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アルテック 403A

岩崎千明

ステレオサウンド 32号(1974年9月発行)
「AUDIO MY HANIECRAFT C・Wホーンシステムの制作と試聴記(下)」より

 アルテックの中でも特に手頃な価格のこのユニットは、ここに集められたユニットの中でも一番安い、ユニットの後にトランスをつけるための台座がついていることからも、本気になってハイファイを志向する人からは敬遠されがちなユニットで、多分、多用途に向けて作られたスピーカーということができる。
 アルテックの他のスピーカーにもいえる良さ、大きなメリットとは、やはりうまいバランスにある。このユニットでもそれは充分感じられるのだが、そのうまいバランスをバックロードホーンによってさらに拡大しようと期待すべきかどうか、それに先だって感じさせてしまう。
 ただ、ここでつかっているユニットは合計4本、ユニットだけで約二万円を費やしてしまうのだが、アルテックのブランドが持つ信頼感やあこがれう満たすことを考えると、この価格は驚異的に安いわけだ。その意味では、最初にエンクロージュアを作って、なにはともあれという折、手頃なユニットだといえよう。
 このユニットの外観と価格からは、そう多くのものを期待する人はおそらく少ないに違いない。ところが実際にエンクロージュアに取付けて聴くと、一瞬うなってしまう。やはりアルテックというのは、音楽を非常によく知り、しかも中音の量感が──量感という言葉からはどうしても低音のイメージを持ってしまうのだが、この場合には中音のそれが──よく出る。これはJBLの♯2110などと相通じる量感ともいえようか。ただ、力という点でアルテックの方に、もう少し力強さが欲しい。力強さとは、たとえば打楽器の立上り、各楽器の分離、コーラスの分離などについて、もう少し力があったらもっと分離が良くなったのではないか。あるいは、コーラスのハーモニーが良く出るが、そのコーラスの一人一人の唄を細かく聴こうとすると、それらがぼやかされる物足りなさを感じてしまう。つまり、音の力強さとは、全体の力を意味するのではなく、音のひとつひとつに対する立上りの良さで発揮される。そういった意味での力強さが欲しい。特に中音域に対して、高域は、このユニット自体が持つ好ましい、いわゆる〝ウェル・バランス〟が2個のユニットを使用したことにより、かなり弱められてしまったようだ。聴感上、8kHzから10kHzぐらいまでやや強めながらダラ下りになる周波数特性をもつこのユニットを2個使ったことで、音のバランスはさらに低い方に移ってしまって、高域が欠如してしまったといったほうがぴったりする。低域においては確実にエネルギーの増強が感じられる。これはユニットをマルチ化した場合での周波数特性、指向特性、出力エネルギー特性といったものが影響したのだろう。
 そういった意味から、やはりこのスピーカーはトゥイーターを追加することにより、全体のクォリティをかなり改善することが期待できる。
 ただ、アルテックにはパンケーキと呼ばれている20cmフルレンジユニット755Eがあることを思うと、音のクォリティ、周波数帯域のバランスなども、こちらの方がより良い結果が得られるに違いない。

コーラル BETA-8

岩崎千明

ステレオサウンド 32号(1974年9月発行)
「AUDIO MY HANIECRAFT C・Wホーンシステムの制作と試聴記(下)」より

 20cmフルレンジユニットとして、国内の中でもおそらく、一番高価な部類に入るであろうこのユニットは、非常に手の込んだコーン紙で、その品質管理などは大変なものだろう。このユニットは高音域において、このユニット自体の出し得る低音のマキシマムに充分マッチし得る高域を持つ。そのためにこのユニットは、普通の使い方では高音がかなり強調されている、と受けとめられており、BETA8の使い方の難しさ、ということばになって伝えられているといえよう。
 すでにこのユニットに関しては、メーカー自身の「BL20D」という製品がある。それは今回作った2個付バックロードに対して、に対して、ユニット1個使用という点での相違点はあるにせよ、構造はきわめて似ているので、このシステムでの場合にも当然良い結果が得られるだろうと予測される。
 今回の場合、2個のユニットを使用したことで高域のやかましさと一口に言われる音域上のバランスが抑えられたことは事実だ。より好ましい状態に鳴ってくれたといえよう。しかし、それでもなお、今日ここで聴いた中では6kHzから10kHzの高域において非常に鮮かさが目立つ。この鮮かさに対比される低域は、デュアル・バックロードホーンにより非常に豊かな力量感をもち、さらに質的にシャープさをも充分に加え、立上りの良い、切れ味の鋭い、しかも雄大なスケールを再現する低音といったところで、その点ベストだ。
 しかし、全体の音のバランスという点からいえばやや高い音の鋭さが気になる。それは「鮮かさ」という点ではプラスであるにしろ、鋭さという形で感じられてしまう。だからユニット前面にパンチングメタルとかフォームラバーの塊による、ディフューザーを付加し、高域のエネルギーを拡散させるのが有効だ。アンプのトーンコントロールを操作するよりも音響的に処理する方が優れたバランスを得られるのではなかろうか。高域の鮮鋭さに対して、中音域での豊かさがちょっと物足りなく感じられ、どうも低音の豊かな冴えた雄大な感じを生かしきれず、もどかしさを感じさせてしまう。いわゆるアンプの中域を上げると、このユニットの持つ中高域の鮮かさを助長させてしまうので、中域を上げるというよりも、中低域を上げるというほうが望ましい。さらに中低域でも低音に類する中低域ではなく、中音に近い中低域、周波数でいうとたとえば300Hzから600Hzまでのオクターブぐらいの音をうまく強められるとすれば、より高いクォリティを望めよう。低音の豊かさが印象的なだけによけいそれを感じさせる。
 これは前記のような使い方での改善が期待できるという結論するのが大変なだけに、充分に使いこみ馴らすことが大切であろう。
 音のひとつひとつの質的なものが非常に高く、国内のユニットの中では特にバックロードホーンに適しているだけに、バランス的なプラスα(アルファ)が欲しいと感じさせてしまう。それを完成させた結果においては、かのJBLの持っている良さを凌ぐかもしれない。またはエレクトロボイスSP8Bの持っている良さと共通している優秀性ともいえるだろうか。

JBL 2115

岩崎千明

ステレオサウンド 32号(1974年9月発行)
「AUDIO MY HANIECRAFT C・Wホーンシステムの制作と試聴記(下)」より

 JBLのLE8T相当プロフェッショナルユニット♯2115は、業務用8インチ・トランスデューサーとしてポータブルモニターなどに使われている広帯域シングルドライバーだ。
 音の傾向として、現代のハイファイスピーカーの志向する多くのものをもち、ここで試聴した六機種の中では、もっもとフラットレスポンスを感じさせるユニットだ。リニア・エフシェンシーとJBLでうたっている、音圧に対して非常に動作範囲が広く、さらにハイプレッシャーのユニットには違いないのだが、能率を多少犠牲にしてもリニアに動作する範囲が拡大されている。
 そういった意味からは、ホーン型エンクロージュアに必ずしも合っているわけではなく、つまり、他の方式、バスレフ型や密閉型のほうがかえってこのユニットを活かすはずであろうが、しかし、実際にここで使ってみるとバスレフ型や密閉型の大型フロアタイプにしたのとは違った力強さが特に低音の迫力に感じられる。その意味ではもっとも成功度の高かったユニットだ。
 ただ、ここで聴きいった他のユニットに較べ、能率がやや低めで、アンプの出力は必要とする。このユニットの特長は、フラットレスポンスなのだが、もうひとつJBLらしさは、やはり人間の声の音域での充実感であろう。この声の漁期に関して、周波数でいうと200Hzからおよそ1200Hzあたりまでの音域に関して、非常に豊かな感じをもっている。それが低音の力強さ、しかも質の良さに支えられ、豊かさを盛り上げている。
 このユニットは、フルレンジとして完成度が高いのが何よりも魅力で、あえて高域用ユニットを補うという必要はあまりなく、かえってこのままの状態の方が、このユニットの持ち味を出せる。LE8Tと較べた場合、ぐっと高い方までレンジがのび、エネルギーも強められているので、高域に物足りなさを感じる場合にはトーンコントロールの操作で十分であろう。
 ジャズなどを聴いてみると、かなりソロのエネルギーが大きく、ジャズのいわゆる醍醐味も十分。クラシックの弦楽器のファンダメンタルが、ちょうど声の漁期にあたり、実に豊かに出てくれる。いわゆる高い音の繊細な感じというのも充分に秘めながらも、しかも豊かな響きをもつ。
 ジャズにしても唄やソロが単に迫ってくるというよりも、むしろ節度を保って前に出てくる。つまり、品の良い音という点でJBLのユニットの中でもはっきりそれを感じられる。
 片チャンネルに2本のユニットを使ったことにより、あるいは高域のエネルギーが少々物足りないと感じる場合もあるかもしれないが、アンプのトーンコントロールによってやや高域を上げるだけで、自然なバランスを得られるのはユニットの質の良さによるものだ。ユニットを片側1本での場合はそのままのバランスで充分いける。
 この選ばれたいくつかのユニットの中で、周波数レンジの広さもさることながら、音自体のクォリティの高さが特に感じられ、広く誰にでも、どんな種類の音楽を聴く人にも、このユニットは奨められる。いわゆるユニバーサルな傾向をもつシステムとして完成度も高い。

JBL 2110

岩崎千明

ステレオサウンド 32号(1974年9月発行)
「AUDIO MY HANIECRAFT C・Wホーンシステムの制作と試聴記(下)」より

 このJBL♯2110に対しては、僕自身も期待の程度がもっともも高かったわけ。原型のオリジナルユニットD208のプロ用としても、また38cmのD130の直系の20cmユニットという点からも。
 JBLには、ここで作ったバックロードホーンとほぼ同じような構造をもつプロフェッショナルシステムとして、容積において約4倍近い♯4520というシステムがあり、それに38cmゆにっとをつけたじょうたいとあまりにも似ているので、このシステムには大きな期待をかけたわけだ。
 このユニットのもっている傾向というのは、200Hzを中心としてサウンドのバランスの上で明らかにレベルが高い点だ。この辺は、声のファンダメンタルにあたり、声とか楽器のファンダメンタルが非常にアピールされる結果を促し、それ以下の低域エネルギーで、ホーンが効いてくるのでホーンロードによる力強い低音をささえている。
 200Hzから800Hzぐらいまでの中低域から低域にかけての音は、いかなる音楽においても最も重要な帯域として、いわゆる豊かさの基となる。その充実感が非常によく出て、どんな曲を聴いても、いかにも音楽が鳴っているなという実感がある。ただ、このユニットは、原形の開発時期が非常に古く、オリジナルはJBLユニットの中でもD130と並ぶ歴史的なユニットだけに、高域に関しては必ずしもレンジが充分とはいえない。
 聴いてみると、高域はおそらく3kHzあたりから落ちているし7kHzまでやっと出てる程度で、それ以上はかなり急激に落ちているようだ。したがって現代の再生音楽の水準を満足させんがためには、どうしても高域用のユニットを追加せざるを得ないといってもよい。
 トゥイーターをどう選ぶべきかは、この場合幾通りもの考え方ができ、残された楽しみも豊富といえよう。このシステムのまでの完成度は、70点、あるいはそれ以下といいたいかも知れぬ。といっても、こうした音域バランスだけで判断するのは実に危険だ。このシステムの中低域の音の質の良さは、今回集まったユニットの中でも特に群を抜いている。だから70点というのは、そういった良さを無視した上での話であって、その中低域の良さを高く買えば満点にもなり得る魅力を持っている。しかし、2115に較べて誰にでも推めるというわけにはいくまい。楽器の音をなるべつ間近に再生したい方々の期待には充分満足させてくれるのは事実なのだが。
 トゥイーターを追加して中音域から高音を補う場合、そのトゥイーターにどういうものを選ぶか、そのクロスオーバーをどの辺にもたせるか、具体的にはいろいろな方法がある。しかし、それによって完成されたシステムは、市販のあらゆるシステムの中でもめったにあるまい。無論ブックシェルフタイプでは到底得られっこないだろう。
 今後へのグレードアップという余力を残して、さらに現在の段階においても充分な魅力を持っているという点で、非常にマニア向きな、自作をいとわずに自分の手でシステムを作ろうとする人にとっては大変興味深い上、後々までの楽しみも大きく秘めたるシステムといえる。今回集められたユニットの中で、一番ユニットの本領を発揮した。

リチャードアレン New Golden 8T

岩崎千明

ステレオサウンド 32号(1974年9月発行)
「AUDIO MY HANIECRAFT C・Wホーンシステムの制作と試聴記(下)」より

 20cmユニットにしては、アルテック403Aと並んで手頃な価格である。英国製ユニット特有の、高域での華やかさが特長といえ、その高域の華やかさは、本来は、バスレフ型と組み合わせて低域の豊かさを強めて、量感を充分
にしてバランスさせる使い方が好ましいわけだ。ユニット自体のもっている音は、エレクトロボイスSP8Bに似ているのだが、高域が、よりきらびやかに満ちてるのが特徴だ。中高域の華やかさに対し、低音は、重低域に偏っているという傾向がある。もう少し中低域にいたるまでの帯域に量感が欲しい。
 ここで鳴らしたバックロードホーンによって低音はかなり量感を増し、このユニットのおそらく出し得ることができる低音の良さを最大限に出しているだろう。しかし、もともとこのユニットにおいて欲しいはずの中音域以下での両ンかがさらに低い方に移ってしまって、それが、このユニットの組合せでのマイナス面として出てきてしまったと思われる。したがって中高域は確かに良く、華やかなのだが、少しうるさい感じになってしまう。低音の力強さに対して中高域の華やかさが浮上ったことで、うまくバランスしていないのだ。
 フワッとした低音ばかりでなく、量感があったほうがおそらくこのスピーカーの秘めている中域での良さとプラスできたのではないかと思う。その点で、アンプのラウドネスを入れた状態で、高域を少し絞って聴くというような、変則的な使い方のほうがリチャードアレンの特色を活かすバランスにもっていける。つまり400Hz以下200Hz位の低音を補うわけだ。このユニットの使い方のコツとしては、その高域の美しさ、見事な中高域をいかに活かすべきかが、大きな問題となる。
 このバックロードホーンに入れた場合には、たとえば、コントラバスの音が出ていながら、チェロの音がちょっとさびしいし、あるいは線が細い。あるいは女声ヴォーカルに関しては、よく聴こえるのだが、男声ヴォーカルがやせてしまうという傾向を持つわけ。ごく一般的な音楽ファンにとってはおそらく、このユニットの高い方がうるさいという感じを受けるのではないかと思う。
 ある意味では、中低域が抑えられて音が出しゃばることがなくて、かえって、いわゆるきれいという言葉で表現される中高域の美しさが感じられ、クラシックを専門に聴くのだったらこのスピーカーに対して満足できる方も少なくない。オーケストラの雰囲気、あるいは弦合奏の美しい響きなど美しく再現してくれる。しかし、いわゆるオーケストラの厚みとか、ジャズの熱の入ったソロ楽器の迫力などの再生は、中低域から中音域にかけての補整をしなければ望めそうにない。
 特に中低域の豊かさというものをあまり必要としない、強いていうならばバロックとか女声ヴォーカルなどには、見事でびっくりするようなきれいさが出てきてくれるともいい得るだろう。しかも低音の、非常に低い方のエネルギー感は充分なので低域のレンジの広さも感じられるし、品が良く、中高域の美しさも持っていて、よく英国風といわれるサウンドをそのままそなえているので聴くものによっては大変捨て難い魅力となるだろうことは想像できる。

デンオン DH-710S

岩崎千明

ジャズ 9月号(1974年8月発行)

 ステレオ・デッキの市販品を完成したのがDH710であり、メカとアンプをセパレートさせてレザーケースに入れ可搬型としたのがDH710Sである。ダイレクト・サーボドライブのキャプスタンモーターと、これにベルト結合されたサブ・キャプスタンとの2キャプスタン機構により立上りもすばらしく、ワウ・フラッタも0・03%と超高性能。
 大きな特長以外に随所に、走行系操作メカニズムヘッド、アンプあらゆる所にプロ用メーカーとしてのキャリアが生かされ、プロフェッショナルの信頼性と性能とか、すばらしいサウンドの上に成立している。
 プロ用のメカとして例えば、純エレクトロニクス方式のテンション・サーボをみてみよう。高級プロ用メカしか採用されることがなかったこのメカニスムにより、低速再生の演奏中も早送りし、巻戻しもすべての状態において、テープへ加わる張力は一定に保たれるので、丁度よい力でリールに巻きとられる。これにより低速再生時において供給側つまり未使用側の巷径の違いによるスピード変動がないし、ワウ・フラッターなどの理由による変調もない。これは十万円以上のデッキでも殆ど見舞われる大きなトラブルであるのは、高級デッキのユーザーなら知りつくしているに違いない。またテープ張力・テンションが一定なのでテープヘッドへの接触、テープの走行の安定性などあらゆる面でこの特点が生かされることになるし、電気的にはテープの四チャンネル各トラック間の位相歪も極端に少ない。むろんヘッドへのタッチが適当なのでヘッドの摩粍もまたテープ自体の傷みも少ないのはむろんだ。
 こんなぐあいにたったひとつの技術があらゆる点に画期的な効果を生み出してくる。
 もっともこのたったひとつを、今まではコストがかかりすぎるため、プロ用以外では採用しなかったわけで、デンオンのデッキの価値はこういう点にこそあるのだ。
 デッキで音質的に直接重要なのはヘッドだが基本的に音域を高域までのばすとヘッドの摩耗が早くなり、これは相反する条件だ。デンオンの場合、プロ用の一時(いっとき)、数十時間という苛酷な条件のもとに耐久力を培ってきたヘッドの技術がここにも生かされ放送用・高密度フェライト・ヘッドを採用している。特に再生ヘッドはテープの接触面付近を加工の手間に制限なしにという加工で特殊な面に仕上げることにより今までどうにもならなかった「形状効果による低域のあばれ」が生じないのは特筆できる大きな成果だ。
 デッキメカニズムの良否をみるにはテープが無理なく走行するかどうかをみればよいといれれるが、デンオン710Sにおいてこの点でももっとも優れてただただ見事という他ない、左石のテンション・アーム間のテープはほとんど直線に近く、テープの接触するのはヘッド以外にはローラーで行ない、さらに一方向エアダンパーをテンションアームにとり入れてスタート時の張力の過度に加わるのを防いでいるという至れり尽くせりのメカだ。
 むろんアンプもプロ用そのもので、PP回路を用いて録音の最高レベルは高級プロ用なみ規準レベルに対して3dB以上のゆとりを持つ。イコライザーも精密な調整が
できる連続可変型。マイク録音では驚くべき55dBのSNを得ているのである。

パイオニア SA-6300, TX-6300, CS-W5

岩崎千明

ジャズ 8月号(1974年7月発行)

 一般大衆向きの志向が強くて「確かに悪くはないし、誰にでも勧められ、誰にも否定されないけれど、しかし魅力がうすい」といういい方で判定されてしまったのがパイオニアの音響製品のすべてであった。
 パイオニアほどの巨大企業となれば、確かに商売の目標としては一般大衆を狙わざるを得ないし、そうなれば最大公約数的に「良い音」をきわめた製品こそがメーカーの考えるサウンド志向であろう。
 そうした姿勢が次第にポピュラー化したあまり、真の良さ、魅力ある製品からずれてきて、かけ離れた存在となるのは明らかであり、永い眼でみればメーカーの衰退にまでつながり得る。事実最近二年間のパイオニアの営業成績は以前にも増して爆発的なのに、その製品は、商品として成功していても本格的マニアの眼からは魅力は薄いといわざるを得ない。こうした危惧にメーカーは気付いていないわけではなかった。
 その回答がSA6300アンプであり、TX6300チューナーである。
 このやや小ぶりながら端正といいたいほどにシンプルなパネルのアンプは、メカニズムとしても、確かに今までのアクセサリー過剰な国産アンプの傾向を促進してきたパイオニアの、今までの姿勢をまったく捨て去ってしまったようだ。
 切換スイッチにしても数は少ないし、ここには入力切換のポジションが3つしかない。近頃常識化している2回路のフォノを捨て、ステレオ切換のモードスイッチもない。だが、そのシンプルきわまりないパネルに外形に似合わず大型のつまみを二個配したデザインは迫力を感じるほどに力強い。
 そうだ、この力強さは、そのまま、この小ぶりながら20/20ワットの大きいパワーに象徴される。力に満ちたサウンドは、立上りの良いクリアーな分解能力と、かえって妙に生生しい自然感のあるプレゼンスを感じさせる。
 20/20ワットの出力は、常識的にいって、五万円台のアンプのものだが、このパイオニア6300は、なんと三万円をほんの僅かだが切った価格だ。驚異といういい方で、すでにオーディオ誌に紹介されているのは、このパワーにおいてたが、実はパワーそのものではなくてサウンドのクオリティに対してなされるのがより適切であろう。
 だまって聴かされれば、このアンプの音は五万円台のそれに違いないのである。
 このアンプと組合せられるべきチューナーTX6300については、二万四千八百円という普及価格ながら今まで七万円クラスのチューナーにのみ採用されたパイオニアの誇るPLL回路が採り入れられて、ステレオ再生時において、ここに画期的なSNレベルが獲得されている。このひとつを注目して、他はいうまでもない。優れた特性を普及製品に盛り込んだパイオニアの、まさに脱皮したとしかいいようのない魅力溢れる製品なのである。
 そしてこのパイオニアの新しい姿勢を示す製品をもうひとつ加えよう、CS−W5だ。二つの20センチウーファーに一見コーン型だが新マイラーダイヤフラムを具えた高音用の2ウェイ3スピーカーシステム。この二万九千八百円のスピーカーは、価格的にこれと匹敵する海外製品とくらべても少しも遜色ないというよりもパイオニアの方こそが海外製品ではないかと思えるサウンドとプロポーションとを持ったヤング志向の製品だ。

JBL D130

岩崎千明

ジャズ 8月号(1974年7月発行)
「コルトレーン、すなわちジャズを感じるにはJBLの何がよいか」より

 日本列島のほぼ中央に位置し、典型的な地方都市である静岡市の夜は早い。冬の土曜日の夜をオレは、泊るべき宿にあぶれてまだ九時だというのに暗く人通りの少ない街をさまよった。結局は、いつものようにオールナイトの場末の映画館の席に仮眠の場を求めることになってしまったが、それはそれで結構居心地がいいものだ。健さんのドスの血吹雪も二度目はうつらうつらとしかつき合ってはいられない。間もなくだらしなく眠りこけてしまったが、健さんの背中のほり物が、どこでどう混乱したのか、コルトレーンの 「アイ・ウォント・トウ・トーク・アバウト・ユー」が例の「セルフレスネス」のB面1曲目のあの曲が、頭の中いっぱいに、決して耳からではなく、脳の方から耳へ伝達して、頭蓋骨の内部にとめどもなくいつまでもあふれ流れていた。
「六時で閉館ですよ」という掃除夫にゆり起こされて、立上ろうとしても足もとがふらついて、立てそうにないのにコルトレーンのテナーだけは朗々とまだ響いていた。今までジャズが夢の中で鳴り響いたことがないわけではなかったけれど、この時ほど、永く、強く、自分の内部に我を忘れて続いたことはなかった。フレーズのひとつひとつが、これほどまで確かな形で。
 多分、その期間、ジャズオーディオという自分の溜り場で、毎日、JBLによってコルトレーンに酔いしれていたことが、この夜の夢となって、自ら気付かなかった内側のコルトレーンを導き出したのだろう。
 コルトレーンの常に自らの中に深く探究して止まないサウンドは、だからジャズを知るものにとって、ひとつの最終目標となるのだろうが、オレにとっても、それは例外ではなく、コルトレーンはジャズ・サウンドの典型として乃至は象徴として、考えるべきだし、そうなれば、コルトレーンの再現を求むるとき、それをいかなる形で具現化すべきかは、ジャズ・ファンにとってもっとも大きな課題といってよかろう。
「ジャズ向き」ということばで、まったくいやになってしまうほどイージーな受け止め方でJBLのサウンド・リプロデューサー(音響再生機)は判断されてしまう。
「ジャズ向き」なんていう判定とか別け方が、あってたまるか。ジャズ・ミュージシャンの、つまりジャズの心を再現し得るシステムなら、それこそ古典楽曲だって古今の偉大なマエストロやコンポーザーだって、その内側を露出でき得よう。なにもジャズ・ミュージシャンには限るまい。
 だが今や、いかに安っぽくJBLのシステムが選択されてしまうことか。いわく、ランサー101は名器!? いわく、オリンパスは最高!? いわく、スタジオ・モニター4320こそ最終システム!?
 すべてジャズ・サウンド風の完全なアプローチには役不足なのだ。なぜか。それはすべて広帯域を優先したため、ベースレフレックス方式かパッシブラジェタ一により最低音域でのレンジは確かに延ばしているものの、パルシブなアタックに対しては甘い。
 コルトレーンにはやはりエルビンのどぎつく強烈なドラミングでなければならないし、マッコイのとぎすまされたタッチがからむのでなければテナーの朗々たる響が活きない。サンダースのずぶとく鮮かなタンギングが、ねぼけた姿となって寄り添ったのでは、あの熱っぽくくりひろげられるコルトレーンのサウンド・スペースはヴィヴイッドな生命力を失うのだ。
 だから、オレは、誰がなんといおうとも、誰に高音が粗いといわれようと、D130に固執するのだ。15インチのフルレンジD130のスケールの大きな、それでいて緻密な中声域は、他に同じサウンドを求めようとしてあり得ない。僅かにスケール感を除けば20センチのLE8Tがあるのみだ。
 しかし、それとてエルビンの鮮烈で複雑きわまるシンバルワークは歯が立つまい。D130の唯一の弱点(ウィークポイント)は確かに音量感と力の激減するその高域にある。
 それだからといって、なにもあわてて、高音用を追加しなくてはとあせることはない。D130さえ手元におけば、その秘めたるパワーをまずフルに活かすことだ。
 高能率だからD130は確かに、ハイパワーアンプでなくたって十分に迫力をみせる。今日の平均的なブックシェルフでは到達せられっこない激しい中に強大なエネルギーを秘めて爆発寸前にまでふくれ上るジャズ・サウンドをストレートに感じさせてくれる。だからといってハイパワーアンプがいらないのではない、D130ただ一本を活かすのはやはり絶対的なハイパワーなのだ。今や50ワット/50ワットの出力は国産アンプの高級品の平均といってもよかろう。しかし、できればもっと欲しい。このところ、各社で力を入れる片側100ワット・クラスの強力なジャンボ・アンプの数々こそ、D130の偉力を、理想の形で発揮させられよう。なにも、決して大きい音量を出そうというのでなくとも、ジャズにおいて絶対的な条件といえる「眼前に間近かに位置するミュージシャンのソロのサウンド」は、録音の際に幸いなことに、今日のオンマイク録音によってレコードの音溝には間違いなく刻みこまれているのだから、それを再現する側の努力だけで、それがフルに活かされ得る。それはハイパワーアンプのもつパワーのゆとり以外にあり得ない。
 D130の良さについて、意外に気付かれていないのは最大音量の絶対的大きさ、つまり音量エネルギーの絶大なる大きさだが、それを一層、力強い形で発揮させるのが、ピークに対する比類ない応答ぶりだ。過大ドライブ入力つまり許容範囲を越える動作において、当然発生するべき歪は、それが聴き手の側でははっきりした形で意識されないのだ。マグネットの絶大な大きさによって生きるボイスコイルの大入力振幅時に対する強さがその根底にある。これと同じ条件を具えたスピーカーはD130系の、ウーファー130Aと、そのプロ級ユニットを除いては、日本の三菱の誇る放送局仕様のウーファーだけだがそのウーファーは価格的にもJBLのD130をはるかに上廻るはずだ。
 高能率という根本条件を失うことなくこうしたピーク入力に対する歪発生が極めて少ない特性は、それを得るために、絶対的巨大なマグネットを要求するから、価格的にも想像を越えたものとなってしまうわけなのだが、それはそのままもうひとつの大きな特長をもたらす。それが、過度特性つまり音の立上りの良さなのだ。よく立上りよい音と簡単にいうが、本当にそれをサウンドの上で、はっきりした形で意識でき得るのはジャズ・サウンドを理解するハードなジャズファンのみである。
 例えばマイルスのミュート・トランペットにおける強い音圧、コルトレーンの激しく断続するテナーのリードの振動。マッコイの一音一音区切られながら叩きつけるタッチ、こうしたファクターがすべて立上りの優れたスピーカーの再生を要求して止まない。それをはっきりとした形でこなし得るのがハイエネルギーのD130系のユニットであり、それを受け止め得るのはジャズ・リスナーだ。
 ジャズの持つ中域から高域の鮮かさを強めんと旧くはアンプの高音を強め、あるいは、相対的に同じ効果を得ようと、低音を減衰させることがよく行われたが、それはそのまま、高域上昇によるみかけの立上りの良さを追究したといってもよい。こうした立上りの良さを、アンプに求めるなら、それはハイパワー・アンプ以外にはあり得ないのだ。
 山水のAU9500がジャズにおいて強力ぶりをみせるのも、デンオンPMA700がジャズ・サウンドをみずみずしく生き返らせるのもすべて、ハイパワーなればこそであるし、オレがケンソニックのハイパワーアンプを常用するのも、テクニクスのSE9600にジャズを再発見したのも、それらがむろん超広帯域特性に加えて50〜150ワットと強力なためだ。
 同一時間内に、といってもそれは1/50秒とか1/100秒という瞬間的な時間経過だが、そうした瞬間にハイパワーアンプはそのパワーの許容し得る範囲までの最大値に達することが可能だ。同じ条件で、半分の出力しかないアンプでは立上りは半分の大きさでしかあり得ないし、その事実が実はそのまま立上り特性を示すわけだ。だからハイパワーアンプほど、さらにこれを音響出力として考えれば、最大エネルギーの大きいスピーカーほど立上りは良いといえるのである。
 さて、こうした事実を追究すればD130をハイパワーアンプでドライブすることこそ、立上りの良さを実現できるといい切ってよい。さらにいま一歩深くつっこんで考えれば立上りの良さをより向上するために、さらに音響出力の大きい高音用ユニットを加えることが、ジャズ・サウンドへのより情熱的なアプローチといえよう。
 LE85が、かくて浮上してくる。ここでは一般的な175DLHでなくて同一構造ながらマグネットのはるかに強力なるLE85ユニットでなければならない。そして、そのホーンも175DLHのように音響レンズでの減衰の大きなホーンではなく、エネルギーのストレートに得られるスラントプレート型の拡散器(デュフェーサー)のHL91でなければならない。
 375はここでは不要というよりも好ましくはない。なぜなら高域のなだらかな減衰は歴然で、そうなればさらに超高域ユニット075が必要となり、振動板が「低音」「中音」「高音」と分離しなければならないことによって、単一楽器のサウンドが聴き手において三つからバラバラにおそってくるというめんどうきわまりないことになってしまう。ドラマーのベースドラムと、スネアーと、タムタムと、シンバルとそれぞれが3つのユニットから出てくることによるドラマーの位置のボケルというマイナス以上に、テナーのような広音域楽器の音像のボヤける方が恐いと考えるのはジャズ・ファンとしては当然であろう。
 かくて、D130にLE85プラスHL91のこうしたシステムがハードなジャズ・ファンの考える最終日標となってくるのだ。
 国産スピーカーの中にD130系の以上のような特長を求めるならば、それはきわめてシビアな選別とならざるを得まい。
 しかし、その最右翼がコーラルBL20Dであるのは、それが最大エネルギーの点でJBL製品に匹敵するからに他ならない。
 三菱の新システムDS36BRもサウンドの特長とバランスがJBL的な点を買おう。
 国産システムでも特異な存在・日立HS1500はサウンドへのアプローチがJBL志向である点を注目しよう。
 使用プレーヤーはマイクロのSOLID5、DCサーボなのだが性能の上ではDD並で、アームの良さも国産製品はおろか海外製品にも匹敵する。
 カートリッジLM20は、外観上の薄さが非常に現代的デザインで内容においても現在トップクラスのものだ。

アドヴェント Smaller ADVENT

岩崎千明

スイングジャーナル 8月号(1974年7月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 ブックシェルフ型という形式のスピーカー・システムが登場したのは、AR1のデビューした57年以来、18年になるが、今ではスピーカー・システムといえはそれはブックシェルフ型を意味するようにまでなってしまった。つまりひとつの歴史がARによって始まったと言ってもよかろう。57年に特許を獲得したエドガー・ビルチャーのこのアコースティック・サスペンジョン方式は、しかし、商品として完成されたのはこの30センチと20センチの2ウェイというAR1によってではなく、25センチと2コの10センチの2ウェイのAR2によってなのだった。AR1の12”ウーファーを独立させて、当時評判の高かったジェンセンの中高音用コンデンサー・スピーカーと組合せるべく作ったAR1Wのみが、ARの初期の商売上の成功のすべてであった。
 その時期におけるアコースティック・サスペンジョン方式のスピーカー・システムとして実質的に市場において成功していたのはARではなくて、その特許を買ってシステムを作り出したKLH社のモデル4だったという事実は注目に価する。しかもこのモデル4以後6、7と、長い期間ARと互角に製品を送り出し、今日の総合メーカーに拡大したKLH社の基礎を固めることになったのがKLHのスピーカー・システムであり、その優れた評価なのである。そのスピーカーを創りあげるのに大きな役割を果たしてきた技術者は、AR社社長ビルチャーのもとに片腕としてスピーカー作りに重責を握っていたヘンリー・E・クロス氏だった。その彼がKLHを飛び出して、今度は自分自身で会社を興し、ブックシェルフ型スピーカー・システムを作り始めたときけば、これはもう品物が出来上る前に高い評価を得るだろうことに疑問を持つ者はいまい。その通り、アドヴェントのスピーカーは市場に送り出されるや早々に米誌コンシュマー・レポートにおいて並びいる無数の他のブックシェルフ型を押えて「A Best Buy」に選ばれてそのデビューを飾り、一躍市場のベスト・セラーに踊り出たのが4年前。以来アドヴェントはスピーカー・システムとしては、ただこの1種のみを作り続けてきた。なお、申し添えると、このアドヴェントのもう一つの有名製品はドルビー付きの「高級カセット」があり、昨年やっと一回り小型のスピーカー・システム、スモーラー・アドヴェントを送り出したのだ。日本市場でも海外製品が最近は珍らしくなくなった。特にスピーカーに関しては、人気商品の半分が海外スピーカー・システムで占められるこの頃だ。
 米国の製品は、その中でもっとも数が多くあらゆる価格レベルにおいて充実している。だから、その中にあって、たった2種しか出していない新参アドヴェント、目立つわけがない。形もオーソドックスで、何の変哲もなく、目を惹くいかなるものもないのだから、当然なのだ。米国におけるアドヴェントのようにすでに高い価値をコンシューマー・レポート誌によって認められたという無形の、しかし確かなる背景も、日本ではほとんど通用しない。
 だが、ひとたびその真骨頂であるサウンドに接すれば、たとえきわめて高いレベルのオーデオ・ファンでも、ジャズ・ファンでも、納得させられるに違いない。いや、ハイレベルのファンほど、サウンドの確かさを知らされるだろう。それは米国切っての強固なる支持を持つコンシューマー・レポートによって代表される米国のユーザーの良識によって認められたベスト・システムとしての真価なのだ。
『すべての音楽ファン、オーディオ・ファイル(マニア)の期待に応え、しかも可能な限り価格をおさえる』というこの点にアドヴェントの製品の他にみない特長がある。これは2ウェイによって最高級システムが作り得るという確信が開発・製作者にあったからこそ成し得たのだが、その自信は、すでにAR2により、またKLH4、KLH6というかつての空前のロングセラー、ベストセラーから生じた自信以外のなにものでもなかろう。
 その自信を裏づけするようにこの小型のシステム、スモーラー・アドヴェントは実にふかぶかとした、ゆとりある低域と歪感の極度に少ない中低域から中高域、ハイエンドをややおさえて得た刺激が少なく、しかも立上りよさに新鮮なサウンドを感じさせる。あらゆる虚飾を配した、ということばはまるでこのアドヴェントのスピーカーにとっておいたようなことばだが、そっけないそのスタイルには、実はもっともハイ・クォリティーのサウンドが求められているのだ。それは「羊の皮を着た狼」のスピーカー版とでもいったらわかっていただけようか。
 ジャズを聴いても、バロックにも、はたまたロックによし、ポピュラーも抜群、つまり当るに敵なしとはこのアドヴェントのシステムのことだろう。
 本来、イースト直系のシステムとしての筋金が、このアドヴェントの音作りの基盤となっているのだからバロックやオーケストラが一番得意なはずであるのだが、イイモノハイイという言葉通り、ジャズでも生々しい楽器のサウンドをいかんなく発揮してくれるし、ヴォーカルの自然なプレゼンスも見事だ。普通聴きこんでくるに従っていろいろと物足りなく思えてくるのが安物の安物たるウィークポイントなのだがアドヴェントにはそうした安物らしさがいくら聴いても出てはこない。価格の3万何千円は何びとたりとも音を聴いてる限り決して意識されることがない。
 だから、平均的リスナ一に対してアドヴェントを推める理由の最大なものは、そのリスナーの向上によってスピーカーをよりハイレベルのものに移向することを望めない場合に、もっとも発揮されることになる。
 逆にいえば聴き手がどんなに向上してもアドヴェントひとつで間に合うのである。そうなれば、もっとも平均的なジャズ・リスナーの選ぶにふさわしいコンポの一翼を担って登場させるべきであろう。だからといってそれは決して平均的という言葉から想像されるような甘いものでは決してない。もっとも現代的なハイ・クォリティー・レシーバーの代表としてサンスイ771をここに選んだが、それはトリオのKR7400であってもいいし、パイオニアのSX737であってもいい。ただひとつパワーの大きいことがアドヴェントをよく鳴らすコツであることを知っておこう。
 プレイヤーは使いやすさという点でレシーバーと共通的な気易さで接しられるオートチンジャーの高級品を選んだ。その代表的ブランド、英国の伝統に生きるBSRの高級機種はマニュアル操作でも第一級のプレイヤーで使いやすい。
 このBSRのもうひとつの大きな魅力は日本市場における特典でもあるがシュアのカートリッジが着装されている点だ。シュアもアドヴェントと同じようにジャズ、オーケストラ、歌と何でもこなすという点が高く買われているわけでその点アドヴェントとの組合せは普遍性を高めている組合せとなるわけだ。
 もし、キミがすでに大がかりなコンポーネント・システムを持っていたとしても、リスニングルーム以外でのジャズの場を持とうとするときに、あるいは持ちたいと思うときに、このスモーラー・アドヴェントを基としたシステムはハイ・クォリティー、ローコストの上、万全の信頼をもって支えてくれるに違いない。

アキュフェーズ E-202

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1974年6月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 商品として完成されたE202をSJ試聴室の机の上に置いて秘かに舌を巻いた。
 E202との初顔合せはすでに数10ヶ月前のプロト・タイプであった。すでに、その時見せつけられた高性能振りと、力に溢れるサウンドにおいて、言うべき言葉も無かった程に感服してしまったのだが、その外面的デザイン、特に仕上げの話に集中した。
「このアンプが20万前後だとすれば、20万円という少なからざる投資をする側の期待は、おそらく絶大なものであろうし、この外観上、パネル・デザインではなく表面の仕上げの不完全さからだけで幾分不満を抱いてしまうのではなかろうか。しかも購買者との最初の出合いはおそらく外観のみで、多くの面がユーザーの内側に入りこむことなく、決断を迫られるに違いない」
 ところでこの言葉は実は数ヶ月前に某社の高額アンプを示された時にもやはりメーカーの担当者に語ったと記憶する。日本のオーディオ・メーカーは、今までコスト・パフォーマンスという面を中心的に、あらゆる面を推進してきたため、高額コンポーネントで完備していなければならないはずの真の「高級感」、「豪華なフィーリング」高級投資者に向けるべき感覚やその満足感をよく知らないのではなかろうか。
 それというのも今や世界を席巻しつつある日本のアンプ、といえどもその国の最高級製品、例えばマッキントッシュ、マランツをはじめ米国における新らしいメーカーの諸高級商品の持っている、高級品のみの具える「フィーリング」を体得せんと意図した事が今までに無かったためか。
 ところが、である。今日、こうして目の前にある商品となったE202は、パネル・デザイン、外観と、何ら変わるところが無いにもかかわらず、まったくパーフェクトに完成されていたのだ。例えば、プロト・タイプでは安っぽさの残っていたメーターとそのグリルの成型について言えば、商品ではいかにも高級VU計のフィーリングそのもので、やや小型とはいえ、プロフェッショナル用のイメージをはっきりと感じさせる。ツマミひとつにしても、一見さりげないのに、指で触れてその感触の良さ、動きのスムーズさに底知れぬ信頼感さえ指先から感じ取れるのだ。つまりすべての面で高級商品のみの持っている豪華なフィーリングが満ちみちて、それが外観の上にもにじみ溢れているのである。
 国内メーカー製品も、ついに海外高級アンプにも負けないだけの豪華なセンスを秘めるに至ったかと、じっくりと見入ってしまったのだ。
 たまたま手元に量産第1号と称する大手ステレオ専門メーカーの20万近いといわれるプリ・メインアンプの新製品が参上した。このメーカーの商品企画の腕は抜群と定評あるのだから当然だが、このP社製にもE202に較べ得るだけの豪華で重厚な高額商品でなければ出てこないたたずまいを感じさせて、いよいよ日本製アンプが、量だけでなく質においても名実共に世界一になる日も遠くないのを感じさせたのは感激的ですらあった。
 その感激の真只中でのE202のSJ社の試聴が僅かなりともマイナスとされるような点がある訳がない。新着の「ザ・クルセイダース」のライブの力に満ちた明快なサウンドは試聴室に爆発し、分厚いコンクリート壁を隔てた編集諸氏の面々から「もう少し音を絞ってくれまいか」と陳情されたほどであった。
 そのサウンドに関してとやかくは言うまい。ただ伝えておかねばならないのは、すでにケンソニックの最高製品として発表されているC200、P300との組合せと切換えてもその迫力一杯のジャズ・サウンドは、信じ難いことにはE202においても殆んど変らない、という事実だ。ごくごく低レベルの歌において、E202に明快さが加わるという以外には。
 市販高級アンプの続出する此頃だが、今までの製品とはっきり次元を異にする、世界を目ざした超豪華アンプということになると、残念ながらこれだというものは滅多にない。しかし、ケンソニックE202こそは、そういう意味で、世界に誇り得る、海外においてもその良さをはっきりと認め得るプリ・メイン型アンプのベストと言っても良い。

アルテック Crescendo (605B)

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1974年6月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 大口径スピーカーのみの持てる、ハイ・プレッシャー・エナジーの伝統的な迫力の洗礼を受けたのは、アルテックの15インチによってであった。38センチという言い表わし方ではその迫力の象徴を表現するには絶対的に不足で、オレにはどうしても15インチ以外はピンとこない。
 それは昭和26年頃の、まだ戦後の焼跡の生々しい銀座の松坂屋裏のちっぽけな喫茶店であったっけ。重いドアを押して中に一歩踏み入れた途端、奥まで紫煙が立ちこめ、そこに群がる黒人兵達の嬌声やらどなり声を圧するが如く、ニューオリンズ・ジャズのホーンの音のすさまじさ。動くこともできず思わずその場にたたずんではしばし、呆然としていた。
 初めは本物のバンドが紫煙の奥に在るのかと、いぶかしくなるほどにそのサウンドは生々しくリアルで力に満ちていた。奥に入っていって、そのジャズ・エネルギーがなんとスピーカーであることを知らされた。その名、アルテックの603Bは、死ぬまで忘れられない名としてオレの脳裏に刻み込まれたのだった。この邂逅はその後のオレのオーディオ・ライフへの道を決めてしまった劇的なものであった。
 この戦後の東京では最も古いに違いない喫茶店「スイング」は今も渋谷は道玄坂の一角で、その時のあの15インチ〝603B〟が、今もなお健在で集まってくる若人に20年前と同じ圧倒的な迫力をもって応じている筈である。
 この603Bが、今日の新たなる技術をもってリファインされたのが「クレッセンド」のユニットの605Bに他ならない。
 さて、15インチ2ウェイ・コアキシャル型の605Bは、その名から推測されるようにプロフェッショナル・モニター用として名の轟く604Eを基準とした製品だ。ユニット自体は604Eの11万強に対して約9万と安い。だから、しばしば604Eの普及型というとらえ方をされる。事実外観上の差はほとんどなく、マグネット・カバー上の型番を見るまでは見分けることすら難しい。
 だが、604Eが音質チェックを目的としたモニター(監視用)であるのに対して605Bはあくまで音楽再生を目的とした、アルテックきっての高級スピーカーなのである。つまり、音楽をサウンドとしてではなく、音楽とのかかわりを深く求めんとして再生する限り、この605Bの方がより好ましいのである。それは音色の上にもはっきりと現れて604Eがしばしばクリアーであるが、堅い音として評されるのに対して、605Bのそれは何にも増して「音楽的な響きをたたえた暖か味」を感じさせる。604Eの力強いがなにかふてぶてしく、鮮烈であるが華麗ではないサウンドに対して、605Bはこのうえなくバランス良く豊麗ですらある。
 つまりいかなるレベルの音楽愛好者といえどもこの605Bの魅力の前にはただただ敬服し、感じ入ってしまう品の良いサウンドであることを知らされるに違いない。しかもこのサウンドは、単に音が良いというだけでなくしばしば言われる〝シアター・サウンド〟を代表するアルテックという、世界で最もキャリアのある音楽技術に裏付けられた物理特性あっての成果なのだ。電気音響界きっての誇りと伝統と更に現代技術の粋とを兼ね備えた音楽再生用スピーカーとしての605Bの優秀さは、もっと早くから日本市場にも紹介されるべきであったのだ。
 これがかくも遅れたのは、このスピーカーが抜群の高音響出力を持つためだ。高いエネルギーを可能とすることには付随的なプラスαとして無類の高能率があるのだ。そうした場合、スピーカー・ユニットを組込むべき箱は実に難しく、多くの点を規制され充分な考慮をせずには成功しない。箱の寸法とか補強措置や板厚のみならず、その材料にまで充分に注意を払わねばならない。つまり箱に優れたものをなくしては優れた本来の性能を出せなくなってしまうのだ。
 幸いなるかな日本市場では605Bは「クレッセンド」と呼ぶシステムとして優れたエンクロジュアに組込まれた形でユーザーの手に渡ることになっている。つまり605Bの良さは損なわれることなく万人に知られ得るに違いないし、それはしばしば誤られるごとく「ウエスト・コースト・サウンド」といわれるものではなく、この30年間常に、いや創始以来ずっとハイファイをリードし続けた、アメリカのオーディオ界の良識たるアルテック・サウンドの真髄を発揮した「サウンド」なのである。
 まずクレッセンドが比類なく高能率、高音響出力という前提では、アンプにはさして大出力は不要ということになる。その結論はひとつの正しい判断として間違いないし、そうした決定から国産の平均的アンプ、40/40W程度のものを対象としても、アルテック・クレッセンドはその実力を充分に発揮してくれ、そのサウンドは、間違いなくそこに選ばれたアンプが「かくも優れたものであったか」ということを使用者におそらく歴然とした形で教えるに相異あるまい。
 だからといって、このひとつの結論としてのそのサウンドがアルテック・クレッセンドの良さをフルに引き出したのかというと、残念ながら決してそうではないのである。国産の40/40Wのアンプは矢張りその価格に見合った性能しか秘めていない。倍にも近い価格の、だから多分高出力になっているに違いないより高級なアンプの持っている諸特性を考えれば40/40Wの手頃な価格のアンプはやはりそれなりの特性でしかないのだ。
 つまりクレッセンドの内蔵する
アルテックの605B、その輝やかしい歴史と伝統に支えられた15インチ・コアキシャルは、もっとずっと、否、最高級のアンプで鳴らした時にこそ、最高の性能を発拝してくれるのである。
 それはイコライザー回路から、トーン・コントロールから、およそ回路の隅々にまで至るすべての点に最高を盛り込んだアンプのみがアルテックの傑作中の傑作を最も本格的に鳴らしてくれるのである。
 そしてそういう結論を大前提とし、なおかつ、大出力は必要条件ではないとしてもすべてを満たし得るアンプ、その少なくない国産品から選べば、次の3機種こそアピールされてよかろう。①ソニー:TA−8650②オンキョー:Integra711③ヤマハ:CA1000 以上のアンプは最大出力は100/100Wを下回るものの価格的にはヤマハを除いては割安とは言い得ない。つまり、メーカーとしてはどれもがそのメーカーの最高機種としての誇りと技術を託した高級アンプなのであり、そうしたベストを狙ったもののみがクレッセンドの良さを最も大きく引き出せよう。特にヤマハのアンプは品の良さと無類の繊細感で.この中では最高のお買物として若い人にはアピールされよう。ソニーの場合新開発FETアンプの持つ真空管的サウンドを買ったのだ。オンキョー711については、使うに従ってその良さが底知れぬ感じで期待でき、是非これに605Bを接いでみたい誘惑にかられているのだ。プレイヤーはプロ志向の強いトーレンスTD125MKII。カートリッジとしては、使い易さと音の安定性からズパリ、スタントン600EEを推そう。

ラジカルな志向がオーディオ機器の魅力の真髄となる

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 オーディオ機器の魅力とはいっても、その「魅力」という言葉自体がはっきりとは説明でき難い特質を持っているということが、まず第一の問題だ。魅力の「魅」は俗世界の人間とは違った存在であって、これは人間の知性や理性ではどうしようもない超能力の怪物みたいなものだ。辞書を引いてみると
 魅=①ばけもの。妖怪。②人をばかす。
   ③みいる。心をひきつけて、迷わす。
 魅力を感じるというその「魅力」は、だから説明がつけられないし、無理矢理説明すればそれはこじつけになってしまう。理由がはっきりとつかないで、それに参ってしまうから魅力なのであり、あれこれと判断して良いと心得るというのでは「魅力」そのものではないといえよう。
 そうした魅力と感じるかどうかは、そのきっかけは対象の方にあるのには違いないが、それを魅力と感じるかどうかは、それを受けとる人によって異なる。
 魅力だと感じとったことは、その当事者にとっては魅力であっても、果してそれ以外の者にとって必ずしも「魅力」とは限らないのではないか。例えば単純なことだが、「安い」という魅力はその内容に比してのことだろうが、その内容の価値を認め得ない者にとっては決して「安い」とは限らないし、そうすれば「安い」という魅力は誰でも同じに感じるというわけではなくなる。まして絶対的価値の高低を全然気にしない者には、「安い」なんていうことはまったく魅力とは成り得ない。
「豪華」なデザインだからといって良いと感じとる者もいれば、それだからいやだという者もいる。音が繊細だからいいという者も、頼りなくていやだと受けとる者もいよう。
 こう書いていけばもう判るだろうが、魅力というのは対象物の方にあるのではなくて、魅力と感じ受けとる当事者の方に魅力の源があるのだ。
 さらに突っ込んで考えれば、だから魅力を感じる当事者の内側が広く深いならば、魅力はあらゆる方向に見いだせるに違いないし、またその深さも当事者の堀り下げる尺度のとり方が深いならばどこまでも深くなろうし、そうでないならば表面的なものとか浅い見方しかできないということになろう。技術的によく精通していれば技術に対し深い見方をできるに違いないし、そうすればアンプにおける回路の違いどころではなく、抵抗一本の使い方にも、また数値の選び方にさえも新たな魅力を発見できよう。単に再生機器の音の良否をうんぬんするだけでなく、そのメーカーの本質や創始者の考え方や音楽的センスを知れば、メーカーの歴史や志向をたどれば「音」ひとつの判断にしたって変ってくるし、同じ音(サウンド)の中に、また他人の気付かぬ魅力を発見することも不可能ではない。つまり魅力とは、そのようにオーディオにあってはオーディオ機器という対象物の中にあるのではなく、きっかけはあるのだが、それを魅力と感じるかどうか、さらに魅力という形にまでも大きくふくらまし得るかどうか、というのは受け取る側の内部の問題なのだ。
 そうなると、オーディオ機器ならば、おそらくどんなものにも魅力が、正しくはそのきっかけとなる要素が必ずやあるだろうし、魅力のない機器はおそらく皆無に違いない。
 こういうふうに話を進めていくと、おそらく読者を始め編集者の期待する方向から話はどんどんずれていってしまうことになるので、以上のことをまずよく知っておいたうえで当事者の内側からオーディオ機器の方に話の焦点をしぼっていこう。つまり魅力と感じさせるオーディオ機器側の要素に触れていこう。
 魅力の第一は、バランスの良さだ。設計の全体、または各部のひとつひとつに対するバランス、またはデザインの上でもよい、細かくはパネルに並ぶつまみをとって考えれば、その並び方、大きさとすき間、仕上げ、光沢、それぞれが周囲のパネル全体に対してのバランスの良否が魅力というものを生み出す。いや、つまみひとつとってみても形や寸法、さらに仕上げ、カットの仕方、さらにその指先の触感、操作性などのバランスの良さというだけでも、アンプにおける魅力といわれるものさえ創り出してしまうことになる。
 このようにオーディオだけではないが、もっとも単純な外面的な捉え方にしても、バランスの良さということが誰に対しても共通的な魅力を感じさせる要素になる。
 むろん内部に対して眼を向けられ得る素養を当事者が持っているなら、設計上、生産上、またはコストの上から選ばれる部品にしてもバランスの良さが判り得るし、そうなれば、それらは魅力の要素といえよう。いかなる見方にしろこうした例を挙げるまでもなく、バランスの良さは誰にでも割に判りやすい魅力となり得よう。
 このバランスの良さというのは、オーディオにあっては音(サウンド)と、メカニズムと、デザインの三つのあり方が大きな柱となり得る。
 こうしたバランスの良さという魅力は、実は誰にも判りやすいがもっとも単純な魅力で、オーソドックスな判定基準のひとつといえようか。
 それに対して、アンバランスの魅力というのがある。ある面を特に強めようとするとき、バランスをくずして変化を強め、敢えてアンバランスの面白さを狙う。
 ただ、このアンバランスを魅力と感じるのは、バランスの魅力を通り越さないとだめだ。
 ここでいうアンバランスは単につまみの左右が非対称などという単純な形のものではない。設計上や企画上の重点主義も一種のアンバランスであろうし、性能上の面にもある。むろんサウンドの上にもある。メーカー側の片手落ちを、アンバランスの魅力と受けとってしまうこともあるが、このアンバランスの魅力というのは、実は完壁なバランスがあって初めて僅かな点に、アンバランスを有効な形で成り立たせているというのが実際だ。
 さて、こうして述べてきた魅力は、実はオーディオのみに限らず、人の世のあらゆるものに対してまったくそのまま当てはまる事象である。例えば芸術一般、音楽にしろ美術にしろ、さらに文学や人間の登場するありとあらゆるもの、さらに人間そのものに到るまで、人間の生活のリズムなど、どれをとったって同じことばがそのまま通用して、バランスとそれを基としたアンバランスが魅力を創り上げる。
 ところで話の本筋はこれからだ。オーディオを始めとして人間の作り出す魅力、または人間の生活に深くかかわる仕事やテクニックにおいて、もっとも大きな魅力を創り出す要素がひとつある。
 一心不乱の心だ。
 すべてがあるひとつのことのために集中され凝縮された状態である人間それ自体が、一番魅力を発揮するのもこうした状態だし、たったひとつのことのためにすべてを捨てるこの状態だ。ウェストコースト・サウンドといわれる高エネルギー輻射を、オーディオ再生のすべてとしているかのように受けとれるJBLサウンドの魅力もそれにあるのだし、実はそう受けとめている当事者たるこの私の方にあるのかもしれない。60年代の初めにあったノイマンの超高価プリアンプもつまみはたったひとつのみ。これに集約されたプロ用といわれる製品の数々も、それは業務用という名のもとに純粋に「手段」としてそのすべてが作られているという点にあるのだろうか。
 海外製品における魅力もつきつめれば、他にないオリジナリティというよりも、豪華さにあり、それはだから彼地にあってはありきたりでも、「海外製品」として日本にあってこそ初めて魅力を保ち得るのではないだろうか。
 つまり、輸入品としての高価格と稀少性のみが魅力のすべてを支えており、高価なら高価なほど、当事者の内の満足度も高くなる、という特別な形の魅力で、それは本来、オーディオ機器においてうんぬんする魅力とは違うものではなかろうか。
 最近の流行の大出力アンプも、目的のために他のあらゆる要素をすべて犠牲にした上で成り立っており、このラジカルな志向がオーディオ機器の魅力の真髄となるのではなかろうか。

オルトフォン SL15Q

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 平均的なシュアーを意識的に避けたのは、CD4に対する技術力の差だ。CD4そのものよりこれが実現に伴う周辺の技術はカートリッジの未来を決定する多くのファクターを秘める。たいぷIIIが商品として、あの磁気回路とコイルを土台としている限りCD4に取り残されざるを得ないのに、オルトフォンのコイル型はCD4を卒業してステレオ用にその技術を拡げつつある。限りない広帯域感と一層繊細なサウンドがそれを物語ろう。

フィデリティ・リサーチ FR-54

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 日本ほどいろいろ優秀なアームが市場に並ぶ国は他にない。そのいずれもが競争の激しい中で優れた高感度と確かな品質をそなえて、世界的にいっても平均的にハイレベルの分野だ。デンオン、スタックス、グレース、マイクロ、テクニカと並ぶその中からひとつを無理して選ぶとするとFR54ということになろう。デザイン、品質、使いよさ、すべて揃った点で、この54は今や数多い秀作ぞろいの国産品の中でも水準を出ていよう。

マイクロ SOLID-5

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 プレーヤーというものが、モーターとターンテーブルとアームとケースとからではなく初めからプレーヤーとなるとき、それを実現してくれたのがソリッド5だろう。DDとかベルトとかサーボとかいう技術をプレーヤーに凝縮し、収れんするとき、このソリッド5の意気も価格も判然としよう。プレーヤーの価格とは、そうした各々のメカニズムに対するものではなく完成された製品に対するものだということを教えてくれた製品だ。

トーレンス TD125MKIIB

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ガラード301をトーレンスの124に替えてからずっとずっといつも私の傍で、常に回っていた。これ以外が回っているときは、デュアルのチェンジャーであった。125IIとなった今も124の隣りで回っているし、これからもずっと回るに違いない。DD万能の今日でもそれに劣らぬ高い信頼性と変わらぬクォリティ。やはりDDではなく125IIが私の回転メカに対する意外に古いセンスを満たしてくれるのか。

トリオ KT-8005

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 今や高級チューナーとしてはもっともオーソドックスなテクニカルで固められているトリオの最高級機種だが、メカニカルフィルターをはじめとするそれらのすべてはトリオによって拓かれた技術である。真の意味でのオリジナルを具えるトリオのチューナーは、期待通りの高性能を保証する数少ないチューナー製品として、高く評価してよい。デザインのオリジナリティも付言してよいし、私はこのデザインゆえJBL520と併用中だ。

マッキントッシュ MR77

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 特殊なフィーダーを用いたバランス検波回路というユニークな特許の検波回路がこの0・1%という驚くべき超低歪率をもたらしているが、そのためIFの最終段はなくパワー増幅段である。こうした77の優秀性の源となっている独特な技術がこのチューナーを入手したきっかけなのだが、実用するうちオーディオ回路の皆無なチューナーでさえ、マッキントッシュのサウンドポリシーを厳然と持ち合わせているのには敬服し尽くした。

ナカミチ Nakamichi 700

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 あとでローウィのデザインと聞いて、やっぱりそうかと思い、半面少々ガッカリもした。日本人ばなれしたデザインは日本人ではなかったのだ。カセットというイメージ、いやテープデッキというイメージをこのデザインからはとうてい感じられない斬新で現代的なセンスだ。
 サウンドは、カセットにありがちな、力不足の不安のないガッツのあるダイナミックなサウンドがなによりも魅力だ。

デンオン DH-710

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 オープンリールは、目下わが家には2トラがない。せめて1台ぐらいはないと、と考えていろいろ探し試聴してみると、海外製品に並んでこのデンオンの新製品がクローズアップされてきた。だから、これは手元において確かめたものではなく、手元において、よくみて使いたい。国産品といえども海外製品と並べてもおそらくその期待を裏切られない製品だと思う。デンオンの回転機器の確かさを日頃放送局のスタジオでみてるためか。

ヤマハ CR-400

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 まあ国産品で、西欧的な意味でデザインの優れた製品というものがあるとすれば、車におけるルーチェのように、フロンテSSのように外人の手によるものだったが、そういう事実をくつがえすといえるおDお製品がいくつかあるのは嬉しい限りだ。CR400はその点で世界に誇れる秀逸な製品で、その点からいえばCA1000をも上まわろう。そして、その美しくも優雅な外観がサウンドまでも表わしているのだから。

ソニー TA-8650

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 FETアンプの国産成功によってもたらされるのは、まちがいなく世界最高のアンプの栄光が実現したことだ。
 かつて1120によって日本のアンプを格段に飛躍させたソニーが、再び8650によって国際水準に引き上げたことは拍手をもって迎えるべきだろう。8650の音はなにしろ球のそれ以外の何物でもない。確かに石特有の超広帯域を合わせ持っていることは確かだが中声域での冷たい感じは、ここにない。

L&G L-2600

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 若いカップルが、フレッシュな思い出を創り上げるべき部屋に、この上なくぴったりのアンプがL&Gの全シリーズだ。
 これらのカラフルな、特にプリメインがそうしたセンス溢れるデザイン。ほほえましくて思わず購入してしまいたくなるようなフィーリングをたたえ、しかも内にはラックス直系のセンスフルなサウンドへのメカを秘める。オーディオ機器の商品として、これほど完成度の高いアンプが国産品に出てこようとは。

サンスイ AU-9500

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 国産プリメインアンプは、この一年間出力と共に質的にも大きなジャンプを果したが、その数多い製品中、無類の力強さと無限なエネルギーを感じさせる9500はずばぬけた存在。その黒く巨大な特徴ある姿態は、限りない信頼に支えられたゴージャスなサウンドをも表わして魅力の源となっていよう。
 価格の向上が著しいこの世の常として、採算上このアンプが姿を消す日がいつかは来ようが一日でも遠いことを願う。

オーディオリサーチ Dual75

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 オーディオリサーチははたして新進メーカーなのか、音を聴いていつもそう思う。このサウンドは技術のみで到達できるものではないし、音楽のキャリアの裏づけがおそらくこのアンプの優秀高質を支えていよう。実効出力はマッキントッシュ275とほとんど同じはずだが、サウンドの力強さと充実感において上回り、技術上の新しさを感じさせるのはさすがだ。個性的で米国系らしいプリとともに特異な存在が魅力なのか。