Tag Archives: Reference

トーレンス Reference

菅野沖彦

音[オーディオ]の世紀(ステレオサウンド別冊・2000年秋発行)
「心に残るオーディオコンポーネント」より

 トーレンスの「リファレンス」を僕が買ったのは、1980年の暮れのことである。その半年ほど前に、マッキントッシュXRT20を入れて、これとの蜜月に夢中になっていたころのことだ。CDの登場間近で、LPが終焉を迎えるかもしれないなどと言われ始めたころでもある。連日、XRT20でLP鑑賞に耽っていたのだが、プレーヤーをもっとよくしたら、さらにいい音になるはずだ……と想うと、居ても立ってもいられない気持ちになったのであった。
 じつはその十数年来、アナログプレーヤーには悩んでおり、なかなか気に入ったものがなかったのである。EMTはアームとカートリッジの制約が気に入らなかったし、あのいかにもスタジオ機器然とした雰囲気も仕事の気分から解放されないようで嫌だった。DDはどうも音が悪いし、リムドライブももうひとつ……不満があった。糸ドライブでもやろうか? とも考えたが年中不安定で、いつもテンションに気を使わなければならないという煩わしさも音楽鑑賞上邪魔になりそうで嫌だった。結局、落ち着くところはベルトドライブで、慣性モーメントの大きいターンテーブルを小トルクの小型モーターで回すものがいいと考えていた。そしてまた、重量とソリッド剛性一点張りの偏った設計思想によるものは真っ平ごめんで、曖昧さを否定するという青臭い理屈を掲げて、あんなにロッキーなマニアックなサウンドに熱中する餓鬼には成り下がれなかった。かといってフラフラ軽量ターンテーブルもお呼びでない。つまり、当時僕が思い描いていたプレーヤーは、豊富な物量投入による重量級で、適度な剛性とダンピング、Qの分散をはかった、トータルバランスに優れたものだったのである。さらに、できれば、トーンアームは自由に交換できて、同時に数本取り付け可能なものが望ましい……などと欲張っていたから、そんなプレーヤーが簡単に見つかるわけはないだろう。しかし、CD時代も間近だし、そろそろアナログプレーヤーを決めなければ……とも考えていた矢先の、トーレンスの「リファレンス」の発売だったのである。縁というものはこういうものであろう。僕が頭に描いたものにもっとも近いプレーヤーシステムがついに現われたのだから……。当然これを見たときには「おお、これ! これこそ望みうる最高のプレーヤーだ!」と実感したのであった。
 こんなに、ぴったり自分の要望に叶う製品に出会うことは、滅多にあることではない。『ステレオサウンド』誌に書いた「リファレンス」の紹介記事(64号)はつねにも増して熱が入ったことは言うまでもない。そこでも書いたが、ターンテーブルに使う色として、ゴールドとモスグリーンを選んだことにも意表をつかれた思いで新鮮だった。当時、妙に強く印象に残っていた、真冬のアルスター湖畔で会った美女が着ていたモスグリーンのコートの色、そして彼女が肩からかけていた大きなゴールドの金具がついたタンのショルダーバッグと、このプレーヤーの色とのダブル・エクスポージュアが、鮮やかな記憶として残っている。
 わが愛機「リファレンス」は、いまもアナログディスクを聴くたびに満足感を与えてくれる。あの時期によくぞ出してくれた! とトーレンスに感謝しているのである。

トーレンス Reference、ゴールドムンド Reference

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)

特集・「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」より

 トーレンス/リファレンスとゴールドムンド/リファレンス。恐らく、アナログディスク再生機器として最後の最高級製品となるであろう2機種である。その両者共にヨーロッパ製品であるところが興味深い。西ドイツ製とフランス製で、どちらもが〝リファレンス〟と自称しているように、自信に満ちた製品であることは間違いない。名称も同じだが、価格のほうも似たり寄ったりで、どちらも300万円台という超高価である。共通点はまだある。ターンテーブルの駆動方式が、両者共にベルトドライブである。アナログレコードプレーヤーの歴史は、ダイレクトドライブに始って、ダイレクトドライブに終るのかと思っていたら、そうではなかった。ベルトやストリングによる間接ドライブが超高級機の採用するところとなり、音質の点でも、これに軍配が上ったようである。ぼくの経験でも、たしかに、DDよりベルトのよく出来たプレーヤーのほうが音がいい。
 一般論は別として、この両者は共に、フローティンダインシュレ一夕ーを使って内外のショックを逃げていること、本体を圧倒的なウェイトで固めていることにもオーソドックスな基本を見ることが出来る。だが、プレーヤーとしての性格は全く異なるもので、それぞれに頑として譲れない主張に貫かれているところが興味深く、いかにも、最高の王者としての風格を感じるのである。
 この両者の最大の相違点は、ピックアップ部にある。
 トーレンス/リファレンスは、本来、アームレスの形態を基本にするのに対し、ゴールドムンドのほうは、アーム付である。いわば、ターンテーブルシステムとプレーヤーシステムのちがいがここに見出せる。そして、ゴールドムンドは、そもそも、リニアトラッキングアームの開発が先行して、T3というアームだけが既に有名であったことを思えば当然のコンセプトとして理解がいくだろう。このリファレンスに装備されているのはT3Bという改良型だが、基本的にはT3と同じものである。このリニアトラッキングアームは単体として評価の高かったものだが、実際にこれを装備するターンテーブルシステムとなると、おいそれとはいかなかったのである。そこで、ターンテーブルシステムの開発の必要にも迫られ、いくつかのモデルが用意されたようだ。このリファレンスは中での最高級機である。この場合、リファレンスという言葉は、T3リニアトラッキングアームのリファレンスといった意味にも解釈出来るが、広くプレーヤー全体の中でのリファレンスというに足る性能を持っていることは充分納得出来るものであった。
 これに対して、トーレンスのリファレンスは、ターンテーブルシステムが剛体、響体として音に影響を与える現実の中で一つのリファレンスたり得る製品として開発されたものであって、やや意味の異なるところがある。したがって、こちらは、コンベンショナルな回転式のトーンアームなら、ほとんどのものが取付け可能だ。それも、三本までのアームを装備できるというフレキシビリティをもたせているのである。結果的にターンテーブルシステムに投入された物量や、コンセプトは同等のものといってよいが、このプレーヤーシステムとしての考え方と、ターンテーブルシステムとしてのそれとが、両者を別つ大きなターニングポイントといえるのである。
 デザインの上からも、このちがいは明らかであって、ゴールドムンド/リファレンスは、コンソール型として完成しているのに対し、トーレンスのほうはよりコンポーネント的で、使用に際しては然るべき台を用意する必要がある。そのアピアランスは好対照で、ゴールドムンドのブラックを基調とした前衛的ともいえる機械美に対し、トーレンスのモスグリーンとゴールドのハーモニーはよりクラシックな豪華さを感じさせるものだ。
 両機種の詳細は、本誌の64号にトーレンス/リファレンスを私が、73号にゴールドムンド/リファレンスを柳沢功力氏が、共に〝ビッグ・サウンド〟頁に述べているので御参照いただくとして、ここでは、この2機種を並べて試聴した感想を中心に述べることにする。
 ステレオサウンド試聴室に二台の超弩級プレーヤーが置かれた景観は、長年のアナログレコードに多くの人々が賭けてきた情熱と夢の結晶を感じさせる風格溢れるものであって、たまたま、そばにあった最新最高のCDプレーヤーの、なんと貧弱で淋しかったことか……。これを、技術の進歩の具現化として、素直に認めるには抵抗があり過ぎる……閑話休題。
 ゴールドムンド/リファレンスは先述のように、リニアトラッキングアームT3BにオルトフォンMC200ユニバーサルを装着。トーレンス/リファレンスにはSME3012Rゴールドに同MC200を装着。プリアンプはアキュフェーズのC280(MCヘッドアンプ含)、パワーアンプもアキュフエーズP600、スピーカーシステムはJBL4344で試聴した。
 リファレンス同志の音は、これまた対照的であった!
 ゴールドムンドは、きわめてすっきりしたクリアーなもので、これが、聴き馴れたMC200の音かと思うような、やや硬質の高音域で、透明度は抜群、ステレオの音場もすっきり拡がる。それに対して、トーレンスは、MC200らしい、滑らかな質感で、音は暖かい。ステレオの音場感は、ゴールドムンドの透明感とはちがうが、負けず劣らず、豊かな、空気の漂うような雰囲気であった。温度でいえば、前者が、やや低目の18度Cぐらい、後者は22度Cといった感じである。低域の重厚さとソリッドな質感はどちらとも云い難いが、明解さではゴールドムンド、暖かい弾力感ではトーレンスといった雰囲気のちがいがあって、共に魅力的である。さすがに両者共に、並の重量級プレーヤーとは次元を異にする音の厚味と実在感を聴かせるが、音色と質感には全くといってよいほどの違いを感じさせるのであった。これは、アナログレコード再生の現実の象徴的な出来事だ。プレーヤーシステムの全体は、どこをどう変えても音の変化として現われる。この二者のように、トーンアームの決定的なちがいが、音の差に現われないはずはないし、ターンテーブルシステムにしても、ここまで無共振を追求しても、なお残される要因は皆無とはいえないであろう。それが証拠に、同じトーレンスでも、リファレンスとプレスティージとでは音が違うのである。だから、かりに、ゴールドムンドにSMEのアームをつけたとしても(編注:専用のアームベースを使用すれば可能)、同じ音になることはないだろう……。ましてや、このリニアトラッキングのアームとの比較は、冷静にいって、一長一短である。トラッキングエラーに関しては、リニアトラッキングが有利だとしても、響体としてのQのコントロールや、変換効率に関しては問題なしとは云い難い。これは、両者に、強引にハウリングを起こさせてみても明らかである。いずれも、並の条件では充分確保されているハウリングマージンの大きさだが(ほとんど同等のレベルだ)、非現実的な条件でハウリングを起こさせてみると、その音は全く違う。ゴールドムンドのほうが、周波数が高く、複雑な細かい音が乗ってくる。トーレンスのほうが、周波数が低く、スペクトラムも狭い。この辺りは確かに、両者の音のちがいに相似した感じである。不思議なもので、ゴールドムンドのアピアランスと音はよく似ているし、トーレンスのそれも同じような感じである。つまり、ゴールドムンドは、どちらかというとエッジの明確なシャープな輪郭の音像で、トーレンスのほうがより隈取りが濃く、エッジはそれほどシャープではない。この域でのちがいとなると、もう、好みで選び分ける他にはないだろう。正直なところ、私にも、どちらの音が正しいかを判断する自信はない。しかも、カートリッジやアンプ、スピーカーといった関連機器も限られた範囲内でのことだから、単純に結論を出すのは危険だ。
 操作性でも、どちらとも云い難い。どちらも、操作性がよいプレーヤーとはいえないだろう。ゴールドムンドは、プレーヤーシステムとしての完成型であるから、本当はリードイン/アウトもオートになっていてほしいと思った。エレクトロニクスのサーボ機構を使っているメカニズムであるし、プッシュスイッチによる動作やデジタルカウンターという性格などからして、そこまでやってほしかった。針の上下だけがオートなのである。指先で、カートリッジを押してリードインやアウトをさせるのは、この機械の全体の雰囲気とはどうも、ちぐはぐである。
 一方、トーレンスは、全くのマニュアルで、大型の丸ツマミによる操作であり、これもリフトアップ/ダウンだけはオートで出来るものの、決して操作のし易いものではない。ただ、これは、見るからにマニュアルシステムであるから違和感はないのである。しかし、どちらもアナログディスクの趣味性を十二分に満してくれる素晴らしい製品である。

トーレンス Reference

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 トーレンスのリファレンスに大金を投じたのは、マッキントッシュXRT20というスピーカーとの出会いが刺戟になってのことである。このスピーカーの魅力の虜になった私が、何とかして、このスピーカーの最大限の能力を引出してみたいと思うようになったからである。
 それまで、JBLのユニットを使った3ウェイのマルチアンプシステムと15年も取組むうちに、その明解な音像輪郭の描き出す音に満足しながらも、時として、少々、肩肘張り過ぎる音の出方が気になってもいた。また、ターンテーブルやプレーヤーシステムも、いわゆる高級・高額品というものには物量が投じられ、剛性を確保したものがほとんどで、それらには同じ傾向が強いことに疑問を抱いていた。たしかに、音が明確な存在感をもって響くのはある種の快感である。締まった低音、曖昧さのない確固たる音像と定位、立上がりの鋭い切れのよい打楽器類の鮮烈なリズム感などは、いい加減にもやもやした鈍い音からすれば質は高いだろう。しかし、時として、それが行過ぎになる傾向がオーディオにはあるように感でいたのである。そうした傾向のプレーヤーでは必ず、本来、もっとも柔軟でしなやかであるべき弦楽器の音が刺戟的な方向で鳴るし、ピアノの打鍵は一様に鋭いパルスが勝って、あの楽器特有のボディのあるソフトな質感が出にくいのである。いくらピアノが、打楽器の仲間で鍵盤を打って音を出す楽器だといっても、まるで鉄のハンマーで打弦するような、金属音が支配するようでは音楽の表現もモノトーンになるし、絶妙なピアニスティックなタッチの変化や音色の多彩なニュアンスは聴くことが出来ない。最近の優秀録音やハイファイシステムは、どうも、その傾向が強く辟易させられる。これは、マイクロフォンに始まって、再生スピーカーに至るまでの数多くのオーディオ機器のもつ、ある種の歪が原因だと思うし、また、それを、ただ無定見に新鮮な魅力として、これを誇張するような録音再生のソフトまで流行しているように思うのである。
 人間、ごく単純にいえば、弱いより強いものに、低いより高いものに、柔らかいものより硬いものに、暗いより明るいものに……といった具合に、量的に優位なものに気をそそられるのが普通である。また、オーディオ機器や、その使い方の中で、人は、元の音のあるべき姿を知らないと、一対比較で、音を判断し、この量的優位の感覚で決めてしまう危険性がある。長年のレコード制作で、私がよく体験することであるが、オリジナルテープの音よりカッティングされた音を喜ぶ人が多いもので、それは何らかの原因で、機械式変換のプロセスが音を硬い方向へもっていくことに起因しでいるようなのだ。
 よく、超高級のターンテーブルなどで、レコードにはこんな音まで入っていることに驚かされる……といった説明を聴くが、私には、それが必ずしも、レコードに入っている音ではなく、むしろ、ターンテーブルシステムの創造する音ではないかという疑問が浮かんでくるのである。Qの高い金属製ターンテーブルにレコードを直接置くようなプレーヤーの使い方は、私にはどうしても納得出来ない。不自然な音の質感をもつものが多いのだ。この理由の説明は長くなるので、ごく簡単にいおう。レコード製造課程で作られる金属原盤(マザー)と、そこから作られるスタンパーでプレスした塩ビのレコードの音とを聴きくらべると、工程からいって当然、マザーのほうが波形の忠実度が高いのに、その音は明らかに金属的な質感で、よりクリアーで迫力はあっても不自然である。よりクリアーで迫力があれば不自然でもよいというのなら何をか言わんやだし、何が自然なのか解らない人にはそれでもよいかもしれないが、微妙な音楽の質感を大切にする耳には塩ビのレコードの音のほうがはるかによい。金属原盤のQの高さが害を生むのであろう。現在の塩ビのレコード材料が、Qの点からもスティフネスの面からも最上のものかどうかは疑問があるが、これ以上Qの高い材料にすることは賛成出来ないように思う。
 もちろん、これはカートリッジやアームの問題とも密接に関連することだが、現行の汎用カートリッジやアームで使うには明らかに、このことがいえる。レコードを金属ターンテーブルに密着させるということは、塩ビとターンテーブルの一体化によりQを高い方向へもっていくことになるだろう。吸着式はレコードの平面性の確保という点ではたしかにメリットがあるだろうが……。もし吸着させるなら、可聴周波数帯域内に害をもたらさないQの小さな材料か、複合材でダンプをすべきではないだろうか。数キロもある金属と一体化に近い状態になったレコードからは、たしかに、曖昧なシートにのせられたものとはちがソリッドで明確な音が出てくるが、これを単純により優れた音と判断するのは感覚的にも教養的にも淋しい話と思えてしかたがない。
 マッキントッシュのXRT20が、私のJBLのシステムと違う最大のポイントは、音楽の自然な質感であった。それに触発されて、それまで、いろいろな点で不満であったターンテーブルシステムの充実をはかることにしたのである。自然な質感を失わず、しかも、機械変換機能をもつもののベースとして十分な質量をもたせ、メカニカルフィードバックにも対処させる方向で。その私の考えの線上に浮上したのがリファレンスであった。案に違わず、このシステムは、超弩級のシステムでありながら、トータルバランスを重視した設計で、決してエキセントリックな音を出さない。リファレンスの名にふさわしい妥当な音だ。レコードで音楽を楽しむひとときに、なくてはならない、とっておきのプレーヤーである。

トーレンス Reference

菅野沖彦

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「THE BIG SOUND」より

 モスグリーンとブラウン、そして、ゴールドというカラーコーディネイションはシックでソフィステイケイテッドな美しさだ。そして、この感覚、まさにヨーロッパ的洗練といえるだろう。ヨーロッパの秋から冬にかけての、女性の装いで、よく僕の眼を惹く美しさと共通した、それは色合いなのである。ある晩秋の午後、アルスター湖のほとりのカフェで見かけた美しい婦人の着こなしを想い出す。ソフトなグレイがかったブラウンのスーツ、胸元に、大きく美しいリボンとフリルのついたベージュのブラウス、そして、彼女がしなやかに席を立ったとき、その肩にはおられたコートはモスグリーンであった。それらは、美しい金髪と見事に調和し、足元に踏みしめる枯葉とも、灰色の空を突き刺すように寒々と立ち並ぷ冬の樹々とも、そして、どんよりとした雲を映す湖面とも溶け合っていた。僕は、カフェのガラス越しに歩み去る彼女が見えなくなるまで、小さな感動を味わいながら凝視し続けたのを忘れない。
 トーレンス・リファレンスのフィニッシュのセンスは、こうしたヨーロッパの人々のセンスと無関係であるはずがない。その、あまりにも機械そのもののオブジェだからこそ、トーレンスは、この色を選んだのだろう。もともと、市販することを考えずに、自社の実験用として作った機械だが、それが家庭に入り込むことになったとき、彼らは、ごく自然に、この色を選んだ。当初の実験機は白く塗装されていた。また、このリファレンスの姉妹機である、EMTのプレーヤーのフィニッシュは、うたがいなくスタジオ・ユースとしてのセンスが見られる。このリファレンス、粗末ながらも、我家の生活のインテリアの中においてこそ、周囲と調和し、いちだんと美しく見えるから不思議である。
 とはいうものの、このプレーヤー・システムは、決して流麗な姿とはいえないし、デザインが優先したものでもない。機械としての必然性が、この造形となったと見るぺきものだ。総重量90kgのウエイトは、視覚からも感じられる。この重量は、プレーヤーにあっては即、クォリティといってよい。優れたプレーヤーは重くなければ駄目だというのは真理であるからだ。しかし、ただ重ければ、剛性が高ければよい、というのは間違いであることを、このリファレンスは強い説得力をもって我々に訴えている。100年になんなんとするトーレンスの音のメーカーとしての歴史が、連綿とノウハウを蓄積し、アナログ・ディスクから、いかにして良い音を引き出すかという課題に対する解答をここに提示しているのである。これを、より詳細に理解するために、我々は、ここに、このプレーヤーをワッシャー一枚に至るまで分解することを試みた。賢明な読者は、前々頁に掲載した写真をじっくり眺められれば理解されることと思うが、多少の解説を試みることにしよう。
 まず、各部の重量配分である。俗にターンテーブルの重量ばかりを気にする風潮があるが、これは、きわめて片寄った近視眼的見方であって、ターンテーブル・システムのトータルとしてのパフォーマンスは、ターンテーブルを支えるベースとの重量配分が絶対に重要である。ターンテーブル自体の重量は、慣性モーメントによる回転のスムース化に益のあることば確かだが、慣性モーメントの数値の大きさだけを部分拡大解釈して、即、プレーヤーのパフォーマンスの優秀性と思い込むのは素人である。さらに、それだけを売物にしているかのような商品も見受けるが、バランス設計のなんたるかを理解しないアマチュア・メーカーと断ぜざるを得ない。このバランス設計ということは、ことターンテーブル・システム自体の問題に止まるわけではなく、大きく、録音再生のトータルの視点、また、一般家庭で使う現実性をも踏まえたものでなければならないのである。リファレンスのターンテーブル自重は6・6kgである。材質はアルミ・ダイキャストに木材が付加されている。木材については後述するが、この6・6kgという重量は、決して軽いほうではないが、必要かつ充分な重量で、馬鹿重くはない。慣性質量にして、1300kg/㎠ぐらいになるだろう。これに対して、ベースの総重量は、約80kgある。このベースは二重構造で、写真で解るように巧妙なサスペンションによって、4本柱で吊られているフローティング・ベースと、そのサポート・ベースに分れている。そして、ターンテーブル自体は、フローティング・ベースに取付けられていることはいうまでもないが、この共振点を2・5Hz~9Hzに可変できるアジャスタブル機構が設けられている。4本のゴールドフィニッシュ・ポールの外側にあるワイヤー・テンション・コントローラーにより調整する構造である。そして、このフローティング・ベースだけでも、約50kgの重量を持っている。しかも、このフローティング・ベースの周辺部には、アイアン・グレインと呼ぼれる粒状の鉄をオイルで練ったものがぎっしりとつめられ、Qの小さい集中マス・コントロールを施してある。因みに、リファレンスにおいて、ターンテーブルとベースの重量配分は6・6kg対80kgとなり、約1対12である。一般に超弩級とされるターンテーブル・システムのほとんどが、1対4の割合であることを知るとき、その差に驚かされる。つまり、もし、ターンテーブルが6・6kgなら、ベースは27kgほどでしかない。中には20kgもあるターンテーブルのベースが僅か、50kg強、その3倍弱というものさえある。無論、これも単純に考えては過ちを犯すことになるが、ターンテーブルの自重だけに目を向けることの反省としていただければ幸いである。それよりも重要なことは、カートリッジに出来るだけ余計な共振性をもたせないことである。つまり、ごく大ざっばにいえば、トーンアームの設定共振点(低域は8Hz近辺のものが多い)以下に、ベーシックなf0を抑え、かつ、ターンテーブルのQを下げて、ターンテーブル鳴きの害をカートリッジの針先に与えないことだ。トーレンスは、このリファレンスにおいて、6・6kgのターンテーブルによって、必要な慣性質量をもたせながら、シャフト、ベアリング、サスペンションの実用精度とその耐久力、安定性を確保し、ターンテーブルの内側にがっちりと木枠を圧入することによりQをコントロールしている。そして、ターンテーブル表面には、特殊なウール材を張り、極力ターンテーブル自体の鳴きを殺し、これを、その12倍もの重量ベースにマウントすることによって、静謐な回転系を構成しているのである。
 この静粛な回転の原動力は、重量級システムとしては、驚くほどさりげない小型のシンクロナス・モーターである。おそらく、リファレンスに長く接したことのない誰もが抱く不安であろう。いうまでもなく、6・6kgの重いターンテーブルをベルトドライブさせるにしては、トルク不足の印象を与えがちである。電子コントロールによって3スピードの選択が行える、このシンクロナス・モーターは、プーリーの外径から判断して、低速モーターであり、特にSN比に気を配った設計がなされているとはいえ、もう少しトルクが欲しいと思わせるほどに小さい。にもかかわらず、トーレンスは、これをハイ・トルク・シンクロナス・モーターと称している。
 モーター本体は、固定ベースの上に立てられた3本のアルミシャフトに取付けられている。前述したように、フローティング・ベースは、コイル・スプリングとリーフ・スプリングの二重構造によって固定ベースから吊られており、モーターの機械振動が、信号系に対して絶縁される構造になっている。しかし、強力な大型モーターの採用を避けることで、よりいっそうの静かさを達成することができるとすれば、起動トルクの小ささにあえて目をつむることは、動かし難い必然性を滞びてくるだろう。どのような微小なレベルの信号も汚したくないという設計理念の高さが、この小さなモーターを使わしめたのである。
 リファレンスは、局用のターンテーブルではない。一般のレコード再生において、少なくとも立上りにやや時間を要するということ以外に、トルクの不足はない。また、これ以上のトルクを望むことが、まったく馬鹿げたことに思われるほどに、定速に達した、大きなイナーシャを持つターンテーブルは、安定した回転を得ている。ただ、このプレーヤーの難は、ドリフトがやや大きいことだ。クォーツ・ロック式のターンテーブルに馴れた人には、やや気になることかもしれない。これは、将来、是非とも改良してほしい点だ。
 リファレンスにはアーム・ベースが3台付属していて、フローティング・ベースの構造と同じように、アルミダイキャスト・ベースにはアイアン・グレインが充填されている。もちろん、これでベースの共振を抑えているわけだが、さらに、アーム取付けボードは木製となっている。アーム・ベースという小さな部分にさえ、Qを下げて共振を柔らげようという思想が貫かれているわけである。アーム・ベース自体のQが大きくなっては、アームを伝わったベースの鳴きが、再生音に悪影響を及ぼすことはいうまでもない。しかも、アーム・ベースはフローティング・ベースに金属面を境にして直接触れるのではなく、アーム・ベース底面に貼られたフェルト・テープを介して固定される。ここにも、剛性を上げることだけでは、良い再生音につながらないという徹底した設計コンセプトが伺えよう。
 約1・2kgの重量をもつアーム・ベースの中に、マイクロ・モーターが組み込まれ、アームリフターが動作する。リフタ一組込みベースは背がやや高く、アームによってはターンテーブルに対して水平がとれない場合がある。この場合は、低いベースが用意されているので、それを用い、リフターは、アーム付属のものを使えばよい。この辺りが、いかにも、メーカーが自社の実験用リファレンス(比較原器)として作ったものらしく、商品としての未完成要素を感じるところだが、それほど重大な欠陥ではない。かつて私が、この機械に惚れ込むあまり、これを購入し、その親しみ故に、設計ミスなどという言葉を不用意に使って愛のムチをくれたことが針小棒大に伝わり、誤解を招き、戸惑ったものだ。欠点のない人間はいないのと同じように、欠点のない機械もない。強い主張をもって作り出された機械であればあるほど、見方をかえれば、そのコンセプトや、センスを欠点として指摘することも容易である。現代は、むしろ、そうした製品が少なく、高級機にしか、真の個性が発揮されない淋しいオーディオ界である。ディジタル時代が云々される中で、ここまで徹底したアナログ・プレーヤー・システムを作ったトーレンスの心意気と、その豊富なノウハウの蓄積による主張は、まことに小気味よく爽快である。もとより、全くの手作業による少量生産であるため、大変高価ではあるが、この価値を認める人の数は少なくはないはずだ。それは、このプレーヤーにふさわしいトーンアームとカートリッジを使い、正しく調整した時に得られる音を聴けば何より明白である。そして、このリファレンスの〝存在感〟は、そうした優れたパフォーマンスと相俟って、時には、それを超える大きな喜びを味わえる。レコードをかけることの楽しさとは、本来、このようなものであるはずだ。それは、使う人、つまりレコードをかける人の知性と感性と情緒の介在の余地を無限に残す世界だからである。

トーレンス TD126MkIIIc, TD226, REFERENCE

トーレンスアナログプレーヤーTD126MkIIIc、TD226、REFERENCEの広告(輸入元:ノア)
(別冊FM fan 33号掲載)

TD226

トーレンス Reference

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 EMTの927Dstと、偶然のように殆ど同じ価格だが、EMTは、同社のTSDシリーズのカートリッジ専用であるのに対して、こちらは、好みのアームやカートリッジをとりつけられるユニバーサル・ターンテーブルシステム。レコードの音溝を針先でたどるという、メカ的なプリミティヴな方式を守るかぎり、メカニズムに十二分の手を尽したプレーヤーシステムは、それ相応の素晴らしい音質を抽き出してくれるという証明。

トーレンス Reference

菅野沖彦

別冊FM fan 30号(1981年6月発行)
「最新プレイヤー41機種フルテスト」より

概要 これはトーレンスの新製品で、本来トーレンスの研究用に作り上げられた製品である。それを超マニアの要望があって一般にも売ることになったもので、実に超ド級にふさわしいものすごいプレイヤーシステムだ。トーンアームが三本付くようになっており、スタンダードとしてはトーレンス自体のアーム、カートリッジ、EMTのアームとカートリッジ、そして好みのアーム、カートリッジを付けるようになっているり 全重量は90kgに達するが、このプレイヤーはリンソンデックやトーレンスの126のところでも述べたような、フローティング・マウンティングという思想を守っている。それでターンテーブルボードのものすごい重量をリーフスプリングとコイルスプリングで吊っている。しかも吊りの張力をコントロールできるようになっていて、共振周波数を1Hzから5Hzの間でもってコントロールできるという、凝った構造になっている。
 ターンテーブルは超ド級にもかかわらず、ノーマルな30cmのものが付いている。ベルトドライブとフローティングというトーレンスの思想を守ったターンテーブルだ。当然これは値段的にいっても、EMTの927に比して考えざるを得ないのだが、927はプロフェッショナル・ユースを志しているのに対して、これは言うならばコンシューマー・プロダクツのためのレファレンスだ。
音質 音質もまた927と比較して言うことになるが、927で私が戸惑いを感じたほど、レコード以上ではないかと思うような強引な力強い音ではない。しかし、力強さという点ではいささかも不満はない。しなやかさ、繊細さ、柔らかさという、つまり音楽的情緒では、私にはこちらの方がずっと満たされる。927の場合には、ちょうど仕事をして聴いている時のモニターの音のような気がした。モニターをしている時は、情緒までうんぬんしている余裕はないが、自分自身、家に帰って聴く音というのは全然違う。これは、自分が家に帰ってきて聴く時の、最高品位の音を出してくれるプレイヤーだと思う。
 柔軟性が出ていて、音楽がずっとのびのびしている。非常にバランスもすばらしくて、血の通った低音から、本当に過不足のない輝かしさのある高音まで実にしなやかだ。決して耳障りではなくて、それでいて頼りない音にはならない高域だ。こういうフルレンジにおいて、いささかの冷たさもトゲトゲしさも出てこない。解像力がものすごくよくて、音の奥行きの深さ、広がりとか各楽器の質感の響き分けとかというものは、レコードに入っている音楽的な響きを全くそのまま出してくれる。ただ、これはTSD15で聴いた時の印象であって、トーレンスのカートリッジ、アームで聴いた時にはちょっと問題があったように思う。品位の点では、TSD15の方がいいと思った。また、使い手によって自分の好きなアームとカートリッジを付けることができるけれども、ここでの試聴レポートでは触れない。たまたまTSD15を使った限りにおいて大きな差が出たが、それでいてこの二つは共通して他のいかなるプレイヤーとも全く次元を異にする音だった。

トーレンス Reference

瀬川冬樹

ステレオサウンド 56号(1980年9月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 トーレンス・リファレンス。この大きさとボリュウム感が、印刷された写真からはたしてどれほど、実感として伝わるのだろうか。たとえばターンテーブル。本体の中央にむしろ小さくみえるけれど、直径はむろん約30センチ。その直径から厚みを推測して、これだけの量感のあるターンテーブルをなお小さくみせる本体の大きさというものを想像して頂ければ、ようやく、これが只ものでない超大型のプレーヤーであることが、おぼろげながら理解されはじめる。
 そこに、スペックに印された寸法をあてはめてみる。さらに、90キログラム、という重量を思い浮かべてみると、どうやらこの製品の全貌がみえてくる。
 全体の渋いモスグリーン(苔緑色)系のメタリック半艶塗装。四隅に屹立する太い柱は、本体を吊っている支持枠(サスペンションハウジング)で、本ものの金メッキがほどこされている。本体の塗装の色は、おゆらく、この金色に最もよくあった色が選ばれたにちがいない。アームベースやパネルを締めつけている小さなネジもすべて金メッキである。
 ベルトドライブのターンテーブルに、アーム3本が取付可能のマニュアル式プレーヤー。??機能としてはそれだけ。こう言ってしまうと身も蓋もないが、それをここまでの物凄さに作り上げたトーレンスの真意は、いったいどこにあるのだろうか。
 ことしの3月に、パリの国際オーディオフェア(アンテルナシォナル・フェスティヴァル・デュ・ソン)に出席の途中に、スイスに立寄ってトーレンス社を訪問した。そのときすでにこの製品の最初のロット約10台が工場の生産ラインに乗っていたが、トーンレス本社で社長のレミ・トーレンス氏に会って話を聞いてみると、トーレンス社としても、これを製品として市販することは、はじめ全く考えていなかった、のだそうだ。
「リファレンス」という名のとおり、最初これはトーレンス社が、社内での研究用として作りあげた。
アームの取付けかたなどに、製品として少々未消化な形をとっているのも、そのことの裏づけといえる。
 製品化を考慮していないから、費用も大きさも扱いやすさなども殆ど無視して、ただ、ベルトドライヴ・ターンテーブルの性能の限界を極めるため、そして、世界じゅうのアームを交換して研究するために、つまりただひたすら研究用、実験用としてのみ、を目的として作りあげた。
 でき上った時期が、たまたま、西独デュッセルドルフで毎年開催されるオーディオ・フェアの時期に重なっていた。おもしろいからひとつ、デモンストレーション用に展示してみようじゃないか、と誰からともなく言い出して出品した。むろん、この時点では売るつもりは全くなかった??、ざっと原価計算してみても、とうてい売れるような価格に収まるとも思えない。まあ冗談半分、ぐらい気持で展示してみたらしい。
 ところが、フェアの幕が開いたとたんに、猛反響がきた。世界各国のディーラーや、デュッセルドルフ・フェアを見にきた愛好家たちのあいだから、問合せや引合いが殺到したのだそうだ。あまりの反響の大きさに、これはもしかしたら、本気で製品化しても、ほどほどの採算ベースに乗るのではないだろうか、ということになったらしい。いわば瓢箪から駒のような形で、製品化することになってしまった……。レミ・トーレンス氏の説明は、ざっとこんなところであった。
 トーレンスとEMTは、別項の工場訪問記にも書いたように、同じ工場の、同じラインで組立てられている。ただ、トーレンスが一般コンシュマー用、EMTがプロフェッショナル用という、厳然とした区別があって、管理から販売に至るまで完全に独立している。言いかえれば「リファレンス」がトーレンス・ブランドで発表されているということは、この製品が全く、プロフェッショナル用ではないことを表している。現実に、プロの現場(たとえば放送局の送り出し用、レコード会社や録音スタジオでのプレイバック用等)としては、どう考えてもおそろしく扱いにくい製品で、結局これは、超マニア用として作られたとしか、思えない。というよりも、正確には、前述のようにこれは、トーレンスの社内での実験用マシーンであったのだ。
 だが、トーレンス社があえて、おそろしいような価格をつけて市販に踏み切ったからには、なにがしかの成算あってのことに違いあるまいと、誰しもが思うのは当然ではないだろうか。
 なるべく手間や材料を省略して安く物を作ろうという風潮が支配的になっているこんにち、およそこれほど、無駄のかたまりとも思える物量と、手間とを投入した製品は、珍品と言いたいほど例外的な存在だ。
 組立の終った「リファレンス」が、本誌の試聴室に設置された。もう何回も眺めてきたのに、いままで工場その他の広い場所ばかりで見てきたせいか、こうしてふつうの広さの部屋で、目の前に置いてみると、改めて、大きい、と思う。いや、大きさもさることながら前述のモスグリーンと金色との豪華な質感と全体の量感、そして、みるからに質の高い加工の美しさのハーモニイを眺めると、何ともいえない凄みを感じる。初めて見た人は、誰もが、うわあ! と思わす驚きの声を上げる。もうそれだけで、このシステムから、悪い音など出るはずがない、という気持にさせる。
 サンプルとして入荷した第一便には、三台のアームベースのうち、二台に、EMTとトーレンスのアームがそれぞれ、とりつけられ、一台分だけ空白になっていた。私は、その音をよく知りつくしているオーディオクラフトのAC3000MCをそこにとりつけてもらった。EMT、トーレンスの各アームには、それぞれの専用カートリッジしかとりつけられない。そこで、それ以外のカートリッジをACにとりつけて聴いてみようというわけである。
 参考として、本誌前号(55号)のテストの際、私個人が最も良いと思った三機種??エクスクルーシヴP3、マイクロ5000(二連)+AC40000MC、それにEMT930stを、内蔵のアンプを通さずに直接出力を引き出すように手を加えたモデル(専用インシュレーターつき)??を、比較試聴用に再び用意してもらった。デンオンDL303、オルトフォンMC30、それにEMT/XSD15の三個のカートリッジで、エクスクルーシヴとマイクロを聴いて、前号の印象と変わりないことをまず確かめた。厳密にいうと、マイクロについては前号と設置および調整の条件が多少異っていたため、前号と同じ音質にはならなかったが、印象としてはむしろ前回を上廻る部分さえあった。それらの詳細については本誌55号をご参照いただきたい。
 前記二機種が、こんにちのプレーヤーシステムの中ではそれぞれにきわめて水準の高い音質を堪能させてくれたあとで、EMT930stにTSD15をとりつけて、内蔵ヘッドアンプを通さずに(ということは、内蔵アンプが悪いという意味ではない。いやむしろ内蔵のアンプの独特の音質の美しさこそ、EMTの特長でもあるのだが、あえてそれを使わないというのは、他のプレーヤーの試聴と条件を合わせるというだけの意味にすぎない)直接、出力をとり出した音を聴いてみると、中音から低音にかけて甘く量感のある安定感に支えられて鳴ってくる音の、くるみ込まれるような豊かな響きの美しさに陶然とさせられる。そのことも55号には書いた。
 さて、そうした音を聴いた直後に聴く「リファレンス」の音質である。とくにEMT930stとの比較のために、カートリッジはTSD15一個をつけかえ、さらに、トーレンスに付属している独特のコレットチャック式(締めつけ式)のスタビライザーも共用して、聴きくらべた。つまり違うのは、モーターのドライブシステムと、ターンテーブルおよびそれを支えるベースとサスペンションだけ、ということになる(アームは同じものがついているのだから)。厳密にいえば、アームからの引出コードは違う。トーレンス・リファレンスには、最初から先方でつけてきたコードがついているし、EMT930のほうは、本誌で改造した国産コード龍用品だ。
 しかし、同じレコードを交互に乗せかえて比較したかぎり、この音質のちがいは、とうていコード一本の差といった小さなものではないことが、誰の耳にも容易に聴きとれる。
 EMTのTSD(およびXSD)15というカートリッジを、私は、誰よりも古くから使いはじめ、最も永い期間、愛用し続けてきた。ここ十年来の私のオーディオは、ほとんどTSD15と共にあった、と言っても過言ではない。
 けれど、ここ一〜二年来、その状況が少しばかり変化しかけていた。その原因はレコードの録音の変化である。独グラモフォンの録音が、妙に固いクセのある、レンジの狭い音に堕落しはじめてから、猛数年あまり。ひと頃はグラモフォンばかりがテストレコードだったのに、いつのまにかオランダ・フィリップス盤が主力の座を占めはじめて、最近では、私がテストに使うレコードの大半がフィリップスで占められている。フィリップスの録音が急速に良くなりはじめて、はっきりしてきたことは、周波数レンジおよびダイナミックレンジが素晴らしく拡大されたこと、耳に感じる歪がきわめて少なくなったこと、そしてS/N比の極度の向上、であった。とくにコリン・デイヴィスの「春の祭典」あたりからあとのフィリップス録音。
 この、フィリップスの目ざましい進歩を聴くうちに、いつのまにか、私の主力のカートリッジが、EMTから、オルトフォンMC30に、そして、近ごろではデンオンDL303というように、少しずつではあるが、EMTの使用頻度が減少しはじめてきた。とくに歪。fffでも濁りの少ない、おそろしくキメこまかく解像力の優秀なフィリップスのオーケストラ録音を、EMTよりはオルトフォン、それよりはデンオンのほうが、いっそう歪少なく聴かせてくれる。歪という面に着目するかぎり、そういう聴き方になってきていた。TSD15を、前述のように930stで内蔵アンプを通さないで聴いてみてでも、やはり、そういう印象を否めない。
 ところがどういうことなのだろう。トーレンス・リファレンスで鳴らしてみると、930stと同じアーム、同じカートリッジの音が、明らかに1ランク以上、改善されて聴こえる。930stよりも、周波数レンジが広く聴こえる。音の表現力の幅がグンとひろがる。同じ針圧をかけているのに、トレース能力まで増したかのように、聴感上の歪が軽減された印象になる。EMT930stでも、国産機と比較するとずいぶん低音が豊かに感じられたのに、トーレンス・リファレンスの低音は、いっそう豊かでいっそう充実している。そして低音の豊かさが、中〜高域にかぶてっこない。したがって音はクリアーで、ディテールはいっそう明瞭になる。とくに、オーケストラの強奏でその点が際立ってくる。音の伸びが良い。たとえば、カラヤン/ベルリン・フィルの「ローマの泉」の第二曲(朝のトリトンの噴水)のふん非違の吹き上がる部分。リファレンスの音は、ほんとうに水しぶきが上がってどこまでも吹き上げる。水のしぶきに、ローマの太陽が燦然ときらめき映える。このレコードの音は、ずいぶんきわどく録音されているが、しかしやかましいという感じにならない。残念ながら、私が目下愛用しているマイクロ二連ドライブ+AC4000MC、それにMC30では、どうしても少々上ずる傾向になりがちだ。エクスクルーシヴとEMT930stでは、しぶきが十分な高さに吹き上がらない。そういう迫真力で格段の差を聴かせておきながら、少々傷んだレコードをかけてみても、他のプレーヤーよりその傷みからくる音の荒れが耳につきにくいというのは、何ともふしぎである。
 結局のところ、EMTのアームとTSDカートリッジを組合せるかぎり、こんにちその能力を最高に抽き出すターンテーブルシステムは、この「リファレンス」ということになるのだろうか? いや、まだひとつ、EMT927Dstとの比較が残っている。私の927を、動かす気はない。となると、「リファレンス」を私の家に持ち込んでみなくては比較はできない。だが930stとの差を聴くことで、ある程度の推測はつく。少なくとも、927と930は、見た目は似ていてもそこから聴かれる尾との質の高さは別格だ。となると、927と「リファレンス」とは、音のニュアンスの差であってどちらが上とはいえない、とでもいうことになるのだろうか。いちどぜひ比較してみたい。本号締切り間際に「リファレンス」のサンプル入荷がようやく間に合ったという状態なので、残念ながらその比較の機会が作れなかった。
 ところで、他のアームとカートリッジの音質はどうか。
 まずトーレンスのオリジナルアームと、MCカートリッジ(EMTと基本は似ていて、同じ製造ラインで作られている)。この組合せは、本誌55号でトーレンスTD126MKIIIの試聴の際に、一度聴いている。しかし、さすがにターンテーブルシステムの能力が上がるということはおそろしいもので、TD126のときには、音域やDレンジの限界のようなものを感じさせたのに、その限界が格段にひろがって、これはこれで相当に良いアームとカートリッジだと思わせる。が、しかし三百五十万円のシステムの音、としてみると、やはりこれでは少しものたりない。というより、EMTオリジナルという凄い音が一方にあるために、どうしても聴き劣りしてしまうのだろう。トーレンス社としては面子にかけてどうしてもとりつけたいのだろうが、この「リファレンス」ほどのシステムを使う日本の厳しい愛好家にとっては、トーレンスアームとカートリッジは、そんなに必要性を感じないのではなかろうか。
 となると、興味はいよいよ、オーディオクラフトのアームに各種のカートリッジをとりつけたときのことになる。
 まずEMT用のアームパイプをとりつけ、TSD15で比較してみる。さきほど例にあげた「ローマの泉」の噴水の水しぶき、その吹上げかたが、オリジナルアームよりも少し頭打ちになる。また、きらめき方も十分ではない。ということは、「リファレンス」システム自体が、共振成分を相当に制動してあるということなのだろう。EMTのアーム自体は、共振の十分に取り除かれていないターンテーブル・システムでは、音が少々はしゃぎすぎる傾向をみせることが多い。オーディオクラフトのアームの音質が、どちらかといえばやや暗く沈みかげんになるということも、同じ理由かを裏から説明している。どうやらACアームは、マイクロ糸ドライブとの組合せが�絶妙�ということになりそうだ。
 そのことは、あとからMC30およびDL303をとりつけて聴いてみたときにもいえる。MC30に関しては必ずしも悪い音ではなく、むしろバランスのよい、過不足のない、こんにち的な音が楽しめる。ただ、「リファレンス」で鳴るEMTオリジナルの、リフレッシュされたような味の濃い音を堪能したあとでMC30+AC3000MCを鳴らしてみると、いくぶん物足りない印象を受けやすい。
 そういう印象は、DL303にするともっと極端になる。もともと、中域以下の音の厚みの出にくいカートリッジだが、EMTオリジナルの豊満な音を聴いたあとであるからばかりでなく、DL303にしてもなお、線の細い、かなり痩せた感じの音になる。DL303の、相当に潔癖なスリムな音質と、「リファレンス」の豊かな肉づきと、性格が合わないともいえるが、それよりも、残念ながら、カートリッジの格負けといった印象が強い。
 しかしそうしてみると、この「リファレンス」は、EMTのオリジナルアーム+カートリッジの能力を、最大限、発揮させるターンテーブルシステム、ということになるのだろうか。どうもそうらしい、ともいえる。が、もう少し時間をかけて、アームを調整しこみ、または別のアームにも換えてみて、可能性の範囲を追求してみれば、また別の面も聴きとれそうな気もする。
 というのは、サスペンション・ハウジングに、本体を吊っている鋼線(ワイヤー)の張力(テンション)を調整するつまみがついている。最大から最少までの幅で、本体に対する共振点を、1Hzから5Hzのあいだで調整できると説明されている。私の試聴では、張力を最もゆるめた状態、つまり1Hzの状態が良いと思った。
 ところがこの状態では、たとえばロックからフュージョン系の新しいレコードを聴く編集部のM君など、低音がゆるんでいて、とても我慢できない、というのである。彼に言わせると、張力を最も強くしたときのほうが、低音が締まって、これなら自分のレパートリィにも使える、という。このことからわかるように、ワイヤーの張力の調整によって、音質を、全体にゆるめたり引締めたりできるわけで、本機のテストだけでほとんど6時間あまりを費やしてしまったが、それでも、この時間の枠内では、ワイヤーのテンションを変化させながら最適アームをとカートリッジを探す、といった追い込みをする余裕が作れなかった。もっとも、その時間の半分以上は、ただぽかんと聴き惚れていた、というのが、正直な話なのだが。
 この「リファレンス」の構造について最後にふれておこう。
 ターンテーブルは、直径305ミリ、比較的柔らかいフェルトのシートが張ってあり、スカートの部分にはプラスチックのストロボスコープがついていて、全体の厚みは約83ミリ。引上げると、内面には部厚いドーナッツ状の合板が打込まれ、おそらく共振を制動している。ターンテーブルのサイズや大まかな形状およびいかにも精密加工された永いシャフトをみると、どうやらこれは、EMT930stのターンテーブルと、基本は同じもののように思える。ただし軸受けのほうは、ランブルを最少に保つための新開発のものだと、書いてある。ターンテーブルの重量は、制動材を含めて6・6キログラムと発表されていて、これはむろん930stより重い。
 手前のパネルには、左から速度切換(78・45・0・33)、速度微調整(±6%)。2個のシーソースイッチを間に置いて右端は電源のON−OFFスイッチが配されている。
 シーソースイッチは、アームリフターのリモートコントロールで、3本のアームのうち、2本に限り、原則としてトーレンス社で取付・調整したエレクトロニック・コントロールのアームリフターがとりつけられる。アーム取付ベース内に組込まれ、そこから出てきたコード(DINプラグつき)を、シャーシ背面で接続すると、リモートコントロールが可能になる。
 本体は、土台となる頑丈なベーシック・シャーシと、ターンテーブルおよびアームをとりつけてあるフローティング・シャーシとに分割されて、ともにアルミニウム・ダイカスト製。ベース側に例の金メッキの四本柱がとりつけられて、その天部から鋼鉄のワイヤーと、重ねた板バネ(二軸貨車などに使われる担(にない)バネのようなリーフスプリング)とで、フローティング・シャーシを吊っている。ワイヤーの途中を、ちょうど弦楽器の弦を指でおさえてピッチを変える要領で、可動式のクランプがおさえて、さきほど述べたように共振点を変える。この懸架の方法は他に類のない独特の構造で、ゴム系の制動を一切加えていない。
 フローティング・シャーシは、ターンテーブルのシャフト軸受の周囲の空間にトーレンスではアイアン・グレインと称する鉄の粒の制動材がつめこまれ、ダイカストの補強リブのあいだに形成される空洞共振をおさえ、なおかつ軸受の周囲に、Qの低いマスをつけ加えていることが、この製品の音質を相当にコントロールしているように思われる。
 駆動モーターはかなり小さい。電子的に速度を変えて3スピードを出している。ベルトのかかる軸の直径は約50ミリと非常に大きく、低速モーターであることがわかる。説明書には、「ハイトルク・シンクロナス・モーター」とあるが、トルクはこんにちの製品群の中では、むしろ弱いほう。レコードをのせてクリーナーを押しあてると、回転が停まってしまう。もう少しトルクが欲しいように思う。
 アーム取付ベースは、アルミニウム・ダイカストの枠で、アーム取付面には木製の板を使う。孔を加工しやすいように、との配慮だろうが、このように、木材とアルミニウム、といった異種材料の組合せは、共振を防止するという点でも好ましい。そしてダイカスト枠の小さな空洞にも、前述のアイアン・グレインがつめ込まれ、共振の防止はほとんど完璧といえる。
 取付枠は、大・小二種類あるが、先述したアーム・リモートコントロールのメカニズムは、小型のほうには組込めないように思う。
 この枠は、2本のビスでフローティング・シャーシに締めつけて固定するが、かなり大幅に動かすことができて、オーバーハングの調整は容易だ。ただ、ロングアームは寸法的に取付け不可能だ。アーム引出コードは、ダイカスト枠のスカート部分の切込みから引出すだけで、この辺の処理は、仕方ないとはいえ、スマートとはいい難い。
 本体とは別に、下に敷く木製のベースと、4本のサスペンションを利用して上に乗せるアクリルの蓋が付属してくる。本体の重量は90kgと公表されているから、付属品を加えると100kgを越すこともありうるわけで、この重量は、こんにちのオーディオ機器の中でも最も重く、設置場所には十二分の配慮が必要だと思う。支持枠の上部の大きなつまみを廻転させて水平どの調整はできる(水準器を内蔵している)が、土台が十分に水平を保っていないと、本体が重いだけになかなか水平度を出しにくい。ただ、優秀な懸架機構のおかげで、ハウリングの心配は殆どない。
 なお、もしも好運にこのサンプルをテストする機会のある場合、あるいはもっと好運に、この高価かつ豪華なマシーンを購入された場合、組立ての後、運転前に必ずチェックすべきことが二つある。
 第一は、ターンテーブル軸受に付属のオイルを十分に注入すること。シャフトを完全に収めた際にこぼれない範囲で、シャフトをオイル浸けにするというのが、EMT/トーレンスの基本である。少なくとも、このサンプルの到着の時点では、オイルの分量について、正確な指示が何もついてこない。私たちは、軸受周辺にティッシュペーパーを多量に敷いてオイルを多目に入れて、こぼれた分をあとからよく拭きとる、という原始的方法をとった。
 第二に、そのあとで、駆動モーターシャフト、ベルトの内外周それにターンテーブル周囲を、無水アルコールでていねいに清掃して、付着している汚れ、ことに油分を完全に拭いとること。これを忘れると、ベルトの寿命も縮めるし、廻転も不安定になりやすい。
 以上は、テストの際にとくに気がついた点であった。
 なにしろ、たいへんな製品が出てきたものだ、というのが、試聴し終っての第一の感想だった。すごい可能性、すごい音質。そしてその偉容。
 であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、「リファレンス」、あるいはスレッショルドの「ステイシス1」あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。