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JBL 375, 537-500

菅野沖彦

音[オーディオ]の世紀(ステレオサウンド別冊・2000年秋発行)
「心に残るオーディオコンポーネント」より

 JBLの「375」ドライバーに「537−500」ホーンを組み合わせた中音域ユニットは、長い間僕のオーディオ生活の核となってきたものである。これを使い始めたのは1968年の春だから、もう32年以上も経ったことになるがいまなお、現在も僕のレコード演奏には欠かせないスピーカーユニットなのである。製品そのものについては、詳しい説明は避けるが、とにかく素晴らしいコンプレッションドライバーとホーンで、32年間使ったいまでもまったく不満はなく飽きることがない。それどころか、むしろ、まだ未知の可能性さえ感じさせるのだから、底知れない凄さを感じている。いっぽうで、32年も使っていると、僕の触角の一部のようにもなるもので、このユニットが再生する音は僕にとってのオーディオサウンドのリファレンスにもなっている。
 僕の現在のシステムは、この「375+537−500」以外のユニット構成はかなり変則的な5ウェイであって、アンプ構成は4チャンネル・マルチアンプシステムである。当初は、ウーファーが2205A、トゥイーターは075と、JBLユニットだけによる3ウェイ構成の3チャンネル・マルチアンプシステムであったが、この時代に僕の部屋を訪れたJBL社の面々(いまはJBLにいない人たちや、当時すでにJBLをやめていた設計者や首脳達などで、このユニットのことをよく知っている人たちばかりである)は、「JBLのユニットとは思えない音で鳴っている」と感想を漏らしたものである。つまり、このことは「優れたスピーカーが、その優れた性能にふさわしい音を再生するのも個性を発揮するのも当然であるがもっとも素晴らしいことは、使い手の嗜好や要求にも限りなく近づく可能性を持つものである」という僕の考えを実証してくれていると言えるもので、決して、世間一般で考えられているように、スピーカー固有の性格だけで鳴るものではないことを物語っていると言えるだろう。
 じつは、僕の部屋には、このJBLを中心としたシステムのほかに、マッキントッシュXRT20を中心としたもうひとつのシステムがある。興味深いことに、この2系統のシステムに、1台のCDプレーヤーの出力をパラレルで出して入力し、プリアンプ以降を切り替えて鳴らすと、ソースによっては音の区別が付かないという人が多いのである。両方ともに僕の好みで仕上げた音だからバランスは似ているとは言え(決して似せたのではなく、両者をもっともいいと感じるバランスに追い込んだもの)、常識的にはこんなことはあり得ないと思われるのではないか? ご存じのように、この二つのスピーカーはユニットもシステム構成も、基本的な設計思想から結果的な再生音のディスパージョンにいたるまで徹底的な相違があり、アンプ系もまったく違うわけだから、似ても似つかぬ音で鳴っても不思議はないはずである。素人が聴き比べても歴然とした違いがわかって当り前のはずである。それがオーディオファイルや専門家が聴いても、2系統のシステムはときとして区別が付かないほど似ていると言われるのである。つまり、機材の個性を超えて、使い手が音を支配するといえる理由が、ここに見出せるのではないだろうか? 私が「レコード演奏家論」という持論を自信を持って提唱させていただいた理由のひとつともなっている実体験なのである。そうは言っても、オーディオ機器の性能や個性が占める世界も決して少ないとは言えない。
 この375を使い始めて20年経ったころに、あるとき、この375を取り外し、「375」の改良モデル版といってもよい「2445J」に取り換えたことがある。新しいモデルである2445Jは、物理特性では明らかに改良が施されたニューモデルであるから、さぞかしいい音がでるだろう……と、興味を持って換えてみたくなったのだ。しかし、正直なところまったくその期待は裏切られたのである。約三ヵ月後には元の375に戻してしまったのだ。2445Jも実際に何年も鳴らし込んでみなければわからないのかもしれないが、とても、その努力をする気は起きなかったのである。つまり、このことは、いかに使い手次第でアルトは言っても、いっぽうで、たしかに機材の音の個性は無視できないものだということの実体験でもある。いまでは、その2445Jはスピーカーシステムの横の床の上に、何年も置かれたままである。
 たぶん、僕にとって、この「375+537−500」は一生の宝物であり続けるだろう。技術の進歩と音の向上の関係は、じつに複雑なものであるが、これは、そのほんの一例にすぎない事実なのである。

マッキントッシュ XRT20, JBL

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 正確には記憶していないが、多分、1967年ぐらいから、ぼくのメインシステムとしてJBLの375ドライバー十537−500(ホーン/レンズ)を中心としたスピーカーを使い始めた。当初から、3ウェイのマルチアンプシステムとして使い始めたもので、ぼくにとってこのスピーカーは、まさに妻のようなものであった。何故なら、ぼくがこれを使い始めた頃、ぼくの気持ちの中では、一生、このスピーカーとつきあおうと思っていたし、また、そうなりそうな予感もあったからである。トゥイーターは075、ウーファーは初めのうちはワーフェデールのW12RS・PST、そして後に目まぐるしく変り、結局、JBL2205に落着いて現在に至っている。もっとも、075は、その後、ぼく流に改造しているし、375ドライバーも2445Jに変ってはいるが、これは妻を変えたようなものではなく、女房教育をしたようなものである。つまり、通称〝蜂の巣ホーン〟を中心としたJBLのユニットによる3ウェイのマルチシステムという基本は、この17年間変ってないのである。もちろん、その間にも、いろいろなスピーカーに出会って、浮気心を起こしたこともあるし、そのうちの何人かは、本妻と一時的に同居させたこともあった。しかしいつも、せいぜい3〜6ヵ月で、妾のほうは追出されてしまうのが常だった。まさに浮気のようなもので、本妻と並べてみると、改めて、妻の美点がクローズアップされ、一時期血迷った自分を反省するのであった。時には妻にはない魅力を垣間見せる妾もいたが、総合的にはいつも妻のほうが上であった。それに気がついてしまうと、とても妻と妾を同居させている気がせず、妾のほうにはお引取り願うということになるのであった。
 そんなぼくとスピーカーとの関わり合いに、かつてない大事件が起きたのが、今から3年前、1982年の春である。
 その2年前、ぼくは録音の仕事でアメリカへ行き、ニューヨークで二週間ほど仕事をしたが、その間に、マッキントッシュのXRT20というシステムに出会ったのである。ぼくの浮気の虫は、にわかに鎌首を持上げ、この熟女の魅力の虜になってしまった。しかし、この時は、かろうじで理性が勝って旅先での出来事にとどめることが出来たのである。しかし日本に帰って、久しぶりにわが家で妻の歓迎を受けながらも、XRT20の妻にはない魅力が想起され、妻には悪いと思いながらも、妻との営みの最中にXRT20を空想したり、妻にXRT20の魅力を求め無理強いしたりという一年がつづいていた。しかし、再び、妻との生活に馴れ、いつしか、XRT20の記憶も薄れていったのだった。もとの落着いた心境で、夜な夜なベートーヴェンやハイドンを、バッハやモーツァルトを、そして、マーラーやブルックナーを招いて楽しい一時を過していたし、時にはソニー・ロリンズやアート・ペッパーを、また、大好きなメル・トーメやジョニー・ハートマンを招くこともあった。ジャズメンを招いた時の妻の喜々とした表情は、ことのほか魅力的で、とても15年連れそった古女房とは思えない若返りようであったものだ。
 が、忘れもしない1982年の春、日本でXRT20に再会してしまったのである
 XRT20が来日した! と聞いた時からぼくの胸は高鳴り、ニューヨークで味わった興奮が、まるで昨日のことのように甦ったのである。もう、居ても立ってもいられない。ぼくは後先顧みず、XRT20をわが家へ連れ込んでしまったのだった。彼女のために部屋を片づけ、レコード棚の一つは廊下へ出し、なんとかXRT20のために居心地のよいスペースを確保した。
 それからの数十日は、ぼくは平常心を失っていたように思う。朝な夕な、夜更けまで、ぼくはXRT20に狂っていた。柔らかく優美な肌、しなやかでいて強勒な、その肉体にのめり込んでいった。気性は妻よりややおとなしいように見えたが、どうしてどうして芯は強い。若いだけあって柔軟性に富んでいて、クラシック畑の人ともジャズ細の人とも、分け隔てなく馴染んでくれた。ぼく流の教育にも従順で、驚くほどの適応性を見せるのだった。
 この間、妻は無言であった。そしてある夜、ふと沈黙の妻の存在に気づき、久し振りにぼくは妻との語らいの一時をもった。そしてぼくはまたまた、妻の能力を再再発見したのである。妻はいった。
「私はXRT20とは違うのよ。でも、私は長年、あなたによって教育され、大人になったと思うの。それだけに新鮮味はないかもしれないけれど、XRT20とは違った心地よさをあなたに与えてあげられる自信があるの。この前、あなたの親しい瀬川冬樹さんが来られて、あなたとお話ししていらしゃっるのを聞いたわ。瀬川さんはさかんに私との離婚をあなたにすすめられていたわね。でも……私、嬉しかった。あなた絶対に首を縦に振らなかったもの。ありがとう。」
 ぼくはこの時から、長年の主義を破って妻を二人持つことに決めたのである。辛いオーディオ国の法律では重婚は禁じられていないようである。そして、新しいXRT20に、長年JBLに注ぎ込んだ情熱的教育に匹敵する努力を集中的に一年間傾注したのである。来ては去った多くの妾達とはXRT20は違っていた。他人からみるとXRT20がぼくの正妻のように見えるかもしれない。しかし、今や、堂々と、それでいて、ひかえ目に存在するJBLとは馴染んだ年輪が違う。どちらも、ぼくのとっておきの音である。
 この二人の妻と、いつまで続くかはぼくにもわからない……。

JBL Speaker Units

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 スピーカー・ユニットというものは原則としてキャビネットに収めるのだから、外形などどうでも良いという考え方があるが、JBLのユニットは、磁束を有効に利用するための理想的な磁気回路の形状の追求や、大きな音圧にも共振したりたわみを生じたりすることのないダイキャスト・フレームというような、性能のオーソドックスな追求から、自然に生まれた美しい形態で、ネットワークも含めてどの一つをとっても何とも見事な形だ。

JBL 375, 537-500

JBLのコンプレッションドライバー375、ホーン537-500の広告(輸入元:山水電気)
(ステレオ 1970年4月号掲載)

JBL

JBL 375, 537-500, 075

JBLのスピーカーユニット375、537-500、075の広告(輸入元:山水電気)
(ステレオ 1970年1月号掲載)

JBL