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タンノイ Arundel, Balmoral

菅野沖彦

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 タンノイが’81年暮に発表した新製品は、トッモデルのG・R・ファウンテン・メモリーと、このアランデル、バルモラルの合計3機種である。そして、このアランデル、バルモラルは、そのイニシャルがAとBであるように、かつてのアーデン、バークレイにとって代るモデルとして開発されたものなのだ。アーデン、バークレイは、オリジナルからMKIIとなって長い間ファンに親しまれてきたシステムであったが、それに代って登場した2機種も、当然のことながらデュアルコンセントリックユニットを使うことに変りはない。アランデルが38cm口径の3839ユニット、バルモラルは30cm口径の3128ユニットを内蔵する。3839は連続入力120W、ピークで500W、3128はそれぞれ100W、350Wというヘビーデューティ、そしてクロスオーバー周波数は1kHz、1・2kHzの同軸型2ウェイ、つまり、コアキシャルユニットである。エンクロージュアは、アーデン、バークレイからはプロポーションに大きな変革がある。従来よりも高さと奥行きが増し、幅が狭められた。タンノイによれば、これはエンクロージュア内部の反射音による干渉を弱め、音の濁りをなくすのに有効であるとされている。エンクロージュア自体の剛性や作りは、G・R・F・メモリーを見た眼にはそれほど印象は強くないが、ビチューメンパネルと呼ばれるタンノイ独自の共振防止材をエンクロージュア内部5面に多数取り付けることによってアコースティックコントロールが行なわれ、中域の明瞭度や、全帯域での音の鮮明さを得ているという。タンノイ独特のロールオフとエナジーの2種類の調整ができるネットワークもそのままである。このネットワークコントロールは大変有効なものだ。つまり、ロールオフによって5kHz以上を4段階に増減、エナジーによって1kHz〜20kHzにわたってトゥイーターレベル全体を±6dBに増減が可能である。多少異なる点もあるが、JBLの最新2ウェイシステムに採用されていを方法と似ている。2ウェイユニット・3ウェイコントロールとでもいえるものである。これは、音楽を鑑賞する現実の条件に対応したタンノイらしいコントロール機能であり、このあたりに、真の音楽ファンのためのタンノイの、タンノイらしさが感じられるのである。

BOSE 601 SERIESII

井上卓也

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 BOSEのスピーカーシステムは、実際のコンサートホールプレゼンスを確保するために、ユニークな音響理論に基づき直接音成分と間接音成分のバランスを巧みにコントロールするユニット配置を採用している。シンプルな構造、適切な材料選択と優れた基本設計によって、非常にパワーハンドリングの優れたユニットによるパワフルでダイナミックなサウンド、豊かなプレゼンスですでに確固とした支持をオーディオファンの中に築き上げている。今回、フロアー型の601を大幅な設計変更により発展、改良した新製品、シリーズIIが市場に送り出されることになった。
 従来の601は、BOSEのコンシュマーユース独特の、ディフィニションに優れプレゼンス豊かな再生をするモデルとして一部で認められてはいたが、周波数帯域的なバランスでは低域から中域が量的に多く、軟調な再生になりやすいことと、シャープで緻密な音というにはやや分解能が不足であり、トップモデル901シリーズIVほどの定評は得られていなかった。
 今回の601シリーズIIは、これらの問題点を根本的に解決するために、新しい手法としてサブ・メインダクト方式を採用し、低域から中域の締まりのよさと、室内の反射物により生じる250Hzあたりの盛り上がったレスポンスをコントロールすることが可能になったと発表されている。
 口径20cmのウーファーは、コーンのストロークが長いタイプがエンクロージュア上側に斜めに取り付けられ、さらにエンクロージュア正面にはノーマルストローク型がセットされるという独特なダブルウーファー設計である。この2個のウーファーは、それぞれエンクロージュア内部に独立した専用のバックキャビティをもち、メインのエンクロージュアとは個々のバックキャビティの後ろに設けられた補助ダクトを通して空気がつながり、さらにメインエンクロージュアにも独立した別のダクトがあって、これを通して外気につながるといった2重構造をとる。これが、サブ・メインダクト方式と名付けられた理由である。
 簡単に考えれば、一般的にはバッフル面にあるダクトをエンクロージュア後面に設けた2個のシステムを、大型のエンクロージュアに取り付け、その大型エンクロージュアにはダクトのみをつけたタイプと思えばよい。従来にないユニークな構造である。
 内部のサブダクトはチューニングがブロードになる設計で、その中心周波数は250Hz、一般的なリスニングルームの多くで壁面などにより強調されやすい250Hzあたりの音の濁りをを、メインエンクロージュア内部で吸収しようとする設計であるようだ。また、メインのダクトは35Hzにチューニングされ、バスレフ方式で低域をコントロールしているのは一般的なシステムと同様だが、ダクトの位置がエンクロージュア上部の前側にあり、パイプダクトが上を向いているのも特長である。
 トゥイーターとウーファーのクロスオーバーは、これもBOSE独特の設計によるデュアルフレケンシー・クロスオーバー方式と呼ばれるタイプだ。トゥイーターとウーファーのクロスオーバー部分を、約1オクターブオーバーラップさせ、位相特性と振幅特性を完全にマッチングさせようとする方法である。実際に601シリーズIIでは、ウーファー側は1・3kHzあたりで約2dBほどレベルが下降してから再びフラットになり、2・5kHzあたりからまた下降するという段付き特性になっており、トゥイーター側はこの逆で、2・5kHzあたりで一度レベルが約2dB下がったあとフラットになり、1・5kHzあたりで再び下降するレスポンスを示す。2箇所でレスポンスが下降するために、デュアルフレケンシー・クロスオーバー方式といわれるのであろう。
 601シリーズIIは小型のフロアー型システムであり、独自の直接音と間接音の輻射バランスをとるために、エンクロージュア上部のサランネットがかかった部分の左右には、物を置かないようにセットする必要がある。インストラクションによれば、
 1 壁面にエンクロージュアを密着させて最初のヒアリングをする。
 2 低域が強調される場合は、壁から離して、その距離で調整をする。
 3 低域がこもる場合は、床からの位置を上にあげて調整をする。
の3点が指示されている。
 ステレオサウンド試聴室でもこの指示に従って試聴を始めたが、1では全体にローバランスになり、2でも多少のコントロールはできるが、抜けがいま一歩不足気味であり、結局3に従って、床からの位置を数ステップ調整して一応のバランスが得られた。使用アンプの低域のドライブ能力が充分にあり、プレーヤーシステムもヘビー級であったため、3の位置を上げたセッティングが必要であったと思われる。
 この時の音は、爽やかに抜ける音場感の拡がりと響きの美しさに加えて、こだわりなくストレートに、吹き抜けるようなダイナミックな表現力が聴かれた。国内製品とはひと味違った、実体感のある音楽が楽しめるタイプだ。組み合わせるカートリッジやアンプは、中域から高域で分解能が高く、反応の速いタイプを使うことが、システムの独自の魅力を引き出すポイントである。

JBL 4435, 4430

菅野沖彦

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 人によっていろいろな形に見えるであろう奇怪なホーンの開口部。JBL呼んでバイラジアルホーン、これが新しいJBLスピーカーシステムの個性的な表情であり、技術改良の鍵でもある。このホーンの設計は、水平・垂直方向それぞれ100度の範囲での高域拡散を実現することを目標に行なわれた。しかも、このホーンによって放射される周波数帯域は、1kHz~16kHzという広いものである。この奇怪な形状のホーンの威力は、まことに大きいものがある。このところマルチユニット化によって広周波数帯域の実現を目指してきたJBLが、この4435、4430において突如2ウェイによるシステムを発表したことは、われわれにとっても驚きであった。ご承知のように、4341に始まり4343、4345へと発展してきたJBLモニターシステムは、その旗艦4350を含め、すべて4ウェイを採用してきた。マルチユニットやマルチウェイというのは、スピーカーシステムの構成上一種の必要悪であることは多くの専門家の認めるところだが、この必要悪をいかに上手く使いこなし、その弊害を抑えてワイドレンジ化を図り、広指向性を実現しそして高リニアリティを追求していくというのがJBL高級スピーカーシステムの歴史であった、と私は理解してきた。同じウェスターン・エレクトリックの流れをくむアルテック社が、そのまま2ウェイを基本にしてアイデンティティを確立してきたことに対して、JBLの技術的な姿勢の堅持こそ、この両雄の健全な対時だと思っていた。そこへ急に2ウェイの高級モニターシステムが登場したのだから、こっちはびっくりする。アルテックがコンシュマー用のシステム、いわゆるHi-FiプロダクツでJBLに追従する姿勢をとり始めたことを苦々しく思っていたら、今度はJBLがアルテックのプロ用の、頑固なまでの2ウェイ姿勢と真正面からぶつかった。鷹揚で豊かなアメリカは今やなく、まるで日本のメーカー同志のような熾烈な競争のために〝こだわりの精神〟も〝誇り〟もかなぐり捨ててしまうようになったのであろうか……。もちろん、2ウェイがアルテックの特許でもないし、マルチウェイ・マルチユニットや音響レンズはJBLだけのものではない。そしてまた、同じ2ウェイといっても今回のJBLの新製品は、アルテックの2ウェイとはまったくとはいかないまでも、決して同類のものとはいえないユニークでオリジナリティのある開発である。この点ではまったく同じものを作って平然としている日本メーカーの体質とは比較にならないほど、まだ高貴な品位を保っているとは思う。しかし、この明らかなるJBLのテクノロジーの変化というか多様化というものは、オーディオ界の騎士道の崩壊であることに違いなかろう。技術の進歩は自ずから収斂の傾向をとるものだから、これは当然の成り行きとみることもできるだろう。しかし、もしそうだとするのなら、JBLは明らかにウェスターン・エレクトリックの主流派アルテックに脱帽せねばならないのだ。そして、脱帽されたアルテックの方も、Hi-FiプロダクツでのJBLへの追従を深く恥じるべきなのだ。
 こうなってくると、終始一貫あのデュアルコンセントリック1本で頑張っているジョンブル、タンノイなどは立派なものだ。しかし、それがいつまで通用するか。第2次大戦後、食糧難に日本中が飢えていた頃、頑としてヤミの食糧を食わずに餓死した高潔の士もいたことを思い出す。とにかく、メーカーにとっても我々ファンにとっても、騎士道や貴族性の保てた時代が終焉を迎えたことは事実らしい。それは、あたかも18~19世紀の貴族お抱えのオーケストラが、現代のような自立自営のオーケストラへの道をたどったプロセスにも似ているようだ。より広く大衆のものになり、経済競争に巻き込まれ、技術は向上したが文化的には首をかしげたくなるような、不思議な質的変化が感じられ、淋しさがなくもない。日本のオーディオ機器の多くは、今やスタジオからスタジオへ駆け廻り、何でも初見でばっちり弾いてのけるスタジオミュージシャンのようなものだ。さすがに欧米には、まだ立派なアーティストと呼べるようなアイデンティティとオリジナリティ、テクニックのバランスしたものがあるが、一方において日本のスタジオミュージシャンに職を追われつつある憐れな連中……いや機器も少なくはないのである。
 このような情勢の中でJBLの新製品4435、4430を眺めてみると、その存在性の本質をしることができるのではないだろうか。つまり、このシステムは時代の最先端をいくテクノロジーが、オーディオ界の名門貴族の先見の明の正しかったことを今さらながら立証し、かつその困難な実現を可能にした製品といえるように思う。
 JBLの製品開発担当副社長のジョン・アーグル氏が、去る9月のある日曜日の夜、我家に持ち込んで聴かせてくれた4435の音は素晴らしかった。一言にしていえば、その昔は私がJBLのよさとして感じていた質はそのままに、そして悪さと感じていた要素はきれいに払拭されたといってよいものだった。私自身、JBLのユニットを使った3ウェイ・マルチアンプシステムを、もう10数年使っているが、長年目指していた音の方向と、このJBLの新製品とでは明らかに一致していたのである。この夜、4435を聴く前に、私たちは、私のJBLシステムで数枚のレコードを聴いた。その耳で聴いた4435の音は、まったく違和感なく、さらに奥行きのある立体的なステレオイメージを聴かせてくれたのであった。私のJBLシステムは、JBLの人達も不思議がるほどよく調教されきった音である。善し悪しは別として、通常JBLのシステムから聴ける音と比べると、はるかに高音は柔らかくしなやかだし、中低域は豊かである。音の感触は、私の耳に極力滑らかに、かつリアリティを失わない輪郭の鮮明さをもって響くように努力してきた。その苦労の一端は、本誌No.60でご紹介してある。その音と違和感なく響いたことは、私にとって大きな驚きであったのだ。ちなみに、今春4345を同じように私の部屋で聴いた時には、私の想像した通りの一般的なJBLらしい音で、私のシステムとはほど遠い鳴りっぷりであった。
 音楽とオーディオの専門家、ジョン・アーグル氏との歓談の方にむしろ興じてしまった一夜ではあったが、この新しいJBLのシステムのなみなみならぬ可能性は、少なくとも私が旧JBLユニットに10年以上かけてきた努力を上廻る成果を、いともたやすく鳴らしてしまったことからも察せられた。
 製品の技術データを見ればうなずけることだが、4435、4430の何よりの特長は、ステレオフォニックな音場イメージの正確な再現性にある。これは、モニターシステムのみならず、鑑賞用システムとしても非常に重要な点で、音楽演奏の場との一体感として働きかけるステレオ再生の最も重要な意味に関わる問題を左右するものである。レコード音楽がもつ数々の音楽伝達要因の中でも、モノーラルとステレオの違いがきわめて大きなものであることは、今さらいうまでもない。ステレオの魅力を最大限に発揮させるために重要なものは、リスニング空間全般に可聴周波数帯域のエネルギーをフラットに拡散し得る、アコースティカルに特性の揃った一組のスピーカーの存在である。それも、できる限り2次、3次反射によらずにトータルエネルギーがフラットであることが望ましい。4435、4430は、新設計の定指向性ホーンとワイドレンジ・コンプレッションドライバー、巧妙な設計の2ウェイネットワーク、新採用ウーファーの特性とのコンビネーションにより、そうした目標に大きく近づくことになった。また、このホーンはショートホーンであるため、ウーファーとトゥイーターの振動系の機械的ポジションを同一線上に配置することが可能となり、構成ユニットの位相ずれの心配はない。これら新設計のユニットは、特性的にも最高の技術水準にあるもので、1kHzのクロスオーバーで実現した2ウェイコンストラクションとしてはスムーズなつながりとワイドレンジ、高リニアリティ、高能率と低歪率、すべてのスペックを最高のデータでクリアーしている。2421ドライバーの振動板は、ダイアモンドサスペンションと呼ばれるユニークなパターンのエッジをもつアルミダイアフラムである。
 4430は2ウェイ・2スピーカーシステム、4435はこれをダブルウーファーとした2ウェイ・3スピーカーシステムである。この2機種のシステムの試聴は、本誌試聴室で行なったが、この両者について簡単に甲乙をつけることは危険だと思う。パワーハンドリングについては、4435の方により大きなポテンシャルがあるのは当然だが、本誌試聴室での結果では、4430の方がバランス上好ましかった。しかし、4435も私の部屋で鳴ったような音は出なかったので、このあたりは部屋とのバランスで考えなければならない問題だろう。ブラック・ムーニング (アメリカで流行の若者の奇行のこと)を想起させる異様なバイラジアルホーンの姿とともに、このシステムはJBLの技術史上に重要な足跡を残す、意味のある新製品だ。

SME 3010-R

SMEのトーンアーム3010Rの広告(輸入元:ハーマンインターナショナル)
(別冊FM fan 33号掲載)

3010R

トーレンス TD126MkIIIc, TD226, REFERENCE

トーレンスアナログプレーヤーTD126MkIIIc、TD226、REFERENCEの広告(輸入元:ノア)
(別冊FM fan 33号掲載)

TD226

エレクトロボイス Interface:AIV

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 これもまたアメリカのスピーカーであるが、エレクトロボイスは、アメリカのミッド・イーストを代表するメーカーである。このスピーカーのだす音を、ほんの1分もきけば、そのことは、誰にでもわかるはずである。ひとことでいうと、都会の音──とでもいうことになるであろうか。辛口の音である。ウェストコーストを出身地とするスピーカーの、あのあかるく解放感にみちみちた音とは、ひとあじもふたあじもちがう音である。同じアメリカのスピーカーでも出身地がちがうのであるから、JBLやアルテックをきいたレコードとはちがうレコード、つまりビリー・ジョエルやトーキング・ヘッズのレコードを、かけてみた。
 ビリー・ジョエルやトーキング・ヘッズのレコードをきいてみて、なるほどと納得のいくことが多々あった。トーキング・ヘッズの音楽のうちの棘というべきか、鋭くとがったサウンドを、このエレクトロボイスのスピーカーは、もののみごとに示した。もし、時代の影といえるようなものがあるとすれば、そのうちひとつがトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』できける音楽のうちにあるのかもしれない。そういうことを感じさせる、このエレクトロボイスのきこえか方であったということになる。
 ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』は、音楽の質からいっても、性格からいっても、トーキング・ヘッズのレコードできけるものとずいぶんちがうが、きこえた音から、結果的にいえば、似たところがあるといえなくもない。つまり、リズムの示し方の、切れの鋭さである。いや、もう少し正確にいえば、リズムの切れが鋭く示されているというより、リズムの切れが鋭く示されているように感じられるということのようである。
 そのように感じられるのは、おそらく、このスピーカーの音が、ウェストコースト出身のスピーカーのそれに較べて、いくぶん暗いからである。
 しかし、音が暗いといっても、このスピーカーの示す音には湿り気は感じられない。音は充分な力に支えられて、しゃきっとしている。ひびきの輪郭がくっきり示されるは、そのためである。
 ハーブ・アルバートの『マジック・マン』のきこえ方などは、まことに印象的であった。アルバートによるトランペットの音がいつになくパワフルに感じられた。トランペットの音の直進する性格も充分に示されていたし、リズムの切れもよかった。音場感的にもひろがりがあってこのましかった。ただ、ひびきが、からりと晴れあがった空のようとはいいがたく、いくぶんかげりぎみであった。そういうことがあるので、ウェストコースト出身のスピーカーできいたときの印象と、すくなからずちがったものになった。
 こうやって考えてくると、このスピーカーの魅力を最大限ひきだしたのは、どうやら、トーキング・ヘッズのレコードといえそうである。そこで示された鋭さと影は、まことに見事なものであった。

BOSE 301 Music Monitor

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 このスピーカーはいい。価格を考えたら大変にお買得である。
 むろん、スケール感がほしいとか、腰のすわった低音をききたいとか、あれこれむずかしい注文をだしても、このランクのスピーカーに対応できるはずもないが、きかせるべき音を一応それらしく、あかるい音で、すっきりきかせる。小冠者、なかなかどうしてようやるわい──といった感じである。きいていて、いかにもさわやかで、気分がいい。
 このボーズ301MUSIC MONITORのきかせる音は、ひとことでいえば軽量級サウンドである。それにしても、吹けばとぶような音ではない。しんにしっかりしたところがあるので、音楽の骨組みをあいまいにしない。そこがこのスピーカーのいいところである。なかなかどうしてようやるい──と思えるのは、そういういいところがあるからである。
 ハーブ・アルバートのレコードのB面冒頭には、しゃれたアレンジによる「ベサメ・ムーチョ」がおさめられているが、それなどをきいても、いくぶん小ぶりな表現ながら、細部を鮮明に示して、あざやかである。このアルバートによる「ベサメ・ムーチョ」は、深いひびきのきざむリズムにのってはこばれるが、あたりまえのことながら、本当に深いひびきは、このスピーカーではきけない。それをきこうとしたら、やはりどうしても大型のフロアースピーカーのお世話にならなければならない。しかし、このボースの301MUSIC MONITORは、その深いひびきの感じを、一応、それらしく示す。
 音場的なひろがりの面でも、このスピーカーは、あなどりがたい。ハーブ・アルバートのレコードが、せまくるしくあつくるしくきこえたら、きいていてやりきれなくなるが、その点で、このスピーカーの示す音場とひびきの質は、このましい。あくまでもさわやかであり、すっきりしている。このスピーカーもまた、ウェストコースト・サウンドの特徴をそなえているといっていいように思う。
 マーティ・バリンのレコードもよかった。うたわれた言葉はシャープにたちあがる。ただ、難をいえばリズムをきざむソリッドな音に力が不足している。そういうこのスピーカーのいくぶんよりよわいところが、ランディ・マイズナーのレコードではより強く感じられるとしても、決して湿っぽくなったり、ぐずついたりしないひびきのこのましさがあるので、致命的な弱点とはいいきれない。
 アルバートのレコードにしても、バリンのレコードにしても、マイズナーのレコードにしても、大滝詠一のレコードにしても、音がべとついたり、ぼてっとしたりしたら、それぞれのレコードできける音楽の本質的な部分がそこなわれ、その音楽の最大のチャーミング・ポイントをたのしめないことになる。すくなくともそういうことは、このボーズの301MUSIC MONITORではない。
 もし環境の面で許されるなら、パワーを少し入れてやると、ひびきの力感に対しての反応もよりこのましくなるであろうし、このフレッシュな音をきかせるスピーカーは、魅力充分といえそうである。

アルテック Model 6

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 JBLのL112をきいた後でこのスピーカーをきいて、そうか、そうであったな、これもまたウェストコースト出身のスピーカーであったなと思わないではいられなかった。それほど、JBLのL112とこのアルテックのMODEL6とでは、ちがう。したがって、そういことがあるので、出身地別でスピーカーに安易にレッテルをはることはつつしまなければならない。ことはまことに微妙である。よほど用心してかかる必要がある。さもないと、とんでもない誤解をしてしまいかねない。
 しかし、このアルテックのMODEL6もまた、まきれもなく、アメリカのウェストコースト出身のスピーカーの特性をそなえている。それがなにかといえば、ひびきのおおらかさである。ひびきのおおらかさはJBLのL112でも充分に感じられたものであるが、それとこれとのいずれでよりきわだっているかというと、このMODEL6においてである。ただ、すぎたるはおよばざるがごとし──ともいう。このスピーカーの音は、たしかにおおらかではあるが、おおらかにすぎたといえなくもない。
 たとえば、マーティ・バリンのレコードで、例の「ハート悲しく」をきくと、JBLのL112できいたときより、陽気な歌に感じられる。ひびきが、おおらかで、率直な分だけ、この歌の影の部分が薄くなったというべきであろうか。バリンの声には独自のかすれがあるが、それを充分に感じとれるとはいいがたい。その辺にこのスピーカーの多少の問題がある。
 しかし、JBLのL112とこアルテックのMODEL6では、価格の面でわずかとはいいがたい差があるから、同列において四の五のいったら、アルテックのMODEL6に対してフェアでない。判断する場合には、その価格の面での差を割引いて考える必要があるものの、スピーカーの音の性格として、鋭角的なひびきより丸みのあるひびきの表現にひいでているということはいえるにちがいない。
 たとえば、ランディ・マイズナーの『ワン・モア・ソング』をかけたときのサウンドなどは、ききてをのせる。中域の音が充実しているからであろう。そのストレートなサウンドは、爽快である。ただ、これは、このランディ・マイズナーのレコードでも、マーティ・バリンのレコードでも、そして大滝詠一のレコードでもいえることであるが、総じて、声より楽器の音の方がきわだちぎみで、声、ないしはうたわれている言葉は、ともすると楽器のひびきの中にうめられる傾向がある。
 ハーブ・アルバートのレコードもわるくない。アルバートによって吹かれたトランペットの音が、その特徴をきわだてているとはいいがたいが、音楽の力感をよく伝える。そのようなことから、このスピーカーの音のもちあじを、こだわりのない率直さということもできるであろう。
 音楽の力強さをすとんと示すが、ひびきの微妙なところにこだわる人は、そこにものたりなさを感じるのかもしれない。しかし、このスピーカーのきかせる音には、俗にウェストコースト・サウンドといわれる独調のひとつである解放感があることはまちがいない。

JBL L112

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 JBLはアメリカ・ウェストコーストを代表するメーカーである。なるほど、この音像をいささかもあいまいにならずくっきり示す示し方、それに力感のあるサウンド、それでいてあくまでさわやかであることなどは、これぞウェストコースト・サウンドといいたくなるようなものである。ひびきのきめのこまかさがもう少しあればと思わなくもないが、しかし、それがかならずしも弱点とはいいがたいところに、このスピーカーの魅力があると考えるべきであろう。
 ランディ・マイズナーの『ワン・モア・ソング』などでは、リズムのきざみに、いわくいいがたい、本場ものの独自の説得力とでもいうべきものが感じられる。高域は、さらに一歩進めば、刺激的な音になるのであろうが、その手前にふみとどまって、すっきりした、ふっきれたサウンドをうみだしている。こういうレコードは、こういうスピーカーでききたいなと思わせる、ここでのきこえ方であった。
 マーティ・バリンの『恋人たち』も、とてもすてきにきこえた。そのレコードのうちの、テレビのコマーシャルでつかわれているA面の冒頭に入っている「ハート悲しく」をきいたのであるが、子音をたてた音のとり方や、歌の、粋で、ちょっときどった、それでいて孤独の影のうちにある気配を、もののみごとに示して、なるほど、このレコードは、こういう音できくべきなんだなと思わせた。このスピーカーの音は、あくまですっきりさわやかであるから、多少音像が大きめになっても、ぼてっとしない。
 マーティ・バリンの場合と似たようなことのいえるのが、大滝詠一の『ロング・バケーション』であった。このスピーカーにおける音のキャラクターの面での大らかさが、ここではさいわいしていたとみるべきであろう。スピーカーからでてくる音は、湿度が低く、からりと乾いているから、抒情的な歌もじめじめしない。
 ただ、大滝詠一の『ロング・バケーション』できけるような性格の音楽なら、このJBLのスピーカーの音にも申し分なくフィットするが、日本の歌でも、たとえば演歌のようなものではどうなのであろうと考えなくもなかった。このスピーカーの音がふっきれているだけに、もしかするとあっけらかんとしたものになってしまうのかもしれない。
 ハーブ・アルバートの『マジック・マン』のレコードは、すべてのスピーカーできいてみたが、ここでのきこえ方は、それらのうちのベストのひとつであった。こういう性格の音楽とサウンドでは、このスピーカーは、そのもちあじのもっともこのましい面をあきらかにする。アルバートの吹くトランペットの音は、まことに特徴があって、誰がきいても、あっ、これはアルバートとわかるようなものであるが、その音の特徴が、このスピーカーでは、いとも鮮明に示された。
 それに、トランペットの音の直進する感じも、ここではよくききとれ、ききてに一種の快感を与えた。音楽の走りっぷりのよさを実感させる音であり、きいていて、なんともいえずいい気分であった。
 このスピーカーの音は、ひとことでいえば解放的で、すべての音が大空めざして消えていくといった気配であった。さわやかさは、なににもかえがたい魅力といってもいいであろう。

KEF Model 303

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 これはいいスピーカーである。スペンドールのBCIIもすぐれたスピーカーであったが、やはりこのスピーカーと較べると、いくぶん大人っぽいところがあった。このKEFの303の方が、いまの音楽、いまのサウンドをきくには、あっている。ひびきがひときわフレッシュである。ただ、あらためていうまでもないと思うが、スケールの大きいな音楽を恰幅よく示すタイプのスピーカーではない。それに、こもまたイギリス出身のスピーカーであるから、ひびきは暗めである。スペンドールのBCIIよりはいくぶんあかるいようであるが、あのアメリカのウェストコースト出身のスピーカーに較べれば、やはり暗いといわざるをえない部分がある。その分だけひびきのきめがこまかいとしても、聴感上は暗いというべきであろう。
 デイヴ・エドモンズの『トワンギン』で特徴的な、高い方でのいくぶんざらついた音への対応のしかたは、きいて、なるほどと思うものであった。きれいにみがきあげられたとはいいがたい音の、汚れた音であるがゆえの生命力とでもいうべきものを、なまなましく示した。これはイギリス出身のスピーカーに共通していえることでもあるが、このKEFの303でも、声がヴィヴィッドに示されたのが印象的であった。
 そのために、アメリカのウェストコースト出身のレコードであるマーティ・バリンのレコードを、ここでまたきいてみたいと思った。きいてみたら、なかなかいい感じであった。バリンのかすれた声をうまく示した。しかも、バリンの歌に、ウェストコースト出身のスピーカーできいたときには感じとりにくかった大人っぽい雰囲気があることがわかった。いくぶんかげりのあるひびきの中に、バリンのスリムな声がすっきり定位して、なかなかいい感じであった。
 スライ&ロビーの『タクシー』もよかった。シャカシャカした音とソリッドな音の対比を充分につける能力をそなえたスピーカーであるから、このレコードできける音楽の特徴を示すことにおこたりはなかった。このスピーカーの音は、たとえ多少のかげりがあるとしても、重くぼてっとはしていないので、このレコード『タクシー』におさめられているようなサウンドにもうまく対応できるということのようである。
 ハーブ・アルバートのレコードも、好結果をおさめた。むろん、「ベサメ・ムーチョ」でリズムをきざむ深いひびきの提示には、無理があった。しかし、それとても、一応それらしく示した。したがって、音楽をはこんでいくリズムのきざみは、ききてに感じとれるわけで、音楽としてきいている分には、ことさら不満をおぼえなかった。つまり、そのことから、このKEFの303というスピーカーが、その音楽的まとまりをこのましく示すスピーカーということがいえるにちがいない。
 大滝詠一のレコードでも、音がききての側に迫ってくる力は感じられなかったもの、すっきりした音場感を示し、大滝の声の特徴もよくあきらかにしていた。音のだし方にいくぶんひかえめなところがあるとしても、上品な音の、つかいやすいスピーカーのようである。

B&O Beovox S80

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 青い音とでもいうべきであろうか、すっきりした、透明度の高い音である。ほかの国のスピーカーからは感じとれない、独自の、しかし耳に心地よい音である。
 レコードは、いくぶんこじつけめくが、アバの『スーパー・トゥルーパー』とパット・メセニーの『アメリカン・ドリーム』をきいてみた。そしてここでもやはり、なるほどと納得する結果になった。アバの歌は、いずれも、巧みなサウンド設計に支えられていると思うが、そのことがよくわかるきこえ方をした。それに、アバの歌では、歌い手たちの声がいくぶん楽器的にあつかわれていて、声そのものが。情感を背負うことはあまりないことも、ここでは幸いしていたようである。
 たとえばヴェロニク・サンソンの唱などをきくと、エリプソンの1303Xできいた場合とまるでちがって、肌ざわりのつめたいものになる。その辺にこのスピーカーの特徴があるといえよう。ハーブ・アルバートのトランペットの音は、本来のあじわいとはすくなからずちがうが、あたかも涼風が頬をなでていったように感じられ、これはこれでわるくないと思わせた。
 パット・メセニーのレコードでは、キーボードによる低い音が過度にふくらむことなく、このましかった。サウンドのフィーリングが音楽のフィーリングとぴったりあっていたようである。

エリプソン 1303X

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 ひとことでいえば、瀟洒なスピーカーということになるであろう。スリムなボディから、いかにもフロア型スピーカーならではの、たっぷりしたひびきがきこえてきた。音は、しなやかであり、ふっくらしていて、ソフトであった。
 ここでは、ヴェロニク・サンソンのレコードと、ミッシェル・ポルナレフのレコードをきいてみたが、とりわけヴェロニク・サンソンのレコードのきこえ方が、すこぶる見事であった。インストルメンタルによるバックがもう少し鮮明であってもいいのではないかと思ったりしたが、声のなまなましさは、なんともはや驚くべきものがあった。
 ハーブ・アルバートのレコードなどでも、音楽の切れあじの鋭さの提示ということでは多少の不満が残ったとしても、ひびきに独特のあかるさがあるで、音楽の性格をききてに感じとらせることができた。
 しかし、このフランス出身のスピーカーは、ハードな音楽はあまりきかないで、きくのは女声ヴォーカルが多いというような人には、うってつけかもしれない。このスピーカーの音は、力でききてに迫る音ではなく、そこはかとない雰囲気でききてににじりよるような音である。ただ、にじりよられても、音の湿度は高くなく、ひびきとしてあかるいので、嫌味にはならない。

シーメンス Baden, ヴィソニック David 5000

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 シーメンスのBADENとヴィソニックのDAVID5000では、大きさも、それに価格も極端にちがうので、とても一緒くたに考えられないが、でも、ふたつとも、まぎれもなくドイツ出身のスピーカーであることが、一聴してわかる。その意味で、まことに特徴的である。ドイツのスピーカーをきくのであるからと、クラフトワークの『コンピューター・ワールド』とニナ・ハーゲンの『ウンバハーゲン』を中心に、ここではきいた。
 シーメンスのBADENできいたニナ・ハーゲンは、圧倒的というべきであろうか、なんともすさまじいものであった。ききてに迫る音のエネルギーの噴出には、きいていてたじろがざるをえなかった。このレコードは、これまでにもいろいろなスピーカーできいているが、それらと、ここでシーメンスのスピーカーできいたものとは、決定的にちがっていた。リズムのうちだす音の強さは、さて、なににたとえるべきであろう。鋼鉄のごとき強さとでもいうべきであろうか。
 クラフトワークのレコードできけた音についても、同じようなことがいえる。そうか、このグループはドイツのグループであったのだなと、あらためて思った。そういう音のきこえ方であった。音場的にかなりのひろがりは感じられたが、そのひろがった間をぎっしり強い音がつまっている感じであった。このスピーカーの音の力の示し方は、独自であるが、すばらしいと思った。
 ところが、たとえば、ハーブ・アルバートのレコードなどをきくと、たしかに音の輪郭をくっきりあいまいにせずに示すあたりはすばらしいのであるが、このレコードできけるはずの本来の軽快さやさわやかさからは、遠くへだたったものになっていた。どことなくPA的になっているとでもいうべきであろうか、微妙なニュアンスの感じとりにくいはがゆさをおぼえた。
 シーメンスのBADENというスピーカーの音の特徴は、あぶなげのない、そしてあいまいさのない、いうべきことをはっきりいいきったところにある。きいていて、すごいと思うし、それなり説得力もある。しかし、すべての音楽を、そしてすべてサウンドを、自分の方にひきつける強引さが、ときにうっとおしく感じられることもなくはないであろう。そういうことを含めて、たしかにドイツのスピーカーであると思わせる音をきかせたということになる。
 小さなDAVID5000についても、似たようなことがいえる。コマーシャルを真似て、DAVID5000は小さなドイツです──などといってみたくなる。小さな身体にエネルギーがみちみちているといった感じである。よくもこの小さな身体からこれだけダイナミックな音をだすものであると感心した。クラフトワークのレコードなどでも、音楽的特徴は、一応つつがなくききてに示した。なかなかたいしたものである。
 このDAVID5000の泣きどころは、声のようである。声が、概して、がさつきぎみであった。しかし、その一方で、ソリッドな音を、くずれをみせずに示しているのであるから、あまりないものねだり的なことはいいたくない気持である。
 いずれにしろ、シーメンスとヴィソニックで、ドイツの人が好むにちがいない音の力を堪能した。

ロジャース PM110SII

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 重い音への対応ということでは、このロジャースのPM110SIIは、これまでのイギリス出身のふたつのスピーカー、スペンドールのBCIIとKEFの303と、かなりちがう。このスピーカーの大きさからは考えられないような低い、そして重い音がでるのには、感心させられた。しかも、ここで示される低音には、ぼけた感じがない。それがこのましい。
 たとえば、デイヴ・エドモンズの『トワンギン』できける音楽の、敢えていえばロックとしての迫力とでもいうべきものは、実に見事に示した。そのかぎりにおいて、これは、これまでのイギリス出身の2機種にまさる。この表情の変化なども、大変になまなましく示した。ただ、問題がひとつある。表現の重心が中高域より中低域にかかりすぎているためと考えるべきか、いずれにせよ、シャカシャカいう音よりドンドンいう音の方が拡大されがちなことである。
 きいてみたレコードの中で、特にきわだって結果のおもわしくなかったのが大滝詠一の『ロング・バケーション』であった。音像が拡大されがちなことと関係して、声そのもののなめらかさはあきらかになっているとしても、声は楽器の音にうめこまれがちで、きいていて重くるしさが感じられる。そいうきこえ方というのは、この音楽のめざす方向とうらはらのものといえよう。
 似たようなことのいえるのが、ハーブ・アルバートの『マジック・マン』であった。ここでのきこえ方は、お世辞にも颯爽としているとは表現しがたいものであった。たしかに、低音のきこえ方などには独自ものがあり、アルバートのトランペットの特徴ある音色を巧みに示していたが、音楽がさわやかに走る気配を感じとらせにくいものであった。
 本来なら、スライ&ロビーの『タクシー』あたりが、もう少し軽くきこえてほしいところであったが、音楽としてもったりしたものになってしまった。そのようなことから、このスピーカーは、いまのサウンド、あるいはいまの音楽、とりわけここできいたようなレコードにおさめられている音楽にはあわないスピーカーといえるのかもしれない。ご存じの方も多いと思うが、ロジャースのスピーカーは、総じて、クラシック音楽を中心にきく人の間に支持者が多い。たしかに、この腰のすわった、それでいてきめこまかいところもあるスピーカーの音が効果的なレコードもあることはわかるが、すくなくとも今回きいたようなレコードでは、ロジャースのスピーカーのよさがいきなかったといってよさそうである。
 スピーカーの音としていくぶん暗めであるのは、イギリス出身のスピーカーに共通していえるわけで、このロジャースのPM110SIIについてもそことはあてはまるが、それに加えて、このスピーカーでは、もうひとつ音ばなれがすっきりしないために、全体としてさわやかさの不足したものとなったようである。
 いまの音楽は、ウェストコースト出身のレコードできかれる音楽にしろ、イギリス出身のレコードできかれる音楽にしろ、一種の軽みを共通してそなえていると思われるが、その点での反応でいささかものたりなさを感じさせた。

スペンドール BCII

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 このスペンドールのBCIIというスピーカーは、しばしばクラシック向きといわれる。たしかに、このスピーカーのもちあじであるきめこまかさは、繊細さを求めるクラシック音楽をこのましくきくのに、うってつけである。それに、SS編集部の良識派のMくんがいみじくもいったことであるが、おそらくこのスピーカーをつくった人たちは、ここで試聴につかったようなレコード、たとえばデイヴ・エドモンズの『トワンギン』のようなレコードは、きいたことがないにちがいない。しかし、デイヴ・エドモンズの『トワンギン』の中には、1968年にロンドンで録音された曲が収録されている。そうなれば、今回の意図からして、ここできいてみることになる。
 それで、結果はどうであったかということになるのだが、納得できる音をきくことができた。なるほどと思えた。デイヴ・エドモンズの音楽をパブ・ロックといっていいのかどうかはわからないが、この音楽の、あかるくはれやかになりようのない性格を、なかなか巧みに示した。ひびきのスケールがきわだって大きいとはいいがたいが、それなりの音楽の力感といえるようなものは提示したというべきであろう。
 これはイギリス出身のスピーカーに共通していえることであるが、サウンドは、いくぶんうつむきかげんで、多少暗い。その多少の暗さが音に陰影をつけることにもなっているようである。
 このスペンドールのBCIIを、たしかにイギリス出身のスピーカーであると思ったのは、イギリスで録音された、つまりイギリス出身のレコードをきいたときでなく、むしろアメリカのウェストコースト出身のレコード、たとえばハーブ・アルバートのレコードなどをきいたときであった。アルバートのトランペットの音は、かげりの中にあった。エレクトロボイスのスピーカーできいたときほどの違和感はなかった。その辺がイギリスのスピーカーの興味深いところである。レコードヘの歩みより方が巧妙である。
 それぞれのレコードがきかせる音楽の「らしさ」への対応がうまいということになるであろう。
 スライ&ロビーの『タクシー』のようなレコードにしても、乾ききらないどことなく湿りけを残したひびきを、ききてに感じさせるような音をきかせる。ひびきは、再三書いているように暗く、多少の湿気もあるのであるが、ついに重くひきずったようにならない。つまり、ある種の軽みの表現にもすぐれたところがあるということである。
 そために、このスピーカーは、いまの時代のサウンド、あるいは今様な音楽にも、無理なく対応しているとみるべきであろう。このイギリス出身のスピーカーは、なかなかどうしてヤング・アット・ハートである。一応ものわかりもよく、それなりの実力をもあり、気分的に若いとすれば、つかう方からすると、気をつかわないでつかえるということで、それはむろんスピーカーとしては美徳である。
 このスピーカーには、もうひとつ、このましいところがある。おそらく、ひびきのきめのこまかさに関係してのことと考えるべきであろうが、言葉のたちあがりが鮮明である。歌を中心にきく人にはうってつけのスピーカーといえるのではないか。

AGI Model 511b

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 AGI511コントロールアンプは、数年前の登場以来、シンプルで簡潔なデザイン、精密感があり加工精度が高い筐体構造、優れた性能が直接音質に結びついた印象のダイレクトでフレッシュなサウンドなどこの種の製品に要求される要素が巧みに盛り込まれているオーディオ製品としての完成度の高さにより、一躍注目され、多くのファンを獲得してきたが、今回ラインアンプのICを変更し、新しくbタイプに発展した。
 詳細は不明だが、511のラインアンプは、最初期のタイプが初段差動アンプがバイポーラトランジスター構成のIC、その後FET差動のICに変更されている様子であり、これがAGI511aとして知られているタイプである。今回新採用のICは、米国NASA系の技術を受け継いだ半導体メーカー、BURR−BROWN社製の最新型で、これの採用により特性面での改善は大変に大きい。
 新ICによりラインアンプのスルーレイトは、従来の50V/μsからフォノイコライザーと同じ250V/μsと高まり、THDは、20Hzから100kHzの超高城まで変化をしないといわれる。なお、bタイプのイニシアルは改良のプロセスを示すが、国内市場では、いわゆるaタイプはパネル面に表示されていなかったために、新採用のBURR−BROWN社製ICの頭文字Bの意味をとってbと名付けられたようである。また、bタイプになっての変更はICのみで、使用部品関係は従来どおりの高精度部品を採用している特長を受け継いでいる。なお、輸入元のRFエンタープライゼスでは、従来機のbタイプへの改良を実費(55、000円)で引受けるという。
 bタイプは、511初期のクッキリとコントラストをつけた音から、次第にワイドレンジ傾向をFET差動IC採用で強めてきた、従来の発展プロセスの延長線上の音である。聴感上の帯域が素直に伸びている点は従来機と大差はないが、内容的には一段と情報量が多くなり、分解能の高さは明瞭に聴きとれるだけの充分な変化がある。音色は明るく、のびやかな再生能力があり、大きなカラーレーションを持たないため、組み合わせるパワーアンプにはかなりフレキシブルに反応をする。内外を含め最近のコントロールアンプとしては最注目の製品だ。

オルトフォン T-30

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 トップランクのMC型カートリッジMC30の高性能に対応するため、分割巻線のトロイダルコアを新採用しワイドレンジ化し、各種のインピーダンスのカートリッジにも使えるように3〜48Ωの5段切替のインピーダンスセレクターを備えた汎用型の製品である。
 帯域バランスは柔らかな低域ベースのワイドレンジ型で、音の粒子は細かく滑らかなタイプだ。質的には高い音だが、薄いベール感があるため出力コードを変更してみると、その変化は相当に大きい。デンオン、オーディオクラフト、マイクロなどのコードを組み合わせると、マイクロが最も音にエネルギー感があり、シャープで抜けの良い音である。MC20、FR7f、305ともに個性は抑えるが美しく聴きやすい音だ。

オルトフォン MCA-76

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 CD4方式の4チャンネルステレオに対応する広帯域特性を得る目的で開発されたオルトフォン初のヘッドアンプで、CD4用の高域カットフィルター付属。入力インピーダンスは75Ω、ゲインは34dBである。
 柔らかな低域、豊かで響きのタップリとした中低域と硬質さを感じる中高域が特徴の帯域バランスだ。音の表情は穏やかで安定感があり、音場感は前後方向のパースペクティブが少し狭い。ロッシーニは穏やかで聴きやすいが、高域のディフィニッションが不足気味で反応が遅く感じられる。
 ドボルザークは、DGG独特の高域の輝きが少なく、メタリックにならない特徴はあるが、まとまりに欠け、峰純子もダイレクトさが出ず、ボーカルの声量が落ちて聴こえる。

オルトフォン T-20

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 トロイダルコアを採用した低インピーダンス専用昇圧トランスで、バイパススイッチの付いたモデルだ。
 聴感上の帯域バランスはトランスとしてはワイドレンジ志向型で、豊かで適度に芯のある低域、クッキリと粒立つ硬質な中域とスッキリと伸びた高域に特徴があり、音にコントラストをつけ、リアルに音を聴かせるタイプだ。音場感はシャープに拡がり、音像定位もクリアーにまとまる。音の表情には少し固さがあるが、分解能はSTA6600Lよりも一段上で、低域の力強さでも優れる。
 試みにFR7fを使うと、トランスの性質が相当に強く、空芯MC型独特の鮮明さと反応の速さは抑えられ気味で、力強い低域とクッキリとコントラストのついた明快型のFR7fになる。

オルトフォン STA-6600L

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 トランス本体を筐体の上部に取付けた6600以来のロングセラーを誇る製品。
 帯域バランスはヘッドアンプに比べれば狭いとはいえ、ナチュラルに伸び、やや柔らかい低域と程よく硬めの高域がバランスを保ち、中域に量感があるのはトランスならではの独特の味だ。
 MC20は、豊かで柔らかな低域が安定感のあるファンダメンタルを作り、適度に密度感のある中域とスッキリと粒立つ高城は安心して聴けるオルトフォンらしい魅力だ。4種のプログラムソースを、それなりに見事にまとめて聴かせる性能は、長期にわたるロングセラーの実力を示すものだ。
 試みにFR7fと66Sの組合せを使ってみると、細やかさ分解能の高さ表情の豊かさといったカートリッジの特徴をよく出す。

オルトフォン MCA-10

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 MC10カートリッジの開発にあわせて登場したヘッドアンプで、電源はバッテリー動作。フロントパネルの小型メーターは、ヘッドアンプ出力とバッテリーチェック共用である。
 聴感上の帯域バランスは、ヘッドアンプとして無理にワイドレンジを狙わず、スムーズなレスポンスをもったトランス的なニュアンスをもつタイプだ。低域は柔らかく豊かだが、音の芯が弱くソフト。中域は程よい厚みがあり、中高域には少し硬質なところがあり、マスキングのせいか高域はゆるやかに下降して聴こえる。
 MC20はそれなりに特徴を出すが、独特の豊かさやしなやかさが今一歩の印象であり、バランスは良いが不満も残る。FR7fにすると低域の力強さはあるがソフトな雰囲気になる。

オルトフォン STM-72Q

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 低インピーダンス専用に、開発された小型昇圧トランスで、型番末尾のQはCD4システムに対応できるワイドレンジ型の設計であることを示している。
 昇圧比は1対60とオルトフォンのトランスでもっとも大きいが、帯域バランスはナチュラルで、さして狭い感じはない。音の傾向は過度にスムーズさを持ちながらスッキリとした伸びやかさがあり、全体にまとまりの良いタイプだ。ロッシーニの軽快さと華やかさ、ドボルザークのプレゼンス、峰純子のダイレクトらしい鮮度感、さらにカシオペアのパワー感などを完全にではないが、それなりに聴かせる性能は、価格から考えれば見事という他はない。
 試みにFR7fを使うと音の細部が見えず木炭画のような粗い音になった。

リン Pre PreAmp

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 ASAK・MC型カートリッジ専用のセパレート電源付ヘッドアンプである。
 低インピーダンス用のためMC20と組み合わせると、無理に帯域を伸ばした印象がないトランス的な性質と、中高域から高域での美しい輝きをもち、全体としては重く量感のある低域をベースとした独特の穏やかな安定感のある音が、このアンプの特徴であることがうかがわれる。
 試みにASAKとFR66Sを組み合わせると、適度にソリッドさがある低域をベースにクッキリと音像を立たせる中域、シャープで少し硬質な高域が巧みにバランスをした硬質な音ながら安定感があり、引締まった立派な音を聴かせる。音場は適度にクリアーで音像定位はシャープであ1り、反応はキビキビして速い。

フィリップス EG 1000

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 AC電源100V使用、入力インピーダンス135Ωのヘッドアンプで入出力は逆相の反転アンプである。
 帯域バランスはヘッドアンプとしては必要以上にワイドレンジ化を狙ったタイプではなくナチュラルでスムーズに伸びたレスポンスをもつ。全体に音はソフトで滑らかであり、音の粒子は細かく抑えた光沢がある。
 MC20は暖色系の響きが豊かな低域と少し線を太く聴かせる中域から高域に特徴があり、デッサン的に音を聴かせる。305では、滑らかで適度にシャープさがあう、フワッと包み込まれるような独特のプレゼンスがあり、表情も豊かでそれなりにリラックスして楽しめる音だ。925にするとスケールが大きく、低域は豊かで芯があり、艶やかでプレゼンスに優れる。

フィリップス EG 9000

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 筐体上部の3系統のアーム切替とパスを含み3Ωと40Ωに切替えるダ円形のバーチカル型スイッチに特徴がある昇圧トランス。
 聴感上の帯域バランスは、ナチュラルに伸びたトランスとしてはワイドレンジ志向型で、柔らかな低域と軽快さがあり、反応が速いフレッシュな中高域から高域が特徴である。音の粒子は細かく滑らかでスッキリと粒立ち、細身で爽やかな印象は独特の魅力がある。
 MC20は、オルトフォンSTA6600Lを軽快にしたサウンドとなる。305はこのトランスとマッチングが良く、スムーズに伸びたワイドレンジ感と、適度に反応が速く、フレッシュでスッキリとした美しい音を聴かせる。音場感の拡がり、音像定位もシャープで小気味のよい音だ