オルトフォン SPU

菅野沖彦

オーディオアクセサリー 27号(1982年11月発行)
「MCカートリッジの原点 オルトフォン・SPUストーリー」より

 オルトフォンからSPUカートリッジが誕生したのが1959年。ステレオレコードが売り出されたのが1957〜58年ころだから、ほんとうにステレオの初期に開発されたカートリッジである。しかも、誕生いらい20数年を経た現在、いまだに現役のカートリッジとして活躍しているということに驚く。
 しかも、たんなる骨董品としてではなく、いろいろなカートリッジを使っていながら、レコードを聴くという原点に立つとき、やはりSPUに返ってしまうというファンがたくさんいるという現実、これはまさにオーディオ界の神話といってよいだろう。
 とくに、私がSPUカートリッジに深い思い入れを感じるのは、たんにロングライフであるだけではなく、オルトフォンという会社が、SPUのみならず、音の歴史の中で非常に技術的に見て、先駆的な役割を果してきたということによる。
 もちろん、エジソンが録音再生の原理を実用化し、ベルリーナがそれをさらにリファインするというレコード音楽の歴史の中で燦然と輝く先駆者の名も出てくるわけだが、それらに優るとも劣らない数々の先駆的なテクノロジーを確立してきたのが、このオルトフォンという会社なのである。
 ここで簡単にオルトフォンの歴史を振り返ってみよう。オルトフォンはピーターセン、プールセンという2人のエンジニアによって、デンマークのコペンハーゲンで1918年に創立されている。
 そして、映画のトーキー撮影を成功させたのは他ならぬこのオルトフォンの創立者ピーターセンとプールセンなのである。
 したがって、大体第2次大戦までは、オルトフォンという会社はずうっとトーキー関係の機械をつくってきた会社であった。そして第2次大戦中に、この2人の優秀な技術者は、いろいろな開発を手がけ、まずレコードのカッターヘッドの開発を行った。ムービングコイル型のカッターヘッドの誕生である。
 ムービング型カッターヘッドをつくったら、やはりムービングコイル型のカートリッジをつくらなくてはということでもちろんモノラルではあるが、カートリッジをつくっている。
 こうしてオルトフォンは第2次大戟後は、レコード産業に非常に積極的に参入することになる。
 こうした先駆的テクノロジーをつぎつぎと生んだオルトフォン。そしてオルトフォンを生み、育んできたデンマーク。
 この、国としてのデンマークも私は好きだ。
 昔は海賊=バイキングの国だが、その民族性は非常に秀れている。総人口がわずか500万人。東京の人口の約半分である。そして国全体がフラットで、北欧ではあるが、メキシコ湾流という暖流のおかげで、気候は比較的温暖。牛や豚を飼い、チーズ、ミルク、バターの、世界でも有数の産出国でもある。そういった農業国でありながら、前述のように最新のエレクトロニクス・テクノロジーを持っている。そしてまた、超モダンなデザインの国でもある。インテリアデザインに関してはデンマークは世界をリードしているほどだ。
 こうした最新の美感覚と、そして最新のサイエンティフィックなテクノロジーとそして農業が、非常にバランスよく発達していることがデンマークという国がいかにすばらしい国であるかを物語っている。
 そして何よりも人間がすばらしい。優秀な頭脳を持ちながら、なおかつ朴訥さを失わない。温かい人柄の国民性を感じるのである。
 私はどういうわけかこの国といろいろな縁があって、ずいぶんたくさんの知り合いをもっている。そのひとつにデンマークが私の好きなパイプの生産国であるということがあり、パイプ作家の友人も数多い。
 SPUカートリッジがこれほど息長くオーディオファンの心を魅了しつづけてきた理由も、こうした豊かな風土、民族性に大きくかかわっていると私は思う。
 その後、オルトフォンにおけるレコード機器関係のビジネスは拡大し、メッキ槽やメッキシステムをほじめ、一貫生産のレコード製造システムを完成させている。こうしたレコード生産技術の高度に蓄積されたノウハウから、SPUカートリッジが生み出されてきた。だからSPUは、ステレオのほんの初期のカートリッジでありながら、いまだにムービングコイル型カートリッジのお手本とされるという先進性をもかねそなえているわけだ。実に多くのMC型カートリッジが、このオルトフォンSPUの原理構造を軸にして発展してきている。
 非常にシンプルで巧みな構造で、カンチレバーの支点から針先にかけて、平行にヨークを置き、そして、磁性材をワクに使った2組のコイルを最もカンチレバーの有効なポジションに置き、平行したNSの磁界の中をコイルを動かして、左右の出力を生むというこの基本構造ゆえに、その後、ほとんどのMC型カートリッジはそれをそのまま踏襲するか、あるいは、多少リファイン、ないしはそこからヒントを得た発想を展開してきている。
 まさにムービングコイル型カートリッジのルーツなのである。
 私が初めてこのカートリッジと出逢ったのは1962〜3年のことだと記憶している。
 59年に開発され、60年には日本に輸入され、好きな人たちの間でたいへん評判をとった。しかし、当時としても非常に高価なもので、われわれ若い人間にとってはそれを買うということは夢のまた夢。なにしろ、カートリッジだけではレコードを再生できないから、それ相当のトーンアームが必要だし、ターンテーブルも必要だということで、当時はオルトフォンのトーンアーム、さらには、SMEのトーンアームにオルトフォンのSPUを付けるというのが最高の組合せとして、マニア垂涎の的であった。
 ふっくらとした丸味を持った、重厚なSPUのスタイリングが、どれほどわれわれオーディオ好きな人間の心をとらえたかわからない。
 いま思い出しても、あの赤いレザー張りの木箱に納められた、真っ黒の立体的なSPUを見るときのゾクゾクした気持ちは一生忘れられない。見るからに、すばらしい音がしそうなカートリッジであった。ヤマハの銀座店などへ、SPUを見によく行ったものだ。
 当時のカートリッジというと、マイクログループのレコードができてきて、小型で繊細な感じのカートリッジがふえてゆくなかで、あのSPUのGシェルが、非常に堂々と大きく立体的にこんもりと盛り上がった何ともいえないものであった。とくにSPU−A、SPU−G、SPUーGTとさまざまのバリエーションがあるのも魅力である。
 Gシェルはこんもりと盛り上がった丸いシェル、Aシェルは角型の、しかしやはりRのついたふっくらとした角型のシェル、そして、Gシェルの中に昇圧トランスを内蔵したGT。大きく分ければこの3つのバリエーションがあり、それぞれ異った魅力を漂わせる。
 とくにトランスがあのGシェルの中に組み込まれたGTの緊密感、密度の高いフィーリングがなんともたまらない魅力だった。しかもオルトフォンのつくったトランスだから、最も相性がいいに違いないという信頼感もあり、私はオルトフォンのSPU−GTを買いたいと思いつづけて、何年かの時を無為にした。それだけに手にしたときの喜びの大きさはたとえようもないほどで、いまだに大切に持ちつづけているほどだ。
 買った当時は、レコードを聴いたらすぐはずして、またこの木箱の中へ納め、フタを閉めたかと思うとまた開けて聴く。そうこうするうちに、夜寝るときは枕元へ置いては眺めるというぐらい気に入って、とにかくためつすがめつといった状態であった。
 とにかく、そこまで入れ上げて、SPU−GTを使ったわけだが、出てくる音が、血のかよった何んとも暖く、逞しく、ふくよかで、ドッシリとした重量感に加え、艶と輝きに満ちた楽器か何かのような実在感に圧倒される思いであった。
 音楽がとにかく豊かに表現力をもってわれわれに迫ってくる。他のカートリッジを持ってしては、逆立ちしても、こういう音は聴き得なかった。もちろん、それまでにはいろいろな国産のカートリッジや、アメリカ製のカートリッジを使っていたが、このオルトフォンのSPU−GTで聴く音の充実感というもの、そして感激はいまだに忘れずに残っている。
 その感激は、自分の持っているレコードを全部もう1度聴き直してみたい衝動に駆りたて、実行させるほどだった。脂がのったといおうか、とにかくすばらしい音の世界をくりひろげる魔力を持ったカートリッジである。
 毎日がレコードとSPUカートリッジの日々。とにかく、SPUカートリッジを見る、触れるのが嬉しかった。
 それを黒々と照り映えるレコードの上にスーッと置いて、ボリュームをスーッと上げた時に出てくるドッシリとした響き、腰のすわった響きがなんとも形容しがたい魅力であった。
 だいたい私は、低音が充実して、地に足のついた、ドッシリとした構えの音に惹かれる。音とか、人間の感覚の実の根源はそこにこそあると思う。思想でも、精神でも、美意識でも、すべて大地というものが根源に成り立っていなければよしとはしない。
 そういう意味で私はドイツ音楽をとくに好む。ドイツ音楽の和声の特徴というのは、非常にドッシリとした低音の上にバランス良くピラミッド型に積み上げられている。ベートーヴェンのオーケストラのトゥッティなどを聴くと完全にそのとおりで、非常にガッチリとした建築物を思わせるような、安定した堂々とした和音が聴かれる。こういう特徴が、私はオルトフォンのSPUカートリッジにあるように思う。これはノイマンのマイクロホンや、カッティング・イクイップメントにも感じられる共通した特徴である。オルトフォンのカートリッジは長くずっとノイマンなどのプレイバックカートリッジのスタンダードとして使用されていることを見ても、こうした一貫性が見てとれよう。
 そのオルトフォンが一方では新しい現代カートリッジを生み出しており、常にカートリッジ界のテクノロジーをリードしている。MC10II、MC20II、MMC30などがそうだが、これはSPUシリーズの流れをくんだサラブレッドである。もちろん細部には多くの改良を施してはいるが、基本的な原理構造はSPUに準じている。いわゆる現代の物理特性にリファインしていっているわけである。
 脈々といまだにSPUの基本技術はこれら後継モデルたちに流れ続けているわけである。しかもそのSPUカートリッジがいまだに現役として生きているということは、孫や、ひ孫と一緒に、カクシャクとして活躍しつづける気骨ある祖父といった風情で、実にすばらしい光景といえよう。
 私はオルトフォンの技術者とも、様々なカートリッジ議論を重ねたが、その都度、教えられることがある。それは、彼等はただひたすら忠実なカートリッジをつくることに頑固であるということだ。いかに優れた特性のカートリッジをつくろうかということに全力を傾けている彼等の姿勢にいつも心うたれる。
 私は、オルトフォンのこうした基本に忠実な姿勢、進歩的であり、かつ保守的であるという、進歩と保守がつつましくバランスしているところに魅力を感じる。
 実に大人の魅力であり、老舗のもつシットリとにじみ出てくるような優しさが私は大好きだ。

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