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ゴールドムンド Mimesis 2

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 ゴールドムンド社は、1975年頃、ミッシェル・レバションによって設立され、超弩級アナログプレーヤー、リファレンスを筆頭にスタジオ、スタジエッタなどのアナログプレーヤーや、T5型リニアトラッキング方式トーンアームを世に送り出していた。かつてはフランスに本拠を置いていたが、高い精度を維持すべく、精密加工技術のアベレージレベルや技術者の質が高いスイスのジュネーブに、5年ほど前に移転している。また、フランス人であるレバション自身もスイス国籍になっているという。
 同社は、スイスにおいて、現地のアンプメーカーのスイスフィジックス、およびテープレコーダーメーカーとして歴史を誇るステラボックス社を吸収合併させ、本格的にアンプメーカーとしても活動を開始した。
 今回発表されたコントロールアンプ、ミメイシス2はすっきりとした薄型デザインで、比較的奥行きの深いプロポーションをもつ。細部の仕上げはさすがにスイス製だけあって精密機器的な雰囲気が濃厚だ。
 機能は、入力5系統、ステレオモード切替、テープコピー、アブソリュートフェイズ切替を装備。また、リアパネルには電源のフェイズを反転できるスイッチがあり、動作中に切り替えを行なっても、全くノイズレスで音のチェックが可能だった。
 スイッチの感触はすこぶるよい。回路の詳細は不明だが、内部は整然として美しく、高級パーツが厳選して使用されている印象だ。5系統の入力間の音の差は少なく、むしろその微妙な差を使いこなしの一部として楽しめた。回路設計はスイスフィジックスのエンジニア、デル・ノビレが担当している。ミッシェル・レバション自身はエンジニアではなく、マーク・レビンソン同様、優秀なエンジニアをその得意分野で使い分けるコンダクター的な存在であり、音決めを自らのポリシーに基づき行なっている。ちなみに、別売のイコライザーアンプ(アナログプレーヤーのリファレンス組込み用)は、かのジョン・カールの設計である。
 基本的には微粒子型のさらっとした質感をもち、端正で上品な柔らかさを感じる。音像の輪郭をミクロ的に見ると、角が穏やかに丸く硬質感をともなわない。その結果、繊細に切れこむ感じがありながら、刺すような刺激感は全くない。
 無垢な痛々しささえ感じる慎ましい甘さ、清潔感のある色香、艶が響きにひっそりと浸透しているのがわかる。これは、コントロールアンプ遍歴を重ねた、錯綜した願望をも満たす情緒的な響きだ。ライバル、マークレビンソンNo.26Lは音の輪郭線の張りがもうすこし強く硬質だが、線そのものは、もっと細く男性的な潔さがある。チェロ・アンコールは、さらにウェットな色香が強い。

トーレンス TD321 + SME 3010-R

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「アナログプレーヤー徹底試聴 アナログ再生を楽しむプレーヤー4機種を自在に使いこなす」より

 個人的偏見で、わがシトロエン2CVとは異次元の存在たるドイツ車嫌いの僕なれど、なぜかドイツの響きにはひかれるものがある。シーメンスしかり、H&Sしかり。トーレンスは元来スイス産なれど、このドイツ製TD321は一聴して、はからずもドイツの響きを感じさせつつ、「完璧」をひけらかさない「可愛いさ」がある。サーフェイスノイズはさらっと軽く、ややブライト。響きは秋の空を想起させるほど、澄んでいる。
 涼しい表情は「知」が勝った印象で、スケール感こそやや小振りながら、それなりにアルゲリッチの鋭角的な表現もこなしてしまう。引き締まって、凛々しいフィッシャー=ディスカフの口許。奥に素直にひろがる音場。総じて辛口の味わい。暗騒音も、けっこう明瞭に聴かせてしまうディティールへのこだわりもある。チャーネット・モフェットのベースも運指がはっきりしてくる。メリハリがありながらメタリックな付帯音はなく自然だ。さすがにリファレンスプレーヤー、マイクロのドスンと来る本物の重量感はないものの、リズムに乗ってくる反応の速さはある。エモーショナルな激しさは、やや距離を置いて表現してくるクールな面も覗かせた。それだけに、『シエスタ』では、かすかに醒めたところを残したような理知的な響きが、むしろ内向する哀愁を際立たせた。
 軽量級とはいえ、トーレンスは依然としてトーレンスであり、プレーヤー作りの伝統的ノーハウが随所に散りばめられている。ディスクと聴き手のあいだに、より緊密な繋がりが生まれ、使い手の意志に鋭敏に寄り添い馴染んでくれるシステムでもあろう。

H&S EXACT

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「スーパーアナログコンポーネントの魅力をさぐる フォノイコライザーアンプ12機種の徹底試聴テスト」より

 音が出た瞬間、その気負いをそぐような、静かで醒めた鳴り方に驚く。妙に柔らかく、自己主張を喪失した、突き放すような無表情、冷たい違和感の漂う響きは聴きなれたエグザクトの音ではなかった。
 そう、きっとS/Nの良さが圧倒的であるがゆえに、周辺機器のマスキングをまともにくらって、拒絶反応を起しているに違いなかった。極度に神経質なのだ。折り目正しく丁重なる忌避、寡黙なる拒絶の壁が慇懃無礼に目の前にそり立つ。しかし、これはけして本来の音ではない。音楽の、響きの行間に潜む透明な震え、沈黙の、底なしの静寂感がここでは何かによって犠牲がなっているのだ。物理的には申し分ない。耳を測定器にして聴けば、これだけでも他をさりげなく圧倒するに充分である。しかし、この鏡のような抽象性は、使い手が何かを写しこむことを強烈に要求するがゆえの無表情のようにも思えてくる。

ヴェンデッタリサーチ SCP-2A

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「スーパーアナログコンポーネントの魅力をさぐる フォノイコライザーアンプ12機種の徹底試聴テスト」より

 一聴して温かい温度感をもった柔らかい音でほっとさせられる。弾力性に富みながら反応の速さを兼ね備え、ハイエンド、ローエンドともよく延びたワイドレンジ感が、優しい繊細感を伴って再現される。
 柔軟でありながら現実的な存在感を失わず、音楽の立体構築を明らかにする卓抜な表現力は、同社のヘッドアンプのもつ良さを継承していると聴けた。多様な組合せにも鋭敏に反応しつつ、自らの美点を巧みに維持する包容力がある。響きには有機的なつながりが濃密に存在するが、情報量の多い緻密さがあるために、使いこなし次第では分析的な細密描写も可能である。
 C280Lとの組合せでは、やや過剰な粘りけがつく部分もあり、透明感、鮮度感がやや弱められる傾向があった。ウォームな表現の中に、組み合わせるシステムのクォリティをさりげなく聴かせてしまうあたり、潜在能力の高さの証左と聴いた。

エレクトロ・アクースティック EL160

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 西独のエレクトロアクースティックといえば455EというMM型カートリッジを思い出す。ふっくらとした温かみのある響きながら、骨格の確かな造形力、重厚な色彩感があった。
 同社のスピーカーシステムは、すでに上級機、170ー4πが紹介されたが、無指向性リボントゥイーターを天板上にいただいたユニークな外観とその高い完成度、確固たる響きに驚かされたのも記憶に新しい。
 今回試聴したEL160は型番からもわかるように、170ー4πのすぐ下位に位置する製品である。
 20cm口径ウーファーのトリプルドライブ、10cm口径コーン型スコーカー、そして2・5cm口径のチタンドームトゥイーターによる4ウェイ・5スピーカー構成をとる。写真ではわかりにくいが、エンクロージュアの作りは精度感があり、質感の高いものだ。
 これは、ドイツ音楽あるいはロマン派の音楽を愛好する人たちにとって、必要の存在である。こうした構成のスピーカーで、かくも引き締まった音像とオーケストレーションの音楽的構築性を、良き時代の剛直さ、典雅さとともに再現しうるスピーカーは少ない。たとえば4344などの大型システムのようなスケール感はないものの、トールボーイ型のプロポーションが活き、音場の広がり感が自然である。特に高い天井を想起させる気配、漂う空気の重層感が見事に再現された。
 ミクロ的に聴けば、音の粒子は特別超微粒子というわけではないが、充分に磨かれ、しっかりした芯をもっている。そのため、音像の輪郭には、脆弱な細さ、曖昧さがない。決然たる硬質感のある潔癖な響きで、ここで聴いたヴァイオリンコンチェルトでは、オーケストラとソリストの位置関係に歪みやぶれがなく、ビタッときまる定位感にも潔い快感があった。弦の響きには厳格な艶がのり、けして倍音過多のうわずった輝きがない。歌い上げる情感には、己を律する厳しさが影のようにつき、オーバーエクスプレッションへ墜落することがない。そうした抑制のきいた表現のためか、聴き手が音楽の内面に自然に吸い込まれていく過程をスムーズなものにしてくれる。
 格別ワイドレンジ・ハイスピードではないが、そんなことはどうでもいい。そう思わせる音楽的な訴求力がある。
 こうした傾向は、ベートーヴェンやブラームスといった硬質な悲しみが浸透した音楽では、他のスピーカーでは得難い世界を聴かせてくれるに違いない。
 その一方で、ジャズ系のソースに対しても、やわなワイドレンジスピーカーでは出し得ない、冷たく、暗い闇にうずくまる、孤独な魂の震えを抉りだすような鳴り方は貴重だ。これは音楽を心で聴くための存在といえる。

グリフォン Phonostage

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「スーパーアナログコンポーネントの魅力をさぐる フォノイコライザーアンプ12機種の徹底試聴テスト」より

 およそ国産の製品からは絶対に聴くことができないような、あるいはアメリカやドイツの響きとも一線を画した、これは北欧の気候風土の影響を色濃く漂わせた個性豊かな響き、ということができる。オルトフォンのカートリッジがもつ独特の匂い、あるいはアクともいえるものを、けして浮き上がらせず、響きに溶け込ませてしまうことのできる貴重な存在だ。
 間接音成分のたっぷりした響きは、中間色的な複雑な響きが薄く幾重にも重なってできたような、独特の深みがある陰影感をみせ、あたかもアメ色のツヤがのった、贅沢な透明感を聴かせる。これは、ディテールを鋭角的に掘り起し、スケスケの薄いガラスのような透明感を聴かせるアンプとは、一線を画す、別世界の音だ。
 まさに暗がりの情念ともいうべきものがめらめらと燃えているような、くすんだ微光を感じさせる耽美的な瞑想感が魅力的。

サウンドオーガナイゼーション Z021

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「アナログプレーヤー徹底試聴 アナログ再生を楽しむプレーヤー4機種を自在に使いこなす」より

 細いスチールパイプで組み上げられている構造上、音圧の影響は受けにくいだろう。しかし、けして皆無ではあり得ない。叩けば結構金属的な「鳴き」がある(当然ではあるが)。ひとつ不思議なのは、肝心のプレーヤーを直接置くトップパネルの材質で、とても薄く、とても軽いのだ。これはリンの主張で、LP12はとにかく軽い台に設置したほうがベターだという。なぜだろう。これまでの常識とは逆行する理論だ。堅くて重い物質がもつ、払拭し難い鋭い共振を嫌ってのことだろうか。真偽のほどは不明であり、謎として残った。たとえば異種金属をあわせたときにダンプ効果があるように、Qの異なった素材をうまく組み合わせ、しかもそれぞれが大きな質量を持たなければ、共振のエネルギー自体も弱く、コントローラブルになるのかもしれない。
 その音だが、たしかに音の輪郭にメリハリはつくし、中高域の分解能が向上したかのように聴こえるときもある。音楽的な抑揚もよくついて、弾みのある表情豊かな響きにはなる。他に、変化として、まず低域はやや軽くなる傾向をみせ、総じて響きの密度がわずかに「疎」になるような印象。弦の響きの表面に、わずかに金属的な響きがつく。音場のスケールがやや小さくなる。聴感上、音の反応がシャープになり、ハイエンドの伸びが増したようになる。サーフェイスノイズのピッチが上がる。強い響きに強引さがなくなる反面、求心力がやや後退する。冷たい響きの温度感が、やや上昇する。低域のリズム楽器の輪郭はつくが、実体感、押し出しがやや希薄化する。音像はふやけず、フォーカシングはシャープ。しかし、神経質な感じは全くない。以上のような傾向が、ミクロ的ではあるが聴取し得た。

タンノイ Canterbury 15, Canterbery 12

井上卓也

’89NEWコンポーネント(ステレオサウンド別冊・1989年1月発行)
「’89注目新製品徹底解剖 Big Audio Compo」より

 タンノイから新しくCANTERBURY(カンタベリー)シリーズとして発表されたモデルは、個性的な魅力を誇るタンノイの製品の中でも異例ともいえる内容を備えたシステムである。
 カンタベリーの名称は、イングランドのケント州にある地名で、英国国教会の総本山がある由緒ある都市とのことで、英国の長い歴史の中でその流れを変えてきたその地と同じく、本機はタンノイの歴史に新しい一ページを飾るにふさわしいモデルとして誕生したものである。
 まず、このシリーズで最大のエボックメイキングなことは、使用ユニットの磁気回路にアルニコ系のマグネットが採用されていることである。
 ユニット構造の基本は伝統的なもので、タンノイ独自の磁気回路の前後に独立した低域用と高域用の2系統の磁気ギャップをもつデュアルコンセントリック型・同軸2ウェイ方式に変りはないが、磁気回路にALCOMAXIIIが新たに採用されている。
 英国系を代表するアルニコ系マグネットといわれるTICONALと比較して、ALCOMAXIIIは、約2倍の磁気エネルギーをもつ強力なマグネットであり、これによるドライバビリティやトランジェントの向上は、デジタルプログラムソース時代に対応した、新世代のタンノイの音とするための重要なベースとなっているようだ。
 フェライト系マグネット採用の磁気回路は、直径方向が大きく、軸方向の厚みが薄い偏平な形状を標準とするが、アルニコ系マグネットを採用するとなると、磁気特性の違いから、直径方向が小さく、軸方向の厚みが充分にある、いわば円筒状の形状となるために、低域用のポールピースを貫通する高域用のホーン全長が大きくなり、ホーンの特徴として、カットオフ周波数が下がり、より低域側の再生能力が向上することに注意したい。
 さらに、高音用ホーンを兼ねる低音用コーンは、かつてのモニターレッドや、モニターゴールドの時代とはカーブドコーンの形状が変っているために、結果として今回のカンタベリー・シリーズに採用された高音用ホーンの形状は、従来にない、まったく新しいタイプになっており、新同軸型ユニットの誕生と考えてもよいものだ。
 エンクロージュアは、タンノイの製品としては比較的コンパクトにまとめられており、ストレスなしに一般的なリスニング条件でも使いやすいというメリットがある。
 エンクロージュア型式は、スターリングで採用されたディストリビューテッドポート型に、メカニカルなスライドシャッターを組み合わせたタンノイ独自のVDPS(バリアブル・ディストリビューテッド・ポート・システム)であり、ある範囲内での低域コントロールが可能だ。
 ネットワークは、高域・低域独立型位相補償(タイムコンペンセイティヴ)型で、プリント基板を使わず、各構成部品間を直結するハードワイアリングを採用。内部配線用のワイア一には、高級オーディオケーブルをつくるメーカーとして評価の高いオランダのVAN DEN HUL社製シルバーコーティング線が使用され、高域レベルコントロールには、金メッキ処理のネジとプレートにより確実に接続できるハイカレントスイッチを採用。経年変化が少なく、初期特性の維持ができることは現在では当然のことであるが、タンノイに限らず、かつてのことを想い出せば、海外製品の内容の充実は大変にうれしいことだ。
 カンタベリー・シリーズは、15インチ同軸ユニットを使うカンタベリー15と、同じく12インチユニット採用のカンタベリー12の2モデルがあり、ALCOMAXIIIの数量確保に問題があるためか、ともに受注生産品であり、限定生産モデルと予測できるようだ。
 なお、受注にあたり、フロントパネル部のネットワークパネルには、オーナーのネームがエッチングで刻印されるとのことで、オーナーとしての満足感が充分に味わえるのは大変に楽しい。
 カンタベリー15は、タンノイのシステムとしては異例ともいえるしなやかさ、ニュートラルさをもったスピーカーらしいスピーカーである。
 全体に音色傾向も、独特の魅力といわれた渋さ、重厚さ、穏やかさ、などの特徴がかなり薄らぎ、明るさ、軽さ、反応の速さ、などを要求しても充分に満足の得られる内容を備えている。
 とくに、低域の素直な表情や質感の再生能力などを、モニターレッドあたりまでのタンノイファンが聴けば、まさに隔世の感のあるところであるが、全体の雰囲気は決してタンノイの枠を外れず、タンノイはタンノイであることの伝統を受け継ぎながらも、文字どおりのデジタルプログラムソース時代のタンノイの音が、抵抗感なしに楽しめる。
 VDPSの調整は、内側を閉めたほうが音場感的プレゼンスがノイズにマスクされず、自然に遠近感をもって聴かれるようである。
 一方、カンタベリー12は、重量感のある傾向の音を指向しない現代的な聴き方、楽しみ方をすれば、反応が速く、軽快に、ノリの良い音楽を聴かせる魅力があり、完成度も非常に高い製品。

インフィニティ IRS-Beta

井上卓也

’89NEWコンポーネント(ステレオサウンド別冊・1989年1月発行)
「’89注目新製品徹底解剖 Big Audio Compo」より

 高級スピーカー市場でトップランクの地位を占めるインフィニティ(Infinity Systems Inc. USA)が、創立20周年を記念して1980年に登場させた新シリーズが、IRS(Infinity Reference Standard)だ。
 今回、新しいラインナップとなり、デノンラボにより輸入が開始されたIRSシリーズは、従来からの床面から天井付近まで各専用ユニットを直線状にトーンゾイレふうに配置する、独自のラインソース理論に基づくアンプ内蔵タイプの究極のスピーカーシステムIRS−Vがトップモデルとして受注生産されるが、それ以外のBETA、GAMMA、DELTAの3モデルは完全に新設計されたIRSシリーズのフレッシュなラインナップである。
 BETAは、Vのラインソース理論に対して、無限小の振動球からすべての周波数を全方向に等しく放射するというポイントソース理論に基づく開発である。
 実現不能のこの理論を近似的に実現させるために、再生周波数が高くなるほど放射面積を小さくすることにより、音源は常に放射させる音の波長より小さくなるように、ユニットサイズの異なる5種類の専用ユニットを組み合せてあり、さらに両面に音を放射するダイボール配置も新シリーズ共通の特徴になっているが、これもポイントソース理論に近似させるための手段である。
 BETAシステムは、IRS−Vと同様に低音と中低音以上の帯域を受け持つエンクロージュアが独立・分離した2ブロック構成に特徴がある。
 低音エンクロージュアは、新素材ポリプロピレン・グラファイトを射出成型した30cm口径のユニットが垂直方向に4個配され、110Hz以下の帯域を受け持っているが、上から2段目のウーファーには、キャップ部分にMFB用のセンサーが組み込まれており、サーボコントロールにより、歪みの低減の他に、15Hzの超低域から110Hzまでのほぼフラットな再生を可能としている。
 全ユニットのサーボコントロール化をしない理由を開発者に尋ねたところ、1個のユニットをサーボコントロール化したときが、聴感上で最も良い低音再生が得られる、との回答があったそうで、音楽再生を重視した、いかにもインフィニティならではの回答である。
 中高音用エンクロージュアは、むしろ下部のネットワーク用素子をバランスウェイトに利用した、平面バッフルと呼ぶ方がふさわしい構造である。
 中低域を受け持つ新開発のL−EMIM(大型電磁誘導型中域ユニット)は、30cm口径に匹敵する放射面積をもつダイナミック型平面振動板ユニットで、前後双方向放射のバイポーラー型を2個使う。中高域の750Hz〜4・5kHzを受け持つEMIM、4・5kHz〜10kHzを受け持つEMIMTは、従来型の改良版である。超高域用には10kHz以上を受け持つSEMIMを採用。背面には、双方向放射をするために専用のネットワークにより、約3kHz以上を再生するEMITが横位置で取り付けてある。
 この中低域以上を再生するフラットバッフル部で注目したいことは、中高域、高域、最高域の各ユニットの取付部分の両側が完全にカットされ、双指向性を円指向性に近づけている点である。一般的にも中空に高域ユニットを吊り下げたりして使うと、ディフィニッションの優れた高音が楽しめることもあり、かなり実際の音質、音楽性を重視した設計が感じられるところである。
 専用のサーボコントロールユニットは低域専用の設計であり、BETAを使うためには2台のパワーアンプが必要だ。
 高域カットフィルター部は、60HzからHz164間の6周波数切替型で、BETAの標準は110Hzである。低域調整は、40、30、22、15Hzとフィルターなしの5段切替低域カットスイッチと、上昇・下降連続可変の低音コントロール、低域と中低域以上のレベル調整用ボリユウムとサーボゲイン切替スイッチ、サーボ用入力端子などが備わり、これらを組み合わせた低域コントロールの幅の広さ、バリエーションの豊富さは無限にある。使用する部屋との条件設定の対応幅が広く、経験をつむに従ってコントロールの幅、システムとしての可能性の拡大が期待できるのが素晴らしい点だ。
 シリーズモデルのGAMMAとDELTAは、1エンクロージュア構成で低域と中低域の使用ユニットは半分になるが、基本はBETAと変らない設計だ。
 GAMMAが、サーボコントロール使用のバイアンプ方式であるのに対して、DELTAはLCネットワーク型で、低域にはLCチューニングのエキストラバススイッチを備え、KAPPAシリーズと共通の使いやすさがあるうえに、サーボコントロールを加えて、GAMMA仕様にグレードアップする楽しみをも備えているモデルだ。
 BETAは、中低域ブロックの外側に低音ブロックを少し後方に配置した位置から設置方法を検討し、各ユニットのレベル調整、サーボコントロールユニットの低域調整、レベル調整と高度な使い方が要求されるが、比較的に容易に想像を超えた柔らかく豊かな低音に支えられた音楽の世界が開かれるはずだ。

クリアーオーディオ Gamma, Ceramic, Accurate

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 西独クリアーオーディオ社のMC型カートリッジは、かねてから米国のハイエンドユーザーと呼ばれる一部のファンの間で、音場感再生に優れた製品として評価が高い、とのことである。今回3モデルのMC型カートリッジが輸入された。
 MC型としての発電方式は、すでに特許を獲得した新タイプとのことであるが、現時点では、米国で発表された資料と思われるものを日本語に直訳したものしかなく、実際のところ、試聴時にはスペックも不明だった。負荷インピーダンスも、ローインピーダンス設計とのことであったが、試聴後に届いた資料によれば、50Ωにインピーダンスを設定し、50Ωのケーブルを使用すれば、ケーブルの反射が解消できる、と記されていることから、50Ωのハイインピーダンス型であることが判った次第だ。
 専用シェルに取りつけてあるスタンダードモデルと思われるガンマを、標準的な針圧とされる2・2gで聴く。全体に、やや線は太いが、安定度を重視した穏やかな音が特徴で、音場感の拡がりは、まず標準的な範囲だ。針圧を2・5gに増す。針圧変化と音の変化はシャープに反応を示し、明解さのあるエッジの張った音に変わる。
 特徴的な点は、スクラッチノイズの質が一般的なタイプとは異なり、乾いたイメージの、やや個性型である。針先のエージングにより、本来の音を聴かせるタイプのカートリッジであるのかもしれない。
 セラミックと名付けられた、中間的な位置づけにあるモデルは、ガンマと比較して、全体にやや表現を抑える傾向はあるが、音の芯がしっかりとしている点では、明らかに上級モデルらしいところだ。バランス的には、中域のレスポンスが上昇するという意味ではないが、中域に密度感が集中する傾向があり、ヴォーカルなどでは明快で、音像定位がシャープなことが特徴である。ダイナミックレンジの広さも、ガンマよりは明らかに一段上手である。
 注目のポイントである音場感は、フワッと柔らかい雰囲気が拡がるプレゼンスが感じられ、かなり個性的なイメージがある。
 アキュレートは、超高価格なスペシャリティモデルである。
 音の粒子は細かく滑らかに磨かれ、上級機らしいダイナミックレンジの広さに裏付けられて、独特のトロッとした滑らかさがある、大人っぽい熟成度の高さが聴きどころだろう。
 音場感は、奥深く後ろに拡がり、音像はフワッと浮き立つ個性型のまとまりであるのが特徴的。
 構造上の特徴から、出力の引き出し線の処理が直接音質と関係するため、共振を避けて取りつける必要がある。スクラッチノイズは、質と量は異なるが、3機種とも共通性があり、興味深い。

グリフォン PHONOSTAGE

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 デュアルモノ構成の純A級ノンNFBによるMCヘッドアンプ〝ザ・グリフォン〟で、国内初登場のデンマーク2R社から、ペアとなるフォノイコライザーアンプ〝フォノステージ〟が発売されることになった。
 基本構成は、デュアルモノ構成でA級動作ノンNFB方式のディスクリート型アンプと左右独立2電源方式採用と、既発売のヘッドアンプ同様の設計方針である。
 CR型フォノイコライザー部は、可聴周波数帯域のRIAA偏差が±0・1dB以下に抑えられ、抵抗は精密級金属被膜型、コンデンサーには、スイスRIFA社ポリプロピレン型が採用されている。
 信号系には、シリーズにコンデンサーが入らない直結増幅で、色付けが少なく、部品を受けとめるプリント基板は、電源系と信号系を2階建て構造とした設計が特徴。
 機能面では、フォノイコライザーアンプとしては例外的に、入力系に切り替えスイッチがあり、フォノ入力とライン入力が選択可能のほかに、左右チャンネル独立型の24ポジションで、最大から20ポジションまで表示マーク付のアッテネーターと、信号をアッテネーターを通さないで出力できるアッテネーターON/OFFスイッチなどを備える。
 左右分割型の、入力トランスに似たシールドケースに収められた増幅系は、線材による配線を全廃し、信号の流れを最短とした設計が特徴である。入出力系のRCAピンジャックには、西独WBT社製0235型金メッキジャック採用である。
 試聴はヘッドアンプ、ザ・グリフォンと組み合わせ、SPUゴールドGEを使う。
 フォノイコライザーは、ヘッドアンプの負荷抵抗切り替えによる音の差を素直に音として聴かせるフィデリティの高さをもっている。
 6Ωではウォームトーン系の穏やかで高域の丸くなった音、10Ωではゲインも充分にあり、すっきりしたレスポンスが伸びたヘッドアンプの標準的な音、さらに40Ωでは滑らかさ、しなやかさがあり、雰囲気のよい、やや現代的な印象のSPUゴールドの音が楽しめる。
 この40Ω負荷時の音は、傾向としては、昇圧トランスとヘッドアンプの音の中間的なものであり、ディスク再生の楽しみにとって、たいへんに心地よい音である。
 フォノステージ単体では、ピシッとストレートに伸びた帯域バランスと豊かさがたっぷりとあり、それでいてみずみずしい感覚の、アナログならではの、美味な井戸水のような良質の音を聴かせる。
 アッテネーター便用では、やや音が甘く、角のとれた傾向になるが、これはしかたないだろう。開発中のラインアンプと組み合わせた音が、今から期待されるフォノイコライザーアンプである。

インフィニティ IRS Beta

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 米国スピーカーメーカーとしては、インフィニティは、オリジナリティの豊かなユニット設計と、軽く、圧倒的な豊かな低域に支えられたディフィニションの優れた音の魅力で、国内市場でも、次第に注目度を高めている。今までの中心機種であったカッパシリーズに続き、同社のトップランクのシリーズであるIRS(インフィニティ・リファレンス・スタンダード)が、新しいラインナップに変わり、これを機会として、デノン・ラボより輸入販売されることになった。
 IRSシリーズは、驚異的に超高価格なIRS−V(1組、1200万円)と、完全に基本から新設計されたIRS−BETA、GAMMA、それにDELTAの4機種が、そのラインナップである。
 今回、試聴したIRS−BETAは、シリーズの中心に位置づけされるモデルだ。
 基本構成は、トールボーイ型のウーファー部と、4ウェイ・5スピーカー構成に、背面にラジエーション用の高域を含め6スピーカー方式の中・高域ユニット部からなる2ボックスシステムである。これにインフィニティ独自のサーボコントロールユニットを組み合わせ、バイアンプで駆動する、かなり大がかりなシステムだ。
 低域を受け持つ口径30cm級のウーファーは、ポリプロピレンにカーボングラファイトを混ぜて、射出成型により作られたコーンをもち、4個がトーンゾイレ的にタテ一線に配置されている。
 エンクロージュアは、密閉型で、内部は上下に2分割されているようだ。興味深い点は、上から2番目のウーファーのキャップ部分に、MFB用のセンサーが組み込まれており、サーボコントロールユニットを介して、スピーカーのコーンの動きそのものを電気的にコントロールして性能向上するMFB(モーショナル・フィードバック)が採用されていることだ。
 中・高域部は、ボトム部分にネットワークを収めた平面型バッフルである。
 100〜750Hzを受け持つ中低域には、カプトン振動板採用の新開発ユニットL−EMIM(Large Electro Magnetic Induction Midrange)2個使用である。750〜4500Hzを受け持つ中高域は、従来からのEMIT、4・5〜10kHzを受け持つEMITと、10〜45kHzのS−EMIT(Super Electro Magnetic Induction Tweeter)、裏側に横位置にセットされ独立した専用ネットワークをもつ約6kHz以上をカバーするEMITの組合せで、15Hz〜45kHz±2dBというスーパーワイドレスポンスを実現している。
 中・高域部で特徴的なことは、中高域以上のユニットが、最小限のバッフルを残し、両側をカットして取りつけてあることで、音場感再生上で理想に近い使い方である。
 インフィニティのEMI型は合成樹脂系のフィルムにボイスコイルを蒸着などの方法で形成させ、その両側にマグネットを置いてプッシュプル型に音を出すタイプだ。従って、静電型同様に音は両面に再生する。
 ネットワークは多素子を使う設計で、L−EMIMが上下とも18dBオクターブ型、EMIMとEMIT(表面)が上下とも12dBオクターブ型、S−EMITが18dBオクターブ型、EMIT(背面)が12dBオクターブ型で、表面のEMIM以上は連続可変のアッテネーターが付属する。
 サーボコントロールユニットは、低音部専用の60〜134Hz、5ステップのハイカットフィルター、中・高域ユニット部とのレベル調整を中心に、20Hzで±5dB変化する低音調整、40、30、22、15Hzとパスできるローカットフィルター、正・逆のアブソリュートフェイズ切り替えの他に、サーボゲイン切り替え、サーボ入力、正相出力と逆相出力端子などを備え、組み合わせた低域の調整機能は複雑多岐にわたる。
 中・高域部を標準的な位置に置き、低音部は、その外側の約30cm後に、カット・アンド・トライで決め、クロスオーバーが110Hz、ローカットが22HzのBETA指定とし、レベル調整から始める。
 柔らかく、しなやかで、豊潤とも思われる低音をベースに、すっきりと線が細く、繊細なイメージすらある中域以上がバランスする音だ。中・高域部の音像定位は前後方向の角度を微調整して聴取位置に合わせると、かなり音場感が見えてくる。とにかく質的には、軽く、柔らかい低音に特徴があるが、部屋の音響条件を忠実に低域レスポンスとして聴かせるのは凄い。まず、広く、床、壁がしっかりした部屋が絶対に要求される超弩級システムである。

BOSE 301AVM

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 ボーズの301シリーズは、同社の製品群中でも中核をなす、優れた音質、優れた音楽性をもつシステムである。現行の301MMII/301VMに加えて、新しく301AVMがラインナップに加わった。
 まず、外観上の変化である。直線を基調としたシャープな印象が特徴の301MMIIに比べ、ラウンディッシュカーブと呼ばれる、全体に滑らかに円弧を描く柔らかなラインは、一種の新鮮な驚きでもある。
 またカラーバリエーションが豊かなことも、301AVMの特徴である。エンクロージュアの仕上げが、ブラック(301AVM)、シルバー(301AVMS)、ホワイ
ト(301AVMW)の3種。ホワイト仕上げには、レッド、グリーン、ブルー、それにホワイトの4種のグリルがある。なお、ブラックとシルバー仕上げには、同系統のカラーネットが組み合わされる。
 基本構造は、この方式は2個のトゥイーターを角度を変えてセットしたもので、ボーズ独自のプレゼンスを聴かせる。301MMII以来、すでに定評の高いバイ・ディレクショナル・ラディエーティング方式だ。
 低域は、20cm口径ウーファーによるバスレフ型であるが、ポート形状が、細長いスリット型のポートに変わり、エンクロージュア内部の雑音が放射されることを低減し、低域の音色もコントロールしている。なお、新モデルの各ユニットは、キャンセリングマグネットを使う低磁束漏洩型だ。
 外形寸法は、301MMIIシリーズより22mm広く、12mm高く、9mm奥深くなり、重量は、301MMII/301VMが6・5kg/7kgに対して、9・8kgと大幅に重くなり、許容人力も、70W(rms)から120W(rms)に向上し、事実上の301の上級機種とも考えられる、シリーズのトップモデルである。
 301シリーズの魅力のひとつでもある豊富なアクセサリー類は、重量増加による安全対策面から共用できず、201AVM専用アクセサリーが、ホワイトバージョン
用を含めて数多く用意されている。
 試聴室にある2、3種類のスピーカースタンドを使い、音の傾向を聴いてみる。
 基本的には、301シリーズの延長線上にある音ではあるが、デザインの変更に見られる視覚的な印象と同様に、301AVMの音も角がとれ、聴き上げられたようだ。やや線は太いが、開放感があり、屈託なくのびやかに鳴る301MMIIと比べ、かなり大人っぽい雰囲気が加わった音だ。
 低域の適度な粘りは、力感に裏づけされた新しい魅力であり、やや光沢を抑えた中高域の華やかさは、現代スピーカーならではの味わいとも受け取れるものだ。プログラムソースとの対応性もしなやかで、幅広い要求に応えられる注目のモデルだ。

ポークオーディオ RTA8t

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 ポークオーディオは、米国ボルチモアに本拠を置くハイファイ専菜メーカーである。日本国内にはスピーカーシステムをメインに輸入されている。同社のスピーカーシステムで注目したいのは、ステレオ再生で臨場感を著しく損なうインターオーラルクロストークを効果的にキャンセルするSDA方式と呼ばれる特殊な再生を、通常の再生に加えて可能にしたSDAシリーズである。
 左チャンネルスピーカーの音が右耳に、右チャンネルスピーカーの音が左耳に伝わる成分が、このインターオーラルクロストークであり、左右スピーカーを専用の接続コードで結び、これをキャンセルするのがSDA方式である。
 今回試聴したRTA8tは、SDAシリーズとは異なるモニターシリーズ3モデル中の中間機種にあたる。トールボーイ型エンクロージュアと、16・5cm口径の低域を2個、2・5cm口径の高域を1個使う2ウェイ構成3スピーカーシステムである。
 低域ユニットは、コーン材料に特殊加工のポリマーをベースとした3層ラミネートの素材を使い、軽量、高剛性を狙った振動系に特徴がある。オリジナルは、15年前に開発された伝統的なユニットである。このユニットは、6500シリーズのミッド・ウーファトとボークオーディオが名づけているように、SDAシリーズの中域を受け持っている。つまり、フルレンジ的な性格が強く、軽く、反応の早い音に特徴があるとのことだ。高域を受け持つドーム型ユニットは、SL2000シルバーコイルドーム型と名づけられているように、ダイアフラムに軽いポリアミド材を使用し、ボイスコイルにシルバーコーティングワイヤーを使った振動系に特徴がある。なお、このユニットも、SDAシリーズをはじめ、ポークオーディオの全製品のトゥイ一ターとして採用されている実績を誇る。
 タワースタイルと名づけられたウォールナット仕上げのエンクロージュアは、バスレフ型で、上下2個のミッド・ウーファーの間にトゥイーターを配置したラインソース方式のレイアウトが特徴である。
 このタイプは、スペースファクターに優れ、部屋の床や天井の影響を受け難いメリットがあり、音像定位の優れていることも特徴であるとのことで、内外を問わず、このところ、見受けられるのが多くなったユニットレイアウトである。
 このシステムは、強調感が少ないナチュラルな音が聴きどころだろう。柔らかく、おだやかな低域は、それなりに応答性が高く、適度なメタリックさが効果的に働き、コントラストを保つトゥイーターの味つけが、巧みなバランスをつくっているようだ。特に個性的な音ではないが、使いこめば、手応えのありそうなシステムである。

JBL S119WX

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 JBLのスピーカーシステムといえば、伝統的に高い定評があるスタジオモニターなどの業務用システムが印象強いが、このところ、一般的なコンシュマー用の製品開発にも、かなりの力を注いでいるようだ。
 今年のコンシュマーエレクトロニクスショウに展示されていたという、14インチ・ウーファーをベースに、4インチ口径のメタルダイアフラムを使うハードドーム型ユニットを4個、1インチ口径ハードドーム型ユニットを組み合わせたトールボーイ型システムや、ピアノ仕上げ調のエンクロージュアを採用した一連のシステムなどが、その例である。今回、新製品として発表されたS119WXは、それらとは異なった音場再生型といわれるトールボーイ型のシステムである。
 JBLには、かつてアクエリアスシリーズという、ユニークな構成の音場再生型システムが、中級機から超高級機にわたる幅広いラインナップで展開されたことがある。いわば、それ以来のひさかたぶりの音場再生型システムの開発である。
 基本構成は、いわば定石どおりのオーソドックスな設計である。
 正方形断面の角柱型エンクロージュアは、約100cmの高さがあり、上部から20cmくらい下がった位置に全周にわたりスリットが設けられている。表面はパンチングメタルで覆われているが、ここが、このシステムの音の出口である。
 スリット下側部分には、20cm口径ウーファーがコーンを上にして取りつけてあり、4つのコーナー部分には、25mm口径のハードドーム型トゥイーターが4個、外側を向いて取りつけられている。システムとしては、4個のトゥイ一ターを使った、2ウェイ5スピーカー構成である。
 クロスオーバー周波数は、3kHzと発表されており、許容入力は100W、ピーク400W。各ユニットは、AVシステムやサラウンドシステムに最適な防磁設計であるとのことだ。
 このシステムは、周りに壁などの障害物がない自由空間に設置したときに、360度(水平)の音場再生ができるタイプである。そのため、試聴時の部屋の条件が、ダイレクトにシステムの音となり、一般的なシステムを聴くことを目的とした試聴室では、設置する場所選びが、第一の難関である。
 標準的スピーカーの位置より部屋の中央近く位置決めをして音を出す。おだやかながらも、柔らかく、ゆったりとした低域と、輝かしさがあり、シャープに音のエッジを聴かせる中高域に特徴がある音だ。高域のエネルギー分布は、システムを回転すれば、トゥイーターの位置が変わり調整可能である。基本的には、ライブネスがたっぷりとした部屋で、さりげなく音を楽しむために相応しいシステムであろう。

SOTA Star Sapphire + EMINENT TECHNOLOGY Tonearm 2

早瀬文雄

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「スーパーアナログプレーヤー徹底比較 いま話題のリニアトラッキング型トーンアームとフローティング型プレーヤーの組合せは、新しいアナログ再生の楽しさを提示してくれるか。」より

 ステート・オブ・ジ・アートというものものしい命名からは想像しにくい、軽くて小粋な音をもったプレーヤー。音出しが始まって、安定度がたかまってくると、つい先程まで聴いていたステレオサウンドのリファレンスプレーヤー、マイクロSX8000IIとは音の語り口が大きく違うことが、良い意味で明確になってくる。マイクロといえば『高剛性、ハイイナーシャ』の代表的存在。アナログ全盛期の、いわば『究極』、『果て』と思われた存在で、誰もがそう思いこんでいた。だから、私自身、『信じ込んで』無理をして手に入れもした。と言うわけで、今回の4機種のアナログプレーヤーたちの音を実際に聴くまでは、『クォリティ』の『差』を聴く、という視点からみた『期待感』は、はっきり言ってなかった。むしろ、本格的な、CD時代にはいった今、もういちど『アナログ』を、ききかえしてみると、ちがった発見があるやもしれず、その点での興味をもっていたにすぎなかった。
 CDプレーヤー間の音の差の、予想を上回る大きさに妙な感慨をいだいてはいたが、そんな思いを吹き飛ばすほど、アナログ世界の変化量は絶大だった。 SOTAスター・サファイアの音。とりつけられたエミネントの『リニアトラッキングアーム』の音色が色濃く反映しているにせよ、その音にはまさにマイクロの対極をなすような、響きの柔らかさがあった。無論、マイクロから柔らかい響きが出ないわけではない。表現の方法がまるで違うのだ。マイクロには本質的に音の構築性を分析的に聴かせる生真面目さがあって、響きの『重さ』をはっきり提示し、堅い音はあくまでも堅く表現する。つまり、相対的コントラストの結果として響きの柔らかさ、軽さといったものを表現してくる。いいかえれば『正確』なのかもしれないが、やや直截的ともいえる。しかしそれは、ここでの使い方が『リファレンス』としての存在である以上、当然の結果かもしれないが……。したがって当然ソースの荒れは剥き出しとなる。
 一方スター・サファイアは『個性』を強くもっている。見ための印象どおり聴き手の気持ちを優しくしてくれるような、穏やかさ、響きの柔らかさを際立たせるところがある。色彩感の表現においても、ハーフトーンの曖昧さをうまく出してくる。響きに毳立ちはなくスムーズ。ソースの粗はむしろ隠す方向。脂切ったどくどくしさやぎらぎらしたまぶしさもない。反面、堅い音、重い音への対応がやや曖昧になるが、聴き手にそれをあまり意識させないのは、やはり美点でうまく聴かせてしまうからに違いない。まさにその名前のように、『ダイアモンド』ではない、『サファイア』の柔らかさをもっている、というところか。エミネントのアームは『アナログ』の楽しさを堪能させてくれた。なにしろ調整個所が多く、そのいずれを動かしても音はコロコロ変化する。ディスクの内周でも歪が増えないというリニアトラッキング型の特質さえ、下手に調整したのでは活かされない。音場の変化も大きい。

ゴールドムンド Studietto

早瀬文雄

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「スーパーアナログプレーヤー徹底比較 いま話題のリニアトラッキング型トーンアームとフローティング型プレーヤーの組合せは、新しいアナログ再生の楽しさを提示してくれるか。」より

 ゴールドムンドのスタジエットは、同社T5リニアトラッキングアームを最初から組み込んだコンプリートシステムで、この点が前二者と違っている。したがって良くも悪くもデザインに一環した主張がある。
 一見してわかるように、これはアクリルの塊、なのだ。ガラスとは違った。微温湯的な温度感。熱くも、冷たくもない。堅くも柔らかくもない。音もまさにこの印象と一致する。響きの合間には何かヌルヌルとしたモノトーンな質感が付きまとう不思議。CD時代に世に問う、これぞフランス流エスプリ、なのだろうか、そうは思えない。なんともアイロニカルなムードが漂っている。どうしたことか。カートリッジとの相性が致命的に悪いのか。試みに別の製品に交換してみる。基本的には変化ない。ステージは天井が低くなり奥行きが浅くなる。紫煙たれこめる仄暗い頽廃的な雰囲気。アクリルの板を透かしてみるような蜃気楼的音像は、これでなくては聴けない世界。
 組み合わせるアンプやスピーカーは他に適役がいるはずで、こうしたムードがもっと生きる使い方をしてあげれば、独特の世界が作れるに違いないと思えた。

バーサダイナミックス MODEL A2.0 + MODEL T2.0

早瀬文雄

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「スーパーアナログプレーヤー徹底比較 いま話題のリニアトラッキング型トーンアームとフローティング型プレーヤーの組合せは、新しいアナログ再生の楽しさを提示してくれるか。」より

 存亡の危機にたっている、といいたくなるようなアナログの世界。大艦巨砲時代の終焉とも思える大型アナログプレーヤーの衰退。個人的には、手元にあるマイクロSX8000IIに『かじりつく』しかないと思っていた。アナログを究めるアプローチは、もうこれしかない、疑いを差し挟む余地は無い、そう信じていた。
 バーサダイナミックスのプレーヤーシステムをみた時から、その高いデザインの『密度』に、おや、と思った。VDのイニシャル・ロゴに、このデザインの面白さが象徴されているようでもある。写真では分かりにくい、実物を目にし手にしてみなければわからない独特の雰囲気がある。色も単なる黒ではない。木目仕様もあるらしいが、断然こちらがいい。独立したコントロールボックスの仕上げも丁寧。スイッチ類のフィーリングも繊細。エアフロート、ディスク吸着といったものものしいメカニズムは、巧みにシーリングされ、フラッシュサーフェイスのターンテーブル面などとあいまって、全体に繊細感が漂う。
 一歩まちがえると玩具っぽくなるところだが、ここでは細身の、華奢な女性特有の雰囲気にも似たニュアンスをもちあわせていることで、玩具になり下がらずにふみとどまっている。アームのつくりはかなりしっかりしているにもかかわらず、ゴリゴリした野蛮なところが微塵もなく、やはり繊細。使い手も思わず手つきが慎重になる。このアームには一目惚れだが、かといって、このアームだけをとって、SX8000IIに取りつけてみたいとは思えない。この繊細感がスポイルされてしまう。マイクロには、やはりSMEシリーズVのような、逞しいアームがよく似合う。
 ヒューンというモーターの起動も『唸り』というよりは『囁き、呟き』といった風情。しかし、いいところばかりではない、これはそうとうに神経質で、感受性の鋭い存在だ。ここにあるのは、傷つきやすい脆さと抱き合わせの、緊迫した透明感なのだ。したがって、使いこなしの腕しだいでは、ひどい結果にもなりかねない。繊細微妙な調整を要するところはいたるところにある。が、そうしたポイントをおさえていく過程には、少しずつ響きに、自分の色をつけていく楽しみがのこされている。当初まったくいい印象のなかったリファレンス・カートリッジが、へぇ、ここまで鳴るんだ、と驚かされた。音像はひきしまって低域もふやけたところがない。オーケストラのトゥッティでも『崩れ』を見せない安定度の高さがある。にもかかわらず、響きに強引さがない。あくまで繊細無垢で透明。独特の反応の早さ、鋭敏さが、音楽の官能的な響きをとりこぼさず、しかも上品に表現する。清潔感のある響きは、たんにそこにとどまらず、生まれながらに『あぶない響き』を身につけてしまっている恐ろしさ。ほんのりただようような香気が際立つ。これはいい、こんな世界もあったんだ、全く異なる方法論をもって、マイクロとは違った頂上をめざしている一つの結果だろう。
 CD包囲に囲まれたかにみえるアナログ世界の『水際の楽天地』、ウォーターフロントがここにある。まずいものをきいてしまった……。テフロンのターンテーブルシートの色合いといい、欠点も多々あるが、もうこうなるとあばたもえくぼで、どうやらこのスレンダーで、ストイックな表情をしたコに見事に誘惑されてしまったようだ。

怪盗M1の挑戦に負けた!

黒田恭一

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「怪盗M1の挑戦に負けた!」より

 午後一時二十分に成田到着予定のルフトハンザ・ドイツ航空の701便は、予定より早く一時〇二分に着いた。しかも、ありがたいことに、成田からの道も比較的すいていた。おかげで、家には四時前についた。買いこんだ本をつめこんだために手がちぎれそうに重いトランクを、とりあえず家の中までひきずりこんでおいて、そのまま、ともかくアンプのスイッチをいれておこうと、自分の部屋にいった。
 そのとき、ちょっと胸騒ぎがした。なにゆえの胸騒ぎか? 机の上を、みるともなしにみた。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」
 机の上におかれた紙片には、お世辞にも達筆とはいいかねる、しかしまぎれもなくM1のものとしれる字で、そのように書かれてあった。
 一週間ほど家を留守にしている間に、ぼくの部屋は怪盗M1の一味におそわれたようであった。まるで怪人二十面相が書き残したかのような、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」のひとことは、そのことをものがたっていた。しかし、それにしても、怪盗M1の一味は、ぼくの部屋でなにをしていったというのか?
 ぼくは、あわてて、ラスクのシステムラックにおさめられた機器に目をむけた。なんということだ。プリアンプが、マークレビンソンのML7Lからチェロのアンコールに、そしてCDプレーヤーが、ソニーのCDP557ESD+DAS703ESから同じソニーのCDP-R1+DAS-R1に、変わっていた。
 怪盗M1の奴、やりおったな! と思っても、奴が「どうですか、この音は?」、という音をきかずにいられるはずもなかった。しかし、ぼくは、そこですぐにコンパクトディスクをプレーヤーにセットして音をきくというような素人っぽいことはしなかった。なんといっても相手が怪盗M1である、ここは用心してかからないといけない。
 そのときのぼくは、延々と飛行機にむられてついたばかりであったから、体力的にも感覚的にも大いに疲れていた。そのような状態で微妙な音のちがいが判断できるはずもなかった。このことは、日本からヨーロッパについたときにもあてはまることで、飛行機でヨーロッパの町のいずれかについても、いきなりその晩になにかをきいても、まともにきけるはずがない。それで、ぼくは、いつでも、肝腎のコンサートなりオペラの公演をきくときは、すくなくともその前日には、その町に着いているようにする。そうしないと、せっかくのコンサートやオペラも、充分に味わえないからである。
 今日はやめておこう。ぼくは、はやる気持を懸命におさえて、ついさっきいれたばかりのパワーアンプのスイッチを切った。今夜よく眠って、明日きこう、と思ったからであった。
 おそらく、ぼくは、ここで、チェロのアンコールとソニーのCDP-R1+DAS-R1のきかせた音がどのようなものであったかをご報告する前に、怪盗M1がいかに悪辣非道かをおはなししておくべきであろう。そのためには、すこし時間をさかのぼる必要がある。
 さしあたって、ある時、とさせていただくが、ぼくは、さるレコード店にいた。そのときの目的は、発売されたばかりのCDビデオについて、解説というほどのこともない、集まって下さった方のために、ほんのちょっとおはなしをすることであった。予定の時間よりはやくその店についたので、レコード売場でレコードを買ったり、オーディオ売場で陳列してあるオーディオ機器をながめたりしていた。
 気がついたときに、ぼくは、オーディオ売場の椅子に腰掛けて、スピーカーからきこえてくる音にききいっていた。なんだ、この音は? まず、そう思った。その音は、これまでにどこでどこできいた音とも、ちがっていた。ほとんど薄気味悪いほどきめが細かく、しかもしなやかであった。
 まず、目は、スピーカーにいった。スピーカーは、これまでにもあちこちできいたことのある、したがって、ぼくなりにそのスピーカーのきかせる音の素性を把握しているものであった。それだけにかえって、このスピーカーのきかせるこの音か、と思わずにいられなかった。そうなれば、当然、スピーカーにつながれているコードの先に、目をやるよりなかった。
 スピーカーの背後におかれてあったのは、それまで雑誌にのった写真でしかみたことのない、チェロのパフォーマンスであった。なるほど、これがチェロのパフォーマンスか、といった感じで、いかにも武骨な四つのかたまりにみにいった。
 チェロのパフォーマンスのきかせた音に気持を動かされて、家にもどり、まっさきにぼくがしたのは、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、読むことであった。このパワーアンプのきかせる音に対して、三氏とも、絶賛されていたとはいいがたかった。
 にもかかわらず、チェロのパフォーマンスというパワーアンプへのぼくの好奇心は、いっこうにおとろえなかった。なぜなら、そこで三氏の書かれていることが、ぼくにはその通りだと思えたからであった。しかし、このことには、ほんのちょっと説明が必要であろう。
 幸い、ぼくはこれまでに、菅野さんや長嶋さん、それに山中さんと、ご一緒に仕事をさせていただいたことがあり、お三方のお宅の音をきかせていただいたこともある。そのようなことから、菅野、長島、山中の三氏が、どのような音を好まれるかを、ぼくなりに把握していた。したがって、ぼくは、そのようなお三方の音に対しての好みを頭のすみにおいて、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、熟読玩味した。その結果、ぼくは、レコード店のオーディオ売場という、アンプの音質を判断するための場所としてはかならずしも条件がととのっているとはいいがたいところできいたぼくのチェロのパフォーマンスに対しての印象が、あながちまちがっていないとわかった。そうか、やはり、そうであったか、というのが、そのときの思いであった。
 ぼくはアクースタットのモデル6というエレクトロスタティック型のユニットによったスピーカーシステムをつかっている。残る問題は、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの、俗にいわれる相性であった。ほんとうのところは、アクースタットのモデル6にチェロのパフォーマンスをつないでならしてみるよりないが、とりあえずは、推測してみるよりなかった。
 そのときのぼくにあったチェロのパフォーマンスについてのデータといえば、レコード店のオーディオ売場でほんの短時間きいたときの記憶と、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三の三氏が「ステレオサウンド」にお書きになった文章だけであった。そのふたつのデータをもとに、ぼくは、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性を推理した。その結果、この組合せがベストといえるかとうかはわからないとしても、そう見当はずれでもなさそうだ、という結論に達した。
 そこまで、考えたところで、ぼくは、電話器に手をのばし、M1にことの次第をはなした。
「わかりました。それはもう、きいてみるよりしかたがありませんね。」
 いつもの、愛嬌などというもののまるで感じられないぶっきらぼうな口調で、そうとだけいって、M1は電話を切った。それから、一週間もたたないうちに、ぼくのアクースタットのモデル6は、チェロのパフォーマンスにつながれていた。
 ぼくのアクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性の推理は、まんざらはずれてもいなかったようであった。一段ときめ細かくなった音に、ぼくは大いに満足した。そのとき、M1は、意味ありげな声で、こういった。
「高価なアンプですよ。これで、いいんですか? 他のアンプをきいてみなくて、いいんですか?」
 このところやけに仕事がたてこんでいたりして、別のアンプをきくための時間がとりにくかった、ということも多少はあったが、それ以上に、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのモデル6がきかせる、やけにきめが細かくて、しかもふっくらとした、それでいてぐっとおしだしてくるところもある響きに対する満足があまりに大きかったので、ぼくは、M1のことばを無視した。
「ちょっと、ひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」
 M1は、そんな捨てぜりふ風なことを呟きながら、そのときは帰っていった。なにをほざくか、M1めが、と思いつつ、けたたましい音をたてるM1ののった車が遠ざかっていくのを、ぼくは見送った。
 それから、数日して、M1から電話があった。
「久しぶりに、スピーカーの試聴など、どうですか? 箱鳴りのしないスピーカーを集めましたから。」
 きけば、菅野さんや傅さんとご一緒の、スピーカーの試聴ということであった。おふたりのおはなしをうかがえるのは楽しいな、と思った。それに、かねてから気になっていながら、まだきいたことのないアポジーのスピーカーもきかせてもらえるそうであった。そこで、うっかり、ぼくは、怪盗M1が巧妙に仕掛けた罠にひっかかった。むろん、そのときのぼくには、そのことに気づくはずもなかった。
 M1のいうように、このところ久しく、ぼくはオーディオ機器の試聴に参加していなかった。
 オーディオ機器の試聴をするためには、普段とはちょっとちがう耳にしておくことが、すくなくともぼくのようなタイプの人間には必要のようである。もし、日頃の自分の部屋での音のきき方を、いくぶん先の丸くなった2Bの鉛筆で字を書くことにたとえられるとすれば、さまざまな機種を比較試聴するときの音のきき方は、さしずめ先を尖らせた2Hの鉛筆で書くようなものである。つまり、感覚の尖らせ方という点で、試聴室でのきき方はちがってくる。
 そのような経験を、ぼくは、ここしばらくしていなかった。賢明にもM1は、ぼくのその弱点をついたのである。どうやら、彼は、このところ先の丸くなった2Bの鉛筆でしか音をきいていないようだ、そのために、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのもで6の音に、あのように安易に満足したにちがいない、この機会に彼の耳を先の尖った2Hにして、自分の部屋の音を判断させてやろう。M1は、そう考えたにちがいなかった。
 そのようなM1の深謀遠慮に気がつかなかったぼくは、のこのこスピーカー試聴のためにでかけていった。そこでの試聴結果は別項のとおりであるが、ぼくは、我がアクースタットが思いどおりの音をださず、噂のアポジーの素晴らしさに感心させられて、すこごすごと帰ってきた。アクースタットは、セッティング等々でいろいろ微妙だから、いきなりこういうところにはこびこんで音をだしても、いい結果がでるはずがないんだ、などといってはみても、それは、なんとなく出戻りの娘をかばう親父のような感じで、およそ説得力に欠けた。
 音の切れの鋭さとか、鮮明さ、あるいは透明感といった点において、アクースタットがアポジーに一歩ゆずっているのは、いかにアクースタット派を自認するぼくでさえ、認めざるをえなかった。たとえ試聴室のアクースタットのなり方に充分ではないところがあったにしても、やはり、アポジーはアクースタットに較べて一世代新しいスピーカーといわねばならないな、というのが、ぼくの偽らざる感想であった。
 そのときのスピーカーの試聴にのぞんだぼくは、先輩諸兄のほめる新参者のアポジーの正体をみてやろう、と考えていた。つまり、ぼくは、まだきいたことのないスピーカーをきく好奇心につきうごかされて、その場にのぞんだことになる。ところが、悪賢いM1の狙いは、ぼくの好奇心を餌にひきよせ、別のところにあったのである。
 あれこれさまざまなスピーカーの試聴を終えた後のぼくの耳は、かなり2Hよりになっていた。その耳で、ソニーのCDP557ESD+DAS703ES~マークレビンソンのML7L~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6という経路をたどってでてきた音を、きいた。なにか、違うな。まず、そう思った。静寂感とでもいうべきか、ともかくそういう感じのところで、いささかのものたりなさを感じて、ぼくはなんとなく不機嫌になった。
 そのときにきいたのは「夢のあとに~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」(オルフェオ 32CD10106)というディスクであった。このディスクは、このところ、なにかというときいている。オッフェンバックの「ジャクリーヌの涙」をはじめとした選曲が洒落ているうえに、あのクルト・トーマスの息子といわれるウェルナー・トーマスの真摯な演奏が気にいっているからである。録音もまた、わざとらしさのない、大変に趣味のいいものである。
 これまでなら、すーっと音楽にはいっていけたのであるが、そのときはそうはいかなかった。なにか、違うな。音楽をきこうとする気持が、音の段階でひっかかった。本来であれば、響きの薄い部分は、もっとひっそりとしていいのかもしれない。などとも、考えた。そのうちに、イライラしだし、不機嫌になっていった。
 理由の判然としないことで不機嫌になるほど不愉快なこともない。そのときがそうであった。先日までの上機嫌が、嘘のようであったし、自分でも信じられなかった。もんもんとするとは、多分、こういうことをいうにちがいない、とも思った。おそらく昨日まで美人だと思っていた恋人が、今日会ってみたらしわしわのお婆さんになっていても、これほど不機嫌にはならないであろう、と考えたりもした。
 しかし、その頃のぼくは、自分のイライラにつきあっている時間的な余裕がかった。一週間ほどパリにいって、ゴールデン・ウィークの後半を東京で仕事をして、さらにまた一週間ほどウィーンにいかなければならなかった。パリにもウィーンにも、それなりの楽しみが待っているはずではあったが、しわしわのお婆さんになってしまっている自分の部屋の音のことが気がかりであった。幸か不幸か、あたふたしているうちに、時間がすぎていった。
 そして、あれこれあって、ルフトハンザ・ドイツ航空の701便で成田につき、怪盗M1の挑戦状。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」を目にしたことになる。
「ちょっとひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」、と捨てぜりふ風なことを呟きながら一度は帰ったM1の、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」、であった。ここは、やはり、どうしたって、褌をしめなおし、耳を2Hにし、かくごしてきく必要があった。
 翌日、朝、起きると同時にパワーアンプのスイッチをいれ、それから、おもむろに朝食をとり、頃合をみはからって、自分の部屋におりていった。
 ぼくには、これといった特定の、いわゆるオーディオ・チェック用のコンパクトディスクがない。そのとき気にいっている、したがってきく頻度の高いディスクが、そのときそのときで音質判定用のディスクになる。したがって、そのときに最初にかけたのも、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」であった。
 ぼくは、絶句した。M1に負けた、と思った。
 スピーカーの試聴の後で、菅野さんや傅さんとお話ししていて、ぼくは自分で思っていた以上に、スピーカーからきこえる響きのきめ細かさにこだわっているのがわかった。もともとぼくの音に対する嗜好にそういう面があったのか、それとも、人並みに経験をつんで、そのような音にひかれるようになったのかはわかりかねるが、そのとき、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6で、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」をきいて、ぼくは、これが究極のコンポーネントだ、と思った。
 また、しばらくたてば、スピーカーは、アクースタットのモデル6より、アポジーの方がいいのではないか、と考えたりしないともかぎらないので、ことばのいきおいで、究極のコンポーネントなどといってしまうと、後で後悔するのはわかっていた。にもかかわらず、ぼくはソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」に、夢見心地になり、そのように考えないではいられなかった。
 ぼくのオーディオ経験はごくかぎられたものでしかないので、このようなことをいっても、ほとんどなんの意味もないのであるが、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた音は、ぼくがこれまでに再生装置できいた最高の音であった。響きは、かぎりなく透明であったにもかかわらず、充分に暖かく、非人間的な感じからは遠かった。
 静けさの表現がいい、などといういい方は、オーディオ機器のきかせる音をいうためのことばとして、いくぶんひとりよがりではあるが、そのときの音に感じたのは、そういうことであった。すべての音は、楽音が楽音たりうるための充分な力をそなえながら、しかし、静かに響いた。過度な強調も、暑苦しい押しつけがましさも、そこにはまったくなかった。
 ぼくは、気にいりのディスクをとっかえひっかえかけては、そのたびに驚嘆に声をあげないではいられなかった。そうか、ここではこういう音の動きがあったのか、と思い、この楽器はこんな表情でうたっていたのか、と考えながら、それまでそのディスクからききとれなかったもののあまりの多さに驚かないではいられなかった。誤解のないようにつけくわえておくが、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音にふれて、そこできけた楽器や人声の描写力に驚いたのではなく、そこで奏でられている音楽を表現する力に驚いたのである。
 したがって、そこでのぼくの驚きは、オーディオの、微妙で、しかも根源的な、だからこそ興味深い本質にかかわっていたかもしれなかった。オーディオ機器は、多分、自己の存在を希薄にすればするほど音楽を表現する力をましていくというところでなりたっている。スピーカーが、あるいはアンプが、どうだ、他の音をきいてみろ、と主張するかぎり、音楽はききてから遠のく。つまり、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音をきいて感動しながら、そこでオーディオ機器として機能していたプレーヤーやアンプやスピーカーのことを、ほとんど忘れられた。そこに、このコンポーネントの凄さがあった。
 こうなれば、もう、ひっこみがつかなかった。まんまと落とし穴に落ちたようで、癪にはさわったが、ここは、どうしたってM1に電話をかけずにいられなかった。目的は、あらためていうまでもないが、留守の間においていかれたソニーのCDP-R1+DAS-R1とチェロのアンコールを買いたい、というためであった。
「ソニーのCDP-R1+DAS-R1はともかく、チェロのアンコールはご注文には応じられませんね。」
 M1は、とりつく島もない口調で、そういった。
 M1の説明によると、チェロのアンコールの輸入元は、すでにかなりの注文をかかえていて、生産がまにあわないために、注文主に待ってもらっている状態だという。ぼくの部屋におかれてあったものは、輸入元の行為で短期間借りたものとのことであった。事実、ぼくがチェロのアンコールをきいたのは、ほんの一日だけであった。その翌日の朝、薄ら笑いをうかべたM1が現れ、いそいそとチェロのアンコールを持ち去った。
「いつ頃、手にはいるかな?」
 M1を玄関までおくってでたぼくは、心ならずも、嘆願口調になって、そう尋ねないではいられなかった。
「かなり先になるんじゃないですか。」
 必要最少限のことしかしゃべらないのがM1の流儀である。長いつきあいなので、その程度のことはわかっている。しかし、ここはやはり、なぐさめのことばのひとつもほしいところてあったが、M1は、余計なことはなにひとついわず、けたたましい騒音を発する車にのって帰っていった。
 しかし、ソニーのCDP-R1+DAS-R1は、残った。プリアンプをマークレビンソンにもどし、またいろいろなディスクをきいてみた。
 ソニーのCDP-R1+DAS-R1がどのようなよさをもっているのか、それを判断するのは、ちょっと難しかった。これは、束の間といえども大変化を経験した後で、小変化の幅を測定しようとするようなものであるから、耳の尺度が混乱しがちであった。一度は、M1の策略で、プリアンプとCDプレーヤーが一気にとりかえられ、その後、CDプレーヤーだけが残ったわけであるから、一歩ずつステップを踏んでの変化であれば容易にわかることでも、そういえば以前の音はこうだったから、といった感じで考えなければならなかった。
 しかし、それとても、できないことではなかった。これまでもしばしばきいてきたディスクをききかえしているうちに、ソニーのCDP-R1+DAS-R1の姿が次第にみえてきた。
 以前のCDプレーヤーとは、やはり、さまざまな面で大いにちがっていた。まず、音の力の提示のしかたで、以前のCDプレーヤーにはいくぶんひよわなところがあったが、CDP-R1+DAS-R1の音は、そこでの音楽が求める力を充分に示しえていた。そして、もうひとつ、高い方の音のなめらかさということでも、CDP-R1+DAS-R1のきかせかたは、以前のものと、ほとんど比較にならないほど素晴らしかった。しかし、もし、響きのコクというようなことがいえるのであれば、その点こそが、以前のCDプレーヤーできいた音とCDP-R1+DAS-R1できける音とでもっともちがうところといえるように思えた。
 なるほど、これなら、みんなが絶賛するはずだ、とCDP-R1+DAS-R1できける音に耳をすませながら、ぼくは、同時に、引き算の結果で、マークレビンソンのML7Lの限界にも気づきはじめていた。はたして、M1は、そこまで読んだ後に、ぼくを罠にかけたのかどうかはわかりかねるが、いずれにしろ、ぼくは、今、ほんの一瞬、可愛いパパゲーナに会わされただけで、すぐに引き離されたパパゲーノのような気持で、M1になぞってつくった少し太めの藁人形に、日夜、釘を打ちつづけている。

ハーマンカードン Citation 22

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

柔らかい低域に、やや硬質な中域から中高域がバランスした個性型の音である。1曲目のヴォーカルは、子音の強調感があり、音像も少し大きい。木管合奏では全体にメタリックさが残り、ハーモニーが薄いが、雰囲気はそれなりにまとまる。テクノポップスでは、まずるつずのまとまりだ。全体に低域の質感が甘く、力強さが不足気味になったのは、アッテネーターの硬調な傾向が上乗せになったようだ。

音質:72
魅力度:76

リン LK2-75

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

独特の個性の強い明快な音をもつアンプだ。帯域バランスは、ややナローレンジ型で、中域から中高域に特徴的な硬質のキャラクターがあり、これが、プログラムソースを、このアンプの音として聴かせるために働いている。全体に、硬質に、スケールを小さくして聴かせるが、バランスよくまとめる能力は抜群で、入出力は変化しても納得できる音である点は、良い意味でのカセットデッキ的な一種の魅力。

音質:71
魅力度:79

スイスフィジックス Model 4

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

ハイエンドとローエンドをピシッと抑えた充分な帯域コントロールと、やや硬質で明快な抜けのよい音をもつアンプだ。プログラムソースとの相性は、全体に音を整理して、小さな枠の中で聴かせる傾向があり、いわばミニチュアの世界を見せられた印象が強い。1曲目のヴォーカルは、響きも美しく、子音の抜けもキレイであり、弦楽合奏もスケールは小さいが小出力アンプのメリットの活きた音だ。スピーカーは低域の量感重視でセッティングしたい。

音質:84
魅力度:86

カウンターポイント SA-20

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

豊かな中低域と、明快な中高域がバランスした帯域バランスと、海外製品としては数少ない、正確に音を聴かせようとする印象のアンプだ。音色は、低域は柔らかく滑らかで、少し暗さがあり、中域から中高域は、硬く、明るいタイプである。音像は大きいが明快であり、音場感は標準より少し狭く、見通し不足気味だ。ウォームアップは、ソフトフォーカス気味の粗い硬さのある音から、余裕のある安定した音に変わるタイプ。堅実な手堅い音のアンプである。

音質:83
魅力度:88

ハフラー XL-280

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

無理なく充分にコントロールされた帯域バランスと適度に明快でメリハリの効いた判りやすい音が特徴のアンプだ。1曲目のヴォーカルは少し硬質な出だしであったが6曲目あたりからは安定した音になる。音像はクリアーで、シャッキッとしたプレゼンスが聴かれる。高域はクッキリと聴かれるが、リンキング気味で細部は見えないが大変巧みな音づくりが効果的に活かされている。思い切りよく、まとまった音が特徴。

音質:74
魅力度:79

クレル KSA-50MK2

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

スムーズなレスポンスをもつ素直なキャラクターが特徴のアンプだ。プログラムソースは、小編成のものに、軽く程よく抜けた雰囲気のよい音が聴かれ、楽しいが、反応は穏やかであり、鮮度感もやや不足気味である。音像は小さくまとまるが、輪郭は柔らかく、音場感はスピーカーの奥に拡がり、教会などの空間は小さく感じられる。音色もフワッとした軽さ、柔らかさがあるが、全体にパステルトーンの淡い色彩感だ。高能率スピーカーが必要なアンプ。

音質:83
魅力度:88