菅野沖彦
スイングジャーナル 7月号(1977年6月発行)
「SJ選定新製品」より
ボーズ社はアメリカ、マサチューセッツ州フレミンガムに本社をおくメーカーだが、そのバックグランドはユニークである。マサチューセッツ・インスティテュート(MIT)の教授であるボーズ博士が、この会社の会長であるが、博士のオーディオに関する学術的研究がバックボーンとなって、その理論の具現化が、ボーズ社という企業に発展したものである。
ボーズ901IIIは、合計9個の全帯域ユニットを内蔵する実にユニークなスピーカー・システムであるが、そのうち、リスナーに向って、取付けられたユニットは、ただの1個、残りの8個は背面に取付けられ、それぞれ4個づつが30度のアングルで後面に音を放射する。つまり、リスナーは、直接音1に対して間接音8の割合で、トータルの音を聴くことになるわけだ。この直接音と間接音の割合は、通常我々が、コンサート・ホールなどで聴く音の直接音と間接音の、比率にあたるものである。もちろん、その比率はホールのアコースティックや聴取位置によっても異るものだが、一般に、直接音を50%以上の割合で聴くことはないであろう。こうした直接音と間接音のバランスがもたらす〝自然さ〟を、いかにしたらスピーカーから得ることが出来るか? というところが、ボーズ博士のリサーチとこのスピーカーの開発の原点であった。これは過去100年近く、録音再生の世界にいつのまにか定着していた多くの矛盾を含んだ既成概念に対するアンチテーゼとして、きわめて興味深い。とはいえ、これは今までに決して未踏の考え方であったわけではない。しかし、再生においては、電気シグナルの忠実な変換という二次元的発想が圧倒的に強かったので、空間の位相差や時間遅延などの三次元への認識がおくれていたものだと思う。したがって、それらの空間要素は、プログラム・ソースに収録し再生空間では、それら間接音成分もプログラム・ソースの情報として得るという考え方が一般的である。もっとも、この理論からすれば、再生音場は無響室でなければならないが、現実には再生音場、つまり一般家庭の部屋のライブネスによる間接音も音のよさの要因として是認されていた。ボーズ博士の考え方は、すでに述べたように、再生音場のライブネスを積極的に生かすものだから、スピーカーを一つの発音体と考えた場合には、より自然な響きを可能にすることはたしかである。
因みに、録音時に、直接音と間接音の比率を1:8の割合で収録したレコードを、このスピーカーで再生したらどうなるか。残念ながら、そういう録音は、ボーズのスピーカーならずとも、直接音だけをスピーカーの軸上で聴いても、まず美しい音としては聴えないであろう。なぜそうなるかというと、空間における直接音と間接音の1:8という比率の聴取位置における位相差や時間差は、物理的にもきわめて複雑なもので、これをモノーラルはもちろん2チャンネルや4チャンネルのシステムで収録再生することは無理で、録音時の1:8の電気的ブレンドは、再生時の1:8の空間ブレンドとは似て非なるものなのである。加えて、人間の音響心理作用が働くので、様相は全く異ってくるのである。したがって、直接放射も軸上で聴くことを建前としたスピーカーでの再生で適度なブレンドは、特に位相成分において間接音を不足としているのである。ここが、再生音場に豊かな間接音成分を生み出させることによって、音が自然になり、かつ、決して、不明瞭にな
らないというボーズのスピーカーの効果の現われるゆえんである。901IIIは従来のボーズ・スピーカーとはユニットもエンクロージュアも全く新しく設計し直されたもので、きわめて高度なテクノロジーと新しい着想に裏付けられた高級システムとして生まれ変ったものだ。これは、いわばシグナル・トランスデューサーの概念に対してアコースティック・トランスデューサーの概念で作られたものなのだ。
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