Category Archives: プレーヤーシステム - Page 15

EMT 930st, 927Dst

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 やや旧式ながらヨーロッパの伝統的な機械の美しさをいまだ受け継いでいる、いわゆるスタジオ用のマシーンだが、人間と機械との関係にいかに血の通った暖かさを思わせる手触りや、取り外してみるとびっくりする分厚いターンテーブルや、ほとんど振動の無い駆動モーターのダイナミックバランスのよさなど、むろんカートリッジや内蔵のヘッドアンプの良さを含めて、ディスク・プレーヤーの王様はこれだと思わせる。

B&O Beogram 4000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 近ごろ最も頭に血が上った製品で、写真よりも実物の方がいっそうチャーミングでしかも写真に写るよりも実物の方がはるかに小型でキュートである。フールプルーフのオートメカニズムやそれを誘うするワンタッチのコントロールパネルの感触や、ストレートラインのアームの動きなどまるでドリーム・デザインのようでありながら実に良く練り上げられている。蛇足ながら専用のSP15型カートリッジの音質も独特のクールな魅力。

マイクロ SOLID-5

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 プレーヤーというものが、モーターとターンテーブルとアームとケースとからではなく初めからプレーヤーとなるとき、それを実現してくれたのがソリッド5だろう。DDとかベルトとかサーボとかいう技術をプレーヤーに凝縮し、収れんするとき、このソリッド5の意気も価格も判然としよう。プレーヤーの価格とは、そうした各々のメカニズムに対するものではなく完成された製品に対するものだということを教えてくれた製品だ。

テクニクス SL-1200

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ユニークなメカニズムとデザイン、これは世界的に通用するオリジナリティを高く評価したいプレーヤー・システムである。個人的にはアームのデザインがどうしても嫌で、気になることが、無条件で魅力ある製品に入れることにためらいを感じさせるが、性能のいいDDターンテーブル、ダイカストによるベースでユニット化された高性能実用機器として水準を超えた日本製品だと思う。大きさもコンパクトで好ましい。

EMT 930st

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 EMTはノイマン、スチューダーと並ぶヨーロッパのプロフェッショナル・エクイプメントメーカーである。このプレーヤーシステムも勿論プロ用。どこからみても信頼感に溢れた重厚そのものの造りとデザインだ。B&Oのベオグラム4000とは対照的な製品で、まさに、古きよきゲルマンを感じさせる。メルセデスやポルシェに相通じるこの風格は見てさわってみなければわかるまい。みるからにドイツのオーケストラの音がしそう。

B&O Beogram 4000

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 アンデルセンの国、スカンジナビアのデンマークが生んだ、もっとも美しいオーディオ製品。北欧の現代感覚溢れたデザインは、家具や照明などのインテリアでも定評があるが、このプレーヤーシステムには、その面目躍如たるものがある。機構も、徹底的なハイ・エンジニアリング、リニア・トラッキングのインテグラル・アームを備え、完全自動のシステムで、カートリッジは同社のSP15がつく。鳴らさなくてもいい。ほしい。

マイクロ SOLID-5

岩崎千明

スイングジャーナル 6月号(1974年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

「ソリッド・ファイブ」こう聞いただけでは、その名前からは到底レコード・プレイヤーの製品名とは思えまい。マイクロ精機のニュー・モデルがこの斬新な名前を冠してデビューしたのである。
 常日頃、堅実で手堅くオーソドックスな姿勢を崩すことないこのメーカーは製品のすべてが控え目なデザインと、着実な高品質ぶりに、ロング・セラーを重ね、プレイヤー部門ではトップの座を永く守り続けてきた。ありきたりながら、オーソドックスな機構は、見落されそうな内部メカニズムの細かい所にまで、良く行き届いて品質の安定した精密度の高いメカニズムが、この10年にも近い永い首位の座を支えてきたのは当然過ぎるといえよう。
 ところでこの数年のDDモーターの出現とそれに続く著しい進出普及ぶりは、プレイヤー界に新たな波となって革命といえるほどにすべてが変った。首位の座を崩されなかったマイクロ精機はプレイヤー専門メーカーとしての誇りからDDプレイヤーの製品化に当然積極的であったし、最も古くからプロフェ、シショナル・デザインの711を市場に送って時代の波に対応した。国内では充分に理解されることの少なかったこの1年間、ヨーロッパの各国で異常な程の人気を呼んで他のDDのはしりと目されている。
 さて「DDモーターは高性能」ということが常識化されると、DDモーターはあらゆる購売層にむけてあらゆる価格レベルのものが出回り、いつも繰り返されるように、今や氾濫気味でさえある。単にDDモーター付きというだけの品質を究めたとは言えない製品までもが大手を振って罷り通る。早くからDDプレイヤーを手がけてきたマイクロ精機の良心はこうした安物DDプレイヤーを商品とすることが出来なかったのだろう。そうした情況下でのマイクロ精機の回答が、この「ソリッド・ファイブ」に他ならない。名の示す通り、これは今までのこのメーカーの志向を大きく前進させて、強い意欲と決断とから培れた企画であり、それだけにオーソドックスなベルト・ドライブながら多くの点でまったく斬新なプレイヤーと言えよう。「ソリッド・ファイブ」という現代的な響きの名前。この名のいわれは、従来の観念からいうプレイヤーとそのケースとはまったく違った構造形態にあるのに違いあるまい。本来プレイヤーというものは、モーターにより駆動されるターン・テーブル、アーム、ケースの3点によって構成される。ところがこの「ソリッド・ファイブ」では、ターン・テーブルとケースはまったく一体化されていて、分離しては成りえない。もっと分り易く言うと、普通はターン・テーブルとそれを駆動するためのモーターが取り付けられている「モーター・ボード」といわれる部分は「ソリッド・ファイブ」には全く無くて、一見スマートで軽やかに見えるが中味の完全に詰まった厚さ40ミリの積層合板のケースそれ自体がモーター・ボードとなっている構造だ。この新たな構造はプレイヤー・メーカーだからこそ作り得られるメカで、完全に原点に立ち帰ってプレイヤーというものを考え直し、本来そうあるべき形態として生まれたものだ。基本的には直接サーボ・モーターによるベルト・ドライブというメカニズムで、これはマイクロのいつもながらの堅実で高い信頼性重視が採用させたものだ。同じメカながら今日のDDモーター時代に世に出る製品に相応しく、性能の上でDDモーターのそれに劣らぬデーターを示し、SN比、ワウフラッタ特性、安物DDモーターのウィーク・ポイントとされている実用時の高性能化、更に信頼性を大きく加えている。アームは優雅なほど素晴しく高級仕上げされ、高感度ながら、がっちりとして使い易いのも、いつものマイクロと同じだ。静止時のアーム・レストの高さ調整まで出来るといった細かいプラスαはここでは触れるまでもなかろう。
 名前通り現代的なフィーリングが構造にもデザインに.も、使用時にもはっきりと出ているのがこのプレイヤーの完成度の高さを示している。いつも「高品質だが商品としては80点、もう一歩完成度が欲しい」と言われ続けてきたマイクロが、初めて完成度100%のラインを一気に飛び越えた製品。それがこの現代的な高級プレイヤー、「ソリッド・ファイブ」といえるのではないだろうか。『DDを突き抜けたときの本物プレイヤー』ソリッド・ファイブ。

ガラード Zero100

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 トラッキング・エラー補正メカニズムという、理想に大きく近づいた形を、ほぼ完全な状態で取り入れたアームを着装している点で、ガラード・ZERO100は、単に画期的な、というありきたりの冠詞では言いつくせない、品質評価され得ない、真の高品質といい得る高級オートチェンジャーである。
 それは、かつてLP出現期からステレオ初期に至る10数年間、全世界を席巻した唯一無二のオートマチック・チェンジャーであったガラードの「誇りとのれん」に示したとっておきともいえるオートチェンジャー・メカニズムの具現化商品であり、それだけにこのZERO100に賭けた老舗・ガラードの意気ごみは熱くたくましい。
 しかし、である、残念なことに、これだけの理想形ともいえるほどのアームをそなえているにもかかわらず商品としてZERO100は成功をおさめたとはいい難いのではなかろうか。
 れそはなぜか。ZERO100を手許に引き寄せ、そのスタート・スイッチを入れてみれば、誰しも大よその判断を得よう。ガラード・ZERO100のオートマチックメカニズムは、まったく従来のガラードのオートチェンジャーのメカニズムを踏襲したものであることを知るだろう。
 今や、西ドイツからデュアルという強敵をむかえる現事態を、真向からむかい合うのではなく、その存在を外しかわして、自らの技術の伝統を少しも改めようとしない頑強な英国特有のブルドック魂ともいえる精神がそこにみられる。
 オートチェンジャーは、その内側をのぞけば判るように、こまかいパーツが精密に入り組んで、容易なことで変更、改良がきかいないのは、周知の事実であり、その為に商品サイクルがマニュアルプレーヤーよりも長くなる原因ともなっている訳だ。ガラードの場合、その自信あるメカニズムに自らの信頼をおき過ぎたのではないだろうか。10数年間、大きなメカニズムの変更なしに着実にチェンジャーを世に送り出した中で、ZERO100は作られた。外観はモダンにメカニズムの枠として生れ変っているが、内側は、かつてのベストセラーだった75、85さらに95とほとんど同じチェンジャーメカニズムをもっている。
 アームの上下、および、水平運動、レコードの落下などの動作がすばやく、不安を感じさせないだろうか。
 オートチェンジャーというパートに、マニアが求めるのは、やはりオートチェンジャーとしての不安を除いてくれるような完璧な動作なのではないだろうか。
 ZERO100に採用されたトーンアームは、冒頭に述べたようにトラッキングエラー、アンチスケーティングなどに対する補正が、理想的につきつめられている。スタティックバランス型の角型パイプアームに平行したリンクアームにより、ヘッドシェルのオフセット角を変化させ、トラッキングエラーを常時ゼロに保つその設計意図は充分うなずけるし、マグネットを使ったアンチスケーティング機構も効果は大きい。
 しかし、それはいくつかの理由によって過小評価をまぬがれない。
 例えばアーム基部のアクリル枠だ。アクリルという安っぽさは、あるいはデザインによって克服され得るかもしれないが、ZERO100のせっかくのトラッキングエラー・レスというその大きな特長をアクリルという材料によって一見した印象で安っぽくしてしまう。少なくとも日本のマニアは、そうみるに違いない。
 最後にZERO100の最大の難点はレコードのサポートメカニズムとレコード落下時のレコードの踊りである。
 わずかな、とタカをくくってはならぬ。ガラードのチェンジャーが西ドイツ製チェンジャーに押され、BSRにさえ追い越されようとする最大の原因は、このたったひとつの点にかかっているのだから。

デュアル 1229

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 デュアルのチェンジャーという呼び方をしなくても、独乙製というだけでそれが代名詞となるほどに、世界の高級ファンの間で親しまれてきた。12年前から急激にその地位を強めて、それまでの王座を誇っていたガラードの座にとって変って、全世界の市場で少なくとも独立したプレーヤーとして最強のシェアを培ってきたのは、その特有のメカニズムにある。それはガラードと違ってセンタースピンドルのみでレコードを受け、一枚ずつ落として演奏する、というメカニズムにある。今でこそ、それは当り前であるが、それまでのチェンジャーにはつきものであった、レコードを重ねのせた上におさえレバーをのせるという方式から脱却した、ただ一つの操作を最初になし遂げ、デュアルの地位を今日のものに築き上げる直接的なきっかけになっている。
 この6年来、デュアルは軽針圧カートリッジのためのチェンジャーメカニズムに力をそそぎ今や他社のごく少数のチェンジャーを除いて、デュアルのいかなる製品にも匹敵するものはない。
 昨年は同じ西ドイツの同業メーカーPE(パプチューム・エブナー)社を傘下に包含して、ますます量産体制を確立し全世界を市場にこの分野で限り知れぬ強みを発揮し、日本に続いてDDモーターを自社生産するなど、その実力はまさに世界にさきがけるチェンジャーメーカーといえよう。
 1229はデュアルの最高級機種であるが、ストロボがついた最新型1229の前身は1219であり、さらに30cm・ターンテーブルになる前の27cmの1019にさかのぼると、デュアルというより西独製プレーヤーとしての典型的パターンがここにある。
 視覚的デザイン的に、ターンテーブルギリギリのモーターボードに、やや太いストレートアームというその形は、ステレオディスクプレーヤーの原典たるノイマンのカッター付属を思わせるモニター用のディスクプレーヤーを思わせる。
 この一見武骨ながら比類ない確実さをもって、そっ気ないくらいに着実な的確さで操作をしてくれる点が、デュアルの人気は華々しくはないが、根強く着々と全世界に普及させた理由だ。
 こうしたデュアルのもうひとつの偉大な特長は、ハウリングに強いという点だ。
 かつてある雑誌の読者から、「スピーカーの上にプレーヤーを載せるとは何事ぞ」と掲載された写真を指摘されたことがあるが、私のDKには数年来、バックロードホーンのシステムの上にデュアルの古い1019が載せてあり、それは日本のファンの常識を超えて、フルボリュウムでもハウリングの気配すらない。
 アームが細く長くスマートになった1229では、1019ほどではないが、3点のスプリングによってサポートされた全体は、重量とスプリングの遮断共振点を選んであるためか、ハウリングには驚くほど強く、その点でデュアルのかくたる技術力をしらされる。
 ターンテーブルの重量はなんと3・1kgと、マニュアルプレーヤーとして世界一というトーレンスのそれに匹敵する。手もとのスウェーデンで発行されたカタログによれば(王立研究所の測定結果として)デュアルの701DDターンテーブルつきとほぼ同じSN、ワウフラッターの優秀な数字が掲げられ、それはトーレンス125に優るとはいえ、劣ることはない。
 演奏スタートから音溝に針が入るまでは、33回転のとき12秒と遅いほうではなく、それも無駄のない動きがなせるわざだろう。
 よくいわれるように、センタースピンドルからレコードが一枚ずつ落ちる場合に、レコード穴がひろがるとか、落ちるショックでお富み俗が傷むとかの説は、デュアルを使ったことがないためにでてくる言葉で、外径7mmストレートのスピンドルにそって落ちる速さはほどよく抑えられながら、きわめてスムーズでストッときまる感じだ。

BSR 810X

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 BSRはオートチェンジャーの専門メーカーとして、ガラードと並び、世界でもっとも長いキャリアを誇りしかも現在では象徴的存在たるガラードを抜き去って、世界一の生産台数を謳い、5万の人員を擁して大規模な形態を整え、英国バーミンガムきっての企業である。
 その業績内容の優れた発展ぶりは、全英企業中にあってここ数年三位とは下ることなく、昨年は米国の音響メーカーとして意欲的なADCをも傘下に収めるという躍進は、凋落著しい英国企業中にあってひときわ目立ち輝く存在といえよう。
 かつての強力なライバルたるガラードを抜き去った底力はといえば、それはやはりオートチェンジャーのメカニズムに対する意欲的な技術と開発力そのものにあったのである。
 その優れた技術と、ハイファイ製品特有の企画性のうまさを端的に示しているのが、製品中の最高機種たる810Xである。
 全体はメカニックな端正な直線と、黒の艶消しの品の良い豪華さを強調した仕上げでまとめられ、まったくいや味なく高級感を品良くかもし出して、しかも堂々たる風格すらにじむ完成度の高いデザインだ。
 全体にかなり大きい感じを受けるものは、その長くスラリと横たわるアームのせいだろう。ヘアラインの磨き仕上げのストレートな角パイプアームは、実効長21・5cmと見た目だけでなく、全長も29・9cmとチェンジャーとしては長いものだ。
 さらにこのアームを視覚的に長く仕立てているのは、カウンター・バランス・ウェイトのスライド範囲が前後に長いためで、これは国産のサテン、オルトフォンSPUなどの自重の重いカートリッジから最近の軽いものまでを、自由に組み合わせることを意味する。
 グレースのアームでおなじみのメカで、ジャイロ機構とも呼ばれる上下左右ボールベアリングのジンバル支持マウントは、針圧調整をも内蔵して、マイクロギアーによって0gから4gまでを直読式で加圧でき、目盛は大きくみやすく実用上の狂いが少ない。このメカニズムがチェンジャー中でも、特に優れたBSRのアームのもっとも大きな特長ともいえるだろう。
 アンチ・スケーティング機構も内蔵され、より大きな力を要する楕円針の場合と丸針の場合との二重目盛になっていて、アーム基部にツマミを配置している。
 この810Xで特筆できるのは、なんといってもオートプレイの動作自体が高級プレーヤーたるにふさわしく、正確かつ優雅といえるほどにゆったりとスマートな物腰にある。
 長いアームの動作は、ひとつから次に移るくぎりの停止がピタリと決まっていて、少しも機械とかロボット的な感じを残していないことだろう。これは日本舞踏とかバレーの動作を思わすほどだ。
 それは全体の動作がゆっくりしている点にあるが、特にアームの上下の動きは独特のオイルによるもので、息をつめて操作しているという感じだ。
 だから、演奏のスタートから音溝に針先のすべり込むまでの時間はやや長いほうで、実測で18秒かかる。この悠々と、しかし正確きまわりない動作こそ、かつてのガラードに変り、BSRの高級機種たる810Xがコンシューマーレポートの最上位のひとつにランクされる理由となったのであろう。
 申し遅れたが、810Xは710と共に英国製では数少ないセンタースピンドルのみでレコード6枚を受け止める構造で、落下システムは直線的な細い外径6・6mmというスピンドル内に収められている。
 ただ演奏が終ってレコードを外そうとする時、スピンドルを外して行なうというのは、スピンドルを再び通すよりは素早くできるかもしれないが、そうではないのがわかっていながら、何かこわれないかというイメージをもたれるのではないか気になる。

現代のマジックボックス オートチェンジャー

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 本来なら、ここでは現在市販されている「オートチェンジャー」がいかに優れているかということをページの許す限り述べ尽くし、それらの最新型に関しては、なまじっかのマニュアル(手動式)つまり普通のプレーヤーよりも正確で細かな動作をしてくれる、ということについて高級マニアにも納得させるべきなのであろうが、あえてそういうことは避ける。
 なぜか。それは、フルオートプレーヤーと呼称を変えたりしているチェンジャーをいかに述べても、動作の細部をことこまかに納納得できるまで説明したところで、いくらでもそれらを非難し、受け入れることを頑強に拒否するきっかけや言いがかりを見つけ出すにきまっている。だからといって、現在のオーソドックスなディスクプレーヤーがどのくらいまで完全であるか、ガラードの最新型チェンジャー、「ゼロ100」のそれにすら理屈の上では大方の市販品が劣るのである。
 レコードが傷むのではないか、という器具がオートチェンジャーを拒む最大の理由の最たるものだが、それではオートチェンジャーでなければレコードは決して傷つくことなく完全を保証されるか、というとこれまた必ずしもそうとは限らない。その点のみについていえば、レコード扱う者自体のテクニックとそれ以上に、「レコードそのものをいかに意識しているか」という点にこそかかってくる。レコード即ミュージシャンの心、と断じて、決しておろそかに扱えないという音楽ファンのあり方は、大いに賞賛されるべきだし、また、その域にまで達すればチェンジャーの価値をオーディオファンとしての立場を含めて、必ずや的確に判断してくれるに相違あるまい。つまりチェンジャーの説明は少しもいらない。
 けれど、世の中さまざま、あらゆるものがすべてヴァラエティに富む現代、再生音楽そのものも広範囲に拡大しつつあるし、またその聴き方もきわめて多様化している。しかし、だからといって聴き方それ自体がいい加減になるというわけでは決してない。それどころか、自らの生活環境が、ますます広げられるにしたがい、寸時も惜しんで音楽にどっぷりとつかっていたいと乞い願うのが、音楽をいささかたりとも傷つけ、軽んじ、強いては内的に遠ざけるということに果してなるであろうか。日常の寸暇も惜しんであらゆる生活タイムに音楽をはべらすという生活。これが果して、夜のしじまのありるのを見定め、あらゆる日常の煩雑を遮断して心身を改め清めて音楽に接するというのに劣り、音楽を冒瀆しその接し方そのものが軽率であるというであろうか、断じて否である。
 かくて、音楽を片時たりとも手離すのは忍びないという願う熱烈な、いや浸りきりたいという、おそらくもっとも正常なる音楽ファンにとって、レコードをまったくを手をわずらわすことなく的確に正確に演奏してくれるというプレーヤーは、再生音楽ファンに必要な、再生テクニックの点から理想的といってもよく、オーディオメカニズムに対する初心者もしくは未熟者にとって、あるいは日常を仕事雑事で忙殺される社会の多くの人びとにとって、それはまさに「福音」以外の何ものでもないと言いきってはばからない。
 つまり、再生音楽を純粋に「音楽」そのものの形で、日常生活の中に融けこませるべき現代のマジックボックス、それがオートチェンジャーなのである。
 マジックは、それを目の当りに接し、その不思議な魔的な力を体験したものでなければ納得もしないし、認めることもできまい。しかし、それが虚妄のものでなくて確かな存在として、ひとたびその先例を受けるや、魔力はその者の観念を根底からくつがえしてしまうに違いない。
 魔法の例えは話を無形のものに変えて、本筋を不確かなものとしてしまうと思われよう。
 だが、現実にオートチェンジャーの新型製品は、間違いなく同価格のオーソドックスなプレーヤーより、多くの若いファンにとって、より確実に正確にレコードの演奏をしてくれるマジックボックスとして存在するのだ。
 若いファン、という言葉がもし気になるならば、「新しい技術や商品を認めるのに否定的でない」と言い直してもよい。
 なぜなら、オートチェンジャーはレコードプレーヤーの革命だからであるし、それを革命として認めるか否か、この点こそがオートチェンジャーのすべてを認めることといえるからだ。

 私自身の話をするのは説得力の点で大いにマイナスなのだが、オートチェンジャーを以前から長く愛用している一ファンという形で話そう。
 米国市場において、デュアルが大成功を収めるきっかけを築いたのが1019だが、その製品を米国将校の家庭でスコットのアンプやAR2aと共にみかけて、手を尽くして入手したのは9年ほど前だ。「朝起きぬけに、寝ぼけまなこでLPを楽しめる」というその年老いた空軍准将は、まさにチェンジャーの扱いやすさをズバリ表現していた。次の一枚との合い間の12秒間は、違った演奏者の音楽を続けて聴くときに貴重だ、ともいった。眼鏡なしではレーベルを読むのに苦労するという初老の彼にとって、LPを傷めることなしに1・2gの針圧でADCポイント4を音溝に乗せるのにはデュアル1019以外ないのであった。
 当時すでにハイCPのARXというベストセラーがあり、もっと高級なプレーヤーがエンパイア、トーレンスなどであるのだが、オーディオキャリアも長い彼にとっては、今やデュアルに優るものはないのだろう。
 オートチェンジャーはこわれやすいのではないだろうか、という点を気にする方がいるが、こわれやすいというよりも扱い方、操作の上での誤りが理由で、その動作がずれ、たとえばスタート点が正しい点より、わずかに内側になってしまったとか、終り溝まで達しないうちにアームが離れるとかいう原因となることがある。
 そうした狂いのもとはといえば、捜査のミス、というより最初のスタートの数秒が待ちきれずに、つい、アームに指をかけて無理な力を加えてしまうことにある。カートリッジ針先が音溝に入るまでのチェンジャーは、オーソドックス・プレーヤーと違ってスイッチを入れるやいなや表面は動かないでいても、そのターンテーブルの下では、アームの動作のためのメカが説密動作を開始している。音溝に針先の降りる十数秒間、この間はじっと待つことが必要であるし、それがチェンジャーを正しく使うために必要な知識であり、かつテクニックのすべてだ。
 この演奏開始までの十数秒間、これは、またチェンジャーのみに与えられたレコードファンの黄金の寸暇という説は、冒頭にも述べたが、本誌別冊の475頁に、黒田氏も触れて、それをこの上なく讃えておられるではないか。
 9年目の私の1019は実は三日前にアイドラーの軸中心に初めてオイルをたらした。アームの帰り動作中、しばしばキリキリと音を出し始めたからだが、注油後それすらなくなって、ターンテーブルがいくらかスタートが遅くなったような気がするだけだ。実際に使っては変らないのだが。
 さて、オートチェンジャーがいかに便利か、それによって初めて日常生活の中でハイファイ再生が、ごく容易になって、つまり特定の部屋で、特定の時間のみレコード音楽に接することから脱却する術を知って、私はさらに8年前からトーレンス224といういささか大げさな、しかしプロ仕様にも準ずるチェンジャーを、メインのシステムに加えた。さらにこれは、5年前から3年半、私のささやかなジャズファンの溜り場で、オーディオテクニックに通じるべき一人の省力化に役立って働いた。
 扱い者の不始末からロタート点での入力ONのクリックがひどくなって、オーバーホールするまでの3年間、生半可な人手よりはるかに正確に働き、その正確さはマニュアル動作の期間のほうが、レコードを傷めること、数十倍だったことからもわかる。トーレンス224う使ってそのあまりの良さに、手を尽しもう一台を予備用として入手したのだが、それが今はJBLシステムで、ひとりレコードを楽しむときの良きパッセンジャーとなっているのは、いうまでもない。ただ残念なことに224は、今トーレンスでも作っていない。
 オーディオ歴の長く、そしてしたたかなキャリアを持つベテランほど、加えて音楽を自らの時間すべてから片時も離さない音楽ファンであれば、彼のシステムのいずれかに必ずやオートチェンジャーが存在する。レコードの価値を、「量産されたるミュージシャンの魂」と理解するファンであれば、チェンジャーの存在は限りない可能性を日常生活の中に拓いてくれることを知ろう。
 最後にひとことだけ加えるならば、いかなるチェンジャーなりとも、現存するすべては「アームが音溝にすべり込んで、最後の音溝に乗るまではアームにわずかの操作力も加わることがない。その時のアームの動作状態は、マニュアルプレーヤーのアームの状態と、なんら変るものではない」ということを、チェンジャーヒステリー達ははっきり知るべきであろう。

マイクロ MR-622

菅野沖彦

スイングジャーナル 12月号(1973年11月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 プレイヤー・システムというものはレコードをかける事を喜びとするものにとって、もっとも身近な親しみをもって接する機械であり、手で触れる事の多いものである事はいうまでもない。例えていうならば、車のステアリングでありトランスミッションのチェンジ・レバーであり、インストゥルメント・パネル(ダッシュボード)である。事好きにとって、ステアリングやインストゥルメント・パネルの感覚は無視できない重要なポイントであり、これらのデザインに夢を求め、そのメカニズムの確度に喜びを感じる人が少なくない。したがって、プレイヤー・システムというものは、レコードを演奏するという心情にぴったりしたデザインと感触をもったものであることが望ましいし、この意味では、まだ、現在の全てのプレイヤー・システムが夢を満たしてくれるものとはいい難いのである。私など、もう数十年もレコードをかけ続け、プレイヤーに親しんできているのだが、こういう意味から大きな満足を与えてくれたものは、どういうわけだか、SP時代の78回転のターンテーブルと数10グラムもあるようなピックアップのついたもの以外にはないのである。LP時代になってからは、どうも心情的にぴったりきたものにお目にかかったことがない。私が小、中学生の頃使っていた父の電蓄のプレイヤーは、きわめて仕上げのいい板に針箱やパイロット・ランプが美しくはめ込まれ、ターンテーブルには、いかにも曖かい高級感に溢れたラシャが張ってあり、その堂々としたピックアップのトーンアームは重厚性をもち美しく仕上げられた魅力溢れるものだった。もっとも、今の塩化ビニールのLPではラシャのようにゴミをすいつけるものは全く不適当だし、感度のよい軽量アームということになれば、見た目にも冷い軽々しいものにならざるを得ないのだろう。技術の進歩はどうして、こうも、機械から暖かさを奪ってしまう事になるのであろうか? 淋しい限りである。また車の話しになるが、昔の自動車の内装の暖かさと重厚さは今の車に求む得べくもないし、国鉄の車輛でも同じような傾向だ。昔の客車の趣きは、今のペラペラ・ムードの特急車輛とは比較にならないほどの味わいを持っていた。こういう車輛はヨーロッパにいけば現在でも見ることが出来るが、日本ではもう夢だ。
 話しがそれてしまったが、プレイヤー・システムというものが、その基本的な動作性能に加えて、そうした味わいを持つべきことは、今さら私が強調するまでもないと思う。しかし、正直なところ、日本の高級優秀プレイヤー・システムのどれが、そうした夢を叶えてくれるだろうか? 日本製に限らない。外国製でも、そういうものがどんどん少くなってきている。アルミとグレーとホワイトに代表される現代感覚とやらにはもう食傷気味だ。冷いオフィス調のタッチを家庭にまでもち込むのはごめんこうむりたい。
 ところで、マイクロの製品は、従来から、マイクロのセンスの悪さが幸いして、そうしたモダニズムに走る危険から逃れていた貴重なる存在である。MR411、MR611など堅実な機構と性能をもった手堅い製品がプレイヤーとして実用的価値が高く、好ましいものであったが、そのデザインは凡庸であった。しかし、中庸をいく、嫌味のなさは浅薄なモダニズムよりはるかにましだと思っていたし、MR411、611シリーズは私の好きなプレイヤーだった。MR711というDDモーターを使った製品はまったく未消化のもので、お世辞にもほめられたものではなかった。デザイン的にも田舎者が急に洒落れこんだギコチなさ丸出しであった。せっかくアイデアを使いながら、繁雑で完成度の低いシステムに止まっていたのである。しかし、このMR622はちがう。優れた性能を温厚なデザインで包み込んだ、さりげない高級品として高く買いたい。DDモーターの性能も健秀でDCサーボも安定している。ワウ・フラ、S/N共、広帯域大出力装置に充分使える優れたものだし、トーンアームの感度も大変よく、しかも実用的で広い自重範囲のカートリッジをカバーする。ただしカートリッジはいただきかねる。トレースはいいが音像がへばりつき、音楽の生命が躍動しない。当然よりよいカートリッジを併せ持って発しむ事になるだろう。仕上げもまずまず。推薦品だ。

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年11月号掲載)

Micro

トーレンス TD125MKIIAB

岩崎千明

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 我家にはなぜかトーレンスのプレーヤーが4台ある。
 そしてもう1台はもっともふるくからわがリスニング・ルームの主役として活躍していたTD124IIだ。
 アイドラとベルトの2重ドライヴによる4kgのターンテーブルにアルミの2重ターンテーブル機構で、この軽量アルミのテーブルを浮かすことによりクイック・ストップのできるいかにもプロ用らしいメカニズムが気に入っていつも手元から手離せない。駆動源であるモーターの力をベルトによりアイードラーに伝え、それを介して重量級ターンテーブルを駆動するというメカニズムは類の少ないというよりトーレンスにあって始められた優れた機構であり、これにより、モーターの振動をおさえ高いSN比を得ることができ、高いトルクを保ったままでその高性能を得られる点、いかにも業務用機器を作って来たトーレンスならではのターンテーブルであり、TD124が全世界の高級マニアに常に愛用されトーレンス・ブランドを高級ファンの間に確固として固定した業績は誰も否定できまい。
 シンクロナス・モーターを用い電源周波数によって回転数の決る特有の性能を利用して、これに電燈線電源を接続するのではなく、新たに正確な電圧の周波数を保つ電源電圧をつくり出し、これによってシンクロナス・モーターを廻すという新しい理論にのっとったターンテーブル。それがTD125であった。
 この125のただひとつのウィーク・ポイントがモーターの回転数を変えるための、この電源の周波数切換えと速度徴調整の複雑さ等にある。これをより改良する目的でマークIIが誕生したとも言えよう。
 ターンテーブルはめったに買い換えがきかない点、誰しも同じで、一応気に入ったこの124はこの9年間主役を演じ、125が出たときも、それに置きかえることを拒んできた。
 新型125がいくらプロ用とはいえその構造が本来家庭用であるべき150と同じメカニズム、つまり2重ターンテーブルのベルト・ドライヴ機構である点とクイック・ストップのないことに不満が残ったからであった。しかし、今春のヨーロッパ紀行の経験はこうした単純な考え方を変えてしまった。
 ヨーロッパを歩きその各国のメーカーをまわり、スタジオを見、そしてディーラーのサーヴィス・セクションをのぞいた折、そのひとつとしてトーレンスTD125以外を使用しているところはないことを確かめたからである。
 もっとも信頼性の高い確実な高性能動作を常に保ってくれるというのがこのTD125に対する評価のすべてであった。
 しかし技術の進歩はターンテーブルのSNをさらに要求した。2年来、国産DDモーターがわが国のオーディオ・マニアの聞で急速にアピールしたのもその端的な表われであるし、DDモーターは国産にとどまらずデュアルからもオート・プレイヤーに着装されて商品化され日本にも入ってきた。
 世界最高と自他共に認めてきたトーレンスのターンテーブルはDD流行の波を受けてマークIIとしてマイナー・チェンジされ新たなるディーラー山水電気の手によって日本の市場に姿を呪わした。マークIlとなって電子制御回路を改め従来の複雑な回転速度調整を取り除くことにより一層の安定度と信頼性を獲得して確かさを一歩進め得たといえよう。
 ターンテーブルとアームを乗せた7kgのダイキャスト・ベースはモーターと電子制御回路を取りつけたメイン・シャーシーつまりプレイヤー・ケースからスプリングにより浮かせてモーターや外部からの振動・ショックに対して、またハウリングに強いトーレンスの特長をさらに高めより完全なものにし得たのである。
 こうした超重量級ターンテーブルにみられる立上りのおそい欠点もクラッチ機構により補い、このクラスではプロ仕様に指定されるに足るレベルにまで達し加えてベルトの僅かな伸びなども吸収してしまう工夫もなされている。さらに新たに設計されたアームは軽量針圧ながらダイナミック・バランス(スプリング加圧式)という理想的なものでオルトフォンなきあとの現在世界最高の軽針圧アームと断定してよかろう。

マイクロ MR-422

マイクロのアナログプレーヤーMR422の広告
(スイングジャーナル 1973年10月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年9月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年7月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年6月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年5月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年4月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年3月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年2月号掲載)

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(スイングジャーナル 1973年1月号掲載)

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(スイングジャーナル 1972年12月号掲載)

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パイオニア PL-61

パイオニアのアナログプレーヤーPL61の広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

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