黒田恭一
ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「ヴァノーニとの陶酔のひとときのためならぼくはなんだってできる」より
「俺さあ……」
Fのはなしは、いつも、このひとことからはじまる。
しかし、問題なのは、その後につづくことばである。いつだって、その後につづくFのことばは、こっちの意表をつく。
「俺さあ……」
しばらく間があった。
「今夜のミミ、よかったと思うんだよ」
Fとぼくは、そのとき、ウィーンの国立歌劇場で「ボエーム」をきいた後であった。もともと、その夜のミミには、チェチーリア・ガスディアが予定されていた。しかし、ガスディアが急病ということで、ポーランド出身のソプラノ、ヨアンナ・ボロウスカがミミをうたった。
「そんなによかったかな、あのミミ?」
「うん。よかった。よかったと思う」
そういいながら、Fは、しきりにうなずいていた。どうやら、Fは、ヨアンナ・ボロウスカの声や歌についてではなく、彼女の容姿についていっているようであった。そんなことがあって後、ぼくは、二日ほどウィーンを離れた。ウィーンに戻ったとき、Fは、こういった。
「俺さあ……、ヨアンナと食事したんだけれど……」
Fは、ヨアンナを楽屋に訪ね、深紅のバラの花束をとどけた。大いに感激したヨアンナは、Fの招待に応じ、食事をともにした、ということのようであった。ところが、ヘビー・スモーカーであり、おまけにヘビー・ドリンカーでもあるFは、オペラ歌手であるヨアンナを前にして、タバコをすいつづけ、ワインをのみつづけたために、ヨアンナのひんしゅくをかった、ということを、別の筋からきいた。相手がオペラ歌手であるにもかかわらず、煙草をすいつづけるところがFのFならではのところであった。
Fの「俺さあ……」の後には、どのようなことばがつづくか、予断をゆるさない。Fが「俺さあ……」といったときには、心して耳をすます必要がある。Fは、これはと思えば、ウィーン国立歌劇場の歌い手に花束をとどけ、食事に誘うぐらいのことは、すぐにもやってのけるのである。
Fは、写真家で、普段は、ウィーンの、もともとは修道院として十六世紀に建てられたという、おそらく由緒があると思える建物に住んでいて、ときどき日本にもどってくる。Fが日本にもどってきたときには、ぼくの部屋で、Fとぼくとの共通の恋人であるオルネラ・ヴァノーニのCDなどをききながら、あれこれ、どうということもないことをはなしながらすごす。
そのときである。また、「俺さあ……」であった。
「めったに東京にもどってこないしさあ、今の部屋はでかすぎるから、小さな部屋にかわろうと思うんだよ」
そこまではよかった。そうか、そうか、それもいいだろう、といった感じできいていた。ウィーンで住んでいるところも大きいから、きっと東京のFの住処も馬鹿でかいのであろう、と想像しながら、なま返事をしていた。
「このアポジーさあ、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」
Fのはなしには、いつでも、飛躍が或る。つまり、エフとしては、このようにいいたかったのである。小さな部屋にかわるにあたっては、チェロのパフォーマンスなどという非常識に大きいパワーアンプが邪魔であるから、お前がつかってみては、どうか。Fがチェロのパフォーマンスをつかっているのは、前にきいたことがあって、しっていた。
冗談じゃない。あんな、ごろっとしたものを一セットおいておくだけでも、めざわりでしかたがないのに、もう一セットおくなどとんでもない、と思い、適当にうけながしておいた(ご参考までに書いておけば、チェロのパフォーマンスは、幅と奥行がそれぞれ47cm、高さが22cmの本体と電源部が、それぞれ二面ずつで一セットである)。そのとき、ヘビー・ドリンカーのFは、かなり酔ってもいたので、いい案配に、自分がいったことも忘れているであろうと、たかをくくっていた。
数日して、電話があった。
「おぼえているかな?」
「なにを?」
「アンプのことなんだけれど……」
そういわれれば、おぼえていない、とはいえなかった。
そのようにして、ぼくは、自分が愚かなことをしているのを自覚しながら、乱気流のなかにつっこんでいた。
「マルチ」は、オーディオにとびきり熱心なひとがするべきものであって、ぼくのような中途半端なオーディオ・ファンが手をだせば火傷をするのがおちである、と自分にいいきかせていた。したがって、ぼくとしては、これまで、「マルチ」をやっている友だちのはなしをきかされても、ごく冷静にうけとめてきた。
しかし、今や、「マルチ」を対岸の出来事と思っていることはできなかった。Fのところからチェロのパフォーマンスがもう一セットはこびこまれてくる、という現実を前に、ぼくはすくなからずうろたえ、とるものもとりあえずM1に電話した。このときのM1の電話の対応を、できることなら、おきかせしたいところである。あのとき、M1は、サディスティックな快感に酔っていたにちがいなかったが、けんもほろろに、こういってのけたのである。
「ただアンプを2台(4台か)にしても、さしてよくはなりませんよ。電源のこともあるから、かえって悪くなるかもしれないし……、いずれにしろチェロのパフォーマンスをもう一セットつかえるかどうかアンペア数をチェックしたほうがいいですね」、そういっておいて、憎きM1は、いかにも嬉しそうにクックックと笑った。
「どうすればいい?」
こっちは、ほとんど、ザラストロの前にひきだされたパミーナのような心境になり、おずおずと尋ねないではいられなかった。
「DAXという、アポジーのためのエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークがあるから、それをつかうんですね」
ぼくは、それまでの状態で充分に満足していたので、おそらく、「このアポジー、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」、といったのがFではなかったら、いささかのためらいもなく断わっていた。しかし、困ったことに、ぼくは、人間としてのFも、Fの仕事も好きであった。それに、それまで自分のつかっていたアンプをぼくにつかわせようと考えたFの気持も、うれしかった。
これはやっかいなことになったかな、と思いながら、ぼくは、受話器のむこうのM1に、こういった、
「そのDAXという奴をつかうと、どうなるの?」
「音の透明度が格段によくなるんですよ」
M1のことばは自信にみちていた。
「それでは、それにしてみようか」
「それしかないですね」
そういって、M1は、また、クックックと笑った。
その数日後、DAXがとどけられた。そして、ぼくは、ああ、こういう音のきこえ方もあるのか、と思った。そのとき、ぼくの味わった驚きは、それまでに味わったことのないものであった。そして、なるほど、オーディオに深入りしたひとたちの多くが「マルチ」をやるのもわからなくはない、と遅ればせながら、納得した。そうか、そうだったのか、と思いつつ、その日は、窓の外があかるくなるまで、とっかえひっかえ、さまざまなCDやLPをききつづけた。
いわゆる音の質的な変化であれば、これまでも再三経験してきたから、あらためて驚くまでもなかった。「マルチ」にしたことでの変化は、ただの音の質的な変化にとどまらなかった。基本的なところでの音のきこえかたそのものが、「使用前」と「使用後」では大いにちがった。そのための、そうか、そうだったのか、であった。
「使用前」と「使用後」でちがったちがいのうちのいくつかについて書いてみると、以下のようになる。すでにオーディオに熱心にかかわっている諸兄にあっては先刻ご存じのことと思われるが、駆けだしの素朴な感想としてお読みいただくことにする。
最初に気づいたのは、音の消えかたであった。
コンサートなどで、演奏が終ったか終らないか、といったとき、間髪をいれずに、あわてて拍手をするひとがいる。あの類いの、音楽の余韻を楽しむことをしらないひとには関係がないと思われるが、CDなりLPなりをきいていて、もっとも気になることのひとつが、最後の音がひびいた、その後である。もし、そのとききいていたのがピアノのディスクであると、ピアニストがペダルから足を離して、ひびきが微妙にかわるところまできくことができる。
その部分の微妙な変化が、より一層なまなましく、しかも鮮明になった。ぐーと息をつめてきいていって、最後の音の尻尾の先端を耳がおいかけるときのスリルというか、充実感というか、これは、いわくいいがたい独特の気分である。
ぼくは、コンサートで音楽をきくのも好きであるが、それと同じように、あるいはそれ以上に、ひとりでCDやLPをきくのが好きである。その理由のひとつとして、CDやLPでは、望むだけ最後の音の尻尾の先端を耳でおいかけはられることがあげられる。コンサートでは、無法者に邪魔されることが多く、なかなか、そうはいかない。
したがって、音の消えていくところのきこえかたは、ぼくにとって、まことに重要である。思わず、息をのむ、というのは、いかにもつかいふるされた表現で、いくぶん説得力に欠けるきらいがなくもないが、ぼくは、DAX「使用後」、まず、その点で、息をのんだ。
そのこととどのように関係するのかわからないが、次に気づいたのは、大きな音のきこえかたであった。
おそらく、心理的なことも影響してのことであろうが、大きな音は近くに感じる。しかし押し出されすぎる大きな音は゛音としての品位に欠けるように思え、どうしても好きになれない。わがままな望みであることは百も承知で、たとえ大きな音であっても、音と自分とのあいだに充分な距離を確保したい、と思う。むろん、そのために、大きな音が大きな音たりうるためにそなえているエネルギーが欠如してしまっては、それでは、角を矯めて牛を殺す愚行に似て、まったく意味がない。
あらためてことわるまでもないことかもしれないが、このことは、いわゆる音場感といったこととは別のところでのことである。今ではもう、かなりシンプルな装置でさえ、大太鼓はオーケストラの奥のほうに定位してきこえるようになっている。しかし、多くの装置では、音量をあげるにしたがい、どうしても、楽器や歌い手が、全体的に前にせりだしてきてしまう。
ぼくは、かならずしも特に大きい音で再生するほうではないが、その音楽の性格によっては、いくぶん大きめの音にすることもある。たとえば、最近発売されたディスクの例でいえば、プレヴィンがウィーン・フィルハーモニーを指揮して録音したリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」(日本フォノグラム/テラーク PHCT5010)などが、そうである。このディスクをききながらも、ひびきは、充分に壮大であってほしいが、押しつけがましく前にせりだしてきてほしくない、と思う。
しかし、DAX「使用前」には、クライマックスで、どうしても、ひびきが手前のほうにきがちであった。「使用後」には、もうすこし静かに、というのも妙であるが、ひびきが整然としてしかもひとつひとつの音の輪郭がくっきりとした。
しかし、この頃は、楽しみできくディスクといえば、「アルプス交響曲」のような大編成のシンフォニー・オーケストラによる演奏をおさめたディスクであることは稀で、せいぜいが室内管弦楽団の演奏をおさめたディスクであることが多くなった。俺も、年かな、と思ってみたりするが、大編成のシンフォニー・オーケストラによってもたらされる色彩的なひびきは、音響的にも、心理的にも、どうも家庭内の空間とうまくなじまないようにも感じられる。
最近、好んできくCDのひとつに、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を指揮して録音したモーつ。るとのディヴェルティメントのディスクがある(ワーナー・パイオニア/エラート WPC3280)。このディスクには、あのK136のディヴェルティメントをはじめとして、四曲のディヴェルティメントがおさめられている。アムステルダム・バロック管弦楽団は、その名称からもあきらかなように、オリジナル楽器による団体である。
当然、DAX「使用後」にも、このディスクをきいた。特にK136のディヴェルティメントなどは音楽のつくりの簡素な作品であり、また演奏が素晴らしいので、各パート間でのフレーズのうけわたしなども、まるで目にみえるように鮮明にききとれて、楽しさ一入である。しかし、このディスクにおいてもまた、「使用前」と「使用後」では、きこえかたがとてもちがっていた。
ここでのちがいは、演奏者の数のわかりかたのちがい、とでもいうべきかもしれなかった。「使用前」でも、弦合奏の各パートのおおよその人数は判断できた。しかし、「使用後」になると、わざわざ数えなくても、自然にわかった。むろん、演奏者の顔までわかった、などとほらを吹くつもりはないが、あやうく、そういいたくなるようなきこえかたである、とはいえる。
ただ、ここで、ひとつおことわりしておくべきことがある。
今回もまた、前回同様、複合好感をおこなってしまったことである。今回は、アポジーDAXを導入しただけではなく、WADIA2000に若干手をいれてもらった。ぼくのところにあるWADIA2000は、いわゆる「フレンチカーブ」といわれる最初のバージョンのものであったが、それに手をくわえて最新の「ディジマスター/スレッジハンマー」仕様にしてもらった。「フレンチカーブ」と「ディジマスター/スレッジハンマー」では、特に音のなめらかさの点で、かなりのちがいがあるように思えた。ただ、「ディジマスター/スレッジハンマー」より「フレンチカーブ」のほうがいい、というひともいなくはないようであるが、ぼくは、「ディジマスター/スレッジハンマー」のなめらかさに軍配をあげる。
つまり、ここでいっておきたいのは、これまで書いてきたことは、WADIA2000を「フレンチカーブ」から「ディジマスター/スレッジハンマー」にかえたことも微妙に関係していたかもしれない、ということである。
これを、幸運というべきか、不幸というべきか、それはよくわからないが、ともかく、これまでずっと、ぼくには、M1に目隠しされたまま手をひかれてきたようなところがあって、いつも、なにがどうなったのか正確には把握できないまま歩いてきてしまった。それで、結果が思わしくなければ、M1を八裂きにしてやるのであるが、残念ながら、というべきか、喜ばしいことに、というべきか、いつも、M1に多大の冠者をしてしまうはめにおちいる。その点で、今回もまた、例外ではなかった。
そして、もうひとつ、これは、恥をしのんで書いておかなければならないことがある。DAXには、当然のことながら、高音や低音を微妙に調整するためのつまみがついているが、ぼくは、まだ、それらのいずれにも手をふれていない。調整する必要をまったく感じないからである。
むろん、つまみういろいろ動かせば、それなりに音が変化するであろう、とは思う。しかし、すくなくとも今のぼくは、なにをどう変化させたらいいのか、それがわからないのである。多分、ぼくは、今の段階で、現在の装置のきかせてくれる音を完全には掌握しきれていない、ということである。
完全なものなどあるはずもないから、現在のぼくの装置にだって、あちこちに破綻もあれば、不足もあるにちがいない。しかし、それが、ぼくにはみえていないのである。このような惚けかたは、どことなく結婚したばかりの男と似ている。彼には、彼の妻となった女のシミやソバカスも、まだみえないのである。彼が奥さんのシミやソバカスがみえるようになるためには、多少の時間が必要かもしれない。シミやソバカスがみえてきたとき、ぼくはDAXのつまみを、あっちにまわしたり、こっちにまわしたりするのかもしれないが、できることなら、そういうことにならないことを祈らずにいられない。
パフォーマンスのアンプをもう一セットふやし、DAXを導入したことで、今、一番困っているのは熱である。パフォーマンスのアンプにはファンがふたつついている。ということは、アンプのスイッチをいれると、合計八つのファンがまわりだす、ということである。八つのファンからはきだされる熱気は、これはなかなかのものである。普通の大きさのクーラーをかけたぐらいでは、ほとんどききめがない。おまけに、今年の夏はやけに暑い。はやく涼しくなってくれないか、と思いつづけている。
DAXが設置された日、朝までききつづけていて、最後にきいたのは、「IL GIRO DELMIO MOND/ORNELLA VANONI」(VANI;IA CDS6125)であった。そのときのぼくの気持は、最後に食べるために大好きなご馳走をとっておく子供の気持とほとんどかわりなかった。このアルバムの一曲目である「TU MI RICORDI MILANO」が、まるで朝もやが消えていくかのように、静かにはじまった。音にミラノの香りがあった。「トゥ・ミ・リコルディ・ミラノ……」、ヴァノーニが軽くうたいだした。この五分間の陶酔のためなら、ぼくはなんだってできる、と思った。
この音は、どうしてもFにきかせなければいけないな、と思い、翌日、電話をした。Fはすでにウィーンに戻ってしまった後で、電話はつながらなかった。
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