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テクニクス ST-9038T (Technics 38T)

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

極限にまでシンプル化した操作性は現代チューナーのひとつの顔だ。

テクニクス SP-10MK2

菅野沖彦

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

この種の高性能機のオリジナルであり、今も最高性能を維持。

テクニクス SE-9021A

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

ローコストのセパレート型アンプとして新鮮な音が際立った製品。

テクニクス SE-A1

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

天動説を地動説に変えたユニークな発想と巨大なパワーが魅力的。

テクニクス SE-9060II

井上卓也

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

コンパクトなパワーアンプとして幅広く使える信頼性の高さが特徴。

ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる

黒田恭一

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「’78ベストバイ・コンポーネント」より

 再生装置を、自分の部屋にむかえ入れるときには、いささかの緊張がある。それがスピーカーだろうと、アンプだろうと、プレーヤーだろうと、同じことだ。逆の面からいえば、むかえ入れるにあたっていささか緊張するようなスピーカーやアンプやプレーヤーだからこそ、自分の部屋にはこびこもうと思ったといえなくもない。しかし、その緊張は、いずれにしろ、わるいものではない。それは、たまたまの機会に知りあい、意気投合した友人を、じっくりはなしあうために、自分の部屋にまねいたときと、似ていなくもない。
 少しぐらい片づけたり、掃除したりしてどうなるわけでもない部屋だが、それでもやはり、せいいっぱいきれいにして、その到着を待つことになる。テクニクスの、プリアンプSU-C01、パワーアンプSE-C01、それにチューナーST-C01をむかえいれる前には、特に、その気持が強かった。あらかじめ、その瀟洒な姿は、みてしっていたので、ふんばっておよぶものでないことがわかっていても、一応、それらしい部屋にしておこうと思い、部屋のあちこちを片づけたりした。ここんとこ忙しくて、かれこれ一週間ぐらい風呂に入っていなんだ──というような、衿あしに垢をうかべたうすぎたない男(そのたぐいの友人が、なぜかぼくには多いのだが)と会うのだったら、こっちもたいして気にしなくてすむが、さもなければ、相手に失礼にならないように、それなりの努力をすることになる。今回は、そのような意味で、それなりの努力をしたことになる。
 むかえ入れたのは、プリアンプとパワーアンプ、それにチューナーだから、当然、それだけでは、音がでない。とりあえず、スピーカーをつながなければ、音がきけない。それで、たまたま手元にあって、そのくっきりしたひびきが気にいっていたビクターのS-m3というスピーカーをつなぎ、やはりFMやAMだけではなく、レコードもききたいので、ベオグラム4000を、つないだ。それらを、ありあわせの、しかしそれらがうまい感じに配置できる、白い、キャスターのついた台に、のせた。
 ベオグラム4000は、12キロほどあって、ちょっとした重さだが、スピーカーはふたつあわせて4・1キロ、SU-C01が3キロ、SE-C01が3・5キロ、それにST-C01が2・9キロだから、合計で約26キロということになる。キャスターのついた台にのっている26キロは、別にどうということもない。容易にあちこちに動かすことができる。しかもその台からげてているコードは、電源コードが一本だけだ。
 そうすることがよかったのかどうかわからぬが、いずれにしろ、プリアンプ、パワーアンプ、それにチューナーのそれぞれが、297ミリ(幅)×49ミリ(高さ)という小ささゆえに、それに先にしるしたような軽さゆえに、そのような設置方法が考えられたということはできるだろう。奥行だけは、わずかばかりずつちがっていて、プリアンプ(241ミリ)、パワーアンプ(250ミリ)、チューナー(255ミリ)となっている。
 ともかく、そのように、白いキャスターのついた台の上に、それらのものを、一応みばえも考えて、設置した。電源コードもつないだ。オーディオに対していささかの興味と関心を抱いている方ならわかっていただけると思う。たのしい、胸ときめく瞬間をほんの少しでもながびかせたいと、プリアンプのパワー・スイッチに一度はふれた手をはなして、あたりをみまわした。普段つかっている再生装置のあれこれが、妙にごろっとしているように感じられた。あたかも、運動選手のきりっとひきしまった身体と、運動などおよそしないで、ただぶくぶくと醜くふとった男の身体とを、みくらべたときに感じるようなへだたりがあった。なんでぼくは、このような大きなものを、毎日使っているのだろうと思ったりもした。
 SU-C01のパワー・スイッチを入れた。プリアンプの、パワー・スイッチをの上の赤いあかりがつくのと同時に、パワーアンプのインジケーターの、星のまたたきを思わせるあかりが左から右へ走った。なるほどと思い、しばらくは、そのままの招待で、ながめていた。パワーアンプの窓の左はじには、小さなあかりが、じっと動かずに光っていた。チューナーの赤い針の両脇には、針の方向をむいて、二つの矢印がついていた。どこの放送局にも同調できていないことがわかった。チューナーからきこうか、それともレコードからきこうか、そのことでの迷いはなかった。まずレコードから──と、はじめから考えていたからだった。
 それぞれの装置の呼ぶレコードがある。カートリッジをとりかえた、さて、どのレコードにしようかと、そのカートリッジで最初にきくレコードは、おそらく、そのカートリッジを選んだ人の、そこで選ばれたカートリッジに対しての期待を、無言のうちにものがたっていると考えていいだろう。スピーカーについても、アンプについても、同じことがいえる。ともかく、あのカートリッジを買ってきたら、このレコードをきこうと、あらかじめ考えていることもあり、カートリッジを買ってきてしまって、後から、レコードを考える場合もある。いずれにしろ、最初のレコードをターンテーブルにのせるときは、実にスリリングだ。
 今回は、それらをむかえ入れる環境づくりにせいいっぱいで、レコードのことまで考えがおよばなかった。したがって、パワー・スイッチを押したまではよかったが、さて、なにをかけたものかと、そこで困ってしまった。しかし、そんなに長い時間をかけて考えるまでもなかった。そうだ、あれにしよう──と、かけるべきレコードは、すぐに思いついた。
 その数日前、輸入レコード店で買ってきた、シンガーズ・アンリミテッドのレコードだった。それには、「フィーリング・フリー」というタイトルがついていた。フィーリング・フリーという言葉も、この場合、マッチしているように思った。シンガーズ・アンリミテッドのレコードは、好きで、大半のものはきいているはずたったが、ジャケット裏の説明によると、一九七五年の春に録音されたという、その「フィーリング・フリー」は、それまできいたことがなかった。ベオグラム4000のターンテーブルにのせたのは、ドイツMPS68・103というレコード番号のレコードだった。
 A面の最初には、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」という、スティービー・ワンダーのすてきな歌が、入っていた。音楽がはじまると、パワーアンプの、星のまたたきを思わせるあかりは、それぞれのチャンネルに二つか三つずつついて、右方向への動きを示した。
 シンガーズ・アンリミテッドの声は、パット・ウィリアムス編曲・指揮によるビッグ・バンドのひびきと、よくとけあっていた。「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は、アップ・テンポで、軽快に演奏されていた。しかし、そのレコードできける音楽がどのようなものかは、すでに、普段つかっている、より大型の装置できいていたので、しっていた。にもかかわらず、これがとても不思議だったのだが、JBL4343できいたときには、あのようにきこえたものが、ここではこうきこえるといったような、つまり両者を比較してどうのこうのいうような気持になれなかった。だからといって、あれはあれ、これはこれとわりきっていたわけでもなかった。どうやらぼくは、あきらかに別の体験をしていると、最初から思いこんでいたようだった。
 もし敢て比較すれば、たしかに、クォリティの面で、JBL4343できいたときの方が、格段にすぐれていたというべきだろう。しかし、視点をかえて、JBL4343で、そのキャスターのついた白い台の上にのっていた装置できくようなきき方ができるかといえば、ノーといわざるをえない。
 結局、そのキャスターのついた白い台の前で、5時間ほどすごした。当然、その間に、さまざまなレコードをきいた。最初は、シンガーズ・アンリミテッドだったが、それがイ・ムジチのモーツァルトにかわり、ベン・シドランにかわり、さらに最近気にいっているケイト・ブッシュのレコードにかわりといったように、まさに気ままに、いろんなレコードをきいた。実にたのしい5時間だった。夢中ですごしてしまった5時間で、気がついたら、あれっ、もうこんなに時間がたったのかといった感じだった。
 したがって、これから書こうとしていることは、ききながら考えたことではなく、きき終って後に考えたことだ。なにぶんにも、きいているときは、夢中できいていたので、考える余裕など、まるでなかった。
 そうなれば、なぜ、そのように夢中になったのかを、まず書いておくべきだろう。出口と入口、つまりスピーカーとカートリッジからおして(書きおとしていたが、そのとき、ベオグラム4000のアームには、MMC6000がついていた)、そこできこえた音は、おのずと推測が可能だろう。いかにアンプの性能がよくとも、その音は、ある限界内のものだった。
 後に、プリアンプSU-C01+パワーアンプSE-C01を、JBL4343につなぎ、カートリッジをオルトフォンMC20にしてきいてみて、これらのアンプの質的高さを、あらためて確認することができた。が、ここでの質的高さについて、たちいってのべるつもりはない。理由は簡単だ。これだけの質的高さを誇るアンプは、他になくもないが、これだけのクォリティを確保しながら、それでいて、特にパワーアンプについていえば、297ミリ(幅)×46ミリ(高さ)×250ミリ(奥行)という大きさ、3・5キロという重量にとどめ、このような瀟洒な様子でまとめられているものが、ほかにみあたらないからだ。
 だかといって、質的な面を軽視しているわけではない。むしろ、質的に充分な水準まで達しているという安心があればこそ、超小型スピーカーをドライブさせて、そこでつかうスピーカーの最良の点でつかうことができる。たしかに、ビクターのS-M3は、かつてそのスピーカーからきいたことがないような、きりっとした音をきかせた。たとえば、ふくよかなといったような言葉でいえる音の感じには、そこではききとりにくい。上質なフロア型スピーカーのきかせるたっぷりとしたひびきもまた、そこでは望むべくもない。そのようなものをそこで求めたとしたら、それはあきらかに、見当はずれのところで、ないものねだりをしたことになるだろう。
 でも、ぼくは、それらをむかえ入れた日に、5時間、その前ですごした。実にたのしい、充実した5時間だった。その後も、折にふれて、そのキャスターのついた白い台の前で、すごした。
 いかなる再生装置できく場合でも、誰もが、そのとききくレコードできける音楽の性格にあわせて、音量を調整する。もしブロックフレーテの音楽を、マーラーのシンフォニーをきくような音量できくような人がいたとすれば、その人の音楽的センスは疑われてもやむをえないだろう。音楽が求める音量がかならずある。それを無視して音楽をきくのはむずかしい。
 ただ、多くの場合、リスニング・ポジションは、一定だ。ということは、スピーカーからききてまでの距離は、常にかわらないということだ。ブロックフレーテの音楽をきくときも、マーラーのシンフォニーをきくときも、音量はかえるが、リスニング・ポジションは、かえない。すくなくともぼくは、かえないできいている。それはそれでいい。
 ところが、キャスターのついた白い台の前ですごした5時間の間、そのときかけるレコードによって、耳からスピーカーまでの距離をさまざまにかえた。もっとも、それは、かえようとしてかえたのではなく、後から気がついたらそれぞれのレコードによって、台を、手前にひきつけたり、むこうにおしやったりしてきいていたのがわかった。むろん、そういうきき方は、普段のきき方と、少なからずちがっている。そのちがいを、言葉にするとすれば、スライドを、スクリーンにうつしてみるのと、ビューアーでみるのとのちがいといえるかもしれない。
 それが可能だったことを、ここで重く考えたいと思う。若い世代の方はご存じないことかもしれぬが、ぼくは、子供のころ、ラジオに耳をこすりつけるようにして、きいた経験がある。そんなに近づかないとしても、ともかくラジオで可能な音量にはおのずと限度があったから、たとえば今のように、スピーカーからかなりはなれたところできくというようなことは、当時はしなかった。いや、したくとも、できなかった。そこで、せいいっぱい耳をそばだてて、その上に、耳を、ラジオの、ごく小さなスピーカーに近づけて、きいた。
 当然、中波だったし、ラジオの性能とてしれたものだったから、いかに耳をすまそうと、ろくでもない音しかきけなかった。にもかかわらず、そこには、というのはラジオとききての間にはということだが、いとも緊密な関係があった──と、思う。そのためにきき方がぎごちなくなるというマイナス面もなきにしもあらずだったが、あの緊密な関係は、それなりに今もあるとしても、性格的に変質したといえなくもない。リスニング・ポジションを一定にして、音量をかえながら、レコードをきく──というのが、今の、一般的なきき方だとすれば、あのラジオのきき方は、もう少しちがっていた。
 そういう、昔のラジオをきいていたときの、ラジオとききてとの間にあった緊密な関係を、キャスターのついた白い台の上にのった再生装置一式のきかせる音は、思いださせた。それは、気持の上で、レコードをきいているというより、本を読んでいるときのものに近かった。
 ここに二冊の画集がある。一方は、17センチ×18センチの、いわゆるスキラバンの画集で、もう一方は、28センチ×32センチもある、かなりの大きさの画集だ。当然、それらをみるときの、それらをみる人の、画からの距離は、微妙にかわる。その場合には、そこに印刷されている画の性格、内容とも無関係ではないが、小さな画集のときには、どうしても目が近づいていくだろうし、大きな画集のときには、小さな画集をみるときよりはなれぎみになるにちがいない。ただ、いずれにしろ、ふたつの目と画との間にできる空間には、ある種の濃密な空気がただよう。その濃密な空気は、ラジオとききての間の空間にあったものと、似ていなくもない。
 それなら、ふたつのフロア型スピーカーとききてとの間の空間にだってあるだろう──と、お考えかもしれない。たしかに、それは、ある。しかし、その空間は、画集の印刷された画と、それをみる人の間の空間と較べて、あまりにも大きいために、まったく同じ濃密さがあるとは、いいがたい。
 5時間の間、キャスターのついた白い台を、むこうにおしやったり、手前にひいたりして、つまり、ラジオをきくようにきいたということになるのかもしれない。当然、音質的には、かつてぼくがきいていたラジオのそれなどとは較べものにならないほどの、すばらしいものだったが、再生された音と、それをきく人間の関係という、ごく基本的なところでは、すくなからぬ共通点があった。
 そういうことで、キャスターのついた再生装置一式は、あらたな──というより、これまでとかく忘れがちだった、もうひとつのレコードのきき方に気づかせた。しかし、それだけのことならなにも、アンプが小さくなくてもいいだろう。小型スピーカーをキャスターのついた台の上にのせさえすれば、そんなことは可能なはずだ──と、お考えかもしれない。たしかにその通りだ。だが、それは、あくまでも、理屈でしかない。小さく、軽いからこそ、手もとにおいて音量の操作ができる。キャスターのついた台の上に一式がのってしまうからこそ、その台を画集のごとくに考えられるということを忘れるわけにはいかない。
 小さいからこそ、そして軽いからこそ、そしてこれはいわずもがなのことながら、音質の点で充分に水準に達していればこそ、そういうきき方が可能だった。小さければいいたろう、軽ければいいだろう、粋なスタイルでまとめられていればいいだろう──ということではない。これは、JBL4343の方につないだときにわかったことだが、誇張や無理のない、SU-C01+SE-C01の音は、なかなかどうして、その小ささが信じられないほどのものだった。ひとことでいえば、すなおな音ということになるだろう。

 ただ、このテクニクスのC01のシリーズが、プリアンプとパワーアンプと、それにチューナー(このチューナーがFM/AMなのはありがたい)だけで終ってしまうのだとしたら、残念だ。こちらとしては、やはりどうしても、この大きさのカセット・デッキがほしい。それに、これらのアンプやチューナーと大きさや性能の点で充分にフィットするプレーヤーも、できることならほしいものだ。なるほど、プレーヤーは、一般のレコードの直系が30センチあるということで、むずかしい点が多々あるのだろうが、使い手は勝手に、LP初期につかわれていた、あの小さなターンテーブルの、しごく簡単なプレーヤーのことなどを、思いだしたりしてしまう。今日の技術をもってすれば、みかけはあのようなものでも、かなりの水準のものがつくれるのではないか。そのような期待を抱かせずにおかないSU-C01であり、SE-C01であり、ST-C01だった。
 チューナーのST-C01について、少しふれておけば、使い勝手は、大変にいい。小さいから、ダイヤルを読みにくいのではないかと思われかもしれないが、ぼくはほとんど不自由を感じなかった。先にもふれたように、どっちに動かせという指示が矢印で示されるので、それにしたがえば、なんなく同調させることができる。
 コンパクトにできていることは、あらためていうまでもないが、コンパクトにしたために使い勝手の点で問題が生じているかというと、そうではない。おすもうさんのような大きな手の人だとどうかわからぬが、普通の手の人なら、それぞれのつまみの大きさなど、これで充分だ。しかも、スイッチ類にしても、カチッときまって、感触の上で、一種の高級感がある。こういうものは、その辺がいいかげんになると、小さいだけに、どうしてもおもちゃめいてくるが、そこから見事にのがれているのは、そのためだ。
 小形装置・イコール・サブ装置──と考える考え方が強い。たしかに、ビクターS-M3のスピーカーをつないできくかぎり、大編成のオーケストラによって演奏されたものなどでは、幾分むずかしいところがある。そういう音楽を中心にききたいという人にはあるいはむかないかもしれない。第一、これらのアンプにつなぐスピーカーとして、ビクターS-M3がベストだったかどうかは、断言できない。それにむろん、プレーヤーやカートリッジについても、選択の余地があるはずだ。したがってここでは、あくまでも、スピーカーにビクターS-M3をつかい、プレーヤーにベオグラム4000をつかった場合のこととしていわせていただくが、もし小編成のグループによって演奏された、ことさらダイナミックな表現力を必要としない音楽をおもにきくという人なら、この一式をメインの装置としてつかえるにちがいない。
 もっとも、SU-C01+SE-C01を、一般的な使い方で──ということは、フロア型スピーカーにつないで、ききてが一定のリスニング・ポジションできくという使い方のわけだが、そういう使い方でということなら、その限りではない。しかし、先にものべたように、これだけの小ささで、これだけ軽量だという、このアンプやチューナーの最大の美点をいかしてつかおうということになれば、これまでの一般的な使い方でとどまっていては、いかにもつまらないと思う。
 真に新しい道具は、その使い手の考え方をもゆさぶることがある。このテクニクスの新しいアンプやチューナーには、それがあった。小さくて軽く、あつかいやすいなどという、音が眼目のオーディオ機器では副次的と思われやすいことで、その使い手は、音とのふれあい方という、これはごく基本的なところでゆさぶられたことになる。おそらくぼくは、このコンパクトなアンプやチューナーを手にしなければ、画集で画をみるように音楽をきくことを、あるいはかつてラジオをきいたときのように自分の耳をスピーカーの方によせていってレコードをきくことに、気づかなかったのかもしれない。
 たしかに、キャスターのついた白い台の前ですごした5時間の間、マーラーのシンフォニーも、ハードなロックもきかなかった。結局、そういうレコードは、それらの装置が呼ばなかったからだろう。きいたレコードのうちの多くがきかせたのは、どこかにインティメイトな表情のある音楽だった。
 まだつかいはじめたばかりで、断言することはできないが、これからも、ぼくは、そのキャスターのついた白い台の前で、少なからぬ時間をすごすにちがいない。仕事の関係で、マーラーのシンフォニーをきくことも、リヒャルト・シュトラウスの楽劇をきくこともあるから、そのときは、より大がかりな装置できくことになるのだろうが、レコードによっては、スピーカーとききての間に生じる濃密な空気を求めて、キャスターのついた白い台の一式できくことになるだろう。だからといって、その小形の装置を副次的に考えているわけではない。ただぼくは、そこで、レコード=音楽の求めにしたがい、そうしたことになる。つまり、今度は、そういうきき方もできるようなったので、そのようにきくということだ。
 さて、これを書いてしまったら、オルネラ・ヴァノーニの歌を、スクリーンにうつすのではなく、ビューアーでみるように、キャスターのついた白い台の前で、きくことにしよう。いかにすてきにきこえるか、すでに先刻きいて、わかっているので、あのたのしみをもう一度、じっくりあじわうことにする。

テクニクス EPC-100C

菅野沖彦

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

最高級品の面目躍如たる作りの高さと精緻な音質をもつMM型。

テクニクス SL-1300MK2

菅野沖彦

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

機能性と基本性能がよく練られた実用性の高いプレーヤー。

テクニクス SE-A1 (Technics A1)

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 一聴しただけではひかえめすぎる感じさえするおとなしさ、ひずみ感のないおそろしく透明でこまやかな美しい音。脂こさや過剰な肉づきを感じさせず、いくらか冷たい肌ざわりはどこか取り澄ました感じさえ与える。いかにも日本人ならではの繊細な神経が注意ぶかく作り上げた印象の音だ。だが外面のやさしさからは想像のつかないほど芯の強い面もあって、テストソースのすべてを通じて、どこまでパワーを上げても少しも腰のくだけることのないアンプは、A1を含めて内外を通じてほんの数機種しかなかった。基本的に持っている中〜高域にかけての線の細いところは、LNP2Lとは悪い方向の相乗効果になって聴こえる。また音の色あいの点でも互いに異民族という感じがする。

テクニクス SE-9060II (Technics 60AII)

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 コントロールアンプのところでも書いたように、同じ型番のマークIIといっても、以前の製品とくらべると別系統のアンプと思えるほど改善のあとが著しい。聴きはじめからすぐに、これはかなり良いアンプだと思える。リファレンスのLNP2Lの音の傾向をそっくり写し出す素直さがあって、そこに腰の支えも十分あって、表示出力の割合に力も感じさせ、総じて弱点を探し出すことが難しい。ただそれにはこのアンプの価格が前提として入るので、もっとグレイドの高いアンプと比較すれば、音のひろがりや奥行きなどの立体感や彫りの深さ、ごく微妙な質感や音の艶あるいは色あいの描写力、などの点でむろんまだ極上とまではゆかないが、しかしこの音はかなりの出来ばえだ。

テクニクス SU-A2 (Technics A2)

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 ひんやりした肌ざわりはかなりウェットな印象で、ぜい肉を極力おさえたかのように、かなり細身の音。しかし質感はかなり緻密に練り上げられたらしく、細くウェットな見かけの割には、骨格のしっかりして芯の強い音を持っている。バランス的には中高域にややエネルギーの集まるタイプで、相対的に低音域はかなり抑えぎみに聴こえる。音の透明感はなかなかのものだが、肌ざわりの冷たいせいか、とちらかといえばやや素気ない印象。しかし曲によってはオャ? と思うほど強引なところもある。途中でトラブルを生じてMCヘッドアンプのテストが十分できなかったのは残念。A1と違ってプリプロ機らしいが、A1の音から想像してこの方向でのいっそうの完成を期待したい。

テクニクス SU-9070II (Technics 70AII)

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 以前の70Aとは中味が全く別ものといっていい。かつてのいかにもセパレートアンプの流行に便乗した感じのある安手の音が記憶に残っているせいもあるが、II型になって印象は一変して、たいそう密度の高い、充実感のある聴きごたえのする素晴らしい音質だと感じた。従来のテクニクスのアンプが、一体に音の表情の乏しい傾向があったのに、70AIIは音の起伏が豊かで彫りが深く、パースペクティヴな音場の奥行き感もとても良い。ディテールの解像力と音の鮮度も十分だ。内蔵のMCヘッドアンプは、MC20に対してはオルトフォンらしさはやや減るもののやや線の細いきれいな響きは美しく、DL103Sではトランスにくらべて幾分若やぐが音が生き生きしてとてもいい。

テクニクス SU-A2

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 ナチュラルで端正な音をもつコントロールアンプである。聴感上の帯域は充分に伸びきっており、リファレンスパワーアンプ♯510Mの硬質さを抑え、滑らかなクォリティの高い音とする。バランス的には、やや中域の緻密さが必要と感じるが、全体に音を引締め、粒立ちがクリアーなタイトな音にする点では、A1よりも♯510Mのほうが一段と優れているようだ。しかし、音のディテールの再現性や情報量の多さでは、A1のほうが一段と優れている。音のクォリティは非常に高く、反応もかなり早く、シャープで豊かな余裕たっぷりの音は素晴らしいが、実態感のある活き活きとしたダイナミックな表現では、もう一歩のもどかしさがある。

テクニクス SU-9070II (Technics 70AII)

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 リファレンスパワーアンプ♯510Mとの組合せのほうが、9060IIパワーアンプとの場合よりも伸びやかさが減り、スケールも小さく感じられて、何とはなしにつまらない音になる。聴感上の周波数レンジは、平均的よりもむしろナローレンジ型であり、バランス的には中域の低い部分でエネルギー感が不足し、安定度の悪さが出てくる。音の表情でも、やや消極的で伸びやかさが不足し、フレッシュな鮮度の高さがあまり出てこない。やや中域が粗粒子型で硬い部分があるのは、♯510Mとのマッチングが悪いためであろう。スケール感は小さく、小型ながらせい一杯に頑張って音を出している印象である。

テクニクス SU-A2 (Technics A2) + SE-A1 (Technics A1)

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 単体のところでも書いたようにコントロールアンプA2を二台聴いたが少しずつ音が違うので少々不安だが、良かった方の組合せの音について書く。まず大づかみには、たいへん透明感の高い、どちらかといえばウェットで線の細い繊細でしかし決して力の弱さのない緻密な音がする。バランス的には、中〜高域にわずかにエネルギーが片寄る感じがあって、たとえば「オテロ」のトゥッティではときに音が部分的に張り出しすぎることもあるが、低域での支えがしっかりしていて、音の基本的なクォリティが十分に高いために、それは欠点ではなく特色として受けとれる。総体に音の過剰な肉づきを抑えてゆく傾向があるので、ふつうの音量で聴くかぎり、どちらかといえばやせ型の音といえる。音はとても美しいのだが、そこにどこか人工臭というのか、楽器の自然の音に対してもう少し作りあげた美しさのようなものを感じさせる。しかし、音量を上げるにつれて、骨格の強い力があらわになってくる。

テクニクス SU-9070II (Technics 70AII) + SE-9060II (Technics 60AII)

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 マークIIでない方の、いかにも物理データ・オンリィといった感じの、一応の音はするが音楽としてどこかよそよそしさ、素気なさを感じさせる音に対して、II型は一変している。基本的には、おそらく物理特性を重視した正攻法での作り方であるらしく、音のバランスがよく、すべてのプログラムソースに対して欠点の少ない、いわば過不足のない音を聴かせるところはたしかにテクニクスだが、しかし従前までのそれとは思えないほど、音が生きていてほどよい魅力も感じとれて、極上とはいえないまでもかなりの随順でのできばえだ。ひとつひとつのぷろぐらむそーすについて細かいことを言い出せばいろいろ注文もある。たとえば弦楽四重奏では、鳴りはじめた瞬間から聴き手をひきずりこむほどのしっとりした雰囲気までには至ってないし、ベーゼンドルファーの音も基本的な骨格はしっかりしているが、あの独得の艶と色気までは出しきらない。ただそれはこの価格帯のアンプには少し無理な注文だと思う。

テクニクス SE-A1 (Technics A1)

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 スケール感の大きな、ゆとりが感じられるパワーアンプである。音の細やかな表現や、情報量の豊かさがベースとなるステレオフォニックな音場感の再現性では、コントロールアンプA2のほうが一枚上手のようである。音色は軽く柔らかく滑らかなタイプであり、ゆとりがタップリとあるために、スケール感の非常に豊かな音を聴かせる。表現はおだやかでやや間接的な傾向があり、マクロ的に音を外側から枠取りを大きく掴んで聴かせる特長があり、バランス的には、中域の密度がやや薄く、中高域あたりには少し音の粒子が粗粒子型で、柔らかく磨いてあるのが感じられる。おおらかで安定した音は、ハイパワーアンプならではのものだろう。

テクニクス SE-9060II (Technics 60AII)

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 かなり国内製品のパワーアンプとしては平均的な性格をもった、オーソドックスな音である。聴感上での周波数レンジは、ローエンドとハイエンドを少し抑えたナチュラルなバランスであり、音色は均一で軽く、やや明るいソフトなタイプで、低域もあまり柔らかくなりすぎないのが特長である。バランス的には、中域は量的には充分のものがあるが、エネルギー感としては不足気味で音が伸びず、頭を抑えられた印象の音となる。リファレンスコントロールアンプLNP2Lの特長を引き出して聴かせることができず、あまり音の反応が早くなく、本来のペアの魅力が出ないが、このクラスのセパレート型アンプとしては、これが本当だろう。

テクニクス EAH-320

瀬川冬樹

Hi-Fiヘッドフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「Hi-Fiヘッドフォンは何を選ぶか 47機種試聴リポート」より

 テストソースの中から、ブラームスのピアノ協奏曲第一(ギレリス/ヨッフム)をまずかけてみて、冒頭のベルリン・フィルの斉奏が、まるで笛のような妙に鼻にかかった音色に変形してきこえてびっくりして、あわてて他のレコードをいろいろかけてみたが、そのどれもが、鼻をつまんだような或いは波の欠けたような音色になる。グラフィックイコライザーでいろいろ探ってゆくと、だいたい3kHzあたりを6dB以上も大幅にダウンさせると、この独特の音色の大半は除くことのできることがわかったが、これはどう考えても妙だ。ただ、テストソースを国内録音の歌謡曲やフォークなどにすると、右に書いたほどには異和感を感じさせなかったのは不思議だった。デザイン上では、ヘッドバンドの部分に耳への当りを細かく調整できる(そのわりには大げさでない)くふうがしてあって、かけ心地はなかなか良い。重量のある割には重さを意識させないのはその辺のうまさだと思う。

テクニクス EPC-205C-IIS, EPC-205C-IIL, EPC-205C-IIH, EPC-100C, EPC-300MC, SU-300MC

テクニクスのカートリッジEPC205C-IIS、EPC205C-IIL、EPC205C-IIH、EPC100C、EPC300MC、ヘッドアンプSU300MCの広告
(オーディオアクセサリー 8号掲載)

EPC205C

テクニクス SE-A1 (Technics A1), SU-A2 (Technics A2)

井上卓也

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 すでにオーディオアンプのジャンルでは、量的に世界最大の生産量を誇るにいたっているわが国において、超高級機を象徴するセパレートアンプの分野では、いまだに海外製品、ことに米国の製品には一歩を譲る感が深いのが現状である。
 テクニクスでは、数年前にパワーアンプの出力段をも含めた完全定電圧化電源を採用したSE10000パワーアンプと、これとペアになるSU10000コントロールアンプを発表し、質的には世界のトップランクの製品として認められ、その高価格な面をも含めて脚光を浴びたが、今回久し振りに沈黙を破ったかのように、、まさにスーパーアンプの名称に応わしいような、質的にも量的にも、名実ともに現時点での究極のセパレートアンプともいえる超弩級製品が発売されることになった。
 パワーアンプのテクニクスA1は、小出力のAクラスアンプの電源の中央をフローティングし、別個の電源アンプで出力振幅にフォローするようにAクラスアンプの電源中点を駆動するというユニークな発想を実用化したA+クラス動作による、350W+350Wのパワーを誇る製品である。
 この方式の採用により、質的には優れるも、量的にはハイパワー化が至難であったAクラスアンプの問題点を一挙に解決し、従来の100W足す100W級のAクラスアンプの外形寸法のなかで、空冷用のファンを使用せずに高出力化に成功している点は特筆すべきものがある。
 構成は、2モノーラル型で1チャンネル当り4電源、系8電源をもった完全なDCアンプであり、アクティブ・サーマル・サーボ方式によりDCドリフト対策は万全である。機能面は、高分解能ピークメーター、ベル可変の4系統スピーカー端子、フェードイン・アウト回路を持つクリックのないファンクションスイッチなどを備える。また、高出力アンプとしては例外的に高域のレスポンスが伸び、歪率が低く抑えられている点が見逃せない。
 コントロールアンプのテクニクスA2は、驚くべき多機能を装備した超大型コントロールアンプである。イコライザーを含み完全なDCアンプ構成をとり、段間のコンデンサーは皆無であり、動作は全段Aクラスである。この完全DCアンプ化は、世界最初のものであり、パワーアンプにも採用されたアクティブ・サーマル・サーボ方式により実現されたものだ。機能面では、リレー制御のフェード回路付タッチスイッチによるファンクション切替、4バンドの周波数、Q可変イコライザー兼一般型の高音、低音調整、可変型ラウドネス調整、多用途切替型高分解能メーター、4種の波形が選択可能な発振器内蔵、ミキシング可能なマイク入力など現時点で考えられる限りの機能はほぼ完全に装備している。発表された規格は測定器の限界に迫る驚異的な値である。

テクニクス ST-9038T (Technics 38T), SH-9038P (Technics 38P), SH-9038R (Technics 38R)

井上卓也

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 クォーツシンセサイザーFMチューナーST9038T、マイコン・プログラマブルユニットSH9038P、クォーツシンセサイザーFM受信コントローラーSH9038Rの3モデルで構成するセパレート型の驚くべき機能と性能を備えたシステムチューナーである。
 基本となるST9038Tは、プッシュボタンで自動、手動で選局できるチューナーで、ミューティングスイッチは、ステレオ歪率0・2%以下、0・2〜1%、OFFの3段切替で設定した歪率未満の弱い局はミューティングされる。選局ボタンを自動とし、0・2%以下のミューティングとすれば、東京では、選局ボタンのワンタッチでNHK東京とFM東京を交互に受信可能というすばらしい使用法が、この機能により得られる。
 マイコン・プログラマブルユニットSH9038Pは、単独使用も可能であるが、ST9038Tと専用16
ピンコードで結合して使用する。本機は、マイクロコンピューターを内蔵し、1週間の単位で曜日、時間、放送局(8局まで)、ACラインのON−OFF指定(4系統のACアウトレット)を33回自由に設定できる他に、電源同期型の時計、加算可能なストップウォッチとしても使用できる。
 クォーツシンセサイザーFM受信コントローラーSH9038Rは、前者の組合せにさらに加えることにより、電界強度表示、マルチパスレベル表示、付属のアンテナ回転機構と組み合わせたアンテナ角度の表示とメモリー付アンテナ自動回転機能などができる。本機自身にもクォーツシンセサイザーを内蔵し、ST9038Tと組んで、ブースター、アッテネーター、さらに同調ツマミにより、従来感覚のフライホイールによるマニュアル同調さえも可能としている。

既製スピーカーシステムをマルチアンプでドライブする(テクニクス SB-10000)

井上卓也

HIGH-TECHNIC SERIES-1 マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ(ステレオサウンド別冊・1977年秋発行)
「内外代表パーツ200機種によるマルチウェイ・システムプラン」より

 テクニクスのSB10000は、現在までに発売されたフロアー型システムのなかでは、国内製品でもっとも大型なシステムである。低音用に46cm型ウーファーを採用し、中音と高音に開口角度の広いラジアルホーンを採用したホーン型ユニットを使用している。
 同社からは低音用の46cm型ウーファーとしては、すでにEAS46PL80NAが発売されているが、この単売ユニットとSB10000に採用されたユニットの関係は不明である。しかし、世界的にみても46cm型ウーファーは、製品数も少なく、国内製品で現在発売されているのはテクニクスだけということになる。
 このシステムの中音用、高音用ユニットは、ラジアルホーンとドライバーユニットを結合する部分のスロートが極めて短縮された、特長のある方式を採用しているのが従来に見られなかった方法である。中音用のドライバーユニット部分のダイアフラムは、直径100mmと非常に大口径型で、受持帯域の下側、つまり中音から低音にクロスオーバーするあたりのエネルギーが、より直径の小さいダイアフラムより一段と強く、ウーファーとのつながりが大変にスムーズである。
 高音用は、中音用が磁気回路の後部にダイアフラムをセットした、いわゆるリアドライブ方式であることにくらべ、一般的にトゥイーターに採用されることが多い、磁気回路の前部にダイアフラムをセットしたタイプだ。このダイアフラムは直径35mmで、材料にはチタン箔の両面に軽量で非常に硬度が高いボロンを真空蒸着させた新材料を使っているが、これは世界最初の試みである。
 ウーファー用のエンクロージュアは、バッフル盤の両側にスリット状のポートをもつバスレフ型である。この上に、中音用と高音用のユニットが前後方向に、リニアフェイズ方式に従って、スタガーしてレイアウトされている。
 このシステムは、LC型ネットワークにも位相補正方式が採用されているとのことであるから、マルチアンプでドライブするプランは単純に各ユニットを直接パワーアンプにつないでドライブして、LC型ネットワーク以上の音質が得られるかどうかがポイントになる。
 しかし、現実的に、マルチアンプドライブ化したシステムを調整する場合には、各ユニットの位置的な関係を移動できるタイプでは、相対的なユニット一のコントロールで、最良の音に追込むプロセスは、いわば、マルチアンプの実施面での定石である。したがって、SB10000でも、少なくとも、聴取位置を原点として聴きながら、中音と高音ユニットを前後させてベストポイントを探すべきであろう。アンプには、一連のテクニクス製品を選んだが、低音用には、左右それぞれにモノ接続としたパワーアンプを使用することにしたい。このシリーズのアンプは、性能、価格などからマルチアンプ方式には好適な製品だ。

●スピーカーシステム
 テクニクス SB-10000
●コントロールアンプ
 テクニクス SU-9070II (70AII)
●エレクトロニック・クロスオーバー・ネットワーク
 テクニクス SH-9015C (15C)
●パワーアンプ
 低音域:テクニクス SE-9060II (60AII)×2
 中音域:テクニクス SE-9060II (60AII)
 高音域:テクニクス SE-9060II (60AII)

テクニクス SB-5500

黒田恭一

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より
スピーカー泣かせのレコード10枚のチェックポイントの試聴メモ

カラヤン/ヴェルディ 序曲・前奏曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
❶ピッチカートの音に力がない。オーボエよりフルートがめだつ。
❷あいまいにならないが、ひびきが腰高になっている。
❸フラジオレットの感じが十分にでているとはいえない。
❹ふくれてはいないが、ゆたかにひびいているとはいえない。
❺クライマックスでひびきがヒステリックになる。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番
ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管弦楽団
❶音像は大きくないが、ピアノの音にまろやかさがたりない。
❷音色対比はついているが、とけあっていない。
❸ひびきにもう少しキメこまかさがほしい。
❹幾分これみよがしになって、せりだす。
❺各楽器のひびきを誇張ぎみにしめす。

J・シュトラウス:こうもり
クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団
❶全体的に前にでたままになる。子音を強調ぎみである。
❷接近感はあまりない。もともと前にですぎるためか。
❸クラリネットの音色は伝えるが、声や他の楽器の音ととけあわない。
❹はった声は硬くなり、表情のコントラストを強くつける。
❺きこえることはきこえるが、効果的とはいいがたい。

「珠玉のマドリガル集」
キングス・シンガーズ
❶横一列にならんだ感じは伝わりにくい。
❷ブレス等をきわだたせるが、言葉は鮮明とはいえない。
❸音がひとかたまりになる傾向があるのでききとりにくい。
❹各声部のからみ方は不鮮明にしか示されない。
❺ポツンと切れてはいないが、のびやかとはいいがたい。

浪漫(ロマン)
タンジェリン・ドリーム
❶音色対比はかなりくっきりついている。
❷後へのひきがたりない。ひびきが平面的になりがちだ。
❸音に重量がかかりすぎていて、浮遊しているとはいえない。
❹前後のひびきのへだたりが感じとりにくい。
❺ピークでは、力づくでおしてくるようなところがある。

アフター・ザ・レイン
テリエ・リビダル
❶後方でのかすかなひびきは、もう少ししなやかでもいいだろう。
❷ギターの音は、くっきりと、中央に定位する。
❸他の楽器によるひびきの中にうめこまれがちだ。
❹きわだってきこえるが、そのひびきにもう少し輝きがあるといい。
❺かなりめだってきこえるが、他の音とのバランスに問題がある。

ホテル・カリフォルニア
イーグルス
❶ここでの12弦ギターの音の特徴が充分に示されてはいない。
❷ひびきが薄いので、かならずしも効果的とはいえない。
❸ハットシンバルの音はぬけだしてくるが、さわやかさがほしい。
❹ドラムスのアタックはとがった感じになる。声の乾きぐあいはいい。
❺言葉はたってくるが、バックコーラスのとけあい方がよくない。

ダブル・ベース
ニールス・ペデルセン&サム・ジョーンズ
❶力強くはあるが、ひびきのひろがりがたりない。
❷指の音だけでなく、奏者の息づかいまできかせる。
❸音の消え方がもう少し精妙に示されてもいいだろう。
❹力強いひびきをきかせるが、音の動きのこまかさは示されない。
❺サム・ジョーンズによるかげったひびきがききとりにくい。

タワーリング・トッカータ
ラロ・シフリン
❶一応の迫力は示すが、切れ味はにぶい。
❷充分につっこんでくるが、他の音がひっこみすぎる。
❸クローズアップの効果は充分に示される。
❹ひびきの目が,つんでいるので、わかりにくい。
❺ふやけてはいないが、切れが充分とはいえない。

座鬼太鼓座
❶尺八が比較的近くできこえる。距離感がでない。
❷脂っぽいとはいえないが、尺八の特徴をよく示してはいない。
❸一応きこえるが、かろうじてきこえる程度だ。
❹力強さは示されるが、ひびきのひろがりは示されない。
❺むしろ強調ぎみにきかせて、それなりの効果をあげる。

テクニクス SB-10000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 調整の焦点があって鳴りはじめると、どのレコードをかけてもこれまでのどのスピーカーからも聴こえてこなかった(あるいは聴こえなかったような気にさせる)ような、ディテールの明瞭で繊細な音が聴き手をびっくりさせる。レコードに入っている音なら、このスピーカーで聴こえない音はひとつもないのじゃないか、という気になってくる。この一種すがすがしい清潔な、脂気のあまりない音は、これまでJBLやイギリス系の良いスピーカーで聴いてきた音と、全く世界が違う。興味深いことは、マーク・レビンソン、SAE、オルトフォン、EMT……といった欧米のパーツがここに混じると、それは逆に異分子がまぎれ込んだような、明らかに違った血が入りこんだような違和感で鳴って、たとえばEPC100CやCA2000のような、もう明らかに日本の音で徹底させてしまわないと、かえってこのスピーカー本来の良さが生かされにくいことだ。しかしこの音は、ヴァイオリンひとつを例にとっても、E線やA線はいかにも本もののように鳴らす反面、D線やG線になるともうひとつ胴の響きや太さが出にくかったり、あるいはオーボエやクラリネットの微妙な色あいがややモノトーン的に聴こえたり、実のところ私には、もっと時間をかけて(これだけは例外的に二時間あまりかけて聴いたのだが)さらに聴き込んでみたい。そして多くのことを考えさせられるスピーカーだった。