Tag Archives: MC2205

マッキントッシュ MC2205

菅野沖彦

’81世界の最新セパレートアンプ総テスト(ステレオサウンド特別増刊・1981年夏発行)
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」より

 マッキントッシュのアンプ代表機種で、200W+200Wのパワーが、パワーガード・サーキットで安定して供給され、サチュレーション・フリーである。400Wモノーラルアンプとしても使える。あのブルー・メーター、グラス・イルミネーションの美しさは、古い新しいを超越した美しいものであるばかりでなく、ガラスを割らない限り、その美しさは半永久的に持続する。現在最も信頼性と完成度の高いパワーアンプの一つだろう。

音質の絶対評価:9

マッキントッシュ MC2205

菅野沖彦

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 マッキントッシュのパワーアンプのシリーズ中の代表機種である。例のグラスイルミネーションパネルをもつアンプとして、現在のところ最大のパワーをもった製品だ。パワーガードサーキットにより、ノンクリッピングのドライブが可能で、伝統のアウトプットとランスの使用により、高効率、高信頼度をもっている。暖かく重厚な音の品位の高さはマッキントッシュアンプならではのもので〝価値ある製品〟といえる。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その13)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 かつてC22とMC275の組合せの時代にしびれるほどの思いを体験したにもかかわらず、マッキントッシュの音は、ついにわたくしの装置の中に入ってこなかった。その理由はいまも書いたように、永いあいだ、音の豊かさという面にわたくしが重点を置かなかったからだ。そしてマッキントッシュはトランジスター化され、C26、C28やMC2105の時代に入ってみると、マッキントッシュの音質に本質的に共感を持てないわたくしにさえ、マッキントッシュの音は管球時代のほうがいっそ徹底していてよかったように思われて、すますま自家用として考える機会を持たないまま、やがてレビンソンやSAEの出現以後は、トランジスター式のマッキントッシュの音がよけいに古めかしく思われて、ありていにいえば積極的に敬遠する音、のほうに入ってしまった。
 MC2205が発売されるころのマッキントッシュは、外観のデザインにさえ、かつてのあの豊潤そのもののようなリッチな線からむしろ、メーターまわりやツマミのエッジを強いフチで囲んだ、アクの強い形になって、やがてC32が発売されるに及んで、その音もまたひどくアクの強いこってりした味わいに思えて、とうていわたくしと縁のない音だと決めつけてしまった。
 C29が発売されて、MC2205との組合せで、全く久しぶりに、ましてわたくしの家では本誌3号以来十数年ぶりに、マッキントッシュを聴いた。そして認識を新たにした。というよりも、マッキントッシュの音に、再びあのC22+MC275時代で築いた確固たる豊かさが蘇った。もう少し正確な言い方を心がけるなら、C22時代のあのいくぶん反応の鈍さとひきかえに持っていた豊かさ、あるいはC32で鳴りはじめた絢爛豪華で享楽的なこってりした味わい。そうした明らかな個性の強さ、というよりアクの強さが、ほどほどに抑制されて、しかも音に繊細な味わいと、ひずみの十分に取り除かれた滑らかさが生かされはじめて、適度に鮮度の高くそして円満な美しさ、暖かさが感じられるようになってきた。
 レビンソンのアンプが、発売後も大幅に改良されていることはすでに書いたが、マッキントッシュのアンプもそれほどではないにしてもやはり、発売後も少しずつ改良されているらしいことは、ずっと以前から推測できた。たとえばMC2105でも、初期のモデルと後期のそれとでは多少音質が違っているし、プリメインのMA6100に至っては、発売当初はひどく歪みっぽい音がしたのに、後期のモデルではすっかり改善されていた。
 MC2205を久々に聴いて、同じような印象を持った。あるいはそれはC29との組合せの結果であったのかもしれないが、以前に試聴したモデルにくらべると、弱音でのディテールの表現にわずかに感じとれた粗さがなくなって、管球時自体に築いた音の豊かさに、現代のトランジスターアンプならではの音の鮮度の高さや解像力の良さがほどよくバランスして、ひとつの新しい魅力を表現しはじめた。マッキントッシュは確かに蘇った。

マッキントッシュ C29, MC2205

菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポート」より

 製品としての完成度の高さの点で、現在、マッキントッシュのアンプの右に出るものはないといってよかろう。デザインのオリジナリティと、そのクォリティ、コンストラクションなどの総合的なバランスのよさは、まさに、専門メーカーとしてのキャリアと風格を証明し、アマチュアに毛の生えたような製品の多い昨今、ますます、その存在が輝きを放っている。仕上げの高さ、創りのよさといった見地からみると、アンプに関して、いまや国産の高級機を凌ぐ外国製品の数は、それほど多くはない。前述した、アマチュアに毛の生えた程度の作りの粗さや未熟さは、メーカー製にはあってはならないものだろう。真に価値のあるものは、中味にふさわしい外観、外観にふさわしい中味の各々相まって然るべきである。音さえよければそれでいいという考え方は未熟である。それも、買い手がいうのならまだしも、作り手や、売り手が口にすべきことではない。ましてや、作りの粗さや雑なところが、いかにも専門メーカーの小量生産品らしくてよいなどというのは、詭弁以外のなにものでもない。外観の風格は、中味の充実からくるものであるし、その品位と重みといった雰囲気は一朝一夕に出来上がるものであるはずがない。マッキントッシュの製品は、こういう観点から見た時、真の一流品、高級品といえる数少ない現役製品のひとつだ。
 このC29、MC2205という製品は、現在のマッキントッシュのラインアップのなかでは最も新しい設計による矢野で、一貫したマッキントッシュの風格は、その外観にも音にも堅固に生き続けている。
C29の特徴と音質
 C29コントロールアンプは、価格的にみればC32の下のクラスということになるが、必ずしもC32の普及モデルというのではなく、むしろ、C28の新型が、このC29で、C32は新しいコンセプションによるニューモデルと考えるのが妥当であろう。それは、コントロールアンプとしての機能や、音の上からも肯定できるところであって、C32の豊潤な艶は、従来のマッキントッシュのサウンドとはやや異質だし、コントロールアンプとしてはコンセプトの異なるものだ。また、多分割のバンド型トーンコントロール機能も、マッキントッシュ伝統のものとはいえない。その点、このC29はオーソドックスで、シンプルなコントロールアンプで、必要なファンクションは完備したマッキントッシュ伝統のコンセプトを反映しているものである。グラスパネルのイルミネーションは、いまさらいうまでもなく、ユニークで美しく、機械の精度の高さをよく表現し、かつ、マッキントッシュのガウ社長のいう「エモーショナルレスポンス・フォー・ミュージック」を感じる心に豊かに呼応するフィーリングである。従来の同社のコントロールアンプは、いわゆるS(スイッチ)付ボリュウムを使っていたが、新シリーズから、パワースイッチとボリュウムは分けられ、プッシュ式の角型スイッチで電源のオン・オフをおこなうようになったのは好ましい。S付ボリュウムというのは、たしかに普及品のイメージに連なることは否定できない。パワースイッチにふれたついでだが、このプッシュボタンの色は、あまり好ましいとはいえない。新シリーズの出始めの頃は、他の一群のプッシュボタンと同じ、黒であったが(私が現用しているC32はそれだ)、見分けにくいということで、現在の色にしたらしい。しかし、この赤茶のような透明感のない色の質感は、マッキントッシュにしては、少々不満なクォリティであると思う。
 そして、音は、充実した質感……いかにも中味がつまっているといったソリッドネス……力と重みのある堅固な造形感をもった音像再現の見事さといった、マッキントッシュ・サウンドに、明るい陽光が射し込んだような、透明さが一段と冴え渡るようになったフレッシュなものなのである。
MC2205の特徴と音質
 新しいマッキントッシュのアンプに共通していえることだが、コンストラクションの確かさは、その精選されたパーツとのコンビネーションで最新のエレクトロニクステクノロジーをオーディオ的に洗練し、見事な再生音楽のリクリエイトに成功している。その伝統ゆえに、古い世代のアンプという偏見をもつ人がいるが、愚かな認識である。確かに、マッキントッシュは、実験的な突飛なパーツや回路は採用しないが、これは、同社が、製品の信頼性と、音楽の豊かな情緒的再現を重視しているからである。ポルシェが、市販車にターボチャージャーを装備したのは、大変な実験とレース実績の積み重ねをしてからであった。BMWが、それより先にターボチャージャーを装備した車を売り出し、そのレスポンスのタイムラグや故障のために生産を中止した事実とは対照的である。マッキントッシュのプロダクションの考え方には、これと一脈通じるものがある。やれDCアンプだ、サーボアンプだと大さわぎをしてはいるが、はたして音はどうなのだ? はたしてオーディオにとって本当に有効な技術進歩かどうか? そんなことは半年やそこいらで結論が出るものではないだろう。往年のマランツやマッキントッシュほどのものになると、10年前の製品でも、オーディオ機器として最新の製品と堂々と比肩する性能をもつものである。人によっては、昔のもののほうを高く評価するという事実もある。
 MC2205は、こうした音とテクノロジーの関連を、マッキントッシュらしい慎重さと、豊かな想像力で検討し、有能なエンジニア達が、古くからの体験に基づき、よいものを大切に、新しいテクノロジーの中から厳重に選択したポイントを盛り込んで作り上げられただけあって、外観も、お供、まさに威風堂々の充実感を覚える力作である。これらのすべてが、今回のテストで改めて如実に確認できた。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その14)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万五を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これまほどの昨日と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
 ところで、音の豊かさという点で、もうひとつのアンプについて書くのを危うく忘れるところだった。それは、イギリスの新しいメーカー、オースチンの、管球式パワーアンプTVA1の存在だ。
 管球式のアンプが、マランツ7を最後に我が家のラインから姿を消してすでに久しい。その後何度か、管球アンプの新型を聴く機会はあったにしても、レビンソンは別格としても出来のよいトランジスターの新しいアンプたちにくらべて、あえて管球式に戻りたいと思わせるような音には全くお目にかからなかった。わたくし自身は、もうおそらく半永久的に管球に別れを告げたつもりでいた。
 そういうつもりで聴いたにもかかわらず、TVA1の音は、わたくしをすっかりとりこにしてしまった。久しく耳にしえなかったまさにたっぷりと潤いのある豊かな響き。そして滑らかで上質のコクのある味わい。水分をたっぷり含んで十分に熟した果実のような、香り高いその音を、TVA1以外のどのアンプが鳴らしうるか……。
 仮にそういう良い面があったにしても、出力トランスを搭載した管球式パワーアンプは、トランジスターの新型に比較すれば概して、音の微妙な解像力の点で聴き劣りすることが多い。そういう面からみれば、TVA1の音は、レビンソンのように切れこんではくれない。それは当然かもしれないが、しかし、おおかたの管球式の、あの何となく伸びきらない、どこかで物が詰まっているかのような音と比較すると、はるかに見通しがよく、音の細部の見通しがはっきりしている。
 中音域ぜんたいに十分に肉づきのよい厚みがある。かつてのわたくしならその厚みすら嫌ったかもしれないが。
 TVA1は、プリアンプに最初なにげなく、アキュフェーズのC240を組合わせた。しかしあとからいろいろと試みるかぎり、結局わたくしは知らず知らずのうちに、ほとんど最良の組合せを作っていたらしい。あとでレビンソンその他のプリとの組合せをいくつか試みたにもかかわらず、右に書いたTVA1の良さは、C240が最もよく生かした。というよりもその音の半分はC240の良さでもあったのだろう。例えばLNPではもう少し潤いが減って硬質の音に鳴ることからもそれはいえる。が、そういう違いをかなりはっきりと聴かせるということから、TVA1が、十分にコクのある音を聴かせながらもプリアンプの音色のちがいを素直に反映させるアンプであることもわかる。
 今回の試聴では、この弟分にあたるTVA10というのも聴いた。さすがに小柄であるだけに、兄貴の豊かさには及ばないにしても、大局的にはよく似た傾向の音を楽しませる。オースチン。この新ブランドは、近ごろの掘り出しものといえそうだ。

マッキントッシュ MC2205

菅野沖彦

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

伝統の技術が新しいテクノロジーでリファインされた美しい製品。

マッキントッシュ MC2205

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 音のたっぷりして豪華な味わいのあるところはいかにもマッキントッシュだが、新シリーズになってからは、高域の聴感上のレインジを広げ、解像力を上げようとしていることが聴きとれて、音に新鮮な輝きが加わったが、反面、以前から持っていた性格でもある音の掴み方がやや粗い面が、解像力の増した分だけ表面に露出してきたという印象があって、旧シリーズの方が適当に脂肪太りしているところへうまく化粧していたため小皺もうまく隠れていたことがいまになって想像できる。また、今回の新シリーズの方が内在する力をストレートに表面に出すが、力を底に抑制して露に出さなかった旧シリーズの方に、むしろ好ましさを感じさせる部分もある。

マッキントッシュ MC2205

井上卓也

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 リファレンスコントロールアンプLNP2Lとの組合せでは、予想よりもソリッドで硬質な面が顔を出し、マッキントッシュらしい、豊かさ、力強さが充分に音として出ているとは思われないようだ。
 聴感上での周波数レンジはかなりナチュラルに伸びており、バランス的には、低域は量感があるが、重く、鈍さもあり、中域は量的にはタップリとし、厚みもあり密度も濃いが、やや硬質な面があり、音の粒子が少し粗粒子型である。コントラストは充分につくが、細部をクリアーに引き出せず、やや大柄な印象となる。ステレオフォニックな音場管は適度に広がり、音像はかなりクッキリと定位をするが、輪郭は粗いタイプだ。

マッキントッシュ C32 + MC2205

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 C28やMC2105までの製品とくらべると、デザイン上からもツマミやメーターまわりに太いふちどりがアクセントとして加わったことが、音質の傾向をも象徴している。たとえばマークレビンソンなら、面相(毛筆)か細書きのペンで慎重に繊細に描写するであろうところも、マッキントッシュの手にかかると、もっと大胆に、いくぶん荒々しく大掴みに、太い線でこってりと描き出す。従前のシリーズよりはディテールもはるかによく浮き彫りする解像力が加わったが、その描線はコンテかパステルの質感のようで、味わいも濃いが反面どこまで細部を描き込んで行っても、輪郭がどこかケバ立ってペン書きのような繊細さには至らない。だが色彩感はこちらの方がはるかに豊かだ。この豊かさは旧型以来のマッキントッシュの伝統だが、新型ではそこにいっそうの輝きと鮮度の高さ、そして華麗で豪華な味わいが増してきた。この濃い味を毎日の食卓で飽食しないなら、かなり器の大きな人というべきだろう。

マッキントッシュ MC2205

菅野沖彦

ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」より

 マッキントッシュの新製品であるが、基本的には伝統的なマッキントッシュのパワーアンプである。ややデザインも変更を受けているが、イメージは一貫したもので、モデルチェンジとはいえない。つまり、マッキントッシュはマッキントッシュであり、マッキントッシュの敵はマッキントッシュなのである。磨きぬかれた充実した音は王者の風格。