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JBL S119WX

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 JBLのスピーカーシステムといえば、伝統的に高い定評があるスタジオモニターなどの業務用システムが印象強いが、このところ、一般的なコンシュマー用の製品開発にも、かなりの力を注いでいるようだ。
 今年のコンシュマーエレクトロニクスショウに展示されていたという、14インチ・ウーファーをベースに、4インチ口径のメタルダイアフラムを使うハードドーム型ユニットを4個、1インチ口径ハードドーム型ユニットを組み合わせたトールボーイ型システムや、ピアノ仕上げ調のエンクロージュアを採用した一連のシステムなどが、その例である。今回、新製品として発表されたS119WXは、それらとは異なった音場再生型といわれるトールボーイ型のシステムである。
 JBLには、かつてアクエリアスシリーズという、ユニークな構成の音場再生型システムが、中級機から超高級機にわたる幅広いラインナップで展開されたことがある。いわば、それ以来のひさかたぶりの音場再生型システムの開発である。
 基本構成は、いわば定石どおりのオーソドックスな設計である。
 正方形断面の角柱型エンクロージュアは、約100cmの高さがあり、上部から20cmくらい下がった位置に全周にわたりスリットが設けられている。表面はパンチングメタルで覆われているが、ここが、このシステムの音の出口である。
 スリット下側部分には、20cm口径ウーファーがコーンを上にして取りつけてあり、4つのコーナー部分には、25mm口径のハードドーム型トゥイーターが4個、外側を向いて取りつけられている。システムとしては、4個のトゥイ一ターを使った、2ウェイ5スピーカー構成である。
 クロスオーバー周波数は、3kHzと発表されており、許容入力は100W、ピーク400W。各ユニットは、AVシステムやサラウンドシステムに最適な防磁設計であるとのことだ。
 このシステムは、周りに壁などの障害物がない自由空間に設置したときに、360度(水平)の音場再生ができるタイプである。そのため、試聴時の部屋の条件が、ダイレクトにシステムの音となり、一般的なシステムを聴くことを目的とした試聴室では、設置する場所選びが、第一の難関である。
 標準的スピーカーの位置より部屋の中央近く位置決めをして音を出す。おだやかながらも、柔らかく、ゆったりとした低域と、輝かしさがあり、シャープに音のエッジを聴かせる中高域に特徴がある音だ。高域のエネルギー分布は、システムを回転すれば、トゥイーターの位置が変わり調整可能である。基本的には、ライブネスがたっぷりとした部屋で、さりげなく音を楽しむために相応しいシステムであろう。

怪盗M1の挑戦に負けた!

黒田恭一

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「怪盗M1の挑戦に負けた!」より

 午後一時二十分に成田到着予定のルフトハンザ・ドイツ航空の701便は、予定より早く一時〇二分に着いた。しかも、ありがたいことに、成田からの道も比較的すいていた。おかげで、家には四時前についた。買いこんだ本をつめこんだために手がちぎれそうに重いトランクを、とりあえず家の中までひきずりこんでおいて、そのまま、ともかくアンプのスイッチをいれておこうと、自分の部屋にいった。
 そのとき、ちょっと胸騒ぎがした。なにゆえの胸騒ぎか? 机の上を、みるともなしにみた。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」
 机の上におかれた紙片には、お世辞にも達筆とはいいかねる、しかしまぎれもなくM1のものとしれる字で、そのように書かれてあった。
 一週間ほど家を留守にしている間に、ぼくの部屋は怪盗M1の一味におそわれたようであった。まるで怪人二十面相が書き残したかのような、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」のひとことは、そのことをものがたっていた。しかし、それにしても、怪盗M1の一味は、ぼくの部屋でなにをしていったというのか?
 ぼくは、あわてて、ラスクのシステムラックにおさめられた機器に目をむけた。なんということだ。プリアンプが、マークレビンソンのML7Lからチェロのアンコールに、そしてCDプレーヤーが、ソニーのCDP557ESD+DAS703ESから同じソニーのCDP-R1+DAS-R1に、変わっていた。
 怪盗M1の奴、やりおったな! と思っても、奴が「どうですか、この音は?」、という音をきかずにいられるはずもなかった。しかし、ぼくは、そこですぐにコンパクトディスクをプレーヤーにセットして音をきくというような素人っぽいことはしなかった。なんといっても相手が怪盗M1である、ここは用心してかからないといけない。
 そのときのぼくは、延々と飛行機にむられてついたばかりであったから、体力的にも感覚的にも大いに疲れていた。そのような状態で微妙な音のちがいが判断できるはずもなかった。このことは、日本からヨーロッパについたときにもあてはまることで、飛行機でヨーロッパの町のいずれかについても、いきなりその晩になにかをきいても、まともにきけるはずがない。それで、ぼくは、いつでも、肝腎のコンサートなりオペラの公演をきくときは、すくなくともその前日には、その町に着いているようにする。そうしないと、せっかくのコンサートやオペラも、充分に味わえないからである。
 今日はやめておこう。ぼくは、はやる気持を懸命におさえて、ついさっきいれたばかりのパワーアンプのスイッチを切った。今夜よく眠って、明日きこう、と思ったからであった。
 おそらく、ぼくは、ここで、チェロのアンコールとソニーのCDP-R1+DAS-R1のきかせた音がどのようなものであったかをご報告する前に、怪盗M1がいかに悪辣非道かをおはなししておくべきであろう。そのためには、すこし時間をさかのぼる必要がある。
 さしあたって、ある時、とさせていただくが、ぼくは、さるレコード店にいた。そのときの目的は、発売されたばかりのCDビデオについて、解説というほどのこともない、集まって下さった方のために、ほんのちょっとおはなしをすることであった。予定の時間よりはやくその店についたので、レコード売場でレコードを買ったり、オーディオ売場で陳列してあるオーディオ機器をながめたりしていた。
 気がついたときに、ぼくは、オーディオ売場の椅子に腰掛けて、スピーカーからきこえてくる音にききいっていた。なんだ、この音は? まず、そう思った。その音は、これまでにどこでどこできいた音とも、ちがっていた。ほとんど薄気味悪いほどきめが細かく、しかもしなやかであった。
 まず、目は、スピーカーにいった。スピーカーは、これまでにもあちこちできいたことのある、したがって、ぼくなりにそのスピーカーのきかせる音の素性を把握しているものであった。それだけにかえって、このスピーカーのきかせるこの音か、と思わずにいられなかった。そうなれば、当然、スピーカーにつながれているコードの先に、目をやるよりなかった。
 スピーカーの背後におかれてあったのは、それまで雑誌にのった写真でしかみたことのない、チェロのパフォーマンスであった。なるほど、これがチェロのパフォーマンスか、といった感じで、いかにも武骨な四つのかたまりにみにいった。
 チェロのパフォーマンスのきかせた音に気持を動かされて、家にもどり、まっさきにぼくがしたのは、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、読むことであった。このパワーアンプのきかせる音に対して、三氏とも、絶賛されていたとはいいがたかった。
 にもかかわらず、チェロのパフォーマンスというパワーアンプへのぼくの好奇心は、いっこうにおとろえなかった。なぜなら、そこで三氏の書かれていることが、ぼくにはその通りだと思えたからであった。しかし、このことには、ほんのちょっと説明が必要であろう。
 幸い、ぼくはこれまでに、菅野さんや長嶋さん、それに山中さんと、ご一緒に仕事をさせていただいたことがあり、お三方のお宅の音をきかせていただいたこともある。そのようなことから、菅野、長島、山中の三氏が、どのような音を好まれるかを、ぼくなりに把握していた。したがって、ぼくは、そのようなお三方の音に対しての好みを頭のすみにおいて、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、熟読玩味した。その結果、ぼくは、レコード店のオーディオ売場という、アンプの音質を判断するための場所としてはかならずしも条件がととのっているとはいいがたいところできいたぼくのチェロのパフォーマンスに対しての印象が、あながちまちがっていないとわかった。そうか、やはり、そうであったか、というのが、そのときの思いであった。
 ぼくはアクースタットのモデル6というエレクトロスタティック型のユニットによったスピーカーシステムをつかっている。残る問題は、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの、俗にいわれる相性であった。ほんとうのところは、アクースタットのモデル6にチェロのパフォーマンスをつないでならしてみるよりないが、とりあえずは、推測してみるよりなかった。
 そのときのぼくにあったチェロのパフォーマンスについてのデータといえば、レコード店のオーディオ売場でほんの短時間きいたときの記憶と、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三の三氏が「ステレオサウンド」にお書きになった文章だけであった。そのふたつのデータをもとに、ぼくは、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性を推理した。その結果、この組合せがベストといえるかとうかはわからないとしても、そう見当はずれでもなさそうだ、という結論に達した。
 そこまで、考えたところで、ぼくは、電話器に手をのばし、M1にことの次第をはなした。
「わかりました。それはもう、きいてみるよりしかたがありませんね。」
 いつもの、愛嬌などというもののまるで感じられないぶっきらぼうな口調で、そうとだけいって、M1は電話を切った。それから、一週間もたたないうちに、ぼくのアクースタットのモデル6は、チェロのパフォーマンスにつながれていた。
 ぼくのアクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性の推理は、まんざらはずれてもいなかったようであった。一段ときめ細かくなった音に、ぼくは大いに満足した。そのとき、M1は、意味ありげな声で、こういった。
「高価なアンプですよ。これで、いいんですか? 他のアンプをきいてみなくて、いいんですか?」
 このところやけに仕事がたてこんでいたりして、別のアンプをきくための時間がとりにくかった、ということも多少はあったが、それ以上に、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのモデル6がきかせる、やけにきめが細かくて、しかもふっくらとした、それでいてぐっとおしだしてくるところもある響きに対する満足があまりに大きかったので、ぼくは、M1のことばを無視した。
「ちょっと、ひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」
 M1は、そんな捨てぜりふ風なことを呟きながら、そのときは帰っていった。なにをほざくか、M1めが、と思いつつ、けたたましい音をたてるM1ののった車が遠ざかっていくのを、ぼくは見送った。
 それから、数日して、M1から電話があった。
「久しぶりに、スピーカーの試聴など、どうですか? 箱鳴りのしないスピーカーを集めましたから。」
 きけば、菅野さんや傅さんとご一緒の、スピーカーの試聴ということであった。おふたりのおはなしをうかがえるのは楽しいな、と思った。それに、かねてから気になっていながら、まだきいたことのないアポジーのスピーカーもきかせてもらえるそうであった。そこで、うっかり、ぼくは、怪盗M1が巧妙に仕掛けた罠にひっかかった。むろん、そのときのぼくには、そのことに気づくはずもなかった。
 M1のいうように、このところ久しく、ぼくはオーディオ機器の試聴に参加していなかった。
 オーディオ機器の試聴をするためには、普段とはちょっとちがう耳にしておくことが、すくなくともぼくのようなタイプの人間には必要のようである。もし、日頃の自分の部屋での音のきき方を、いくぶん先の丸くなった2Bの鉛筆で字を書くことにたとえられるとすれば、さまざまな機種を比較試聴するときの音のきき方は、さしずめ先を尖らせた2Hの鉛筆で書くようなものである。つまり、感覚の尖らせ方という点で、試聴室でのきき方はちがってくる。
 そのような経験を、ぼくは、ここしばらくしていなかった。賢明にもM1は、ぼくのその弱点をついたのである。どうやら、彼は、このところ先の丸くなった2Bの鉛筆でしか音をきいていないようだ、そのために、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのもで6の音に、あのように安易に満足したにちがいない、この機会に彼の耳を先の尖った2Hにして、自分の部屋の音を判断させてやろう。M1は、そう考えたにちがいなかった。
 そのようなM1の深謀遠慮に気がつかなかったぼくは、のこのこスピーカー試聴のためにでかけていった。そこでの試聴結果は別項のとおりであるが、ぼくは、我がアクースタットが思いどおりの音をださず、噂のアポジーの素晴らしさに感心させられて、すこごすごと帰ってきた。アクースタットは、セッティング等々でいろいろ微妙だから、いきなりこういうところにはこびこんで音をだしても、いい結果がでるはずがないんだ、などといってはみても、それは、なんとなく出戻りの娘をかばう親父のような感じで、およそ説得力に欠けた。
 音の切れの鋭さとか、鮮明さ、あるいは透明感といった点において、アクースタットがアポジーに一歩ゆずっているのは、いかにアクースタット派を自認するぼくでさえ、認めざるをえなかった。たとえ試聴室のアクースタットのなり方に充分ではないところがあったにしても、やはり、アポジーはアクースタットに較べて一世代新しいスピーカーといわねばならないな、というのが、ぼくの偽らざる感想であった。
 そのときのスピーカーの試聴にのぞんだぼくは、先輩諸兄のほめる新参者のアポジーの正体をみてやろう、と考えていた。つまり、ぼくは、まだきいたことのないスピーカーをきく好奇心につきうごかされて、その場にのぞんだことになる。ところが、悪賢いM1の狙いは、ぼくの好奇心を餌にひきよせ、別のところにあったのである。
 あれこれさまざまなスピーカーの試聴を終えた後のぼくの耳は、かなり2Hよりになっていた。その耳で、ソニーのCDP557ESD+DAS703ES~マークレビンソンのML7L~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6という経路をたどってでてきた音を、きいた。なにか、違うな。まず、そう思った。静寂感とでもいうべきか、ともかくそういう感じのところで、いささかのものたりなさを感じて、ぼくはなんとなく不機嫌になった。
 そのときにきいたのは「夢のあとに~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」(オルフェオ 32CD10106)というディスクであった。このディスクは、このところ、なにかというときいている。オッフェンバックの「ジャクリーヌの涙」をはじめとした選曲が洒落ているうえに、あのクルト・トーマスの息子といわれるウェルナー・トーマスの真摯な演奏が気にいっているからである。録音もまた、わざとらしさのない、大変に趣味のいいものである。
 これまでなら、すーっと音楽にはいっていけたのであるが、そのときはそうはいかなかった。なにか、違うな。音楽をきこうとする気持が、音の段階でひっかかった。本来であれば、響きの薄い部分は、もっとひっそりとしていいのかもしれない。などとも、考えた。そのうちに、イライラしだし、不機嫌になっていった。
 理由の判然としないことで不機嫌になるほど不愉快なこともない。そのときがそうであった。先日までの上機嫌が、嘘のようであったし、自分でも信じられなかった。もんもんとするとは、多分、こういうことをいうにちがいない、とも思った。おそらく昨日まで美人だと思っていた恋人が、今日会ってみたらしわしわのお婆さんになっていても、これほど不機嫌にはならないであろう、と考えたりもした。
 しかし、その頃のぼくは、自分のイライラにつきあっている時間的な余裕がかった。一週間ほどパリにいって、ゴールデン・ウィークの後半を東京で仕事をして、さらにまた一週間ほどウィーンにいかなければならなかった。パリにもウィーンにも、それなりの楽しみが待っているはずではあったが、しわしわのお婆さんになってしまっている自分の部屋の音のことが気がかりであった。幸か不幸か、あたふたしているうちに、時間がすぎていった。
 そして、あれこれあって、ルフトハンザ・ドイツ航空の701便で成田につき、怪盗M1の挑戦状。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」を目にしたことになる。
「ちょっとひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」、と捨てぜりふ風なことを呟きながら一度は帰ったM1の、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」、であった。ここは、やはり、どうしたって、褌をしめなおし、耳を2Hにし、かくごしてきく必要があった。
 翌日、朝、起きると同時にパワーアンプのスイッチをいれ、それから、おもむろに朝食をとり、頃合をみはからって、自分の部屋におりていった。
 ぼくには、これといった特定の、いわゆるオーディオ・チェック用のコンパクトディスクがない。そのとき気にいっている、したがってきく頻度の高いディスクが、そのときそのときで音質判定用のディスクになる。したがって、そのときに最初にかけたのも、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」であった。
 ぼくは、絶句した。M1に負けた、と思った。
 スピーカーの試聴の後で、菅野さんや傅さんとお話ししていて、ぼくは自分で思っていた以上に、スピーカーからきこえる響きのきめ細かさにこだわっているのがわかった。もともとぼくの音に対する嗜好にそういう面があったのか、それとも、人並みに経験をつんで、そのような音にひかれるようになったのかはわかりかねるが、そのとき、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6で、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」をきいて、ぼくは、これが究極のコンポーネントだ、と思った。
 また、しばらくたてば、スピーカーは、アクースタットのモデル6より、アポジーの方がいいのではないか、と考えたりしないともかぎらないので、ことばのいきおいで、究極のコンポーネントなどといってしまうと、後で後悔するのはわかっていた。にもかかわらず、ぼくはソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」に、夢見心地になり、そのように考えないではいられなかった。
 ぼくのオーディオ経験はごくかぎられたものでしかないので、このようなことをいっても、ほとんどなんの意味もないのであるが、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた音は、ぼくがこれまでに再生装置できいた最高の音であった。響きは、かぎりなく透明であったにもかかわらず、充分に暖かく、非人間的な感じからは遠かった。
 静けさの表現がいい、などといういい方は、オーディオ機器のきかせる音をいうためのことばとして、いくぶんひとりよがりではあるが、そのときの音に感じたのは、そういうことであった。すべての音は、楽音が楽音たりうるための充分な力をそなえながら、しかし、静かに響いた。過度な強調も、暑苦しい押しつけがましさも、そこにはまったくなかった。
 ぼくは、気にいりのディスクをとっかえひっかえかけては、そのたびに驚嘆に声をあげないではいられなかった。そうか、ここではこういう音の動きがあったのか、と思い、この楽器はこんな表情でうたっていたのか、と考えながら、それまでそのディスクからききとれなかったもののあまりの多さに驚かないではいられなかった。誤解のないようにつけくわえておくが、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音にふれて、そこできけた楽器や人声の描写力に驚いたのではなく、そこで奏でられている音楽を表現する力に驚いたのである。
 したがって、そこでのぼくの驚きは、オーディオの、微妙で、しかも根源的な、だからこそ興味深い本質にかかわっていたかもしれなかった。オーディオ機器は、多分、自己の存在を希薄にすればするほど音楽を表現する力をましていくというところでなりたっている。スピーカーが、あるいはアンプが、どうだ、他の音をきいてみろ、と主張するかぎり、音楽はききてから遠のく。つまり、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音をきいて感動しながら、そこでオーディオ機器として機能していたプレーヤーやアンプやスピーカーのことを、ほとんど忘れられた。そこに、このコンポーネントの凄さがあった。
 こうなれば、もう、ひっこみがつかなかった。まんまと落とし穴に落ちたようで、癪にはさわったが、ここは、どうしたってM1に電話をかけずにいられなかった。目的は、あらためていうまでもないが、留守の間においていかれたソニーのCDP-R1+DAS-R1とチェロのアンコールを買いたい、というためであった。
「ソニーのCDP-R1+DAS-R1はともかく、チェロのアンコールはご注文には応じられませんね。」
 M1は、とりつく島もない口調で、そういった。
 M1の説明によると、チェロのアンコールの輸入元は、すでにかなりの注文をかかえていて、生産がまにあわないために、注文主に待ってもらっている状態だという。ぼくの部屋におかれてあったものは、輸入元の行為で短期間借りたものとのことであった。事実、ぼくがチェロのアンコールをきいたのは、ほんの一日だけであった。その翌日の朝、薄ら笑いをうかべたM1が現れ、いそいそとチェロのアンコールを持ち去った。
「いつ頃、手にはいるかな?」
 M1を玄関までおくってでたぼくは、心ならずも、嘆願口調になって、そう尋ねないではいられなかった。
「かなり先になるんじゃないですか。」
 必要最少限のことしかしゃべらないのがM1の流儀である。長いつきあいなので、その程度のことはわかっている。しかし、ここはやはり、なぐさめのことばのひとつもほしいところてあったが、M1は、余計なことはなにひとついわず、けたたましい騒音を発する車にのって帰っていった。
 しかし、ソニーのCDP-R1+DAS-R1は、残った。プリアンプをマークレビンソンにもどし、またいろいろなディスクをきいてみた。
 ソニーのCDP-R1+DAS-R1がどのようなよさをもっているのか、それを判断するのは、ちょっと難しかった。これは、束の間といえども大変化を経験した後で、小変化の幅を測定しようとするようなものであるから、耳の尺度が混乱しがちであった。一度は、M1の策略で、プリアンプとCDプレーヤーが一気にとりかえられ、その後、CDプレーヤーだけが残ったわけであるから、一歩ずつステップを踏んでの変化であれば容易にわかることでも、そういえば以前の音はこうだったから、といった感じで考えなければならなかった。
 しかし、それとても、できないことではなかった。これまでもしばしばきいてきたディスクをききかえしているうちに、ソニーのCDP-R1+DAS-R1の姿が次第にみえてきた。
 以前のCDプレーヤーとは、やはり、さまざまな面で大いにちがっていた。まず、音の力の提示のしかたで、以前のCDプレーヤーにはいくぶんひよわなところがあったが、CDP-R1+DAS-R1の音は、そこでの音楽が求める力を充分に示しえていた。そして、もうひとつ、高い方の音のなめらかさということでも、CDP-R1+DAS-R1のきかせかたは、以前のものと、ほとんど比較にならないほど素晴らしかった。しかし、もし、響きのコクというようなことがいえるのであれば、その点こそが、以前のCDプレーヤーできいた音とCDP-R1+DAS-R1できける音とでもっともちがうところといえるように思えた。
 なるほど、これなら、みんなが絶賛するはずだ、とCDP-R1+DAS-R1できける音に耳をすませながら、ぼくは、同時に、引き算の結果で、マークレビンソンのML7Lの限界にも気づきはじめていた。はたして、M1は、そこまで読んだ後に、ぼくを罠にかけたのかどうかはわかりかねるが、いずれにしろ、ぼくは、今、ほんの一瞬、可愛いパパゲーナに会わされただけで、すぐに引き離されたパパゲーノのような気持で、M1になぞってつくった少し太めの藁人形に、日夜、釘を打ちつづけている。

ハーマンカードン Citation 22

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

柔らかい低域に、やや硬質な中域から中高域がバランスした個性型の音である。1曲目のヴォーカルは、子音の強調感があり、音像も少し大きい。木管合奏では全体にメタリックさが残り、ハーモニーが薄いが、雰囲気はそれなりにまとまる。テクノポップスでは、まずるつずのまとまりだ。全体に低域の質感が甘く、力強さが不足気味になったのは、アッテネーターの硬調な傾向が上乗せになったようだ。

音質:72
魅力度:76

リン LK2-75

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

独特の個性の強い明快な音をもつアンプだ。帯域バランスは、ややナローレンジ型で、中域から中高域に特徴的な硬質のキャラクターがあり、これが、プログラムソースを、このアンプの音として聴かせるために働いている。全体に、硬質に、スケールを小さくして聴かせるが、バランスよくまとめる能力は抜群で、入出力は変化しても納得できる音である点は、良い意味でのカセットデッキ的な一種の魅力。

音質:71
魅力度:79

スイスフィジックス Model 4

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

ハイエンドとローエンドをピシッと抑えた充分な帯域コントロールと、やや硬質で明快な抜けのよい音をもつアンプだ。プログラムソースとの相性は、全体に音を整理して、小さな枠の中で聴かせる傾向があり、いわばミニチュアの世界を見せられた印象が強い。1曲目のヴォーカルは、響きも美しく、子音の抜けもキレイであり、弦楽合奏もスケールは小さいが小出力アンプのメリットの活きた音だ。スピーカーは低域の量感重視でセッティングしたい。

音質:84
魅力度:86

カウンターポイント SA-20

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

豊かな中低域と、明快な中高域がバランスした帯域バランスと、海外製品としては数少ない、正確に音を聴かせようとする印象のアンプだ。音色は、低域は柔らかく滑らかで、少し暗さがあり、中域から中高域は、硬く、明るいタイプである。音像は大きいが明快であり、音場感は標準より少し狭く、見通し不足気味だ。ウォームアップは、ソフトフォーカス気味の粗い硬さのある音から、余裕のある安定した音に変わるタイプ。堅実な手堅い音のアンプである。

音質:83
魅力度:88

ハフラー XL-280

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

無理なく充分にコントロールされた帯域バランスと適度に明快でメリハリの効いた判りやすい音が特徴のアンプだ。1曲目のヴォーカルは少し硬質な出だしであったが6曲目あたりからは安定した音になる。音像はクリアーで、シャッキッとしたプレゼンスが聴かれる。高域はクッキリと聴かれるが、リンキング気味で細部は見えないが大変巧みな音づくりが効果的に活かされている。思い切りよく、まとまった音が特徴。

音質:74
魅力度:79

クレル KSA-50MK2

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

スムーズなレスポンスをもつ素直なキャラクターが特徴のアンプだ。プログラムソースは、小編成のものに、軽く程よく抜けた雰囲気のよい音が聴かれ、楽しいが、反応は穏やかであり、鮮度感もやや不足気味である。音像は小さくまとまるが、輪郭は柔らかく、音場感はスピーカーの奥に拡がり、教会などの空間は小さく感じられる。音色もフワッとした軽さ、柔らかさがあるが、全体にパステルトーンの淡い色彩感だ。高能率スピーカーが必要なアンプ。

音質:83
魅力度:88

オーディオラブ 8000P

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

安定感のある穏やかな帯域バランスに、一種のまろやかさを感じさせる、ゆったりした音が特徴的なアンプだ。少し細かく聴くと、中低域の量感はあるが、最低域と最高域は緩やかに落ちるレスポンスをもち、中域には潜在的に粗い硬さが残るようだ。音場感は、QUADよりもナチュラルにCDらしく拡がるが、少し音が遠く感じられるたいぷ。音色は暖色系で、長時間聴いても疲れない反面、表情は単調で突っ込み不足。

音質:73
魅力度:76

マッキントッシュ MC7270

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

バランスのよい安定感のある音である。低域は柔らかく、中低域の量感がタップリとあり、適度に硬さのある中域が、このアンプの潜在的な味わいの中核である。高域はなだらかに落ちているように聴こえる。プログラムソースには、かなりアクティブに働きかけ、バランスを保ちながら、雰囲気よく音楽を伝える。太鼓の連打では、予想よりも軟調な表現となり、瞬発力よりはジワッとした力感であるのが判る。音像はやや大きく、音場感はほぼ標準的か。

音質:81
魅力度:90

QUAD 510

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

帯域幅をコントロールした、フラット型の帯域バランスと、クッキリとした硬質なストレートな音が特徴のアンプだ。プログラムソースとの対応は安定感があり、必要な情報量はかなり正確に伝えるが、一定の枠にピタッと抑えるあたりは、いかにもQUADのアンプらしいキャラクターである。音像は明快だが少し大きく、音場感はやや奥に拡がる傾向がある。音色は少し重く、暗く、鮮明感がもう少し欲しい。ウォームアップで少し穏やかさが加わる。

音質:83
魅力度:86

QUAD 405-2

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

CDがアナログディスク的な帯域バランスとコントラストになる特徴的なアンプだ。音の粒子は、やや粗粒子型で、ヴォーカルの子音はラフになり、教会でのコーラスの反響、余韻の細部が不明瞭になる。全体に、マクロ的に音をまとめるのが特徴だ。ビル・エバンスは、少し軽いが、リズム感も優れ、かなり聴きごたえのする音だ。小粒ながら基本は抑えてあり、太鼓連打でも、小出力ながら予想以上の音が聴かれた。

音質:72
魅力度:80

クラッセ DR-3

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

サラッとした線の細い音と、ややナローレンジ型の帯域バランスが特徴のアンプだ。音の粒子は少し粗く、エッジに適度な輝きがあるために、音の輪郭にコントラストをつける効果的な働きがあり、スッキリとした音のイメージに結びついている。プログラムソースは、全体に、スケールを小さく、音を整理して聴かせるが、情報量が不足気味で、教会などの空間の拡がり、反響、暗騒音などは聴こえにくい。筐体関係の共振や共鳴が音を粗くする要因だろう。

音質:80
魅力度:82

ハーマンカードン Citation 24

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

中低域の量感がタップリした、穏やかな帯域バランスで、適度にキメ細かく、滑らかで、雰囲気よく音を聴かせるアンプだ。プログラムソースとの対応は全体に音像をソフトに大きく聴かせ、音場は奥に拡がるタイプだ。中域から高域の分解能が一段と向上すれば、反応も早く、一種のベール感もクリアーされるだろう。目立たぬが中域には潜在的に硬さが残り、スピーカーには、素直でキメ細かなタイプが必要だろう。

音質:72
魅力度:75

マイトナー MTR-100

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

高、低両エンドを適度にコントロールした無理のない良い意味でのナローレンジ型の帯域バランスと、プログラムソースを全体に整理して、やや小さくキレイにまとめる特徴があるアンプだ。音像定位は小さくクリアーであり、音場感はスピーカーの奥に距離感をもって拡がるタイプだ。音色は軽く、適度に明るく、表情は抑え気味で、表現はやや消極的なタイプだ。鮮度感が少し寂しいようだ。

音質:78
魅力度:81

ミュージカルフィデリティ P270

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

安定度を感じさせる穏やかな帯域バランスと、暖色系の音色をもち、サロン風な雰囲気に音をまとめる特徴がある。A級増幅であるが、聴感上ではウォームアップが感知され、1曲目での低域軟調、高域硬調型バランス空、6曲目あたりになると硬さがなくなり安定度が向上した音になる。聴感上でのSN比は不足気味で、音場感的な奥行きはもう少し必要だろう。個性はかなり強く併用機器の選択がポイント。

音質:78
魅力度:80

B&O Beolab 150

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

やや、ナローレンジ型の帯域バランスとマクロ的な音のまとまりが特徴のアンプだ。ヴォーカルでは、音色も乾き気味だ。カンターテ・ドミノは、教会の空間の拡がりが狭くなり、テープヒスが少し耳ざわりになる。アンプの基本設計は、筐体面で、下側に基部をつけ、上側にスピーカーを載せて、ベストになる構成であるだけに、今回のように単体の試聴ではリスクが大きいのは仕方ない。

音質:70
魅力度:75

アクースタット TNT-200

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

安定度の高い、ややナローレンジ型の帯域バランスと、中低域の量感がタップリとした、穏やかで雰囲気型の音のまとまりが特徴である。1曲目のヴォーカルは、線が細く、スタティックなヴォーカルになるが、2曲目になるとウォームアップでの変化が現れ、反響の多いタップリとしたエコーを伴った教会の音になる。太鼓連打でも乱れは少なく、音色面での重さがないのがメリットだが、反応が少し遅いようだ。

音質:78
魅力度:80

ルボックス B242

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

充分にコントロールされたスムーズなレスポンスと、柔らかい雰囲気、適度にエッジの張った硬質な魅力が巧みにバランスした、いわは、人工的な独特の雰囲気が味わいになっている音だ。カンターテ・ドミノでのホールの響き、消えていく音がキレイであり、楽器の音に輪郭を程よくつけて聴かせるエンハンサー的な効果は面白い。ウォームアップは穏やかで、やや硬質な音から余裕の或る安定した音に滑らかに移行する。

音質:81
魅力度:84

カウンターポイント SA-12

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

厚みのある安定した音と強調感のないスムーズなレスポンスが特徴。音の粒子は基本的に粗いタイプだが、程よく磨かれており、細部を引き出しはしないが、これが一種の安定感につながり、安心して音が聴けるメリットにつながる。音像定位は少し大きなタイプで、音場感は標準的にとどまる。中域に少し硬質のキャラクターが聴かれるが、アッテネーターの特徴が加わったようで、低域も少しタイトに感じられる。

音質:80
魅力度:84

QUAD 606

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

軽快で爽やかな音をもつ、適度にフレッシュで、反応の早い音が特徴のアンプ。音像は小さくクリアーに立ち、音場感はナチュラルによく拡がるタイプであるが、聴感上でのSN比はやや不足気味で、録音系のノイズの質にラフさが感じられる。木管楽器は少しメタリックさが残るが、柔らかさ、暖かさがあり、雰囲気もよくまとまる。ビル・エバンスは、芯の甘さが残り、エネルギー感が少し不足し古さが出ないようだ。

音質:81
魅力度:86

リンクス Stratos

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

基本的には、細身でシャープな音で、ナチュラルな帯域バランスに特徴があるアンプだ。音の粒子は適度に磨かれ、エッジも程よく立つタイプであるが、音の分離が今一歩不足気味で、音色に少し乾いた面があるようだ。プログラムソースとの対応も自然で、使いやすいメリットはあるが、200Wモノアンプというイメージからくるプレゼンスの良さと、パワー感を、使いこなしで、どのように引き出すかがポイント。

音質:79
魅力度:80

ミュージカルフィデリティ A370

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

フラット指向型の帯域バランスと、明快でクッキリとした硬質な音である。プログラムソースとの対応は、硬質でエッジの効いた判りやすい音として聴かせるが、音楽のある空間の拡がりの差や、残響の消え方、暗騒音の細部などは不明瞭であり、柔らかさ、余裕度が不足気味であり、表現が硬く、単調になりやすい。この傾向は、エージング不足の場合に、よく聴かれるもので、太鼓連打での電源部チェックも標準的だけに、やや残念な思いがする。

音質:80
魅力度:82

スレッショルド SA/3

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

フラットでピチッとした印象の帯域レスポンスと、適度に硬質でクッキリと粒立つ明快な音が特徴のアンプだ。音像は少し大きくまとまるが、クリアーに立ち、音場感も素直に拡がる。プログラムソースとの対応は、音の傾向から予測したよりはナチュラルで適度にエッジの効いた判りやすい音として聴かせる。金管合奏は安定感があり、濃やかさは少ないが、金管らしい響きは、かなりリアルだ。ビル・エバンスは程よく古く、これは楽しい、という音だ。

音質:83
魅力度:86

マッキントッシュ MC2500

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

特集・「最新パワーアンプはスピーカーの魅力をどう抽きだしたか 推奨パワーアンプ39×代表スピーカー16 80通りのサウンドリポート」より

(オンキョー GS-1での試聴)
 能率の低いGS1を鳴らしきる最高のアンプはこれだ。ヴァイオリンの質感もしなやかで申し分なし。ピアノも輝かしくボディもふっくらしてタッチが生きる。弦楽合奏も、刺激的な音は一切無縁でリアリティのあるものだった。オーケストラのトゥッティはまったく堂々たるもので、いかなるクレッシェンドにも安心してついていける。ブラスの輝きと強さはこのアンプならではの感じが強い。メル・トーメのヴォーカルは暖かく、うるおいがあって最高。