瀬川冬樹
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
以前の〝モニター・ゴールド〟を収めた製品の印象はなかなか良かった。HPDに改良されてからはユニットの低域共振点が大幅に下がったせいか、低音の量感がかなり減って、低域をぐんと引締めたような音がする。背面を本誌試聴室の厚い木の壁にぴったりつけて、さらにトーンコントロールでローエンドを4ないし6dBほど補整してもいいくらいだ。ただそうしても、エンクロージュア自体の共鳴音はほとんど耳につかないほどよく抑えられているため、、たとえばタンノイ・オリジナル・シリーズの〝ARDEN〟のあの、放っておくと概して低音がダブついたり低音肥大症ぎみになったりする傾向を嫌う向きには歓迎されるにちがいない。
ただ、同じタンノイのユニットを使っても、エンクロージュアが違っただけで、低音だけが良くなって中~高音域の音色は同じというわけにはゆかないという点が難しい。もともとタンノイのユニットは、旧型のヨークからオートグラフ、そして新しいAからEまでのシリーズまで含めて、エンクロージュアをあまり強固に補強しないで、箱の音色に助けられて独特の音を聴かせていたところがあるので、ロックウッドのように、がんじがらめに共鳴をおさえてしまったエンクロージュアに収めると、タンノイの音もまったく別もののように一変してしまう。
プログラムソース別にいえば、ロス=アンヘレスのラヴェルのように、音の厚みよりは色彩感で聴かせる曲の場合には、タンノイ独特の中高域の濃い中にも一種華やかに際立つ音色が、声や木管に妖しい魅力を添える。箱の共鳴をおさえて音の肉づきを薄くする傾向も、アンヘレスの声に関しては声を図太くせずに定位をシャープに表現して好ましい。ただ、ブラームスのオケの厚みになるといささかのたりないし、スピーカーユニットの音色がモロに出てしまうせいかヴァイオリン(バッハV協)、ピアノ(アルゲリチ)など原音に少し色をつけすぎる感じがある。また、室内楽やジャズヴォーカル、コンボなどでは、総体に定位がものすごくいい反面、音の響きや肉づきをおさえすぎる印象で、音の豊かさや弾みが生かされにくく、音楽を楽しむというよりも音源を分析してゆくように鳴る傾向があり、その意味でモニターとして音の聴き分けには確かに良いのかもしれない。これだけの大型エンクロージュアの割には音像をふくらませることなく、シャープに、クリアーに、鮮明に鳴らすところは実にみごとだ。リスナーに対して前方にほとんど90度近くまで左右の間隔を広げて設置しても、中央の音が薄くならないし、定位はいっそう明確さを増す。
ただ、それだけに音を裸にしすぎるような印象があるので、ライブぎみのリスニングルームにはまだよいかもしれないが、一般の鑑賞用としては音をいささか冷たく分析しすぎる気味があると思う。
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