価格的にも安い。3つの価格的バランスもよくとれていますし、音も、いいバランスを保っている組合せだと思います。
 最初の組合せをつくるときは、A40Vをこう鳴らしてみたいという意図はもってなかったのですが、二番目の組合せをまとめるために、いくつかアンプを聴いていくうちに、こんな小型スピーカーでも、アンプへの対応度が広く、いろんな音で鳴るということを、この場で気づかされました。これは、鳴らすアンプの個性に、A40Vが寄り添うのか、このスピーカーの持っている個性の幅の中の一面を、それぞれのアンプが引き出しているということかもしれませんけれども、とにかく違ったニュアンスで鳴るアンプがたくさんありました。その中でケンウッドのKA1100SDが、最初の組合せでは得られなかった、繊細さとさわやかさを出してくれました。特に弦の音の魅力は、非常に強く引かれるところがあります。
 KA1100SDは、力で聴かせるという方向のアンプではなくて、質感の美しさを聴かせてくれるタイプです。しかもオーケストラのトゥッティのときでも、音の崩れが全然なく、どんな細かい音もピシッとよく出てくる。前の組合せが、ポピュラー系のソースを、全体の力でもって聴かせるのに対して、こちらは、まったく違う味わいの音ですね。この組合せは、クラシックの音の持っている美観を大事に聴かせてくれる印象です。
 CDプレーヤーは、アンプと同じケンウッドのDP1100IIを使いました。この音はKA1100SD同様、非常によく洗練されていて、デリケートに、細やかな音をきちんと出してくれます。消極的に、全体をふわっとまとめて聴きやすくしたのではなく、CDに収められている情報はきちんと出しながら、音の美しさをねらって成功したCDプレーヤーだと思います。ケンウッド同士の組合せは、細やかな音の粒立ちに素晴らしいものをもっており、それが、A40Vの、少しファットになってしまう傾向をうまく補ってくれて、細やかな音をきちんと出してくれました。
三番目の組合せは、プリメインアンプにヤマハのA2000、CDプレーヤーも同じヤマハのCD2です。
 前の二つの組合せは、アンプの音色の変化に興味を持って、アンプを選んでみましたが、今度は、もう一段クォリティの高いアンプをつないでみたら、一体どんな音がするのだろうということで、かなり価格的には高くなりますが、A2000を鳴らし
てみたわけです。
 やはりアンプのランクが上がっただけあって、A2000によって、A40Vが持っている音の特徴が、リフレッシュされたというくらい、クォリティが一段上がります。A40Vの、滑らかで癖のないよさを積極的に出してくれます。悪いところを抑えて、うまく鳴らし込むというんではなくて、積極的によさを引き出してやるといった鳴り方をしました。
 音の傾向としては、前二つの組合せの中庸をいくものだと思います。最初が聴きやすい丸い音、二番目が美しいさえた、すがすがしさが特徴でしたが、この組合せはちょうど真ん中といった感じです。
 こういうふうに言いますと、A2000の音のよさがシステム全体の音を決めてしまったように思われるかもしれませんが、CDプレーヤーにCD2をもってこなければ、もう少し違った傾向の音になっていたでしょう。
 A2000は、高域の繊細さとかさわやかさが、非常に印象的なアンプですが、反面、中域あたりの豊かさが、やや欠けるという印象も持っていました。その中域の薄さを補う意図で、CDプレーヤーにCD2を選んだのです。CD2は、国産のCDプレーヤーの中で、最も中域に甘さ、豊かさといった味わいを持っている製品です。この中域の味わいが、A2000の中域の薄く感じられる部分をうまく補ってくれて、二番目の組合せが持っているさわやかさに対して、ちょうど中庸をいく音になったのも、CD2によるところが大きいと思います。事実、アンプはA2000のままで、CDプレーヤーをマランツのCD34に換えて鳴らしてみましたところ、中庸というよりも、やはりさわやかさ、すがすがしさの方向へいくんです。
 例えば、CD2とサンスイのAU−D507Xを組み合せて鳴らせば、アンプの温かい音とCD2の中域の豊かさが、相乗効果で、ファットになりすぎる危険性があります。この点が、組合せのおもしろいところで、ふたつを組み合せることで、お互いによさを生かしあったり、欠点を補ったりすることができる。
 同じスピーカーを使いながらも、三つの組合せはそれぞれに違った音を出してくれました。けれども、音とは正直なもので、クォリティの追求ということでいったら、いちばんお金のかかった、最後のA2000とCD2の組合せが一番高い。前二者は金額の差はありますけれども、クォリティの差よりも、音色の傾向の違いの方が大きいと言えます。

JBL 4425

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
「SS HOT NEWS」より

 JBLから、新しいモニタースピーカーシステム4425が発表された。この3月、ノースリッジのJBLの工場を訪れ、これを試聴する機会をもったが、その後、私の帰国と同時に日本に送られてきた製品を自宅で聴く機会も持てたので、簡単に御紹介してみたい。
 4425は、そのモデルナンバーからしても明らかなように、4435、4430のシリーズとして開発されたものであり、バイラジアルホーンと呼ぼれる垂直・水平方向の指向性を100度×100度でカバーする(コンスタントダイレクティヴィティ)高性能ホーンをもつ高域ドライバーを特徴としている。4425に使用されているバイラジアルホーン2342は、4435、4430に使われでいる2344ホーンのスケールダウンモデルであるが、その性能は、クロスオーバーの1・2kHzに至るまで平均した指向性パターンであることに変りはない。ドライバーは2416という新設計のもので、チタンダイアフラムにダイアモンドエッジ構造をもつなど、JBLのニューテクノロジーが生かされている。低域のユニットも、2214Hという新設計のもので、口径は30cm、ボイスコイル径は7・6cmの強力なものだ。バスレフタイプのエンクロージュアは40・6cm×63・5cm×31・1cmと、大型のブックシェルフサイズといってよいものである。ネットワークは2ウェイではあるが高域のパワーレスポンスを、絶対レベルとは別に調整でき、12dB/octのものだ。
 4400シリーズのバイラジアルホーンは、その奇異な外観のためか、わが国における人気は今一つ……の印象を受けるが、その性能の高さは、さすがにJBLらしいもので、その優れた放射パターンによる音色の自然さと音場の豊かさは、もっともっと高く評価されて然るべきものだと思う。この製品では、小型化されているので、それほど奇異な感じも受けないし、チタンダイアフラムのコンプレッションドライバーとの組合せで、きわめて精度の高い緻密な音を再生する。しかも、たいへん滑らかなレスポンスのため、質感の品位も高い。そして、新しい2214Hウーファーがエネルギッシュな面からも、質的違和感がなく、よくつながっていて、全体のバランスは4430、4435をも上廻る完成度をもっている。200ワットの連続プログラムに対応するパワーキャパシティをもつ、このシステムの音は、JBLのコンプレッションドライバーシステムらしい安定性と、タフネスにより圧倒的な迫力が得られるし、音の質感は明らかに、新世代の製品らしい品位の向上が認められるものである。一般家庭用としても手頃なサイズでありながら、本格的な再生音は並のスピーカーとは異次元だ。

マッキントッシュ C30

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 マッキントッシュから新しいコントロールアンプ、C30が発売された。マッキントッシュのコントロールアンプは、現在まで、C29とC33が多くのファンに愛用されているが、このC30の登場により、C29が消えることになる。この点からすれば、C30は、C29の系統をひく製品ということになるが、内容的には、むしろ、C32、C33の系統といえるものだ。ブロックダイアグラムは、ほとんどC33と変りはない。5分割のイコライザーは、30Hz、160Hz、500Hz、1・5kHz、10kHzとC33と同じものが採用されているが、これは、きわめて利用度の高いもので、よほど凹凸の激しい部屋でもない限り、音場補正としても有効である。パネルレイアウトは、この5つのイコライザーコントロールとヘッドフォンボリュウムの6つのツマミを中心にシンメトリックにまとめられ、マッキントッシュ伝統のシンメトリックレイアウトが生きている。もちろん、グラスイルミネーションの、あの美しい、グリーン、レッド、ゴールドのパネルデザインは、ユニ−クにして合理的、そして、夢のあるものだ。リアパネルは8系統のラインレベル入力をもち、フォノは1系統になった。さらに、エクスターナル・プロセッサーという、外部アクセサリーの入出力回路が2系統あって、きわめて豊富なファンクションを備え、出力端子も、ラインとテープををみても、マッキントッシュが、コントロールセンターとしてのユーティリティの高さを重視しているコンセプトがわかるのである。そもそも、マッキントツシュの製品の特徴は、高度な性能とクォリティサウンドを、使い易さの多機能性と結合させ、いささかも最高級品としての品位を犠牲にしないところにある。つまり、トータルパフォーマンスの高度な達成という点での完成度の高さが同社の主張であって、決して一部のマニアの要求に応えるために普遍性を失うようなことはしない。その意味では、俗にいわれるエソテリックオーディオの範疇に入るものではなく、多くの人達に使えて、しかも、並のマニアックな製品をはるかに超える優れたパフォーマンスを得ている真の大人の製品であるといえるだろう。これは、真のプロだけが作り得るものである。長いキャリアをもったメーカーでなければ作り得ないものともいえるだろう。この辺りが、巷間によくある、信頼性と、トータルコンセプトに乏しい、個人に毛の生えたようなガレージメーカ−の製品とは根本的に異なる点である。
 高性能な車といえばスポーツカーということになるが、多くのスポーツカーは信頼性に欠けるし、日常の使用に供し難いものがある。ぽくの知る限り、唯一、この点で高い完成度をもっているのは西独のポルシェである。もう、16年もポルシェに乗っているが、その信頼性は抜群で、まるで、フォルクスワーゲンと同じようなメインテナンスで、いつでも安定した調子がくずれない。イタリアンやブリティッシュのスポーツカーとは、この点が大違いである。年中、調整を必要としたり、あちこちがこわれたり、ガレージがオイルで汚れる……などといった心配は全くなく、それでいて、走りは、それらを上廻るのがポルシェの良さである。デイリーショッピングから、サーキットランまで一台で使えるのがポルシェなのだ。マッキントッシュも、それに似ている。ポルシェやマッキントッシュは、そうした理解のもとに買われるべきものなのだ。
 C30は、まだ手許で、一週間ほどしか使っていないが、その音は、まさに、マッキントッシュの重厚さと、滑らかさであって、C29の音より熟成した雰囲気をもっている。この点でも、C33の系統と考えて間違いない。C33から、モニターアンプや、エキスパンダー・コンパンダーを取り除き、ややコストダウンをはかったというのが、この製品であろう。入力切換などのファンクションスイッチは、信頼性を重視し、全て電子スイッチになり、機械的接点をもたない。このスムースなファンクションは、新しいだけに、C33をも上廻っている。外部機器との干渉には周到な注意が払われ、他からの影響は全くないといってよく、どう使っても、ハムなどの影響は受けない。些細なことと思われるかもしれないが、ノイズに悩まされる超高級機は意外に多いのである。マッキントッシュの製品には修理の出来ない不具合がないのである。ポルシェが手を油だらけにしないで乗れる唯一の高性能スポーツカーであるのと似ている。

マッキントッシュ XRT18

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 XRT18という新しいスピーカーシステムがマッキントッシュから発売された。そのモデルナンバーからしても、また、全体のサイズからも、あのXRT20の弟分であることを想像する人が多いだろう。それは、しかし、全面的に正しい推測ではない。理由は、この製品が、XRT20にない、一歩進んだテクノロジーに裏打ちされたものだからである。ウーファー以外のユニットは全く新しいものに代っている。それだけではない。トゥイーターコラムが、一段と進歩し、時間特性の向上を見ているのである。
 もともと、このユニ−クなマッキントッシュのスピーカーシステムは、全帯域にわたって、位相特性を精密に調整し、ステレオフォニックな空間イメージと、楽器の音色の忠実な再現を実現したところに大きな特徴があった。真のステレオスピーカーと呼ばれる所以である。XRT18ではこれを一歩進め、トゥイーターコラムを構成する16個のユニット相互の関連にまでメスを入れたのである。つまり、XRT20では24個のユニットを使ったトゥイーターコラム全体を、スコーカー、ウーファーとタイムアライメントをとるにとどまっていたのであるが、今回は、そのコラム内でのアライメントまでとっている。そして、トゥイーターコラムは、スコーカー/ウーファーエンクロージュアとインラインで使うようになった(XRT20は、エンクロージュアのサイドにコラムを置いていた)。トゥイーターは、上下二個ずつ一組として順次時間調整がほどこされているのである。これには、ハーバード大学の大型コンピューターを使って膨大な計算をおこなったということだ。この結果、高域は一段と滑らかで、しなやかなものとなり、音色の再現はより忠実になった。XRT20もそうだが、もはや、そこにはスピーカーの存在が意識されなくなった観がある。
 また、このシステムも、マッキントッシュらしい細かなノウハウがみられ、〝よい音〟のための技術の柔軟性が大人の考え方として現われている。一方において、緻密な計算と測定によるテクノロジーの追求がおこなわれ、他方において、そうした経験によるコツとでもいったものが無視されていないのである。つまり、剛性といえば、それ一点張り、軽量化といえば、他に目もくれないといった近視眼的なアプローチに傾くメーカーのような子供っぽさはないのである。
 その一例として、このシステムのウーファーのエンクロージュアへの取付けを御紹介しておこう。ウーファーはエンクロージュアのバッフルボードに強力に締めつけるのが一般的である。特に密閉型の場合、エアータイトの面からも、この傾向が強い。しかし、XRT18のウーファーのフレームは直接バッフルボードに固定されていないのである。フレームのエッジは、エアーシールドも兼ねた弾性材のガスケットを介してバッフルボードに密着し、その上から別の弾性材を二重に介して、リング状のキャストフレームで圧着されている。今時、こんな非常識とも思える方法で、しかも手間暇かけて、ウーファーをマウントしているのは、マッキントッシュとしての理由があるからこそだ。何が何でも剛性一点張りの考え方で、ギューギュー締めつけ、補強のかたまりのような箱に改造し悦に入っている中途半端なエンジニアやアマチュア諸君の顔が見たい。どんなに剛性重視でやってみても、所詮は、物質や形状の本性をコントロール出来るものではないし、やればやるほど自然性から離れ、アンバランスな弊害が音となって現われる。肩肘張った、ガチガチのオーディオ的低音が好きならそれもよかろう。しかし、いい加減に不自然なオーディオサウンドから脱脚したほうがよい。ものごと全て、バランスが大切であり、トータルとしての視野をもって、音の自然な質感を追求すべきではないだろうか。このXRT18の方法がベストとも思わないし、未来に向って絶対的だとも考えられないが、少なくとも、音を目的とした行為である以上、見習うべき姿勢であろう。
 MQ107とう専用イコライザーを使って、部屋との総合特性を調整する点はXRT20と同様であり、入念な調整で部屋の欠点をカバーし、かつ、聴き手の感性にぴたりと寄りそわせる努力は必要である。私はXRT20と、もう三年も取組んでいるが、確実にその努力は報いられ、しかも、まだまだよくなりそうな可能性を感じているほどである。スピーカー自体に強引な主張と個性がないように感じられるが、実は、自然に、素直に鳴るという性格こそ、最も重要なのである。

JBL 18Ti(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「CDで聴く海外小型スピーカー中心の組合せに挑戦」より

 JBLの18Tiというのは、同社の新しいTiシリーズの中の一番小さいモデルです。JBLにはコンプレッションドライバーを使ったシステムが上級機種にあって、そのJBLのコンプレッションドライバーのすばらしさが、多くのファンをつくってきて、JBLサウンドを確立したきたわけですが、JBLは同時に、ダイレクトラジェーターの持っている能力も追求しようということで、コーン型ウーファーにドーム型のユニットを加えたブックシェルフ型のスピーカーも、かなり長い間、手がけています。
 Tiシリーズというのは、Tiという言葉が示しているように、チタンのダイアフラムを待ったドームトゥイーターを開発して、それを採用したシリーズなんです。18Tiは、いちばんローコストのモデルなんですけど、JBLの、ダイレクトラジェーターを使ったスピーカーで一つの完成度を見たシステムではないかと思います。
 小型ではありますけれども、JBL伝統の非常に力のある、エネルギッシュな、そして音像の輪郭の明快なサウンドというのは、依然として持っている。さらに、新しいドームトゥイーターのおかげでしょうか、高域が非常にスムースになってきています。これは、物理特性を追求していくと、どうしてもこういう傾向になるわけで、高域のスムースさは、明らかに特性の改善なんです。そのスムースさゆえに、古いJBLのスピーカーの、言うならば毒が薬になっている個性が、やや丸められ薄まったと言う人もいますけれども、音の個性というのはどんなに物理特性を追求していってもなくなるものではないと思いますし、毒として残っている部分を、特性をよくしてなくしていくということは、オーディオが科学技術の産物である以上、必要なことだと思います。ぼくは、いささかもTiシリーズが、JBLのサウンドを損なってはいないと思います。むしろ、JBLサウンドの本質を理解すれば、これは明らかにJBLの音を保っているものだと思います。ただ、表面的な、外面的なところでJBLサウンドをとらえると、変わったとか、角が矯められたとかいう受けとり方になるかもしれませんが、JBLの音というのは、そういう外面的なところで理解すべきものではないと思っているんです。
 18Tiの音も、いかにもアメリカ的で、そこには、アメリカ文化の独自性がありますが、そのアメリカ文化というのは、異質な文化のまじり合った、ある意味では非常にコスモポリタンな文化だと思うんです。ですから、JBLのサウンドは、確かにアメリカ的なサウンドですけれども、しかし、それは非常にコスモポリタンなミックスされた文化から生まれてきているだけあって、ある種のプログラムソースにしか向かないというようなことはないと思うんです。実際、この18Tiを聴いてみても、こちらの狙いによっていろいろと変化してくれます。つまり、このスピーカーをアメリカ的な、かなりギラッとした音で鳴らして、例えばショルティのマーラーの録音の音を生かしていこうとすれば、その方向で鳴りますし、それからハイティンク、コンセルトヘボウのようなヨーロピアンサウンドのしなやかさと、ややベールをかぶったようなニュアンスというものを求めようとすれば、そのようにちやんと鳴るんです。これは、やはりJBLスピーカーの持っている能力の高さだというふうに、ぼくは解釈します。
 組合せは三例つくるわけですが、それぞれニュアンスの異なった音で鳴る組合せになったと思うんです。最も安いトータル金額にまとまったのが、ヤマハのA550というプリメインアンプと、マランツのCDプレーヤーCD34の組合せです。マランツのCD34を使ったというところから推測できると思いますけれども、このスピーカーから、ヨーロピアンサウンド的な特徴を、ちゃんと鳴らせるかどうかを試してみたわけです。
 その結果は、A550の持っている素直さが大きく作用したと思いますが、CD34の持っているヨーロッパ的雰囲気が非常に生きてきて、ヨーロッパ録音のヨーロッパサウンドというものが、ちゃんと出てきました。この組合せは比較的コストを安くしようという目的だけではなくて、18Tiから、ヨーロッパの伝統的な音楽を違和感なく聴こうと思うときの組合せとしても成功したと思います。
 この組合せで、音源主義的な、ショルティのマーラーを聴きますと、ギラギラとした録音の本質は変わらないけれども、そこに雰囲気が出てきますね。木管が非常にフッと脹らむような音になってきますし、弦の鋭さもやや角が取れて、しなやかさも出てくる。そしてフィルクスニーのピアノを聴くと、非常にソフトなやさしいタッチによる、彼の音楽性がとても生きてきたと思います。
 二番目の組合せは、プリメインアンプにデンオンのPMA940V、CDプレーヤーはパイオニアのPD7010です。この組合せはJBLのはつらつとした音を出す組合せと言えると思うんです。特に、この組合せによる、ショルティのマーラーとかジャズは大変に輪郭の明快な、よく弾む、明るいいい音で鳴ってくれました。ただし、明快な傾向が非常に強くて、ヨーロッパ的な雰囲気の音や音楽には、少々違和感を持つ結果になりました。ですから、最初の組合せと、対照的な音の組合せというふうに考えていただいていいと思います。ショルティのマーラーの迫力、録音の特徴をよりストレートに出したのは、こちらの方かもしれません。ただ、このロンドンの録音に抵抗のある方にとっては、最初の組合せの方がいい音だと聴こえるでしょう。この二組の組合せはそういう関係にあります。
 三番目がいちばん高い組合せで、プリメインアンプはサンスイのAU−D707X、CDプレーヤーはヤマハのCD3です。この組合せから出てくる音は、前二者の音の中間に位置しているといえるでしょう。ギラッとした音にも偏らず、ヨーロッパ的な、やや薄曇りのような音にもならない、ちょうどその中間をいくような音です。
 ヤマハの製品は、前の組合せに使ったA550、そしてCD3も素直な性格を持っている。魅力の点では、この上のCD2が持っているトロッとした中域がないので、CD2と比べるとものたりなさを感じていましたが、素直さでは、CD3の方が上ですね。アンプやスピーカーの組合せに素直に応じていくという特質を持っているとも言えます。そういう意味で、CD3はなかなかいいCDプレーヤーだと思います。
 AU−D707Xも、非常に中庸をいった、普遍性のある音のアンプだなということを再確認しました。おそらく、このアンプで鳴らした18Tiの音というのが、18Tiの持っている能力の幅みたいなものを、一番ストレートに出してくれたと思います。ですから、プログラムソースによって、どっちらにもこなせるということに通じる。非常に中庸をいった、いい組合せです。三者三様はっきりとした音の傾向の違いというものが、18Tiから出てきたんではないかと思います。

B&O CX100(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「CDで聴く海外小型スピーカー中心の組合せに挑戦」より

 B&Oは、ホームエンターテインメントという主張の中でオーディオ製品をつくっていくという会社ですから、機械が圧倒的に存在を主張するというような、マニアックなオーディオ機器は決してつくらない。こういういき方は、ともするとイージーな安物というふうに受け取られがちですが、B&Oの製品はそんな感じをまったく与えない。家庭で使われることを充分考慮した上でクォリティを追求していこうというメーカーですから、カートリッジ、スピーカーに関しては、超一級の物理的特性を持ち、かつ、すばらしい洗練された感覚を聴かせてくれるものがあります。
 CX100は、そのB&Oのスピーカーシステムの中で、壁かけ用としても使える、もっとも小型のスピーカーシステムで、10cm口径のウーファーを二発と、ドームトゥイーターを、アルミ製のエンクロージュアに収めた2ウェイシステムです。形は、同社の高級スピーカーと同じ湾曲型のバッフルを使った、本格的な同社の主張の見られる仕上げになっています。ユニットも、相当質の高いものでしょう。
 今回、ぼくが聴いたスピーカーの中ではいちばん小型ですが、音の質感はすばらしいものを持っています。先ほど、BOSEの301MMIIを、デニーズとか、マクドナルドに例えた例でいけば、こちらは小じんまりとした、しかし、非常にいい味を食べさせるビストロだという感じがします。ヨーロッパの味わいを、質で追求したいという人にとって、このスピーカーはすばらしいものだと思います。非常に小さいスピーカーですから、量は大型スピーカーのようには望めませんが、聴き手であるこちら側が頭の切りかえされすれば、十分な量感も味わえるスピーカーです。量より質というものを追求する、これは音のグルメの、いわゆるコニサーのためのスピーカーだという感じがするんです。
 このCX100で、ハイティンクのマーラー、あるいはルドルフ・フィルクスニーのピアノなどを聴きますと、本当に、ヨーロッパの文化の薫りが馥郁として薫ってくる。特に、フィルクスニーは、ヨーロッパのよき時代の薫りを待った、数少ないピアニストの一人なわけです。彼のそういう薫りが、大型スピーカーでもめったに聴けないんではないかと思うくらい、すばらしいニュアンス、雰囲気で聴けるんです。フィルクスニーのピアノの特徴が、最も生きるスピーカーという感じを持つくらい、よく鳴ってくれました。
 小型スピーカーであるだけに、ディスパージョンが非常によく、空間の再現がものすごくいい。位相差、時間差をきちんととった、オーソドックスな空間収録をした録音ならば、オーケストラを聴いても、量感を持った雰囲気を十分に伝えてくれる。ぼくはこの音に身震いするぐらい、ほれぼれとしてしまった。CX100が聴かせてくれたような音の質感を知り、その質感そのままで、リアリティとスケールの大きさを追求していくという方向でいってくれたら、オーディオは非常にすばらしい方向にいくだろうと思います。そういうことを感じさせるほど、B&OのCX100というスピーカーは、すばらしいと思います。
 CX100が持つヨーロッパの薫りを生かすには、CDプレーヤーに同じヨーロッパの雰囲気を伝えてくれる、マランツのCD34を使うことに決め、組合せを考えてみました。
 アンプは、本当は、このスピーカーのたたずまいにふさわしいセンサブルな製品が欲しいところなんですけど、いまの日本のプリメインアンプから、それを探すのは困難ですので、せめて、音だけでも、CX100にふさわしいアンプというような考えで、アルパイン・ラックスマンのLV105を選んでみました。このアンプの持っている音のニュアンスは、独特でコニサー的と言え、非常に音が軽やかに浮遊し、漂うような感じなんです。決して、音がへばりついたり、押しつけがましくなったりしない。このアンプを組み合わせてCX100から聴こえてきた音も、非常に豊かなふわっとした奥行きのある、空間の厚みまでをよく出してくれるものでした。CD34という、いい雰囲気を出してくれるCDプレーヤーと、このスピーカーとの間にあって、立派に間をつなぐ役目を果たしてくれた感じです。この組合せは、本当に音楽を非常にいいセンスで、もとの音楽の持っている薫りを楽しみたいという方に勧めたい。
 二番目の組合せは、CX100の、性能的な優秀さを引き出してみようという考えで、マランツPM84とソニーのCDP302ESとを組み合わせてみました。LV105は、他のアンプではちょっと聴けない内声部の美しさがある反面、ちょっと上と下の帯域が弱い。他のアンプにないよさを持っていますが、他のアンプにない弱点もある、という微妙なアンプなんです。それに対してマランツのPPM84は非常に中庸を得た音のバランスを持つアンプなのです。
 CDP302ESは、CD34と比べると雰囲気ではやや劣るところがありますが、情報量の豊かさ、音の伝送の正確さという面では優れており、使ってみたということです。
 この組合せで聴きますと、このスピーカーではちょっと無理だろうなと思われるような、音源主義の録音、例えば先ほどから言っている、ショルティのマーラーのような録音が意外に生きてくる。この組合せは、このスピーカーが、ただ雰囲気だけで聴くためだけのものではないことを証明できたように思います。最新録音のものにも、細部にわたり充分対応してくれるだけの能力を持っています。ですから、ショルティのような録音の好きな方、またヨーロピアンじゃなくて、少しアメリカン、あるいは最近の日本の傾向の音を、このスピーカーから聴きたいというような向きには、この組合せが合うんではないかと思います。
 そこで、第三例は、もう少しお金を出して、いま手に入るものの中で、音、アピアランスも含めて、このスピーカーを生かし切る組合せを考えてみました。頭に浮かんでくるアンプは、メリディアンのMCA1です。今回は、プログラムソースにCDしか使っていませんから、予算を少しでも下げる意味もあって、モジュールはCD用一つというシンプルな形をとりました。アンプに、MCA1を使いますと、CDプレーヤーも、やはり同じメリディアンのMCDを持ってきたいところですが、約20万円とかなり値段が高くなるので、あきらめざるをえない。そうなると、CX100の持ち味を生かすCDプレーヤーとなると、やはりマランツのCD34にどうしてもなってしまうのです。予算の関係もあって、第一例と同じものになってしまいましたが、このスピーカーの再現するヨーロッパ音楽の豊かな薫りを再現できるCDプレーヤーとしては、現状では、このCD34がベストといわざると得ませんね。
 トータル金額がかなり高いものになりましたが、出てきた音は、本当にほれぼれとするほどのものです。もう本当に、美味ですな、これは。本当にグルメの音だと思いますね。こんなにすばらしいセンスの音は、ちょっとほかではなかなか得がたいんではないでしょうか。リアリズムを追求するとか、大きな音でガーンと音を体感するとかいうようなことではなく、インテリジェンスとセンスで趣味のいい音楽を聴こうと思ったら、この組合せは、大変ハイクラスなものだと思います。

BOSE 301MM-II(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「CDで聴く海外小型スピーカー中心の組合せに挑戦」より

 BOSEのスピーカーというのは、一般的なスピーカーの考え方とは違って、間接音を豊かに再生することによって、より自然な音が聴けるという主張のもとにつくり出されたもので、この思想をはっきりと具現化したのが、901です。901ほどまでには同社独自の思想が徹底して生かされていませんが、よりコンベンショナルな形で実用的なブックシェルフ型にまとめたのが301MMIIといえます。トゥイーターを二個、角度を変えてエンクロージュアにマウントし、高域を拡散するところにBOSE独特の考え方が生きていますが、全帯域はほとんど正面へ出ていますから、まったく普通のスピーカーと同じように使えます。
 BOSEの音の特徴、個性を一言にして言うと、アメリカ文化の音だと思うんです。それも301MMIIは、アメリカ大衆文化の音ですね。このスピーカーを聴くたびに思い出すのはマクドナルドとか、ケンタッキーフライドチキン、デニーズ、これらを思い出します。非常に大衆的ではあるけれども、ある文化の薫りを、それも異文化の薫りを持つことで成功している。そして、大衆的な値段ではあるけれども、ある種の格好のよさも保っている文化性が、BOSEの301MMIIとか、あるいは101MMの持っている音の特徴というものに、非常に合っていると思うんです。アメリカで生まれた大衆文化の中から誕生したものですから、よく売れるスピーカーだと思うんです。つまり、個性が非常にはっきりしていて、思い切りが非常にいい。特に、BOSEは小型のスピーカーで大型スピーカー並の十分な馬力を出す、パワーハンドリングも優れているというところに特徴があるわけです。この301MMIIも、相当パワーをぶち込んでもびくともしないというところが、大きな特徴と言えます。しかも出てくる音は、音量を絞ったときでもパワー感のある、非常にエッジのはっきりとした、あいまいさが全然ない、明快そのものな音と言えます。そして、その色合いが非常に濃厚であるため、他と比較するまでもなく印象づけられてしまうスピーカーです。
 デリカシーという点に関しては、文句を言いたいところもあります。しかし、きちんとしたオリジナリティを持っていますから、ある意味では、現代の大衆の心をばっちりつかむ音だと思う。そういう点で、このスピーカーを高く評価します。
 とにかく比較的安い値段で、異文化の薫りがあって、しかも何か強烈な個性の主張を聴きたいということだったら、迷うことなく、この301MMIIを勧めます。日本のスピーカーにものたりなさを感じ、もうちょっとコクのある音で、思い切り鳴らしたいというような要求を持っている人には、まさにぴったりのスピーカーです。それだけ、他のスピーカーと違ったよさを持っているということです。
 このスピーカーはペアで10万円を切る値段です。普通だったら、異文化の薫りを味わえる値段ではないともいえるわけですから、非常に安い買物と言える。だから、組合せのトータル額もできるだけ安く抑えて、異文化の薫りを充分に味わってみようということで聴いてみました。
 このスピーカーは、ボストン・アクースティックスのA40Vのようにいろんな方向にもっていくということは望めない。とにかく301MMIIが目指している方向を、ぎりぎりまで生かすべきだと考えて、最初の組合せは、アンプにオンキョーのA815RXと、CDプレーヤーはパイオニアのPD5010にしてみました。
 A815RXは、同社のプリメインアンプの中で一番安いアンプですが、オンキョーが追求してきた、電源の問題の解決によるスピーカーのドライブ能力の向上が、このA815RXからも充分感じられます。この値段のアンプとしては非常に力のあるアンプですね。その分、高域にややキャラクターがついていて、繊細な品位のある音を望むと、ちょっと艶っぽかったり癖があったりという感じがしますが、301MMIIを鳴らす限りにおいては、むしろ、それがいい方向に作用して、生き生きはつらつと鳴ってくれる。A815RXと301MMIIのコンビというのは、値段的な点からいっても非常によくマッチした組合せだと思います。
 PD5010は五万九千八百円という、現在のCDプレーヤーの最低価格のところへぶつけてきたパイオニアの意欲作ですが、ソニーのD50とか、あるいはマランツのCD34とは一味違っていますね。CD34やD50は独特のコンセプトの方向に踏み切っていますが、PD5010というのは、より価格の高いCDプレーヤーのコンセプトを、ぐっと値段を下げて実現したという感じがします。音も、非常に明快でふっきれてますね。CD34のように、何か雰囲気をつくろうというのでもなければ、D50のように徹底的に、小型軽便で、音も非常に明るい方向に徹しているわけでもない。つまり、その中庸をいくというのか、非常にまともな音です。つくりも非常にまともです。実際にさわってみてびっくりしたのは、メカノイズ、サーチノイズが少ないし、アクセスが早い。上級機種に堂々と伍していけるようなフィーリングを持っていることです。
 こうしてA815RXとPD5010と並べて置くと、デザイン的にもまったく違和感がない。同じブラックで、色合いの調子も合ってるから、デザイン的にも統一されるし、当然、音的にも非常にうまくいった組合せだと思います。できるだけ値段を安くして、301MMIIの能力をフルに発揮させる、という意図が見事に成功した例です。
 二番目の組合せは、NECのプリメインアンプA10IIとCDプレーヤーCD609を使いました。NECの製品には、常に高性能ということが印象づけられる。音の情緒性、感性という点で、やや現代的過ぎて、ぼくにはついていけない面があるのもたしかです。しかし、保証された物理特性のレベルは、非常に高いものです。その保証された高いレベルの物理特性で鳴らせば、301MMIIの個性と能力が相当なレベルで発揮できるんではないかという気持ちで鳴らしてみたわけですが、非常によく合うんですね。最初の組合せ以上に、性能のいいことを感じさせる音になります。音に精巧さが加わって、ソリッドです。アキュラシーというよりも、プリサイスな感じです。最初の組合せと同じ方向の音ですけども、明らかに、こちらの方がクォリティアップしたという感じがします。
 この301MMIIのようなスピーカーになりますと、鳴らすソースがはっきりと決ってくる。例えば、マーラーのシンフォニーでいえば、今回ハイティンクの第四番と、ショルティの第二番を使ったんですが、301MMIIはショルティ盤が相応しいですね。この両者は演黄も違えば録音も全然違う。ショルティの第二番の、ロンドンのレコーディングは、徹底的に拡大鏡でオーケストラを部分的にのぞいていったような録音なんです。マルチマイクロフォンの一つの極だと言える。こういう録音は、絶対的に、あるレベル以上の性能がないと、全然生きてこない録音になる。雰囲気でフワッと聴けない音です。ところがハイティンクの方は、雰囲気がよくない装置でないと聴けないというくらいに、両者にははっきりとした録音のコンセプトの違いがあるし、演奏にもはっきりとした違いがあります。ショルティはアメリカの指揮者ではないけれど、彼の演奏というのは、極めて戦闘的で、真っすぐ猪突猛進するところがある。それと、アメリカのオーケストラとが組み合わさって、そして、ロンドンの録音でマーラーをやられると、独自の世界と言わざるを得ないくらいになる。こういうマーラーもあってもいいんだろうけれども、一方に、ハイティンク、コンセルトヘボウの、繊細緻密でロマンティックなマーラーもある。BOSEのスピーカー音は、ハイティンクのマーラーとはまったく異質だという感じがするんです。ところが、ショルティをかけると、小型スピーカーとは思えないくらいのダイナミズムを発揮して、快適な爽快感が味わえる。
 三番めの組合せも、前の二例と同じ方向を狙いますが、もう少しパワーハンドリングを上げたいと思って選んだのが、マランツのPM84です。CDプレーヤーのソニーのCDP302ESと組み合わせて鳴らした音は、前の二例と比べて少し雰囲気が出てきます。A10IIが、いわば冷徹とも言えるハイパフォーマンスな感じに対して、マランツとソニーの音は、そこに少しぬくもりとある種のしなやかさが加わってきたように思います。
 クォリティ的には互角の第二例と第三例のどちらを選ぶかとなると、徹底的な現代性というものを求めるんだったら、NEC同士の組合せの方を、そこにニュアンスを求めたいのならば、マランツとソニーの組合せ、といったところです。

スタックス SR-ΛPro + SRM-1/MK2Pro、AKG K240DF

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)

特集・「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」より

 本誌72号で私は、スタックスのSRΛプロとSRM1MK2というエレクトロスタティックヘッドフォンを〝とっておきの音〟として紹介した。そこで私が述べたことは、リスニングルームの影響を受けやすいスピーカーシステムのセッティングやバランス調整において、感覚の逸脱のブレーキとして役立つこのヘッドフォンの効用についてであった。詳しくは、72号を御参照願いたいが、質のよいヘッドフォンが、一つのリファレンスとして有効であることを再度強調したいのである。いくら、シンプルな伝送系で音の鮮度を保つのがよいとはいえ、部屋の欠陥をそのままにしてピーク・ディップによりバランスのくずれた音を平然と聴いているようでは困るのである。その調整が、部屋の音響特性の改善であれ、イコライザーによるコントロールであれ、音響特性の測定だけでは、まず絶対といってよいほど、音のバランスを整えることは無理である。一つの目安・判断の材料として測定は有効だし必要だが、仕上げは耳によるしかないというのが私の持論である。しかし、ここには大きな落し穴があって、不安定な情緒に支配されやすい人間のこと、測定データ以外に、実際の音のリファレンスがあることはたいへん便利である。その点、ヘッドフォンは、部屋の影響は皆無であり、必要帯域のバランスを聴きとるにはたいへん都合がよいのである。もちろん、ヘッドフォンとスピーカーとでは、その伝送原理が根本的にちがうので、何から何まで同じにすることは不可能であるし間違いでもあるが、音楽のスペクトラムバランスのリファレンスとしては充分に活用出来るのである。
 SRΛプロは、そうした意味で、ここ一年あまり、私の調整の聴感上のリファレンスとして活躍しているのである。また同時に、ヘッドフォン特有の効用で、これで音楽を楽しむのも面白いし、このヘッドフォンのトランジュントのよい、自然な音色は、その圧迫感のないハーフオープンの快さと相侯って、質のよいサウンドを聴かせてくれている。
 そしてごく最近、オーストリアのAKGから出たK240DFスタジオモニターという、ダイナミック型のヘッドフォンに出合い大いに興味をそそられている。このヘッドフォンは、まさに、私がSRΛブロを活用してきた考え方と共通するコンセプトに立って開発されたものだからである。K240DFのカタログに書かれている内容は、基本的に私のSRΛプロの記事内容に共通するものであるといってよい。ただ、ここでは、これを使って調整するのは、部屋やスピーカーではなく、録音のバランスそのものなのである。つまり、よく整った調整室といえども、現実にその音響特性はまちまちで、同じモニタースピーカーが置かれていてさえ、出る音のバランスが違うことは日常茶飯である。私なども、馴れないスタジオやコントロールルームで録音をする時には、いつもこの問題に悩まされる。便法として、自分の標準とするに足るテープをもっていき、そこのモニターで鳴らして、耳馴らしをするということをすることさえある。さもないと、往々にしてモニタ一にごまかされ、それが極端にアンバランスな場合は、その逆特性のバランスをもった録音をとってしまう危険性もある。
 K240DFは、こうした問題に対処すべく、ヘッドフォンでしかなし得ない標準化に挑戦したもので、IRT(Institute of Radio Technology)の提案によるスタジオ標準モニターヘッドフォンとして、ルームアクースティックの中でのスピーカーの音をも考慮して具体化されたものである。そして、その特性は平均的な部屋の条件までを加味した聴感のパターンに近いカーヴによっているのである。つまり、ただフラットなカーヴをもっているヘッドフォンではない。ダイヤフラムのコントロールから、イアーキヤビティを含めて、IRTの規格に厳格に収ったものだそうだ。そのカーヴは、多くの被験者の耳の中に小型マイクを挿入して測定されたデータをもとに最大公約数的なものとして決定されたものらしい。AKGによれば、このヘッドフォンは〝世界最小の録音調整室〟と呼ばれている。部屋の影響を受けないヘッドフォンだからこそ出来るという点で、私のSRΛプロの使い方と同じコンセプトである。
 録音というものは、周波数やエネルギーのバランスだけで決るものではないから、これをもって万能のモニターとするわけにはいかないが、最も重要な部分を標準化する効用として認めてよいものだと思う。ステレオの定位や左右奥行きの立体スケール、距離感などは、スピーカーのコンセプトでまちまちであり、これをバイノーラル的なヘッドフォンで代表させることには問題があるが、この件に関しては、ここでは書き切れない複雑なことなのである。
 しかし、このK240DFのコンセプトは、スタジオモニターとしてのヘッドフォンの特質をよく生かしたもので、私が、ことさら興味を引かれた理由である。
 そこで、この二つのヘッドフォンを比較試聴したのであるが、コンデンサー型のSRΛプロと、ダイナミックのK240DFとでは当然、音の質感に相違がある。
 SRΛプロの高域の繊細な質感は特有のもので、ダイナミック型を基準にすれば、ある種の音色をもっているとも感じられる。これはコンデンサーマイクロフォンにも共通した問題で、私個人の意見では、生の楽音を基準にすれば、どちらも同程度の音色の固有現象をもつものだと思うのである。ハーモニックス領域の再生はSRΛプロのほうがはるかにのびているが、これは、通常、音楽を聴く条件では空間減衰聴こえない領域ともいえる。コンデンサーマイクロフォンによって近距離で拾ったハーモニックスの再生が、よく聴こえすぎるために、高域に独特の質感を感じるものともいえるのである。この点、K240DFのほうは、最高域がおだやかで、空間減衰を含めたわれわれの楽音の印象に近いので、より自然だという印象にもなるだろう。低域もちがう。K240DFはシミュレーションカーヴのためか、たしかにスピーカーの音の印象に近く実在感のある低音である。SRΛプロは、風のように吹き抜ける低音感で、これが、また、スピーカーでは得られない魅力ともいえるのだ。ただ、やや低音のライヴネスが豊かに聴こえる傾向で、これはキャビティ形状などの構造によるものと思われる。
 しかし、両者におけるバランスのちがいは、スピーカー同士の違いや、部屋の違いそして、置き場所や置き方の違いなどによる音の差と比較すると、はるかに差が少なく、いずれもがリファレンスたり得るものだと思って間違いない。そしてリファレンスとしてではなく、ヘッドフォンとして楽しむという角度からいえば、SRΛプロの、コンベンショナルなスピーカーシステムでは味わえないデリカシーとトランジェントのよさが光って魅力的である。重量は、K240DFが240g、SRΛプロが325gだが、耳への圧力感ではSRΛプロのほうが軽く感じられる。しかし、装着感のフィットネスはK240DFのほうがぴたっと決って心地よい。SRΛブロのほうは、やや不安定に感じられるが、これは、個人の頭蓋の形状やサイズにもよることだろう。価格の点ではSRΛプロはイヤースピーカー用のドライバーユニットを必要とするコンデンサー型であり、当然高価になるので、両者のトータルパフォーマンスを単純に比較するのは無謀というものであろう。
 ヘッドフォンは、つい簡易型あるいはスピーカーの代用品のように受けとられがちだが、決してそういう類いのものではなく、独自の音響変換器として認識すべきものである。いうまでもないことだが、耳の属性と心理作用と相俟って、全く異なった音像現象を生むもので、ヘッドフォンによるバイノーラル効果は、伝送理論としてもステレオフォニックとは独立した体系をもつものである。
 この二つの優れたヘッドフォンは、それぞれ異なるコンセプトと構造によるものであるが、いずれも、録音モニターとしても再生鑑貴用としても高度なマニア、あるいはプロの要求を十分満たすものであることが実感できた。

ウエスギ UTY-5、マイケルソン&オースチン TVA-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)

特集・「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」より

 上杉研究所から新しく登場したアンプ、UTY5は、UTY1、U・BROS3に継ぐ、第三世代のパワーアンプである。
 これに対して、マイケルソン&オースチンのTVA1は、同社の第一世代のパワーアンプで、1978年発売以来、既に7年を経過した製品である。
 真空管アンプとしての設計技術は、今や完成の域に達して久しいが、それらが、必ずしも、同じような音では鳴らないというところは、他のオーディオ機器同様、きわめて興味深い問題である。この二機種の音も、かなり対照的な音といってよく、UTY5の端正で瑞々しい音の美しさに対し、TVA1の熟っぽく力強い音の魅力は、それぞれに個性的ではあるが、その個性は、ある普遍性をもったものとして、第一級のアンプであることを認識させてくれるのである。
 TVA1に関しては本誌でも度々紹介されているので、UTY5に関し少々その内容を御紹介することにしよう。
 UTY5は、モノーラルアンプとして完成され、ステレオには2台使用するし、2台をパラレル駆動させ(合計4台)、約2倍のパワーとして使うことも可能である。パワー管EL34/6CA7プッシュプルによる出力は40ワットである。基本的には、上杉研究所の一貫したポリシーに貫かれたもので前作U・BROS3のコンセプトを踏襲し、安定性と長寿命というディペンダビリティに周到な配慮を払った製品で、40ワットという、ひかえ目なパワーの設定もそのためである。事実、アンプの発熱は、真空管アンプとしては最小に留められている。U・BROS3との最も大きな違いは、先に述べたモノーラルアンプということと、出力段の回路構成にみられる。U・BROS3が、KT88のUL接続で、NFBを出力トランスの三次巻線から初段のカソードへ返していたのに対し、UTY5はEL34/6CA7のプッシュで、出力トランスにカソード専用の四次巻線を設けたカソードフィードバック方式を採用している。この特殊トランスは、上杉研究所とタムラ製作所の協同開発になるもので、これ以外のトランスも全面的にタムラ製作所製を採用している。初段はECC83/12AX7のパラレル接続で増幅・位相反転はECC82/12AU7のカソード結合によっている。電源部はチョークの採用、コンデンサーインプット方式など、基本的にはU・BROS3に準じた余裕のある、周到な設計である。構成は、手前に電源トランスとチョーク、そして初段から出力段の真空管が並び、出力トランスと、信号の流れをそのまま部品配置に置きかえたシンプルなものである。パワートランスと出力トランスが両側に高さがそろって並んでいるので、重量的にも、外観上もバランスがよくとれていて美しい。両トランス間に真空管群が保護されているような形になり、持ち運びも具合がよい。細かい神経による心配りが、いかにも上杉流である。部品配置、配線のワイヤリングなどは整然としたもので、ストレイキャパシティの有害なシールドワイヤーは使われていない。
 全体の仕上げは塗装で、ハンマートーンのトランス、チョークカバーとシャーシの色調は渋い中間色で落着いた雰囲気を感じさせる。この点だけでも、クロームメッキのシャーシにコア一丸出しで精悍さを感じさせるTVA1とは対照的である。そして、片方が、KT88から70ワットという高い出力を捻り出しているのも、ひかえ目なパワーに抑えているUTY5のコンセプトと対をなしていて面白い。たしかに、プレート電圧をプレート損失とのかね合いで規格ギリギリにかけて、高出力を得るというのは、球の寿命にとっては好ましくはない。上杉研究所は、U・BROS3でも、低目の電圧でリニアリティを確保し、球を労わって使っていた。しかし、私の昔の体験だと、この辺りの球の使い方は、ただ単にパワーの差だけではなく、音の量感のちがいとしても感じられたのを記憶している。それに単純に結びつけていうのは間違いかもしれないが、TVA1の音とUTY5の音の根底に潜むちがいに、多くの要因の一つとして、こんなことを思い出した。もちろん、トランスや球などの素子や部品のちがい、回路構成、その工作、コンストラクションなど、全ての無数のファクターの集積が音であり、そのうち、どこかがちがっても音は変るのが実情であるから、下手な推測はしないほうがよいようである。
 両者を徹底的に比較せよ、というのが編集部の命令であるが、個体としてのちがいは、いまさらいちいち取り立てて述べるまでもないほど違うのだ。小は線材から、大はトランス、球まで、ことごとく違うのである。たったひとつ、共通しているのは、電圧増幅に使われているECC83/12AX7という伝統的な真空管だけである。TVA1も、当時としては、きわめて進歩的な考え方でNFB量を低く抑え、裸特性を重視し、TIM歪の発生に着目した周到さの見られるアンプだが、NFBのかけ方は、出力トランスの二次側から初段のグリッドへ返すというコンベンショナルな方法をとっていて、UTY5とは全く違う。つまり、この両者に共通点を見出そうとしても、それは真空管式のパワーアンプの基本的なセオリーぐらいのものである。
 そこで、この両者の音の聴感上のちがいをやや詳しく述べることにしようと思うのだが、これがまた、個体差と同じようにちがうのである。一言にしていえば、頭初に書いたようなちがいなのだが、このちがいは、まさに人文的なちがいとしか思いようも、いいようもない。血のちがい、文化のちがい……つまり、人間のちがいである。
 どちらのアンプも、小規模なラボラトリーの製品で、手造りによる、一品、一品、丹念に仕上げられたものだけに、そこには製作者の感性が表現されているといってよいであろう。アンプの設計製造という技術的なコンセプトを通して、音という抽象的な、それ故に無限の可能性をもつ美的世界に、それが自然に滲み出たという他はあるまい。両者共に、これを作品として世に問うからには、十分な自信と満足の得られているものにちがいないからである。
 UTY5には、日本的な繊細さと透明さ、そしてTVA1には、コケイジアンの情熱的な息吹きと激しさが感じられるのである。それは、あたかも水彩画と油絵の美しさのちがいのようであり、フグやヒラメなどの白身の魚の美味と、ビーフやボークのスパイシーなソースによる料理のちがいのようでもある。
 オーケストラを聴くと、UTY5は、旋律的な印象であり、TVA1は和声的な響きである。これがまた、スピーカーとの組合せで、それぞれの美しさが多彩に変化するところが複雑だ。本誌の試聴室においては、JBLの4344で比較試聴したのだが、力感ではTVA1が圧倒的であり、透明さとまろやかさではUTY5が、ことのほか美しかった。そして、マッキントッシュXRT20をUTY5で鳴らしたことがあるが、この組合せでは、ふっくらとした柔軟さが加わり、しなやかな情緒が魅力的であった。そしてTVA1とXRT20の組合せは、大分前の記憶によるが、力強い低音に魅せられた。ブラスはTVA1の得意とするところだが、ウッドウインドはUTY5が、はるかに透明で清々しく美しい響きであった。
 こうした印象記から推測していただけると思うけれど、この二つのパワーアンプの特徴は、当然音楽の性格に結びついて、それぞれの良さを発揮するが、究極的には、それを使う人との感性の一致が鍵であろう。
 かつて、亡くなったジュリアス・カッチェンというピアニストと親しくしていたが、彼は、ヤマハのピアノの音の美しさに讃辞を呈していた。「こんなに透明で美しい音の楽器を弾いたことがない」と嬉しそうに賞めていたのを思い出す。
 また、ニューヨーク在住のデビッド・ベイカーという録音エンジニアは、ダイヤトーンの2S305を絶賛していた。
 どちらも、異文化のもつ香りへの憧れではなかろうか……と、私は感じたものだ。そして、ドイツ人の録音制作者、マンフレット・アイヒャーが私の家のJBLのシステムを聴いて「これがJBLとは信じ難い。あなたの録音と似ている。日本人はパーフェクショニストなんだなあ」といわれた。さらに、「日本の牛肉もそうだ」といったのである。確かに、日本の牛肉、それも極上の和牛は世界に類がない。しかし、時々ぼくは、そのあまりにも洗練された味に、牛肉特有の香り──悪くいえば獣の匂いだが──が不足するとも思える。牛肉は本来、もっと強烈なフレイバーがあると思うのだ。
 こんなことを思い出させられるような、二つのパワーアンプの音の対照が興味深かった。もちろん、作る当人達の意識とは無関係だし、意識があったら嫌らしい。そして、この自分達固有の特質というものは、時として卑下に連ることもある。日本人は特にその傾向が強いが、外人にもそれはある。特に最近、多くのアメリカ人達が自国の文化を卑下し嫌悪する話を聴かされることが多い。自分たちの文化に誇りをもち、異文化に畏敬の念をもちたいものだ。

オンキョー Grand Integra M-510

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

 全体的にグラマラスで豊潤なムードをもった音のアンプで、刺激的な音や小骨っぼさはない。かといって分解能は十分高いし、力感もあり、決して太りすぎのものではない。つまり、このアンプの音の滑らかさやボディのついたふくよかさがもつ個性として理解したい。スピーカーのドライブ能力は非常に高く安定していて乱れがない。ソプラノは派手に響かず艶っぽいし、低域の量感がずっしりとした響きの造形をつくる。各楽器の音色的特徴の鳴らし分けがやや鈍い傾向は指摘してもよい。

音質:8.6
価格を考慮した魅力度:9.0

トーレンス Reference、ゴールドムンド Reference

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)

特集・「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」より

 トーレンス/リファレンスとゴールドムンド/リファレンス。恐らく、アナログディスク再生機器として最後の最高級製品となるであろう2機種である。その両者共にヨーロッパ製品であるところが興味深い。西ドイツ製とフランス製で、どちらもが〝リファレンス〟と自称しているように、自信に満ちた製品であることは間違いない。名称も同じだが、価格のほうも似たり寄ったりで、どちらも300万円台という超高価である。共通点はまだある。ターンテーブルの駆動方式が、両者共にベルトドライブである。アナログレコードプレーヤーの歴史は、ダイレクトドライブに始って、ダイレクトドライブに終るのかと思っていたら、そうではなかった。ベルトやストリングによる間接ドライブが超高級機の採用するところとなり、音質の点でも、これに軍配が上ったようである。ぼくの経験でも、たしかに、DDよりベルトのよく出来たプレーヤーのほうが音がいい。
 一般論は別として、この両者は共に、フローティンダインシュレ一夕ーを使って内外のショックを逃げていること、本体を圧倒的なウェイトで固めていることにもオーソドックスな基本を見ることが出来る。だが、プレーヤーとしての性格は全く異なるもので、それぞれに頑として譲れない主張に貫かれているところが興味深く、いかにも、最高の王者としての風格を感じるのである。
 この両者の最大の相違点は、ピックアップ部にある。
 トーレンス/リファレンスは、本来、アームレスの形態を基本にするのに対し、ゴールドムンドのほうは、アーム付である。いわば、ターンテーブルシステムとプレーヤーシステムのちがいがここに見出せる。そして、ゴールドムンドは、そもそも、リニアトラッキングアームの開発が先行して、T3というアームだけが既に有名であったことを思えば当然のコンセプトとして理解がいくだろう。このリファレンスに装備されているのはT3Bという改良型だが、基本的にはT3と同じものである。このリニアトラッキングアームは単体として評価の高かったものだが、実際にこれを装備するターンテーブルシステムとなると、おいそれとはいかなかったのである。そこで、ターンテーブルシステムの開発の必要にも迫られ、いくつかのモデルが用意されたようだ。このリファレンスは中での最高級機である。この場合、リファレンスという言葉は、T3リニアトラッキングアームのリファレンスといった意味にも解釈出来るが、広くプレーヤー全体の中でのリファレンスというに足る性能を持っていることは充分納得出来るものであった。
 これに対して、トーレンスのリファレンスは、ターンテーブルシステムが剛体、響体として音に影響を与える現実の中で一つのリファレンスたり得る製品として開発されたものであって、やや意味の異なるところがある。したがって、こちらは、コンベンショナルな回転式のトーンアームなら、ほとんどのものが取付け可能だ。それも、三本までのアームを装備できるというフレキシビリティをもたせているのである。結果的にターンテーブルシステムに投入された物量や、コンセプトは同等のものといってよいが、このプレーヤーシステムとしての考え方と、ターンテーブルシステムとしてのそれとが、両者を別つ大きなターニングポイントといえるのである。
 デザインの上からも、このちがいは明らかであって、ゴールドムンド/リファレンスは、コンソール型として完成しているのに対し、トーレンスのほうはよりコンポーネント的で、使用に際しては然るべき台を用意する必要がある。そのアピアランスは好対照で、ゴールドムンドのブラックを基調とした前衛的ともいえる機械美に対し、トーレンスのモスグリーンとゴールドのハーモニーはよりクラシックな豪華さを感じさせるものだ。
 両機種の詳細は、本誌の64号にトーレンス/リファレンスを私が、73号にゴールドムンド/リファレンスを柳沢功力氏が、共に〝ビッグ・サウンド〟頁に述べているので御参照いただくとして、ここでは、この2機種を並べて試聴した感想を中心に述べることにする。
 ステレオサウンド試聴室に二台の超弩級プレーヤーが置かれた景観は、長年のアナログレコードに多くの人々が賭けてきた情熱と夢の結晶を感じさせる風格溢れるものであって、たまたま、そばにあった最新最高のCDプレーヤーの、なんと貧弱で淋しかったことか……。これを、技術の進歩の具現化として、素直に認めるには抵抗があり過ぎる……閑話休題。
 ゴールドムンド/リファレンスは先述のように、リニアトラッキングアームT3BにオルトフォンMC200ユニバーサルを装着。トーレンス/リファレンスにはSME3012Rゴールドに同MC200を装着。プリアンプはアキュフェーズのC280(MCヘッドアンプ含)、パワーアンプもアキュフエーズP600、スピーカーシステムはJBL4344で試聴した。
 リファレンス同志の音は、これまた対照的であった!
 ゴールドムンドは、きわめてすっきりしたクリアーなもので、これが、聴き馴れたMC200の音かと思うような、やや硬質の高音域で、透明度は抜群、ステレオの音場もすっきり拡がる。それに対して、トーレンスは、MC200らしい、滑らかな質感で、音は暖かい。ステレオの音場感は、ゴールドムンドの透明感とはちがうが、負けず劣らず、豊かな、空気の漂うような雰囲気であった。温度でいえば、前者が、やや低目の18度Cぐらい、後者は22度Cといった感じである。低域の重厚さとソリッドな質感はどちらとも云い難いが、明解さではゴールドムンド、暖かい弾力感ではトーレンスといった雰囲気のちがいがあって、共に魅力的である。さすがに両者共に、並の重量級プレーヤーとは次元を異にする音の厚味と実在感を聴かせるが、音色と質感には全くといってよいほどの違いを感じさせるのであった。これは、アナログレコード再生の現実の象徴的な出来事だ。プレーヤーシステムの全体は、どこをどう変えても音の変化として現われる。この二者のように、トーンアームの決定的なちがいが、音の差に現われないはずはないし、ターンテーブルシステムにしても、ここまで無共振を追求しても、なお残される要因は皆無とはいえないであろう。それが証拠に、同じトーレンスでも、リファレンスとプレスティージとでは音が違うのである。だから、かりに、ゴールドムンドにSMEのアームをつけたとしても(編注:専用のアームベースを使用すれば可能)、同じ音になることはないだろう……。ましてや、このリニアトラッキングのアームとの比較は、冷静にいって、一長一短である。トラッキングエラーに関しては、リニアトラッキングが有利だとしても、響体としてのQのコントロールや、変換効率に関しては問題なしとは云い難い。これは、両者に、強引にハウリングを起こさせてみても明らかである。いずれも、並の条件では充分確保されているハウリングマージンの大きさだが(ほとんど同等のレベルだ)、非現実的な条件でハウリングを起こさせてみると、その音は全く違う。ゴールドムンドのほうが、周波数が高く、複雑な細かい音が乗ってくる。トーレンスのほうが、周波数が低く、スペクトラムも狭い。この辺りは確かに、両者の音のちがいに相似した感じである。不思議なもので、ゴールドムンドのアピアランスと音はよく似ているし、トーレンスのそれも同じような感じである。つまり、ゴールドムンドは、どちらかというとエッジの明確なシャープな輪郭の音像で、トーレンスのほうがより隈取りが濃く、エッジはそれほどシャープではない。この域でのちがいとなると、もう、好みで選び分ける他にはないだろう。正直なところ、私にも、どちらの音が正しいかを判断する自信はない。しかも、カートリッジやアンプ、スピーカーといった関連機器も限られた範囲内でのことだから、単純に結論を出すのは危険だ。
 操作性でも、どちらとも云い難い。どちらも、操作性がよいプレーヤーとはいえないだろう。ゴールドムンドは、プレーヤーシステムとしての完成型であるから、本当はリードイン/アウトもオートになっていてほしいと思った。エレクトロニクスのサーボ機構を使っているメカニズムであるし、プッシュスイッチによる動作やデジタルカウンターという性格などからして、そこまでやってほしかった。針の上下だけがオートなのである。指先で、カートリッジを押してリードインやアウトをさせるのは、この機械の全体の雰囲気とはどうも、ちぐはぐである。
 一方、トーレンスは、全くのマニュアルで、大型の丸ツマミによる操作であり、これもリフトアップ/ダウンだけはオートで出来るものの、決して操作のし易いものではない。ただ、これは、見るからにマニュアルシステムであるから違和感はないのである。しかし、どちらもアナログディスクの趣味性を十二分に満してくれる素晴らしい製品である。

チェロ AUDIO PALETTE

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
「BIG New SOUND」より

 マーク・レヴィンソンといえば、オーディオ愛好家なら誰一人として知らない人はいないだろう。そのマーク・レヴィンソン氏が、最近、チェロというメーカーを起し氏特有のデリカシーとパーフェクショニストぶりを遺憾なく発揮した製品開発を再開した。
 その第一弾が、ここに御紹介する〝オーディオパレット〟である。といっても、これは初めての造語であるから、どういう機械だか解らない方も多いにちがいない。まず、この機能の説明から始めなければならないだろう。一言にしていえば、これは〝音色バランスコントローラー〟である。つまり周波数イクォライザーであるが、グラフィックイクォライザーという言葉は使うべきではない。グラフィックというのは視覚的という意味で、パターンとして眼で判別できる機能にこそあてはまる。このオーディオパレットは、むしろ、そのグラフィックに真向から対立するコンセプトにこそ特徴のあるイクォライザーであって、このことを理解しないと、この製品の意図を誤解することになるし、ひいては、この製品の価値に疑いをもつことになるだろう。あえて、グラフィックイクォライザーに対する名称を与えるとすれば、これはエステティックイクォライザー(esthetic frequency equalizer)とでもいうべきものである。グラフィックイクォライザーが、周波数特性がグラフィックに見ることにより調整するという、いかにも物理的な観念で作り出されたものであるのに対し、このオーディオパレットは、実際に音の変化を聴きながら、レコード(プログラムソース)からスピーカーの鳴る部屋の音までのトータルの感覚的に調整する機械なのだ。そして、その調整が最も有効かつ容易におこなわれるための、周波数帯域の設定、カーヴの設定、増減幅とそのステップの設定に綿密で周到な配慮と、ノウハウが投入されている。さらに、この機能を万全に働かせるため、きわめて精密なパーツの特製により、最高の次元のメカトロニクスに具現したところが、いかにもマーク・レヴィンソンらしさである。
 因みに、そのコントローラーは、15Hz、120Hz、500Hz、2kHz、5kHz、25kHzの6ポイントを中心に巧妙な帯域幅と組み合わされ、15Hzでは±29dBにまで及んでいる。そして、その増減度は、帯域によって異なると同時に、500Hz、2kHzではワンステップが0・25dBという精密さまで持っているのである。そのコントローラーは抵抗式でラチェットは削り出しの59接点2連式の超精密型である。プリント基板は見るだに美しいディスクリート構成で、5000個にも及ぶというパーツ類全て超高級品で、この機器の挿入による宿命的なロスを最少限に食い止め、そのメリットを大きく生かすのに役立っているのである。大型トロイダルトランスによる充実した電源部とそのレギュレーターによる高品位なパワーサプライを見ても、この製品の並々ならぬ高品位性が納得出来るであろう。左右チャンネルを上下二段構成にまとめたシャーシーコンストラクションも本物だ。
 誰が、かつて、このような機能をもった機器を、このような作りの高さで仕上げること考えたであろうか。まさに常識をはるかに逸脱した信念と執念の情熱的結晶である。
 さて、肝心の効用について述べなければならないが、初めに断っておきたいことは、この〝オーディオパレット〟の使い手に要求される能力についてである。
 もちろん、誰が使っても、すぐ使えるし、それなりに音の変化は楽しめる。この機械をリスニングポジションの前方に置いて、音を聴きながら、それぞれのレコードで、あるいは、それぞれの音楽のパートでコントロールすることで、まるで、指揮者や録音ミキサーのリハーサルのように、音色を自由に制御できる喜びを味わえるであろう。一度これを使ったら、やめられなくなる魔力をも感じられるであろう。オーディオによるレコード音楽の鑑賞は、聴き手の再演奏であるというぼくの持論からも、この〝オーディオパレット〟の存在には決して否定的ではない。どうぞ御自由に……といいたいところなのだが……。まかり間違うと、とんでもないバランスで音楽を聴くことにもなりかねないのである。イクォライザーによる音の変化は、専門のミクサー達にとっても決して容易な仕事ではない。音楽のあるべきバランスの直感的判断力を要求される仕事なのであって、それには長年のキャリアを必要とする。それだけに、このパレットを使うことによって、自身の音楽的感性を磨くことも可能であるし、熟練すれば、レコードや機器や部屋の欠陥を補うことも容易である。このあたりを十分認識して使いこなすことが出来れば、これはたいへんな機器になる。ぼくがエステティックといったのは、美学には感性と、その裏付けとなる造詣が必要であるからだ。
 この〝オーディオパレット〟をさわって、まず感じることは、そのアッテネーターの抜群のフィーリングである。廻しているだけで快感をおぼえる。そして、これは増減を大幅にやりながら、だんだん細かく攻めていくというのが使い方のノウハウである。初めからワンステップやツーステップを恐る恐るカチカチやっていても埒があかない。大胆に大きく左右に廻す。そこから、感じを把んで、徐々に微調整に入る。重要な帯域は0・25dBステップだから、この辺りが、最後のツメとして絶妙な効果が期待できる。まことに心憎いばかりの配慮である。考えようによっては、高価なスピーカーやアンプの買い替えからすれば、この高価格も馬鹿げた出費ではないとも思えてくる。しかし、現実に、これを一枚一枚のレコードでいじっていたら、肝心の音楽を聴いている暇はない。調整が終わった頃にはレコードも終りかけている……ということもあり得る。また、ある程度、固定させて使うことを考えると、グラフィックのほうがよいように思えてくる。また、メモリー機構もほしくなる。しかし、それでは、〝オーディオパレット〟は生きないのだ。つまり、この〝オーディオパレット〟は、プロ級の実力をもつものが使ってこそ初めてその威力を発揮するといえるだろう。だから、録音スタジオなどでは、従来のイクォライザーとはちがった使い易さと、クォリティの高さで真価を発揮するように思われる。いうまでもないが、SN比、歪率などの物理特性は最高で、イクォライザーIN/OUTでの音の鮮度の差は全く問題なしといいきってよい。オーディオパレット、つまり、音の調色機とは云い得て妙である。
 なお、これには、2チャンネルの入力ゲインコントロールと出力のマスターコントローラー、そして3Dのセンターレベルコントローラー、正逆の位相切替スイッチ(いわゆるアブソリュートフェイズ切替)もついていて、3Dによる左右チャンネルのセパレーションコントロールも可能である。サブウーファー的な3Dというよりも、むしろ、中央定位用の広域センターチャンネルを意図しているらしい。

京セラ C-910

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 バランスとしてはまとまっているが、音色的には楽器によって、ニュートラルさをか欠いた音色で不自然さが気になる。特にハイエンドに特徴があって、ハーモニックス成分の再生に不満が残る。低音域の量感はあるのだが、少々重く鈍い。パフォーマンスは水準だが、単体プリアンプとしての音の品位や洗練度では、もう一息の感じがする。物理特性にも、一段の向上を望みたいし、バランス作りにはさらに磨き上げがほしい。
[AD試聴]Fレンジの広い、そして、そのバランスが重要なオーケストラの再生で、高域に異質な質感が聴かれることがある。そのため、ヴァイオリン群の響きにしなやかさが乏しく、やや華やかになり過ぎる。ステレオの空間感の再現は若干狭く、ステージの奥行きの見通しが悪い。ジャズでは、ベースがこもり気味で、弾みが十分ではないので、スイングしにくい。重く、量感だけで迫ってくる感じが強い。ピアノの音色も冴えたところがなく鈍いほうだ。
[CD試聴]ADでの印象と大きく変るところはないようだ。ジークフリートのマーチのイントロのティンパニーの音色の抜けが少々悪い。中域の厚味がやや不足する感じで、強奏での音のマッシヴな響きが、やや薄くもなる。力感のある音なのだが、繊細な音色の再現が苦手なためか、音楽の愉悦惑が薄れる。ベイシーのピアノの粒立ちが平板になるし、ベースの音もやや重く弾力感が不足するのが惜しい。明るい音だから一つ繊細さが加われば……と悔まれる。

イケダ Ikeda 9、メルコア PHYSICS 95

菅野沖彦

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「いま真摯なアナログディスクファンのために クラフツマンシップが息づくふたつの手づくりカートリッジ」より

 私の手許に、今、新しい二種類のカートリッジがある。どちらも既成のメーカー製品ではなく、それぞれ手づくりの製品で、これを造った人の情熱と努力の結晶である。レコードから、より精緻に情報を拾い出したいと願う真摯な技術欲、とでもいった精神から、これらのカートリッジが生まれたことはいうまでもないが、この二つのカートリッジにまつわる技術的バックグラウンドが、きわめてユニ−クなオリジナリティをもつもので、私の知る範囲で、その製作者と、製品の特徴について記し、アナログディスクファンの御参考に供したいと思う。

 まず、時期としても先に登場した〝フィジックス95〟カートリッジから述べよう。
 平沢金雄氏が、その開発者である。私は氏を、ずい分昔から知っていた。一緒にヨーロッパ旅行をしたこともある。ギター演奏を専門とする音楽家であるが、オーディオへの関心の強い氏は、私が知己を得た10年以上も前から手造りでカートリッジを製作しておられた。私が録音したレコードを大変高く評価して下さり、特にピエール・ブゾンのピアノによる〝ラ・ヴィ〟は、氏がリファレンス・レコードとしても愛聴されているという嬉しい話をうかがったこともある。音楽は専門家だが、外国語も堪能で、科学技術知識が豊かな平沢氏のシャープな人柄は、一度会ったら忘れられない。
 その氏から連絡があったのは昨年の九月頃で、久しぶりのことだった。実はその少し前に、私の手許に平沢氏が開発した新しいカートリッジとトランスが届けられ、聴いてみるようにとの連絡を受けていたのである。しかし、その製品は、何故か左右出力が逆相であり、しかも意図的にそうしてあると説明があったのだ。疑問をもった私に、平沢氏が直接説明に来られたのだが、氏の説明によると、現在のすべてのステレオレコードの逆相カッティングこそに重大な欠陥があって、それをカートリッジ側で、再び逆相にして正相にもどしているのが間違いであり、氏のカートリッジは、カートリッジそのものは正相であるというものであった。なるほど、たしかに、45/45ステレオカッティングは、ステレオ初期のモノーラルとのコンパチビリティを得るために、逆相カッティングにより垂直方向の振動を水平方向化するという、当時としては巧妙な方法と思われる実技的手段をとっていて、それが、そのまま現在に及んでいるものだ。したがって、現在のすべてのステレオカートリッジは逆相接続によって、結果的に正相に戻しているわけだから、平沢氏の説明の通りなのである。しかし、平沢氏の正相接続では、結果的にスピーカーからは逆相成分が再生されるので、私の耳には、その不自然さが気になって、その段階では納得できなかった。では何故、あえて、平沢氏がカートリッジそのものでカッティングの逆相に対処しなかったのか? ここが、きわめて重要なボイントなのである。
 私が平沢氏と御無沙汰していた長い年月の間、氏は、物理学を始め、生理学、心理学などの勉強に没頭され、氏が、かねがね感じられていたレコードの音への疑問の探究に明け暮れておられたらしい。その結果、氏が自信をもって発表されたことは、レコード再生音のもつピッチの不明確さという重大な問題であった。これは、本来、440Hzのピッチに調弦された楽器の音が、録音再生のプロセスを経ることにより、ひどい話では、435Hz〜455Hzいう実に20Hzもの範囲に拡がってしまうというものである。つまり、その範囲にびっしりと幅をもってピッチが並んでしまう……いわば、写真におけるピントの甘さが、千分の1ミ
リの線を百分の1ミリの幅に拡げてしまうような現象だと氏は説明されるのである。そして、これを、スプレッド現象と呼び、再生音の新しい歪現象として提唱されたのである。例えば、A=440Hzに調弦されたギターの演奏のレコードをプレイバックして、これに合せてギターを弾く場合、ターンテーブルの回転が正しく33 1/3rpmならば、演奏するギターをA=440Hzに調弦すれば、ピッチは正しく合う。ところが、再生音からスプレッド現象が起きている場合、ギターの調弦をA=435Hzにずらせても、あるいは逆に、A=450Hzにあげても、レコードの音とピッチが合ってしまうというものだ。平沢氏にこれを実験してもらって私も驚嘆してしまった。このいわばピッチ歪というものは、いまのところ電気的に測定するのが不可能なのだそうだ。つまり、平沢氏によると、すべての電気回路、素子は、多かれ少なかれ、このスプレッドというピッチ歪をもっているということなのである。
 私も、以前にこれに似た経験をしたことを思い出す。もう20年も前、ある録音をしている時に、私の親しいギタリストが、電気楽器とのアンサンブルで、その楽器とはピッチが厳密にとれないといい出され、仕事が中断してしまったことがある。ギタリストは電気楽器がこわれている! といってきかないし、電気楽器の演奏をしていたお嬢さんはおろおろするばかり。しかし、私たちの耳にはユニゾンでのピッチのずれは気にならないので、そのまま録音し、プレイバックしたのであるが、ギタリストも再生音で納得してしまった。また、発振器のちがいが音色のちがいとして感じられる経験もさせられた。
 オーディオ機器は、その録音再生のプロセスで、多くのスプレッドを出しているらしいが、この元凶の一つが逆相カッティングにあるというのが平沢氏の指摘であり、カートリッジ側で戻すことによって、さらにスプレッドが増加するといわれるのであった。しかし、私も頑固だから、だからといって逆相ステレオの気持ちの悪さのほうが耐えられないから、これでは承服し兼ねるといいはったのが昨年秋であった。そのスプレッド現象は、どうやら、ある種の物性でもあるようで、その後、フィジックス95カートリッジの改良によって、コンベンショナルな接続……つまり、他のカートリッジと同様の位相処理でも大幅に、このピッチ歪を減少させることになったという新型が、平沢氏から送られてきた。
 私は残念ながら、絶対音感はもっていないが、相対的なピッチについての判断、それらによって影響される音色の変化があるとすれば、それにはアブソリュートな判断の自信はある。だから平沢氏の実験によりピッチ歪のあることは確かに自分で確認できた。しかし、平沢氏のいうようにすべての音色問題がスプレッドに起因するとは思えないのである。あらゆるカートリッジがもっている音色的な個性は、スプレッドの他にも原因があって、多くの諸歪が、すべての機器にはまだ残っていると信じている。しかし、オーディオに、こういう現象が起こることを、今まで、誰も指摘していないし、ましてや、それをコントロールする技術に挑んだのは平沢氏だけであろう。なんらかの物質を、必要に応じた加工方法をもって使わねばできあがらない機械についてこの新しい技術的発想と実験は高く評価してよいと思う。また物性以外に起因する、 スプレッド現象──例えば、逆相のカッティングのような──についても、まだまだ研究のメスを入れる余地が大きいとも思われる。
 平沢氏は物性について、グレードを問題にすべきだと主張する。鉄材、無酸素銅、金などが、加工プロセスで変質し、スプレッド現象を増加させるため、ただ、不純物の混合の度合いだけで判断するのは、オーディオ用としては早計に過ぎるという痛烈にして当を得た批判も展開される。部品による音色の違い、電流の質によるそれなど、従来、耳で聴いて指摘されてきた音の違いに比して、従来の物理学の追求は追いつかないが、それは物理学には質の係数が欠けているからだと説明するのである。そして、このように、物の質の解明を行なわず、有用性のみで科学文明を押し進めれば、あらゆる汚染が重なり合うことになるとも敷衍するのである。オーディオという人間の最も鋭敏細妙な感性を対象とする機械文明を通して、新しい物理学を提唱するという意味で、このカートリッジに〝フィジックス〟という名称がつけられたそうだ。
 この製品はMCカートリッジ(ヘッドシェルを含む)とそのトランスの組合せでスプレッドを抑さえ込むというもので、必ず一対で使用すべきであろう。聴感上の音色、音質は多くのカートリッジの中でもっとも癖を感じさせないニュートラルなものという印象である。まったくの手造り製品で、そのデザインや仕上げに夢はなく、お世辞にも美しいものではないが、材質、加工、形状のすべてをスプレッド現象抑制を目的に、ひたすら忠実な変換器に徹するコンセプトから生まれたわけだから仕方がないだろう。
 それにしても、こういう製品に接すると、いまさらながら、オーディオの不可解さと、その怪しげな美と魅力の世界について考えさせられてしまう。いろいろな音を出すカートリッジについて、いつも、毒が薬になったり、本当に毒になったりする複雑な実態に悩まされているが、だからといって、この製品が唯一無二の正しい音を聴かせてくれるカートリッジの終着点だと思い込む自信もまったくない。悩み、惑いは果てしなく続くものなのであろう。
 もう一つの新しいMCカートリッジもユニークな製品である。
〝IKEDA9〟がその名称だ。池田勇氏の作品である。池田氏とは、もう30年を優に超えるおつき合いだ。池田氏は、その一生をカートリッジ設計製造に捧げてきたといってもよい人物で、SPレコード用のピックアップの時代から、この仕事に携わっておられる超ベテランのカートリッジ専門家である。私が氏に初めて会ったのは、昭和28年頃と記憶するが、学生時代、なけなしの小遣いをはたいて買った、グレースのモノーラルLP用カートリッジF1の修理を依頼するため、品川の同社を訪問した時だ。その後、独立されて、FRカートリッジのフィデリティリサーチ社を創立され、数々の優れた製品を手がけられたが、昨年、同社を離れ、わずらわしい会社経営から解放されて、長年の構想の実現であるこの製品の手造りを始められた。FR1からFR7まで、氏の作ったMCカートリッジの実績は世界中にMCカートリッジブームを巻き起こす力となったほどであった。その池田氏が、今度は自身の名を冠したカートリッジを発表されたのである。
 その内容はきわめて挑戦的なもので、ちょうどカッターヘッドと相似の構造である。いいかえれば、針先の動きをダイレクトに発電するという理想を具現したものである。つまり、このカートリッジにはカンチレバーはない。あるのは、針先を支える小さく軽いアルミホルダーのみ、ここから直接、コイルがそれぞれ45度方向に結合され、その先端が半球型のダンパーに固定されている。コイルは弓型に巻かれ、サスペンションを兼ねている。前後方向の支持は特殊な緩り線で後方に引っ張っている。半球型のダンパーと書いたが、正確にはマッシュルーム型で、この形状になるまでに、どれだけの苦労があったことか……。確かに、初めは半球型で、ニップルダンパーと呼んでいたが、製品になる段階では現在のマッシュルームダンパーとなった。針先の動きを直接コイルに伝えるダイレクトカップリングの理想をこれほど追いつめた製品は世界に他にないだろう。いうはやすし、おこなうは難しで、このアッセンブリーは至難の技である。とても、とても、量産などできるしろものではない。針先の音を直接聴いてみたいというカートリッジの鬼が執念で作り上げたカートリッジという他ない。頭で考える人はいても、誰も手をつけることができなかった構造だ。発電コイルは同時にサスペンションでもあり、その弓型の形状やダンパーの接合、髪の毛よりも細い線を巻いて硬め、これをチップホルダーに固定するというのは、まさに離れ技といってもよく、その困難さは想像以上だろう。ヘッドシェル一体型構造で、指かけまでアルミ切削のボディは、池田氏自身の手による旋盤加工で、シンプルだが美しいものだ。
 また、もともと、池田氏はFR1の開発以来、一貫してピュアMC、つまり、磁性材の巻枠をもたない空芯コイル方式をオリジナリティとしてきたわけで、ここにもそれは守られている。もっとも、この構造では巻枠など入り込む余地はないし、振動系の軽量化を著しく損ねる。
 音の質感は明らかに一味違う。繊細で、あまり微弱な間接音が出るので戸惑うほどだ。
 トーンアームへの取り付けは相当厳密に行ない、ディスクに対するラテラル方向を入念に調整しないと、敏感に影響が現れる。また、構造上、ほこりがつきやすいので、柔らかい刷毛で注意深くクリーニングをすることも大切だ。条件を整えると、このカートリッジならではの曖昧さのない、締まったソリッドで、明確な輪郭をもった音像の魅力が他では得られぬ再生音として聴かれるであろう。相当敏感なカートリッジだけに、レコードのあらも鋭敏に再生する。イージーに安心して聴き流すというタイプではない。カートリッジ自体で、少々のあらは吸収してしまうという実用性を期待すると見当ちがいである。車でいうと、きわめて俊敏なスポーツカーといった感じで、整備のミスや運転のミスは許されないといった傾向のエンスージアスト好みの性格に共通したところがある。
 いかにも趣味性の高いアナログディスクファン好みの製品である。イージーハンドリング、イージーリスニングの便利な機械の氾濫はある面、このオーディオの世界をつまらないものにしていると思うのだが、そんな時代にあって、こうしたカートリッジの登場は喜ばしい。これは、あたかも針先と発電コイルがダイレクトに連るように、ユーザーと、製作者の池田氏がダイレクトに連ってオーディオを共に苦しみ、共に楽しむことのできる製品なのである。だからこそ、池田氏も、これに象徴的、あるいは抽象的な名前をつけないで、ダイレクトにIKEDAという名前をつけたのであろう。このカートリッジをもつことは池田氏と友人になることのように思えるものだ。これは、今のオーディオに欠けているものではないだろうか。大量生産、大量販売という体質からは得られないことだし、そうした体質から生まれることができる製品ではないのである。大きな資本と組織でなければできないこともある。しかし同時に、そこには失われるものもある。この製品に接して私は、先に述べた30年以上も前の池田氏との出合いの頃の、楽しかったオーディオのことを想い出した。あれこれと苦労をしなければ、まともな音を出せなかった時代だけに、その楽しさも格別のものであったように思えるのである。
 こんなわけで、この製品は、誰にでもすすめられるというものではない。池田氏のチャレンジに共感し、このカートリッジの本質を理解する人にとって興味深く、魅力的なものといえるであろう。

オンキョー Grand Scepter GS-1(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
特集・「ベストコンポーネントの新研究 スピーカーの魅力をこうひきだす」より

 オンキョーGS1は、オールホーンシステムという、スピーカーの構造としてはっきりとした特徴を待ったスピーカーです。低域までホーン型を使ったオールホーンシステムというのは、ダイレクトラジエーター方式のシステムと比べていろいろな点でメリットが多く、そのことは理解されていたわけですが、その反面のデメリットも非常に多かったと思います。それを理解した上で、ごくごく特殊な人たちが、そのデメリットを使いかたで何とかカバーして、すばらしい音にしているというような状況であったわけだけれども、メーカーの製品でオールホーン型スピーカーを、ここまでまとめたシステムというのは初めてだろうと思います。
 ホーン型スピーカーのメリットは何かというと、いちばん大きいのは非常にトランジェントがいいということでしょう。それから、ホーンによって非常に能率が高くできる、この2点が大きなメリットとしてあります。それに対して一般的なデメリットはなにかというと、まずホーンの鳴きがどうしてもとれないということでしょう。ダイヤフラムから出た音がホーンから放射されるときに、いろんな反射音をつくり出してしまう。そのために、本来の再生音にホーン鳴きが加わって、独特の音色をつくる。ある意味では、その独特の音色というものが、個性的なホーンのよさとして好まれている面もあったわけだけれども、正しい再生をするためには、一つの問題であったと思います。
 GS1は、ホーン型のウィークポイントとされていた部分にメスを入れたシステムで、オンキョーが一番力をそそいだのは、そのホーン鳴きをまずなくすことだったといいます。さらに、ホーン内部における音の反射をなくし、再生周波数帯域内でのリスニング位置への音の到達時間がきちんと等しくなるような努力をしたという。それによって、非常に忠実な音色というものが得られるようになったのが、このGS1の一番大きな特徴だと思います。
 今までのスピーカーシステムで、各周波数における聴取位置までの到達時間をきちんとそろえるということは──言い換えれば完全にリニアフェイズで再生するということは──ダイレクトラジエーターにおいては幾つかの例があります。しかし、ホーン型でこれを実現したというところに、このスピーカーの一番の特徴がある。それによって、スピーカーとして完璧なものになったとは言わないけれども、ホーン型スピーカーのよさというものがさらにクローズアップされることになりました。
 ただ、一方において、このスピーカーといえども、いろいろ限界がありまして、特に一番ネックになっているのは、ホーンでありながら能率が低いということです。この規模のホーンシステムならば、100dB/W/mぐらいの能率が稼げてしかるべきですが、公称値は88dB/W/mにすぎないわけです。実際には、聴感的なレベルでは、86dB/W/mぐらいの感じです。
 なぜこれほど低能率になってしまったかというと、低音ホーンに全体の能率を合せようとしたからなのです。このスピーカーの場合には、オールホーンシステムとするために、低域まで完全にホーンロードをかけています。このGS1に使われている低音用ホーンは、非常にきれいに低域までホーンロードがかかるんだけれども、低い帯域ですと非常に能率が低くなる。そこの帯域にすべてのユニットの能率をあわせる必要があったわけです。
 したがって、ホーンドライバーの能率の良さは、絞りこまれて犠牲になって使われているということで、全体としては88dB/W/mの能率しかないというところが、一番大きなデメリットです。
 そういうわけで、決してこれが理想的なスピーカーとは言えないわけですが、今までのスピーカーの歴史の中で、オールホーン型でここまでホーン鳴きと時間特性というものを追求し、それをコンシュマーユースのスピーカーとして具体化したものはなかったわけで、そこが素晴らしい。
 しかも、フロアー型のオールホーンスピーカーではあるけれども、比較的コンパクトに、家庭で使えるサイズにきちんと全帯域がまとめられているということも、これも一つの商品として見ると、非常に画期的と言えます。
 ただ、時間特性をあまりにシビアに追求し、ホーンの内部での反射を極限までカットしたことで、時間特性がスピーカーの開口面においてきれいにそろってはいるものの、実際にスピーカーをリスニングルームに置いたときには、リスニングルームの中に全体の音が拡散していきますから、したがってリスナーの位置で聴くときには、完全にあらゆる周波数帯域の時間がぴしっと一致するということは、これは無響室でもない限り不可能なわけです。しかし、ごく短いところでの一次反射の時間ずれさえなければ、あとの反射音は空間のライブネスとして私たちは認識できますから、音色の忠実性を確保するためには、非常に短い時
間でのおくれ、つまり一次反射──スピーカーのすぐ側面に反射性の壁があるというような状態でおこる──を排除するということが重要です。その点をきちんとしてやれば、このスピーカー独特の音色の忠実性というものを楽しめます。
 そういう意味で、今までのスピーカーよりも、多少、置き方とか使い方が難しいと言われるのもいたし方のないことではないかと思います。
 今まで、このスピーカーはいろいろなところで聴いてきましたが、どちらかというと能率が低いために、よほどのハイパワーアンプでドライブしない限りは、大きなラウドネスで鳴らすというチャンスがありませんでした。しかも非常にデリケートな音色の忠実性を持っているものだから、ついつい比較的低いレベルでの音のデリカシーを活かすということで、クラシック中心に聴いてきたように思うのです。
 せっかくのホーンシステムが持っているハイサウンドプレッシャーレベルの再生音の良さということを、今まで無意識ではあるけれども、聴いてこなかった。それでこの際、ハイパワーアンプで、このスピーカーから大音量再生してみたいと思ったわけです。このスピーカーの能力としても、能率は低いけれども、逆に許容入力は、オンキョーの発表データを見ても、3kWと書いてあり、88dB/W/mの出力音圧レベルでも、瞬間で3kW入れたら、相当な高いSPLに達するわけです。
 それで、このスピーカーでハイSPLの必要な音楽を聴いてみたいという、かねがね思っていたことを今回試してみました。高いSPLで再生する音楽というと、すぐフュージョンとかロックが思い浮かぶかもしれませんが、実際にはそれほど単純なものではありません。しかも、フュージョンとかロックというのは、電気楽器を多用していますから、その音を主観的にいい悪いということは自由に言えるけれども、本当に正しい音であるかどうかはわからないし、ある意味では、ソースそのものが、このスピーカーの持っているクォリティよりも悪いクォリティの音である場合が多いですから、このスピーカーの能力を考えたときに、ハイサウンドプレッシャーレベルでしかもアコースティックなものと考えた結果、僕はやっばりオーソドックスなジャズのフルバンドの演奏を、このスピーカーで聴いてみたいというふうに思いました。この組合せでは具体的に、僕が一番好きなカウント・ベイシーのオーケストラのレコードを、このスピーカーがどんなふうに再生するかがポイントです。
 ハイサウンドプレッシャーレベルでありながら、しかもアコースティックな音──つまり、新しくつくり出されたような楽器ではなくて、極端に言えば、神から授かった美しい音の楽器の音──で、しかも生き生きと体で感じるような迫力のある音楽の代表として、カウント・ベイシー・オーケストラを選んだわけです。
 また、ハイサウンドプレッシャーレベルを追求する上で、安定性とか、アコースティックフィードバックの影響を受けない点をかって、CDを主に使うことにしました。カウント・ベイシーの追悼盤として出ている『88・ベイシーストリート』。それから、『ウォームブリーズ』。この二つのCDを、このスピーカーで鳴らしてみようというふうに考えたわけです。
 『88・ベイシーストリート』というのは、カウント・ベイシーのピアノを音楽的にもオーディオ的にもフューチャーしたものと言えます。カウント・ベイシーのピアノというのは魔力といってもいいほど、たった一音を叩いただけでも、カウント・ベイシーだとわかる、独特のリズム感と音色を待ったピアノなんです。これが一体、どの程度リアリティを持って出てくるかが一つの聴きどころでしょう。
 それから、カウント・ベイシー・オーケストラのブラスセクションとサックスセクションの、怒濤のように押し寄せてくる雰囲気というのは、オーケストラのプレーヤーたちの抜群なピッチ感覚によるわけです。ピッチがすばらしいというのは、単に物理的にピッチが合っているというだけでは充分ではありません。それに加えて音楽的ピッチの良さが要求されます。つまり、ハーモニーとしてのピッチがすばらしい。そういうものが整っているからこそ、カウント・ベイシーのサックスセクション、あるいはブラスセクションというのは、こちら側を生き生きと駆り立てるような、言い換えればスウィングさせるというような音楽的特徴を持っている。その感じを、新しい技術の成果が反映したスピーカーで聴いたら、どんなふうになるだろうという期待が一番大きかったわけです。
 しかし、一方においては、さっき申し上げたように、このスピーカーの持ってる音色のデリカシーによって、クラシックも聴いてみたいという気持ちもありました。したがって、その両方をちゃんと再生でき、なおかつ、そのどちらにも第一級のレベルを求めるとなると、ドライブするアンプも一種類では難しいなという結論に達したわけです。
 具体的に組み合せる製品はどういう選び方をしたかというと、まずカウント・ベイシー・オーケストラの音を、このスピーカーから十分に引き出すことを考え、最初にアンプから選択していきました。そのときひとつの条件として、アンプの出力は今までのこのスピーカーを聴いた体験から、200Wや300Wではちょっと足りない。本当は1kWぐらい欲しいところです。しかし、1kWの出力を持ちながら音質のいいアンプというのは──SR用なら別ですが──この世にはまだありません。
 もちろん、アンプをBTL接続して、パワーを上げていくという方法もあるんだけれども、そこまで大げさにせず、一つのアンプで得られる最大パワーというのは今のところ500Wだろうと思います。500Wのアンプで、そして充分に質のいい音ということになると、私はマッキントッシュのMC2500以外に思いつかない。質と量の両立という点ではこのアンプが最右翼のアンプだと思います。プリアンプもマッキントッシュのC33を候補にあげて、MC2500との組合せを頭の中に描いたわけです。
 マッキンのC33とMC2500というのは、自分自身ずっと自宅で使っていますが、ハイパワーでありながら、ローレベルにおけるリニアリティや、あるいはデリカシーについても全く不満のないアンプで、そこが僕は好きなところなんです。
 しかし世の中にはいろんなアンプがあって、ある音量以下で聴くときは、これ以上にいいアンプというのもあるわけです。例えば、同じマッキントッシュでもMC2255の方がきめが細かい。また、他社のアンプを聴いてみますと、あるレベルででは、よりデリカシーのあるアンプというのはたくさんあります。クラシックの弦であるとか、それからピアノの本当の音色の変化、つまりピアニストによる音楽的な音色の変化──いいピアニストというのは必ず自分の音を持ってます。そういう、トップクラスのピアニストによるデリケートな音色の変化──こいうものを聴くためには、もっとニュアンスの豊かな、デリカシーのあるアンプが存在するのではないかというふうに思いまして、最近、僕の聴いたアンプの中から、これはいけると思って、頭に描いたのがカウンターポイントのSA5コントロールアンプと、SA4パワーアンプの組合せです。この二組の組合せで、このスピーカーをドライブしようというアイデアが浮かんだわけです。
 そこで、まずマッキントッシュ同士の組合せを聴いてみました。これはある程度、ぼくも既に実験済みでしたが、実際にここでまた改めてカウント・ベイシーの二枚のCDを鳴らしてみたんです。フルパワーをいれたときの非常に迫力のあるすばらしい音だけではなくて、さっき申し上げたブラスセクションとサックスセクションのユニゾン、あるいはハーモニーの正確さ、それが実際にフェイズの正確さとして、空気がわっと迫ってくる実感、リアリティというのが非常によく再現されたと思います。
 このMC2500はパワーガードのシグナルがフォルテシモでつくまでボリュウムをアップしてみても音が崩れることがありません。パワーガード機構が、波形ひずみを取り除いてスピーカーが破壊されるのを防いでいるわけです。実際、ランプがついたからといって音のひずみは感じらず、ダイナミックレンジがぐっと抑えられたという感じも全くしません。カウント・ベイシー・オーケストラのかぷりつきにいるぐらいの音圧感は十分得られました。
 さすがに、このスピーカーが持っている音色の忠実性が生きていたし、ベイシーのピアノのリズムの弾むようなところが、大音量にしてもいささかもへばりつきません。空間に自由に立ち上がるという点で、非常に満足のできる音になったと思います。
 カウント・ベイシーの音楽というのは、僕の最近の言いかたでいうと、ネアカで重厚なんです。ネアカ重厚というと、ちょっと表現が軽薄ですけど、これに尽きるわけです。スウィングする音楽というのは、人を明るくさせます。しかし、明るく、スウィングするというだけでは、本当に真の感動には至らない。音楽から得られる本当の芸術的な感動というのは、そこに非常に豊かな重厚さというものがあってこそ得られるもので、それでこそより感動が大きくなります。カウント・ベイシーのオーケストラというのは、そこに一番大きな特徴があるのです。
 具体的に言えば、サックスセクションの充実であり、リズムセクションの充実ということなんだけれども、これがスピーカーから安定して、がしっとして出てくる必要がある。ですから、トゥッティでフォルテシモになったときに、ブラスセクションのぴゃーという音だけに気をとられて、ハーモニーとしてついている中低域から低域の印象が薄れるような音になると、重厚さがなくなってしまう。
 そういう烏で、僕はこのMC2500でドライブしたときのこのスピーカーの音は、いかなるトゥッティにおけるブラスの輝かしい音が出てきても、中低域から低域のベースがしっかり安定していたと思います。つまり明るさと重厚さというのが、実に堂々とした安定感で両立し、再現されたのです。
 しかし、一方では、他にもいろいろな音楽を聴きたいわけで、このアンプでは、クラシックが荒くて、全然聴けないということでは困るわけです。その点も確認をしてみたわけですが、クラシックの微妙なニュアンスもかなりよく再現でき、このスピーカーの組合せとして自信を持ってお薦めできます。
 もう一方の、もっと違ったデリカシーやニュアンスの豊かな音楽を再現するという意図のために、カウンターポイントのSA5、SA4の組合せを試みました。そのために選んだレコードが、一つはハイドンの『チェロ・コンチェルト』。これはチェロがロストロボーヴィッチで、オーケストラがアカデミー室内合奏団です。このレコードは全く純粋なアナログ録音で、十年ぐらい前の録音ですが、自然なしなやかないい音で、オーケストラのバランス、独奏楽器とのバランスも大変にすばらしい。オーソドックスなステレオフォニックな空間の再現も大変に見事なレコードです。
 コンパクトディスクではシューマンのシンフォニー『ライン』。この交響曲第三番『ライン』は、ハイティンクとコンセルトヘボウの演奏で、これも大変に各パートのバランスがよく、しかも、それが空間の中でステレオフォニックに溶け合っていながら、細部が明瞭な、とてもいい録音だと思います。
 特に、このCDは第四楽章の弦とホルンと木管とのハーモニーがきれいに出てくれないと演奏が生きない。そこのところを聴き取るために絶好のソースです。
 それから、先ほど申し上げた、本当にいい演奏者の持っている個性的な音色のニュアンスというものを聴くために、ルドルフ・フィルクスニーのピアノのCDを使いました。
 この三枚のコンパクトディスクで、カウンターポイントを聴いたんですが、まずフィルクスニーのピアノの音色に関しては、これは文句のないものです。スピーカーの良さとともに、このSA5、SA4の組合せも素晴らしいと意識せざるを得ないほどです。フィルクスニーは、ピアノの持っているリニアリティのいい範囲だけを使うピアニストなのです。彼は直観的に、常にその楽器のダイナミックレンジというのを把握し、そして本当にきれいなその楽器のフォルテシモのピークを、彼のフォルテシモとして設定して、あとは下へずっとダイナミックスをつくつていくピアニストです。そこにフィルクスニーのすばらしさがあります。ピアニシモからピアノ、メゾピアノ、メゾフォルテ、フォルテと、音のグラデーションの、豊かさと、音量に対比した音色の変化、これがフィルクスニーのピアノの魅力の一つです。このレコードをSA5、SA4の組合せで聴いてみると、マッキントッシュでは味わえないサムシンングが出てきました。フィルクスニーの音楽の音色を通じての彼の心の温かさとか、あるいは優しさといったものが、ほぼ完璧に出てきた印象です。これはわれながら図に当たった選択でした。ですから、マッキントッシュでもうーつ欲しかった、そういう優しさ、デリカシー、温かさというのが、このカウンターポイントのときに非常によく出てたわけです。
 シューマンのシンフォニー第三番の聴きどころはどこかというと、第四楽章の、弦の各パートのバランスです。たとえていうと、この各パートのバランスというのは、ちょうどスピーカーのf特みたいなもので、スピーカーのf特にうねりがありますと、せっかくいい感覚でハイティンクが弦のバランスを調えても、それが崩れてしまう。第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスとある弦楽器群を、「コントラバス少し強い、チェロをもう少し強く。メロディはいいけれども、内声が弱い…‥」と、それを整えるのが指揮者です。ですから、そこでバランスをとることで、ヴァイオリン単体でもなく、チェロでもなく、ビオラでも、コントラバスでもない合奏の音、アンサンブルの音をつくるわけです。それが、スピーカーの特性の方にうねりがあったり部屋の特性に乱れがあると、せっかくのアンサンブルのバランスが崩れてしまうわけです。これは演奏表現を台なしにしてしまうことを意味します。しかも、エネルギーバランスをととのえることに加えて、その各楽器の持っているファンダメンタルとハーモニックスの音色のバランスというものがきちっと再生される必要がある。それによって、初めて演奏の音楽性が生きるわけです。
 話は少しそれますが、よくオーディオにおいて、音楽性という言葉があいまいな表現だと言われることがあります。しかし実はそんなことはとんでもない話なんです。音楽性があるとはどういうことかというと、演奏家が入念に仕上げた音色と、エネルギーバランスとの双方がきちっと出ることなんです。ですから、音楽性とはひっくり返せば、物理特性的な問題ともいえるんです。しかし、物理特性の追求方法が現時点では──これは将来も究極の到達点はないわけですが──完璧ではありませんから、あえて音楽性という言葉も使うというように認識していただきたい。
 このハイティンクのシューマンを聴いたときの弦と木管と、少し距離と間をおいて、豊かに響くホルンの、この合奏の音色の美しさというのも、ほぼ完壁に出ていたと思います。だから、ねらいどおり、ほとんどこれは満足のいくものでした。
 そこで、今度はさっきと逆に、カウント・ベイシーのようなものが140Wの出力のこのSA4でも──もちろん500Wアンプのように、重厚に力づよく出ないにしても──ある程度、それが聴けた方がいいというふうに思い、カウント・ベイシーも聴いてみました。ところが予想と反して、びっくりするほどの充実感のあるパワーで聴くことができました。マッキントッシュと比べると、音色は一段ときれいですが重厚さが若干なくなります。つまりトゥッティで全ブラス、サックス、そしてリズムセクションがうわっと盛り上がった時、音のバランスが少し高い方へいってしまう。カウント・ベイシーのオーケストラの持っている重厚さというのが、少し明るさの方へ偏った印象になります。ですから、きれいであるけれども、もう一つ地に足のついた、どっしりとしたリズムの粘りがほしい感じです。リズムは同じものが入ってるんだから、同じはずなんだけども、粘りが欲しいなというような印象になるのは、これはやはり、ハイパワーのときのバランスの問題でしょう。140Wクラスのアンプと500Wクラスのアンプの差ではないかというふうに思います。
 ちょうどそういう意味で対照的な組合せができ上がりました。
 この組合せでは、プレーヤーはマッキントッシュのアンプ用の組合せとカウンターポイント用の組合せでは、あえて違うものを使っています。つまり、トーレンスのプレスティージにSME3012Rゴールド、ブライヤーのカートリッジの組合せと、それからマイクロのSX8000IIにSME3012R-PRO、それにAKGのP100リミテッドの組合せの二つを用意したわけです。
 プレスティージでかけますと、すべてのプログラムソースに対して、これはこれで非常に素晴らしいのですが、この際、中庸を得るよりも、重厚さをとるということをメインに考えますと、音が少し柔軟なんです。ですが、これは表裏一体で、それがいいとも言えるわけです。つまり、これは相性が悪いというわけではありません。プログラムソースで言えば、ハイドンの『チェロ協奏曲』とか、今日はCDで聴いていますがシューマンのシンフォニーをアナログディスクで聴きたいというときには、プレスティージとSME+ブライヤーの組合せはなかなかいいと思います。
 ところが、ジャズをハイサウンドプレッシャーレベルで聴くというときに、どこか芯が少し柔らかい。それでマイクロとAKGの組合せにかえ、結果として非常に骨格のしっかりした音が得られました。マッキントッシュでGS1を鳴らすという今回のねらいに関しては、マイクロとAKGの組合せが良かったわけです。
 カウンターポイントのときには──カウンターポイントで少しでもかちっとした音を出そうと思ったら、やっぱりマイクロ、AKGがいいのかもしれないけれども──微妙でデリケートで、そして温かいニュアンスというものを得ようとすると、プレスティージ、ブライヤーの方がよかったということになりました。
 今回は、せっかく二つ組合せをつくつていますので、できるだけはっきり個性を分けたいと思い、プレスティージとブライヤーはカウンターポイントに、そしてAKG、マイクロの方はマッキントッシュというふうに決めたわけです。
 CDプレーヤーは、現在の製品はまだまだ一つのプロセスの途中のものですから、理想的なものというのは難しいかもしれませんが、一応、家庭用として使える最高のものは、つい最近出たセパレート型ということになるでしょう。セパレート型CDプレーヤーは一体型のものと比べて、クォリティは明らかに一段上で音の細かいところまでとてもよく出します。現在、Lo-DのDAP001+HDA001とソニーのCDP552ESD+DAS702ESの二機種が出ているわけですが、Lo-Dとソニーを比べてみますと──これがまたCDプレーヤーとしておもしろいところだけれど──明らかに音が違うんです。ソニーの方は非常に明快で、どちらかというと少し華麗で、しっかりした音が出るCDプレーヤーです。Lo-Dの方は、もっと厚みがあって温かさが出る。
 ちょうど、この違いが今日の二つの狙いにはっきりつながって、マッキントッシュにはソニーのCDP552ESD+DAS702ESの組合せ、カウンターポイントの方にはLo-Dの組合せというのがよかったわけです。
 アナログプレーヤーのそれに対応するような形で、同じような音の個性の違いがソニーとLo-DのCDプレーヤーにもあります。したがって、マッキントッシュの方はソニー、カウンターポイントの方はLo-Dを使うということで、より組合せの個性が際立つわけです。
 もし、この組合せにチューナーをいれるのでしたら、ケンウッドのKT3030を絶対薦めます。ただ、AMがないのが残念ですが。AMがどうしても欲しいという人には、音質にわずかな違いはあるけれども、KT2020の方が値段も安いし、AMもFMも入っていますのでこちらのほうがいいでしょう。FMのクォリティだけでいくならば、KT3030がベストです。

組合せ1
●スピーカー
 オンキョー:Grand Scepter GS1
●コントロールアンプ
 マッキントッシュ:C33
●パワーアンプ
 マッキントッシュ:MC2500
●CDプレーヤー
 ソニー:CDP552ESD + DAS702ES
●プレーヤー
 マイクロ:SX8000II
●トーンアーム
 SME:3012R PRO
●カートリッジ
 AKG:P100 Limited
●チューナー
 ケンウッド:KT3030

組合せ2
●スピーカー
 オンキョー:Grand Scepter GS1
●コントロ-ルアンプ
 カウンターボイント:SA5
●パワーアンプ
 カウンターポイント:SA4
●CDプーヤー
Lo-D:DAP001 + HDA001
●プレーヤー
 トーレンス:Prestige
●トーンアーム
 SME:3012R-Gold
●カートリッジ
 ゴールドバグ:Mr. Brier
●トランス
ウエスギ:U-BROS5(H)
●チューナー
 ケンウッド:KT3030