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サンスイ LM-033

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 011、022と聴きくらべると、さすがに大型になっただけのことはあって、低域の豊かさが格段に向上してくる。もちろん低音だけでなく全体のスケール感が大型になって、011が小型の割には朗々とよく鳴るという感じであるのに対して、033はもっと楽々と音が出てくる感じになる。中音域は011のやや抜けた感じよりも022のどちらかといえば張り出す印象に近く、022ほどではないにしてもクラシックのオーケストラの強奏でむずかにキャンつく傾向が聴きとれる。やはり本質的にポピュラー系の音感でまとめられたスピーカーであることを感じる。ただし中域から高域にかけての音のバランスや質感が改善されれば、クラシック系もこなせるだけの素質は持っている。この製品はあまり高くない(30~40センチの)台に乗せ、背面を壁に密着させて置く方がバランスがよかった。011との価格差を考えあわせると、022よりは033の方が、あきらかに高価になっただけの値打があると思う。

ビクター SX-3II

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 良きライバルであるダイヤトーンのDS251/IIが中域のよく張った鮮明さで売っているのに対し、SX3/IIはどちらかといえばヨーロッパ的な柔らかな響きを大切にした作り方で、耳あたりよくソフトなバランスに仕上がっているので、ちょっと聴くとこもったような感じもするが、長い時間聴きこんでゆくにつれて、柔らかな中にも適度の解像力があって、ことにクラシック系の弦や声を主体としたプログラムに対しては、しっくり聴き込むに耐える完成度の高い音質だといえる。本誌28号でテストしたSX3に望んだ注文がほとんどかなえられて、以前の製品に比較して、中域の密度も増してきたし、やや抑えられているとはいうものの渋い艶も聴きとれる。この価格帯では内外を通じて眺めても、注目製品のひとつと言っていい。背面や側面を部屋の壁からなるべく離す方が音質の生きるタイプ。床の上に直接置いたり出窓や床の間に置いたりすると、音がこもってしまい、せっかくの音質が生かされにくい。

ヘコー SM625

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

『磨きあげたガラスのような硬質のクリアーな質感、張りつめた緻密な音、ショッキングなほど……』と表現した以前のシリーズ(本誌29号その他参照)のイメージを頭に置いて試聴をはじめて、しばらくのあいだは拍子抜けするほどがっかりした。全然変ってしまった。あの、爽快なほど気持の良い辛口の最右翼だったヘコーが、なんでこうも、ふつうの音に変ってしまったのか。こんな音ならなにもヘコーである必要がないじゃないか……。そういう感想が一応おさまってから改めてよく聴きこんでみたさすがに、クラシックのオーケストラを鳴らしても、音楽的なバランスは見事に整っている。ただ、くり返しに鳴るが以前のヘコーとは正反対のように、高域は丸くおさえこまれて、総体に甘口の、耳あたりのいい音に仕上がっている。小型、ローコストだから、低音の量感などは、使いこなしでカヴァーする必要がある。というわけでこの製品自体決して悪くないが、かつてのあのヘコー・サウンドを満喫したい向きは旧製品P4001を探すこと。

アドヴェント ADVENT2

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 明るくよく弾む音。以前のアドヴェントのような変に乾いた音色でなく、適度にツヤの乗った、輪郭の鮮明な音がフレッシュな印象を与える。とても楽しい音質で、ポピュラー、クラシックの別なくクリアーで分離のよい音を聴かせる。デザインはどことなくブラウン、ヘコーばりだが、白いキャビネットの外装はプラスチック製とユニークだが、むろん共振は注意ぶかくおさえられ、箱鳴り的なクセはほとんど感じられない。小音量から大音量まで、音色がよく統一されている点もよい。たたじ極端なパワーは入れられない。いわゆるパワーに強いというタイプではないようだ。レベルコントロールがないので、置き方のくふうで良いバランスを探すことが必要。シュアーV15/IIIの品のない音を露骨に鳴らしてしまう。オルトフォンVMS20にすると、格段に品位の良い音質を聴かせる。したがってアンプもグレイドの高いものが必要。構成の割には高価という輸入品のハンディを考えても、一聴に値する注目製品、といってよいだろう。

マランツ Marantz 4GII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 エレクトロ・リサーチと価格が近く、しかも生まれが同じカリフォルニアだから、つい比較してしまうことになる。能率はE-Rよりも聴感上で4~5dB高く、組み合わせるアンプはパワーの面で楽になる。E-Rが中域をやや抑えぎみだったのに対し、こちらは中域がよく張っている。輸入品を国産の同価格製品とくらべるのは少し気の毒かもしれないが、E-Rと同様にパワーにやや弱い傾向を示し、アン・バートンのバックのベースの音で、裏蓋ごとビリつくような音がで出たので、音量をおさえかげんで聴いた。総体にダウンタウン的イメージ、要するに音に品格が欠ける。音楽の大づかみな印象を的確にとらえて元気に鮮明によく鳴るが、いくらか手綱を緩めすぎたという感じ。もうひと息、磨かれた品位が加われば抜群の音質に仕上がるのに、と言いたくなるスピーカー。したがって細かなことにこだわらずに気楽に鳴らすという目的ならそれなりに十分楽しめる音、といえる。ただし、この値段であえてこれを選ぶ理由はやや希薄。

オンキョー E-213A OAK

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 音の輪郭をすべて太く鳴らす傾向があるが、低音から高音までのバランスがわりあい良く、なかなかよく練り上げられたスピーカーであることが感じられる。音量の強弱にもよく追従し、音色に統一感がある点はよい。クラシックのオーケストラを鳴らしても、やかましさや圧迫感を感じさせず、いやな音を出さないようよくコントロールされていることがわかる。オーケストラの厚みは出にくいにもかかわらず、弦のソロでも繊細さあるいはシャープなイメージがやや出にくく、総体に音を大づかみに、弦の一本一本が太いという感じで鳴る。この価格で多くを望むのは無理な注文だとは思うが、音の質に磨きをかけて、もっと光沢のある洗練された質感が出せるようになれば第一級のスピーカーになると思う。小型のスピーカーに共通の注意だが、低音の量感を補うため、背面は固い壁に近接させた方がいいタイプ。OAKシリーズになってから、以前の製品よりデザインも垢ぬけて、しゃれたイメージが出てきたのは長所。

オーレックス SS-350W

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 耳ざわりなピークや歪みなどの成分を、注意深くとり除きあるいは抑えこんだという印象で、低音から高音にかけて目立ったでっぱりもなく、とうぜん中域がキャンついたりせず、低音のボンつきもなく、高域のシリつきもない、というように、ともかく欠点はできるだけ耳につかないように作ろうという意図は明瞭にくみとれる。その意味で優等生的、といってよいと思う。ただしこの優等生、私見私見でいためつけられた青白い坊やみたいに、どことなく生気に乏しい。演奏の熱っぽさ、魂の燃焼、そういう精神の高揚が、どんなレコードからも感じられない。ベルリン・フィルの演奏も、できの悪いときのN響のような、よそよそしい印象になり、ベートーヴェンを聴くよりも学習しましょうという鳴り方をする。心で感動するよりも頭の方が悪働きしてしまう感じだ。音に若々しさ、躍動感、生気がない。といって老成した円熟という音でもなく、試験勉強の坊やと書いたが、それよりも無気力な万年係長とでもいう方がふさわしいのかもしれない。

エレクトロリサーチ Model300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 ローコストグループの中では、条件つきながらクラシックを一応楽しめるスピーカー。というのは第一に、演奏上のテクニックや楽器の音色の変化や各パートの動きなどのニュアンスをわりあいよく聴かせるからで、これは国産のローコストスピーカーには望みにくい長所である。低音は本もののファンダメンタルはむろん出ないにしてもオルガンなどでもけっこう感じはよく出るし、高音のレンジも広い。中音はややおさえぎみで薄手の感じ。したがってヴォーカルなどハスキーすれすれの鳴り方、あるいは弦合奏も倍音の上澄みが強調されるような傾向があるが、総体に柔らかくよく広がり定位も奥行きもあまり難点がつけにくい。能率が低くハイパワーに弱い(たとえばカラヤン/エグモント序曲のオーボエが変にビリついたりした)ので、サブスピーカー的、バックグラウンド的に使うのが本来の生かし方だろう。つい聴き惚れさせるといった魅力があり、輸入品のローコストスピーカーとしては音のまとめのセンスがいい。

サンスイ LM-022

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 011とくらべると、第一に低音の迫力が増したために全体にスケールがひとまわり大きくなって聴こえる。第二に、011では中音域をややおさえすぎた感じで、聴感上では、プログラムによっては中域が少々不足の感じではあったのが、022ではその点がよく埋まってきた。この二点が、6千円アップのメリットである。反面、クラシック系のソースでは中~高域がキャンつく感じが強く、またトゥイーターから鳴ってくるスクラッチノイズを聴いても011より質が粗くやや耳ざわりの傾向があって、総じて音のとらえ方では011の方がすぐれているのではないかと思われる。製品の企画自体、本質的にポピュラー系の再生に焦点を合わせていると思われるが、そうしたプログラムについても、011とくらべて全面的にこちらがいいとは言いきれない。ペアで1万2千円の差は、このクラスでは無視できない価格差だが、それだけの値打があるか、と聞き直られれば、さあ、どうももう一息なのだが、と言いたい感じ。

オンキョー Quart Lam-III

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 上方の、ことに下町のおばはんの会話に、一種鼻にかかったような発声を聴きとることがある。この製品が関西生まれだからなどとこじつけるつもりは全然ないが、音を聴いていると、その関西ことば特有のおもしろさのような音色が聴きとれるように思えるところが、何とも妙だ。こじつけだと言われれば右の表現は撤回してもいいが、しかしいわゆる物理尺度をあてはめて評価するには、このスピーカーの音はやや特殊な部類に入る。おそらく製品の規格のねらいが、オーソドックスな音とは逆の個性を強調する方向を目ざしているのだろうと思う。箱の独特の構造のゆえか、低音はとても豊かに鳴りひびく。楽器の鳴らす本当の低音とは違うおもしろさだ。中~高音域は、そういう低音の鳴り方に負けないよう、鮮明な鳴り方をする。スピーカーが作り出す音色を楽しむと言う製品だから、使いこなしも各自の創意を加えて独特であってよい。聴感能率はかなり高いから、小出力のアンプでも十分な量感を出せる点が大きなメリット。

ダイヤトーン DS-22BR

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 中域のよく張った、ダイヤトーン製品に共通のバランスがこのスピーカーにも一貫して聴きとれる。ローコストの製品の中には、中~高音のやかましさを抑えるために適度に中域を抜くという手の使われる場合があるが、このスピーカーの場合は全くオーソドックスに、低音から高音まで、中身のいっぱい詰ったゴマ化しのない音がする。聴感上の周波数レインジは必ずしも広いとはいえないが、この価格でよくここまで本格的にとりくんだものだと感心させられる。したがって、カートリッジやアンプの音色の違いを正直に鳴らし分ける。これと対照的なエレクトロリサーチの300と聴きくらべると、ダイヤトーン独特の張りつめたような音質がことさら硬質に感じられて、音楽の柔らかな表情をどこか一本調子で鳴らすという傾向が少し気になるので、そうした面を少しでも補うには、アンプやカートリッジに、音の表情の豊かな、ニュアンスの濃やかな製品を組み合わせるように工夫したい。やや高めの頑丈な台にのせる。背面は固い壁がよい。

サンスイ LM-011

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 ポピュラー系の音楽、ことにヴォーカルに焦点を合わせた作り方らしく、この系統のプログラムの場合には、のびのびと元気のよい、芯のしっかりした音で、なかなか魅力的に鳴ってくれる。いわゆる「音離れのいい」タイプで、左右にひろげたキャビネットのあいだに音像がよくひろがる。定位もわるくない。聴感上の能率は中の上。あまりパワーの大きくないアンプと組み合わせても、音量感の不足は一応感じない。クラシック系のソースはややニガ手のタイプのようで、弦や声の滑らかさ、緻密さ、あるいは溶け合う和音の柔らかな響きが出にくい。こうした面は、このスピーカーの価格や性格を考えあわせればもちろん無理な注文だと思うので、あくまでも前記の長所を生かして使う製品なのだろう。箱が小型だから低音の厚みを補うために、背面を固い壁面に近づけて設置する方がいい。音離れのよさを生かすにはやや高めの台、音に落ちつきを求めるなら逆に低めの台にのせる。カートリッジはシュアーのV15/IIIの系統がよく合う。

いま最高のオーディオ装置とは

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

オーディオの「趣味の哲学」
われわれの知る範囲で世界一の食いしん坊は、フランス人のブリア・サヴァランだろう。彼は1825年、死ぬ1年前に「味覚の生理学」(邦題《美味礼讃》関根秀雄・戸部松美訳/岩波文庫)を出版した。この本は、人間の味覚と食物についての、両理学であり文学であり哲学でもある大冊である。その中で彼は、食いしん坊を次のように定義する。
〝グルマンディーズ(美食家・食道楽・うまいもの好き)とは、特に味覚を喜ばすものを情熱的に理知的にまた常習的に愛する心である〟と。
     *
 だとすると、オーディオの愛好家はさしずめ《音のグルマン(美食家)》ということになるだろうか──。
 同じレコードを聴くにも、少しでも良い音質で鳴らしたい。そのためには、精密なメカニズムを駆使して自分の気に入るまで音を調整する労を惜しまない。新しいマシーンはすぐにも入手したいのに、自分の気に入らない器械や気に入らない音は、たちどころに追放したい。それほど、自分の好みの音に対して厳格である……。
 オーディオのグルマンには、多かれ少なかれ、こうした厳格さ、ある種の潔癖さが要求される。
 しかしそれはあくまでも、音楽を愛し音を愛して、そのことを自分の人生の中の大きな楽しみとするため、である。
 だからもしも、年がら年じゅうクヨクヨと思い悩むようなタイプの人は、オーディオなんかきっぱり捨てるべきだ。別にオーディオなんかに凝らなくたって、たくさんのひとが立派に音楽を楽しんでいる。
 同じレコードを聴くにしても、メカを駆使することを楽しみ、よりよい音に磨き上げることを楽しみにできる人だけが、オーディオのグルマンたる資格を得るのだ。どんな趣味もすべて、人生を楽しみつつ味わうべきものだ。少なくともこれが、ぼくの《趣味の哲学》だ。

「新しいサウンド」を求めて
 たとえばマッキントッシュのアンプにアルテックのシアター・スピーカーとくれば誰でも知っている世界の名器だが、これらの音は、いまのぼくの耳には、もはやいかにも古めかしい音に響く。たしかにぼくにも、その種の音を素晴らしいと感じた時期があったが、そういう感覚にいつまでも踏み止まっているということは、感性が動脈硬化を起こしているのだとぼくは思う。生き続けているかぎり常に、より新しい音の中から、本ものとそうでないものを鋭敏に聴き分ける柔軟な耳を保ち続けたいものだと思う。
 新しい音というと、いまぼくの頭にまっ先に浮かんでくるのは、アメリカJBLとイギリスのKEF。ともにスピーカーのメーカーである。JBLはここ2年のあいだに、プロ用の新しいモニタースピーカーを続けざまに発表した。一方のKEFも、MODEL104という小型スピーカーの発表でセンセーショナルな登場を試みた。
 しかしこういう製品が、ある日突然生まれたわけではない。どちらも20年以上のキャリアの中から、改良され開発されて完成した音だ。ことにKEFの場合は1955年頃からイギリスの国営放送《BBC》と共同で開発したモニタースピーカーLS5/1Aの存在が大きな意義を持っている。これはぼくの常用、というより愛用している大切なスピーカーのひとつだ。
 BBCモニターLS5/1Aの音質をひとことでいえば、あくまでも自然な美しい響き。中でも弦楽器やヴォーカルの自然な生々しさ。左右に拡げて設置した2台のスピーカーのあいだいっぱいにオーケストラが並ぶ。まるでスピーカーの向こう側に演奏会場をのぞくようなプレゼンス。そして何時間聴いても疲れない。聴きづかれするような音というのは、どこかに必ず欠陥がある。
 KEFの柔らかな響きはクラシックに絶対の偉力をみせるが、たとえば打楽器の迫真性、といった点では、KEFもJBLにはかなわない。
 世界中のあらゆるスピーカーを聴いてみると、イギリス系のスピーカーは常に、弦楽器やヴォーカル──ことに女性シンガーの色気や艶を優れて美しく聴かせる反面、打楽器には弱腰の傾向をみせる。
 そこを充実感をもってピシッと引き締めるのがアメリカの、中でも西海岸(ウェストコースト)の、ことに新しいスピーカーとりわけJBLのニュー・ジェネレーションのシリーズに止めをさす。オーディオ道楽を永らく続けてきたぼくにとって、いまのところ、この両極の音がいつでも身ぢかに聴けることが、どうしても必要である。
 スピーカーにかぎらず、プロ用の製品にはどこかケタはずれの凄さがあるが、レコード・プレイヤーやテープデッキも、たとえば西ドイツのEMTやアメリカのアンペックス(又はスイスのステューダー)を一度でも使ってみると、これはちょっと次元が違うという実感が湧いてくる。EMTのカートリッジか無くなったら、ぼくはレコードを聴く気が無くなるかもしれないとさえ思う。そしてこのカートリッジは、同じくEMTのスタジオ用レコード・プレイヤーにとりつけてみなくては真価がわからない。ものすごく安定感のある音。しかもレコードの溝に刻まれたどんな繊細な音にさえ、鋭敏に反応し正確にピックアップするという印象である。
 プレイヤーのメカニズムも、限られたスペースでは説明しきれないが、一例をあげれば、ピックアップの針先を照らす明るいサーチライトによって望みの場所に針を下ろすことが容易だし、スタートやストップの動作の歯切れがものすごくいい。ターンテーブルは旧式のリムドライブだが、へたなDDモーターなど足もとにも及ばない性能をもっている。
 アンペックスのプロ用テープデッキも、トランスポート・メカニズムの安定性、ピークに対するアンプのおそるべき余裕、そして操作性の良さ、どれをとっても溜息がでるほどだ。腰の強い圧倒的な音質の迫力は、ジャズ系に絶対だ。しかしまた、クラシック系に聴かせるステューダーの、滑らかで渋い艶のある音質は全く対照的といえる。メカニズムも、アンペックスの良くいえばダイナミック、悪くいうと少々ラフな動きに対して、完全に電子制御されてあくまでもエレガントな動作は、ヨーロッパ人の気質がスイスの精密工作に裏づけられていることを感じさせる。
 カセットデッキについては、ぼくはひとつの意見を持っている。あの手帳1冊より小型のテープに、しかもカセット本来の簡便さを生かして録音するのに、いまの多くのデッキは間抜けなほど大きすぎる。その点
でドイツのウーヘルCR210は、いいな、と思う。ポータブルという設計のせいもあるが、おそろしく小さい。それでいて再生はオートリバースというように、その辺のうすらでかいデッキよりよほど進歩したメカニズムで、超小型とは思えないクリアーでしっかりした音を聴かせる。
 スピーカーやレコード・プレイヤーやテープデッキ類に対して、アンプやチューナーに関しては、わが日本が全般的に優秀だ。この面ではむしろヨーロッパ製品は一般に格が落ちる。一方アメリカは、中級以下の製品は日本製よりはるかにひどいが、高級品となると、ときたま、度はずれといいたいような製品を産み落とす。最近では、マーク・レヴィンソンやセクエラなど、注目すべきメーカーが出てきた。

いま最高のオーディオ装置は何か
 マーク・レヴィンソンは技術者でしかも同社の社長。昨年秋に新婚旅行を兼ねて来日したとき27歳と言っていた。価格を度外視しても、自分で納得のゆくまで最高のアンプを作るというパーフェクショニストである。
 LNP2というプリアンプは、1973年秋の発売当時で1750ドル(現2250ドル)という途方もない価格と、しかし驚異的な性能でアメリカのオーディオ関係者を驚かせた。これほどのプリアンプを作っておきながら、パワーアンプについてはまだ満足できるものが作れないなどとトボケたことを言い、自分では他のメーカーの製品を改造していまのところは使っているという、どこか間の抜けた商売を平気でするような男で、マネージメントに才能のある美人の女房がついていなかったら、とうにつぶれてしまっていただろう。こういう男と話をしてみると、アメリカという国には、途方もないオーディオ気違いのいることがわかる。
 もうひとつの気違いメーカーが、2千500ドル、輸入価格128万円というFMチューナーを作っているセクエラだ。
 いまから10年ほど前、有名な〝マランツ〟にMODEL 10BというFMチューナーがあった。製造中止の現在も、日本ではプレミアつきで売買される名品だが、これを設計したスタッフが最新のエレクトロニクスの粋を集めて完成したのが、このセクエラ1型だといわれる。オシログラフによる精密な波形の表示と、デジタルの同調指示は、未来のチューナーを暗示するようだ。
 話を再びスピーカーにもどすと、KEFは昨年秋に、新型のスタジオ・モニタースピーカー model 5/1ACを発表した。本体は旧BBCモニターLS5/1Aをベースにしているが、今回のは低音と高音を別々のパワーアンプで鳴らす、いわゆるマルチアンプ方式で、パワーアンプは内蔵している。ことしの5月以降、少しずつ日本に入ってくるそうだが、サンプルはすでに入荷して、KEFの社長と輸入元の好意で、しばらく借りてモニターさせてもらっている。
 旧型の音は温かくウエットで、良くいえば聴き手をひきずり込まずにおかないようなインティメイトな雰囲気。反面、ちょっと深情けが過ぎるんじゃないかといいたいような鳴り方をすることがあったが、新型はもっとクールで、馴れないうちはどこか素気ない鳴り方が、雰囲気に物足りなささえ感じさせる。総体にシャープな性質が増し、低音も旧式の豊かさにくらべると引き締って明快である。
 新旧の比較ではこういう明らかな差があるのに、たとえ新型でもJBLと比較すればアメリカとイギリスの歴然たる違いは少しも無くなっていないことが聴きとれて興味深い。イギリスのスピーカーの音は、どこまで新しくなってもやはり、イギリス紳士を思わせる。どんなにエキサイトしても、端正でしかも渋味のある鳴り方をくずさない。
 昔からドイツの音は、輪郭鮮明でカチッと引き締った音がするといわれるが、EMTのカートリッジには、たしかにそういう正確がはっきり聴きとれる。そして、アメリカの現代のアンプは、それをただひたすら正確に増幅する。KEFのスピーカーの端正な鳴り方にも、こういう組合せで生き生きと血が通ってくる。これは磨き抜かれた極上の音だ。何気ないくせに聴き込むにつれて底力の感じられるという、一種凄みさえ思わせる音質である。
 もしもここに、JBLの新型が加われば、あの西海岸(ウェストコースト)の明るく輝く太陽と、澄みきって乾いた空気をそっくり運んできたような爽やかな音が鳴ってくる。これもまたこたえられないよなあ。
 オーディオの世界にも、過去、名器と呼ばれる製品が数多く生み出されたが、常に新しい製品に惹かれるぼくは、単純なエピキュリアンなのだろうか。それとも、美しい女性に憧れながら口をきくのも苦手なぼくは、オーディオの世界でプレイボーイを試みるだけなのだろうか。グルマンとプレイボーイとは、どこが違うのだろうか。
 違いがあるにせよないにせよ、美しい音に飽食したいとねがうぼくの気持に、変りはない。

マークレビンソン LNP-2

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

アメリカには、超弩級のマニアがいる。マーク・レヴィンソンもそのひとり。まだまだ納得がいかないといいながら、世界最高のプリアンプをつくった。
黒ヒョウを思わせるパネル前面に並ぶ無数のツマミは、ただひたすら、カートリッジがひろった音を、忠実無比にスピーカーに送りこむ。このプリアンプあってこそ、カートリッジもスピーカーも、その真価を発揮するといえる。ビューティフルなメカが、ハッピーなサウンドを生む好例だ。アメリカ、マーク・レヴィンソンLNP2(プリアンプ)108万円。

セクエラ Model 1

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

世界のオーディオ界を、アッといわせたかつての名チューナー、マランツMODEL10Bを作った技術陣がセクエラという別会社をつくって製作した最新のチューナーである。現代エレクトロニクスの粋を集めて作ったこのセクエラ・MODEL1は、128万円。もちろん、周波数帯域は、日本のそれに、本国アメリカで修整されている。オシログラフのさまざまな波形が、聴く楽しみと同時に見る楽しみをもつけくわえている。

ウーヘル CR210

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

こじんまりと、コンパクトにまとめられたカセット・デッキ。西ドイツ、ウーヘルCR210、21万円。いかにもドイツのメカらしく、内部の配線の美しさは、比類ない。小型にもかかわらず、機構はよくととのっていて、再生もオートリバースである。
音も、超小型とは思えないほど、クリアーでしっかりしている。サンショは小粒でもピリリと辛い、大は小を兼ねない、という好例か。
いたって軽く、持ち運びにも便利このうえない。

KEF Model 5/1AC

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

人間の肉声を、これほど忠実に、また魅力的に再現するスピーカーもない。とくに、女性ヴォーカルの艶っぽさは、古今にその比をみない。演奏会場を、眼前に見る思いともいえようか。イギリス・KEF社の新製品、MODEL5/1AC。パワーアンプ内蔵で予価60万円。この5月以降、日本国内で販売されはじめる。

KEF Model 5/1AC

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

前記KEFの前面サランネットをはずしたところと、同スピーカー組み込みのパワーアンプ、AD108P。探春で素朴なこの内部から、繊細なひびきが再現されることに驚かない人はいない。スピーカーの四隅をよぎるボードの切れ込みに注意されたい。指向性を良くするためのKEF独特のものだ。

EMT 930st

瀬川冬樹

月刊PLAYBOY 7月号(1975年6月発行)
「私は音の《美食家(グルマン)》だ」より

いたれりつくせりの機構と、精密なメカニズムを誇る西ドイツ製プレイヤーEMT930st。98万円。ダイレクトドライブでもなければ、ベルトドライブでもない。むかしながらのリムドライブだが、厚さ10センチ、重さ4キログラムに及ぶターンテーブルを、静かに、しかも安定した力強さで回転させる。
EMTのカートリッジも、この本体につけてこそ、その真価を発揮する。

グレース F-9E

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1975年6月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 グレースはグレース・ケリーのグレースと同じ綴り、などというと年が判っちゃうかな?。グレースのグレースは高尚とかいうが、実はグレイからもじられたグレースというのが多分本当だろう。
 グレイというのは、昨年来、日本市場にも再度10何年ぶりにお目見えした超豪華プレイヤーについていたアームのブランド名だ。しかし再度と知っているオールド・マニアにとっては、グレイはオイルダンプド・アームの本家としてモノーラル時代に世界を圧した業務用アームの老舗である。この誇りあるのれんの重さは当時にあっては並ぶべきものが全くなかったほどだった。
 やがてステレオ期になって、軽針圧カートリッジ時代に入るとぷっつりと姿を消して、その名も絶えてしまったのが本家の米国グレイ社であった。マイクロトラックというブランド名の重量級プレイヤーについている武骨なオイルダンプ・アームは、まぎれもなくグレイ社の製品であったのを懐かしむ者もいたはずだ。本家のグレイが落ちぶれたのに対して日本のグレースは、ステレオになるやMM型カートリッジの秀作F5、F6とヒットを送りさらに400シリーズから発展した500シリーズの軽量級パイプ・アームが市場を長い期間独占していた。
 こうした成功は決して僥倖によるものではなくて、ひとつの製品を土台にしてその改良を絶えず行ない、さらにその集積を次の新製品とする、という偉大なる努力を間断なく続けてきた結果のF9シリーズは、それらの技術的姿勢の賜物というべきだろう。だからこのF9も決して他社のように新製品のための新型ではない。技術の積み重ねが得た止むに止まれずに出てきた新製品なのである。
 F9はMM型メカニズムとして従来のF8と全く異るというわけではないが、その磁気回路とコイルとの組合せによって成立する構造は従来のF8には盛り切れなくなって達した新機構ということができる。それは、しばしばいわれるように、シュアーV15がタイプIIIになって新らたなるメカとなったことと共通しているといえようか。だから wv9は、よくシュアーのV15IIIと比較されることもあるが、その違いはF9の基本的特性が素晴らしくのび切ったハイエンドを秘めているのに対してV15タイプIIIは必ずしも数万ヘルツまで帯域が確保されているとはいい難い。それどころか最近多くなったCD4ディスクへの対応という点ではV15タイプIIIはもっとも弱い立場にあるともいわれる。F9のデーターにみるフラットな再生ぶりは、類がないものだ。

プロ志向に徹したマニア・ライクなシステム
 こうした技術データーの優秀性はそのまま音の上にもはっきりと感じとることができ、澄み切った音は今までになく透明で、しかも従来のような線の細さがF9になってすっかり改められ、力強さを加えていることだ。これは中高域における1dB以内とはいえレベル・ダウンがなくなったことが大きなプラスとなっているのだろう。つまり、解像度はよいが繊細すぎるといわれた点の改善である。
 こうした音色上の改良点は、そのまま再生上の水準を大きく引き上げることとなりF9になって海外製品との比較や組合せが、心おきなく可能となったのは大きな収穫だろう。
 このF9を生かすべき組合せは、この透明感と無個性といいたくなるほどのクセのない再生ぶりを生かすことだ。そのために選んだのが、これまた音の直接音表現で名をはせるテクニクスのアンプである。
 テクニクスはこうした面での再生を高いポテンシャルで実現する点、国産高級アンプ中でも無類の製品だ。かつてはSU3500で価格の割高なことがマイナスとならなかったロングセラー・アンプであることは有名だ。日進月歩の今日3500は3年を迎えて、今でも第一級なのだから。この3500以来テクニクスのアンプの優秀性はひとつの伝鋭となったくらいで、その最新作9200セパレート型アンプ、 引き続いての9400プリメイン・アンプと、どれをとっても透明そのものの再生ぶりがメカニックなプロフェッショナル・デザインと共にユーザーに強い印象を与え、多くのテクニクス・アンプの支持者を生むことになったのだ。
 プロ志向にあこがれるのはベテラン・マニアだけでなく若いファンとて同じなのだ。
 さて、このF9プラス、テクニクス・アンプとプロフェッショナル志向の強くなった組合せは、プレイヤーにデンオンの新型、コストパーフォーマンスの高いDP1700を選ぶのは妥当だろう。このアームはデンオンのプロ用直系で、F9にとってグレース・ブランドのオリジナルと同様好ましい動作が期待できよう。
 またスピーカー・システムに関してもプロフェッショナル志向という点で、サンスイのモニター・シリーズを選ぶのはごく自然な成り行き、結着といえるだろう。ここではモニター2115、つまりLE8Tのプロ用ユニットを収めたやや小型のブックシェルフ型だ。さらに大型の10インチ2120も考えられる。しかし、ただ一本でできるだけ良質の再生ということからは、この2115こそもっとも妥当なセレクトといってよい。
 このシステムで再生したラフ・テスト盤のフォノグラムの最新作「ザ・ドラム・セッション」の端正きわまりない再生ぶり、底知れぬ力に満ちたドラムのアタックと4人の個性的なサウンドと、その奏法のおりなす生々しい展開は試聴室をスタジオの現場と化してしまうほどであった。そのスケール感と定位の良きは、F9の基本的性能の良さを立証するものに他ならないといえよう。
 このシステムから流れ出るサウンドは.なぜか聴き手を引き込むようなサウンドであり、しばらくはSJ試聴室でだだただ興奮!

アルテック X7 Belair

菅野沖彦

スイングジャーナル 7月号(1975年6月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 アルテックのスピーカーは常に強い魅力を聴く人に感じさせる。その音は決して優等生的な欠点のないものとはいえない。むしろ、立場を変えれば欠点だらけといってもよいものが多い。例えば、あの有名な〝ボイス・オブ・シアター〟A7システムがそうだ。ご承知のようにA7は大きな劇場用のシステムであって、アルテックはその持てる技術と歴史のほとんどをこの系統のシステムに注入してきた。つまり大ホールにおけるハイ・エフィシェンシーなエネルギーの伝送を、いかに人の感覚に快よい、音楽的効果と結びつけるかという方向である。そのために強力なコンプレッション・ドライバーと有効なホーン、それに見合ったウーハーの2ウェイを主軸とし、少々の低域特性の不満や、高域の減衰(10kHz以上の高域は大きなホーンでは余程のエネルギーでない限り空間で減衰するし、10kHz以上のエネルギーを放射すると往々にして歪の放射につながり、種々様々なプログラム・ソースを再生しなければならない劇場用としては、アラが目立つチャンスのほうが大きい)を承知の上で、主要なファクターに的をしぼるという達観を数10年前から持っていた。しかし、これが、モノのわかる人には家庭用としても音楽の有効成分の伝達──つまり、余計をものを切りすてて重要な音楽的情報を伝えるという大人の感覚に連り、A7を家庭用としても持ち込むという傾向を生み出したといえる。もちろん、プログラム・ソースの質的向上に伴って、A7シリーズのドライバーも高域低域のレンジ拡大がおこなわれ、現在の8シリーズの最新型ドライバー・ユニットはかなりレンジが拡がったが、2ウェイというシステムのままのレンジ拡大という基本思想は変っていない。ところで、そうしたアルテックも最近の家庭用ハイ・ファイ・システムの需要の大きさを無視しているわけにはいかなくなった。特に宿敵JBLが、この分野における活発な成果を上げ、それをプロ用にも生かしてくるようになっては、本家としてだまっていられなくなったのも無理からぬ話である。最近のアルテックはそうした、いわゆるハイ・ファイの分野にも意欲を持ち始め、2ウェイはもちろん、3ウェイのブックシェルフ・システムの開発にも積極的になってきたのである。近々、アナハイムから発売されるであろう一連のブックシェルフ・システムがそれだが、この〝ベルエア〟システムは、その動きを敏感に把えてエレクトリが完成した家庭用ハイ・ファイ・システムである。機会があってアルテック本社で一連の新製品と本機の比較試聴を行なったが、決してそれらにひけをとらないまとまりをもったシステムであった。使用ユニットはアルテックの新しい製品で、ウーハーが30cmの411−8A、トゥイーターが427−8A、それをN1501−8Aネットワークで1・5kHzでクロスさせた2ウェイ・システムだ。エンクロージャーは、ダンプド・バスレフである。エレクトリは既にベスト・セラー〝デイグ〟を世に送り出しているがその経験を生かしてつくられたこの〝ベルエア〟はアルテックのサウンドの魅力をよく生かし、しかも全体のバランスを周到に練った成果が聞かれるのである。明るく屈託のない音。がっしりとした音像再現による明解なディフィニジョンはまさにアルテック・サウンドそのものである。印刷の世界でよく使われる言葉に発色という言葉があるが、アルテックのスピーカーは、それになぞらえれば〝発音〟の鮮やかなサウンドであって、全ての音が大らかに発音されるのである。この〝ベルエア〟は価格的にも7万円台ということだが、ユニットやネットワークの本格派として、これは安い。先に書Vいたようにスピーカーは土台、目的をしぼってまとめられなければならないという現実の制約があるものだが、このシステムの目的はハイ・ファイ用としてレンジを拡大しながらも、決してひ弱繊細で神経質な音になることを避け、たくましくジャズを鳴らしてくれるところにあるとみる。それだけに、たしかな響き、心のひだのすみずみを微妙なニュアンスでデリケートに鳴らしてくれるというシステムではない。同価格クラスの他製品と比較して立派に存在価値を主張できるシステムというのがこの製品を試聴して持った印象であった。

Lo-D HA-1100

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1975年6月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 Lo−Dアンプが全製品イメージ・アップして、一挙に新シリーズに改められた。
 歪0・006%と、かつてない驚異的な低歪率特性で、名実とも、Lo−Dのトレード・マークはますますその輝きを増すことになったわけだ。音声出力に対して歪成分はなんと6/10万という信じられない値である。
 今ではすっかりスピーカー・メーカーとして体質を変えてしまったが、英国にリークというアンプ・メーカーの老舗がある。モノーラル最終期の50年代後半までは、英国を代表する高級アンプのメーカーとして今日のQuadよりもはるかに高高いイメージをもった高級志向の実力メーカーであったこのリークの名が、一躍世界の檜舞台へ踊り出て脚光を浴びるきっかけになったのが、歪0・1%のアンプで、その低歪をそのまま商品名としたポイントワン・アンプであった。
 10数年の歳月がたった今日、0・006%と2ケタも低い歪特性が達成されたのが、Lo−Dブランドであるのは決して偶然ではあるまい。例えばLo−Dの名をもっとも早く定着させたブックシェルフ・システムHS500は、歪0・5%という。これがデビューした当時にしては驚くべき低歪特性であったことは有名だ。その後昨年発表した大型スピーカー・システムHS1500は歪率0・1%を実現している。
 カセットにおいても、その常識をぶち破る低歪、ワウ・フラッター特性を、カートリッジにおいても……というようにLo−Dブランドの目指すものが、単にブランドとしての名だけでなくて、まぎれなく実のある低歪を確立しているのは、まさに瞠目べき成果であろう。そして、今日の新シリーズ・アンプの0・006%!
 新シリーズ・アンプに達する以前からも日立のアンプの高品質ぶりは、内側では早くからささやかれていた事実だ。ベテラン・ライターやエディター達はその擾れた再生能力については一目も二目もおいていたともいっても過言ではない。ただ、そのおとなしい再生ぶりとデザインとが、アピールをごく控え目におさえてしまっていた。新シリーズになって、それではデザイン・チェンジによって強烈なイメージを得たかというと、必らずしもそういう派手な形にはなっているわけではない。しかし、ごくおとなしい、つまり大人の雰囲気の中に外見からも格段の豪華さが加わったことだけは確かだ。パネルの右側に配された大型のコントロールつまみ。これひとつだけで、日立のアンプはまったくそのイメージを一新してしまったのだ。もっとも大きく変ったのは、外観ではなくて、0・006%歪の示すように、その内容面の質的向上である。もともと、日立のアンプの優秀性は、その電子技術の所産としての高性能ぶりにあったのだし、今日それは格段の高性能化への再開発を受けし、アンプとしてきわめて高いポテンシャルを獲得したのである。
 日立のアンプの大きな特長、オリジナル技術がこの高性能化の土台となっているが、それは例えば、ごく基本的なパワー・アンプについていえば、インバーテッド・ダーリントン・プッシュプル回路であろう。インバーテッド・ダーリントン・プッシュプル回路を採用しているアンプとしては、米国のマランツ社のアンプがトランジスタ化と同時に今日に至るまで、高級品がすべてインバーテッド・ダーリントン回路である。。他社製品が多くコレクタ接地回路のパワーステージであるのに対してのインバーテッド・ダーリントン回路はエミッタ接地のPP回路だ。これによって、パワー段の増幅度が大きくなるので、パワー・アンプは増幅度が高く、回路構成は簡略化されるので低歪のためのNFは安定化されるし、基本的に低歪であるが、そのためにはドライバー段の設計はきわめてむつかしいといわれ、マランツのアンプが日本メーカーコピーされることがないのもその辺が理由であった。日立の場合はすでにキャリアの永い「定電流駆動ドライバー段」の技術の延長上にこうしたインバーテッド・ダーリントンPP回路が成果を結んだとみてよかろう。
 パワー段のみに眼を向けるだけですでに紙面が尽きてしまったが、あらゆる点にLow Distortionへのアプローチとしてのオリジナル技術があふれる日立アンプは、他社にみられないすばらしい再生ぶりを発揮してくれる。品の良い力強さ、透明感あふれるサウンドが何よりこのアンプの高品質を物語るのである。

スピーカーユニットのベストバイを選ぶにあたって

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 JBLの新モニターシリーズなどをのぞくと、いじって面白いスピーカーシステムと、いうのは既製品にはほとんどない。自作して、悪戦苦闘しながら、時間を手間をかけて自分の思いどおりに飼い馴らしてゆくことこそ、スピーカーシステム作りの本当の楽しさといえる。スピーカーユニットは、そういう長期の使いこなしに耐える可能性を秘めていなくてはならない。しかしまた、スピーカーユニットは、使い手の感性や技術力によって、抽き出される能力に大幅の違いがあるので、こういう形で銘柄だけあげることには疑問も残るのだが……。

KEF B200

井上卓也

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 小型のエンクロージュアを使って2ウェイシステムを作るときに使いたいウーファーである。音質は、やわらかく、滑らかなタイプで、高音は、やはりドーム型を使いたい。

マークレビンソン LNP-2

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 きめ細かなゲイン調整と、トーンコントロール、それにピーク指示のできる精密音量レベル計など、JC2より音質はやや甘いが機能的にずっと充実している。しかし高価だ。